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自己紹介 映画を観る楽しみ方の一つとして、主演のスター俳優・演技派俳優、渋い脇役俳優などに注目して、胸をワクワクさせながら観るという事があります。このレビューでは、極力、その出演俳優に着目して、映画への限りなき愛も含めてコメントしていきたいと思っています。

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41.  君よ憤怒の河を渉れ 《ネタバレ》 
この映画「君よ憤怒の河を渉れ」は、高倉健が長年専属だった東映から独立、退社後の記念すべき第一作目の作品で、「新幹線大爆破」の佐藤純彌監督による永田プロ=大映映画製作のサスペンス・アクション大作だ。  高倉健は、この映画の後、「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」と立て続けに名作へ出演し続け、名実ともに日本を代表する俳優へと昇り詰めていくのです。  西村寿行の原作を出版しているのが、大映の親会社の徳間書店で、いわば、その後の角川映画のメディアミックス戦略を先取りしていたとも言える。  ストーリーは、巨大な権力の陰謀によって無実の罪を着せられた、健さん演じる現職のエリート検事が、無実の罪を晴らすために逃走、見えない敵を追って、東京から北陸、北海道、そして再び東京へと逃亡しながら、巨悪を追い詰めていくという、スケールの大きな復讐の旅を描く、一大エンターテインメント作品だ。  彼を追う警部に原田芳雄、恋人役に中野良子が脇を固め、大滝秀治、西村晃、倍賞美津子などの個性派俳優が、出演場面は少ないながらも、いい味を出して映画を引き締めていると思う。  そして、この映画を何よりも盛り上げているのは、危機一髪でのセスナ機での脱出、新宿の街頭での裸馬の大暴走などのダイナミックな見せ場と中野良子とのラブシーンだ。  いささか大味な展開を澱みないストーリー運びでグイグイと引っ張っていく演出は、さすがに百戦錬磨の佐藤純彌監督だと思う。  ただ、非常に残念だったのは、音楽の青山八郎が、キャロル・リード監督の名作「第三の男」のアントン・カラスのテーマ曲を完全に意識した曲作りが、恐らく日本映画史上、最大のミスマッチ映画音楽として歴史に残る程の大失敗をもたらした事だ。 こんなにも、映像の緊迫感と間の抜けたような音楽の組み合わせも、非常に珍しい。  そして、この映画は中国の文化大革命以後、初めて公開された外国映画として、中国では知らぬ人がない程の大ヒットをしたのは有名な話だ。  そのため、その後の中国では、日本人俳優の中では、いまだに高倉健のみならず中野良子の人気が高いという事だ。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2021-05-31 08:39:05)
42.  探偵[スルース](1972) 《ネタバレ》 
ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の「探偵〈スルース〉」は、あらゆる意味で"芸"を堪能する映画だと思います。  まず、アンソニー・シェーファーの原作の戯曲及び脚色が持つ、ストーリー展開の"芸"。 それから、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の熟練の演出が見せる、語り口の"芸"。 そして、最も重要なのは、二人の主人公を演じる名優ローレンス・オリヴィエとマイケル・ケインの演技の"芸"。  ローレンス・オリヴィエが扮するアンドリュー・ワイクは、ロンドン郊外の豪壮な邸宅に住み、推理小説の執筆をなりわいとしているが、作家といっても日本の流行作家などとはだいぶ感じが違います。 原稿の締め切りに追い立てられて必死になっているといったところは、全くなくて、それどころか、自分の優雅な生活のペースをたっぷり味わいながら、その間に悠々と執筆をしているような余裕が、何よりも印象的なのです。  このアンドリュー・ワイクが、イギリスの上流階級を絵で描いたような人物であるのに対して、マイケル・ケインが演じるマイロ・ティンドルは、これまた典型的なほどワイクとは対照的な人物なのです。 父はイタリア移民の時計職人で、その息子のマイロは美容師として成功し、現在では美容院の経営者になるまで出世したのです。  つまり、アンドリュー・ワイクはサラブレッドであり、マイロ・ティンドルはハイブリッドなのです。 しかも、血筋が違うだけではなく、育ちも違う。 こうした違いは、イギリスの社会では、日本人の我々が自分たちの社会の構造を当てはめてみて体験的に想像するよりも、遥かに厳しいもののような気がします。  この二つの役にローレンス・オリヴィエとマイケル・ケインが配役されたのは、二人の俳優の個性をうまくつかんだ、絶妙の選択だったと思います。 これだけタイプがぴったりならば、あとは二人の演技の"芸"の対決をじっくり味わえばいいということになりますね。  それではこの二人、どちらが演技的にうまいか? あるいは少なくとも、この映画ではどちらが優れていたか? この二人は、1972年度のアカデミー賞の最優秀主演男優賞の候補になりましたが、「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドが受賞し、惜しくも受賞を逃しています。 マーロン・ブランドという最強のライバルがいたことと、二人の間でアカデミー会員の票が分散されたため、受賞には至りませんでした。  キャリアと実力から言えば、どう見てもオリヴィエに歩があるのは明らかです。 オリヴィエの演技には、舞台のシェイクスピア劇で鍛えられ、最高のシェイクスピア役者と謳われた、円熟の妙味が豊かに脈うっています。 とりわけ、ちょっとした目の表情の変化などに、イギリスの上流階級だけが持っている"尊大さと傲慢さ"と、そして"冷たいずるさ"を感じさせるあたりが、オリヴィエの"芸"の見どころだと言えると思います。  この映画でのオリヴィエの演技は、歴史上の英雄だとか大人物だとかを正面切った芝居で見せるというものではなく、イギリスの上流階級の人種を絡め手の方から浮き彫りにして見せるといったものです。 そして、それだけに、小さな演技に見どころがあり、味があるのだと思います。 実際、オリヴィエは、この役を演じるにあたり、舞台的な演技ではなく、映画的なそういった細かい"芸"の工夫を、何か悠々と楽しんでやっているように感じられました。  