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ドラえもんさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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81.  隠し剣 鬼の爪
山田洋次監督クラスの新作ともなれば、映画関係者のみならず巷での関心は並々ならぬものがあり、それだけ批評の目というものも自然と厳しくなるものである。そう言う意味において本作も、「前作さえなければ・・・」という但し書きがやはり必要な作品ではなかろうか。前作とは言わずと知れた「たそがれ清兵衛」であり、私個人としても十年に一本の傑作として断言して憚らないほど惚れ込んだ作品であった。従ってあれほどの完成された作品は、いかに山田洋次といえども、そうそう簡単に作れるものではないというのは、誰しもが感じるところだろう。しかしそういったリスクを物ともせず、敢えて再び姉妹篇の如く製作に挑戦したのは何故だったのだろうか。確かに本作だけを見てみると、良く出来た作品として位置付ける事は容易いが、藤沢周平の原作を基にしている事や、多少のプロットや細かいエピソードの違いはあっても、基本的なスタンスが同じであるがために、大方の批評がどうしても比較論となってしまうのが、この映画の損なところ。仮に松竹のお仕着せ企画であったとしても、彼ほどの大人物ならばノーと言えるだろうに、よほど藤沢周平の世界がお気に入りだったのだろうか。それならそれで「たそがれ」の後に現代劇をワンクッションとして撮ってからでも良かったのではないだろうか。まぁ天才の頭の中身は、我々凡人には計り知れないということだろうか。いずれにせよ「たそがれ」とはひと世代若いカップルを主人公に、現代に通じる若侍の潔い生き方という、一種の青春モノを描きたかったことだけは間違いなさそうだが、前作のクライマックスが大立ち回りであったのに対し、今回は一瞬でカタをつけるという感触が、そのまま映画の感触となったようだ。
[映画館(字幕)] 6点(2005-05-03 18:43:49)(良:1票)
82.  ボーン・スプレマシー
“続編に妙味なし”という定説が崩れつつある昨今、それを決定的にしたのが本作で、近年のアクション映画の中でもピカ一の作品とだけは言っておきたい。前作に引き続きハード・ボイルドな姿勢は一切崩されておらず、大技小技を効かせたアクションは全編に渡り、そのリアルさは些かの輝きも失ってはいない。ひたすら一直線に雪崩れ込んでいくストーリーは、人物造形の巧みさもあり、よりシリアスで濃密なドラマへと展開していく。不自然さなど微塵も感じさせないほど、本作が稀に見る上質のエンターティンメントだと言えるのも、ポイントとなる場面を正確に把握し、ディテールをきっちりと描き重ねてきた結果に他ならない。だからこそ、クライマックスへ到達するまでの数々の逃走劇が見事に描かれることにより、この荒唐無稽なカーチェイスも生きてくるのである。鞄に入れた銃をロッカーに忍ばせるているシーンに示されるように、満身創痍のJ・ボーンが孤立無援の中、脱出するスリリングさは、スパイ映画の王道を行くものであり、007がすでに失ってしまったものを、ここで改めて復活させているように感じる。(そう言えば、ジェイソン・ボーンのイニシャル“J.B.”はジェームズ・ボンドに符合する!)まさにD・リーマン製作総指揮のもと、監督P・グリーングラス、脚本B・ヘルゲランドといった頭脳集団のチ-ムワークの良さが勝利に導いた作品だと言える。ただ、実年齢よりも老け顔のJ・アレンに対し、童顔のM・デイモンのラストのあの決めゼリフはいかにも不釣合いな感じがした。
[映画館(字幕)] 9点(2005-04-29 18:23:31)(良:1票)
83.  大統領の理髪師
