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61.  コースト・ガード 《ネタバレ》 
監督が描きたかったのは狂気だろう。人類における最大の狂気は戦争だ。戦争という影におびえている韓国社会と軍隊に対する批判が見られる。「夜7時以降に警戒区域に侵入したものはスパイとみなして例外なく射殺する」という軍規は狂気そのものだ。識見が硬直しているのだ。 キム上等兵は軍務に忠実で、何の疑いも持たず軍規を固守する部類の人間。ある日、侵入者を発見して迷わず射殺するが、誤射と判明する。好奇心で侵入してきた民間の恋人同士の内の男性だった。一般社会では責任問題になるが、軍隊では表彰された上、休暇を貰う。キム上等兵は初めての殺人の衝撃と、誤射の悔恨で放心状態に陥る。そして、恋人に去られ、正気を失ってゆく。 一方で、恋人を目の前で殺された女ミアは衝撃のあまり、気がふれる。物語は軍隊がこの二人の狂人によって翻弄されてゆく様子を描くが、正に毒を持って毒を制するの観がある。 魚がしばしば登場するが、これは弱者たる人民を表わしているのだろう。狂女が軍隊である。狂女が水槽の魚を弄んで殺すのは、軍隊の暴発により人民が犠牲となることだ。狂女が水槽に入って水を血の色に染めるのは、軍隊が社会に悪影響を及ぼすことの比喩だ。軍隊という強大な権力に対して、人民は一方的な被害者でしかない。狂気は堕胎される必要がある。狂気は自らを滅ぼす。狂女は軍人を嘲笑いつつ、海中に姿を消す。キム上等兵は町中において、銃剣で通行人を刺す。軍隊という狂気の世界に投げ込まれた人間の成れの果だ。純粋であればある程狂気に染まりやすい。悲劇である。軍隊は狂気を孕んでいるぶん危険な存在なのだ。最終のキムの回顧場面で、ボール競技のコートに朝鮮半島の絵が浮かび、南北統一への祈願が示される。朝鮮戦争という狂気は、いまだに濃く朝鮮半島に影を落としている。 残念なのは、キム上等兵の狂気に現実味がさほど感じられないことだ。純真な人間として描かれるべきを、最初から激昂する軍人として描かれているので齟齬がある。誤射殺人と恋人に去られただけで、あのような狂気に陥るだろうか。彼の軍隊や殺人に対するこだわりやわだかまりが描かれてしかるべきだ。第二段、三段と、凄惨な出来事や体験を課す必要があるように思えた。暴力描写にも冴えが無い。
[DVD(字幕)] 6点(2014-10-28 00:30:44)
62.  受取人不明 《ネタバレ》 
映像を象徴的に表現にする超凡さは映像詩人と呼ぶにふさわしい。主題は朝鮮戦争の心的傷と米軍基地問題だが、真の主題は、暴力や無知、差別などの人間の持つ悲劇性だろう。虚飾を排し、人間の暗部を冷徹な眼で抉り出し、人間の真の姿を歴々と提示して見せる。この監督の独断場だ。少女は碧眼の劣等感で屈折し、自分をからかう子供を威嚇し、愛犬で自慰行為をし、覗き人のの目を鉛筆で突き、目の手術と交換に米兵の恋人になるなど打算的だ。少年は貧困で学校に行けず、又気弱な為、いじめを受ける。少女に恋しているが、純愛ではなく、夜に忍び込んで部屋を盗み見する淫靡さを持つ。混血児は差別されて他に職業が無く、母の愛人の犬屠殺業を手伝っている。母は黒人兵相手の娼婦だった。米国に渡るのを夢見て手紙を出すが、いつも宛先不明で戻ってくる。娼婦故に差別され、村人と諍いが絶えない。戦争が暗い影を落とす。少女の父は北に亡命、少年の父は足の障害者、混血児は戦争の落し子だ。片目は偏見の象徴。差別の目で見られるということ。少女と目を負傷した少年と混血児の三人が揃う場面は印象的だ。少女は身の保全の為、治癒した片目を潰すという二重の悲劇にみまわれる。犬は下層民の象徴。犬を虐待し、食べるのは、同族相争う意で朝鮮戦争のこと。犬たちが縄を引いて人間の首を絞めるのは、三人の反逆を意味する。土は祖国の象徴。混血児の死は自殺だろうが、混血なので半分しか土に埋まらない。母は遺体を掘り出し、それを食べることで息子を誕生以前の状態に復し、火の浄化で魂を土に還元することを願った。異形の愛である。銃は暴力の象徴。木製銃でも悲劇の引き金となる。土中から拳銃が堀り出されのは戦争の再現を意味する。少年は銃で膝を撃たれ、父親と同じ下肢障害者となる。弓は非力の象徴。戦争の前では誰もが非力だ。刺青は束縛の象徴。混血児が母の刺青を削ったのは、母を開放する意味があった。米兵は少女を束縛しようと刺青を刻もうとした。溜まりに溜まった怒りの暴発とその反作用と悲劇の連鎖で物語は終焉する。全員が不幸となる救いのない物語だ。だが、絶望でない。愚かだが、利己主義ではなく、一種緊急避難的意味があり、魂は救済されるだろう。手紙が届く。混血児の父の知人からで、蓋し黒人兵の死を告げるもの。兵士がその手紙を読む場面の朝靄の美しさに仄かな希望が暗示される。人間の本来の姿はかくも醜く、美しい。
[DVD(字幕)] 8点(2014-10-27 16:14:58)
63.  リアル・フィクション(2000) 《ネタバレ》 
日常における現実と虚構、映画における現実と虚構の問題を扱った作品。・不愉快な事や理不尽な目に遭っても不平や不満は口にせず、ひたすら忍従忍辱し、表面上は平静を装っている自分と、感情を剥き出しにして憎憎しい相手を抹殺することを想像する自分と、どちらが本当の自分か?映画は役者が演じる虚構であるが、役者にとっては演じることが現実であり、出来上がった映画もまた現実である。人が夢を見ているときは夢が現実であるように、観客が映画世界に浸っているときは映画の世界が現実である。映画は現実と虚構の境界が曖昧である。その面白さを実験的に表現した作品。主人公の画家が似顔絵を描くが、本人に似ているかどうかは主観による。本人にとって似ている絵は現実で、似ていない絵は虚構。絵を破った女は虚構を破ったわけだが、画家にとっては破られた絵は現実。矛盾が生じる。画家は女に誘われ、舞台に入りこむ。