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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1121.  ショウほど素敵な商売はない 《ネタバレ》 
ミュージカル映画では「ふだん」のところに不意に歌や踊りが入るのが好きなので、舞台で踊ってる設定のときは今ひとつ物足りない。でも「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」変奏でヨーロッパを巡るなんて趣向は楽しめた。本作で不意に踊ってくれる非現実的ナンバーはオコナーがモンローを送っていったシーンのみ。こういうほうが私は好き。一応驚かすネタも入ってるし、ああミュージカル映画を観た、って満足感が来た。ちょっと終盤は「家族の絆」の話がベタつき、またミュージカルでは安易な解決は珍しくないもののこれはそうとう安易で、あっさり女の不和が和解に至り、アンコールまでの間にすべてがうまくいくと、ちょっと待ってくれよ、と醒めかけた。でも「ドナヒュー6」が腕を組んで現われれば、めでたしめでたし、の明朗な気分がたちまち満ちてシラケを駆逐してしまったのだから、ミュージカル映画定型の力とは恐ろしいものだ。そこらへんを納得ずみなら、歌の数は多いし、ま楽しめる映画です。モンローは「ヒート・ウェイヴ」なんか一生懸命やってるけど、この人のキャラクターは「一生懸命」が生きないんだな。「レイジー」のほうがキャラクターに合ってたけど、すると今度はあんまりミュージカルとして映えてこない。異質感が最後まで残った。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-02-21 09:55:52)
1122.  刺青一代 《ネタバレ》 
河津清三郎邸の平気でリアリズム離れするすごさ。弟が殺されるところの花道的な使い方。長廊下。横移動。斬り込みシーン。雷に映る障子の影。延々と続く襖。待ち構える槍の列。奥の黄色い光。一人ずつ対戦するのも美しさのため。河津がいる部屋も、何か半階上にある抽象的な世界でググッと左に移動して影に入ったりまた戻ったり、と突如真下から見上げるの、エイッと突くとパタッと外は篠突く雨、…まあ見事でした。これ途中でちょっとでも休んじゃダメね、こちらにどうこう客観的に醒めた目で見る時間を与えない。ひとつひとつの安っぽさを塗り重ねていくことで、なんだか知らないけど異様な「たしかな手応え」を生んでしまっている。あと思い出すままに挙げると、野呂圭介が屋根で寝てるとこ、高品格とのけんか、船のあたりでの人の見え隠れとか、ラストの花札パラパラとか。話はけっこう定型踏んでるの。カタギの弟のためだったり、自分はやくざもんだからと和泉雅子の愛を振り切ったり、山内明が逃がしてくれるあたりの男と男の意気など、ごく普通の定型の物語なのに、それを全然定型でない映画に仕立ててしまっている。
[映画館(邦画)] 7点(2011-02-20 11:06:25)(良:1票)
1123.  君はどこにいるの? 《ネタバレ》 
人生の転機なんてこんなものかも知れんなあ。ヒョータンから駒、その駒に乗せられて、地平線のかなたへと走らされてしまう。状況だけを捉えれば、別役実の芝居にでもありそうなんだけど(ホラのつもりで言った言葉で、極東へ旅立たねばならなくなる)、「隣人」たちとのいい意味での妥協がある。この隣人たちを主人公が嫌いだけど好き、ってところが本作の暖かさ。これは別に後退じゃないと思う。そして極東にもやがてこのような隣人たちが待ち構えているんだろうし。退屈しきった活気のない町の描写、働いてるやつはいない。不意に「旅立つ」と言ってしまう主人公。すると町が変わりだす。祭りが訪れたのだ。ハレを待っていたのだ。女性たちは一番の身だしなみとなる。といって映画は主人公を「祭りの人身御供」という視点で通すわけでもなく、この主人公の「災難」を祝福してもいる。「せっかくの決心を引き留めちゃ悪い」という親切もあり、家具運び出しを手伝ってくれる双子もいる。ナターシャの田舎娘顔も実にいい。「ほんとは知り合いなんていないんだ」とナターシャに告げる主人公、自転車で旅立ちのバスを追いかけ続ける少年、これで幕かと思ってると、バスの後ろに乗っている隣人たちの幻影カットが続く。これがなかなかいい。彼らの夢を乗せてるのか、主人公が彼らの夢を引きずってるのか。
