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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3868
性別 男性
年齢 53歳

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61.  SPACE ADVENTURE コブラ
我ながらウッカリにも程がある、と思ったのですが、あのカズレーザーというタレントさんがコブラの恰好を真似しているということに今まで気づいていませんでした。すみません。しかし逆に言うと、金髪のムキムキがピチピチの赤い服を着たところで誰しもがコブラになれる訳ではない、ということで。 やっぱりこのコブラ、シャレてて、カッコいいですね。しかし声はテレビ版でお馴染みの野沢那智ではなく、愛のメモリーでお馴染みの松崎しげる。いや、松崎しげるっつうたら、やっぱりハン・ソロでしょ。という黒歴史はさておき。ニヒルなコブラには、意外にこのハスキーな声も、似合ってしまう。いい感じ。 この映画版というのは初めて見たのですが、映画版では左手が義手ではなく、直接、サイコガンに変化する、ってのはこれまで何となく知ってました。とすると、あの無敵のクリスタルボーイをどうやって(義手無しで)倒すんだ? 倒せないんじゃないか? ってのも何となく気になってました。いやこれはウソで、そんなに気になっていなかったけど、うっすらとイヤな予感が。 結局のところ、映画版、最後までもう一つ盛り上がらなかったですね。クライマックスの対決が、割と普通に終わっちゃった。 というのもありますが、それより、ストーリー自体が、何やら愛がどうのこうのと薄っぺらいことを言うばかり、何かと言えばとりあえずキスシーン、そりゃ盛り上がらん訳で。 とは言え、アクションシーンはやっぱりカッコいい。左手のサイコガンを構えるコブラの姿が、やっぱりカッコいい。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2023-10-09 07:50:54)
62.  15時17分、パリ行き 《ネタバレ》 
映画を撮るたびに何かとホメられるイーストウッド。そんなにオレの事をホメるんなら、今回のコレはどうだっ。 と言う訳でもないんでしょうが(いや、わからんが)、さすがにちと、面食らいます。なぜ、こういう作品を、こういう風に作ったのか。謎です。 実際に起きた事件に取材した作品で、演じてるのも役者としては素人の本人。事件から間もなくと言ってよいタイミングで作られてて、ほとんど単なる思い付きと勢いで作っちゃったんじゃ?と思ってしまうけど、確かに、本人が演じるんなら、あまり事件から年月が経ってから製作する訳にもいかず、まあ、そういうもんかな、と。 で、本人が演じると何か良いことがあるのか?と思ってしまうけど、まあ、本人が演じてるんだから、ウソは無いんでしょ、きっと。←いや、これはあまりアテにならんけど、映画なんだから、どうだっていいことかも知れぬ。 それにしてもワカランのが、あのお馴染みの「This is not a drill. (これは訓練ではない)」という館内放送、結局、一種の誤報だったのか、それともやっぱり実は訓練だったのか。いや、それが一番どうでもいいことか。でも気になるなあ。 主人公たちの幼少期からが描かれて、どうやら少々変わり種のヒトたちみたいで、↑上記の騒ぎでも上官の指示を聞かずにスタンドプレーに走り、このまま何も危難に遭わなければ単なる困ったヒトでしかなかったかもしれないけれど、人生、色んなことが起こる訳で、この跳ねっ返り精神が英雄的行為へと繋がり、さらには大統領から表彰されたり、天下のイーストウッド映画に出演したり。 何なら、この「本人役で映画主演」までの物語を、映画にしてもよかったんじゃない?  何だかサラッと撮ってる感じで、うーむ、これもまたイーストウッド映画なのか、と戸惑いつつ、その一方、主人公たちが旅行先でオネーチャンをナンパ(?)して仲良くなっちゃうと、ちゃんとカメラがオネーチャンの表情を追いかけて美人に撮ってたりすると、ああこれはきっとエロ親父の指示による撮り方なんだろう、などとも想像したり。 だから何なんだ。いいけどさ。 で、いよいよ事件に遭遇、日常がここで一変する訳ですが、映画の前半に予告的にこの事件のくだりを挿入したのが、正解だったかどうか。変な既視感(いや実際に一度見せられてるんだけど)があって、いささか妙な印象を受けました。 もちろんここが作品のハイライトになるところ、見せ場。しかしあまりタメと言ったものが無いせいか、どこか淡々とした感じもあり、しかしこれが実際の事件、ということなのか。。。 不思議な映画、ですかねえ。これ。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-10-07 04:27:21)
63.  パッセンジャー(2016) 《ネタバレ》 
