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421.  夕陽のガンマン 《ネタバレ》 
前半はありえないようなシーンの連続で退屈だが、後半賞金稼ぎの二人がチームを組んでから、2転、3転する展開で楽しめた。音楽は秀逸だし、銃を発射するまでのタメや間合いが心地よい。よく練れた演出と脚本だ。二人のガンマンの友情物語でもあるし、妹の復讐譚でもある。敵ボスの人間性も描かれており、物語に重みを増している。観客の裏をかく銀行強盗も見事。ただ最後の仲間割れはいただけない。あれは賞金稼ぎのどちらかの入れ知恵でそうなる展開ならなお良かった。 ◆ただ手下やメキシコ人など類型的で、リスペクトが感じられない。虫けら同然の扱いだ。 ◆大佐は汽車を無理やり止めるし、モンコはホテルの客を強制排除するし、いわゆる”善人”ではない。善人では務まらいタフな仕事だということを言いたいのだろうが、それにしてもモンコ、やりすぎでしょ。一度は大佐を裏切るし。 ◆オルゴール付懐中時計だが、あれは若い男が女にプレゼントしたものではないのか?それを若かりしときの敵ボスが奪ったと解釈したが。でも同じものを女の兄である大佐が持っている。兄妹で同じものを持つのは珍しい。そもそも女が懐中時計を持つものなのか。というと妹が若い男にプレゼントしたものなのか。また硬派の男がオルゴール付の懐中時計など持つかという疑問もある。 ◆下手人がすぐに見つかりすぎではないか?保安官はそいつがどこの町にいるか知っているし、店で聞けば教えてくれる。逃げ隠れしたいないわけで、保安官が自分で確保しないのはどうしてだろう。 ◆モンコが保安官を正直さが足りないとなじり、バッチを奪い、他の保安官を選べというが、どうしてだろうか? ◆モンコが敵地に乗り込んだとき、葉巻を銃で撃たれて半分になったのに、次のシーンで元の長さに戻っている。 ◆帽子を何度も撃たれているのに帽子に穴があいていない。 ◆リンゴを撃っている間に敵に撃たれないのが不思議だ。 ◆銀行をお金は木にかけていただけなのに、どうして誰も気づかなかったのか。 ◆遺体を運ぶ時、ちゃんと側板を閉めましょう。絶対落ちて、数が足りなくなる。
[DVD(字幕)] 7点(2010-12-25 09:03:16)
422.  U.M.A レイク・プラシッド 《ネタバレ》 
◆ホラーもの、パニックものとしては成功していない。緊迫感が薄く、いつまで経っても怖くならず、あれれという間に終了。いい画が取れてるし、音楽も良質、俳優も有名人が出ているのにもったいない。一言で言うと真面目さが足らない。怪物の存在を知りながら、あんな小さなボートで行動しないでしょ。 ◆怪物そっちのけで、登場人物たちがケンカしたり、いがみあったり、恋愛したりで忙しい。土台コメディタッチの動物パニック映画って無理でしょう?それってヘリコプターでワニを捕まえるようなものだよね。或いはワニ用の罠で保安官を宙吊りにするようなものか。笑いかパニックかのどちらかに絞りましょう。 ◆怪物がワニと分った時点で興味が半減。生態がわかっているし、大型銃で退治できる。しかもおばあちゃんが餌付け?エサが牛だと?おじいちゃんは食われた?ついでに小ワニも餌付け?開いた口がふさがらないとなこのこと。おとぎ話じゃないんだから。 ◆それにしてもあの博物館の女学芸員は何のために居るのか。もうちょっと必然性を考えてくれ。生物学者ならともかく、化石を扱っている人だよね。上司にふられたっていいながら、もう恋に走っているし。 ◆「ワニは水中で襲わない」と説明があったが、最初の被害者は水中の襲われた。
[DVD(字幕)] 5点(2010-12-25 03:46:24)
423.  チェンジリング(2008) 《ネタバレ》 
【実話】ウォルター・コリンズは9歳。犯人の甥で共犯者のサンフォードは16歳。拉致された少年達は性的虐待を受け、性的対象として客を取らされていた。それで逃亡出来ても家に帰りたくない心理が働いた。犯人は子供を誘拐するときにはサンフォードではなく、鬼畜の母親が手助けをしている。母親は終身刑。サンフォードは少年院。死体は生石灰と共に埋めたので骨の断片しか残っていなかった。埋葬場所とは別に3人の少年の死体が発見されている。犯人は裁判ではあいまいな供述に終始したが、収監後に罪の重さを悟り、詳細な告白をしている。偽証少年は継母との折り合いが悪く、家に帰りたくなかったのが家での動機。母親は事件の7年後に死亡。【感想】そもそも自分の子供を間違えることがあるだろうか?9年一緒に暮らして、5ケ月離れただけである。顔は違う、身長は7センチも低い。家族や親戚、少年を知っている誰に訊ねても、違うと明白に答えるだろう。映画でも教師や医者が証言している。母親は、最初に出会ったときにはっきりと拒否すべきだった。子供の問い詰め方も甘い。また完全に違うと確信したあとで、新聞に少年の写真を載せてもらい、両親に名乗り出てもらえばよかった。警察も病院も態度や手口があまりにもあくど過ぎる。あきらかに演出過多である。◆殺人事件が発覚してからは物語が動き出した。警察の腐敗体質が明らかになり、対警察の司法対決となる。正義感にあふれる牧師や弁護士、まともな刑事も登場する。◆コリンズが生きているかどうか。映画では逃亡しているが、そのときサンフォードも一緒に車に乗って追いかけている。彼なら顛末を知っているはずである。映画では子供だが、実際は16歳。捕まえたか、逃がしたかくらいは覚えている筈だ。これは希望を持たせるための演出。犯人の極悪母親を出さなかったり、実際にはいない生還した子供が出したり、監督は食わせ者だ。「脚本の95%は実話」という宣伝文句の95%は嘘。売れる映画作りに徹している。主演女優は、老けすぎ。【疑問点】①初対面で母親が違うと言っているのに警察が無理強い。②誘拐の日に子供の面倒を見るのを頼まれた知人が登場しない。③狭い電話交換所でローラースケート。④母親化粧が濃すぎ。寝起きの顔も化粧。⑤アカデミー賞の予想ができるくらい映画を見てる。子供とは見に行けなかったのに。
