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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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821.  ストリート・オブ・ノー・リターン
開巻の人種暴動の混沌から一気に作品世界に引き込む豪腕。その群衆とゴミ屑の派手な散乱状況の強烈なインパクトは、『裸のキッス』冒頭のバイオレンス以上の過激さでS・フラーの軒昂ぶりを表すと共に、後のロサンゼルス暴動をも的確に予見してみせる。陽光なのか、ヘッドライトなのか、雨に濡れた街路を浮かび上がらせる強い逆光の幻想的な美しさ。港、そして屋敷内の攻防のなかに充満する、むせるようなスモーク。放水のしぶき。いずれの造型もその過剰さ・大胆さが際立つ。ラストのロマンチシズムといい、活力が全編に漲っている。
[DVD(字幕)] 8点(2010-03-30 21:45:36)
822.  海の沈黙
居間の暖炉で小さく揺れる炎、ルームランプの落ち着いた灯りが人物の表情を厳粛に浮かび上がらせ、画面に重厚感を与える。光と影のコントラストが極めて印象深い端正な屋内撮影と、パリ市内や農村地区の風光を瑞々しく捉えた屋外撮影の対比が素晴らしい(撮影アンリ・ドカエ)。視覚のみならず、モノローグや時計音やピアノを効果的に活かし静寂と緊張感を最後まで持続させる至芸といい、三者を演じるキャストの存在感といい、感嘆すべきメルヴィルの長編第一作。三人が集う最後の夜。姪はようやく編みあがったスカーフを肩から掛けている。そこに刺繍された図柄(お互いに差し伸べあう二つの手)が彼女の内なる思いを雄弁に語っている。独仏融和の絶望を語るドイツ軍将校に対し、始めて視線を送る姪。その彼女を真正面から捉える、最も機能的で純粋なクロースアップの美しさ。慈愛と悲しみの交じり合うような深い眼差しが胸を打つ。ラストショットのシルエットの静謐さも味わい深い。
[映画館(字幕)] 10点(2010-03-24 21:25:17)
823.  2/デュオ
柳愛里と西島秀俊の二人を引き気味の位置から捉えるカメラ(田村正毅)が醸しだす緊迫感が尋常でない。会話の反復と、台詞のトーンの変調で一気に画面が張りつめる。一人買い物に出た男がアパート二階にある女の部屋に戻ってくるまでのサスペンス感の醸成も秀逸。白いカーテンの微かな揺れや、一階のドアの開閉、その「間」が画面に不穏な空気を横溢させる。あるいは、後半で女が自転車を駆る疾走感の見事さ。その彼女を見つけ、男が追走する横移動のショットも素晴らしく良い。自転車で逃げる女と、自動車で追う男が窓のフレームを挟んで緩やかに近づいたり、離れたりを繰り返す。続く質素なアパートの場面では、窓からの西日が作り出す陰影が強く印象づけられる。尚且つ、環境音、ノイズ、声音といった聴覚的要素も最後まで見事に物語に活用されている。役者、撮影、録音、照明、、すぐれたスタッフワークの賜物といえる。
[ビデオ(邦画)] 9点(2010-03-22 22:50:33)
824.  人間失格
原作や荒戸監督の前作『赤目四十八瀧心中未遂』の印象から勝手にイメージする陰鬱なムードとは裏腹に、冒頭の岩木山を望む津軽の場面を始めとする明るい屋外シーンの多さや、主人公を取り巻く錚々たる女優陣の豊かなバラエティもあって、どこか陽性の印象が強い。  『ファザーファッカー』ほど派手ではないにしても、CGによるイメージシーンの多さもさらに映画に華やかさを添えている。  販売戦略としてのアイドル映画という側面もあるのだろうが、良い意味で無色な新人・生田斗真のキャスティングによって映画版のほうは達者な脇役陣の中でより一層主人公の空疎な存在が体現されることともなった。  太宰の時代として昭和初期を再現するロケーション・美術も『ヴィヨンの妻』以上に充実し見事な出来だ。 葉蔵(生田)と良子(石原さとみ)が暮らす木造二階建ての部屋から、夕景の推移を丁寧に見せる画面の風情などは非常に印象に残る。 灯の揺れや細やかな音使いも前作同様にデリケートで端正だ。  五輪中継などの時代描写は少々説明過剰か。
