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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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721.  戦場にかける橋
映画の冒頭、カメラが捉えるのは線路脇に建てられた小さな十字架群。 日本映画『ビルマの竪琴』が日本人犠牲者のみを弔うように、英米映画『戦場にかける橋』が悼むのは、当然ながら欧米人犠牲者のみである。 元来がこの泰緬鉄道自体英国の計画なのだから、日本も英国も同じ穴のムジナでしかないのだが。 この悪名高い突貫工事に従事させられ最も犠牲となったのは、日本軍・連合軍捕虜以上にタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアの膨大な労働者達だが、「自惚れ鏡」たるフィクション映画にそれを描く義務など当然ないし、それを描写しないから駄目な映画であるとも限らない。 が、観る側が戦争の具体的イメージを欠落させている限りフィクション映画は一面で有効な「汚点隠し」あるいは「責任回避」としても機能してしまうのも確かだろう。 日本国側にとっては「理性的」戦争犯罪行為を、英国側にとっては元来の「理性的」植民地政策を。映画は案の定、口当たりの良い「madness」へと一般化し、その免罪符と共にラストの俯瞰の視点へと逃げ込む。 この映画が小状況としての日英の友好を描こうとしたとしても、両軍が橋の建造を「協働」する具体的な画面はほぼ絶無といって良い。あるのは協力しあったという意味・記号だけだ。それは映画ではない。 ウィリアム・ホールデンらに随行するのが現地の娘たちであることには故がある。 現地男性の不在。その見えない部分にこそ、この映画の題材の本質的問題性がある。 だからこそ、「不可視」の戦争論は、映画論とは区別しなければならない。  強いてこの映画で「戦争の虚しさ」なるものを突きつけるシーンを挙げるなら、爆破工作員らがあっけなく射殺されるのを、彼らに好意を抱いていた現地女性たちが目撃する2つのカットである。  
[DVD(字幕)] 5点(2011-04-30 19:23:57)
722.  RED/レッド(2010)
質素な居住空間の中、6時起床、7時朝食、12時昼食の定時行動を示すショットを反復した上で、翌日早朝の異変を旋回のショットと時計のショットとで仄めかす。 ここで示されるブルース・ウィリスの鋭敏な時間感覚の設定は、カール・アーバンとの電話の逆探知シーンやCIA本部の脱出シーンでの伏線ともなる。  フライパンで炒られ暴発寸前の銃弾や、蜂の巣となる家屋から悠然と歩み出てくる主人公の図が、波乱の幕開けの演出として効果的だ。  ハイテク対ローテク、理論対経験則、理性対直感といった頭脳戦の要素は薄く、CIA本部の包囲網脱出のアイデアなどを始め、『レオン』や『ミッション・インポッシブル』の二番煎じで意外性がなく物足りないが、強引な力技も悪くはない。  特に3人のREDがそれぞれ見得を切る射撃シーンの貫禄がいい。 旋回する車を降り立ち、躊躇無くカール・アーバンの車に弾丸を撃ち込んでいくブルース・ウィリス。 炎上する貨物を背景に仁王立ちで暗殺者と対峙するジョン・マルコビッチ。 そして、白いドレスを纏い瞬きひとつせずにマシンガンを撃ち込むヘレン・ミレン。 銃撃の反動にも姿勢を崩すことない、その立ち姿が凛々しい。  廃車にカモフラージュした隠れ家といったアイデアなども奇抜で楽しい。  
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-30 16:01:42)
723.  塔の上のラプンツェル 《ネタバレ》 
