421. 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962)
ネタバレ 正統派の「忠臣蔵」映画としては、これまで観てきた中でも五指に入る出来栄えではないかと思われます。 (ちなみに、正統派ではない変化球で真っ先に思い付くのは1990年のドラマ版です) とにかく、余計な事をしていないというか、必要なエッセンスだけを抽出した感じがして、観ていて安心させられるものがありましたね。 基本的には1954年版の同名映画のリメイクと言って良い内容なのですが、あちらが当時としては斬新な演出や解釈を色々と盛り込んでいるのに対し、こちらは旧来通りというか、真っ当な娯楽映画に仕上げてみせたという印象です。 岡野金右衛門が大工の娘と恋仲になる件の尺が長いのと、三船敏郎演じる俵星玄蕃の存在感が強過ぎて浮いているように感じる辺りは難点でしたが、きちんと作中のクライマックスを「討ち入り」に定めている為、全体のバランスとしては整っているように思えました。 特に感心させられたのが、吉良上野介の描き方。 冒頭にて「前々から浅野には怨みがあった事」「上司から浅野への復讐を促されていた事」などが語られている為、何故わざわざ意地悪をしたのかと、観客に疑問を抱かせない形になっているのですよね。 そういった情報を前もって提示する事で吉良側の動機を補強しつつ、浅野に対する場面では存分に「嫌味、吝嗇、欲深な爺様」っぷりを披露して(こりゃあ浅野が怒るのも分かるわ……)と思わせてくれるのだから見事。 作り手としては、恐らくそんな意図は無く、吉良の悪役っぷりを際立たせる為の台詞だったと思われますが「臆病と言われれば、それはいっそ儂には自慢になる」と言い放つ姿なんかも、妙に人間臭くて、自分としては好感を抱きました。 加山雄三が内匠頭を演じるというのは驚きでしたが、生真面目で、気が強くて、病的なくらいにプライドが高いという、難儀な人物を見事に演じており(こういう役も出来るんだなぁ)と感心させられましたね。 刃傷を起こした後、乱心したという事にすれば罪も軽くなるのに、それを潔しとしなかった堅物っぷりにも、説得力があったと思います。 内匠頭を描く上でネックとなるのは「自分の行いによって家臣達が路頭に迷うとは思わなかったのか? 本当に名君なのか?」という点なのですが、本作においては「賄賂が横行する現在の政治は間違っている」という正義感が動機の一つとなっている為、一応浅野側の言い分も理解出来ます。 松の廊下の件でも「先に手を出したのは吉良」という形になっており、浅野側が正しいという作中の価値観に対し、反感を抱かずに済むようになっていますね。 討ち入りの場面に関しても、二十分ほど掛けて丁寧に描いており、充分に納得のいく出来栄え。 雪を踏む足音に合わせるように流れる伊福部音楽は、最初こそ「ゴジラかよ!」とツッコませてくれますが、慣れれば「忠臣蔵らしい、重厚な迫力がある」と思えました。 暗い屋敷内に、侵入者側が蝋燭を配置していく流れなんかも面白くて、堂々とした合戦ではなく「夜陰に乗じて寡兵で攻め込んだ奇襲戦」である事を実感させてくれます。 また、吉良を殺害する場面を直接描かない事、事件後の切腹の様子をナレーションだけで済ませた事も、効果的でしたね。 それによってネガティブな印象が薄れ、本作は「主君の仇討ちを果たした赤穂浪士が、誇らしげに町を歩く姿」という、鮮やかな印象のまま完結を迎える形となっており、若干の苦みを含みつつも、後味は爽やか。 自分が忠臣蔵モノで何か一つ薦めるとしたら、上述の1990年のドラマ版なのですが、そういった変化球作品を楽しむ為には、やはり本作のような真っ当な魅力の「忠臣蔵」も味わっておくのが望ましいのでしょうね。 久々に、王道の魅力を堪能させてもらえた一品でした。 [DVD(邦画)] 7点(2016-12-05 18:23:50) |
422. ミシシッピー・バーニング
ネタバレ 「町の黒人は幸せだった」「運動家が混乱させるまではな」という台詞が、非常に印象的。 差別を行う人々にとっては「黒人に白人と同じ権利を与えようとする行為」こそが悪であり、平和な町に混乱を齎す元凶なのだという事が伝わってくる、恐ろしい場面でしたね。 FBI側が絶対的な正義という訳ではなく「非合法な捜査を組織ぐるみで行う集団」としての面も描いている点は、好印象。 特にジーン・ハックマン演じる「ミスター・アンダーソン」に関しては、それが顕著であり「密造酒屋から賄賂を貰っていた」と平気で話すものだから、悪徳警官と称しても良さそうな感じです。 では、そんな彼が人種差別を目にして眠っていた正義感を目覚めさせる話なのかと思いきや、どうも少し違った印象を受けてしまいました。 それというのも、彼が本気で怒り、KKKを相手に鮮やかな逆転劇を決めてみせるキッカケというのが「黒人が殺された事」ではなく「白人女性がKKKメンバーから家庭内暴力を受けた事」だったりするのです。 個人的に親しくしており、不倫のような関係にあった女性が被害に遭ってから初めて本腰を入れるだなんて、正直「なんだそりゃ」と思ってしまい、終盤の展開にてカタルシスを得る事が出来ず、残念でした。 作中にて「消えたのが白人でなくても来てた?」という台詞をFBIに対して言わせている辺り、作り手としても意図的に「白人が白人の為に捜査を行っただけ」という主張を織り込んでいたのかも知れませんし、あるいは「黒人だけでなく女性も差別を受けているのだ」と示す効果があったのかも知れません。 ですが、映画として観た場合「黒人が殺されてしまう」→「白人が入院する」という流れで、後者の方が重大であるかのように描く演出は、流石にマズかったのではないでしょうか。 自分としては「人種差別を否定する人物の代表」であるところのウィレム・デフォー演じるウォード捜査官に、もっとスポットを当てて、彼が正攻法でKKKを追い詰めていくところが観たかったものです。 映画としてのクオリティは非常に高く、例えば導入部の水飲み場のシーンで一気に観客の興味を惹き付けるのも上手いし、KKKの襲撃を受けた主人公達が銃を手にして外に飛び出すシーンの緊迫感も凄まじい。 アンダーソンとウォードの正反対なコンビからは、バディムービーとしての面白さも感じられましたね。 レストランにて「黒人の席だ」と注意されても、気にせず座ってみせる白人のウォード捜査官という描写なんかも、非常にスマートで魅力的。 ラストにて明かされる犯人グループの量刑の軽さには、唯々呆然とさせられ、差別に対する怒りが込み上げてきましたし「見て見ぬふりをした者は皆、有罪だ」という一言にも、大いに頷かされるものがあります。 そんな風に、褒めるべき点が幾らでもあって、傑作と呼べそうな一品なのですが「それだけは、やっちゃいけないだろう」という終盤の展開があった為「結局のところ、白人本位の内容なんだ」との印象を拭い去る事が出来なかった、惜しい映画でありました。 [DVD(字幕)] 6点(2016-12-02 18:46:34) |
423. ペリカン文書
