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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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701.  レザボア・ドッグス 《ネタバレ》 
白人の男だけの世界。一見仲間うちの食事風景(マドンナ論)のようでいて、何やら緊張がある。チップ払わねえ、とか。パッと事件後に跳ぶんだな。事件そのもの、一番映画にしやすいところは描かないキザ。で、ほとんど舞台劇のノリでアジトの空間の中の男たちを煮詰めていく。裏切り者は誰か。そして三人でピストルを構え合うの。オレンジを信ずるために命を落とすホワイト、それに告白するオレンジ、再び銃を向けるが撃てないホワイト、男の世界だなあ。監督もどう見てもワルガキの顔だし。裏切りの中の友情。…とこれがタランティーノ初見参だったわけだが、あの人のポイントがすべて出ていた。だらだらとした会話の中で紡がれる緊張、時間の処理、閉じた空間で煮詰められていく男たち、銃を向け合って硬直する人々、って。
[映画館(字幕)] 7点(2011-08-19 11:09:02)
702.  男はつらいよ 寅次郎恋愛塾
並列的に列挙する。・タイトルのバックが旅先というのは珍しい。・初期の寅のギラギラしていた部分をポンシュウが受け持っている。・帰宅後の寅の会話の中でだんだん若菜が現われてくるおかしさ。「珍しいなあ、男で写植やってる人は」「男と言ったか? 俺は」。・面接の場。こういうなんとはない社会の断面を見せるとこがうまい。・「真剣に恋をしている人をからかうなんてお兄ちゃんらしくないわ」で、民夫への教育となる。『寅次郎頑張れ!』の線。「僕はそんなこと出来ませんよ」「さいなら」のリズム感がいい。・アケミが「人妻になって寅さんの魅力が分かった」てなことを言い、社長と喧嘩になっていく。・「希望? そんなこともありましたっけね」と赤信号を突っ切りうなぎ屋に入り看板を倒してフラフラと去っていく民夫、これは昔の寅だ。・秋田へ行くあたりから調子が落ちる。リフトが行って帰ってくるのなどもう少し撮りようがなかったか。樋口可南子って笑顔が哀しい女優ベスト3に入ると思うんだけど(あと風吹ジュンとか)、あんまりそれが生かされなかった。
[映画館(邦画)] 7点(2011-08-18 10:39:11)(良:1票)
703.  錨を上げて
ケリーの調子のよさ・プレイボーイ風とシナトラの弱気との対比。そしてアメリカ映画は、調子のよさのほうを最終的には肯定していく。くよくよするシナトラはあくまで脇。全体を覆うのはなぜかラテンの雰囲気で、「ジェラシー」あたりから入り込んできたのか。とにかくラテンは調子がいいから。話的にはもつれる四人の心の動きが見どころになってる。ミュージカルとしては、姫と山賊のナンバー。俯瞰で窓辺から見下ろす姫の視線で始まって、ラテン風の踊りがあり大袈裟に跳んだり滑り降りたりして現実の二人の抱擁に至る、っての。去ったあとの赤い床に赤い花。この時代のギトギトしたカラーがなぜかいいんだ。真赤な唇に真っ白な歯。そして真赤な花。あくまで人工の色彩で、世界全体のリアリズム離れをうまく誘ってくれてる。普段のようだが普段じゃない世界。おっと忘れてならないのは、やや強引な挿話で、「トムとジェリー」のジェリーとタップダンスするとこ。手をつないでいるところでは、ちょっとジェリーの腕が伸びすぎちゃってた。二人並んで踊るってのが基本なんだろうな。重なるとき美しいから。
[映画館(字幕)] 7点(2011-08-17 10:08:18)
704.  魔人ドラキュラ
