かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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プロフィール
口コミ数 1335
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1301.  シェイディー・グローヴ ネタバレ 
ヒロインの理花は、映像で見る限りは自己中でナルシストで執着心が強くストーカーでイタい女ではあるが、少し離れて眺めるだけならこれでも十分かわいく見える。観客は彼女の常軌を逸した行動を全部見ているので、相手の甲野は幻でも見ているのかという気になるわけだが、しかし理花も甲野の前では結構まともにふるまっていたようで、自分としては少し彼女を擁護したくなる。 また一方の甲野は自ら望んで孤立してしまう性格らしく、都合が悪いとすぐ接触を絶って自己完結してしまうらしい。それでは外部情報も限定的になり、自分のいる場所からしかものが見えなくなってしまう。最初の方で、理花がコーヒー豆を分けてくれるというのに自分で買うと断っていたが、そういう他人行儀な態度は最後まで敬語だったことにも表れており、この男には自分としても結構共感するところがある。 この2人は互いに向き合わないまま時間だけが経過するので最後はどうなるかと思うわけだが、終盤に至るとストーリーが急展開して、最後は落とし所にストンと収まったような印象がある。危うく行き違いそうになった2人が離れる間際にかろうじて結びついて一つになり、そこから新しいラブストーリーが始まった感じで爽快感の残る映画になっていた。  ただし物語の解釈としてはよくわからない点が多いので面倒くさい。相手の姿が自分を映す鏡だとか、いびつな2人の相補的関係という程度まではいいとして、心のダークマターとか他者の承認による自分の存在確認といった要素も出て来るが、こういうのはお話全体としてどう統合されているのかわからない。変に奥が深いようだが、深入りすれば感動が増すわけでもないだろうからこれ以上理屈で考えるのはやめておく。 なお個別の場面としては、甲野が高速道路を走行中に延々と歌っていたのは何かほのぼのして心癒されるものがあった。また車内の告白場面には見入ってしまったが、ここで理花が「こういうやり方ってすごく失礼なのがわからないの?」と怒っていたのに対し、すいませんでしたと謝りたくなる個人的経験があったのを思い出した。
[DVD(邦画)] 7点(2012-06-23 21:22:51)
1302.  DEAD END RUN ネタバレ 
3話オムニバスのうち第1話の女優が目的で見たので、歌って踊れるヒロインの魅力を十分に(失笑しながら)満喫させてもらった。ミュージカルの舞台に突然引っ張り出されて戸惑う男の表情もキュートかもしれないが、死んだヒロインもまた魅力的である。終わってみれば超コンパクトなラブストーリーになっており、これは何度でも見たくなる。 そのほか第2話は少々地味だが、第3話は映像全体が明るくなり、またこの回だけは行き止まりを突き抜けられるのでいわば解脱感がある。出発点が同じで何回か繰り返すとやがて先へ進める時が来るのはゲーム感覚かと思ったが、登場人物は異なっているのでプレイはそれぞれ1回きりらしい。第3話の登場人物だけがたまたま幸運をつかんだということだろうが、個人的には第1話の結末でも十分受け入れられる。 なお第1と第3の男が、サスペンス調で生死を賭けた逃避行をしていながら硬派な印象がなく、女優とのからみの中でその辺の兄ちゃんのような素顔が丸出しになるのは現代のリアリティかと思う。
[DVD(邦画)] 7点(2012-06-06 22:53:00)
1303.  宇宙水爆戦 ネタバレ 