映画に出てくるヒーローというものは、ヒーローらしくあって欲しいし、ヒーローってのはどこか陰があった方がいい。しかしこれを突き詰めていくと、いっそ陰があり過ぎてアンチヒーロー化した、要はダメ男の映画ってのもたまには見たくなってくる。 さてそのダメ男を演じるのがクリス・プラットでよいのかと言うと、いや、もっと見るからにダメダメであってもらえたら、さらにはそのダメ男が最終的にヒロインを、そして我々を惹きこんでくれたら、とは思うのですが、これは製作サイドとしても大きなリスクがある訳で。最悪、多くの人には嫌悪感しか残さない可能性も出てくる。だもんで、クリス・プラット。一種の保険ですね。多少はグダグダになって見せるけれど、好感度はそれなりに保ち、安心感はあります。その分、予定調和的となり、作品の意外性や迫力が低下することは否めませんが、安全第一、安心第一、ってところでしょうか。 トラブルにより、宇宙旅行の人工冬眠から、一人の男が目覚めてしまう。目的地までのあと90年、クルーも他の乗客も起きてこない、だだっ広い最新鋭の宇宙船の中で一人ぼっちの状態。まさに、アレですね、明日から大変な仕事が待ってるのにどういう訳か夜中に目が覚めてしまい、家族はみなスヤスヤ眠ってるのに自分はちっとも眠れず気が焦るばかり、朝はまだまだ来ないし・・・というあの状態を、壮大なSF映画に。 こういう状態に置かれると、精神的な危機を迎えてオカしくなってしまう、というのは、シャイニングを見てもわかる通り。いや、ジャック・ニコルソンは最初からオカしい奴だろ、とスティーブン・キングが怒るのだけど、とにかく、クリス・プラットですら参ってしまう。シャイニングがガランとしたホテルを描き出したように、この作品でも、未来的で豪華、だけど空虚な宇宙船内部のしっかりと描き出して見せます。限られた空間が舞台となっていながら、見てて飽きることはありません。 で、よりによってこのダメ男が、眠れるオーロラ姫を起こしちまう。なるほど、主演二人がそもそも好感度高いので、ラブラブになってくれたらそれはそれで良し、安定感がある分、その後に待ち受ける破局のインパクトが大きくなる、という効果はあるかも知れません。 閉鎖空間で、一人で起きてるのもツラいけど、起きてる二人の間が険悪なのは、もっとツラい。そりゃそうだ。ははは。際立つ閉塞感が、たまらない。 で、その後、宇宙船の異常が進み、クルーの一人が起きてきたりして、物語が加速し始める。クライマックスの危機が、ごめん、何か大変そうな状況なのはわかるけど、宇宙船のどこがどういう状態で何がボーボー燃えているのやら、もうひとつよくわからない。勢いだけで見せられている気がしてきますが、盛り上がることは盛り上がります。 最後、使える冬眠ポッドは一名分。ヒロインを眠りにつかせ、主人公は孤独に残る、というのが綺麗な終わり方だけど、たぶん、この人、1年後にはまた彼女を起こしちゃって続編映画が始まってしまうので、まったく解決にならないのでしょう。 この作品は、それとは別の幕引きをしてみせる。人生ってのは外因的なものに左右されそれは時に不本意かもしれないけれど、重要なのはその人生をどう生きて何を残すかだ、というメッセージ。 ラストシーンは明らかに、そんなのあり得ないでしょ、という光景がそこに現れます。あくまでファンタジー、ということですね。あるいはお伽噺と言っていいかもしれない。理屈ではない、フワッとした浮遊感みたいなものが、後に残ります。 ところで、この作品に登場する二人の男女には、金銭的にはやはり「男<女」の格差があって、こういう部分から宇宙版タイタニックとか言われたりするんでしょうが、そんな事言われたら、もしかして氷山がタイタニックにぶつかるように仕向けたのは、実はジャックの仕業だったのか?とか思っちゃったり。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-10-01 07:41:21)(良:1票)
64.  フローズン・グラウンド
ニコラス・ケイジ&ジョン・キューザックのお馴染みゴールデンコンビで贈る、サイコサスペンス。一方が変質者の犯人役で、もう一方がそれを追う捜査官役、ってんだから、どっちがどっちの役をやるのがよいか、迷ってしまいます。できればお二人とも、変質者役をやってもらいたいところ。 とか言ってふざけてる場合じゃないですね、なにせ、現実に起きた悲惨な事件をもとに作られた映画。なんだそうですから。 こういうのも、難しいですね。事件からどのくらい経てば、「映画化」が倫理的に許容されるのか。ふざけたことを書くヤツの言うことじゃなかろう、と言われたら、おっしゃる通りなんですが。 さて、作品ですが、やたらと画面手前の人物をナメるように撮影するカメラが、ちょっとやり過ぎ感があって、正直、これは見にくいだけなんじゃないかと。そういうシーンが繰り返されるにつけ、いささか気を削がれます。 しかし、あくまで硬派なサスペンスとして仕上げているのには、好感が持てます。中には、破綻寸前だから面白い、という映画もありますが、この作品は手堅くまとめた印象で、題材がセンセーショナルなだけに、バランス感覚としては好印象。 とは言え、映画であって、ルポルタージュではない以上、そこには脚色、演出が盛り込まれるのですが、ニコラス刑事の捜査と並行し、事件発覚の発端となった女性(シンディ)の危難を物語のもう一つの軸として取り上げることで、事件を「進行中のもの」として描いています。すでに殺害された被害者の姿を描く場面があり、ではこれもシンディの過去の回想シーンかと思いきや、実は現在を描いたシーンであった、という、まるで過去のシーンに現在のシーンが混ざるような仕掛け、時間の行き来が、ちょっと意表を突きます。 アラスカが事件の舞台、ということで、映画の景色にも寒さがしみわたり、一種の地の利とでもいいますか、雰囲気が出ています。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-09-30 06:52:46)
65.  COWBOY BEBOP カウボーイビバップ 天国の扉
