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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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【製作年 : 1960年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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21.  一年の九日 《ネタバレ》 
ダンスシーン以外ほとんど音楽的要素を排した静謐な緊張感と、主に幾何学的な建築物のラインに取り囲まれた深い構図の中、三角関係となる男女の機微が滲み出る。 その有機的なショットの連なりが素晴らしい。  モノローグによって献身と無力感の葛藤が雄弁に綴られるヒロインと、業務によって放射線被曝した男(アレクセイ・バターロフ)の寡黙と抑制との対比が、ラストのメモの切なさを増幅する。  映画の後半、夫婦となった二人は男の田舎へ帰郷する。 画面一杯の空と並木。開放的なロケーションに唯一心が安らぐ場面だ。  実家で会食中、被曝の苦痛で震える夫の手に重ね合わさる妻の手のアップ。温もりある木材の壁を背景に、別室でそれぞれベッドに横臥しながら、男の独白を聞く彼女。  そして、父親との別れのシーンの情景も忘れ難い。1本の線路上に立つ家族のロングショット。絶妙な雲の表情。列車が離れると共にトラックダウンして小さくなっていく父親の姿。 その哀惜の構図が、永遠の別離を予感させる切ないショットだ。 
[DVD(字幕)] 10点(2011-08-07 22:26:05)
22.  日本列島
現代にも通じる、他国の戦争を踏み台にした「経済成長」のいかがわしさ、そして米国の実質的傀儡としての日本の姿。それは全編にわたって執拗に通奏され、強調される米軍機の暴力的な爆音として示される。  これが効果的なのは、日常場面での状況音・SEが相対的に小さく捉えられているか、あるいは部分消音されているからだ。 その不協和音が最高潮に達した時にシンクロする窓ガラスの破砕音と芦川いずみの絶叫が痛ましい。  ラスト、窓外に国会議事堂を配置した喫茶店内ではアフレコで芦川いずみらの会話だけを残し、周囲のテーブルにいる官僚たちの会話音声を確信的に一切消し去って世界を断絶させる音響演出が製作側の意図を如実に伝えている。  逆光でどす黒くつぶした国会議事堂を背景に、その闇と拮抗しながら毅然と歩く芦川いずみの姿を横移動で捉える長回しゲリラ撮影は、重々しい伊福部音楽と相俟って熊井監督の執念を示す渾身のショットだ。
[DVD(邦画)] 8点(2011-07-20 20:32:17)
23.  モラン神父
モノローグのナレーションを活かし、男女の機微を静かに見つめる作風は、デビュー作『海の沈黙』の趣向と非常に似通う。  様々な対話の劇によって映画は進行するが、神父(ジャン=ポール・ベルモンド)とベルニー(エマニュエル・リヴァ)の対話においては、古典的な「心を通わす」切り返し編集は抑制され、距離を置いて二人をツーショットで捉える構図を中心に展開される。(告解室の二人の構図が特徴的だ。)  「切り返しの排除」あるいは不徹底と、そして特に神父側の心理を表象させない自制的な人物造形(表情と仕草とリアクション)によって、悲恋を予感させながら緊張感を呼び込んでいく。  そして、結部のシーンの静かな情感の高ぶりが素晴らしい。 階段上にある神父の部屋。風が窓を震わせ、戸を揺らしている。向かい合う二人の対話。アンリ・ドカエのカメラは二人をどのように捉え、どう切り返すのか。正面中央に大きく据えられる神父と、距離を置いて中心からずらされるベルニー。その非対称の視線劇がせつなく印象深い。  ※バルニーの娘役で、マリエルとパトリシアのゴッジ姉妹が共演。幼少期と少女期をそれぞれ愛らしく演じている。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-07-10 19:19:59)
