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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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521.  十二人の怒れる男(1957)
アメリカ映画の好きな裁判ものだが、やる気のなかった国選弁護士の代わりに一人の陪審員が奮闘する法廷後の話になっていて、次第に覆っていく面白さは裁判ものの常道だが、「それで食ってる」弁護士でなく、本来ならチャッチャッと済ませてすぐ帰りたい「面倒ごと」に付き合わされてる一般人にしてあることで、「正義とは」というテーマがより際立った。そして意見を持つことの大変さ、それを表明することの大変さというテーマも浮き上がり、そっちのほうが本作のキモではないか。別に無罪を証明しなくてもいいんで、「有罪にするには合理的な疑いがある」って比較的低いハードルでも、11人の反対者の22の冷たい瞳に囲まれると、私だったら…と自信がなくなりそうな場。そういう逃げようと思えば逃げられる場で自分の少数意見を表明すること。こういう勇気を賞揚するのが、アメリカのいいところだ。おとぎ話とか、お涙頂戴とか、こういう場面で来そうな反発がいちいちいリアルで、観てるほうの心のなかで動く反対意見をちゃんと残りの11人が表明していく。議論の質を落とさない。そして少しずつ同調者が増えていく。ここも大事なところで、なぜかとりわけ日本では「ブレる」ということが、さも悪事のように言われがち。でもそれがなくては議論する意味がないわけで、反対意見に最大限想像力を働かせ、自分の意見と闘わせた上で、それでも意見を変えない・あるいは変える、というのは同質のことのはず。悪いことではない。日本の「ブレない政治家」ってのは、反対意見に耳を塞いでるだけで(ラスト近くのリー・J・コッブのように)、あとは「おとぎ話」「お涙頂戴」と切り捨てるのなんか、まったく映画と同じですな。というわけでアメリカ映画の最良の部分がここにある。室内劇でありながら夏の暑さを描いた映画としてすぐに思い出されるってのも凄いことだ。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-10-11 10:11:32)(良:1票)
522.  日本橋(1956)
褪色のひどいフィルムで観たせいもあるかもしれないが、鏡花と市川さんのすれ違いばかりが感じられ、堪能とまではいかなかった。夜の橋の静かな雰囲気なんかいいんだけど。ウジを食べるとこなんかアップにする必要あったかな。女の意地の哀しさもので、教授がコロッと坊さんになったりして、こういうとこを乾いた笑いに持っていくのが市川さん得意なはずなんだが、これは苦笑い。市井ものにやや幻想味が交じるという、向いた題材なんだがなあ。いつもならフッと現実から遊離していくとこをしっかり捉えるのに、取り逃がして分解させちゃったって感じ。すると宙に浮いた部分が馬鹿馬鹿しく見えてしまう。
[映画館(邦画)] 6点(2012-10-10 10:23:06)
523.  ダントン
映画はシナリオ文学ではないのだから、言葉にだけ感動してはいけないのだろうが、これは一つ一つのセリフに革命に対するワイダの思想の練り返しが感じられ、重い。人民の政府であるはずの共産国の作家が「人民の敵は政府だ」と叫ばねばならない悲痛さ。実質の主人公であるロベスピエールが「ダントンを裁いても裁かなくても革命は崩れ去る」という恐怖。人民に誠実であり続けるためにはダントン的人物が必要であり、しかしそういった人物が革命の輪郭を溶かしていったりもする。当時はダントン=ワレサとすぐに思わされたが、おそらくもっと普遍的なものとして捉えようとわざわざ過去に題材を採っていたのだろう。人民のための革命が専制独裁になっていくメカニズムが今までにも何度も繰り返されてきたのはなぜか。恐怖政治下の人々の描写がリアル。身分証明書を求められて怯える少女や、革命憲章をビクビク暗証させられている少年などがよく、これがラストのロベスピエールの恐怖と共鳴する仕掛けになっている。全体に青ざめた色調。
