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21.  愛、アムール 《ネタバレ》 
 けっこうおそろしい話を、ぜったいにエキセントリックにならない落ち着いた演出でみせられ、やはりハネケだなあと感心した。  映画の終盤に部屋のなかにハトが窓から迷いこんできて、それをだんなさんのジャン=ルイ・トランティニアンがつかまえる。‥‥いままでのハネケの作品では、こういう鳥だとか動物はたいてい殺される。たとえば「隠された記憶」でのニワトリだとか、「白いリボン」でのインコだとかをおもいうかべてしまうから、「ああ、また殺しちゃうんだな」なんて不遜なことをおもってしまう。でもそういう展開にはならず、ジャン=ルイ・トランティニアンは、おそらくは彼の遺書になるのであろう手紙のなかで、「ハトが部屋に迷いこんできたのをつかまえて逃がしてやった」と書く。映画ではそういう逃がしてやるシーンはないので、「ほんとうはあのハトは殺しちゃってるんじゃないのか」なんて、またもや不遜なことをおもってしまうわたし。‥‥しかし、そのハトを捕らえるとき、ジャン=ルイ・トランティニアンは、布をハトにかぶせて捕らえる。かんがえてみれば、この「布をかぶせる」という行為が、この映画での別の重要な行為を想起させられることになるわけで、そうすると、ここで彼はそのハトを殺したりするわけがないのである。それで、たいていの演出ではここで彼が窓からハトを逃がしてやるショットを入れるのだろうけれども、ハネケはそういうことはやらない。なんか、ここにこそ、この作品の「キモ」があるんじゃないかとおもった。「かんじんのことはみせない」というハネケ監督の演出術が、ここでも生きているんだなあという感想をもった。
[映画館(字幕)] 8点(2013-04-29 16:18:47)(良:3票)
22.  五番町夕霧楼(1980)
原作や脚本はいいんだけれども、演出がボケだとこんなになってしまうという見本のような作品。まるでTVのバラエティ番組とかんちがいしてしまっているような。もったいないなあ。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2013-04-16 07:58:59)
23.  月形半平太(1952)
 「月さま、雨が‥‥」、「春雨じゃ、濡れていこう」、というのは、まだわたしの世代では「名文句」としてだれもがしっていたものだとおもう。しかし、この「月形半平太」というのがいったいもってどういうおはなしなのか、ちゃんと理解していたわけではない。‥‥まるでしらなかったけれども、この「月形半平太」というのは、「国定忠治」とならんで、「新国劇」のあたり演目だったらしい。なんども映画化されているらしいけれども、ここで半平太を演じているのは市川右太衛門。この人、ちょっと太めな印象もあるけれども、チャンバラがかっこいいのね。さすがむかしの俳優さんはちがう、というかんじ。これに山田五十鈴(やはりすばらしい!)だとか、喜多川千鶴(この人のことはまるでしらないけれども、風情のあるすてきな女優さんだとおもった)などがからんでちょっとした色恋ざたもあるし、その心情が当時の幕末京都の緊迫した情勢を背景に屈折した展開になる。わきの男優陣もみなさん、しゃらっとしていいかんじ。  監督の内出好吉という方はこののち職人監督として活躍される方のようだけれども、これが監督第二作。ラストのクレーンを使った長廻しがすてきだし、あれこれと才気ばしったキレのいい演出はたのしめる。ただ、さすがに美空ひばりさんにはあれこれと演出のうえでくちだしできなかったのか、芸妓という設定なのにこのじゃらじゃらとした歩き方には興ざめもはなはだしい。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-04-02 18:28:04)
24.  ウィンターズ・ボーン 《ネタバレ》 
