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王の七つの森さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 188
性別 男性
自己紹介 ・・・・最初に投稿してから4年近くたとうとしています。
これからも、細々とでも投稿してゆきたいと思っています。

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101.  バグダッド・カフェ
原題「Out of Rosenheim」のRosenheimは、南ドイツの都市名ですが、直訳すれば「バラの里」。だから、原題は「楽園を離れて」くらいの意味なのでしょうか。、、、、、自然豊かなドイツを離れて、砂漠の真ん中にやってくるジャスミンと、楽園を追放され、また神を見失った我々(西欧人)、そして夫(=父=神)を失ったブレンダが重なります。(もしかしたらジャスミンは、神との媒介でマリアを象徴させる存在でもあるのかもしれません)、、、ということで、神の存在しない、殺伐とした日常をどうやって生きていったらよいのか、というのがこの映画の底にある意図なのでしょう。そう考えないと、四隅を黒くした双眼鏡からの映像をどうして入れ込むのかがわかりにくい。夫(=神)は遠くから見ているということだと思います。、、、、また、手品(マジック)をやるのは、超越的なもので殺伐とした日常を活性化させるという含意で、ブーメランは、戻ってきてほしいものをそこに込めるということなのだと思いました。そして主題歌のフレーズ、I am calling youのyouとは神に対する呼びかけに響きます。(別に神でなく、夢、恋、若さなど、失ってしまった貴重なものと考えてもよいと思います)、、、、そう考えて見ていると、砂漠、行き交うトラックという殺伐とした景色の中に、ふと神々しく超越的なものの存在を感じることができるようにも思います。そしてそこで暮らす人々、その心のつながりの暖かさが心に染みる。、、、荒涼とした私たちの日常に何か潤いが、、、、、。「パリ・テキサス」とどちらが好みかというのも、興味深い比較ですね。、、、映像の美しさ、音楽という点では「パリ・テキサス」もいいですが、描かれている世界という点では、圧倒的にこちらの映画の方が私は好きです。
9点(2005-03-28 11:17:51)(良:1票)
102.  アララトの聖母
[好きなところ]----1. 歴史というのは過去と現在の対話の中で成り立つのだという視点がしっかりしていること。2. 税関吏のじいさんと主人公の対話。そしてじいさんが異質なものの存在を承認するところ。カナダの多文化主義の状況が少なからず伝わってくるし、それとアルメニアの問題を結びつけ、現在と過去の対話がはかられるところはさすがだと思った。3. トルコ人総督役と主人公の対話。私たちは過去の文化をどれだけ請け負っているのかについて考えさせられる。4. アララト山のきれいなこと。、、、、、、[嫌いなところ]----1. トルコを告発する姿勢を保っているところ。トルコを告発する映画になってしまうと、この映画の存在価値はほとんどないと思う。2. 音楽に想像力をいまいち感じないところ。3. 原題は「アララト」なのに、「アララトの聖母」という邦題をつけたこと。これはもちろん配給会社の問題で、映画自体に関係はない。、、、主人公の父親も、義妹の父親も死んでしまっている。=父親の不在=神の不在、それを税関吏との対話で、主人公は父の魂=神、を感じたといっている。聖母というのはあくまで神への媒介者にすぎない。母なるものを尊ぶ農耕日本教的発想をこの映画に持ち込むと、大事なところを見誤ってしまう危険があると思う。 
8点(2005-03-26 00:02:58)
103.  アメリカン・ビューティー
