201. ヒズ・ガール・フライデー
ネタバレ 字幕を追うのがたいへん。言葉だけの世界であることの「残酷さ」も売りになっていて、高所から落下した人物を見て「まだ動いている」。スクリューボールコメディの猛威。 [映画館(字幕)] 7点(2011-03-24 16:53:44) |
202. 人生のお荷物
『マダムと女房』は「モダン」という時代の話題と頑張って取り組んでいたが、この作品は気楽に、飄々とした五所平之助の持ち味を出している。余談だが、五所監督は松竹時代に映画界から去ろうとしていた成瀬巳喜男を引き止めた人である(いわば映画界の恩人)。 [映画館(邦画)] 6点(2011-03-24 12:26:11) |
203. シンドラーのリスト
ネタバレ スピルバーグは混乱のシーンを手持ちカメラで揺らすクセがある。この作品ではナチの侵略シーン、『プライベートライアン』では冒頭シーン、『ET』でも。観客を馬鹿にするなと言いたい。混乱のシーンこそ固定カメラで見据えるべきではないか。 とにかく、『ショアー』のランズマン監督による批判ももっともである。 [映画館(字幕)] 3点(2011-03-24 12:04:20) |
204. 戦場のピアニスト
ネタバレ ワルシャワ・ゲットー描写を正面に据えた珍しい作品であるとおもう。多分ゲットーの惨状はもっとひどいものだっただろう。力作だが、好きにはなれないのは内容上やむをえない。 [映画館(字幕)] 5点(2011-03-23 23:13:54) |
205. 太陽がいっぱい
ネタバレ こういう犯罪者に身を寄せて行動を共にすることになる観客存在とは何なのだろう。観客は、一線を越えないだけの、想像上の犯罪者なのであるが、やっと、ラストシーンのアイロニーとともに映画の外へと押し出され、目が覚める。 [映画館(字幕)] 8点(2011-03-23 21:23:09) |
206. トウキョウソナタ
ネタバレ 小泉今日子だけがよかった。黒沢清って私にはわからない(ただし『神田川淫乱戦争』と『ドレミファ娘の血が騒ぐ』にはかつてそれなりに熱くなれた)のだが、この映画の「内容」は例外的に「わかる」(「社会学的に」わかる)もので、それがまたつまらなかった。ただし、留置所のドアが外開きである点で(映画のドアの開き方にうるさい私としては)きちんとした映画美術であることを確認できる。 [映画館(邦画)] 4点(2011-03-23 19:58:11) |
207. ドレミファ娘の血は騒ぐ
ネタバレ 「あらゆる熱気の去ったあと」みたいな黒沢清の作品はいつも何もわからない。たまには「熱気」の中心に向かえよと言いたい。この作品もわからないが、洞口の登場の仕方が非常にいい、「やって来ました吉岡さん」、そして横移動 (この平面性がいい)。音がまさに乾いた、熱気無きもの。やっぱりわからない作品だが、不思議に凄くいいと思えるのは、80年代の「戯れ」映画の文脈にもよる。 [映画館(邦画)] 7点(2011-03-23 19:26:25) |
208. それから(1985)
ネタバレ 冷房が効き過ぎの空席だらけの映画館(京都ロキシー、この映画館も今はない)で、森田芳光健在を確かめた。松田優作が着せ替え人形のようにお洒落な服に身を包み、その暗さの演技もいい。が、漱石の原作はとくに前半は明るさや笑いもあるものなので、原作との差異も非常に興味深い。 [映画館(邦画)] 7点(2011-03-23 14:35:36) |
209. 櫻の園 -さくらのその- (2008)
ネタバレ 旧作が素晴らしかったので、このリメイク版はよけいにひどかった。二回目というのは難しいものである。二回目はよくてパロディーにしかならないから。 チケット代を返してほしいくらいなので0点。 [映画館(邦画)] 0点(2011-03-23 12:54:33) |
210. 台風クラブ
ネタバレ 三浦友和がいい。「ああ、台風来ないかなあ」(大西結花の台詞だった?)もいい。ラストの「あ、金閣寺」(工藤夕貴)もいい。しかし、なぜ「犬神家」になってしまうのかがわからない(ぶち壊し、でも8点)。 [映画館(邦画)] 8点(2011-03-23 10:30:23) |
211. 櫻の園(1990)
ネタバレ 髪型変えたのねで、ずーっと話題を引っ張り、アイスクリームが配られて、溶け始める。観終わってよくできていると思ったし、この良さを長く記憶しているつもりでいた、が、いまでは忘れている。だからといって、私はDVDで「内容」を確かめようとも思わないので、忘れたままである。 [映画館(邦画)] 7点(2011-03-22 21:48:23) |
212. キッチン(1989)
ネタバレ 「映画化」なんぞはゼッタイ不可能な淡い感覚表現だらけの原作を、思い切って映画の側から、映画に出来ることに沿って作った映画で、成功していると思う。ただ映画には叙事性が欠かせないので、それが足りないのは原作の問題なのである。いずれにせよ、森田芳光、『そろばんずく』『悲しい色やねん』と連続して空振り三振のあとの、久々のヒット性の当たりであった。 [映画館(邦画)] 6点(2011-03-22 20:54:01) |
