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1.  夢は牛のお医者さん 《ネタバレ》 
大学受験の合否通知であろう電報を郵便局員が高橋知美さん宅に運んでいくのを背後からカメラが追う。 緊張しているはずの知美さんを気遣って、クルーは家の外で郵便配達車をずっと待っていたのだろう。 獣医になった知美さんが実家の牛の出産に立ち会うシーンも、彼女が語るように「何日も辛抱強く待ち続けて、出産はあっという間」だが、 その感動的な出産シーンを撮るためにスタッフも粘り強く付き添ったのだろう。 勉学に勤しむ彼女に差し支えないように、撮影を控える場面も多々あったろう。 そうした画面に映らぬ部分・映さぬ部分にこそ、スタッフの誠実さを見る。地道な長期取材と関係づくりあっての「素」の表情であり、佇まいである。 正味86分にそれが結晶している。 合格の通知に突っ伏して歓びを噛みしめる姿のいじらしさ。彼女を支える父母と妹さん二人の働きぶり、祖母の朗らかな表情。 獣医師として成長し、暴れる牛にも動じることなく冷静に処置できるようになった姿の頼もしさ、それぞれに魅せられる。  元がテレビ素材ゆえに表情に寄りがちなのが玉に瑕でもあるが、その子供たちのまさに純真そのものの表情と涙を目の当たりにすれば グリフィス的クロースアップの欲求を抑えがたいのも無理はない。  画面の解像度もまた26年の歳月を感じさせるが、ラストはより映画を意識したのだろう。 土本監督の水俣シリーズが海の光で人々を包むように、牛舎から外へと凛々しく向かう知美さんを雪の白と輝く逆光で包ませる。  子牛を抱き寄せ、頬ずりして慈しむ幼い知美さんの印象深いショット。生きる姿勢の素晴らしさと共に、映画の被写体としても稀有の素晴らしさなのである。
[映画館(邦画)] 10点(2016-11-17 23:59:18)
2.  グレイテスト・ショーマン 《ネタバレ》 
新婚生活を始めたヒュー・ジャックマンとミシェル・ウィリアムズの、アパート屋上でのダンス。 少年少女時代の交流をミュージカルでモンタージュしたシーンに続き、時間の経過をシンプルかつ鮮やかに描写すると共に、 二人の舞踊に合わせて屋上に干されている白いシーツを舞い踊らせるという細やかな心得が嬉しい。 さらに次のシーンでは、これらのシーツを再び活用して子供たちに幻燈を見せるという芸当も披露してくれる。 海辺に佇むミシェル・ウィリアムズの青いショールは風にたなびくし、ドレス類はダンスによって華々しくダイナミックにひるがえる。 そこに風があるか無いかで、ショットの情感はまるで違うのだ。  ヒュー・ジャックマンとザック・エフロンのカウンターを舞台にしたダンスの素晴らしさをはじめ、 長すぎず、短すぎず、寄りすぎず、引き過ぎず、程よく編集されたダンスシーンの画面は舞踊と音楽が融合する快感を存分に味わわせてくれる。 その中で、ここぞというシーンで入るスローモーションもすこぶる効果的だ。  劇中での別離、再会のシーンには常に階段の段差が配置され、斜めの動きを呼び込むベクトルを仕込むというような 奥行きのある空間づくりも達者である。 怪我をして横臥するザック・エフロンと見舞うゼンデイヤの位置関係も、決別シーンとの対比として 演出されているのだろう。
[映画館(字幕なし「原語」)] 9点(2018-02-18 22:00:17)
3.  息の跡 《ネタバレ》 