ぱーふぇくと。、、、、、、、、、、、と一言にしようと思ったのですが、以下、だらだら。、、、、とにかく絶妙のバランス感覚。これだけ多様なテーマ、よくもまあ上手に、しかも饒舌にならずにまとめたものだと。、、、鏡、ビデオ、窓といった人と人との媒体の使い方も上手だし、ガラス、陶器のように割れやすく脆いものの象徴的配置も巧み。、、、この世界、そしてその中の「わたし」という存在を、どのように捉えるのかという哲学的な視座もしっかりしているし、、、。それに役者が、みんな上手。それぞれの役どころをしっかり理解しているからなのか、全ての役者が、それぞれ人としてしっかりと生命を持っている。、、、、、、そして上手に笑いをいれながら、、、感情、考えなど一人として全く同じ人間などいないこの世界で、どうやって生きてゆくのか、幸せをどこに探したらいいのか、というシリアスな問題を扱う。、、そう。そういう問題って、あんまり深刻に考えたら、いけないんですよね。人生の一番根っこにある問題って、肩の力を抜いて、楽しく、ばかばかしく、考えなくっちゃね。
10点(2005-03-21 13:13:41)(良:2票)
104.  スワロウテイル
ふと思うのだが、映画というのは、漫画と演劇のどちらに近い存在なのだろう。僕は、演劇だと思うのだが、この映画を見ていて思うのは、charaの歌を除いたら、これって漫画じゃん、、、、、、ということなのだ。根っこの部分は、上村一夫の世界に類似しているかんじでもある。、、、、それと、新春かくし芸大会の外国語劇みたいだし、、、、、。要するに、十分に練り上げないまま、いろんなテーマ詰め込んで、でっち上げちゃったんじゃあないでしょうか。、、例えば、貨幣って、それを交換手段として認めるっていう人々のbeliefによって最終的に支えられている虚構だから、ニセ札って、そういうbeliefを揺るがしかねない重大な問題で、お金を焼いてしまうことより、ニセ札を作る方が、システムに対する重大な挑戦になるはずなんですが、最後の方のシーンを見る限り、あんまし、そういうこと考えていないみたいだし、、、、、。でも、三上博史さんだけは、熱演ですね。それともちろん、charaの歌はいいなぁ。、、、前半1時間だけにして、charaのミュージックビデオにした方が、もっと想像力も刺激される豊かな映像になったのではないだろうか。
5点(2005-03-20 11:20:57)
105.  アンドレイ・ルブリョフ 《ネタバレ》 
15世紀のロシア、、、、タタール人により村は蹂躙され、人々は意味なく虐殺される。、、、、修道士は娘を救うために人を殺めるが、その狂った娘は、修道士を裏切ってタタール人とともに去る。、、、、なんという不条理。いったいどこに神の意思を見いだすことができるのだろう。、、、、、鐘を鋳造した少年。彼は、死んだ父が鐘作りの秘密を伝授してくれたと吹聴したが、実は、何も教えてくれなかったのだと真実を吐露して涙する。父=神。、、、神は何も伝えてくれない。、、、、、どこに神の徴もないこの不条理な世界、それは15世紀のロシアだけでなく、20世紀のスターリン支配のソ連のことでもある。、、、、、だがしかし、それでも私たちは、神を信じる以外に道はないのだ。絶望の淵にあったヨブが神を信じたように。ルブリョフがそう信じてイコンを作り出したように、今に生きる私たちも、同じように神を信じて、価値あるものを作り出せ、、、、、、そういうタルコフスキーの熱い、熱い思いが満ちた映像だと思いました。、、、、、、、しかも、遠藤周作の『沈黙』を想起させるテーマでありながら、遠藤のような日本的なキリスト教ではなく、正統な一神教的伝統の心性をも垣間見せてくれ、さらに、その後の作品と違って、主観的なロマンティシズムが抑制され、格調高い作品となっていると思います。
9点(2005-03-18 18:17:52)
106.  シテール島への船出
