1. 高速道路家族
ネタバレ 本作を理解(解釈)する上での重要シーンは「クソデカこおろぎ」と考えます。警察から逃亡中の父親が見た幻。ここから次の2点が導かれます。①父親は幻覚を観るほど心身が摩耗していたこと。おそらくは統合失調症。リアリティゼロの「高速道路生活」に父親は精神疾患を患っていたという理由が加われば、少しは腑に落ちるというもの。②明らかな幻覚は「目にしたものを信じるな」の意。これは当然ながら結末にも当てはまります。「本当に母親は助かったのか?」「赤ちゃんは無事産まれたのか?」残念ながら答えはNOです。あの状況で母親が無事な訳ありませんし、超未熟児と言われていたお腹の子がふくよかなはずもありません。現実は泣き叫ぶ姉弟が再び映し出されるラストカットの示すとおり。父も母も焼け死んでいるでしょう。 興味を引く設定にインパクトある結末。前述した「クソデカこおろぎ」は見事な伏線であります。テクニカルな映画で間違いありません。ただ好きかと問われるならNOです。いや、ハッキリ言いましょう。大嫌いだと。これは後味の悪さに文句を言っている訳ではありません。何でしょう「理念の無さ」に対する反感でしょうか。例えば鬱映画として知られる『ミスト』。後味の悪さなら本作以上です。でもかの作品には結末に至る必然性がありました。さらには教訓も。だから最悪な気分なのに、何処か清々しいのです。その一方、本作は刺激を求めただけに思えます。そもそも設定が荒唐無稽が過ぎますもの。せっかく社会問題を提起したのに真摯に向き合うことなく、燃やして終わりなんて手抜きもいいところでは。これもある種の「爆発オチ」であり、シリアスドラマで用いて良い手法ではありません。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-06-05 23:19:59)★《新規》★ |
2. さよなら ほやマン
ネタバレ ホヤは幼体期には自由に海中を泳ぎ回るものの、成体になると岩などに付着し移動力を失うと同時に脳も無くなるそう。劇中明確に示唆されるように「人の一生」になぞられます。島から出たことが無いお婆さん然り、主人公兄弟然り。 一般的には成人になるまでに見聞を広め様々な体験を積むことを推奨されます。多様な価値観に触れ自身の器(キャパシティ)を大きくするのが肝要で、人生の選択肢が広がるばかりか苦難への耐性や対処法も身に付くので良いこと尽くめ。昔から「かわいい子には旅をさせよ」とも言いますし。ただこれは、あくまで理想論です。泳ぎ出せない者もいれば、目の前の大海に気づけない者もいる。お婆さんの言葉「これで良かったと思い込むしかない」「ばばあだって悩みながら生きている」に胸が痛みます。旅に出られる環境自体が恵まれているのです。ただしこの言葉をもってお婆さんを憐れむのは違います。断じて違う。子どもを育て上げ、隣人を思いやれるお婆さんの人生が上等なのは疑いようもありません。きちんと根を張り立派に生きてきたと誇って欲しい。ただ兄弟の方は少し事情が異なりました。彼らはまだ泳ぐ力を失っていません。考える頭も無くしていない。まだ存分に泳いでいないなら、泳いでみるしかありません。結果的に同じ場所に戻るとしても、です。さしずめ青髪の漫画家は神様、いや亡き父と母が遣わせた「キッカケの女神」といったところでしょうか。少々傍若無人なところはありますが。果たして兄はトラウマを乗り越え泳ぎきり、居るべき場所を見つけた様子。憑き物が落ちたかのような清々しい兄の表情をどうぞご覧ください。なお寓話のルールに則り役割を終えた女神は島を去ります。いやもしかしたら戻ってくる気かも。彼女はちゃっかり自身の居場所を確保していきましたから。本当に救われたのは、実は女漫画家の方だったかもしれませんね。 基本的な体裁は寓話と言ってよく、今なお深い傷跡が残る東日本大震災の後日談を描いた映画でもありました。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-06-01 21:49:00)《新規》 |
3. 怪獣ヤロウ!
