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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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41.  死の接吻(1947)
カーテンのライン、柱といった垂直のラインを多用して人物を狭所に配置し、夜の闇と人物の影によって黒の領域を大きくとった画面設計。そこに周囲の雑音を無音レベルまで消した録音効果が組み合わさり、息詰まるような焦燥感と切迫感が生まれている。その効果は序盤の高層ビルエレベーター内の場面、リチャード・ウィドマークがカーテンの隙間から目を光らせるレストランの場面、そのレストランの外で主人公ヴィクター・マチュアを待ち受ける黒塗り車の場面において絶大である。その異常な静けさが緊張を最高度に高めている。後半、ヴィクター・マチュアが裏切り者として狙われる側となってからの展開は特にサスペンス感に溢れ画面から目が離せない。これがデビュー作となるリチャード・ウィドマークの悪役像も強烈な印象度だ。
[DVD(字幕)] 8点(2009-03-20 21:00:22)
42.  ジャコ万と鉄(1949)
岸壁に砕ける波濤。荒々しい漁船のローリング。網にかかったニシンの大群とヤン衆の格闘。そして雪原を疾走する犬ソリの主観映像。 迫力満点に活写されたドキュメンタリー・タッチの映像は、紛れもなくフラハティ『アラン』の影響だ。 時化(しけ)る海を警戒して松明が群舞する夜間撮影の見事さなど、スタッフの苦労が偲ばれるロケーション撮影の場面はいずれも文句なしに素晴らしい。 伊福部昭による重低音の情景音楽が不要と思えるほど、画面に力が漲っている。 ここでの久我美子はいまいち魅力を欠くが、三船敏郎ははまり役。 とりわけ鰊番屋で披露されるワイルドで独創的なダンスは圧巻だ。 月形龍之介との格闘シーン以上に強烈なインパクトがある。
[映画館(邦画)] 7点(2009-03-12 21:03:04)
43.  
現地ロケによる地道な長期取材に基づき、自然と人間を描出していくセミ・ドキュメンタリーの手法は、明らかに35年日本公開の『アラン』(ロバート・フラハティ)からくるものだ。 またニュース映画全盛時代の、いわゆる写実的表現を尊重する時流の反映でもあるに違いない。 ただしフラハティの撮った過酷な辺境とは違い、日本の風土ならではの四季折々の豊かな風物が、軟調のローキー画面とフェード・イン、アウト、オーヴァーラップといった緩やかな画面転換を主とする日本的な時間表現の中で抒情詩的な味わいも醸している。  特に感動的な子馬の出産場面は優しいローキー画面の賜物といえる。 その柔らかな黒は迫真性の追及であり、夜間の静けさと緊張感、喜び、厳粛さの表現であり、主役たる馬への誠実な配慮でもある。  また、スタッフの写実性追及の姿勢は劇伴音楽の抑制という面にも現れている。 父親が病に倒れる秋は木枯らしの風音、馬が病臥する冬は吹雪の轟音、子馬の生まれる春はわらべうたの歌声、子馬と別れる夏はひぐらしの鳴声や夏祭りのお囃子、そして全編にわたり印象的な方言の響きといった具合に、あくまで環境音の採り入れ方の妙味によって「自然」と「ドラマ」両者を相乗的に引き立てており、秀逸だ。
[映画館(邦画)] 10点(2009-02-17 23:12:27)
44.  鉄腕ジム
J・フォードと共に、いわゆる「男性派」監督として並び称されるラオール・ウォルシュもやはりアイルランド系。この映画での初期ボクシング、家族愛、喧嘩、お祭り騒ぎ、仲間同志の連帯感といった要素はいずれも映画では馴染み深い典型的アイリッシュのアイデンティティである。これらのモチーフは一見、固有の民族像を描出しながらも、その人間関係の奥底から醸される叙情性は幅広い普遍性を獲得している。会う度に反目し、喧嘩してしまうエロール・フリンとアレクシス・スミスだが、最後には二人の恋愛が成就するであろうことを誰も疑わないだろう。ライバルとなるチャンピオンとの挑発合戦も同様、最後には胸の熱くなる和解の場面が用意され、原題である『紳士ジム』のキャラクターに深みを与えている。(二者を重層化する大鏡の演出が秀逸。)アイリッシュ的要素の数々は同時に映画的活劇性にも満ちており、特に港の桟橋を舞台とした拳闘試合の喧騒が大いに映画を盛り上げていている。
[DVD(字幕)] 9点(2009-02-01 20:28:58)
45.  銀嶺の果て
暗黒映画的トーンで拳銃発砲から闇夜の追跡劇~輪転機までを 畳み掛けるように見せるダイナミックなオープニング。 そこにかかる急き立てるような伴奏は後に東宝映画『空の大怪獣ラドン』の 空中戦の場面でアレンジされることになる馴染み深い旋律だ。 これがドラマに一気に引き込む。  この映画は監督谷口千吉、役者三船敏郎と並んで、 作曲家・伊福部昭氏の映画音楽デビュー作でもある。  中盤の和やかなスキー場面の音楽をめぐって谷口、伊福部氏が対立した逸話は有名だが、 伊福部氏の信念通り採用された管楽器ソロによる寂しげで哀切な音楽は 背景の北アルプスの厳粛さをより際立たせ、不思議と強い印象を残す。 その安易な「調和」からのずらし方が非凡だ。  二者を仲裁したという黒澤明監督は後に『野良犬』などで対位的なBGMの用法によって 相乗的な効果をあげていくが、このスキー場面の創作事情は そうした技法を生み出したきっかけでもあっただろう。  最後のレコード曲の入り方もいい。 小屋を振り返る志村喬の穏やかな笑顔と、雪をまといつつ見送る若山セツ子の 泣き笑い顔が素敵だ。
