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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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41.  THE JUON/呪怨 《ネタバレ》 
邦画の劇場版1を基本にしてOV版1の発端部分その他を加え、わけのわからない箇所やおふざけを除いて再構成した結果、非常に筋の通ったまともなホラー映画になっている。邦画版の特徴だった時間の前後もわかりやすく単純化されており、初めからこういう風に作ればよかっただろうが、と思わせるものがある。 真面目な映画のため、特にOV版にあったような笑いを誘う場面は目立たなくなっているが、かろうじてバスに乗っていたバカップルのようなのは存在自体が微妙に可笑しい。また細かいことだが、外国人教授が少年の額に手を当てようとしたときに、瞬時に少年が避けて無表情に睨んだのはネコの動きのようで面白かった。 ただ個人的に不満なのは女優が全般的に可愛くないことで、これは邦画版との大きな違いに思われる。邦画版と一対一で対応している人物も多いが、邦画版のあの人物がこれかと思うとあまりの可愛げのなさに呆れてしまう。その中で主役はかなりいい方で、終盤で日本人看護師と並んだところを見ても外人にしては大柄でないのが好印象だった。  ところで中盤過ぎに日本の刑事が、毎度の冒頭に出る辞書的説明をまるで日本全体の事情のように一般化して語っていたが、これはわが国に関する著しい誤解を生む恐れがある。映画全体としても日本の風景の中に外人多数を連れ込んだような違和感があることもあって、“日本にさえ来なければこんな目には遭わなかった”という教訓的な感じの映画になっている。タクシーの窓に「ようこそ日本へ」というシールが貼ってあったのは皮肉のようだがこれも笑うところなのか。 この当時はともかく現在は訪日外国人数が著しく増加しており(2004~2014の10年間で倍以上)、外国人観光客などを対象にした民泊の動きも全国的に活発になっている。そういうときに、古風な日本家屋には何が憑いているかわからない、というこの映画は水を差すのではという話だが、まあそういうことも含めて外人には受けるだろうと思うべきか。劇中の家の内部も微妙に外人受けしそうな作りのようでもあり、これが日本への旅情を誘うことになるとすれば幸いである。  [2020/02/16追記] 2015年の時点では、当時のインバウンド拡大の風潮に乗って外国人観光客を無条件で歓迎するようなことを書いてしまったが、その後に民泊の弊害とかオーバーツーリズムとか(感染症のリスクとか)の問題が出て来て、今となってはあまりよろしくない書き方だった気がする(反省)。政界や経済界の思惑はともかく個人の立場としては、人数や金の問題というよりも、日本に関心があって日本のことをもっとよく知りたいお客さんに来てもらいたい。
[DVD(邦画)] 6点(2020-02-16 13:48:36)(良:1票)
42.  サンタクロースになった少年 《ネタバレ》 
原題も英題もクリスマス物語である。主人公の名前は一応聖ニコラオスから取ったようだが、話自体はキリスト教と関係ないので異教徒でも無宗教でも見られる。そもそもフィンランド語のクリスマスJouluもサンタクロースJoulupukkiもキリスト教とは関係のない言葉のようである。 時代としてははっきりしないが、豊かでもない庶民が懐中時計を持っているからにはそれほど大昔でもなく、もう19世紀に入った頃のことではないかと思った。電気はさすがに通じていなかったが、村の人口が増えたというのは前近代を脱したという表現のようでもあり、孤立的な昔話ではなく現代に直接つながる出来事と取れる。 撮影場所は、フィンランドでサンタクロースが住むとされているラップランド地方とのことで、なだらかな山容が特徴的に見える(実は見たことがなくはない)。季節の変化も印象的で、これが現地の風景だとほれぼれした。ほかに師匠と主人公が家具を売りに行った場面は南部の都会トゥルクの大聖堂で撮っている。  内容としては完全オリジナルのサンタクロース誕生秘話を極めて誠実に作っている。師匠と一緒にプレゼントを配ったとか、親友の娘が家を訪ねて来た場面は少し感動的だったが、ただ全般的に展開が駆け足すぎて、大河ドラマを一晩だけの総集編にしたようでもある。後半で突然ヒゲオヤジに化けたのも唐突な印象で、個人的には健気で賢明な少年と、親友や師匠とのやりとりをもっと見ていたかった気がした。 自分の志を世の父親連中に委ねて、本人は空から子どもを見守る存在に昇華したという結末(多分)は悪くないとしても、主人公自身が自分の家族を持つという選択はなかったかとはどうしても思ってしまう。主人公の心境は正直よくわからなかったが、家族と思った師匠も去ってしまって一人残された家で、妹代わりかと思った人物の忠告も聞かず、他人の子どもを自分の子のように思うしかない状態に自ら追い込んでいった面がなかったのか、と思うと少し寂しい結末だった。  その他の事項として、プレゼントをしておいて知らないふりをする主人公もそうだが、顔の怖さを前面に出す師匠とかツンデレ少女とかがシャイといわれる国民性の表現のようで面白かった。個人的にも以前に現地へ行った時に、不愛想で物も言わないが親切なフィンランド人というのが本当にいたのを思い出した。
[DVD(字幕)] 6点(2019-12-21 09:55:55)
43.  ロスト・メモリーズ 《ネタバレ》 
