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1.   《ネタバレ》 
一文字家当主の老将秀虎は家督を長男一郎に譲る。その際諫言した廉で三郎を追放。余生を楽しむ思料だったが、長男に煙たがられ、次男に背かれ、やむなく三郎の去った城に入るも一郎、次郎軍に攻められ全滅。秀虎は狂って荒野を彷徨う。一郎は二郎家臣の謀計により戦死。次郎が当主となるが、一郎の正室楓に謀計を暴かれ、正室にすることを約束させられる。ここまでが騎虎の勢いで申し分なし。畳み掛ける展開は痛快で、鬼気迫る攻城場面めは日本映画史上屈指。この後が緩む。特に狂阿彌と秀虎の間に取り交わされる箴言、諧謔、教訓めいた言葉のら列がくどい。「此の世は地獄だ」「神も仏もないのか」等は映像で述べるべき。言葉で説明する必要はない。後半は楓中心に展開。楓は家族を殺した一文字家を憎み、復讐を企てている。それはよいのだが、次郎をあまりに簡単に籠絡できてしまうのは得心できない。弱みを握られているとはいえ、自分を殺そうとした義姉を妻に迎える男がいるだろうか。楓が次郎の正室末殺害に執着するのも理解できない。楓は復讐心で一杯で嫉妬はない筈である。最後のクライマックス、次郎と三郎が一戦を交え、城に引いた次郎軍が他国軍に攻め落される場面だが、前半の攻城に較べ、迫力に欠けるは否めない。鉄砲に右往左往する騎馬の場面の連続で単調。火縄銃は弾込めに30秒、撃つのに3秒だが、弾込め場面がない。落城の場面は戦闘そのものが省略されている。戦乱の阿鼻叫喚をこれでもかと見せてほしかった。次郎は討ち死に。三郎は漸く父と和解できた暁に狙撃死。それを見て秀虎はショック死。救いようのない一文字家滅亡の物語。副主題は戦乱の女。楓と末、共に居城と家族を秀虎に奪われ、秀虎の息子の正室となった身。楓は復讐の炎で身を焦がし、末は仏にすがって秀虎を許す。対極的は二人だが、二人とも救われることはなかった。これはやり過ぎではないだろうか?「神や仏は泣いている。殺し会わねば生きてゆけぬ人間に愚かさに」と丹後に歎かせるより、末を生かして希望を見せた方が余韻が残った。暗闇を見せるのに一条の光が必要だ。総て黒澤流を貫く潔さは良し。様式美に則って撮影しているのは分るが、顔のアップが少な過ぎる。秀虎がすえを見て「顔を見せてくれ、いつ見ても悲しい顔じゃの」、丹後が秀虎に「御覧なされい、このような涙は偽りでは流せませぬぞ」という場面でもアップなし。音楽、鶴丸の笛は絶品。
[DVD(邦画)] 8点(2012-07-13 10:08:32)
2.  羅生門(1950) 《ネタバレ》 
芥川龍之介と黒澤明の夢のコラボ。人間の心の怖さ、脆さ、危うさ、人間不信、人間愛を描いた作品。原作「藪の中」では三者三様の別々の矛盾した物語が述べられ、真相は語られないる。対して本作では、解答編すなわち杣売の目撃談が語られる。非常に丁寧に作られた作品で、映画作りに対する真摯な態度に頭が下がる。先ずは時代背景。疫病、飢饉、台風、火事、盗賊の横行、羅生門の放棄死体等の話題を出し、人民が荒廃している様子が示される。その象徴が半壊放置の羅生門。次に事件のあった日のうだるような暑さ。ぎらぎら輝く太陽、木漏れ日、顔に映る葉影、玉の汗、光る刀、岩清水…枚挙に暇がない。この暑さが事件の外因になっているのだから重要だ。そして人間不信に陥った杣売、僧の心の状態を表現する大雨。こういった道具立てに手抜きがない。映像も例えば、開始15分30秒に騎馬の多襄丸が夕日を背景に疾走するワンショットの目の覚めるような美しさ。映画に対する意気込みが違う。意図せず芸術になっている。恐ろしいと感じた場面がある。