正直に言うとこの作品、ストーリーにも登場キャラにも、何の関心も持てなかったんですけどね。テレビシリーズとやらを見ていたら、印象も違ったのかもしれないけれど。 にも拘わらず、楽しめちゃう。何かといえばそればっかし、と言われるかも知れないけれど、やっぱりこの、アニメーションの緻密さ。登場人物の動きにちょっとした反動を描きこむことで、動きが活きてくる。あるいは、飛行機が向きを変え、画面に対する角度が変わっていく自然さ。これ、CG援用でやっちゃうと、かえって不自然に感じたりするんですが、この作品では絶妙です。 あのモノレールを舞台にした追跡、そして戦い。これ、めちゃくちゃカッコイイじゃないですか(ちょっとだけ、このシーンは実写映画で見たかった気もする)。 終盤の空中戦のスピード感もお見事。映画全体的にテンポがイマイチだった(?)のを、一気に取り返す感じ。 東京タワーか通天閣かよくわからんけど(後者では無さそうだな)、戦いが行われていると、ネオンのHALLOWEENの文字のHが消えて、ちょっと『ハイランダー 悪魔の戦士』を思い出したりもしましたが、それより何より、ラストは雨が降っていて、こりゃ『ブレードランナー』だなあ、と。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2023-09-24 17:23:59)
66.  デビルクエスト 《ネタバレ》 
最初の方の合戦シーン、背景がいかにも書き割り然としたやる気無さそうなCGだもんで(これは火星かどこかの光景か?)、こういうのが続いたら困るなあ、と思ってたのですが、映画の主部に入るとそういうこともなく、雰囲気は出ておりました。 ペストが蔓延する中世を舞台に、魔女の疑いがかけられている女性を護送していくオハナシ。その苦難の行脚を描いていくのが、すみません個人的にこういうの嫌いじゃないんで。と言って、じゃあ他にこの路線のどういう映画が「嫌いじゃない」んだよ、と言われると、すみません特に思いつかないのですが(笑)。 なんかあの、落ちそうなボロ吊り橋を馬車で渡っていく場面なんか、いいじゃないですか。『恐怖の報酬(リメイク版)』みたいで。やっぱり吊り橋映画にハズレ無しですね。いやだから、他にどういう映画があるっての。 主人公は映画出まくり大忙しのニコラス・ケイジ、十字軍の騎士の役で、かつて兵士ではない市民の女性を殺してしまった暗い過去を持っている、らしいのですが、その設定、もう少しうまく生かせなかったものか、という気はいたします。この過去が、護送中の女性(結構、美人。ですが魔女感を出しまくりで怪しさ満点)との関係にももう少し影を落とすはず、なんですが、ちと微妙。 それより、魔女裁判なんてやったらアカンでしょ、というのが前提にあって、だからこの護送中の女性がいかに怪しくても、何かその疑いを覆すような意外な真相があるのでは、と期待するのですが、これが見事に裏切られる。ほぼ、そのまんまの展開(むしろさらに悪い事態と言ってよいかも?)。身も蓋もありません。 意外な真相なんてものを、求めすぎなんですね、きっと。こういう展開でいいんでしょう、きっと。 にしても、なあ。 ラストは悪魔とバトル。ほぼプロレスです。まあ、人間より若干強い、ぐらいですかね。悪魔なのに。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-09-23 09:53:43)
67.  新・網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義
『新~』も含めての、網走番外地シリーズ最終作。思えば、刑務所シーンで敵対する相手も、かつては、いかにも粗暴そうな悪役顔の安部徹だったのが、いまや狡猾そうな経済ヤクザ風の風格を見せる小池朝雄へ。隔世の感があり・・・という程でもないでかすね。『新~』になってやや製作ペースが落ちたとは言え、シリーズ開始からまだ7年ほど。そもそも主演の健さんが、見た目、大して変わってない。いや、最後まで変わらなかったのが健さんという人、という気もしますが。 最終作、と言う訳で、それなりにマンネリ感もあり、勿論シリーズものですから、マンネリ上等!ではあるのですが、一方で「健さんしばり」「網走番外地しばり」というものも感じてしまうのは、タイトルを見てもわかるように、『トラック野郎』まであと一歩、のところまで来てるんですよね。ダンプトラックのカーチェイスはあるし、モナリザお京みたいなキャラまで登場するし。 しかし主演は健さん、監督は降旗康男。やっぱり菅原文太&鈴木則文とは、描く世界が違いますわな。違うんだけど、でも、トラックチェイスをクライマックスに持ってくりゃいいものを、やっぱり、殴り込みをかけてドスを振り回す展開に持ち込んでしまう、任侠映画しばり。 網走番外地は比較的、テキトーで自由度が高いシリーズだったはず、なんですけどねえ。冒頭の刑務所シーンで健さん自身が『昭和残侠伝 死んで貰います』(だと思う。間違ってたらごめん)を見ている、なんていう悪ノリには、その片鱗が。だけど本作、全体的にはマンネリ感が悪い方に出て、悪ノリかどうかはともかく、もう一つノレない印象。ちょっとダメかなあ、と思っていたら、マンネリ感の積み重ねでやっぱり最後は盛り上がってしまう。ダイナマイトでの襲撃といった派手なアクションも見どころ。丹波哲郎の温存も、ありがちと言えばありがちだけど、それでも、待ってました!と言いたくなる。 やっぱり、マンネリ上等、なんですよね。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-09-23 05:40:31)
68.  日蓮と蒙古大襲来
