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1.  野獣死すべし(1980/日本) 《ネタバレ》 
松田優作の代表作だと思うけど、この映画はハードボイルドと言うより狂人の犯罪。徐々に伊達の狂気が表に出てきて、リップ・ヴァン・ウィンクルの話で大爆発する。柏木刑事に銃を向けて、マバタキしないで話し続ける伊達の狂気、ハッキリ言って気持ち悪さは圧巻。松田優作という俳優が、日本にとって唯一無二の存在だったことは間違いない。  伊達の独白によると、戦場で人を殺した経験がキッカケで野獣に目覚めたようだ。刑事から銃を奪い、裏カジノを襲った時の落ち着きの無さはリアル。表社会で人を殺す経験は、戦場のドサクサでの殺人とは重みが違うんだろう。 裏カジノ襲撃でそこそこの金を手に入れた伊達。どうして銀行まで襲う必要があったのか?まぁ銃を買う程度の金しか手に入れてなかったとして、どうして銀行を襲う際、サイレンサー付きの銃を使わなかったのかは謎。  柏木刑事を殺してからの浮かれ具合は別人のようで、短気で時々弱気な真田の変わらなさとは対照的。この電車内と、謎の地下洞窟(何だあそこ?)のはしゃぎ具合は、恐らく松田優作の思う“人間の内面の狂気”を、ほぼアドリブで演じたものと思われ、カメラの長回しと相まって、とても印象深い。 松田優作が松田優作の映画の中で、好き放題自分を演るのは当然と言えば当然だけど、彼の中での完璧(ここが万人の思う完璧じゃないのがミソ)を求める俳優故に「俺くらいのレベルになると、こんな狂気の役も演じられちゃうんだぜ」って言われているようで、止める者の居ないオーバーリアクションは、ちょっと鼻につく。だけど角川映画の味付けがマイルドに作用したのか、この時代の松田優作作品の中ではバランスが取れた観やすい作品だと思う。
[地上波(邦画)] 6点(2022-05-03 22:39:00)
2.  ヤング・マスター/師弟出馬 《ネタバレ》 
-The Young Master-“お坊ちゃん”・・・本当かぁ? -師弟出馬-“弟が出かける”怪しいけど間違いではないか…どうだろ? 当時一番印象に残ってるのが、手足を使った壁のぼり。当時みんなでトライして、けっこう高い所まで登れたものだったわ。あとあの“腕の力だけでロープ上り”体重の軽い小学生とは言え難しい技だったけど、1人だけ出来る子がいて、私の中で彼はヒーローだった。 獅子舞い、扇子を使った拳法、ユン・ピョウのイスを使った拳法、スカートひらひら拳と印象的なシーンも多く、モンキー・シリーズに負けないくらい面白いんだけど、きっとジャッキーの拳法に動物を取り入れたりの特徴がないためか、当時の印象が薄い。テレビで流れた回数が少ないせいもあるけど。  今の目で観るとキム兄貴の足技は華麗で、関節をグリグリ決める技も、今までのテンポよく拳を出し合う舞いのようなカンフー映画より実践的。後半ロンも相手の武器である脚や腕を集中的に攻撃したり、こちらも実践的。かと言ってガチな闘いに傾倒するでなく、相手を蹴り飛ばすシーンにワイヤーアクションを入れたり、映画として新しいものを取り入れている。 最後は水タバコのニコチン水(とか言って、実はアヘンか?)のドーピングで勝利とか、勝つには勝ったけどロンがミイラ状態の自虐的なエンディングとか、他のジャッキー映画でも観られるメチャクチャ・パターン。  長時間に及ぶ最後の戦いは、途中でセコンド気味にメガネのおっさんが水を飲ませたりと、まるでボクシングみたい。当時はアメリカの、ボクシングやストリートファイトの映画が流行っていて、この映画にはそれを取り込んだように思える。ジャッキーは純粋なカンフー映画に限界を感じてたんだろうか、今にしてみれば次作のバトルクリーク・ブローの下地作りにも思える。そしてジャッキーの代名詞だった一連の『昔むかしな清朝カンフーアクション』は、本作が最終作(※醒拳は含まない)となってしまった。ちょっと残念。