恐れる村人たち、迷信を笑う若者、霧が流れて古城へ向かう道、と何度も見てきたような筋運び。でもこれがドラキュラとしては一番最初なんだろ。伯爵家のセットがなかなかよい。高い天井、右からさす月光、走り回る怪しのネズミ。蜘蛛の巣を通り抜けてしまう伯爵。このゆっくりとしたしゃべりと歩きは何なんだろう。もうほとんど能の世界。死ぬことを許されぬ者は、世の東西に関わらずこうなるのか。「ゆっくり」のモチーフは手の動きも支配する。常に最初に出てくるのは手なの。棺から出てくるのもまず手から(フランケンシュタインの怪物で最初にピクピクし出すのも右手だった)。手は「つかむ」に通じ、ゆっくり追い詰めていく手、って感じが怖いんだろう。おそらく人体の中では最も速く動かせるものが手で、それが相手に気づかれぬようにゆっくりつかむ準備をしている、って怖さか。もう確実に確保し終えてしまっていて、あとはゆっくり賞味するだけだ、という感じもあるな。それと怪人ものでは、特色ある弱点がいい。魔除けの草、十字架、昼の光、等々。弱点ではないが、鏡に映らない、ってのも大事だね。
[映画館(字幕)] 7点(2011-08-16 10:08:37)
705.  まあだだよ
黒澤が最後にまた師弟関係を描いた。そしてそれは成功したのかというと、その判断は下しづらい。私はいままで黒澤映画を観てきて驚くほど世代の違いを感じなかった。優れた古典が同時代性を持つ証明として観ていられた。それが今回初めて、明治生まれの人の映画を感じたのだ。正直に言うと、ここで描かれる師弟関係があんまり麗しく感じられないのだ。先生が何か言うごとに「こりゃまいったなあ」とか「先生にはかなわないや」などと言うのが、お世辞や追従笑いにしか見えない。『椿三十郎』の三船敏郎と金魚の糞たちに一番近く見えてしまう。でも監督はそれを麗しいと示している。こちらは微笑ましさを強制されているようでたまらなかったし、摩阿陀会のはしゃぎぶりはほとんど恐怖であった。肯定とか否定とか言う以前の「わからない」というのが正直な私の反応である。純粋な先生を保護したくなる気持ちがポイントのようなのだけど、小さな集団の中に閉じてただ先生が上機嫌であるように動き回る人々、先生をお神輿のように担ぎ上げるのが敬愛ってもんじゃない、と思った。といってきっぱり否定も出来ないのだ。何かそれなりの倫理がありそうなのだが、実感として納得できない中途半端な気持ち。これは映画の出来不出来と言うことではなく、世代のギャップなのかもしれない。監督自身はこれに似た師を持つことが出来たのだろう。その麗しい関係をフィルムに残したかったのに違いない。しかしそれを麗しいと感じられる文化そのものが変質してしまった。監督がこういう師弟関係を麗しいと思っているその熱気だけは伝わってくるのだけれど、それは空回りを続け、ただ明治に生まれた人の遥けさだけが心に残ってくるのだ。黒澤は終戦直後の時代をリアルタイムで記録していってくれた。この時代を過去として描いたのは本作だけである。先生と弟子たちが野良猫を探し回っていたころ、町の反対側では志村喬と三船敏郎が、刑事の先輩後輩として野良犬を探し回っていた。時代の理想を探し回っていた。そして今その時代へ向けて逆の方向から、監督は明治の理想を振り返りに戻ってきた。そう思うと、この和気あいあいとした作品に、明治の人の伝達不可能になってしまった社会への幻滅が感じられなくもない。なぜか複数の鬼に対して一人でかくれんぼをしている少年の心象風景、友だちに発見される期待から目をそらし、夢の夕焼けに溶け込んでいく孤独な少年…。
[映画館(邦画)] 7点(2011-08-15 10:00:00)
706.  一年の九日