本作は平凡な理髪店の店主が、大統領専属の理髪師に選ばれた事で巻き起こる騒動を、韓国の現代史に沿って描いた実録政治モノ。朴正熙大統領当時の独裁政治の恐怖とその裏事情を、市民レベルの視点から痛烈に皮肉ったものだが決して堅苦しい映画ではなく、むしろユーモアとペーソスを交え、コミカルな味付けが施された作品だと言える。従って、描かれている内容に比べて、その語り口は優しさに溢れている。それは、時代背景がどうあろうとも、家族愛というものが前面に押し出されて描かれているからに他ならない。民衆とは心を通わせているようでいて、一歩間違えれば強権な態度へと豹変する危うさを有していたこの時代の韓国は、まさに戦前・戦中の軍国主義日本の姿そのものではないだろうか。高圧的な態度で迫られる密告、監禁・拘束そして拷問といったファシスト政治の暗部と、理髪店家族を中心とした無垢な市井の人々の人情悲喜劇とを対比させながら、歯切れよくテンポよく演出したイム・チャンサンは、これが初監督とは思えないほどの充実した力量を見せてくれている。またシリアス、コメディ何でもござれのソン・ガンホには、今更ながら上手い役者さんであることを改めて再認識させられた。
[映画館(字幕)] 8点(2005-04-27 18:24:27)(良:2票)
84.  コーラス
戦後間もないフランスの田園地帯。それは「池の底」と呼称され、寄宿舎というにはおよそ程遠く、まるで牢獄の様な佇まいをみせている。そこには親との死別あるいは理由あって離れて暮らすことを余儀なくされ、日々寄宿生活を送る少年たちの姿があるのみ。その寂しさゆえ荒ぶ心の拠りどころを得られぬ彼らには、「目には目を」という体罰主義の校長の方針で、その自由さえ叶わない。そこへ舎監としてやってきたのが主人公のクレマン・マチュー。彼は落ちこぼれの音楽家であるが、校長のやり方に反撥し、悪ガキたちに手を焼きながらも、音楽の素晴らしさを教えていくというのが物語の大筋。確かに、かつて何処かで観たような聞いた事のあるようなお話しで、目新しさというものは感じられない。所詮「学園ドラマ」とはいつの時代でも同工異曲で、基本的なパターンは同じということ。しかし描き方によっては感動を呼び興すものがあることもまた事実。まだまだ無邪気さが残る少年たちそれぞれに個性が光るが、もう一人の主人公ピエールを演じるジャン=バティスト・モニエは本作の白眉であり、クールでナイーブな心の表現も然ることながら、なんと言ってもその透き通るような美声にはやはり聞き入ってしまう。一方、マチューをG・ジュニョに演じさせたのはやはり正解で、これが若くてハンサムな男優だと、もぅそれだけでクサい映画になっていたに違いない。初めて教室に入ってくるシーンでの子供たちの挨拶代わりの悪戯を、ウィットで切り返すという、定番ながら彼にしか出せないユーモラスな味というものが感じとれる。また、人生に失敗し身なりも粗末で風采の上がらぬマチューが、ピエールの母親に恋心を抱くも願い叶わず、ペアになった椅子を別の客に持ち去られた後、呆然としている姿が哀れみを誘う。彼にとっては最後のチャンスだったかも知れないだけに、人生のホロ苦さを感じさせる秀逸なシーンだ。ただ、マチューがどこまでも純粋で善良な人間で、校長はどこまでも悪人という描き方は、人間ドラマを底の浅いものにしているし、少年たちの心の叫びを歌声に変えるまでのプロセスは性急に過ぎる。そしてJ・ペラン演じる老成したピエールの回想シーンが、本筋にさほどの意味を帯びてこないのも残念で、バスで去っていくラストに深い余韻が残るだけに余計そう感じる。
[映画館(字幕)] 8点(2005-04-22 17:31:48)
85.  マスク2
前作の「マスク」はJ・キャリーのエンターテイナーとしての才能が存分に発揮された傑作コメディで、エキセントリックなメーキャップが秀逸であり、卓抜なアイデアで繰り広げられる映像は革命的とさえ言え、CG映像という新しい時代の幕開けを象徴する作品でもあった。あれから10年という歳月が流れ、映画のみならずTV・スポットCMなど、巷にはCG映像が氾濫。刻々と変化する新しい映像表現に、我々はいつしか慣らされてしまっているのが現状である。そんな時に観た本作の感想を言うと、最新の高度なCG映像が際限なく展開されるものの、もはやフツーの映像だと言ってもいい程に感覚がマヒし、これらが単なる無邪気なCG遊びにしか見えてこないのが何とも辛い。(だいたい、実写の赤ん坊が急にCGになって暴れだしたりするシーンなどは、日本のCFで嫌と言うほど見せられているしネ。)要は「マスク」の時のような、映像に目がクギ付けになる程の感動がここには無いのである。J・キャリーやC・ディアスといったスター俳優が出演していないのも作品を魅力のないものにしているのだが、そこまで言ってしまうと身も蓋も無い。前作さえ無ければこれはこれでファミリー・ピクチャーとして楽しめたかも知れない。 (これって、あまりフォローになってないかナ!?)
