Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  名刀美女丸
敵討ちものの体裁を取っているのは戦争も押し詰まった年に映画を撮るための方便だったのか、実質は刀鍛冶の職人道の世界ね。得意の芸道ものにも繋がりそうだから(川口松太郎・脚本)こういうものなら何とかなると思ったのかもしれない。敵討ちのための刀を作る話になっている。いちおうチャンバラもあって、幕末の尊王と重ねて、時代の気分にも配慮。そういった「うまくいくかもしれない」要素を何とか掻き集めて撮ってみたが、結果ヘンテコな映画になっただけだった。まあお金や時間や機材の足りなさもありましょう、そういう中で何とかこういう映画を撮っていたのか、と知ることが一番の収穫。チャンバラの気合いの「はいらなさ」が半端でない。
[DVD(邦画)] 5点(2013-12-29 09:42:16)
2.  メンフィス・ベル(1990)
『Uボート』の空中版。爆撃機の中だけの狭苦しい「戦場」での青春群像もの。でも結局は「勇敢さ」に収斂されていっちゃう。ヒロイズム讃歌。「戦争は良くないけれども、いろんな階級の人が平等に触れ合えるのはいいことだった」なんて意見に導きそう。カチンときたのは、そばに病院や学校などの民間施設があって誤爆してはいけないからと旋回するとこ。そりゃこのメンフィス・ベルはそうだったのかもしれないけど、そうだとしてもそれはよほど特殊なケースでしょ。東京と違いすぎるじゃん。最近のイスラム圏でも豪快に誤爆しまくってる。フジサンケイグループが絡んでいて(冒頭に「石田ナントカに捧ぐ」と出てのけぞった)ま金を出しただけだろうが、歴史の部分を拡大して全体を美化するあそこの歴史観となら通じ合うものがあっただろう。爆撃機が離陸するときの揺れ具合やバチンバチンというトタンを叩くような音にのみリアリティが感じられた。
[映画館(字幕)] 5点(2013-12-04 09:49:19)
3.  メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
どこでも映っているアメリカのテレビ、そのノンキさの対照のように映画には腐臭が漂う。『ガルシアの首』はボスの怒りゆえだったが、こちらは友愛ゆえ、でも死臭漂う執念を見せるのは同じ。腐敗を見せつけることも裁きの一環か。罪に向かわせる旅となった。いつのまにか師弟のように見える二人、ってジャンルの映画があるな。男の映画として一つの型になっている。盲人の農夫のエピソードが好き。食料を届けるせがれはガンで死んだらしい。何かしてほしいことは? に対して、撃ってくれ、と言う。荒涼とした生がここにはある。あとで国境警備隊が来たときは、欲しいものは? に対して、ない、とキッパリ言う。心の通う者と通わぬ者との違い。メキシコの乾いた風景がこの物語にふさわしい。
[DVD(字幕)] 6点(2013-09-29 09:54:50)
4.  メトロポリス(1984)
群衆への不信が根強くある監督で、そっちのほうが資本家対労働者の図式より奥にある。偽のマリアに興奮させられていくくだりなど、おっかない。ロボットが資本家の言いなりになって、なんとなく話の輪郭が掴めた気分になったところで、ロボットが言うことをきかなくなり、破壊そのものの楽しさへ走っていく。それまでのところはナチズムを予見したというレベルだが、こうなると、兵器が人間の理性の範囲を超えてズンズン進化していってしまっている現代(1985年3月にロードショーで見た)の恐怖そのものに迫っている。1920年代に、もうここまで予見していた我々人類を自慢していいのか、それを知っていながら愚行を重ねた20世紀史にションボリすべきなのか。ロック音楽をかぶせたバージョンで、労働者たちが首うなだれて行進してるとこなんか、独自の効果があった。ソ連映画じゃないので労働者がすべて前向きなわけではなく、使いの役を忘れてヨシワラに行っちゃったりするのも、苦くてよろしい。
[映画館(字幕)] 7点(2013-08-26 09:33:53)
5.  メイン・テーマ 《ネタバレ》 