舞台で演じられる演劇は虚構だが、役者の誘導によって、もう一人の自分と出会う。理性を拭い去った、暴悪で凶猛な自分。虚構と現実の境界が曖昧になる。映画の中に男を撮影する女が写り込み、その撮影した動画が時折挿入されるという入れ子構造になっている。女の撮影した動画こそが現実とも考えられるが、男は女を殺してしまう。現実には殺人は行われないので、女も虚構だと知れる。絵を破った女、恋人、刑事、軍隊仲間、暴力団らに対して復讐が行われるが、復讐が終わって戻ってくると、現実は元のまま。全ては虚構だった。そこに暴力団と市民の騒動があった後、カットの声がかかり、エキストラやスタッフが混入する。観客はここで虚構から現実に戻される。蛇、薔薇、肉はそれぞれ、凶暴な自分、虚飾、堕落の象徴であり、相変わらず小物の使い方が秀逸だが、実験映画としては凡庸である。斬新なものはない。早撮りに拘泥するより、映像表現に拘泥すべきだった。より幻想的に、より意識下に訴えるような独創的なものであれば、主題と似つかわしい表現となっていただろう。手振れの粗い画像など陳腐でしかない。観客に、意識下に隠れている本当を意識させるような、一種の恐怖に似た体験を起させない限り、成功したといえないだろう。映画はあくまで虚構であり、観客の反応こそが現実なのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2014-10-21 01:16:54)
64.  悪い女(1998) 《ネタバレ》 
この監督の表現の中心的な動機は暴力と性愛で、主人公の大半は社会の底辺に位置する社会不適格者である。物語は極端な設定の元、人間の醜悪な部分を露呈させ、悲痛な出来事が展開し、どんでん返しがあり、社会不適格者が神の如き存在に変容するという幻想的結末となる。その感情浄化が最大の魅力だ。そして随所に絵画、彫刻、水、魚へのこだわりと偏愛が見られるのも顕著な特徴だ。人物を甚だしく歪んで描くエゴン・シーレの絵の手法を映画に応用したものと考えればいいだろう。主人公は民宿女郎のジナ。非道なヒモの男に羈絆され、売春を強要されているように見えるが、諦念に達し、自分の運命を受容している。冒頭場面、猥褻雑誌の上からころげ落ちた亀が危うく自動車に轢かれそうそうになるのをジナが救うが、これはジナが性愛に汚れた男性の魂を救済する女神のような存在であることの象徴だ。但し、真の主人公はジナの民宿の娘、ヘミだ。彼女の変容こそが映画の主題。ヘナはジナと対照的に描かれる。年令は23歳で同齢だが、大学生で、性に対して潔癖で、恋人にも体を許さない上、男性の買春も是認しない。女らしさの象徴の髪は短く、豊満な肉体を固いシャツとジーンズで防護する。ヘナはジナを蛇蝎の如く嫌っていた。ヘナの恋人、弟、父親がジナと肉体関係を持つという悶着があり、両者は徹底的に衝突したが、一方で相互理解も生まれた。性愛の認識の違いを共有し、共に犠牲者であることもわかった。やがて、喧嘩友達に似た一種の友情が芽生えた。ある日、ヘミはジナの跡をつけた。本屋に寄り、カラオケをし、軽食堂で食事をし、ヘアピンを買う。相手は自分と変わらないと感じ、次は真似をしてみた。本屋に寄り、カラオケをし、食事をし、ヘアピンを買いと、同じ行動をすることにより、親密感が湧いた。その様子をジナも観ていた。ジナの自殺未遂という事件を経て、二人は姉妹のように仲良くなった。そして、ヘミは自ら売春に身を投じるようになる。それは、ジナに対する贖罪の意味があり、自己を犠牲にして性愛で男性を慰安する行為に対する崇敬のような想いが生じたからだろう。聖書の売春の傍観的批判者から、グラナダのマリアへの変容である。が、あまりにも理想的すぎて感情移入できない。売春はもっと悲惨であろう。金魚は海で生きていけないのを監督は知っているのだろうか?知っているのなら、自由は短いという比喩となる。
[DVD(字幕)] 7点(2014-10-20 21:00:14)(良:1票)
65.  ワイルド・アニマル 《ネタバレ》 
ホンサンは北朝鮮の特殊部隊を脱走し、フランスの外人部隊に身を投じようと密入国してきた 篤実な男。 チョンへは韓国人の画家だが、落ちぶれて窃盗を繰り返し、仲間から爪弾きにされているチンピラ。共に祖国からのはみだし者という共通点がある。二人は大道芸で糊口をしのいでいたが、マフィアに引き抜かれて 裏社会に入り込んでいく。 二人の友情を縦糸、二人の恋愛を横糸として物語が紡ぎだされるが、展開は犯罪映画の定石の範疇を越えず、感動できる程の深みは無い。それよりも暴力と性愛場面が異常に多いのに辟易させられる。例えば、チョンへがあこがれる女が、恋人から暴力を受ける場面は何度もあるが、どれも似たり寄ったりで、冷凍鯖で殴られ、壁の女の肖像画にカメラ目線が移動して終る。 感心したのは人間関係が濃厚な点。ホンサンがフランスに入国するときに、列車で相席になった女がいた。この女が車掌に「連れだ」と証言してくれたことで密入国が叶った。この好意でホンサンは女に惚れる。ホンサンが立寄った「覗き部屋」で女が出演していて再会する。女の恋人はマフィアで、二人の所属するマフィアの敵対組織だった。彼はチョンヘによって殺される。女は復讐を誓う。運命の歯車がどんどん狂っていく様子が冷徹に描かれている。 想像力を駆使した構図、原色の色調など、映像美は目を見張るものがある。塑像に扮装する女性や、誰もの意表を突く“冷凍鯖殺人”などは視覚先行ゆえの着想なのだろう。水に対するこだわりも随所に伺える。チョンヘのアトリエは川辺に係留する船で、根無し草を意味する。二人がマフィアに袋に入れられ、海に投げ込まれる。そして最終場面では、南北二人の血が流水に混じり合って下水道の中へ消えていく。南北統一の想いが込められているのだろう。鮮烈な印象を残す。ただし感動は薄い。というのは、これの前の場面で、二人は袋ごと海に落とされるという絶体絶命の場面があり、そのため、女に射殺されるのは“おまけ”のように映ってしまう。また、女がホンサンを自分の恋人殺しの犯人と断定した理由が、ロレックスの時計だけだという点も弱い。同じ型の時計はいくらでもあるのだから。