[映画館(字幕)] 8点(2011-02-19 10:06:09)
1124.  パーフェクト・ワールド
少年に銃を拾わせ自分に狙いをつけよと言うブッチ、ラストの伏線でもあるが、少年にとって不意に「父」のようなものが目覚ましく現われた瞬間でもあって、ここから逃げ出す早朝の感じなんかいい。伏線と言えば、動き出した車の前でブレーキをかけるまで動かないのもそうだ。そういうふうにシナリオを組み立ててるんなら、「あそこ」でピッと決めて終わりにしちゃえばいいのに、なんかこの人の映画はいつもちょっと長い。そのあと原での向かい合いが続く。退屈はしないんだけど、なんか着地後に演技してる感じ。ローラ・ダーンは必要あったのか。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-18 13:24:17)
1125.  天と地
人は時代を選べないということを感じましたな。「悪い時代」そのものと戦うということ。政府軍の拷問の後で、ベトコンからも裏切り者と言われるあたり、ほとんど不条理の世界。娼婦になる瞬間、ふっと外界の音が遠のいていく効果。たくましいアメリカと武器を売るアメリカが、やがて分裂していく。このアメリカ篇が映画としては未編集的で、ナレーションでつないだり、全然リズムがない。結局物足りないのは、ヒロインがどこか底のほうできれいごとを語っているからではないか。この大変さが嘘だと言ってるのではないが、もっとドロリとしたもの、たとえば「アメリカ兵を利用してやれ」なんて気分をチラとでも出せたら、映画は生き生きしただろう。反対側からも眺めよう、という姿勢はいいんだけど、アメリカ側から眺めることに徹した『プラトーン』の手応えは失せて、やはり「他者」に遠慮してしまうための類型化が増した。アメリカにとってもベトナムにとっても「悪い時代」を経験した、という共通点で理解し合えないか、という基本姿勢は、個人のレベルでは間違っていない。
[映画館(字幕)] 5点(2011-02-17 09:54:35)
1126.  関東無宿
松原智恵子はどこ行ったんだ。時代がよく分からない。物語で捉えようとすると変なまとまりのない話で、清順監督でなかったら、そのことだけでダメって言っちゃうんだけど、それが魅力になるから困るんだ、この人。親分もきたねえ、子分もきたねえ、と一人で嘆いている男が主人公なの。面白かったのは、ドンツクドンドンツクツクのリズムがだんだん激しくなっていって、中原早苗の危機と重なるところ。伊藤雄之助とのサシでの花札勝負もいい。一番の見せ場は、やはり賭場を荒らされて逆に斬るところね。歌舞伎的な趣向だもんで、ロングの舞台風の画面が生きる。どこか安っぽさがつきまとうんだけど、この監督は「安っぽさ」を突き詰めようとしているところがあって、それがちゃんと滲みてくるときもあれば、ただ軽く見えてしまうときもある。監督のしたり顔がスクリーンの背後でちらついて見えてしまったりするとダメ(伊藤弘子とのシーンで、外だけ照明が落ちたり中だけ落ちたりする心のうつろいも似たようなもの)。もうちょっと見せ場を長くしてクラクラさせるとこまで行ってくれればもっと良かった。
[映画館(邦画)] 6点(2011-02-16 12:26:20)
1127.  ヌードの夜 《ネタバレ》 