『野獣たちのバラード』の監督。原子物理学者が放射線に汚染されつつ戦う姿に感動せよ、というのがおそらく当時のソ連の公式の見方。それを越えた味わいとして、興奮の瞬間とそのあとの倦怠、ってのがある。実験の高揚、秒読みとオシログラフ、しかしそれも繰り返されていくうちに、日常の背景音になってしまう。ラジオを聞きつつ、タバコをくゆらしつつ。結婚もそう。放射線を浴びてることを知って、ある種の献身的高揚から結婚するリョーリャ。その高揚も、しだいに日常の中に溶けていってしまう。どんな興奮も倦怠に移ろっていってしまう。あっさりとしたセットの空白が印象的。研究所と対比されるのが、いかにもロシア的な田舎で雲がすごい。ラスト近く、病みながら研究所へ歩き出すシーン、ここにあるのは倦怠の対極の充実。驚いて立ち止まる仲間たちを、後退移動で眺めつつカメラは上昇していく。科学における悲観論と楽観論の戦い、と見るか。あるいは大衆論もあるか(「馬鹿は間違わない」でしたっけ?)。とにかくソ連の映画は言いたいことを率直に言えない環境で作られてるから、味わいも複雑になる。これを観たときは「チェルノブイリを知ってから見ると複雑」とノートしているが、フクシマを知った今、見直してみたい。
[映画館(字幕)] 7点(2011-08-12 09:51:06)(良:1票)
707.  安城家の舞踏会 《ネタバレ》 
『暖流』のころからモダンな監督だったが、これはもう思いっきりバタ臭く作っている。原節子の背中からスタートして、タバコのわっかの煙から森雅之に移ったり、女中がズンとピアノの上に座り込むショックなんかも効いている。ラストのピストルが滑ってってビール瓶に当たるとこなんかも。きっと「やりすぎ」なんだろうが、その「やりすぎ」に、これからは日本映画はこういうタッチになっていくんだ、というような気負いが感じられ、それなりに時代の気分の記録として味わえる(ドラマとしては型通りで、その時代の中に今いるという切実感がもひとつ感じられなかった)。それぞれの思惑が進行していって、結果すべての人のもとに明るい朝日が差し込むの。神田隆だったか「あっしは働いて働いてかせいだんでがすよ」と言うあたりは、そうだねえ、と思った。
[映画館(邦画)] 7点(2011-08-04 12:15:48)
708.  キートン西部成金 《ネタバレ》 
キートンはアメリカにおけるヒーロー像をひとつひとつ自分流にパロディにしていったってところがあるが、これではカウボーイ。牛を移動させるのがカウボーイの仕事、キートンは真赤な悪魔の格好をして牛の大群に追われつつ走る(もちろん画面は白黒だが)。笑った笑った。まずあの単純さがいい。牛を早く進めるためには赤いものを動かせば良い、という知識から、直線的に悪魔の衣装に飛躍してしまえる身軽さ。単純さを望んだがためにかえってヤヤコシイ目に遭ってしまうパターン。それは一途さと言ってもいいわけで、牛のブラウン・アイへの純愛も最後まで貫かれる。一途ってことは人の迷惑を気にしないことでもあり、町中を牛の大群を連れて歩くことに関する社会的配慮を、いっさい無視できる感覚でもある。それでいて特定の女性の視線は気にしてしまうんだけど。つまり特定のものだけが見えて社会全般が見えなくなってしまうのか。だから「世間知らず」ってことにも通じて、牛の乳しぼりで缶を置いたまま向き合って座ってたりするわけだ。変に執着するってのもあるな。いつも食事に遅れていた彼が、真っ先に駆けつける執念。いろんな要素があって、しかしそれらが総合されるとキートン的としか言えない存在にちゃんとなってるんだ。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-28 09:56:32)
709.  マルメロの陽光
道の向こうから画家がやってくる。カンバス作り。マルメロと向かい合ったセッティング。対象にマス目を作っていく。基準。足の位置も決める。不確かに流れゆく世間のなかにあって、ここだけピチッと決まっている関係。糸を垂らすのが『エル・スール』を思い出させるが、この下向きのオモリは、ゆっくりとした重力・時間を暗示していたようで、やがてマルメロの実がゆっくりと沈下していくことにつながっていく。ピチッと決まったまま止まってくれず、時間の中で絶えず更新していかねばならないもの。けっきょく木をピチッとした画に移し替えるのは無理で、たわみにつれて永遠に描き直さねばならない。一緒に生きていくってのはそういうこと。