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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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81.  TOP GUY トップガイ 《ネタバレ》 
台湾の空軍パイロットの話である。これより少し前のトルコ映画「スカイ・イーグル」(2011)と似た感じがある。 無名の外国映画の邦題が全く信用できないのは当然として、この映画に関しては英題の “Dream Flight” は正しい(原題の「想飛」も同じ意味か)。半分は訓練学校での話なので、トップを目指すどころかまずは一人前になるため奮闘している印象がある。 戦闘機映画として売る思惑もあるのだろうが、前半ではT-34練習機(プロペラ機)が主役であり、ほかにAT-3練習機(ジェット機)が少し映る程度である。その後は主人公の乗機になった国産戦闘機IDFが前面に出るが、映画宣伝に名前の出ているミラージュ2000は実機が少々、またF-16は申し訳程度の出番だった。  全体構成としては、前半はラブコメ風の青春物語、後半は主人公と妻が夢をかなえるまでの話になっている。病気とか死亡事故とか食器が落ちて割れるとかのありがちな展開もあり、またオズの魔法使いと星の王子様のどっちが大事かわからないといった統一感のなさもあるが、最初から軽目の娯楽映画(男女兼用)と思っていればそれほど問題ない。個別の場面としては、主人公が屋上でシミュレーション飛行する背景にピアノ曲が流れる場面は好きだ。また唐突な「紅の豚」には失笑させられた。 音楽面では主に“Over The Rainbow”が耳に残るが、ほかに序盤のラブコメ部分でChappieというキャラクターの歌「Everyday」(Monday 早起きはいつだって苦手なの...)というのが流れたのがこのパートの雰囲気を反映していた。  ドラマ的には“心の目で見る”というのが一貫していたらしい。終盤のDream Flightは思い切りファンタジックな場面だったが、かえって戦闘機映画の出来損ないなどと言わせない確信犯的な意志が感じられ、結果的には悪くないと思わされた(正直少し泣かされた)。またラストで冒頭と同じ時代の回想場面に戻ったのは、この時から二人の未来が運命づけられたという意味らしく、子ども時代からの素直な空への憧れが感じられたのも悪くない。世間の評判がどうかは別として、個人的感覚としては結構しあわせ感に浸れる映画だったので、少しいい点を付けなくては済まない気分だった(少し長いが)。 なお登場人物では、特に主人公の妹の笑顔にかなり和まされた。主人公には台湾の空を守る任務があるにしても、この家族や妻のためにもとにかく無事でいてもらわなければ困ることになる。要は敵が攻めて来なければいいわけだが。
[インターネット(字幕)] 6点(2021-12-18 10:31:45)
82.  High Flash 引火点 《ネタバレ》 
映画紹介によれば「環境問題を深くえぐる社会派ミステリー」とのことで、そこに男女の人間関係をからめた構成になっている。場所は「熱帯魚」(1995)や「天空からの招待状」(2013)でも見えた西南部の海岸地方が中心になっている。  物語としてはミステリー調の展開だが、最後がありきたりな決着の付け方になっていたのは感心できない。ちなみに最初から胡散臭く見える奴は怪しいと思って間違いない。 環境問題に関しては前記「天空…」でも思ったことだが、日本人の感覚では20世紀的な印象のある公害問題と、どちらかというと21世紀的な環境活動団体が同時に存在するのは変な気もするが、それが現地事情の反映であれば仕方ない。あからさまな公害などは環境規制をちゃんとやってもらえば済むことである。 また社会的な面では、政財界を中心に今も存在する社会悪を告発しているようでもある。しかしエンドロールには台湾映画でよく見る「文化部 MINISTRY OF CULTURE」の名前が普通に出ており、また戦後日本の感覚だと権力側になる各地の市政府や警察局なども協力しているので、あまり尖った社会派映画という感じはしない。ちなみに解説によると現地の司法制度は国民にあまり信頼されていないとのことだが、マスコミはまだしも信用があるということらしかった。 登場人物については残念ながら誰にも共感できない。既にあっちの方へ行ってしまった感じの人物に、観客として惹かれるものが全くないのは困る。ラストは感動を誘う場面だろうが、自分としてはちゃんと前を見て運転しろと言いたくなった。なおむやみに残酷な殺され方をする人物がいたりするので、そういうのを好む観客には受けるかも知れない。検察官だけでなく新聞記者など、命知らずの人間ばかりで困ったものだと思わされた。 全体的に真面目な映画ではあるが通り一遍な印象で、正直それほど心に刺さるものはなかった。  ところで題名は意味不明だが、英語のHigh Flashとは引火点が高い、つまり引火しにくいという意味らしい。引火させるには温度を上げて点火する必要があるわけだが、社会も人もいわば引火点が高いので、人が死ぬくらいのことがなければ何も動かない、という皮肉だとすれば、確かにそれはそうだと思わせるものがある。またラストの空撮が冒頭と同じに見えたのは、それでも何も変わらないとすればそれでいいのか、という問いかけかも知れない。何にせよ民主主義だからこそ作れる映画ではある。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-12-04 09:26:06)
83.  夏時間 《ネタバレ》 