歴史、宗教、スペクタクル、とくると、大作映画の王道3点セット、という感じがいたしますが、それにしても1958年製作のこの映画。例えばウィリアム・ワイラー版の『ベン・ハー』が翌59年の映画であることを思うと、なかなか攻めてるなあ、と。 いかにも、海外映画がイエス・キリストだったら、日本映画は日蓮で勝負、といった感じで、弾圧に屈することなく法華経の教えを説く日蓮上人の姿が描かれます。大地震のシーンでは地割れが起こり家屋が倒壊し、日本映画だって負けてませんよ、という意気込みが伝わってきます。 タイトルにあるように、目玉は蒙古大襲来、と言いたいところですが、待てど暮らせど元は襲来してこない。映画がかなり終わりに近づいたところでようやく元寇となるも、時間の関係で、文永の役と弘安の役がまとめられた感じ。戦いの流れなどはあまり描かれず、もっと日本側の苦戦を描きこんだ方が盛り上がるんじゃないの、と個人的には思っちゃいますが(防塁などもすでに築かれている模様)、到来する大船団、巻き起こる混乱、大規模な合戦シーンを矢継ぎ早に叩き込み、そして暴風雨のクライマックスへ。ミニチュアを駆使した迫力の映像が、圧巻です。 なお実際は、文永の役の頃は台風の到来シーズンには当たっておらず、弘安の役の時は台風が到来したのであろうけれど、壊滅的な被害という訳でもなさそう(その後も戦闘は続いた)ですが・・・。 それはともかく本当は、前半をもっと削っていいから(宗教者の親子の情を描くというのも、ちょっとどうかと思うけど、日本的と言えば日本的か)、元寇をたっぷり描いて欲しかった、とは言え、こんなスペクタクル映画向きの題材がその後もあまり描かれてこなかったことを思うと、貴重、であり、感謝。 あ、元寇以外がつまらないと言ってるんじゃないですよ。そこまでの約2時間も、日蓮の苦難また苦難の連続で、物語を引っ張っていきます。だんだん、なんでこの人こんなにイヤがられてるんだろう、と思えてくるのですが、空気読めない感たっぷりの表情で日蓮を熱演する長谷川一夫。空気が読めないんじゃないです、信念なんです。 時宗を演じるは、市川雷蔵。何となく、ピッタリな気がします。この空気読めない感(笑)。 いざ元寇となると、日蓮の存在感が薄くなり、そのまま唐突に映画が終わってしまう印象で、企画的にはやっぱり多少、無理があったような気もしますが、日本映画のパワーを感じ取ることのできる作品、だと思います。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-09-17 11:22:03)
69.  地獄の謝肉祭 《ネタバレ》 
原題がApocalypse domaniってんだから、Apocalypse now(『地獄の黙示録』)のパロディな訳ですな。内容的には『ゾンビ』の後続作品(百貨店めいたところを舞台にしたり、暴走族めいたヤツをそこに登場させたり、わざわざ似せてないか?)ですが、ロメロ3部作がnight, dawn, dayと時系列を進んだように、こちらもnow→domani(明日)と来たもんだ。なかなかよく考えている、のか、全然考えてないのか。 という訳で、地獄の黙示録の次の段階、というのはつまり、ベトナム帰還兵のオハナシ。その点では『ランボー』の後続作品、と言いたいところですが残念ながら(?)、こちらの方が先に作られていたのでした。 ベトナムで捕虜になった兵士が、人を食い殺したくなる謎の伝染病にかかって、噛まれた人にもそれが感染していく。その後、彼らが復員したアメリカの片田舎の町で、騒ぎが広がっていく、という趣向。戦争の後遺症を比喩的に表現した、と言って言えなくもないけれど、だとすればいささか不謹慎な気もするし、他者に感染していくというのもピンとこない。ま、きっと、ゾンビ映画の流行に乗っかってみました、という以上の意味は無いんでしょう。ただしこちらは死体ではなく、あくまで病気に感染した生身の人間。言動に異常なところはあれど、普通にしゃべるし、撃たれりゃ普通に死にます。主人公もこの病気にかかっており、人に噛みつきたくなってしまう自分自身との葛藤がある。しかし、隣の若いオネーチャンとイチャイチャしたのを、例の噛みつきたくなる症状が出たんだ、と言うのは、それは言い訳にならんでしょ(笑)。それは普通に、浮気です。はい。 それはともかく、終盤は、感染した4人が地下の下水道を逃げるサバイバルとなります。これが大してオモシロくない。彼らを追い詰める側は、なぜか火炎放射器を持ってたりして(んなアホな)、ネズミがうごめく下水道において戦場が再現され、元兵士たちが追い詰められていく。けれど、もともと劇中でほぼモンスター扱いの彼らには、何ら同情を引く要素があるでなし、何を考えているのか、どこまで正常な思考が保てているのかもよくわからず(これは主人公も同様)、追跡劇が盛り上がりません。むしろ、撮影でネズミが本当に焼き殺されているんじゃないか、ってなことの方が気になっちゃう。正確に言うと、撮影でネズミが本当に殺されてるんじゃないかと気になる人がいるんじゃないか、ということが気になってしまう・・・。 血塗れ残酷シーンは、さすがイタリアだけあって、なかなか盛大にやってくれてますが、これも例によって、残酷というよりは何だかバッチイなあ、という印象。 そんでもって、あと、音楽がいかにも不釣り合いで、気が抜けます。ゾンビ映画たるもの、ノリのいい音楽使わないといけない、みたいな思い込みでもあるんですかねえ。ノリさえよければどんな音楽でもいい訳ではないと思うのですが。 総合すると、珍品度がそれなりに高く、希少価値はあると思いました。いやあ、希少価値って、便利な言葉ですねえ。
[インターネット(字幕)] 3点(2023-09-17 10:02:06)
70.  ハッピー・デス・デイ 2U 《ネタバレ》 