ネタバレ タイトルは知っていたけれど、ストーリーに関しては全く知らないという状態で観賞。 「仮説を唱えた論文程度を恐れて殺人を犯す訳が無い。きっと何かもっと深い理由があるはずだ」と思っていたのですが、中盤以降で「そんな深い真相なんてない」と気が付いてしまい、何だか大いに落胆させられましたね。 勝手に深読みし、期待しちゃっていた自分が愚かというだけなのですが、それにしても終盤において「どんでん返し」が無いのは寂しいし「真実を明らかにしてみせたカタルシス」も薄かったように感じられます。 理由を分析してみるに、こういった映画の場合は視点を「論文を書いた法学生」に定め、巻き込まれ方のサスペンスとして描く事が多いのですが、本作はその視点を意図的に分散させているのですよね。 それによって、法学生が明確な主人公ではなくなり「彼女も殺されるかも知れない」と緊迫感を抱かせる効果があったのかも知れませんが、自分としては「彼女に感情移入出来ない」「敵方も何を考えて、どんな行動をしているのか丸分かりなので、不気味さに欠ける」という結果に終わってしまった気がします。 若き日のジュリア・ロバーツとデンゼル・ワシントンの組み合わせは新鮮で、ただ立って話しているだけでも好感を抱いてしまう雰囲気が漂っているのは、流石という感じ。 総じて真面目に作られており、クオリティも決して低くはないのですが…… 何だか、その優等生っぷりが「面白みに欠ける」と思えてしまうような、物足りない映画でありました。 [DVD(吹替)] 5点(2016-11-23 15:02:09)(良:1票) |
424. ハウス・オブ・ザ・デッド2<TVM>
ネタバレ 前作からは一転、かなり真面目に作られているゾンビ映画。 こういった形で作風が分かれた以上「1の方が好き」あるいは「2の方が好き」という論調で語りたかったところなのですが、正直に感想を述べると「どっちも同じくらい……」という結論に達する為、困ってしまいますね。 分かりやすいところで比較すると、主人公に関しては、本作の方が圧倒的に好感が持てます。 如何にも有能そうなルックスに反し、作中の行動はドジが多くて頼りないのは玉に瑕ですが、観客としては応援したくなるタイプの人物でした。 キーアイテムとなる血液サンプルの価値を「売却によって齎される金額」でしか考えられない悪役に対し「それによって救える命の数」を語ってみせる辺りも、良い奴っぷりが伝わってきましたね。 作中にて、ユーモア部分も適度に取り入れつつ、それらは大体ゾンビ達に担当させて、主人公側の人間達は出来るだけシリアスな雰囲気を保てるよう配慮しているのも、良いバランスだったのではないでしょうか。 特に、図書館では静かにするよう「シーッ」と言い出すゾンビなんかは、自分もお気に入りです。 では、難点はというと……何だか根本的な話になってしまうのですが、緊張感が無いのですよね。 蚊に刺されただけでも感染してしまうという設定は非常に驚異的なのに、何故か主人公達は返り血ばんばん浴びまくって、口にも血が入っているはずなのに、全然平気で人間のままなのです。 (えっ? 感染しないの?)という混乱が先立ってしまい、折角真面目にゾンビ映画をやってくれていても、その世界の中に没頭出来ない形。 その他、暗闇の中の人影を「人間か」と思って近付いたら「実はゾンビだった」ってパターンが連続して発生するので(またかよ)とゲンナリしてしまったのも大きいですね。 序盤の段階で、こういう演出への不信感みたいなのが芽生えてしまうと、中々払拭するのは難しいみたいです。 極め付けは「大切な血液サンプルを失ってしまった」という展開を、終盤の短時間の内に二度も見せられた事で、これはもう、正直ガッカリ。 これまでの事は全部無駄骨だったなんて、観ているこちらまで落ち込んじゃいます。 主人公とヒロインの二人は生き延びる為、後味が最悪という事はなく、その点に関しては安心。 作り手は色々と頑張ったのは伝わってくるだけに、もう少し達成感というか、カタルシスを与えて欲しかったなぁ……と思わされた一品でした。 [DVD(吹替)] 4点(2016-11-21 10:05:15) |
425. ハウス・オブ・ザ・デッド
ネタバレ 同監督作の「ウォールストリート・ダウン」が、危険な内容ながらも中々面白かったので、期待を抱きつつ観賞。 ところが序盤、主人公が他の登場人物を紹介するパートにて(友達相手のはずなのに、悪口ばかり言っているなぁ……)と思ってしまった時点で感情移入が出来なくなり、以降も第一印象が覆る事はなく、残念でしたね。 「実は主人公こそが、後にゾンビを大量発生させる元凶である」という、2にも繋がる伏線である為、嫌な奴として描いておくのは仕方ない事なのかも知れませんが、それならそれで「最初は善人だった主人公が、事件を通して狂気に囚われてしまった」という形にしても良かったのではないでしょうか。 この手の映画の主人公は「駄目な奴」だったとしても「実は良い奴」だからこそ(生き残って欲しい)(頑張って欲しい)と思える訳なので、今作のように一貫して「嫌な奴」だったりすると、それだけで観るのがキツくなっちゃいますからね。 唯一、ヒロインへの愛情だけは本物だったのでしょうが、流石にそれだけでは肩入れ出来なかったです。 決定的に(これはダメだろう)と落胆してしまったのは、クライマックスの場面。 何故かラスボスが「主人公に首を斬り落とされるまで、剣を手にしたまま無防備に突っ立っている」という不自然な態度を取っていたりして、これはもう完全に興醒め。 背中を向けていた恰好なので、振り向き様に首を斬られるだけでも充分だったと思うのですが、何故ああも無抵抗だったのか、本当に謎です。 勢い良く突っ走るタイプの映画に、こんなツッコミをするのは野暮かも知れませんが(勢いを重視する作風だからこそ、こういう細かい部分で観客にブレーキを掛けさせるような真似はしないで欲しい)と、つい思ってしまいました。 とはいえ、ゲームの爽快感を再現した中盤の大袈裟なアクションシーンなんかは、結構好み。 作中で「ロメロゾンビ映画の四作目」が「多分やらないだろう」と言われているのも可笑しかったですね。 冒頭、ヒロインについて「フェンシングにのめり込んでいる」との情報があり(何その分かりやすい伏線)とツッコませておいて、終盤で本当にチャンバラをやらせてくれちゃうノリの良さも、嫌いじゃないです。 ゾンビ映画に必要なものが、面白さではなく愛嬌だとしたら、それは間違いなく備えている一品だと思います。 [DVD(吹替)] 4点(2016-11-21 09:33:06) |
426. モンスター・トーナメント 世界最強怪物決定戦