それは「青葉を鳴らして涼しい風が吹いた」という偶然が、多襄丸に女の顔を見せ、犯行の動機になった事。偶然により大きく狂わされる人間の運命というものに震撼した。もう一つ。武士は被害者なのだが、思いめぐらしてみれば、そもそもは多襄丸の口車に乗って刀や鏡を安く手に入れようと欲を起こしたことに非がある。ほんの少しの欲が顔をもたげたばかりに殺されることになってしまう悲運。人知を超えたものだ。そして女の美しさ。美しいことは罪だろうか?多襄丸が女をものにしたいと思ったのも美しさの故だ。美しいという美徳が罪悪の原因にもなるという撞着。菩薩にも魔性になる女の変化。価値観が揺り動かされます。最後に、恥の文化。恥は名誉を重んずる事で人間を人間たらしめる。証言が矛盾するのは、対面や体裁を取り繕う気持ちが強いから。無意識に自分自身を騙し、信じたいものを信じてしまう事もあるだろう。人間の心がいかに危うい価値観の上に成立しているか、それを認識させてくれる稀有な作品です。最後のメッセージは明快で、人間の本来持っている善の部分を信じたいということ、赤ん坊の未来は明るいということ。大雨の後の雲間に希望の光が射してくる。とても単純だけども、とても力強い演出です。ヒューマニスト黒澤明ここにあり!
[DVD(邦画)] 9点(2012-07-11 16:33:52)
3.  ラストコンサート 《ネタバレ》 
◆病院で偶然に出会う二人。女は待合室の男を医者に父として紹介。女は無意識に恋に落ちたのでしょう。あとは子犬のようにつきまとう。女は天涯孤独の身。母は死に、家族を捨てた父探しの旅の途中。会ったことのない父の面影を男に見る=恋の魔法。女は自分の病気のことを知っていた。だからあんなに甘える態度が自然にできた。そしてあくまで明るく男を励まし応援する。実にけなげ。生きる尊さ、素晴らしさを実感しているので、ダメ男を放っておけません。◆男は孤独で非社交的、女を迷惑がっていたが、どこか魅かれる。半分世捨人だが、自分を鼓舞し、元の場所に戻してくれる賢人を無意識に探している。別れと再会の繰り返しはその葛藤の表出。このあたりの流れが自然で好印象。年齢差があるの男女が恋に落ちる理由がきちんと描かれている。ただ男の人物像の掘り下げは弱い。◆全力を傾けずに逃げ出そうとする男を女が罵倒、大喧嘩して別れてからプロポーズへの急展開は意表をつきます。愛の奇跡ですね。「最低の男でもいいか?」「イエス」「意気地なしでも?」「イエス」愛は理屈をを超越。◆キーワードは”逆転”。男は女に病気のことを隠していた。しかし女に嘘と信じ込まされ、今度は女が男に病気を隠す。男は最初女を必要としなかった。が、恋人になってからは依存するほどになり、今度は女が母親的な存在になる。男は零落して田舎を放浪していたが、パリで復帰。女は至高の愛を獲得するが、命が尽きる。女は男に人生の全てを捧げた。男は命である音楽を再び手に入れ、それを女に捧げた。まさに「賢者の贈り物」。◆父の家を訪うが、子供がいるのをみて面会を諦める。これが脚本の不手際。物語に膨らみがなくなる。二人を応援し、女を看取るのが宿泊所の女主人だけというのはもったいない。父やその家族、代理人、共演者、友人を巻き込んで悲劇のラストへなだれ込ませるのが絶佳の展開。名作になりそこねた?◆また入院してからの展開が急すぎ。ここはタメの部分で、お互いに看護し、看取られ、愛を回顧する静かなうちに来るべき悲劇を予感させる重要な場面。◆冒頭に出てくる双子岩が愛の象徴。背景の撮り入れ方がうまく、城や海のシーンなど印象に残ります。「泣かせ」の演出も最低限に抑制されていて好印象。病気を隠した女の心理を想えばぐっときます。オススメです。観て損はありません、特に奇跡を信じる人には。