 原作というのか脚本というのかが秀逸で、これってつまりはむかしのギャングものの「フィルム・ノワール」なストーリー展開なんだけれども、これをうまいことげんざいのアメリカ南部(ミズーリ州)の白人貧困層のもんだいに移植している、という印象。「ファミリー」はもろそのまんま「ファミリー」だし、「おきて」も「おきて」。みょうに芝居っけたっぷりな連中がいっぱいでてくるけれども、そういうなかではやはりヒロインのジェニファー・ローレンスというコの存在感は大きい。あとはティアドロップという人物を演じているジョン・ホークスという俳優さん、かつてのサム・シェパードだとか、デニス・ホッパーみたいな存在感がある、なんていうとあまりにほめすぎになってしまうか。でもよかった。  それと音楽。南部の伝承歌をさりげなくライヴ感覚で取り入れているところは、それだけで涙がでそうになる。ついつい、ここで唄っていたMarideth Cisco という人の名まえをメモして、ネットで検索してしまった。‥‥どうやら、この映画だけでフィーチャーされた方らしい。そういうこともまた、映画製作のあり方として賛同してしまった。バンジョーの取りいれ方に拍手したい。いい映画だとおもった。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2013-04-02 18:23:26)
25.  かもめ食堂 《ネタバレ》 
むかし映画館でみたものを、おもいだしていまごろ投稿。 ‥‥けっきょく、メディアでよくいわれる「じぶんさがしの旅」というものがただ、なにもしていないのに「よくがんばったね」とじぶんをほめるための「ナルシシスムの旅」でしかないのだ、ということがよくわかる作品だった。‥‥どうやらそういうことを世間では「癒し」というらしいこともわかった。 ただプールで泳いだだけでまわり(これが日本人ではないというのもイヤなところ)から拍手してもらいたいというのは、精神的に異常だろう。この監督はこのあとも、こういうマインドコントロール的な作品を撮りつづけているらしい。 こんな映画をみて、感動をよそおってじぶんをごまかしてはいけないだろう。 0点にきまってる。
[映画館(邦画)] 0点(2013-03-12 15:05:16)
26.  ローマ帝国の滅亡 《ネタバレ》 
ヤリが宙を飛んで来て、人間の胸にブスッと刺さるシーンがけっこう何度か出てきて、オマー・シャリフもジェームズ・メイソンも、さいごにはクリストファー・プラマーもこれで死んじゃう。いつも同じなので、演出こそが投げヤリなんじゃないかと思ってしまう。つまり、よっぽどこの特撮が自慢だったんだろう。たしかに観ていて「どうやって撮ってるんだろう」と思わせられるんだけど、さすがにこれだけ何度もやってしまうと、そりゃあヤリすぎではないだろうか。 
[CS・衛星(字幕)] 4点(2012-04-22 15:28:53)
27.  ガーゴイル(2001) 《ネタバレ》 
●ちょっとばかし、主演のヴィンセント・ギャロとベアトリス・ダルの強烈なキャラクターに依存している演出という気がしないでもないけれど、わたしはこれはヴァンパイア映画の系譜を引く作品として、斬新な解釈の鮮烈な映画だと思う。 ●説明的な描写もほとんどなく、セリフも少なく、娯楽的な要素はあまりない。それでもひとつひとつのショットにきらめく美意識は鮮烈で、とりわけ血の「赤」の美しさはこころに残る。まあいってみれば「血塗られた映像詩」というところである。壁一面に塗りたくられた赤い血のまえを、ベアトリス・ダルがゆっくりと歩んでくるシーンなど、どんなホラー映画にもなかった美しさに満ちている。 ●Tindersticksというバンドによる、ストリングスをまじえた退廃的な音も印象に残る。  
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-04-11 08:42:56)
28.  青髭(2009) 《ネタバレ》 