映像の美しさ、長まわし、物語の重層性など、さすがアンゲロプロスの作品である。、、、、主人公アレクサンドロスという存在と、彼が撮ろうとしている作品である老父の物語の作品が交錯する。老父の物語は、それがいわば劇中劇であるという虚構性のために、かえって想像力を刺激し、豊かで奥行きのあるものとなっている。、、、、特筆すべきは、かつてブレヒト的な叙事詩を「旅芸人の記録」「狩人」などで理想としたアンゲロプロスに、エピック一辺倒からリリカルなものへ言及という変化があるように見受けられることだ。、、、、、、老父がどのような過程で、どのように政治闘争を生き抜いたのか、何故土地の収用に反対するのかは、語られない。ただ彼が追いやられたのがロシアであることから、左翼の闘士であったことがうかがえるだけである。そして、そうした様々な政治的出来事は老父の背筋と、奥深いまなざしにしまい込まれ、むしろ、老夫婦の間の情感が押し出されている。、、あるいは、主人公が路上でピアノを弾くように指を動かすと、音が流れ出すところなど、世界との感情的な調和の可能性が示唆されているようにも受け取れた。、、、、だから全体としては、政治的な出来事の記述と、それを生きる個人の感情との調和、総合が目指されているとも理解できる。、、、そういう方向性は、個人的には大好きです。、、、、、だが、老母の行動が、あまりに男の勝手な思いこみに思えて、せっかくの映像に、バケツ5ハイくらいの水を浴びせられた印象なのだ。、、、旦那を30年待って、一緒に行きたい、って、確かに美しいし、肩を寄せ合うトラックの荷台の二人など、まさしく嗚咽に値するけれど、それを美しい理想としてはいけないと思う。女は待たずに、自分の人生を生きるべきなのだ。
7点(2005-03-18 10:14:13)
107.  ノスタルジア
タルコフスキー定番の、馬、犬、水、雨、火といったものは、タルコフスキーにとっては、聖なる世界、超越的全体への水先案内人なのだろう。それらをイメージし、接することで、タルコフスキーは、聖なる世界を感じ取ることができるのだ。心理学的に言えば、それらは「移行対象」ともいえる。、、、、、だが、僕にとっての「移行対象」は擦り切れた毛布だったり、降りしきる雪だったり、生暖かい春の風だったりする。、、つまり、犬や馬を見せられても、聖なる世界とのつながりなど微塵も感じられない。だから、タルコフスキーの映像を見ていると、例えて言えば、子煩悩な親父が丹誠込めて作った子供の成長ビデオを、無理に見せられている気持ちがしてしまう。もちろん、子どもの成長ビデオといっても、ロングショットが使われていたり、嗜好を凝らした誕生パーティが描かれていたり、映像として面白いものもあるに違いない。だが、その子どもに対する愛が共有できなければ、成長ビデオは、相変わらず、他人の私的な持ち物にとどまってしまう。、、、、、、つまり、僕は、タルコフスキーの聖なるものの世界に同感できない。だから、この映画は、タルコフスキーという他者の自慰的感情吐露の私物にしか思えないのだ。
5点(2005-03-18 09:36:39)
108.  惑星ソラリス 《ネタバレ》 
ラストの父親は、神の象徴だと思います。(父=一神教の神、というのは一般的)、、、、ソルジェニツィンなどに典型的にみられるように、70年代のソ連では、政治的抑圧の中で、精神性、宗教性にすがるというのが流行でしたから、この映画でも、最後は神にすがっているのでしょう。、、実際、食べかけのリンゴ(=知恵の実)が最初の方にありましたし、最後の方では母親か何かがリンゴをかじっていました。、、、、、また、観念が現象を作り出してしまうというソラリスの環境は、物質が観念を作り出すのだというマルクス主義の唯物論的前提とは完全に対立するわけですから、70年代のソ連にあっては、ずいぶんと刺激的であったはずです。、、、、そうした中で、愛、生死といったものがテーマとなっていたように受け取れました。