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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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241.  2ペンスの希望
イタリア映画はこうでなくちゃいけない。叫ぶ・どなる・ののしる・手を広げて近所に吹聴してまわる・すぐぶつ・前屈みになって走り回る。オペラの発声は、あれはリアリズムだったのかもしれないと思わせるほど、全編声を張り上げている。この元気のよさが身上。崖の上の百姓女とのののしり合いのところなんか、別に気が利いたセリフだからと言うわけでもなく笑ってしまう。ほれぼれと「アリア」に聞き入ってしまう感じ。爽快。この元気のよさにすべてを託していこう、って。「神さまが人間をお作りになった以上、なんとか食っていけるんだ」ってね。楽天的過ぎるかもしれないけど、そういう気持ちを奮い立たせたかった時期なんだろうということは、同じ敗戦国としてよく分かる。いろいろな職業変遷、坂を三台ぐらい馬車を押し上げていく勢いのよさ。そして馬車は時代遅れだと、新品同様(!)のバスを共同で買い、これが走り抜けていくシーンのなんとも陽気なこと。ここらへんのドタバタはフェリーニを思わせ、家同士が喧嘩したあと両家の母親が懺悔しているあたりはパゾリーニの寓話を思わせ、全体の民話的語り口にはタヴィアーニを連想させ、イタリアの監督ってみなネオレアレズモから生まれた兄弟なんですね。映画館のフィルム配達。「おい、なんで女が殺されたのか分からんと客が騒いでるぞ」。いつも太陽が照りつけているような陽気さに、ずっとひたっていたくなる映画。
[映画館(字幕)] 8点(2011-07-21 10:08:43)
242.  ボブ★ロバーツ/陰謀が生んだ英雄
徹底して頭で作った映画だけど、底には今の社会の「なんとはない嫌な感じ」があるから、アタマ倒れになっていない。架空の青年政治家という焦点を一つ設定することで、その「嫌な感じ」があきらかになってくる仕掛け。「ファシズム」とまでは言えないが「前ファシズム」的雰囲気。漠然とした保守回帰、清潔やプライドの強調、またカントリーソングってのがそういうのに合ってるんだ。ファンの三人兄弟が、ホンモノらしくて怖かったなあ。初めて会って緊張し切っている目つき。考えてみれば「ファン心理」ってのは「絶対希求」であって、もともとファシズムに流れやすい状態になってるんだろう。眼が澄んできてる。病院で立ち尽くす人々。テレビが批評的な役割りを期待されてたのが意外だった。日本だったら一番に流されるメディアだろうし、あちらではよく新聞がこういうときには出てくるんだけど。対話のインタビューワーが怒ったり、アホなテレビショーのキャスターが意外と固く拒んだりと、単純化していない。保守的に見える人物がリベラルだったり、若者が反動だったり(これが怖かった)。
[映画館(字幕)] 8点(2011-07-10 12:10:41)
243.  キートンの大学生 《ネタバレ》 
晴れたカリフォルニアの字幕の後に雨の卒業式。青白きインテリの坊ちゃんといった優等生を喜劇の主人公に据えるところがキートンの世界。運動の害についてのスピーチをしていると体が前傾し、後ろの教授たちもそれにならって傾く。まったくどんな深読みも許されぬただ荒唐無稽なだけのギャグ、これが実におかしい。キートンにおける「姿勢」ってのはじっくり考える必要があるかもしれない。で彼がメアリーの心を捉える目的で、「スポーツをするために」苦学生として大学へ行くとこになる設定。野球をやれば一人でスリーアウトになる。陸上競技のいろいろが単発ギャグの連続で面白いけど、もひとつ盛り上がらぬということはあるか。円盤投げで自分の頭上に落ちてくるのではとビクンとする、とか、ハードルを全部倒して走り抜けるとか。ボートのコックス役でどんな出番を作れるのかと思っていると、人間舵になった。で恋敵からメアリーを奪い返すために、すべてのスポーツが繰り返されるという趣向で、走る走る、垣根を越え、物干し竿で二階に飛び込み、投げ、撃ち、撃退。ここらへんの爽快感がやはり醍醐味。結婚で終わるかと思っていると、その後の二人を墓場まで追っていく。一体これは何なんだ。なんという不意打ち、ギャグと言うには難解すぎます。それでいてひどくキートン的だなあ、という感じはするのですが。