[DVD(字幕)] 8点(2010-07-01 15:41:21)
4.  ライムライト 《ネタバレ》 
舞台出身のチャップリンの原点が確認できる。主人公は、世間に忘れられた老喜劇役者カルヴェロ。自殺未遂を図ったバレリーナのテリーを助け、生きよと励ます。「死は避けられないが、生も又避けられない。宇宙を動かす力、木を育てる力が君の中にもある。それを使う勇気と意志を持て」絶望から立ち直ったテリーだったが、精神的弱さから足がマヒして歩けない。ある日カルヴェロは舞台に失敗して、もう終りだとひどく落ち込む。テリーは「今こそ芸人魂を見せるのよ」と激励し、立ち上がり、歩けるようになった。舞台に復帰したテリーは才能を認められ、プリマとしての地位を得る。同時にかつての片思いの音楽家とも再会する。だが、テリーの心はカルヴェロにあり、結婚を申し込む。カルヴェロは身を引き家を出る。辻音楽師に身をやつしていたカルヴェロと再会したテリーは、まだ彼を愛していた。そんなとき、彼の記念公演が行われ、久々の大当りを取る。だが、舞台から落ちて動けなくなってしまう。テリーの舞台を見守りながら静かに息を引き取る。悲劇だが、舞台で死ぬのは彼らしい死に方で、本望だろう。「私は死にます。だが私は何回も死んでいます」は名台詞。愛する人が亡くなったのを知らずに踊るテリーのクロスカットが涙をそそる。傑作にあげる人も多いが、気になるところがあり、鑑賞を妨げる。①若い二人は結ばれるべきだった。②音楽家の影が薄い。③つり銭や楽譜の数をごまかすのはまずい。④テリーのバレエが吹き替え。(と思う)⑤劇場で娼婦らしい女が紳士を誘う場面の意味が不明。テリーの姉が夜の女として働きテリーを育てたことと関係あるだろうか。⑥最後の舞台でテリーが「不安なのでサクラを用意した」と言う場面があるが、あれは不要。舞台で最後のライムライトを浴びることでカルヴェロの人生が終るのだから。る。⑦テリー役の女優さんの声はオードリー・ヘップバーンそっくり。(これはうれしい)
[ビデオ(字幕)] 8点(2009-09-25 05:26:12)
5.  Love Letter(1995) 《ネタバレ》 
思い出をどうしても忘れられず、過去まで追いかける博子。忘れていたつもりでも次々と思い出が蘇ってくる樹♀。思い出というものはやっかいなもの。そんな心のゆれ動きを描いた作品。冒頭樹♀が雪に寝て息を止めていますが、その意味が分かった時じんと来ました。そういう伏線が多数。樹♂の部屋の絵と答案用紙の裏の落書きは、最後の図書カードの裏の絵への伏線。松田聖子の挿話は、本当は好きなのに嫌いと言ってしまう樹♂のシャイな性格を表し、秋葉たちが樹♂を思い出すときに歌います。樹♀は樹♂を好きでした。答案用紙交換の場面でわざと答え合わせをしたのは、二人でいられる時間を稼ぐため。樹♀も樹♂のことを気にしてます。陸上の場面でしっかりと樹♂を見てシャッターまで切ったのに、友達には見てないふり。花瓶を割った挿話からも明らか。樹♂が博子に一目ぼれしたのは初恋の人に似ていたから。樹♂の初恋のラブレター(図書カードの絵)は、その死後婚約者が天国に手紙を出したことが縁で届けられます。青春と恋はほろ苦く時に残酷です。風邪薬を送るのは非常識と思いましたが、天国に送っていたのですね。博子が山に叫ぶ「お元気ですか?私は元気です」これは最初の手紙の文面と同じ。思いが大きすぎて、それ以外の言葉が出ません。悲しさ、苦しさ、感謝、謝罪、怒り、別れなど様々な感情が渾然一体となってほとばしり出ました。繰り返すことでその思いがずしりと伝わります。秀逸な演出。樹♀の家の挿話も見事。朽ちる寸前の古い家は、古い思い出と重なります。じいは息子を亡くしたトラウマを抱え引越したくありません。