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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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221.  スケート靴の約束 ~名古屋女子フィギュア物語~<TVM> 《ネタバレ》 
「テレビ愛知開局30周年記念ドラマ」とのことである。同種のものでは名古屋テレビの開局50周年記念映画「ギャルバサラ -戦国時代は圏外です-」(2011、主演・有村架純)というのを見たことがあるが、内容的にはこっちが勝っていると断定する(圧倒的に真面目)。  物語としては「フィギュアの聖地」といわれた名古屋の大須スケートリンクで、母親に期待されてスケートに打ち込んできた娘(姉)が事故で引退せざるを得なくなり、今度はその妹が同じ道を進む話である。姉妹がそれぞれ自分の夢に向かっていくわけだが親が邪魔しており、特に母親は自分本位な押しつけ・決めつけが甚だしく、娘の意向のわざと反対を向いているようでもある。これを見ていると、コーチが言った“才能をつぶす手伝いはできない”というのは親にも共通のはずだというのが一つの主張なのかとも思われる。 一方で娘たちがまっすぐしっかり自分で考えているのは頼もしい。特に姉が妹に寄り添いながら妹自身の選択を促していたのはよほどちゃんとした母親のようで、終盤の「特別リンク」で手を離したところの演出は泣かされた。自分自身の意思が大切だということは、題名の「約束」が誰と誰の約束なのかという点でも表現されている。姉本人もまた本来の自分の指向性を生かした将来を考えていたようで、そのことは引退セレモニーでの選曲にも反映していたと解される。 なお姉が自分のことで泣く場面を出さないのはよかった。かわいそうな顔を見せて泣かすドラマではない。  出演者としては、主演・安田成美ということだろうが個人的には姉妹を軸にして見ていたので親は脇に追いやってしまった。お姉さん役の小芝風花さんは「魔女の宅急便」(2014)の少し前の状態で可愛らしいが、引退セレモニーでの厳しい表情は少し大人びたようで泣かされる。また妹役の本田望結という人(当時9歳とのこと)も愛嬌のある顔で和まされる。この人は当然として、小芝風花さんもフィギュアスケートを本格的にやっていた時期があるとのことで、劇中では単独あるいは2人で実際に演技する場面があって素直に感心した。 ほか妹のライバル役として実姉の本田真凛という人が出ており(当時12歳くらい、台詞なし実演あり)、また「野辺山合宿」というものの指導者役で伊藤みどり・浅田舞の両人が顔を見せている。特別協力の荒川静香という人は名前しか出ないが特別番組などで協力したという意味か。この方面のファンには見どころのあるドラマかも知れない。
[DVD(邦画)] 6点(2019-07-27 12:59:19)
222.  馬の骨 《ネタバレ》 
「イカ天」というTV番組(1989.2.11~1990.12.29、TBS系)があったのは憶えていたが、フルネームが「三宅裕司のいかすバンド天国」だったことは忘れていた(「三宅裕司の」も忘れて相原勇しか憶えていなかった)。ちなみにその後に「エビ天」というのもあった(アシスタント・福島弓子)。 「馬の骨」というのは別にこの番組を代表するバンドでもなく、1回出ただけだったようで当然憶えていなかったが、当時の映像を見たところ、もしかして当時もこれを見たかも知れないという気がして来た(老婦人の姿に見覚えがある)。ほかにまともなバンドも出ていたのでこんな連中ばかりだったわけではない。 なお当然だが藤沢周平の時代小説「秘太刀 馬の骨」(映画化されていないがNHKのドラマになった)とは関係ない。  映画としてはその「馬の骨」でボーカルだった人物(俳優)が脚本を書いて監督もしている。自分として難点に思われたのは、熱烈なアイドルヲタが近場にいたことの匂わせ方が不足だったため登場人物の行動が変に思われたことと、またこれで最後に全てが前向きになって終わったというのがかなり適当に感じられたことである。そもそもこの曲でライブを盛り上げるには無理がある気もしなくはなかったが、このバンドにはこれ一曲しかないのであれば仕方ない(さすがにもっとあっただろうが)。 ユニークに思われた点としては、登場人物に自己変革を迫ったのが土砂崩れの危険だったということと、変化に立ち向かう決意を示す言葉が「バーベキュー行ってきます」だった??ことである。物語的にはライブの後にそれぞれの場所で今後どうなるのか確定的なもののない微妙な雰囲気だったが、最低限、娘のような年齢の主人公にあとを託して背中を押す形になっていたのはよかったと思うべきかも知れない。ボーカルのオヤジはやがて消えゆくにしても、最後まで前を向いたまま死ぬと解すればいいか。  キャストについては何といっても小島藤子さんが主演女優として光っている(書道をしている人なので題字も書いている)。歌唱力については何ともいえないが声の出し方は好きだ。しょうもない映画だと思いながらも最終的に悪くなかったと思わされたのはこの人の歌声のせいかも知れない。また粟田麗さんは最近お母さん役しか見ていなかったが、今回は泣き笑いの表情が切なく見える未亡人役だった。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-07-20 16:58:30)(良:1票)
223.  四月の永い夢 《ネタバレ》 
まず主演女優は好きだ。そうでなければ絶対見なかった。それ以外の誘因は全くない。2017年モスクワ国際映画祭で受賞したそうだがそういうことにも関心がない。朝倉あきさん好きだーーーとひたすら思いながら見ていた。 撮影場所は主に東京都国立市らしいが、町田市(制作会社の所在地)の方でも協力していたようなので注目されないと気の毒だ。また終盤で出かけた元彼氏の実家は富山県下新川郡朝日町と特定されていたが、主人公が降りた富山地方鉄道本線の内山駅は隣の黒部市にある。各方面の協力により製作されたようだが、それほどご当地映画っぽいところは見えなかった。  監督はもともと詩人だそうで、映画というのは小説というより詩に似ているという話(ネット上のインタビュー記事)はなるほどと思った。自分としては散文を読むようにしか映画を見られないわけだが、この物語に関してはだいたいのところはわからなくもなかった。ただ自分の話でないのでそのまま同調できないところはある。 少し引っかかったのは元彼氏の母親が“人生とは何かを獲得していくことではなく…”と語ったところである。この言葉は、すでに失った領域が広がってしまった人間にはぐさっと刺さるものがあるわけだが、母親が自分のこととして言うのはいいとして、まだ若い主人公に対して“獲得することではない”と言い切るのは言い過ぎだ。さまざまな方面や局面で獲得したり失陥したりしながらたえず自分を更新していく過程が人生だ、といった感じになるはずで、少なくともこの主人公に関しては、これから新しい局面で獲得していくものがあるはずである。 そのほか全体的には、控え目に見える主人公のおかけで優しく穏やかに物語が流れていく印象だった。踊るように歩いていて持ち物が少しひっかかって逸らした様子が楽しげに見える。監督によると男にとっては面倒くさい女性ということらしいが、金を払いたがるとかキャンセルを気にするとかは潔癖という意味では嫌いでない。それよりかなり前方に心理的バリケードを張っている場合があるとか、何かあると引っ込んでしまって接点が失われるタイプは困ってしまう。「一人で帰ってもいいですか」のところはやっちゃった感が出ていたが、ラストの一瞬の笑顔には和まされた。