ネタバレ 市役所観光課職員である主人公(芸人・ぐんぴぃ)が「ご当地映画をつくれ」という市長からの無茶振りに奔走するお話。タイトルやビジュアルパッケージの印象から河崎実作品のような脱力系コメディを想像していましたが『僕らの未来へ逆回転』的な怪獣映画愛溢れる『映画づくり映画』でした。常識も固定観念も怪獣愛パワーで打ち破れ!という至極真っ当な主題であり、オフザケ要素はほぼありません。ただ個人的にいまいち乗り切れず。理由はキャラクター造形に魅力を感じなかったことと考えます。主人公は生粋の怪獣オタク。彼のスキル(特性)を活かして難題を突破する流れを期待したのですが『ナポレオン・ダイナマイト』のような陰キャのキラメキや逆襲みたいな展開は見られず無難に着地した感じがします。何でしょう「エモさが足りない」でしょうか。折角芸人さんを使ったのですから、芸人さんならではの濃い目で奇抜な役作りがあっても良かった気がします。清水ミチコさんもお得意の現都知事丸パクキャラで攻めてくれたら良かったのに。流石に怒られるか。また破損した怪獣の着ぐるみの代替手段についても、頑張って頑張ってアイデアを捻り出して欲しかったとも思います。なお、製作にタイタンが入っているため、ぐんぴぃ以外にもタイタン所属の芸人さんが沢山出演しています。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-05-31 11:43:41)《新規》 |
4. 無法松の一生(1958)
ネタバレ 原作小説は昭和13年発刊。劇中の舞台設定は明治30年。実に100年以上前のお話です。当然ながら常識や価値観は現代日本と異なります。とはいえ「時代劇」と呼ぶほどかけ離れてもいません。まだ当時から地続きにあるのが現代です。ゆえに(私を含む)年配者の口からは「あの頃は良かった」「古き良き」といった感想が漏れがち。顕著な例が芝居小屋の一件です。松五郎は親分さんに詫びを入れた事で騒動を不問とされています。今では考えられない決着でしょう。でもこれが心地良いのです。理由は明快。私たちが幼い頃最初に叩き込まれた「悪いことをしたらごめんなさい」に他ならないから。もちろん言われた方は「もういいよ」許すのがお約束です。超基本的な対人ルールが厳密に適応されている点が心地よく感じる所以かと。逆に言えば、現代日本では謝ったくらいでは許されない厳しい社会になったとも言えます。とはいえ当時の価値観を無条件に肯定したり、現代を簡単に否定したりするのも違います。あくまで「あの頃はあの頃」「今は今」です。 決して成就しない恋に一生を捧げた松五郎。最期は野垂れ死に。現代で置き換えるならアイドルにガチ恋の挙げ句、勝手に失恋して引きこもりになったオタクってところでしょうか。どちらも憐れには違いありませんが、受ける印象はまるで違います。前者が「切ない」後者は「アホか」です。この違いはまさに時代の価値観に紐付くもの。当時の価値観に照らし合わせれば、松五郎の生き方を否定する者等いないでしょう。もちろん傍から見れば奥様以外の誰かと所帯を持つ方が幸せだったと思いますが、夫を亡くした奥様を支え続けた松五郎は讃えられて然るべき。でも、あまりに不器用で報われぬ献身に胸が締め付けられる訳です。一方、現代の引きこもりオタク君の場合はどうでしょう。同情心など一切湧きませんよね。ただのアホです。当時と現代の社会背景で大きく異なるのは、人生の選択肢の数、教育の質と量、そして多様な幸せのかたち。極論すれば、あの時代の松五郎にはあの生き方しか出来なかった(考えられなかった)ということ。如何に現代の私たちが恵まれていることか。ですから「あの頃は良かった」はピンポイント事例に対する心証に過ぎず多分に思い違いであり、客観的に、あるいは総合的に考えれば今の世の中の方が良いに決まっています。少なくとも今を生きる私たちは「そう言わなければいけない」義務があると考えます。でなきゃ、ご先祖様に申し訳ない。 最後に。「松五郎にはあの生き方しか出来なかった」と書きましたが、もし奥様が松五郎を頼らなければ話は変わります。それこそ奥様が再婚話を受け入れてさえいれば松五郎は自由になれた訳で、野垂れ死ぬ事も無かったかもしれません。奥様が松五郎の好意を利用したのは間違いなく、そういう意味で奥様は罪深い。ただし一人息子を育てるために必死だった奥様の「母としての強かさ」を責めるのも酷な話です。当時の社会情勢を考えれば尚更のこと。やはり今の世の中の方がいいですよ。 [インターネット(邦画)] 8点(2025-05-29 01:13:48) |
5. インビジブル・ゲスト 悪魔の証明
