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dreamerさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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自己紹介 映画を観る楽しみ方の一つとして、主演のスター俳優・演技派俳優、渋い脇役俳優などに注目して、胸をワクワクさせながら観るという事があります。このレビューでは、極力、その出演俳優に着目して、映画への限りなき愛も含めてコメントしていきたいと思っています。

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61.  テオレマ 《ネタバレ》 
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「テオレマ」について、パゾリーニ監督は、最初はこのテーマを詩による舞台劇として考えていたそうだ。  そのため、この映画は知的な構成が明らかすぎるほど明らかだ。画面の隅々まで緻密に計算されており、登場人物の役割も非常にわかりやすい。 だが、主人公が神か悪魔かといった謎が"不条理演劇"のように、簡単には割り切れない。  それは、主人公を演じるテレンス・スタンプの顏のクローズ・アップが、極めて映画的な効果をもたらしているからなのです。  ~ミラノの大企業家パオロの家に謎の青年がやって来る。青年は、パオロやその家族と性的な接触を持ち、彼らの欲望を解放して、やがて立ち去って行く。残された人々は、彼ら自身の真実に向き合うこととなる。そして、彼に感化されたメイドは屋敷を出て、聖女になり、パオロは自分の工場を労働者に渡して荒野を彷徨うのだった~  悪魔の中に天使が宿るというようなイメージで、悪魔に魅入られた、悪魔のような美しい俳優・テレンス・スタンプ。 パゾリーニ監督の「テオレマ」に登場する彼は神なのか、それとも悪魔なのか?  彼の来訪は、郵便配達の姿をした天使によって告げられ、その辞去も天使によって予告される。 天使をつかわしたのは、そうすると神なのだろうか? 彼自身が神であったら、迎えの通知がくる筈はないのだから。  彼はただ彼という存在のままブルジョワ一家に迎えられ、客として滞在する。 彼はそこにいるだけで、一家の人々に不思議な力を及ぼす。 彼を見、彼に触り、そして彼に抱かれることによって人々は、自分自身に到達する。  イエス・キリストの衣に触れただけで病が治る聖書の話が、ふと連想されるが、彼は決して人々を救いに来たわけではない。 一家のメイドは、やがてブルジョワの屋敷を出て、故郷の貧しい人々の所に行き、身を犠牲にして土をかぶり、聖女となる。 だが、一家の他の人々は、それぞれの苦悩を生き始めるのだ。  この映画でテレンス・スタンプが果たす役割は、そこに存在するということなのだと思います。 彼の顏と彼の微笑、そして彼のなまめかしい肉体で、そこに存在するということ。 映画を観る私は、一家の人々と同じようにその存在を感じます。  神なのか、悪魔なのか、それとも神の子なのかという問いの答えは、永久に得られない。 逆に言えば、神は彼のような存在だとパゾリーニ監督は見ているのだろう。  ここでは、ひとりの役者が自分の存在をメタフィジカルな存在と同一化させているのだと思います。
[DVD(字幕)] 7点(2019-03-18 14:26:10)
62.  危険な関係(1988) 《ネタバレ》 
「危険な関係」に出演しているミシェル・ファイファーは、何とも言えない不思議な魅力を持った、面白い女優だと思います。 その彼女の魅力が十二分に発揮されたのが、この映画「危険な関係」だと思います。  この映画は、18世紀のラクロによって書かれた書簡体形式の小説が元になっており、このむせかえるようなエロティシズムの香りを放つ小説を映像化するのは並大抵のことではなかったと思います。  ~メルトゥイユ侯爵夫人は、自分から心が離れた愛人への腹いせのために、その愛人が恋慕している人妻を、これも自分の元愛人であるヴァルモン子爵を使って、その虜にさせようとする。ヴァルモンは、その意を受け、奸智をめぐらせて、この誘惑に乗り出すのだった~  メルトゥイユ侯爵夫人とヴァルモン子爵が企む誘惑の綾が、目に見えない関係の糸を結び、解き、切断する、狂おしいほどの小説世界を構築していると思います。 何でもこの小説は、発表当時は禁書とされたが密かに読み継がれ、18世紀のフランスを代表する作品になったと言われています。  しかし、この映画化された作品では、永遠のオスカー無冠女優である主演のグレン・クローズの見事さと相まって、ラクロの世界とはまたひと味違う肌触りをもつ世界を作り出すことに成功していると思います。  18世紀フランスの貴族の社交界の窒息するような優雅さとエロスの香りは、多少、犠牲にされていますが、性の悦楽を秘めた記号性と心理描写の綾は、このラクロの原作を見事に現代に蘇らせていると思います。  それは確かにグレン・クローズの快楽とサディズムがないまぜになった演技によるところが大きいのですが、ミシェル・ファイファーが発するアンビバレントな魅力にも寄っている点は見逃せないと思います。  あの輪郭がはっきりし過ぎている正面から見た顔。意志が強烈で、自我が強く、他者の介在を許さない顔。 ここには疑いもなく、現代の女性としてのストレートな強さが存在している。  しかし、横顔は、さながらギリシャ彫刻のように理性とエロスが融合し、その視線が観る者を目指さないだけに、遠くの世界の果てを指し示してくれるのです。 つまり、ミシェル・ファイファーの顏は、永遠のエロティシズムと現代性とが奇跡的に折り合いを見つけた顔なのだと思います。 その顔が、メルトゥイユ侯爵夫人の差し金とは知らず、ヴァルモン子爵に誘惑される人妻を演じているのです。  最初は誘惑を断り続けていますが、次第に傾き、ついにはそのヴァルモン伯爵の手に落ち、彼にのめりこみ、そして裏切られ、絶望し、最後に死に絶えるこの人妻は、18世紀においてはありふれた出来事だった、このような事件の中で、一方で、そのエロティシズムを失わず、他方、現代の男女の恋の綾までも表現してみせたのです。
[DVD(字幕)] 7点(2019-03-16 10:47:25)
63.  王将(1962) 《ネタバレ》 