[DVD(邦画)] 7点(2009-01-14 22:58:01)
46.  最後の切り札(1942)
ジャン・ルノワールとの深い親交で有名なジャック・ベッケル。そのジャンルにとらわれない多彩さ、熱烈なアメリカ映画志向といった二人の共通項を改めて再確認させる傑出した処女作。南米が舞台のためか日中の場面は明るい日差しの印象が強烈で、同じ犯罪ものながら後の同監督作『現金に手を出すな』(1954)とは趣きが大きく異なっている。それでも、一般にフランス製フィルム・ノワールとして有名な『現金に~』の10年以上前にその萌芽とも取れる夜間ロケによるカーチェイスやトンネルの暗闇での銃撃戦を登場させているのが興味深い。小道具(ライター)を二度三度と活用する手腕。それを外線へ細工する場面の的確な描写。交換手のネタをきっちり三段で落とす秀逸なギャグ。何よりもその疾走感に満ちたきびきびした映画感覚が心地よく、ひたすらに痛快である。
[映画館(字幕)] 9点(2009-01-06 22:44:03)
47.  歌行燈(1943)
能における「幽玄」や「妙」(柔和、優艶、優雅)の映画的表現ともいえるのが「松風」を伝授する松林の場面における自然光の傑出した美しさだろう。木立を縫って緩やかに下降するクレーンショットの情調。かすかに揺れる木漏れ日の光。山田五十鈴の無心の舞。明け方の路地を歩むショットとの的確なオーヴァーラップとその反復。それらが渾然一体となった絶品のシークエンスである。撮影担当の中井朝一氏、照明の岸田九一郎氏は、同じく能の様式を取り入れた黒澤作品『蜘蛛巣城』などでも優れたスタッフワークを見せる。岸田氏は『ゴジラ』を始め、数々の東宝怪獣映画も手がけることになるが、超自然的存在を照明術によって映画の中に浮かび上がらせるという意味で、能の世界を主題とした本作と相通ずるものがある。  
[映画館(邦画)] 9点(2008-12-08 23:05:40)
48.  
舞台となる温泉宿の二階4部屋を縦構図で捉えた画面の深度が驚き。しかもそれが雑然とすることもなく各部屋の主要登場人物たちの所作をそれぞれ明瞭に映し出す。約1時間強の内に複数組の宿泊客を巧く絡ませ、其々のキャラクターを的確に描出してしまう手腕はまさに驚異。冒頭でのギャグ三段返しの巧さ。温泉宿屋内ショットの内にも戸外の景観を奥行きに取り入れ風通しの良さを常に感じさせる構図取りの妙。開放的な屋外撮影に映える少年の白シャツの眩しさと爽やかさ。一本橋や登り階段でのおおらかなサスペンス。説明字幕代わりに、少年の微笑ましい日記や女性の手紙をさりげなく活用する粋なセンス。どれもこれも素晴らしい。川原で田中絹代が泣く場面があるが、ここには涙や泣き顔といったそれらしき心理的演技がまるでない。それでいて小道具(洗濯物)と小川だけでもって切ない情感を醸してしまう不思議。これは何なのだろう。
[DVD(邦画)] 10点(2008-08-19 22:49:41)
49.  沈黙は金
「雄弁は銀、沈黙は金」のごとく、無声からトーキーへの革新に難なく順応し、それぞれの特質を洗練させてみせたルネ・クレールのサイレント賛歌であり、トーキー賛歌である。  「喜び」はオープンカフェのヴァイオリンや、レストランのオーケストラ、アパート前の路地のシャンソンの音色によって変奏され、「悲しみ」は様々な破砕音(ガラス、花瓶)の形で変奏される。  それも直接的な視聴覚の融合だけではなく、音と主体(人物や対象物)を分離する演出も絡めながらドラマ効果をあげている点が匠の技だ。(サイレント演技する役者と演技指導する監督の声。あるいはオフ空間から響くガラスの割れる音と、後のシーンで心象として活きる「割れたガラス」のショット。アパート入り口前で仲睦まじく語り合う恋人同士の会話を、路上のシャンソンの歌声によって消すロングショットなど実に多彩。)  撮影所の監督部屋で衣装替え中のフランソワ・ベリエとドア外のマルセル・デリアンが、監督役:モーリス・シュヴァリエの仲介により顔を合わせぬまま挨拶代わりの握手をする。後に恋仲となる二人の手と手が結ばれる一瞬のクロースアップ。その短いショットだけで、二人が惹かれあうだろう予感を強く印象付け、物語る力。  二人が登っていく夜のアパートを外側から緩やかに上昇して追うカメラの慎ましさ。 アパート部屋の小さな窓から望むパリ夜景の情緒を実現する美術の技量。 馬車のシーンで、スクリーンプロセスとの絶妙なシンクロを見せる的確な照明操作。  撮影所の洗練された技術が活きる、撮影所の映画だ。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2005-02-20 20:22:45)
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