●カトリーヌ・ブレイヤという監督さんのことはまるで知らなかったのだけれども、小説家でもある彼女の映画は、ちょっと過激なものとして知られているらしい。この作品ではそういう過激さはみられないように思うけれど、耽美趣味ともいえる画面の美しさを堪能できる。この作品はもちろんシャルル・ぺローの有名なおとぎ話をもとに、そのぺローの本を読むおさない姉妹のストーリーをはさみこんだもの。この映画のなかで描かれるその「青ひげ」の物語は、それを読んでいる姉妹の成長した姿のようにみえる。  ●おさない姉妹が、おそらくは「入ってはいけない」といわれている二階の物置のなかに忍び込み、そこでこの「青ひげ」の本をみつけて、いっしょに読みはじめる。姉はそのうちにその物語から耳をふさごうとするけれど、妹はかまわずに姉を挑発しながらも読みつづける。妹の読む物語はすすみ、ついに物語のなかの妹は、青ひげに「入ってはならぬ」といわれていた部屋のドアをあける。物語の展開を聞きたくない姉は耳をふさいであとずさりし、床にあけられた穴から下に転落死する。ラストには物語のなかで間一髪助かった妹が、皿の上に切断された青ひげの首をのせて自分のまえに置いている、「サロメ」をも思わせるとても美しい場面で終わる。  ●ぺローの原作では、この「青ひげ」は次のように結ばれている。  <ものめずらしがり、それはいつでも心をひく、かるいたのしみですが、いちど、それがみたされると、もうすぐ後悔が、代ってやってきて、そのため高い代価を払わなくてはなりません。>     しかし、妹は青ひげの犠牲になるわけではなく、ぎゃくに好奇心を殺し、耳をふさごうとした姉の方がいのちを失ってしまう。やはり「知ろう」とすることは大切ではないか。この映画からはそういうメッセージが聞こえてくるようである。この作品、女性から「知りたい」という好奇心の芽を摘み取ろうとした、「保守」としてのぺロー童話への批判なのではないのか。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-04-11 08:37:30)
29.  鉄砲伝来記 《ネタバレ》 
●東野英治郎演じる刀鍛冶の、職人らしい一徹さと倫理観を軸に、その娘の若尾文子とポルトガル船の船長リック・ジェイソンとの悲恋がうまくからんでくる。通り一遍なもの足りなさを感じるところもあるけれど、こういう職人気質の男を主人公に、そのしごとへの打ち込みようと、苦労の末につくったものが殺戮兵器として使われるということへの絶望(ここに娘の悲劇も重なる)っつうのがきっちりと描かれて、わたしはこういうの好き。 ●赤く熱せられた鉄を叩き延べていく鍛冶工房の描写、分解され並べられた銃のパーツの絵だとか、職人の意地を感じさせられる。 ●東野英治郎も、その銃というものが刀など比にならない殺傷兵器であることに気づき、工房の火薬爆発事故で二人の愛弟子を失い、同時に武器商人(小池朝雄)の陰謀も知ることになり、「もう銃はつくらない」という決意を抱くことになる。ここで「いくさに加担する兵器をつくるのはイヤだ」という東野英治郎に対して小池朝雄が、「いくさはいつの世もなくならない 銃があればいくさに早くケリをつけることができるのだ」とうそぶくわけだけれども、「早くケリをつけられる」というのはいうまでもなく、アメリカが日本に原爆を使ったいいわけとして語られることの多いことばでもあり、ここで大量破壊兵器の開発にいそしむ現代への批判もあり、武器商人という存在への告発もこめられているのだろう。 ●若尾文子とリック・ジェイソンとの悲恋の方は、まあどうってことないんだけれども、たしか大の親日家であったと記憶するリック・ジェイソンの誠実な演技が、その役柄のポルトガル船長の誠実さとかさなって、とってもさわやかな印象を残していた。 ●これは森一生監督の演出意向だろうと思うのだけれども、ロングの画面でのいかにも映画らしい構図の決め方だとか、堪能することができた。とくに、種子島領主のまえで東野英治郎が「もう銃はつくらない」と語るシーンの、ななめ上から俯瞰されたショットは、ステキだった。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2012-04-11 08:30:30)