小森はるか監督は、『論集 蓮實重彦』にも寄稿されていて、やはりその土台には佐藤真監督の精神があることがわかる。  荒涼とした土地を行きかう車両の通過音が何らかの伏線のように、時に静かに時に賑やかにずっと鳴り響いている。 バンやトラックなどの作業用車両が多かったことを映画のラストで改めて思い起こし、 七夕祭りの山車や棟上げ式の賑わいと共に、それが失われゆく風景であったことに気づかされる。 作中で佐藤貞一さんが語る、柱の残った家の話。それもまたラストで分解され宙に突き上げられる井戸の管のショットと 図らずも重なり合うあたりも映画の不思議とでも呼びたい。  カメラを向けられた佐藤さんのなんとも魅力的なジェスチャー、英語を朗読する声、独白。それがカメラ側にいる不可視の小森監督に幾度も向けられ、 最初は遠慮がちに返答する監督を次第に映画に巻き込み、引き入れていくような感覚が楽しく、また感動的だ。  映画のラスト、佐藤さんが渾身の力でタネ屋を解体していく姿が強烈に印象に残る。
[映画館(邦画)] 9点(2017-09-21 00:08:07)
4.  美しい星 《ネタバレ》 
浅目にみえながら、実は後景の脇役の芝居も抜かりなくドラマ語りに寄与させているという近藤龍人のフォーカスが絶妙だ。 (冒頭のレストランの後方テーブル席、産婦人科の廊下後方のソファなど) 霞が関近辺のインターチェンジのショットとか、地味だが凄い。  佐々木蔵之介を不気味に照らし出し、病室の逆光であってもなお橋本愛を美しく浮かび上がらせ、その切り返しでベッドのリリー・フランキーに 優しく注がせる白光の扱いも素晴らしい。雨垂れの陰影といい、不意に通過する列車の灯りといい、ライティングによる語りの演出が随所で冴え渡る。 病院を抜け出した四人家族は車で夜の繁華街を抜ける。車窓に照り返されるネオンの光芒が、それを見るリリーと重なり合うショットには情感が 溢れんばかりだ。  寄り添って、スピルバーグ的に光を見上げるラストの家族の鳥瞰ショットには条件反射的に感動するしかないだろう。  バリエーション豊かな音を響かせる渡邊琢磨の音楽にも惚れた。
[映画館(邦画)] 9点(2017-05-28 00:13:36)
5.  この世界の片隅に(2016) 《ネタバレ》 
キャラクターの描線の淡い色調が背景画とよくマッチして、柔らかなトーンで統一されている。 一時期のスタジオジブリのような極端な細密さではなく、ほどよい加減で省略を採り入れた美術も大らかでよい。 それでいて、道端の草なども当時の植生を細やかに再現しており、道行くエキストラの服装に至るまで妥協がないのが 画面作りに対する仕事ぶりから察知できる。  廃墟となった家の入口付近に重石をされた書置きがある。通りの端で子供ら二人がままごと遊びをしている。 背景に配置されたそんな細部から主人公家族以外の人々のドラマまでが立ち昇ってくる。 風に揺れる松の木の葉、米一粒一粒の白さ、風に舞うタンポポの白い綿毛一つ一つの動きの細やかさが タイトルと共に主題を浮かび上がらせる。
[映画館(邦画)] 9点(2016-11-13 19:36:06)
6.  ディストラクション・ベイビーズ 《ネタバレ》 
野次馬役のエキストラを絶妙に配置したロケーション、全身でのアクションを捉えるフレームサイズとポジションの妙、 そして持続的なショットによる危険な擬斗の泥臭く生々しい迫力。 誇張の無い打擲音や、奥歯が地面に転がる音の触覚性・物質感。  柳楽優弥らの身体性を伴った画面の力は、「心の闇」とかの心理主義には持っていかせない。 商業映画でこれをやるのは果敢である。  それでいて女性の描写もぬかりなく、ベッドでの事情聴取に応える小松菜奈の流し目の凄艶さなども特筆だ。  ついでに、運河を渡るボート、自転車、スケートボード、自動車など、映画的ビークル類の充実もいい。
[映画館(邦画)] 9点(2016-10-08 23:28:07)
7.  ズートピア 《ネタバレ》 