[映画館(邦画)] 6点(2010-03-17 21:06:50)
825.  時をかける少女(2010)
2010年の母親が意識不明でありながら主人公の行動が暢気で悠長であったり、その使命自体に何の切迫感もないなど根本的な設定の欠陥も多い上、寄り画面の多さにも辟易するけれど、その役者たちの魅力的な表情は救いだ。 8mmキャメラを一心に覗く中尾明慶の眼差し。ラストの安田成美の美しいクロースアップと、シルエットとしての存在の石丸幹二との切り返し。そして喜怒哀楽の表情豊かな仲里依紗がなんとか映画を支える。何度か登場する、小さな炬燵を挟んでの主演二人のシーンも良い。菓子やラーメンの食事を交えながら二人の対話と沈黙を捉える長廻しが、あるいはお互い逆向きに足を伸ばし合う俯瞰ショットが、二人の微妙な距離感を醸し次第に湧き上がる情感を巧く掬い取っている。そして相合傘、おでん屋台、実験室の机での二人の横並びのショットが、彼女の最後の決断にそれなりの納得性を持たせていく。  70年代のアイテムやファッションやオマージュシーンを目一杯画面に散りばめながら、それをあくまで細部に留めさせるさりげなさも好ましい。別れの廊下のノスタルジックな光、父親と会う公園の風と木漏れ日、時を越える装置としてのフィルムに感応するヒロインの大粒の涙など忘れ難い。
[映画館(邦画)] 7点(2010-03-14 20:24:40)
826.  COACH 40歳のフィギュアスケーター
シンプルなドラマなら誠実に正攻法で描けば良いものを、このやたら奇を衒った目まぐるしい編集は何なのだろう。シークエンスを細かく寸断しまくり、無闇やたらにフラッシュバックしまくりで観客に無駄な混乱を与える意義がまるでわからない。このような細切れ編集がスタイリッシュとでも勘違いしているのだろう。人物相関も不明瞭な上、主人公を美しく撮る意気が見えないので当然、キャラクターへの思い入れなども起きようがない。主人公と少女が再会する会場内の位置関係の不明に見られるように、空間把握も不満足。試合場面は、延々と解説者の解説音声を垂れ流すという極めて安易なテレビ的発想に寄りかかる貧困ぶり。悪趣味の極めつけは、彼女を応援する観客たちに、足を踏み鳴らして採点に抗議させるというクライマックスの信じ難い見苦しさだ。やる気のない仕事どころか、積極的な悪意を感じた。
[映画館(邦画)] 2点(2010-03-10 19:42:16)
827.  南極物語(1983)
空撮の多用とロングショットによって捉えられた神秘的な大陸のスケール感が圧巻。蔵原監督の日活での第一作『俺は待ってるぜ』に連なる無国籍アクションの最たるスケールだろう。狭い日本でなら不可能なカラフト犬の全力疾走の躍動感と獣性の美しさがロケーションと共に映える。人間側の傲慢かつ欺瞞的な同情やら憐憫やら愛護心などを他所に、人間の残した餌には手もつけず独力でアザラシを狩る犬たちの姿はまさに蔵原的ヒーローの体現だ。編集やBGMがいくら犬達の孤独や悲哀を演出しようが、犬たちの前にはカメラ(と人間)が常にある。ゆえに個々のショットには物語とは裏腹な犬たちの喜びと安心感が露呈しており、こうしたドラマとの逆説的なズレがあるから映画は面白い。
[映画館(邦画)] 7点(2010-03-08 22:23:49)
828.  インビクタス/負けざる者たち