[映画館(吹替)] 6点(2005-04-22 01:20:39)
86.  またの日の知華
'60の安保闘争に始まり、東大・安田講堂での攻防、連合赤軍の浅間山荘事件を経て、丸の内ビル爆破事件へ・・・といった、それぞれの時代を象徴する出来事を、当時のニュース・フィルムを挿入しながら、この激動の時代を奔放に生きた、ひとりの女性の姿を切り取ったのが本作。ただひたすら堕ちていくしかない、その知華という女の体を時代が駆け抜けていく。彼女の生きざまに日本の戦後史を重ね合わせるというドラマツルギーは、いかにも日本という国家に拘り続けている原一男らしさに満ち溢れていて、これが初の劇映画とは言え、やはりどこまでもドキュメンタリー作家なのである。前述のシンボリックな時代背景が、彼が過ごした青春時代とも重なることを見ても、これらの時代をテーマにした事は至極当然なのである。だからなのであろうか、作品世界が60~70年代のATG映画そのものの肌ざわりなのである。個々のエピソードは男と女のドラマとして面白みもあるが、ただ戦後歩んできた日本の時代背景との関わり合いという点では、とりたてて深い意味合いは感じられなかった。また、知華を四人の女優に演じさせるというのは、それぞれの個性の競演という試みとしての面白さはあるが、ただそれだけに留まっていて、そこからさらに一歩弾けるような展開がみられなかったのは、まことに残念である。
[映画館(字幕)] 6点(2005-04-19 16:10:50)(良:1票)
87.  フライト・オブ・フェニックス
物語の大筋はオリジナルと殆んど同じであり、結末もまた然り。それでも尚すこぶる面白く観れたのは、絶えず観客の興味を引くような見せ方の上手さ、つまりは演出の弛まざる創意工夫が成されているという事に尽きる。このまったく新しい感覚でリメイクされた単純明快な物語の面白さは、オリジナルを知っている世代も知らない世代にもストレートに伝わってくる。そういう意味で本作は古い皮袋に新しいワインを注ぎ入れた作品だと言える。作品の成否を左右しかねないのが序盤の不時着シーン。最新SFXによるCGとライブアクションが絶妙にブレンドされ凄まじいスペクタクル効果が生み出された。その度肝を抜くスピード感溢れる映像は圧巻で、少々大袈裟に言えば映画史に残るほどの名シーンとなっている。そして、独特の丘陵を描く砂漠の美しさと寂寞感、あるいは眩く輝くシルバー・メタリックのツインブーム機を縦横無尽に捉えた見事な撮影技術が、本作の成功を担っていたと言ってもいい。登場人物のポイントゲッターである設計技師にG・リビシ。オリジナルではH・クリューガーの役だが、その偏執狂で謎めいた人物像は、○○の設計技師という、いかにもオタクっぽい彼のキャラにピッタリで、その点ではクリューガー以上かも知れない。前作の異常気象による厳寒の地から灼熱の砂漠へと舞台を移しても、D・クエイドのタフガイぶりは不変であり、頼れる兄貴のイメージを見事に体現している。その真面目さからか、彼の演じる役にはどこか説得力があり、決して嫌味がなく安心して見ていられる。作品的にはハズレのない、数少ない役者さんだ。欲を言えば伏線の張り方、例えば機体を解体する機材や工具あるいは食料や水を積荷としているという、いわゆるお膳立てにもうひと工夫欲しいところ。しかし“サバイバルもの”と言う意味では「エネミー・ライン」以来久々の登板となったJ・ムーア監督の得意分野。登場人物それぞれが人生の岐路に立ち、現実の危機的状況に絶望しつつ、古いものを棄て新しく生まれ変わろうとするこの寓意に満ちた物語を、オリジナルと比較されるというリスクを負いながらも、独特の映像感覚で人間の再生のドラマへと昇華させた手腕は、もっと評価されていい。ご贔屓の監督作だけに点数は大甘だが決して期待を裏切らない作品となっている。「DVDが出たら、見よぅっと」などと考えてるアナタ!是非、劇場で観るべし。
[映画館(字幕)] 10点(2005-04-18 18:25:10)(良:2票)
88.  Ray/レイ