最初は目に見えなかった時間も秋の深まりとともに立ち現われ、画家はついに追いつけない。時間の勝利。マルメロを輝かせていた光、光はすべてを鉱物と灰に変えていく、って。理想的な絵画とは、時間の変化を織り込んだ積分値として存在するのか。なんか中国の古典の寓話にでもありそうな話を映像化したような作品で、私にはちょっと高尚すぎた。後半画質が急に悪くなるのも、この監督の場合つらい。それとも単純に少女が出てこなかったのが物足りなかったのか。これ観てからかつての二本の少女映画を思い返すと、やがてオバサンになって腐敗していくものとして少女を見てたのかなあ、この監督。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-27 12:18:09)
710.  お引越し
この監督は水が好きで、今回も不意の夕立やら疎水やら出てくるんだけど、それよりも火が圧倒的だった。引越しのゴミ燃し(放火のニュース)、アルコールランプ、大文字焼き、祭り、舟の炎上。少女の成長って民俗学的にもよく火と関わってる(『ミツバチのささやき』でも跳んでた)。それを背景にして、レンコが「おめでとうございます」と叫んだときには感動した。成長することを自分で祝福し、毅然とまなじりを決して受け入れていく。崩れて行く家族にすがろうとする自分を「おめでとう」と叫んで奮い立たせていく。おめでとうとは、ただお赤飯を前にしてるってだけでなく、厳しい言葉なんだね。前半は「けなげ」のパターンに収まってしまうんじゃないかと思ってたが、あの「おめでとう」でそこから一歩進めた。風呂場に立てこもるときの廊下の緊張、そうか立て籠もる話が好きなんだな。鋭く尖った三角形のテーブル。レンコはよく走った。
[映画館(邦画)] 7点(2011-07-22 10:13:25)
711.  僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ 《ネタバレ》 
面白いのは主人公が誰からも愛されてしまうこと、何となく助けてしまいたくなる。彼自身が必死に新しい環境に適合しようと努力しなくても、周囲が歓迎してくれちゃう。ドイツからロシアに投降しようとして、逆に英雄になるあたり笑える。投降ってのは本来、味方から敵への質的変化を伴った移動のはずなのに、彼にとっては等価のAからBへの衣装替えにしか過ぎなかったわけだ。「演じる」以前に、国家なんてものも仮に所属しているだけって感覚だったんだろう、ユダヤ人にとっては。これで民族からも自由になれればいいのだけど、ああそうか、割礼ってのは民族を拘束する儀式なんだな。20世紀の二大独裁者の間でピンポンされた青年。どうしようもないピンチになると、悪の根源であったはずの戦争の破壊によって(散乱する書類)救われる皮肉。医学的にユダヤ人とドイツ人の違いを教える授業が怖い、と思いつつ、本当に困ったことなんだが、ナチのマークの存在する画面って、なにか身が引き締まる清潔感を感じてしまうんだな。ユダヤという「病気」を外部に捏造した社会の、幻の清潔感なのは重々分かっていても。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-19 10:07:56)
712.  ロープ 《ネタバレ》 
むかしスクリーンで観たときは気がつかなかったが、カット割りあるのね。気がついたのは3ヶ所、もっとあったかもしれない。鶏を絞める話題でフィリップが神経質になったところで教授の疑惑顔に移るとこ、犯人らが言い合ってる背後に教授が来たところで部屋に入ってきた家政婦に移るとこ(このあと家政婦が部屋の片づけを始めるのがヒッチらしい名シーン)、カメラが無人の家具を順に眺めながら犯行の再現をし(これは舞台劇では表現できまい)ブランドンがポケットに手を忍ばせたところで教授に移るとこ。この3ヶ所ではっきりカットを替えていた。