宣材写真からは昔懐かしい田舎の風景を想像するが、撮影場所の家は仁川にあるとのことで、実際は大都市圏の邸宅の話である。ただ庭に対して開放的な家の造りとか、菜園とか蚊帳(ピンク色!)とかが郷愁を誘う雰囲気なのは間違いない(蚊取り線香は見えなかった)。祖父の代にはかなり余裕のある一家だったように思われる。  物語としては、主人公の夏休みに起きた家族の出来事が淡々と表現されている。現実に起こりうることの範囲で作られていて“小さな奇跡”も何もなく、極端に作為的な展開もないので反発を覚えることもない。 全体的に受取りの自由度が高いようには見えるが、一般的には大人の事情や他者の動向に左右される主人公の心情に着目する観客が多かったらしい。しかし自分としては年齢性別のせいもあり、どちらかというと解体しかけてなお家族というものが持つ包容力や、癒しの力や伝える力といったものを感じた。 個人的事情としては自分の立場に近い(次第に近くなって来た)祖父に目が行く。衰えてはいるが家族の和を気にかける人物だったようで、今回たまたまながら家族に看取られたのは幸いだったと思われる。若干意味不明だったのは昼夜の逆転ということで、夜中の3時半に音楽を聴くなど高齢のせいとも思えるが、息子にしたという悪戯の話を聞けば、元からそういう変な遊び心のある人物だったのかも知れない。壁にかかっていた記念写真の時以降、この家で積み重ねられた家族の歴史を思わされる気はした。  もう一つ印象的だったのは、思いがけず優しい映画だったということである。主人公はいろいろな相手に反発していたが特に悪人はおらず、身内は家族思いの人ばかりで一緒の時間を大事にしている。叔母の夫が悪魔というのも恐らく誇張があり、また主人公の彼氏というのも善良な男のように見える。全体的に見ても、表立って誰をも傷つけようとせず、静かに思いを語ろうとする映画のように感じられた。 ほか登場人物に関して、主人公は整形を考えるよりも今のままで自信をもってもらいたい。またその弟はなかなか愛嬌のある奴だったが、御霊前でダンスを始めたのはいいとして(祖父も笑って見ていただろうが)、歌詞がひどいのは笑わされた。
[インターネット(字幕)] 7点(2021-11-20 10:43:39)
84.  あなたを、想う。 《ネタバレ》 
監督は台湾出身で主に香港で活動した著名な女性俳優、主演(妹)はマカオ出身、母親役はマレーシア出身(華人)とのことで、中華圏的な広がりはあるが映画自体は台湾限定の話である。撮影は東海岸の緑島と台東、及び台北の3か所にわたっているが、現地の風景として個人的にはそれほど印象に残るものはなかった。  物語としては、青年期の後半になった兄と妹と妹の恋人の3人が、それぞれのきっかけで親へのわだかまりを解消する話のようで、夜の幻影とか白昼夢とかでファンタジックな印象を出している。原案(脚本)は日本人だったとのことで、この映画のように、一般的な人間ドラマに心霊現象とか超時空展開を平気で入れ込むのが台湾でも普通なのかはわからない。 解説によると本来3つの短編だったとのことで、3人の男女それぞれの物語を1本にまとめた形になっているが、しかし1人だけ親が別なので、構成上の均衡を失している感はある。ラストは4年後くらいだったようだが、その間に目の治療とか仕事をどうしたのかといったことは捨象され、また兄の心の変化も不明瞭だったため、3人それぞれの物語としては不全感が残った。また終盤を(バス以降)適当に都合のいい展開にして、取ってつけたような結末に飛んだのも感心できない。 ほか単純に意味が取りにくいところもあり、特に台北にいた金髪オヤジに関しては、父親が娘と息子に言いたいことがあって来た、という意味かと思ったが(妹の恋人の方はそうだったと思うが)、演者(※)が違うのでそうともいえないのは変だった。あるいはこれが母親の語った天使かも知れないが、何にせよ超自然的なものに頼りすぎではないかという気がした。 ※酒吧調酒師:瞿友寧、役者というより映画監督・TVドラマ演出家らしい。  個別の場面としては、台風の夜に兄が実家で「母さん」と呼びかけたところは感動的だった(ホラーっぽいが)。また妹の恋人が突堤で出会った釣り人がニヤリとしたのも悪くない。終盤では、妹がたまたま立ち会った出産が本物のように見えたのが強い印象を残した。大事な場面の直前で、過去の記憶を断片的な映像として蘇らせるのは効果的だったかも知れない。 自分としても、当日の夜に見た夢がこの映画の影響だったらしいので、心を動かされる映画だったというのは間違いない。
[インターネット(字幕)] 6点(2021-11-13 09:29:24)
85.  生き人形マリア 《ネタバレ》 
フィリピン映画である。場所についてはヴァレンズエラ市というところが協力していたほかケソン市の表記も見えており、要はマニラ首都圏での撮影である。言語はFilipinoだそうだが(タガログ語ベースの標準語?)、ときどき文章単位で英語が混じって聞こえたのは普通にあることなのかどうか(上流階級だけか)。ちなみに「人形」は「manika」だったらしい。 なおパクシウpaksiwというのは一般的な家庭料理らしいが、酢で煮るものだそうで個人的には苦手かも知れない(食わず嫌いはよくないが)。  内容的には、序盤の大仰で能天気な軽さ(バス事故の場面を含む)など見ていると、現地のTVドラマはこんな感じなのかと突き放した気分だったが、そのうちちゃんとホラーらしい雰囲気も出るので安心する。死んだ少年の性格付けなどよくわからない点も多々あったが、普通に娯楽として見られる映画ではあった。 物語的には、特にまとまったテーマのようなものは読み取れなかった。保護者3人は子ども/人形への態度に違いがあったようで、そこにドラマ的な意味があったかも知れないがよくわからない。一つ思ったのは、レオノーラの養父は養女を溺愛していたようで、本当に養女(幼女)を生きた人形のように思っていたことが結末の差になったのかも知れない(不明だが)。 ホラーとしては人形が主役だが、まつ毛の付け方などは観客の突っ込みを誘う意図としか思えない。怖さを追求しようとしたものでもないようなので、笑って見ているのが妥当な態度と思われる。ちなみに原題がマリア・レオノーラ・テレサの順なのがなぜかは不明だった(所得順ではない)。少なくとも日本人的には、マリア・テレサ・レオノーラの方が語呂がよさそうに見える(所得順にもなっている)。 なお監督はTV・映画界でかなり活躍していた人物らしいが、2016/2/29に死去されたそうで(49歳)、同じ監督で続きは見られないことになる。  登場人物としては、マリアの母(の体型)よりもテレサの母の方に目を引かれた。また悪気のなさそうなマリア家のメイドの人はかわいそうだったが、この人が寝る時に、枕だかクッションだかを股に挟んでいたのはどういう習慣なのかと思った(朝まで同じ格好)。しかし別に性的な意味があったわけでもなく、腰に負担がかからないとかよく眠れるという理由で、日本でもこれをする人々が結構いるらしい。映画に出すからには現地でも普通のことなのかも知れない。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-11-06 10:42:04)
86.  屍憶 SHIOKU 《ネタバレ》 
