Menu
 > レビュワー
 > パブロン中毒 さんの口コミ一覧。17ページ目
パブロン中毒さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 914
性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
414243444546
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
414243444546
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
414243444546
>> カレンダー表示
>> 通常表示
321.  ウェルカム トゥ コリンウッド 《ネタバレ》 
とてもとても残念な作品です。千原ジュニアのCMで「残念な映画」と言ってもらいたいくらいだ。 なんでかというと、私はサギと泥棒の映画が大嫌いで、極力見ないようにしているのだが、今回は「サギと泥棒」が無ければ本気で面白いと10点をつけたいくらい笑えるからです。 ソダーバーグとクルーニーがくっつくと、もれなく「サギと泥棒」映画を作っていまして、彼らがそんなに「サギと泥棒」が好きであることに驚きうんざりしてしまうのですが、私はそれ抜きで笑えるものが見たいのです。 確かに「サギと泥棒」でなければ出せない笑いがあるかもしれませんが、逆に「まぬけな犯罪者たち」に飛びつくのは笑いの作り手としては安易ではないでしょうか。「まぬけな一般人」より「まぬけな犯罪者」のほうが笑いやすいのは当たり前じゃないですか。 メイシーが呼び出しベルを放り投げるところとか、赤ん坊ネタはすべて良かったです。ならば、犯罪を持ってこなくても笑えるものは作れませんか。なぜって私のように「サギと泥棒」が嫌いな人のために~。 そして強調したいけど、「他人の持っているものを承諾なしに奪う」という行為に対して、成功すれば英雄扱いでもしかねない勢いの「ソダーバーグ×クルーニー」節には感心しない。 そこには「盗まれるやつがまぬけ」「騙されるやつがバカ」という特異な世界観が確かにあって、逆に成功すると「スマートでスゲーやつ」と本気で尊敬するという価値観があり、そのウラには「まじめにコツコツ働くやつは腰抜け」という本音も隠れている。 私はそういうのを布教することはやめてもらいたいのだ。映画の中くらいいいじゃないか、とは思えません。本作では10万円盗んで器物損壊しただけで「失敗」なのかもしれないが、基本的な哲学は「オーシャンズ」と同じでしょう。 でも、「ソ×ク」が今後犯罪路線を捨てるなんてことはまず有り得ないでしょう。せっかく笑える映画が作れるのに残念な二人だ。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-11-22 13:47:07)
322.  噂の二人 《ネタバレ》 
シャーリー・マクレーンっていいですね~。いいわ~。 いや、ちかごろ経年変化により女性の好みが変わってきたもので。あっ私もいちおう女なんですけど、それはそれとして、ガリガリのモデル体型の女優さんって、なんか味気ないなあ~と思うこのごろ。 ここでのマクレーンは、なんといってもマーサの持つインテリジェンスが隠しても隠し切れず出てしまうその感じ、いいですわー。そしてまた、二人の女優の演技の質の違いから、古き良きスター映画時代からリアリティを追求する時代への通過点を感じさせます。ヘプバーンはこの作品では今までと違うものが要求されているのにスター映画の行き方を捨てられないためにどうしたらいいかわからず、単に「抑え目の演技」になってしまっています。引き換えマクレーンは「俳優の顔が大写しになる」映画の時代が終わりかけていることを知っていて、新しい演技を意識しているように思われます。人びとがよりリアルで、よりナチュラルな映像世界を求め、映画の表現は変わっていくだろうということを予感しているかのようです。マクレーン本人はこの時点ですでにたいへん知的な女性だったのだと思います。まっその後あっちの世界の人になっちゃったりしますが、マーサを演じる女優としては、すばらしいです。 それでまあ、やっぱり私はヘプバーンにほとんど興味が無いんですが、しげしげと見ますと、あんまり美人じゃないですね。なんというか動物顔。色気はゼロです。色気ならマクレーンのほうが全然ありましたね。そんでもって、演技というほどのことは別にしないですね。セリフを読んでいます。 や、セリフ読んでるだけでも全然OKな場合もあるわけです。「ローマ」なんかまさにそうです。ヘプバーンの容姿で、セリフ読んでいれば、成立してる場合もあるわけです。それはそれでいいんです。でも今回は違うよなあ。ちょっとなあ。 これ当時としては相当いい脚本だし、別のちゃんとした女優を当てたら、マクレーンといい勝負で、すごく面白い作品になったと思うよなあ。もったいないなあ。 まーとにかくマクレーンが良かったです。あと、ムダを省いた潔い演出には拍手。 ぜひともカラーで見たかった作品です。緑の美しさが、より哀しみを誘ったことでしょうねえ。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-11-17 21:44:08)
323.  大統領の理髪師 《ネタバレ》 