映画「王将」で主人公の坂田三吉を演じるのは、坂東妻三郎、辰巳柳太郎に続き、名優・三國連太郎。 そして、三度とも伊藤大輔監督が撮っていて、坂田三吉に惚れ込んだ、伊藤大輔監督の執念に驚かされます。  この「王将」は、とても古風な映画だと思います。  天才棋士・坂田三吉(三國連太郎)が、ライバルの関根七段(平幹二朗)との対局で、苦し紛れに二五銀の奇手に出、娘(三田佳子)にそれを非難されて怒り狂い、やがて"銀が泣いている"と自ら泣き、たいこを打ち、題目を唱えながら波に洗われるシーン、関根名人就任の祝いの席から危篤の妻(淡島千景)を電話で励まし泣くシーン。  それらを伊藤大輔監督は、思い切り押しまくり、それに応えるかのように、三國連太郎も激しい演技で演じ、その熱意が画面を圧倒します。 その迫力たるや凄まじいものがあり、三國連太郎という役者の凄さ、狂気をはらんだ芸の奥深さに唸らされてしまいます。  作り方も人物像も確かに古風ですが、この無学の天才棋士の人物像は、人間ドラマの主人公として完成されたものと言うことができると思います。  映画を観る大きな愉しみの一つは、こうした鮮やかな人間像に出会うことだと再認識しましたね。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2019-03-15 15:14:51)
64.  忍びの者 《ネタバレ》 
忍術使いの石川五右衛門を主人公にして、社会派の山本薩夫監督が人間性抹殺の人間ドラマを描いた「忍びの者」を鑑賞。  伊賀の国。百地三太夫(伊藤雄之助)の部下として忍術の技に優れた石川五右衛門(市川雷蔵)は、三太夫の信頼を得てその家に出入りを許され、三太夫から冷たく遠ざけられている妻イノネ(岸田今日子)に誘われ関係を結ぶ。  その秘密を三太夫につかまれ、生かしておいてやるかわりに織田信長を暗殺しろと五右衛門は命じられた。 ここから、五右衛門の苦悩が始まることとなる。  山本薩夫監督は、当時の兵法としての忍術を、絵空事としてではなく、実証的に再現して視覚的な興味を盛り込みながら、闇に生れ、闇に死ぬのを掟とする、忍者の"非情の世界"に迫っていく。  三太夫の砦や家屋の構造が、閉ざされた暗い世界の妖しさを伝え、三太夫と五右衛門の対決が、人間抹殺の緊張感をみなぎらせる。  だが、惜しむらくは、物語全体の流れは時にとぎれ、もっと五右衛門の苦悩を凝結させて、じっくりと見せて欲しかった気がします。 もちろん、テーマとしても、見せる時代劇としても、異色の映画で見応えのある作品であったと思います。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2019-03-15 14:49:02)
65.  午後の曳航 《ネタバレ》 
三島由紀夫の小説「午後の曳航」の映画化作品を先に観てから、その後で原作の小説を読んでみました。 そのことにより、映画と原作の小説について、いろいろと面白いことに気がつきました。  ルイス・ジョン・カルリーノ監督の「午後の曳航」は、映画それ自体としての出来栄えは、かなり良い作品だと思いました。 英国のデヴォンの港をメインにした撮影がとても美しく、雄大な海や白い崖と緑の野、そして落ち着いた古風な港町。  そして、それらとは対照的な少年たちの反抗的な行動、満たされない未亡人の生活、彼女と一人息子の生活の中に、不意に飛び込んできた海の男によって惑乱された母と子の関係、そして最後には少年たちによって、憧れの人から普通の人になり下がった海の男は処刑される-----。  このストーリーは、一歩間違えば、ひと昔前の港町を舞台にしたメロドラマになりかねないのですが、それを救ったのが、ごく控え目な、激しさを抑制したルイス・ジョン・カルリーノ監督の演出と、美しい自然の悪魔祓いにも似た作用だったと思います。  そして、海の男の英雄ぶりの失墜に対する少年たちの断罪こそ、原作者・三島由紀夫の観念に実に忠実なのですが、映画の表現としては、カルリーノ監督独自の解釈が表われていたのではないかと思います。  カルリーノ監督が、三島文学の愛好者であり理解者であることは、映画の中のいたるところによく表われていましたが、映画作家としての彼は、三島に忠実である以上に自分自身に忠実であったからこそ、そういう結果を生んだのだと思います。  それから、私は三島由紀夫の原作を読んで、やはり三島文学の忠実な映画化は、もともと無理だったのだということをつくづく感じました。 少年たちの秘密結社の行動は、確かに三島の小説の核心をなしているとは思いますが、それを三島の非現実的な理想主義的観念論で押し通すことは、はなから映画では浮き上がる恐れがある以上、これは、過去の例で言えば、リンゼイ・アンダーソン監督の「もしも---」に似た感じになるのも当然だったのではないかと思います。  海の男の凡俗化、堕落を処罰するという完全主義は、三島文学の信奉者でないかぎり、観る人を納得させることは難しいのではないかと思います。 むしろ、嫉妬からだと見るほうが、わかりがいいように思います。  いずれにしろ、三島の原作は派手な言葉の洪水に満ちています。絢爛という言葉が、まさにふさわしい小説なのです。 映画では、これはバッサリ切らなければなりませんが、切っただけでは通俗的なロマンスものになってしまいます。 映画は映画で独自の工夫というものをしなければなりません。  この点、脚色もしているカルリーノ監督は、なかなか巧みにアレンジしていると思います。 言葉と同じ価値のものは、あっさりと捨て去り、彼はそこに視覚的な世界を繰り広げてみせたのです。  彼も、三島の凝りに凝ったディテール描写の魔術をよく理解していたに違いないし、それを映画でも尊重していますが、もともと映画はそれを時間をかけずに一挙に映し出す特性を持っている以上、時間をかける三島の筆致を映画で踏襲することは、初めから無理なのだと思います。  そのため、カルリーノ監督はそういうことよりも、かなり質は違っても、街の風景や港の光景、特に海の景観の描写に重きを置いたのだと思います。 したがって、ここには、刺戟の強い三島の描写とは別の静かな情感にあふれた光景が表われている。  これが、原作に忠実な映画化かどうかには疑念があるかも知れませんが、少なくとも原作に忠実な映画作家の、映画に忠実な映画化であることは確かであると思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2019-03-11 14:47:27)
66.  暁の7人 《ネタバレ》 
「暁の7人」の主演俳優ティモシー・ボトムズは、「ジョニーは戦場へ行った」「ラスト・ショー」「ペーパー・チェイス」等での印象的な演技で私のお気に入りの俳優のひとりになりました。  今回DVDで観た「暁の7人」の彼は、きりっと引き締まった表情で、緊張でピリピリするような心が張り詰めた荒武者といった風情があります。 そして、ある種の悲しみを湛えた優しく暗い眼が、とても印象的です。  第二次世界大戦において、チェコスロヴァキアはドイツ軍の怒濤の進撃で占領されてしまいます。 ティモシー・ボトムズ扮するヤンは、ロンドンで機会を待つチェコ解放軍の兵士。 その彼らに、祖国チェコで占領・支配しているナチス・ドイツの総司令官ハイドリッヒ暗殺の指令が下される。  この指令は、大胆不敵な極秘作戦で、戦局を連合国軍側に有利に展開させるための、非情極まる作戦計画だった。 そして、今回選ばれたヤンを含む解放軍の3人は、明らかに"捨て駒"だったのだ。  私は、この映画を観ながら、イギリス、ドイツ、ロシア等の強国に挟まれて、悲劇的な歴史を歩んできた東欧諸国の運命を垣間見る思いがしました。 そのように感じた時、どこか悲劇的で悲しい表情を張り詰めさせたティモシー・ボトムズの個性が、ひと際、ものをいっていると思います。  このティモシー・ボトムズという俳優は、本質的に"青春の悲しさ"を体現できる稀有な存在だと思います。 眉をきりりと上げて、しっかりと未来を見据えている時でも、その高い鼻梁のかげに、若く純粋な悲しみと愁いの影が漂うのです。  「暁の7人」は、ティモシー・ボトムズを主演俳優として起用したことで、この悲劇的な戦争秘話に、悲しみの感動を盛り込むことができたと言ってもいいと思います。  ただ、その後の彼は、良い作品にも恵まれず、役者として失速していったのが残念でなりません。