[DVD(邦画)] 6点(2019-06-14 19:51:37)
224.  ごっこ 《ネタバレ》 
出演者のせいでお蔵入りになりかけたのを何とか公開にこぎつけた映画とのことで見たが、宣伝で「最高に泣ける」などと書いてあると要はそれが目的なわけかとかえって印象が悪くなる。ちなみに場所設定としては大阪ということになっているが(大阪市平野区と枚方市)、撮影は群馬県前橋市(千代田町の弁天通商店街)が中心だったのは制作上の事情だろうが少し意外感がある。  主人公の境遇について、孤立的で引きこもり体質というところまでは自分も同じだが、それだけで全面的に共感できるわけでもない。 自分を犠牲にして子どもを助けようとしたのは結構だが、その根底には犯罪で捕まれば自活不要という発想があったはずで、同時に育児放棄という面もあるのでそれほど褒められるものではない。またカレー屋の母親はいいとして(よくはないが)その娘までを結果的に捨て石にしたのはどうなのかということもあるが、これはそれほどまでに自分のところの子をかけがえのない存在と思っていたことの表現か。自分はどうせ駄目だがこの子だけはというつもりで、可能な限りの方法で最も大事なものを守り通したということではあるらしい。 最後の場面は、自分など他人にとっては無に等しい人間だと思っていたところ、実は誰かにとって大きな存在だったことを知らされた時の驚きと困惑と感激ということならわからなくはない。結果として「万引き家族」(2018)などよりは素直に心に響く映画だった。  出演者の関係では、主役の顔と子役の顔がとにかく心に残る。主役についてはラストの強烈に変な顔が目立つが、ほか個人的には普段の顔と、保育園で子役に笑いかけた顔のギャップが印象的だった。また子役の平尾菜々花という人は、別のところで見たときは躁状態でやかましくしゃべる女児だったが(“ここさけ”とNHKの土曜ドラマ)、今回は全くイメージの違う役をきっちりこなしている(目力あり、演技力あり)。優香はミニスカでないポリス役で今回少し色気を抑えていた。 そのほか商店街のおばさん役で鴨鈴女(かも すずめ)という役者が出ており、端役ではあるが顔を知っているのでどうしても目についてしまう。この人も本物の大阪人である。  追記:見たあと原作を読むと、かなりまともにきっちり万人向け映画としてまとめたことがわかる。主人公の人物像がかなり違うが、結末まで含めて現実寄りの映画にするなら最初からこれで正解と思われる。
[DVD(邦画)] 6点(2019-06-14 19:51:35)
225.  しまこと小豆島 《ネタバレ》 
香川県の銀行に勤務しながら映画を撮っている香西志帆監督のショートムービーである。香川県の小豆島のPR映画のようなもので、現地の青年会議所が中心になって製作されたものらしい。「岬の分教場」「エンジェルロード」といった島内の名所が映るほか、劇中に出る写真は小豆島町観光協議会主催の「小豆島の宝 魅力の景観24選」のフォトコンテストの入賞作を使っている。  物語としては、母親を亡くして父親と2人だけになった娘(高校生?)が父親の再婚相手と心を通じていく話である。再婚相手が好人物であることは娘本人が最初から認めており、結末がどうなるかを心配するようなものでは全くない。 主人公が心を開くにあたって大きな影響を及ぼしたのが小豆島の自然環境だったという話だろうが、島にいると境界線がなくなる、という説明は感覚的によくわからない。なくなるというよりすぐそこに境界線があるだけではないかと思ったが、そのことよりもどちらかというと、日に2回つながるという陸繋島(弁天島、その先に中余島・小余島・大余島)が象徴しているものの方がわかりやすいと思った。 主演の吉田まどかという人は東宝芸能の所属で、あまり派手に売り出してもいないようだが、少しずついろいろな映画やドラマに出ているらしい。この映画では拗ねたような表情がいじらしく、少し大きく感情を出す場面では泣かされるところもある。時間が短いのに加えて主人公の印象もあって、愛らしい小編というイメージの作品ができていた。  ちなみに主人公の父親が脚本家で、その再婚相手が女優という設定は必然性不明だが珍しい。「銀行員 竹井薫の旅情事件簿」というドラマの主演をしていたようだが、例えばサスペンスドラマの女王のように言われて日本で広く親しまれている女優という設定だったものか。「銀行員」というのは監督がそうだからという程度のことと思われる。
[DVD(邦画)] 6点(2019-05-11 11:16:19)
226.  猫と電車 《ネタバレ》 
香川県の鉄道会社「高松琴平電気鉄道」の100周年記念企画の映画である。主に高松市とその周辺が舞台で(琴平までは行かない)、着ぐるみキャラやご当地アイドルでもPR色を出している。「脚本と監督と撮影と編集」を担当しているのは香川県の銀行に勤務しながら映画を撮っている香西志帆という人で、これが監督第1作とのことである。 題名にネコが入っているがストーリーにはあまり関係なく、主人公が「野良猫ガール」だということと、幼少時から「にゃんこ先生」を頼りにしてきたところがかろうじてつながっている。また劇中でその辺に生息するネコの映像を脈絡なく映していたが、これは現地在住の監督が映画のために撮っておいたものらしい。電車に関しても、直接関係するのは終盤の「キャラクター電車」くらいだが、街中の風景で、アーケード商店街(片原町)を分断して電車が通っていたのは場所性の表現としてよかったかも知れない。  お話としては、少なくとも前半は普通に楽しい。絵本のようなイラストやインテリアの色彩感、ダンボール城などがメルヘン調の雰囲気を出している。コメディとしてそれほど大笑いするところはないが、「お一人様で琴電」といった類の微妙な可笑しさは嫌いでない。