30.  トゥルー・グリット 《ネタバレ》 
●コーエン兄弟の作品なんだけれども、「こういうストレートな作品も撮るんだ」という、これはほんとうに正統な西部劇ではないかという印象と、やっぱりどこか「ファーゴ」みたいな、奇妙にずれてねじれた感覚もあるか、という印象とがわたしのなかでせめぎあう感じ。演出のはじはじにただよう微妙なユーモア感覚はやはりコーエン兄弟の持ち味だろうし、とつぜん、あたまからすっぽりとクマの(おかしら付きの)毛皮をかぶった男が馬に乗って登場するところなんか、びっくりしてしまった。そのクマの歯がなんだか気になって観ていると、この作品、やたらと歯の話が出てくる。悪役のひとりを下からあおって撮影している場面でも、その悪党の歯並びが気になってしかたがないし、観ていても知らずに歯のことばかり考えていたりする。やっぱり、そんな変なことを考えてしまうのも、コーエン兄弟の作品だからこそのことかもしれない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-04-11 08:21:49)(良:1票)
31.  ドラゴン・タトゥーの女 《ネタバレ》 
●二時間半があっという間だった。面白いのは先行するスウェーデン版の、美術やセッティングを意識的に踏襲しているあたりで、「ミレニアム社」の編集室や、犯人の「処刑室」など、「そこまで同じにしなくっても」と思ってしまうぐらいに、その部屋の間取り、美術、照明など、まるでおんなじ、なのである。脚本もおそらくは原作からそんなにいじっていないんだろうけれども、やはりスウェーデン版とまるでおんなじ、というところが多い。 ●スウェーデン版とちがうところ。それはまさに、主人公のリスベットという女性の解釈である。まずはもちろん役者がちがうわけで、ある意味でスーパーウーマン的な、強烈な個性をにじませた、食肉系の猛禽類をも思わせるスウェーデン版のノオミ・ラパスと対比すると、ここでのルーニー・マーラという役者はあまりに弱々しく植物的な印象で、「これではたしてリスベットを演じられるのか」と心配になるわけだけれども、つまりはこの演出において、フィンチャー版はスウェーデン版とは対称的な差異をみせている。また、この差異をきわだたせるためにこそ、あえて背景をスウェーデン版とおなじにしている、とみることもできる。 ●背なか一面に、大きなドラゴンのタトゥーを入れたノオミ・ラパス版のリスベットが、それこそアウトサイダーな生き方にどっぷりという空気だったのに対して、ちょっと遠慮がちに、背なかの左半分にドラゴンを彫ったルーニー・マーラのリスベットには、どこか「こうしたくてやっているわけではない」というような空気もあり、「まわりから追いやられてこうなってしまった」という哀しさのようなものも感じてしまう。彼女の設定は二十三歳とかそのくらいだったと記憶しているけれど、なんかフッ切れてしまっている感のあるノオミ・ラパス版にくらべると、このルーニー・マーラには、たしかに二十三歳らしい、そして女性らしい、愛し愛されたいという願望をもっていることもわかる。これがまさにラストでの、スウェーデン版とこのフィンチャー版との「違い」というものに如実にあらわれているのだろう。 ●もちろんわたしにはノオミ・ラパスの強烈な個性を否定するなどということはできないし、あちらはあちらですばらしい作品だったと思うのだけれども、わたしもやはり男だからか、こちらのルーニー・マーラの「愛おしさ」みたいなものも、やはり大好きなのである。
[映画館(字幕)] 7点(2012-04-11 08:17:39)(良:3票)
32.  ツーリスト 《ネタバレ》 