、、、、、、、全体として、良きにつけ悪しきにつけ、きわめてロマン主義的だと思います。、、、、映像美、叙情性、ロマンティックラブという点は、よい意味でのロマン主義です。、、、、そして声を大にして言いたい悪い点は、すべての人物、出来事が主人公のクリスの主観性以外に基礎づけられていないということです。例えばハリーは、クリスの思いでにのみ基礎づけられた存在で、全く自立しておらず、自分固有の感情も判断もない。、、、だけどそんな人間、実際にいるのだろうか。それじゃあ、アイドルおたくが思い描くアイドル像とかわらんではないか。、、、、、、そういう風に、周囲の世界を自分本位に、自分の感情にのみ従って染め上げようとするロマン主義には、ちょっと待ってよ、と言いたい。
7点(2005-03-13 00:10:40)
109.  マルコヴィッチの穴 《ネタバレ》 
この世界は完結したものではなく、どこかに聖なる穴が空いている、というのは、神話の時代から語り継がれてきたもので、この映画もそれを素材にしています。ただ面白いのは、その穴が誰かの意識に続いているということ。、、、、そして中心的テーマは、ディスコミュニケーションと「私とは何か、私は本当に自由か」ということだと思いました。、、、まずディスコミュニケーションですが、最初の方、キッチンで猿や犬に囲まれているシーンがありますよね。、、猿や犬は、子どもの姿とだぶりませんでしたか。、、、子どもって親にとったら、犬や猿のようにかわいいけど、何を考えているのかわかんないとこあるじゃないですか。、、、また面接の時の会話もディスコミュニケーションそのものです。、、、、とはいえ、徐々にテーマは、私とは何か、ほんとうに私は私として自由に、束縛なく、行動できているのか、といったことに移行してゆくように思えます。日常生活で、例えば、ごめんなさいっていわなきゃいけないと思いつつ、全然違う言葉がでてきたり、誰でも、思うとおりに行動したり、発言したりできないことってあるわけです。クレイグに乗っ取られたマルコヴィッチみたいに。そしてそういうテーマで人形を出して来るというのも、よくある方法です。、、、、、あと、マルコヴィッチの潜在意識を渡り歩くとことかは、漫画『ペット』を思い出させます。また不死の問題とかもちらっと顔を出します。、、、、、、、要するに、いろんなテーマを盛り込みすぎてゴチャゴチャになっちゃったということでしょうか。
8点(2005-03-09 22:39:14)(良:1票)
110.  旅芸人の記録
4時間という時間を無駄にすることなく、この映画を見るには、次の三つのことが必要だと思います。、、1.1937年頃から1952年までのギリシア史の概略的知識、2. 「アガメムノン」の概略知識、3.映画の中で、誰がアガメムノンで、アイギストスで、エレクトラで、オレステスなのかという区別。、、、、特に配役は、最初は、誰が誰だかわからないはずです。映画の中でも、その名前を呼ばれるのはオレステスだけですし、、、。しかし、例えば、最初の方のシーンで、椅子の上で、「父よ世界はなぜかくも美しい」を歌うのはアイギストスであるというのがわからないと、どんどん退屈になってしまいかねません。、、、、また最初の出だしが1952年で、そこにはアガメムノンもアイギストスもいないけど、一番最後のシーンは1939年で、アガメムノンもアイギストスも揃っているということも、一度見ただけではわかるはずもありません。、、、、、、以上、1.2.3を踏まえつつ、これが1975年の作品であること、つまりギリシアは軍政下にあり、ヨーロッパではユーロ・コミュニズムが登場した頃であることを考慮して、見たあとの感想は、、、、、、演劇的空間(=長まわし)を、あまりに見事に映像に表現した作品。そしてなんという歴史やリアリティの存在構造についての卓見!!、、、、比喩的に言えば、消費者である我々が、リンゴ農家にとってリンゴがどのような存在であるかを知るには、別のものでリンゴを象徴させるか、リンゴ農家の日常を詳しく説明するか、いずれかになるわけで、物質としてのリンゴを提示するだけではうまく行かないわけです。何故って、リンゴを見せられると消費者としてのイメージが混入しちゃうからです。、、、、前者の象徴的な技法が、この映画では極めて有効に随所に使われ、そのおかげで、過去の出来事のリアリティに想像的に接することができると思います。(でも個人的には、いまのところ「ユリシーズの瞳」の方が好きです)