冒頭のユニバーサルのロゴ、前作ではタイムリープをイメージした仕掛けになっていたので、今回も何かやらなきゃー、っていうことなんでしょう、どうやら並行宇宙をイメージしたようなデザイン。いや~、いろいろ気を遣ってるんですねえ。 その後、物語が開始すると、ん? 一瞬、一作目と同じ「誕生日(18日の月曜)の朝」が舞台か、と思っちゃったんですが、ツリー(主人公)が、「一作目が解決した」という意識を持ってこの朝を迎えている訳がない。要するにコレ、一作目の「ラストシーン」と完全に対応しているんですね。つまり、翌日。皆、月曜の朝と同じ服装だから紛らわしいんですが、そう言われてみりゃ、ツリーは前の晩、自宅に帰らずカーター(主人公の彼氏)の寮に泊まったし、ライアン(パツキン野郎)も寮の部屋に帰れずクルマの中で寝たので(2作目の冒頭)、着替えられなかったワケ。まあ、もともと、すでに1作目で、冒頭の月曜とラストの火曜のシーンをシンクロさせた面白さが演出されていたのでした。 しかし、さすがにこれは、1作目を直前に見ておかないと、なかなかついていけません・・・。 もっとも、この2作目では、まるで、1作目なんて改めて見直さなくてもいいよと言わんばかりに、主人公の1作目のあらすじを惜しげも無く早口で語らせたりしていて、この思い切りの良さ、ちょっと笑ってしまいました。 さてさて、そもそも前作は前作で一発アイデアとして完結しており、続編なんて無理だし不要でしょ、と思っちゃう。そう思っちゃうけれど、それでも現に2作目が存在する以上、気にはなる。そう思いながら見る以上、「ほら、やっぱり続編作るなんて無理があった」で片づけるのもさすがに芸がないかな、とも思っちゃう。思っちゃうけど。 やっぱりある程度、苦しい感じ、あります。考え過ぎ、というヤツかもしれません。また事件があって、フーダニットの興味を取り入れて。いいんだけど、多少ごちゃごちゃしていて、強引な印象も。 だけど、それでも本作、続編として(それも、いかにも作りづらそうな続編としては)、最良の部類に入るんじゃないかと思います。 さまざまにアイデアが凝らされていて。前作を踏襲しつつも、しっかり変化球。しかも、バカ映画のくせにお涙頂戴路線に挑戦、という厚かましさ。こういうエモーショナルな部分も演出のアイデアで意外に盛り上げます。が、やや「頭で考えた」感、無きにしもあらずで、感動にまでは至りませんが。。。 それよりも、ここで一緒に事態を解決しようと奔走する仲間たち、主人公以外は時間を繰り返している訳ではないので本人にとっては何が何やら、のはずなんだけど、それでも一生懸命なその姿。こちらの方が、感動的と言えるかもしれません。 ライアンの分身が現れたりする映画最初の方のエピソードは、必要だか何なんだか、よくわからんけれど、あのナゾの装置に「昨夜、何かエネルギー的にスゴいことが起きたらしい」ってのが実は伏線になっていて、映画のクライマックスともリンクしている。 正直、1作目と比較してしまうと1作目の方に軍配を上げたいところですが、2作目は2作目で心憎い作品になっていて、別に無理に点数差をつけることもないかな、と。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-09-16 06:37:58)
71.  マジック 《ネタバレ》 
アンソニー・ホプキンスが全然人気のない手品師で、舞台でスベりまくってる冒頭シーンから、引きこまれてしまいます。芸人が舞台でスベる怖さってのが、よく伝わってきますね。この焦り具合。ははは。いや笑いごとじゃないって。 その彼が、腹話術をマジックに絡めた新ネタで、評判を呼ぶようになる。典型的な一発屋ですね。この後が、コワいですね。 という展開になる前に、この映画は別のコワさへ向かって行く。どうやらこれ、普通の腹話術芸ではないらしい。一人っきりの時でも人形との会話を続ける彼は、もはや二重人格みたいな状態になっちゃっているらしい。 そこまでは映画の比較的早い段階でわかるのですが、その重症度が掴み切れない。重症度と言っても、病の深さ、という意味を超えて、もはや超自然現象の域にまで達しているのか否か。基本的には、主人公の手で人形は動かされるし、主人公が横にいて初めて人形はしゃべるのだけど、明らかに音声が人形から発せられているシーンもあったりして。人形がしゃべっているのか、それとも主人公の幻聴なのか。 こういう曖昧さが、怖いんですね。何が起きるのか、何が起きうるのか、わからない怖さ。もしも人形がひとりでに動いたら怖いけれど、本当の怖さは、「もしも人形が動いたら」という怖さ、「もしかして今、動いたんじゃないか」という怖さ。 そしてもう一つの怖さは、人形の存在に引きずられていく主人公の姿。主体性を損なった主人公は、どう流されていくかわからない。この主人公と不倫してしまうアン・マーグレットは、さらにこの主人公に支配され、主体性を失いつつあるようにも見えるけれど、ラストで彼女は主体性を取り戻し・・・たように思いきや、もしかして別の何かに支配されたのでは? という「可能性」だけを提示した、曖昧な幕切れ。そう、こういう曖昧さが、怖いんです。
[インターネット(字幕)] 9点(2023-09-10 18:20:05)
72.  ジャンパー 《ネタバレ》 