樹♀の母はそのわだかまりがあるため引越したい。樹♀を病院に無事に届けたことで両者が和解し、トラウマが解消されます。博子のトラウマも天国へ声が届いたことにより(時間がかかるが)解消されることを暗示しています。樹♂が最後の手紙を出さないのは優しさからですね。樹♀と博子がすれ違う、樹♂がカーテンに隠れる、樹♀が焚火の煙と戯れる、自転車の明かりに映る二人など印象的な場面多数。露光オーバーのカメラワークがグッド。二人が似ていないと成立しない物語なので一人二役は納得。突っ込み:卒業していないのに卒業名簿?名簿に二人の名前があるのに気付かない?ワープロなのに手書きで届く?風邪長引きすぎ?あと、蘭々をふる場面で持ってた本がエクソシストには大笑い。
[DVD(邦画)] 9点(2009-05-11 11:35:24)(良:1票)
6.  ラブストーリー 《ネタバレ》 
二つの恋愛が描かれます。母(ジュヒ)の恋とその娘(ジヘ)の恋。二つの恋はシンクロして美しく描かれます。両者は恋人のラブレターの代筆をしますが、やがてその相手と恋人になります。雨が重要な役割を果たしていますね。ずぶ濡れになった姿が、恋の感情をストレートに表現できるからでしょう。あと雨後に虹が立つから。虹は天国への門であるとされ、死が暗示されます。蛍とネックレスも重要な要素です。が、強引に二つをリンクさせたことが失敗です。ジュヒとオジュナの恋が、その娘と息子に引き継がせる必然性がわかりません。それぞれ家庭を持っているのに、昔の恋をそんなに大切にしますか?遺灰まで持ち出してきて、悪趣味と思いました。他にも疑問が。テスは何度も倒れますが、フォローがない。テスが自殺未遂で重態のとき、見守る家族の姿がないのは不自然。遺灰を川に撒くときにオジュナの妻と息子の姿が無いのも不自然。韓国の蛍は点滅しないの。ジヘはサンミンのカードに書かれた詩とオジュナの手紙の詩が同じであることを知ったとき、サンミンがオジュナの息子とわかったのではないですか?ジヘがテコンドーの達人である設定が生かされていない。ジヘが鳩を邪険に扱う場面やオジョナとテスが遅刻してお尻を殴られる場面など余分なものが多い。ジヘとサンミンの恋は表面的なものだけで、絆が描かれていない。最大の疑問は、ジュヒはどうしてオジュナと結婚しなかったのかということです。相手が失明していても、愛を貫いて欲しかったです。オジュナの失明は二人の愛の象徴であるネックレスを取り戻すことでしたから。コミカルは小ネタはよかったです。
[DVD(字幕)] 6点(2009-04-11 03:21:00)
7.  ラスト・プレゼント 《ネタバレ》 
お笑いと死の対比が悲劇を盛り上げます。本当は善人な詐欺師コンビのからみが絶妙でした。映画に活気を与えています。このコンビで別の映画を作ればと思いました。妻の昔の友人の太った女性もいい味出してました。夫の家族との和解シーンはよかったですね。ただ、すべてにおいて大げさ、感情過多でしたね。妻ジョンヨン(イ・ヨンエ)は夫に「別れたほうがましだわ。稼ぎもなくて。私のこと愛してる」などと強い言葉でなじります。本当は応援しているのだから言い過ぎ。夫が突然病院を訪れて、医者に殴りかかる場面もありえません。まず病状を聞くでしょう。夫が大事なテレビ出演の前に、自宅の前まで来て電話するわけもありません。そしてケータイをもったままのテレビ本番で、その電話が鳴って、奥さんが病院に担ぎこまれたのを知る。急いで駆けつけると、奥さんは心臓停止で電気ショックを受け、面会謝絶状態。やっと面会できたら、平気な顔で「どうしてきたの?何でもないのよ」と帰ろうとします。かえって、こっちがショックを受けました。最後は弱りきった体で、劇場まで行き、夫のコントを聞きながら、あの世へ。