[DVD(字幕)] 7点(2014-10-19 23:22:11)
66.  鰐~ワニ~ 《ネタバレ》 
男は川辺で露天生活を営む、粗暴で反社会的な人物。身投げ溺死者から金品を奪い、礼金と引き換えに遺族に死体の場所を教える。孤児に物売りをさせ、不倫を目撃すれば恐喝もする。そして、稼いだ金は酒と賭事に消える。あるとき女が身投げをし、男が助けたが、後で強姦し、自分の慰みものとする。女は逃げようとするが、老人と孤児に扶助され、共に暮らし始める。女の自殺の理由は集団強姦された為だが、男が調べると、女の恋人が暴力団に依頼して強姦させたのだった。男は恋人を拉致し、女の前で真相を暴露し、銃で撃った。その夜、二人は結ばれた。しかし、女は再度入水し。男は女の絶望を知っているので、助けずに、死の伴侶となることを選ぶ。男は女を水底のソファに腰かけさせ、自分と手錠でつなぐ。絶望した二人の壮絶で、美しすぎる死だ。実に絵画的な映画だ。あらゆる場面が絵で彩られる。天幕横に絵の敷物があり、堤防に芸術めいた落書きがあり、警察の似顔絵描きが登場し、女が男の似顔絵を描き、男が亀と手錠に色を塗る。二人が結ばれる姿の映る水面の凄艶さ、最後の死の場面での青き月光にゆらめく二人の姿の醇美さは 神々しいほどだ。水へのこだわりが感じられる。亀は不器用に生きる男の投影で、手錠は絆・運命、青はあこがれ、紙舟は魂の象徴である。亀と手錠を青く塗るのは、理想郷に行きたい願望の表れだ。男は理想郷は海の果てにあると思い、海に達せず没む紙舟を嫌悪していたが、老人から昔の川は綺麗だったという話を聞いて、理想郷は水底にもある信じこんだ。そして、水底に長椅子、堕天使の絵画を配備し、理想の世界を造ろうとした。救いの無い物語だが、理想郷で死ねたという意味で、男にとっての救いはあった。奇抜な発想と演出の連続で観客を魅了する手法は評価できるが、荒削りな部分が多い。「女に振られたか?」と男に声をかけた警察官が、唐突にホモを迫る。相手がホモでないのを知っているのにどうして迫る?子供を騙して、銃を撃たせる殺人は、非現実だ。自動販売機の中に入って珈琲を売るというのは茶番劇だ。女が居つくようになった理由、男と結ばれた後に何故自殺したか、掘り下げが足りない。一方で、男の背景描写が一切省略されているというのは、ある意味清々しい。それだけ想像が広がるわけで、成功している。底辺の人を見守る優しい眼差しがある一方で、子供に殺人させるなど灰汁が強い。
[DVD(字幕)] 7点(2014-10-19 18:37:25)
67.  トスカーナの贋作 《ネタバレ》 
女が男に惹かれる。それは女の息子の指摘で明らか。二人が車中で交す本物偽物議論。女の妹は本物と偽物を区別をしない。その夫は妻を吃音で呼ぶが、妹にはそれが恋の歌に聞こえる。男によれば、その夫こそが本物。単純な世界を受容しているから。ただ楽しさを追求する子供は正しい。コーラ缶は陳腐だが、博物館に飾れば違って見える。価値は視点で変わる。男が絵に無関心なのは、絵画自体が本物の模造に過ぎないから。「モナリザもジョコンド夫人を描いた複製」男が本を書いた契機は、ある母と子が複製ダビデ像を本物のように眺めているのを見たから。女はそれは自分達母子だと言う。二人は過去に接点があった。店の女から夫婦と間違われ、女は夫婦を演じることを提案する。理想的な結婚へのあこがれがあるから。新婚者が黄金の生命の樹の前で愛を誓う場所で、女は新婚の頃を思い出す。男は相手を思い遣る心が大切で、愛を誓うのは無益と悟っている。「葉の散った冬枯れの庭だって美しい」女が男の肩に頭をのせる塑像の価値を巡って議論となる。男は、老人に忠告され女に優しくする。料理店で、女は化粧をするが、また議論となる。疑似夫婦の境界が無くなり、感情が迸り、お互いに相手を責める。女は教会で頭を冷やす。円満な老夫婦の姿を見た男は女に優しくし、二人は塑像と同じ姿勢をとる。新婚時に泊ったホテルで、女は妹の夫をまねて吃音で男の名を呼ぶが、男は戸惑う。鏡を眺めていると鐘が鳴った。振り向くと、女が、思い出して、といっていた光景がこれだと分ったが、皮肉にも時間切れを告げる鐘でもあった。愛における本物偽物議論が命題。母子家庭の女は、息子との関係がぎくしゃくし、結婚に対するあこがれが強い。無意識に愛も複製できると考え、疑似夫婦を演じる。男にとって、愛は複製できないもので、複製は最初から無効。愛は総じて贋作だが、「贋作は本物よりも美しい」こともある。その為には、「意志ある迷子」が必要。その好例が女の妹夫婦で、議論の無い世界に住む。女がいくら真似しても贋作に過ぎない。本物と偽物の二元論ではなく観客を参加させる映画。観客は鏡の中にいて、答えは映画の中にない。偽りの夫婦と本物の夫婦の境界はどこか?光彩陸離たる背景の流れる車窓、何を書いたか不明の本の署名、見えない塑像の顔、カメラ目線での鏡の見立て、実像と虚像が入り混じる演出が芸術志向だが、洗練されてない印象を受けた。
[DVD(字幕)] 7点(2014-10-06 00:41:33)
68.  欲望(1966) 《ネタバレ》 