主人公の哀れっぽい顔も笑いを誘うところがある。 後半に入ると次第に深刻な話になってしまうが、最終的には万引き兄弟の事件がきっかけで、主人公の抱えていた問題点(主に2つ)が解消したらしい。終盤に説明が集中しすぎてわかりにくく、見る側が自発的に補足しなければ極端に都合のいいハッピーエンドにしか見えないのは困るが、主人公にとっての「いちばんしあわせな思い出」の真相が実は切ないものだった、という点はよかった。最後のサプライズはもとの状態に戻るためのものではなく、既に始まった新しい人生へのエールだったと解しておく。  出演者に関しては、姉役の藤真美穂という女優は別として、役者として少々心許ない感じの人も多い。主演の篠原ともえという人も本業の女優ではないだろうが(初主演とのこと)、この人の存在感だけでも映画が成り立つ気はした。主題歌(オープニング・エンディング)と挿入歌1曲もこの人が歌っているが、主題歌のMVを見ると普通に艶っぽい美女に映っているのが意外だった(こういう人だったか?)。
[DVD(邦画)] 6点(2019-05-11 11:16:14)
227.  俺物語!! 《ネタバレ》 
原作・アニメとも見ていない。題名とポスターの顔からして視野狭窄の自己中男による一途というより手前勝手な恋物語といったものかと思って敬遠していたが、実際見るとそうでもない。序盤でいきなり主人公の人物像が強力に印象付けられてしまい、以降は男の立場としても躊躇なく完全に主人公の味方になる。 人格的に自己中の対極なのは非常に共感できるものがあり、また屋上に放置していた握り飯をその後に全部食ったところなどは素直に出来た男だと褒めたくなる(食器をどうしたか不明だが)。こんな奴は実際あまりいないだろうが、男子の理想形の一つとして正直憧れるところはある。その親友も悪い奴ではなかったようだが少し都合のいい人格設定に見えた。  前半はとにかく主人公の顔を見ているだけで大笑い続きで、見当違いのことを言っているのにわけ知り顔の場面などは爆笑した。 事前に映画紹介の文章をまともに読んでいなかったため、この男が愚かにも女子に惚れられたと勘違いして恥ずかしいことをやりまくるのかと思っていたら、実は違っていたというのは非常に意外な展開だった。それ自体は大変いいことだが、しかし最終的に相互片思いの状態が解消されるまでがかなり迷走状態で、なんでそうなるのか???という極端なすれ違いの繰り返しには少し呆れた。原作の最初の方だけで映画1本としてまとめたということだろうが後半どうも間延びした感がある。 終盤の種明かしが慌しいのはいいとして、最後の野外パーティーなどはいかにもマンガっぽいので少し引いたが、そこは少女マンガ原作映画だから仕方ないか。こういう終わり方自体を悪くはいえないのでよかったということにしておく。  ちなみに撮影は仙台市が中心(一部は柴田町)だったようで、あまり仙台ならではの風景というのはなかったが、丘陵地に広がる住宅地というのはそれらしいといえなくもない(丘陵地に囲まれる形で伊達家が城下町を造ったため、近代以降の都市の拡大により隣接の丘陵地が市街化したということ)。背景には太白山も見えていたようである。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-05-03 08:21:01)
228.  アトラクション 制圧 《ネタバレ》 
ロシアに宇宙人が来た、という映画である。 最初に大気圏外から来た宇宙船をロシア軍の戦闘機(Su-27?)がいきなり撃墜し、宇宙船はモスクワ南部の住宅地に墜落したが、そこでいろいろあってからまた飛び立って空に消えていく展開になる。終盤ではパワードスーツのアクションもあって派手な映像はそこそこあるが、それは最初と最後だけで、中間部のほとんどは主人公周辺の人間ドラマになっている。 なお原題のПритяжениеは英語のattractionそのままの意味、あるいはgravityのことらしい。よくわからないが例えば、接触を禁じられていたにもかかわらず、地上にあった何か(永遠の生命よりも大切なもの)に引っぱられて落ちて来たということかも知れない。  ドラマ部分は、主人公が厳格な父親に反発して不良の彼氏と付き合っていたが、そこへ星の王子様が現れて彼女の心を奪っていったという話である。あるいは社会的な見方をすると、権力側にいる父親と、反抗的な彼氏がそれぞれロシア国内の社会階層を代表していて、主人公がそれとは全く違う第三のあり方を見出したというように取れる。 ロシアの立場では、首都上空に侵入する飛行物体は問答無用で撃墜して当然のようで気の荒い国だが、国民の方も、現に政府が救援活動をしているのにやたら食ってかかる連中がいて、さらにそういう不満分子を煽動する者もいたりして革命でも起こすのかという雰囲気があり、これではロシア国家が抑圧体質になるのも仕方ないのではと思わせる。また「祖国」という言葉が出ていたあたりは、立場に関わりなく国粋主義に煽られがちな国民性を示したようでもあり、それがまた排外主義を助長したりもするということか。 「墜落したのがほかの国ならよかったのに」という台詞もあったが、宇宙人を前にしてもこの有様では、いつまで経ってもロシア人など“地球人”にはなれそうもない。しかし今回の件で少なくとも主人公の心は確実に変わったとのことで、そういう微細な変化の蓄積がいずれ社会を変えていくはずだと期待する映画なのかも知れない。悪役の男が最後まで死ななかったのは、こういう連中をただ排除すれば済むのではなく、一緒に生きていこうとするのが現実社会という意味だと解釈した。  ちなみに見ている側としても、どうしても劇中人物が地球人というよりまずはロシア人だと思ってしまうところはあった。例えば、復讐したい気持ちがあっても戦争を起こすのは駄目だ、と登場人物がいえば、粗暴で残虐なロシア軍が攻めて来て何をされても泣き寝入りしろということか、と皮肉を言いたくなる。また「地球はわれわれのものだ」などと言われると、ロシア人は地球を征服する気でもあるのかと疑ってしまう。本当なら恐ろしいことだ(おそロシア)が中国人には負けそうだ。
[インターネット(吹替)] 6点(2019-03-30 09:59:11)(良:2票)
229.  サリュート7 《ネタバレ》 