[DVD(字幕)] 7点(2010-12-24 09:53:59)
424.  ドクトル・ジバゴ(1965) 《ネタバレ》 
金も時間もたっぷりかけた文芸大作。現在ではほどんと見ることができないタイプの映画。ロケーション、美術、大量のエキストラ、音楽、どれも申し分ない出来栄えで視聴に値する。 ◆戦争、革命、社会変革、価値観の変更。厳しい冬、慢性的な物不足、飢餓と隣り合わせの暮らし。生き延びるだけでも大変な時代。それだからこそ愛に飢えた魂同士は強く結びつき、燃えあがる。共に妻子ある身だが、愛が無ければ生きられない。ラーラの夫が革命家であることもあり、二人は時代に大きく翻弄される。 ◆ジバゴは両親を早くに亡くし、知人に引き取られる。裕福な家庭に育ち、望み通り詩人兼医者になる。政治にはさほど興味がない。義父母の娘と結婚。ラーラは母との慎ましい二人暮らし。母は俗人ビクターの愛人。ビクターに犯され、心の傷を負う。革命家と結婚し娘を授かるが、夫は家庭を顧みない。夫は戦場に行ったきり行方不明に。二人は運命に翻弄されるかのように何度も別れと出会を繰り返す。 ◆ラーラの夫は理想に燃える革命家であったが、後に冷酷な戦争指導者となる。最後は逮捕され自殺。この魅力的なキャラを中途半端にしか描かなかったのはどうしてか?人間性を失った彼と、最後まで失わなかったジバゴ。彼を描くことで好対照であるジバコを際立たせることになるのですが。 ◆ラストは尻切れトンボ。ジバゴの妻子はどうなったのか。ラーラの最後は?ラーラの娘は母とどうやって別れたのか?伝記なのだから、きちんと見せるべき。それに重要なアイテムのバラライカ、持ってるだけで何故誰も弾かないのはどうして? ◆物語として物足りないのは、ジバコが英雄的人物ではないという点。高潔で優しい人物であるが、何かを成し遂げるわけでは無く、思想も持たない。常に受け身である。医者として戦場に送り込まれたり、拉致されたりするが、さほど活躍するわけではない。ラーラとの不倫も偶然的要素が強い。いわば等身大の人間だ。彼の詩が紹介されないので詩人であるという深みが出てない。人間は、戦争や革命といった時代の奔流には逆らえないが、恋愛も同様だと原作者は言いたいのだろうか。歴史的背景を除けばメロドラマだ。ジバコが精一杯生きているは伝わるが、喜怒哀楽をあまり表出しないので共感しづらい。ラーラは憎悪のビクターのお陰で助かり、ジバコと一緒だった死んでいた。ジバコは、ビクターに完敗した感がある。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-24 04:07:03)
425.  地獄に堕ちた勇者ども 《ネタバレ》 
【相関図】ヨアヒム=当主、社長。コンスタンチン=当主の甥か次男、突撃隊。ギュンター=コンスタンチンの真面目息子。ソフィ=当主の長男(戦争死)の未亡人。マルティン=ソフィの馬鹿息子。フリードリヒ=ソフィの愛人、重役。エリザベート:当主の姪の娘。ヘルベルト=エリザベートの婿、重役、反ナチ。アッシェンバッハ=当主の遠縁、親衛隊。【歴史】1933年1月=ヒトラー内閣発足。2月=国会議事堂放火事件。1934年6月=長いナイフの夜事件(突撃隊粛清)【突撃隊】1921年発足、ナチ党と党員を防衛する組織、300万人。国防軍(10万人)に代わり正規軍になることを画策し、軍・親衛隊と対立。同性愛者集団という悪評あり。【H・バーガー】幼少より女装癖あり。ヴィスコンティ監督と愛人関係。【感想】ナチ台頭という歴史に翻弄される鋼鉄財閥一族の骨肉の争いと精神的堕落が破綻無く描かれる。財閥もナチスも内部に矛盾を抱えており、両者があいまって、それが一気に噴出。ただ女装ショー、乱痴気パーティ、少女への偏愛などが必要以上に長く、以下のカットされた部分が見たかった。①当主殺害容疑で海外逃亡したヘルベルトの逃亡生活と帰宅後の顛末。②エリザベートの強制収容所での死。③フリードリヒが当主を射殺。④マルティンが少女を犯す。⑤憎しみのとりことなったギュンターの顛末。⑥夫婦はどうして死を選んだのか。◆総じて権謀術策がお粗末。逆転が無いし、皆あきらめが早すぎる。人間の醜さを描くなら、もっとどろどろした権力闘争を。フリードリヒが粛清に参加して、コンスタンチンを射殺するのは無理がある。粛清シーンは撃たれても血が出ず、誰も抵抗しないので迫力不足。◆マルティンは父親を早くに亡くし母親の愛を得られず育つ。母親は他の男に愛を与え、息子を甘やかしつつ拘束し続けた。彼は独立心を得られず、臆病で、女装趣味、幼児偏愛の性癖、遂には近親相姦に。母親への復讐が心の解放となり、独立心を持つが、それはナチスに操作されていることであり、将来の破滅を意味する。結局母親が一番罪が重いのか。◆フリードリヒに人間の弱さと、人生の天国と地獄を見た。しかし彼が当主殺害に至るまでの心の葛藤が詳細に描かれていないので、軽い人物にしか見えない。彼は自分の手を黒く染めてしまったのだが、そうする必要があったのだろうか。財閥一家崩壊の発端となる重要な事件で、この部分に時間を割いてほしかった。
[DVD(字幕)] 7点(2010-12-23 19:23:40)
426.  チャップリンのニューヨークの王様 《ネタバレ》 
