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プロフィール
コメント数 178
性別 男性
ホームページ http://ameblo.jp/mabuse-tarou/
自己紹介 人にはそれぞれ言い分があるのです 。

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1.  山の音
台風のため停電となった鎌倉の旧家。夫はろうそくを手に立ち上がり、妻は布団の上にすわり、義娘のことを語り合う。カメラは二人を切り返すことでそのシーンを綴るのだが、夫の立ち上がる動きは妻の目線だけで描かれ、その様を観客がみることはない。これが、いわゆる成瀬目線なのだが、ここで不思議なことが起こる。妻が話す様をカメラは見下ろすように捉えているが、妻に対する照明が妙に揺らぎ、時に妻は暗闇の中に入ってしまうのである。その理由を観客は次のカットで知ることとなる。このシーンでの唯一の光源であるろうそくを手に夫は話しており、夫が所在なげに動くたびに、ろうそくは妻に投げかける光を変えていたのだ。老夫婦の心理を描写する演出、といった説明以上に、この照明の変化は唐突で観客を困惑させる。■問題なのは、このシーンでの照明の変化が、何の説明もなく、また、水面や炎が与える揺らぐ光といった既知の記号でもなく、カメラの裏側で起こっているはずのことがまるで可視のものであるように描写されていることだ。■カメラの裏側で生起していることを目線だけで描写する。このいわゆる成瀬目線が、動作の一部を省略することで軽やかなリズムを生み出す、といった伝統的、古典的な演出ではなく、なにやら実験的で、映画の枠を揺るがせる演出であるように思えるのだ。カメラの向こう、裏側にも世界が広がっており、しかもそれは物語の中に捏造された、もっともらしい嘘の世界であること。それを故意に顕在化させること。■このような「成瀬目線」のいかがわしさ、過激さ、それに自覚的であり、またその不自然を露呈させようとする演出が「山の音」には数多く見受けられる。■原節子はいつのまにか自転車に乗り、いつの間にか山村聡に近づいてくる。杉葉子は「目線」の不自然をことさらに意識したかのように、何度も目線を上下し、そのたびに話す相手の位置が変化する。あるいは「浮雲」。金を持ち逃げした高峰秀子と森雅之が旅館で話すシーン。高峰はいつ草履を脱ぎ、庭先から座敷に上がってきたのか。■不自然を不自然であると自覚して演出すること。不自然を故意に顕在化させること。映画を壊そうというのか、あなたは。■成瀬巳喜男を観るのは、古典的な演出を愉しむ、日本の原風景を懐古する、といった消極的な愉しみではなく、きわめて現代的でスリリングな愉しみだと思う。成瀬は、凄いぞ。
10点(2004-08-22 10:36:02)(良:3票)
2.  約三十の嘘
どんでん返しがいくらでも設定できる展開に、ミステリー映画としての面白さはまるでない。ミステリー映画ではなく、チームあるいは椎名桔平の復権の物語だとしても、それは台詞だけで延々と綴られるばかり。例えばラスト近くの女性同士の会話など全く必要はないし、伴杏里はタクシーの運転手に自分の心情を吐露する必要も無い。彼女が涙を流す1カットがあれば事足りる上に、その方が洒落てもいるだろう。歌が意味なく流れるのも、今どきアメリカンニューシネマじゃあるまいし、ださいことこの上なし。狭い空間で人物がうろうろするだけの演出も、オーバーな喜劇的演技も、意味のない電車の走行カットも、いったい作者たちは「映画」で何をやりたいのか?60分のテレビドラマでやってくれ。
[DVD(字幕)] 0点(2005-11-24 23:24:17)
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