ソビエト連邦時代の偉業を語る映画である。ただし1985年だともう終わりの始まりくらいにはなっていたのではという気もする(同年にゴルバチョフが書記長に就任している)。 事故で機能を失った宇宙ステーションを2人の宇宙飛行士が献身的な働きで回復させる話だが、それほど人類史的な意義があるわけではなく、関係者には申し訳ないが映画の題材としては地味目というしかない。またアメリカの策謀とか爆発とか天使までこの話に詰め込むのは作り過ぎのようでもあり、サリュート7号の実録映画というよりも、事実に取材してまとめた娯楽映画と受け取っておくのがいいのではという気がする。ちなみに人名も仮名にしてあるらしい。  宇宙空間の映像は、基本的には地球を周回するだけなのであまり変化は出ないが、周回軌道上に昼夜があることは物語的にも生かされている。当然ながら地上が見える場面が多く、冒頭でフィリピンのスールー海上空にいたのはわかったが、それは北がほぼ上だったので気づきやすかっただけかも知れない。その後はフロリダの発射場を除き、都市部の灯りなどは場所がわからなかったが、全部実在のどこかを想定して映像化していたものか。 アメリカ人並みのおふざけなど本当にあったことなのかは知らないが、水玉映像や昆虫との友情など飽きないようには作ってあり、無重力下のアクションも若干ある。また飛行士それぞれに美人の奥さんがいて(若妻は可愛いタイプ)家族愛を見せるとか、男2人が並んで夜景を眺めてしみじみ語るといったドラマっぽい場面もある。スペースシャトルが挨拶(salute)してから翼を翻して去るのはやりすぎだろうが、生真面目なロシア映画「ガガーリン 世界を変えた108分」(2013)に比べれば、かなり娯楽性を意識した映画に見えた。  なお当時を語るものとして、1980年モスクワオリンピックのマスコット「こぐまのミーシャ」が出てきたのは懐かしい。閉会式で泣いていたのは日本人としても記憶に残るが、映画の時点ではもう5年後であり、主人公の娘などこれが何なのかわかっていなかったのではないか。またスペースシャトルの名前は「チャレンジャー」だったが、これは翌年1月に爆発事故を起こして乗員全員が死亡した機体のはずである。劇中では、それまでに死亡したソビエト側の飛行士を悼む場面があったが、このチャレンジャーの悲惨な事故に対し、この映画がどういう立場だったのかはわからなかった。
[DVD(字幕)] 6点(2019-03-30 09:59:08)
230.  バルト・キングダム 《ネタバレ》 
脚本・監督と場所・主人公など基本的にはラトビアの映画だが、イギリスの資金が入っているからか台詞が全部英語なのは面白くない。 まず邦題はどうでもいいとして、英題のThe Pagan Kingは「異教の王」で、これは当時まだ現在のバルト三国から旧プロイセンにかけての地域がキリスト教化されていなかったことを背景にしている。また原題のNameja gredzensは、日本では「ナメイスの指輪」または「ナメイス・リング」と呼ばれている銀の指輪である。現地の伝統的な装身具で、字幕の説明によれば身につけた人の「誠意と勇気、自由」を示すものとのことである。 映画の主人公は、指輪の名前に入っているナメイス(Namejs、劇中ではナメイ)という13世紀の人物で、年代記などに名前が出ているが伝説的なところもあるらしい。ゼムガレZemgaleの王ということになっているが、そのゼムガレとは現在のラトビア全土を4または5の地方に区分したうちの1つに相当する(ちなみに以前に車で横断したことがあるが降りなかった)。当然それなりの面積と人口があったはずだが、国内向けの映画紹介で「村レベルの小国」と書いてあるのは、制作上の都合でそのようにしか見えなくなっているのをあらかじめ言い訳したと思われる。なおこれ以外にも、国内向けの映画紹介をそのまま信じると馬鹿を見る。  映画の内容は、現地を支配するため侵攻してきたドイツ人の騎士団(十字軍)と、主人公が率いる地元勢力との戦いが主軸になっており、何気なく現在のエストニア(サーレマー島)やリトアニア人(大公トライデニス)も登場している。史実としては、現在のラトビアと隣のエストニアはやがて騎士団に完全に支配されることがわかっているので、この映画も悲劇的な終わり方になると後味が悪いだろうと思っていたら、そこはうまくかわした感じで安心した。 映画紹介に書かれたような戦闘場面もなくはなく、特に最初の集団戦闘は映画「300」(2007米)を1/10くらいに縮小したようで、小さいながら死人の山もできていた。敵の殺し方がけっこう小気味よく、キリスト教自体は否定しないにせよ、当時の十字軍に対する強烈な反感は映像に出ていたように思われる。ほか恐らく現地での撮影だろうが風景が美しいところが多かった。 問題点を書くと、まず外国人にとってはとにかくわかりにくい映画で、とりあえず何を期待してどこまで我慢すればいいのかわからないのもつらいものがある。また最大の難点はスケールが著しく小さく見えることで、主人公の側がそれこそ村レベルな一方、敵の十字軍も船一艘に乗れる程度の兵員しか見えず、この辺は批判的な観客に叩かれる最大の要因になると思われる。ちなみにこれでもラトビア史上2番目に金のかかった映画らしい。  物語としては、戦記物というより前記「ナメイスの指輪」が一般に普及した由来を語る昔話のようなものかと思われる(信憑性は度外視として)。さらにいえば、これをもとにして現代のラトビア人にメッセージを伝えることが主目的にも見える。 劇中では当初、この指輪は権力の象徴として「王」が持つものとされていたが、戦いに際して主人公がこの指輪を全員に配ったことで、君主の権力を皆に分け与えた形になっていた。これにより国は民の力で運営するものだという、いわば現代の国民主権に通じる考え方が表現されており、同じ監督(アイガルス・グラウバ Aigars Grauba)の「バトル・オブ・リガ」(2007)にも通じるものがある。 この監督のラトビア・ナショナリズム映画第二弾といった印象だが、ナショナリズムといっても別に偏狭な思想で凝り固まっているわけでもない。戦いを前にした衆議では、殺されたくなければ戦うしかない、という主張のほかに、貢税を納めれば殺されずに済むだろうとか、子どもらを守って生き延びるのが第一だといったことを、空虚な観念論ではなく当事者の現実的な判断として主張する人々もいて、これが国民主権のあるべき姿を示していたようである。ちなみに男女共同参画っぽいところも出ていた。 そのほか物語中で、主人公に従うべき族長連中が、侵略者の危険性を認識していながら「誰かに戦いを任せて交易を続けたいだけだ」というのは現代にそのまま通じる話のようで、これはかなり手厳しい皮肉に聞こえた。  以上、映画としては絶賛するようなものでもないが、見るべきものもあって結果的には悪くなかった。ただしよほど関心がある人にしか勧められない。
[インターネット(字幕)] 6点(2019-03-23 10:27:25)
231.  バトル・キングダム 宿命の戦士たち 《ネタバレ》 