 ‥‥これって、むかしはハリウッドによくあった「ロマンチック・サスペンス・コメディー」ってヤツですね。「シャレード」とか、ああいうヤツ。まあこの作品ではコメディー度はちょっと抑えられているけれども、だいたい観ていれば「真相」は予測がつくようなつくりになっているわけで、そうすると観ているものがその「予測」にもとづいて役者の演技とか注視してみると、かなり楽しい作品になるという感じ。思わぬところに主人公のピンチがあったり(捜査官、あとひと押し、だったのにね)、「ほら、やっぱりね」とか、「え!そうなるの?」とか、ニコニコしながら観てられる。やっぱティモシー・ダルトンはいいところに出てくるし、ラストの「税金払ったから無罪放免」っていうのもまさに「ロマンチック・サスペンス・コメディー」。そうやってみれば、「だささ」を喜々として演じているようなジョニー・デップの(二重の)演技ぶりを楽しんで観るのがいいのかも。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-02-26 10:06:43)(良:1票)
33.  黄金の7人・1+6/エロチカ大作戦
 さすが「デカメロン」の国、というか、こういう艶笑譚をかるーく料理されるのが得意というのはやっぱりお国柄、なのだろうか。  とにかくわたしはこういう軽快なテンポの演出は大好きで、イタリアらしいきれいな女優さんたちがずらりと並んでいるところではちょっとヨダレがこぼれそうになるし、いろんな大道具小道具の使い方も、うまいというんじゃないだろうけれども、視点をあちこちと移動させてくれるし、はなしのスケールを拡げてくれている。さまざまな演出の工夫も楽しくて、主人公と16歳処女の女の子との野原でのデートのシーン、女の子のそういう異性/性への夢とかあこがれみたいなのを、スローモーションとか、いろんな動物のクローズアップとかをまじえて見せてくれるところとか、やはりこれはこれで楽しかった。ベタなコメディでみせるところはちゃんとそのような演出で、ぜんたいにバランスのとれた、とっても完成度の高い作品だと思った。 
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-02-18 11:58:34)
34.  トロッコ
リー・ピンビンの撮影を堪能できた、という以外は、まるで観るところのない作品だった。   そもそもすべての登場人物がモノローグをくり拡げるだけで、いわゆる「展開」というものがなにもない。それに、舞台を親日的な「台湾」に置くことで、日中戦争からのもんだいを、なにもかも「いいかげん」にスルーしてしまっている。登場人物は演出の都合上勝手に動かされているだけで、「物語」として考えれば、なにひとつ解決もしていないまま、いつのまにか「いいかげん」に終わってしまっている。まあ珍しいぐらいに「いいかげん」な作品、だと思った。
[CS・衛星(邦画)] 2点(2012-01-19 13:44:29)
35.  ジャーロ
まるでその現場に観客も立ち会っているみたいな、ゆらぐ手持ちカメラによる映像(カメラがとめられた車に近づいて行くとき、「ほら、ここで車の窓におそわれた女性の手がはりつくぞ」と期待すると、その通りの展開になる)。いつものどこかメランコリックな音楽。極彩色の画面。画面を赤く染める血。「鮮血の美学」である。もう、ストーリーなんかどうだっていいではないか。エイドリアン・ブロディ(犯人役との二役を楽しんだだろう)も、エマニュエル・セニエも、ちょっと期待したほどでもなかったけれど、「羊たちの沈黙」以降のサイコメトリストものの影響をたっぷり受けながら、「それがどうした」みたいな演出になっているあたりが、さすがダリオ・アルジェント、である。ある意味で、「捜査」と「人命」とどちらが大切なのかという、「サイコメトリスト」否定という文脈で観られなければならないのかもしれない。唐突なエンディングには「えっ!」と、思わず笑ってしまったけれども、みごとなエンディングだと思った。やはりダリオ・アルジェント、偉大なり。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-01-15 09:57:06)
36.  昼下りの情事