『48時間』をもう一度観直したくなるような、定石どおりではあるけれど二者がそれぞれいがみ合つつも感化し合い、やがて信頼関係を築いていく過程が 丁寧で心を打つ。その最も決定的な転機となるのは、あのロープウェーのシーンだろう。 上司からバッジを取り上げられそうになる兎のジョディを見る、狐のニックの表情。その短い1ショットが彼の心の変化を的確に表現し、 後に語られる彼の過去のエピソードによってその改心を視覚的に裏付けていく。  冒頭の演劇を、二度目は策略として用いる。上京シーンの列車を、二度目はアクションとして用いる。その他、記者会見やナマケモノや ニンジン型レコーダーなど、あらゆるネタを二段三段と反復・転化させていく作劇スタイルが見事というしかない。  ミュージカルシーンの充実も相変わらずである。
[映画館(吹替)] 9点(2016-05-08 17:05:57)
8.  キャロル(2015) 《ネタバレ》 
テマティスム的には、色の主題なり、視線劇の充実が語られるのだろう。 デジタル・シャープネスが指向される今時に、この軟調画面の肌理と艶だけとっても「映画」を見た満足感を与えてくれる。 雨滴の乱反射や、窓ガラスの曇り、紫煙などがさらに画面を滲ませて一層味わい深さを増している。  リビングから玄関ドアに向けたカメラポジションが、奥の空間でやり取りする人物をさらに壁ラインでフレーミングする。 屋外からの望遠による二つの窓と、その間を移動しているだろう人物の見えない動き。 それら人物の見え隠れ具合が、こちらの視線を空間の中に自然と引き込んでいく。 こうした絶妙の構図取りもまた素晴らしい。  数ある視線のドラマの中でも、とりわけ極上というべきラストのケイト・ブランシェットの視線と表情は何と形容すべきだろう。 これはもう一度観に行きたい。
[映画館(字幕なし「原語」)] 9点(2016-02-14 20:37:29)
9.  きみはいい子 《ネタバレ》 
児童虐待を始めとする前半は観るほうも胸が詰まるが、撮る方・演じる方は尚更だろう。特に尾野真千子にとっては相当つらい芝居のはずだ。 虐待シーンの撮影(月永雄太)も子役に配慮しながらも、極力モンタージュに頼る事なく空間の単一性をできる限り持続させながらフレームと音を最大限に活用して痛ましいシーンを作り上げている。   尾野母娘の暮らすマンションの廊下、抑え気味の照明で統一された教室の内側から望む窓外、高良健吾がさすビニル傘。 前半の硬質気味の白を基調とした背景と、人物とのコントラストが印象深い。  不意にフレームインして尾野を抱きしめる池脇千鶴の動き。それまでの雨音が止んで、右手から日が差しこんでくるのが繊細な光の変化でわかる。 尾野の頬から涙が一滴したたり落ちると、太陽を映し込んだ校庭の水溜りに落ちた雨滴が水面に小さな輪を広げるショットに繋げる流れも憎い。 そこでの彼女の嗚咽、ラストの高良の呼吸など、生身の身体性へのこだわりも見える。  三者三様の抱き合うスキンシップがそれぞれ情感に満ちて素晴らしい。 高良が出した「家で抱きしめられてもらうこと」という宿題の感想を子供達が教室で語り合う、子供たちの表情が本当に素晴らしい。  そして、あのラストの暗転にも唸るしかない。
[映画館(邦画)] 9点(2015-09-27 20:25:40)
10.  サイの季節 《ネタバレ》 