テレポーテーション能力を身につけた若者が、何者かに命を狙われる。もうホントに、それだけ、の映画でして、その割り切りには好感が持てます。もちろん、登場人物が沢山出てきて、エピソードが複雑に絡みあって・・・という映画も大歓迎ですが、そういうのを作れもしないのに無理に作ろうとするくらいなら(失礼)、いっそこうやって、ただただテレポーテーションしまくる事に徹するのも、悪くないです。 この主人公、特殊能力を持ってはいるものの、それをロクなことに使っていない。この能力をどう使うか、という方向にも話は膨らまないし、膨らませない。 生き別れた母親も登場するけれど、かつストーリー上、それなりに重要なキャラのような気もするけれど、やたら印象薄くって。涙の再会なんぞどこ吹く風、サバサバしてます。 ついでに言うと、主人公がガールフレンドの母親と再会する場面もありますが、このシーンなんて、まともにこの母親の表情を映しもしない。もう、どうでもいいんですね。いかにして、物語を膨らませないか、脱線させないか。88分という短い尺を、ひたすら走り抜ける。 ひたすら繰り返す、空間移動。意味も無く東京にまで飛んできて、東京ロケを敢行したり。その他その他、いったい一本の映画に、どれだけの光景を詰めこもうというのやら。 と言うわけで、いや何かこの映画オモロイなあ、と思いながら見てはいたのですが。しかし、アクションシーンが雑なのか何なのか、イマイチわかりづらい。そこにさらに空間移動が重なって、正直、何が何やら、画面に集中し切れず。こういうハチャメチャな映画を作ろうという意気込みには頭が下がりますが、映像で惹きつけようという映画のその映像が、「見にくい」というのは、ちと痛い。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-09-10 17:15:26)(良:1票)
73.  ホドロフスキーのDUNE
結局は製作されなかった実在しないSF超大作を、「まさに傑作である」とドキュメンタリ冒頭からやたら誉めそやす。これだけでも充分、聞いてて不安になってきますが、その後続く証言を聞いているうちに、その熱量に圧倒されて、不安も消し飛んでしまいます。もっとも、実際には作られなかったんだから、不安に思う必要は無いのですが。 しかし、いやコレ、もしも作られちゃったりしていたら、大変な事態に陥っていたんじゃなかろうか、このホドロフスキー監督作の『DUNE』。ヤバそうな臭いが、プンプンと。 自分が目指すのはあくまで芸術だ、ということで、芸術のためなら採算度外視、成算までも度外視・・・という訳にもいかず、サルバドール・ダリ相手のギャラ交渉のくだりではチャッカリしたところも見せるけれど、基本的にはすべてが規格外。このとんでもないプロジェクトには、仲間となる「戦士」が必要だ、ということで、各界に手を伸ばし、仲間に引き入れるべくアタックする。そのメンバー選定が、話を聞く限り、なんだかその場の思い付きに過ぎないようにも思えてくるのですが、思い付きであろうがなかろうがとにかく、これぞと思えば早速アタックし、次々に仲間に引き入れてしまうこの情熱と行動力。恐るべきものがあります。 早く誰かが止めなきゃいけなかったのかもしれないけれど、誰も止めず、あるいは止められず、ホドロフスキーの妄想は、具体的な形を伴ったものとなっていく。商業的には絶対に大コケしそうなこの企画、芸術的にも「?」な感じが拭えないこの企画、このまま行くとあわや実現しかねないところで、結局ストップがかかってしまい、幻となってしまう。芸術のためなら一切妥協しないという姿勢が、プロジェクトをここまで進めた原動力でもあると同時に、それを葬ってしまった原因にもなっている訳で。必然と言えば必然のような気もするけれど、それを思うと、あのナゾの「太陽の塔」を建設する一大プロジェクトをまとめ上げ、完成させた岡本太郎は、やっぱり凄い人だったんだなあ、と。 この作品、ドキュメンタリ映画というよりは、メイキングビデオを見せられている感もありますが、普通のメイキングと違って、本編を我々は見ていないし、そもそも見ることができない、という点で興味をそそられるし、聞けば聞く程とんでもないこの作品に、ついつい思いを馳せてしまいます。インタビュイーであるホドロフスキーが話しているうちに興奮していく様を捉えているのがまた、面白くて。冷静な中にも残念そうな気持ちを垣間見せる息子との対比。 この企画が、いかにその後の大ヒット超大作に影響を与えたか、というくだりは、要するに「パクられた」と言っているのですが、これまたこじつけのようで胡散臭くて、しかし言われてみればそうかも知れない、とも感じさせて、これもまた妄想の楽しさよ。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-09-03 07:22:37)
74.  ザ・ブルード/怒りのメタファー
「何のこっちゃ」な邦題ですが、映画を見ればこれが意外に「どストライク」な邦題であったことに気づきます。 映画の内容の方も、あくまでホラーでありファンタジーなので、こういう事が実際に起こり得るかどうかは問わないことにし、細かい部分まで納得のいく説明がなされているかも問わないことにすると―――そういう事を問うのは元々、野暮というものだけど―――「何のこっちゃ」な展開かと思いきや、最後まで見ると、邦題のコンセプトに沿ってそれなりにまとまった内容であり設定であったことがわかります。 にも拘らずこの作品には、気持ち悪さ、落ち着かさなさ、といったものが横溢しています。何とも言えぬ、割り切れなさ。 前触れなく、突然、映画に登場する襲撃者。映画の中でその正体は明かされるものの、この最初に登場した時の「いる訳のないものがいた」「見てはいけないものを見てしまった」という感覚、これがずっと尾を引いて、最後まで何とも言えぬヤな感じが続きます。確かに、「怒り」の象徴としてこの異形のものたちは存在するのだけど、そういう可視化された「怒り」の裏には、可視化しきれない人間関係のドロドロしたものが渦巻いている。もっとも近接した人間関係である家族、その家族の中にすらドロドロが渦巻いている、という落ち着かなさ。わかっちゃあいるんだけど、それをこうやって映画で突きつけられると・・・。 音楽はハワード・ショア。まだキャリア初期の仕事だと思いますが、これまたなかなかに落ち着かない音楽を響かせて、ヤな感じをしっかり増幅してくれます。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-09-02 13:17:54)