マジックが副モチーフで、いろいろ細かい仕掛けがあり、慢性的愉快感はある。全体、飛行機とか車とか乗り物にこだわっていた。本物の飛行機から紙飛行機まで。木に引っかかった紙飛行機をチョチョと突付いていると動き出し、実は荷台に積まれてた、ってのがあり、それのヴァリエーションとして、運転席がカラッポの車が動き出し、やややと思っていると、新車をまとめて運ぶ大型運搬車に乗せられている一台だった、なんてのもあった。瞬発的な愉快感は得られても、映画の魅力とは違ったなあ。映画は細部が大事、とは思うものの、その細部が連続してひとつの有機体を構成していく、という前提があって言うのであって、最初から細部だけというのは困る。薬師丸と森田という顔合わせは、期待したんだが。
[映画館(邦画)] 5点(2013-07-01 09:45:47)
6.  メルシー・ラ・ヴィ
ジョエルがみなに非難され、ある種の聖女伝説みたいな輪郭が見えたときに、この映画つかまえられた、って気になったが、ナチが出てきて「やっぱりよく分からない苦手なフランス映画」の様相を呈する。戦争の時代とエイズの時代とが重なってたみたいなんだけど。「いつでも困難はあるけど、だからこそ喜びが」ってな感じのラストシーンになって、おろおろする。あの憂鬱顔の車椅子のお父っつぁんが自力で坂道を走り降りていくラストにしてくれたほうが、気分が良かった。白黒とカラーが混ざるの、あんまり意味はなかった。作中の人物が「白黒のときにヤなことが起こる」って言ってたけど。医者と組んで街中に病気を撒く女の話のほうが面白いなあ。
[映画館(字幕)] 5点(2013-06-07 09:43:42)
7.  メル・ブルックス/逆転人生 《ネタバレ》 
ドシラソの音形に靴の進行が絡む冒頭。その靴はやがて浮浪者たちに奪われ、しかしラストではその浮浪者たちの行進がドシラソと鳴り響く。金持ちが賭けで30日間スラムで暮らすって趣向。黒人少年のタップを真似たりするギャグが続く。彼が本当は金持ちと知ったときに、浮浪者仲間にもうちょっと否定的なリアクションがあっていいんじゃないか。このころ日本企業がゴッホを大枚で買って話題になってたんでドキッとする場もある。いざりの男をショベルカーに轢かれたと思わせるので笑ったが、きつい笑いではあった。
[映画館(字幕)] 6点(2013-01-29 10:29:29)
8.  めまい(1958)
テレビでマラソン中継見てて、前を走る車からランナーにズームしていくと「めまい」の効果が出ることがある。まだこの映画を知らないころも、この不思議な感じいいな、とドキドキしながら見てた。その後、テレビドラマや映画でしばしばその手法を目にし、やがて本作が本家と知った。車の追尾シーンの素晴らしさは、何と言うか、マジックハンドで糸巻きに糸を巻きつけていくような興奮と言うか、決して急かさない、ゆっくりゆっくりとしかし正確に進行していく興奮で、この映画全体に言えることだ。町の女性が死んだ女になっていくところも、急かさないテンポ。どうして現代のスリラーはアレグロばかりになってしまったんだろう、スリラーはスローがいいという代表作。ただ観客に正体を知らせるのが少し早すぎる気がするのだが。
[映画館(字幕)] 8点(2013-01-13 09:41:43)
9.  めぐり逢う朝
鏡花の芸道ものの翻案だ、と言われれば、ああそうですかぁ、と納得しちゃうような話。師も弟子も、妻なり愛人なりの死によって、道を究めていく。師は求道家というより、妻を死なせた運命なり社会なりに対してスネているようなところがあり、芸術とは天上のものでありながら、この世のものごとに左右されるものでもあるんだなあ。そこらへんの芸術論の映画と見た。芸術はこの世に生きるためのもので、鎮魂の音楽でさえ耳にするのは生き残ったものたち、しかし芸術は芸術として純粋に閉じていきたがる表面張力のようなものも持っている。音楽は何のためにあるのか、と問われたマレは、すべての見えざるもののため? と答え、師はノンと言う。芸術のうち最も純度の高い音楽を巡って交される芸術論だ。好みとしてはもっとぶっきらぼうな演出のほうが良かったのでは。弟子マレが自作を弾いたとき、師が眉をピクリとさせるような、ああいうのはちょっと違うと思う。ドパルデューも薄化粧の有無に関わらずなんか違うなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-06 10:44:34)