 原題を直訳すると「この島 地球」としかいいようがないと思うが、少し意訳すると「宇宙の孤島、それが地球」というような感じでいいだろうか。内容的には、高名なメタルーナ・ミュータントが実は頭悪そうだとか、宇宙の場面が出るのが遅いとかいう不満はあるが、基本的には真面目に作ってあるので好印象である。  ところで、この映画を見て驚いたことが二つある。 一つは(些細なことだが)夕食の場面で、女性の研究者が「モーツァルトは美しいですわ」(字幕)と言っていたのがフィンランド語だったことである。なんで1955年公開のアメリカの特撮映画に突然フィンランド人が???と、ここで一瞬目が点になった。そのあとドイツ人の博士がドイツ語でしゃべっていたので、フィンランド人がフィンランド語でしゃべるのも不思議はないだろうが、そもそも劇中ではフィンランド人という説明も何もなかったようなので、ほとんどの観客は何語だったか知らないまま一生を終えるだろう。逆にフィンランドでこの映画が公開された際(米公開と同年)には、地元民も目が点になったのではないか。アメリカ人も妙な遊び心があるものだと思う。  もう一つは、敵の攻撃を受けているメタルーナ星が、遊星爆弾で攻撃されるガミラスのように見えたことである。さらに敵の本拠地はもと彗星だったという話まで出ていた。わが国の誇るSF風アニメの元ネタ(パクリネタ)がこんな所にあったということで、これは本当に驚いたが、それをいえばメタルーナ・ミュータントのデザインも、後に「ウルトラマンタロウ」の宇宙人にパクられている。日本としてもイマジネーションの源泉をこの映画に多く求めているようで、やはりこれは特撮の古典的名作だと思うしかない。
[DVD(字幕)] 5点(2012-06-05 21:21:17)
1304.  不機嫌な果実 ネタバレ 
8年前に投稿が4件あっただけで、以後は全くない。まるで存在していないもののような扱いだが、世間には何かこの映画を忘れてしまいたい理由があるのだろうか。男の立場としてはとにかく主演女優をじっくり見るための映画であり、その点だけなら損はないだろう。そのほか主人公の幼馴染み役が颯爽としていたのも好印象だった。 それでストーリーについては、原作は当然読んだことがないが、映画を見た限りではわりと素直に受け取れる。不倫礼賛の妄想映画に終わるわけでもなく、登場人物を終始冷やかに眺めているような雰囲気も感じられ、また最後は地べたにはたき落とされるような結末になっていて勧善懲悪的ともいえる。 結論としては男への依存を否定する一方、女の幸せはやはり子どもにあるということらしく、結局それがオチかという気がした。別にそれでもいいのだが、とりあえず少子高齢化への対策として、今後ともシングルマザーの就労支援や育児支援をしっかりすべきなのだろうと思った次第である。 自分としては劇中のどの立場でもないので、特に共感できるものはない(しいていえば庭で水やりをしていたオヤジ)。個人的には毛嫌いするほどの事情はないが特に面白くもないので、それ相応の評価としておく。
[DVD(邦画)] 2点(2012-06-02 09:53:07)
1305.  カフーを待ちわびて ネタバレ 
ヒロインは目鼻立ちがはっきりして洋風の顔に見えるが、くどさはなくて素直に美しく、またフレンドリーな表情が可愛らしい。テーマ曲PV(「もうひとつの物語」)に出ていた白い鳥の羽根のように軽やかで清潔な印象があって、主人公の青年が触れるのをためらう気持ちもわかる気がする。 こんな女性が自分から押しかけて来るのは主人公に限らず(自分を含む)しがない男の夢というか妄想だが、主人公が至って謙虚なので見ていて妬み根性も起きない。男所帯に美女ではまさに掃きだめに鶴といったところだが、その正体を知ってしまえば鶴女房の話のように、全てを失ってしまうのではないかという不安もあるだろう。こうなった事情については劇中でも一応の説明があったが、そもそもこのお話自体が鶴女房の民話を取り入れたものと思えば、少々ファンタジックな展開も一応の納得がいく。 また中盤で主人公の言った「まわりのみんなが…」は原作にはない要素だが、これを終盤でヒロインが再現したのは感動的だった。これまで自分以外の幸せを願う余裕など全くなかったヒロインが、他人に対して“カフー アラシミソーリ”の気持ちを向けることができたとき、はじめて本人にも果報がもたらされたのだと考えたい。  なお少し苦情をいえば、映画ではヒロインと母親のイメージを重ねていたように見えるので、また同じことが繰り返されるのではないかという不安感が残ってしまう。もしそうなっても主人公は、みんなが幸せならと言うのかと思うと悲しい。 