常に暗雲が垂れ込め、晴れ間の覗くことの全くない風景。 光は、主人公(ベヘルーズ・ヴォスギー)の運転する車の車窓を流れる雨滴やヘッドライトの 小さな乱反射や、モニカ・ベルッチがタトゥーを施すシーンの蝋燭の灯りくらいだ。  その度々登場する(キアロスタミ風)車窓への映り込みと彼の寡黙な表情との夢幻的な重なり合いが、 亀やサイや馬などの明らかなイメージショットと現実のショットとを橋渡しするような形で美しくももの悲しい。 (主人公に嫉妬する運転手(ユルマズ・エルドガン)に重なり合うのは、からみつくような木々の黒い枝の影だ。)  独特の形状の幹を持つ木々の奇観。雪の吹きすさぶ墓地の荒涼とした風情、寒々とした湾を望む岸壁など、 ロケーションも独特だが、黒味を活かした陰影豊かな画面の感触の何と重厚で深みのあることか。  主人公らの30年間を刻印する顔の皺や白髪を克明に映し出すフォーカスは、モニカ・ベルッチに対しても容赦ない。 逆に敢えて他者をぼかした後景や革命騒乱シーンの群衆の不明瞭な画面も意図的な設計だろう。  国境を越えた彼らは多くを語らない。寡黙な顔だけがある。
[映画館(字幕)] 9点(2015-07-12 23:08:14)
11.  神々のたそがれ 《ネタバレ》 
雨に霧に炎、蒸気、煙、吊るされた身体。 流動的で不安定、不定形のものが常に画面に充満している。 初めはそのフェリーニ風の世界観と意匠に眼を奪われ、次いで画面に突然現出してくる あらゆる事物、人物、動物、現象の動きそのものに約3時間驚かされ続けてしまう。 カメラがどう動くのか、様々な動物たちがどう行動するのか、 画面手前や横からいきなりフレームインしてくる奇矯なる人物達が次の瞬間に何をしでかすか、 次のショット、次の瞬間の予測が全くつかないので眼が離せないまま、 何やらドラマは進行してしまっている。  雨と泥土とモブの中で、尚且つ動物とも共演しながらの俳優は想定通りの芝居など出来ない上に、 即興演技も相当に入っているであろう人物同士も常にぶつかり合い、どつき合っている状態だから そのリアクションは必然的に生々しくならざるを得ない、という寸法のようだ。  人間たちは雨や泥に塗れながら唾や反吐を吐き、汗や鼻水や鼻血を流し、放尿する。 身体の大半が水分から成ることを改めて実感させる、個体の生々しさも強烈だ。  この即物性もまた、紛れもない人間描写である。
[映画館(字幕)] 9点(2015-07-12 00:33:52)
12.  ブラックハット
『ラスト・オブ・モヒカン』のオーディオコメンタリーでマイケル・マン監督が 披露する時代考証の知識には圧倒される。 『コラテラル』のコメンタリーで雄弁に語るキャラクター設定の緻密さにもまた 感心させられる。 この作品についても、ハッキングに関する綿密で膨大なリサーチが為されたはずだろうし、 主役脇役問わず各人物の背景や生い立ちまで詳細に設定されていることだろう。 それらはこれ見よがしにひけらかされることなく、 各人なりの明確な原理と裏付け・信念が、即物的な行動のみの描写となって 画面に載せられていく。  いきなり幼少時代に遡って主役の人物背景を説明し始まった『アメリカン・スナイパー』とは 大きな違いだ。  クリス・ヘムズワースが、『ラッシュ』に続き、男の色気があっていい。 うなじや二の腕を映し出しながらタン・ウェイにいまいち官能性が薄いのが マイケル・マンたる所以か。それとも機動性・高解像度と引換えに光量不足を露呈してしまう デジタルカメラの弱みゆえか。  夜明けの航空機内、復讐に向かう二人は抱き合い、カメラと共に共振する。 ここからラストに至るまで、さらなる台詞の削ぎ落としは見事の一語。
[映画館(字幕なし「原語」)] 9点(2015-05-29 23:54:55)
13.  くちびるに歌を 《ネタバレ》 