邦題は完全無視するとして、原題のЯрослав. Тысячу лет назадは「ヤロスラフ。千年前」の意味である。現在のロシア国家(及びウクライナ)の起源とされるキエフ大公国の時代、後に大公になったヤロスラフ(賢公)という人物がまだ最前線の地方に派遣されていた頃のエピソードで、大スペクタクルも何もなく、いわば下積み時代の苦労話のようなものに見える。 物語は、主人公のほか「ヴァリャーグ傭兵隊」「熊族」「盗賊」を加えた計4つの勢力が対立・連携しながら事態を動かしていく形で、基本的には先が見えないまま、裏切者は誰か、黒幕は誰なのかといったことを想像しながら見るミステリー調の展開になっている。一応の恋愛要素も入っており(2組)、スケールが小さいのでTVドラマレベルのようでもある。  主人公の本拠地だったロストフは、DVDの解説では「盗賊がはびこり 無法地帯と化した」とされているが、これはそもそもが無法地帯だったので盗賊がはびこっていた、という順序で考えるのが妥当と思われる。隅々まで社会秩序が行き渡っている現代日本では常識外れかも知れないが、この映画を見る上では、社会秩序は初めからあるものではなく、なかったところに作るものだと思っておく必要がある。 劇中のロストフ周辺では村スケールを越えた社会秩序が存在しておらず、略奪や誘拐・人身売買が横行している状態だった。そこをより広域的な大公国の版図に組み入れることで社会秩序を確立し、住民の基礎的な安全安心を確保しようとしたのが主人公ということになる。当時の現実がどうだったかは知らないが、少なくとも劇中の主人公はそのような感じのことを口にしていた。 これはDVDの解説にある単純な「正義感」の問題でもなく、国がその領土を治めることの基本的な意義を語っていたように思われる。主人公がこの時代からそのような役目を自任していたことが、後にキエフ大公として法典「ルースカヤ・プラウダ」を編纂することにつながった、というのがこの映画の考え方だと想像される。  主人公は、DVDの宣伝文で「英雄」と書いてある割に情けない君主で、熊族の村に捕われて公衆の面前で侮辱されて笑われたりもしていたが、これは最初に武力行使から入るのでなく、まず対話を求める姿勢を断固として取り続けたという意味らしい。終盤では一応の盛り上がりとして、絶対に妥協できない相手との戦闘場面もあり、英雄とまでいうかは別として勇敢な武人であることも表現されている。 ラストでは、この時代に築いた砦が後に主人公の名を取ったヤロスラヴリという都市に発展したことが語られていた。この都市とロストフは、いずれも現在はロシアの古都として扱われており、現在のロシアの中核部に当たる場所で昔こんな苦労話があったのだと、見たロシア人がしみじみ思う終幕だったと思われる…日本人なのでよくわからないが悪くないとは思った。  ちなみに「熊族」という言葉が最初に出てから、それは一体何なのか???ということがずっと気になっていた。ロシア語の聞き取りはできないのでテロップで見た限り、「族」もなく単に「熊」(複数)と書かれていたようだが、熊のような毛深い連中といった蔑称でもなく自称であるから、要は熊の神(ヴェレス)を信奉する部族ということだったのか。ロシア語の台詞を普通に話していたのでロストフの民と同様のスラブ人で、まだロストフ公の支配に属していないだけだったらしく、こういうのも当時の現地事情の表現につながっている。ちなみに前記ヤロスラヴリの市章には熊が描かれているとのことである。 もう一つ、長くなったついでに日本語字幕に対する苦情を書くと、まずロシアの「公」を「王子」と誤訳するのは他の映画でも見たことがあるが(英語からの重訳?)、別の台詞で「ロストフ公」と書いてなお「王子」とするのはどういう方針なのか、さらに「王子」の子をまた「王子」と書いてはさすがに変だと思わないかと言いたい。またテロップの訳で、лагерь разбойниковを「ロストフの野営地」とし、лагерь ростовцевを「盗賊の野営地」としているのは訳文を取り違えたのではないかと思うが、原語を知らなくても変に思うような低レベルの間違いはさすがに恥ずかしいというしかない。
[DVD(字幕)] 6点(2019-03-23 10:27:22)
232.  草原の実験 《ネタバレ》 
中央アジアに実験場があったことは前から知っていたので、ロシア映画でこの題名なら「衝撃のラスト」がどういうものか想像がつくところはある。そういう先入観をもって社会派映画的に見ていたために、終わってみれば日本のアニメ「ピカドン」(1979)が10分程度でやっていることに1時間半もかけたという印象だった。そもそも「衝撃のラスト」自体があまりにもベタでそのまんまの出来事で、これはこういう映像を作ってみたかっただけではないのかという気もした。 またこの「実験」を社会問題として扱う場合、人が直接巻き込まれる危険性よりむしろ、日本でいえば「黒い雨」のような周辺地域への悪影響が長年にわたって生じたことが問題視されるのではと思われる(※図書紹介「核実験地に住む カザフスタン・セミパラチンスクの現在」)。しかしこの映画はそういうところにつながりそうな気配もなく、単に少女の恋物語を破滅的な幕引きにするためのイベントとして使っただけにも見える。この題材で日本人なら予想する類の社会批判を、ここから普通に読み取っていいのかどうか個人的には迷う状態だった。 ただし主演女優が日本の観客に向けたメッセージというのを聞くと、“現在の状態がいつまでも続いていく保証はないので、どうか今この時を大切にしてください”(大意)といった穏当な内容で、そういうことでいいのなら、個人的にはそれをそのままこの映画の解釈として採用してしまっていい気がした。やはり先入観を排して見ることが望まれる映画らしい。  ところで主人公は確かに鄙には稀な美少女だが(女優はモスクワ出身とのことで大都会の人だが)、自分としてはそんなところに目を奪われてしまうのは不謹慎だと思って自制しながら見ていた(社会派映画だと思ったので)。また全体的に映像が美的で、グラスに浮いた何かの実を口で吹いているなど細々とした描写も嫌いではない。台詞がないのは不自然なところもあったが、かえって何が起きているかを映像から読み取らなければならないので目が離せなくなる。結果としてよくわからない点もあったが、何度か見るとわかることも増えて来るタイプの物語かとは思った。 そのほかたまたま思いついたことを書くと、青春物語の三角関係で幼馴染が必ず泣く運命にあるのは日本だけのことではないらしい。恐らく無難・安定・停滞といった性質を幼馴染が負わされるからという構造的な問題だろうが。
[DVD(字幕)] 6点(2019-02-16 08:29:43)
233.  青夏 きみに恋した30日 《ネタバレ》 