[映画館(字幕)] 8点(2011-07-09 10:19:29)
244.  大河のうた 《ネタバレ》 
家族の最期を看取り続けた母は、しかし息子に看取られずに、遠くの汽車を眺めながら死んでいくというのが本作の中心。亭主が頼りないぶん、自分が頑張らねば、と常に自分に言い聞かせて気を張っている母を描く序盤、父の死後大叔父の家に移り、学校へ通うはしゃぎの描写などがあって、母のへそくりでカルカッタへ出てくる苦学生の日々。この作品の眼目は、休暇中の帰省でのなんとはない母との不調和と言うか、他人行儀と言うか、鬱陶しく感じられてくるあたり。もっとカルカッタの話をしとくれ、と言われたって煩わしいわけよね。残酷なことだけど、その残酷さが成長と言うことであり、『一人息子』などの小津映画を思い浮かべざるを得ない。次の休暇のときに帰省しないでいると…となるわけ。電報であわてて帰ると、庭先に大叔父がボッと立っている様が実にまがまがしい。その前の休暇のときは、わざと帰りを一列車(ということは一日)遅らせたんだけど。
[映画館(字幕)] 8点(2011-06-18 09:47:06)
245.  元禄忠臣蔵 前篇
2カット目で刃傷になる空前絶後の松の廊下。まずセットのすごさを見せて、ついで柱越しに捉えてゆるゆる移動するカメラ、吉良が浅野の悪口を言ってて、こちらに歩いてくるとその後ろのほうで座ってた内匠頭が立ち上がってこちらに走ってきて切り付ける。この緊迫感、文句ないですなあ。知らせを受ける浅野家での部屋を越えていく横移動、あるいは裁きへの不服を訴えるナントカのあとを追いかけていくカメラ、いずれも新鮮。構図美では屏風囲いの中での内匠頭を俯瞰で捉えたカット、障子ごとに座っている侍たちがアクセントになって実に美しい。切腹シーンは俯瞰で始まりゆるゆると下降していきながら、内匠頭が何かにハッとしてカメラが地上に降り立ったときに、家来が画面に入ってくる。内匠頭が中に入ると同時にまたカメラが上昇して、中の儀式と外の家来の嗚咽を同時に収める寸法。あるいは城受け渡しのときや、山科閑居の母と娘が去っていくときの駕篭を追うカメラ、など移動撮影の美の極致を見せてくれる。構図がどんどん変化していくことのサスペンス。俯瞰は権力志向だと言われるけど、クレーンで下降してくると、観客の視線が登場人物の高さに下りてくる、って感じもある。本作は溝口の映像テクニックを堪能するだけのためなら、一番ふさわしい映画。
[映画館(邦画)] 8点(2011-06-08 12:16:01)
246.  煙突の見える場所 《ネタバレ》 
原作椎名麟三のドストエフスキー的なるものは、つまり邦画の庶民の世界として親しんでいたものと同じだったんだ。何気ない日常の会話が、不意に深淵に迫ってくる。ささいな言葉のやり取りが、実は人生についての深刻な論争であったりする。それをまたうまく人情コメディにまとめ上げる技術のたくみさ。旦那が自殺しかけているときに逃げてきちゃった関千恵子と赤ん坊を捨てた母親が、明るい土手を歩いていくあの晴れ晴れしさに感動した。人を悪と善で割り切らない・あるいは割り切れないものとして遇する態度、これって明るいドストエフスキーじゃないか(と感心したら、あの関千恵子は原作にはないんだそう)。邦画は1940年代、前半は国威発揚・後半は民主主義啓蒙と、「大きな話」が占めていた。しかしここではそういう大局論や評論家的な態度が退けられる。虫歯や子作りレベルの身近な話から大きなものを見通そうとする。