ナイフがあったことを知りながら、ノンキにシャワーに入るだろうか。女をなめきってたってところなんだろうけど、でも。死体をバッグに詰めてあっちこっち持ち歩く、分かってるよ、別にリアリズムで筋立てを追う話じゃないってんでしょ、ラストだって怪異譚じたてで締めてるしさ、でも。なんか納得しようとしても、常にこの「でも」が付いちゃう。こちらの度量の広さを試されてるようで、するとこっちはヘソまげて「別に楽しめなくてもいーもん」とムキになってしまった。弟分が押し込んできても逃げないヒロインとか、世の裏を通ってきた男がやくざに簡単に金渡すかとか、登場人物の行動が引っかかり続けた。弟分が竹中のとこに押し入ってきて、シュパシュパボクシングのスパーリングやって、止めるあたりが唯一ノリかけたところ。なんか途中から「勝手に酔ってて下さい」って気分になっちゃって。
[映画館(邦画)] 5点(2011-02-15 10:16:32)
1128.  殺しの烙印
正直言って、日活首脳部の気持ちもちょっと分かるな。どの程度までギャグとして見ていいかわかんないから困っちゃうとこあんのよね。水道管のシーン。飯の匂いを嗅ぐ、ってのもそういうとこあるし。ライター広告からの狙撃はマジでしょ。アドバルーンは△ね。南原君と二人の対決シークエンスなんか、荷物に腕組んでドアに立つなんてとこは生き生きしてんの。迷いなく純粋にいいなと思ったとこは、波止場のシーンで撃たれた相手が落ちて縄に引っかかるところ。蝶だらけの部屋とか、8ミリ映像との会話とか、変に凝ったとこはかえって軽く見えてしまった。といってこの監督は「変に凝る」ところをみな楽しみに観てるんだから、気分が合わなかったってことかもしれない。この人の映画は、観るときの気分が大事なんだ。だいたい様式的なものってのはみなそう。たとえばミュージカル観て、なんでこいつら急に踊り出すんだ、なんて気分になったら、即、中止したほうがいい。
[映画館(邦画)] 6点(2011-02-14 09:43:32)
1129.  Coo/遠い海から来たクー 《ネタバレ》 
設定に無理はないか。悪漢の悪行の稀薄さ。そういう生き物の存在を否定するんなら、クーを奪うというより、全員を抹殺する方がはるかに楽なわけで、しかも世界に対して発言力の薄い目撃老人は殺しておきながら、こっちはそうしないってのはヘン。フランスの科学者だって解剖する前に育てたいと思うよ。クーを守りつつ、けっこう危ないとこに連れ出したりもしてて。一番の見せ場である核実験場にプレシオザウルスが姿を現わすとこなんか、もったいないんだよな。もっとタメることできないのか。潜水艦がいっぱいという報告のあと、すぐに出現のカットになってしまう。ここはもっともっとジラせるとこじゃないですか。と、映画がある頃から「ジラせる」ことが出来なくなってきたと思うんだけど、これ時間の進行権を作り手が完全に握っていたスクリーンの時代からDVDの時代に入ってきて、ちょっとタメたいシーンになっても、視聴者が早送りしてしまう可能性が生じたからだろうか。いわゆるジェットコースター式映画にしないと、途中でどんどん跳ばされてしまう不安に製作者は襲われる、とか。
[映画館(邦画)] 5点(2011-02-13 12:12:21)
1130.  野獣の青春
記憶の中でひときわ美しく残っている「夢のようなシーン」てのは私の映画受容史で二つあって、一つはムルナウの『サンライズ』の夜景、もう一つがこれの、ヘンタイの会長が嵐の外へ女を追いかけていく黄色い風のシーンだ。しかし記憶の中で磨かれて実際以上に美化いているような気もし、どちらも再見はしていない。ほかの多くの「美しかった名シーン」とは別次元の、息を呑んだ体感の記憶になっていて、この印象を壊したくない。こういうのはこちらの体調やら何やら好条件が重なった一度きりの体験であって、とくに本作のほうは褪色したフィルムで観たカラー作品なので、現物はまたかなり違っていた可能性もあり、たとえばDVDで見ても、あの「夢のような」感じはもう訪れない気がする。とにかくそういうワンシーンが際立って記憶されている映画です。スクリーンの裏側の事務所なんてのも面白かった。上映されている映画のほうの銃声で慌てたりするところもあって。あとプラモデルの飛行機がたくさんぶら下がっている部屋とか、そういう異様な空間設計で面目躍如の監督。話を円滑に進めようという気など全然ないもんね。