日本がらみの歴史改変物語である。2009とは伊藤博文暗殺から100年後の意味らしい。 合作というだけあってそれほど激しい怒りを感じるところはないが、それは見る側の慣れもあるのと(最悪なのは他にある)、日本人との友情や日本人の家族愛も描写されるので悪印象が緩和されている面はある。  突っ込みどころはいろいろあるが最も困るのは、制作側がいったい何をもって“正しい歴史”と考えたのか理解できないことである。 まず映画の開始時点では、[A]伊藤博文が暗殺されなかったため?日本が第二次大戦の戦勝国となり、半島も満州も領土として維持したまま2009年に至った世界である。これを耐えがたいものとして主人公らが改変したあとの歴史は、[B]伊藤博文が暗殺されたため?日本が第二次大戦で敗れ、以降も現実世界と同様に推移したが、2008年に南北が統一され(どうやって?)、強大な経済力と軍事力によって「アジアの手本」となり、さらに高句麗の領土回復運動を起こした世界である(中国から見れば侵略的発想)。 このうち[B]は、2008年以降は向こうの立場として正しいのかも知れないが、しかし[A]であっても劇中の京城府は東京なみに繁栄しており、別に日本が植民地的に収奪してきた世界とも思えない。朝鮮戦争もなく、南北も分断されずに半島全土が豊かになっていたのだろうから、その状態から独立運動でも起こして[B]の2008年以降に繋げば一番都合がいいのではないか? それでも[B]が正しいと制作側が思ったとすれば、やはり日本に原爆が落ちて惨めに敗れた(自分らは戦勝国になった?)ことが不可欠であって、そのためには朝鮮戦争の惨禍も南北対立の歴史もあえて受け入れる覚悟と思うしかない。要はプライドの問題ということだろうが、他国の支配を嫌うのであれば、19世紀後半まで遡って自らその身を正すのが筋だろうと個人的には思った。日本にできたことができなかったはずはない。 ちなみに現代の感覚だと、過去に遡って歴史を改変した場合、単にそこから別の歴史が分岐するだけで、元の歴史はそのまま別世界として残ると考えるのが普通ではないか。唯一絶対の正しい歴史などはないと思わなければならない。  以下雑談として、 ○上記[A]はなぜかポカリスエットが蔓延する世界だった。 ○日本語の発音が不得意な人物はみな現地出身者という意味か。局長の金田という男は内地出身かも知れない。 ○花火の場面では、日本人の子役が日本風に可愛らしいので、他はどうでもこの子だけは無事でいてもらいたいと思った…こんな場所にいては制作側に殺されかねないので早く内地へ引き揚げろ。
[DVD(字幕)] 5点(2019-12-14 08:58:08)
44.  イキングット 《ネタバレ》 
アイスランドの映画である(寒い)。登場人物の様子からして近代以降の話には見えないが、Wikipedia, Den frie encyklopedi(ノルウェー語版)ではなぜか細かく1698年(元禄年間)のアイスランド北東海岸と特定している。首都からは島の反対側なので、絶海の孤島の中でもさらに辺鄙な地方ということらしい。ちなみに国王と言っていたのは恐らくデンマーク王のことで、保安官はその国王が任命した役職ということになる。 同時代のノルウェーの捕鯨船ではグリーンランド人が雇われていたのに、ここの住民は海の対岸にどういう人々が住んでいるかも知らないようで、それでもヴァイキングの子孫なのかと言いたくなる。冬の間も氷の下に魚はちゃんといることを、知っている人はいたらしいが知らない人もいたようで、今後はここの漁師もシロクマ少年を真似して魚を釣れば、住民の冬の暮らしが少しは豊かになるだろうと思った。ちなみに村人が悪魔排斥運動に熱中していたのは、冬の間はひたすら暇だったからだと思っておく。  内容としては予定通り、地元少年と異邦人の微笑ましい友情物語である。シロクマ少年が悪い奴でないのは顔を見ても明らかだが、地元少年は助けられた恩義もあり、また地元民ができないことをいろいろやってみせたことで率直な敬意も感じていたかも知れない。なお題名のikingutは今も普通に通用するグリーンランド語のようである(ただしWiktionary, the free dictionaryによれば綴りはikinngut)。 社会的メッセージという面で見ると、子ども向けに素朴なレベルで異文化共生を訴える映画になっているが、相手が子どもだからか女性はわりと早くから融和的で、問題は男連中の態度ということかも知れない。しかし排斥運動を主導した男などはあからさまに偏屈オヤジ風で、これが大勢になるはずがないのも見えているので安心できる。 ただ最近はやりの労働力受入れとか移民を許容するかどうかの問題に、この話は直接つながらないような気がする。この映画では少年1人だけで、たまたま善良で気配りができてコミュニティにも貢献できる人物だったので問題ないとして、集団になれば個々の人がいい人というだけでは済まなくなるだろうが、この映画の時点で製作側がどこまで考えていたかはわからない。  ほか余談として、地元少年の姉は14歳の設定だそうだが、「15歳、アルマの恋愛妄想」(2011ノルウェー)を見たこととの関連もあって、北欧の少年少女は早熟なのかと思わされた。相手は北欧風の美少年(ちょっと微妙)だが、こんなバカはやめておけ。世界はもっと広い。
[DVD(字幕)] 6点(2019-11-16 16:28:44)
45.  K-19 《ネタバレ》 
最初に見たのはTV放送で、とにかく放射線障害が悲惨だったことだけ憶えていた。医学的にどうかはわからないがわずか10分でこの状態になり、それでも次々に人員が投入されていくのが恐ろしい。日本でいえば1999年に東海村臨界事故があったので、何かと雑なソビエト連邦の出来事だからとも言い切れなかった。  今回は無料公開の終了間際ということで見たが、上記以外の部分はそれほど感心しなかった。一応は実際にあった事件をもとにしているので、先の見えない展開のようでも自由度は狭まっており、例えば総員退艦して自沈する選択はありえなかったことになる。事故の話だけでは不足と思ったのか、前半では艦長が無理してスリリングな見せ場を作っていたが、その理由の説明には納得できなかったので落胆させられた。終盤で再度300mをやったのは、前にもやったので気分的には怖くないという意味だろうが、物理的には1回が限度で2回は無理ということもあり得たのではないか。 人間ドラマとしても、前艦長が一番いい人かと思っていたら艦長も感化されていい人になって、最後は仲間が一番大事で終わるのは極めて普通というしかない。少し意外な点として、艦長の父親も息子に似て野心家だったが「ツキの落ちる日」が来て収容所に行ったのかと思っていたところ、終盤でその想定をひっくり返す展開になっていたらしいが、それもそれほど印象的なものにはなっていなかった。 最後の集合写真で大感動もできなかったが、もうアメリカでもかつての敵への偏見などはなく、ロシア人の乗員に素直に心を寄せる余裕があったのだなという感慨はあった。ロシア風の背景音楽も耳に残る。  以下些細なことだが、字幕で近くの島の名前が「ヤン・マヤン」だったのは何語か見当がつかず南洋の島かと思ったが、これはノルウェー語でJan Mayen、ロシア語でもЯн-Майенで、カタカナでは「ヤン・マイエン」と書くのが妥当と思われる。こういうところにも気を使ってもらわないと北極海の雰囲気が損なわれるわけだが、そもそもその前の段階でバレンツ海を「ベーリング海域」と訳すようではどこの話かわからなくなる。劇中の地図を見ればいいにしても杜撰な翻訳だ。