同監督の『僕らがいた 前編』を、ロケも方言もまるで活かせていないと かつては酷評したが、この変貌ぶりは何だろう。  恒松祐里が自転車で教会までの坂道を駆け下りていく冒頭のモンタージュの爽快さ。 学校の屋上や、緑の美しい小高い丘から碧い入り江を望む 『サウンド・オブ・ミュージック』的壮観がよく映える。  標準語で通していた新垣結衣が、本番直前に発する「あんたは一人じゃなか。」の 真情こもる響きは、やはりお国言葉でなければならないだろう。  樹々や髪を揺らす風、汽笛の響きの反復はモチーフとして勿論だが、 冒頭でフェリーのベンチに 寝そべる新垣の後ろ姿を捉えた水平移動は終盤の出航シーンで対照され、 風の渡る踊り場で見上げる男子の窃視は、見下ろす女子の窃視によって昇華される。  序盤の新入部員勧誘で歌われた「マイバラード」もまた、 二段構えのクライマックスとして会場ロビーの反響の中で反復されるのだが、 その歌声に囲まれる渡辺大知の喜びの表情が何より素晴らしい。  基本的なことだが、 本番時のピアノ演奏で新垣自身の運指をショットとして見せているのも良し。  教会の窓辺の石田ひかり、台所の木村多江ら母親の像を包む外光の演出も さりげなくいい。    
[映画館(邦画)] 9点(2015-03-10 23:14:53)
14.  そこのみにて光輝く
浜辺を歩く綾野剛と池脇千鶴。それを手持ちでフォローするカメラの揺れが 二人の心の昂ぶりを静かに、生々しく伝えてくるようで、胸をざわつかせる。 後景で、池脇が意を決して海に入るその波打ち際は立派な「動線」ではないのか。   時に彼らと距離を置き、時に不器用な二人に寄り添うカメラの距離感が程よく、 人物間の心情の交流が画面から滲み出て来る感がある。  綾野、池脇、そして菅田将暉の三人が食堂で談笑するスリーショットの束の間の幸福感。 綾野のベランダに座りこんでの、綾野・菅田のやり取りに滲むエモーション。 これを「座っているだけ」だから動きがないと解する者にとっては、小津作品などは さぞ「退屈」に違いない。  俳優らの芝居のみならず、カメラと対象との距離、構図、配光が見事に 融合している。  薄暗い綾野のアパートの室内に入り込む屋外からのネオン光の点滅。 そのギリギリの光加減の中に身体を重ね合う二人が浮かび上がる様は単に艶かしい というだけではない、深い情感が漲っている。 どこが「暗いだけ」なのか。  ラストの浜辺の眩い朝焼けに浮かび上がる二人の表情の美しさ。 これこそ言葉に代え難い。     
[映画館(邦画)] 9点(2014-05-03 22:38:31)
15.  かぐや姫の物語
子の成長、四季の移ろい、里から都への暮らしの変貌。 その「移りゆき」をモチーフとするアニメーションの素晴らしさは、 かつて高畑勲監督が賞賛したあのフレデリック・バックの『木を植えた男』 からの継承を思わせる。 作中のワンシーンにある、樹々の再生の件などはまさにそれへの オマージュともいえる。  桜の樹の下で舞い踊る娘の喜び、野や山をひた走る娘の激情が迸るクロッキー風の タッチ。 生物の営みそれ自体への慈しみが滲んでいる柔らかなタッチ。 その伸びやかで、味わいのある筆致が創りだす画面の躍動は、 動画であって動画を超えている。 (エンディングのスタッフロールでは馴染みのない様々な作画の役職が並んで 興味深い。)  波やせせらぎの表現の斬新と大胆。木々の影が人物の衣類に落ちて、揺れ動く紋様を創りだす様。機織りや演奏などをはじめとする写実的なアクションと、快活に跳ね回り、飛翔する姫のファンタジックなアニメーションの絶妙なバランス。  題材とのマッチングゆえか、今回はその技巧もそれ自体が目的といった感が無く、 一枚一枚のスケッチの丹念な積み重ねがキャラクターに血を通わせている。 ヒロインを回り込むようなカメラの動き、彼女の寝返り、振り返りなどの動作は スケッチを立体的に浮かび上がらせるだけのものではない。  青い星を振り返る姫の涙が美しい。    