芸術家或いは天才肌のミュージシャンの半生を描いた作品の傾向としては、様々な苦悩を抱えたまま波乱の人生を送ってきたと言うのが多数派である。そして波乱に満ちていればいるほど、格好の映画的素材となり得る。自伝映画とは本来そういうものだし、とりわけハリウッドにとっては、なおさらである。今まででも、酒に溺れるか麻薬に手を出すかといった違いはあるにせよ、異性や金銭にだらしない主人公のスキャンダラスでダークな部分を描いた作品は少なくない。そういう意味でも、本作で描かれるR・チャールズの物語などは、その基本パターンを確りと踏襲していて、もはや伝統芸と言ってもいいぐらいだ。しかし、裏を返せばそれは新味に欠けるということであり、いかに技巧を凝らし斬新な演出でソツなく描いても、所詮ひとりの人間の人生など大同小異だということを示唆している。ましてや、描かれる偉人に然程の関心が無い者にとっては、まさに面白くも可笑しくも無いハナシなのである。しかし本作には他と一線を画する意匠を凝らせてある。長くアメリカのミュージック・シーンを賑わせ、今やスタンダードともいえるヒット・ナンバーの数々。そして、J・フォックス。見事なほどの歌いっぷりや仕草のひとつひとつがなんとも得意気であり、そのソックリさんぶりはこの映画を観た人すべてが納得させられるほど圧倒的である。彼の力技がなければ、単なる凡庸な作品に終わっていたかもしれない。
[映画館(字幕)] 7点(2005-04-15 00:36:31)
89.  ローレライ
戦場という特殊な状況下に置かれた男たちのドラマ。それは常に死と隣り合わせであることを意味し、ただそれだけでも緊迫感を生み出すものだが、さらに潜水艦という閉塞された空間ともなると一層切迫感を帯びてくる。しかし本作に限って言えばカラッとした明るさ(脳天気と言い換えてもいい)を覚えても、緊張感の欠片も感じないのは何故だろうか。シリアスさの一方でSFファンタジーといった感覚の本作が、そのどっちつかずの印象となっているのも、一人の超能力少女を登場させている事に起因しているように感じられる。男たちの舞台に上げてしまったこの不思議な少女に、どれだけのリアリティを感じさせられるかが本作のポイントともなるわけだが、実際にはさほど重要な役割を担っている訳でもなく、また有機的な働きをするでもなく、実に曖昧で得体の知れない存在としか映ってこない。しかもその彼女を艦長以下乗組員全員が、この男たちの聖域に容易く受け入れてしまうという不可解さ。とても国家存亡を担っている軍人たちとは思えないほどの御気楽さである。「私は、歌うことが好き」などと、妻夫木クンと甲板で日向ぼっこをするなど、状況を考えるまでもなく、まったく真実味のない浮世離れしたシーンであり、いかにも若い客層狙いのあざとさを感じてしまう。その他、全編有り得ない設定のオンパレードで、基本的なコンセプトを見誤ると、かくも無残な作品となってしまうという戒めをも感じてしまう。本作は戦争体験とはまったく無縁の世代が、そして過去の戦争映画をロクに勉強もしていないことが図らずも露呈してしまった、いわゆる平成という時代そのものが創り上げた産物だと言える。
[映画館(字幕)] 4点(2005-04-13 18:25:00)(良:6票)
90.  火火(ひび)
信楽焼で有名な滋賀県は信楽を舞台に、実在の陶芸家神山清子とその息子とを中心に描いた、感動のヒューマンドラマ。映画は焦点の絞込みという意味で、前半と後半とでは作劇がまったく違った形で描かれている。言わば構成の妙で見せる作品である。夫に去られた彼女が極貧の中、孤軍奮闘で二人の子供を育てながら、女性陶芸家として名を成すまでの凄烈な生きざまをみせる前半と、陶芸家を目指しながら志半ばで白血病に倒れた息子と、病魔との闘いを共に歩むというのが後半である。そして全編を通して言えるのは、本作は明らかに「闘いの物語」であるということだろう。生活の為。あるいは陶芸家として成功する為。そして命を守る為。それぞれの場面で執念のように命の炎を滾らせる神山清子という女性を、田中裕子が緩急自在の演技で魅せきる。生きていくことに厳しく陶芸家として自他共に妥協を許さないという、シリアスで清冽な姿を見せる一方で、心の底では優しさ溢れる肝っ玉母さん的な人情家といった面を、コミカルに演じ分けてしまう。才能とはいえ、永年培ってきた彼女の芸の幅の広さと奥の深さ所以だろうが、改めて上手い女優さんだと感じるし、演技もその姿形も、そして雰囲気さえも、いつまでも若々しい人である。骨髄バンク運動が展開される中、壮絶な闘病生活を強いられる後半の主役でもある息子・賢一。彼を演ずる窪塚俊介も意外なほどの好演(兄貴よりも上)で、将来が楽しみな若手ホープである。ややもすると嫌味になりそうなテーマを内包した本作だが、演出・構成・演技それぞれが絶妙のバランスを保ちながら光彩を放っている秀作である。