どこも緊張の場でその効果は生きてるが、どうしてもカット内でつなげられないというとこでもなく、パンやズームアップ使えば似た効果は出せそうだ。でもそれだと品はなくなるな。映画をワンカットに収めるという趣向より、どうしてもカットを割りたいところでは割る、という判断を優先したのか(単に何度撮り直してもトチる俳優がいたってだけだったりして)、気になるところ。それよりも以前には気がつかなかったことのほうに驚いた。人間、朝起きてから寝るまで毎日ワンカットで世界を見ているわけだが、もしその最中にカット割りがあったら相当びっくりするだろう。でも映像世界では「ワンカット映画」と思い込んで観てたら、けっこう気づかない。今回だってアレッと思ったあと何度か繰り返してみて(上映中の時間を左右するのは映画の神を冒涜する気がするもんだがあえて)、やっと速いパンではないと得心できた。映画って普通の視界とは全然心理的に違う心構えで観てるんだなあ、と思った。その趣向を離れたところでは、ラスト、外の正常な世界の音が流れ込んでくる効果がいい。それは犯人が軽蔑してやまなかった世界だが、それが彼らを裁きにこれからやってくるのだ。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-07-17 12:13:44)
713.  巴里の女性 《ネタバレ》 
うまくいかない世の中、みなで傷つけ合ってそれで寂しがってる。マンジュー君も寂しい。ヒロインも、友人に婚約発表の雑誌見せられてフフンと強がってみせたりして、哀しい。また父の反対・母の反対が悲劇を進行させていく要因になっている。でラストで寛容を説くわけなんだけど、この時代の潮流なのか、このころの映画は何でもかんでも寛容を説きたがってる。革命やら世界大戦やらの動乱の反動で理想主義の時代だった、ってことだけかもしれないけど、映画というもののそもそもの寛容性・何でも取り込んでしまうフトコロの広さにこじつけてしまいたい気持ちもちょっとある。青年が着飾ったヒロインの絵を描くんだけど、カンヴァスには昔の質素な彼女が描かれていく、なんてとこが憎い。こんな生活いや、と言いながら窓から投げた首飾りを拾いにいくなんてシーンの残酷さ(犬がついて走ってる)などドキッとさせられる。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-16 12:25:11)(良:1票)
714.  キートンのラスト・ラウンド
世間知らずのいいとこのボンボンが、恋のためにその安逸の世界から思わぬ状況に挑まねばならなくなる、ってパターンがキートンでは多いんだけど、そのときの当惑して心細そうに直立してる姿を見るだけで、もう嬉しくなっちゃう。まずお坊ちゃんぶりの山の生活で笑わせるが、ヒロインが登場し二人でテーブルで肘を突いて話しこんでいると、次第にテーブルがめり込んでいって、普通のピクニックのような自然な腹這い状態になる。ヒロインが現われることによって生活が変わっていくであろう予感。嘘からトレーニングをしなければならなくなる。何しろ拳闘選手。練習のシーンだったか、スカンスカンと空振りしながら相手と組んでいるときの動きなんか最高だった。手の動きと目線とが食い違ってて、もちろん相手とも合っていない、悲劇的で滑稽なダンス。で、最後はコケにされていたことが分かると憤然と名誉のために頑張ってしまえるパターンで、他の傑作群と比べると後半がちょっと弱かったけど、でもいいんです、あのお顔とお姿を見られればそれでもう。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-14 09:57:19)
715.  シシリーの黒い霧
前半はほとんど顔のない映画で、後半に至ってやっとピショッタが「登場人物」らしく登場する。ピショッタのほうがジュリアーノより印象深い。C級戦犯的悲劇というか。といってもそう善と悪が明確なわけではなく、ジュリアーノにしたって、最初はレジスタンスのようなスタートだったわけでしょ。村人の支持もあったわけ。村に軍隊が入ってくるシーンの緊張がすごい。街に太鼓が轟いて、人が水汲みに出てきて、銃声が聞こえてくるまでのワンカット。人が引っ立てられていって、街角を曲がるとずらっと兵士が向こうの果てまで並んでいる。あきらかに最初は「人民」の支持があったのに、メーデー虐殺事件などから怪しくなってくる。あのシーンの終わりのパンがすごい。死体や馬の影が長く伸びて。とにかくこの映画、影と言うか、黒の印象が強い。細くあけた窓のほかを全部黒が埋めてる感じ。ドアの隙間とか。正義の背後にある黒。信頼の背後にある裏切り。銃のすぐ脇から遠くを走るジープを捉えるなど、ドキュメンタリータッチのカメラが生きてる。
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-07 09:55:03)
716.  天空の草原のナンサ
どうやら本物の遊牧民の一家を使って、ネオレアレズモのように撮影したよう。子どもたちだけのシーンなど記録映画風でそれは分かるんだけど、ちゃんとストーリー展開にも子どもは関与していて、そこらへんの自然さに驚かされた。本物のお父さんやお母さんと一緒だから緊張しないでいられるんだろうけど、いわゆる子役の臭みはまったくなく、記録のようでいていつのまにか民話風世界に滑り込んでいる。映画における理想的な演技がここにはある。羊の糞を背中の籠に「入れられない」演技などは、指導したのかたまたまなのか。風景が美しく、いわゆる「映像詩」ものになってしまいそうなところを、彼らの生活の描写が太い芯になっていて手応えを作っている。チーズを作りながら「反らした掌の指の付け根のところは噛めないでしょ」と諭すシーンやゲル解体シーンなどいい(観ながら真似をして噛もうと試みたが張った皮膚の上を歯が滑って出来ない)。犬が物語に絡んできて、それは捨てられた牧羊犬らしい。牧畜業の衰退が低音でずっと響いており、その犬を番犬とする定住生活も出来ないところに、時代のきしみが聞こえてくる。選挙公報の車は、遊牧民に定住を促す声でもあろう。そして全体が、時代のきしみ音を立てながら、老婆の語る「犬の恩返しもの」の民話の世界に溶け込んでいくような作りになっていて、きれいにまとまった。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-07-05 09:21:10)(良:1票)
717.  それから(1985)
タイトルのときの三千代の写真がボーッと浮き出してくるタッチなんかいい。電球の光りだすとことか。後半ちょっとダレる。あと20分くらい削れなかったか。これ主役の演技の質とも関係があるかもしれない。二人ともネットリしたものを滲み出すタイプじゃないから、どうも長回ししていると乾いてきちゃうとこがあって。あと微妙な目線のずれがしばしばあって、草笛光子と代助のシーンとか、回想シーンの仲間たちとか、人物が正対してない感じ。お見合いのシーンでも一列ずつ写したりする。主人公が人と人とが向き合う生々しさを嫌ってる、ってことから来てる演出なのだろうか。心象の市電では夕焼けから夜になるやつが良かった。あの終わり方だと、これから「生活」が始まるんだ、という原作の焦燥感はないね。橋のあるセットは東映映画的で懐かしい。外の音などにもいろいろ気を使っていた。ふんだんに金を掛けられない日本映画では、いろんな工夫によって時代色を作らなくちゃならなく、本作は健闘していた。
[映画館(邦画)] 7点(2011-07-04 09:41:58)
718.  キートンの空中結婚
突然化け物屋敷で始まり、スーッと滑り台で外の道へ出てくる。悪夢と日常が「滑るように」つながっている。で次のデブのオバサンが出てきたとこで潰されたりもする。美女につられてボートの洞窟めぐり、ヒジテツ食ってぼろぼろ。次にまったく脈絡なく気球に引っかかったまま飛んでいくことになり、自分の撃った猟銃で墜落。で川になるのか。ここで先の女性といろいろあるわけ。つまりね、どんどん話の設定は脈絡なく展開していくんだけど、なにか持続するものもあるの。女性とか、猟銃とか、あと気球も最後に出てくるし、デタラメなりのルールが敷かれていて、統一感を維持していく。大袈裟な類推をすると、現代芸術の苦労ってのが感じられるのよね。たとえば20世紀の無調音楽も、デタラメやってるようでいて、なんか終わりでは終わったなって感じを出せるようになっている。磯崎憲一郎の小説も、どこに連れられていくのかと心配になるが、終わりでは終わったな、って思える。固定された形式を壊した後の芸術の展開の方式ってのは、それぞれが独自に案出しなければならなく、生まれたばかりのコメディ映画も、それなりの話法を生み出す試行錯誤があったのだろう。…なんてことを思うのは、まあ後の人間で、穴のあいた魚籠に永遠に魚を入れ続けている間に、せき止めた川の水位がどんどん上がっていったら面白いだろうなあ、といった喜劇人の本能的なカンをつないでいっただけなんだろうけど。
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2011-07-03 12:12:28)
719.  おとうと(1960) 《ネタバレ》 
崑てモダンなんだけど、日本の家の暗さを描くと一流なんだ。日本の家屋の古さにモダンを見ている。描かれていることは陰湿と言ってもいいのに、観ている印象から言うと、湿り気が感じられない。田中絹代の母が、一家のあまりの「背教的態度」に、ああーと絶望の声を上げるとこなんか、陰湿さであるはずのものが客観的な笑いを生んでいる。この距離感が、崑のモダンたるところ。暗い話を、監督は一緒に閉じ籠もって暗く見てはいなく、外から見ている。田中・岸田がひっそりと話し合ってるあたりに漂うユーモア。弟の内面をほのめかすシーン、死なせた馬が可哀想と繰り返したり、アイスクリームで人に伝染させちゃいけないと言う場面などでは、常に姉を立ちあわせている。姉の目を通した弟にしている。そんなに悪い子じゃないのよ、って。姉にだけにはそう見せたい弟の甘えでもあるのか。そういうとこに、この二人だけの親密さが漂う。あるいは鍋焼きうどんで姉を試そうとするあたりも。外の人間に向かわない自分たち姉弟だけで閉じている親密さを、これじゃつまんないな、と弟が病床で述懐するところが切ない(これがけっきょく彼の最期の言葉になったのか)。日本映画では、ラストをピタッと決めるのがうまく出来ないのが多いんだけど、崑はうまいね。パッと断ち切る鮮やかさ。俳優では暗い田中絹代が素晴らしく、彼女の長い俳優歴のなかでも異色の代表作と言っていいだろう。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-06-30 12:15:48)
720.  トイズ
アメリカ映画が子どもっぽくなってきたのはこれ以前からだったが、その柔らかさや無垢さをどんどん追っていった果てに、とうとうこういうヒヨワな場所にたどり着いてしまった、という意味で興味深かった作品。子どもが半面持っている生々しいものは消されて、映画そのものがテレビゲームの中に入ってしまったような感じ。地に足が着いていない、と言っても仕方なく、その「地」が現在はなくなってしまっている、という前提で語られている映画だ。現実感を一瞬たりとも感じさせないようになっていて、童夢が覚めるのを恐れているかのような、アワアワとした光景で世間を隔離していく。ここではゲロでさえ清潔。一級の美術で「手応えのなさ」を懸命に作り上げたフィルムで、好きな映画ではないがその異様な懸命さが記憶に残り続けている。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-29 12:34:02)
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