[DVD(字幕)] 7点(2019-03-11 09:57:27)
67.  フリック・ストーリー 《ネタバレ》 
主演のアラン・ドロン。個人的には世界一美しい俳優だと思っています。その翳りを帯びた暗い表情の中に見せる刹那的な狂気と死の匂い、そして冷酷さとニヒリズム------。彼の素晴らしさは例えようもありません。俳優に陽と陰のタイプがあるとすれば、まさしく彼は陰のタイプ。そのため、彼はジャン・ピエール・メルヴィル監督と組んだ「サムライ」「仁義」などのフィルム・ノワールの世界でのストイックなムードがよく似合いますし、ジョセフ・ロージー監督と組んだ「パリの灯は遠く」「暗殺者のメロディ」でのクールで死の匂いを漂わせるムードも素晴らしい。  この「フリック・ストーリー」は、彼の盟友とも言うべき、また一部では彼の御用監督とも揶揄されているジャック・ドレー監督が撮った映画ですが、アラン・ドロンという俳優は、本質的に犯罪者、アウトローの役がよく似合うのですが、この作品は彼がフランスでミリオン・セラーとなったロジェ・ボルニッシュという元刑事が書いた自伝的な実録小説に惚れ込み、敏腕プロデューサーでもある彼が映画化権を買って製作した作品なんですね。  だから、ロジェ・ボルニッシュという人間に惚れ込み、シンパシーを感じたこの刑事役を、どうしてもやりたかったんでしょうね。確か、この時点で刑事役を演じるのは「リスボン特急」以来ではなかったかと思います。それほど、彼の刑事役は珍しいんですね。  そのため、本来であれば、彼が演じるべきだった冷酷で凶悪な犯人エミール・ビュイッソン役に名優のジャン=ルイ・トランティニャンをドロンは指名したんですね。つまり、悪役が引き立つことで、主役のドロンもその化学反応で相乗効果としてより輝いて見えるという事を知り尽くしているんでしょうね。とにかく、この映画でのトランティニャンの冷酷無比な背筋も凍るようなゾッとする犯人像は鮮烈で、法律家志望だったという彼は政治映画「Z」で製作者の一員に名を連ね、この映画の演技でカンヌ国際映画祭の主演男優賞を受賞している名優で、特に私の心に鮮烈な印象として残っているのは、やはり「男と女」ですね。  ドロンは相手役に「さらば友よ」でチャールズ・ブロンソン、「ボルサリーノ」でジャン・ポール・ベルモンドと競演したりと、自身の美貌をより引き出す術をよく心得ているんですね。そして、そのような大物俳優と競演する時のドロンは、相手役の俳優に必ず華を持たせて、自分は若干引いた感じの演技をするところが、またドロンの凄いところだと思いますね。  そして、この映画の最大の見どころは、やはりラストのクライマックスのシーンですね。郊外のレストランを舞台にした逮捕のシーンは、まさにピーンと張りつめた緊張感の中で繰り広げられ、意外やジャック・ドレー監督の抑制した演出が際立っていたと思います。  それにしても、1940年代のパリの街のたたずまい、クラシック調の車、トレンチコートを着た粋な男たち。フランス映画らしい雰囲気も漂わせ、何かレトロな雰囲気も味わえるんですね。このあたりは、やはりハリウッド映画とはちょっと違うフランス映画らしいエスプリ、お洒落な感覚もあり、実にいいムードなんですね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2017-08-11 09:34:08)
68.  ワーテルロー 《ネタバレ》 
このディノ・デ・ラウレンティス製作、セルゲイ・ボンダルチュク監督による戦争超大作「ワーテルロー」は、1815年6月15日にベルギーのワーテルローにおいて、ナポレオン率いるフランス軍と、ウェリントン率いるイギリス軍との天下分け目の世紀の戦いを大スケールで活写した作品で、一説によるとこの戦いで両軍合わせて5万人以上の死者が出たと言われています。  構想に約9年、映画の完成までに2年を費やし、製作費が当時の費用で3,000万ドル(108億円)の巨費が投じられたといいます。この超大作にふさわしく、ナポレオンに「質屋」「夜の大捜査線」のメソッド演技を得意とする名優ロッド・スタイガー、ウェリントンに「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐役で世界的に有名になったクリストファー・プラマー、ルイ18世に映画史上No.1の作品だと言われている「市民ケーン」の天才オーソン・ウェルズ、ピクトン将軍に「戦場にかける橋」「ベン・ハー」に出演しているイギリスの渋い名脇役のジャック・ホーキンスとそうそうたる面々が顔を揃えています。  やはり、この映画での最大の見せ場は、ワーテルローでの戦闘シーンのド迫力の凄まじさです。ナポレオンを主役にした映画は、それまでにも数多くありましたが、ワーテルローの戦いという局地戦に的を絞って徹底的に描いた映画は、この作品が初めてではないかと思います。この撮影にあたってウクライナの広大なジャガイモ畑を大がかりに整地し直して、ワーテルローの戦場シーンを作ったというから驚いてしまいます。  しかも、この戦闘シーンのために、当時のソ連軍が2万人、ユーゴスラビアの兵士8千人が大量にエキストラとして動員され、馬も1,500頭が準備されたと言われています。現代であれば、このようなスペクタクルシーンはCG処理でやってしまうところを、そういう技術もない時代にこれだけのスケールの人員、馬などを大量に投入できたというのは、大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスの力とソ連の協力があったからこそ、成し得たのではないかと思います。とにかく、CGとは違う、生のド迫力が楽しめるのです。  映画のストーリーとしては、クライマックスのワーテルローの戦いに収斂するまでの、ナポレオンが皇帝の地位の退位を決断し、一緒に戦った部下たちとの別れのシーン、幽閉地のエルバ島を脱出して、パリへと凱旋する過程でそのパリへの到着を阻もうとするネイ将軍を撃破するシーン、そして、ライバルのイギリス軍のウェリントン側が舞踏会でその情報を聞くシーンなどが時系列的に描かれていきます。  この映画を観終えて、まず思うのは、ナポレオンを演じたロッド・スタイガーの、メソッド演技に基づいた、ナポレオンというひとりの人間の心の内奥に迫る、奥深い演技には唸らされてしまいます。ひとりの人間の内面の喜怒哀楽の深層をその表情やしぐさ、立ち居振る舞いの一つ一つを通して鮮やかに演じていて、英雄としてではなく、人間ナポレオンの人間像を、実に見事に表現していたと思います。  そして、クライマックスのワーテルローの戦闘シーンは、ナポレオン側の作戦・戦術も、ウェリントン側の作戦・戦術もきちんと丁寧に説明されているので、この一大攻防戦をお互いの立場に立って、じっくりとハラハラ、ドキドキしながら楽しめました。おまけに、両軍の軍服もきちんと色分けされていたのも、良かったと思います。  この映画の中で、勝者のウェリントンが、確か「なぜ我々は殺し合わなければならぬのだろうか? なぜなのか? 敗戦の次にみじめなのは勝った者だ-----」というような意味の言葉を発したのが、戦争というものの虚しさや愚かさを表現していて、非常に印象に残りました。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2017-07-30 12:07:57)