[映画館(邦画)] 9点(2013-11-26 23:59:30)
16.  言の葉の庭
雨滴の一粒一粒、枝葉の一枚一枚まで疎かにしない、 眼を奪う細密の画面は大スクリーンにこそふさわしい。  鮮烈なグリーンのグラデーション、潤いを湛えた水面の光の揺れと滲みは、 リアルを超える。  そしてキーライトの当たる逆側に薄緑の淡い影を配したキャラクター像の斬新さ。 トレスラインを含め、約4色を使った立体的な色使いが独特の味わいであり、画期的だ。 その自然光への意欲的なこだわりは天晴れの一語。  朝陽が差し込むベッド上に漂う羽毛の粒子の表現など、そこまで拘るかと恐れ入る。  時に静かに、時に激しく、男女の感情の揺れを様々な雨の情景が代弁する。  雷光の一閃から激しい夕立へ。そして晴れやかな夕陽へ。 その時間の推移描写とエモーションの昂ぶりが素晴らしい。    
[映画館(邦画)] 9点(2013-06-01 22:54:26)
17.  さまよう心臓
シンプルにしてスリリングな力に満ちた労作である。  パペットの衣類の質感やアニメーション技術の細やかさもさることながら、 仰角と俯瞰のキャメラアングル・照明効果による陰影のつけ方の見事さが光る。  壁や階段やドアなど、何気なくありふれた空間をいかに禍々しく演出するか。 そうした異世界の画面づくりに払われた真摯な努力こそが胸を打つ。  炎のスペクタクルの中、『ターミネーター』のワンシーンのように 人形の首がポロッともげるカットの不気味な生々しさ・凶々しさ。  本作を第三回下北沢映画祭グランプリに推した黒沢清監督もまたやはり このカットに「やられた。」と語っている。  全てが作り手によって制御されているかに見えるパペットアニメーションの中で、 炎や煙といった制御不能な運動がクライマックスの画面を覆うと共に、 その首が転がる運動が、監督すら予期しなかっただろう独特で生々しい一瞬間を 捉えているからに相違ない。 作り手にとっても不測の事象が生起する瞬間の、映画の美である。  秦俊子監督は、本作品の中で説明や根拠付け・動機付けを一切排除し、 無意味・無心理に徹すること、そして純粋に恐怖のエモーションを 創出することのみに賭けている。  「映画が単純に映画であること」その潔さと倫理性。  かつて黒沢監督の『地獄の警備員』を評した上野昂志氏の賛辞を思い起こす。     
[映画館(邦画)] 9点(2013-04-29 06:53:41)
18.  幸せへのキセキ
人間と人間。動物と人間。 それぞれが物云わず見つめ合う交感シーンでの繊細な眼の表情が、 最後のシークエンスに至るまでことごとく素晴らしい。  虎やグリズリーなどの動物たちだけでなく、不動産のセールスマンや検査官や レジの女性など、端役一人一人に至るまでの目配せも実に丁寧だ。  また、巧みなのは印象的な台詞の反復だけではない。 窓ガラス越しに出会うこと。相手に眼差しを返すこと。陽の光を浴びること。  そうした視覚的主題の反復もまた重なり合って、 マット・デイモンとスカーレット・ヨハンソンの表情の切り返し、 エル・ファニングとコリン・フォードの表情の切り返しをより美しいものにしている。  キャメロン・クロウの選曲自体も相変わらず良いのだが、 夜の動物や虫たちの声を静かな背景音として聴かすべき三箇所で 音楽を被せてしまっているのが残念なところ。 引越し前の賑やかな夜との対比は利かせて欲しかった。 
[映画館(字幕)] 9点(2012-06-11 21:44:19)
19.  テルマエ・ロマエ