[インターネット(字幕)] 5点(2019-10-27 19:28:28)
46.  ひとりね 《ネタバレ》 
かつて清純派として活躍した榊原るみという女優が裸身をさらすことを売りにした(多分)映画である。個人的にはそれほど馴染みのない人だが、特撮番組「帰ってきたウルトラマン」(1971-72)のヒロイン役(ただし2クールで降板)の記憶はある。ちなみにこの人と監督は夫婦の関係らしい。 白黒映画というのは裸体を生々しく見せないためかと思ったが、同時に年代感や閉塞感の表現にもなっている。全般的に映像が暗く陰鬱で気が滅入る映画であり、また特に序盤は殊更に古臭く見せている。公開規模が小さかったらしく、ネット上の評判を探った限り、ほとんど誰も見なかったのではという印象がある。  【ここから解釈】 キャッチコピーにいう「もう一人の私」とは、本人の持つ理性を体現する存在ということらしい。44歳になった主人公が、いわば人生の中間点を迎えるに当たって適切にリードするため出現したように見える。 中間点の前段階では、同居のエロジジイが不倫常習者だったことから、主に男女関係にまつわる人間の醜さが描写されている。主人公は家に従属する古風で貞淑な妻に見えたが、実は性的な面で本質的に他の連中と変わらず、またエロジジイと同居していたのも打算があったからで、そういう自分をしっかり認識することが中間点を越える準備になったらしい。 もう一つ必要だったのは、中間点を過ぎて下り坂になり、やがて老境を迎える心構えである。エロジジイを看取って否応なくそのことに向き合わされたようで、20年という年齢差を「わずか」と言っていたのは、自分もほどなくそこに至ると自覚したのだと思われる。性的な快楽に溺れたのもいわば最後の花火で、中間点を越えればもう独りということを実感させられた終幕なのかと思った。 ちなみに白蛇の表すものは、夢占いだと幸運(金運)到来ということらしく、また一般的には性欲のイメージかも知れないが、劇中にはキリスト教会の場面もあったので、知恵の樹の実を勧めた者の意味があったのかも知れない。 【ここまで解釈】 以上に関して上り坂の人々には意味不明だろうし、すでに下り坂の人間は暗澹とさせられるだけで誰が得するのかわからない。いい映画だったとは言いたくない映画だった。  なお主演女優のほか、エロジジイ役をはじめ名のある役者が出ているが、意外な出演者として、主人公の少女時代の子役は飯田里穂という人ではないか。よく知らないがとにかく見覚えのある個性的な顔だった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-09-28 09:44:54)
47.  I am 日本人 《ネタバレ》 
企画・製作・原案・脚本・出演・主題歌の森田健作氏が、2005年に千葉県知事選挙に落選してから2009年に当選するまでの間に制作された映画で、劇中商店街は千葉県市川市にあることになっている。ただし実際の撮影地は東京都葛飾区の京成押上線四ツ木駅周辺らしい。 森田健作演じる八百屋の見合い相手が酒井法子とはどういう年齢設定かと思うが、同じ葛飾区の寅さん・さくらからの連想でいえば本人が40代、妹が30前後といった感じか。妹役の小野真弓という人(個人的に好きだ)は当時20代前半だったろうが、この設定のせいで今回は極めて地味系女子になっている。また登場人物の言葉として、商店街が「日本の宝」とまで言っていたのも寅さんの世界が念頭にあってのことかも知れない。ちなみに市川ということでは「野菊の墓」の雰囲気もあるかとは思った。  テーマに関していえば、製作者の言いたいのは八百屋が言った「日本が大好きだ」「日本人に生まれて本当によかった」だと想像される。また題名の意味についてはアメリカ人が言ったように、国籍はともかく「日本が好き」なら日本人ということで(若干意味不明だが)日本が好き、というのが両者の共通点になっている。 うちアメリカ人が日本を好きになった理由は「和」の心を知ったことだったようで、この映画としても「和」を最大の長所と捉えていると思われる。ただし日本人の立場としては、「和」とか「大和魂」があるから日本が好きなどという理屈を言う必要はないはずで、要は生まれ育った土地(市や町や村・国・地球)や人々への素朴な愛着があれば十分である(愛に理由は必要ない)。この映画としてはそれをまず地元商店街への愛という形で語り、その拡大版としてワールドカップを引き合いに出したと思えばいいか。 ほかにも話題が盛りだくさんのようで、見る側として物申したくなるところがかなり多いが、それが文字通り“考えさせる映画”を意図しているとすれば、なかなか巧妙に作ってあるということかも知れない。  以上で終わりにするかと思ったが書かずにいられない気がしたので一つ書くと、政治に対する不満を国全体の否定に結びつける人物がいたが(劇中では国旗を嫌悪、近年では「日本死ね」)、しかし政府=日本ではないのであって、一人ひとりの日本人が日本という国の一部だという意識がない限り、日本を侮辱されて怒るという感覚もわからないことになる。そういうことをあえてわかろうとしない国民がいる日本を、自分としては丸ごと好きだとは全くいえない。
[DVD(邦画)] 5点(2019-09-22 19:32:32)
48.  韓半島 -HANBANDO- 《ネタバレ》 