75.  狂武蔵(2020)
子どもの頃に何となく思っていた、テレビの時代劇と映画の時代劇との違い。映画ではチャンバラしている周りに、すでに斬られた死体役が転がっているけれど、テレビでは、死体役が転がっていない・・・。 という見方が妥当だったのかどうか、今もってよくわかりませんが、もしもその基準に従うのなら、この『狂武蔵』はかなりテレビ寄り、ということになっちゃう。なにせ、宮本武蔵たった一人が、吉岡一門73人ならぬ400人(私が数えた訳じゃないけれど、そういうことらしい)を相手に、ひたすら斬って斬って斬りまくり、死体が転がっていない訳がないのだけど、なにせワンカット/ワンショットのノンストップチャンバラ77分間(私が計った訳じゃないけれど、そういうことらしい)。チャンバラの邪魔になるので斬られたヤツはそそくさと画面から退場し、これで思う存分、暴れ回れるというもの。ただし、チャンバラが小休止すると、死屍累々たる光景が現れて、死闘の凄惨さを表現します。 相当に無謀な企画で、これを面白いと言ってよいのかどうかもよくわからないし、これを映画と呼んでよいのかどうかもわからない。夕日の差す中、武蔵が動けばカメラも動き、スタッフの影なんかもしっかりと画面に写っちゃったりしているのですが、もはやそういうことは超越していて、ノンストップチャンバラという無謀なチャレンジの実況中継、ドキュメンタリみたいな側面もあります。林海象の『ZIPANG』における連続斬り、あれと発想が近い部分、無きにしもあらずですが、結果的にはほぼ真逆の方に突っ走っている。むしろプロレス中継とかに近いかも知れませんな。体を張り、限界を超えようとするその姿を、固唾をのんで見守る我々。ただし、プロレス中継の場合はカメラも複数台使うし、中継のノウハウも蓄積されているだろうし、何より、プロレスラーの多彩な技があるのですが、この映画はチャンバラのみ、カメラ一台、まさに究極の一本勝負。 だから一見、同じようなことを延々と繰り返しているように見えてしまうのは確か。なんですが、武蔵が戦いながら移動するにつれ、場所が変わり景色が変わっていく。時間の推移が感じられるかというと、これはやや希薄な気もしますが、それでも夕暮れ時の一時間余り、何となく夕日が傾いていくような感覚の一端は、映画の中に刻まれています。 いわゆるミニマルミュージックみたいな感じですかね。同じことを繰り返しているようでいながら、少しずつ変化し続け、決して元には戻らない。 「面白いと言ってよいのかわからない」と上に書いたけど、普通の意味の「面白さ」とは違う意味での感銘が、残る作品です。「映画と呼んでいいのかどうかわからない」とも書いたけれど、映画の枠ををハミ出すことによって、新たな可能性が感じられたりもする。 この作品、もう一回撮れば、まったく別の作品になっちゃうかも知れないし、10回撮れば、異なる10本の作品が出来上がるかも知れません。ただ、その「もう一回」が、できない、ということ。その非再現性が画面から滲み出てくるところに、本作の凄みがあるように思えます。 でも、どんな映画であってもそれが実写である限り、完全には二度と再現できない瞬間をカメラに収めたもの、という点は同じなんですよね。。。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-09-02 10:25:26)(良:1票)
76.  ル・ミリオン
冒頭、屋根裏部屋の窓から男女が顔を出していて、そこからカメラがズンズンと横に移動して、屋根が連なる夜の街並みを映し出す。こんな高所でこんな横移動、どうやって撮影したんだろう、と思っているうちにだんだん、この屋根が連なる光景が、ミニチュアのように見えてくる。ワンショットで撮ってるんだからミニチュアのはずはないのに、と思いつつ、それでも何だかオモチャみたいな景色が、広がっていきます。 とか思ってたらやがて画面にオッサン2人が顔を出す。やっぱりこれはオモチャではなく、実際の街並みの光景だったのか? ちょっと不思議な感覚に陥ります。 で、このオッサンたち、何やら喧しいわい、と、とある建物の屋根の窓から中を覗くと、そこではドンチャン騒ぎ。覗かれようが、そこから口を挟まれようが、誰も気にせず陽気に騒いで、無防備というか適当というか。しかしこれ、見ようによっては「長屋モノ」の風情もあって、フランスだとこんな感じになるのね。 で、なんでそんな騒いでいたのか、そこに至るまでのドタバタを描いたミュージカル。登場人物はだいたい、適当な連中ばかりで、中でも主人公は実にいいかげんなヤツ。しかしこの文無し男が宝くじにあたって、ひと騒動、しかししかし、その宝くじが行方不明となって、ふた騒動。 ミュージカルですからトーキー作品ですが、まだまだサイレントの味わいが多分に残っていて、迷路のような屋根裏の通路でも追いかけ合いなどでも、サイレント映画風のドタバタが展開されます。これが実に楽しいんです。 オハナシもバカバカしいんですが、二転三転の楽しさ。もう宝くじは手の届かないところに行ってしまったのか、と思いきや、意外な形で帰ってきて、これもバカバカしいギャグと言えばギャグなんですが、ドタバタの後ゆえの、不思議な感動があります。一種の、緊張と緩和。 だけどだけど、それでもまだ終わらないのがこの映画。最後までツイストをかけてきます。 これ、楽しいですよ!