それが黄金の50年代なのだ。芥川比呂志の「正義」も、上原謙のパチンコで茶化される。そして「大きな言葉」が去った後の、新しい在りようをみんなで襖越しに模索している。「庶民」を描くことに徹しながら、「人民」までを見通そうとしている。時代の息吹を感じた。部屋の中にやたら影を導く(窓の桟から庭木の枝振りまで)。しかしそれが暗さにはつながっていない。といって光の存在の強調でもない。何か外部が変わりつつある予兆、とまでは言えないかも知れないが、風通しのよさが感じられてくる。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2011-06-02 10:21:36)
247.  白雪姫
動きの滑らかさには圧倒される。この丁寧さがアニメーションにとっていいことだったのかどうかは分からないが、とにかく「すごい」と思わせられる。特に白雪姫の動作・表情は完全に役者のそれで、動物たちと絡むシーンで面白い。あと、井戸の底の波紋とか小人たちの洗濯シーン、魔女のリンゴに垂れる液、眠った姫のまわりの雨および涙とろうそくの涙、など水・液のイメージが鮮烈。固いものより柔らかいものを描くときにアニメは独特の味が出る、継母のマントとか(『くもとチューリップ』の波紋や、『話の話』のテーブルクロスや、アニメにおける柔らかいものの表現ってのは研究に値する)。そうか、小人の家の掃除を見て今になって気がついたんだが、『略奪された七人の花嫁』の前半はこのパロディだったんだな。あと小人たちのダンスシーンなど見せ場があるのだが、どうも締めの取ってつけたようなハッピーエンディングへの移行が少々物足りない。ま、あえてアニメで見せる部分がないので、これでいいのかも知れないけど。
[映画館(吹替)] 8点(2011-05-24 09:53:22)
248.  卒業旅行 ニホンから来ました
この年、一色伸幸は『僕らはみんな生きている』と本作で東南アジア路線だった。あれにしろこれにしろ、戦争の疚しさを引きずってない世代の新鮮な目で見た東南アジアが好奇心の対象になっていて、こういうのがあるのもいいことではないかな。チトワンを見つつ視線が日本に戻ってくるようなところがあって。チトワン-日本の関係がそのまま日本-欧米の関係に重なり、いちいちのおかしみが己れのおかしみに返ってくる。「淫行」というTシャツは「Make Love」というTシャツと同じであり、そういう皮肉が屈折せずにコーンと突き抜けてるところが気持ちいい。よその国を憧れる、ってのは日本の慢性病だったけど、それを憧れる側から見てみるわけ。その誤解・捏造されたニホンのおかしさ。こっちのイイカゲンと向こうのマジメとが噛み合ってしまう。雨のなかでも映画を見続けるインドの客、自転車をライト代わりにするチトワンの客、こっちのイイカゲンを向こうのマジメが乗り越えていってしまう。戦争の傷跡にも経済侵略の問題にも触れてないけれども(チラリと鹿賀がジャパユキさんに絡んでいることを匂わせていた)、東南アジアと日本との今現在(公開当時)の関係の一面をうまく切り取ったような気がする。
[映画館(邦画)] 8点(2011-05-22 09:33:46)(良:1票)
249.  ザ・シークレット・サービス
CIAあがりの暗殺狂と主人公の対決という設定はさして珍しくないが、この両者に「みじめな時代」を生きてるという共通項があるところがミソ。どちらもJFKの時代をイキイキと生きて挫折を味わい、いまクソのような時代を生きてるという認識なの。大統領と個人的な接触をしないのはつまらないヤツと分かると困るから、という。犯人は大統領よりも、ホリガンを相手としてのゲームを挑んでいるわけ。大統領なんてもう標的になる役割りしかない。このクソのような時代に意味を与えようと、自分の分身に挑むわけ。大統領という偉大な虚構のためにどこまで命を掛けられるか、というゲーム。ほとんど三島由紀夫における「天皇」を見るようなニヒリズム。だからマルコヴィッチはいつも「友だち」と呼びかけてくる。ただ一人だけゲームの分かる奴として。公園でヒッピー姿でフラフラしているマルコヴィッチは本当に気持ち悪い。口もとが不気味なんだな。「俺を撃てば大統領を救えるぜ」とか。さして暗殺するに値しない・守るに値しないと、両者納得の上で闘争が展開していく、かなりニヒルなサスペンス。