ソン・ガンホって本当にいいですね~。「殺人の追憶」から好きですけども、この顔で何度も主役が張れるといういうすごさ、主役を張らせるというすごさ、それを受け入れる国民性、韓国の底知れぬ深さを感じます。日本でソン・ガンホ型俳優が主役を張ることは決してないですから(日本人の優男好みは小谷野敦の著書に詳しい)。 そうはいっても、ソン・ガンホはというかカレの顔は役を選びますから、この先も育ちの良さそうな役をやることはありません。役者としてどう思っているのか私にはわかりませんが、ガンホは死ぬまで庶民をやってほしい。雑草魂を演じ続けてほしい。 内容のことで少し言いますと、仙人じいさんのお告げ(?)のうち、「体の病は自分が治すから心の病は父親が治せ」でしたから、ナガンがお茶を飲んでも歩けるようにならなかったのは「心が治っていなかったから」ということですね。 それが、父が新大統領に反抗して袋叩きにあったら歩けるようになった。ということは、ナガンは「権力者に尻尾をふる父」に売られて交番に連れていかれたこと、そのせいでひどい目にあったことを、実は許していなかったし、傷ついた心が修復されていなかったのですね。本人のナレーションではなんにも気にしていないようにしてありますが、実はそういうことです。 ということは、この作品の大きなテーマは「庶民は権力に対してどういう姿勢で望むべきか」というようなことになります。韓国人にとっては不可欠なテーマなのですね。 もうひとつ、私はこの作品を見ていて「人権」という感覚がいかにアジアに適さない「白人が創造神信仰に基づいて頭で考え出した観念」であるものかふか~く理解しました。 アジアには「人類皆平等」とか「子供だけは別扱い」という考え方は適さない、のです。それはいいとか悪いとか置いといて、実際にそうなんですね。この映画の作り手だって、西欧仕込みの「人権」がどんなもんかはちゃんとわかっていますが、作れば「あえて」こうなるのであって、それがアジアなんですよ。 「まだ適さない」なのか「もともと無理」なものなのかは、わが国を含めて人権が輸入されてせいぜい数十年ですから、わかりません。 わかりませんが、この作り手は「現実にオレたちは(アジア人は)こうなんだよ」ということを強力な説得力をもって示していると思う。この強さは理屈を説かれたくらいでどうにかなるものではなさそう。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-11-14 19:19:26)(良:2票)
324.  最‘狂’絶叫計画 《ネタバレ》 
かなりおもしろかったです。笑いながら見られます。 このあと1と2も見てみましたが、あまりに下ネタがきつくて私には向いていませんでした。3の監督さんは限度を心得ているし笑いのセンスがあるし、私はかなり好きです。小ネタもいちいち面白いです。 アンナ・ファリスっていいですね~。今回は「リング」に合わせて金髪になっていましたが似合います。 例によって多少のダメ出しをさせてもらうと、「8mile」を組み込む必要はぜんぜんなかったではないか。これはもう単に作り手の趣味で入れたのでしょうが、邪魔している以外の効果はなかったし。あとは、タビサのコケが不満ですね。重要なコケが2回あったのですが、どちらも不完全なコケで、がっかりです。あれは少女と別人が演じたのではないかと思われますが、コケ慣れていないみたいです。 子役の少年が可愛い!ドツき回されてもけっこう平気というキャラがとってもいいです。それから、大統領ネタもいいですね。どうせならパパ・シーンにやらせたかったところですが、それはムリというものでしょう。マイケル・ジャクソンも意外性があって良かったですね。一番好きなシーンをあげるなら、たくさんあって難しいですが、アーキテクトVSシンディ(フロムマトリックス)でしょうか。メーターを見ないでコインを入れるところからもう好きです。おっさんが床にカタカタ足をつけながら振り返るところなんかたまりませんね。 他にも気の効いた小ギャグがいっぱいで楽しいです。女性の方は、1と2を見ないで3だけ見ることをおすすめします。4もあるらしいですが、CSで放送されるまで待つか~。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-11-02 16:08:32)
325.  私家版 《ネタバレ》 
テレンス・スタンプがどうしても貴族に見えないということを除けば、スマートでよくできた作品だと思います。カレについてはほかの映画でやってきた役どころとの差が大きすぎるうえ、ひいき目に見ても貴族顔ではないですよね。貴族顔ってどんなのかと問われれば、それはダントツでドラマでシャーロック・ホームズを演じていたジェレミー・ブレットです。私はハンニバル・レクターに最もふさわしかった俳優さんは彼だと思っています。英国人はテレンスが貴族を演じることについて違和感は感じないのでしょうかね。日本でいうなら萩原健一が華族を演じるに等しい感覚なのではと思いますが。 復讐とはこうやってするもんだ、というお手本のようなストーリーです。最後まで相手に悟られない復讐こそ、本物だということですね。 そういうストーリーを淡々と見せることを前面に出した作品なのですが、それなら恋人の姪は要らない存在だったのではないかということになります。 なぜ彼女を登場させたのかと考えると、やはり復讐が完結するまでの間にエドワードには何度か「別の人生を選ぶ」チャンスが与えられて、それでも一方を選択したということを強調したいためでしょう。 恋人そっくりの若い女と結婚すれば、自分は初老でも子供だってこれから作れるし、彼が昔得るはずだった幸せを30年後に手にしたことになるかもしれなかったのです。 彼女が言うように、「過去」を選ぶか「未来」を選ぶかという選択をエドワードはしたということなのです。 が、そのわりにはそれについてのエドワードの逡巡はまったく描かれていないので、カレがそんなに悩んだかどうか観客には判断がつきにくい。 若い女との未来に対してどの程度食指が動いたかなんてわからない。 そこんところが、鑑賞後の物足りなさにつながります。もしかすると、尺の関係で姪との重要なシーンがかなりカットされているのでは?カレが犠牲にしたものが「明るく幸せな未来」であったということをもっと強調するべきだったのかも、と思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-10-18 15:17:22)
326.  タロットカード殺人事件 《ネタバレ》 
老いてからのウッディ・アレン作品をいくつも見ていますと、ある知人の言葉がよみがえります~。 その人は広告デザインの仕事をしていましたけど、「人のクリエイティビティは20代で終わる。30代以降は、20代に貯めたアイディアをアレンジして食いつぶしていく」ものなのだそうです。 なんだかこの言葉が最もあてはまるのはウッディ・アレンなのではないでしょうか。 そら、「マッチポイント」のような異色作も出しましたが、アレとて「20代の遺産」だと思います私は。70過ぎて思いついたものではなかろうて。 さて、金髪で若くてガタイのいい女と絡むというマンネリパターンを繰り返しているここ数年ですけども、いいかげん飽きてきた感じは否めない。それなりに面白いですよ。もちろん他の作り手のものとは一線を画していますけど、ハッとするような場面もありますけども、この先何本撮ろうとももう「新しいもの」は出てこないということに今さら気がついたのでした。 アレン作品を見るたびに期待していたのだが、悲しいけれどもカレには一応の見切りをつけるしかない。70過ぎれば「20代の遺産」を食いつぶしても当然ですよね。 ジョー・ストロンベルのパートだけは非常に面白かったです。逆にヨハンソンとヒュー・ジャックマンが絡みだすと極端にスピードが落ちたうえつまらなくなりました。最も寒かったのはヨハンソンとアレンの絡み部分で、見た目がどうとかいうよりも「無理」という言葉が浮かんだ。 ジョー・ストロンベルを前面に出してカレを主役にしたらよかったのでは~?カレだけがキャラ立ちしていてあとは霞んでいましたね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-09-30 15:26:38)
327.  リング0 バースデイ 《ネタバレ》 
「2」に比べればよっぽどマシでした。なるほど「予言」の監督さんですね。「予言」は悪くなかったです。 たぶん…監督さんは…仲間由紀恵を使わなければいけないことにさんざん苦しんだでしょうねえ。彼女もがんばっていたし、撮るほうも工夫をしていましたけど、しょせん「仲間由紀恵」ですから。 こういうホラーの主役に「仲間由紀恵」。よりによって、明るい日本元気な日本の旗印となっている彼女です。どういう配役じゃ。 どっちかといったら、麻生久美子でしょう。暗さは充分だし、全国的にはまだメジャーとはいえないし。ただし、受け口で顔が細いため長髪が似合わないという致命的な欠点が。 全体的には悪くなかったです。努力のあとがうかがえます。 しかし、貞子=仲間由紀恵。やっぱり無理です。 あとなあ、スーちゃんが拳銃を握って走っているほどミスマッチな画もないですよね。 スーちゃんのような純日本人体型の女性にはこの役はムリ…。スーちゃんにダークカラーのパンツスーツはダメです。スーちゃんが紋切り口調で話すのもダメ。なぜここにスーちゃんをもってきたのでせう。 ラストの一工夫も良かったと思います。努力賞、でもキャスティングがダメで賞。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2009-09-24 13:47:19)
328.  刑事グラハム/凍りついた欲望 《ネタバレ》 
02年のブレット・ラトナー監督作のほうを先に見ていたために、あまりにそのまんまで役者が違うだけ、というシーンに思わず笑ってしまいます。つまりはラトナーがまんまで撮った(部分が多い)というだけのことですが。 もちろん、ラストは違いますけど、これはこれでリアリティを重視した結果であって、その件だけじゃなく実は私はマイケル・マンのほうに軍配を上げたいと思ったです。変ですか。 まあまず、レイフ・ファインズをフランシスに配したことが…比べてみてはじめてわかるラトナーの通俗さ、というか志の低さの最たるものだったことだなあ。 ラトナーは通俗メロドラマが得意であって、それはそれで楽しいものなんですが、マイケル・マン作のほうを見てしまうと「ダメだファインズでは」ということがはっきりする。…かっこよすぎるじゃんレイフ・ファインズじゃ。 んでリーバとのシーンなんかはほとんどおんなじなんですけど、作り手が違えば違うのでして、「明らかに醜い」役者を配したことによって、リーバとの一夜が明けたあとのフランシスの涙の意味が観客にちゃんと理解される。ああ、カレはその醜さゆえに己の肉体が他人に愛されることなんて想像もできない人生を歩んできたんだなあ、と。んでまた戻りますけど、ファインズではこの味が出せなかった。だってそこそこかっこいいんだもの。ここらへんはマイケル・マンの圧勝だ。 残る問題はピーターセンなのかもしれないが、意外とマッチョではないうえかなりのO脚だったカレは、今では立派なメタボおやじとしてCSIドラマの専属と化しているのだが、「顔」以外の要素がマイナスばかりの主役ということになるわけだが…可も無く不可も無くとしておこう。今回は完全な脇役だと思う。 マイケル・マンがピーターセンを起用したのはもしかして、ヒーロー然とした役者がイヤだったからかもなあ。ぶよっとしたボディにO脚って、アメリカの男優じゃなかなかいないからなあ。…なんかまとまらないけど、ラトナーのは「物語」としてはよく出来ている、マイケル・マンのは説得力があるような気がします。比べて見ることをおすすめします。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-09-03 16:11:27)
329.  アトミック・ハリケーン<TVM> 《ネタバレ》 
コレはなかなか拾い物です。 どうでもいいけど田村英理子がどんな英語をしゃべるのかと思って眺めていたら、ついつい最後まで見てしまった。…こういうのがけっこう拾い物な映画です。 そして、脚本も演出もなかなか「わかってるじゃん」なのです。 1、アメリカ映画なのに、アメリカらしいヒーローを1人も出さなかった。…パニック映画でこれをやるとは間違いなく意図的であり、そしてスゴいことです。 2、「どうせB級」であることを逆手にとって、大人にも通用する笑いを目指した。 3、パニックものだからといって人間関係を単純化せず、善玉悪玉の概念を排し、ラスティとリンダの複雑な関係を軽妙な会話で彩って楽しませた。大人~。 4、パニック映画にお約束のサービスラブシーンを排した。万歳!もともと要らないんだよんなもんは。 そんなわけで、いたく感心してしまいました。B級魂とはこうあってほしいものです。 さて、リンダ役のラテン系美女ジェイミー・ルナーは10年くらい前のロングヒットドラマ「プロファイラー」の最後のほうに出た女優さんです。だいぶ体型がゆるんでいましたが、顔の小ささが変わらないところはさすがに女優。 私はけっこうこの人が好きで、ほかのドラマに性転換した元男性の役で出ていたりして腰が抜けたりすることもありましたが、雰囲気のある女優さんだなーと思っています。 あとなあ、ラスティ役の俳優さんはなかなかのものですね。善玉か悪玉かわからないという微妙さを、うま~く演じました。それに、脱いだらいきなりマッチョだったというのも…とてもアメリカの男優さんらしい。 とにかく私はこういうの好きです。自分がB級ぶんの制作費しかもらえなかったら、こんな感じに仕上げるような気がします。これからもラブシーン反対運動を続けて行きたいです(べつになにもしてないけど)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-08-11 14:15:25)
330.  Q&A 《ネタバレ》 
怪演といえばニック・ノルティ。ニック・ノルティといえば怪演。 選んでいるとしか思えないほど異様な役どころばかりやるノルティだ。というか本人も異様な人物らしいので当然か。 そんなノルティの出演作の中でもひときわ異様さが光る本作のブレナン刑事。なんといってもそのゲイ志向が…強烈です。 フツーに男が好きならどうということはないのに、ゲイを軽蔑しているのに実は好きであるという屈折したところが…ブレナンの人間くささを感じさせる。 が、本作はブレナンにノルティを使ったことで根本的に失敗してしまったと思う。普通にノルティを使ったらそれは「野獣」に見えてしまうのです。悪徳刑事ブレナンが野獣だったらあまりにもあたりまえじゃないですか。 だもんだから最後に刑事部屋でキレてあっけなく死んでしまうあたりも「まあそんなことだよなあ」という感じでいまいち感慨を呼ばないし、それどころかゲイを襲っても「野獣だから」で済んでしまったりする。だっていかにも野獣だし。 それではつまりません。ブレナンはもっと複雑でしぶとい男でなければ。 女のことでメソメソ悩み続けて島まで追っかけていって終わってしまうティモシー・ハットンは自分で言っているように「弱さ」の象徴なのでしょう。「社会」とか「悪」とかから逃げて行き着くところが必ず「女」のとこだというのがアメリカ人らしいですね。クインのような悪人が当選して政治家になろうが関係なくて、それよりも女とよりを戻すことや母親の遺族年金や父親の名誉のほうが重いのです。 彼は一言でいえば志の低い男です。ある意味ではブレナンよりもダメなやつといえるかもしれない。なので、ライリーをあまり美化するべきではなかったでしょう。ハットンの見た目的なものも手伝ってなんとなくウブなお坊ちゃんに見えていますけど、本当はクイーンズで育った下層階級出身のアイルランド系アメリカ人なのです(ブレナンだってアイルランド系ですね。)。なんかごまかされている気がしますね~。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-05-28 16:11:48)
331.  リトル・チルドレン 《ネタバレ》 
すごく疑問に思いますが、ボイスオーバーで丁寧に登場人物の気持ちを説明する必要があったのでしょうか。どうなんだろうこれ。なにか観客をバカにしているような気もする。 ボイスオーバーを全部やめてみたら、もっとミステリアスな感じになって質が上がったのではないかしら。 なかなか良く出来ていますし、俳優陣も女優は有名どころが2名出ています。が、男優はほぼ全員無名。 私は思うのですが、ケイト・ウィンスレットが出ると彼女の迫力にノックアウトされて逆効果になりやすいのではないでしょうか。あんまりにも存在感がありすぎるのです。 ジェニファー・コネリーだってじゅうぶん印象的な女優なのに、ウィンスレットと一緒に出てしまうとすっかり霞んでしまうというこのていたらく。バランス的には、ウィンスレットを出すのなら「アイリス」のように回想場面とかに短時間程度にしておかないと、こういうふうに全部食われてしまって「ウィンスレット以外何も残らない」という悲惨な状況に。 内容は…不倫を実行するまでの物語配分が短いので「非日常」というふうに捉えにくいかなと思います。それになんたってウィンスレットですから…何をやっても不思議ではない気がしてしまう。 不平不満を解消するために違う生き方を求めても、結局は新しい人生でまた不平不満にまみれた生活をすることになるのだよ、という話だと思います。サラだって、あの大きな家に越してくる時は、ブラッドと駆け落ちを決めた時のように幸せいっぱいだったはずですから、駆け落ちしたらしたでまた不平不満に満ちるのです。現状を変える努力をしないで新しい人生に乗り換えるのは単なる無駄といいたいのでしょうたぶん。 サラが求めるような絶対的な幸せなんてものはないのかもしれません。そこで思い出すのは変態ロニーのママのことです。息子は変態で治りません。彼女はそのことをわかっていますが、変態有りのまま息子が今より幸せになれる方法はないものかと、あきらめないで探します。絶望はしないのです。 息子の変態をどうにかしようとじたばたしたり、泣きわめいたりすることよりも、「それ込み」でより良い状況にならないものか、と行動にうつすのです。とてもとてもすごいことかもしれません。 さて変態夫を持つサラは今後、このママの生き方を学ぶのが良いでしょう。不平不満が他人を動かすことは決してないということなのですね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-15 18:00:37)
332.  モーテル 《ネタバレ》 
すごく低予算なのではないでしょうか。2大スターも、あんまりギャラをもらっているとは思えません。そしてそのわりには、意気込みが感じられる、まじめな一作です。 夫婦の不仲も、迫り来る危機のためにわざと用意されたようではなく、うまく撮られています。この状態でスリラーにならずに延々と進んでも面白そうなくらいです。 妻の最後の戦いの驚異的さはともかく、途中はあくまで地味に、というかルーク・ウィルソンがスーパーマン並みの働きを決してすることなく進むのが良いです。 ただ残念なのは…やっぱり復縁してしまうのね、です。 危機が迫れば協力しあうのは当然ですからいいんです。でも、離婚届を出そうとまでしていたのに、愛してるわブチュって、それじゃー、ありがちなパターンだし男に都合が良すぎる…。 この危機を乗り越えても、夫婦の関係がうまく行かない、という根本的な問題が解決されたわけでは全然なくて、夫の性格が劇的に変わるということは無いのです。 できれば妻に「それはそれ。これはこれ。」と言って欲しかった。まじめな作品ですがツメが甘いような気がします。
[DVD(字幕)] 7点(2009-03-14 22:25:14)(良:1票)
333.  アイリス(米英合作映画) 《ネタバレ》 
地味だけれど、しんみりとしたいい作品です。 ジョン役の俳優さんが、ヤングと現在で同じ人かと思うほど雰囲気が似ていました。クレジットをしげしげと見るとやはり別人ですよね。大したものです。 アイリスは…残念ですが小柄で釣り目(白人にしては)のデンチとケイト・ウィンスレットの顔には隔たりがありすぎる。これは別人です。デンチにこだわらなくてもよかったのではないか(どうせあんまりセリフないし)…ていうとウィンスレット優先思考みたいですが。 2つくらい言いたいことがありますが、認知症について。この作品を見ていると、認知症にかかるとは、まるでやりたい放題にふるまった若い時代に復讐されているかのようです。人生は必ず収支が合うようになっているのだと。 なんの根拠もありませんが、それはそうかもしれない、と思う。アイリスの奔放ぶりを見せつけられますと。いっぽう地道な性格のジョンはボケていない。地道に生きてもボケる時はボケるのでしょうが。 人が老いると、体にガタが来るか頭がボケるかどちらかのタイプだとよく聞きます。「徘徊老人」は体が比較的元気だから発生してしまう。もしも老化のタイプに選択の余地があったならどうしようかと迷う。認知と見当識を失うことはひょっとして快適なのだろうか。 もうひとつは男性の選び方について。アイリスは尻軽でしたが男性の好みは良かったのです。 男性を選ぶ基準はなんでしょう。スポーツや旅行やセックスはどうせ老いればできなくなります。見た目もいずれ衰えます。それなら当然お金です。 お金で選ぶのが嫌だとか、お金で選ぼうにも相手に選んでもらえないとかいう場合、アイリスのように選ぶのが正解ですたぶん。死ぬまでにどれくらい笑わせてくれるか、です。 アイリスが「笑い」基準で選んだということは、ラストのジョンの言葉に象徴的です。明日、妻が死ぬかもしれなくても、前の日にはすかさずジョークを用意するのです。…。ちょっと泣けますね。 日本のすべての女の子たちよ、お金はもちろん大事だが、アイリス基準で選ぶのもアリだぞ。その効果は数十年後にきっと出るぞ…。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-11 21:02:24)(笑:1票)
334.  酔いどれ詩人になるまえに 《ネタバレ》 
運よくブコウスキーのドキュメンタリーと続けて見ることができたために、作り手の意図もよくわかったし、ディロンが良く勉強して役作りしたこともわかった。 ブコウスキーオールドパンクとセットで見て初めて良さを感じる作品ですたぶん。 とにかく似ている!ディロンが似ています。肩をすくめたような姿勢といい、穏やかで人を食った物言いといい。 この映画だけを見ると、「ここに至るまでのブコウスキー」と「この先長い人生を生きたブコウスキー」が無いために、社会不適応者でアル中の30男の日常、というだけなのであんまり面白くはない。 が、「6歳から11歳まで父親にムチで殴られた少年」が、「天才詩人としてカルト的人気を集めて74歳で白血病で死ぬことになる」までの「中間」の風景をそのまま切り取ったものであるとして見てみて初めて価値を持つのだと思う。被虐待児の成長後の姿ともいえるし、また天才の不遇時代の姿でもある。その意味では映画としては未完成、ブコウスキーファンにしか消費されない…ともいえる。 「まだ何者にもなっていない時代のある男性」として見ることで、ブコウスキー本人が言っていたように「種火を消さないことこそが重要」という人生訓として見ることができなくもないが(本人は成功訓とか人生訓とか垂れるわけはないが)。実際、滅茶苦茶な生活をしていてもチナスキーが作品を出版社に送り続ける(ポストに入れる)場面は一貫して挿入されている。 さて現実のブコウスキーのしゃべり方は「ブルー・イン・ザ・フェイス」で見たルー・リードにそっくりであった。これは逆で、ルー・リードが真似たというのが正しいのだろうたぶん。出身地も生息地も全然違うのに、話の内容も似ているし、目をつぶっていたら間違えそうなほど似ていた。ルー・リードが故意に真似ていないとしたらとても不思議だけど、共通しているのは「諦観」のようなものだ。 ミッキー・ローク主演作のあまりの不出来ぶりに腹を立てていたブコウスキーに見せたかったディロンのそっくりさんぶり。おっさん喜びすぎてあの世で心臓発作でも起こしかねないな。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-09 14:44:15)(良:1票)
335.  リービング・ラスベガス 《ネタバレ》 
原作者のオブライエン氏は非情にマジメな性格だったのだと思う。 彼の遺書ともいうべき「リービング・ラスベガス」のベンがそうであり、映画化決定後に「ちゃんと」自殺しているところからそう思う。 この「マジメさ」というのはとても「アメリカ的」なマジメさで、ヨーロッパにもアジアにも存在しない感じがします。「バカなマジメさ」「ウブなマジメさ」とでもいうのだろうか。 どうあっても酒がやめられないことがわかっているので、どうせなら積極的にこの肉体を酒に呉れてやろう、酒のせいで社会的に葬られたのなら、肉体的にも酒に滅ぼされてやろう…というようなマジメさです。約束どおり最後の瞬間までボトルをあおります。マジメです。 そして、この「アメリカ的なマジメさ」はベンのみならず、オブライエンの創造物であるセラもそうなっていて、彼女はとても「マジメに」売春をやっています。客の財布から札を抜いたりしませんし、まっとうな男性を間違えて誘ってしまったときは、直ちに謝ります。 この二人に足りないのは「ずるさ」とでもいいましょうか。とてもマジメに生きているけど、結果的に「社会のゴミ」的存在になるのです。ゴミ同様に、どこに行っても掃き出されるのです。 作者は、「ゴミの気持ち」「ゴミの主張」「ゴミの死に様」を書いてみたのではないでしょうか。そういう表現もありだと思います。でも、彼がずるいと思うのは1人で死ねないところですね。 可愛くて心優しい娼婦に最後を看取られて死にたかった…ベタな男の願望がまんま出てしまったところがNGです。傷ついた娼婦と心を通わせでもしなければ死ねない、というのがオブライエン氏の本音なのでしょうが、女はそういう都合に合わせて存在しているわけではありませんから、現実の世界では。 なので、私はこれはベンの妄想の世界と解釈しています。セラという名の売春婦と出会ったかもしれない、でも、彼女が情をかけてくれて、面倒を見てくれて、最後を看取ってくれたというのは願望で妄想です。自分が死んだあとも、愛していたと言って泣いてくれたらいいな、です。 リービング・ラスベガスは中野翠が絶賛していたために長いこと見る気がしませんでしたが、べつに見なくてもよかったような気がしますやっぱり。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-08 16:07:25)(良:1票)
336.  スタンリー・キューブリック ライフ・イン・ピクチャーズ 《ネタバレ》 
管理人さま、キャスト等完璧に編集していただいて恐縮です。 トム・クルーズがナレーションを務めるうえ、2時間半にもおよぶという贅沢なドキュメンタリーです。初期の小作品から、遺作となった「アイズ ワイド シャット」まで、もれなく触れているうえ、大作には時間が割かれており、所詮はキューブリック礼賛フィルムとはいえ、誠実なつくりといえましょう。 出演者の言葉のうち、印象に残ったものをランダムに上げます。 「彼は自分以外の誰からも影響を受けない」アレックス・コックス。 「彼は人間に多くを期待しない」ニコール・キッドマン。 「現実的映画ではなく、映画的現実を求められた」ジャック・ニコルソン。 「彼の作品1本は、他の監督の10本分の価値がある」ウッディ・アレン。 「友達になったつもりでいたのに捨てられた」マルコム・マクダウェル。 笑えるのが、「ビル(アイズ ワイド シャットの役柄)は自分と全然違う」と言い切ったトム・クルーズで、「なぜならビルとは、感情を表さず閉鎖的で、日常性と安定を望み夫婦関係を無視し感謝の気持ちが無い」からだと語れば語るほど「それはまさしくあなたのまんまですね~」とほくそ笑みたい気分だ。そこんとこを当然ふまえていたと思うとなおキューブリックの意地悪さに感心する。 優しい両親がそろった裕福な生い立ちから、なぜキューブリックのように他人に期待せず、徹底的に神を排除するという突然変異的人格が発生したのか興味深いです。動物と病人にだけは優しかったというのも…彼にとって「非戦闘員」という意味なんでしょうね。 あたためていたが不発に終わった企画の件も、興味深い。「ナポレオン」と「ゲッペルスとホロコースト」だそうだ。ホロコーストのほうは、スピのシンドラーとかぶってしまったためボツになったというが、とんでもない話でスピのシンドラーなぞより何倍も価値があって〝残る〟作品が見られただろうに…見たかった、惜しい。「AI」だって、技術の進歩を待つために延期したことが悔やまれるなあ。「君のほうが向いている」と名指しされたと豪語するスピだが私は話半分だと思う。 なにしろ誰もがキューブリックを礼賛するが、俳優陣は口をそろえて「でも二度と一緒に仕事をしたくない」と言うのです。そうやって天才は傑作を編んだ、「だから天才」なのですね。合掌。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-04 16:32:23)
337.  ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実 《ネタバレ》 
あまりにもお粗末なドイツ当局の対応に、衝撃を感じた。 だいたい、戦場でもないのに2時間も銃撃戦が続くということが異常である。そして、ドイツ側が複数の同士討ちをしてしまっているという悲惨さ。「夜の闇」を利用しようとしたが完全に裏目に出た結果となった。 もっと驚くのは、ドイツが生き残った3人の犯人を、裏交渉によりハイジャックを装ってシリアに引き渡したということだ。なんという腰抜けぶり。開いた口がふさがらないとはこのことだ。 死んだ犯人の遺体まで返還してやる親切ぶりで、彼らは英雄となった。ドイツはテロに対して無力であることを自ら認識し、今後のテロ攻撃の対象としないことを条件に要求に応じた…らしい。 「超法規的措置」の日本人がこういうことをいうのもおこがましいが、これでは死んでも死にきれまい。 イスラエル選手は無駄死にとなり、怒ったモサドは復讐する。 が、アフリカに隠れているというたった一人の犯人の生き残りが、顔を隠してインタビューに応じた(ことになっている)。 さて、これは本物でしょうか。私はやらせだと思います。他の2人が殺されて、どんなにお金を積まれても今の彼には安全に勝るものはないはずだ。しかも「アフリカにいる」とわざわざ情報提供しているのはなぜなのか。 もしも本物だとすると、彼が出演した目的は「金」か「あの事件の正当性を主張するため」しか有りえない。 しかし、やらせだとすると、「どこかに隠れている本物をおびき出すため」に、偽者を出してわざと違うことを言わせて怒らせようとした、と考えられないだろうか。 モサドですら発見できないこいつの居所をどうやって突き止めたのかという疑問もあるし、タカが映画のために危険を冒してインタビューに応じるなどとはとても思えない。 さて、非戦闘時に非武装の一般人を殺したり監禁したり虐待するのは、普通の人には許せないが、犯人たちにとっては「テロ」ではなく「ゲリラ戦」の一部だったので、ちっとも悪いとは思っていなく、アラブ世界では英雄になったのである。そして、イスラエルはオリンピックで人質事件を起こしたりしないから紳士的なのかというと、きっとそうではないからここまでされた…のである。 すると、「テロ」なのか「ゲリラ戦」なのかとか、一方的にテロリストを憎むことで済むのかということになってくるが…個人的にはやっぱり嫌だ。これは平和ボケというものかしら。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-02-21 15:04:03)
338.  テルマ&ルイーズ 《ネタバレ》 
ええ私の場合はラストシーンがフリーズした瞬間にですね、あっこれはテルマにハメられたということではないかと思いました。 テルマは単に脳タリンということではすまないのではないか…と、ラストまできてやはり思うのです。 冒頭でテルマが旅支度をしながら自ら銃をつまんで入れる場面を監督は見せています。銃を持ち出したのは偶然でも間違いでもなくテルマの意思…ということでいいのだと思う。 危なそうな男ハーランと散々ダンスしたうえ、二人きりで駐車場へ行ったのは考え無しで無防備だからなのか? そして、モーテルでJDに大金を持ち逃げされますけど、これは偶然ということで処理できるだろうか。どうみても怪しい青年JDを部屋に招き入れ、翌朝彼を残したままルイーズのいるカフェに来る…これはみんな偶然で、テルマが脳タリン女だからなのか? そして、テルマが強盗したことで、ルイーズの頭の片隅にまだ残っていたはずの「警察に行ってすべてを話して正当防衛でなんとかする」という選択肢をぶっ壊したのも偶然? 私はテルマがどこかの時点で破滅へ突き進むことに決めていて、恋人の待っているルイーズをハメたのだという気がどうしてもするのだ。 それから…ここではテルマとルイーズが出会うほとんどすべての男性が性的捕食者のように描かれていますが、そういう撮り方こそがやっぱり男性的なのだと…思うのです。 行く先行く先で、エロい視線で見られ、エロいジョークを言われるのはなぜかというと、男がバカだというのはひとまず置くと、まずは彼女たちがそれなりに魅力的であるからです。 本当にセクハラから逃げたいと思っていたら、デブで不細工になれば一応は解決するので、おしゃれをして酒場に行く彼女たちは「セクハラはされたくないけどそれなりにチヤホヤされていたい」という矛盾した欲望を捨てられないということです。 そこのところは全然触れないで、「レイプしようとした。男が悪い。エロジョークを言った。男が悪い。」ということで全部済ませていますが監督は自分が男なので、「デブになれば」などと口が裂けても言えないのです。 ふたりは死ぬことで「もう二度とセクハラされない」という意味での「永遠」になったのだが、そのためにはリドリー的には死んでもらわなければならなかったのだから、やはり彼女たちを罰してバランスを取ったということになるのだろうか…。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-01-05 18:59:04)(笑:1票) (良:1票)
339.  ロード・トゥ・パーディション 《ネタバレ》 
この映画の核となるシーンを一つ上げるとしたら、それはまちがいなく聖堂の地下でジョン・ルーニーとサリヴァンがサシで話をする場面でしょう。 この短いシーンのルーニーのセリフにすべてが集約されていて、マイケルがどうしてこんなことになっているのかが簡潔に説明されているし、このさきのマイケルの行動はここでルーニーが言ったことを実行しているにすぎず、ここからさきのシーンは「ほらルーニーが言ったようになったでしょう」という説明のようなもの…になっている。 この話の人間関係はジョン・ルーニーを中心とした衛星群のようなので、彼がすべてのものごとの中心となっている。亡きニューマンを思いきりフィーチャーした映画…と私は思います。 人殺しを職業にしている人間が普通の幸せを達成する権利は無いのであって、いつもそのことを念頭に生きているはずなのにマイケルは自分にも幸福な家庭を営む権利があると勘違いしていたので、ジョン・ルーニーはそのことを言っています。「わかっているだろ。俺たちは天国には行けないんだ。」なんというシブくて重い言葉でしょう。カトリックの彼(やお仲間)がすでに天国に行けないとわかっている人生を生きているというのは、想像を超えるほど無茶なことなんでしょう。 基本的にルーニーにしろマイケルにしろ他にちゃんとした職業に就ける見込みがあったなら、好き好んで裏の世界の仕事をするようにはならなかった人間たちなのでしょう。 けれどそういう(天国に行けないような)人生を生きるならば、人並みの幸せはあきらめなければいけないのです。マイケルはプロとしてワキが甘い男だったのです。 天国に行けない彼らは、せめて息子を天国に行けるようにしてやることが務めなので、ジョン・ルーニーはすでにその望みは絶たれたが自分が罪を背負って墓の下に持っていこうとします。 マイケルはやはり最後にひとがんばりして禍はすべて自分が背負っていく。 とてもクッサい話…といえばそれはそうなのだが、罪深い二人の父の最期はなぜか心に残ります。特にニューマンは死んでいるし。トム・ハンクスは人殺し顔ではないので難はあるが、逆に意外なほどフツーぽいほうが闇の仕事人としては実践的といえなくもないかもしれない。 なぜか視聴後に後を引く作品です。 ジュード・ローはこれで頭頂部の毛を抜いたのがあとでたたったというのは本当だろうか。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-01-01 14:13:20)
340.  終わりなし 《ネタバレ》 
日本人にはほとんど発音できないし覚えられないという気の毒な名前の監督ですな。おかげで、なるべくならこの人を無視して通り過ごしてしまおうなどと思ったりしないでしょうか。 そんなものぐさは私だけでしょうが、この作品は日照の少ない国らしい独特の暗さが炸裂していました。 ほどよく日が当たれば人々は笑顔になり、あんまり日が当たらないとへの字口になる。 あんまり日が当たらないだけでなく、暖房しないと生命の維持ができないようなところに住むと、とても険しい顔になってきます。ポーランドというところはこの当時政治状況も悪くて、男も女も人はみなとても険しい顔をしています。私はそれがなにより怖い。 その険しい顔の男女しか出て来ないこの作品では、二人の女が夫を取り戻そうと四苦八苦します。 1人は生きた状態で夫を確保できたけれど、たぶん心は取り逃がしてしまったのでしょう。 もう1人は夫を取り戻すために自分があっちの世界へ行ってしまう。 この話では、弁護士秘書以外の大人も子供も男も女もそれぞれの人が私的な欲望だけで動いていて、それは最後までそうなのです。 しかも、死んだ人間までそうなので、アンテクの亡霊はこういった場合にお約束の「妻子の幸福を願って」いるのではなくて、妻を呼び寄せようとしているように感じられる。そして?マークとか突然のエンジンストップとか黒い犬とかで死人が現世に直接作用してしまうという特異な展開により、ウラはアンテクの存在を信じてしまうのです。 アンテクの霊が存在することを確信したからこそ、自由にコミュニケーションが取れる状態にするためには自分がそっちに行くしかないという選択をすることになるのです。 「社会のため」「組織のため」「友人のため」「子供のため」とかいう「自分以外の誰かのため」という行きかたを全部捨てて、ウラはアンテクのところへ行くので、ひたすら個人的な目的を達成したといえる。 ウラが子供を捨てたことも充分に意外ですが、死人が〝善人〟にならずに私的な欲望のために動くというのも洋の東西を問わず常識を裏切っていると思います。私は観客を裏切ってくれる映画が大好きなのだが、コレに関してはどうも喜べないイヤ~な気持ちで終わりますね。所詮は凡人なので、「死んだお父さんは、妻子の幸福を願い見守っている」と思いたいのです。  
[CS・衛星(字幕)] 7点(2008-12-24 19:05:54)
080.88%
130.33%
2101.09%
3454.92%
4717.77%
515116.52%
614916.30%
718320.02%
818119.80%
99310.18%
10202.19%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS