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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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541.  陸軍
ホンネとタテマエの微妙なせめぎあいを得意とする作家にとって、最終的にホンネが前に出てくるか、タテマエを押し通すかということは、さして重要でなかっただろう。そのせめぎあいを描くのが好きなので。子を思うホンネをじっと抑えて公に奉公する姿を美しいとしていた時代、「このようにみな公のために私情を捨てて頑張っているんだなあ、私も耐えねば」というメッセージになっており、反戦映画とまでは言えないだろう。笠智衆演じた人物なぞ、そのまま戦後に描けば青年を死に追いやった否定的人物となるわけで、そこらへん史料として観られる。「男の子は天子様の借り物」というタテマエを、最後はホンネを越えて主人公は肯定せざるを得なかったわけで、それを美しいと捉える視線はあり、システムを批判してはいない。ふと思ったんだけど、長回しが多いのは作家性の要請というより、フィルムを無駄に出来なかった当時の制約もあるのではないか。東野英治郎との頑固者同士のユーモア。真っ先に宮城へ参らなかったと叱る父、教科書を踏んだと叱る母。何も反戦映画だから名作と無理しなくても、タテマエの浸透していた当時の社会の記録としてこそ名作と呼びたい。
[映画館(邦画)] 7点(2013-01-25 10:10:38)(良:1票)
542.  昭和残侠伝 唐獅子牡丹
シリーズ2作目の、まだ様式が固まっていない試行錯誤がうかがえるのが面白い。1作目は終戦直後だったので、本シリーズで戦前が舞台になるのは本作からとなる。任侠ものの味わいには戦前の風俗が大事だと思っているので、そこに感謝(『残侠伝』というタイトルを見ると最初はずっと戦後を舞台にした『日本侠客伝』みたいなものを考えていたのではないか。だから池部の起用も前年の篠田正浩『乾いた花』の好演もあっただろうが、なによりも“戦後”という時代を代表する俳優だったからなのではないか)。本作は宇都宮の採掘場、次作は銚子近くの漁師町と、地方のいかにもやくざが強そうなあたりを舞台にするが、以後の東京の戦前風俗になってやはり一番しっくりする。路線が定まってなかったので池部の扱いが中途半端で、前半健さんに沓掛時次郎的な役を振ったので、屈折する池部とタイプがダブってしまい困っただろう。池部は満州帰りと変な洋装で登場しズッコケるが、道行きシーンではちゃんと決める。本作でいいのは、悪役の水島道太郎にも「石工あがり」という過去を振ってることで、石を平気で傷つける子分を怒鳴ったりする。仁侠映画ではこの手の丁寧さがしばしば見られる。道行きから一家への殴りこみはうっとり見られるが、石切り場での争いは安手のアクション映画になってしまってた。こういう失敗を重ねて様式が固まっていったと思えば、それさえ嬉しく見てしまうのがファン心理。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-01-19 09:35:47)(良:1票)
543.  生きてゐる孫六
この監督は基本的にバタ臭いところがあるが、これなんか戦争中の作品なのに骨組みはすごくアチラ風で、込み入っていた人々が、ラストでパタパタと片付いていくウェルメイドな手際の良さが見事。立派な青年や将校たちにリアリティが欠けるのは、時代がら仕方なかろう。陰気な家と青白きインテリの描写がいいんだ。婆さんの鉦の音が神経を逆なでするようにチンチンと持続する効果。あの戦時下、「お国のために」で良いものもずいぶん失われたが、なかなか壊れなかった旧弊なものも壊すことが出来た。木下さんはそっちの気分に寄ってる人だったろう。戦後の『遠い雲』などでも、古い家の厭らしさは繰り返しテーマとされる。あの戦争に対する肯定否定以前に、旧弊なものへの反発が一番根っこにあったモダンボーイだったのだと思う。監督二作目だがこれが初のオリジナルシナリオ。彼の得意な地方舞台のコメディだ。土地の由来を描く冒頭の戦国時代の合戦シーンはずいぶん金掛けてたようだが、ああいう勇壮なシーンがあると国威発揚の特別予算でも当局から付いたのかな。武田信玄も出てくる(ドラマそのものはあくまで現代劇よ)。数少ない彼の時代劇映画の『笛吹川』にも、先代の勘三郎が武田信玄で出てたっけ。
[映画館(邦画)] 7点(2013-01-18 10:02:18)
544.  無能の人
いろいろ小津ごっこをやっていたが、話は成瀬的な侘しさ狙い。後ろ姿が印象に残る作品。顔が見えない家人、表情のうかがえない身内、自分から表情を隠そうとしている妻。侘しさが極まった果てでユーモアに弾ける、ってのを狙ったようだが、別々になってしまった。安易な言葉だけの笑いで済ませてしまったと言うか。個性派の役者を使ったことが裏目に出たよう。甲州への石拾いのあたりが一番良かった。サルマタが干してある縁側の向こうで虚無僧が尺八を吹くあたりは、侘しさと笑いがうまく絡み合った。こういう貧窮作家ものってジャンルが日本文学の伝統にあるよね。節を曲げず妻には苦労をかけ、その侘しさを味わいにしちゃう伝統。ひねくれたオノロケと言うか。東京という街を「侘しさ」で見るのはいいことだ。
[映画館(邦画)] 7点(2013-01-16 10:45:34)
545.  桃太郎 海の神兵
とにかく細かい。ちゃんと影が人物の上をヌルッと通過するし、うさぎの耳や猿の頭の後ろの日よけのハンカチが風でひらひらするし、慰問袋の中の手紙を読むシーンでもニ三枚がひらひらするし、もちろんアイウエオの口の動きは正確だし、滝に近づくとき別のカットにすれば楽なのに移動で描くし、こういう丁寧さが、なんか戦争の対比物に感じられてならない。アニメーターが何も密かに反戦を訴えてたってんじゃなく、セル画を一枚一枚描く作業が、爆弾一発で吹っ飛ばす大雑把な作業の批評になってると思う。どんなに戦意高揚を訴えても、アニメを作る作業って基本的に平和産業だ、と理想論過ぎるとは思うが、無理に思った。タンポポがパラシュート部隊に転換した裏返しで、パラシュート降下シーンで勇ましい音楽が止んで、またタンポポが浮遊する穏やかなメロディになったところで感激。日本軍が来たことで平和になったってことなんだろうが、それを超えて戦争を無効とするメッセージと、これまた無理に思った。そう無理に思いたくなる丁寧な作品。
[映画館(邦画)] 7点(2013-01-15 10:24:57)
546.  母と子(1938)
後半になって俄然イキイキしてきた。積極的な悪役がいるわけではないのに、男の振舞いのなかに悪が出てきてしまう世界。不人情を、男社会に原因を求めているようで、溝口を初め、こういう視点は当時ずいぶんモダンだったんじゃないか。そういうモダンな視点にさらされるのが、吉川満子のおっとり妾。この描かれ方がうまいんだ。そろそろ邪魔になってきたので追い出されるのを、わざわざ別荘買ってもらってと喜んでいる。それに苛つくのが娘の田中絹代なわけ。女二人が新旧二つのタイプを演じるのは、二年前に『祇園の姉妹』あり、翌年に『暖流』ありで、このころの流行りだったよう。とりわけ『暖流』とは役者がだいぶ重なっている。佐分利信、水戸光子、徳大寺伸。本作のほうが視線が冷たいと感じるのは、監督が渋谷実と思って見ているからか。佐分利はただ野心家というだけでなく、母的なものに憧れてるってしたので、厚みが出た。「オールドブラックジョー」のメロディは二年前の『一人息子』でも使われてたが、昭和初期には何か特殊な意味があったのかな。人物が外に出たのは田中絹代が海岸を散歩しただけという実に内に籠もった作品でした。
[映画館(邦画)] 7点(2013-01-14 10:36:19)
547.  大きな鳥と小さな鳥
タイトルを朗々とレシタティーヴォで歌い上げる陽気さでまず度肝を抜かれた。中間部の聖フランチェスコのエピソードがもう監督ならではのリズムで嬉しくなっちゃう。『奇跡の丘』の次の作品だが、『デカメロン』三部作のタッチ。ニタニタ笑う四人組にからかわれるシーンなんか、サイレントドタバタ風。コマ落としの多用。雀とは身振りで会話するという発想。鳥の群れとの会話。『アラビアンナイト』の鳥も感動的だったが、この人、鳥にひときわ愛着があるみたい。ラストで大きな鳥として飛行機が出てくるのは少し露骨過ぎたか。日本語字幕なしの上映だったので、やや想像頼りの部分はある。三部でカチューシャのメロディが流れたのは、ロシア革命と何か関係があったのかな。
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2013-01-07 09:56:32)
548.  冬の旅
他人の目を通した『少女ムシェット』というか。共感を呼ぼうというのではなく、理解不能なところを残したままで、でもこういう少女がいるという実感を描こうとしたのでしょう。やりたいこともない、「放浪じゃない、放埓だ」と人に言われ、社会との関係をうまく取れなく、不器用なのか純粋なのか、どんどん自由=孤独のほうに偏っていってしまう力学が描かれた。一人旅ってのは、プライベートな時間だけにしてしまうと同時に、自分を社会に曝してしまうことでもあり、それをうまくまとめるには「祭り」という儀式が必要なんだろうけど、彼女の場合その祭りによって最後の追放を受けてしまう。これが自動車の一人旅だとまた違うんでしょう。プライベートな空間を携帯して、いわば部屋ごと移動しているようなものだから。転落への軽蔑と自由への憧れがきれいに釣り合い過ぎてしまったかな。チュニジア人がマフラーのにおいを嗅ぐカットはホロッとした。
[映画館(字幕)] 7点(2013-01-03 10:01:56)(良:1票)
549.  カルメン故郷に帰る
皮相な社会風刺になりかねないところを、主人公の明るさが救っている。「新しいもの」に飛びついて分かったふりをする当時の世相を笑いつつ、その新しいものも切り捨てない。木下さん、ストリップがはやる風潮を愉快には思ってなさそうだが、少なくとも青年を盲目にする戦争よりはいい、と自分の中であれこれ計量しているよう。軸はストリップと佐野周二の歌という当時の文化状況の対比、あれ木下忠司お得意のマイナー調で(たとえば『喜びも悲しみも幾歳月』のテーマ、お~いら岬の~灯台守りは~)、「青葉の笛」とか「水師営の会見」とか短調唱歌で育った世代の「いい歌」なんだな。この陰々滅々ぶりは皮肉な効果を狙ったんじゃなく、あれが当時の「芸術的で真面目ないい歌」だと思って聞くべきなんだろう、「軽薄な」ストリップの対比として。そういう構想で作られつつも、映像としては青空の下の若い娘たちの輝きが圧倒してしまうところが映画の面白さだ。そっくり時代の記録として残った(そうか、盲目の青年だけが彼女らの肢体を見られないわけで、だから陰々滅々な歌の作曲者なのか?)。喜劇としては、三好栄子の怪演が記憶に残る『純情す』のほうがキレが良かったと思うが、この牧歌劇のほのぼの(とりわけ娘が裸で踊るお父さんの苦衷とそれへの周囲の慰め)も味わいあります。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-01-02 09:36:50)
550.  ガンジー