[映画館(字幕)] 9点(2005-04-08 01:10:38)(良:2票)
91.  オアシス
窓から僅かに差し込む陽光を、手鏡で天井や壁に反射させるコンジュ。薄暗い部屋の中を光がキラキラと乱舞する描写は夢幻の美しさであるが、健常者にとっては実に他愛ないものでもある。それでも体の自由が利かない障害のある彼女にとっては、ひとりぼっちの寂しさを慰めてくれる楽しみのひとつなのだろう。苦しい現実から逃れ、夢と自由を追い求めたいという願望を抱いている彼女を、端的に表現した序盤の名シーンだと言える。身障者を演ずるムン・ソリも実に巧みだが、ソル・ギョングの、鼻を啜りキョロキョロと視線の定まらない独特の演技は、この男の性格や生きざまが鮮やかに透けて見えるほどの説得力があり、おそらく彼なくしては本作が成立し得なかったのではないだろうか。この二人に引っ張られるように、他の共演者たちも押し並べて好演であり、韓国の演技人の層の厚さを感じずにはいられない。ただ、社会の一般常識を諭す健常者たちと、言わば一般社会からの爪弾き者といった構図は、いかにも常套的であり過ぎるように思う。作者が主人公カップルに焦点を充てて肩入れして描いているのは当然としても、彼らの周囲の人間は戯画化されて、あたかも悪であるかのような描き方に感じるのは、私が健常者だからだろうか。むしろこのカップルには生きていくことでは健常者以上に貪欲であり、とりわけ、体が不自由であっても精神的には決して負けていないコンジュにしたたかさを感じるし、またそうでなければ生きてはいけないのだから。それは恋人と語り合ったり愛し合ったりといった、他の女性が普通に出来る行為を自ら夢想するシーンに的確に描写されている訳だが、正直この突然の彼女の“変身”で、それまでに浸っていた映画の世界から現実の世界へと引き戻されてしまったようになり、以降、映画にのめり込む事ができなくなてしまった。(客席ではあちらこちらで失笑が洩れていた)彼女の演技があまりに巧みなだけに余計そう感じたのは、実に皮肉なハナシであり、なんとも惜しいような気もする。
[映画館(字幕)] 7点(2005-04-07 01:16:23)
92.  春夏秋冬そして春
キム・ギドク作品は過去の例をみても分かるように、外界と隔絶された異世界(異空間)を舞台に展開されるということが、まず特徴として挙げられる。そして本作ではそれがより顕著で象徴的な形として綴られていく。それは山奥深い、まるで水墨画のような幽玄の世界。湖上に静かに浮かぶ庵。それらのピンと張りつめた佇まいは、この作品を語る上で、これ以上ない舞台設定だと言える。そして、自然の美しさと造形された美しさとが見事に融和し、鋭く的確に捉えたカメラの素晴らしさを語らずにはいられない。それは決してカラフルなものではなく、むしろ程よく抑制の効いた色彩効果といえるものであり、四季の移ろいを人生訓として特徴づけた撮影技術は本作の功労者だと言える。物語は桃源郷に生まれ育った人間が、外界(俗世間)に触れることにより人間本来の生き方を悟るという、あくまでも寓意に満ちたものである。生まれてから死ぬまで業を背負っているのが人間なら、生きていく上で俗社会に関わっていく事を避けて通れないのも事実。閉ざされた空間から飛び去り、再び舞い戻ったとき、人はそれぞれ何を学びとって来るのであろうか。本作は、そういった人間の一生の在り様の教えと捉えたいが、平易な語り口だけにより深く考えさせられる作品である。天空から下界をそっと見守る菩薩像に 「2001年宇宙の旅」のスター・チャイルドをついついダブらせてしまうが、作品イメージとしては実相時昭雄作品に近いのではないだろうか。