抽象画風のやや難解な映画だ。現代人の「虚無と孤独」が主題だと思う。主人公の写真家は、「現代人、特に男性」を象徴する。経済的に恵まれ、仕事も成功しているが、心は空虚である。移り気で何をしても満足できず、熱中しやすく、冷めやすく、時に人道主義的で、時に冷淡で、女性に惹かれながらも蔑視し、日常生活に飽き、どこか別の世界に行きたいと願う。写真家の人物描写が興味深い。底辺の労務者を撮るが、同情はしない。飛んで階段を登ったり、スライディングして電話をとったりと落ち着きがない。モデル撮影に熱中したかと思うと、さっと止める。静寂を感じると車のクラクションを鳴らす。骨董屋ではプロペラを欲しがるが、スタジオでは見向きもしない。二人の少女と戯れるだけ戯れると、まるで別人となり殺人事件の写真解明に向かう。ライブハウスではギターネックを欲しがるが、通りにでると捨てる。自分というものが無く、周囲の刺激や雰囲気に大きく影響を受けてしまう。殺人事件は事実だ。拡大写真に消音器付拳銃が映っているし、死体も触って確認している。注意深く観ると、デモのプラカードを乗せた写真家の車を追跡する男女同乗の車に気づく。男はレストランを窺っていた怪しい人物で、殺人の実行犯だろう。女は唐突にスタジオに登場したのではなく、追ってきたのだ。スタジオが物色されて写真とネガが奪われたのも、事件が事実であることの証明だ。だが写真家は事件を目撃したという事実に確信が持てなくなる。写真とネガはないし、語るべき相手がいない。抽象画家の恋人と編集者に話すがまるで通じない。画家の恋人には「まるで抽象画」といわれるし、編集者に「何を見た」と訊かれて、「何も」と答えるしかない。「伝達の不毛」「人間関係の不毛」だ。虚無を象徴するのが「無音世界」だろう。無音に耐えきれず、クラクションを鳴らすし、ギターネックに執着したのも音に惹かれたから。公園の死体が消えた後、彼は自分を失って彷徨う。カメラだけを信じて生きて来たのに、それさえも信じられなくなった。そこでパントマイム・テニスの無音世界に出遭う。影響されやすい写真家は、パントマイムに参加し、見えない球を投げ返す。すると聞こえるはずのない打球音が聞こえてくる。無音世界が真実になったとき、写真家の姿は消えた。意識ともども無音世界に行ってしまった。60年代ロンドンの現代アートを刻み込んだ貴重な作品。
[DVD(字幕)] 8点(2014-10-05 20:33:42)
69.  大江山酒天童子 《ネタバレ》 
源頼光とその家臣四天王により首を刎ねられた酒天童子の「大江山の鬼退治」伝説が下敷きになっている。酒天童子は鬼ではなく、盗賊の首領となった元近衛武士の橘致忠で、藤原道長に妻なぎさを奪われたことを恨み、復讐に血をたぎらせているという設定。童子は妻が自害しないことを嫌厭し、妻を憎んでいる。彼の手下に鬼や妖術使いがいて、道長となぎさを襲う。狼狽した道長はなぎさを源頼光の妻に下す。ここに童子と頼光の因縁が生まれる。 脚本の方針が優柔不断だ。大江山鬼伝説を換骨奪胎して、復讐に燃える男が悔悛するという真摯な人情物語に加えて、特撮を駆使した妖術の娯楽活劇要素も色濃く残している。ある意味贅沢だが、中途半端感は否めない。人間劇として見ると妖術が邪魔するし、特撮ものとして見ると人間劇が鼻につく。童子と頼光の一騎打ちの決着がつかない上に、悪逆を尽くし謀叛を企てた童子が無罪放免になるなど生ぬるい。鬼と妖術使いを倒すには救世観音から施与された正法の弓矢が必要だが、施与された理由が十分に描かれていない。弓は夢に見た救世観音から唐突に与えられる。童子が悔悟したのは、なぎさの自害を知ったことと、頼光の人品骨柄を見て武士の世の到来を予見したからだが、後者はいかにもとってつけたような理由だ。悪者の道長には何の咎めもない。結局、魅力的な敵役が不在で、勧善懲悪という落とし所を失った物語は迷走せざるを得ない。間諜として乗り込んだ渡辺綱の妹もたいして活躍しない。童子と鬼との淡い恋も描かれるが、蛇足以外の何物でもない。酒天童子の部下が恣意に殺掠行為を働き、統制が取れていないのも気になる。 特撮だが、土蜘蛛と巨牛は見て脱力感がぬぐえなかった。鬼と救世観音の場面は見応えあった。俳優陣はみな凛々しく、達者な演技を見せていたが、童子役の俳優が役にしては老けていたのが残念だった。往年の役者を総覧するにはもってこいの映画だ。
[地上波(邦画)] 6点(2014-09-20 12:26:12)
70.  ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説 《ネタバレ》 
日本各地に残る浦島伝説、羽衣伝説、竹取伝説を下敷きにして、宇宙人と怪獣を登場させ、自然破壊や公害等で地球を毀損する現代人に警鐘を鳴らす内容である。宇宙人が、日本の原人ともいうべき海人族を導き、宇宙人が遮光器土偶やかぐや姫や羽衣天女の雛型となったという設置。宇宙人は、現代人の遺跡破壊や行き過ぎたリゾート開発に瞋り、怪獣を使って破壊行動を行った後、海人族の末裔を伴い宇宙船で地球を脱出した。宇宙船は「ノアの方舟」で、行く先は「常世の国」の理想郷だ。内容から、観客が宇宙船に乗った人々を羨ましいと思わなければ成功とはいえないだろう。実際は、全く羨ましさを感じなかった。宇宙人は、意に染まない人間を抹殺する酷薄な殺人鬼に過ぎないし、海人族は能面のように不気味で生彩がなく、人間らしさに欠けている。自然を心から愛し、仁徳に優れ、善行をなす、理想的な人間として描けば印象は違っただろう。慈悲深い宗教指導者のような描き方でも共感できただろう。宇宙人も海人も薄気味悪いので同調できないのだ。目玉であるべき肝腎の怪獣が添え物扱いでは、ウルトラQの名前が泣く。ウルトラQ・シリーズは、怪獣番組の嚆矢で、怪獣を魅せることで爆発的人気を獲得し、次のウルトラマン・シリーズに繋がった。本作品で、怪獣の出番はほんの顔見世程度でしかなく、民家を少し破壊して早々に退出する。登場する必然性も希薄で、天変地異でも代替え可能だ。又、怪獣の造詣に魅力が無いことも申し添えておく。怪獣に対する愛情、思い入れが足りないのは明らか。「怪獣を中心に据えた物語」という基本概念を尊重すべきだった。宇宙人の造詣もお粗末だ。遮光器土偶は宇宙服に似ているという発想から、宇宙人の姿を遮光器土偶そのものとし、もう一つの金属質の形態も、取り立てて見映のするものではない。最後まで、彼女の真意や苦悩は伝わらなかった。目指しているもの、理想としている姿が不得要領なのだ。地球を捨てれば解決ということでもあるまい。独特の角度、構図、移動撮影、照明等の凝った演出が堪能できるのが、この映画最大の佳処だ。建物をゆがめたり、構図を奇妙な形に切り取ったり、隠微で乾いた雰囲気を出す演出が達者なのだ。竹取物語の輝く竹にちなんで、竹林の地中から照明を放射する映像は脳裏に焼き付いている。ただ斬新だった演出手法も、今となっては尋常一様のものでしかなく、これは前衛芸術の宿命だ。