フランソワ(マット・デイモン)との初対面の場面で、マンデラ(モーガン・フリーマン)が「逆光は苦手だ」と白い窓外を背にするが、作品自体もバックライトは控えめで、全般的に柔らかい順光主体の照明設計が窺える。スプリングボクス否定派が占めるスポーツ評議会の会場玄関に大統領が登場するショットも、一瞬『ダーティ・ハリー4』でのシルエットのような外連味を期待してしまうのだが、そこでもマンデラには順光を当てる配慮が為され、その姿に暗い陰影が落とされることはない。従来の、特徴的な光と闇のきついコントラストはスタジアム会場通路や夜明け前の散歩場面で印象的に用いられる以外、できる限り抑制されている風に見えるのは、モデルへの賞賛と作品がもつ「融和」というポジティブな主題から来るものと理解した。陽性のカメラは、チームが黒人地区で子供たちにPR活動を行う場面では彼らと共に楽しげに動き回りもする。その連帯感に満ちた軽快なカメラワークも素敵だ。視覚効果の技術・用法も相変わらず素晴らしい。エンドロールに載る多数のCGスタッフが最も注力しただろうクライマックスのスタジアムの大群衆などは実景そのもので、まるで違和感がない。適材適所の効果的なCGあってこそ伸びやかなカメラワークが活き、極上のスペクタクルになっている。  
[映画館(字幕)] 8点(2010-03-07 17:34:13)
829.  カティンの森 《ネタバレ》 
パースを活かした縦構図が多用されるが、その突き当たりは移送列車の壁であったり、刑場と思しき地下へと続く階段の暗い闇であったり、濃い夜霧であったりと、見通しは悪く閉塞した空間が充満している。ファーストシーンの橋における右往左往の混乱状況もまたポーランド情勢そのものの縮図であるかのように遠景は展望を欠く。  そんな中、青年と娘が見晴らしの良い屋根の上に登る場面で一時の開放感が訪れる。1ショット挟まれる街の見晴らしが切ない。二人が交わす映画の約束とキスに、『灰とダイヤモンド』の青春像がよぎる。彼が既に前段で「記念写真」を撮るシーンをもつこともまたその後に待つ運命を予感させ、より切実で印象深い場面となっている。その他、日記が途切れ白紙となったページを風が繰るその虚無感。墓地に差す夕陽の淡い光線なども印象的だ。  映画のラスト。犠牲者の手に握られたロザリオと共に、パワーショベルの土に埋もれ、暗溶する画面にレクイエムが被る。地中の暗黒の視点と無音には、飽くまで「埋められる側」に立つアンジェイ・ワイダの矜持と同時に、語るべきことを語った、というような情念がある。 
[映画館(字幕)] 7点(2010-02-19 19:40:26)
830.  once ダブリンの街角で 《ネタバレ》 
路上ライブを捉えるファーストシーンの手持ちカメラの揺れがいかにも即興風を装うのだけれど、次に窃盗男を追いかける場面では付近の店内に飛び込んでいく二人を捉えたかと思うと、次の瞬間にはカメラは二人が飛び出してくるであろう隣の出入り口の方を早くも向いてしまっている。案の定、手筈通りに二人が飛び出して来るのでその予定調和ぶりに一気に興ざめしてしまう。また、楽器店で男女が初めてデュエットする場面も受け容れ難い。カメラは不必要に動き回り、まるで二人の演奏の邪魔でもするかのように二人の直近まで寄りと引きを過剰に繰り返す。この無配慮に振り回されるカメラが煩わしい。といった具合に序盤は撮影面で不満が多いのだが、後半は次第に持ち直してくる。小品の趣ながら、中盤以降はクレーンを使ったショットも計3箇所あり、特にそれらが感情を伴った動きでいい味を出す。いずれも場所はヒロインのアパート前。まず、夜中に乾電池を買って戻る場面では、彼女の孤独感を表すかのようにカメラは上昇し、暗闇の中で彼女の小ささが強調されていく。そして歌っていた歌詞のように、カメラは上昇しながら行き場を失くす。対するラストシーンのクレーンは、ドアから出てくる笑顔のヒロインに俯瞰から真っ直ぐ躍動的に寄せていく。(さらにピアノへ)男の思いの軌跡のように。そして最後のショットは、思いを受け取った彼女のいる窓辺から外の世界への開放的な移動。二人の感応が、それぞれ三様のカメラの軌跡として表現されている。これらのクレーンの運動は美的だ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-02-15 22:16:17)