[映画館(字幕)] 8点(2011-05-15 12:19:01)(良:1票)
250.  銀河 《ネタバレ》 
とにかく西洋社会・とりわけカトリックの国でのキリスト教の大きさを感じさせる。こう何世紀にも渡って宗教と格闘し続けてきたんだなあ、と。そういう経歴を持たないことを日本は喜ぶべきなのか恥じるべきなのか。主人公の二人組の感じがある懐かしさを持ってて、いかにも旅って感じなの。ヤジキタとか、万国共通の二人旅のパターン。もっとも周囲ではキリスト教を巡る論争がひしめく。路上での予言。病院から逃げてきた神父。キリストは笑うか。森のなかの異端者たち。レストランで食事の支度前の論争(あのおかしさは独特のもので、あれで客が食事できなくなったら『ブルジョワジーの…』だ)。無垢な少女たちが声をそろえて「異端に呪いあれ」ってのもあった。男は法王銃殺を空想する。自らを十字架にかける狂信者を巡る決闘。この最中も論争を続ける。ごった返す論争の歴史。そのごった返しの迫力。異教徒にはしんどい映画だが、これらの歴史を背負って生きているカトリックの人々もかなりしんどいだろうなあ、という実感は得られた。我々には「異端」という言葉ひとつにしても、そのニュアンスに含まれている恐ろしさを本当のところは分かってないんだろうなあ、ということをつくづく分かった。
[映画館(字幕)] 8点(2011-05-12 09:46:23)
251.  或る夜の殿様 《ネタバレ》 
だいたい敗戦直後の邦画は民主主義啓蒙のメッセージ性が強くて、当時の雰囲気を知る面白さはあるものの、あんまり楽しくないのが普通なんだけど、これは違った。こんなシャレたコメディが、この混乱期に作られていたとは。ヨーロッパ的で、なにかタネ本でもあるのかな。山田五十鈴の存在がさらに膨らみをつけている。いいシーンとしては、長谷川一夫がわざとコップの水を飯田蝶子に引っ掛けるとこ。そのあとの女中の顔が実にいい。アリガトウゴザイマスと驚きとがうまくミックスされた感じ。階級的恥辱感とでも言うのか、ああいう細やかさが日本映画のいいところなんだよね。観てるほうでもスカッとするし。ニセモノを作った志村喬ら三人組のワルガキぶりもなかなか面白い。舞台から下がってから笑い合うあたり。画面の奥のほうでほかの人の表情を見せるのもうまい。吉川満子が渋面作ってたりする。三人組がバレそうになって慌てるあたり。長谷川がいちいちカワしていくおかしさ。「私は一介の浮浪児ごときものと申し上げたはずです」。そしてすべては額縁から始まって額縁に収まっていくという趣向。シャレてるなあ。
[映画館(邦画)] 8点(2011-05-09 09:56:31)
252.  トップ・ハット
人違いもののモチーフで、ずっと引っ張り続けるシナリオがいい。途中紹介される場面で、ここまでかな、と観客に思わせといて、さらに勘違いを続けていく粘っこさが嬉しい。誤解を続けさせる会話の妙。ダンスのほうはやや地味目で、二人で踊るのでは、仕方なく踊り始めてからしだいに熱が入っていく「チーク・トゥ・チーク」が見どころか。ただ一番うっとりさせるのは、アステアのロンドン公演でのステッキもの。ロンドン紳士の正装で、けっこうワイルドに踊るのが趣向。映画の冒頭、ロンドン紳士のクラブで音をたてないように息をひそめていた場面が反転される。タップの響きを銃声に見立て、向こうに並んだ同じく正装の紳士たちを(恋がたきという見立てか)、ステッキの銃で一人二人と倒していき、残ったのは機関銃で(ステップの連続音)薙ぎ倒す。それでも残った一人は、ヨーロッパ風に弓矢で仕留める。イギリスの上流階級と、アメリカのギャングとの重ね合わせのようなシャレた(ちょっと殺伐とした)趣向に、息を飲まされた。すべての動作がイキのよさで充満している。ロジャースの上の部屋で「砂の上の音をたてないタップ」をした欲求不満が、雷雨の中のあずまやで解消されたのと同じような爽快感が、このステージにもある。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2011-05-07 09:39:39)(良:1票)