ラプンツェルが危機一髪で崖からジャンプする瞬間と、刑場に引かれていくユージーンのショット。映画の中で二箇所限定で用いられたスローモーションの沸き立つような高揚感。 あるいは的確なクロースアップ、POV、移動ショット、ジャンプカットと、洗練された映画的ショットと編集の宝庫ともいえる。落下運動の向地性と無限上昇運動としての浮遊を対比的に活かしたアクションの緩急と、光の見事さ。 ティアラの輝きと透明感の表現力は、ディズニーの伝統を着実に受け継いでいる。 画面の充実は、エンドクレジットに記されたレイアウトやライティング担当スタッフの豊かさにも明らかだ。  語りを含めた完成度の高さを十分認めた上であえて欲をいうなら、離れ離れとなった二人が塔の上で再会するクライマックスにかけてはそれに相応しいもう一段の困難と試練が欲しい。  落下と振り子運動をダイナミックに駆使した、中盤までの縦横無尽のアクションシーンがあまりに素晴らしいだけに、二人が互いを求め合うクライマックスでは塔の高低と構造を活かしたよりドラマティックなアクションが間違いなく出来たはず。 『カリオストロの城』の時計塔や、『長靴をはいた猫』の魔王城のような。 
[映画館(吹替)] 8点(2011-04-26 22:32:02)
724.  ザ・ファイター
マーク・ウォルバーグがみせる、ブランク時とリングシーンの体格調整アプローチは『レイジング・ブル』のデ・ニーロを意識したか。  クリスチャン・ベールの演技も、擬斗シーンの打撃の効果音も過剰気味で今ひとつ面白くないが、母親(メリッサ・レオ)が父親(ジャック・マクギー)に投げつけるフライパンや、左拳を折る警棒のほうは痛々しくていい。  役者に対して主舞台となるホームタウンの印象も薄いが、それぞれ二階建ての家の造りなどは独特で面白い。この映画では玄関先がドラマの場だ。  マーク・ウォルバーグが再起を決意し歩き出す朝の玄関先、クリスチャン・ベールがエイミー・アダムスらを背に歩み去る玄関先の道。その無言のシーンが、饒舌な映画の中では活きている。  ミット打ちのリズミカルなコンビネーション、パンチングバッグの連打音、そして玄関先での呼び鈴の応酬なども、挿入曲と併せて音楽的でいいけれど。
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-23 23:57:45)
725.  ブンミおじさんの森
大雑把に三部に分けられる構成には侯孝賢の『百年恋歌』のような趣がある。  熱帯林の緑の濃淡と、湿潤の感覚。裸電球の下で食卓を囲むショットとフレームへの人の出入り。エピローグのPOPミュージックなど等、、。  小さな滝と水流の幽玄性、中国茶の入ったガラスコップに木漏れ日を美しく反射させる採光などは実に繊細だ。寝室の蚊帳は幾度も画面に淡く美しい紗をかける。 水と小魚の鍾乳洞のイメージなどは母胎のメタファーそのままだが、まずもって具体の画面として吸引力がある。  冒頭から豊かに響く生命の気配の濃密さ。静かな地鳴りのような音響へと変わり、それが途切れた瞬間に引き立つ静寂、その音響が緊張を孕みながらも心地よい。 あるいは足を患うジェンの不自由な足取り、水牛、犬、精霊の佇まいもまた静かな緊張感を終始漲らせる。  赤い目を光らせる「猿の精霊」の造型はどこか宮崎駿の描く神人の影響などもおぼろげに感じさせる。 暗い洞穴の中で輝く、星のような鉱石の光。その美しいイメージはまさに『天空の城ラピュタ』の一場面の優れた実写化だ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-18 23:01:37)
726.  ジャン・ルノワールの小劇場<TVM>
フル・セットの河岸の美術と照明が素晴らしい第一話「最後のクリスマス・イヴ」。 富者と貧者の残酷な対置があり、第四話の開放的なロケーションと対照する。  第二話「電気床磨き機」は悲劇と喜劇の融合の究極をいく。きれいに磨かれた床に滑って唐突に死んでしまう夫。生者と死者の語らいが対となり、寒色系を配された人工的な都会の姿もまた、第四話とコントラストになる。  ドレスを着たジャンヌ・モローがシャンソンを歌う第三話「愛が死に絶えるとき」。 ジャンヌ・モローの全身ショットから、顔へのクロース・アップへと移行し、またフル・ショットへと引いていく。 彼女の歌唱を一挙に捉える最もシンプルで最良のワンシーン=ワンカット。  そして、第一・第二話の「死」と対比される第四話「イヴトーの王様」には明るい自然光が溢れ、エロスというルノワール的な主題も浮かび上がらせながら「生」が賛歌される。 ルノワールの父オーギュストも愛した南仏ののどかな田園風景は『ピクニック』(1936)、『草の上の昼食』(1959)以来かわらぬ光と風と色彩でフェルナン・サルドゥーの絶望のみならず視聴者をも癒してくれる。  そして映画は、登場人物すべてが笑い出し、キャメラに向かって整列してお辞儀する、最も幸福で至高の大団円を迎える。  ルノワールが最後の作品で説いたのは、『トレランス』(寛容)だった。  
[DVD(字幕)] 10点(2011-04-16 22:48:45)
727.  ヒア アフター
兄を失った少年が里子に出されるシーン。屋外から遠く雷鳴が聞こえてくる。続く逆光の窓には雨が降り始める気配がする。里親に預けられる事となった少年が外に出ると、雨上がりの濡れた路上に陽光が反射している。  何気ない地味なシーンが、降雨と雨上がりの光の丁寧な描写によって何故か忘れ難い。  他には、階上の部屋から窓外の暗い街路を見下ろすマット・デイモンのショット。彼の乗った旅客機がロンドンに向けて離陸していく夕景のショット。階段に座り込むブライス・ダラス・ハワードのショット等など。  物語上の軽重にも画面の濃淡にもかかわり無く、幾多のショットが深い叙情を湛えて脳裏から離れない。  それは主として対象への光の当て方に表れる作り手の思い入れの強度からだろうか。  マット・デイモンやマクラレン兄弟がベッドに横臥するモチーフ的なシーンで、彼らの頬を照らすベッドサイドのシェードランプの薄灯り。少年の頬を伝う涙を小さく美しく輝かせる癒しの光などは繊細の極みだ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-04-10 22:21:43)
728.  原子力戦争 Lost Love 《ネタバレ》 
舞台は、当時から放射能漏れの疑惑を持たれていた福島第一、第二原発。  田原総一朗の原作とATGならではの強みによって、ジャーナリズム問題も絡めながら、電力会社の隠蔽主義を告発する。  ドキュメンタリー出身の故・黒木和雄は初期に『海壁』という東京電力のPR映画を撮ったのち、その贖罪のように本作を撮っている。  電力会社の監視と立ち入り拒否を受けながら撮られたという画面は、映画内容とシンクロしつつ、その画面的制約と不自由ぶりが静かな緊張感を漲らせている。 日中に望遠で撮られた発電所の表層的なまぶしい白と、闇討ちが繰り返される夜間シーンの不気味な黒い画調の対比が特徴的だ。  松林の中を逃げる原田芳雄をカメラが追う中、林の中から幽鬼のように群集が湧き出てくる。そのカメラワークはまるでベルトリッチの『暗殺の森』のようだ。  青く美しい浜辺に打ち上げられ、波を受けながら沈黙する原田芳雄の屍。 その図は三十三年後にして痛烈な象徴性を帯びる。
[ビデオ(邦画)] 7点(2011-04-09 23:57:52)
729.  そして人生はつづく
3部作の第2部にあたる。大地震に見舞われた村(前作の舞台)をキアロスタミ監督が再訪する設定の中でフィクションとノン・フィクションが絶妙にせめぎ会うロードムービーの傑作。  大渋滞する幹線道路を父子の自動車が行く。車窓を流れていくのは半壊した家々、落石に押しつぶされた車、家財を背負い側道を歩く避難民。救急車両のサイレンやヘリのローター音の喧騒が生々しい。  同時にその被災の光景は引いたキャメラで捉えられるとき、混乱と悲惨だけでない大らかさと悠久の詩情をもまとう。同じく喧騒の音は、活気ある復興の槌音でもある。  村へ向かう車中、捕まえたバッタを逃がすよう父に叱られる息子が浮かべる何ともいえない表情や、優しい木漏れ日が揺れるオリーブ林の中であやされる赤子の無垢な顔、避難キャンプの水場で洗い物をする少女たちの可憐な佇まい、サッカーワールドカップ中継を受像するためのアンテナを懸命に立てている青年の笑顔、便器を持ち運ぶ老人の饒舌。 いずれもただ素晴らしく、失意と悲嘆を越えた生気と強かさに自ずと惹きつけられてしまう。  そしてラストの超ロングショットは象徴性が勝ちすぎながらも、やはり目を瞠る。  丘の上を目指し、遅々としながらも急坂を懸命に登っていく小型自動車の動きはキャメラからの距離に比例して人物との同化の度を増し、エモーションをかきたてずに置かない。  
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-04-07 21:11:06)
730.  サーカス五人組
PCLに移籍してのトーキー第三作。成瀬作品には風物詩的に度々登場するチンドン屋(ジンタ)五人組が主役となる。  序盤中盤の楽隊行列やクライマックスのサーカス興業と、演奏も盛り沢山。 加えてアブラゼミ・ヒグラシ・鈴虫の音色など、夏の風情を醸す音も豊かに取り入れられていて、ロケーションの魅力と共に味わい深い。  そして素晴らしいのは、堤真佐子と梅園龍子が語り合う岸辺のシークエンス、同じく堤真佐子と大川平八郎が語りあう海辺のシーン。  それぞれ僅か数分にすぎない一対一の対話シーンなのだが、振り向く・腰を下ろす・横に並ぶ・顔を逸らすといった繊細なアクションが多彩な角度と位置から組み立てられ、的確かつ入念なカッティングで連繋されている。  梅園龍子が水辺に静かに腰を下ろす所作の美しさ。寄り添う姉妹の画面手前で静かに揺れている青草の情感。いずれも絶品のショットだ。  ラストの海岸沿いの一本道。見送り、見送られる二人の切ない切返しも陽光の明るさが二人を救っている。 
[CS・衛星(邦画)] 8点(2011-04-03 19:02:47)
731.  台北の朝、僕は恋をする 《ネタバレ》 
夜の車道を縦移動で捉えるドライヴ感や、鮮やかな色彩感覚、椅子に拉致された男女のシチュエーションなどは、師の『カップルズ』へのオマージュといったところか。  ネオンを反射する濡れた街路の艶。夜市の賑わいや、地下鉄駅構内での追っかけのゲリラ撮影的な臨場感覚がいい。  カイ(ジャック・ヤオ)のトラブルに巻き込まれながら、次第に彼をリードしていくスージー(アンバー・クォ)。互いに淡い恋情を意識し始めながら、それを決して表出させないナイーヴな男女像を演じる二者が共に瑞々しい。  追われる側から、スクーターを駆って追う側へと転じるショット繋ぎの鮮やかさ。男を後部座席に乗せて運転する彼女がみせる凛々しい表情は本作の忘れ難いショットの一つだ。 彼を見送った後、一人朝方の部屋に戻り、逆光の窓辺でコップの水を飲む彼女の寂しげなシルエット。その引き気味の1ショットの情感もどことなくエドワード・ヤンの趣を淡く漂わす。  そしてエピローグの横移動がいい。自分を呼ぶ声に、流れる書架の合間から覗くアンバー・クォの固い横顔に次第に微笑が差していく。爽やかな再会のエンディングも『カップルズ』的だ。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-02 22:24:08)
732.  男はつらいよ 寅次郎紅の花 《ネタバレ》 
巻頭の劇中テレビ映像。よそ行きの作業ジャンパーで仰々しく避難所を慰問する当時の首相の「パフォーマンス」を邪魔するかのように、一張羅の寅が画面手前にCG合成される。 政治風刺を絡めたギャグとCG用法が共にさりげなく巧い。  渥美清の身体的ハンデも、津山の一方通行の路地や、奄美大島の海辺で吉岡・後藤が担う一進一退のアクション性が充分に補完している。  エピローグは、震災後の神戸市長田ロケ。墓に手向けられた小さな菊の鮮やかな黄。 寅が画面右手にフレームアウトした後も留まるカメラは、背景の赤錆びた瓦礫の間から真っ直ぐに茎を伸ばしている菜の花の黄を捉え続ける。 そして長田マダンでの民族舞踊の華やかな色彩の輪と活気。そこからカメラは引き、プレハブ住宅が立ち並ぶ再生と復興の長田地区俯瞰ショットが見事に映画を締めくくる。  被災者が求めるものは、同情でも応援でも祈りでもなく、「そばにいて一緒に泣いてくれる、そして時々面白いことを言って笑わせてくれる人」だと、現地から熱望されたという「車寅次郎」。 彼と被災地の再生への希求が込められた万感のラストショットだ。 
[映画館(邦画)] 8点(2011-03-26 18:16:26)
733.  なつかしの顔
ニュース映画に具体的に登場する中国戦線、空を渡る軍の複葉機、農地を横切り演習する兵士たちと銃撃音など、日中戦争の泥沼化の中で成瀬作品にも戦時色が濃厚に現れてきている。  それでも、玩具のヒコーキが舞う空のショットや山地を遠望するのどかな田園のロケーションが充実し、映画は瑞々しい。 農村の一本道、その脇に並ぶ木立の風情、縁側から土間まで仕切りのない居間のセットそれぞれが不思議に郷愁をそそる。  ニュース映画をめぐって花井蘭子と馬野都留子がそれぞれやさしい嘘をつく。そのため 彼女らは言葉少なく、ぎこちない。そんな嫁・姑・義弟三人の朴訥な会話がいじらしい。  花井蘭子が腰を落として小高たかしと向き合う。そこに挟まれる、流れる雲と小川のせせらぎのショット。その清らかな叙情がこころを打つ。 
[CS・衛星(邦画)] 8点(2011-03-10 23:02:48)
734.  ウォール・ストリート
バイクを運転しながら、ヘアカットしながら、トレーディング・フロアを速歩しながら。携帯電話を駆使しての、せわしない「ながら対話」の生み出すリズム感と運動感。  点描されるマンハッタン遠望は、株価チャートになぞらえた右肩下がりの凹凸運動に転化され、父娘と恋人の和解は階段の段差の中にバランスが見出されていく。  冒頭でビル街を一気に上昇していく圧巻のカメラは、ドラマの市況状況に連動して上昇と急落を繰り返し、ラストで新たなバブルの緩やかな浮上を仄めかす。  デスクに置かれたコンピュータのディスプレイ群、キャラクターの人間性を示唆する衣装デザインも、業界の虚栄を華麗に視覚化している。  監督本人、チャーリー・シーン、イーライ・ウォラックのふとした出演シーンの愛嬌が映画を大いに和ませてくれて楽しい。(携帯電話の着信音楽が憎い。) 
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-06 21:14:16)
735.  トスカーナの贋作
検閲の厳しいイランを離れ、イタリア・ルネサンスの地で表現される女性のエロティシズム。 それをジュリエット・ビノシュが艶めかしく体現する。  車のフロントガラスを流れていく街並みと空、そこに重なる車内の男女の像。ガラスや鏡を介した複写の主題も、レストランの窓ガラスや化粧室の鏡から、オートバイのミラーへの反射に到る細部まで手が込んでおり、迷宮感すら催す。  ウィリアム・シメルが登ってゆくホテルの階段の深い暗がりと、窓から差し込んでくる微かな陽光の推移など、光に対する感性あふれる画面にも魅了される。  画面奥の空間を示唆する多層的遠近感の演出も、ルネサンス絵画技法の映画版というべきか。  そして、雷鳴・風音・鳥の羽音・鐘の音色がもたらす豊かな空気の震えも聞き逃せない。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-03-05 21:51:41)
736.  半分の月がのぼる空 《ネタバレ》 
映画は時制の仕掛けを用いた、流行ともいえる「辻褄合わせ」的サプライズを用意する。しかし、伏線の控えめさと、その転機をさりげない振り返りとカットバックで処理するシンプルな手際によって賢しさを感じさせることなく、笑顔の忽那汐里の写真とともに静かに感動を盛り上げる。  この仕掛けの要請もあって、劇中では年代を特定するような装飾は極力排され、美術も落ち着いてすっきりしている。  その分、シーツやパーティション、カーテンの白布の白さが格段に引き立ち、手持ちの微細な揺れの中で光とシルエットと風が強く印象づけられる。  ベッドに並んで横臥する池松壮亮と忽那汐里が被るシーツが、月光を受け光を帯びる。その柔らかな光の感触が素晴らしい。  ランプシェードの光に照らされる大泉洋の横顔。ラストで月光のスポットライトに照らし出される窓辺の二人。その労わりの光が優しい。  宮沢賢治の一節も、会話劇の中に効果的に引用されていて胸を打つ。  
[DVD(邦画)] 9点(2011-02-27 22:09:18)
737.  牧童と貴婦人 《ネタバレ》 
夜の霧が漂う船室のシーンは、トーランドの真骨頂。ソフトな画調に、マール・オベロンの瞳の潤いが美しい。船長室での結婚式のショットも、丸い船窓をバックにしたゲイリー・クーパーとのキスシーンも絵になっている。 一方で、尻餅をついたりプールに投げ込まれたりと、少々ぎこちないながらも可愛い仕草でコメディエンヌぶりも発揮していて魅力的だ。 ゲイリー・クーパーも朴訥で実直な役柄を好演。長身の風貌とキャラクターがよく合致している。 彼とウォルター・ブレナンらが建築中の家屋で繰り広げるパントマイムがとても楽しい。  そして結部で展開する緩急のリズムがまた素晴らしい。人物が賑やかにドアを行き来する中、いつしかマール・オベロンも交じって駆け回っている。 呆気にとられながらもドア向こうに駆けていくクーパー。母親がドアを開けると、隣室の台所では二人が熱烈にキスし合っているという畳み込み的ハッピーエンディング。  タイトでシンプルな締め方が実に粋だ。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-02-17 21:21:17)
738.  ザ・タウン
まず賞賛すべきは路地カーチェイス、ガンアクションの見事さ。 適度にカットを割りながらも、右左折は丁寧に編集で繋がれ、空撮やロングの適切な挿入にもよって、経路と位置状況が明瞭に提示出来ている。稀有といって良い。 銃撃戦において、壁面への弾着と人物を出来る限り同一ショット内に捉える迫真性の演出も徹底されている。 いずれも、舞台となる「街」をアクションの中に描きこもうとする意思からくる。  アクションシーンに限らず、菜園・墓地・尖塔・スケートリンク・銀行前の路地・コインランドリーと、生活感のあるロケーションがドラマパートにも効果的に活かされている。その中で、水辺を歩くレベッカ・ホールの後姿のショットが幻想性を帯び印象深い。  あるいはオープンカフェのシーン等のサスペンス演出。席を外したR・ホールが戻ってくる際の、三者の表情を捉えるさりげないショット繋ぎの妙が緊迫感を煽る。  ベン・アフレックと、ピート・ポスルスウェイトの至近距離の銃撃戦。その突発性もいい。  
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-13 22:14:03)
739.  白夜行 《ネタバレ》 
導入部の土砂降りの雨、索漠とした葦原など、銀残しによる寒色系で統一された硬質な画調に味がある。うらぶれ感の良く出た住宅街の美術もいい。  掘北真希の纏う冷たい純白の陽と、通風ダクトの闇に魘される高良健吾の陰。 手にこびり付いた父親の血、現像用暗室の赤、ワインの赤は、流血の運命を予告する。  警察車両3台が、農道を延々と横移動するロングテイクなどには気合が感じられるし、刑事(船越英一郎)が電話しているテレフォンブースの後景や聞き込み中の託児所の窓ガラスにさりげなく人影を映りこませたり、掘北の足音をオフで響かせる演出なども工夫されているのだが。  終盤の謎解きシーンで語り口が一気に陳腐化してしまうのが勿体無い。『砂の器』的に感傷を煽る音楽と補足説明が安易で興ざめさせられる。  折角、実子とのシーンを台詞無しで積み重ねてきたはずが、船越の屋上での台詞過多もこれを台無しにする。残念。 
[映画館(邦画)] 5点(2011-02-12 20:19:44)
740.  幻の女(1944)
ロバート・シオドマクなら断然『らせん階段』か『殺人者』だが、これも相当いい。 原作は、『裏窓』、『黒衣の花嫁』のコーネル・ウールリッチ。  ボスの無実を晴らすため、彼を慕う秘書(エラ・レインズ)が夜の街を奔走する。 彼女が意を決し、酒場に張り込むあたりからの緊迫感がただならない。 閉店後の店主を尾行するシーンでの、光と影のコントラストは実に見事。 雨上がりで濡れた街路の硬質な艶が映える。 書割りの夜景と駅ホームのセットの絶妙な融合によって、画面には夢幻的なムードも漂う。 その駅ホームには、尾行してきた秘書と店主二人きり。ゆっくりと彼女の背後にまわる店主。 二人の間に流れる静かなサスペンスが素晴らしい。 通過する列車を、二人を照らす光の流れのみで表現する、そのドイツ的明暗法の鮮烈な印象。 裁判シーンもまた、速記録と傍聴席側の人物のリアクションのみを映し出し、証人や弁護士や裁判員の一切を大胆に省略してみせる。  列車が映らなくとも、裁判所セットが無くとも、低予算という消極的イメージをまるで感じさせない。最小限のセットと光と影のみを逆に強みとして豊かなイメージを創出してしまう手際は鮮やかの一語。  スポットライトに浮かび上がる犯人の白い両手の禍々しさ。彼の部屋に置かれた手や顔のオブジェの奇怪さ。登場人物たちの神経症的な様。ジャズ演奏の生々しさと、ノワール的モチーフも豊かだ。   『深夜の告白』とはまた一味違う、ラストのディクタフォン(口述録音機)の活用法も粋でいい。 
[DVD(字幕)] 8点(2011-02-08 22:34:20)
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