10点(2005-03-06 13:17:36)
111.  父の祈りを 《ネタバレ》 
この映画は、事実の重みも、下手な脚色をすると、だいなしになりかねない、という典型ではないか。、、、、冷厳な事実であっても、娯楽的要素を入れて、稼げる映画にしなくちゃね、という映画製作者の精神に対して、僕は怒りに似た感情を禁じ得なかった。、、、本当にベルファストの屋根の上で棒きれでギター代わりにして狙撃されたのか、本当に拷問しているそばでバースデーケーキ食べていたのか、本当に主人公は父親と同じ監房にいたのか、本当に真犯人と共鳴して監獄で暴動を起こしたのか、本当に判決が出ると何の手続きもなくそのまま法廷から出たのか、本当にジュゼッペの死に接して囚人達はほぼ全員、窓から紙に火をつけ落としたのか、本当にジュゼッペは息子を助けに行って逮捕されたのか、、、、、。この中に事実でないものが含まれているなら、本当の事件を扱ったこの映画で、どれが事実で、どれが事実でないのかがわからなくなってしまう。、、、事実は藪のなかじゃん、事実はあくまで素材じゃん、という考え方も確かにあるのだろう。、、しかし、事実を訴えた主人公、それを信じた父というこの映画の中心的な姿は、事実の重みに拘らない安易な商業精神に晒されれば、霞んで見えなくなるのではないだろうか。この映画を見て、一番悲しい思いをしているのは、父自身ではないか、とさえ僕は思う。
4点(2005-03-04 09:14:49)
112.  こうのとり、たちずさんで
人と人とを分け隔てるものは様々です。、、、性別(ジェンダー)、氏族、会社、宗教、言語、肌の色、そして国。、、、、もちろん、どれも、全部、人間が決める違いです。その中で、この映画は、国の違い、そしてその境界線を扱っています。しかし、他の様々な違いと、国の違いはどこが違っているのか、そしてどうして国の違いだけを特権化して扱うのか、この映画からは、それが伝わってこないように感じました。、、、、たぶん、国の違いというのが、他の違いとは異なるのは自明のことなのだと、監督が考えているからかもしれません。もしそうだとしたら、だからこの映画は面白くない。、、、、自明だと思うことをこつこつ確かめていかないと、時代を超えた説得力を持つことはできないと私は思います。、、、実際、この映画が作製された時、すでにグローバル化は進行し始め、いまや、多くの場所で国境などボコボコに穴が開いています。そしてギリシア周辺についていえば、いずれはバルカンだけでなく、トルコまでEUに飲み込まれることになるでしょう。ではアンゲロプロスは、国境を形骸化し、人々が自由に行き来することを可能にするグローバル化を手放しで賞賛するのだろうか。
6点(2005-03-02 14:20:11)
113.  8 Mile
そうかぁ、そうですかぁ、これは貧乏自慢、自画自賛のプロモ映画だったのですね。、、、、、、、、、、でも、おじさん(=わたし)は、途中から、どういうわけか、うるうるで、洟を何回もかんでしまいました。、、、おじさんは、感動した。、、、、どうしてかっていうと、、、、、、おじさん、エミネムなんて知らないから、、、だから一人の貧乏な白人青年の話にしか見えないから、、、、それで、こんな糞環境のなかで、すねたり、ぐれたり、自暴自棄になったりしていないし、いつも真剣に前を向いたまなざしで、気取るな、すかすな、ごまかすな、しっかり自分を見ろと歌っているからです。、、、、、帰るべき暖かいママはいないし、仕事は単調だし、彼女とは別れたし、なのに、なんでこんなに前向きに生きられるのだろう。、、、、、個人的には、ラップバトルは最初のだけで十分だと思いました。また成功していくところが描かれていなくてホッとしました。だから、この話は、どこにでもいる、一人の貧しい白人青年の話として見ることができるわけです。