24.  新・七つの大罪
1952年のオムニバス『七つの大罪』から10年後、「新しい波」の面々が撮る『新・七つの大罪』。 第一部の『憤怒の罪』は、アルジェリアからベトナムへと続いていく動乱の60年代を予見するような展開だが、ナレーションもフォローするように、以降は軽快な作品が続く。  いずれも、街路の往来を捉えるキャメラが新鮮だ。  『貪欲の罪』に映し出される夜のパリの繁華街。『大食の罪』の長閑な一本道。『怠惰の罪』の車窓を流れていく街路の光景。 中でも『淫乱の罪』で、ガールハントしながら街中をぶらつくローラン・テルズィエフを軽快に追いかけていくアンリ・ドカの縦横無尽なキャメラがいい。人波と陽光の出入りが開放的で若々しい。 (『憤怒の罪』の往来は少々作為が露でつまらない。)  そして短編集はやはり、キャストの魅力も要だ。  『傲慢の罪』での髪形の変化が艶めかしいマリナ・ヴラディ。 『怠惰の罪』で運転席のエディ・コンスタンティーヌをさり気なく誘惑するキュートなニコール・ミレル。 そして、取りを努める『貪欲の罪』の高慢風なダニエル・バロー。 彼女が、初心なJ・C・ブリアリに対して最後に見せる嬉しそうな笑顔が実に素敵だ。  
[ビデオ(字幕)] 7点(2011-05-31 22:11:13)
25.  裸のキッス
開巻と同時にまさに襲い掛かるバイオレンスの唐突性と、タイトルバックでコンスタンス・タワーズが鬘を直すカメラ目線のインパクトがもたらす不穏な感覚に一気に引き込まれる。  撮影スタンリー・コルテスによる夢幻的で美しい画調と、露悪的な主題提示のギャップも強烈に倒錯的である。 特に絶妙な光加減が醸しだす夜間場面の妖しいまでの艶かしさは比類ない。その対象を輝かせるキーライトの強さは逆に表情の側面に落とされた暗い影の強さをも際立たせ、人物の後ろ暗い一面を暗示的に浮きあがらせるようでもある。  最後の俯瞰ショットで、陽光を受けながら出所する彼女に対し、取り巻く街の住民たちが建物の影の中に配置されているのは偶然だろうか。  子供たちの縄跳び遊びやレコード・録音テープ等の回転運動、合唱、クロースアップ。これらの反復がニュアンスを変えながらクライマックスに収束していく絶妙な語り口が素晴らしい。
[DVD(字幕)] 9点(2011-02-01 21:10:25)
26.  不戦勝 《ネタバレ》 
ワンカットに複数のアクションを組み込む複雑な長回しは、現実時間への同調と演技・運動の持続による生々しさを獲得する一方で、撮り方次第で作り手の作為や計算を逆に露呈させかねない諸刃の剣でもある。 この作品でいえば、移動を交えた長回しのカット尻に、生卵投げや即興の似顔切り絵の大道芸といった難易度の高いパフォーマンスを配置している辺りに図らずして「段取り」の周到さを感じさせてしまう。 とはいえ、ここでは如何にも低予算的な作風と趣きゆえに、その意欲性と情熱と力強さが勝っていて好ましい。 ボクシングシーンの荒々しいファイトの長回しも勿論素晴らしいが、圧巻は何と言っても主人公(スコリモフスキ本人)の乗る列車をバイクが並走して追う驚嘆のショット。 彼が意を決して列車を飛び降りるまでの葛藤と煩悶が、俯瞰気味の絶妙なキャメラ位置と持続的なショットの時間によって生きてくる。
[映画館(字幕)] 8点(2011-01-18 21:49:20)
27.  驚異の透明人間
サーチライトに浮かび上がる秀逸なオープニングタイトルが即座に次の脱獄場面に連携する。 この脱獄のシークエンスがカットバックを含むわずか10カット足らず、時間にして1分弱の簡潔明瞭さ。極端な短さながら、サーチライトとマシンガンによる光と影のコントラストによってその印象度は強烈である。 カラーの時代ながらモノクロの選択が功を奏している。透明化が不完全で実体が現れてしまう場面の特殊撮影もまた、モノクロ効果と馴染んで違和感がない。その特撮もわずか数カット。 その効果を最大限に活かすために全編をモノクロに統一する映画人としての矜持。 フリッツ・ラング作品の美術担当によって培われただろう、ポイントを押さえたセット・小道具類へのこだわりと創意工夫が随所で見事に活きている。