夫の演技の映像にクラッシックをかぶせ、死に際にハンカチを落すというベタな演出。どうやったら劇的な効果を生むかを考えた演出が目立ち、作り物めいて薄っぺらに見えてしまう。このプロットの最大の欠点は、どうして夫がお笑いをやりたいのかという動機づけの説明がないことです。だから「あなたは人を幸せにするために人を笑わせて」という妻の言葉が心に響きません。ほかに説明不足な点もありました。二人は同じ小学校で、妻の初恋の人が夫でしたが、それを妻が知ったのはいつでしょうか?夫はどうして何も知らなかったのか。写真を見て、同じ小学校とわかるはずです。妻の病名は何でしょうか?入院しなくていいんでしょうか?亡くなった子供の説明がなく、気になります。最後のプレゼントは、夫の子供時代の写真でした。では、なぜ妻は夫に同じ学校だったことを黙っていたのか?
[DVD(吹替)] 6点(2009-04-10 22:41:59)
8.  雷神-RAIJIN- 《ネタバレ》 
ジェイコブ刑事(スティーヴン・セガール)は子供時代に双子の弟を目の前で切り殺されるというトラウマに悩まされている。現在連続殺人犯を追っているが、そこに若い女性を杭で地面に打ち付け、その胸に起爆装置を埋め込むという事件が発生。当然連続犯の仕業と思うが、実は模倣犯ビリー・ジョーの犯行で、その場であっさり捕まる。連続殺人犯は別の殺人を実行するが、案外早い段階で犯人の顔割れがある。犯人は占星術に関するあるルールに則って犯行を行っているようだ。FBIのフランキー捜査官(プロファイラー)が捜査に加わる。 と、導入部分はよくできている。脚本を書いたセガールって才能あるんだって本気で思いかけた。だがこの後の展開がまったくだめ。模倣犯のはずのビリーが証拠不十分で釈放されるや、助けてくれた弁護士など3人をあっさり殺してしまう。そしてジェイコブの恋人のセリーヌ婦警も殺して部屋に忍び込み、ジェイコブを殺そうと待ち受ける。どういう行動原理をしているのだろうか?フランキーはまったく役立たずで、事件の終わり近くになって、犯人はジェイコブだなどと言い出す始末。占星術の謎も大したことはなく、謎解きのカタルシスがない。となると見所はアクションの部分だが、この監督はアクション撮影にコマ抜け、手ぶれ、顔アップを多用するので闘いの様子がよくわからない。かつ無駄に長いので、ジェイコブの強さが感じられない。瞬時に相手を倒さないとセガールのよさがでないだろう。 さて終わってみれば、ジェイコブはロシアに家庭を持っていて、そこに妻も子供もいることがわかる。なのにどうしてセリーヌと同棲していたのか?またその妻がなぜストリップのまねをして無駄に裸を見せるのか?意味不明である。 そしてトラウマの幼少時代の殺人事件は手付かずのまま。置いてきぼりをくうのは観客である。 
[映画館(吹替)] 4点(2009-03-14 22:19:25)
9.  ランボー/最後の戦場 《ネタバレ》 
凄惨なシーンが多すぎて楽しめませんでした。これはひどすぎます。ミャンマー(ビルマ)人をあまりに愚弄しすぎてはいないだろうか?どこか架空の国の話にしておけばよかったのだ。 さて物語は、医療ボランティアによる密入国から始まります。こんな間抜けな連中が本当にいるとは思えないので、減点対象です。少しばかりの医薬品を持ち込んだからって大して役には立ちそうにありません。本当に人を助けたいのなら、医療は継続的に行えるように計画しましょう。予想通り捕まって、ランボーが助けに行く、という安易な筋書きは許しましょう。でも村人がひどい殺され方をしているのに、アメリカ人は捕虜というのもなんだかなあと思います。アメリカ人を人質にして米政府からお金をせしめることを計画するという話なら納得できたのですが。