69.  幸せはパリで 《ネタバレ》 
ディオンヌ・ワーウィックのセンチメンタルで素敵な素敵な主題歌「The April Fools」。いつまでも耳の奥に残って離れない、この名曲を聴くたびに、ジャック・レモンとカトリーヌ・ドヌーブが主演した素敵なロマンティック・コメディー「幸せはパリで」を思い出します。  ジャック・レモン、言わずと知れた、ハリウッド映画界を代表する名優で、「アパートの鍵貸します」「あなただけ今晩は」「お熱い夜をあなたに」など、名匠ビリー・ワイルダー監督と組んで、市井に生きる小市民の哀歓とおかしさを滲ませる、シニカルでペーソスあふれるコメディーから、「セイヴ・ザ・タイガー」「チャイナ・シンドローム」「ミッシング」などの鬼気迫る、迫真の演技を見せるシリアス・ドラマまで、実に幅広く、そして奥深い演技力の持ち主だと思います。  カトリーヌ・ドヌーブ、フランス映画界を代表する美人の演技派女優で、ジャック・ドゥミー監督の「シェルブールの雨傘」でブレークし、その後もロマン・ポランスキー監督の「反撥」、ルイス・ブニュエル監督の「昼顔」と、名匠監督の作品で演技派女優として開眼し、この映画の公開当時、アメリカで"世界一の美女"との称号を受けたほどでした。  共演者の一人がシャルル・ボワイエ。流暢なセリフと鋭い目力、粋なセンスで「うたかたの恋」や「歴史は夜作られる」などで多くの映画ファンを魅了した俳優でした。そして、もうひとりの共演者がピーター・ローフォード。ディーン・マーティンやサミー・デービスJrなどと共に、フランク・シナトラ一家の一員で「オーシャンと11人の仲間」などに出演していて、一時期、ジョン・F・ケネディ大統領の妹のパトリシア・ケネディとも結婚したこともある上品でシャレた男優でした。  この映画は、ジャック・レモンとカトリーヌ・ドヌーブという全く水と油のような二人の大物俳優の夢の顔合わせが実現した作品で、ジャック・レモンが得意のうだつのあがらないサラリーマン役に扮し、そんな彼があるパーティで目の覚めるような、カトリーヌ・ドヌーブ扮するフランス美人と知り合い、いい仲になるのだが、なんと彼女は社長夫人だということがわかり、さあ大変-------。  ジャック・レモンは自分を蛙に見立てて、それまでのふがいない自分から脱皮して、手の届かない王女のような存在のカトリーヌ・ドヌーブへの愛を全うするために、全てを投げ捨てパリへと行くのだった-------。  こんな現実離れのした、夢のようなお伽噺の世界を描いたロマンティック・コメディーなのですが、ジャック・レモンとカトリーヌ・ドヌーブの二人が演じることで、このお話は、その時点ですでにお伽噺の世界なんですよと我々に既に宣言しているわけで、観ている我々としては、その架空のお伽噺の世界にたっぷりと浸って酔いしれればいいわけです。  そして、この映画で最も意外だったのは、監督がスチュアート・ローゼンバーグだった事です。ポール・ニューマンと組んだ「暴力脱獄」、ロバート・レッドフォードと組んだ「ブルベイカー」などの骨太の社会派映画や、ユダヤ人の悲劇を歴史の大きなうねりの中で描いた「さすらいの航海」などの優れた秀作を撮っていた彼が、まさかこのような軽妙なロマンティック・コメディーを撮るなんて、彼の多彩さに驚いてしまいます。
[DVD(字幕)] 7点(2017-07-24 22:21:43)
70.  コーマ 《ネタバレ》 
ジュヌビエーブ・ビュジョルドの健気な頑張りが楽しめる医学ミステリーの映画化作品。  この映画「コーマ」の原作は、ロビン・クックの医学ミステリーで、脚色と監督は、アクション小説を書き、SF小説も書き、医学ミステリーも書くベストセラー作家で医学博士でもある才人マイケル・クライトン。  ヒロインは、ボストン記念病院に勤める若い外科医(ジュヌビエーブ・ビュジョルド)で、高校時代からの親友が、簡単な手術なのに麻酔から醒めず、コーマ(昏睡)の状態のまま、死んでしまいます。 そして、次の日にも若いスポーツマンが、手術の原因不明の失敗でコーマに陥り、ジェファースン研究所という、植物人間の療養施設に送られます。  これらの事に不審の念を抱き、過去にコーマの患者が意外に多いのを知って、原因究明に乗り出す女医のジュヌビエーブ・ビュジョルド。 越権行為だと怒られたりしながら、それでも調査を続けると、命を狙われて、夜更けの病院内を必死で逃げ回ったり、換気口の長い梯子をよじ登ったり、果ては救急車の屋根に腹ばいになって逃走したりと、まるで女ジェームズ・ボンドといった大活躍をするので、楽しくてしかたありません。  しかも、このビュジョルドさん、小柄な体に思い込んだら命がけという、ヒステリックな目つきをして脅えながら走り回ったりするので、もうその健気で必死の頑張りには、手に汗を握ってハラハラしながら、応援したくなってきます。  彼女がほとんど出ずっぱりのひとり舞台なので、おかげで他の俳優さんたちは、演技のしどころがなくなって、気の毒になってきます。 彼女には同じ病院に勤める外科医の恋人(マイケル・ダグラス)がいて、彼女の引き立て役的な存在です。 そして、外科部長になるリチャード・ウィドマークが、なかなかいい味を出していて、老優、衰えず、さすがの存在感を示しています。  マイケル・クライトン監督の演出は、前半部分がかなり単調で、ラブシーンもどことなくぎこちない感じですが、さすがにスリラーとしての場面では、冴えた演出をしています。 ビュジョルドに情報を提供しようとした機械室の職員が、電流で殺されるシーンは、ハッタリが効いていて、なかなか凄まじいものがあります。  その犯人に追いかけられて、夜更けの病院内を逃げ回ったあげく、ビュジョルドが必死の反撃をするシークエンスが特に素晴らしい。 それが三分の二あたりまで進んだところで、次にジェファースン研究所へ入り込むシークエンスは、コーマの患者をワイア・ロープで吊って、宙に寝かしてある病室が、SF的風景で非常に面白いのですが、ここでの追いかけ回されるサスペンスは今一の感があります。  そこで、最後に真相がわかって、ボストン記念病院でのクライマックスになるわけですが、そこのサスペンスの演出もやはり今一なので、映画全体として尻すぼみの感じがします。 もし仮に、アルフレッド・ヒッチコック監督だったら、もっとうまく演出するのになあ---などと無いものねだりをしながら観ていました。  しかし、病院内をビュジョルドが逃げ回る場面では、拳銃を持った相手を、彼女が死人の応援でやっつけるというところは新手の手法で、一見の価値がありましたので、このようにもっと映画の細部にまで気を使って、小味なスリラーに徹すれば良かったのに、マイケル・クライトン監督のハッタリ性が、邪魔をしたような気がして残念でなりません。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2023-11-07 18:23:24)