[地上波(邦画)] 6点(2014-09-18 01:07:43)
71.  君のためなら千回でも 《ネタバレ》 
アミール(A)は、自分出生後の母の死への負い目もあり、屈折している少年だ。ハッサン(H)とは親友だが、H父子はAの父の使用人で、被差別民という微妙な関係にある。HはAにひた向きに尽くすが、Aは年長者から被差別民と友達なのをなじられたことから、Hを疎むようになり、遂には、彼に時計泥棒の濡れ衣を着せて家から追い出す。卑劣な少年だ。ソ連がアフガンに侵攻すると、A父子は米国に亡命する。ここから物語は糸の切れた凧のように、アミールの恋愛や作家になる話や父の死など、緩慢な展開に移行し、21年が経過する。ソ連侵攻下のアフガンの様子など一切出ない。ある日、恩師を見舞う為パキスタンを訪れ、Hがタリバンに殺されたこと、実はHはAの父の隠し子で、AとHは母違いの兄弟ということを知る。Aは衝撃を受け、罪の意識に苛まれながら、Hの息子ソーラブ(S)の救出に、危険なカブールへ向う。ここからが臆病で卑怯者だったAが生まれ変わる転換場面で、最大の山場となる。廃墟と化した故郷、タリバン圧政下で苦しむ民衆、生命を賭けた救出劇、相応に見応えがあるが、不満も残る。Sを「稚児」に男が、かつてHに性的凌辱を加えた男と同一である偶然。SにHと同様、パチンコを持たせる作為。車で逃走するAらをタリバンが追走しない上、検問所に連絡もしないというお粗末さ。一本道なので容易に補足可能。救出劇が困難であればある程、AのHに対する贖罪の意味が増し、観客の溜飲も下がるのを理解していないようだ。AはSを米国に連れ帰り、養子にするが、幸福な家庭ではない。凧揚げで、はしゃいでいるのはAだけ。Sは「自分は汚れて」いると感じているし、Aの妻は別の男との同棲の経験があるし、舅は固陋で気難しいし、隠し子発覚でAの父の高潔さは失墜した。Aは今後も慙愧の念に堪えないだろう。凧合戦は平和の象徴だ。しかし、凧揚げは広場でするものだ。電信柱の林立する町中では上手く揚がらないだろう。道路には車の往来があるし、柵の無い屋上は危険だ。Hがどうして凧の落ちる場所を知悉している「Kite Runner」なのかは不明のままだ。Hが父親から、風向きを読む術を習うような場面がほしい。アフガンで「七人の侍」が人気があったのは驚きだ。60年代のアフガンを再現して見せたくれたのは嬉しい。鑑賞後感はすっきりしないが、それがアフガンの現状なのだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-15 13:32:06)
72.  続・猿の惑星 《ネタバレ》 
衝撃的で、確固たる命題に貫かれた前作に較べると、何とも野放図で、まとまりが無い。 大人の事情で主人公が変わってしまったのは許そう。 この映画の主題は核の恐怖だ。人類滅亡どころか、地球の全生命消滅に繋がる核の恐ろしさが伝わるかどうかが、成功の鍵を握る。結論として、衝撃的な最終場面はあるものの、核の恐怖はさほど伝わらない。理由はいくつかある。 第一に地底人の描き方の問題だ。テレパシー、幻影、幻聴、思念で人を操る等、余りに現実離れしている。たかが二千年先の人類なのに、変質しすぎている。テレパシーで苦しんだり、仲間同士で殺し合いをさせられる場面は、絵的に表現するのが難しく、小芝居しているようにしか見えない。従って、緊迫感が無い。又、高度な知能を持ちながら、猿に対して有効な対抗手段を持たないのも不自然。逃げも隠れもしないのも謎。核爆弾を“聖なる武器、平和の武器”と崇めるが、猿には核兵器の知識がなく、抑止力にはならないのは明白だ。核信仰の根拠が不明だ。 第二に、猿が武力で禁止地区を侵略する動機が希薄。食料を求めてとのことだが、猿村の周辺は自然が多く、食糧増産には困らないだろう。禁止地区こそ食糧がなさそうだ。発見した地底人をいきなり皆殺しにするのも無茶である。 次に、チンパンジーがプラカードを持って「自由と平和」を訴えるデモをするが、これは露骨に製作時の時局を取り入れたもので、製作意図が見え見えで、興ざめする。 細かいことだが、馬車を奪って逃走するブレントをすぐに猿が追跡するが、奪う場面は目撃されていないので不自然だ。地下鉄のレールは二千年経てば錆びて跡形も無いと思う。 最大の不満は、前作での疑問、「どうして猿が人間を支配する世界になったのか?」に対する明確な答えがないこと。答えがないまま地球を破壊してしまうのは暴挙に等しい。地底人の醜怪な顔の理由も明かされない。ブレントもテイラーも対して活躍しないのも不満だ。ノバは人形に過ぎない。誰もが物足りなさを感じるだろう。 核爆発を阻止しようとしたテイラーが、最終的に核のスイッチを押すのは辛辣だ。人間は感情で行動するので、偶発的に何をしでかすかわからない。核は、危険すぎる「守り神」である。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-15 01:55:40)
73.  悪い男 《ネタバレ》 