ネタバレ これは凄い。『ユージュアル・サスペクツ』級の傑作ミステリーでは。かつて私が『チョコレートファイター』と『ベイビーわるきゅーれナイスデイズ』の感想で使用した褒め言葉を再び使わせて頂きたい。「1食抜いてでも観てください」。いや劇場公開はとっく(超とっく)に終了しているので、抜くのはおやつくらいで構いませんが。 アイデア自体が特別目新しい訳ではありません。思い返せば、いくつも類似作品が浮かびます。ただ組み合わせの妙と丁寧な描写に唸らされるのです。ネタバレ厳禁映画ですので、余計な情報を仕入れずに速やかにご覧になられる事をお勧めします。以下はどうしても褒めたいので要点を絞って記述しますがこれも「余計な情報」ですのでご注意ください。 「ヒントの出し方が丁寧」髪型が変わると印象が変わる。当たり前の話ですが、きちんと例示している点に好感が持てます。「そういえばそんな事言ってたなあ」な余談もそう。サブリミナルに刻まれた微かな記憶がタネ明かしと同時に甦り、はたと膝を打つ仕組み。気持ちよく騙されるのは快感です。 「ここぞの演出が冴え渡る」ライター水没と車廃棄を重ねる描写。息子を奪われた父親からの乾坤一擲の「かまかけ」は犯人の動揺を見事に引き出しました。多分ほんの僅かな揺らぎで構わなかったでしょう。疑惑を確信に変えることができれば計画を実行に移せるのですから。 「犯人側から描かれる物語」所謂『コロンボ』『古畑任三郎』スタイルですが、これら定型ミステリーと違うのは、あくまで犯人が主役であること。刑事が出てきてバトンタッチではありません。そう本格的なクライムサスペンスです。どうにかして逃げ切りたい。犯罪を隠ぺいしたいと観客が無理矢理「思わされる」のは厄介な話ですが、その分極上のスリルが味わえます。もちろん再鑑賞で逆サイドから検証し直す楽しみもあります。 このように「絶賛」と言いたいところですが、実は残念なポイントがありました。詳細は伏せますが「それをしなければスマートなのに」が一箇所あり。怪人二十面相でもあるまいに。犯人を騙すだけなら多分無くても良い仕掛けですが、映画なので観客も同時に騙さなくてはいけません。ここがもどかしい。日本人である私たちにも多分不要な仕掛け。そんな手間を掛けなくても見分けなんてつきませんもの。そういう意味では、もし日本でリメイクするなら配役には相当神経を使いそうですが。それにしても面白かった!劇場公開当時は話題になったんでしょうか。よく分かりませんが、邦題で損をしている気がします。タイトルだけならまるで典型的なB級サスペンスです。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-05-20 18:20:38) |
6. 教皇選挙
ネタバレ 伊集院光氏と大学2回生の長女。信頼出来る2人のススメにより劇場鑑賞。多分これが無かったら観ていないと思われます。それほどに教皇と言われてもピンと来ませんし、何より敷居が高い。ところがどっこい。全然大丈夫。いや本当は大丈夫じゃないかもしれませんが、問題なく楽しめました。かなりエンターテイメント色強し。それでいて問題提起もメッセージもある骨太な映画でした。 選挙自体は、民主主義を選択した私たちにとっては身近な制度です。とはいえ、教皇選挙=コンクラーベは単純な多数決ではありません。有効得票数を獲得するまで何度でも、何日でも、投票を繰り返します。少数支持者は有力候補者へ強制的に投票を促されるルールもありません。長年培われてきた技法は、議論を尽くせという意味でしょうか。あるいは求心力と人間力を示せという意味でしょうか。果たして今回のコンクラーベは歴史を変える画期的な結末を迎えました。この結果をどう捉えたらよいのでしょうか。ほんの少しでも野心をみせた者、すなわち自分自身へ投票した有力者は皆脱落しました。テロによる爆発はまるで神の怒りを買ったかのよう。いや、いや、いや。そんな訳ありません。最初から最後まで前教皇の描いたシナリオ通りに進んだとみて間違いないでしょう。秘密裏に加わった最後の枢機卿を受け入れること。不適格者をきちんとふるい落とすこと。そして新教皇の素性を知って尚、受け入れる度量をみせること。主人公はまさに前教皇の期待に応えた選挙管理者でした。この選挙結果をもって、大失態と罵られるか、英断と讃えられるか。これからカトリック教会14億人の真価が問われます。 [映画館(字幕)] 8点(2025-05-18 06:24:36) |
7. お母さんが一緒
ネタバレ 「親を見たけりゃ子を見ろ」と言いますが、確かに3人娘の言動をみれば母親がどんな人物か容易に想像がつきます。劇中母親は姿を見せませんが、みなさんはどんな母親が目に浮かぶでしょうか?私は松金よね子さんで再生されました。それにしても3姉妹の長崎弁、素敵ですね。 基本的に「他所様の家の話」ですので野次馬気分で傍観するのがお勧め。大人向けの会話コメディとして楽しく見られます。ラランド・サーヤの「お母さんヒス構文」も確認できますし。なお「育て方が悪い」とか「親離れできていない」など批判をしてはいけません。それは一歩間違えば自分自身に返ってくるブーメランですから(失礼しました。私のことでした)。反省は必要ですが、人生の基本戦略は肯定でなければならないと考えます。そんな私でも看過できない言動あり。三女(古川琴音)の彼氏(青山フォール勝ち)がバツイチ子持ちと姉達に明かされた際のこと。いざこざの最中、三女は勢い余って「あんたに子どもさえおらんかったら良かったのに」と口走ります。これはアウト。審判の判断を待つまでもありません。明らかな失言であり、核ボタン級に触れてはいけない、取り返しのつかない一言でした。それを誰よりも分かっているのは三女自身のはず。ドラマでは彼氏が度量の広さ(天然を装う匠の技)をみせつけ、事なきを得ましたが、この一件は尾を引くと考えます。仮に彼氏が失言を忘れたとしても三女が忘れることはないでしょう。それが問題。結婚生活で、息子(龍馬くん)と折り合わなくなった時、彼女はこの言葉を思い出すでしょう。それはあの伝説の「千年殺し」にも似て。自分自身に暗示をかける呪いの言葉でした。口に出したことで、自分の気持ちに裏付けを与えてしまいました。本当はそんなこと微塵も思って無かったとしても、です。あとは龍馬くんが底抜けに良い子であることを祈りましょう。あのお父さんの血を引いているのですから希望は持てそうですが。 最後にキャスティングについて。もともと芸達者な3人娘は言わずもがなですが、予想以上に良かったのが「青山フォール勝ち」。素晴らしい。『いざなぎ暮れた。』でも好演していましたが、ドラマの邪魔にならない自然体の演技に好感が持てます。おそらく芸人俳優としては、東京03角田や原田泰造クラスの逸材だと思います。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-16 23:16:14)(良:2票) |