71.  チザム 《ネタバレ》 
この映画「チザム」は、西部劇の王者ジョン・ウェインが「勇気ある追跡」でアカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞後の初めての作品で、当時62歳のジョン・ウェインはすこぶる元気がいい。  西部史に名高いリンカーン郡戦争の中、ニューメキシコの広大な原野に牧畜王国を築き上げ、冒険と波乱の生涯を送ったチザム(ジョン・ウェイン)の実録の映画化作品だ。  チザムの親友のジェームズ・ペッパーにベン・ジョンソン、彼らと対立する黒幕の親分ローレンス・フィーにフォレスト・タッカー、連邦保安官パット・ギャレットにグレン・コーベット、無法者ビリー・ザ・キッドにジョフリー・デュエルという配役で、西部劇ファンとしては嬉しくなる顔ぶれだ。  この映画は銃撃戦やスタンピードという牛の大暴走などの見せ場も多く、西部開拓史上に名高い人物たち、特に、後に宿命の対決をすることになる無法者ビリー・ザ・キッドと名保安官パット・ギャレットの若き日の姿(といってもビリー・ザ・キッドは21歳でその生涯を閉じた)が、描かれているのも興味深い。  しかも、ビリー・ザ・キッドと言えば、左ききのガンマンとして有名だが、この映画では史上初めて右ききで登場してくる。 彼の写真が実は裏焼きだったので、ずっと左ききだとされてきたが、右ききが本当だったのだ。  かつて二挺拳銃のジョニー・マック・ブラウンをはじめ、ロバート・テイラー、オーディー・マーフィー、ポール・ニューマンと、歴代の左ききのビリーはみな魅力的だったが、それだけに、この映画の右ききのジョフリー・デュエルが扮しているビリーが少し見劣りするのは仕方がないだろうと思う。  この映画は実録とは謳っているが、実説とはかなり違っているものの、とにかく、牛の大暴走場面あり、ガン・プレイあり----と、西部劇ならではの見せ場を次々と盛り込むサービスぶりで、かなり爽快感が味わえるのは確かだ。  ベテランのアンドリュー・V・マクラグレン監督が悠々たるタッチで西部劇の楽しさ、面白さを詰め込んだ作品になっていると思う。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2022-04-21 15:41:54)
72.  ジャーヘッド 《ネタバレ》 
かつて、テレビのニュースが伝えた湾岸戦争は、空を飛ぶミサイルを捉えても、そこにいた人々の顔は見えなかった。  この映画「ジャーヘッド」は、あの時、あの場所にいた、アメリカの海兵隊の若者の目線で見た、戦場の現実を描き出す。  原作は、アメリカでベストセラー小説となった「ジャーヘッド/アメリカ海兵隊員の告白」。 タイトルは、お湯を入れるジャーの形をした、ヘアスタイルから海兵隊員の事を指すということだ。  海兵隊に志願したアンソニー・スオフォード(ジェイク・ギレンホール)が主人公。 厳しい試練や新人いじめを乗り越えたが、配属先のサイクス三等曹長(ジェイミー・フォックス)の訓練も過酷だった。  プレッシャーに耐えかねた、仲間の死亡事故まで起きてしまう。 そして、ようやくスオフォードらの隊は、サウジアラビアへと派遣されることになる。  しかし、狙撃兵として現地入りしたものの、当面の任務は油田の警備。 若い兵士らの士気は上がっているのに、目に見える敵のいない毎日は、待つ事が仕事なのだ。  兵士同士で、恋人から人生についてまで語り合うが、スオフォードの退屈で孤独な気持ちは強くなるばかり。 気持ちははやるが、やることがなく鬱屈していく若者の姿は、戦場特有のものというより、どこか普遍的だ。  手に汗握る銃撃戦のないスオフォードの戦争は、燃え上がる油田の幻想的な光景で最高潮を迎える。  恐怖と退屈、そして絶望的に変わらない日々。 画面の中では誰もが見たことのなかった戦争の風景を、サム・メンデス監督がくっきりと浮かび上がらせている。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2021-06-01 11:49:13)
73.  アウトランド 《ネタバレ》 
「アウトランド」の舞台は、未来の宇宙、木星の第3惑星イオですが、物語の設定はかの有名なフレッド・ジンネマン監督、ゲイリー・クーパー主演の西部劇の名作「真昼の決闘」と同じです。  また、イオの基地内のセットや小道具などの美術は、これもかの有名なリドリー・スコット監督のSF映画の傑作「エイリアン」にそっくりで、「真昼の決闘+エイリアン÷2」というようなイメージに仕上がっています。  西部劇もSF映画も大好きな私としては、ストーリーや美術云々で文句を言う前に、その映像の魔力にすっかり魅了されてしまいました。 主演も大好きなショーン・コネリーですし、これまた監督も大好きなピーター・ハイアムズですし。  イオのチタニウム鉱山街に、保安官として赴任して来たビル・オニール(ショーン・コネリー)は、赴任して2週間で、妻のキャロルに「もうこんな暮らしはイヤ。息子と地球で暮らしたい」と出て行かれてしまいます。  それでもオニールは、任務を全うしなければとイオに留まることになり、炭鉱夫の事故が続くのを不審に思い、遺骸から血液を採取して、医者に分析してもらいます。 分析結果は、限りなく怪しいもので、オニールは正義のために立ち上がることを決意するのですが------。  「エイリアン」と同じような、金儲け第一主義の会社というのが出てきます。目的のためには手段を選ばないという、非常に悪質な経営者です。 鉱山街の管理人であるシェパード(ピーター・ボイル)は、会社の忠実な部下で、なんでも言いなりであるうえ、オニールが邪魔になって、ある恐るべきことを会社に依頼するのです。  まあ、設定が「真昼の決闘」だということは、ネタバレしているのも同然なんですけどね。孤立無援になるところや、時計が頻繁に出てくるところは、本当に「真昼の決闘」そのままです。  オニールを助けてくれるのは、医者のラザルス先生だけです。かなり年配の女性医師で、口も悪いしそっけない態度なのですが、最後は命懸けでオニールを助けてくれるので、もう拍手喝采するしかありません。  「エイリアン」の真似だとは言え、お金をかけてしっかり作ってあるセットは素晴らしく、ラスト近くの山場でのアクションシーンもなかなかのものです。 「真昼の決闘」と「エイリアン」の好きな人にはお奨めのSFアクション映画ですね。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2020-07-19 10:26:06)