ネタバレ プロレス映画だなぁ、というのが率直な感想。 一応、ゾンビが肉を食い千切ったり、サイクロプスが目からビームを出したりもする訳ですが、そういった非現実的な描写はオマケという感じで、あくまで「モンスター達にリング上でプロレスをやってもらう」というのが目的だったみたいですね。 基本的な戦い方も、トップロープから飛び掛かったり、ドロップキックをかましたりで、如何にもプロレス的。 それを象徴しているのがウィッチ・ビッチの扱いで、魔術の類は使わずに素手で戦い、ようやく道具を使ったかと思えば包丁だったりして「魔女である必要ないじゃん!」とツッコませてくれます。 試合前にトレーナーから「魔女として虐げられ続けた怒りをぶつけろ」「呪いも黒魔術も全て忘れて戦士になれ」と言われ、素手で戦う特訓を続けてきた訳だから、魔術を使わないのは納得なのですが、それなら包丁も使わないで欲しかったし、何だか中途半端なのですよね。 優勝者となったフランケンシュタインの扱いに関しても同じ事が言えて、彼のストーリーとしては「父と呼び慕っていたイゴール博士が殺されてしまい、その仇であるクロックシャンク大佐と戦う事になる」という流れな訳ですが、その博士が殺された理由も「セコンドであるにも関わらず、乱入してフランケンシュタインを助けるという反則を行ったから」なので「それって博士が悪いのでは?」と思えてしまい、どうも筋が通っていない感じ。 にも拘らずフランケンシュタインが殺された博士に手を伸ばす描写は、如何にも同情を誘うような描き方だし、オマケにフランケンシュタインVS大佐が始まるところで映画が終わってしまうしで、最後まで消化不良。 世界中からモンスターを集めて、誰が一番強いのかリングで決めるという浪漫溢れる設定に関しては、文句無しで好きです。 その馬鹿々々しいノリならではの面白さは伝わってきたし「放送事故」の演出や「ハデス、次はお前だ!」という台詞には、クスッとさせられるものがあったのも確か。 それでも、全体的には退屈に感じる時間の方が長かったので…… 多分、もっとプロレスを愛する人こそが観賞すべき映画だったのでしょうね。 [DVD(吹替)] 4点(2016-11-17 14:46:41)(良:2票) |
427. 武士の一分
ネタバレ 姉妹作とも言うべき「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」については、何年も前に観賞済み。 何となく観そびれていた本作にも、ようやく手を出してみたのですが、上記二作と変わらず楽しむ事が出来ましたね。 とにもかくにも主演に「現代のアイドル俳優」というイメージが強過ぎる為、最初の内は「武士という割には軽過ぎる」という違和感もあったのですが、それが中盤以降の悲劇的な展開との落差を生む事に繋がっており、結果的には良かったと思います。 妻の加世、中間の徳平に軽口を叩く姿も、ちょっぴり嫌味なのに愛嬌がある辺りなんかは、正に木村拓哉という存在だからこそ、という感じ。 また、真っ当な殺陣の魅力に関しては一作目の「たそがれ清兵衛」で存分に描いている為、二作目と三作目においては「隠し剣」「盲目の武士の戦い」という変化球で攻めた辺りも正解だったのではないでしょうか。 歴代の中でも、間違いなく本作が一番不利な状況下での戦いであった為、前二作と同じ流れで最後は主人公が勝つだろうと安心しつつも「本当に勝てるの?」という緊張感を、適度に抱く事が出来たと思います。 あえて言うなら「決闘の場所の下調べくらいはしておくべきじゃないか」とも思えましたが、それをやるのは卑怯という価値観なのかなと、何とか納得出来る範疇でした。 それよりも個人的に残念であったのは、タイトルにもなっている「武士の一分」の使い方について。 復讐の動機は、妻が辱められた事にあると言い出せず「武士の一分としか申し上げられません」と絞り出すような声で訴える場面は凄く良かったと思うのですが、その後も「武士の一分」という言葉を繰り返し用いるものだから、ちょっと重みが薄れたように感じられてしまったのですよね。 全ては「あの御仁にも、武士の一分というものはあったのか」という台詞に繋げる為だったのかも知れませんが、それならせめて使用は二回までに留めて欲しかったなぁ、と。 脇役に関しては魅力的な顔触れが揃っており、本人に悪気は無くとも傍迷惑な叔母さんは妙に憎めなかったし、意外な名君であった殿様の存在感も良かったですね。 特に後者に関しては、主人公の失明後も「大儀」と一声掛けるだけであり、所詮は家臣の事など軽く考えている天上人なのだと示す場面があっただけに、その後に真相が明かされる場面には、完全に参ってしまいました。 家老の結論を覆し、藩主自ら主人公を庇ってみせたのだと判明する、あそこの件が、この映画のクライマックスだったのではないでしょうか。 結局、決闘については周りに知られぬまま、主人公の仇討ちが咎められる事も無く、離縁した妻とも再び結ばれるハッピーエンドを迎えた本作。 ですが、あの殿様であれば、たとえ事情を知ったとしても、きっと公明正大な処置を下されたのではないかな、と思えました。 [DVD(邦画)] 6点(2016-11-17 12:10:58)(良:2票) |
428. 金閣寺
ネタバレ 1958年の「炎上」に比べると、かなり原作に忠実に映像化されている一品。 特色としては、エロティックな表現が強まっている事が挙げられそうで「米兵に指示されて女の腹を踏みつける場面」「母が不義を働く姿を寝床から見つめる場面」などは、思わず目を背けたくなるような鮮烈さがありましたね。 これらが単なる「観客へのサービス」で終わらずに「主人公が金閣寺に火を点けた理由」とも密接に絡んでいる作りには感心させられましたが、それによって主人公が単なるマザコン青年にしか思えない形となっていたりもして、少々残念。 母親と、主人公の初恋の相手である「有為子」の比重が増している為、金閣寺の存在感というか、重要性が薄れてしまっている点も気になりましたね。 何せクライマックスの放火シーンにて、火を放った直後には母の乳房に吸い付く幻影を見ているし、最後の一言は「有為子」であるのだから、結局主人公が執着していたのは「女性」であって、金閣寺の「美」に対してではなかったのだな……と、寂しく思えてしまいました。 主人公の友人である鶴川についても、比較的出番を確保されてはいたのですが、原作にあったような「主人公と明るい昼の世界とをつなぐ一縷の糸」というほどの重要性は感じられず、単なる男友達という枠の中に収まっていて、どうにも物足りない。 原作を未読の方からすると、鶴川の葬式で泣いていた主人公の姿が「どうして、そこまで悲しむの?」と、不可解に思えたのではないでしょうか。 内面描写が主となる小説ではなく、映画で表現する以上は、破天荒な柏木の方にスポットを当てるのが正解なのかも知れませんが「炎上」に続けて扱いが悪かった鶴川というキャラクターが、何だか哀れに感じられましたね。 主人公と正反対に思えて、その実は非常に近しい性質を備え持っていた彼が「自殺」という道を選んだからこそ、原作におけるラストシーンの「死を拒み、生を選ぶ」行為の美しさが際立つ訳なのだから、そこは外して欲しくなかったところです。 そんな不満点もありましたが「この世界の全てを拒んでいる有為子の美しさ」「神聖な儀式のように、茶碗に母乳を注ぎ入れる女性」などの場面が、丁寧に映像化されている辺りは、素直に嬉しかったです。 舞い散る火花を見つめながら、息を切らして煙草を喫む主人公の姿なんかも、金閣寺を征服してみせたという達成感、ギラギラした野性的な魅力のようなものが感じられて、良かったですね。 原作とも「炎上」とも異なる魅力を備えた、しっかりと完成された一品であったと思います。 [DVD(邦画)] 6点(2016-10-30 03:09:02) |
429. 炎上