題名は原題を漢字表記して発音をアルファベットで示しているが、日本語訳すると朝鮮半島である(字幕では「朝鮮半島」「日本海」と書いている)。 内容としては架空の政治劇で、映像に出ていた歴代大統領の肖像の最後が盧武鉉大統領だったことからすれば、公開時点より数年先の近未来ということになる。登場人物はほとんど男ばかりで若手女優は出ないので、彩りはないが重厚とはいえる。また100年前の宮廷を舞台にした時代劇的な部分があり、昔と現代の出来事をリンクさせて並行的に見せる場面も作ってある。軍事面では日本の海上自衛隊というのが出る(自衛艦旗が翻っている)が戦闘はない。時間が長いのが若干の難点である。  物語としては、戦前に敷設された京義線という鉄道路線(ソウル(旧称・京城)~新義州(現・北朝鮮))が朝鮮戦争後に分断されていたのを、南北融和政策のもとで再び連結しようとしていたところ、日本がいちゃもんをつけて邪魔したために、大統領が主導して障害を排除しようとする話である。ただし鉄道だけが問題なのではなく、明治時代の条約に使われた印章が偽物だったという発見をもとに、日本に統治された歴史自体を無効化しようという壮大な歴史改変ドラマになっている。どうも現実の経過は度外視で根底から全部覆そうとする国民であるらしい。 日本が嫌がらせのために大昔の条約を持ち出すとか、果ては武力に訴えるなど極めて荒唐無稽だが、DVDのスタッフインタビューを見ると、そんなことはありえないとわかっているがそこは映画なので、と開き直っていたのは笑った。どこの国でも娯楽映画に求められるものはあるということだ。  見てまず驚くのは劇中の日本の行動をアメリカが支持し、中国とロシアは不干渉(中国はかなり冷淡)のため、半島があからさまに孤立状態になっていたことである。日本はともかくアメリカまでが敵に回っているのを劇中大統領は大して気にしていなかったようだが、南北統一というのがこの映画の大きなテーマだったようであり、北と協力すれば怖いものはないという考え方だったのかも知れない。 また外敵である日本とは別に、真の敵は内部にいるという考え方も重要な要素になっている。劇中では、現実問題として日本とアメリカがいなければ生きていけないという認識のもとで、日本との対決を回避しようとする勢力が大統領の邪魔をしていたが、映画ではこれを歴史上の売国奴とされる「乙巳五賊」になぞらえており、その排除こそがこの映画の意図するところだったようでもある。 以上によれば、単なる反日娯楽映画にとどまらず、南北を統一して周辺大国の影響力を抑え、北東アジアに自主独立の地位を占めたいという夢を語る映画に思われた。  しかし最後のエピソードでは、大統領とその対立勢力である国務総理の意外な対決場面があり、このために最終的な映画の印象ががらりと変わったほか、正直ここでの国務総理の発言は感動的に思った。スタッフによれば、この映画には当時の「現実の政治が投影」されており、国内の政治的見解(いわゆる進歩派と保守派か)を公平に扱うため、あえてこの結末にしたとのことである。それまで荒唐無稽な歴史ファンタジーに見えていたのが、最終的には変に現実味のある話で終わったのは映画としてのまとまりが悪い気はするが、ここに至る底流は初めからあったともいえる。 公開当時の大統領の側近が2019年の現在では大統領になっており、この映画で描かれたことは今の状況にも重なっているように思われる。今後の半島情勢がどう展開するかは向こうの国民次第だが、とりあえずは日本国の民に幸あらんことを祈りたい。
[DVD(字幕)] 5点(2019-09-21 23:50:17)
49.  恋骨 KOIBONE 劇場版 《ネタバレ》 
2006-03-30に作品登録されていながらレビュー数0だったので興味本位で見た。「エグゼクティブ・プロデューサー 堀江貴文」とのことだが、今となってはだから何だという感じである(帯広のロケットに期待する)。 もとは1話5分×全7話の連続ドラマで、TVではなく東京都内の街頭大型ビジョンで2004年に公開したとのことだが、その後に未公開部分を含めて拡大編集したのがこの劇場版である。公開日は2005年3月19日だが、その1か月前に主演女優がTV番組で万引きの話をしたことが問題になり、公開時点では主役が活動停止中だったらしい。 なおドラマ版は「to be continued…」で終わっており、この劇場版まで見ないと題名の意味はわからない。女子高生が制服を脱がされて強姦されるなどという場面(演者は当時AV女優)を街頭で見せていいのかと思ったが、それは劇場版にしかなかったようである。  内容に関しては、どうも別のところで見たような要素が多い。自分が知っている範囲でいうと(狭いが)、転落死後の状態と怪しい男の白い顔(能面だが)、「しまったあ!」という台詞が「犬神家の一族」を思わせる。またラストで主人公が「八つ墓村」(1977)の寺田辰弥の役回りだったことを明かしておき、さらに劇場版で追加した部分で「八つ墓明神の祟り」に相当する呪いの存在を示唆して終わっている。 呪いのほかに心霊現象もなくはないが、ときどき死者が姿を見せて何か言いたそうな顔をするだけで、主人公が霊感少女だったために見えたというだけのことらしい。見てもいちいち慌てることはなく(嫌な顔はしたりする)、警察には亡霊のことを話さないというのもこういうのに慣れた人物であることを感じさせ、この辺は現代のリアルといえなくはない。  問題点として、全般的に安っぽいのは仕方ないとしても、謎解きの部分がかなりいい加減なのと、実在の著名な人物(明治の人)が現代人に呪いをかけたなどという話を作っていいのかどうかとは思う。参考文献の名前が出ているので根拠はあるということだろうが、子孫もいるだろうし、歴史上の人物ならどう扱ってもいいというものではない。 あまりうまくできた話とも思えないが、死者数が限定的だったのは一応良心的ということになるか。金田一シリーズらしきものを現代の女子高生で再現しようとした映画であるから、どんな出来なのか見てみる意味はあるかも知れない。
[DVD(邦画)] 3点(2019-09-06 22:55:31)
50.  火垂るの墓(2008) 《ネタバレ》 