少女マンガ原作映画だが、このポスターデザインでは写る方も見る方も恥ずかしくなる。 夏休みの話なので青空と雲・緑の山・渓流・海・ヒマワリといったそれらしい映像が満載で、主な撮影場所は山村とリアス式海岸が近接する三重県度会郡から志摩にかけてだったらしい。「ハートの入江」(度会郡南伊勢町)に近い山頂で主人公を捉えたカメラが引いて、後に隠れていた友人や周辺の山河が視野に入って来るところは映像的な見所だったかも知れない。  物語としては、序盤からいきなり感情問題で角を立てるので気分が引いてしまう。田舎の純朴な少年にしてもまるで本物のガキのようなのは呆れたが、よくある完全無欠のイケメンよりはリアリティがあるといえなくもない。少し感心したのは期間限定なのでキスしないという真面目な態度で、これはこの男の純朴さがいい方向に出たということか。2週間程度のラブラブ期間中もそれほどベタつかず、ラストで決着がついて初めてキスを一回だけというのがいわゆる爽やかな青春ラブストーリーの雰囲気を出している。 また最初に「運命」という言葉が出ていながら自分で未来を作る方に重点があり、特に主人公が自分だけでなく、相手の男まで引っ張って2人の未来を作ってしまう展開はなかなかいい。こうなるともう運命という言葉自体が意味を失う気もするが、そもそも若い連中にとっての運命など不確定な未来に対する不安の表れでしかないところを、この物語では未来への意思を固める補強材として使ったということかも知れない。 若手女優に引かれてまたしょうもない少女マンガを見てしまったかと思っていたら、けっこう正統派の青春物語だったようで悪くなかった。  キャストについては、葵わかなさんはさすがに少し大人っぽいが16歳の印象も出しており、制服姿は可愛らしいがすっきり整った顔の美しさが見えるところもある。またライバル役の古畑星夏さんは、最近見たのは制服女子高生ばかりだったが今回は本来の年齢に近い役で、くっきりめのメイクが大人っぽく、夏ということもあって露出の多い服装だった(胸とか脚とか)のが刺激的で新鮮に見えた。ちなみに古畑星夏さんのお母さんがこの映画を見て、あんたいつも可哀想ね、と語っていたというネット上の記事には笑った。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-02-02 09:29:44)
234.  わたしに××しなさい! 《ネタバレ》 
少女マンガ原作映画で、基本的にはラブコメらしい。 まずは題名に目を引かれるが、英題のMISSIONS OF LOVEというのが内容の端的な表現になっている。簡易なものから1、2と順に任務が課せられるが、3がこれだと最後はどこまで行くのかと思っていたら完遂しないまま放置され、その後は終盤で出た99が究極のミッションかと思えばそうでもなく、最後にまた3が復活していたのはお約束だろうが一件落着の印象を強めている。その後さらに99から桁がランクアップして一段上のステージに上ったようで、原作がどうだったのかわからないが(かなり省略があるようだが)これはこれでまとまった構成になっている。  物語としては、まず前半はテンポよくユーモラスに展開する。女子中高生向けに刺激的な要素を小出しにしてはぐらかして焦らして面白がる感じのようで、ポスタービジュアルもそういう趣向の一環と思われる。マンガっぽい映像表現も違和感がなく、主人公の部屋で机上に出現する少女(小説の主人公らしい)も楽しい。 後半になると男の暗い過去が明らかにされたりしてまたこういうやつかと思わされるが、終盤を珍しい感じのイベントで盛り上げて、ここで主人公の正体を皆に見せつける展開になるのが気分を高揚させる。続くラストのハッピーエンド感にもかなり嬉しくさせられてしまい、年齢性別としては明らかに対象外ながら、意外にも見てよかったと思わされる映画になっていた。 ちなみにweb小説原作の映画など素人レビュアーにクソミソに書かれそうだが、主人公にはくじけないで頑張ってもらいたい。  ところで主演女優はこれまであまり何度も見たことはなかったが、今回は洋風の顔立ちを生かした人間離れした美少女で、その上に冷徹な策士と恋に揺れる乙女とコメディエンヌの諸相を見せつけるので、結果的に玉城ティナという名前がかなり強烈に印象づけられた気がする。主人公はいつもこんな格好で外出しているのかという服装ばかりだったが、着ている本人の体型も含めて見栄えのする人物になっていた。 また「可憐なライバル」役の山田杏奈さんは、もっと内に秘めた黒いものがしみ出してくる感じかと予想したがそうでもなく、結局は素直で純粋な人物だったらしいと思わされたので大変結構である。「バッカみたい」のあたりは可愛らしい。 ちなみに高田里穂さん(編集者・川渕エリカ役)も長身で美形の人なのでもっと目立ってもらいたい。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-02-02 09:29:43)(良:1票)
235.  夏ノ日、君ノ声 《ネタバレ》 
映像的に見栄えのするところはある。乳白色がかった海辺の風景などは独創的ともいえないだろうが嫌いでない。場所は基本的に静岡県牧之原市だったようで、海の向こう(左手)に陸地が見えたのは伊豆半島だったということか。主題歌が書き下ろしだったらしいのも悪くない。  物語としてはありがちな難病物のパターンで、かつ素直に共感できる話にもなっていない。全体的には、主人公の男が地元に帰って昔の記憶を清算した上で結婚の決意を固めた話だろうが、本当にこれでふっ切れたといえるのか疑問が残る。昔の少女を抱き締めたと思ったら現在の幼馴染だったというのでは、最初から相手のことをまともに見ていたのか怪しいことになり、そこでいちいち殴られなければ目が覚めないのでは困ったものである。また箱に花マルを描いたのは昔の記憶への評価を示すものではあるだろうが、これが最終的に決着をつけたことの証拠だとも言いがたい。幼馴染は人生の選択を誤ったのではないか。 加えて主人公の男が全く好きになれない。古畑星夏さんに向かって何という口のきき方をするのかと腹立たしい場面が多く、それは幼馴染で遠慮がなかったからというニュアンスも最終的には出ていたようだが、自分としては幼馴染も病院の少女も両方の気持ちを大事にしてもらいたかったのに、うまくいったように見えないのはこの男がバカだからだと全部この男のせいにしたくなる。 そのほか、わざわざ批判的な観客向けに突っ込みどころを大量に用意したかのように見えるのは大変よろしくない。一応の社会人として気になることを書くと、看護師というのは出血して倒れている人間に手当もしないで帰れというのが普通なのか。かつては主人公同様の不良だったのかも知れないが、主人公が不良という設定自体がストーリー中で浮いて見える。  登場人物に関しては、病院の少女が変に顔を近づけて来るのが蠱惑的で、これで男がその気になってしまったのかとは思った。それまで人付き合いがなかったために距離の取り方がわからないのかも知れないが、あるいはネコがコミュニケーションで顔を寄せる習性を思わせるところもあり、そうすると無音で近づいてきて人を驚かす場面があったのもそういうことだったのかも知れない。主演の荒川ちかという人は子役時代からの経歴がある人で、今回は年齢なりの素朴で純粋な少女役になっている。終盤で初めて声をあげて泣いたところは少し泣かされた。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-01-19 08:58:24)
