101. ミラーズ・クロッシング
ネタバレ カフカの『城』を彷彿とさせる作品は多い。『ミラーズクロッシング』もそれで、見るからにカフカ似の主役が、何やら懸命なのだがほんとうに何をしたいのかほんとうは何を求めているのかは不明で、価値が相対化し尽くされている。「相対化」のなかでのあがきなのだコーエン兄弟のブラックな魅力は。 [ビデオ(字幕)] 8点(2015-03-29 17:54:58) |
102. 禍福 前篇
ネタバレ 成瀬映画の例外的に強力なシーン!相思相愛の恋人があるにも拘らず親から政略結婚を強要されている男が草原に仰向けになっていて、その憂鬱を馬上の女性の出現が一挙に吹き払う。大蒼穹をバックに圧倒的に爽快に現れ出るこの馬上の魅力的な女性がなんと政略結婚の相手なのである。もはや何も悩む必要はないのであって、洋装で颯爽と馬に股がるこのモダンガールへと一挙に心変わりである、「メソメソする」和装の入江たか子を棄てて! 日本映画史におけるモダンガール像のきわめて政治的な機能を、成瀬映画も担ったのだ。銃後を守るのみならず外地にも乗り出すような積極的な女性像は、求められ利用され、やがて時期が来れば排除もされるだろう。 [CS・衛星(邦画)] 9点(2015-03-23 16:31:58) |
103. 赤ちゃん教育
ネタバレ ストーカーだな、この女性は。ホークスの語りのスピードは映像自体の原理で動くスピード(彼女の破れたドレス姿を覆うケーリー・グラントの運動)でもあるし、編集のスピード(アヒルの姿→豹→アヒルの羽毛に埋まるケーリー・グラント)にもよる。 [ビデオ(字幕)] 8点(2015-03-19 21:50:02) |
104. 宗方姉妹
ネタバレ なるほどこれには戸惑う。やけに怖い無職の夫がふるうビンタ(溝口女優として成長する田中絹代に対する小津の嫉妬?)、これはいけない、存在の重みがトグロを巻くようなのは、小津向きではない。オテンバな役柄で思い切り浮いている高峰秀子、居てくれて良かったよ、でないと陰気になってしまう。 [ビデオ(邦画)] 6点(2015-03-16 21:16:32) |
105. ある女の存在証明
ネタバレ 探し当てた彼女の窓を見上げる、と、彼女の側からのショットになり、窓のフレーム内に、こちらを見上げる主人公の姿がある。構図/逆構図がしばしば美しいし、ヴェネツィアの水面も美しいので6点献上。。 [DVD(字幕)] 6点(2015-03-11 20:11:36) |
106. リバー・ランズ・スルー・イット
ネタバレ ハワード・ホークス的な語りのスピーディーなテンポとは真逆の、もちろん意図された間延びにつぐ間延び。もはや語りのメリハリを見せるのではなく、河の流れの方を見せるかのような、「長い」映画だ。 映画は通常、語る主人公の視点を超えたものも大いに映して、観客に高みの見物をさせるのに、この映画は違う。語る兄(優等生)の視点からすれば、弟ブラピに何があったのか、なぜあのように破滅的なのか、は一切分からない(観客にも)。ブラピの死に様すら、その両親も(観客も)、語る兄の言葉によってのみ接し得るにすぎない、というラディカルさだ。何をどういう目的で特に見せたいかという絞り込みを行って、もう一度作り直してほしいくらいだ。 [ビデオ(字幕)] 5点(2015-02-27 01:51:41) |
107. 特急二十世紀
ネタバレ ホークスの筋語りのいつものスマートな「特急ぶり」が本作ではあまり感じられない(日本題がわざわざ「特急」をうたっているのとは裏腹に)のがちょっと不満。途中からは元の鞘へのハッピーな帰還への「期待」のみが、数々のドタバタ(これつまらない)を経て、延々と映画を引っ張っている。観客の「期待」はひたすら、綺麗なロンバードとハッピーエンドを迎えること。 [ビデオ(字幕)] 6点(2015-02-24 18:34:17) |
108. アーティスト
ネタバレ 突然声が出なくなるという悪夢のシーンが印象的で、サイレント映画の中ではまさに声を根こそぎ奪われた感を表出する。トーキー化の中でのキートンや阪妻やグレタ・ガルボの恐怖を、存在論的に(そもそも声の俳優存在としての徹底的な不在を)表現する。 [DVD(字幕)] 8点(2015-02-20 13:21:23) |
109. バートン・フィンク
ネタバレ たったこれだけの設定でこの引き込む力はたいしたものだ。「バートン・フィンク」という固有名詞はユダヤ系だなという台詞とともに意味ありげに急浮上したりするのに(古典的ハリウッド映画はことごとくユダヤ人起業家に支えられていたしこの映画の舞台たる1941年でもまだその事情に大きな変化はなかったはずだとしたら、この映画のハリウッド批判は時代考証的にはちょっと的外れかもしれない)、隣人の親ナチであることがやがて判明する暴力的な大男とはずっと奇妙に共存していたことになる。預けられた小箱の中身がついに明かされないのも作品全体の意図された曖昧さを象徴している。 [ビデオ(字幕)] 8点(2015-02-17 14:36:49) |