74.  舞台恐怖症 《ネタバレ》 
ハリウッドに渡ったアルフレッド・ヒッチコック監督が、イギリスに戻って撮った映画「舞台恐怖症」は、いろいろといわくつきの映画のようで、ヒッチコキアンからの評判はよくないようですが、私はそこそこ楽しめましたね。  何と言っても一番の見どころは、「マレーネ・ディートリッヒ」ですよね。この女優の代名詞のような大女優が、この映画でも実に妖艶な魅力を振りまいています。 役柄も舞台女優ということで、なおさら臨場感がありますしね。短いですが、歌を歌うシーンまであります。  この映画は「嘘」について考えさせられる部分があります。冒頭で、主人公のイヴ(ジェーン・ワイマン)の恋人ジョナサン(リチャード・トッド)が、人を殺してきたと告白し、その再現映像が出てきます。 この告白に嘘があるわけなのですが、それをそのまま映像として、我々観る者に見せてしまったのはヒッチコック監督の失敗だと言われていて、なるほどなと思いました。  登場人物のつく嘘はいいけれど映像の嘘はいけない、ということなんですね。 確かに、そうなのかもしれませんが、ただそれだけの理由で、この映画を失敗作だと言うのは少し言い過ぎではないかと思います。 ヒッチコック監督自身も、冒頭の回想シーンについては反省していたそうで、そこは弘法も筆の誤りということもあるわけなので、大目にみたいと思いますね。  いわくのもうひとつは、ジェーン・ワイマンです。ディートリッヒのあまりの美しさに嫉妬して、自分も途中からどんどん綺麗な格好をして画面に出てくるようになってしまった、という撮影裏話には思わず笑ってしまいます。 いくら頑張っても、大女優には勝てないと思いますけど、ヒッチコック監督は、ワイマンの我儘を聞いてあげたということなんですね。  ヒッチコック監督の映画には、そこはかとなく漂うユーモアのセンスがあって、それがたまらない魅力になっていると思います。 ただ、彼の映画が全部、目も覚めるような傑作ばかりというわけではないことを、この映画が教えてくれているような気がします。  しかし、ディートリッヒの美しさ、冒頭のいわくつきの回想シーン、射的で人形を取るシーン、隠しマイクを仕込んで劇場全体に声を響き渡らせてしまうシーンなど、見どころもたくさんある映画だと思います。
[DVD(字幕)] 6点(2019-04-12 14:47:37)
75.  暁の用心棒 《ネタバレ》 
マカロニ・ウエスタンの「暁の用心棒」は、トニー・アンソニー扮する流れ者の一匹狼の"よそ者"が、アメリカからメキシコ政府へ貸付けされる金貨をめぐり、メキシコのフランク・ウォルフ扮する山賊のアギラ一味と争奪戦を展開するという内容の映画で、はっきり言って、かのマカロニ・ウエスタンの代表作「荒野の用心棒」の亜流作品です。  というのも、山賊一味が軍服を着てメキシコ軍に近づくのも、一味のボスが機関銃を乱射するのも「荒野の用心棒」そっくり。 そして、主人公の"よそ者"が、なかなか分け前をよこさないアギラに腹をたて、ネコババしようとするのは「続荒野の用心棒」のジャンゴを連想させるものの、ヒーローず女とその子供を助けるエピソードは、やはり「荒野の用心棒」にあったし、ラストで"よそ者"が、シヨット・ガン、アギラが機関銃と、武器こそ違えど、互いの愛用の武器で決着を着ける趣向も、どこからいただいたかは、もう明らかですね。  このように、この映画は物語自体が、もう亜流も亜流の域を出ないのですが、画面を観ている分には、あまり"元祖"との類似性を感じないんですね。 それはなぜかと言うと、ジャンジャジャジャーンという大音響と、その間に入るポコポコと鳴るオカリナという楽器の軽妙な音のコントラストが、妙なベネデット・ギリアの音楽が功を奏しているのと、主演のトニー・アンソニーの飄々とした、ミステリアスなキャラクターが物語に不思議と溶け込んでいたからだろうと思います。  そして、クライマックスの、"よそ者"とアギラ一味の決闘は、時にユーモラスな味を醸し出して、忘れられない印象を残します。 あちこちに散らばる子分たち。巧みに身を隠し、移動するよそ者。共に抜き足、差し足、忍び足で様子をうかがい、"よそ者"は角で出くわした一人をまずズドン。  次いで、縁の下にもぐり込み、板の隙間から銃身をソロソロ-----と突き出し、上にいる奴をズドン。ここまできたら、もう主人公がやられることはないという妙な安心感もあって、この殺しのシーンは、文句なしに楽しめます。 出窓から上半身をのぞかせた敵には、その窓のすぐ下からの一発で倒し、アギラには走らせたトロッコにしがみついて接近し、いよいよ一対一の果し合いとなるのです。  装弾から発射までというプロセスも「荒野の用心棒」と同じく、双方ガチャガチャと弾ごめ。当然、"よそ者"のショット・ガンがいち早く火を吹き、アギラはあえなく昇天。 時はあたかも、朝日が昇る"暁"で、"よそ者"は、三途の川の渡し賃として1ドル銀貨をアギラの口---歯にくわえさせる。 そして、その銀貨はかつて軍隊襲撃の分け前として、アギラからたった一枚、投げつけられたものだ。 だから、この映画の原題が「歯の中の1ドル」と言うんですね。  主演のトニー・アンソニーは、アメリカ出身の俳優でアメリカ時代はパッとせず、やがてイタリアへ渡り、何本かの現代劇に脇役で出演していたが、やはりパッとせず、おりからのマカロニ・ウエスタンブームの波に乗って、この映画の主役の座をつかんだと言われています。  オーディ・マーフィを貧相にしたようなマスクや、小汚いスタイルにショット・ガンといういでたちが、いかにもマカロニ・ウエスタンのヒーローらしく、強い印象を残していたと思います。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2019-04-07 14:17:54)
76.  戦う幌馬車 《ネタバレ》 