これに対して、マイケル・ケインは、チャンピオンに立ち向かう挑戦者のように、全身全力を傾注して、老獪なローレンス・オリヴィエという名優に、健気にも対抗しているといった風情だなと感じました。 この映画は、かなり手の込んだ構成を持っていて、オリヴィエと堂々と互角の演技合戦を展開していたなと思います。  このマイロ・ティンドルは、立派な成功者なのですが、なぜかアンドリュー・ワイクと対等の立場に自分を置くことができません。 それは、イギリス社会が生んだ階級の格差のせいで、その格差がマイロの人格に影響を及ぼしてしまっているからなのですが、マイケル・ケインは、そういう劣等感をわざとらしくなく表現しきっているのが、実にいいなと思います。  この両者の"芸"のいずれに軍配が上がるのか?  私は、オリヴィエの余裕と貫禄、ケインの積極演技を引き分けと見ました。  それにしても、うまい役者のうまいお芝居を観るのが、こんなにも楽しいものだということを、再認識させられた映画でした。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2021-05-31 08:10:09)
43.  アグネス 《ネタバレ》 
ある冬の夜、カナダのモントリオール郊外の修道院の一室で、鋭い悲鳴が上がり、血まみれの若い尼僧アグネスが、嬰児の絞殺死体と共に倒れていた。  妊娠も出産も、全く身に覚えがないと言い張る、アグネスの側に立つ修道院長と、この事件の調査のため派遣されて来た精神科の女医との間で、現代の処女懐胎をめぐって、深刻な対立が始まった-----。  ブロードウェイのヒット戯曲を、舞台劇と同じくジョン・パウエルマイヤー自身がシナリオ化したにもかかわらず、舞台上の椅子と脚付きの灰皿以外は、何もない簡素な装置とは真逆に、「夜の大捜査線」「アメリカ上陸作戦」「屋根の上のバイオリン弾き」などの名匠ノーマン・ジュイソン監督による映画化では、映画の持つ特性を生かして、名カメラマンのスヴェン・ニクヴィストによるカメラは、血生臭い嬰児殺しの起きた、修道院の外へも自在に出て行って、清純だが自閉的な信仰の世界と、人間臭い世俗的な世界との対比を試みていると思う。  その人格的な代表が、「奇跡の人」「卒業」の名女優アン・バンクロフトが扮する修道院長と、これまた「コールガール」「帰郷」の名女優ジェーン・フォンダが扮する精神科医の二人になるわけですが、むろん両者は二分法的対立を単純に繰り返すのではなく、処女懐胎を自己主張する若きメグ・ティリーをも含めて、それぞれが背負った"女の業"のままに、丁々発止とディスカッション・ドラマが展開していくのです。  神とか信仰心とかに縁のない人間にとっても、何かが垣間見える一瞬が訪れるのはそのせいだと思う。  演技的な面で言うと、この演技派女優の競演の中で、アン・バンクロフトは、眼鏡をかけた老修道院長を謹厳に演じているにもかかわらず、つい煙草に手が出てしまう世俗的な二重性も露わに、彼女の長い女優歴の中では、最高年齢の老け役に徹していたのが、特に印象に残りましたね。
[ビデオ(字幕)] 7点(2020-09-28 20:20:07)
44.  1000日のアン 《ネタバレ》 
英国チューダー王朝のヘンリー8世は、一目惚れした若い娘アン・ブリンを手に入れるため、世継ぎを生まない王妃キャサリンと強引に離婚してしまう。 正室に迎えられたアンにも王子ができないまま、あんなにも情熱的だった王の心は、遠のいてしまった。 そして、離婚を拒んだアン・ブリンは、奸計をもって断頭台へと送られてしまう-----。  16世紀の英国チューダー王朝の悲劇を描いたチャールズ・ジャロット監督の「1000日のアン」は、絶対的な権力をふるった、リチャード・バートン扮するヘンリー8世とジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド扮するアン・ブリンの愛憎の葛藤を、舞台の格調そのままに映画化した作品だ。  リチャード・バートンをはじめ、並みいる古典舞台劇の名優たちを相手に、当時、新人だったジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドが、女の意地、喜び、悲しみを朗々と謳い上げ、オスカーにノミネートされるほどの演技を披露している。  世継ぎの男子を生まない女に用はない、欲しい女はどんなことをしてもモノにする。そして手に入れたら飽きる、男の幼さ、男のずるさをシェークスピア劇で鍛え抜かれた、名優リチャード・バートンが実に巧みに演じていて素晴らしい。  この名優に対して、ビュジョルドは一歩もひけをとらず、出会いの時の愛苦しさから、命を懸けて王の横暴に抵抗し、するべきことをなして泰然と運命を受け入れ、断頭台の露と消える王妃の誇りを演じて、これまた素晴らしい。 小柄で童顔のビュジョルドが、膨大な量のセリフをこなし、アン・ブリンを演じ尽くすさまに、ほとほと感心してしまう。  彼女が死を賭して、王位継承権を残してくれたとも知らぬ幼い娘が、宮廷の庭で、教えられたとおりの歩き方を練習しているラストも、切ない印象を残してくれます。
[DVD(字幕)] 8点(2020-09-27 10:01:59)(良:1票)
45.  ドラブル 《ネタバレ》 
誘拐、ドラブルという名前の破壊工作員たちの秘密組織、黒い風車、まるでスリラーの神様・アルフレッド・ヒッチコック監督のスパイ・スリラーを思わせるような、映画好きの心をワクワクさせる、実に良いムードの映画だ。  沈んで暗い色調の英国の風景も、優しくてノスタルジックな雰囲気を湛えている。  小さな一人息子を誘拐された夫婦。夫のマイケル・ケインは、秘密情報部員だが、情報部の協力を得られず、たった一人で敢然と、可愛い息子の救出のために、事件の渦中へと飛び込んで行く。  夫は外から妻に電話をかけて、情報部にも警察にも知られずに、ひとりで会いに来てくれと伝える。 その伝え方が実に面白くて、洒落ている。  と言うのも、もちろん電話は盗聴されているので、夫は妻に約束の場所を口で言う代わりに、電話でミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の音楽を聞かせるのだ。 息子にせがまれて、夫婦が何回となく見に行った映画なのだ。  この映画の最大の見せ場とも言える、風車小屋の中の撃ち合いは、この静かなスパイ・スリラーの数少ないアクション・シーンの一つだが、職人肌のドン・シーゲル監督ならではの、スピーディーでダイナミックな演出で、見応えのある素晴らしいクライマックス・シーンになっていると思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-09-13 15:34:33)
46.  アウトランド 《ネタバレ》 
「アウトランド」の舞台は、未来の宇宙、木星の第3惑星イオですが、物語の設定はかの有名なフレッド・ジンネマン監督、ゲイリー・クーパー主演の西部劇の名作「真昼の決闘」と同じです。  また、イオの基地内のセットや小道具などの美術は、これもかの有名なリドリー・スコット監督のSF映画の傑作「エイリアン」にそっくりで、「真昼の決闘+エイリアン÷2」というようなイメージに仕上がっています。  西部劇もSF映画も大好きな私としては、ストーリーや美術云々で文句を言う前に、その映像の魔力にすっかり魅了されてしまいました。 主演も大好きなショーン・コネリーですし、これまた監督も大好きなピーター・ハイアムズですし。  イオのチタニウム鉱山街に、保安官として赴任して来たビル・オニール(ショーン・コネリー)は、赴任して2週間で、妻のキャロルに「もうこんな暮らしはイヤ。息子と地球で暮らしたい」と出て行かれてしまいます。  それでもオニールは、任務を全うしなければとイオに留まることになり、炭鉱夫の事故が続くのを不審に思い、遺骸から血液を採取して、医者に分析してもらいます。 分析結果は、限りなく怪しいもので、オニールは正義のために立ち上がることを決意するのですが------。  「エイリアン」と同じような、金儲け第一主義の会社というのが出てきます。目的のためには手段を選ばないという、非常に悪質な経営者です。 鉱山街の管理人であるシェパード(ピーター・ボイル)は、会社の忠実な部下で、なんでも言いなりであるうえ、オニールが邪魔になって、ある恐るべきことを会社に依頼するのです。  まあ、設定が「真昼の決闘」だということは、ネタバレしているのも同然なんですけどね。孤立無援になるところや、時計が頻繁に出てくるところは、本当に「真昼の決闘」そのままです。  オニールを助けてくれるのは、医者のラザルス先生だけです。かなり年配の女性医師で、口も悪いしそっけない態度なのですが、最後は命懸けでオニールを助けてくれるので、もう拍手喝采するしかありません。  「エイリアン」の真似だとは言え、お金をかけてしっかり作ってあるセットは素晴らしく、ラスト近くの山場でのアクションシーンもなかなかのものです。 「真昼の決闘」と「エイリアン」の好きな人にはお奨めのSFアクション映画ですね。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2020-07-19 10:26:06)
47.  影なき狙撃者 《ネタバレ》 
「影なき狙撃者」は、初期の「終身犯」や「5月の7日間」や「大列車作戦」、後期の「フレンチ・コネクション2」や「ブラック・サンデー」などの骨太な社会派サスペンス映画で、我々映画ファンを楽しませてくれた、ジョン・フランケンハイマー監督が、若かりし頃に撮った秀作です。 この映画の時代背景は、朝鮮戦争の頃。1950年代というのは、まさにアメリカとソ連の東西冷戦の時代です。 それぞれの本土で戦ってはいないものの、朝鮮半島を舞台にして、代理戦争を行なっていたわけです。  この時代の米ソの対立は、凄まじいものがあります。ハリウッド映画界でも、かの有名なマッカーシー上院議員を中心とした、「赤狩り」の嵐が吹き荒れていました。 共産主義者は、まるで悪魔のように思われていた時代でした。  この朝鮮戦争下において、中共軍に捕らえられてしまったアメリカ軍兵士が、暗殺者に仕立てられてしまうというストーリーです。 現在の時点で観てみると、それほどもの凄いアイディアではないのですが、恐らく、この映画が製作された当時は、画期的だったのではないでしょうか。  ネタバレになるので、あまり詳しいことは書けませんが、小道具としてトランプが使われていて、効果的であると同時に「影なき狙撃者=トランプ」という連想が、記憶に深く刻まれてしまうほどのインパクトがあります。  この映画の主人公は、ベネット・マーコ(フランク・シナトラ)とレイモンド・ショウ(ローレンス・ハーヴェイ)という二人の軍人です。 シナトラは格闘シーンがあるのですが、ぶっつけ本番だったので、右手の親指を骨折するという怪我をしたというエピソードが残っています。 やはり、きちんとリハーサルをして本番に臨まないと、怪我をしてしまうということなんですね。  ハーヴェイは、セントラルパークの池に飛び込むシーンがありますが、撮影時は厳冬で、彼はスタッフが氷を取り除いた、水温マイナス9度の池にダイビングしたそうです。 ほんとに、俳優とは大変な職業だなとつくづく思いますね。  ストーリーもハラハラ、ドキドキの連続で、出演者たちの熱演、そして最高にスリリングな展開で、極上の政治サスペンス映画に仕上がっていると思います。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2020-06-19 11:24:08)
48.  雨の午後の降霊祭 《ネタバレ》 
英国映画「雨の午後の降霊祭」は、役者として「大脱走」、監督としても「ガンジー」や「遠すぎた橋」で有名なリチャード・アテンボローがプロデュースしつつ主演もしている映画です。  いかにも英国映画らしい、モノクロームでなくては作れないお芝居です。 テーマは誘拐。犯人夫婦の妻の方が霊媒で、僅かな信者を集めては降霊会を開きます。  リチャード・アッテンボロー扮する夫が、子供を誘拐し、妻が霊媒としてその家に乗り込んで、子供が自分の夢に現われたなどと話します。  身代金をうまく手にいれる場面の疾走感が、とてもいいんですね。 これで犯罪としては成功なのですが、結局は誘拐された子が殺され、やがて実に意外な方法で真実が暴露される。  ここでは、ミステリーという言葉も推理ではなく、神秘という本来の意味に取ったほうがいいのかもしれません。  抑制されたリアリズムで作ってゆくから、最後の超自然的な展開が冴えわたります。 英国以外の国では絶対に作られない種類の映画だと思いますね。
[DVD(字幕)] 7点(2019-12-17 09:24:03)
49.  アンタッチャブル 《ネタバレ》 
悪法で名高い「禁酒法」ですが、正しくは「酒類製造・販売・運搬等を禁止するという法律」という名称です。 つまり、お酒を造ること、売ること、運ぶことだけが禁止された法律であって、お酒を飲むこと自体は、禁止されていなかったということがわかります。  また、施行されるまでに1年の猶予があったため、人々はお酒の買いだめに走りました。 施行後、家でお酒が見つかっても「買いだめしておいた分です」と言えば、罪に問われなかったというのですから、ザル法もいいところです。 お酒の密輸入と密造で大儲けしたのは、ギャングたちだけだったのです。  この天下の悪法の施工時代に、世にもデカイ顏をしてシカゴの街でのさばっていたのが、暗黒街の帝王、アル・カポネです。 彼がネタになっているギャング映画は、それこそ星の数ほどあるのではないかと思われるくらい、凄い人気です。  このパラマウント映画創立75周年記念映画として製作された、ハリウッド大作「アンタッチャブル」では、ロバート・デ・ニーロがアル・カポネを演じています。 役作りのために、逆ダイエットをして太ったというエピソードはあまりにも有名です。 そして、首を傾けてしゃべる、独特の姿も強烈なインパクトがあります。  映像の魔術師・ブライアン・デ・パルマが監督をしているので、事実なんてどこへやら、徹底した娯楽アクション・ギャング映画に仕上がっています。 こういうのはあざとくて嫌いだという人もいるかも知れません。だが、それはハリウッドメジャー大作映画の宿命ともいえるものですが、私は大好きですね。  有名な駅の階段のベビーカーのシーンは、ハラハラ、ドキドキの連続で、ブライアン・デ・パルマ監督の楽しそうに撮っている顏が想像できますね。  そして、何と言っても魅力的なのは、当時、とても輝いていた主演のケヴィン・コスナーです。 絵に描いたような正義の味方。あまりにも嘘っぽくてため息が出そうですが、これぞまさに娯楽映画なんですね。  事実に基づいているとは言っても、彼の演じるエリオット・ネスは、映画のヒーローであり、架空の人物だくらいに思わないと駄目ですね。 史実と違うからおかしいじゃないかと決めつけるのは、ちょっと筋違いだと思いますね。 とにかく、カッコいいんですね。  それから、思わず注目してしまったのは、殺し屋のニッテイ(ビリー・ドラゴ)です。 とても陰険な顔つきの風貌で、目つきがとても怖いんですね。  もちろん、ショー・コネリー扮するジム・マローンも最高ですね。その年のアカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞しただけのことはありますね。 このジム・マローンは、FBIのリーダー的存在で、エリオットのみならず、観ている我々もグイグイ引っ張ってくれます。 ジェームズ・ボンド役を卒業した後の、ショーン・コネリーの演技に対する取り組みと研鑽が、一気に花開いたという感じですね。  今回、あらためて観直してみて、この作品はギャング映画の最高峰のひとつだと思いましたね。 エンニオ・モリコーネの音楽も素晴らしくて、この人の書くスコアは、映画の雰囲気にほんとにぴったりで、哀愁のあるメロディーを聞いているだけで感動してしまいます。
[DVD(字幕)] 8点(2019-12-14 09:40:05)
50.  暗殺の森 《ネタバレ》 
ベルナルド・ベルトルッチ監督の「暗殺の森」は、「ラスト・エンペラー」と同様、ヴィットリオ・ストラーロの撮影を観たかったというのが大きくて観たのですが、ベルトルッチ監督のあまりにも素晴らしい手腕を見せ付けられた感じです。 若干29歳の時の作品だとは思えないほどの、映画的魅力に満ちあふれた作品になっていると思います。  この映画の原題は「体制順応主義者」で、それは主人公マルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)のことに他なりません。 原作は、アルベルト・モラヴィアの「孤独な青年」という小説で、この作家の原作の映画は、他に2本観ていて、「倦怠」と「ミー&ヒム」ですが、「暗殺の森」とは似ても似つかないストーリーで、恐らくいろいろなタイプの小説を書いた人だろうと思います。  子供の頃に、殺人を犯してしまったと信じ込んでいるマルチェロは、そのトラウマからか、罪の意識からか、ファシズムに傾倒していきます。 組織から、パリに亡命中であった恩師でもある、カドリ教授を調査するように命じられ、恋人であったジュリア(ステファニア・サンドレッリ)と結婚して、新婚旅行を口実にパリに赴いた彼は、教授の妻のアンナ(ドミニク・サンダ)の美しさに、心を奪われてしまいます。  ストーリー自体は、それほど難しくないのですが、回想シーンが突然、出てきたり、主人公の説明がなかったりするので、どういうことなのか理解するのに、少しだけ時間がかかってしまいました。 そういう欠点はあるものの、見せ方は素晴らしいのひと言に尽きます。  特に良かったのは、アンナとジュリアが踊るダンスシーン。映画史に名高い、有名なシーンですね。 この女同士でダンスを踊るというのは、「フリーダ」にもありましたが、本当に綺麗でインパクトがあります。 そして、邦題のもとにもなっている、森の中での殺人シーンも圧巻です。  まるで、ホラー映画のような恐ろしさと緊張感がある一方で、切なくて哀しくて、やりきれないムードにも満ちあふれています。 とても、ショッキングだけれど美しい映像で、ベルトルッチ監督の天才肌ぶりを感じさせるシーンだと思います。  ドミニク・サンダは、当時19歳くらいだったそうですが、妖しい美しさをたたえる人妻の役を、見事に演じています。 彼女は「ラスト・タンゴ・イン・パリ」にも出演オファーがあったそうですが、妊娠中のため断ったというエピソードが残っています。 もし、ドミニク・サンダとマーロン・ブランドのツーショットだったら、またひと味違った映画になっていたかもしれません。  ジャン=ルイ・トランティニャンは、相変わらずクールで、不思議な雰囲気をたたえていて、ミステリアスな感じが、とても素晴らしかったと思います。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2019-06-01 15:31:10)
51.  偉大な生涯の物語 《ネタバレ》 