236.  一週間フレンズ。 《ネタバレ》 
まず前半は年少男子向けライトノベルのような感じで、愛すべき善良な男によるほのぼの系の物語になっている。友人男女も善人でコメディ部分も素直に笑えるので、主演の名前だけ見てまたこれかと敬遠しなくてよかったという気にさえなった。ちなみに自分としては幼馴染の女子(演・高橋春織)が大好きだ。 しかし後半になって邪魔な転校生が現れると、なぜか少女マンガ原作映画っぽくなって気分が引いてしまう。心地よかった世界に何でこういうドS王子のようなのを出さないと気が済まないのかと呆れるが、ヒロインもあっさりそっちの方になびいてしまい、もともと好きなタイプでない(女優が)こともあって見る側の気持ちも離れてしまった。  さらにラストの展開も全く納得できるものではない。返却図書には確かに大泣きさせられたが、もともと主人公の男が友達友達と言い続けていたのはあくまで恋人関係を目指してのことだったはずで、ここであらためて友達になったとしても元彼=今彼が存在する限り、いわゆるこれからもいい友達でいようねというような意味でしかない。こんな結末では屈辱的だろうが、あるいはこれはもしかして恋愛感情などより男女間の純粋な友情が尊いと訴えている映画だったのか? それは幼馴染の女子を悲しませてまでやるようなことなのか。 個人的感覚でいえば、ヒロインなどはもうあっちの世界に行ってしまった人物でしかなく、卒業とともに記憶の底に押し込めてしまえばいい相手である。返却図書は墓標のようなものとして、いわば故人を偲ぶ感覚でヒロインを泣かせておけば済む。主人公の男には今回の件を、努力が成果につながらなかった失敗体験、または「無理」な状況でも相手を動かした成功体験として整理して今後に生かしてもらいたい。悪い奴ではないのでこれから必ずいいことがあるはずだ(数学の教員もそう思っていたはずだ)。ちなみに幼馴染の女子にもこれからいいことがあるに違いない。  そういうことで最後に残念感を残す映画だったが、ちなみにキャストに関しては、古畑星夏さんが今回はかわいい感じで出ていて、結果的に悪人でなかったのも安心したが、最後にどうなったのかわからないのは不満が残る。また伊藤沙莉という人はどこに出ているのかと思っていたら、忘れ物を取りに来た声でやっとわかった(「リア充」のところは聞き逃した)。さすが端役でも重要なところを押さえている。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-01-01 16:21:49)
237.  オオカミ少女と黒王子 《ネタバレ》 
少女マンガ原作映画なのでストーリーにはほとんど乗れない。口の悪い男が心に隠している優しさをわかってあげられるのは自分だけ、という状況に憧れる女子中高生が世間には多いのだろうが、個人的には最後まで男が横柄な口のきき方を通していたのが不快で、素直にものが言えずにぶっきらぼうなのと侮辱的な物言いとは話が違うだろうと言いたくなる。キスも「好きだ」も形式でしかなく、男が主人公に首輪を与えたのも犬から人間の奴隷に昇格した程度の意味としか取れなかった。  しかしそれとは別に、見た目としては動的な映像表現とか色彩感とか見栄えのする景観とかに目を引かれるので意外に退屈しない。特に最初のタイトル直前のところで、主人公がどこかの街中(建替工事前の渋谷パルコ南側)で男を追いかけて写真を撮って逃げて来るまでの流れが印象的で、ここは何度も見返してしまった。すれ違う人々の中には一瞬顔を向けて見る人物のほか、カメラの手前で急に横に方向転換した女性(後の人物も続いた)、バッグの中を手で探りながら歩いて来て役者とカメラの間を困惑気味にすり抜ける女性などもいたが、例えば壁面表示を見るふりをした役者の後に何気なく同じように立った男女は仕込みではなかったのか。また後の場面で「鬼!」の直前に、前方の橋の上を歩く人々の姿が途切れたのも意図したことではないかと思った。 キャストに関しては、2016年の製作当時にこの主演女優(とその親友役)が少女マンガ原作映画の女子高生役などやるような状況だったかと思うわけだが、主演女優はもとが童顔なので外見的にそれほど違和感もなく、また登場人物としても人格に一定の深みのある愛すべき人物像ができている。これが否応なくストーリー展開に説得力を加える方向で作用しており、最初から批判的な目で見ていた立場としてはちょっとやられた感があった。  そのほか雑感として、恭也という名前をチョーヤの梅酒と同じアクセントで言っていたが最近こういうのが東京で流行っているのか。また神戸の場面で川崎重工業の造船所が見えたのは少しよかった(だから何だということはない)。ちなみに個人的に最近注目している武田玲奈さんが同級生役で出ていて、明らかに端役だがそれなりの顔をしてみせていた。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-01-01 16:21:48)
238.  生きてるものはいないのか 《ネタバレ》 
舞台劇のように見えるが実際そうだとのことである。初演が2007年というわりに、マサヒコという男がマッチと呼ばれていたのはかなり古い時代のものに見える。 背景設定について真面目に考えるのは無意味かも知れないが、人々が次々死んでいく状況自体は原発事故を思わせるものがある。しかし死に方は放射線障害のイメージではなく、そもそも元になった戯曲は震災前からあり、映画の撮影も2010年だったようなので関係ないらしい。また劇中の都市伝説の真偽に関してもよくわからなかったが、それより結局、入院患者の期待が実体化した形で終わったのではないかという印象が強い(少し前に見た別映画の「だからみんなも死んでください」のような感じ)。  内容的には序盤の女子3人と三角関係の3人の会話が単純に面白いが、特に三角関係の男はこういうのが近場に本当にいるので他所事とは思えない。この男の人格や風貌が役柄に全くそぐわないのも不条理で、ここはコメディにふさわしい茶番感を出している。ただしそういう流れで見ようとすると、後半はそれほど可笑しいところもないようで退屈になる。 その後半では、死に際して人は何を思うのか、ということが描写されていたらしい。皆さんそれぞれこだわりがあったようだが、生きていること自体に執着するものがいないのはあまりにも軽薄な印象だった。人が死ぬのは当たり前だから今死んでも同じこと、というのは間違っていないにしても、それは現時点で何も背負っているものがなく、かつ今しか見ていない人々の発想である。劇中最も生きることに執着していたのは入院患者だったはずだが、この人物の存在が“生きろ”的なメッセージにつながっていたようでもないのがあくまでとぼけた感じを出していた。  なお登場人物では(女子限定でいえば)、個人的には序盤の女子大生3人(高橋真唯・田島ゆみか・池永亜美)に好意的なのと、掃き溜めに鶴という風情の病院スタッフ(青木英李)が目を引いた。どうせ最後と思えば付き合ってくださいくらいは言ってみたくなるが、断固拒否だったのも最後だからこそのこだわりがあったということか。