8. オオカミ狩り
ネタバレ 私は脚本家の土屋亮一氏が代表を務める『シベリア少女鉄道』の舞台をよく観に行くのですが、感想は毎回ほぼ決まっています。「一体私は何を見せられているのか?」勿論これは褒め言葉。予想の遥か斜め上を行き、とんでもない(基本的にしょうもない)着地点に感動(あるいは馬鹿負け)する次第。とくにSNSではネタバレご法度なので、これ以外の感想を書きようもないという事情もありますけども。なお土屋亮一氏が気になった方は、映画『おそ松さん』で氏の才能の片鱗が味わえますのでご鑑賞ください。おっと前置きが長くなりすみません。言いたかったのは本作の感想も「一体何を見せられているのか?」だということ。ただ、本作については褒め言葉ではなく、純粋な困惑であり落胆が含まれています。 洋上の貨物船というソリッドシチュエーション。極悪囚人集団vs護送役の警官隊。サバイバルスリラーとして上質な設定です。外部との情報伝達、水や食料の確保、機関部や操作室の制圧等々、戦いを有利に進める為のポイントは多岐に渡り、戦略の重要性が伺えます。長期戦も予想され、肉体的にも精神的にもタフな戦いが見込まれましたが、蓋を開けてみれば輩が暴れ回るだけのバイオレンス映画でした。勿体ないし、雑だなと。しかも「囚人vs警官」という当初用意されたアングルもいつの間にか有耶無耶に。最終的には怪物同士の異次元バトルを眺めることになります。何?このバイオハザード。ホント、一体何を見せられているのかと。期待感は急速に萎んでいきました。もっとも血飛沫の量だけは水芸並に大量なので、スプラッター映画好きな方の需要を満たす可能性はあります。ただし一本調子なので盛り上がりには欠けると感じます。喩えるなら、大技の応酬に終始する大味なプロレスのよう。これは一般的に「塩試合」と呼ばれます。血だらけ映画が鉄味ではなく、しょっぱいとはこれ如何に。あれ?お後がよろしくないようで。 [インターネット(吹替)] 5点(2025-05-14 19:58:02)(笑:1票) |
9. 愛に乱暴
ネタバレ ミステリー要素ありの作品です。ネタバレしていますのでご注意ください。 「丁寧な暮らし」をする女の実は乱暴な愛のかたち。ダライ・ラマであろうが、マザー・テレサであろうが、不倫をしたら即アウト。さらにでき婚で略奪婚のトリプルコンボとくれば、そりゃ一生「後ろ指を差される人生」となっても仕方ないが世間の常識です。それでも愛する人との間に出来た子どもが居れば耐えられたでしょう。我が子はこれまでの不幸や過ちを帳消しにしてしまう最強の免罪符ですから。しかし彼女はそれさえ失った。残されたのは、熱の冷めた夫と、決して快く思っていない姑との半同居。夫の不倫発覚を待つまでもなく、彼女は地獄の中に居ました。「丁寧な暮らし」は辛い現実を紛らわし自分自身を騙す演出だったのでは。そもそも不倫する男が、二度目の不倫をしないなんて考える方がどうかしているのに何故自分だけは例外と考えてしまうのでしょうか。それが「愛」の魔法ですか?知らんけど。主人公の行き着いた先は「因果応報」の「自業自得」であり同情の余地はありません。が、全てを失っていく様は憐れではあります。いや住まいだけは残りましたか。でもあの家でそのまま暮らすのなら無限地獄から抜けられない気がしますけど。「丁寧な暮らし」から、二郎系ラーメン&ガリガリ君へ。もう自分を騙す必要はなくなりました。ただ食は心と身体をつくる基本中の基本です。姿かたちが別人となってしまう未来が来ませんように(注:二郎にもガリガリ君にも罪はありませんのでお間違いなく)。さて「業」のバトンは次の女性に渡されました。魅力的に思えた優良物件が、じつは欠陥住宅だと女教師が気付くのは何時なのでしょう。主人公にとっての救いは「感謝の言葉」を言ってもらえるようになったことかもしれません。 最後に床下の謎について。「子の亡き骸を隠した」では無さそうなので「後ろめたさ」が陽の当たらぬ地を求めたと見て取れます。いわば「日陰者」のメンタル。また女教師への言動や床下の残留物をみるに主人公の妊娠及び流産は狂言だった可能性高し。ただ狂言であろうとなかろうと、この一件で女は心に傷を負いました。狂うに足る深い傷です。それでも夫との間に強い絆があれば乗り越えられたかもしれませんが、不倫男にそれを望むのは無理な話です。結局のところ略奪婚を選んだ時点で主人公は詰んでいたということ。もっとも妻帯者が最初から素性を明かして浮気するとは考え辛いので、おそらく一番の悪人は男と思われます。当初素性を隠され「もう戻れない」状況に追いやられた後の略奪婚であれば、主人公や女教師もまた被害者と言えます。放火が不倫の暗示と捉えるなら、この見立てが成り立ちそう。一番「愛に乱暴」だったのは男だったかもしれません。いや、これは「愛」ではないですね。「欲望」です。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-10 18:23:40)(良:1票) |