9点(2005-02-12 15:28:06)
93.  父と暮せば
「TOMORROW 明日」「美しい夏キリシマ」と描き続けた黒木和雄監督の戦争三部作締め括りの一本。前二作が群像劇だったのに対し、今回は室内劇でありそのほとんどが二人芝居で成り立っている。舞台では珍しくも無いが、 いざ映画となると古今東西を問わず、極めて稀有な例と言えるのではないだろうか。どちらかと言えば集団劇を得意とする黒木監督にすれば、かなり大胆でありかつ実験的な試みだったに違いないが、実に味わいのある見事な作品となっている。二人芝居ともなればその演技力も然ることながら、戦中戦後という時代を間違いなく生きていた人間、そしてその人となりをより的確に表現することを要求される。やや散漫な印象を受けた前二作の群像劇に対し、今回はテーマがより明確になり引き締まった印象を受けるのも、二人の好演に他ならない。黒木と二人三脚で数々の名作を世に送り出してきた原田芳雄は言わずもがな。娘を愛するが故に叱咤激励し心の支えとなる、力強い父親像を自然な演技で体現してみせ、そして、揺れ動く乙女心を「たそがれ清兵衛」からさらに清楚なイメージで、この時代を生きている女性として可憐に演じきった宮沢りえも然り。本来からすると悲惨で重苦しい物語ではあるが、カラッとした明るさをもたらしているのも、二人のキャラ所以だろうか。地味だが心揺さぶられる名作である。
9点(2005-01-16 18:15:02)(良:1票)
94.  オールド・ボーイ(2003)
この作品、よくよく考えると実に他愛ないお話で、永年に渡る憾みとは言え、大のオトナが企てた、それも相手にとっては曖昧模糊とした理由で復讐の餌食にされてしまうという、不条理極まりない策略がベースとなっている。つまりはあの程度の理由でここまでヤルるかというお話であります。本来の意味合いからは違うかもしれないが、個人的解釈として“オールド・ボーイ=歳を食った少年”いわゆる大人になりきれない男の巧妙で手加減をしない行動力。その一方で見せる冗談とも本気とも捉えきれない、大のオトナなら考えもおぼつか無いような事を、執拗にそして平然とやってのける男。そのまるで戯れ事のような復讐劇から子供っぽい本性が透けて見える。映画はコミカルなシーンも少なくないが、中盤からはシリアスな人間ドラマへと変転していき、やがて徐々に謎が解けていくにつれて、自ら招いた事により破滅の道を突き進むしかない男の哀しさを浮き彫りにしていく。良く出来たしかしどこまでも救いようの無いお話で、個人的な憾みの深さは、もはや他人には推し量ることが出来ないということなのだろう。しかし意外性が少しも意外でない結末にはやはり残尿感を覚えてしまうのも事実。あくまでも寓話性の色濃い本作は、ストーリーを追って楽しむと言うよりも、画面からほとばしるバイオレンスをこそ享受すべきなのだろう。とりわけ、多勢を相手に狭い通路を横移動しながらの大立ち回りは、主人公オ・デスの積年の思いが炸裂した瞬間であり、その圧倒感はもはや常軌を逸した凄まじさであり、強烈なカタルシスを生み出した名場面であった。
7点(2005-01-16 15:52:38)
95.  エレファント
本編中、ほんの一瞬だが“彼ら”の部屋に“象”の絵が飾られているシーンが登場する。幼い頃に貼られたものだろうが、さり気ないだけに余計意味深いものを感じてしまうシーンだ。この作品のタイトルにもなっている“象”とは“彼ら”にとって、強大で脅威の存在であり、おそらく畏敬の念を抱いていたに違いない。そんな頃の“彼ら”と無差別に殺戮を繰り返す“彼ら”とが同じ人間だとは思いたくもないが、もしそうだとするならば何が“彼ら”を変えてしまったのだろうか。 いかにもマズそうに食事をする“彼ら”の専らの関心事は、食べる事よりも銃器を手に入れる事。ネット通販などで誰でも簡単に入手できるというシステムの盲点と、開拓時代からの悪しき伝統である銃社会アメリカの現状には戦慄を覚えるばかりだが、映画はここで極めて基本的な問題を投げかけてくる。