[地上波(吹替)] 5点(2022-01-22 16:40:56)
3.  野性の証明 《ネタバレ》 
-野性の証明- 野生(=自然に育つ)じゃなく“野性(=動物の本能)”です。 たぶん兄が、原作の表紙(味沢が頼子を背負う絵)の、新聞の切り抜きをテーブルに置いていて、なんかあの絵の、生気のない頼子が幽霊みたいで怖かったんだ。これは絶対恐い本だ。と。それから数年、テレビでやってるのを観てしまう。これ昔見た恐い表紙の映画だ!と。 怖かったなぁ。テロ鎮圧シーンは大丈夫なんだけど、何も悪くない村人が次々残忍に殺されるのって、とてもショッキングだった。それと朋子の家に暴走族が来て殺されるところ。「家の中(安全地帯)まで入ってきて殺すなんて…」と、あれは逃げ場のない恐怖体験で、夜中に暴走族のバイクの音が聞こえると、家に襲撃に来るんじゃないかと、しばらく心臓パクパクして固まってたわ。 でも何だかんだ最後まで観て、頼子ちゃんが撃たれるのに悲しくなり、味沢の「頼子、行くぞ」に、何か熱いものが込み上げました。音楽も印象的で、メインテーマ(歌じゃない方)が頭の中でリフレインしていました。  大人になって観てみると、東北の羽代市が舞台で、そこでは自衛隊も警察も大場一族が支配しているというマッドシティ設定。ネットの発達で日本が小さくなった今と比べ、中央の力が及ばない地方都市なんてのも、あっても不思議じゃないなって思えた時代だった。犬神家の都市版のような雰囲気がいい感じだ。 朋子の姉を殺したのは味沢か、なぜ味沢が朋子に近づいたのか。野心的な記者の朋子と、保険のセールスマンの元自衛官・味沢。羽代市を支配する大場一族の裏の顔と、防衛省昇格を前に非公認の特殊工作隊を隠したい自衛隊幹部の思惑が交差する。複雑だけど面白い。  「俺たちが助かる方法は3つ。演習中隠れているか、演習地から逃げ出すか、あの22名を倒すかだ」ここまでは凄く盛り上がるんだけど、特殊工作員が一般の自衛官をあっさり殺す意外、特に盛り上がりがない。ここから、今までの面白いドラマが安っぽいアクションに切り替わってしまうのが残念。 エンディングが記憶では『戦士の休息』だと思ってたけど、大野雄二氏の音楽(頭の中でリフレインしてたやつ)だった。大野さんの音楽最高。 そのエンディングで、頼子との回想とか自衛隊との戦闘とかと一緒に、戦車部隊と一緒に歩く味沢の画が、当時も今も謎。  印象的な頼子の最後。撃たれて瀕死だった頼子は、予知能力で父がヘリの隊長に撃ち殺されるのを察知して、それで飛び出したんだろう。トロッコでの別れ際、味沢が「頼子ちゃん」と、他人扱いするシーンからの繋がりで『お父さ~~~ん!』「頼子!」は名場面。 頼子の父が発狂した原因の軟腐病。もしかしたらあの部落だけでなく、このマッドシティ羽代市にじわじわと軟腐病が浸透していたのかもしれない。“演習にかこつけて味沢親子を殺してしまおう”なんて、マトモな人間の発想じゃない。劇中何度も出てくるセリフの通り「狂ってる」。 そして最後の味沢の特攻。戦車と歩兵の大部隊相手に拳銃で戦いを挑む味沢。でも相手は特殊工作員でなく一般の自衛隊員。元特殊工作員ながら人間性・理性を失わなかった味沢も、この時には既に、軟腐病(≒野性)に侵されていたのかもしれない。
[地上波(邦画)] 6点(2021-11-20 11:54:55)
4.  八つ墓村(1977) 《ネタバレ》 