10. ザ・ウォッチャーズ(2024)
ネタバレ 映画界で意外と多い2世監督。コッポラやリンチは娘が映画監督ですし、日本だと天願大介監督(父は今村昌平)、宮崎吾朗監督、深作健太監督などが有名でしょうか。そして本作の監督はあのM・ナイト・シャマランの娘さんだそう。監督デビューとなる本作では父親が製作に名を連ね、まさにシャマランブランドのファンタジーサスペンスに仕上がっています。まるで宮崎吾朗監督における『ゲド戦記』のような趣き。ジャンルやテイストは元より、物語自体も監督自身を投影させているように見えるのは気のせいでしょうか(嫌らしい言い方ごめんなさい)。 ここからネタバレ。迷いの森に巣食う「ウォッチャーズ」の正体はエルフでした。どんな人間にも容姿を変化させられる能力あり。かつては人間と共生していたものの、地下に追いやられ夜間しか活動出来ない身体になってしまったそうな。そんな中、突如あらわれた異端児は「デイウォーカー」と呼ばれ陽の光を克服しています(鬼滅の刃か)。キーパーソンとも言える異能のデイウォーカーは監督自身の写し鏡では。誰だって父親と母親のハーフに違いありません。出自を知り苦悩しながらも前を向くデイウォーカーは、そうありたいと願う監督の姿に重なります。果たしてイシャイナ監督は、映画監督としてのアイデンティティを獲得できているのでしょうか。アイデンティティとは親のそれを真似るところから始まると聞きますが、咀嚼して血肉にしなくてはならず、逆に親に食われたら元も子もありません。アイデンティティなんてセンシティブな話に外野がとやかく言う筋合いなどありませんが、本作があまりに「シャマランシャマラン」している為、少し心配になりました。そういう意味では、父親の比護から離れて自由に映画を監督された時、初めて真価が問われるのかもしれません。 [インターネット(吹替)] 6点(2025-05-05 22:52:11)(良:1票) |
11. トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦
「狭小スペース立体アクション」+「義理と人情の濃厚ヒューマンドラマ」=「限界突破・脳汁噴射の極上エンタテインメント」。心震わす歌を聴いたり、美味しい料理を口にすると涙が溢れますが、凄いアクションを目にすると笑けてしまう。そんな映画でした。ちなみに「叉焼飯映画」「麻雀映画」「ハイエイトチョコ映画」、大勢で一人の敵に立ち向かう「スーパー戦隊風映画」でもあります。4人だから「ジャッカー電撃隊」ですか。大きく括れば「馬鹿映画」で構わないと思いますが、これは私個人的には最大級の褒め言葉です。なお、九龍城砦の安全保安リーダー、龍兄貴ことロンギュンフォン(ルイス・クー)は腕が立つだけでなく気配りの鬼であり「理想の上司」意外の何者でもありません。男が惚れる男、というより老若男女問わず惹かれてしまうのは不可避かと。どうぞ龍兄貴のエグい人間力をご確認ください。ちなみに日本語吹き替え版の声優は堀内賢雄さん。これがまあ生栗の皮くらい渋いお声。日本語吹き替え版での鑑賞をオススメします。 [映画館(吹替)] 9点(2025-05-03 19:45:09)(良:2票) |
12. サユリ(2024)
ネタバレ 真っ先に思い浮かんだフレーズは『この映画が邦画ホラー史を更新する』でした(注:原典は百田夏菜子の海老反りジャンプ)。控え目に言って傑作だと思います。いや少し言い過ぎました。カテゴリー的にはB級なので。でも快作であることは疑いようもありません。 始めは、完全なる「家系ホラー」でした(ラーメンか)。良くも悪くもお馴染みの味。『呪怨』の亜種です。それもあまり出来が良いとは言えません。両親ばかりか兄弟(子ども)まで殺してどうするの。主人公だけ生き残ったとしても虚しいだけじゃないかと。ところが中盤に来て急展開を見せます。一家の一大事に痴呆ババアが大覚醒!家系ホラーからババアの復讐映画に大転換です(注:ババアという言い方は品が無くて好きではないのですが、こと本作に限っては敬意を込めてババアという表記を使わせてもらいます)。悪霊の呪いから命からがら逃げきれれば御の字なんて真っ平御免。家族を奪った憎き悪霊を地獄の底へ突き落とすアクティブな復讐譚へ。さながら『フロム・ダスク・ティル・ドーン』ばりの前後半別物映画は、最高最強のババア映画でもありました。そうです。邦画ホラーばかりでなく、ババア映画史も同時に更新しているのです。長らく日本ババア映画界で女王の座に君臨してきた『大誘拐』の刀自(北林谷栄さん)を超えるキャラクターが爆誕したのです。ファンキー太極拳ババアこと神木春枝。もう好き。本当に大好き。『来る』の逢坂セツ子(柴田理恵さん)も素敵でしたが、それ以上でしょう。年齢も。なんてたって人間力が半端ないんですもの。あんなに頼もしいババア見たことありません。生命力で悪霊に打ち勝つ!は免疫力で病原菌に対抗するが如し。復讐方法も振り切っていました。命のやり取りをしている時に、犯罪かどうかなんて考えても仕方がありません。やるならとことん。腹を括るとはそういうこと。柴田ヨクサルの『ハチワンダイバー』で老い先短いババアが最強だと教わりましたが本当ですね。強いし美しい。結局サユリへの復讐ではなく、サユリの復讐を手伝うかたちになりましたが、因果応報の原則に沿う結末に救われました。ホラーで有りがちな無闇に後味を悪くするエンディングでないのも素晴らしい。続編をつくる気が一切無いのも潔いです。 邦画ホラー史における『リング』『呪怨』に次ぐエポックメイキングな『サユリ』を、最高にファンキーでチャーミングな太極拳ババア・神木春枝(根岸季衣さん)を、私は決して忘れません。「外をよく、内をよく、命を濃く」を私の座右の銘といたします。 [CS・衛星(邦画)] 10点(2025-04-28 01:54:57) |