831.  オルエットの方へ
16mmからのブローアップによる画面の微妙な粗さが、ささやかな異世界というべき夏の海辺と陽光のカラーと相俟っていい味を出している。通奏低音となる波音も同様だ。ジャック・ロジエの長編2作目となる本作の設定もまた、3人娘のヴァカンスというシンプル極まりないもの。本作に限らず、この作家はいかなるシーンも物語に従属させることなく、何よりも場の空気を清新に掬い取り、人間関係の微妙な揺れを的確に捉えることに徹しているようだ。嵐の夜のおしゃべりやうなぎ騒動、海辺での戯れ、乗馬の疾走感等々、、本作の優れたシーンの数々は、物語的にはまったく意味が無いが、それゆえにこそ彼女らの生きる場を捉える画面は豊かさと鮮度を増す。とりわけ、ヨットシーンの滑走とローリングの感覚は格別だ。今流行りの3Dにも全く引けを取らない体感度で、スリルと緊張感、そして波と風と光を受け取ることができる。
[映画館(字幕)] 9点(2010-02-13 20:00:38)
832.  メーヌ・オセアン
ブラジル人女性がチケット発券し、改札を通過、そして間一髪のタイミングで列車に飛び乗るまで、カメラは彼女の後姿を延々と追い駆けていく。開巻早々の駅構内ロケの場面から、段取り感など微塵も感じさせずに時空間を自在に操るその絶妙なゲリラ的長廻しに心躍る。カメラが奥へ奥へと進む度に構内の一般通行人たちが、何事かとカメラに気を取られる様を映し出していくのも楽しい。  その自由奔放さ・平等主義は、作劇全体にも及ぶ。当初は、旅客である女性二人が主役かと思いきや、偶然的出会いの繰り返しの中で主人公は群像化し、かつ対等化して行く。たまたまレストランの奥にいた女性や、偶然呼び出された牧師たちが主役・脇役の別なくジャムセッションに興じるクライマックスは真に民主的だ。(その後に淡々と描かれる各人の離散の様もまた同様。)ヒッチハイクで偶然出会う端役としての(恐らく本職の)船員一人一人の表情まで丁寧にショットに収めて行く律儀さにジャック・ロジエの資質が現れている。  また、景観に対する視点も当然素晴らしく、印象深いショットは数多い。港湾を望むホテル二階の窓と、出帆する船とのカットバック。小型飛行機の離陸と、その夕暮れの空を捉えた情景。船を乗り継いでのユーモラスなヒッチハイク場面での、船上から岸辺を捉えた横移動ショットの悠然とした運動感。干潮となった広大な泥地の中をとぼとぼ歩く男ののどかな光景。いずれも情感に溢れ、忘れ難い。
[映画館(字幕)] 9点(2010-02-12 21:19:50)
833.  海角七号/君想う、国境の南
まず魏監督の来歴から楊德昌のスタイルをつい期待していると、肩透かしを食う。 冒頭のバイクの疾走などはまず『百年恋歌』現代篇を想起させ、風情ある地方部が主舞台となり、日本統治時代の回想が入るなど、どちらかといえば楊德昌というよりも80年代の侯孝賢的なルックを持つ。  序盤の垢抜けないコメディ・パートといい、詰め放題・拡散し放題の生温いドラマ展開といい、劇中でのなかなか結束しないバンドと同様にどうなることやらと最後まで心配になってしまうが、逆にその雑然・混迷ぶりがクライマックスのコンサートの集約感を一気に高め、高揚させる。 それまでの丁寧な人間関係描写あってこそ個々のメンバーの合奏が魅力を持つものになっている。  複数の世代、国籍、生活言語が共存する齟齬が生み出すドラマの実感、夕日に染まる漁港を始めとする美観にバイクの運動を組み合わせた情景ショットの見事さなど、徹底してローカルに拘ったゆえのヒットは肯ける。
[映画館(字幕)] 6点(2010-02-11 20:44:27)
834.  戦場でワルツを