2008年は戦後63年のため周年記念にはなっていないが、夏の公開であるから戦争回顧月間の催しという扱いかとは思う。撮影場所は海が淡路島、陸地も主に兵庫県内(どちらかというと播磨の方)のようである。 この物語に関して、要は戦争が全部悪いのだ、という単純な感想が得られにくいのは原作もアニメも同じだが、この映画ではわりと簡単に西宮の未亡人が悪いといって終わりにしたくなる。いきなり最初から人格低劣で厚顔無恥なところを見せつけるが、その後の行動を通じて印象が好転するわけでもなく、最後まで単に賤しい人物にしか思えない。この映画ほどあからさまに出て行けと言われてしまっては出て行かない方が変であり、アニメ版に関してよく言われるように、清太がもう少し我慢すべきだったとは言わせない作りになっている。  この映画の特徴点の一つは原作にない人物を出していることで、うち2階の男に関しては、厭戦気分の背徳的な人間が排除されて虐殺される姿を見せたかったらしい。また校長一家はいわゆる天皇制の犠牲者ということだろうが、あるいは物語的に、兄妹がこの一家を頼っていれば助かったかも知れないと思わせておいて、結局その道も閉ざされていたという失望感を出す意図があったようでもある。全体的にあまり戦争が前面に出ていないので、こういったエピソードで反戦色を増すことを考えたのかも知れないが、特に未亡人を含めて、国家というより民衆主体の排除と弾圧で犠牲になった人々を描こうとしたと思われる。 またこの映画で最大の特徴点は、題名の「火垂るの墓」について、失われた多くの生命の名を刻むものという意味づけをしたことと思われる。兄妹がやった連日のホタル祭りのせいでホタルの墓が大量にできていたが、わざわざ全部に名前を付けていたのは、その一つひとつがかけがえのない生命だったことの示唆になっている。特攻機の灯火をホタルに喩えたのは乗員が虫けらのように死んだことを思わせ、また空襲で死んだ少年の名札を読んでいたのはその生命を尊んで記憶しようとしたように見える。最後に節子の名前が墓標に記されたところで実質的にこの物語は終わり、そのため清太のその後は捨象されたのだと解される。当然ながら誠実に作られた映画であり、エンディングの音楽も心に残った。  キャストに関しては、子役は別として名の知れた役者も出ているが、当時実質的に目を引いていたのは松田聖子だったようで、舞台挨拶でこの人が登壇すると歓声が上がっていたのはさすがである。また校長一家の長女役の谷内里早という人は俳優の国広富之の娘ということで、顔はよく見えないが歌声は印象的だった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-08-10 09:55:41)
51.  火垂るの墓(2005)<TVM> 《ネタバレ》 
この物語に関して、要は戦争が全部悪いのだ、という単純な感想が得られにくいのは原作もアニメも同じだが、最も戦争との関連付けをはっきりさせているのがこのドラマと思われる。ただし前面に出ているのは西宮の未亡人である。 自己の保全が優先で他人は見えても見えないふりというのは当時も今も普通にあるだろうが、このドラマでは自分の子を守るため、準身内のはずの親戚の子どもと義弟をあえて切り捨てたことで非情さが際立つ結果になっている。その行動を否定することはできないが、しかし子ども相手にあからさまに追い出すでもなく嫌がらせをして出て行くように仕向けておいて「私が追い出したわけじゃありません」とうそぶく神経は自分にはなく、さすが鬼は違うと思わせるものがある。終戦直後に兄妹を探し回っていたのは、戦争が終わったとたんに人の心を取り戻したという甘っちょろい演出かと思ったが、その後は泣き言も言わず最後まで筋を通したらしいのは立派である。結果としては戦地で男が敵を殺し、内地で女が子どもを殺したのが戦争だったという主張らしい。 嫌がらせの動機に関しては、夫の戦死で軍隊への反感を抑える気がなくなり、それで軍人の子である兄妹を切り捨てる決心をした形になっている。軍人の子には人権がないかのような理不尽さを感じるが(出身成分による差別?)、しかし少年の方も社会活動には積極的に参加しておいた方が無難だったとはいえる。父親も妹だけ見ていればいいとは言わなかったはずで、ここは少年の思い込みが過ぎたということだろうが、そもそもこのドラマでは父親をなぜか原作より格上にしており(海軍大佐、戦艦「長門」艦長?)、それだけ少年の思いも強かったのかも知れない。なお火事場泥棒のような行動は戦災でも震災でも憎まれて当然である。  そのようなことで、しっかり作られたドラマだとは思うが、しっかりし過ぎて見る側の精神的ストレスが大きくなりすぎて皮肉ばかり言いたくなる。未亡人役の女優は前から別に好きではなかったが、今回はっきり嫌いになった。母親たるもの地獄に堕ちても本望だという顔を好演している(褒めてはいない、単純に顔が嫌いだ)。ちなみに長女の60年後は変にニヤついた顔が前から嫌いだ。 なお皮肉ついでに失言と思われることを指摘しておくと、親戚の子どもと義弟だけでなく、長女も切り捨てれば残った者は楽になる、と言っていたのは言い過ぎだ。次女も三女もいなくなればもっと楽になり、要は長男だけ残ればいいということか、と言いたくなる。
[DVD(邦画)] 5点(2019-08-10 09:55:39)
52.  シムソンズ 《ネタバレ》 
「本当にあった最高の青春ストーリー」と書いてあるが、かなりウソくさい映画である。チームのメンバーにはそれぞれモデルになった実在の人物がいるとのことだが、いくら何でも本物の選手がこんなバカだったはずはない、とか思ってしまうと劇中の人物像が素直に受け入れられなくなる。また実際にオリンピックに出たチームだと思うからこそ大会で勝ち上がる展開が正当化されるものの、実際見ていると、こんないい加減な急造チーム(大会まで何カ月だったのか?)に負かされる対戦相手が可哀想になる。全体的に実話から補強されていながらも、その実話(現実)との間の違和感が足を引っ張る感じの映画になっている。  しかしそういう点を完全度外視すれば普通に楽しく普通に感動的なドラマである。当初の「楽しんでやれ、そして勝て」という方針は明快だったが、どうやら本当に最後までその通りにしようとしていたらしい。公開当時は「ウォーターボーイズ」(2001)や「スウィングガールズ」(2004)と比較されることも多かったようだが、この映画は最後に盛り上げるだけで終わりでなく、未来につながる形に作ってあるので物語としてまともといえる。あえて勝利者が賞賛されるラストにしなかったのも悪くない。 チームの4人がそれぞれ美形または可愛いのは出来すぎのようでもあるが、今年のオリンピック日本代表がまた別種のかわいさで評判になっていたこともあり、この点はそれほど非現実的ともいえない。キャストの中で個人的には、以前に「妖怪大戦争」(2005)を見た関係で高橋真唯(当時)という人に目を引かれてしまう(それほど可愛くもないが嫌いでない)。ちなみに決勝の対戦相手は、女優の派谷恵美さん以外は本物の選手だったとのことである。  余談として、この映画が撮影されたのは2005年の11~12月、公開は2006年2月18日だが、映画制作に協力した常呂町は公開直後の2006年3月5日に周辺3市町と合併して新・北見市の一部になり、この映画が町として最後の大きなプロジェクトだったとのことである。映画で披露された北海道方言は「…べ」「したっけ」程度だったようだが、今年の流行語大賞になった「そだねー」も当時から言っている人はいたかも知れない。