台湾と日本の合作ということになっている。台北市の警察が出ていたので場所は普通に台北らしい。 ホラー要素としては、台湾で有名な(多分)「冥婚」という風習を使っている。これは日本にもあると書いてあったが、しかし山形県内陸地方にある「むかさり絵馬」は亡くなった人物に架空の相手を結び合わせる形なので、この映画のように生きた人間を犠牲にするものではない。劇中で過去に事件のあった1930年は日本統治時代であり(映画「セデック・バレ」の霧社事件と同年、映画「KANO」の前年)、また何か日本がからむのかと思ったら何も関係なかった。関係なくて結構だ。  物語としては中心人物の男と女子高校生の話が別々に進んでいき、最後に一本にまとまって終結する。途中の展開が緩くて長いと思ったが、終盤に至ってまとめにかかり、それまでの断片が次々つながっていく展開は意外感があった。 また日本が参加しているだけあって邦画ホラーっぽい雰囲気もある。しかし貞子でも伽椰子でもないゾンビ風の亡霊が、霊能者の前でしおらしくかしこまってうなだれる姿は珍しい。またその霊能者が「他に方法がない」と新人らしく自信なさげに言っていた様子も好感が持たれる。 ほか女子高校生を水泳部の設定にして水着姿を水中撮影するなどは、日本でも以前に盛んだった(今も?)ロリコン趣味丸出し映画のようだった。ただし出演者は20代だろうから未成年者はいないと思われる。  出演者としては日本人も二人出ており、うち田中千絵という人(「王依涵」役)は他の台湾映画にも出ている有名人である。もう一人の池端レイナという人も日台両方で活躍中とのことで、今回出番は多くなかったが、かわいいまま終わる役でよかったとはいえる。 ほかの登場人物として、中心人物の女子高校生は16歳(昨日まで15歳)の設定で、見た目は素朴で幼い感じの普通に可愛い少女だったが、演者のVera Yen/嚴正嵐という人は実は1989年生まれだそうで、この映画の頃には26歳くらいだったことになる。10歳ごまかしても通用するのは元がよほど童顔で可愛い人だということらしく、この人にもちょっと意外感があった。特に病室で見せた情けない顔は極端に可愛い(かわいそうだ泣くな)。 また中心人物の男に「イーハン」と呼ばれていた女性役(Nikki Hsieh/謝欣穎)も忘れがたい魅力的な風貌だった。出演者の面でも見どころがあるのはいい映画というしかない。
[DVD(字幕)] 6点(2021-10-30 13:27:37)
87.  KANO 1931海の向こうの甲子園 《ネタバレ》 
台湾では大好評だったようだが媚日映画との批判もあったようで、また台湾の有名な映画賞を受賞できなかったのは審査委員会の大陸関係者に妨害されたからだとの噂もあったらしい。そういうのも台湾社会の様相の一端と受け止めるしかない。 一方で日本では概ね好意的に扱われたらしく、当然ながら朝日新聞も協力している。個人的に不快だったのは、当初あからさまに先住民を侮蔑していながら、風向きが変わると簡単に転向する軽薄な記者が出ていたことで、こういう人格低劣な日本人を毎度見せなければ済まないのなら日台関係の映画などもう見なくていい気がした。多くの日本人の感覚では、無名の三民族混成チームが頑張っているというだけで応援せずにはいられない気になって当然であり、そういう一般民衆の姿も映像に出していたのは間違っていない。 なお台湾の大作映画は2時間に収めるつもりがないのが時々あるようだが、さすがに3時間は長いのではないか(それをいえば「セデック・バレ」は本来4時間超だったわけだが)。札幌の投手の後日談など必須だったのかという気はした。  その他の事項として、八田與一という日本人は野球に関係あるのか疑問に思ったが、それを含めてこの時代を表現すること自体が製作目的の一部だったのなら変ともいえない。「嘉南大圳」というものが、現地の人々の暮らしの向上に役立ったのであれば日本人としても喜ばしい。 また外国映画なのに台詞がほとんど日本語なのは顕著な特徴点である。正直聞きづらいところもあったが、しかし当時の日本語が、現代で事実上の世界言語になっている英語のように、三民族の意思疎通と相互理解の基盤だったことの表現ではあるかも知れない。 野球に関しては、王貞治氏が顧問について演者も経験者を揃えたとのことで、試合の時間も長いが苦にならず、また決勝戦でも惜しかったが悔いは残らない感じをうまく出していた。ここでの選手からは、その後に日台の野球界で活躍した人物が多く出たとのことで大したものである。 ほか個別の場面では、「アウト!」を言い合って大笑いしていたのと「髪型崩れる」というのは笑った。なかなか愛嬌のある連中だった。  [雑記] 映画自体と直接関係ないが調べたので書いておくと、映像に出ていた嘉義市街地のロータリーは日本統治時代の都市計画でできたものらしい。噴水がいつ作られたかはネット上で探せなかったが、地元出身の陳澄波という画家の「嘉義中央噴水池」(1933)という絵に描かれているので劇中年代にも存在したと想像される。 現在は、この映画に出た呉明捷投手の像が建てられていてストリートビューでも見られるが、噴水の方はしばらく止まっていたのが2021.7.27に再稼働したとのことで、その際に嘉義市長が、彼の決して諦めない精神が新型コロナウイルス感染症予防の精神にもつながる、と述べたとのことだった(「自由時報」の記事より)。だから何だということもないが地元ではそのように思われているらしい。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2021-10-23 08:58:23)
88.  セデック・バレの真実 《ネタバレ》 