なんか学校で連れられてく名画鑑賞会って感じの映画で、懐かしい。偉人映画、演説映画。純粋な映画の喜びとは違うけれど、こういう真面目さも肯定しておきたい。あくまで偉人伝であって、民衆はバックの存在。しかも英国経由の偉人伝で、いちおう英国人による虐殺も描くが、それと吊り合わせるように人情裁判長も描いてる。決して突っ込まず、定石通りにいく。でも3時間でガンジー伝読めたと思えばためになったし、英国のインド観が分かったりして、損じゃない。不服従ってのが政治を越えて哲学になってるんだな。政治家が哲学づくのはあんまりいいことじゃないけど、少しはこういう人がいてもいい。役者がふけていくメイクがうまかった。ネールが「ガンジー死ね」の声に激怒するとこは感動した。忠の世界ね。ガンジーは仁の人だったのか。
[映画館(字幕)] 7点(2012-12-24 09:49:33)
551.  娘・妻・母
この黒丸(・)は並列であると同時に、進行でもあるんだろうね。娘と妻と母が形作っている世界であると同時に、娘が妻となり母となっていく世界、って。本作から松山善三が脚本に加わるが、あいかわらず金勘定の話が多いところを見ると、井出俊郎が主だったんだろう。土地の不安定さということもあり、『鰯雲』の都会版と見えないこともない。あれと同じような変動が都市部でも起こってるってこと。娘が一人戻ってくるだけで波紋が広がっていく。それを誰にも偏らず、多極構造を維持したまま進めていく(後半やや原節子に傾いたが、高峰秀子の存在が対象化してた)。嫁と小姑の機微なんかが見どころ。再婚をあまりあからさまに勧めるのも難しい、でも姑は微妙に反応する、ここらへんうまい。宝田明が「兄弟は他人の始まり」と言うと、草笛光子が「いっそ他人ならサッパリしてていいんだけど」と返すのなんか、成瀬作品に共通する感慨でしょうね。「他人でないことによるサッパリしなさ」がこの監督の味なの。家族の情愛を否定するわけではないんだけど、それへの嫌悪も見せてくれる。それはホッとする救いとしてあるんじゃなく、「懐かしい鎖」としてある。新興住宅地風のとこでチンドン屋が舞ってるシーンに思わず息を呑んだ。いったいあんな光景の何が良かったんだろう。
[映画館(邦画)] 7点(2012-12-20 09:52:52)
552.  愛を止めないで
遠くの恋人に会うためにスクールバスジャックした気のいい青年のコメディ(と見ていいんだろ?)。本人はダーティハリーみたいな緊迫を期待してたのかもしれないが、そうはいかない。いたってノドカ。まずなかなか「世間」が顔を現わしてくれない。窓の外には牧歌的な風景が続くばかり、人質たちも自分を憎んでくれない。ピクニック気分。どれだけ進んだのか目印になるような建築物がなく(こういう話だとだいたい途中に一度は橋を渡って別の生活圏に進んでいくってイメージがあるものだが)、それがないから同じところをグルグル回ってる感じ。で「遠くの恋人より近くの人質」ってな親近感の移行が起こってくる。恋人が「世間」になり、人質が「隣人」になってしまう。困ったものだ。バスに置き去りにされ広いところで子ども二人の保護者のようにポツンと立ってるあたり秀逸。子どもがピストルで遊ぶあたりもおかしい。女教師に「ちゃんと保管しといてよ」と叱られて、ピストルを返される。車体に書かれたSOSが子どものいたずらと思われちゃうってのもあったな。犯人自身が子どものようなもので。
[映画館(字幕)] 7点(2012-12-16 10:15:08)
553.  コンフィデンス/信頼(1979)