13. ヘル・レイザー
ネタバレ 初見は小学生のころ深夜のTVロードショーで。と記憶していましたが、1972年生まれの私が本作を小学生で観られるはずがないため、私がタイムリーパーであることが判明しました。あるいは記憶違いかもしれません。いずれにせよ頭が"ぐわんぐわん"した事だけは鮮明に覚えています。今回サブスクで見つけて懐かしくなり鑑賞しましたが、あれこんなお話だったっけ?という感じ。結局のところ『ヘル・レイザー』=『ピンヘッド』であり「強盗がおでこにピンクの絆創膏を貼っているとその印象に支配され顔が記憶されない」現象と同じと考えられます(何その豆知識)。冗談はさて置いても、お話の方は少しインテリジェンスに「マゾヒズム」とは何ぞやと解釈するより「不倫脳ってヤバい」といった趣き。良識派の私には元が広瀬すずでもハーフスケルトンな肉塊になったら即逃げする自信があるので、どんな犠牲を払っても間男(弟)を復活させようとした浮気妻の覚悟に震撼しました。まあ、奴が相当なテクニシャンなのは間違いないでしょう。もっとも本作の見どころはストーリーにあらず。美術と世界観。これに尽きます。前述したピンヘッドほか魔導士のみなさんのビジュが強過ぎる!造形美のセンスは文句の付けようがなく、後に『ベルセルク』のゴッドハンドを誕生させたと考えれば尚の事本作を評価したくなります。実際、特撮のレベルは高く最新のCGには無い深い味わいを感じました。特撮は決して陳腐化していません。今なおアナログレコードの価値が失われないのと同じかと。という訳で、後世の作品に影響を与えた歴史的価値込みで採点します。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-04-26 20:13:26) |
14. はい、泳げません
ネタバレ カナヅチだった男が泳げるようになるまで。この程度の認識で見始めましたが、思いのほか重いお話で参りました。事前にどんな物語か知っていたら観ていなかったでしょう。設定が怪しい映画はそれなりに覚悟して(心に予防線を張って)観るようにしているのですが完全に油断してました。もっとも、これはイントロダクションからある程度は予測できた事態なので、迂闊だったと言わざるを得ません。映画鑑賞の修行がまだまだ足りませんな。とはいえ、観てしまったものは仕方ありません(なんのこっちゃ)。 良かった点は、最終的に主人公とスイミングの先生がくっつかなかったところ。安直なロマンス着地でお茶を濁すお話ではないので、配慮ある脚本だったと考えます。ただし、本作の結末が正解(正義)だとも思いません。本ケースは極めて稀な成功例であり、万人に適応させるのは酷な話です。悔やんで、悔やんで、悔やみ抜き、後ろ向きのまま人生を終えたとしても誰がそれを責められましょう。駄目だとも、情けないとも思いません。我が子を亡くすのは、この世の終わりに同じ。事故時の記憶が失われたのも、"自死に至る痛み"を緊急避難的に緩和するためです。個人的には本当に、本当に、そっとしておいて欲しいと願います。前向きであることは素晴らしいですが、後ろ向きでも許して欲しい。ほらこんな感想になっちゃう。だから観たくなかったんです。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-04-24 00:13:30) |
15. ゴーストキラー
ネタバレ 『ベイビーわるきゅーれ』では"本職"の伊澤さんがいるため、髙石さんのアクションパートはあまり目立たぬ印象ですが、本作では単独ヒロインとして見事な立ち回りを披露しています。銃撃だけでなく格闘シーンも超クール。完全にアクション女優さんです。もっとも彼女の本領が発揮されるのは憑依型とも言われる演技にあり。本作で最も驚かされたのは髙石さんの「瞳の動き」でありました。工藤と対峙する松岡。「小刻みに揺れる瞳孔」から感情が溢れ出るよう。「目は口ほどに物を言う」とはこのこと。これ、出来そうでなかなか出来ない芸当ですよ。朝ドラヒロインを射止めブレイク必至と言われるのも納得の髙石さんであります。もちろん見どころは彼女だけではありません。むしろ三元雅芸さんを中心とする格闘アクションこそ本作の生命線。まるで音楽を奏でるように繰り出される連撃の爽快感は格別であり、今や格闘アクション映画の一スタイルを確立したのは間違いありません。まさに金の取れるアクションでした。一方、設定や物語は定型的で既視感があり、良くも悪くも少年マンガのよう。本作の場合はこれで成立していますが、改良ポイントではあるかと。物語で惹きつけ、アクションで魅了できれば鬼に金棒でしょう。 [映画館(邦画)] 6点(2025-04-19 07:53:48) |
16. カラオケ行こ!