253.  パッション・ダモーレ 《ネタバレ》 
うーん、物語ですなあ。こういうのはいいなあ。決闘の後で、主人公がヒロインの発作を伝染されるところは、感動した。これアメリカだったら、二枚目の災難に絞った徹底した喜劇にするだろうし、日本だったら「オカメでも心は素直」という人情噺にするだろうし、フランスだったら心の機微をシャレて描くだろう。そもそも良識ある普通の国ではブスの映画で本物のブスは登場させず、ホッペタにそばかすを散らせばブスと思って見て下さいという映画上の約束事に則って描いていくものだ。でもここはイタリア、残酷なる凝視の国、ブスをリアリズムで描く。醜いだけでなく、そのひがみ根性というのか、優しい言葉をかけられるのを期待して自己批判したりするヤな女を、白日のもとに描いていく。男も、同情や憐れみから愛になったってんじゃなく、ほんと嫌ってたんだけど、運命というのか、心のこだわりの感情もある程度まで進むと結局「愛」と違いがなくなってしまうってことなのか。嫌な女だなあ、と観客に思わせといて、そして実際そうなのだけど、でもそんな彼女にも30年の孤独があったわけで、それを思えば、男一人の一生を台無しにしたけど幸せな最期だったのかも知れず、そしてそういう巡り合わせは、もう幸せ・不幸せという基準以外のとこで主人公の男にも何らかの納得を与えていたんだろう。人生ってこんなもんかも知れんなあ。おーこわ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-05-05 12:18:57)
254.  北京好日 《ネタバレ》 
前半ネオレアレズモ、後半落語の「笠碁」。いい映画だ。愛すべき気難し屋が活写されていく。所在無さを綴っていく前半から楽しいが、本題は京劇趣味の老人たちに公園で出くわしてから。最初からしゃしゃり出はしない。一歩離れてて、しかしアドバイスを乞われると嬉々として、いちいちコワイロやったりする。で劇団結成。遅刻したら歌わせない、などの規律を定め、愛すべきファシストとして君臨する。みんなはただ歌うのが楽しみなのだが、「芸術家」として統制したがる。風刺や皮肉があるのではない。ただオカシミとして捉えている。老人だと我を張ってもどこか社会に通じてないせいか深刻にならず、遊戯の気分で喧嘩が出来る。お祭りの公演。審査の発表を省略してシュンとした帰り道につながる妙。メイクのまま夜道を歩かせている。ここらへんのブツブツが絡んでいくあたり、混乱の盛り上げ方がとてもうまい。あっちでもこっちでも湧き返ってくるおかしみ。歌うのが楽しいのと世話するのが楽しいのと、なんかこの喧嘩のほうがお祭りみたいで、テーマは「老人の生きがい」なんていうと大袈裟になってしまうな、「人生の手ごたえ」と言ったらいいか、人生ってのはこういうふうにいいもんだ、と思わされた。苦みも陰りもない。中国映画には珍しい澄明感がある。死んだ奥さんの写真は若かった。長い一人暮らしだったんだな。
[映画館(字幕)] 8点(2011-05-03 12:21:01)
255.  乱れ雲 《ネタバレ》 