カットのつなぎのリズムが面白い。エピソードに少し入ったところからつながるの。見てるほうがフッとつまずくような感じ。不意に現われることの緊張、不意の行動。そこに至る心の内面を示す表情を前もって知らせず、行動なり身振りなりが不意に観客に提示されるわけ。ヒロインがベッドの前でボーッと立ってるとこなんかすごくいい。下手に内面の説明がないから、やむにやまれぬ感じがヒシヒシ伝わってくる。だから男の声が語る演出は野暮ね、と言ってほかにどうすればよかったか代案はないけど。音楽がレコード以外使われないのも、カットとカットを情緒で繋いでしまうことを怖れたからでしょう。ヒロインがうまい、バンシャーギ・イルディコさん。びくびくしていたのが自分の場を作ってしまうと強くなってしまう。レジスタンスもの映画ではだいたい信頼はもう前提条件になってたけど、これが本当だろうね。こっちを信頼してほしいと思うけど、こっちからは信頼できなくなっている。
[映画館(字幕)] 7点(2012-12-12 10:25:58)
554.  白い恐怖(1945)
G・ペックがひげ剃ろうとするクリームのドロッとした白を見せるとこから次々に白が襲ってきて、教授がミルクをとりにいくシーンを経て、ついにカメラがコップのミルクにふさがれるまで、ここはもうまさにヒッチコックでしたなあ。具体性ということか。テーブルクロスの筋のように、恐怖の対象が極めて具体的にそこにあるの。なんでもないはずのものが、ヒッチに指摘されることによって恐怖の対象になる。彼と深層心理学って、何か結びつかない気がしない? ヒッチの明晰さと、心理学の晦渋さ・曖昧さ。はっきり指させる恐怖と、どうとでも言いつくろえそうな解釈の世界。それが補い合ってるから面白いのかな? 私が観たフィルムの字幕は、後ろの画面が白いとほとんど読めなくて(昔はこういうの多かったんです)、白の恐怖であった。
[映画館(字幕)] 7点(2012-12-11 10:26:20)(良:1票)
555.  氷壁の女
少女のやや異常な成長物語。身内の人間に男を見てしまった少女が、そこから巣立っていくまでのいささか精神病理学的な物語なんだけど、そういうのにありがちな異常の押し付けがましさや大袈裟なシーンを伏せ、淡々と進めていくところが巨匠の上品なとこ。氷の中に封じ込められてしまった死体が、幼時の叔父への憧れが凍りついてしまった女性と重なっていく。それが次第に融けていくストーリーで、外の世界=ガイドの男も絡んで、視線のドラマが堪能できた。人物には脇や背後から光が当てられ“ワケアリ”の翳りを出している。ヒロインの笑顔が微妙に曇っていいんだな。これ最初はモノクロで撮りたかったそうだが、氷河の内側のトロッとした緑を出せただけでもカラーにした甲斐があったんじゃないか。少女時代の憧れが心の底にまだ光りヌメッてる感じ。ケイトの側のドラマは丁寧に描かれてるんだけど、叔父さんの側がちょっと弱いか。
[映画館(字幕)] 7点(2012-12-09 09:33:05)
556.  アタラント号 《ネタバレ》 
花嫁が船上を歩くシーンが美しい。見送りの人々の姿とか。棒みたいの使って飛び乗るの。皮膚に心地よい風が当たっているような感覚があります。芸人の誘いのシーンのまがまがしさ。いろいろ渡り歩くその乱れが、花嫁の心の乱れと重なってくる。すごいローアングルで船繋ぐとことか。レコードのギャグは、若者が合わせてアコーディオンを弾いていたという落ちが付く。結論としては、もひとつピンと来なかったんだけど、随所のみずみずしさは素晴らしい。みずみずしさを味わえればこの映画はいいのかもしれない。そう納得させてしまうのも監督の腕か。
[映画館(字幕)] 7点(2012-12-07 10:10:40)
557.  ダブルベッド
テンポがいい。冒頭の人物紹介の部分なんか、ノセるね。一番うまいのは浮気の発覚のあたり。ちょっとドタバタ調であれこれやって、何とかごまかせたと思ってたら旦那が寝室で呆然としてるという流れ。続けて雨のなか、ボールぶつけやってて、それた球がスローモーションで神田川に落ちていくところ。軽いタッチなんだが、冒頭の心中事件が「ちょっと踏み間違うとこうなる」という怖さを映画全般にかもしている。風俗映画と言ってしまえばそれまでだけど、図書館からコロッとサラ金に移る石田えり、庭先の柄本明、誰も本気でないという感じがあり、もう実生活自体が「浮気」なの。しばしばごまかされてきた高橋ひとみの映画撮影が、ラストで本気になってしまうのが、おかしいし哀しい。大谷直子の出発が本気の旅立ちなのか、また浮気の飛び石づたいをするのか。旦那が本気になって怒れずにボール相手にうじうじするのも、自分が本気かどうか確信が持てなかったからなんじゃないか。そういう時代。