ネタバレ 小説では味わえない映画の魅力の一つとして「音」があります。 本作においても、作中の関西弁が早口であり、それによって主人公の吃音の「周りと歩調が合わない、取り残された感じ」が際立っていたのが印象深いですね。 序盤にて主人公が金閣寺(=驟閣寺)に見惚れているシーンで、唐突に音楽が流れだす演出などは「ちょっと分かり易過ぎるかな」とも思いましたが、総じて音楽は秀逸であり、それでいて多用する事は無く、静かな場面の方が多かった事も好印象。 また、何と言ってもラストにおける、燃える寺の囂々とした焼け音が素晴らしかったですね。 モノクロ映像ゆえか、それまでは驟閣寺の美しさを感じ取る事が出来なかった中で、炎上するその姿からは、圧倒するような美を感じられました。 原作小説には愛着がある為、柏木(=戸刈)よりも重要な人物であろう鶴川の出番が殆ど無い点。 そして、主人公が列車から身投げするという結末も、原作の「生きようと私は思った」という前向きな姿勢とは全く正反対である点などは、正直抵抗もあったりするのですが、そういった先入観を排し、一本の映画として観賞すれば、充分に楽しめる代物だと思います。 主演の市川雷蔵は、相変わらず惚れ惚れするような演技巧者っぷりだし、彼の悪友を演じる事となる仲代達矢の存在感も素晴らしい。 「あんた、その片端の脚が自慢なんやろ?」 「片端やなかったら、誰一人振り向いてくれる人あらへんもんな」 なんて痛烈な台詞を吐く新珠三千代の姿も、忘れ難いものがありました。 原作において、何よりも美しいと感じられたのが、あれほどのドン底に落ち込みながらも、なお生きようとした主人公の最後の姿だった事に対し、本作においては「驟閣寺と心中しようというかのように、刑事を振り払って身投げする主人公」の姿が、非常に醜く描かれているように思える辺りも、何だか興味深い。 様々な意味で原作小説とは異なる、意図的に対とした結末であるように感じられました。 [DVD(邦画)] 7点(2016-10-29 19:33:55) |
430. 夢(1990)
ネタバレ 夢だから仕方ないのかも知れませんが、何とも抽象的な内容。 冒頭の「狐の嫁入りを目撃してしまった少年」の話からして、尻切れ蜻蛉に終わってしまうものだから、観ているこちらとしては落胆し、観賞意欲を削がれてしまったのですよね。 「結局、狐には許してもらえたの?」「無事に家に帰れたの?」 という疑問が頭で渦巻いている内に、もう画面では次の話が始まっていたという形。 この先、どんなに面白い話が始まったとしても、また唐突に終わるんじゃないかという懸念が尾を引いてしまい、最後まで映画の世界に入り込めなかった気がします。 そんなオムニバス八編の中で、特に印象深かったものを挙げるなら、トンネルの話と、ゴッホの話になるでしょうか。 前者に関しては「足音」の怖さを感じる一方で、青白いメイクをした部下の亡霊が姿を見せた途端「いや、これ監督も笑わせようとしてやっているよね?」と思えてしまい、そのチグハグな空気がシュールで、奇妙に面白かったです。 後者に関しては、絵の世界に入り込む演出が視覚的にも楽しいし、画面作りに拘る黒澤監督が、ゴッホの口を通して「講義」を聞かせてくれているようでもあり、興味深いものがありました。 全体の構成について考えてみると、当初は童話のような雰囲気で「本当に、こんな夢を見たのかも知れないな」と思わせるものがあったのに、後半から妙に説教臭いというか、観客に対するメッセージ性が強まった内容となっていたのが、ちょっと残念でしたね。 「本当に、こんな夢を見たの?」と懐疑的になってしまい、それこそ映画という「夢」から「現実」に引き戻されたような感覚がありました。 所々ハッとさせられる場面もあったのですが、総じて退屈に感じてしまった時間の方が長く「こんな夢なら、早く醒めて欲しいな……」と思ってしまった以上、どうやら自分の肌には合わない夢であったようです。 [DVD(邦画)] 3点(2016-10-24 20:31:04) |
431. アタック・ザ・ブロック
ネタバレ この手のエイリアン物であれば、モブとして殺されるだけで終わるであろう「不良少年」にスポットを当てたのは新鮮で、面白い発想。 刀を背負った「ニンジャ」スタイルの主人公というのも、如何にも海外の映画オタクの心を掴みそうな感じです。 ただ、冒頭にて「女性を刃物で脅して金品を奪う」という姿が描かれており、そこで(えぇ、こいつらが主役なの?)とドン引きしてしまって、結局最後まで感情移入する事が出来ず、残念でしたね。 そもそも作中の情報から判断する限り、黒いエイリアン達が人々を襲う理由は「白い小さなエイリアンを主人公に殺された復讐」としか思えない訳で、どうにも観ていて居心地が悪い。 そのキッカケとなる「エイリアンの殺害」にしたって「正当防衛」「事故」ではなく、わざわざ逃げたのを追いかけて丁寧に殺しているんだから、情状酌量の余地は無し。 作中でも「こうなったのは俺のせい」と言っているのだから、作り手としても確信犯的にそういった流れにしたのでしょうが、それにしてはラストにて主人公が英雄視されちゃっているし、どうにも不可解なのですよね。 「この主人公も、実は親に愛されない可哀想な子だったんですよ」とばかりに子育てを放棄されていた事が示唆されても、それで悪事が正当化されるとも思えず、何だか中途半端な印象を受けました。 墜落死するかと思われた主人公が、国旗に捕まって助かるというオチからしても「可哀想な不良少年を国が救ってあげるべき」というメッセージが込められているのかも知れませんが、本人が非行を反省する描写も殆どありませんし、押し付けがましいものを感じちゃいましたね。 シンプルな黒いエイリアンの造形は好みでしたし、強力過ぎない武器を用いて、狭い団地内で戦うという内容自体は、とても良かったと思います。 「ロケット花火を用いてのガス爆発」という敵の倒し方も痛快で、観ていて気持ち良い。 それだけに、主人公にとって都合が良過ぎる世界観に付いていけなかった事が、勿体無く思える一品でした。 [DVD(吹替)] 4点(2016-10-24 15:55:22)(良:1票) |
432. あしたのジョー(2010)
ネタバレ 観賞中「えっ? ウルフ金串戦もやるの?」「力石の死後まで描くの?」と二度吃驚。 おまけに映画オリジナルのエピソードとして「ドヤ街に憎しみを抱く白木葉子」なども追加しているものだから、実にボリューム満点。 それを二時間ほどに纏めてみせて、これ一本だけでもキチンと完結している品に仕上げた手腕は見事だと思うのですが、やはり駆け足な印象も受けてしまい、評価の難しいところですね。 自分としては、如何に魅力的だとしても「ダブル&トリプルクロスカウンター」の存在共々ウルフ戦はカットし、もっとジョーと力石に焦点を合わせた作りの方が良かったのでは……と考える次第。 恐らくはアニメ版のリスペクトと思しきスローモーション演出を「力石との初戦」→「ウルフ戦」→「力石との再戦」と立ち続けに見せられる形となっているので、どうしても単調な印象を受けてしまうのですよね。 後述の減量シーンに関しても、もっと尺を取って描き、普段は紳士的に振る舞っていた力石がマナーを無視して果実に齧り付く場面なども再現してくれていたら、更に感動出来たかも。 役者陣に関しては、主役二人の見事な肉体改造っぷりも併せて、ほぼ文句無し。 