ガラスは傷つきやすい心の象徴で、同時に凶器でもある。ハンギは何度も怒りにまかせてガラスを叩き割り、ガラスで刺された。これは心が傷ついたままということ。マジックミラー越しに見ることは、傷ついた不安の心で見ること。ソンファがミラーを破ったとき、心は癒され、二人の魂は結ばれた。男は女を思い遣って出逢いのベンチで別れた。海に入水する女は、ソンファが過去を捨て去ったことの象徴。シーレの絵は、恋愛願望の象徴で、女は体を求める恋人ではなく、魂が結び付く真の恋愛を欲していた。顔の欠けた写真は、結ばれた男女の象徴で、女には、未来に誰かと結ばれる予感があった。それがハンギと分かったとき、写真のパズルが完成した。現実と虚構の入り混じった独特の表現方法だ。男の心は深く傷ついており、もはや底辺でしか生きられない。言葉を発しないのは、意志を伝えられないことの象徴。男は、女が穢れ、自分と同じ底辺にまで堕ちないと愛しあえないと思っている。女は男を憎んだが、男が死刑判決を受けた時、男が自分のことをずっと見守っていてくれたことに思い当たり、男を愛していることに気づいた。手下のジョンテだけが二人の気持ちを理解しており、殺人を名乗り出て、男を救った。キューピット役である。ハンギは手下のミョンスに刺殺されたのか、蘇生したのかはっきりしない。その後の展開が無理算段なので、死んだと考える方が合理的だろう。二人の魂が共同で夢を見ているという解釈だ。二人が目を合せないのもその証左。結ばれた二人は売春稼業で暮らす。これが、二人にとって最も自然な形、底辺としての暮しだ。女は男と同じで言葉を発しなくなっている。色彩に意味があり、白が純潔で、赤が穢れ。トラックは赤い幌で覆われる。女を売春婦にして純愛を完成させるという奇想天外な恋愛幻想劇で、絵力や演技力があり、ある程度成功している。底辺の男が高嶺の花と結ばれるところに妙味がある。しかし、女優に華がなく、退屈だった。綺麗な花が落ちてこそ見甲斐がある。男を一瞬にして魅了する美しさが必要条件。平凡な容姿では成立しない。映像表現には長けているが、脚本が甘い。女が売春宿に沈められる過程で、親や警察が出て来ない。自首してすぐに死刑実行。女が男の愛を知るには、自己犠牲が必要で、女を守るために刺されるような事件が欲しい。とってつけたような悪徳警官。ナイフは埋めずとも海に捨てればよい。
[DVD(吹替)] 6点(2014-09-14 04:32:48)
74.  うつせみ 《ネタバレ》 
無断で留守宅に住みつく男が主人公。原題の「空家」は心の空虚を意味する。男は社会との接点を持たない。その象徴として彼は“無言”。彼は留守宅に侵入すると、音楽をかけ、洗濯をし、料理を作り、風呂に入り、寝る。人が居ないと寛げるのだ。壊れものがあれば修理する。これは男に“癒す力”があることの象徴。ある家で、心に空家を持つ女と出逢い、一緒に行動するようになる。男と居ることで女は癒される。始めは言葉を失っていたが、最後は言葉を取り戻す。愛の言葉だ。英題の「3-Iron」はゴルフクラブの3番アイアン。低い弾道で長距離を飛ばせるが、扱いが難しい。この映画の隠れた命題は「暴力」だ。3番アイアンはその象徴。クラブは護身用、凶器にもなる。この世に暴力はなくならない。女が心を喪失したのも夫の暴力による。ボクシングも一種の暴力で、男が修理した子供用ピストルも使い方次第で暴力となる。警察の取り調べでも暴力が横行する。男は護身用としてクラブを持ち、常に技を磨いている。心の防御を固めていたのだ。が、時には凶器としても使われる。男が女の夫と刑事に、夫が男に痛打を加えた。暴力の危険性を知っている女は男にゴルフの練習を辞めさせようと邪魔をする。しかし、男の誤打した球が車のフロントガラスに当って事故が起る。落ち込む男。今度は女が癒す番となり、二人の心は接近した。冒頭の揺れるゴルフネット越しの女神像は、暴行される女を表現する。洗濯物を手洗いするのは、洗濯機の音や動きが暴力的だから。家庭には温かみが必要だ。が、実際には諍いや暴力が絶えない。だから男は留守にしか入り込めない。長椅子のある家は夫婦仲が良い。温かみのある家庭だ。だから、女も自然に入っていけたし、夫婦も受け容れた。あの家は「理想の家」の象徴である。世の中が理想の家になれば男にも住む場所ができる。暴力のある家に入るには、不可視になるしかない。男はその術を身につけ、夫には見えない人物となり、女の家に侵入した。そして二人は結ばれた。お互いが相手の心の家に住みついたので、二人合わせても体重はゼロだ。恋愛の姿を借りて、暴力ある社会を批判した眩い幻想譚。その奇想と整合の取れた脚本、映像の美しさには瞠目する。消極的な解決策に異論もあるが、口にするのは無粋だ。雰囲気を楽しめばよい。男が納棺士の技術を持つ。女がアナログ体重計を操作する。この二点は不要と感じた。
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-13 05:39:42)(良:1票)
75.  猿の惑星 《ネタバレ》 
SF映画史上燦然と輝く屈指の名作。衝撃の最終場面がつとに有名だ。 戦争を繰りかえす人類をこれほど痛烈に、辛辣に、壮大な規模で批評した作品は他に知らない。冒頭の独白は、最後を見てから振り返ると、胸締めつけられる。「宇宙では、人間のエゴが空しい、寂しくなる。宇宙の奇跡である人類、偉大な生物人類、相変わらず互いに戦い、子供を飢えさせているか?」悲しいことだが、現代にも通じる箴言だ。 テイラーを科学者肌の温厚な性格にせず、やや粗暴で闘争心旺盛な性格にしたのは、人間の愚かさを強調する演出だろう。彼が戦争で滅亡した先文明人の象徴となっている。 作品が面白いのは“驚き”が連続するからだ。宇宙船の墜落事故。女性飛行士の死。人間による服を奪われる。馬に乗った猿による人間狩り。喉が傷つき話せない。もう一人の宇宙飛行士の脳外科手術。銃、カメラ、宗教など人間に類似する猿の文明。ザイアス博士は頑迷蒙昧なのではなく、すべてを知っていた。高度文明の危険さを理解していたからである。そして、衝撃の最終場面。畳み掛ける展開で飽きさせない。時代背景も重要だ。当時世界は冷戦の緊張下にり、核戦争の恐怖が蔓延していた。そこにこの映画は、戦争の愚かさと文明滅亡の恐怖を示し、人類に警鐘を鳴らした。その意義は大きい。核戦争が避けられた理由の一つに、この映画が挙げられるかもしれない。そうなら、世界文明遺産に指定する価値がある。 不備な点もある。二千年にしては猿の進化が早すぎる。人間が話せない理由が不明。