ネタバレ 原作は『アメトーーク』でオススメ漫画として紹介されていた記憶がありますが、正直言って惹かれる内容ではありませんでした。カラオケは自分で歌ってナンボ。他人の、ましてや素人のカラオケに興味はありませんから。しかし!この映画は面白い!!大いに笑い、心を掴まれました。先生の言うところの"大人の階段昇る"少年の成長物語にグッときます。成長とはすなわち変化。身体の変化であり、心の変化でもある。仲間が変わり、居場所も変わる。少年の階段はカラオケルームに繋がっていました。 クライマックスは主人公が歌う『紅』でした。これがまあ沁みるのなんの。なぜ彼の歌は心を打つのでしょう。それは愛が詰まっていたからです。合唱部顧問の先生が言う「最後は愛やで」はお花畑ではありません。紛れも無い真実。少年の、いや青年の歌は本物の鎮魂歌だから皆の胸に響いたのです。たぶん歌で一番大切なのは完璧さでもなければ、テクニックでもありません。相手を思いやる心です。心ある歌は必ず響きます。青年の晴れ舞台は大勢の観客が見守る大ホールではなく、場末のスナックの小さなステージでしたが。 合唱部部長。エースでソプラノ。そんな主人公に訪れた「変声期」は自然の摂理とはいえ彼を苦しめました。綺麗に出せない高音。さぞ辛かったでしょう。少年とは往々にして完璧主義者です。完璧でなければ意味がない。後輩くんもまさに同じメンタルで、もがき苦しむ部長が怠けているように見えたのでしょう。「少年の物差し」ならそう見えて当然です。そういう意味ては完璧主義からの脱却が「大人になること」の第一歩かもしれません。この点、男の子より女の子の方が一歩先を進んでいるのが分かります。 完璧主義とは無知に由来する幻想と考えます。世界を知れば知るほど、どんなに無意味な信仰か思い知るもの。きっと彼は世界のかたちを少し知ったのだと思います。ままならぬ声。カラオケの上手い下手で人生が狂わされる集団。完璧なんて目指していたら生きていけません。不完全上等。不完全の何が悪い。一般的に忌み嫌われる「妥協」とは全く性質が異なる「許容」であります。かすれて高音が出ない『紅』が私たちの胸を打ち、愛おしく思えるのは「不完全こそ美しい」からだと思います。 最後に老婆心ながら。狂児は人たらしの天才です。主人公でなくてもメロメロにされて当たり前。ですが反社であることには変わりはありません。付き合ってはいけない、というより付き合えない人たちです。本作はコメディであり寓話でもあるので問題視しませんが、狼と羊の友情が成立しないのとおなじ世の摂理なのでお間違いなく。 [インターネット(邦画)] 9点(2025-04-18 18:24:07)(良:1票) |
17. ビーキーパー
ネタバレ 桃太郎侍型007。 で全てを言い表している気がしますが、流石に乱暴なので少しばかり追記を。加速度的にスケールアップしていった復讐劇。発端は私怨でしたが主人公の行動原理は「社会秩序の維持」にありました。それが「養蜂家」の使命なのどしょう。一線から退いた身とはいえ、その思いは失われていません。というより養蜂家はもともと組織(政府)の統制下にはなく、自身の判断、つまり個人の善悪の基準で動くそう。おそらく相当な人格者でなくては務まらないはずですが、彼の後任養蜂家をみるそんな事無さそう。げに恐ろしいシステムですが、政府が自浄作用として採用しているという説明は「そんな馬鹿な」と思いつつ、とても面白い発想です。正義の味方は会社員ではなく個人事業主。007の「殺人許可証」が貧相に思える途轍もない権限?ですが、世間一般に周知されていないので全く尊重されないのがまたなんとも。大統領の息子にまで弓を引く、いや銃口を向ける大暴走にはお口あんぐりですが、だからこそ爽快でしたし、勧善懲悪とは本来こうあるべしと感じます。ところで養蜂家は、PCウイルスの駆除ソフト、あるいは人類を管理する新型AIみたいなイメージなんでしょうか? [インターネット(吹替)] 8点(2025-04-14 21:09:35) |
18. マッドマックス:フュリオサ
ネタバレ 「ブランド」という単語にあまり有り難みを感じない私ですが、本作のような優れたシリーズ映画を観ると「ブランド」の意義を感じずにはいられません。世界観(設定)、キャラクター、アクション、ストーリー。どの要素もハイクオリティで、人気映画シリーズブランドを掲げるに相応しい出来栄えでした。中でも目を引くのがフュリオサ。猛禽類を思わせる鋭い瞳は大変魅力的で、いかなる逆境にも最後まで抗うであろう芯の強さを感じさせます。少女期から成人に至るまでのビジュアル変化にも違和感はなく、キャスティングで一番大切なポイントがきちんと押さえられていました。あとから『ラストナイト・イン・ソーホー』のヒロインだと知りましたが、今後大ブレイクするんじゃないでしょうか(もうしていますか?)。額の黒塗りや片腕を失った経緯なども腑に落ちましたし、「桃の種の使い方」や「トカゲの尻尾切りならぬ頭残し」など小技がイカしている点も流石です。褒めたいポイントで溢れていますが、唯一注文を付けるのが尺の長さでした。ポンポさん信者の私としては(それは嘘)、2時間半は少し長いです。というより間延びしている気がします。これは昨今の映画業界のトレンドが長尺志向に振られている影響な気がしますがどうなんでしょう。当然ながら内容にあった尺でないと感動も薄まる訳で、最高のラーメンスープも希釈を間違えたら台無しです。そういう意味では編集の重要性を強く感じる作品とも言えます。新マッドマックスは、洗練された世紀末世界観と高刺激の連続アアクションで畳み掛けるハイスパート映画。まるでかつての全日本四天王プロレスが如し。その強烈な旨味に慣れた口からすると、本作はちょっと「薄い」のです。2時間、いや100分に凝縮してくれたら10点献上もあり得ました。 [インターネット(吹替)] 7点(2025-04-11 12:19:01)(良:1票) |
19. 私にふさわしいホテル