「偉大な生涯の物語」は、3時間47分。キリストの生涯を描く時間としては、長いのか短いのかなどと考え始めたら、きりがありません。 映画というものは、いったん引き込まれてしまったら、時間の経つのなんて、すっかり忘れてしまうものです。 退屈な映画は、長く感じ、面白い映画は、短く感じるということですね。とにかく、素晴らしい3時間47分でした。 これだから、映画を観るのはやめられません。  キリストを演じているのは、スウェーデン出身のマックス・フォン・シドーで、ベルイマンの映画でお馴染みの名優ですね。 最初に登場した時に、髪の毛が短いので、だんだん伸びて肩に付くくらいになるのかなと期待していたら、十字架上で息絶えるまで、ずっと同じ髪形のままでした。こういう、すっきりしたキリストもいたんだなと、妙に感心しましたね。  この映画の土台となっているのは、聖書です。むろん、他のキリスト映画も、土台は聖書に決まっているのですが、この映画の場合、聖書へのこだわりを強く感じました。 聖書に出てくる使徒や、キリストの言葉が多くセリフになっており、説明的な台詞はあまりありません。 聖書に登場しないシーンもほとんどありません。  そして、それぞれのシークエンスは、まるで絵画を見ているように美しく、抒情的で詩的です。 映画を観ているというよりは、詩のナレーションの付いた、動く絵を見ているような感じがしました。実に美しい映画です。  それと、この映画で目を引いたのは、意外な俳優が出演していることです。なんと、西部劇の大スターのジョン・ウェイン。 ジョン・ウェインのコスプレ姿を観られるのかと、目を皿のようにして出番を待っていました。 ジョン・ウェインの声は、一度聞いたら忘れられないくらい独特ですから、声ですぐに彼だとわかったのですが、画面に登場したのは、ほんの数秒間で、顔のアップすらありません。 これには驚くやら、悲しいやら。きっと、無理やり出演を依頼されて、付き合いで出演したのかもしれません。  シドニー・ポワチエも少しだけ出演しています。こちらは、ジョン・ウェインより、出演場面は長いし、おいしい役です。 キリストを助けて、一緒に十字架を担ぐシモンです。 チャールトン・ヘストンは、予言者ヨハネの役で、この時期、コスプレ物の歴史映画に出まくっていた彼の貫禄を感じましたね。 あと、人気TVドラマ「ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリヤキン役で日本でも人気の高かったデヴィッド・マッカラムが、裏切り者のユダの役を演じていました。 冷たい感じの表情が、ユダに合っているように思えました。  何度も映画化されているストーリーの映画を見比べるのは、本当に興味深いです。まだまだキリスト映画は、他にもあるので、今後とも見比べていきたいと思っています。
[DVD(字幕)] 7点(2019-05-27 10:18:04)(良:1票)
52.  家族生活(1984) 《ネタバレ》 
ある土曜日、エマニュエルはいつも通り、娘のエリーズに会いに前妻リリの家へ。かつては自分も住んでいたその家には、未だに彼の書斎が残っていた。 何となくよそよそしい娘に、彼は車で旅に出ようと提案する。  このように、毎週土曜日に面会する父と娘は、二人とも、人を愛すること、人から愛されることに不器用だ。 互いに会う日を楽しみにしているはずなのに、いざ顏を会わせると、何とはなしにギクシャクとして素っ気ない二人。 相手と打ち解けたいと思いながら、それをどう表現してよいか判らずイラ立って、逆に距離を置こうとさえしてしまう。  そんな二人が、ある週末、南仏からスペインへドライブへ出かける。娘が書いたシナリオをもとに映画を撮ろうと、ビデオ・カメラ1個を携えて。  ジャック・ドワイヨン監督は、そうした父エマニュエルと娘エリーズの愛情の機微を、ビデオ・カメラを媒介にして、淡々と、だがエモーショナルに映し出していく。 フィクションを撮ろうと言いつつ、エリーズそのものを、彼女の素顔を、撮ろうとするエマニュエル。  だが、エリーズは笑ったり怒ったり、泣いたりして、父親の企みから巧みに身をかわし、決して本音を見せようとはしない。 まるで、カメラを介さなければ娘を直視できない父親の臆病を非難するかのように。  「機械がなくても話し合えるわ」と言うエリーズのつぶやきが妙に心に残る。彼女はまた、「よそよそしさはパパから教わったの」ともささやく。 そして、カメラに微笑みかけるエリーズのよそよそしい幼い顔。  この映画でのビデオ・カメラの存在は、父と娘の間に知らぬ間に出来てしまった、どうしても越えられない"深い溝"の象徴なのだろう。 小さなモニターにリアルタイムで流れる、多分、手持ちカメラのせいだろう、小刻みにブレ、揺れ動く映像が、父と娘それぞれの言葉にならない思いを反映しているようだ。  一方、エマニュエルと彼の義理の娘ナターシャとの関係も微妙だ。何かというと敵対し、いがみ合う彼らの間に行き交う、いわば潜在的な近親相姦。それを鋭く見抜く、エマニュエルの妻であり、ナターシャの母であるラマ。  こうして、「家族生活」は、エマニュエルが持つ二つの家族、前妻リリとエリーズ一家、ラマとナターシャ一家を通して、現代における"家族"とは何かを見つめた、新しい形のホームドラマなのかもしれない。
[ビデオ(字幕)] 7点(2019-04-16 11:26:13)
53.  舞台恐怖症 《ネタバレ》 
ハリウッドに渡ったアルフレッド・ヒッチコック監督が、イギリスに戻って撮った映画「舞台恐怖症」は、いろいろといわくつきの映画のようで、ヒッチコキアンからの評判はよくないようですが、私はそこそこ楽しめましたね。  何と言っても一番の見どころは、「マレーネ・ディートリッヒ」ですよね。この女優の代名詞のような大女優が、この映画でも実に妖艶な魅力を振りまいています。 役柄も舞台女優ということで、なおさら臨場感がありますしね。短いですが、歌を歌うシーンまであります。  この映画は「嘘」について考えさせられる部分があります。冒頭で、主人公のイヴ(ジェーン・ワイマン)の恋人ジョナサン(リチャード・トッド)が、人を殺してきたと告白し、その再現映像が出てきます。 この告白に嘘があるわけなのですが、それをそのまま映像として、我々観る者に見せてしまったのはヒッチコック監督の失敗だと言われていて、なるほどなと思いました。  登場人物のつく嘘はいいけれど映像の嘘はいけない、ということなんですね。 確かに、そうなのかもしれませんが、ただそれだけの理由で、この映画を失敗作だと言うのは少し言い過ぎではないかと思います。 ヒッチコック監督自身も、冒頭の回想シーンについては反省していたそうで、そこは弘法も筆の誤りということもあるわけなので、大目にみたいと思いますね。  いわくのもうひとつは、ジェーン・ワイマンです。ディートリッヒのあまりの美しさに嫉妬して、自分も途中からどんどん綺麗な格好をして画面に出てくるようになってしまった、という撮影裏話には思わず笑ってしまいます。 いくら頑張っても、大女優には勝てないと思いますけど、ヒッチコック監督は、ワイマンの我儘を聞いてあげたということなんですね。  ヒッチコック監督の映画には、そこはかとなく漂うユーモアのセンスがあって、それがたまらない魅力になっていると思います。 ただ、彼の映画が全部、目も覚めるような傑作ばかりというわけではないことを、この映画が教えてくれているような気がします。  しかし、ディートリッヒの美しさ、冒頭のいわくつきの回想シーン、射的で人形を取るシーン、隠しマイクを仕込んで劇場全体に声を響き渡らせてしまうシーンなど、見どころもたくさんある映画だと思います。
[DVD(字幕)] 6点(2019-04-12 14:47:37)
54.  スウォーム 《ネタバレ》 
「ポセイドン・アドベンチャー」や「タワーリング・インフェルノ」などのパニック映画(アメリカではディザスター映画)の超大作の大物プロデューサーとして鳴らしたアーウィン・アレン。  ところが、この人、プロデューサーだけに専念しておけばいいのに、監督までしたがって、結果はいつも無惨な出来栄えの映画を作ってしまうんですね。 「タワーリング・インフェルノ」の世界的な大ヒットで、まさに人生最高の時を迎え、好調の波に乗ったアレンは、この時期、流行していた動物パニック映画ブームの決定版を目指し、アフリカの蜂の大群が人間を襲うという「スウォーム」というトンデモ映画を監督するんですね。  動物もの、パニックものという二つのジャンルの第一人者であるという自負を持つアレンが、よせばいいのに監督をしたのがこの「スウォーム」で、名作、駄作、珍作となんでも出演することで有名なマイケル・ケインを主役に起用し(この時点で大作感がないですが)、当時、人気のあったキャサリン・ロス、大作に見せかけるためにレジェンド俳優のヘンリー・フォンダやオリヴィア・デ・ハヴィランドら映画史に残る錚々たる面子を筆頭にオールスター・キャストの布陣を敷き、まさか失敗する要素はないかに見えました。 ところが、このこけおどしの超大作(?)はものの見事に、面白くなく、結果、大コケしてしまいました。  敗因を分析してみると、ひとえにアーウィン・アレンの演出力の欠如にあると思います。このタイプの映画は、サスペンスが命とも言える生命線なのに、全然それがないんですね。 この緊張感のなさはただごとではありません。アーウィン・アレンという人は、プロデューサーとしての力量はともかく、監督としては全くダメなんですね。  蜂の大群に遭遇したヘリコプター。パイロットは驚愕し、靄みたいな蜂の群れの中に突っ込むヘリ。 すると、ヘリはみるみる急降下を始め、墜落・爆破・炎上してしまう。この間、緊張感ゼロ。  また、マイケル・ケインとキャサリン・ロスが、レストランの保冷室に逃げ込むシーン。 保冷室の室温は5°Cで、ケインは蜂は低温に弱いから大丈夫だと言う。だが、直前に蜂に刺されているロスは怯える。 しかも、パニックに襲われた男が鍵をかけてしまった。  さあ、残されたケインとロスはどうなる!? -----と思って固唾を呑んで観ていると、なんと場面は変わって病院のベッドに寝ているロスの姿。 ケインは「もう大丈夫だ」なんて言っている。一体、どうやって逃げたんだ!!!(笑)  そして、原子力発電所に何の前触れもなく蜂の大群が現われる。襲われた職員が、間違って何かのスイッチを入れてしまい、原子力発電所は大爆発。 すると、驚いたことに、場面が変わり、TVの画面に犠牲者が三万六千人以上と出る-----もう全編こんな調子であきれてしまいます。  蜂に襲われた列車の転覆にせよ、火炎放射器で蜂を焼き払おうとした隊員が、ビビってそこら中に火を放ち、町中が大火災になる場面にせよ、みんな蜂の脅威というより人災なんですね。 ただし、そこに「いちばん怖いのは人間である」などというメッセージ性を読み取ることは、まったく不可能なんですね。 とにかく、この映画は本国アメリカでも酷評の嵐に見舞われたそうですが、それはそうだと納得してしまいました。
[CS・衛星(字幕)] 3点(2019-04-10 12:13:26)
55.  ノスタルジア 《ネタバレ》 
イタリアの中部地方の山間には、不可思議な町、あるいは村が存在する。それはまさに「存在」そのものだ。 アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジー」が描くのは、幻想の「水」を辿る旅であり、タルコフスキー自身の、故郷ロシアへの郷愁が、主人公アンドレイ・ゴルチャコフの心象風景として表われていると思います。  ゴルチャコフは呟く。「この風景は、どこかモスクワに似ている」と。霧の漂う丘陵地帯。白い馬。佇む女たち。 そこには、動くことを止めた時が、うずくまっている。 かと思うと、深い谷底から生えてきた角のような台地に、ひしめきあって建つ、赤っぽい石造りの建物。  周囲を濃い緑の山々に囲まれた一握りの台地は、霧の切れる一瞬、幻想ではなかったかと、私は目を疑ってしまう。 しかし、確かに実在する土地なのだ。「ノスタルジア」の旅は、こうして、幻想の中でスタートする--------。  イタリアで、ロシアの詩人ゴルチャコフは、恋人のエウジェニアとともに温泉地を訪れ、世紀末の世を救おうと、ろうそくを灯して水を渡ることに執着する老人ドメニコと出会う。  エウジェニアは、ロシアへのノスタルジアにとり憑かれたゴルチャコフの、果てしない思案に耐え切れず、別の恋人のもとへ去ってしまう。 そして、ドメニコは焼身自殺し、残されたゴルチャコフは、ドメニコの遺志を継いで、ひとりで温泉を渡り切った時、力尽きてしまうのだった--------。  タルコフスキーにとって「水」は、地上で最も美しく、謎めいた物質なのだろう。だから、ドメニコは俗世の人間に狂人扱いされながらも、水=温泉を渡ろうとする。 俗世間の人々から、このように狂人扱いされているドメニコは、世紀末の世界を救おうと、ろうそくを灯して水を渡ろうとする。 「水」は、禊に使われるように、ここでもある種の力を持っている。 そして、「水」はあの世とこの世の間の川。ドメニコは、その川の渡し守なのだ。  また、この「水」は、母胎の中の羊水でもあり、世紀末を世界の始まりに戻そうとすることは、胎内への回帰等、胎を持たない男の発想であり、そんなことでもたつくゴルチャコフに嫌気がさして去ってゆくエウジェニアは、中性的な魅力にあふれている。  この映画の中で、特に印象的だった場面は、水溜まりの向こうに横たわるゴルチャコフ。雨が降っている。屋根のない柱廊。 廃墟と化し、屋内であり、屋外でもある奇妙な建物、映画全体を支配する幻を、この建物に感じてしまいました。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2019-04-08 18:02:31)
56.  砂漠のライオン 《ネタバレ》 
大まかな目鼻立ちの大きな馬ヅラ、こもった大きなダミ声、逞しい体、そして何よりも従来の俳優にはない国籍不明の図太いエキゾチシズムの持ち主の俳優アンソニー・クインは、「革命児サパタ」「道」「その男ゾルバ」「サンタ・ビットリアの秘密」などでの強烈な演技で、私の印象に強く残っていて、彼が脇役の時は主演俳優を食ってしまうし、主役の時はその独特の個性でひと際光る演技を見せてくれました。  彼の晩年の出演映画「砂漠のライオン」は、シリア生まれのムスターファ・アッカド監督が、スペクタクルに民族の悲劇を描いた作品です。 イタリアの独裁者ムッソリーニは、北アフリカのリビアにローマ帝国を再建する野望に燃えていた。  そして、1929年、近代装備で固めた大軍を現地へ派遣する。アンソニー・クイン演じる、老いたベドウィンの指導者オマール・ムクターは、勇敢なる砂漠の戦士たちを率い、民族の誇りをかけた不屈の闘志で徹底抗戦を繰り広げるのだった-----。  この映画の撮影のために5万人ものエキストラが動員されたという戦闘シーンは、上映時間の実に8割近くを占めていて、そのひたすらな戦いをアンソニー・クインの個性あふれる名演が、引き締めていたと思います。  それまで、どちらかと言うと、あまりにも強烈すぎる個性で、クサイほどだった彼が、この映画で示した"枯淡の境地"には、目を瞠らされました。 砂漠の聖戦の先頭に立って闘う勇猛果敢な労将が、ひとたび銃を置いて子供たちにコーランを教える時の、慈父のごとき穏やかさ。  そして、従容として死につく時の、威風あたりをはらう静けさ。魅入るばかりのカリスマ性を、アンソニー・クインは見事に体現していたと思います。  近代兵器何するものぞ、砂漠の自由こそ民族の命と、ひるむことを知らない男たち。哀調を帯びた独特の叫びをあげて彼らを讃える、黒いベールの女たち。 イスラム世界のエキゾチシズムとパワーに、あらためて圧倒された映画でした。
[DVD(字幕)] 7点(2019-04-06 11:22:08)(良:1票)
57.  ピアニストを撃て 《ネタバレ》 
1970年の映画「栄光への賭け」で、気になる俳優の一人になったシャンソン歌手としてあまりにも有名なシャルル・アズナブール。  彼の本格的な映画出演は、歌手デビューよりずっと後ですが、その代表作とも言えるのが、ヌーヴェルバーグの代表監督フランソワ・トリュフォーの「ピアニストを撃て」だと思います。  この映画でのアズナブールは、歌手が片手間に映画に出演したというのとは全く違って、根っからのプロの役者という印象だ。 頭で考えるより先に、生理的な次元で役を取り込んでいるように見えるのです。 だからこそ逆に彼は、シャンソンという、ある意味、物語性の強い音楽のジャンルで、あれだけの成功を成し遂げられたとも言えるだろう。  下がった太い眉、丸く肉付きの良い鼻、厚目の唇、そしてあまり高くない身長。そして何よりも、その二重の大きな目を瞬く度に目につく、男にしては長すぎる睫毛だ。 極端に言えば、可愛げのある男性的なものからは程遠いソフトなイメージに、「ピアニストを撃て」の気弱な主人公の役は、まさにはまり役だと思います。  ~カフェでピアノを弾くシャルリは、かつて世界的なピアニストとして成功した男だった。それが妻と興業主との駆け引きの結果だと知って、妻を自殺に追いやり、身を隠したのだ。そんな気弱な彼に好意を抱く娘のレナ。二人は、彼の兄が起こした事件に巻き込まれていく。レナは銃弾に倒れ、彼はまた一人、ピアノを弾き続けるのだった-----~  この映画は、アメリカのギャング小説が原作とは思えない作品だ。 フランス的なエスプリの中に、恋も事件も死も、淡々と、しかしリズミカルに弾き語られた印象だ。  ピアノを弾くことしか能がないと、自身の現実生活の気弱さを諦めているシャルリは、妻を自殺に追いやった辛い過去から、素晴らしい才能を伸ばそうという野心さえ捨てたのだ。 傷ついた物静かな男を、ぴったりの雰囲気で演じるアズナブールの歌う、これは一つのシャンソンなのかもしれない。  それにしても、この主人公のシャルリは、臆病さゆえに、愛する女性に、気持ちをうまく伝えることの出来ない男-----。 しかし、彼の面白さというのは、それを地で演じているように自然に見せながら、その気弱さの裏にある、音楽家としての才能との二重性を微妙に演じているところだ。  音楽に浸る時にのみ、気弱な男が見せる、芸術への強い執着。その神経質なまでの思い入れは、臆病さの裏返しではあるが、芸術に心酔する、芸術家独特の顏なのだ。 外見が非常に柔らかなために、それと相反するものを秘める役で、彼は独特の雰囲気を演じきっていると思います。
[DVD(字幕)] 7点(2019-04-05 20:29:10)
58.  流されて… 《ネタバレ》 
妙に気になる俳優の中のひとり、ジャンカルロ・ジャンニーニ。  ジャンカルロはルキノ・ヴィスコンティ監督の「イノセント」、エットーレ・スコラ監督の「ジェラシー」などに出演していましたが、特に「イノセンス」での北イタリアの上流社会の男のデカダンスを実に見事に演じていて、もうすっかり彼の魅力の虜になりました。 どこか、マルチェロ・マストロヤンニに似ていなくもないけれど、ジャンカルロは、マルチェロよりも遥かにキザでセクシーなイタリア男だという気がします。  そして、この典型的なイタリア俳優の魅力を何よりも最大限に発揮したのは、リナ・ウェルトミュラー監督の「流されて---」でした。  粗野で下品でセクシーで、それでいてふとした表情に知的なデカダンスをのぞかせるジャンカルロは、ミラノが代表する北イタリアの洗練された知性と、ナポリが代表する南イタリアの陽気さと激情という、イタリアを二分する特性のどちらも持ち合わせた、稀有で貴重なイタリアの俳優だと思います。  そして、リナ・ウェルトミュラー監督とジャンカルロは、「ミミの誘惑」「愛とアナーキー」「セブン・ビューティーズ」などの作品でコンビを組んだ、いわば師弟コンビなのですが、この「流されて---」のジャンカルロは南イタリアの男を体現しています。  ~ 八月の地中海に白い帆を張る豪華なヨット、ナポリの実業家夫人ラファエロは、ブルジョワ仲間たちとバカンスを楽しんでいる。 ところが、モーターボートで沖へ出た夫人は、モーターの故障から召使いの男ジェナリーノとたった二人、無人島に漂着した。 自給自足の原始的な生活の中で、夫人と召使いの立場は逆転していくのだった----- ~  この映画は、アメリカでは一種の"フェミニズム"映画として大ヒットしたそうですが、女性監督の視点から描いた男と女の愛の力学が、ブルジョワと労働者階級、支配者と被支配者、文明と原始といった見事すぎるくらいの図式にピタリと当てはまったせいなのかもしれません。  しかし、思うにウェルトミュラー監督のフェミニズム意識と恋愛観は、もっとしたたかで複雑ではないだろうか。  この映画の原点は、やはりヨーロッパの成熟が生んだ"官能の世界"なのだと思えてなりません。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2019-04-03 10:34:42)
59.  戦う幌馬車 《ネタバレ》 
「戦う幌馬車」という西部劇の主演は、御大ジョン・ウェインとカーク・ダグラスという重量級俳優の魅力的な顔合わせです。 監督がバート・ケネディなので、内容的にはシリアス寄りではなく、コメディ寄りの痛快アクション西部劇になっています。  結論から言うと、この映画はとても面白かったのですが、ラストは主人公にとって残念な成り行きになっています。 思わず「オーシャンと11人の仲間」を思い出しました。  冒頭、主人公のトウ・ジャクソン(ジョン・ウェイン)が刑務所帰りという設定で登場するので、一瞬ビックリしました。 ジョン・ウェインが西部劇の悪役をやるわけがないからです。実は、無実の罪で刑務所送りになっていたのです。 そして、その無実の罪に追いやった敵をやっつけに来た、というストーリーでした。一種の復讐劇と言ってもいいかもしれません。  トウの標的は、自分を騙して牧場を奪ったうえに、牧場から出た金を独り占めしているピアースという男です。 トウは、ピアースが鉄製の装甲車のような馬車で運ぶ金を奪う計画をたて、仲間を集めます。  金庫破りの特異なローマックス(カーク・ダグラス)、古い馴染みのリーバイ、運び屋のフレッチャー、爆破が得意なビーリーの4人。 それぞれ特技を持った仲間が協力して、数十人の護衛のついた戦車のような馬車の襲撃作戦を決行するのです。  現金輸送車ならぬ砂金輸送馬車、この馬車の外観がかなり凄いです。 真っ黒で、上部には丸い砲台のようなものが付いていて、機関銃が据え付けてあるのです。 この不気味な馬車が、護衛を引き連れて荒野を疾走するシーンは迫力満点です。  トウとその仲間5人が、いかにして鉄の馬車を襲撃して金を奪うのかが、この映画の最大の醍醐味であり、見せ場であり面白いところです。 爆破が専門のビリーは、若いくせにアル中で、運び屋の老人は、まるで孫のような若い奥さんがいる乱暴者、とまあこんな風に仲間もそれぞれ個性的で観ていて飽きません。  バート・ケネディ監督の映画は、以前に「夕陽に立つ保安官」を観ました。あれほどコメディ色は強くないですが、ジョン・ウェインとカーク・ダグラスが見せる絶妙の間合いの可笑しいセリフは得難いもので、観ていて微笑ましく癒されました。  内容を全く知らずに観て、面白くて大正解でした。西部劇はやっぱりアクション映画の原点だなと、あらためて思わせられた1本でした。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2019-04-03 07:40:48)(良:1票)
60.  世にも怪奇な物語 《ネタバレ》 
オムニバス映画といえば、真っ先に頭に浮かんでくる映画「世にも怪奇な物語」。  タイトルがそそりますし、傑作であると思っていました。今回あらためて観直して納得しました。 ストーリーが面白いというよりは、映像や雰囲気がとても素晴らしいんですね。  エドガー・アラン・ポーの原作をロジェ・ヴァデイム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニという名監督がそれぞれ映像化しています。 122分の間に3本の映画を観ることができて、とても得した気分になれます。  第1話「黒馬の哭く館」は、ロジェ・ヴァデイム監督、主演は当時、ヴァディム監督の妻であったジェーン・フォンダ、共演に実弟のピーター・フォンダというゴージャスさです。 いつの時代でどこの国かわかりませんが、お城が出てくるコスプレものです。  それにしても、姉のジェーン・ファンダは、若い頃から晩年まで確執のあった父親のヘンリー・フォンダにそっくりです。 弟のピーター・フォンダは、「イージー・ライダー」でブレイクする前ですので、まだまだ初々しくて若いですね。 ジェーンは性格の悪い館の主で貴族の令嬢を演じていますが、とても憎たらしいキャラなのに美女なので、さほど気になりません。  第2話「影を殺した男」は、ルイ・マル監督、主演はアラン・ドロン。まさに20世紀を代表する世紀の二枚目俳優アラン・ドロン。まさに水もしたたるいい男です。 自分と全く同じ名前の人物が現われ、自分の行動を諫めようとする。とうとう彼は、もうひとりの自分を殺してしまうという物語です。  アラン・ドロンという俳優は、若い頃はルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニといった世界的な巨匠と言われる映画監督の作品に意識して出演していて、今回のルイ・マル監督のようなヌーヴェル・バーグの映画監督たちとは一定の距離を置いていたため、この作品はそういう意味からも本当に貴重な作品になっていると思います。  そして、尚且つアラン・ドロンがホラー映画に出演しているのを観るのもとても新鮮でした。 まあ、ホラーと言ってもホラー度はかなり低いのですが。  第3話「悪魔の首飾り」は、フェデリコ・フェリーニ監督、主演は「コレクター」に出演してエキセントリックな個性が光っていたテレンス・スタンプ。 この第3話が、評判が一番いいようですね。ストーリー性はあまりなく、映像の力でグイグイ引き付けるタイプの映画です。 主人公がアル中で朦朧としているので、映像自体もシュールで意味不明なところが多々あります。 そして、迫力のある怖いラストシーンは、一見の価値があると思います。  3話とも、ストーリーそのものはシンプルなのですが、それぞれの演出が卓越しているので、本当に見応えがあります。 アラン・ドロンが大好きなせいか、私は彼が出演している第2話に一番心惹かれました。  オムニバス映画はあまり観るチャンスがないので、今回再び観れてとても良かったと思います。 この映画のように、不思議でファンタジックで、それでいて怖いストーリーというのは、いつの世にも作りたい、観たいという欲求があるようにも思います。  日本のTVのかの「世にも奇妙な物語」も、この傾向をモロに受け継いでいると思います。ホラー映画が苦手だと言う人も大丈夫な映画で、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ監督のファンの人ならば一見の価値ありの映画だと思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2019-04-01 14:53:52)(良:2票)
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