丹下段平のルックスだけは、あまりにも漫画チックで浮いているような印象は受けましたが、それを打ち消すほどの迫力が力石から感じられましたね。 減量中に我を失い、水を求めて彷徨うシーンなんて「台詞回しは原作漫画の方が詩的で良かったかな……」と頭の片隅では冷静に思っているはずなのに、目線は画面に釘付けという、不思議な感覚を味わう事が出来ました。 特に嬉しかったのが、力石の死因となったであろう「後頭部をロープで強打してしまう場面」が、より印象的になっていた事。 原作漫画では少しインパクトが弱かった気もしただけに(もしかして死ぬんじゃないか?)と初見でも思えるような仕上がりになっているのは衝撃でしたし、それはひとえに、力石を演じた伊勢谷友介の力が大きかったのではないでしょうか。 生きている俳優が「この人は、もうすぐ死んでしまうんだ……」と観客に思い込ませるのは、とても大変な事でしょうが、本作ではそれを見事に成し遂げてみせたように思えます。 終盤にて「ジョーが如何にして力石の死の衝撃から立ち直ったか」を描く尺が足りず、観客の想像に委ねる「空白の一年からの帰還」で済ませてしまったのは非常に残念でしたが、リングの中に力石の幻影が現れる場面は、とても良かったですね。 ここって、一歩間違えれば「ジョーもリングで死なせようとして誘っている死神」としての力石にしか見えなくなってしまうはずなのに、全くそれを感じさせない笑顔で「二人の友情の証としてのボクシング」の魅力、楽しさや面白さを伝えてくれているのです。 力石の死をクライマックスに据える以上、後味の良いハッピーエンドにするのは難しいと思っていただけに、それを裏切ってくれた事が、実に痛快。 原作の最終回におけるジョーの生死は未だに議論の的となっていますが、少なくとも本作におけるジョーはリングで死を迎える事なく、引退後もボクシングに関わりながらドヤ街で生き続けたのではないかな、と思えました。 [DVD(邦画)] 6点(2016-10-16 11:58:54) |
433. ロボコップ(2014)
ネタバレ 黒いロボコップが恰好良いという、それだけで満足してしまいそうになる一品。 フェイスオープンの状態から、バイザーが下りると同時に赤い目が光り、戦闘開始となるシーンなんてもう、痺れちゃいましたね。 正面玄関からバイクでビルの中に突っ込み、着地するより先に飛び降りて、その勢いのまま膝蹴りを敵のED209に見舞うアクションなんかも、これまた最高! その後、左腕がED209の亡骸に挟まって身動き取れなくなったら、自ら左腕を切断して窮地を脱する展開なんかも、実に良かったです。 ここは、痛みを感じない「ロボコップ」だからこそ成立するシーンであり、キャラクター性を活かしたアクション演出として、大いに評価したいところ。 黒人の相棒警官が、黒いスーツを纏った主人公に対し「これで色も相棒だ」と笑顔で軽口を叩いてみせるも、別れた後に、その「黒い背中」を悲しげに見つめる表情なんかも、味わい深いものがありました。 「最高のヒーローは?」「死んだヒーロー」という会話も、独特の皮肉が利いていましたし、ゲイリー・オールドマン演じる博士が、一旦は敵に買収された振りをして、その後にロボコップを助けようと奔走する姿も良かったですね。 特に後者に関しては、中盤にて「命令には逆らえない小心者」だと示すシークエンスがあっただけに、越えてはならぬ一線だけは越えずに踏み止まってくれた事が、本当に嬉しい。 主人公がロボコップとなった後、機械ではない「生身」の部分が、どれだけ残っているのかを見せ付けられるシーンも、非常に衝撃的。 もう決して元の「人間」には戻れない。 「ロボコップ」として生きるしかない……と思い知らせる効果があり、そういった布石があるからこそ、ラストの「機械ではなく人間である事を証明する」シーンの感動が、一際大きくなっているのだと思います。 勿論、過去作における銀色のボディもレトロで、メカメカしくて味があったのですが、自分としては如何にも「戦闘用」という趣きがある今作の黒ボディの方が好み。 それだけに、黒ボディが破損した後のエンディングでは、銀色のボディに変わってしまっているのが、実に残念。 「人間としての感情を取り戻した明るい笑顔」には銀色の方が相応しいし、元々「没デザインとなった銀色ボディも存在する」という伏線が張られていた以上、壊れたボディの代理として使われるのは自然な事なのでしょうが、出来るなら最後まで黒で通して欲しかったところです。 また、ニュース番組にて激昂するサミュエル・L・ジャクソンを映し出し、ブラックユーモアを叩き付けるように終わる手法も、決して嫌いではなかったのですが……どちらかといえば、家族の再会で綺麗に終わらせてくれた方が、より好みだったかも知れません。 いずれにせよ、旧三部作においても2の妻との対面シーンが一番好きだったりした自分としては、家族愛を中心に据えて作られている事が、非常に嬉しかったですね。 結局は命令に逆らえず機械のまま生き続ける1987年版とは全く違った、人間としての自分を取り戻し、家族とも再び一緒になるという、掛け値なしのハッピーエンド。 こういう「ロボコップ」が観たかったんだと、胸を張って言える作品でありました。 [DVD(字幕)] 7点(2016-10-08 11:26:21) |
434. お葬式
ネタバレ 病院の定期検診にて健康のお墨付きを貰い、その祝いとばかりに贅沢をして「ロースハム」「アボカド」「鰻」を食す。 主人公の父親は、そんな幸せな瞬間を味わった後に最期を迎えた訳で、この導入部からして、何だか本作の内容が窺えるような気がしましたね。 確かに怖いものやら悲しいものやら色々と含まれているのだけど、根本的には「楽しい」「面白い」「幸せ」といった、前向きな要素の数々で構成されている感じ。 それにしてもまぁ、主人公が不倫相手の女性と、互いに喪服のまま性行為に耽るシーンには、度胆を抜かれました。 妻役が宮本信子である点も含めて、この主人公は明らかに監督の伊丹十三そのものだろうに「えっ? そんな事しちゃって大丈夫なの?」と、観ているコチラがドキドキしてしまったくらい。 勿論、やっている事は単なる不貞行為なのだから、嫌悪感を抱いていてもおかしくないシーンだったのですが、衝撃が大きかったゆえか、余り拒否反応は出て来なくて、不思議な感覚でしたね。 下品かつ失礼な表現で申し訳ないのですが「女優さんのお尻、あんまり綺麗じゃないなぁ……」という考えが、薄ぼんやりと浮かんできて、その後は気が付けば画面に釘付けになっていました。 夫の不倫なんて全部承知の上よと言わんばかりの表情で、妻が丸太式のブランコを漕いでいる姿なんかも、実に印象深い。 何やら恐ろしげな演出だったのですが、何となく自分には「夫の情けない行いを止める事が出来ない女の弱さ、滑稽さ」のようなものを感じてしまい、怖い顔をしているはずの彼女が、哀れに思えたりもしましたね。 そんな場面を経ているにも拘らず、終盤にて「大丈夫よ、貴方」「貴方、何時だって上手くいくんだから」と夫を励ましてくれたりもするのだから(良い嫁さんだなぁ)と、しみじみ感心。 ここの台詞は「初監督作品」への不安を抱えた伊丹監督自身に対しての言葉でもあるのでしょうね。 不倫問題が悲劇的な結末に繋がらなかった事にはホッとする一方で、放ったらかしな扱いには、居心地の悪さも覚えたのですが、きっとこのシーンにおける妻の優しい態度こそが「それでも貴方を愛して、夫婦として支え続けてあげる」というメッセージ、彼女なりの「許し」の証なのでは……と、推測する次第。 ちょっと男にとって都合が良過ぎる考えですが、どうも伊丹映画におけるヒロイン=宮本信子って、こういう「アンタにとって都合の良い女でいてあげるよ」的な優しさを漂わせているもんだから、ついつい、それに甘えたくなってしまいます。 火葬場にて、職員の人から「死体が生き返ったりしないか心配になる」「赤ちゃんの死体は骨まで燃やし尽くさないよう、弱めの火で、静かに焼いてやらないといけない」という話を聞かされる件なんて、さながら社会科見学のよう。 作法なども含め、恐らくは監督としても意図的に「お葬式の教材ビデオ」めいた側面を持たせているとは思うのですが、自分としては少し苦手に感じたというか(そういうのは、ちゃんと他で勉強するよ)なんて気持ちに襲われたりもして、残念でしたね。 同監督の作品なら「ミンボーの女」における「ヤクザのあしらい方講座」などは、同じ教材ビデオのようでも、ちゃんと観ている限りでも痛快で面白かったのですが、デビュー作である本作に関しては、そういった娯楽的観点のようなものが、まだ充分に育まれていないように思えました。 そんな中でも、香典が風に舞って、人々が慌てて拾い集める事になるシーンのユーモラスさ。 最後の最後に、故人の妻が感動的な挨拶をして、綺麗に締める辺りの手腕などは、流石といった感じ。 自分の場合は、事前に伊丹監督の後年の作を観賞済みであった為、どうしてもそれらと比較し「未熟さ」「稚拙さ」の方を感じ取ってしまったみたいですが、もしも、この映画が「伊丹映画初体験」であったなら (デビュー作で、これだけのモノを撮るだなんて、凄い!) と、もっと興奮し、感動出来たかも知れませんね。 非常に惜しまれる映画でありました。 [DVD(邦画)] 6点(2016-10-07 05:34:42) |
435. 耳をすませば(1995)
ネタバレ 何といっても印象深いのは、図書カードの件。 自分と全く同じ好みをした異性がいるだなんて、正に運命。 天沢くんに惹かれる主人公の気持ちも分かるなぁ……と思っていたら、それは運命でも偶然でも何でもなく、単に「好きになった女の子が読みそうな本を、男が片っ端から借りていただけ」だったと判明して、もう吃驚です。 主人公もコレには引いちゃうんじゃないかなと思っていたら、頬を染めて、ときめいている様子だった事には、更に驚かされましたね。 昔の恋愛映画って、現代の観点からすると「これってストーカーでは?」とツッコミたくなる展開が多いんですが、本作もその一例として挙げる事が出来そう。 監督は近藤喜文ですが、脚本や絵コンテなどは宮崎駿が担当している為か(相変わらずのロリコン映画だなぁ……)と思わせてくれる事にも、何だかほのぼの。 本当に、拘りを持って「如何に主人公の少女を可愛く描くか」を突き詰めたのが伝わってきて、恐らくは性癖的に近しい要素を持っている自分としても「あざとい」「不道徳」と思いつつも、惹かれるものがありました。 そして、これが大事なポイントなのだと思うのですが、本作って少女だけでなく、相手役となる少年も、凄く魅力的に描かれているんですよね。 美男子で、優等生で、特別な才能を持っていて、夢に向かって一直線でと、同性の自分からすると嘘臭く感じるくらいなのですが、そもそも劇中の主人公カップルって「女性から見ると嘘みたいな少女」と「男性から見ると嘘みたいな少年」という組み合わせで成立しているのであり、そこが男女問わず観客の心を掴む要因になっている気がします。 男友達に対し「本当に鈍いわね」と怒っていた主人公が、実は自分の方がずっと鈍感だったと分かる流れも面白かったし「人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにも出来ないからね」という父親の台詞も、胸に沁みるものがありました。 もう一つ印象深いのは「自分よりずっと頑張っている奴に、頑張れなんて言えないもん」という台詞。 主人公が天沢君に対して引け目を感じていた理由が、この一言に集約されている感じがして、とても秀逸だと思いましたね。 そもそも本作って、天沢君は典型的な「王子様」キャラだし、そんな彼と、ごく普通の女の子が結ばれるという、極めて少女漫画的なストーリーなんです。 にも拘らず、男である自分が観ても共感を持てるのは、具体的に「彼に見合うような人間になる為に、主人公も頑張る」という姿が描かれてるからなんですね。 だからこそ応援したくなるし、そんな「頑張り」が暴走して、勉強の方が疎かになってしまい、しっかり者な姉との口喧嘩にて、つい強がって「高校なんて行かないから」と言っちゃう辺りも、痛々しいくらいにリアルに感じました。 この辺り(ちゃんと彼の事を家族にも話した方が良いのでは?)と、大人になった今では思ってしまうのですが、子供の頃って、こういう不思議な意固地さがありましたからね。 何だか懐かしい気持ちと、恥ずかしい気持ちを、同時に味わう事が出来ました。 クライマックスの、まだ薄暗い夜明け前。 自転車に二人乗りして「オレだけの秘密の場所」に向かうシークエンスなんか、本当に素晴らしく、それと同時に面映ゆくて、観ていられないくらい。 「それじゃ寒いぞ」と彼女に上着を渡す仕草。 「私も会いたかった」と彼の背中に頭を添えて呟く主人公の姿など、青少年が憧れてしまうシチュエーションが「これでもか!」と詰め込まれているのだから、もう圧倒されちゃいます。 上述の「彼に一方的に幸せにしてもらうだけの女の子ではありたくない」という想いが、坂道での「共同作業」にも表れており、これには(良いカップルだなぁ……)と、素直に祝福したい気持ちになれましたね。 最後には、結婚の約束までしちゃう事すらも、この二人ならば、自然に思えます。 万が一結ばれなかったとしても、一連の出来事の数々は、素敵な初恋の思い出として、いつまでも心の中に残りそう。 脇役であった杉村君と夕子ちゃんの恋の顛末を、エンドロールの中でサラリと描いてみせるのも、御洒落でしたね。 天邪鬼な自分からすると、主人公カップルが眩し過ぎて、まるで幻みたいで、どうにも感情移入しきれない部分もあったりしたのですが…… それを差し引いても、良い映画だったと思います。 [DVD(邦画)] 6点(2016-10-06 04:50:57)(良:1票) |
436. 海がきこえる<TVM>
ネタバレ 昔、男友達と二人で観た際には「何だ、この女は!」と意見が一致し、女性と観た際には「結構リアルだね」と言われたりして、戸惑った記憶がある本作。 そういえば一人で観た事は無かったなと思い、再観賞する事にしたのですが、特に評価が変わったりする事は無く、残念でしたね。 (大人になった今なら、ヒロインの言動も可愛らしく思えるかな?)という期待もあったりしたのですが、多少理解出来る面は発見出来たものの、やはり拒否感の方が大きかったです。 そもそも問題の発端となる「ヒロインの両親の離婚」は、父親の浮気が原因なのに 「ママが馬鹿だと思ってた」 「見過ごしていればいいのに、ワーワー騒ぐから」 なんて言い出す時点で、彼女に肩入れ出来なくなってしまうのですよね。 (結局、自分が東京から離れたくないものだから、その為に母親を悪役にして憎んでいるだけじゃない?)と思えてしまうのですが、この予想が当たっているなら「嫌な女」としか評しようがない訳で、どうにも困ってしまいます。 自己憐憫に浸って 「私って可哀想ね」 と泣く姿にはゲンナリさせられたし 「あの人って馬鹿ね。付き合ってる頃は良く気の付く、優しい人だと思ってたんだけど」 と元カレの悪口を言うシーンで、決定的に幻滅。 この映画の後、主人公とヒロインは結ばれるのが示唆されている訳だけど、また何年か経ったら主人公も「元カレ」になってしまって、似たような悪口を言われているんじゃないかと思えてきます。 主人公の親友が告白してきたら 「私、高知も嫌いだし、高知弁を喋る男も大嫌い。まるで恋愛の対象にならないし、そんな事言われるとゾッとするわ」 と言い放つのですが、この頃にはもう慣れているというか、感覚がマヒしてしまって(あぁ、やっぱりそう思っていたんだ)という感想しか浮かんで来ないのだから困り物。 後の台詞からすると、この時の言葉は強がりの嘘だった可能性もあるし、彼女自身が反省もしているそうなのですが、それを直接描かずに伝聞で済ませるものだから、ちっとも真実味が無いのですよね。 終盤、同級生の女子達に糾弾される彼女が同情的に描かれているのも(自業自得じゃないの?)と白けてしまうし、立ち聞きして助けようとしなかった主人公が彼女に頬を叩かれ、その後に親友にも殴られる展開には、唯々呆然。 主人公は良い奴だとは思うのですが「ヒロインに惚れるのが理解出来ない」という意味で、徹底的に感情移入を拒む存在であり、それがエピローグで更に強調される形になっているのだから、非常に残念。 恐らくヒロインに惚れたのは、東京への同行を申し出た際の 「本当? 本当にそうしてくれるの?」 と喜ぶ笑顔がキッカケじゃないかと思えるのですが、何だかココの演出も、あざとい可愛さアピールに感じられたりして、ノリ切れなかったのですよね。 第一ヒロインは美少女って設定のはずなのに「同級生の小浜さんや西村さんの方が可愛いじゃん」と思えてしまうのだから、作中でヒロインが散々その美貌を絶賛されていても、ちっとも共感出来ない。 この辺りの感覚は、昔観た時と全く同じだったりして、そういう意味では、とても懐かしい気分に浸れました。 本来は感動すべき「高知城を見つめながらヒロインの台詞の数々を思い出す場面」でも「ろくでもない事ばかり言っているなぁ」と冷ややかな気持ちになってしまうのだから、とことん自分とは相性の悪い映画なのだなと、再確認。 「紅の豚」を絡めた遊び心など、クスッとさせられる場面もあったし「お風呂で寝る人」という形で、遠回しにヒロインから主人公への告白を描く演出は、御洒落だなと思います。 所々に、好きと言えそうなパーツは見つかるだけに、全面的に楽しむ事が出来なかったのが、実に勿体無い。 「海がきこえる」というタイトルにも拘らず、最も印象的な「海」の場面が主人公とヒロインではなく、主人公と親友の二人きりの場面というのも、何だか変な感じでしたね。 帰郷した際に二人が仲直りする流れには和みましたし、共に海を眺める場面は本作における白眉だとは思うのですが(ココで終わっておけば友情の映画として綺麗に纏まったのに……)なんて、つい考えてしまいました。 残念ながら、自分には海がきこえなかったみたいです。 [DVD(邦画)] 3点(2016-10-05 09:10:08)(良:1票) |
437. 3人のエンジェル
ネタバレ 「男が遊びで女装するのは女装趣味」 「女性への変身願望が高じてチン切り手術をするのが性転換者」 「ファッションにこだわってハデに着飾るゲイがドラッグ・クイーン」 「人生を楽しめない女装坊やは、ドレスを着ただけのガキよ」 という作中の台詞が、とても興味深い。 第三者からすると、ついつい「ゲイ」と一括りにしてしまいそうな中にも、様々なタイプがいて、それぞれ拘りを持って生きている事が窺えましたね。 本作はキャスティングだけでも「この人達が女装するなんて、それだけで面白いに決まってるじゃん!」と予見させるものがあり、この辺りは元ネタであろう「プリシラ」よりも上手かったように思えます。 作中にて、ウェズリー・スナイプス演じるノグジーマを、か弱い女性と思って絡んでくる男共には(なんて命知らずなんだ……)と逆に心配になってしまうし、案の定あっさり撃退されちゃう姿には(当たり前だろ!)とツッコミつつも、笑いを抑え切れなかったです。 パトリック・スウェイジ演じるヴィーダが勢い良くドアを蹴り開けて、夫婦喧嘩に乱入し、妻を殴る暴力夫を殴り飛ばして家から追い出す展開なんかも、実に痛快。 この辺りは、彼らがアクション映画で活躍する姿を知っているからこその面白さなのでしょうけど、初見の人でも「えっ、こんなに強かったんだ!」という衝撃を味わえて、楽しめるのではないかなと思えます。 ちょっと気になったのが「メル・ギブソンのお尻はキュートだわ」という台詞。 「ハート・オブ・ウーマン」(2000年)でも彼は「可愛いお尻ちゃん」と評されていたのですが、あれはこの作品を踏まえてのネタだったのか、それとも米国ではメル・ギブソンのお尻がキュートというのは共通認識なのか? と、そんな疑問が浮かんできて、若干集中が乱れてしまいましたね。 また、作中のドラッグ・クィーンが三人とも「喉ボトケ」が無ければ女性と見紛うような美貌という扱いなのも、戸惑うものがありました。 女装コンテストで地区優勝しているのだから、作中世界の認識では美女と分かっていても(どう見ても男じゃん……)とノリ切れない感じ。 今となっては(それも一種のギャグなんだ)と納得出来ますが、初見では違和感の方が大きかったです。 キャットウーマンやワンダーウーマンといった、有名なアメコミヒロインの名前が出てくるのはテンションが上がりましたし、終盤にて描かれるボビー・レイとボビー・リーの恋模様なんかも、実に微笑ましくて良かったですね。 心を通わせ合った女性と別れる事になったヴィーダが「愛してるわ」と言われて「私もよ」と返すのではなく「あなたに愛されて、本当に幸せだわ」と応えるのも、何だか凄く切ない。 もしも、ヴィーダが同性愛者ではなく異性愛者に生まれていたら、二人は「親友」ではなく「恋人」という関係になれたのではないかなと、ついつい考えてしまいました。 仲間から「自分の性を隠すために女装してる」と指摘され、ショックを受けていたヴィーダ。 そんな彼女が、男でも女でもない「天使」だと言われ、嬉しそうな笑顔になる姿には、本当に爽やかな気分を味わえましたね。 ラストにて、ハリウッドの女装コンテストに優勝してジュリー・ニューマーに祝福されるのも、ヴィーダの方が良かったんじゃないかと思えたのですが、この辺りは「第三の天使」とも言うべきチチの成長を示す為、仕方ないところなのでしょうか。 涙を流すような感動とも一味違う、笑顔になれるタイプの感動を味わえる。 そんな、魅惑的な映画でありました。 [DVD(字幕)] 7点(2016-10-04 05:43:42)(良:1票) |
438. プリシラ(1994)