[DVD(字幕)] 8点(2011-01-07 19:55:25)
28.  ジャン・ルノワールの演技指導
楽屋裏のテーブルで向かい合った監督兼主演女優のジゼル・ブロンベルジェに対し、まずシナリオの台詞を棒読みすることを要求するルノワール。 曰く「感情を込めずに。」「電話帳を読むような感じで。」  相手を一心に見つめ、彼女の語りにわずかでも感傷のニュアンスを察知すれば即座に指摘し、やり直しを求める。 それは紋切り型の演技や経験則や先入観に囚われることなく、自分独自の表現を創造させるためだという。 その中で、「髪をかく仕草が良い。」とアドリブの所作を褒め、即興を取り入れつつ協同で演技を創り出していく。相手の無意識の小さな癖まで見抜く細やかな人間観察力、的確な助言による協同作業は、画家がモデルの魅力を最大限に引き出していくかのようでもあり、これがピエール=オーギュスト・ルノワール譲りの資質かと思わせる。  物語構成や主題を犠牲にしても、まず役者自身の人間的魅力を生き生きとフィルムに乗せることを第一義とするルノワールの映画術。 それが鮮やかに実践されていく様にただ魅入ってしまう。  最後のショットは、「エミリー」の役を生きるジゼル・ブロンベルジェの長台詞。 見届けたルノワールの台詞「tres bien」の温和な響きにその人柄が偲ばれる。 
[DVD(字幕)] 9点(2010-11-22 19:34:56)
29.  捕らえられた伍長
アンドレ・バザンがもしこの映画を見ることが出来ていたならば、『小間使いの日記』以上に「悲劇と喜劇の結合」を達成した作品と評したのではないか。 悲喜劇が目まぐるしく交錯する様においては、ルノワール作品の中でも随一と思われる。  葬列に紛れて逃走するシークエンスでは、逃げおおせる者と警察に連行されるものが同一ショット内で交差する。 あるいは、歯科医での絶叫。懲罰のあひる歩き。農家からの脱走失敗。どれもこれも悲惨の中の滑稽味に笑いを誘われずにいられない。  開いたドアの奥で、伍長(ジャン=ピエール・カッセル)と歯科医の助手のドイツ娘とが交わす抱擁とキスのシンプルな描写がいとおしい。 ラスト近く、国境そばの小作農の男女が伍長らに見せる気持ちよい応対と表情も忘れ難い。 フランス贔屓の酔っ払いも、農家の主も、敵対する収容所看守に到るまで人間的魅力に満ちているところがルノワールならではの人間主義といえる。  『大いなる幻影』で賞賛された観念性にも囚われることなく、ひたすら人間本意に、俳優の魅力をありのまま写し撮ることが第一義として貫かれている。 そのための必然的な長廻し。ここぞのクロースアップ。民主的パン・フォーカス。 手段としての技法が映画の中で活きてくる。  
[ビデオ(字幕)] 10点(2010-11-20 17:13:01)
30.  ドノバン珊瑚礁
リー・マーヴィンの漂着を歓迎する島民のウェーブのアクションからしてすでに幸福感全開。  ハワイアンメロディーが流れる南洋の長閑なリズムの中で、窓枠の外に映し出される降雪や青い稲光などの印象的な細部が厳かなアクセントをもたらしつつ、土砂降りのスコールやジョン・ウェインらの殴り合い、きびきびしたジープ操作や水上スキーのスピード感、エリザベス・アレンが幾度もみせるズッコケぶりといった豪快でコミカルなアクションの要素がさらに幸福感を呼び込む。(ビールの栓抜きや、「休戦」の握手の仕草も小粋で良い。)  三人の子役たちの存在も、大きく貢献している。長女役:ジャクリーン・マルーフのナイーブなイメージ。水上スキーに出かけることになった三人の子供たちが、神父がいなくなった途端にはしゃいで踊り出す場面の無邪気な愛らしさも特筆もの。  そして様々な国籍、職種、階級、民族の老若男女がスコールに濡れながら一堂に会する教会の場面も素晴らしい。