[映画館(邦画)] 8点(2011-02-12 11:00:00)
1131.  フィオリーレ/花月の伝説 《ネタバレ》 
ナポレオンの時代から現代まで続く、金と恋に翻弄される愚行の歴史の総括、と言うか。ある一族の物語を、現代を織り込みながら、寓話的に展開していく。紫の花の咲き乱れる中を、犯人を絶対見つけてと狂い走る娘、おまえを幸せにするから、言う兄ともつれつつ進んでいくと舗装道路に出て現代に戻り、次の19世紀の物語に続いていく、といったような趣向の展開。復讐が縦糸になっている。次は、墓場から戦争の時代(『サン・ロレンツォ』の時代ね)へ移る。試験官にちびちびと祖先のことでいびられたりして、縦の歴史の確認。レジスタンスへの共鳴はあっても、手をあらためられると、ばれてしまう。本人は黙秘してレジスタンスと連帯したつもりになっても、手が・自分の身体が裏切ってしまう。俺が助けたことを忘れるなよ。けっきょく金の力で「誇りある死」を奪われてしまったわけで、一族の影の歴史の宿命というか。そして最後に現代の少年と娘。老人の述懐を聴いて、笑い出す息子と涙する娘、というふうに分離がしだいに表われてきてラストに至る。悪と善の流れはまだ受け継がれている、いう結末。こういう寓話的な世界を描くと、この兄弟の語り口はとても良かったんだけど、今どうしてるの。
[映画館(字幕)] 8点(2011-02-11 10:12:09)
1132.  原子怪獣現わる 《ネタバレ》 
おそらく古生物学的には、この怪獣のスケールが正しいのだろう。東宝特撮ものに出てくる怪獣みたいにビルを上から叩き壊すのではなく、寄りかかって壊す。そんなに大きくないの。だからビルとビルの間をノッシノッシとふてぶてしく歩んでは来るのだが、俯瞰で捉えたりすると路地に迷いこんだ野良猫みたいに見える。ラストではジェットコースターを破壊するが、なんか檻に捕らえられてるようにも見えてしまう。かと言って『ゴジラ』みたいな哀愁がにじんでくるでもなく、やっぱり当時の「北の脅威」でしかない。見どころは怪獣登場のここらへんだけ、そこまではかなり苦しい。なんか広さを出せない演出なの。予算のほとんどをハリーハウゼンに取られてしまったのか、実写の部分はスタジオの片隅で撮ってる感じ。北極のセットもチープだし、主人公の科学者が劇場でバレーを見ていると係りの人が緊急呼び出しの知らせを持ってくるシーンなんか、あんなにさびしい客席セットはほかに見た記憶がない。それまで恐竜の存在を笑っていた老科学者が、目撃者の証言が一致しただけでたちまち確信に至ってしまうのも安易だったなあ。
[DVD(字幕)] 5点(2011-02-10 09:17:21)(良:1票)
1133.  狼王ロボ 《ネタバレ》 
家族が出来たロボがインディアンの廃墟に住む、ってのは原作がそうなってるのか。ロボより先に土地を追われたものへの視線は、どの程度意図的だったのだろう。60年代後半だと、そこに批評的な眼がありそうだが、この映画が作られた前半は微妙な時期。少なくとも現在観るものにとっては、インディアンとロボが重なって見えてくる。そして伝説に流れ込んでいくあたり、展開としてはうまい。シークエンスの間に入るロボの歌が、カウボーイの伝説としての味を出している。こういう動物ものってのは映画でしか出来ないな。舞台でぬいぐるみでやったら悲惨だし、人形劇だと舞台が狭く、伝説というより童話になってしまう。ま、放送劇ならなんとか可能かもしれないが、視覚を伴うとなれば、実写かアニメかの映画しかないだろう。それはやはりフィルムがもともと記録のためのものだからで、とりわけロボの子ども時代は物語よりも記録性が強く、こういう「語り」はフィルムでのみ可能だ。でもあくまでこれは劇映画であり、そこが割り切れているから、たとえばテレビの動物ドキュメントなどでよく見られる中途半端な擬人化による不潔感は、かえって感じなかった。