[DVD(邦画)] 5点(2019-07-27 12:59:25)
53.  ヘイフラワーとキルトシュー 《ネタバレ》 
フィンランド映画だからという理由で見たが、自分の年齢性別にそぐわないのはわかっている。原作はシニッカ・ノポラ、ティーナ・ノポラという姉妹作家の児童文学で、1989年に第1作を出して以降、2018年の第17作まで続いている人気シリーズらしいが、映画化はこれ1本のようである。ちなみに映画の撮影場所は、首都ヘルシンキから西に120kmくらい離れたフィンランド湾岸のケミオKemiö(2009年の広域合併後はケミオンサーリKemiönsaari)とのことである。  まず題名に関して、原題のフィンランド語をカタカナ表記すると「ヘイナハットゥ」と「ヴィルッティトッス」と書くのが一般的と思われる。意味としてはheinä(干し草)+hattu(帽子)とviltti(毛布)+tossu(靴)だが、vilttitossuは一語で冬用のフェルト製長靴のことを意味するらしい。どちらも登場人物が実際に身につけているものなので、人名というよりは愛称ということになる。 また原作は邦訳が出版されているが、その題名は「麦わら帽子のヘイナとフェルト靴のトッス」とされており、これに倣えば「麦わら帽子」と「フェルト靴」と訳せばいいことになる。ただし邦訳では「ヘイナ」「トッス」を人名の扱いにしているため、「麦わら帽子の“麦わら”とフェルト靴の“靴”」という変なことになってしまっている。 一方で英題は「干し草の花」と「キルトの靴」だが、hay flowerは牧草限定でない草花を指すとの話もあるらしい。何にせよ原題の麦わら帽子とは違っており、また「キルト」もフェルトと同じものとは思われない。 このように原題と英題と邦訳の題名にずれが生じている状態だが、この物語を愛する人なら、やはり原題の「ヘイナハットゥ」と「ヴィルッティトッス」をきっちり覚えなければならないと思われる(本気を出せば覚えられる)。  映画の内容としては姉妹が可愛らしいので和まされるが、子どもとはいえ明らかに美人さんなので出来すぎの感もある。個人的には健気なお姉ちゃんが愛おしく思われて、反乱のあとは良い子でなくていいことにしたのはよかったが、しかし駄目親の両親までが自分らでできないことは隣人に頼れば可ということになったらしく、要は誰も頑張らなくていい、という極めて緩い結末だったのはかなりユニークだ(呆れた)。フィンランド人が一般に生真面目だとすればこのくらい緩くてちょうどいいのか、または行き過ぎた核家族化で生じたストレスを緩和する意図か、あるいは女性が活躍するためには地域の協力が必要だという主張か。 なお終盤の「パン生地セラピー Taikinaterapia」というのは何だかよくわからないが色鮮やかで印象的だった。大人もこういうので羽目外しを楽しめるといいだろうが。
[DVD(字幕)] 6点(2019-07-05 21:30:00)
54.  ゴジラ FINAL WARS 《ネタバレ》 
ゴジラ映画に個人的なこだわりはないので多少羽目を外していても気にならないが、世評の通りアクション場面が長すぎて何の映画かわからなくなる。これでは今回独自の趣向というより異物に半分乗っ取られたようなものである。 「宇宙怪獣ガメラ」(1980)よりマシだといえば確かにそうだが、向こうでゴジラ映画を揶揄するような場面があったのに対し、この映画でもカメを貶める場面を入れていたのは同レベルに落ちた印象がある。邦画ゴジラがこれで終わりにならないで本当によかった。 以下に個別事項を列記。 【場所】 怪獣に壊される世界的名所として、アジア・太平洋地域からシドニー・オペラハウスと「東方明珠電視塔」が加わっていたのは世界観の広がりを感じさせる。パリでもゴロザウルスに壊された凱旋門ではなくデファンス地区の新凱旋門が出ていた。 【女優】 ○水野久美さんは別格。 ○水野真紀・菊川怜姉妹の美脚を披露する場面が多い。なくてはならないものとも思わないが一応のサービスとして受け取った。 ○小美人(長澤まさみ・大塚ちひろ)の顔をよく見たかったが小さいのであまり見えない。そういう目的ならこの一つ前の「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」(2003)を見なければならないらしい。 ○「女を殴るの?」と言った女は顔つきからして中国人かと思っていたが普通に日本語だった(魚谷佳苗という女優)。 【怪獣】 ○キングシーサーが沖縄を破壊していたのは悲惨だ。本来は沖縄の守り神ではなかったのか。 ○カマキラスがハエのように速い。森の木々に隠れているのも虫っぽいが、串刺しにされて死んだなど所詮は虫だと思わせる。 ○エビラをフライにするというのはジョークとしてわかりやすいが、場所が「東海コンビナート」だったことからすれば、ここは本来「エビフリャー」のつもりだったが登場人物が名古屋出身でなかったのでそうは言わなかっただけと取れる。ちなみにWikipediaの「エビフリャー」の記事は充実している(2019年6月29日閲覧)。
[DVD(邦画)] 4点(2019-06-29 13:06:12)
55.  女の子ものがたり 《ネタバレ》 
どういう背景設定で何をやっているのかわからないままとりあえず見ていたが、壁画の前で喧嘩をしたあたりからやっとこの映画としての方向性が見えて来た。喧嘩相手の友人が、自分らはともかく主人公には道があるはずだと信じて押し出してくれたことが、得がたい友人だったという後日の感慨につながったということらしく、これまで女の子だった経験のない人間にとってもそれなりに泣かされる話ができている。 それにしても生まれ育ちに縛られて荒んだ暮らしを事実上強いられるなど、実際ないともいえないが、いつの時代のどこの話なのかと一応は思う(同級生男子に理不尽な迫害を受けても無抵抗?)。時代としては1970~80~90年代頃だろうが、場所については撮影が愛媛県であるのに言葉は関西弁のようで、いいとこのお嬢ちゃんは東京言葉というのは大阪出身の監督の感覚なのか。あえて場所は特定していないのだろうが、少なくとも友人の娘が顔を見せていた時代には、母親の代のような状況はなくなっていたものと思いたい。 結果的には「女の子の数だけ、シアワセの道がある」というキャッチコピーが劇中世界を表現したものには思えなかったが、しかし友人の娘を含むこれからの世代には、この言葉がそのまま通用する世の中であってもらいたいという願いを込めたとすればわからなくはない。  なお監督の方針としては子役や若手女優をかわいく見せる方に重点を置いたということなのか、登場人物の様子からは底辺の生活ということが全く窺われず、これが映画のわかりにくさにつながっている。特に小学校時代の子役のうち、ひときわ長身で美形に見える三吉彩花という人が、風呂に入らず汚い児童の役というのはかなり意外感がある。 また①森迫永依-②大後寿々花-③深津絵里(-④西原理恵子)という主人公の系列のうち、①②はいいとして(④はともかくとして)どうも③にはかなり違和感があり、この人物よりも個人的には②の人がこの映画の主役だったと思いたい。若手女優の皆さんはそれぞれ好印象だったが、特に泥にまみれた波瑠の表情が印象的だった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-06-07 19:56:16)
56.  ココダケノハナシ ~短篇.jpルーキーズ第3弾~ 《ネタバレ》 
一応説明しておくと(第1、2弾のところでも書いたが)、「短篇.jp」という動画コンテンツの配信サイト(現在は停止中)が運営されていた時期に、新人監督育成の目的で製作されたのが「短篇.jpルーキーズ」である。第1弾からこの第3弾までが製作されており、それぞれDVD化もされている。 内容としては監督の違う全6話のオムニバスになっている。以下それぞれにコメント。  【ポイズンラジオ】 現実味も意外感もなく面白味もない。高山侑子という人は、この少し前の「空へ-救いの翼 RESCUE WINGS-」(2008)では23歳の3等空尉役だったが、今回は険悪な顔つきの女子高生をやっている。まだ若いのだから(当時16歳くらい)もっと普通に可愛い役をやればいいだろうと思ったがもう10年も前の話だ。 【春のシオンで】 オチが一瞬わからなかったので何十秒か考えたが、要は夢見る女子の話だったらしい。高山侑子さんは夢の中で遊ぶ天使。 【架空の恋人】 初期設定がよくわからなかったが、最終的にオチも破局感もなく混乱状態で打ち切りになったのは悪くない。主人公(演・山田キヌヲ)の哀れっぽい顔は可愛らしい。また男の彼女(黒沢美香という人らしいが舞踊家とは別人)は、顔も見えるが脚の方が印象に残る。 【美味しいコーヒー】 最後の人物がよくわからなかったが本当の住人か同類が来ただけか。勝手に話を作る男は面白かったが、このテーマを語る上での必然性があったのかはわからない。 【キッスがしたい】 高校生がバカっぽいので呆れていたら最後は切ない青春物語。というかいきなり青春期の終わり(浦島太郎か)。役者の高校生演技は良好。元女子高生はお姉さんすぎるが、これはそもそも役者の段階で年齢差がある。 【ゴメンナサイが言えなくて】 男女の考え方/感じ方の違いということだろうがあまり深みはない。こんなのに執着する男の方が感情を理性で制御できていない。  以上、よくわからないところが多いが全体的にはそれほど悪くない。がそれほど感動的でもない。一番心を動かされたのはバカ高校生の話だった。また夢見る女子にはしあわせになってもらいたい。
[DVD(邦画)] 5点(2019-05-25 11:27:12)
57.  スイッチ! ~短篇.jpルーキーズ第2弾~ 《ネタバレ》 
一応説明しておくと(第1弾のところでも書いたが)、「短篇.jp」という動画コンテンツの配信サイト(現在は停止中)が運営されていた時期に、新人監督育成の目的で製作されたのが「短篇.jpルーキーズ」である。この第2弾を含めて第3弾まで製作されており、それぞれDVD化もされている。 内容としては監督の違う全6話のオムニバスになっている。以下それぞれにコメント。  【ジャパニーズセラピー】 全否定。 【永遠と10分】 オチ付きの小噺のようで面白い。世の中絶対に正直に言ってはならないことがあるわけだが、この2人は自然体のようで結構だ。新婦はなかなか愛嬌がある。新郎役の深水元基が若い。 【洗濯女】 予告編でヒントが出ているがそれでも意味不明。人物がいなくなったり出たりする、風景の非現実感、昼夜の突然の転換といったあたりは夢を見ているような感覚。宇宙人の夢だったのか。 【ウチの○○知りませんか?】 川崎市多摩区在住の家族の話。ほのぼの系で楽しいが、下世話なもの好きの監督らしく排泄物ネタも出している(犬と女子高生)。ちなみに予告編が非常に端的に内容を語っていて、ほとんどネタバレである。 【たとえば、てるみの場合。】 話の内容と人物の姿をわざと一致させていないようでわかりにくいが、どうやらハッピーエンドだったらしい。心が昔に戻っているのか、また10年も待たなくてよかったはずだという思いもあるか。「開いてる」というのは連続性の表現のようだが可笑しい。 【東京はみだしゲーム】 ラストがありきたりだが感動的でないこともない。弟と話していると地が出て来るようなのはよかった。特に若い女性など、それこそ兄弟とでも会わない限り、東京で(屋外で)方言丸出しでしゃべることもなかっただろう。  第1弾のように共通の登場人物で統一感を出すこともなく、画面サイズも違う小品を寄せ集めた形になっている。自分としてかなり愛着を覚える話もあり、一つだけ無視すれば全体としては見ごたえのあるものになっていた。
[DVD(邦画)] 6点(2019-05-25 11:27:10)
58.  神様の言うとおり ~短篇.jpルーキーズ第1弾~ 《ネタバレ》 
一応説明しておくと、「短篇.jp」という動画コンテンツの配信サイト(現在は停止中)が運営されていた時期に、新人監督育成の目的で製作されたのが「短篇.jpルーキーズ」である。この第1弾に続いて第2弾、第3弾が製作され、それぞれDVD化もされている。 内容としてはシナリオコンペで選ばれた6編のオムニバスになっており、それぞれに新人監督が脚本・監督・編集を担当している(第5話のみ美術も担当)。この第1弾では小阪由佳、国分佐智子の女優2人が全編共通の登場人物という設定で、第1話~第5話の各エピソードに各1人が端役で出演した上、最後の第6話で2人が揃って全体のつながりをつける趣向になっている。恐らくコンペの脚本に手を入れて、全体が一つにまとまるよう編集したものと思われる。 素人目に見ても新人監督らしい感じはしなくもないが、基本的にコミカルな展開で普通に楽しい。みな微妙に不幸で微妙に救いのある話だが、それを含めて人生それほど捨てたものでもなく、愚かしいようでも健気に生きる人々を祝福してやりたいという結末になるので少ししんみりさせられる。絶賛するというほどでもないが、地味にいいものができている気のする短編集だった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-05-25 11:27:08)
59.  空へ ―救いの翼 RESCUE WINGS― 《ネタバレ》 
航空救難団の新人が周囲に助けられながら試練を乗り越えて、最後に困難な任務をこなしたところで気分よく終わる話である。正直それほど大感動ということもないが、いざという時に頼らなければならない立場としては素直に応援したくなる。災害支援の面で自衛隊が本格的に国民の信頼を寄せられるようになったのは公開3年後の東日本大震災(2011)からだろうが、こうした人命救助の活動も長く続けて来ていたということのようで、劇中では阪神・淡路大震災(1995)で十分な働きができなかったことを悔やむ場面もあった。 主人公は初の女性ヘリパイロットという設定で、宿舎での女子会のような場面には和まされる。序盤では男に「二十歳そこそこの女」と言われていたが「女の子」と言われなかっただけまだましだ。この主人公のようにしっかりした志を持った人でも、結婚するとどうなるのかというのは素朴な疑問だが(劇中の飛行班長は独身ではないかと勝手に想像)、その辺は職業に関わらず女性が活躍する社会を作る上での共通課題と思うしかない。 なおヘリコプターの見せ場としては航行中の着艦よりも桟橋に降りた場面で驚いた(こんな所にも平気で降りるのか??)。  場所は小松基地という設定で、F15からの空撮(一瞬)や地上の街並みも映っていたようである。映像に出ていた猫橋銀座(ネコ橋銀座)というのは実在の場所らしい。宴会の場面では、ビールをラッパ飲みするのが航空自衛隊の風習なのかが気になった。 出演者に関しては、少々心許ない感じの役者もいるがベテラン俳優がきっちり押さえているところもある。しかし最後に出た護衛艦の艦長と副長は頼りなさげで自衛官らしくなく、特に副長はどういうキャスティングなのかと呆れた。 主演の高山侑子という人は当時15歳だったとのことで、見た目は大人っぽく見せているが「はいっ」とかいう声は可愛らしい。海上自衛隊のヘリコプターと交信したところが女の子っぽいので笑ってしまったが、それを聞いて向こうもひとこと言わずには済まなくなった感じだった。
[DVD(邦画)] 6点(2019-05-25 11:27:05)
60.  私は猫ストーカー 《ネタバレ》 
主人公があまりに変人で見ているだけで恥ずかしい。ネコの姿を見逃さないのはいいとして、境界線が入り組んだ古い街で私道だか住宅敷地だかわからないところまで平気で入っていくのが尋常でない。自分ならせいぜい道端にいたときに「ニャン」とか「ネコ」とか声をかけて(人がいない場合)目で追う程度なのでここまで変ではない。 場所はエンドクレジットに出ていた「谷根千」を中心にして北は西日暮里、南は不忍池あたりまでだったようで、そのうち谷中は由緒ある“猫の街”らしい。何気なく古木とか「諏訪台」などちょっとした名所も出ており、風景に変化があって由緒もあるこんな所に住んでみたいものだと思ったがそんな機会は当然ない。なおジャズピアニスト関連の「猫返し神社」というのは本来別の場所のことらしい(東京都立川市)。 またその辺に生息する普通のネコ連中には和まされた。人とのからみでは、主人公とネコが並んでカメラを見ているとか、気まずい雰囲気の中で古書店の妻が延々とネコをじゃらしている場面は笑った。役者がネコの動きに合わせて適当にアドリブしていたのだろうと思われる。  物語に関してはよくわからなかったが、主人公が元彼の件で落ち込む一方で、これからは新米ストーカーが狙った相手に近づこうと試行錯誤する過程が続くのかと思った。古書店の夫婦もこの機会に仕切り直しをしたのだろうし(多分)、誰にでもある「知らない時間」を許容しながら緩い関係を続けるのがいいのだとも取れる。 ただし宣伝文句の「人も猫もみんないつかはいなくなってしまうから」によると、古書店の看板猫と同じように、ネコも人もみな基本的には通りすがりの関係であって永続するものなどないということなのか。それだとネコはともかく人にとっては寂しい世界観になってしまうが、とりあえず手を触れることのできる今この瞬間が大事ということはあるかも知れない。 終盤、街の風景をイラストに置き換えて、至る所にネコを内包した街が表現されていたのも嫌いでない。よくわからないのはともかくとして、あるがままのネコを愛でる気持ちには共感した。  なおこれが現代の話だとすると、失踪して困るなら初めから外に出すなとか、公園での餌付けは非常識だとか非難されそうだ。製作時点の感覚も今とそれほど差はなかったのではと思うが、今後はこういう映画も作りにくくなるのではと思われる。
[DVD(邦画)] 7点(2019-05-18 09:57:28)
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