[DVD(邦画)] 6点(2018-12-22 18:54:25)(良:1票)
239.  トウキョウ・リビング・デッド・アイドル 《ネタバレ》 
「1000年に1度の童顔巨乳」浅川梨奈主演のアイドル映画で、劇中グループのメンバー2人も同じ「SUPER☆GiRLS」のご同僚だったようである。冒頭とエンディングで主題歌の「Hero」というのが出るが、かなり耳について離れなくなるタイプの曲である。 まず社会批判の面からみると、主に全米ライフル協会か何かを皮肉っているのかと思ったら、製薬関係(政府と業界)を皮肉る発言もあり、さらに死刑存続論への皮肉らしいものも出て来ていた。特に中心テーマがあるわけでもなく単に皮肉を言い散らしていたようで、何だかんだ言ってみたくて仕方ないお年頃ということらしい。ちなみに自分としては住んでいる場所の関係で、日本の猟友会(なんと「大日本猟友会」という名前)を悪くは言えない。うちだけでなく、そういう場所は全国にかなり多いはずだ。  そういう社会派風味はいいとして娯楽映画本来のところでいえば、全体的にあまり飽きさせずにどんどん話を進めていくが、特に各種オマージュだかパロディだかに笑わされるのが大きな特徴になっている。自分としては食パンをかじりながら走って来た人物とか、「おまえらはもう」の後が続かなかったところは爆笑した。また意外にアクション関係の見せ場があり、この面では居合斬りの女子高生(演・星守紗凪)が注目される。 アイドル映画として見た場合には、いわば“アイドルの価値は全てを超える”という事実をこれでもかこれでもかと徹底的に表現していたのが感動的だった。男2人が捨て石になったようなのは物悲しい印象もあったが、彼らにとっては身をすり潰してでも好きなアイドルを守るのが本望だったに違いない(泣かせる)。グループの仲間を大事にしたいという気持ちも(実際どうかは別にして)描写されていたのが心に染みる。 そのほか、主人公が一人で伴奏なしで歌う場面では、本来こういう分野の人だったのだと感心させられた。いろいろあるにせよ結果として、各種制約のもとでけっこう高水準の娯楽映画ができていたというしかない。  なお余談として、奇跡の美女ゾンビの血液を入れると不死身になるという設定があったと思われるが、それを主人公がこれからどう生かす見通しなのかは不明瞭に終わっていたようである。さらに完全に雑談だが、劇中で高架の鉄道が新宿方面に向かって合流している特徴的な景観は、この映画の制作会社が入っている建物から撮影したものらしい(わざわざ探したわけではなく)。
[インターネット(邦画)] 6点(2018-11-24 18:57:01)
240.  放課後戦記 《ネタバレ》 
NMB48を今年卒業した市川美織(みおりん)の初主演映画である。同名の舞台劇をもとにした映画で、舞台の方は2016/10/5~10/10の6日間で10回の公演があり、主演は市川美織(この映画の主役)と、りりか(この映画の準主役)がそれぞれ5回ずつ務めたとのことである。なおその舞台版もDVDで見た(市川美織主演の方)。 どうせよくある殺人ゲームだろうと思っていると完全に騙されてしまう。実際はかなり重苦しいテーマで、それほど派手なアクションもないまま沈滞ムードで話が進む。またかなり複雑な構成で、難解すぎる内容を細切れの映像や台詞で表現しようとしているが、見ている側としては完全に置いて行かれてしまう。特に、舞台版のW主演をこの映画でも実質的なW主演にしようとしたからか、わざと両者を区別しにくくした(あるいは区別できなくした)ように見えるのが問題で、これが観客の理解を困難にするというよりほとんど不可能にしている。極端に独りよがりな印象があって一般人には全く勧められないが、みおりんファンにも勧めない(勧めなくても自発的に見たはずだ)。  ところで、途中のわけのわからない展開は放っておいて結果的にどうなったのかを考えると《以下ネタバレ》、 まず最後はハッピーエンドだったと思うことにする。主人公の「瀬名」は、これまでずっと別の「瀬名」に助けられてきたが、危機に際して初めて主体的に行動したことで、今度はその別の「瀬名」を助けた形になったらしい。 最後の言葉は「瀬名」が自分で自分を肯定できる人間になったことを意味している。人が自分を肯定できず、かつ周囲からの肯定も得られなければいつ死んでもおかしくない危険な状態になるだろうが、この映画では最後に2人の「瀬名」が互いに肯定し合う関係ができており、これが自己肯定の表現だったと取れる。2人いるから二重人格ということでもなく、2人が統合された状態がこれからの「瀬名」であり、また死んだように見えた連中も「瀬名」の中に統合されているはずで、例えば絵本はこれからも(暗黒系でないのを)描き続けるのだろうと思われる。 以上のようなことを一応考えたが、物語の論理的帰結としてこうなっていると断言できないのがこの映画の腹立たしいところである。  キャストとしては主演以外にも若手女子が多数出ているが、個人的に知っていた人では秋月成美さんの守護天使役(「養護」)が似合っており、また生徒会長役の小宮有紗という人は最も普通の意味での美少女で、本来の登場人物(「支配」)よりもかなり可愛い方に寄っている。大野未来さんがまとめ役(「親和」)のようなことをしていたのが大人びた感じで少し嬉しい。 しかしここで問題なのは、主演の人が低身長かつ小顔のため、この人と比べると普通の体形でも大女で顔も大きく見えてしまうことである。ただこの映画では他の出演者にも小柄な人を出しており、少なくとも身長に関しては意外に目立たなかった。 最後に、市川美織さんの今後ますますの活躍を期待します。
[DVD(邦画)] 6点(2018-11-24 18:56:59)
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