いくら映画でダイレクトな描写がないといっても、このふたりがセックスレスな交際とは考えられないわけで、じっさいにオードリーが「終わったわん」とばかりにゲーリー・クーパーの部屋で髪にブラシしてるシーンもあるんだけど、つまり、いくらなんでも百戦錬磨のプレイボーイが床入りして、オードリーが処女だったと気がつかないはずがないのであって、ここで、「性的な描写はオミット」というアメリカ映画のコードが、その脚本にまで影響しちゃってまんがな、という感じである。まさにそういう規制があるからこそ成り立っている作品という感じで、「スクリーンのなかの世界は別モノ」という絶好の見本だろう、と思う。まあこれも50年代だからこそ成立した映画で、今ならぜったいに、リメイクも不可能だろう。古き良き時代の、古き良き映画ということである。「スクリーンのなかの世界は別モノ」なんて、なんてすてきな世界がこの世には存在したことか。そこで、脱いだりしなくってもベッドシーンを演じたりしなくっても輝くことができたオードリー・ヘップバーンって、なんて幸せな女優さん、だったことだろう。  ヘップバーンとモーリス・シュヴァリエの家の、倉庫みたいな仕切りのドアとか、その家の間取り、ゲーリー・クーパーの滞在するホテル・リッツの間取りとか、こころ憎いほどにうまく演出するビリー・ワイルダー節も絶好調。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-01-12 18:35:33)
37.  アントニオ・ダス・モルテス 《ネタバレ》 
●「お祭り映画」の最高峰、である。このお祭りは「邪悪なドラゴンを退治する聖ジョルジュ」を祝うお祭りで、すばらしい音楽に導かれて、いろいろな祭りの出し物を楽しむことができる。そのなかに、神から見捨てられた男、アントニオ・ダス・モルテスの「火の道めぐり」、庶民を助けるカンガセイロの再生、邪悪なエロ女の魔力、などなどという出し物が織り込まれているわけである。●サンバの原形のような、みじかいリフレインの延々と繰り返される群集の唄、「気狂いピエロ」でのアンナ・カリーナとベルモンドのデュエットのようなシャンソン風音楽、ルチアノ・ベリオ風のヴォーカリーズ、呪われたアントニオ・ダス・モルテスを唄うテーマ曲、いちどは逃走する教授を覚醒へとみちびく現代的なポップ・ソング、そしてこれまたすばらしい、クライマックスのバックで「ランピオンの地獄行き」を唄ったバラッド風のギター弾き語り、アントニオとマタ・バカとの決闘のバックの合唱などなど、とにかくこの音楽を映像とともに体感できる喜び。●歌舞伎か能のような様式化された演出で繰り広げられる、ブラジル版マカロニ・ウェスタンのような祝祭劇は、それでも「おかげまいり」や「ええじゃないか」的気分の奥に「革命」への意志をかいまみせてくれて強烈、なのである。
[映画館(字幕)] 10点(2011-07-13 11:47:20)
38.  沈まぬ太陽 《ネタバレ》 
●ううーん、ひっさしぶりに、ド汚い画面の、しょうもない紙芝居映画を観たという感じではある。いろいろな場面での画面の汚さというのはもう特筆モノで、こんな汚い画面を撮れるのはやっぱり、あの「出口のない海」とかのあの監督か、と思ったら、これはこれでまた別の監督ではあった。ところがこの作品、ナイロビでのロケの場面だけ、撮影クルーががんばっている。この場面だけ、ふつうに映画としていい画面になっている。ここだけはどうやら別クルーでの撮影になったわけだろうけれど、演出姿勢が一貫していないので、ここでの鳥瞰撮影などいいんだけど、映画としてはまったく無意味だったりする。まあナイロビでのドキュメント撮影とかになれている現地によく行っているスタッフが、ここでがんばっちゃったんだろう。まるで映画のなかでナイロビにとばされた主人公「恩地」そのままのような状況ではないのか。●70年代以降、この日本では露骨な組合つぶしが国の政策になり、たとえば国鉄の民営化などがその最大のイヴェントだったりするわけだけれども、この作品でのマフィア映画の観すぎのような演出で、そのような状況が観客に伝わるだろうか。ドライに伝えたいのか、それともウェットにせまりたいのか、根本的な演出姿勢がぐらついているという印象。
[CS・衛星(邦画)] 1点(2011-07-13 11:34:39)