10.  めし
成瀬にとって本作は、49年の『不良少女』から組み始めたカメラの玉井正夫との最初の代表作であると同時に、上原謙と組んだ最初の作品でもあるんだよね(ザッと調べただけなんで間違ってないといいんだけど)。私は戦後の上原・とりわけ成瀬映画での彼はもっと評価されていいと思ってるもんで、そういう意味で意義深い作品。上原は戦前の二枚目から、戦後はどちらかというと「ダメな男」を積極的に演じた(私なんかは東宝特撮ものの白衣の科学者も忘れ難いな)。とりわけそういうダメ男の役で彼を使ったのが成瀬、妻や父を幻滅させる男を演じていく。そのスタートが本作だった。似たタイプの森雅之だと、ダメな男を演じても「やつれの色気」のようなものを漂わせ、演技者としてちゃんと観客を唸らせるが、こちらは「投げやりな衰え」とでも言うか、ただただ元二枚目が中年になったやつれだけが漂う。大阪に一人残されて来客にバタバタしているシーンなど、その個々の動作は滑稽味を出す意図的な演技なんだけど、その演技に上書きされるように、「愛すべきダメな男」が、演技者の意図を越えて画面に匂い立つ。映画俳優の演技って、こういうとこを生かすのが大事なんじゃないか。それでもまだ本作はいい役な方で、これからだんだん、よそに女を作ったり昔の女に金を無心したり、情けない役を好演していくんだ。彼、決して森雅之のような名優ではなかったかもしれないが、いい映画俳優だったんじゃないかな。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-04-27 09:48:32)
11.  めぐり逢えたら
この前の『恋人たちの予感』が、クリスマス・新年で終わったので、今度はそこから始まる。夢のような恋愛・運命的な恋愛、そういうものが失われた現代から憧れて振り返っているようなところがある。スタンダードナンバーに、ケイリー・グラントの『めぐり逢い』の世界。ケイリー・グラント、デボラ・カーの美男美女の世界を、庶民派のトム・ハンクス、メグ・ライアンでなぞり直すわけ。飛行コースがいちいちテンテンで出るのがおかしい。こういうのではそれぞれの振られ役をどうフォローするかってのが難しいんだけど、これもそれクリアできなかった。ま、分かっていてもエンパイアステートビルの屋上ではホロリとしてしまう。これは過去のC・グラントの時代に戻れてホロリとしているのか、T・ハンクスの現代でも運命の出会いがあり得ると思ってホロリとしているのか。
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-02 10:18:30)
12.  メリー・ポピンズ 《ネタバレ》 
これ私が人生で一番最初に観たミュージカル映画(邦画なら東宝特撮・洋画ならディズニーとだいたい決まってた)。そのせいか今でも自転車こいでると「凧を揚げよう」をしばしば口ずさんでいる。まだ脳が固まってないときに沁み込んだものは、基底部に固着してしまうのだ。子どもにタップの至芸見せたってしょうがないから、ダンスでは煙突掃除人の群舞に見どころを集中させ、あとはトリック撮影で興味をつないでるのも正解。風や煙や凧や、あるいは子どもたちと探検するロンドンの屋根屋根が、ポピンズの浮遊のイメージを補強し、その浮遊が「笑い」にもつながっていく。完全セット撮影は、トリックしやすいってこともあっただろうが、いかにもミュージカル世界の「作り物」にふさわしい。…なんて書いてくとすごく冷静に再見してたみたいでしょ。ところが…。最初のほう、ドアの前に並んだ家庭教師応募人たちが風で吹き散らされていくところで、なぜかハラハラと泣き出してしまったんだな。その後も要所要所、いや特別要所とも思われないとこでも、滂沱。ラストのバンクス氏の会社復帰が告げられるご都合主義きわまる場面まで、何度も感きわまってしまった。脳の基底部から揺り動かされてくるような異様な過感情状態になっていた。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-03-12 12:39:20)(良:1票)