王様は、原子力エネルギーを平和利用し、理想的な社会を建設するという計画を持っていたが、反対に逢い、同時に革命が起り、米国に亡命する。王様はお金のことを第一に気にし、女っ気も抜けない俗人である。一方で妻には優しいし、演説好きの天才少年にも親切である。つまり平均的な人間、人間らしい人間である。それがアメリカ文明の洗礼を受け、受け入れられず去ってゆくという物語。 ◆前半はギャグや笑える風刺満載で十分楽しめる。後半はマッカーシズム(赤狩り)に対する反論が強く出てつまらなくなる。「『ニューヨークの王様』は私の映画のなかではもっとも反抗的なものだ。私は、今話題になっている死に行く文明の一部になるのはごめんだ」という彼の言葉が残っている。ビクトリア朝生まれのチャップリンにとって、50年代後半のアメリカ文明は荒廃しきっているようにしか見えなかったのだろう。無理もないことだ。ロック、フィルム・ノアール、あくどいほどのコマーシャリズム、人権侵害。「死に行く文明」と見えなくもない。 ◆「新しいモダン・タイムズ」を目指したということだが、文明批判としては弱い。自分の主張を子供に代弁させるのは大人気ないだろう。結局失われたのは天才少年の童心だけである。王様はお金を失ったが心に傷は負わなかった。王様にとって米国亡命は、珍しい経験ができて良い休暇になった程度のことに過ぎないだろう。コマーシャリズムの権化であるCMタレント、アン・ケイも良い人で終わる。決定的に毒(ブラックユーモア)が足りないのだ。王様が失うものが大きければ大きいほど、観客に訴えるものがあったに違いない。 ◆マッカーシズムが収まってから発表された作品で、タイミングも悪かった。米国では上映出来ず、商業的には失敗だった。皮肉ではないが、この内容が受けるのは米国くらいだろう。 ◆良いところもある。映画予告には笑いころげた。パロディ精神は衰えていない。突然CMをしゃべりだすのは秀逸。もっと見たかった。キャビアや亀のマイムは面白い。映画館でロックが演奏されるが、マイクスタンドがあるだけで歌手は見えないというのはシュールすぎたか?。笑いのアイデアは古びていない。自分が大衆受けしているのに気づかないところやペンキ塗りコントなど「サーカス」を彷彿させるものがある。喜ぶ仕草など、一部で原点返りしているのは嬉しい。
[ビデオ(字幕)] 6点(2010-12-14 18:37:25)
427.  サーカス(1928) 《ネタバレ》 
魅力の無いヒロインだ。娘は義父から虐待同然の扱いを受けて、泣くばかり。チャップリン(C)に優しくされて好意を持つが、好意どまり。占いで好きな人が近くにいると暗示を受け、ハンサムな綱渡り師が現れると恋のとりこになる。しかし再び義父に叱責されると、サーカスを出てゆくCに「連れてって」と懇願する。Cが綱渡り師を連れてくると喜び、プロポーズを受諾、義父の元へ戻る。一人では何もできず、知能は幼児並み。◆恋のパートも弱い。Cが娘に会ったとき一目惚れしなかった。お金を稼ぐのは自分のためで、娘のためでは無い。したがって良く練られたラストシーンだが、ペーソスが薄い。◆Cの映画ではリアルな女性像は描かれない。女性は類型的、あくまでお飾りにすぎない。可憐だが、独立心が無く、誰かの助けを必要としている不幸な存在。簡単に言えば、不幸な境遇にある幼い娘。◆自立した女性が登場するのは「モダンタイムズ」から。演じたポーレットはCの3番目の妻となる。若く見えるがCと出会った時点で離婚経験があった。彼女は私生活でも活発で、好奇心旺盛、面倒見が良かったらしい。Cと離婚した妻の元にいた息子達とが週末に会えるように取り計らったのも彼女。彼女の存在がCに与えた影響は大きい。◆フロイトの分析によれば、「Cは非常に単純な人間で、不遇だった少年時代を忘れられず、何度も演じ続けている」とのこと。Cは完璧主義者だが完璧な人間ではない。Cは自分が弱者だと感じていたので、自分よりも弱者に対して深く同情してしまう。世間を脅威と感じており、恐れていた。弱い者しか信用できなかったとも言える。助けを必要とする娘、子供、動物などには強い同情を抱くが、成熟した大人に対しては恐れを抱いていたのだろう。自分に狂気の血が流れているのではなかと恐れ、母親のことも周囲には隠していた。◆ドタバタ喜劇の基本は追っかけとばかりに、追っかけシーンが繰り返される。笑われているのに、本人はそのことに気づかない。本人は周囲を笑わせる気が無いのがおかしい。子供のお菓子を盗む食いするシーンに6週間もかけ、綱渡りは700回以上もやったという。完璧主義の極致、芸人魂の発露である。Cは得意げに演じているが、他の出演者は楽しそうには見えない。ヒロイン以外の共演者を育てるつもりなどないのだろう。良くも悪くもCのCによるCのための映画である。
[ビデオ(字幕)] 7点(2010-12-14 14:26:57)
428.  チャップリンの黄金狂時代 《ネタバレ》 
アラスカのゴールドラッシュとシエラ・ネバダ入植団の悲劇(カニバリズム)が元となっている。欲のために命を落とし、或いは生きるためには同胞をも食べる。チャップリン(C)の創作アイデアの元は常に悲劇や不幸である。「街の灯」「モダンタイムス」「独裁者」「殺人狂時代」「ライムライト」全て悲劇・不幸を扱っている。彼が「悲劇を笑い飛ばそう」という強い精神力の持ち主であり、それはCの不遇で過ごした少年時代に由来する。彼自身の言葉「しばしば悲劇が笑いの精神を刺激してくれる。笑いとは反骨の精神だ。たとえば大自然の威力の前では、自分の無力ぶりを笑うしかない。笑わなければ気が狂ってしまうだろう」狂気と天才は紙一重である。 ◆空腹のあまり靴を食べたり、相手が鶏に見えて殺そうとしたり、小屋が崖から落ちそうになると、相手を踏みつけて床を登ったり、ブラックユーモア炸裂である。悲劇の切迫度が高ければ高いほど笑いの密度が増す。Cは、幼少時代のひもじかった日々、それでも母親が笑わせてくれたことなどを思い出しながら撮影していただろう。靴は甘草で作られていたが、食べ過ぎたために副作用の下痢に悩まされたそうだ。プロ根性というものだろう。大勢のエキストラや特撮を使ったりと、気合が入っている。 ◆冒頭、Cの後をつける熊が登場する。一歩間違えばCは食われてしまっていただろう。だが偶然Cは助かる。