[映画館(字幕)] 7点(2012-10-09 10:33:58)
524.  夢の降る街
昔のテレビドラマ「バス通り裏」の隣近所の感じをちょっと思い出した(古いね)。ヒロインの登場によって隣人関係が混み入ってきて、これがどう整理がついていくのか、という興味。彼女も加わって進むが、彼女はあくまで仕切り役というやり方もあっただろう。彼女が「正しい前向きの生き方」を示してそこここに小さな渦巻きを作っていっちゃうわけで、当然そういう予知能力と対立するのは科学=精神科医、彼のところにどんどん肉屋夫人に関する話が持ち込まれてノイローゼになっていく経過がある。画面の奥でお面をかぶっている患者。ソフトなロマンチックコメディだけど、ちょっと苦みもある。直感でこれと思った相手、本当に彼でいいんですかって疑いの部分をチクリと突ついてるみたいなところがあって。
[映画館(字幕)] 6点(2012-10-08 09:41:41)
525.  お早よう
これはトーキー以後の小津で、蒲田サイレント時代のリズムが一番感じられ大好きな作品。子どものハンストが『生れてはみたけれど』の反復という直接的な関係もあるが、どちらかと言うと、おでこをツンとする仕種が『生れては…』のまじないを思い出させ、タンマの仕種も絶妙に使われている。給食費請求のゼスチャー、「書いて示せばいいのに」と思ってしまう我々は、トーキー以後の映画を見て育ってしまった人間の無言観で、ここは「字幕」に頼らず沈黙の身振り・仕種で伝えようとしなければ、サイレント時代から映画を作ってきた矜持が許さないのだろう。久我美子のトンチンカンな解答が笑わせてくれる。若夫婦がジャズを口ずさみながら横断するカットは、チンドン屋好きの成瀬ならまだしも小津のトーキーで見るとかなり異様に映るが、サイレント期の、学生の応援団(『落第はしたけれど』)や肩を組んで歩む不良グループ(『朗らかに歩め』)の再来なのではないか。ところで、四つの家の配置がいつもよく分からなくなるので(住んでる東野英治郎でさえ間違うくらい)今回は図を描いてみた。草の土手がある側に杉村春子と高橋とよ、ブロックの斜面がある側に長岡輝子と三宅邦子が並んでいるよう。異常なのは奥と手前両方を土手状の斜面で視界を塞いでいることで、こんな住宅地現実にあるだろうか。庭の眺望が必ず隣家によって遮られる小津の嗜好が、拡大されたのであろう。つまりこの住宅地が一つの家のようで、小津映画でおなじみの部屋から部屋への出入りを、隣近所に広げてみたわけ。移動する四人の主婦が小津常連の名手ばかりで、最良の弦楽四重奏のようなアンサンブルを楽しませてくれる。全編天上の音楽を聴くような傑作で、トーキーになってもこういう純粋なコメディをもう2、3本作っておいてくれてても良かったのに、と思うけれど、一本でもあるだけ嬉しい。登場する駅は、蒲田の川向こうの八丁畷であった。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-10-07 09:35:47)(良:1票)
526.  嘆きのテレーズ 《ネタバレ》 
殺人ありユスリありの犯罪ドラマだが、極悪人がいない。みんなささやかなレベルアップを求めているだけで、ちょっとした自由や安定に手を伸ばし、破滅を引き寄せてしまう。印象深いのがユスリ、ネチネチした悪党の振る舞いはしていても、けっこう義理堅い奴で、自分が瀕死の状態でも密告手紙の心配をしてる。古自転車屋を営めたらたぶん更なるユスリはしなかっただろうと思われる。戦争で裏切りを含む幾多の苦難を渡ってきて、これからは穏やかに生きたいと思ってたんだろう。値切られた金額でも満足していた。その希望のささやかさが、この人物を立体的にしていた。テレーズの旦那はすごろく遊びで満足する、その母は息子さえ元気ならいい。主人公の二人は、ダンスホールで大っぴらにダンスできなくても、ひそやかに密会を続けていた。それだけで満足できなかったちょっとした夢、レベルアップの希望が、登場する全員を破滅に導く。ことさら宿命などと呼ばなくても、こういう「意のままにならない進行」で世の中は動いていくんだな、だからと言って死んだように生きてても仕方ないしなあ、などとしみじみ考えさせられる。その事実だけを淡々と記録する映画の静けさがいい。寡黙なテレーズ、病後の姑の目だけの無言、そして破滅を告げるラストのユスリ屋の永遠の沈黙。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-10-06 11:02:58)