13.  メランコリー 《ネタバレ》 
原題「モルモット」のほうがいい。クリスマスイブから新年へのバカンスで、悪天候からラストで青空がのぞく仕組み。こういう“社交”を舞台にしたドラマってのがあちらは好きね。ロープウェイの中で、それぞれの独白が呟やかれたりする。惨憺たる私生活を抱えながらも「これは楽しいバカンスでなければならぬ」という社交の精神が優先される。立派なものだ。ジャクリーン・ビセットの女の直感が怖い。些細な発見からピンと亭主の浮気に感づき、亭主が言い訳しても「そう言われればそうだわ、思い過ごしかもしれない」なんてふうには全然考えないで、パッとその直感が確信に移行している、それまでの絶対的な信頼と同じように。これが怖い。そのあとでの“社交”、みんながエロ話をしているとこで、ジャクリーンが三角関係の話を淡々と語り、場が緊張してくるところがヤマか。女は怖いけど、またすぐ自殺しようとしたりもするんで、まことに厄介な存在である、というフランス人らしい微苦笑の映画。
[映画館(字幕)] 6点(2009-12-08 11:57:52)
14.  MEMORIES
「彼女の想いで」は、『2001年』的舞台で『ソラリス』やってる、って感じ。人間が考える宇宙の果ては、けっきょく人の心に行き着いてしまう。廃墟趣味がいっぱい。宇宙船の中のオペラハウス、そもそも調査艇が下降していく時に「ある晴れた日に」が流れていたのだった。ザザッと乱れの入るホモグラフ、青空に錆びた鉄骨が突き出してきてたり。ぱさぱさになる薔薇の花束。半分融けたようなピアノ、ポンと叩くと世界が変わる。拍手する手だけが見える。おそらくラストの宇宙に漂う飛行士は、故郷の夢を見ているのらしい。薔薇の花びらが浮遊している。こういうイメージの連続だけでいく話は、下手すると空回りになってしまう危険があるけど、これは45分という時間もいいのか、いっきにいけた。と、これが科学の果てに心に辿り着いたとすれば、「最臭兵器」は最も形而下的な“ニオイ”に復讐される話。地方都市の細密な再現。面白いのは花が咲いちゃうとこで、車がひっくり返ってる脇が花園になってたりする。ラストの後で花園になってる東京の場があるはずなんだけど。「大砲の街」は、全体主義社会の日常を淡々と描いていく。ここにあるのは、世界と拮抗するのではなく世界に組み込まれてしまった童夢。ファンタジーかも知れないが、これが現実になっている国もあるわけで、そこが苦い。2-3-1の順にしたほうが座りがいいような気がするけど、ま、好みの問題。
[映画館(邦画)] 8点(2009-11-02 12:06:53)
15.  夫婦善哉 《ネタバレ》 
男から見れば女の扱いにくさ、ちょっと誤解があるとガス管くわえてたりする。女から見れば男の頼りなさ。こういった互いの欠点が、でもつまり愛のニュアンスなわけで、人の世の“味わい”というものも実に複雑であります。蝶子だって本妻が死んだときは義理を感ずるが、すぐその後でお礼参りに行ったりする。スカタンならスカタンなりにすべてを放擲すればいいのに、けっこう船場の実家に執着する(なるほど本当のスカタンはこうでなくちゃならないのだな)。こういうどっちつかずの曖昧にダラダラした気分を繊細に描き込むってのは、日本の映画だけが成し得た境地ではないだろうか。これ原作も読んでみたが、原作のほうはもっとサッパリした味になっていて、それもまた別の感触の傑作だった。蝶子の実家の親父、総菜屋がいい。
[映画館(邦画)] 7点(2008-11-17 12:11:31)
16.  明治天皇と日露大戦争 《ネタバレ》 