[インターネット(字幕)] 9点(2023-09-02 07:29:17)
77.  折れた槍
一人の若者が3年の刑期を終えて刑務所から出てくる冒頭。ちょっと任侠映画みたいですな。で、家に戻った彼は肖像画を見上げ、さらに兄弟たちとのやりとりの中に不穏な空気が流れる。 過去に何があったのか? がそこから描かれて、終盤にまた現在、そして肖像画へと物語が帰ってくる、という魅力的な構成になっています。ツカミの上手さ、回帰する物語。 頑固過ぎる親父役にスペンサー・トレイシー。困ったヒトではあるのですが、どこかユーモラスです。父と徐々に対立を深める長男が、リチャード・ウィドマーク。まさにこの親にしてこの子あり、こちらも充分過ぎるほど頑固そうな。 スペンサー・トレイシー演じるこの頑固オヤジ、何かと周囲に突っかかり、座っている最中に機嫌が悪くなると、やたらと席を立とうとするそぶりを見せる。なんか他の切り口の演出もあってよさそうな気もしますが。 冒頭の「現在」へと帰るラストでの、対決。岩場での取っ組み合いで、頭を岩にぶつけないか、見ててヒヤヒヤします。 先住民への差別なども織り交ぜつつ、家族の愛憎劇を描いた西部劇で、意外性もあり楽しめました。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-08-19 11:33:30)
78.  キングダム2 遥かなる大地へ
とにもかくにも、セリフ多すぎ、何でもかんでもひたすらセリフで説明する。戦況を説明し、作戦を説明し、状況が危機的であることを説明し、何も説明するネタが無いヤツは代わりに一生懸命、感想を述べる。質問するのもストレートなら、それに対する答えもストレートで、何のヒネリも無ければ含みも無い。 ここまで「わかりやすさ」が徹底されているとなると、これはもう、作り手側も意識的にやってるんでしょう。このくらいわかりやすくしてあげないと、どうせ見てる側はついてこれないだろうから、、、と高をくくられているのなら、つまるところ我々の側にも責任があるのかも知れませぬ。 とは言え、やはりこのセリフまみれには閉口してしまいます。例えば職場で、みんな大変な状況なのは誰しもわかっているのに、わざわざ自分がどう大変かをアピールして、忙しい忙しいと連呼するヤツがいたらやっぱり、鬱陶しいじゃないですか。 映画では時々、合戦シーンが入って、その間はセリフが控え気味になるので、ホッとします。 合戦シーンはさすがと思わせるものがありますが(中には「あれ、それでおしまい?」というシーンもあるけど)、荒野を舞台にやや似たようなシーンが続いてしまう点、派手な割には薄味にも感じます。 主人公サイドには暴走キングコング真壁が参戦(ちょっと古いか)。と思ったら敵方にはファンキーウェポン田口が登場し(これも古いか)、『パパはわるものチャンピオン』以来の共演ですかね。メディアミックス戦略にしてはプロレスラ―っぽさを出せていないですが(せいぜいショルダースルー)、新日の発言権の弱さか、それとも一種の節度というものか。
[地上波(邦画)] 3点(2023-08-15 07:25:14)
79.  リトルトウキョー殺人課
監督のマーク・L・レスターは、みんなの大好きな『コマンドー』の監督さんなので、大抵のことは大目に見なければいけません。 しかしこの、「さあ今から間違ったニッポン文化を描きますよ」と宣言してるようなヤバそうなタイトル、どうなることかとヒヤヒヤする訳ですが、さすがは『コマンドー』の監督。やっぱり面白い。むしろ、面白い。 そもそも、舞台はあくまで日本ではなくリトルトーキョー、ですから、描写が全部間違ってるのか、それとも一部は正しいのか、私にはわかりません(全部正しいということはまさか無いと思うが)。わかりませんが、もし実在するのなら一度は入ってみたい、盆栽クラブ。 この作品が現地の日系人に対する偏見を助長していないこと、みんな笑ってスルーしてくれること、それだけを願っております・・・。 さて、主演がドルフ・ラングレンで、相棒がブルース・リーの息子。武士道に生きる白人と、あくまでアメリカ的な感覚を持つ日系人、という組み合わせが設定の妙で、ある意味、互いに何のチェック機能を果たしていない(笑)。もはや日本文化の描写は間違え放題。ドルフ・ラングレンが再三披露する二ホン語は流暢過ぎて、ネイティブの我々にもほとんど聞き取れません。 でもって、わずか79分という尺に、無理やりアクションを詰め込んで、まさに無類のスピード感。ストーリーなんぞ無いのに有るかのように感じさせる、あるいは、ストーリーが無いことに気づかれる前にさっさと映画を終わってしまう、見事な手腕と言えましょう。 クライマックスで日の丸に「闘魂」と書かれたハチマキ姿になるドルフ・ラングレン。ここまでせっかくムキムキで強そうだったのに、ハチマキ姿になった途端、何だかラルフ・マッチオの霊が乗り移ったように弱そうに見えてしまうのが、残念でした。どうでもいいけど。 ケイリー=ヒロユキ・タガワのイッちゃってるような表情は、インパクトありまくりでした。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-08-14 09:18:32)
80.  悪魔の赤ちゃん2
前作でかなり出し惜しみしたとは言え、例の悪魔の赤ちゃん(←あくまで邦題ですが)の姿はすでに画面上に登場して我々も知っているので、2作目では遠慮なくガンガン登場するのか、と思いきや、やっぱり画面になかなか現れない。予算の関係なのかどうなのか(いや、そうに決まってる)。 しかし、この画面になかなか登場しない(させられない)制約というのは、これはこれで別の可能性も引き出している訳で、姿を写さない代わりに不気味な泣き声でその存在を描くのが、効果を上げています。いや、いくら低予算だろうが、リック・ベイカーの手によるナイスな造形の撮影用ギニョールはあるんだから、登場シーンを増やすことは可能、というか、むしろ増やしたくなるのが人情だろうけれど、そこはグッと堪えて、出し惜しみ。 見せてナンボのCG時代にはこういうアプローチも難しくなって(こういうアプローチをとる必要も無くなって?)、これもまた、良くも悪くも当時のホラー作品ならではの味わい、でしょうか。こういう映画が後の80年代のホラー量産の礎を作った、と思えば、ラリー・コーエンの先見の明みたいなものが感じられてきます。 という訳で、微妙なホメ言葉を並べて結局は、地味な作品だと私は言っているのですね。 姿は露わさねど、人数は増えた悪魔の赤ちゃん(数少ない出番ながら、動きは前作よりも良くなった気が)。彼らの抹殺を図ろうとする警察と、それを阻止しようとする組織の対立が描かれる、という趣向ですが、それなりに地味。地味ですが、雰囲気はある。夜の不気味さ、みたいなものがよく出ています。 で、例によって、我が子となると理性が揺らぐのが親心。周囲からすれば、次には一体何を言い出すやら予想できない、それが親心。 ラストの尻すぼみ感も含めて、これは一種のホームドラマなんですよ、きっと。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-08-14 08:31:05)
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