527.  必殺!5 黄金の血
市井の平凡人が実は…ってやつだが、その「実は」にも、一人で正義やってるのもいれば、集団で「影の組織」やってるのもある。集団だと個性を使って、アンサンブルの楽しみを出せる。これはそっち。話としてはバブル経済に新興宗教ブームを加味。メンバーのいろいろの手立ての具体物が面白さなんだが、もう少しひねりを入れて膨らませたいところ。なぜか堀ぎわの材木置場が出ると、時代劇の情緒を感じてしまう。酒井法子はそういう役とはいえ、ちょっとね、とノートに記されているが、全然記憶にない。花火がドーンと上がり、当時の娯楽作品としてはまずまずと思った半面、こんな程度で褒めちゃいけない、という気持ちもあった。
[映画館(邦画)] 5点(2012-10-05 10:14:38)
528.  キング・オブ・コメディ(1982) 《ネタバレ》 
この主人公モロに『タクシードライバー』の子孫で(シナリオは違う人)、行動の過激さ・対人距離の不安定・憧れの女性の存在、など揃ってるが、あっちほど神経症的でなく、けっこう好き。ラストの裏返しが決まってるんだな。どうしようもない気違いだなあ、と思わせといて、今までのドラマだったら、あのトークショーは客に受けないはず。紙の観客相手に練習してたりするのなんかは、だいたい「受けない」のの伏線だと思うわけ。ところがこれが受けちゃうんだな(本当のこと言ってるのがジョークになっちゃうおかしさ)。男の狂気に集中していくようにドラマが展開していって、ラストでくるっと裏返って、世間・マスコミの狂気がサーッと広がっていく怖さがいい。逃げたJ・ルイスが街でそのテレビを見たときの表情もいいし。
[映画館(字幕)] 8点(2012-10-04 09:58:18)
529.  東京キッド
サトウ・ハチローがゲテモノと評した子どものころの美空ひばりのゲテモノぶりが如実に味わえる。「おばちゃん、死んじゃいや」と泣きじゃくるあたりや、「さんちゃん、おじちゃん」と粘っこく川田晴久をを探し求めるあたり。だいたい「達者な子役」ってのは総じて気持ち悪いものだが、彼女の場合、それが煮詰まっている。このベトベトした気持ち悪さは「悲しい酒」のようなしみじみした歌や、「柔」や晩年の“人生の応援歌”ものなどの底にも生き続けていた気がする。だから彼女の歌で好きなのはそういうベトベトがない「お祭りマンボ」などのコミックソングだ(「車屋さん」も入れてもいいかもしれない、あと『七変化狸御殿』の中で歌ってた「日和下駄」ってのもいいの)。しかしちょっと前まで戦争協力の歌を量産していたサトウ・ハチローにどうこう言われたくない、という思いはひばり側にあっただろし、ゲテモノとして簡単に片づけてしまえる存在でもなかった。時代がゲテモノを要請していたのか、それとも日本文化の根っこにゲテモノ的なものが存在しているのか、そんなことを考えさせられる彼女の媚態ではあった(歌舞伎の子役ってのも、だいたいこういう哀れさ・けなげさを強調する役だが、あちらではわざとゆっくりとした棒読みをさせ、様式に閉じ込めてリアルにしない工夫がある)。終盤のアチャコが身の上を語る長ゼリフは、フレーム外の膝元のカンニングペーパーをしっかり読んでたな。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2012-10-03 10:01:11)
530.  やくざの墓場 くちなしの花
カメラが動きすぎる。人間の体全体を収めたいので、動き回って倒れるまでを画幅に合わせたいのだろうが、疲れる。むかしはもう少し節度がなかったか。作品のモチーフは居心地の悪さ、っていうようなことね。『仁義の墓場』と同じ不器用な人間の鬱屈。主人公に対して共感は湧かないが、不器用さに対する作者の思い入れは納得します。金子信雄の警察側と藤岡琢也のヤーサン側との宴会。主人公がそこに不快を感じるのは、何も腐敗に対する正義感ではなく、境目のない曖昧さに対する気持ちの悪さ・居心地の悪さなんだろう。だいたいやくざなんて社会の曖昧さが苦手でハッキリとした組織に付いたんだろうに、そこも社会の縮図で曖昧さが満ちていたって訳。だから善悪をハッキリさせてしまったラストは、ちょっとしぼむ。大島渚はけっこう長ぜりふだった。成田三樹夫を初めやくざ常連が警察側。けっきょくキャラクターとしては同じなんだ。
[映画館(邦画)] 6点(2012-10-02 10:31:45)
531.  ハーレーダビッドソン&マルボロマン 《ネタバレ》 
1996年という5年後の近未来が舞台というのが面白い。仲間たちで銀行襲撃へと話が動き始めるまでが、ややカッタルイ。話が適度に省略されてるんだけど、それが特別テンポをよくするのに役立ってない。ミッキー・ロークが射撃がヘタクソで人質になってる仲間を撃っちゃうなんてのがあった。ドン・ジョンソンのボロ靴がラストで生きてくるのがいい。いつも親父の教えを守るってのもありました。全体アメリカの娯楽映画は、底に西部劇の匂いを残している。というか西部劇はいろいろに変わって生き続けてるってことか、馬をバイクに乗り換えて。走って逃げてる主人公を、悪人たちは無表情に歩いて追いかけてくるんだ。
[映画館(字幕)] 6点(2012-10-01 09:38:35)
532.  この子を残して
かすかに黄色がかった色調。回想の懐かしさに、沈んだ落ち着きを与えて格調高い。長回しやゆっくりとした移動で、けっこうのどかだった戦時中の地方都市が丹念に描かれていく。この懐かしいのどかさを奪われたということが木下の怒りの原点だろうから、ここは大事。おそらく作者にとって一番思い入れが深かっただろう淡島千景の祖母を、後ろに控えさせて隠し味的にしている慎み深さもいい。この主人公にはさして共感湧かなかったが、米兵に黙って写真撮られるところなど良かった。しかし原爆映画はつくづく難しい。この大量殺戮兵器に対して、もう怒りとか憎しみとか普通の神経では計れないのだ。限度を越えた愚劣さに対しては哄笑で答えるしかないと思えてしまうのだが、それは無力な自嘲として終わってしまいがちなものでもある。そしてその無力感がまた原爆を育ててしまう。原爆が具体的に私たちの生活から何を奪っていったのかを、丁寧に想像する作品が作られねばならない。木下はそれをやろうとしたのだろう。ネックになるのが被爆シーンをどう撮るかだ。演出困難なのである。本作も木下としてはずいぶん思い切って汚れた画面を作ったと思うが、やはりちょっとしたガス爆発事故という感じ。遺体がまだ美しすぎる。記録写真にはある、人間の尊厳に対する陵辱が感じられない。フィクションで原爆映画を作る難しさはここなのだ。いくらむごたらしい遺体を造形できても、たぶん方向が違うんだろう。こしらえものが現実の歴史と拮抗する新たな地点を、劇映画作家はさらに探し続けなければならない。
[映画館(邦画)] 6点(2012-09-30 09:29:56)
533.  愛怨峡
これは彼の演出法がいちいち納得できた作品ということで、私にとっては記念すべき一本。室内で俯瞰にするのは人物(おもに男)の弱さや卑小さを強調し、また運命といった視点も導入できる。いさかいなどのシーンは、一つ奥の部屋でしていることが多い。一部屋遠くから撮る。俯瞰と同じような効果もあるが、さらに表情を隠す効果もある。剥き出しの表情を消せる。表情が急変するところをドラマチックに見せたくないという慎み深さ、そういうところを近づいて捉えては失礼だという意識もあったか。あるいは逆に、その人物にとっては大事件でも世間には大して関係ないよ、といった客観視とも取れる。芸人たちの小屋へ貰い子に出していた赤ん坊が帰ってくるところ、ワーッと仲間たちが囲んで、母と子の姿をカメラから隠してしまう。次にカメラが脇から捉えるときは、最初の出会いの瞬間の剥き出しの喜びは消え、穏やかな慈愛の表情になっている。こういう礼儀正しさが彼の演出法にはあるんではないか。しかしインテリ男に対する作者の目の厳しさは隠さない。都会に出りゃ何とかなると出てきて、しかし何も出来ないで、女のほうがしっかりしてて、けっきょく家長に絶対服従の駄目男。男に対する厳しさは剥き出しで描いているな。
[映画館(邦画)] 8点(2012-09-29 10:02:31)
534.  ケープ・フィアー
この監督ジェントルマンの顔して、どうしてこうむかつく男を描くのが好きなんだろう。自分を「裁く男」と規定した人間のドロドロ。『タクシー・ドライバー』以来のモチーフですな。14年間、牢屋の中で勉強する執念。スコセッシが描く嫌な男はピンと張りつめている。いい加減なところ、だらだらしたところがない。前半の嫌がらせの部分なんかも、遊んでる感じがなくピリピリしている。だいたい「嫌がらせ」なんて、どこか薄笑い的なものなんだけど、本気も本気。その絶えず精進している本気さ加減が弁護士を怖がらせるんだからここは大事。怖いのは、弁護士のほうも手を出しちゃうとこで、相手にますます正義を与えてしまうの。ただ後半に宗教性が出てきたことで「悪とはなんぞや」というテーマをやや薄めてしまったか。日常が恐怖という一点に絞られ錐でグリグリ突き通されていくような映画。
[映画館(字幕)] 7点(2012-09-28 09:37:58)
535.  豚と軍艦 《ネタバレ》 
長門裕之、ちょっと演技過剰だけど「滅びゆく豚の代理人」としてその愚かさを否定的でなく描いている。ヤマ場で豚に向かって「逃げろ」と叫ぶのは、初めて恋人吉村実子への真摯な語りかけだったんだろう。アメリカに寄生する豚のような人間たちを豚が押し潰していく60年安保直後の夢の爆発、アメリカに色目を使うネオンサインを機関銃で破壊していく爽快な夢。でも本人は便器に顔を突っ込んで死んでいくわけで、夢でない現実は吉村実子のこれからに託されるわけだ。ラストの超望遠で口紅を拭き取るシーン、以後も今村でよく目にする望遠の効果の代表例となる(その対極のように豚とそれに潰されていくやくざの顔が画面にミッチリ詰め込まれたカットもあった)。基地に寄生するという形で現実を生きていく女たちも、批判的ながらイキイキ描かれていた(70年安保のときにもう一度横須賀をドキュメンタリーで描いた『にっぽん戦後史』で、そういうマダムを対象にする)。でも本作が記憶に残るのは日本では珍しかったブラックユーモアの連発で、癌ノイローゼのやくざという造形が傑作。自殺できない気の弱さから殺し屋に「知らない間の射殺」を依頼するも、その後勘違いが分かって逃げ回るという滑稽。それ以上に記憶に刻みつけられるのが加藤武で、ニコニコ笑いながら「へへへ、シルが出たよ~」と死体処理の汚れを人につけて楽しんでいる。「豚から入れ歯」のシーンも、彼のニコニコ笑いがあるのでさらに弾ける。小沢昭一のエッセイにはよく加藤の話が登場し、生粋の江戸っ子なのね、彼。本作のニコニコ笑いを見てからずっとファンです。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-09-27 09:49:15)
536.  五人の斥候兵
国策映画で戦争そのものを描く場合、敵が強いと国策に合わないし、敵が弱いとドラマとして成立しない、というパラドックスがある。で大局的な視野を捨てて、局所的な出来事に目を向け、そこに集中することで映画作家としての誠実を尽くそうとした、ってことはありましょうな。戦場における理想的な心意気の世界。負傷した兵が送り返されるのを嫌がり、無理して「ほら、銃ならちゃんと持てます」と言うのに対して、部隊長がその心を汲みながら「命令だ」というあたりなんか、やがて一つの型になっていくのの初めのころのケースだろう。斥候に出て行くときの不安定な(舟に据えたカメラ?)の視点なんかもいい。敵兵の表情が見えないのはうまいのかズルいのか。そのかわりときどき敵兵の視点になってトーチカから斥候兵を狙い撃ったりするシーンがあり臨場感。田坂監督の当時の言葉によると「小津君の入営がこの映画を作ろうと思った一つのきっかけだった」という。当時の小津の軍隊日記には本作がキネ旬の1位になったことを記し「それほどの作品だったかな、まだ見てないが『路傍の石』のほうがいいんじゃないか」てなことを書き込んでいる。
[映画館(邦画)] 7点(2012-09-26 09:39:34)
537.  ドクター 《ネタバレ》 