ネタバレ 大前提として私はのんさんのファンです。もっとも人気絶頂だった能年玲奈『あまちゃん』時代はスルーで『この世界の片隅に』や『さかなのこ』で意識し、2023年末の『ももいろ歌合戦』のももクロとの共演で撃ち抜かれた"新規ファン"であります。よくこれ程の逸材を見逃してきたものだと我ながら呆れますが、おっさんのアンテナは基本ポンコツなのでご容赦ください。さて、私が思うのんさんの魅力は圧倒的な「アイドル性」に他なりません。「アイドル」という言葉にネガティブな印象がある方も多いと思いますが、ももクロを知って以降、私の中でその意味合いは180°変わりました。「アイドル」とは「オールラウンダー」であり「プロレスラー」と考えます。どんな状況でも戦う(戦える)者をアイドルと定義します。そこで必要とされるのは「胆力」あるいは「人間力」です。のんさんは、このような観点での「アイドル性」を強く感じます。そんな彼女が『あまちゃん』のアキで爆発的な人気を博したのも当然と言えましょう(ドラマを観てもいないのに知った風な口をきいてすみません)。 本作ののんさんは「らしさ爆発」と言ってよく、俳優としての魅力は十二分に伝わってきました。但しコメディとして、物語として楽しめたかというと話は別です。正直最後まで乗り切れませんでした。おそらく『トムとジェリー』あるいは『ルパンと銭形』のような微笑ましいライバル関係を描きたかったと思うのですが、男尊女卑やら業界の圧力やら背景に立ち込める社会構造の理不尽さが生々しく能天気に楽しむことが出来ませんでした。主人公のやってることも結構えげつなかったですし(苦笑)。当時の社会背景を考慮すれば、あれくらいバイタリティがあって然るべきなのですが、現代の価値基準に照らすとやり過ぎ感が出でしまうという。少し難しい時代設定だったかもしれません。今回は堤監督が真面目に(シリアスに)仕事をしてしまったが故につまらなくなってしまったパターンかと。『ケイゾク』『トリック』『スペック』くらい無茶してください。のんさん、滝藤さんという最高の手札があるのに持て余してしまったような。「もっと面白くてよいはず」との思いから相対的に評価が上がり辛い状況と察します。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-04-02 23:22:30) |
20. リゾートバイト
ネタバレ (映画の感想と直接関係ない話から)私はここ数年往復90分のマイカー通勤をしています。運転のお供は主にラジオ番組で「深夜の馬鹿力」と「日曜天国」が不動のレギュラーメンバー。懐かしの「パペポTV」や落語に漫才、カルチャー講演、討論番組などもよく聴きます。私の意識が高ければ持て余す移動時間を自己研鑽に充て、今頃英語のリスニングが完璧なはずですが誠に残念な話です。で、都市伝説やホラー系のプログラムも時々聴きます。某動画サイトに沢山上がっている中からチョイス。しかし人気のプログラムであっても面白い(怖い)とは限りません。というより体感7割ハズレです。「なんだそりゃ。オチ酷いな」の多いこと。「ノンフィクションだから仕方がない」かもしれませんが(ホントに?)、「話芸」あるいは「エンターテイメントとしてのホラー」を欲する私からすると、ひどく物足りないのです。然るに懲りることなくホラーを聴き続けるのは「思考や心を消費しない手軽なコンテンツであること」が主な理由。そういう意味では出来が良いホラーばかりだと視聴頻度は下がるでしょう。仕事前に精神的なスタミナは削りたくないですし、仕事後は疲労困憊で重たいものは受け付けません。ホラー映画を観る理由も同じ。ですから私のレビューにB級ホラー率が高い時は「ああ疲れているな」と思ってください。大体いつも疲れていますね。すみません。前置きが長くなりました。本作の元ネタも通勤中に聴いたエピソードと記憶しています。2chのまとめサイト系の配信だった気がしますが忘れました(かっぱ堰さん、いつも作品の丁寧な背景補足感謝です!)。でも何となく覚えているだけで十分アタリの部類。「八尺様」はキャラクターとして魅力的ですし、悪ふざけが過ぎますが何ら問題ありません。如何にも2ch発の与太話らしい軽薄さ(作り込みの粗さやリアリティ不足)は、気楽に観られるという点ではプラス査定です。B級にはB級の価値があると。例えば『ゴッドファーザー』は傑作ですが、あんな重たい映画を迂闊に観ようものなら3日は寝込んでしまうでしょう。「見応え」は正義ですが「諸刃の剣」でもあります。その点、本作は片刃のバターナイフ。切れ味は皆無ですが、ちゃんと価値はあります。どちらが優れているか比べるなんて意味ないですよね。 最後にキャスティングについて。昭和時代の芸能界と比べるとタレントに付すキャッチフレーズ文化は下火となった印象ですが、それでも「肩書」は依然として重宝されています。「元メダリスト」「元日本代表」の何と多いことか。「元〇〇」は権威であると同時に「素性」を端的に伝えるのに便利です。本作の主演を務めた伊原六花さんの場合は「バブリーダンスで名を馳せた登美丘高校ダンス部元キャプテン」。何も無いよりあった方がいいのは間違いありませんが、この肩書きから伝わるのは「ダンスが上手いんだろうな」くらいのもの。正直、世間を釣る「フック」としては小さいし弱いです。然るに彼女が映画主演を掴むに至ったのは「人並み外れたバイタリティ」によるものと推測します。多分彼女はNG無しでは?私が目にしたバラエティではいつも爪痕を残す活躍を見せていました。その貪欲さが俳優に必要なスキルなのかは分かりませんが、素直にすごいと思いますし尊敬もします。能力パラメーター「ルックス」や「演技力」がそこそこでも「ガッツ」だけ飛び抜けているとか滅茶苦茶痺れるんですが(失礼しました。でも最大級に真剣に褒めています)。将来、唯一無二の個性を持った俳優さんになってくれたら嬉しいなと密かに期待しています。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-03-15 17:28:24)(良:1票) |