「戦う幌馬車」という西部劇の主演は、御大ジョン・ウェインとカーク・ダグラスという重量級俳優の魅力的な顔合わせです。 監督がバート・ケネディなので、内容的にはシリアス寄りではなく、コメディ寄りの痛快アクション西部劇になっています。  結論から言うと、この映画はとても面白かったのですが、ラストは主人公にとって残念な成り行きになっています。 思わず「オーシャンと11人の仲間」を思い出しました。  冒頭、主人公のトウ・ジャクソン(ジョン・ウェイン)が刑務所帰りという設定で登場するので、一瞬ビックリしました。 ジョン・ウェインが西部劇の悪役をやるわけがないからです。実は、無実の罪で刑務所送りになっていたのです。 そして、その無実の罪に追いやった敵をやっつけに来た、というストーリーでした。一種の復讐劇と言ってもいいかもしれません。  トウの標的は、自分を騙して牧場を奪ったうえに、牧場から出た金を独り占めしているピアースという男です。 トウは、ピアースが鉄製の装甲車のような馬車で運ぶ金を奪う計画をたて、仲間を集めます。  金庫破りの特異なローマックス(カーク・ダグラス)、古い馴染みのリーバイ、運び屋のフレッチャー、爆破が得意なビーリーの4人。 それぞれ特技を持った仲間が協力して、数十人の護衛のついた戦車のような馬車の襲撃作戦を決行するのです。  現金輸送車ならぬ砂金輸送馬車、この馬車の外観がかなり凄いです。 真っ黒で、上部には丸い砲台のようなものが付いていて、機関銃が据え付けてあるのです。 この不気味な馬車が、護衛を引き連れて荒野を疾走するシーンは迫力満点です。  トウとその仲間5人が、いかにして鉄の馬車を襲撃して金を奪うのかが、この映画の最大の醍醐味であり、見せ場であり面白いところです。 爆破が専門のビリーは、若いくせにアル中で、運び屋の老人は、まるで孫のような若い奥さんがいる乱暴者、とまあこんな風に仲間もそれぞれ個性的で観ていて飽きません。  バート・ケネディ監督の映画は、以前に「夕陽に立つ保安官」を観ました。あれほどコメディ色は強くないですが、ジョン・ウェインとカーク・ダグラスが見せる絶妙の間合いの可笑しいセリフは得難いもので、観ていて微笑ましく癒されました。  内容を全く知らずに観て、面白くて大正解でした。西部劇はやっぱりアクション映画の原点だなと、あらためて思わせられた1本でした。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2019-04-03 07:40:48)(良:1票)
77.  007/死ぬのは奴らだ 《ネタバレ》 
「007/死ぬのは奴らだ」は、ジエームズ・ボンド役としては、初代のショーン・コネリー、二代目のジョージ・レーゼンビーに次ぐ三代目ロジャー・ムーアの記念すべき1作目の作品。  ジェームズ・ボンドのイメージは、硬派のショーン・コネリーで確立されていたので、軟派のロジャー・ムーアではどうかと思っていましたが、私はムーアはムーアなりの個性、キャラクターで見せていて、かなり面白く観ました。ただ、映画としての欠点、突っ込みどころは山ほどありましたが。  この007シリーズは、大人向けの漫画というか、西洋忍者もので、もともと荒唐無稽なので、スリルとサスペンスがあればいいわけです。 この映画はシリーズとしては8本目ですが、この作品が発表されたのはかなり前で、確か「カジノ・ロワイヤル」の次だと思いますが、このイアン・フレミングの原作の小説には、ボンド映画の原型的なものがいっぱい詰まっていて、007の原点だと言えると思います。  映画のほうは必ずしも、原作の執筆順に作られたわけではないので、さてこの映画を作ろうと思ったら、新兵器も、意表をついたアイディアも、それまでの7本の映画でかなり紹介されてしまっていた。そこで、原作をいろいろといじらざるを得なかったのではないかと思います。  ミスター・ビッグが島で麻薬を栽培していましたが、原作では海底に沈んだスペインの海賊船の財宝を島に隠しておいて、やがて、これをアメリカに持ち込んで、経済を破壊しようと計画しているのを、ボンドが海底から襲撃。タコに襲われたり、鮫に食いちぎられたり、とくにあのラストシーン。本当はもっと迫力があるのです。  映画自体は、確かに子どもだましのところが多く、あんな強力なシンジケートの大ボスが、ガス圧縮弾なんか口にくわえさせられて、バーンと破裂するのだから、これではボス役のヤフェット・コットーがかわいそうでなりません。 そして、ボスに捕まったボンドとソリティアが裸にされて、船の横に張った網の上をいくわけですから傷ついて血がでます。  当然、臭いを嗅ぎつけて鮫がやってくる。そのままなら、全身食い荒らされて大怪我をするのだが、この船にボンドは爆薬を仕掛けている。 駆逐艦の機雷掃海艇、あれと同じに機雷に触れると、船が爆発する仕掛けです。 爆発が先か、鮫が先か、ボンドはそのタイミングを計るわけです。 原作通りにやれば、もっとラストの危機感も盛り上げられたと思うと残念でなりません。  全体として言えることは、主役がロジャー・ムーアに替わったことで、映画も今までみたいなスリルとアクションだけのボンド映画から、更に笑いの要素が入ったニュー・ボンド映画の誕生にはなっていると思います。  ただ、嘘でもいいから、もっと緊迫感が欲しかったと思います。オープニングの滑り出しは快調で、特にお葬式のシーンなど抜群に良かったのですが、どうも先細りになってしまって-----。 ともかく、新しい兵器がまるでなくて、結局は人間凧くらい。敵に見つからないように空から降りたというだけの話。 あとは磁石時計。だが、このアイディアは、確か前にも使っていたようだし-----。  いささかアイディアも枯れて、スケールも小ぶりになった感じで、我々観る側からすれば、どうしても今までのショーン・コネリーの、あの逞しい、男くさいイメージが固定しているから、甘いソフト型のロジャー・ムーアのほうがどうしても分が悪くなるのは致し方ないのかもしれません。 だから、余計、アイディアでもプロットでも、お色気でも、そのへんをカバーする強力な何かが欲しかったと思います。  ワニ圏での脱出も、面白いと言えば面白いのですが、イナバの白兎みたいな発想でどうかと思うし、ボートでの追っかけも、ああ延々と見せられては冗長すぎると思います。どうも演出にメリハリがないのです。  そして、悪が黒人という発想は、迫力はありましたが、その割には強大な感じがしないし、それから、あのタロット、カード占い。ソリティアは物凄い超能力を持った女性なのですが、もう少し面白く描けたのではないかと思えてなりません。  ポール・マッカートニーが作曲したテーマ曲が素晴らしかったので、そこを考慮して6点としておきます。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2019-03-19 00:18:36)
78.  黄金の眼 《ネタバレ》 
「シンドバッド 黄金の航海」「バーバレラ」「新・夕陽のガンマン/復讐の旅」「レッド・バロン」などの作品で、その長身と少しエキセントリックでミステリアスな雰囲気を持った俳優として気になる存在だったジョン・フィリップ・ロー。  マリオ・バーバ監督の「黄金の眼」は、そんなジョン・フィリップ・ローの数少ない主演映画の一本です。 この映画の主人公は"怪盗ディアボリク"という怪盗ファントマを思わせる人物です。  原作は公開当時の1960年代の後半にイタリアで人気のあったコミックということで、そう言われてみれば、そのスタイルは頭からすっぽりとマスクを被り、ベルトを締めてブーツをはいている姿形は、まるでマントなしのスーパーマンのようでもあるし、おまけに物語の舞台もどこかの架空の国ということになっています。  悪魔的なという意味の怪盗ディアボリクは、近代的な科学設備が完備している洞窟の宮殿に住み、魅力的な女優マリサ・メル扮する恋人ともいい仲というなんとも優雅な身なのです。  