「曖昧な記憶をたどる」ドラマと、「くっきりはっきり」細部まで鮮明なタッチのアニメーションは違和感、大である。主題と形式が噛み合っているように見えない。シンプルに黒くつぶした人物の影が記憶の暗部を仄めかすのは了解するが、描画の細密さが逆にイメージの広がりも損なっているように思う。輪郭をぼかしたノルシュテイン風のタッチこそこの映画にはふさわしいのではないだろうか。動画が抑制的である上、技法的必然性が感じられないこともあって、総じてアニメーションとしての印象度は薄い。結果的に実写のインパクトを強調するための便宜的な引き立て役として機能してしまうのだから、尚更だ。  
[映画館(字幕)] 5点(2010-02-08 19:32:33)
835.  暗い日曜日
『シンドラーのリスト』(1993)のネガともとれる痛烈な批評性。場面省略を駆使した、特にクライマックスにかけてのドラマの緩急制御と幕引きの鮮やかさ。同一構図・同一移動の反復が生み出すズレによって豊かに意味を広げる撮影技法の見事さ。(観客が気付かぬくらい慎ましく微妙な移動撮影によってドラマ効果をあげる手腕など実に巧妙である。) また、ネックレス・自転車・小瓶・ブルーの髪飾りなど、ドラマの伏線としての豊かな小道具類は人物描写とも的確に連携しており、全体として非常に完成度が高い。充実した細部とともに、画面は見どころに溢れている。とりわけ中盤に訪れる、自転車を扱ぐヒロインの場面から岸辺の場面にかけての高揚感が素晴らしい。回想の序盤から娼婦的なニュアンスで何度も強調されていたヒロイン(エリカ・マロジャーン)の豊かな胸と表情の意味が、ここではっきりと切り替わり聖性を帯びる。岸辺に寝そべり、子供のように縮こまる男たちを両腕に抱く姿はまさに聖母としての彼女を強く印象づけ、浅薄な男女のドラマを越えていく。 ラストのレストランで、オフ空間から彼女の澄んだ歌声を響かせる演出もまた心憎い。
[DVD(字幕)] 10点(2010-01-27 22:56:14)
836.  光に叛く者
ウォルター・ヒューストン扮する刑務所長の着任する場面と、仲間を裏切った密告者をボリス・カーロフが処刑する間に囚人たちが看守らの気を引きつける場面で、囚人たちが示威の喚声を上げるその響きが強烈に禍々しい。トーキー初期の音声の用法としても、相当なインパクトを持っただろう。主人公の青年を苛む製麻工場の単調労働の様や、新所長へに向ける憎悪の表情、密告者を暗殺するための「2.15」の暗号を連鎖させていく囚人たちの場面で用いられるオーヴァー・ラップも非常に視覚効果が高く、音声効果と共に緊迫感を煽る。特に、新任の刑務所長が彼に恨みを持つ囚人たちの間を堂々と進む場面、および2時09分から発動する暗殺シーンの数分間が圧巻。両場面共に、囚人たちの威嚇的な叫び声のみが所内中に響く中、抜群のショット連鎖で緊張感を高めている。役者も好演。ウォルター・ヒューストンも、フィリップス・ホームスも適役で、所長の娘役コンスタンス・カミングスも非常に初々しい。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-12-26 21:36:59)
837.  綴方教室
『馬』同様の、一年間を追う構成(学期ごとの章立て)とセミ・ドキュメンタリー風の手法が特長的。セットなのか、ロケーションなのか、高峰秀子らが暮らす長屋の生活実感と風情が素晴らしい。雨のぬかるみ、大雨で川のようになった路地、馬車の嵌った水たまりなど、変化に富んだ表情を見せる路地の情景にも親近感をもつ。高峰秀子が窓外に目をやると、柔らかな光に雨滴が輝いているソフトフォーカスのショットの叙情性、近所付き合いや姉弟喧嘩のやり取りのほのぼの感なども忘れがたい。教室の終礼の場面で、後席の子が立った瞬間に鞄の重みで椅子が倒れてしまうショットがあるが、これは思わぬNGをそのまま活かしたものではないだろうか。全体の写実的手法の中から自ずと醸しだされた巧まざるユーモアといえるだろう。卒業式を終え、学友たちと一本道を歩いていく後ろ姿で終わるかと思いきや、続いて就職した彼女が画面に向かい笑顔で前向きに歩いてくるショットに繋がるという、幸福感に満ちた粋なエンディングが素敵だ。