39.  リバティ・バランスを射った男 《ネタバレ》 
●町の女性に恋して、彼女(ヴェラ・マイルズ)とのしあわせな生活を夢見ているジョン・ウェイン。しかし、東部から弁護士志望のヤサ男(ジェームズ・スチュアート)がやって来て、ジョン・ウェインは彼をなにかと助けているうちに、彼女のこころはそのジェームズ・スチュアートの方に行ってしまうんだね。●ジョン・ウェインがそのままヴェラ・マイルズと結ばれるならば、それは同じジョン・フォード監督の「静かなる男」になるんだろうけれど、つまり、この「リバティ・バランスを射った男」では、つまりは「静かなる男」の主人公ショーンがジョン・ウェインとジェームズ・スチュアートのふたりに分裂してしまっている。というか、ジョン・ウェインはまさしくジェームズ・スチュアートの陰の存在という立場になってしまう。そういう運命なのである。肝心のところで表面には出ず、陰からジェームズ・スチュアートを助けるべく定められている。運命を受け入れられないジョンはみずからを消滅させようとさえするけれど、つまりは運命を受け入れる。そういう物語が、いわゆる西部のガンマンの時代の終焉とかさねられて描かれるから泣けるわけである。●無法者のリバティ・バランスを演じるのがリー・マーヴィンで、この無法者は西部の自立を押さえ込もうとする北部の牧畜家らに雇われているらしい。そういう背景も、もう「西部劇」の時代ではないのだということになるのだろう。リー・マーヴィンの手下のひとりをリー・ヴァン・クリーフが演じていて、これがいつもリー・マーヴィンのやりすぎにブレーキをかけるあたりがおもしろい。なさけないちゅう房のエプロン姿で決闘に向かうジェームズ・スチュアートも、もちろんいい。  
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-07-12 12:43:05)(良:1票)
40.  ブラック・スワン 《ネタバレ》 
●いささか少女漫画っぽいバレリーナ物語なのだけれども、とにかく過剰サーヴィスというか、たたみかけるような演出で、観ていてもドーパミンだかアドレナリンだかが脳内噴出するようであった。終わってみると「あれ?」というところもあるのだけれども、とにかく観ているときには夢中にさせられたのである。 ●しかしこれはどう観てもポランスキーの世界で、ヴィジュアル的にも「ローズマリーの赤ちゃん」から多くを負っている感じだし、コンセプトの「妄想」は、やはりポランスキーの「反撥」に通じるところが大きいと思う。 ●主人公のニナ(ナタリー・ポートマン)の母親(バーバラ・ハーシー)のメイクなど、どうみても「ローズマリーの赤ちゃん」のうさんくさい隣人のおばさん(ルース・ゴードン)にそっくりであるし、そのニナが鏡に自分の背なかの傷を映してみるシーンなど、そのまま「ローズマリーの赤ちゃん」にあったショットの再現であったりする。  ●ついに「白鳥の湖」舞台初日を迎える前夜から、初日舞台終了まで(つまり、映画の終わりまで)のハイテンションぶりは異様なほどで、もうほとんどこれは笑ってしまう次元である。バレエのシーンはできるだけナタリー・ポートマンの全身を映さないように(つまりはやはり、それはムリだよということだろう)、たいていは上半身だけのショットで、そういう制約もあってのことか、全体に映像の美しさを堪能するような種類の作品ではない。それでも、「ブラック・スワン」を踊るニナの舞台シーン、「これはすごいんだ」ということを納得させるためというか、CGが最大限に活用されるわけだけれども、これは素材がダンスだとかバレエだからこそ、という特殊効果シーンなんだけれども、作品全体が「妄想」という非現実のフィルターがかけられているなかで、もうひとつ、観客の「妄想」をも巻き込んだようなこころにくい演出で、ここで映画としてのクオリティがいちだん上昇したような感覚である。
[映画館(字幕)] 6点(2011-06-12 18:54:36)
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