213. ダイ・ハード
ネタバレ たしかにドンパチ・スペクタクルをぼーっと眺めていたいときはあるが、それはごくたまにである。当時、これこそが映画の醍醐味であって日本映画は小粒すぎる、みたいな言い方までされた(謬見である)ことを思い出すが、今はどうだろう。ところで、日本タタキのネタが入っているのはサブリミナル効果のような反則かも。 [映画館(字幕)] 4点(2011-03-22 06:09:21) |
214. ツイスター
ネタバレ タツマキって「喩え」(隠喩)じゃなかったのね、と同行する女性が言う。この言葉が深いのである。そう主人公は、竜巻を「実際に」追い研究する仕事なのである。そして映画は隠喩向きではなく、現物を見せる、ということになる、が、この場合CG頼みになるのもやむを得ないか。ところで日本にとっても竜巻はもはや隠喩ではない。「竜巻雷之進」という隠喩的な名前(『赤胴鈴之助』の登場人物)もいまやリアルになりつつある、怖い。 [映画館(字幕)] 5点(2011-03-22 05:22:27) |
215. パルプ・フィクション
ネタバレ 死んだはずのトラヴォルタがドアを通り抜けて出て行くというエンディングがいい。「オラは生き返っただー」はいい。だから、時間編集に別の「良さ」が付け加わるのが素晴らしいのである。ちなみに同系の『運命じゃない人』もずいぶん頑張っているし、何度も見返してしまうような「良さ」にあふれている。 [映画館(字幕)] 7点(2011-03-21 22:08:36) |
216. 転校生(1982)
ネタバレ 『転校生』は性別役割をコミカルに強調し過ぎである。あんなになさけない「女性」はいない。女性の役割ももっと毅然としていいのだ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」画のマリアのように。大林は『廃市』が最高。 [映画館(邦画)] 4点(2011-03-21 18:55:05) |
217. インデペンデンス・デイ
ネタバレ アメリカは戦争が仕事の国で、ハリウッドはその宣伝省であることを実に明確に見せる。異星人は醜く描かれ、対話の可能性は一切無く、異星人からの「地球の独立」をアメリカ大統領が宣言するという、猛烈に政治的な映画である。 [映画館(字幕)] 2点(2011-03-21 12:24:47)(笑:1票) (良:2票) |
218. しとやかな獣
ネタバレ 『還って来た男』からすでに十八年(いや戦後十七年)経って、川島雄三の『しとやかな獣』(1962)が作られる。戦後の復興目覚ましく、都会も巨大になる。旧「海軍中佐」伊藤雄之助の一家が住んでいるのは新興公団住宅の高層集合住宅で、それも「エレベーターがない」安い方のタイプである。高い階に住んでいるので長い階段を上らなくてはならず、次の階に通じる階段が鬱陶しく入口に覆い被さっている。したがってこの階段は相対的な貧しさの証ではあるが、しかしまた一昔前の本物の窮乏からの段差であると呼ぶこともできる。家長としての威厳がほとんど地に落ちている伊藤雄之助だが、家族を一喝する言葉においてのみ圧倒的に存在する。 「おまえたちはまたあの時のような生活がしたいのか、雨漏りのするバラックで雑炊ばかり食っていた生活が」 この頃を境に日本映画から貧乏というテーマが消えてゆくのであって、同年に作られた浦山桐郎『キューポラのある街』では、貧乏だから人間がだめになるのか人間がだめだから貧乏になるのかなどといった問いかけが、記念碑的に響いている。そうすると『しとやかな獣』の家族は日本そのもの(隠喩)であり、空虚な「豊かさ」への昇格を体現する。この昇格は落下への不安を伴い、事実この建物から落下して死ぬ人物も出てくることになる。高度経済成長期の物象界にあってどこでどう階段から足を踏み外す羽目になるかは、もう誰にもわからない。そういうサスペンスでもある。因みに、男たちを手玉に取る「獣」若尾文子のヴォイス・オーヴァー(野心を吐露)が入るのは、秘かな長い階段を上るショットにおいてである。 [映画館(邦画)] 10点(2011-03-21 11:11:55) |
219. 晩春
ネタバレ 揺れる立木のショットが意味ありげに入っている。ゆったりとした、自然と人生という感じが溢れている。描き込みの多い『麦秋』に比べて簡素な構成により、小津の最高の作品となっている。 [映画館(邦画)] 9点(2011-03-21 10:50:28) |
220. おくりびと
ネタバレ いい映画だが、映画館で観ているときから違和感のあった箇所を二つ挙げる。一つ目、「死」に触れて帰宅したモックンが広末に抱きつく場面がポルノ映画的になっている、つまり「死」に対する「生」の対置が窃視的な「性」に流れすぎ(省略技法が大切だ!)。二つ目、ラストのクライマックスにはモックンの一筋の涙だけで崇高なのに、広末がらみでなんだかんだ喋らせてぶち壊している。だから省略という方法がこの作品にもっとも欠けているものであって、それは作品の気品にかかわるのである。 [映画館(邦画)] 6点(2011-03-21 09:57:49) |