台湾の先住民(台湾での呼称は「原住民(族)」)であるセデック族に関し、1930年の「霧社事件」とその後の経過を扱ったドキュメンタリー映画である。日本人が見る場合、この事件について事前にそれなりの理解があるか、または劇映画「セデック・バレ」(2011)を見ていないとわかりにくい。逆にその映画を見てからだと、このドキュメンタリーが製作の背景になっているのがわかる。 題名の「餘生」とは「生き残った者」の意味だそうだが、現代で存命の人は基本的にいないので、子孫が何組か登場して当時の言い伝えや自らの思いを語っている。うち親子3人はセデック族の発祥地とされる「プスクフニ」(Pusu Qhuni)を訪ね、自分らが何者なのか探る旅をしていた。  この映画を見た限り、現在のセデック族は漢人社会に同化しつつあるようで、若い世代は言葉も話せず、今後もエスニック集団としての実質を維持していけるか難しいように思われる。さらにいえばセデック族というものが、いわゆる民族自決的な考え方を適用する以前の、今やっと民族意識を形成しかけた段階にも見える。事件の頃にあった集落間対立がすでに解消されたことを見せようとした場面もあったが、ここは正直ちょっと会話が微妙だった(笑)。 しかしこの映画としてはとりあえず、各人が民族としての自覚を劣等感ではなく誇りとし、他人に見下されたりしないよう、それぞれ子どもを立派な人に育てていかなければならない、という意味の言葉で締めていた。かつて彼らを見下していた日本人はもういないので、この映画では字幕でいう「台湾人や中国人」(本省人と外省人のことか?)に対して彼らの立場を訴える形になっている。 日本人としては今の彼らと立場が違うので、この映画から直接何かをメッセージとして受け取るのは難しい。しかし未来のことを考えれば、例えば日本国が近隣大国に併呑されるとか、グローバル社会の中で解体させられようとした時にどうするのかが問われているといえなくはない。  ほか特徴点としては、民族としての存在について外部からの勝手な意味づけを排する意図があったようである。日本統治時代には文明化すべき未開人の扱いだったわけだが、国民党政権下では反日宣伝のため一転して「抗日英雄」として賞揚され、それでかえって人々の実像が歪められたところもあったらしい。邦題の「真実」にはそういう意味も込めてある。 また教育はやはり大事だという考え方も出ていたように見える。日本統治時代の教育政策はかえって悲劇を生んだ面があったとのことだが、しかしその後の子孫も教育には熱心だったらしく、最後の締めのナレーションでも、他人に見下されないためには教育が必要だということを述べていた。実際に登場人物の一人で、子育て後に大学院に入ったという女性はいかにも知的な人物だった。 ほか女性というのは本当に強いと語る人物もいて、勝手に死んでいった男連中ではなく、女性こそが生命を後世につないだのだということも表現されている。見て面白い映画ともいえないが(時間も長いが)、劇映画と違って実在の人物の語る言葉は重かった。
[DVD(字幕)] 6点(2021-10-16 14:28:53)(良:1票)
89.  セデック・バレ 第二部 虹の橋 《ネタバレ》 
第一部では決起の理由が不明瞭だと思ったが、この第二部の最初で主人公が、すでに虹の橋を渡る資格は得たのであとはいかに死ぬかだけだ、と言ったのはいきなり落胆させられた。第一部で子孫のためとか言っておきながら、実は自分の来世しか考えていないのでは現世の役に立たないではないか。そういう文化だからといえば否定もできないが、少なくとも現代人の感覚でいえば、後に残される人々のことを考えない行動は褒められたものではない。主人公の渋い風貌に騙されて、何か今後の戦略のようなものがあるはずだと期待していたのは大間違いだったらしい。 例えば最後にテロップで、この事件がきっかけで総督府がそれまでの政策を改めたとでも書けば、主人公の行動にも現世的な効果があったことになり、現代人の観客にも納得しやすい映画になっていたはずである。しかしそれをする気がなかったということは、外部からの勝手な意味づけを排し、まずは当事者の意志を表現するのがこの映画の基本姿勢だったということか。そうすると当方が勝手に期待した今後の戦略などではなく、逆にそういう文明的な理性をあえて切り捨てたのが主人公の決断だったと取るべきかも知れない。来世のこともあったにせよ、それを含めた民族の誇りが最終的には問題にされていたようでもある。 なおそもそも日本人が来なければこんな惨事は起こらなかったといえなくはないが、それだと清代以来の化外の民のまま、山中に籠って近隣同士で首を取り合う暮らしを続け、20世紀の人類社会の一員にもなれなかったことになる。それでよければ別に構わないが、仮に日本が来なくても国民党勢力が同じことをしただろうし、劇中でも主人公本人が言っていたように、要は文明と野蛮の戦いだったというのがこの映画としての見解らしい。終盤で妊婦が変にわざとらしく優しく扱われるとか、少年が戦士として認められなかったのは、日本人が明らかに文明人の立場にいたことの表現と思われる。  ところで個人的に納得できないのは日本人の扱いである。終盤の台詞で、彼らには日本の武士道と同じ精神があるなどとわざわざ言わせていたが、しかし日本の武士が劇中住民のように、女子供は放置して(多くが自害)男だけ勝手に死んでバンザイなどと思っていたわけはない。家の存続と子孫の繁栄のため、今いる自分が生命をかけるというのが本来の武士ではないか。最後に桜を咲かせておいて、散るのは覚悟と思わせただけで日本精神を表現したつもりらしいのも薄っぺらい。少なくとも自分にとっては、外国人の手で戯画化された日本人像を見せつけられたようで極めて不快な映画だった。 ほか今回の登場人物として、劇中の傲岸な司令官は日本軍国主義の権化のようだったが(陸軍悪玉論か)、このハゲは主人公に首を飛ばされるのかと期待していたら、最後に何と日本精神の代弁者として再登場したのは呆れさせられた。その場にいた善人面の警官も含め、日本人として全く誰にも共感できない映画だった。そもそも全般的に人物描写が浅い。 ちなみに特に日本人役は全員が素人役者のように見えるが、うち第一部で惨めに死んだ警官役の一人は、後の「KANO」(2014)にもパパイヤ教師役で出ていて気分が悪かった。さらにいえば、この映画に出ていた日本人役者は二度と顔を見たくない。
[DVD(字幕)] 3点(2021-10-16 14:28:49)
90.  セデック・バレ 第一部 太陽旗 《ネタバレ》 