引き金を引くにはランボーのようなマッチョな男など必要なく、青年というにはあどけなさがまだ残っている、いかにもひ弱なイメージの“彼ら”でも十分なほど簡単であり、あとは憎しみを抱き続けさらに激情へと変換していけばいい。そぅ、何処にでもいる誰にでもその可能性は秘めている。ヒトを殺したい・・。憎しみを抱いている奴をこの世から抹殺したい。誰しもが一度は心に思い描く偽らざる気持ちであり、ひとたび銃器を手にすれば虜になってしまう。まるで麻薬のように・・・。人間とはかくも弱いものなのであり、その隙間へ日常に潜む悪魔が忍び込むという社会の危うさを考えずにはいられない。殺戮を“淡々と仕事をこなしている”ようなイメージで描かれる“彼ら”には歯止めが利かず、もはや狂気という言葉すら意味を持たなくなっている。それほど終盤の描写には迫真力の生々しさ以上に、吐き気を催すほどのリアルさを感じるが、ただカメラ位置を変えてのリテイクには、その印象付けのあまり、オーバーアクションになったのが興醒めでもある。
7点(2005-01-05 00:28:27)
96.  白いカラス
いくら四番バッターばかり集めても面白い野球は出来ないと言われているのと同じで、アカデミー賞授賞監督や主演俳優たちが一堂に会したからといって、必ずしも良い映画が生み出されるとは限らないという見本のような作品。そもそも、今どきよくこんなテーマが企画として通ったなぁと感心するぐらいアナクロっぽく、ストーリーラインに至っては新味もなければ捻りもない。今や大メジャーであるN・キッドマンやA・ホプキンスらが、自らトラウマを背負って苦悩し、人生に絶望している人間にはとても見えないことに根本的な欠陥があり、映画をつまらなくしている基本線でもある。確かにR・ベントンの味わいのある演出は健在だし、錚錚たる顔ぶれの演技人ひとりひとりの演技も決して悪くは無いと思う。しかしその一方で、それらの個性のぶつかり合いが微妙な化学変化を生じさせ、かくも中途半端な印象しか残らない作品となってしまった事は実に残念であり、作り手側からしてみてもまったくの想定外だったに違いない。
6点(2005-01-04 16:45:42)
97.  エクソシスト ビギニング
世界的なメガ・ヒットでオカルト・ブームを巻き起こし、社会現象にもなった第一作目からほぼ30年。その間に続編も作られて、それぞれに個性的な味わいを残すも、本家本元がいかに偉大であったかが思い知らされる内容のものばかりだった。それらはむしろシリーズものというよりも、様々なバリエーションものと考えたほうがよさそうで、今までの設定が“その後”だったのに対し“その前”を描いたのが今回の作品。確かに第一作目、悪霊バズズが何故メリン神父の名を叫んだのか、などと言った気になる部分が多かっただけに、今回のビギニングは待望久しい正統派前史と言える。が、やはり無理矢理思いついた企画といった感は否めず、ハリウッドの企画の貧困さは一層深刻なようだ。で、作品的には無難に纏めてはいるものの、とりわけ際立った印象はなく、可もなく不可もなくといったところだろうか。所詮、急遽代役監督になったハーリンには、ホラーのようなジャンルは向いていなかったのかも知れない。  スケール感を伴ったアクションに無類の才能を見せつける、ハーリン特有のいい意味でのハッタリが不足気味で、彼らしさがまったく出ていないのだ。夜や暗闇のシーンの多さが画像を単調なものにしているのだが、おそらく“暗闇=恐怖”という図式にこだわりすぎた為なのだろう。白日の下でも悪霊の恐怖は存在するということは、第一作を見ても分かるはず。本当の悪魔は人間の闇(病み)の部分に巣くうものだから。
6点(2004-10-31 18:42:16)(良:1票)
98.  僕はラジオ
面倒見が良く実直なアメ・フトのコーチと、知的障害のある黒人青年との、実話を基にした友情物語。当然のことながら差別や偏見あるいは虐めといったシーンもあるのだが、これが初監督作とは思えないほどM・トーリンの演出には終始抑制が効いていて、このテの作品にありがちな嫌味がないのには好感がもてる。もっとも、実在の人物に対しての配慮があったともとれるが、障害者云々のお話というよりは、コーチと彼を取り巻く人間ドラマに焦点を充てたことが、そういった印象をもたらしたのだと思う。旧知の住民仲間や学校側あるいは家族、とりわけ自分の娘のことなど人間関係に苦悩するコーチが、無邪気で打算の無いラジオの姿に、人生の大切なものを教えられるというのが作り手の最も言いたかったこと。そういう意味で本作は定石ながら実話の重みを十分感じとれる作品となっている。若き日のラジオを演ずるキューバ・グッディング・Jrも巧みだが、仲間たちが集うバーバー・ショップでの、その場の空気をコーヒーの味わいで表現する演出を小粋なものにしているのも、渋さの増したE・ハリスの好演があればこそ。カムバックのD・ウィンガーの美しさは相変わらずだが、歳相応のしっとりとした演技で彩りを添えてくれているのも嬉しい限りだ。
8点(2004-10-28 18:21:54)
99.  父、帰る
12年前失踪したまま音信不通だった男が、ある日突然妻の元へ帰ってくる。戸惑いを隠せない二人の息子。次男は父親を写真でしか見たことがなく、ここで初めて父親という存在を認識することとなる。本作は父親と二人の息子との数日間の出来事を描いたものだが、誰もが疑問に感じる本来語られるべき“父親の事情”には一切触れられないまま ドラマが進行していく。この父親、いきなり食事にワインを飲ませたり、釣りを目的にした旅に出るのも、男としての息子の成長ぶりを確かめたかったのだろう。自らのことは語らず寡黙で野性的な、いかにも男っぽい父親ぶりで、躾としての振る舞いや言動は親としては極めて当然のことでありながら、息子たちには不満や不信感が募るばかりだ。それには、男親がないまま育ってきた子供たちの心情が微妙に作用しているのだが、長男は大人の世界が少しは解りかけている年頃ということもあって、父親を理解しようとするが、母親に溺愛されて育ってきた次男には、理解を超えた単なる威圧的な男にしか見えてこないのだ。このあたりの細やかなエピソードの積み重ねは絶妙で終盤それがボディーブローのように効いてくる。長い間留守にしていた空白を埋めるかの様に息子たちに接する父親だが、父親と母親との愛し方の違いが分からない次男は、やがて反撥を抱くようになり、ドラマはクライマックスへとなだれ込んでいく。結局、子供の成長を見守ってこれなかった男の苦悩と焦燥感は理解できるにしても、何かが欠落していると言わざるを得ない。いかにも古いタイプの父親像と、新しい世代との間に横たわる溝。この国での失われた12年というのは、あまりにも大きく重いという事なのだろう。映画は様々な謎を残したまま悲劇的な結末を迎えるが、この理不尽ながら絶対的な存在である親の重みというものを、息子たちは嫌というほど感じとることとなる。  実に皮肉で見事な幕切れだが、それにしてもなんと後を引く作品だろうか。
9点(2004-10-26 18:37:02)(良:3票)
100.  ツイステッド
犯人は常に主人公の側にいて、しかも公私に渡って旧知の間柄の人物というのが、最近のサスペンス映画の定番となりつつある。したがって皆さん↓のご指摘の通りで、犯人は誰にでも凡その察しはつく。意外性のある人物が些かも意外でない時のサスペンス・ミステリーは、筆舌に尽くしがたいほどツマラない。男にダラシないヒロインの性癖を利用したトリック殺人と、それまではよかったが、そこまで手の込んだ殺人を犯してまで、何故彼女を陥れなければならなかったのかという、犯人の動機が極めて曖昧であり意味不明。要は、強引な作劇とご都合主義が全体を支配している作品と言わざるを得ない。危険な匂いを発散させるアシュレイ・ジャドも、どちらかと言えば悪女的なイメージで描かれ、犯人の罠にかかったのも身から出た錆で、同情するまでには至らない。そしてラスト、犯人が射殺されて海へドボンというのもセオリー通りなら、いつの間にやら大勢の警官隊が駆けつけるのも然り。しかも湾岸警備隊まで出動させるという手回しの良さには、半ば呆れてしまった。これがあの才人カウフマンの作品かと思わず耳を疑いたくなるほどの凡作だ。
5点(2004-10-25 23:58:18)
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