Cはそのことを知らない。後に熊は小屋に現れ、射殺され、C達に食われてしまう。これが運命の皮肉だ。運命はCの預かり知らぬところで決定され、所詮人は運命を受け入れ、笑い飛ばすしかないのだ。 ◆もう一つの主題は恋。Cは単純に金持ちを夢見て金鉱探しに参加。しかし失敗して町に降りてくる。そこで酒場娘に一目惚れ、今度は娘と約束したディナーの資金を稼ぐために仕事に励む。だが約束の日に娘は現れずに失恋、失意のどん底へ。一方娘は約束を忘れていたことに気づき、小屋を訪ねるがCが不在。ディナーの準備の様子でCの恋心と失意を知る。そなんときCは山の相棒と出会い、二人で金鉱を見つける。期せずして夢は叶った。凱旋の船上で二人は再会する。皮肉にも立場は逆転していた。Cは金持ち、娘は落ちぶれて二等席。Cは昔の服装をしていたが、娘はそれでも好意を示した。身分を証し、キスしてハッピーエンド(サイレント版)。純愛は黄金に勝る。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-13 16:07:30)(良:1票)
429.  チャップリンの放浪者 《ネタバレ》 
バーでのヒゲの酔っぱらいのユダヤ人、ジプシー生活をし、娘を虐待するユダヤ人など、ユダヤ人を揶揄・軽蔑するような描写が目立つ。当時の典型的なアメリカ市民のユダヤ人に対する感情の反映だろうか。チャップリンの兄シドニーは異父兄弟で、半分か4分の1ユダヤ人の血が混ざっているとされている。後の「独裁者」を知っているだけに意外だ。 ◆流しの楽師である放浪者は、バーで一騒動起こした後、ユダヤ娘のところにやってくる。娘を好きになったのではないが虐待されている姿を見ると同情し、二人で逃げ出すことに成功する。二人での生活が始まったかと思うと、話は急転換。画家が娘の姿を気に入り、絵に描く。娘は画家に恋をする。その絵が評判となり、観に来た客の一人が描かれているのは自分の生き別れた娘と気づく。母と子は再会し、放浪者とは別れる。しかし娘の気持ちは変わり、放浪者を迎えにくる。ドタバタと恋と母子の再会、短い上映時間の割りに物語性に富んでいる。 ◆放浪者は娘に恋をしているようにはみえない。バイオリンを聞かせたあとにお金を要求するし、顔を洗ってやるのも実に乱暴だ。それに娘は画家に恋をしている。だから最後に娘が放浪者を迎えて来る場面でも感動は湧かない。まだまだ脚本が未熟のように思える。
[ビデオ(字幕)] 4点(2010-12-13 03:32:56)
430.  モダン・タイムス 《ネタバレ》 
アイデアの発端は、チャップリン(C)が、大恐慌により大量発生した失業者に同情したからだ。労働者階級出身で貧困裡に育ったCにとって労働者の困窮は他人事ではなかったろう。失業者が増えたのは機械化が進んだためと単純に考えたらしい。◆これだけ資本主義批判を全面に出せば、共産主義者と勘違いされるのも無理は無い。独や伊で上映禁止。単純作業のしすぎで病気になるなどの描写からは、資本主義の発達は人間を堕落させると考えていたようだ。工場長だけがのんびりとジグソーパズルで遊ぶ。デモ、ストライキは真面目に描かれる。浮浪娘の父は警官(国家権力)の発砲で死ぬ。Cは米国籍を申請せず、外国人である。当然当局の反発を買い、後の”追放”の遠因となった。◆過度なまでに機械化・自動化された工場の描写は時代を超えたインパクトがある。傑作とされる所以である。ただ何故ナット締めだけ自動化されていないのかという疑問があるが。◆昭和11年、時代はトーキーを過ぎてカラー時代。前作「街の灯」ではサウンド、本作では歌声を入れた。サイレントにこだわったのは、キャラである”浮浪者”がしゃべると生々しくなり、観客を現実に引き戻してしまうからだ。トーキーに対抗するためには、アイデアを満載して観客を飽きさせないことだ。前作から5年もかかったのはそのため。舞台時代から培ってきた芸の数々が惜しげもなく披露される。集大成といってもいいだろう。笑いと涙に社会風刺も加わり、映画としての完成度は高い。 ◆浮浪娘はたくましい。食べ物が無いと盗んで妹たちに食べさせる。父が死に、施設に収容されそうになるが、逃げだし、ダンスの仕事を見つける。独立心があり、労働者の希望の象徴として描かれる。◆浮浪者は真面目に働こうとするが、失敗の連続。それでも浮浪娘のために家を持とうと、くじけない。遂には職を得るが、浮浪娘が微罪で捕まりそうになり共に脱走。二人の気が合うのは、性格が似ているからだ。失敗しても笑いを忘れずにいれば、いつか明るい未来がやってくるさとあくまでも前向きな姿勢で終る。深みあるテーマにしては単純なラストだが、二人の歩みは軽やかで力強く、爽快感がある。単純さの中にこそ真実がある。Cの定番である”別れ”で終わらなかったのは、労働者に対するエールが強く込められているからだろう。”甘さ”を指摘するより、ヒューマニズムあふれる名作として讃えたい。
[ビデオ(字幕)] 8点(2010-12-13 02:16:06)
431.  チャーリー 《ネタバレ》 