10点(2005-03-02 13:32:40)(良:3票)
114.  ショコラ(2000)
J・アーヴィングは、ハルストレム監督について、自分と同じ世界観を持つ、と言ったという。だから、この映画を「サイダーハウスルール」の延長上に見る人は少なくない。でも僕は、この映画を見て、アーヴィングとハルストレムはやっぱし違うんじゃないか、と感じた。、、、、、例えば、ガープは父は必要ではないという母親の考えに、自分の経験を通じて自分の考えで最後にたどり着く。同じようにホーマーは、堕胎は悪だとずっと考えていたけど、それもやむを得ないというラーチ先生の考えに、自分の経験を経てたどり着く。アーヴィング的世界は、多様なものを優しく包み込んで成立し、決して誰かの考えを無理に折伏しようとなどしないし、何が良くて何が悪いのかということを断言したりしない。、、、、、この映画ではどうだろう。、、、、村人達は古い因習に囚われ、自由を失った悪い状態と描かれてはいないだろうか。そして、その因習から逃れることが彼らにとって幸せなのだというふうに。さらに、それから解放され、ほらやっぱり幸せでしょ、という風に。、、、つまりハルストレムは、この映画で「自由の宣教師」となってしまっているように僕には思えた。だから、僕はこの映画は評価しない。
5点(2005-03-01 12:31:33)(良:1票)
115.  ユリシーズの瞳
これほど端正で重層的で、強く激しく、そして美しくて悲しい反戦映画をわたしは他に知りません。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、以下は付け足し。、、、、反戦映画というと、戦闘シーン、別離、戦死などの具体的な出来事を描くというのが定番ですが、それだと、今の私たちの生活とはどうしてもかけ離れてしまう。そこで、戦時中の誰かの心象風景を描くことで、現代の私たちの心象とリンクさせようという試みがでてくる。例えば「美しい夏キリシマ」みたいに。しかし、人が不条理に殺されるのが戦争なのだという戦争についての一番大事で基本的なことが、それだと落ちてしまう。、、、この映画では、まず時間的な重層性によって、私たちの心の記憶が取り込まれ、サラエボの厳然たる事実が示されることで、その心象と外面的事実が交じり合う。そして最後に、オデッセイは遂にペネロペの元に帰り着いたが、今のオデッセイ(=我々)にはペネロペは死んだのであり、二度とこの世で出会うことはないのだという、深い、深い慟哭。、、、、、(例えば冷戦構造の終結、ユーゴ内戦などに何の記憶もないという場合は、全くつまらない映画に思えるに違いないのでご注意を、、、。)
10点(2005-02-28 13:47:46)
116.  ガープの世界
どんな意見の違いや、感情の行き違いがあっても、また裏切られた、許せないと思っても、他者を認め、許しなさい、、、、なぜなら、私たちは、みな死すべき存在であって、その死と較べたら、そんな差異は、あまりにとるに足らないものだから。、、、、、、そういうお話だと思いました。、、、、、、一番記憶に残っているセリフは、ピアノに向かうヘレンがいう、「傷ついているのはあなただけじゃない。」、、、、ありふれた言葉だけど、これを忘れないようにしたら、毎日の生活が、もう少し楽しくなるかもしれない。
9点(2005-02-26 16:34:48)
117.  ブラス!