シネマスコープを効果的に使った、1960年前後の史劇大作風のオープニングでケレンを 利かすかと思えば、一方では矢口史靖的な人形を使ったチープなギャグも軽妙に演出してみせる。  コメディとロマンスも程よく織り交ぜ、スペクタクル・ご当地性・スター性と 雑多ジャンルを混成したシネコン映画的な要請にも器用に沿いながら、 寄り引き巧みな視点や構図、的確なカッティング・イン・アクションといった 安定した技術を土台に、ウェルメイドを達成する。  そしてその上で、独自の演出による細部細部を立ち上げ、自分の作品としている。 そのしたたかさこそ素晴らしい。  湯けむりや炎、水面の光の反射、群衆など、不定形素材の動的細部が映画的であるのは云うまでもないが、 とりわけ浴場の松明、蝋燭の灯り、焚火、窓から入る黄昏の太陽光など、特に夜の場面の炎がことごとく見事だ。  その「燃える炎」は、阿部寛が決死の直訴をする際の秀逸な音の演出として、 そして別離のシーンでの、瞳への照り返しの演出として、 物語の進行に伴い次第に意味を帯びるものとしていくのは作家の手際だ。  雨の降る中、悄然と階段に腰掛ける阿部寛の向こうにソフトフォーカスで捉えられた上 戸彩。手前に歩み寄ってくる彼女に凡庸にピントを合わせてしまうかと思いきや、 それを自制したショットの嬉しい裏切り。  この時点では一方向的な二人の関係性を示す事に専心する、そのまっとうな矜持が光る。 
[映画館(邦画)] 9点(2012-06-07 21:28:13)
20.  毎日かあさん 《ネタバレ》 
ダイニングとリビングの二間、玄関の内と外、小泉今日子の仕事部屋のデスクと奥のドア、透明なテラスの上と下、子供たちが乗るメリーゴーラウンドと手前のベンチ等々。  二つの空間を1フレーム内に取り入れた縦の構図によって奥行きのある立体的な空間を達成している。  その奥と手前それぞれに的確に配置された小泉今日子・永瀬正敏・小西舞優・矢部光祐の4人はロングショットと長回しによって群像としての家族を全身で生きている。  手を繋ぐ、じゃれ合う、抓る、叩く、抱く、と映画的な接触のコミュニケーションも愛情表現として大変豊かだ。  公園でのままごと、ひな祭りの写真撮影など、4人が固定フレームの中で絡む芝居はまさに演技を超えた仲睦まじい家族そのもののドキュメンタリ―の感すらある。  単純な切り返しの会話がなく、複数の人物を極力1つのショットに収め、パンフォーカスによって深い被写界の中で彼らを絡ませることで、個々人の身体はフレームに寸断されることなく、その関係性がより強固に炙り出されるという具合だ。  父のいる海へ行こうと、小さな水色のビニールプールで光る川を下る兄妹の姿の美しさといったらない。  車中での離婚届けへの捺印を挟んで、それまでツーショットで映っていた小泉と永瀬が個々の単独ショットに切り替わるなどといった演出も細やかである。  あるいは、店名の一部である「子」の字の映る飲み屋街のガラス戸。そこに映った永瀬の顔にフラッシュバックの返り血が浴びせられるインパクト。 フェリーニのような人工の川面。 親子が釣りに興じるシーンの少々賑やかな『父ありき』。 藍色の海の豊かな色彩とアニメーション。  工夫を凝らした奔放な発想が随所に挿入され、まったく飽きさせない。  そして、エンディングの「家族の肖像」がまたダメ押し的に素晴らしい。  問われるべきは、原作に忠実か、モデルと相似しているかといった事ではなく、 小林聖太郎独自の映画となっているかどうかだ。 
[DVD(邦画)] 9点(2012-05-27 22:47:19)
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