◆監督はチャップリン(C)の作品よりも、私生活、特に女性遍歴に興味を持っているようだ。女性の年齢を強調し、必要以上に裸を見せる。C本人が観たら激怒すること間違いない。 ◆Cが成熟した女よりも少女に興味を抱くのは、恐らく彼の完璧主義的性格が原因だろう。不幸な生い立ちのせいで、理想の高い家庭像を抱いているが、それにはCの言うことを何でも聞いてくれるタイプの妻が必要。1から全てを教えて理想通りの妻に育てたいのだ。だがそれはうまくゆかず、離婚再婚を繰り返す。 ◆映画ではCが恩人の元を去り、独立したのはお金のためだとしている。貧困育ちの彼が人一倍お金に執着するのは理解できる。しかし、それよりも彼の完璧主義的性格の方が主因だと思う。自分の思い通りにやらないと気が済まない性格なのだ。彼が監督、脚本、プロデューサー、主演、音楽を一人でこなしたのは偶然ではない。そうせざるを得なかったのだ。それだけの実力があったし、成功も収めてきた。だがそれ故に多忙となり、疲弊し、家族のことがおざなりになる。それが私生活の乱れにつながる。 ◆貧困時代が興味深い。兄や母との涙の別れ、孤児院の所員との追いかけっこ、ひょこひょこ歩きの集荷人、盲目の少女など、彼の後の映画のモチーフがさりげなく紹介されているのが心憎い。舞台時代のパフォーマンスが見れるのも嬉しい。初恋の女性ヘティに求婚したとき「愛の言葉もなくて?」と言われ、「言葉なんて必要かい?」と返すところは、彼の後のサイレントへの執着を暗示している。 ◆「浮浪者がしゃべったら魔法を失う」という彼の主張は的を得ていると思う。しかし同時に彼の限界でもある。初の完全トーキーは「独裁者」。最後の長い演説を聞かせる必要があったからだが、世界中に愛の言葉を伝えたいという情熱が、自分の壁を打ち破ることにつながったことは興味深い。監督はその演説シーンのスクリーンにペンキをかける。監督がCファンでないことは明らかだ。 ◆母親には限りない愛情を注ぐ一方で、父親に対してはひどく冷淡だ。終生嫌悪していた二番目の妻に対しても同様だが、一度嫌いになると許せないらしい。世界に愛を伝えたCが、自分の父を愛せないとは皮肉なことだ。伝記映画で父親が一度も登場しないのは不自然だし、残念だ。父不在が彼を幼少期から独立心を育ませた。彼が渇望していたものは常に愛であり、作品に強く反映されている。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-12 19:55:16)
432.  スモーク(1995) 《ネタバレ》 
生きるということはタフなこと。若い頃は無茶もするし、心に傷を負い、大切なものを失うこともある。片目や片腕は人生で喪失したものの象徴だ。四千枚もの街角の定点写真は時間の象徴であり、あっという間に過ぎていったと感じられるものだが、じっくりと見返せば見えてくるものがある。人生をそんなに急がないで、時には煙草一服くゆらしながら、休憩してゆきなさい、という趣旨の映画。◆完璧な人生など無い。作家は最愛の妻を失っているし、黒人少年には両親がいないし、煙草屋は恋人と別れた心の傷を持つ。正直だけで生きられたら良いが、実際の人生はそうはいかず、時には嘘をついて相手を煙に巻くことも必要だ。嘘にも種類がある。自分の利益のために相手を騙す嘘、世間を乗り切るための処世術としての嘘、相手を思いやっての優しい嘘。害にもなれば薬にもなる。煙草も似たようなものだろうか。◆作家は生きる気力を失くしていたが、少年との関わり合いで世間との関わりを持つようになり、煙草屋の体験談を元に、作家として復帰する。少年は嘘の名人だったが、作家と出会い、作家に父のような感情を持ち、まじめに働くようになり、遂には実父との再会を果たす。煙草屋は、元恋人と再会し、実の?娘と会い、過去のわだかまりを捨てて、お金を渡す。が、小説のようにうまく収まったわけではない。作家の妻の喪失感は消えることは無いだろうし、少年と実父との関係もぎくしゃくしたままで、煙草屋の娘は悲惨な運命が待っていることが予想される。それでも一歩一歩、毎日を刻んでゆかなければならない。お互いに心を開けば、街角の交差点にように人生が交差し、物語が生まれる。素晴らしいことだ。◆最後のモノクロ場面は、作家の書いたクリスマス・ストーリーの映像化であり、回顧場面では無い。作家は煙草屋の語りがあまりに出来過ぎていたので、嘘と断じたようだが、真相は不明だ。煙草屋の「秘密を分かち合えないで友達とは言えない」の科白から推せば、真実と思われるが、何が真実かは重要では無い。真実と嘘の間には少しの違いしか無い。人生は重いが、同時に煙草の煙のように軽い。長く生きているとそういうことも分ってくる。そういうことをしみじみと感じさせてくれる大人の映画である。◆全員が煙草を吸うのは演出過多。自動車工が高価な葉巻を吸うだろうか?17歳に煙草を吸わせるのも疑問。娘に救いが無さすぎる。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-10 18:45:13)
433.  白いドレスの女(1981) 《ネタバレ》 
これでもかと畳み掛ける蒸し暑い夏の描写、汗染みの服、退廃的なジャズのメロディ、犯罪の匂いのぷんぷんする映画だ。◆遠くのホテルで火事がある。愛人との情事を楽しんでいる弁護士ラシーン。「放火らしい」と呟く。対岸の火事と思っていたが、やがてそれは自分に降りかかる厄災の火の粉だった。映画全体を象徴するうまい冒頭シーンである。音楽やカメラワークが洗練されており、質を高めている。映画作りを良く知った監督の作品と思う。◆男は人妻の色香に溺れる。独身で女性をつまみ食いするのが趣味、元々溺れやすいタイプだ。米の弁護士は数が多く、皆高所得とは限らない。仕事面でミスが多く、うだつは上がらない。◆女は男に、夫の悪口と財産の多さを強調して吹き込み、殺人へと誘う。すっかり騙された男は、殺人を実行する。だがそれは女の巧妙に仕組んだ罠だった。◆それにしても夫殺害の実行は、お粗末すぎる。自宅で殺し、廃屋に運び、発火装置で燃やす。発火装置を知人の放火マニアに作ってもらっているので、証拠も証人も残る。家に侵入しても音をたてて気づかれてしまう始末。もっと別な方法があったはずです。眼鏡の紛失も女の仕業とはいえ、気づかないのはうかつなことで、夫が外出したストーリーなのに車はそのまま。電話がかかってきたというが、記録は無い。これではきっとレンタカーの記録も残しているのだろう。弁護士にしては杜撰すぎる。◆誰が見ても証拠一つ残らない完全犯罪計画が破綻する様子を観たかったのに残念である。そこがこの手の知的犯罪映画の肝と思うがどうであろうか。計画が破綻してゆくサスペンス、犯人の焦り、犯罪を補完する次の手立てなどが無く、あっさりした印象である。あの立場で男は、ジョギングをしている暇は無い筈である。◆女が放火マニアに相談して、発火装置を作るのも解せない。告げ口されれば終わりである。そもそも二人に接点があったのか?女は身代わりのアンの死体を焼いて逃亡をするが、死後に焼かれたことは、調べればすぐに分ることである。これがわからない警察はありえないだろう。◆女の入れ替わり(名前を交換)であるアンの登場場面(男が女と誤解して卑猥な言葉をかける)や二人の情事を目撃した少女等は、徐々に綻びてゆく完全犯罪の伏線として魅力的であった。◆悪女映画としては成功している。