調査で土壌は何も育たないというが、植物はある。調査で放射能汚染は無いというが、核戦争はなかったのか?猿が英語を話すなら、地球とすぐ分る。これが最大の疑問点だが、これは原作を改変した功罪だ。原作との違いを挙げる。不時着した星は地球ではない。ロケットは湖に沈まない。猿は猿語を話し、姿は地球の猿と違う。自由の女神は出て来ないが、別の衝撃の最終場面がある。 最後に、「『猿の惑星』は原作者ピエール·ブールが日本の捕虜になった経験を基にして書かれた」は、都市伝説である。仏語版ウィキペディアに、彼は、仏領インドシナで、親ナチス・ヴィシー政権への抵抗運動に参加したが、1942年に仏軍に捕まり、重労働を課せられ、2年後に脱走したとある。「戦場にかける橋」が実状とはかけはなれた内容であることもこれで説明がつく。捕虜の経験は無いのだ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-12 16:49:51)(良:1票)
76.  嘆きのピエタ 《ネタバレ》 
男は、闇金業を営む社長の下で働く冷酷非道な取り立て屋。元金の10倍の金利を要求し、払えない債務者には重傷を負わせ、障害者にして保険金を受け取るという苛烈な取り立てをする。冷淡無情で、良心の呵責も感じない。元々捨て子で、両親の愛や慈しみを知らずに、30年を孤独に生きてきた。ある日、母と名乗る人物が現れる。最初は疑念を持ち拒絶したが、何度も現れ、捨てたことをひたすら謝罪する女の尋常ならざる情念により、徐々に受け入れ始め、半信半疑となり、遂には信じるまでに到り、二人は一緒に暮らし始めた。男は、生まれて初めて母の無償の愛を知り、人間らしさを取り戻していった。同時に取り立ても優しくなった。だが、母はどこか寂しげだ。男が甘えても拒絶することがあり、母が編んでいて、男が自分のものと思っていたセーターを誕生日にくれなかった。母には秘密があった。その正体は男の所為で自殺した犠牲者の母で、復讐のために男の母に成りすましていたのだ。自ら男の目の前で死んで、男の魂を破壊しようとする悲壮な復讐劇を企む。だが女にも心の変化があった。自分は死んでもよいから母を助けてくれと懇願する男の姿を見て、男に憐憫さを感じたのだ。結局、女の密計は成功し、男は自らを罰する壮絶な死に方を選ぶ。 実に惨憺たる話だが救いはある。男は母の愛を知って人間性を取り戻し、復讐の鬼と化していた女も男を憐れむ気持ちが持てた。型破りの復讐方法と奇異な展開に肝胆驚かされるものがあった。暴力場面が目立つが許容の範囲内。鶏、うなぎ、うさぎが犠牲者の比喩となって使われていた。子守唄の演出は効果的だった。映像処理は丁重で安心感がある。個性の際立った作品で感銘を受けた。引っかかる点もある。男の変貌が急すぎる点だ。無慈悲で冷酷極まりない男が、母がいなくなれば生きていけないとまで思うようになる、その変化が伺える逸話をいくつか用意し、時間をかけて丹念に描けば、名作になり得た。女の正体が知れるのは最後の最後にすべきだった。その方が衝撃が大きく、遥かに余韻が残った。廃ビルで、女を突き落そうとする老婆が現れるが、時機が合いすぎて不自然だ。又、老婆に突き落とされた方がよかった。その方が救いがあるし、偽装した復讐者が別の復讐者に勘違いされて殺されるという皮肉の運命となり、物語に深みがでた。女が簡単に社長を殺せたのは不自然だ。男のマザコンぶりが異常ぎみ。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-12 00:31:57)
77.  友だちのうちはどこ? 《ネタバレ》 
意表を突いた結末が清烈な作品。一見、天真で無邪気な子供の小さな冒険物語のように見えて、実はかなりの“毒”を含んでいる。毒とは、子供社会と大人社会の断絶と相剋だ。子供にとって大人は時に理不尽だ。大人は理屈を一方的に押し付け、子供の主張や言い分に耳を傾けない。ネマツァデは帳面を友人の家に忘れたので、宿題を紙片に書いて提出した。宿題の義務は果たしている。が、先生は、帳面に書かなければ意味がないとし、紙片を破き、今度紙片に書いてきたら退校だと脅す。アハマッドは帰宅して、ネマツァデの帳面を間違って持ってきたことに気づいた。これが無いとネマツァデは退校させられ、それを救えるのは自分だけという差し迫った状況。彼は母にその旨を説明するが、母はそれは遊びたい口実だと一蹴し、宿題しろと命じた上、あれこれ用事を言いつける。アハマッドは母の眼を盗んで、友の救助に向かう。出会う大人は当てにならない。鉄の扉専門の大工は、アハマッドを無視し、帳面から一枚剥がす狼藉を働く。祖父は、命令されたら一度で行動することを子に教えるのが躾であり、その為に四日に一度は殴る必要があると説く。親切ごかしの老人は、一方的に自分の事を語り、間違った家に導く。結局、帳面は渡せず、帰ってくる。家では、父も祖父も無口、母は口うるさい。大人達に対する失望は隠せない。少年は明日、友に降りかかるであろう不幸を思うと、食事も喉を通らない。しぶしぶ宿題をするしかない。その時、扉が開いたて強風が吹きこんできた。漆黒の闇に洗濯物が翻っているのが見える。 強風は大人の理不尽、闇は暗愚さ、洗濯物は障害物の象徴だ。少年は悟った。結局自分も大人になるしかない。友を救うには正直一辺倒では無益で、先生を騙してでも、出し抜かなければならない。こうして、ずるさを覚えて一歩大人に近づいた。物語は、比喩になっていて、大人社会と子供社会の対峙が、そのまま為政者と民衆の対峙に置き換えられる。陋習にとらわれた蒙昧な指導者に導かれる民衆の結末は哀れなものだ。 違和感を覚えた点がある。落した鞄の中味を拾ってあげても、帳面は間違えない。子供が夜に帰宅した場面が省略されてある。ここは当然叱られる場面。夜なのに洗濯物が干したまま。宿題をしなかった子供の言い訳が、「背中が痛い」。翌朝、アハマッドが遅刻する理由が描かれない。住所記載の学級名簿とかないの?