とはいえ、この手の映像がさかんにテレビで流れる現在見るといささか素朴で、その懐かしい素朴さが味わいと言えば言える。ロボは、徒党を組んで牛を襲い賞金が出ていると解説的には知らされるが、映像ではもっぱら家族レベルで描かれてたので、ラストで急に仲間がわらわらと出てきたのには、ちょっとつながりが悪かった。でも締めとしては効果的なスペクタクル。そうそう、こういうのはずっと音楽が鳴りっぱなしなんだよね。ちょっとした動作にもそれに合った音楽がいちいち付いて(「逆ファンタジア」か)うるさくはあるけど、これもなんか懐かしい。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2011-02-09 10:03:04)
1134.  パルチザン前史
これが公開されたときは、上映が終わった公会堂の出口で公安が観客の顔を一人一人写してた、って話を聞いてたので、私が観たのはもう全共闘運動などとっくに終わった時期だったにもかかわらず、いささか緊張した。場所も「不動産会館」という聞いたこともない建物の地下の狭い一室で、なにか非合法の集会に参加しているようなトキメキを覚えた(「ぴあ」の自主上映の欄に堂々と載ってたのを見て来たんだけど)。そういう環境で火炎瓶の作り方なんか見てると、ちょっと「それらしい」気分になってくる。ナレーションはなく、必要最小限の字幕ですます。質問しそれに答えるという形式のインタビューがなく、自由に仲間うちの会話と同じ調子でしゃべらせる。あらたまらせない。演説はよく聞き取れないし、仲間うちの会話も聞き取れないことが多く、言葉はこの映画ではいっさい無視していいだろう。言葉の内容よりも、その語り口を映画は記録していく。ヘリコプターの音や、夜に聞こえてくるパイプの中を流れる水の音、機動隊の楯のカチャカチャいう音などと同列の、声も音としての記録素材。言葉の勢いに逆に振り回されているようなその空回りぶり、あるいはしゃべっては中断しを繰り返すその逡巡ぶり。路上での解放区設営が一つのヤマ場で、野次馬的興奮に駆られるが、中立に撮ろうとしている報道陣をも撮ってしまう視線がいい。ドラム缶相手の武闘訓練のときの、照れ笑いしている顔も撮っている。当時は極左映画というレッテルで観られた作品だが、おそらく現在でも記録としての価値はかなり高いだろうし、映像の緊張は素晴らしい。描かれる対象である京大全共闘の滝田修は、やたら「明確な」という言葉を繰り返し、軽薄なものをこれ観たときも感じたものだが、小熊英二の「1968」によると、当時「ガスを爆発させたら普通の人も死にます、しゃーないやないかそんなもん」などと無責任に威勢のいい発言をしていたが、のちに出版した「滝田修解体」では「過激な言辞でエエカッコしたかった」と簡単に自己批判している情けない男なのであった。フィルムはその軽薄さまでキッチリ記録していたわけだ。(と、あの時代の主役の一人永田洋子死亡のニュースの直後に本レビューを記すのも感慨無量である。)
[映画館(邦画)] 8点(2011-02-08 09:21:10)
1135.  イージー・ライダー
なんか大昔のことみたいね、あの元気のないヒッピー・コミューンとか。ああいった人たちは今どこに行ってるんだろう。南部のいやらしいネトネトした部分だけ生き生きしてる。つまり「自由に生きる」というイメージの貧困さが、時を経てアラワになっちゃったってことか。結局あの時代のムーヴメントがたいした成果を残せなかったのも、そういう弱みを持ってたからだろう。オートバイの旅どまりじゃいけなかったのよ。もっと「寒さに震えるような自由」まで突き詰めるべきだったんだろう。あんな炎で祝福されるような死を与えてはいけなかった。全体に宗教に寄りかかっている気配もあった、それも限界。街のないアメリカ、風景だけのアメリカを見せてくれたっていう面はあった。などと不満をもっぱら述べたが、それも映画が時代を、作者の意図を越えて正確に写し取ってくれていたからで、これもフィルムの力だ。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-07 09:50:24)