[DVD(字幕)] 6点(2010-12-10 14:01:38)
434.  劔岳 点の記 《ネタバレ》 
冒頭、陸軍の地図作りの意義について、ロシアの脅威に対して、国内の詳細を知ることが急務であると説明している。戦争と剣岳周辺の地図とに関係があるとは思えないので、無理があると感じた。また登頂を日本山岳部に先を越されるのと良しとしないとも言う。だが、それなら地図作成チームとは別にアタック隊を組めばいいではないか。簡単なことである。初登頂しろと命じながら、のんびりと半年もかけて地図作りをやらせている。筋が通らない。一事が万事この調子で、最後まで盛り上がらない。感動もどきはあるのだが、真の感動には至らない。それは、肩透かしされることが多いからだ。 【肩透かし】 ①ここから最難関の頂上アタックだ、と思ったら、簡単に雪渓登って、岩に取りついたと思ったら、途中省いて、もう登頂。盛り上がるわけないよな。簡単に登れそうな山にしか思えない。 ②さあ登頂したぞ、みんな大喜びするだろう、と思ったら、全員寡黙。景色を見ているだけ。苦労して登頂したのに感動しないの? ③軍部が成功の報を聞いてさぞ喜ぶ、と思ったら、行者に先を越されていたことを知ると、全く喜ばず、なかったことにしたいなどと言い出す始末。地図を作成するのが急務の目的ではなかったのか?目的は達成できたし、山岳会より先んじたはずなのに。 ④陸測部と山岳会の初登頂対決、と思ったら、両者がライバル意識をさほど露わにはせず、最後はなんとなく仲間扱い。陸測部はのんびり、山岳会は良い人。ああ中途半端。 ⑤地元の剣岳信仰の人たちの強い反発がある、と思ったら、特に無し。長次郎の息子も最初は猛反発していていたのに、途中から応援している。どうして思想転換したのか不明。 ⑥未踏峰の登山なのでさぞかし犠牲が、と思ったら犠牲者は無し。数日後山岳部も登頂している。本当に言うものの難登山だったのかという疑問が湧く。 ⑦未熟キャラのノブが山の仲間達との心の触れ合いを通じて成長してゆく物語、と思ったら、そうでも無い。二度も死にそうになったのに、妙に淡々としている。 ◆山を美しく撮り、自然の厳しさは表現できている。山岳映画としては成功。好感はもてる。でも感動は薄い。感動させようという意気込みが見られない。ただドキュメンタリータッチで撮れば良いと思っている。感動は製作者たちの心の中にあるのだろう。 音楽と映像が乖離していた。
[DVD(邦画)] 7点(2010-12-10 03:31:54)
435.  名探偵ポワロ エンドハウスの怪事件<TVM> 《ネタバレ》 
大富豪のシートン卿が亡くなる。遺産を受け継いだ甥のマイケル・シートンが、飛行機世界一周冒険旅行中に事故に遭うというニュースが流れる。シートンはマギー・バークレーと婚約中で、財産をマギーに与えるという遺書を残していた。お金に困っていたマギーの従姉でエンドハウスの主人ニック(美女)は、二人の婚約が秘密裡に行われていることを知っており、遺産奪取を企む。マギーを亡き者とし、正式名がマギーと同じマグダラであることを利用し、シートンと婚約していたのは自分だと主張する計画。  先ず自分の命が何度も狙われているという作り話をし、ポアロの前で銃に撃たれたように芝居。ポアロの勧めで後見人としてマギーを呼び寄せる。自分のドレスをマギーに着せ、射殺。マギーが人違いで殺害されたと見せかける。なおも芝居を続け、自作自演の毒入りチョコをで食べる。あらかじめマギーの家からシートンからの手紙を盗んで自分の部屋に置いておくという小細工もしていた。ポアロはニックを死んだことにして捜査する。 【ミスリード】①エンドハウスの園丁夫婦がニックの偽の遺言状を作成。②ニックの友人たちが麻薬常習者。一人は麻薬売買で金を儲けている。③女友達のコートの中に拳銃。 【感想】事件が起こる前からポアロが絡み、展開する。いくつかの異なった証言があり、どちらから嘘をついているのだが、それがなかなか明らかにされず、最後までサスペンスが持続する。人違い殺人と見せかけたため、殺害動機が終盤まで不明。ミステリーとしてかろうじて合格ラインには達しているレベル。そもそも婚約者の取り替えは不可能だろう。いくら秘密にしていても周囲には分る。ニックがシートンの遺言の内容を知っていたことにも疑問がある。盗んだ手紙にしても宛先が違う筈だ。マギーだが、婚約者が事故で死んだかもしらないという重要な時にのこのこやって来るだろうか。毒チョコは誰に頼んで送ったのか。帽子を貫通した弾が座席近くに落ちていたのも不自然。ニック一人の犯罪としては無理が多く、誰か協力者を作ればよかった。命を狙われている本人が犯人だというのが最大のミスリードだが、他に大したミスリードもない。事件が一つしか起こらないのも物足りない。死んだふりや霊媒会などの小芝居は鼻白んだ。美女の演技は良かった。
[ビデオ(吹替)] 6点(2010-12-09 22:30:13)
436.  男はつらいよ 純情篇 《ネタバレ》 