終盤、司葉子の心が乱れてからが凄い。それまで明晰な展開で持ってきてて、ここで画面を混乱の酩酊に一気に導く。加東大介の居どころを尋ね続ける森光子の電話、司の廊下の往復、じゃれ合っている新婚客のカットが飛び込み、時計のチクタク音が持続し、割れる茶碗、広い風景に変わって心中捜索の人々。危機感がスーッと滲みてくる。階段の上下で見つめ合い、車中の人となる。バックミラーから見つめてくる運転手の顔(雨のときの雨宿りの二人の男を思い出す)、長い長い通過貨車、そしてゆっくりくねっていくと現われる事故車、さらにくねって旅館に到着し、救急車も到着、担架の怪我人と泣く妻、ここで初めて司が「ごめんなさい」とセリフを吐く。なんかメロドラマの核心を満喫しましたなあ。世間が無表情に周囲を取り囲んでいくなかで、二人がおずおずと、時に緊張し時に馴れ馴れしさを装いながら、近づいていく。新婚旅行の回想では間に合わなかったバスが、この二人の雨のときは意識して去らせていく。そして武満の音楽が入り込んでくる的確さ。もっとこのコンビに作品を作っておいてもらいたかったなあ。
[映画館(邦画)] 8点(2011-04-30 12:20:47)
256.  人生は琴の弦のように
これはまず「地形」の映画である。盲目の主人公が見ることの出来ない遠景から、足もとの斜面に至るまで、作者の慎重な選択が感じられる。監督はかつてテレビのインタビューで、パゾリーニが好きだと言っていたが、その影響もあるかもしれない。しかし黄河のほとりのうどん屋シーンの不思議な緊張感はオリジナルなものだ。怒涛渦巻く背景を生かした地形の中で、セリフの少ないドラマが演じられる。地形が観客に与えるインパクトは強烈で、非日常の世界に・それも東洋的な光沢を持った神話の世界に一気に連れ去ってしまう。シートウが恋人の顔を地形になぞらえて手で探っていくシーンがある。盲人が視線の代わりに手でもって恋人の顔の上を放浪し、触覚が視線になって未知に向かい合ったわけだ。またこれは「音楽」を巡る映画である。『黄色い大地』からすでに、彼の映画では音楽が重要な役割りを演じてきたが、本作で前面に押し出された。人々に和をもたらす彼の琴、最後は自分のために弾き切ろうとする。が、主人公は芸術に裏切られる。人のためでも自分のためでもなく、芸術はそれ自身のために存在するという無慈悲さが剥き出しになる。芸術に魅せられるとはどういうことなのか。それでも音を掻き鳴らさないではいられない人間の可憐さのようなものが感じられても来るのだ。さらにこれは「放浪と定着」の映画でもある。村人は二人の盲人を神として歓迎するが、定着は許さない。おそらく定住したらただの乞食になってしまうのだろう。民俗学的なテーマでもあろうが、芸術=非日常のありように関する問題でもある。大きな争乱を一気に鎮めてしまう力は偉大であると同時に恐ろしくもある。そのようなものには居座ってもらっては困る、時々訪れて去っていくのが一番いい。芸術とはそういうきわどい存在なのだろう。謎のようなうどん屋の女将の歌に「誰だって自分の家にはいたくない」というリフレインがあった。女=妻というものがそもそも定住の象徴なのに、その女が放浪へ導く歌を暗示している。彼女はけっこう重要な存在で、芸術に関わってしまった人間の皮肉な運命そのものを操っているミューズなのだろうか。ああ、なんかとても多層的に観られる映画であった。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-20 12:27:19)
257.  レッドロック/裏切りの銃弾 《ネタバレ》 
N・ケイジ、D・ホッパー、J・T・ウォルシュのうつろさもいい。欲望渦巻くスモール・タウンものっていうのか。砂漠の中の無法地帯って感じ。関わってはいけないものに関わってしまう、本来通過するだけだったはずの主人公。間違えられて殺人を依頼され逃げようとするのだが、いろいろな要因によって何度もWelcome RedRockに戻ってきてしまうの。ここらへんのストーリー展開はなかなか。保安官や殺し屋やの出はいりが楽しい。ホッパーによる警官殺しがなければ、悪人以外の犠牲者はなかったことになるのだが、まあ名誉の殉職ということで目をつぶろう。踏切りで列車の寸前に横切るってのは多いが、並走して斜めに追い抜いたのは新鮮だった。慾に溺れた人間たちの町を通過するって地獄めぐりの設定で、彼自身無人スタンドで金を盗まなかった冒頭の姿勢が基調になるわけ。積極的な善人ではないが、悪に染まらずに逃げ切れる、いう。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-18 12:13:05)(良:1票)