110. 僕は戦争花嫁
ネタバレ 恋が成就するまでのギクシャク(想像界)の可笑しさに比べて、結婚してからの障碍、つまり女性として登録される男存在の矛盾による宿無し状況(象徴界)には笑えない深刻なものがある。1947年以降の「赤狩り」の真っ最中でお先真っ暗であること(現実界)が影を落としているとみる。以上ラカン用語でまとめてみました。 [ビデオ(字幕)] 8点(2015-02-14 18:09:29) |
111. 暗黒街の顔役(1932)
ネタバレ おそろしくスピーディーな語りのリズムが(現今の『ジャージーボーイズ』を連想させる)伸し上がっていく暴力的野心家の勢いそのもので、これぞ形式と内容の一致である。マシンガンの速射がカレンダーをめくっていく奇抜な画像は典型例だ。 [ビデオ(字幕)] 8点(2015-02-10 23:57:58) |
112. 暗黒街(1927)
ネタバレ スタンバーグの繊細さは特別だ。ボスの情婦の首回りに揺れる羽毛、情婦がボスの手下を誘惑するシーンのクロースアップの神秘的な美しさ。 フィルムノワールの白黒のコントラストで突き進むなんてことはしない、陰影に富む。 [ビデオ(字幕)] 7点(2015-02-03 00:25:30) |
113. 素直な悪女
ネタバレ アクション繋ぎでメリハリをきかせる。男がブリジット・バルドーの乗っている自転車を唐突に止めた瞬間彼女とキスをするモンタージュ、このアクション繋ぎを長回しでやると効果は小さいというか、別の表現になってしまうだろう。 [DVD(字幕)] 5点(2015-02-02 10:40:37) |
114. 生活の設計
ネタバレ 窓際で背をカメラに向けて男同士二人腰掛けるショットが雄弁だ。窓が友情のフレーム枠(フレーム内フレーム)となり、かくて友情と、ならびに、背を向けている分背信(友情に対する)を見せている。洗練された映画だ、これも。 [ビデオ(字幕)] 9点(2015-01-29 18:06:32) |
115. マンクスマン
ネタバレ 美しい!ほんとうに美しい。ヒッチコックが修行したドイツ時代が生き残っているが、ドイツ表現主義がここでは垢抜けた大変洗練されたものになっている。三角関係ものの名作群たとえば『生活の設計』(ルビッチ)『青い青い海』(バルネット) 『和製喧嘩友達』(小津)『花とアリス』(岩井俊二)などに加えたい秀作。 [DVD(字幕)] 9点(2015-01-27 23:23:45) |
116. 兄とその妹(1939)
ネタバレ 主人公は正義を貫いて潔く会社をやめる、そして「外地」(満州)に移る。この「爽やかな」決断が拡張主義的時代に支えられているわけだ。松竹小市民映画のモダニズムが戦争の犠牲になるというよりはむしろ同じ枠組みを積極的に共有していたとは、小津や成瀬(→PCL)でも。 [ビデオ(邦画)] 7点(2015-01-26 20:23:14) |
117. 暗黒街の弾痕(1937)
ネタバレ あのドイツ時代の『M』の暗さからすれば、すっかりスッキリした画面に変貌したラングである。そのうえこの映像はとくにスタイリッシュな美しいものである。 [DVD(字幕)] 7点(2015-01-19 09:44:02) |
118. 捜索者
ネタバレ エンディングの門口の外に向かうフレーム内フレームがすばらしくいい。つまり家庭の外にしかいられない無頼の徒ジョン・ウェインということ。先住民に襲われる白人の恐怖が迫真に描かれて迫力があるが、いまやわれわれは先住民の側から観てしまう。先住民こそほんとうに怖い目にあったのだ。1956年といえば、冷戦たけなわで、ハリウッドの赤狩りが吹き荒れたあとあたりか。この映画の排除されるコマンチ族とはだからコミュニストのことでもある。 [ビデオ(字幕)] 6点(2015-01-18 16:16:32) |
119. 風花(2000)
ネタバレ フラッシュバックが説明的に煩瑣に入って来て相米には珍しい作りだ。長さ(けだるさ)による不経済な語りという相米流は抑制され気味だが、やはりおおいにある。封切りの映画館ではさっぱり感動しなかったが、いま見直せば良さはある。 [映画館(邦画)] 7点(2015-01-14 11:06:33) |
120. ブルーベルベット
ネタバレ 観客の分身としての探索者を襲うデニス・ホッパーがほんとうに怖い。その怖さは、ホラー映画などとは異なって、目を閉じたら看過できるしろものではない、何をするかわからない他者の怖さなのである。イザベラ・ロッセリーニの鮮烈過ぎて痛々しいような露出は、映画史的な事件である。そもそも母バーグマンがロッセリーニのもとに走ったのは、映画の中心がハリウッドの外に移ること象徴する事件、映画史的な事件だった。 [DVD(字幕)] 7点(2015-01-11 13:08:29) |