サッチャリズム(ネオリベラル)は、コミュニティを破壊するのだ!!、という最後の一言で、映画全体に一本の筋がぎしっと入り、それまでの印象が一変しました。そして思わず目頭が熱く、、、、、、さらに、ウェストミンスター(議事堂)に向けて、「威風堂々」。、、、権力がどんな仕打ちをしようと、俺たちは誇りだけは決して失わないのだという決意に、思わず椅子から立ち上がって、スタンディングオベーションでした。、、、、、、、仕事を失うことは生活の不安をもたらすけど、誇りまでも失ってはいけないのだ、ということなのですね。、、、、あと、ちっちゃい車に、でっかい男が5人、くっついて乗っているのがいいですね。コミュニティを象徴しているのでしょうか。窮屈だけど、居心地がよく、どこかユーモラス。、、、、、ただ、難をいえば、コミュニティといっても、この映画のそれは結局、男だけのコミュニティなんですよね。、、、、、、、(あと、労働者階級から大卒でプロフェッショナルになっているグロリアがワーゲンに一人で乗っているところとか、大会がロイヤルアルバートホールで行われるという設定など、興味深いところが色々にありました。)
9点(2005-02-26 09:49:33)
118.  キング・アーサー(2004)
自国の歴史が十分でないというコンプレックスを持つと、他国の歴史を平然と汚すことができるという典型例。、、、アメリカ的自由を振りかざす者達による、歴史に対しての強姦劇を見させられたという印象。、、、、、彼らは、空間的に世界地図をアメリカ的自由で塗り尽くすだけでなく、時間的にも、歴史をそれで一色にしたいらしい。、、、、、、音楽も、映像も、何かと自由、自由と叫ぶところも、全てどこかで見たことがある感じで、凡庸。、、、、、、、、、、、冒頭、ローマ的統治システムが雲散霧消していた5世紀に、それが健在であるような描き方がされているところから、おとぎ話として見ることができないか、あるいは想像力豊かな映像がどこかにないかと、探したり考えたりしていたのですが、結局、徒労に終わりました。
2点(2005-02-25 09:52:42)
119.  鬼が来た! 《ネタバレ》 
思うに、この映画で最も考えなくてはいけないのは、なぜ、マーの顔が最後に笑うのか、ということではないでしょうか。、、、、、人を殺すことができなかったマーが、最後、怒りに突き動かされて斧を手に暴れまくり、最後は、、、、。それでいてなぜ笑うことができるのか。そこに込められたメッセージは何なのか。、、、、、これ以外にも、宴会の席で、それまで友好ムードだった日本兵が、敗戦を知っている隊長の豹変で凍り付き、さらには暴徒と化していくところの、心理的変化。つまり日本兵の殆どは一人一人は悪人ではないけど、雰囲気やシステムによって突然、暴虐非道な行為に走り出すという描写。、、、、、中国の農民達の滑稽さetc,etc。、、、、ただ、映像を白黒にする必然性はどれほどあるのだろうかとは思いました。確かに当時の戦争写真は白黒で、それが命を与えられて動き出す印象はありますが、逆にリアリティから遠ざかってしまう代償も払っていると思います。「夾竹桃、戦車は青い油をながし」といったコントラストの方を私は評価します。、、、、、この映画を見て私は、日本兵が十把一絡げに悪意をもって描かれているとは全く思いませんでした。むしろ小心者、悪人、お調子者など、日本兵にも色々な奴がいるというところが大変丁寧に描かれているのではないでしょうか。同様に、中国農民の全てが善人とも描かれていない。嘘つきだったり、守銭奴だったり、、、、、、。もしかして一番反日的なのは、香川照之に新年の挨拶を理解できない中国語で話させるところ。中国の観客は笑い転げているでしょうね。ほんと「武器としての笑い」です。、、、、、この映画が反日映画に見えるとしたら、ドイツ人は、ヨーロッパ戦線やホロコーストを描く映画を、全て反ドイツ映画であるといって、角突き立てていなければなりませんね。
9点(2005-02-24 09:21:18)(良:1票)
120.  運動靴と赤い金魚
イスラム圏の映画を見るって難しいですね。、、、、結局、自分の属す文化の価値意識を脱することはできないのだけど、できる限り、想像力を発揮して、何を表現したいのだろうと考えてみるのですが、、、、、。最初は、貧富の差を告発することかとか思ったのですが、それだと、どうして運動靴が三等賞なのか説明しにくいし、、、。自分にとって価値のあるのは一等とは限らないということは、どういうことなのだろう?、、、、そういえば、植木の手入れに入ったお金持ちの家では、子どもが一人で寂しそうでした。、、、、、、ということで、、、、物質的な豊かさは決して心の豊かさをもたらしてはくれないのだ、そして近代化が進む中で、われわれイラン人は、そんなに豊でなかった時代に持っていた純粋さを忘れているのではないか、というあたりがテーマなのだと考えることにしました。、、、、だとするとけっこう保守的な映画ね。ううむ。
8点(2005-02-23 12:57:32)
010.53%
121.06%
284.26%
3157.98%
4168.51%
5189.57%
6105.32%
72010.64%
83317.55%
92915.43%
103619.15%

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