[DVD(字幕)] 8点(2010-10-31 19:51:35)
31.  悪の階段 《ネタバレ》 
主舞台となる一軒屋のセットが外観・内部空間ともに実にシュール(美術:中古智)。題名通り階段を頻繁に採り入れた画面構成は斜めのラインや仰角アングルが錯綜し、不安定感が横溢する。光源を抑えて陰影を強調したシャープなローキーの照明設計も素晴らしく、硬質なノワールムード抜群である。巻頭の寝床シーンで男女の表情を斜めから捉えたローアングルのショット、西村晃絶命シーンの白い手の動き、深夜に不動産屋裏手の草むらを歩く団令子を捉える俯瞰ショット、ジュラルミンケースへの表情の映り込みや真上からのキーライト効果など、こと照明に関しては全編が印象的な見せ場の連続といってよい。金庫破りのバーナー音や、工場の稼動音、ウイスキーを注ぐ水音を強調した音響のサスペンスも申し分なし。そして崖から海への車の落下、一軒屋の大炎上と、スペクタクルも極上。砂丘のロケーションを活かした『太陽がいっぱい』(1960)風のラストもしびれる。
[映画館(邦画)] 10点(2010-05-10 20:42:49)
32.  アデュー・フィリピーヌ 《ネタバレ》 
冒頭のテレビショー収録現場の活気に満ちた描写から始まり、全編がひたすら新鮮味あふれるショットの連続。開放的なロケーションの中で横へ横へ、奥へ奥へとカメラが自由奔放に進み行く快感。二人の女性が披露する、演技の枠を超えたナチュラルな表情や身振りの圧倒的な素晴らしさ。ダンス場面での謎めくようなカメラ目線、微妙な嫉妬心を覗かせる硬い表情、港へと走る車の後部座席でみせる純真そのものの破顔一笑などなど、他愛ない仕草の中に浮かび上がる人間味が劇の進行と共に魅力を増す。埠頭での別離の場面は、最高潮の情感に満ちた素晴らしいロングショットの連らなりに揺さぶられずにいられない。船上と対岸に別れた三者を、船上の位置から交互に収めていくカメラの距離の見事さ。前半ではアフレコが効果的に使われているが、ここでは逆に現場録音と思われる雑踏の喧騒と汽笛によって彼らの別れの台詞は聞こえない。それだけに表情と視線が雄弁さを増す。防波堤を駆け登り、手を振りながら走る二人の姿が最高に美しい。
[映画館(字幕)] 10点(2010-02-01 21:57:38)
33.  関の彌太ッぺ(1963) 《ネタバレ》 
画面一杯の雄大な空とその下に小さく人間を配置した、開巻と終幕のローアングルが強烈に印象に残る。旅し、変貌し、裏切り、ひたすら移ろう人間と、その一方で移ろわぬ永続的で広大な自然の対比か。全編にわたって視覚化される「風」と「花」が主題として浮かび上がってくる。娘が恩人に気付く契機となるのも、旅人の語る台詞と同等以上に、10年経ても移ろわず旅人の面影と共に視覚化された白いむくげの花のイメージであろう。それだけに、ロケーションにも全く劣らないセット美術による草木の風物描写は傑出した仕事となっている。むくげの白との対比か、ラストの「一本道」の道端に咲く彼岸花の赤が切ない。
[映画館(邦画)] 10点(2009-11-01 21:00:44)
34.  刑事マディガン
夜のニューヨーク市街を仰角で捉えた導入部から、夜明けの街路に立つリチャード・ウィドマーク達へと連なるアバンタイトルのムード感と、パースペクティブの活きた構図が生むリアル感。本編中のブルックリン、ブロードウェイ、コニーアイランド、イーストリバーといったロケーションの空間もまた奥行きが強調され臨場感に満ちている。雑然としながらも見事に活写された屋外ロケと、主人公宅の(不似合いな)カラフルな屋内セットとの対比も家庭不和を仄めかしており面白い。同一設定の黒澤明『野良犬』と同様、都市の情景や捜査過程の何気ないエピソードの積み重ねが素晴らしく、情報屋、ポン引き、酒場の主人らとのやり取り自体が主人公の優れた人物描写となっている。