【制作メモ】本シリーズを終了させる予定で第5作が制作されたが、評価が高かったので本作が制作された。この時点で観客動員数は75万人以下と低く、200万人以上のヒットを記録するようになるのは第11作目以降。【寅次郎の行動パターン】①おいちゃん、おばちゃんとは少し気まずいく、会話がぎくしゃく。②タコ社長とはケンカ。③印刷会社社員を労働者諸君といって見下す。④弟分の源公を小バカにする。⑤御前様には低姿勢で挨拶。⑥博には兄貴風をふかす。⑦さくらへの兄妹愛が強い。妹のために立派な兄貴なりたいと願っている。⑧美人にすぐ惚れる。惚れると堅気人風に人格が変わる。告白まで進展しない。⑨義理に厚く、人情にもろい。【感想】本作はシリーズの持つ魅力が満載。テキ屋稼業の渡世人である寅次郎の孤独と望郷の念はひしひしと伝わる。これと対比して柴又の人情味あふれる暮らしぶりが描かれる。隣人を気軽に夕食誘うこと近所つきあいが普通に行われる世界。寅次郎が帰りたくなるのも頷ける。◆・寅帰宅で、ドタバタが始まるのだが、博の独立問題の挿話が出色。無責任と勘違いで話は進展し、大騒動になって、最後は大団円。ファミリー向け、コメディとして成功している。◆「わかっちゃいるけど止められない」のが寅次郎。真人間になろうという気がないではないが、気ままな渡世稼業が身にしみている。フラれるのとわかっていても、ついつい美人に惚れる。日本一の「空気が読めない人間」。口がすべってつい余計なことを言う。売られたケンカは買う習い。頼まれごとは引き受ける。悪気がないだけに始末が悪い。そんな人間味あふれる寅さんには誰だって感情移入してしまうだろう。◆一方マドンナはお飾りで、あくまであこがれの存在でしかない。心の内面が深刻に描かれたり、成長したりはしない。チャップリンの映画ほど感動しないのはこのため。◆不幸な家出嫁の漁村での場面は味わい深かったが、展開があっさりしすぎている。働かず、嫁の給料ぼったくりのダメ亭主が、急にまじめに働きだしたりしない。ご都合主義だが、シリーズのファンにとてはお約束。◆お約束といえば、さくらとの別れのシーン。「故郷ってのはなあ」で、ドアが閉まって聞こえない。良い演出です。全て言っちゃあおしまいよ。
[ビデオ(邦画)] 7点(2010-12-05 13:51:18)
437.  熱いトタン屋根の猫 《ネタバレ》 
【制作メモ】リズ26歳。妻役に惚れ込み自ら売り込む。制作中に夫が不慮の事故で逝去。1月程撮影中断、心痛で5キロ痩せる。前半の肉感的なセクシーさが後半には無いのはそのため。原作では次男と親友はゲイの関係だが、当時のプロダクション・コードの規定でそれは表現できなかった。自信ゲイであった原作者はこれに激怒。【次男】裕福な家庭に育ち、両親から愛され、美貌の妻を娶り、アメフトの花形選手。だが幼馴染で相互依存関係だった親友の自殺で人生が暗転。妻と親友の不倫を疑い、死に関係していると怪しみ、同居離婚状態。父親から愛されたことがないと感じ、愚昧な兄夫婦を蔑視。世界は虚偽に満ち溢れていると思い込み、失職、アル中に。【父】傲慢、専制タイプ。浮浪者の父を恥と思う。がむしゃらに働いて成功を収めた。妻を愛したことは無い。長男とは馬が合わず、次男を溺愛する。余命幾許も無いことを知らされる。【長男】従順、小心者。父に愛されず。美男美女の弟夫婦と対照するように正反対に描かれる。【感想】密室劇のような重苦しさ。回想シーンを挟まず、すべて会話により進行。鑑賞後爽快感が少ないのはそのため。◆表向きは仲良しだが、心の底では愛しあっていない家族。父の余命が宣告される。常に自信満々の父も死に直面し、さすがに落ち込む。そこに感情の隙間が生まれ、人生を絶望している次男と心を通わせることができた。そもそも余命を知るきっかけは、次男のことを心配し、真相を解明しようと懸命になったことだった。◆父は父を恥と感じていたが、本当は愛し、愛されて幸福であったことを思い出す。妻から愛されていないと感じていたが、そうではないと気づく。子供を愛していたと思っていたが、上辺だけだったと思い当たる。◆次男は親友の死を妻のせいにしてきた。だがそれは自分に責任があることを認めないための逃避だった。◆長男は父の愛を得られなかった腹いせに父の財産を狙っていたが、父のことを本当に愛していたことを知る。◆意表をつくのが次男妻から父への妊娠しているという嘘のプレゼント。虚偽だが相手を思いやっての嘘は美しい。父は嘘と知りつつ喜ぶ。長男も受け入れる。虚偽もまんざらではないと気づいた次男は妻を許す。この閃きが原作を名作たらしめている一因だろう。人生や家族関係は難しいが、このような奇跡も起こり得るのもまた人生である。
[DVD(字幕)] 7点(2010-12-03 14:48:28)
438.  男はつらいよ 旅と女と寅次郎 《ネタバレ》 
【都はるみ】母子家庭で育つ。6歳頃から歌手になるべく、母親から浪曲と民謡を厳しく習わされる。本人は歌手になりたくなく、母を憎んでいたという。1964年16歳でデビュー、芸名は「京はるみ」が予定されていたが、同名歌手がいることが判明し、都はるみに変更。三曲目の「アンコ椿は恋の花」がヒット。独特のこぶしは弘田三枝子の歌い方にあこがれてあみだしたもの。1980年「大阪しぐれ」で初めて歌手になってよかったと思う。1984年に一時引退。 【感想】はるみは幼少の頃は母親の意向、芸能界入りしてからは、プロダクションの意向によって厳しく行動が制限され、自由のない生活を送ってきた。多忙さにより恋も自由にならず、好きな男とも別れる。その反動で家出を敢行。一方寅次郎の生き方は自由そのもの。風が吹く方へ旅から旅への渡り鳥。明日の計画は明日になって決まる。暇と時間はたっぷりあり、無いのは銭だけという気ままさ。 ◆男はつらいよシリーズの人気の一つは、観客が寅次郎の自由な生き方にあこがれるからだろう。誰でも人生の重しを捨てて、自由気ままに旅をして暮らしたいと思うときがある。寅次郎が代わりに旅をしてくれるのだ。そして「泣き」と「笑い」がある。誰もが安心して観れる。 ◆対照的な二人が出会って、友情のようなものが生まれる。はるみは寅次郎の優しさと人情に触れ、心を癒され歌手に復帰、良い想い出が残る。又恋人ともうまくゆく。寅次郎ははるみの前では、良いおじさんを演じているが、実は恋に落ちている。そしてお約束の恋わずらいのドタバタ劇の果ての失恋、そして再び旅へ。すべてが予定調和で了る。悪人は一人も出てこない。◆マドンナは常に「高嶺の花」だが、今回はスターなのでその感が一層強い。ただ顔が庶民的なのはご愛嬌。「京はるみ」と「都はるみ」がほぼ同一人物なのが異色。ストーリーはあって無きが如きもの。はるみの心の内面が深く描かれることはない。はるみは魅力的に撮られており、プロモーション映画としては成功。寅次郎は懲りずに恋をし、また振られる。故に観客は彼を愛し、応援する。◆監督が都はるみのファンで引退記念に映画を作りたかったのだろう。
[ビデオ(邦画)] 5点(2010-11-29 10:26:40)(良:1票)
439.  赤い月 《ネタバレ》 
「満州で酒造りに成功した森田、その夫で自由奔放な性格の波子、波子の元恋人の大杉中佐、軍の諜報員の氷室の四つどもえの愛憎歴史群像」を描きたかったことがかろうじて分る作品。「愛」とか「生きる」とか観念的な言葉や教訓じみた理屈がやたら飛び交うが、言葉で説明されても困るのだ。人物の存在感、生き方、情熱などが伝わってこそ、初めて感動が伝わる。感動の要素が詰まっているのに感動が伝わらない典型的な映画。ある意味、こう作ってはいけないという他山の石の教材として鑑賞価値がある。 ◆満州鉄道が単線として描かれていることに違和感がある。車両数も少ない。CGによる機銃掃射、空爆場面は安っぽい。低予算なのだろう。 ◆昭和19年夏の森田の演説で「聞けば16機のB25が本土を襲い、戦局は予断を許さぬ状況」とあるが、それは昭和17年4月のドーリットル空襲のこと。監督も脚本家も歴史には疎いようだ。 ◆後半、波子と氷室の恋がメインとなる。が、氷室は氷のように冷たい諜報部員で、多くの中国人を殺し、ロシア人を拷問した上アヘン中毒にさせ、恋人のロシア人エレナの首を刎ねた人物である。この人物のどこが好きになるのかわからない。感情移入などもっての他だ。氷室は終戦になったとたんに、人が変わったように軍部批判や人生訓を口にする。お笑い草である。この人物が何をしゃべっても嘘っぽく感じる。人物が生きてないのだ。「あなたを愛していることが、今の俺を支えていてくれる」戦前の軍人がこんなことを言うだろうか。 ◆恋多き女、波子。子供がいるのに大杉と縒りを戻すことを考え、氷室とエレナの関係に嫉妬する。夫が亡くなって間もないのに氷室と昼間から愛しあう。「生きるためには愛する人が必要なの」ああそうですか、ご勝手に。主演女優に華がない。 ◆森田こそ悲劇の主人公なのだが、ぞんざいな描かれ方しかされていない。氷室のアヘン中毒の場面が無駄に長いので削って、その分森田を描くべきだった。 【ツッコミ】①エレナは子供たちに何を教えていたの?ロシア語?②おかゆを食べさせるのに口移しはないだろう。③スパイを捕まえた場合、すぐ殺したりしない。情報を引き出すことが重要だからだ。④大杉の漫画のような突撃死に苦笑。⑤森田は大杉と波子を引き合わせた。なのに波子が戻ってくると嫉妬のあまり小指を切断。
[DVD(邦画)] 3点(2010-11-20 01:27:44)
440.  ゴジラVSスペースゴジラ 《ネタバレ》 
【感想】薄っぺらで底の浅いストーリー。怪獣プロレスごっこのB級路線全開。「スペースゴジラの誕生」と「地球飛来の理由」がほとんど描かれていない。モげラのデザインは時代遅れ。特撮に見るべきものなし。スペースゴジラのデザインは良かった。【ツッコミ】①ゴジラ映画で最初に犠牲になるのは大抵アメリカ人。今回はNASA惑星探査船。何か恨みでも?②スペースゴジラ(SG)は飛ぶときと地上に降り立った時で姿が違う。変身シーンを見せてほしい。③SGはGを倒す目的で来たらしいが、どういう理由によるのか?それなのにバース島で戦ったときに、トドメを刺さなかったのはどうしてか?④ゴジラが倒されると地球も征服されると小美人コスモスが言っていたが、どうしてそんなことがわかるのか?モスラが倒せばいいじゃないか。⑤小美人がどうして小モスラに変身するのか。⑥宇宙でモスラが鱗粉を捲き散らすと無数の小モスラになる。あれはどういうことか?⑦バース島での結城隊員の任務は何か?許可なくゴジラを殺そうとしている。⑧ゴジラ殺傷作戦がシリーズ中最弱。三人で地雷を埋設?脇下にライフルで血液凝固剤を撃ち込む?失笑です。脇の下じゃなくて口中の方がいいと思うし、どうせなら、もっと巨大にしてミサイルで撃ち込みなさい。⑨結城はゴジラ退治に執念を燃やしているのに、逃げてゆくゴジラを見逃した。「傷ついた奴は追わない」⑩特撮と実写とでバース島の砂浜の色が違う。凡ミス。⑪結城らが訓練も受けてないのにモゲラを操縦する。⑫バース嶋に結晶体が繁殖し、SGはそこからエネルギーを吸収していた。福岡では宇宙エネルギーを福岡タワーが吸収し、結晶体を媒介にしてエネルギーを吸収していた。でもそんなことどうやって分かったの?⑬片足が扉口に挟まって宙ぶらりん。ありえん。⑭超能力少女三枝は、ゴジラを意のままに操れるなら人間だって操れるはずだが。⑮三枝が拉致されている場所が、どうしてすぐに判明したのか。⑯Gフォースはどうしてミニゴジラを囮にした作戦を立てないのか。ミニを観察しているだけなのか。⑰進化生物学博士の正体は企業マフィアの一員だった。それはいいが、三枝拉致の目的がゴジラを意のままに操って街を破壊するのが目的というのは解せない。
[ビデオ(字幕)] 3点(2010-10-27 14:31:01)
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