ネタバレ 冒頭のシーンにて、主人公の衣装や化粧よりも「えっ、口パクなの!?」と、その事に吃驚。 男性が女性の扮装をしている事も併せ「本当は女性の歌声を出したいけれど、出せない切なさ」を表現しているのかも知れませんが、自分としては (たとえ下手でも良いから、自分の声で唄って欲しいな……) と思ってしまい、作中の口パク歌唱ショーに対して「凄い!」と感じる事が出来ず、残念でしたね。 せっかくクライマックスのショーは盛り上がっていたのに、何だか映画を鑑賞している自分だけが、置いてけぼりを食らったような気分。 脚本に関しては、非常に凝っており、観客を油断させない作りになっていたと思います。 例えば…… 1:酒場で主人公達が白眼視される。 2:飲み比べに勝利したりして、何とか友好的なムードになる。 3:ところが翌朝になると、主人公達の車には「エイズ野郎」との落書きが…… という三段仕掛けになっている場面なんて、意地悪だけど上手い。 その他、移動中の車内にて生い立ちについて話す際にも「幼児期に性的悪戯を受けていた過去がある」と思わせておいて、実は「悪戯しようとした不埒な大人をこらしめてやった」痛快譚だったと種明かしする流れにも、大いに感心させられました。 また、同性愛者を過度に美化しておらず、等身大の「ズルい」人間として描いている辺りも好印象。 母親に対し「旅に出たら異性愛者になれるかも」と騙す形で、一万ドルの車を買ってもらった件は流石にどうかと思いましたが、仲間が過去に女性と結婚していたと知って「気味悪い」と言い出す辺りなんかは、非常にリアルであるように思えましたね。 アジア人女性の「ピンポン玉」の芸を下品と思って嫌がる描写があったのも「主人公達は迫害される側の人間ではあるが、そんな彼女達だって下品なものを嫌う感覚は、当然持ち合わせている」と悟らせる効果があり、非常に人間らしい存在である事が伝わってきました。 終盤「キングスキャニオンにハイヒール姿で立つ」という長年の夢を叶えた後に、真っ先に思う事が「うちへ帰りたい」というのも、何だか切なくて良かったですね。 あそこの件は「夢を叶えてみせた達成感」と同時に「夢を叶えてしまった喪失感」とも言うべきものが感じられて、実に味わい深いものがありました。 ガイ・ピアース演じるフェリシアが、幼い少年に懐かれて兄貴分(姉貴分?)のようになっている姿も、とても微笑ましくて好み。 この組み合わせが終盤にしか登場しない事が、寂しく思えたくらいです。 最初の内は、登場人物達への戸惑いが大きく、距離を感じていたはずなのに、エンドロールが流れる頃には愛着が湧いてしまって、彼らと離れ難い気持ちになる。 そんな切なさを秘めた、不思議な映画でありました。 [DVD(字幕)] 6点(2016-10-02 10:49:05) |
439. ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣
ネタバレ 南海の孤島が舞台の怪獣映画という、実に好みな一品。 ちょっとしたリゾート気分も味わえるし、何よりキングコング(1933年版)同様に「怪獣が大き過ぎず、強過ぎず」なバランスが心地良いのですよね。 このくらいの「民家の倍程度の大きさの怪獣」って、妙に親近感が湧くというか、子供の頃に「怪獣と友達になるなら、ゴジラみたいな大き過ぎるサイズじゃなくて、キングコングくらいのサイズが良いな」と考えていたのを思い出したりしちゃって、とにかく大好きなんです。 ストーリーに関するツッコミ所は、余りにも多過ぎるので逐一指摘するのは止めておきますが、そんな中「メインは人間VS怪獣の物語である」という点に関しては、大いに評価したいところ。 しかも軍隊ではなく、あくまで一般人の主人公達が銃を手にして戦い、ガソリンを使ってゲゾラを火あぶりにしたり、ガニメの眼球を狙撃して盲目にした後に崖から落としたりするのだから、手に汗握るものがあります。 「こういうのを見たかったんだ!」と、喝采を浴びせたい気分になりましたね。 ただ、終盤にはお約束の「怪獣VS怪獣」そして「火山が全てを解決エンド」という形になっており、非常に残念。 単純に怪獣特撮という観点からしても、ゲゾラが現地の村を襲っているシーンがピークであり、以降はそれを上回る衝撃を味わえない形となっているので、何だか尻すぼみに思えてしまうのですよね。 憎まれ役だったはずの小畑さんが、最後の最後に人間の意地を見せて、自らの体内に巣食う宇宙生物もろとも自決する展開に関しても (火口に飛び込む姿を、もっと上手く撮ってくれていたら感動出来たのに……) と、勿体無く感じてしまいました。 怪獣映画といえば、人間のエゴに対して反省を促す終わり方が多い印象がある為、こういった形の「人間賛歌」とも言うべき結末は珍しく、好ましいものがあるだけに、手放しで作品を絶賛出来ない事が、何とも焦れったい。 そんな具合に、贔屓目で観ても、色々とディティールの甘さが気になってしまうような、隙の多い本作品。 それでも好きか嫌いかと問われれば、迷い無く「好きだ」と答えられる、愛嬌に満ちた映画でありました。 [DVD(邦画)] 7点(2016-09-30 04:07:24)(良:3票) |
440. トレジャー・プラネット
ネタバレ 基本的な設定を拝借しただけの別物かと思いきや、予想以上に「宝島」のストーリーを忠実になぞっていた事に驚かされました。 主人公のジムが青年に近い外見となっており、感情移入しやすくなっている事。 そしてシルバーがサイボーグという設定の為、武器をアタッチメントする描写が楽しかったり「目に油を差し過ぎたようだ」という台詞にホロリとさせられたりした辺りは、良かったですね。 その一方で、船長を女性に変えた事に関しては「女っ気の無さを改善する」という以上の意義は窺えず、最後に天文学者と結ばれる顛末に関しても予定調和で驚きも無かった為、ちょっぴり残念。 原作小説を既読の為、仕方無い事ではあるのですが、ストーリーとしては王道そのもの、全て決められたレールの上を走っているかのような印象を受けてしまい、少々退屈さを覚えたりもしましたね。 失望したり、落胆したりする事は無い代わりに、大きな興奮も味わえない感じ。 そんな中でも、欲深なシルバーが宝物を諦めて、息子のように可愛がっていたジムを助ける事を選ぶ場面に関しては、とても良かったと思います。 両者が絆を育む描写が丁寧であっただけに「そう来なくっちゃ!」と、声を出して歓迎したくなるような展開。 別れのシーンにて、ジムとシルバーが抱擁を交わす姿にも、涙腺を刺激されるものがありました。 「宝島」最大の魅力といえば、やはりシルバーの存在に尽きると思っているので、本作の扱いに関しては、大いに満足。 ジムとの交流を経て、段々と父性が芽生えていき、悪党から足を洗いそうになるも、最後の最後で善人にはなりきれないまま退場するという、その独特のキャラクター性が、しっかりと表現されていたと思います。 そういった具合に、原作と同じような魅力を秘めているからこそ (もし「宝島」のストーリーを全く知らない状態で、この作品を観ていたら、もっと感動出来ていたかも知れないな……) と思うと、何とも勿体無い気持ちになる。 そんな一品でありました。 [DVD(吹替)] 6点(2016-09-29 23:15:43) |