このディアボリクを捕まえようと必死になるのが、名優ミシェル・ピコリ扮する警部ですが、いつも裏をかかれて地団駄を踏むのが、この映画の全編を通してのパターン。 いわばフランス映画のファントマとジューブ警部、あるいは日本のモンキー・パンチ原作の人気アニメ「ルパン三世」のルパンと銭形警部のような関係だ。  展開も思い切ってアニメ的というか007タッチで、現金を積んだロールス・ロイスが五色の煙に巻き込まれるや否や、クレーンで空中高く吊り上げられたり、大蔵大臣夫人が付けていたエメラルドをピストルの弾丸にして、悪党の体に打ち込み、後で遺体からその弾丸を取り出したりといった具合で、笑わせてくれます。  とにかく荒唐無稽と言うべきか、大胆不敵と言うべきか、いやこれはアニメ的な破天荒な面白さ、痛快さと言えますね。 さらに、20トンもの金塊を運ぶ列車を鉄橋から海へ落下させ、潜水艦で金塊を回収したりと面白さのてんこ盛りです。  そして、ラストはディアボリクが、アジトで溶解した黄金を全身に浴びて、文字通り"黄金の立像"と化してしまい、ミシェル・ピコリの警部の大逆転勝ち-----と思いきや、その眼がギョロリと動いて-----。  マリサ・メルのセクシーさも相変わらず魅力的で、主演のジョン・フィリップ・ローの颯爽とした活躍も素晴らしく、気楽に楽しめる娯楽作品だったと思います。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2019-03-13 11:19:30)(良:1票)
79.  要塞 《ネタバレ》 
このフィル・カールソン監督、ロック・ハドソン主演、シルヴァ・コシナ共演の第二次世界大戦のイタリアの村を舞台にした、戦争アクション映画「要塞」。かつて場末の三番館で観ていたものを、今回、改めてTVのCS放送で再見。  主演のロック・ハドソンは、かつて「ジャイアンツ」「目かくし」「トブルク戦線」などでの男性的でタフなイメージで、アクション映画からロマンティック・コメディまであらゆるジャンルで活躍した俳優でしたが、惜しくもエイズで亡くなった時には驚いたものでした。この映画では、従来の明るいイメージのキャラクターから脱皮して、ヒゲをはやし、いかにも精悍な顔付きで、ニコリともしない不愛想で、だけど心の奥に優しさを包み込んだキャラクターを好演していて、彼の新しい魅力を発見した思いです。  そして、共演のシルヴァ・コシナは、ピエトロ・ジェルミ監督の名作「鉄道員」での清楚で可憐な演技が素晴らしかったのですが、その後、ハリウッド映画へ進出し、ポール・ニューマンと競演した「脱走大作戦」、カーク・ダグラスと競演した「ボディガード」などで、主演スターの添え物な役柄が多くなっていったのが残念な女優さんでした。  映画自体はドイツ軍に対するレジスタンス、それもこの映画では、ナチス・ドイツによって村を焼き払われ、父母や家族を殺された生き残りの少年たちが、パラシュート降下の際、生き残ったアメリカ軍の大尉、ロック・ハドソンの指導を受け、パルチザンとなって復讐していくというストーリーが展開していきます。  途中、この一行に女医のシルヴァ・コシナが加わり(彼女は実際ナポリ大学の医学部で医学を学んでいた才媛なのです)、彼らはドイツ軍の宿舎を襲ったりしながら、最終目的のダムを破壊するクライマックスへとなだれこんでいきます。最終的に、彼らは目的を果たすのですが、最後に残るのは戦争の虚しさだけ------。  アメリカ映画ですので、どうしても戦争の悲惨さや愚かさを描くというよりも、戦争娯楽アクションという枠組みの中で、大いに楽しんでもらって、その中に、戦争反対のメッセージも匂わせるという内容になるのは仕方がないのかも知れません。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2017-07-24 15:33:18)
80.  救命士 《ネタバレ》 
NY・へルズキッチンで救命士として救急車を走らせる主人公の3日間。 しばらく前に、救うことができずに死なせてしまった少女に対する罪悪感を胸に、きわどいところで正気を保ちつつ、ドラッグや犯罪渦巻く街を走る主人公は、自身の救いを見つけることが出来るのか? --------。  出演はニコラス・ケイジ、パトリシア・アークエット、ジョン・グッドマン、ヴィング・レームス、トム・サイズモアら。  NYで実際に救命士を務めた経験のあるジョー・コネリーの原作を、ポール・シュレイダーが脚色し、・マーティン・スコセッシが監督している。 「タクシー・ドライバー」のコンビが久しぶりに組んで、ニューヨークを描くということで話題となった作品だ。  映画の始めに病院に担ぎ込まれ、植物状態で生かされ続けることになる男のエピソード、その男の娘と主人公を巡るエピソード、薬のせいで完全に正気を失い病院と街を繰り返し行き来している男のエピソード、途中で知り合うドラッグディーラーを巡るエピソード、同僚をめぐるエピソードなどが、緩く絡みあっていく。また、原作者が監修した救急現場の現実もひとつの見せ場になっている。  確かに、流石に一流の監督が撮った作品、という格の違いのようなものはある。映像的な面白さもある。 色調を押さえているようで、リッチな色を感じさせる撮影も素晴らしい。 細かいショットをリズミカルに繋いでいく編集も見事であるし、いかにもスコセッシと思わせる選曲による既成曲のパッチワークも、過剰気味ではあるが、耳に楽しい。  でも、作品としての強さは、作り手の名声から期待されるほどのものではない。 ひとつには、この映画が断片的なエピソードが繋ぎ合わさって、より大きなテーマを浮かび上がらせるというスタイルをとっていることにある。 描かれるエピソードの一つ一つに意味が付加されているものの、全体としてのドラマには力強さが欠けていると思う。  もう一つは、「今、この作品である意図」が見えてこないこと。 原作の、そして、映画の舞台は1990年代の初頭だというから、かれこれ30年が経過していることになる。  この30年というのが、意外や中途半端な距離感で、1980年代ほど「過去の歴史の一部」になってはいない生々しさはあるが、現代と言うには離れていて、「今」を捉えているというわけではない。 時代にとらわれず、普遍的なテーマを描いているにしろ、なんとも煮え切らない感じがするのだ。  最近では、完全にB級映画の出演者となり果てたニコラス・ケイジが「正気と狂気の境目にいて、かろうじて仕事をこなしている男」の眼にリアリティを与えている。 この映画がその「眼」で幕を明けることが象徴しているように、これは、彼の目が捉えた3日間、彼の目が捉えた世界の物語なのだ。  既成曲の合間をつなぐように流れるベテラン、エルマー・バーンスタインのスコアが、バラバラになりそうな作品全体に、一筋の統一感を与えていたのが印象的だった。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2023-08-28 08:47:32)
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