258.  シテール島への船出
花売りの老人が幻影であれは実際の父親なんだという見方と、花売りの老人を主人公にして作った映画だという見方と、二通り出来て、そのどちらにも収まりきらない曖昧さに、慎重に宙吊りにされている映画。冒頭のプラネタリウムからして、嘘の宇宙と捉えるか、本物の宇宙を縮小したものと捉えるかで分かれちゃうわけだし。老人の32年後の挫折を、こんなに美しく歌っていいのだろうか、もっとトツトツと語るべきなんじゃないか、という気もし、それはこの映画の構造を「逃げ」ととるか「絶妙な仕掛け」ととるかという判断にもよる。難しいところだなあ。この構造によって、後半旧港のシーンが浮わつかなかったというメリットはあった。映画としての緊張度は断然前半のほうが優れていたが、港の不思議な寓話性は、そのままリアリズムの話で続けられたらちょっとシラけただろう。最初からオハナシかもしれない、という用意がしてあることでスンナリ入れたけれど、これは考えようによってはズルイと言えなくもないわけで、うーん、難しいなあ。けっきょく現実からも理想からも裏切られ、彼が得たのはあの長方形の国だった、という厳しい突き放しを、こんなに美しく描いてしまう監督って。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-13 09:59:28)(良:1票)
259.  さらば、わが愛/覇王別姫
最初のうちは、監督初めての失敗作かと思った。向いてないことをやってんじゃないか、とか。でも中華人民共和国成立以後の部分はピリピリと締まってて、振り返ってみてやはり傑作の部類に入る作品だろうと思った。惨憺たる中国の近代史。その惨憺たるさまを惨憺たるままに描いて、一片の希望だに見せず、ひたすら滅亡の歌を奏でていく 。京劇の滅びに、古代の覇王の滅び、さらに現代における人が人らしく生きる環境の滅びを重ねて、崇高でさえある。主人公の人生は少年時代の訓練から陰惨さを反復する。強制的に男であることを忘れさせられ、錯覚の中に生きていくことを強いられる。競って愛国者を演ずることになる20世紀中国の群衆と、女形を演じ続ける彼との対称。陰惨である。その陰惨は文革の人民裁判にまで持続していく。この監督にそもそも悲劇志向があるのか、それとも中国の伝統なのか。陰惨だけれども極彩色の壮麗な悲劇に仕上がった。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-11 09:57:08)
260.  第七天国(1927)
特に前半がいい。設定が固まるまでは、ムチで打たれる薄幸の娘と大時代なのだが、ニセの夫婦になるあたりからしみじみさせる(それにしても七階まで上がっていく階段がすごい)。とうてい身近とは思えない設定なのに、その細部は一つ一つ納得のいくリアリティで固めてある。物語の強み。警官の緊張が去り、ヒロインが荷物持って去っていこうとすると、チコが照れながら「まだいてもいいんだよ」と言う。まあ、甘いですねえ、でも泣けちゃいますねえ。プロポーズがわりの花嫁衣装。二人だけの結婚式。別れの時、11時。君の姿をしっかり焼き付けておくよ、というチコの眼になった視点、すべて伏線である。ここからガラッと大仕掛けのスペクタクルになって、後半は少し前半に比べ粗くなり、信仰のテーマが少々煩わしくもあったが、二人の生活の部分は実に甘美であり、それだけでメロドラマとして十分堪能。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-09 09:52:14)
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