[地上波(字幕)] 7点(2014-09-10 04:52:59)
78.  綴方教室 《ネタバレ》 
小学校の女子児童の作文が原作という異色作。 貧困にあえぎながらも、明るく懸命に生きていく庶民の姿が清新に描かれる。 綴方とは作文のことだ。先生は、「見たまま、思ったままを正直に、一番頭に残っていることを自由にのんびりと書け」と指導する。写生文の勧めだ。それは正子の、横着者だが可愛い末弟、弟との英語ごっこ、弟との胡瓜の取り合い、鶏をさばく、立ち往生する馬車、道端の団子売り等の文に結実する。しかし、それだけでは「良い作文」にすぎない。原作が優れているのは、豊かな物語性を包容していることだ。 裁判所からの立ち退き命令が、実は家賃催促にすぎなかった。 兎をもらった作文が、思いも寄らぬ筆禍事件を引き起こし、父親が失業の危機に陥る。 友達が母親と田舎に行く話を羨んでいると、実際は離婚で帰るのだった。 自転車が盗まれたことが、父親がブリキ職人を辞め、日雇い人夫になることに繋がる。 芸者に売られていく娘を目撃するが、それが我が身にも降かかりそうになる。 父親が仕事にあぶれていると仕事が飛び込んできて、喜び勇んで出掛けて行ったが、仲介人に騙されて給与が貰えず、泥酔して帰ってくる。 このように、一方ならず劇的なのだ。貧困の悲哀を描いても明るさを失わないのは、人が良すぎて世渡り下手だが、妻子思いの父親の存在が大きい。どこか可笑しくて温かみのある、愛すべき人物なのだ。 正子にとって貧乏は特別なものではなく、日常だ。だからありのままに描いた。貧乏故に意外な出来事や幸不幸が起りやすい。それが文章に起伏をもたらし、期せずして物語性をもつに到った。貧乏も、子供の明澄な眼と感性を通じて文章化されると、瑞々しい抒情性を持ったものになる。一種の奇跡だ。その作文に目を付けた監督の感性が素晴らしい。 冒頭、カメラは、荒川を映し、明るく歌を唄って下校する子供達の姿を追い、あばら家集落に消えるを見せ、明るくはしゃぐ広子の様子を捉え、広子の長屋の入口にたどり着く。観客に映画の世界観を端的に表出して見せる、傑出した導入部だ。日常をそのまま切り取ったような自然な演出で、観客を無理に感動させようとするあざとさとは無縁。長屋のセットも本物とみまがうもの。寔に好ましい。この映画を通じて得た経験が、黒澤明に大きな影響を与えたものと察する。 
[地上波(邦画)] 8点(2014-09-09 18:11:49)
79.  水で書かれた物語 《ネタバレ》 
美しい母親とそれを思慕する息子、近親相姦にも似た母と子の性の物語。銀行に勤める静雄は、実業家である橋本伝蔵の娘ゆみ子との結婚が決まる。だが静雄は乗り気ではない。奔放なゆみ子から婚前交渉を誘われても断る。性に潔癖なのではなく、伝蔵からあてがわれた芸者の女は抱く。そんなとき、伝蔵と静雄の母静香が出ているという封書が机の中に入っていた。同僚のいやがらせだが、思い当たる節があった。若くして病没した静雄の父が存命の頃、伝蔵の家に母が入るのを見たのだ。自分の父親は伝蔵かもしれないという疑念がふと湧いた。母を監視し、最近になって、また伝蔵と関係を持ち始めたことを知った。全てを伝蔵に支配されているような重苦しさに耐えきれなくなった静雄は、伝蔵に疑念をぶつけ、会社を辞め、ゆみ子とも別れ、母に心中を迫る。 物語のほとんどが性にまつわることばかりで戸惑いを覚える。息子にとっては母の「女」の部分は見たくないが、美し過ぎる母親の功罪で、近親相姦に近い感情を抱いてしまう。父親を早くに亡くして、母親の愛情一つで慈しみ育てられたことも影響している。母は、一児の母でありながらも「女」の部分を捨てられない。寡婦の寂しさと、一人息子が家を出た開放感もあり、伝蔵に強引に口説かれると抗うことができなかった。 「水で書かれた物語」とは、すぐに消えゆく儚い物語という意味だろう。これにちなんで水を素材にした演出が多く、効果を上げている。愛欲場面は、白黒の明暗の調子のはっきりとした美しい構図の連続で、女性の裸は見せず、静謐であり、どこか清潔ささえ感じる。逆さに映した構図、鏡に映した構図、女性らもて遊ばれるに幻想場面、水に反射する光の映像など婉美で佳麗だ。だが、主題と映像様式が合っていない。人間の性の感情や情念を描くのではなく、性の観念や感覚を描こうとしている。芸術主義、哲学的なのだ。斬新さは認めるが、際立ってはいない。静雄役の俳優に色気がないことが大きいだろう。美形で無い上に、情念の象徴の髪も短髪だ。この物語は傾城の母と童顔美形の子が演じなければ成立しないと思う。禁忌に触れる甘美さが出せないからだ。むさくるしい男が性に悩んでも絵にならない。性と死が結び付いた最終場面もさほど衝撃的ではない。音楽も退屈だった。商業的に成功するはずもない難しい主題に挑んだ意欲は尊敬できる。
[DVD(邦画)] 6点(2014-09-08 11:00:50)
80.  父、帰る 《ネタバレ》 
突如、12年ぶりに姿を現した父に驚くアンドレイとイワンの兄弟。母と祖母の態度から歓迎されていないことが知れる。二人とも父の顔を知らない。写真で確認すると、戸惑いながらも嬉しさを隠せない。しかし父も母も事情を一切説明しない。三人は、翌日から二日の予定で旅に出る。二人は釣りを楽しみにしていたが、父親は行先も告げない。道中、父は横柄で、命令口調なので両者の関係は険悪となる。予定が三日間伸び、修理した舟で島に渡った。父親は隠していた何かを掘りだしたが、子供はそれを知らない。父子で諍いがあり、父親は物見の搭から墜落死した。父の遺体を舟で運んで帰ると、車の中に三人が映った写真を発見する。父親の愛情に触れたと感じたが、舟が死体と共に流された。「パパ!パパ!」初めて心から「パパ」と呼べた瞬間だったが、無常にも死体は沈没する。 奇妙な味わいの映画だ。父子の断絶を描いており、父の死という悲劇で終るが、子供にとっては、最後の最後で父の愛情を確認できたという皮肉な結果となる。この解釈では、父が掘り起こしたものは「親子の愛情」を象徴するものだ。一枚の写真を示せなかった悲劇である。その前に、イワンを追いかけた場面で、初めて父親らしい行動を見せた。だが、それは子供には通じなかったようだ。服役を終えて帰った父が、島に隠匿していた盗品を掘り出すとも解釈できる。わざわざ隔絶した島の土中に隠すのだから、こちらの解釈の方が妥当だ。家族に関するものなら念入りに隠す必要はない。お金と車を持っているので、服役ではなく、単に出奔していたのかもしれない。いずれにせよ、大切なものなら、掘り出してから帰ってくればよかったのだ。妻と母から疎まれている人物なので、死なずに戻ったとしても、喧嘩の絶えない家庭になっていただろう。 父子の断絶が平行線のまま進むので見ていて苦痛だった。宝箱の中を開けずに終った感じ。子供の行動も、レストランを探しに行って三時間も戻ってこないとか、出された食事を食べないとか、舟釣りに出て四時間も遅れて帰るとか、異常行動が目立つ。子供がもっと素直であれば、肩入れして見れたのに。父親がイワンを心配して搭を登る行動は唐突に感じた。放っておけばよいではないか。イワンが最初に「飛び降りて死んでやる」と宣言していればよかった。搭の場面は、冒頭の飛び込み台から海に飛び込む場面が伏線となっている。感心した。
[DVD(字幕)] 5点(2014-09-07 07:39:37)
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