[映画館(邦画)] 8点(2009-12-24 20:46:43)
838.  パブリック・エネミーズ
捜査本部内を歩くジョニー・デップの表情とその主観を捉えたスローモーションの何ともいえない浮遊感覚、彼の顔を白く照らし出す日差しの感覚が、どことなく『ヒート』でトンネルに入った車中のロバート・デ・ニーロを包みこんだ悲劇的な光を思い起こさせる。(無論、映画館内で彼を照らすスクリーンからの照り返しも。)ロッジでの銃撃戦や、マリオン・コティヤールと向かい合う砂丘の場面などで強烈な印象を放つ夜間の特異なライティングも、光源が不明ゆえにどこか超現実的な感覚を画面にもたらす。そのコントラストによってさらに深さが引き立つ漆黒の闇。銃撃戦の中、冷え込んだ林の中にたち登る夜霧の峻厳かつ夢幻的なショットはとりわけ素晴らしい。一方で、日中場面はネイサン・クロウリーによるセット・デザインと実景の迫真性が活きる。20年代を扱った『チェンジリング』にもCG処理による街並みのショットがさりげなく用いられたようだが、この作品はほとんど二次加工なしではないだろうか。脱獄時の暗く狭い通路、銀行前の通り、ところどころ残雪のある隠れ家、映画館前などの臨場感が見事である。
[映画館(字幕)] 8点(2009-12-23 18:08:52)
839.  宇宙戦艦ヤマト 復活篇
ロクに動かない、ほぼ一枚絵(「非アニメーション」)で表現された覚束ない野生動物の動き。要するに、観察力も作画力もなく、チェックシステムも機能していない。CG主体のメカニックアクションや、爆発描写には嬉々として拘る一方で、人間・動物のアクションはまるでダメという、アンバランス極まりない主流現代型日本アニメーションである。人物の動作は最小限、ほとんどがバストショットあるいは正面と横顔のアップで、単純な目パチ・口パク・頷きで間を持たすバリエーション。いかにもメッセージ・テーマを最優先させる典型的省エネ作品だ。個々のショットの豊かな活劇性を重視する宮崎監督型の対極。(手書きのタッチに拘った最新作とも好対照だ。)例えば、主人公の艦長が娘を残骸の下から助け出す作画の貧弱さ。宮崎監督ならば、腰をかがめ梃子を押し上げる渾身の動作をより力感をもって演出し父娘の感情表現に結びつけるだろうし、生存者を探す動作も忘れまい。何よりも上述した動物のアニメーションに対して絶対に手抜きしないだろう。この映画が一応掲げているらしい「地球賛歌・生命賛歌」の主題を提示する、本来なら最も重要な場面のはずなのだから。正に画面は正直で、この映画の謳うテーマが心にも無い取ってつけたようなものだから、肝心の場面で心のこもらぬ「動かない動物」の絵と成り下がる。
[映画館(邦画)] 2点(2009-12-22 23:01:43)
840.  2012(2009)
従来より、監督としてよりもプロデュースの才の際立つエメリッヒ作品。広く浅く、最大多数の国際市場に配慮した人種・世代・階級・業種の多様な配置は鉄則通り。出資出演協力の政・産・軍への律儀な配慮もぬかりない。よってドラマパートはひたすら無難かつ平板ながらも、米軍自体が街を破壊しまくる『GODZILLA』のような毒も随所で垣間見せてくれて面白い。あるいは、登場人物に感情移入させかけたところで即物的な死を与えてしまう意地悪い資質。地割れ・噴煙・津波との追っかけ(水平運動)と、ビル崩落・火山弾・絶壁・舷側のサスペンス(垂直運動)を組み合わせた縦横の活劇のひたすらな連打は、2001年に起きた「映画のような」事件(9.11)の映像とそれ以降の表現自粛に対する「映画」の挑戦でもあるかのようだ。『デイ・アフター・トゥモロー』(2004)の時点では「倒壊」を自主規制せざるを得なかったエメリッヒの本領発揮といえる。
[映画館(字幕)] 7点(2009-12-16 19:15:03)
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