新右翼の鈴木邦男によると、右翼の全国大会の時には、中島貞夫の『日本暗殺秘録』かこの映画がよく上映されるそうだ。盛り上がるんだろうなあ。敗戦後抑えられていた戦前の気分が爆発したような映画。負け戦の映画ばっかり作られていた50年代に、勝ち戦で景気をつけた作品で、ついでに共産ソ連の前身の国に勝った戦争ってのも右翼には嬉しいだろう。戦前の“伝説”をそのまま画にしていく。広瀬中佐は「杉野!」と叫び、天皇はもったいなくも大御心を悩まし粗末な食事をとり、乃木将軍は二子を失いながらも毅然として幾多の無駄な戦死の責めを免ぜられる。水師営の会見ではそのまま歌が流れ、日本海海戦では軍艦マーチが高鳴る。御製の詩吟まで付く。不潔感のないうるわしい戦争のイメージが延々と綴られていく。思えばこの映画の出自はけっこう複雑なのだ。戦後の右旋回の時期に、昭和前期に流布していた明治の戦争の説話を再現した作品なわけ。明治の戦争の記録としてでなく、昭和の屈折した精神史として、なかなか面白い記録になっている。こういう説話が昭和の戦争の時にもっぱら語られていた、ということを映像で再体験できる。馬鹿馬鹿しいと一方で思いつつも、時代がこの甘美さに満ちていたら、ちょっとフラッと行くかもなあ、と思わせるところもあった。これからも右傾化するだろう未来に備え、こんなの見て免疫つけといたほうがいいかも知れない。
[映画館(邦画)] 6点(2008-10-28 12:20:43)
17.  めぐりあう時間たち
ジュリアン・ムーアの老けメイクに感心した。素顔の地を生かしながら、ちゃんとメリル・ストリープより年上になっている。ニコール・キッドマンの鼻よりこっちの勝ち。話としては、幽閉からの解放が一つのテーマか。ウルフは田園に幽閉されて自ら命を絶つ。ムーアは平凡な日常に幽閉され、命を絶ちかけるが逃亡する。現代では幽閉されているのは男、心配しているのが女と、ウルフの時代から逆転した。女性解放の歴史であった20世紀だが、しかしそれはまた何とうら寂しい輝きのない場所に至ったのか、と思う。女と男が入れ替わっただけで、幽閉の被害は消えてないということか。
[映画館(字幕)] 6点(2008-05-24 12:21:24)
18.  メロ
流れるような移動撮影が売りの監督が、舞台劇をできるだけ舞台のまま映画化するとどうなるか、ってとこが興味の作品で、ほんとに舞台調で押し切るの。最後ヒロインの道行きだけ外に出る。ヒロインはただただ不幸を引き受け、男は女を信じそこなったことを後悔し、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ3楽章と1楽章がそれぞれに流れて、まことにメロドラマ(メロドラマって言葉はもともとメロディドラマから来てるそうで)。メロドラマとは何ぞや、という皮肉な分析でもするのかと思っていたが、そうでもない。この監督、晩年になってミュージカルに興味を見せ始めたのも、ここらへんからつながっていることなのか。ドラマのストーリーよりも、その閉じた舞台空間の窮屈さがヒロインを追いつめていったようにも見えるが、この映画の設定に何らかの意味を見つけようとして無理にそう感じたような気もする。
[地上波(字幕)] 6点(2008-01-12 12:13:33)
19.  名犬ラッシー(2005) 《ネタバレ》 
最初は字幕で見てたんだけど、あ、これは吹き替えのほうが味わいでるぞ、と途中で切り替えた。するとけなげな子どもはよりけなげに、いじわるなハインズさんはよりいじわるに、くどくなる分ドラマの輪郭がクッキリした。それで原作の古さによるちょっと引っかかるところ(左翼的に見れば忠義推奨・階級差是認の保守反動)があまり気にならない。古典の様式という枠があれば、ガチガチの封建思想を描く歌舞伎だって平気で感動できるのと同じことだ。そういえばラストのP・オトゥールの“犬あらため”なんて歌舞伎の“首実検”をそのまま裏返しにしたような腹芸の場で、ちゃんと赤塗りの憎まれ役にあたる人物までいる。あそこで泣かない人は鬼畜であろう。ある種の古典的な型は東西さして変わらないのかも知れず、本作ではその洗練された定式ゆえの安定感を充分味わえた。縦断していく英国の冬に向かう風景もまことに美しい。
[DVD(吹替)] 7点(2007-09-27 12:17:00)
000.00%
100.00%
200.00%
320.09%
4331.41%
52279.72%
691439.13%
773931.64%
834314.68%
9682.91%
10100.43%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS