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口コミ数 940
性別 男性
自己紹介 このサイトのおかげで、映画をきちんとみるようになり、そして、様々な素敵な映画と出会いました。ありがとうございます。

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21.  名探偵コナン ゼロの執行人 ネタバレ 
安室さんがコナンに協力してもらうためだけにおっちゃんを逮捕してしまうというラストが腑に落ちず、後味が悪く作品  本物のファンは何回も観に行く 一度しか観なかった私には、無茶苦茶なカーアクション&定例のコナンキックの展開についていけず、正直楽しめなかったです
[映画館(邦画)] 3点(2025-04-23 17:29:13)
22.  シン・ウルトラマン
感心したところ ①昭和のウルトラマンというコンテンツを、うまく串刺しにしたところ ②ウルトラマンや禍威獣の造形 ③特撮の美しさ ④ザラブの津田健次郎の声の演技  残念過ぎるところ ①役者のみなさんがまともに発語できない冗長な台詞を多用して台無しになっている脚本 ②意味ありげで意味のない説得力も演出効果もない角度からの撮影 ③長澤まさみにリクルートスーツ・ハイヒールを履かせてローアングルから撮影するという悪趣味な昭和的な映像 ④禍威獣という意味のない醜い言い換え ⑤禍特対という意味のない醜い言い換えと、本設定とは異なるソフトパワーの官僚出向者のチームとしたリアリティのない設定 ⑥もはや使いつくされた、首相官邸や官僚・政治家のもっともらしい、しかし実は全くリアリティのないやり取り ⑦台詞棒読み、学芸会レベルの芝居しかできず、作品を無茶苦茶にしている役者たち
[インターネット(邦画)] 4点(2025-04-23 13:48:44)
23.  ギリシャに消えた嘘
原作は読んでいないのですが、申し分ないんじゃないかと想像します リプリー・太陽がいっぱいや見知らぬ乗客なみの奥行きと緊張感はなんとなく感じるんです  ヴィゴ・モーテンセンはもちろん、オスカー・アイザックはよい芝居をしています  デイジー・ベヴァンは本当に美しいです   だけど、なんだか切れがないんですよね   キルスティン・ダンストが冴えない(演技もルックスも)だけじゃない 演出とか脚本とか監督のせいなんですかね?  1960年代を感じさせないし、なんだかよくわからないけど、緊迫感なく、だらだらと話が続く感じです   この原作でもう一度ちゃんと撮ってほしいと思います ヴィゴ・モーテンセンが現役のうちに、ぜひ
[インターネット(字幕)] 4点(2025-04-19 22:38:59)
24.  天城越え(1983)
原作は短編で、至極シンプルで、作者の伝えることシンプルに伝わる佳作なのに、映画にした途端に、冗長でわかりづらく退屈な駄作になってるのは何故なのか  単に映画化に向かない作品を映画にしてしまったからなのか、脚本や監督や俳優が下手っピーなせいなのか、日本映画が堕ちるところまで堕ちているからか、よくわからないけれど、すごく残念な気持ちに包まれる作品である
[インターネット(邦画)] 3点(2025-04-18 04:45:18)
25.  ボヘミアン・ラプソディ
クイーンやフレディマーキュリーって、こんなだったんだねーっていう情報の方に圧倒されて、フレディをよくここまで演じ切ったなあという感想にはあまり至らなかった  クイーンが色モノだったなんて1ミリも感じてなかったもんなあ とにかく単に音楽がかっこいい、としか当時の日本人たちは思ってなかったんじゃないでしょうか だからあの要望も、きっとかっこいいんだろう、と少なくとも私は感じてました  そしてその後のことだけれど、あの時代のエイズへの恐怖も今になると、不思議な感じがする  TOHOシネマズ 六本木ヒルズにて視聴 11/19/18 with A oh
[映画館(字幕)] 7点(2025-04-17 23:49:46)
26.  はじまりへの旅
ヴィゴ・モーテンセン主演ということで視聴  ストーリーや脚本の説得力の無さを、俳優の演技でカバーしてる、という感じでしょうか  妻との関係とか出会いとか、なんであんな教育になったとか、多分設定にはあるんでしょうが、脚本的には全て無視して、俳優さんのお芝居でなんだかお話の世界に引き摺り込まれました  きちんと育つって重要だな、この作品のテーマとは多分全然違う妙な感想を持ちました
[インターネット(字幕)] 6点(2025-04-17 21:45:12)
27.  影の車
橋本忍脚本野村芳太郎監督のペアが頑張ってはいるのだけれども、短編小説を映画にまで拡げた無理がどうしても感ぜられる それに回想場面のエフェクトが、どうにもこうにも気に障る(どうやらものすごい予算をかけて作ったらしいので、引き返せなくなったのだろうが)   昭和40年代の田園都市線の風景が垣間見られて興味深い 金曜日の妻たちは、この作品のオマージュなんだろうか?  それにしても、日本旅行と東京生命保険(現T&Dフィナンシャル生命保険株式会社)もこんな不倫ずぶずぶ作品に、よくぞ協力のクレジットを出したものだ いまじゃ、大変な騒ぎになるぞ
[インターネット(邦画)] 4点(2025-04-17 13:48:37)
28.  ゼロの焦点(1961)
みなさんも書いておられるが、橋本忍&山田洋二のシナリオのテクニックがすごい 何もこんなコンパクトにすることはないんじゃないかと思うが、これはおそらく興行上の理由なんだろうし、それにきっちり答えているのはすごい  まあ、こういうプロットは使いつくされているので、3分の1くらいで、だいたいどんな話になるのかが分かるし、脚本のすごさにくらべれば、監督、音楽、俳優さんたちは、特筆するところはない  しかし、この脚本で、今の日本の監督、音楽、俳優の人たちにやらせたら、学芸会レベルになるような気もする 戦後の日本の歴史の中で押しつぶされそうになりながら、必死に生きてきた女たち、というイメージがあるかないかでもだいぶん違うだろうし
[インターネット(邦画)] 6点(2025-04-17 13:38:09)
29.  グリーンブック
使いつくされたプロットでも、脚本と俳優がしっかりしていると、十分魅力的な映画になるという典型的な映画 (実話に基づく、という付加価値があるにせよ)  個人的にはシャーリーのゲイ行為やシャーリーの生まれ育ちをもうちょっと掘り下げたほうが、映画に深みと共感性が出たのではないかと思う  ヴィゴ・モーテンセンって、ロバートデニーロ以上の怪優ではないかとひそかに思っている
[インターネット(邦画)] 7点(2025-04-17 13:30:37)
30.  この世界の片隅に(2016)
日本人の戦争観のベースにある「被害者意識」  第二次大戦が末期になるまで、侵略や戦争に一抹の不安を抱いてた人はいたんだろうが、庶民の多くは戦争の成果を期待し、メディアや軍そのものを強力に後押ししていた  それなのに戦争が敗れると、打って変わって、国民みんなが、こんなはずじゃなかった、騙された、こんな酷いことになったのは誰かのせいだ、自分たちは被害者だ、と醜悪にも豹変した  そんな醜い姿を、繰り返し繰り返し正当化して美しく描いてきた各種メディア もうそろそろやめてほしいのに、相変わらず、まだこんなのが再生産している ほんとやめて欲しい  祖父母の時代には振り返れられなかったとしても、もう振り返るべき 隣国の人々に不当な嫌がらせや、嘘八百を捏造されるのも、こんな日本人の浅はかさがあるからじゃないのか
[インターネット(邦画)] 0点(2025-04-13 06:48:08)
31.  セント・オブ・ウーマン/夢の香り
アルパチーノはうまいし、ガブリエル・アンウォーは美しいし、クリス・オドネルは堂々としているが、この手の主人公のパーソナリティやこの手のプロットが使い果たされすぎているせいで、何がどうなるかが想像できしすぎてしまい陳腐とかしかいえない作品になってしまった。  作品や脚本や監督や役者のせいではなく、時代のせいなんだろうと思うけれど
[インターネット(吹替)] 5点(2025-04-10 12:37:17)
32.  オリエント急行殺人事件(1974)
ポアロシリーズが好きでだいたい観ているつもりだったが、この作品を見落としていたことに気が付きました  オリエント急行は、この作品以外にも、映画のケネス・ブラナー版(2017)、そして言わずもがなのデヴィッド・スーシェ版があるわけだけど、エラリークイーンの描きたいポアロ的には、アルバート・フィニーのキモさがぴったりフィットする気がした  この手の作品は、ネタバレが命なのだと思うが、ネタバレでも魅せるのは、アルバート・フィニーの演技と卓越した原作の賜物なのだろうと思う
[インターネット(吹替)] 6点(2025-04-09 22:37:06)
33.  ミッドナイト・ラン
デニーロの映画はだいたいみたつもりだったが、なぜだか、これはみていなかった (なんどか冒頭だけは観て、結局終わりまで観なかった)  そして、だいたいこういう映画はあまり好みではないのだけど、これは単純に面白かった~ ロードムービーでアクションありのサスペンスチックでもあり、いかにもエンタテイメントというので楽しめました  デニーロの演技は、こういう映画でもしっかり発揮しますね 個人的には、こういう人格はあまり演じてほしくないんですけどね
[インターネット(吹替)] 6点(2025-04-09 13:58:28)
34.  シェーン
父親が大好きな映画だったらしいです テレビでやっていると必ず見てました 何度も何度もみていたことだけ記憶にあるんです  父親は10年以上に死にましたが、私はその映画をちらっとしかみたことがありませんでした (父親のことを嫌いだったこともあり、一緒にTVの西部劇なんてみなかった)  私もいい加減な年齢になってきたので、父親がどんな映画が好きだったのか、ほんのちょっとだけ気になってみました  まあ70年前の映画ですからね プロットにせよ展開にせよ、あらゆる技術が違ってるんだと思います 1950年代の車と、現代の車を比較しても意味がないのと一緒でしょう  とはいえ、現代に生きる私がみると、技術以前に、ストーリーに説得力がなさすぎです そもそもシェーン側に正義があるのかどうかも分かりませんでした  シェーンと奥さんとの間の、微妙な雰囲気はなんだったんでしょうか?
[インターネット(邦画)] 0点(2025-04-06 23:33:28)
35.  ゴジラ(1954)
「好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧」で9.5点と高得点、うーん、1956年の特撮作品か~と思いながら視聴  もう1956年の特撮作品なので、全然だめでした  「特撮」のすべてが映画をしらけさせる そもそも設定がばかばかしい  1950年代の特撮映画を70年後も見るに値するはずないですよね   しかしまあ70年前の映画にしては、見るに値するといえるかな・・・  小説とか絵画とかと違って、映画って時代の波を超えていけないですからね
[インターネット(邦画)] 0点(2025-04-06 23:25:47)
36.  39 刑法第三十九条 ネタバレ 
井原裕先生「精神鑑定の乱用」に引用?されていたので興味をもって鑑賞  この作品はサスペンスなんでしょうけれど、サスペンスとしては今一つですよね 復讐のために戸籍を変えてたなんて単純でありきたりすぎるし、復讐のためだけに人生をささげている人たちの動機というか背景が弱すぎる  だとすれば、これは刑法39条の批判のために作ったんですかね?  もしそうだとすると、今度は不勉強すぎるんじゃないでしょうか(影響力のない映画でよかった) そもそも15歳の少年の殺人強姦は刑法39条がなくったって死刑にならないだろうに(映画のなかでも少し触れられているのに)、なぜ刑法39条の不条理をそこまで人生かけて追及するのかの説得力を失わせてる  そして、映画をみていて感じるのは、刑法39条の問題ではなく、鑑定医の腕の問題で、「鑑定医の腕によって結果が左右されるのはいかがなものか」ということになると思います 確かに、鑑定がかなり微妙(解離性同一性障害なんていう診断をつける場合とか)な場合はあろうし、そういう場合は複数鑑定がでるということになる(その結果、複数鑑定で鑑定結果が違うので、鑑定が疑わしいということになるのだが、そういう場合は、「精神鑑定を根拠に何かを決定するのは難しい」という判断にはなると思う)  また、最終場面で、鈴木京香が「裁判長、精神鑑定は綿密なデータと知識に支えられていますが、所詮精神鑑定人の主観にすぎないのです。精神鑑定の結果、刑法39条のもとに被告人を無罪にしてしまうことは、被告人の人権を守ることではなく逆に奪うことではないでしょうか」と朗々というのですが、むしろ、これは正しいんですよね(ただし、「所詮精神鑑定人の主観にすぎない」というのは、鑑定人が犯行時の善悪の弁別能力に言及するとすれば妥当だが、前半はちょっと言い過ぎ) 刑法39条というのは、もともとは被告人の利益のためにあるのではなく、被告人が心神喪失という人としての能力や責任を失った状態であるとして差別と引き換えの免責を与えるもの(井原先生は「乱心者」「二級市民」と呼んでいます)なんですからね  刑法39条があたかも「被告人の利益」になってしまっているのは、、①現実を知らぬ刑法学者の「責任主義の乱用」思想、②ひたすら無罪を勝ち取りたい弁護士の近視眼的思考、③専門知識を有する司法官に協力したい一心で、精神科医として判断しようもない「犯行時の善悪の弁識能力」を答えてしまおうとしてしまう鑑定医、の三者の合作ということになるらしい(井原先生の著書を一部を雑駁にまとめました)、そうすると問われているのは、現実的に精神科医ができることに立脚した刑法39条の運用をしなきゃいけないということなんでしょう  森田監督の映画は、「作ったような映画」なのでどうも好きになれませんが この映画も、その1つです  同じようなベクトルに市川昆があるけれど、二人はかなりちがう 私は森田芳光は嫌いで、市川崑が好きです
[インターネット(邦画)] 0点(2025-04-03 21:10:15)
37.  大好き 〜奈緒ちゃんとお母さんの50年〜 ネタバレ 
監督が自分の姉とその娘である知的障害のある姪のことを、足かけ50年近くフィルムに収めており、これまでも4作品が映画化されてきたが、この作品はその集大成のような位置づけらしい ドキュメンタリーではあるのだが、何を訴えるというのでもなくこれがこの監督のスタイルらしい  前3作品をみればわかるのかもしれないが、奈緒ちゃんのてんかんが静岡の病院(おそらく静岡てんかん・神経医療センターのことと思われる)に行くまで見つけられなかった的に描かれていたが、てんかんであることは早々に分かったいたはずで、しかし難治性で、てんかん・神経医療センターにリファーされドラベ症候群と分かったということなのだろう これはまあ、奈緒ちゃんとその母親の体験として描かれているからよいのであるが、客観的にみるとこういうことなんだよという説明がないと「障害を理解する」とか  奈緒ちゃんのお母さんは同じ障害の子を持つ母親と様々なサービスを立ち上げ、グループホームを設立し、どのタイミングか分からないが社会福祉法人まで立ち上げているらしい ちょっと業界のことを知っていると、彼女の家が経済的に余裕があり仲間や協力者を募り行政に訴えかけるという潜在能力をもっていた超特別なお母さんということが分かる しかし、そういう説明がないのでこういうことがよくあることかのように見てしまいかねない  全般に総集編的であるからなのかもしれないが、正確な問題意識を持つためには説明がなさすぎる作品であり、中途半端な理解をしてしまいかねない作品だといえる  それにしても、奈緒ちゃんの父親は、役員になれなかったことをグズグズ言ったり、ゴルフの練習ばかりしていて、妻に毎朝靴を磨かせて、昭和の男はこんな感じだったのかと思うと、情けなくなる 総集編にこういう父親のダメぶりをあえて挿入させたのは、監督の悪意なのか、現実を描こうとしたのか、なんだかすっきりしなかった
[映画館(邦画)] 5点(2025-03-19 19:13:35)
38.  関心領域 ネタバレ 
久々に、自分にささる映画に出会いました  まずは、絵柄がとてもきれいです 描く対象の深刻さゆえに、もちろん映像には最新の注意をこめて撮影や処理したのだと思いますが、それにしても美しく、かわいらしく、素敵な映像です カメラワークやライティングや、様々なテクニックのおかげなのでしょう  この映像に、ちょくちょく不気味な音や、不気味な絵が入る、というのが、とてもささります  そして、私的には、ここで描かれている「関心領域」は、①自分たちの生活が豊かで描いたものであるかどうか、②自分の社会的地位や自分たちの国家・民族が誇りを持てているかどうかというところにあり、それが虐殺するユダヤ人によってもたらされているという非人間的な状況に全く無関心な状況がこの映画の描くところだとすると・・・どこまで意識されてつくられているかどうかが分からないが、最後のアウシュビッツ博物館における③日々生活が淡々と流れる様子(だって、ユダヤ人の大量虐殺という圧倒的な悲劇なんてなかったような淡々とした日常なので)だって、十分関心領域なんだな、と勝手に納得しました   なお、私的にはヘスの嘔吐は挿入すべきではなかったと思います むしろ、しっかりと「凡庸な悪」を演じさせてほしかったです 嘔吐するなんて、なにか罪悪感を感じているみたいで、そんな救いのある描写は不要です
[インターネット(字幕)] 8点(2025-03-14 00:17:37)
39.  イベリン 彼が生きた証 ネタバレ 
この映画をもとに、ノルウェーではゲーム依存症が精神科の診断基準から除かれたらしい、という実に不確かな情報を耳にして視聴  まずは、心をゆすぶられた  そして、なるほど、世の中こんな風になっていくんだなあ、と感心 「性同一性障害」が治療の対象でなくなったように、ゲーム依存も治療の対象とはいえないという考え方が、それなりに感覚的に理解できた  とくにASDの息子と母親がメタバースの中で邂逅するという話は、これが実話だけに、大いに感心した  しかし疑問が2つ残った  1つは単純な疑問  主人公のイベリンのように現実世界での活動が制限されざるをえない人、そして生活するうえでの支援を全面的に受けられる人には、ゲーム依存症なんていう言い方が適切でないとしても、現実世界で経済的にも身体的にも自立することが可能な人については、やはりゲーム依存は治療の対象になるのではないか、ということ これが、ASDやADHDをもちゲームの世界で生き長期的に引きこもりになってしまい生活保護で暮らしているというケースになると、問題がややこしい 少なくとも、現在の日本の一般の感情的には、ゲームの依存をなんとかして減らしましょう、と考えるのだろうと思う  「性同一性障害」の問題と同様、将来は違う考え方になるという見方もあろう 一方で、「性同一性障害」は人類というか動物が誕生して以来もともともっている特性の1つであると考えられるのに対して、ゲーム依存はそうではないから、そうはならないだろう、という見方もあろう  もう一つの疑問は、もうちょっとややこしい  人間の尊厳という問題  イベリンはDMDのために現実社会では引っ込み思案で多くのことをあきらめ「友情も、恋愛も、誰かの人生に影響を与えることも」経験しない生活をおくり(父親の表現)、眠るように去った(母親の表現)そうだ  しかし両親の知らないメタバースの世界のイベリンは、情熱的で女性にもよくモテて(恋愛もして)、その発言はいつも場を明るくするような人だった そして、自分がどほど周囲に影響を与えるかに気が付いていなかった、と語られる  つまり、主人公は、体は自由でないために現実社会においては静かに臆して生きていたが、メタバースにおいて魅力的で、かなり他人に影響力を発揮するような人として生きていた このメタバース空間で発揮する「本当のイベリン」の魅力が、私の胸を打ったわけである そこに「人としての尊厳」というものを感じたのである  ただ、私はイベリンが自分のことを「聴覚や知能に問題がない」と語ったときにドキッとした なぜドキッとしたのかと、映画を観終わった感動とともに考えた  そうして、「身体が全く不自由であったとしても、知能に問題がないから、人に影響を与えるような「本当のイベリン」が存在していた」という事実に、ドキッとしたことに気がついた  例えば最重度の知的障害がある人は、イベリンが与えたであろうような能動的な影響力を示すことは難しいだろう(その人をケアする人への深い喜びや感動を与えることはできたとしても、能動的な影響力とはいえないと思う) ●●はできないけれど、●●はできる、という考え方だけでは、結局、できないことが多いほど価値がないという考え方に陥ってしまいかねないということだ  こういう感動モノの映画に潜む落とし穴みたいなものと言ってもよいかもしれない  まだ、未消化なのだが、とりあえず、感じたことを書いておくことにした(2025.3.9)
[インターネット(字幕)] 8点(2025-03-09 12:30:53)
40.  どうすればよかったか? ネタバレ 
ポレポレ中野で鑑賞 とにかく混んでいたのでびっくり 基本中高年の人々で、何に興味があってこの映画を観に来たのか不思議に思った   この映画?を評価するためには、色々な時代的な経験や知識が必要と思う  監督の姿勢は父母を断罪しているようにしかみえないのだけれど、まず本当にこの人に父母を断罪する権利があるのだろうかと疑問に思う  後知恵で一刻も早く治療を受けてもらえれば、という感想を多くの人が思うのではないか しかし、本当に当時の精神病院に彼女を入院させて、早期の寛緩や治癒がみこめたといえるのだろうか?  映画の中では、父は母が入院を拒んだと言い、あたかも両親が精神病に対する偏見があったからと捉えられるように描かれている。 しかし、両親が受けた医学教育の時代には、精神病院はアサイラムでしかなく、そこには荒廃した人々がいたはずだ 当時は結核同様シュープという概念があった 何回かの安定期の後の増悪期を経て人格が荒廃するという考え方であり、CPが用いられるようになってもそういう人々が精神病院の中に沈殿していたことは、当時の医療関係者の肌感覚で染みついていたに違いない(そもそも、医療関係者であればあるほど、精神疾患に偏見があるという、よく知られた事実は、沈殿してしまった人々に触れる機会が多いことが原因なのだろうと思う)  つまり、父母が医学教育を受けた時代(なにせ二人とも基礎の医学者なので、臨床現場の経験は若い時に限定されるだろう)には、「娘は精神病だから精神病院に入院させて治療を受ければ、症状の改善、寛緩、治癒が期待できる」などとは考えられもしなかったのだろう だとすれば、まともな治療が期待できない精神病院に入れるより、自分たちのもとにおいて、なんとか平穏な日々を送らせたい」と考えるのは、当時とすれば、むしろ子どもを思う親の気持ち(そしてその親は、基礎医学研究者である医師)としては、十分理解できる気がする   長年治療放置されていた姉は、投薬に敏感に反応して、短い期間ながら、人生を取り戻したようにみえた 短い期間ではあったが、本当に、ほっとした  だからこそ、長年治療放置していた両親を断罪するのは当然のことではある  しかし、弟である監督が傍観者・評論家のように、この映像を大衆に晒すことの意義はなんだろうか? 映像に残すことだけで家族の一員として、この問題に真摯に向き合ったといえるのか? 父母が何をどう考えていたのかのにそういう点の考察もなく、一方的に父母を断罪してる行為こそが「家族の闇」なのではないだろうか?  本当にもやもやのたまる映画だった  どうしても当時の精神医療(「精神科医療」とも呼んでいなかった。精神科病院ではなく、「精神病院」だった)のことを語らない限り、この映画をまともに評価することはできない 当時の精神医療がひどかったらから両親の対応はしょうがなかった、というのではない  この両親は、当時のひどい精神医療を知っているからこそ、それに抗おうとしたのではないか 病気の偏見から子どもを自宅に閉じこめた親は当時は珍しくない しかし徹底して子どもを(自分たちなりに)守り抜いた親も少ない  とはいえ、この両親は、ある時点から、完全に時間に取り残された 精神障害者をめぐる治療やケアの進化を知らずに娘を閉じ込めた そこは徹底的に断罪されるべきである  そういう映画にしない限り、こういう映画は作るべきではないだろう
[映画館(邦画)] 5点(2025-01-17 01:25:09)
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