この女流監督は『愛は静けさの中に』の人で、喋れなくなることに関心を持っているのか、これではウィリアム・ハートの外科医が喉頭ガンになる。自分が患者になることで正しい医者になる、って話。でもどうだろう、医者なら習慣の中ですでに納得しているようなことを、今さら新鮮に驚かれても困る。患者をいちいち人間として捉えていたんじゃやっていけないのは想像できるし、患者だって煩わしい。病気の患部という部分に解体して付き合うことで、互いにある程度気安さも感じられてたんじゃないか。それをことさら新鮮に怒ったりして、なんだこいつ、と思ってしまう。颯爽と廊下を行く医者のときの眺めと、患者になっての寝台車からの眺めの対比、なんかがある。仲の悪かった同僚に手術を頼むと、「あなたの喉を切りたかったんだ」と言うユーモアが良かった。全体、ツルッとした「いい話」で面白味に乏しい。
[映画館(字幕)] 5点(2012-09-25 09:25:33)
538.  黒い十人の女
ファーストシーン、光と影のサスペンスであると同時に、女がぞろぞろと歩いているどうしようもないおかしさ、見てるほうとしては、まだどういう設定か分からないんだけど、市川さんの映画だなあ、とシミジミ思わされる。働く女性ってのがかなり定着してきた時代(翌年に鈴木英夫の『その場所に女ありて』)。それまでの養い・養われる、という男女の定型が崩れ出してきた。これ見ると、男のほうは仕事の手順忘れていたりして、女のほうがギラギラ働いている。なのに男にはまだメンツがあって、そこらへんに悲喜劇が生まれる。あるいは、女は男によく優しさを求めるけれど、優しい男とはこういう残酷もある、って言っているのか(「誰にも優しいってことは、誰にも優しくないってことでしょ」)。でそれを上回る残酷を、女が優しさとして発揮した、というストーリーなのか。とにかく和田夏十のそのシニカルさを徹底した視線が感じられる。宮城まり子の存在が、ちょうど『鍵』の北林谷栄を思わせ、ゴタゴタやってるのを外から見る者としての役割りを担っていたよう。最後に二人が自閉的に籠もってしまうってのは、なんとも不気味。二人で向かい合って喋るシーンが多かったなあ。
[映画館(邦画)] 7点(2012-09-24 10:21:01)
539.  隣の女
感情のシーソーゲーム。どちらも相手に対して完全には優位に立てない。男は招待パーティから逃げてしまい、友だちとしてやっていく可能性を封じてしまう。夫の留守に逢引するのは乗ずるようでいやと言っていた女も、その禁を破ってしまう。ひとつひとつ障害となるべき葛藤を破りつつ越えて、破局へ歩んでいく、その道行きの味わい。ひそやかな不倫の緊張が、パーティの席で解き放たれるのは、破局でもあるが快感でもあった。偶然の出会いまでは、それぞれどうにかやっていたわけで、別に死んだような人生だったわけじゃないのに、もうダメ、こうなってから振り返ると、もう後戻りは不可能。この情熱の不合理、心の奥に潜んでいるものの不気味さ。こういう破局の快感でしか、解き放たれない魔があるんですなあ。「隣」と言う曖昧な関係の設定がいいんだな。友人のように深くは立ち入らないが、微妙に付き合っていかねばならない。赤の他人より、他人を意識する関係。そこに最も深く心が関わる人間が据えられてしまったことによる、ひずみ。ヒロインを神経衰弱にしたことは、トリュフォーの好みなんだろうが、ラストを弱めてはいなかったか。
[映画館(字幕)] 7点(2012-09-23 10:05:21)
540.  チョウ・ユンファ/ゴールデン・ガイ
そういうジャンルがあるのかどうか知らないけど「大富豪の息子もの」。トントン会社の原色のセットなんか面白い。笑いとしては、即製のテーブルの下に「ここにいるべきではない人たち」がどんどん隠れていくあたり(マルクス兄弟?)。チョコマカ歩く金持ちのわがまま娘が、忘れたころにまた出てくるのも嬉しい。金持ちってのは、庶民になって安物の指輪を買わないと愛を表わせないらしい、面倒ね。うろちょろするジイヤってのも、大事な味付けだった。なんか「富豪の息子もの」ジャンルの基本が揃っていた。ユンファの笑顔ってのは、ほんと馬鹿と紙一重の人のよさが出ていて貴重。これ、監督はジョニー・トーだったのか。そういう眼でもう一度見直してみたい作品ではあるな。
[映画館(字幕)] 6点(2012-09-22 09:54:18)
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