さて、途中から傭兵が出てきた、俄然面白くなってきたと思ったのですが…。傭兵たちの人間性が十分に描かれてないので、不満が残りました。それなりの活躍をするのですから、いくつかの挿話が欲しかったところです。友情や愛、自己犠牲といったようなものにつながるものをです。彼らはどちらかというと粗暴な人間としてしか描かれていなかったように思います。スクールボーイを除いて。さてランボーについてですが、追ってくる犬を上手に巻いて、地雷で旧爆弾ごとぶっとばすというアイデアは秀逸でした。弓矢を放つシーンもかっこいいです。しかしあとは機関砲を撃ち続けるくらいでした。もっと知恵を絞った奇策などを見せてもらいたかったです。それにランボーの精神面での吐露がありませんでした。終始無口。泣いたり、悩んだりして、人間性を垣間見たかったです。ヒロインにも魅力がありませんでしたね。もっと活躍するとか、最後はランボーとからむとかにすべきでしょう。いろんな意味において、アメリカのご都合主義の目立つ映画でした。ランボーがかっこいいのに残念です。
[DVD(字幕)] 6点(2009-02-26 08:59:40)
10.  ライラの冒険/黄金の羅針盤 《ネタバレ》 
ライラは世界に一つしか残されていない羅針盤(真理計)を簡単に入手する。そして簡単に使えるようになる。特別な理由があるのだろうが、不明のまま。真理計はどんな質問にも答えてくれるという設定が安直すぎないだろうか?ダストの正体、父親は誰、母親は誰、失踪した子供達はどこにいる、敵の正体は、敵の弱点は?何でも答えがでてしまう。それじゃ、だめなのだ。主人公が知恵、愛、勇気をもって、何かをやり遂げるところにファンタジーの面白みがある。簡単に味方が増えすぎるのも問題。敵に追いかけられるとジプシャン達に助けられる。彼らはライラをずっと見張っていたという。次に魔女がやってきて、ジプシャンの王が昔の恋人なので味方になり、敵の居場所を教える。次は飛行船乗り。向こうから声をかけてきて、飛行船に乗せてやるといい、よろい熊を紹介する。羅針盤でよろいのありかを知り、教えてあげるとすぐ家来になる。童話「桃太郎」では、家来にだんごを与えて絆を深め、鬼退治という共通の目標がある。ライラにはそれが乏しい。さあこれからみんなで失踪した子供を助けにゆくぞ、という高ぶりが見当たらないのだ。子供の一人をあっさり見つけるが、敵に捕まる。なぜか氷熊の王に捧げられる。この場面は魅力的。ダイモンを欲しがる王の伏線が生きている。ライラは知恵で王を篭絡し、よろい熊は勇気と王座を取り戻す。せっかく王になったのに子分を引連れないのは残念。熊はなぜライラに氷橋を渡らせたのか?急ぐ理由はないのに。渡ったライラは待てという熊を無視して一人で敵基地に行く。意味不明だ。見つかってすぐに「切り離し」されそうになる。助けたキッドマンがつく「嘘」はなかなかのもの。謎をふくらませてくれる。偵察虫での逆襲はグッド。最後の戦いは、子供達は助かるとわかっているので興奮しません。銃、弓、槍ではなく、魔法合戦にすれば楽しめたのに。強権の恐るべき陰謀と来るべき戦争を予感させて終了。でも子供達を帰宅させないで連れて行くのは解せない。ライラが今回の冒険でどれだけ成長しただろうか?それぶんだけ観客が楽しめたはずだ。でも成長したのは熊だったね。それにしてもライラ、単独行動が多すぎる。CGは素晴らしいが、氷の世界で吐く息が白くないのでリアリティに欠ける。スタジオで演技しているのがバレバレ。
[映画館(字幕)] 6点(2008-03-11 01:57:56)
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