「祟りじゃ~~」幼少期、犬神家と共に“日本の映画=怖い”と刷り込まれた原因の一作。こんなののCMが夕方のテレビで頻繁に流れてたんだから、油断も隙もない時代だったわ。 石坂金田一を散々観てからの鑑賞だったので、時代設定が現代なのに違和感を感じる。だけどジャンボジェットや当時の都会の町並みを見せてから、延々と時間を掛けて辺境の八つ墓村に行く過程を見せることで、まるでタイムスリップしたような感じを味わえた。もっとも、'77年の大阪や岡山の街の風景、村の商店や墓地、東屋の家屋も雰囲気アリアリで、美しいメインテーマと相まって懐かしく魅入ってしまった。  本作はショッキングな殺人シーンが多い。毒殺するだけで良いだろうに、徹底的に痛めつけられる落ち武者…これは呪われても仕方がない。この映画のメイン、要蔵による32人殺しも目を覆いたくなる惨状。真っ赤な血と人形丸出しな村人なんか、今の目で見るとリアリティが弱いかもだけど、行われてる内容が恐い。特に32人殺しは、後々モトになった事件の存在を知って更に怖くなった。ハラハラと不安を煽る曲と、夜の桜の下を走る要蔵の美しさは、今どんな技術を駆使しても撮れない画じゃないかなぁ。 鍾乳洞で辰弥を追いかける美也子の怖さ。あの声が頭にこびりつく。要蔵と美也子に追い掛けられる夢を2日連続見たわ… 村娘を座敷牢に監禁して手篭めにするなんて、戦後なのに人権や常識が通用しない田舎の怖さを感じた。双子お婆さんとか、祟りのお婆さんとか、128人の村であんな個性的な老婆が居ると、恐いなぁ。  大虐殺の恐ろしい回想シーンに対し、現代の殺人は毒殺ばかり。そして主役のハズの渥美金田一が物語の中心でないことも予想外。犯人を特定するのは見事だけど、実際、具体的にはどのように殺人が行われたのか、最後の謎解きを見てもピンとこなかった。最初の殺人はどのタイミングで毒を?とか、祟りのお婆さんとかどうやって?って思うし、小竹婆さんは「小梅さんが、鎧武者に捕まえられ…」と言っていたけど、誰が鎧武者だったんだろう? 後半は鍾乳洞の中ばかりで、もっと風景が見たいと思ってしまったのと、春代にしても美也子にしても辰弥に会おうとしたら会いに行ける鍾乳洞の構造。回収も検死もされない小梅と久野の遺体。そこに隠れる辰弥。 何年も見つかってない要蔵の死体の謎。そもそも劇中の32人殺しって、犯人行方不明の未解決事件なのかな。 本作は推理モノではなく“祟りを悪用した財産目的の犯行…と見えるように仕組まれてるけど、実は尼子の祟り”という怪談モノ。祟られた要蔵も美也子も顔が真っ白だけど、あれは顔が真っ白になって死んだ尼子義孝の祟り・憑依みたいなものなんだろう。 ちょっと気になったのは、最初の祟りの村の長・庄左衛門は、村人7人を殺してから自殺して8人。 今回も祟りなら、最後の美也子とその後の小竹お婆さんで9人になるのでは…あ、32人殺しも要蔵入れたら33人か?
[DVD(邦画)] 7点(2021-10-11 01:31:25)
5.  山桜 《ネタバレ》 
外では上司に媚びへつらい、家ではふんぞり返る人間が小さい旦那。 落ち目の劣等感から、浦井家からの好意に嫌味を吐き捨てる姑。 こりゃあ野江も、おうち帰りたーいってなるわ。 前夫と野江の関係がどうだったか気になるが、この嫁ぎ先に明るい未来はない。 二人が会ったのは春の一度のみ。野江の思いは強くなっていくが、弥一郎はそんなこと知らずに正義のために決心する。 雪が解けて桜が咲いて、静かで希望のある感じの結末だが、どのような裁きが下されたんだろう? 百姓が困っていたのは事実で、正義は弥一郎にあるけど、諏訪の直接の被害者でもない弥一郎の、一方的な理屈での刃傷沙汰。 無罪放免は考えにくく、罪人として打ち首ではなく、名誉の切腹を許された。とかだろうか? 家紋を落とすだけで離婚が成立するような、そんな時代のお話。 …だけど結末を描かない事によって、今の人には今の人なりに希望ある結末を想像して下さい。という事かもしれない。 何人かの方が言ってるけど、結末の歌は良いとして、台詞部分は、削るとかどうにかした方が良かったんじゃ無いかなぁ。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2020-12-08 23:30:21)
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