1136.  倫敦から来た男
ワンカットの中で、しばしば「近いアップ映像」と「遠いロング映像」が入れ替わる。とりわけ浮き輪を投げて始まる、刑事が来たときのカットが面白かった。その舞台の広さが実感として伝わる。そういう何事かが展開している長回しもあるんだけど、ただカット尻を引き伸ばしただけのようなのもあって(娘の食事とか、妻の嘆きとか)、映画全体のリズムとして、ラルゴの曲の調べを聴いているような味わいの統一は出るものの、よくわかんない(『ヴェルクマイスター・ハーモニー』でも、延々と暴徒の行進を何分間かただ映してたとこがあったけど、それはちゃんと圧迫感として迫ってきてた)。それを補うためか、ときに音楽が鳴り続け、これはちょっとうるさい。同じ曲想を延々と繰り返してるんだから、まあ時間の停滞感は画面とフィットしてるんだけど。(たぶん)そういう音楽のように時間を味わう映画なのであって、物語を理解させるのには不向きな手法。はっきり言って、理屈で展開すべき推理系ドラマとしては無理がある。こちらは漠然と、そういう話なんだろうと、理解したつもりになっただけ。いかにもシムノン的なすがれた感じは満ちているし、白黒の画面は美しい。ラストのブラウンの妻は、監督の指示か本人の体質か知らないけど、長いアップで一度もまたたきしなかったんじゃないか。『サイコ』のジャネット・リーより大変そう。
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-06 09:45:05)
1137.  尼僧の恋 マリアの涙
伝染病蔓延のために解き放たれる見習い修道女。火事で牢から放たれる囚人のようなものか。一ときの自由で少女のころから封じ込められていた感情が出てしまう、ってな話。継母とその娘たちってのはシンデレラ的設定。まあ、どうしてもヤソ教の融通のなさがピンと来ないもので、汎神論の国の人間は、やめちゃえばいいのに、と無責任に思ってしまう。恋人の新婚夫婦が向かいで暮らすなんて、うまく持っていけば寓話的な広がりを持てそうなんだけど、あんまり生きてこない。距離感もよく分からない。ヒロインのプロモーション映画って感じもある。でも、尼僧姿ってのはいいものだ。あっちの人にとっても、なんかくすぐるものがあるんじゃないか(日本なら仏教の尼さんより、喪服姿。禁欲をことさら表明することでかえって匂い立つエロティシズム)。V・レッドグレイヴは貫禄だが、なんか作品に重しをつけるための特別出演用女優になりかけている危険を感じたものでした。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-05 10:02:12)
1138.  青い凧 《ネタバレ》 
凧というのは、中国人にとって自由の象徴なのだろうか、このころのチェン・カイコーの作品にも、よく使われてた。笑顔笑顔の結婚式で始まるが、ジワジワと嫌な感じが迫ってくる。行進や集会や。けっきょく何人か「右派」を作り上げねば「整風運動」に反したことになってしまう空気。トイレに立ったすきにやられてしまう怖さ(PTAの役員選挙でもそういうことがあるそうだが、怖さが違う)。どこかいじめの構造ともつながってますな。そして家族を覆い出す病い。眼疾、旦那の胃病、次もふらつき、三番目も心臓病。直接の危害の前に、病いとして敗北していく人々。その中でだんだん成長していく子ども。校長をつるし上げるので生き生きとなる少年が描かれる。ここらへん、もしかすると継父も母も裏切って「正しい紅衛兵」となっていく結末を夢想してしまった。中国映画の文革反省ものって、被害者の視点が多かったでしょ。あの鉦や太鼓鳴らして、生き生きとした自分を手に入れた連中の側の物語ってのも欲しかった。