とりわけ、旧知の元ボクサーの通報による酒場の場面などは、結果的に人違いに終わり本筋には直接的に絡まないにも関わらず、ウィドマークの人間味を感じさせ非常に印象深いシークエンスだ。アクション場面自体は少ないものの、犯人役スティーヴ・イーナットがウィドマークの隙を衝き一瞬で形勢逆転するアクションや、警官に職務質問されたとたんに紙袋の陰から発砲するアクション、クライマックスの至近距離での銃撃戦など、スピード感と瞬発性がやはり見事である。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-24 20:58:06)
35.  アパートの鍵貸します
アレクサンドル・トローネによる秀逸な美術セットと、ドラマとを効果的に組み合わせた構図と撮影が実に巧妙だ。ワイルダーの真骨頂ともいえるパースペクティブを存分に利かせたシネスコ画面のレイアウトによって、広いオフィスはより広く、狭いエレベーター内はより狭く見えるような緻密な空間設計が為されている。広い空間ではエキストラの雑踏を自在に捌き(パーティシーンのスペクタクル、)、閉所では人物の所作、表情、小道具によってそれぞれ画面を活気づける(主演二人の手の動作、割れたコンパクト、ラケット、トランプ)。鋭角的で無機的なオフィスの造型は企業の殺伐とした序列社会を視覚的に具現し、ジャック・レモンのアパートの玄関セットが生む凹凸と遠近と陰影は彼をその暗がりに小さく押し込め「卑小さ」を際立たせ、夜の公園の異様に長いベンチはその奥行きが彼の哀愁の深さを伝えるメタファーとしても機能する。写実と誇張の絶妙なバランス感覚に立った画作りがドラマの中でうまく活きている。また、当時普及してきたテレビに対する映画人としての対抗意識(CM批判や「アンタッチャブル」人気)を仄めかすギャグや洒落た台詞を随所に散りばめたユーモア感覚もさすが。シャーリー・「マクレーン」の台詞「the wrong guy in the wrong place at the wrong time」は『ダイ・ハード』シリーズ中の台詞の元ネタだろう。
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-22 14:06:06)
36.  青べか物語
自身が転居を繰り返した山本周五郎は、その小説の中でも名もなき風来坊の物語に本領を発揮した。同じく、転居を繰り返し撮影所を転々とした川島監督も仮住まいの宿を好んで映画の舞台とした。その意味で、これは非常に相性の良い原作小説と映画であるように思える。映画冒頭とラストで浦粕橋を渡る流れ者としての主人公が、常に「出て行く」ことを前提として共にキャメラの側に背を向けて歩いているのは象徴的だ。原作は三十二の章から浦粕町という町自体とその住人たちの暮らしぶりを描出したもので、「場所」「移動」への拘りという意味でも川島的題材といえるだろう。映画の中でも、干潟や水路を航行するべか船の叙情、フランキー堺が新妻を乗せて川沿いを飛ばすバイクの疾走感がリズム感を生み、快い。原作の中でも最も映画的なエピソードのひとつといえるのが老朽汽船の船長の回想を描いた「芦の中の一夜」だと思うが、水路を進む蒸気船と、それを土堤の上で見送りつつ追いかける桜井浩子を船の側から捉えた幻想的な移動ショットなどは格別に美しい。また、「移動」に関連して川島作品のひとつの特徴である「脚」のカットは、乙羽信子夫婦の挿話に絡んで登場する。この部分は原作には無いため、歩行障害を患った川島監督自身あるいは新藤兼人による直截な創作エピソードという事になろう。山本周五郎と川島監督の半私小説的挿話の混交と、岡崎宏三の優れた情景ショットによって幻想的な趣の強い作品になっている。
[映画館(邦画)] 9点(2009-07-29 21:56:17)
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