[映画館(邦画)] 7点(2012-12-05 09:51:22)
558.  トト・ザ・ヒーロー
社会学的に見ると、アイデンティティの不安とか何とか、人生論的に見ると、他人への妬みや呪いを支えにして生きることの不幸とか何とか、心理学的に見ると、ユングの影とか何とか、いろいろ出そう。面白いのよ、一応面白いんだけど、なんちゅうか、作者の設計図が見えすぎちゃってるというか、醒めすぎてるところがあって、酔わせてくれない。ちょっと窮屈。若い監督なんだから(当時)、もっと破綻ぎりぎりの冒険もあってほしいところ。ラストの笑いはなんだったんだろう。他人を呪うことで支えられていた自分の人生の空しさを知ってしまった絶望に裏打ちされた笑い? 人生ってものを哄笑するような、ドロッとしたような、他人に対する呪いがもう社会を超えて神にまで向かったような。自分の人生を他人に奪われたと思い込む人間ってのにピンと来るか来ないかが、本作を楽しめるか否かの分かれ目のよう。
[映画館(字幕)] 7点(2012-12-02 09:42:03)
559.  キクとイサム 《ネタバレ》 
イサムが帰ってこないところがいい。あっちはあっちで頑張っているんだろう、という余韻が残る。お婆さんも頭痛かったわけで、自分の死後のことも考えなければならないし子どもたちもいとおしいし、子どもたちの幸せを考えてはいるんだけど、どうすれば一番いいのか分からない。このお婆さんの「分からない」はそのまま作者の「分からない」でもあるんだろう。首吊り失敗は『にんじん』を思わせるが、朗らかに描かれるだけに、決意の痛みも伝わってくる。差別ということ。ちょっと振り返る視線、ひそひそ話。しかし実際に田舎にこういう子が来たら人目を引くだろうし、心理的にハッとするのも差別になるのか、などと考え出すと難しい問題です。「売れ残り」と言ったり、赤ん坊事件がわざとではないかという噂が立ったりするあたりの残酷さが水木洋子の腕。積極的に排斥しようとはしないが、出てってくれれば地域としては波静かで歓迎、という形での差別なんだな。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-25 09:48:12)
560.  スパルタカス(1960)
これはキューブリック、企画にも脚本にも絡んでないのね。だから「見物される闘い」が出てきたからって偶然なんだろうが、『非情の罠』のボクシングや『時計じかけのオレンジ』のラストとか、『バリー・リンドン』でも軍隊で拳闘試合あったし、好みのモチーフというか、創作欲を刺激されるシチュエーションかと思われ、彼の脚本だと都合がいいんだけどなあ。屈辱感と残酷さと。武闘訓練のしつこさは『フルメタル・ジャケット』につながると思えるじゃないか。戦士を選ぶ女たちが柵の向こうから値踏みしているところをじっくり撮り続ける粘っこさ。やはり「見物される闘い」への執着を思ってしまう。前半の反抗への下準備のあたりが丁寧で映画として充実して感じられる部分。トニー・カーチスとの闘いが、心理的なヤマ場になる。闘わせられる者の屈辱と栄光、ああやっぱりこれ彼のモチーフなんだけどなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2012-11-23 10:11:00)
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