日本の戦後の反戦映画も、庶民はみな被害者づらして、あの当時ハチマキ締めて生き生きしてた部分が、主体として描かれることが少ない。その視点からの点検がないと、愚行は何度でも繰り返されるんじゃないかと思ってて、中国も同じだなあ、と感じてたもんで、ちょっと期待しちゃった。でもなかなか描けないんだよね、そういうカタストロフは。カタストロフじゃないと、受け取られてしまう心配があるからか。ま、文革反省ものの定番的な展開になったが、定番を確定するのも大事なことだ。三番目のお父さんなんか、いい役だった。冷たそうでいて、最後に思いやりを見せる。そのぶん母親のキャラクターは、いまいち明確さに欠けた。お正月、花火と提灯の中でかくれんぼするあたりのリリシズム。
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-04 10:26:14)
1139.  ファイブ・イージー・ピーセス 《ネタバレ》 
前半はかなりかったるかった。うんざりしている日々を、そのままうんざりさせて描くんだ。実家に帰ってからが面白くなる。カレン・ブラックが家にやってくるあたりの雰囲気がいいね。別に軽蔑とかそういうことじゃなく、まったく世界が違うってことかな。ただとにかくうんざりなんだ、っていう気持ち。ドロップアウトって言えばそれまでなんだけど、それがもう必然というふうに説得力を持っているのが強み。渋滞のトラックの荷台でピアノを弾きつつ別の道へ曲がっていってしまう、なんてシーンがあった。アラスカは清潔だから行く、と言うヒッピーをやや離れて風刺的に見ている。チキンサンドのチキン抜き、という頑固さ。おそらく今までのアメリカ映画なら、堅苦しい音楽家の家庭から自由になったことを単純に謳歌して、それが結論になったんだろうが、それだけではない人生も描けなくちゃならぬ、と思い始めた時期だったんでしょうね。
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-03 10:11:24)
1140.  私は好奇心の強い女
いかにもあの時代にふさわしくインタビューで始まる。スウェーデンに階級は存在するか、って。ここらへんテキパキとしていて面白い。労組の事務所に行ったり、スペイン帰りの人にフランコについて尋ねたり。またパルメ教育相との実際の対話、マーチン・ルーサー・キングとの構成されたインタビューなども織り込まれる(パルメはベトナム反戦デモに大臣として参加し、アメリカ大使が抗議して本国に引き上げたのが68年。ついでに言うとパルメは首相になっても米軍の北爆を「ナチス以上の蛮行」と公言した。のちに暗殺される)。スウェーデンというとまず「フリーセックス」とくるのが当時の一般的認識傾向で、この映画もそういう「スケベ」の線で話題になったのだが、もうひとつ「ラジカルな平和主義」も忘れては悪い。この毛沢東主義に注目が集まっていた時代に、中ソにも否定的な意見を述べたくだりがあって、そういうとこ真面目。ボカシがはいると、テレビで「映像が不鮮明で申し訳ない」というアナウンスを入れるのがおかしい。非暴力主義の軍事訓練のパロディは、もひとつそっちの社会情勢が分からないので、笑えなかった。ヒッピー風の禁欲生活を対象化したおかしさもあった。懸賞付きクイズも入る。そういう、もうあの時代の匂いプンプンのポップな映画。しかしいろいろ政治の時代とその風俗をコラージュしながらも、政治の現場から遠い地点にいる若者たちのいらだたしさみたいなものを感じたが、当たっているかどうか。主役の女学生を演じたレナ・ニーマンと、ベルイマンの『秋のソナタ』で病気の妹を演じたレナ・ニーマンとが同一人物かどうか確認していない。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-02 09:34:08)
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