台湾の先住民(台湾での呼称は「原住民(族)」)を扱った映画で、具体的には1930年の「霧社事件」に焦点を当てている。首狩り族というと印象は悪いが、昔の日本でも手柄の証拠として首級を持ち帰るのは普通にあったわけで、意外にも台湾の山中に武士が残っていたということらしい。殺された日本人の方が「武士の末裔」だなどと叫んでいたのは笑わせた(嘲笑)。 事件の場面はこの第一部の最後に出るが、ここで誰が見ても殺されて仕方ないと思わせる連中が真っ先に殺されたのは納得のいく作りになっている。特に男尊女卑の染みついた下司な男(上の世代の日本人にいた)や、自分の劣等感か何かのせいで弱い立場の者を踏みつけにするひねくれた男(どこにでもいる)などは早く殺されないかと心待ちにしていた。それ以外で殺された日本人は災難だったが、異質な集団と接する最前線にはこういうリスクがあると思わなければならない。  この第一部では、個人的には民族集団が大規模な侵略を受けた際にどう対応するかの問題かと思って見ていた。最初に激烈な抵抗をしておいて、その後は集団の存続のため忍従していたが、ここでまた改めて反撃を企てた形になっている。 しかし民族の誇りを守るのはいいとして、単なるテロ攻撃では自滅するのと同じというのは主人公本人も言っていたはずである。また戦える男の首を取るのは名誉としても、日本人の女子供まで皆殺しにしたことの理屈はついていたかどうか。侵略民の繁殖拡大を食い止めるための全数駆除なら意味はわかるが、しかし日本人全部を絶滅するなどできないことはわかっていたはずではないか。主人公も若い頃とは違って指導者としての分別を備えた人格者に見えたが、事件の後の落としどころまで考えていたのかどうか、この第一部ではわからなかった。 なお注意点としては、この映画では日本人が矢面に立っているが、日本人が来る前は漢人との間でも同様のことがあったのではないかということである。また先住民同士でも狩場をめぐる争闘が日常的だったことは劇中に示されており、人間集団の間に必ず起きる争いが、この映画ではたまたま先住民と日本人との間で起きたというように取れる。仮に日本人が悪とするなら漢人も先住民もみな悪ということになるわけだが、あるいは劇中で、男のプライドが女を苦しめるという意味の歌が聞かれたのは、男こそが悪の根源だということかも知れない(現代風解釈か)。  そのほか特徴的なのは先住民の歌が多用されていたことで、特に渓流で主人公と先代が輪唱した場面は印象的だった。また金玉を握る場面も印象的だった(痛々しいが笑った)。主人公は苦みと渋みが顔に出たナイスオヤジだった。
[DVD(字幕)] 7点(2021-10-16 14:28:47)
91.  聖なる泉の少女 《ネタバレ》 
映像が美的で歌も印象的だが、わけのわからない映画である。 監督はジョージア人とのことで、撮影場所も劇中地図や文字からしてジョージア国内に見える。時代としては、主人公の自宅の雰囲気などは前近代のようだが、町の様子や自動車の普及、谷間の工事か何かを見ると現代のことらしい。兄の言っていた「祖国」がソビエト連邦からの独立後とすれば90年代以降ということになる。  主人公の家系は「聖なる泉」の「守り人」として代々続いて来たらしい。泉の水は怪我や病気を癒すものとして村人に頼られてきたが、現代では科学的な医療も普及しており、村人にとって必須とまではいえないものになっていたと思われる。その上に、谷間の工事か何かのせいで水が枯れてしまい、泉の伝統もここで途絶えることになったらしい。 主人公の父親にも引退の時期が来ていたようで、松明の点火に失敗したのはそういう意味かと思われる。そうすると泉が枯れたのも、それに先立ち息子がそれぞれの道に進んでいたのも、いわばタイミングよく事が進んでいたように取れる。しかし一人だけ割を食わされたのが主人公であって、泉が枯れて自由になるどころか存在理由まで失ったように、最後は自分で人としての実体をなくしていったかに見えた(皿は残った)。 これを何らかの社会批判と捉えようとすると安っぽい話にしかならないが、世界が変わっていくこと自体は仕方ないのであって、昔あったが今は消えてなくなったものは数多い。これから生きて前に進む者なら忘れていれば済むが、その忘れられたものを若い女性の姿にしたことで、消えていくことの悲哀を感じさせる意図があったのかも知れない。自分がいま住んでいるこの場所にも、過去には別の人々の暮らしや人間関係や感情や思いが存在していたはずが、誰も記憶しないまま消失したのは空恐ろしいといえなくもない。 そのように一応は思うところはあったが、しかし見ている自分との接点が少ないので、正直あまり深入りして考える気にならない映画だった。  以下雑談として、主人公は体型的に細身の人で、男と対面した場面で横から見ると胸が平たい人だと思ったが、実際どうなのかは直後の入浴場面で見せていた。また村の祝い事か何かの場面で、画面の右端にいた鶏と入れ替えに主人公が現れたように見えたのは、意図したかどうかは別として印象的だった(多分どうでもいいことだが)。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-10-02 09:12:44)
92.  バトル・オブ・ヒーロー 《ネタバレ》 
1939年9月のドイツ軍のポーランド侵攻時に、自由都市ダンツィヒ(現在のグダニスク)で起きた「ヴェステルプラッテの戦い」を題材にした映画である。この戦いがポーランドでどう扱われてきたかは知らないが、当初は12時間しか保たないと思われていたのが7日間も健闘したことで賞賛されたということかも知れない。現地は第二次世界大戦の始まりを象徴する場所として、今も建物などが保存され記念碑も建っているらしい。 戦争映画としては、ポーランド陣地が散発的に攻撃される場面が続くだけで、大した盛り上がりもないので一般の期待には全く応えない。わずかに目立つのは序盤で、停泊中の戦艦が艦砲射撃したのと、街の方から水路を越えて急降下爆撃機が来襲した場面くらいのものである。なおこの場にいたドイツ戦艦「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は1908年就役の前弩級艦で、当時すでにとんでもなく旧式なので浮き砲台の役目だけをしている。  登場人物としては、実在の人物であるヘンリク・スハルスキ少佐とフランチシェク・ドンブロフスキ大尉(劇中の「クバ」)のダブル主人公になっており、見る側の気分もこの2人の間で行ったり来たりさせられる。なお女性は出ない(写真だけ)。 当時の自由都市ダンツィヒは、名前の通りポーランド領ではなく住民もほとんどドイツ人だったようで(Westerplatteという地名自体がドイツ語だろうが)、そこにいたポーランド部隊には別に街の住民を守る使命はない(最初から敵方)。こんな場所に生命をかける意味があるかと正直思うが、国の尊厳を守るために抵抗してみせるという象徴的な意義はあったはずである。そのような条件のもとで、最初から引き際を探っている少佐と、徹底抗戦しかない大尉との対立を通じて、何のためにどこまで戦うのかを厳しく問う映画に思われた。 この戦いで攻撃側が多数の死者を出したのに対し、ポーランド側の死者はわずか14人だったとのことだが、その死者をたった14人と済ませていいのかは写真を燃やす場面で表現されている。一方で最後に国章の鷲を眺めてから歌っていたのはポーランド国歌だったが(現在と同じ)、国のためには死ねばいいのでなく、生きて命をつなぐことが将来にも役立つと諭す形になっていた。 さすがに現代の製作らしく単純な祖国バンザイ映画ではなかったが、単純に非戦を訴えて終わりでもないようで、当時や現代の人々の複雑な思いを詰め込んだ映画なのかと思われた。
[DVD(字幕)] 5点(2021-09-25 10:57:53)
93.  提督の艦隊 《ネタバレ》 
原題の「ミヒール・デ・ロイテル」は17世紀オランダの提督の名前である。 冒頭の場面で、ここはどこかと思っているといきなり海戦中だったのは驚かされたが、その後も全編を通じて帆船時代の戦列艦の戦闘場面がそれらしく作ってある。戦術的なことはよくわからなかったが、敵本国の港にいる艦隊を「海兵隊」(陸戦隊)で襲撃した場面と、オランダ艦の喫水が浅くできているのが映像化されていたのは印象的だった。ちなみに一般人の応援団が海辺で観戦するのがオランダ風なのかと思った。  ドラマ部分は複雑な政治史が背景にあるのでわかりにくいが、要は国内で敵味方を分断する政治闘争に巻き込まれながらも、主人公がいわば軍人としての分を守り(家族も守りながら)、党派を超えてオランダという国のために働いたことを顕彰する映画だったらしい。結果として、21世紀のオランダにも愛国心のようなものがあるらしいとは思わされた。 戦闘での無惨な場面はそれほどないが、劇中で最も残酷だったのは海戦ではなく、陸で民衆がやらかした虐殺だった(写実的絵画が残されている)。またどうでもいいことだが、最初の海戦の場所は字幕で「スヘフェニンゲン」と書いてあるが、これは「キンタマーニ」や「エロマンガ島」と並ぶ世界の珍地名として知られる「スケベニンゲン」のことである。  ちなみに自分がこの映画を見た動機は、トロンプとデ・ロイテルという、個人的に名前を知っていた数少ないオランダ人が出ていたことである。太平洋戦争の開戦当初、この2人の名前のついたオランダ軍艦が現在のインドネシアにいて、うち軽巡洋艦デ・ロイテルは昭和17年2月のスラバヤ沖海戦で日本海軍が撃沈したので日本でも知られているが、同じ名前はこれまで何度もオランダ軍艦の名前に使われており(今もある)、主人公がオランダ海軍で英雄扱いされてきたことが知れる。ほか劇中で主人公の盟友になった首相も、現代のドック型揚陸艦ヨハン・デ・ウィットに名前が使われているので、オランダではそれなりの偉人であるらしい。 この映画ではオランダとイギリスが戦争し、また第二次大戦ではどちらも日本とは敵味方だったわけだが、現代ではイギリスの空母とオランダの軍艦が一緒に太平洋に来て、海上自衛隊と共同訓練したりして(2021.8.25)、世界の枠組みも変わっていくものだという感慨がある。いわゆる昨日の敵は今日の友というようなことかと一応思っておく。
[インターネット(字幕)] 7点(2021-09-18 09:58:13)
94.  それも恋 《ネタバレ》 
主演の仁後亜由美という人は他の映画でも見たことがある。別に好きでもないが、素っ頓狂な声を出す役者ということで憶えていた。 短い映画だが、何か社会派的な性格を持たせたかったようではある。制作が2016年とのことで、近年見られた爆買いの雰囲気を映すとか、常習的な偽造といった行動様式を見せておいてから「ウソばっかだね」などとあからさまに言わせたりしている。一方で、日本で稼いで国に帰れば金持ちだとかいうのは大昔の話のようで、相手の男の人物像もそういう時代のイメージになっている。 個人的には現在の池袋北口とか西川口といった場所の実態を知らないので何ともいえないが、どうも微妙な違和感と今更感のある映画という気はした。しかし相手の男にもそれなりの事情があったことは説明されていたので、それぞれの事情で理解と共感を寄せる人がいてもいいのではと思った。  それよりも、題名に示された主人公のドラマとしては思うところもなくはない。何もしないで終わるよりなら何かした方がいい、という意味だとすればその通りだが(確かにそうだが)、それでどこまで妥協できるのか、その結果を納得して受け入れられるかの問題だということか。できれば後悔しなくて済むといいわけだが。 なお相手の男の台詞が聞き取りにくいのは困った。「デイエル」とは何のことかと思ったが、英語字幕のsexual serviceで何とか察せられた。
[インターネット(邦画)] 4点(2021-09-04 10:29:44)
95.  悪魔の奴隷 《ネタバレ》 
一部で知られた「夜霧のジョギジョギ(モンスター)」のリメイク版である。劇中年代が現代ではなく1981年なのはリメイクの本気度を示したのか、あるいは時代回顧的な意味もあるのかも知れない。 題名に関しては、前作の英題が”Satan's Slave”だったのに対し今作は”Satan's Slaves”になっているが、インドネシア語に複数形はないとのことで原題は同じ”Pengabdi Setan”である。邦題は前作のようなふざけた名前ではなく原題そのままであり、これは実際に見て感じる印象の表現になっている(あまり笑えない)。  リメイク版のため、「ラーイラーハイッラッラー」とか「トニー...」とか喘息気味の人物とかバイクの事故といったオマージュらしいものは結構見える。しかし前回の年代物映画とは違い、今回はちゃんと現代的なホラーになっていたのは感動的だった。 最初がいきなり無音で虫の声から入るとか、オープニングの物悲しい音楽が流れたあたりでまずは期待させられる。基本は家で何かに襲われるパターンだが、あからさまなドッキリで飛び上がるようなところもあって結構怖がらされた。個人的には屋内の水場(上下水を集約?)を使うのが特徴的に思われたのと、一神教の渡来以前からある邪悪な勢力の存在を感じさせたのも恐ろしげに見えた。 物語上は、神を信じない一家が悪魔に狙われる、という設定を踏襲したようでいて実はそれほど単純でもなく、信仰と家族とオカルトのどれが頼れるのかを迷わせながら進行する。少し手が込んでいると思ったのは、真相に関する劇中の発言はあくまでその時点の見解なり解釈または方便に過ぎず、最終的な結論はラストの場面を待つ必要があることだった。結果として「家族が見放さなければ」は正しかったらしい。また英題のslaveを複数形にしたのもそれなりの含みが感じられる。 登場人物としては主人公が変に肉感的な女性だったのと、その弟3人がかなり愛嬌のある連中なのが目についた。  なおこの映画で見た限り、現地ではイスラム教が絶対視されているわけでもなく、むしろ家族が大事というようでもある。終幕場面で観客を誘惑する目つきだった女性が前作の主人公と同じ名前らしい(Darmina/Darminah)のも、やはり信仰心が不足していたという意味か。 また前作で出ていた伝統的な呪術の代わりに、今回は少し現代的なオカルトを前面に出したらしい。劇中の「MAYA」は主人公に「低俗な雑誌」と言われてしまっていたが、これは日本の「ムー」のようなものかと思って笑った。
[インターネット(字幕)] 7点(2021-08-28 09:18:58)
96.  きばいやんせ!私 《ネタバレ》 
九州最南端の南大隅町にある「御崎祭り」を題材にして、祭りの再興と、主人公である不倫女子アナの再出発を重ねた映画である。 冒頭の「大怪獣ガメラ」は笑った(「小さき勇者たち ~ガメラ~」(2006))が、あとは笑わせたいのか何したいのかわからない地味な雰囲気で進行する。抑制的に見えるのはいいとして、かなりの時間にわたってどの登場人物にも共感できない状態が続くのはつらい。中盤の展開もいい加減な印象だったが、そもそも女子アナの心情など思いやる気にもならず、最後の心機一転も当該個人の問題なので自分として喜ばしいとも思えなかった。  地元振興という面からいえば、劇中の安いTV番組など大した役にも立たないだろうと思っていたが、実は地元民もその程度の認識だったようで、結果的には和牛日本一の方が重く扱われていた。また自称映画プロデューサーの顛末を見れば、TVだけでなく映画なども当てにはできず、さらにいえばこの映画自体に関しても、一応まともに完成はしたが本質は同じと取れる。要は、TV番組や映画など何かのきっかけくらいにはなるかも知れないが、本当に大事なのは人間の底力だ、と言いたかったのなら確かにそうだと納得できる(主人公のドラマとしても同様)。よくある地域おこし映画のようでいながら、上辺を飾らず本音を通した点ではいい映画だった。 個別の場面では「責める価値もない」という突き放した言葉が出たところが好きだ。豚舎が臭いという正直な台詞も綺麗事排除でいいことだが、しかしそもそも外部の人間をやたらに入れるなとは言いたくなった。  出演者としては夏帆が出ているから見たわけだが、劇中人物としては最後まで嫌な奴だったので見た意味がない。一方で太賀という役者は、最初の場面ではこんな男だったか?と思ったが、最終的には外見的にも性格的にも人が違ったように見えたのが面白い。要は序盤の軽薄で上滑りする感じの態度は彼なりの防御姿勢の表現だったようで、個人的にはここが人物描写での見所だった。 なお南大隅町は食堂経営者役の愛華みれという人の出身地だそうである。自分も昔、佐多岬まで行こうとしたが遠いので途中で断念した覚えがあるが、映画の時点でもまだ現地にはコンビニもないとの話が出ていた。ただ少なくとも2021年現在では大手チェーンの店舗もあるようなので、東九州自動車道のおかげか何かで交通の便はよくなっているのかも知れない。
[インターネット(邦画)] 4点(2021-08-21 08:48:27)(良:1票)
97.  天空からの招待状 《ネタバレ》 
監督の齊柏林氏はもともと航空写真家で、自分が空から見てきた台湾の姿を紹介するため一念発起して空撮ドキュメンタリー映画の製作に取り組んだとのことである。それで大成功を収めたが、続編を撮影中の2017年にヘリコプターの墜落事故で亡くなったというのが痛ましい。 この映画も全て空からの撮影で、スケール感が失われて地形が模様に見える高度から、人々の表情がわかる低空での映像もある。自然景観や人々の暮らし、伝統的な一次産業は好意的に撮られており、水田らしき場所で水路に陽光が反射したのはキラリと光る一等地の圃場だというアピールに見えた。また人々が農作業をしている両側で、緑の植物が風になびいて流れるような構図は見事だった。 一方で否定的に扱われた人工物として、海に接する排水口(大潭発電所?)の映像は戦慄を催した。また土砂採取の現場が何本もの虫食い跡のように見えたのも気色悪い。  当然ながら単なる空撮映像の羅列というわけではなく、故郷の島を母親にたとえ、その子である人間が都合よく使うだけでなく労わることが大事だと訴えている。監督が長年空から見て問題だと思ってきたことが、地表の人々には見えていないという危機感が根本にあったらしい。 具体的な問題点としては、まずは山地開発による山崩れや土砂流出といったことが印象づけられる。また西海岸の養魚場で地下水を大量に使用するため地盤沈下が発生し、墓地も浸水して「土葬が水葬になった」というのは、「熱帯魚」(1995)の映像でも見えていた気がする。ほか水質汚濁や廃棄物処理など環境保全の基本的事項とともに、近年の時流に乗った形で石炭火力の問題を指摘するとか有機農産物への取組みを紹介していた。 日本人の感覚としては、今さらそれを言われても、というのもなくはなかったが、しかしさすがにこれはまずくないかと思ったのは、大都市近郊の急峻な山地で稜線を削って高層住宅などが建設されている場所だった。傾斜の度合いが多摩丘陵などと比べ物にならないわけで、今の日本でいえばメガソーラーによる環境破壊が危惧されていることにつながるかと思った。  なお今回初めてじっくり見たのが、台湾の最高峰である「玉山」(3,952m)の姿だった。いわゆる新高山(ニイタカヤマ)だが、ノボレと言われても険しいのでどこから登るかわからず無理そうに見える。しかしこの映画のために「台湾原声童声合唱団」の子どもらが登り、狭い主峯の上で揃ってパフォーマンスをやっていたのはご苦労様だった。マイナス2度だったとのことだがみんな笑顔で、若い人々が元気なのは大変いいことだと思わされた。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2021-08-14 09:33:09)
98.  私の少女時代 Our Times 《ネタバレ》 
主演のビビアン・ソン(宋芸樺)は知らなかったがこの映画で人気が出た人らしい。2018年にはSNSでのちょっとした発言が大陸側で大々的に非難され、火消しをしようとしたら今度は台湾側で叩かれて、総統府の報道官がとりなしのコメントをした事件があったとのことで、やはり大陸での営業はリスクが大きいということだ。  それはそれとして映画そのものは青春恋愛映画であって、邦画なら少女マンガ原作かと思うがオリジナルらしい。主人公が90年代を回顧する話なので懐古趣味的なところもある。 時間が140分もあるのはさすがに長いが、前半のラブコメ部分にはけっこう笑わされる。恋愛に関する格言のようなのは日本の青春モノにもあるかも知れないが、日本にはなさそうな「水風船」の話もなるほどと思って感心した。また終盤の「順風満帆 一獲千金」(字幕)のところは笑い泣きさせられた。 ただ途中で嫌な感じだったのは、転任してきた指導主任の態度(と顔)を見て、これが中華圏の抑圧手法なのかと思わされたことだった。劇中では民衆側が勝っていたが、現実社会の政治問題なら権力側の実力行使もありうるのではという気もして、こんな映画で思うのも何だがかなり危なっかしく見えた。まあ今は台湾でも自由で公正な社会が実現しているはずで、劇中のイケメン優等生のいうとおり、誰が言ったかで正不正が左右されない世の中であってもらいたいと思った(日本もそうでなければと思った)。 登場人物として、主人公の林真心(英語版ではTruly Lin)という人は、中盤で髪型を変えてからいきなり可愛くなったように見せていたが、個人的感覚としてはそれ以前からちゃんと可愛く見えていた。自分としても大人の場面は同じ演者にして、最後に昔のままの笑顔がよみがえった形にしてもらいたかった。  ほか雑談として、主人公のプロフィール帳に「喜歡の人:??」「討厭の人:我哥」(私の兄)と書かれていたのは目についた。話によると台湾では「の」という字が変に好評で(形がカワイイか何かの理由で)、特に必然性なくやたらに使われているそうで、現地を知る人々には常識かも知れないが個人的には初めて見た。 また原語は全く知らないが、「私、かわいい?」という字幕のところは「我可愛嗎?」と言ったように聞こえた。「可愛」は漢字圏の共通語なのか。ちなみに「真心」は日本語のまごころというより“誠実”というような意味らしい。  [2022/06/04追記] 上では劇中の抗議行動が「危なっかしく見えた」と書いたが、その後に「私たちの青春、台湾」(2017)という映画を見た結果、この映画も劇中年代というより製作当時の社会の雰囲気を反映していたのかも知れないと思った。ただしその後のことを考えると、やはり場合によっては危ないというしかない。
[DVD(字幕)] 6点(2021-08-07 08:25:37)
99.  The Room 《ネタバレ》 
あまりにも平凡な題名なので検索すると同名映画が複数出てしまう。 恋人同士の2つの部屋をSkypeでつないだ会話が中心になるが、この頃はまだそういうのが珍しかったのかと思ったらそうでもないようで、独創性の面で特に評価できるわけでもないらしい。最初にいわゆるファウンド・フッテージである旨の説明が入るので、映画で見えているのは就寝中を含め、全て誰かが撮っていた/見ていた映像ということになる。  ドラマの面では、男女4人の愛憎関係でいろいろあったようだがあまり突っ込んで考える気にならない。途中までは映画紹介に書かれた通り単なるサイコホラーかとも思ったが、明らかに異常な出来事も起きるのでただでは済まない雰囲気もある。最後はそれなりのオチが付くので肩透かしに終わることはないが、結果的にはよくあるオムニバスホラーの一編のようでもあった。 個別の場面では、心霊ホラー的な怖がらせもあったがそれほど怖くもなく、あからさまなドッキリの場面があったのは趣味が悪い(笑った)。なお部屋に鏡(姿見)があって部屋の一部がずっと映っていたが、何らかの演出に使われていたかはわからなかった。  キャストに関しては、宣伝写真の通り伊藤歩さんが大映しになる場面が多い(全身像もある)。劇中人物としては面倒くさい感じで、こんなのと親密になりたいとも思わなかったが、見た目としては甘えた表情も嫉妬も激情も憤怒も戦慄も全部含めて可愛く見えるのはさすがである。とにかく圧倒的な伊藤歩映画だったというのが個人的には最大の効用であって、それだけ書けば他は何も書かなくてよかった。
[DVD(邦画)] 4点(2021-07-10 08:42:48)
100.  レミングスの夏 《ネタバレ》 
冒頭の川の風景は見栄えがしたので期待したが、その後は何の期待にも応えない映画だった。 まず序盤から図書館でのやり取りの茶番感には呆れさせられる。その後の「つまらない仲間割れをいちいち見せないでくれる?」との台詞などは見ている側の感想を代弁しているようだった。若い演者の演技に至らない所があるのは仕方ないとして、そもそも作文のような台詞を読ませること自体に無理がないか。ほかに名の知れた役者も出ているが素人くさく見え、いわゆる脇を固める感じでもないのは演者のせいともいえない。 物語に関しても、途中は何をやっているのかわからないながらも黙って見ていたが、結局最後は支離滅裂な行動のまま終わってしまい、少年少女がここまでやってきたことの目的も結果も不明になっている。かつての殺人者がその後にどうなったかの説明もなく、本来この件に関わるはずの単純とはいえない問題に決着をつけようともせず素通りしてしまった印象だった。 さらに困るのは、少年少女らの一人ひとりがどういう人物なのかが申し訳程度にしか見えず、この連中に心を寄せたくなるものが全くないことである。かろうじて美都という人は心優しい人物とわかって安心したが、特にリーダーの一途な思いが納得できるよう表現されていた気がせず、何でこの男が最後にこういうことになるのかわからないまま終わった。題名から想起される”あの夏”感も全く出ていない。  あまりに映画が不可解だったため原作を読むと、登場人物それぞれに独自の人格を備えた人間としての存在感があり(当然だ)、それぞれの思いを感じて泣かされる場面も多い。何よりこの少年少女らにとっての「新天地」とは何だったのかがちゃんと表現されており(当然だ)、結末には説得力があって感動的だった。改めて映画の方はやっつけ仕事のようなものかと思ったが、ちなみに映画でラストに2人しか出なかったのは年齢相応のキャストを揃えられなかったからかも知れない。 そのようなことで、原作なら8点くらい簡単に付けられるが映画は2点にしておく。ちなみに撮影に協力した某県某市のイメージも全く向上しなかった(芸大に用事で行ったことはあるが)。エンドクレジットで、個人の協賛はともかく地元政財界の名士のような名前を連ねるのは見ていて気分のいいものではない。
[インターネット(邦画)] 2点(2021-06-05 08:58:17)
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