さらに、エンディング後の後日談的なもの(DVDチャプター名は「その後の島」)が必要だったかどうかは微妙である。劇中の現世的な問題がそれほど簡単に解決されるわけでもないだろうし、また最後の「お帰りなさい」が本編中にある映像と全く同じに見えるので、これは主人公の夢想の世界を描いただけで、実はヒロインは帰って来ていないのではないかという疑念も生じる。原作になかったラストを追加するのはいいとしても、主人公とヒロインの再会までで止めておいた方が、かえってその後の2人の幸せが素直に信じられた気がする。 ただ最後のヒロインの笑顔は、いわばアンコールまたは最後まで見た人へのご褒美だったと考えてもいいだろう。これは何回見せられてもかまいません。
[DVD(邦画)] 8点(2012-06-02 09:51:27)(良:1票)
1306.  奇談 キダン ネタバレ 
原作は「新世紀エヴァンゲリオン」に元ネタの一つを提供したマンガだが、映画もそのストーリーを基本的に尊重しているのは評価する。期待していた「三じゅわんさま」もちゃんと出てきたので嬉しかった。ただこの場面の神父の発言には、原作にあった微妙な可笑しさが感じられなかったのが残念である。 また原作の短編を長編映画にするためか、もとの話と直接関係のない要素がかなり加えられており(同じ作者の「天神さま」から取ったか)、「7歳」で無理につなごうとしたようだが、どうも本筋との統一感がないので困る。 それでもヒロインが年齢のわりには(昔の女性らしく?)清純そうで可愛いのは高評価で、これは原作よりずっといいかも知れない。稗田センセイも、あくまで堅物というか紳士なので安心して見ていられた。マンガのとおり尊敬できるお方である。 なお、自分としては特に原作者のファンとは思っていないのだが、DVD特典で初めてご尊顔を拝することができたのは感激だった。
[DVD(邦画)] 4点(2012-05-14 22:36:17)
1307.  SPACE BATTLESHIP ヤマト ネタバレ 
今年に入ってから酷評が多いので気が引けるが、自分としてはやはり年代のせいもあって、大昔のしょうもないアニメを現代風に映像化したこと自体を評価してしまう。また前の方のレビュアーも書かれているように、特に褒めたいのがエンディングで出たクレーターのある風景で、こうなるだろうと昔から思っていたことをちゃんと映像化してくれたことには感謝したい。これは間違いなくこの映画の功績である。 それからキャスティングについて、主役の個性が出過ぎているのは確かに気に障るが、それはまあ少々我慢すれば済むことである。それより、もともとどうでもいい扱いの相原の性別を変えて出した女優にはちょっと注目してしまった(結構目立っている)。艦が揺れたときにこの人(多分)が「うわぁ!」と声を上げる場面は好きだ。 そういうわけで大体好意的なのだが、ただ一つ納得できない点としては、やはりイクサブネでやってはならないことというのがあるわけで、もともと変に雇用均等が徹底されている上にそういうことが許されるなら、そこら中で野合状態になるだろう。失われた家族の復元という趣旨はいいと思うし、エンディング部分もそれなりに感動的だが、こういう軍紀違反を前提にしないとストーリーが成り立たないのはつらいものがある。 なお余談だが、大和の沈没地点の放射線量がマイクロでもミリでもない「14シーベルト(おそらく毎時)」だったのは、今になってみると本当に危ないと思う。 [2015-10-14追記] 改めて見直したが、西暦2012年の時点で書いたことに変更はない。昔の名作?を安易にリメイクしようとする企画側の姿勢がどうかは別として、できたものはそれほど悪いとも思えない。TV第1シリーズと「さらば…」からいいとこ取りしてちゃんと2時間強に収めてあり、また放射能除去装置の話が嘘だったという意外な設定をもとにして、“わずかな可能性を希望に変える”ことをうまくストーリー上で表現できていたと思われる。他の映画との調整の関係から、場合によっては点数を変えるかとも思っていたが(具体的には1点減程度)、そこまでしなくてもいいようである。
[DVD(邦画)] 6点(2012-05-14 22:34:26)(笑:1票) (良:1票)
1308.  宇宙ショーへようこそ ネタバレ 
宇宙旅行の目的地だったイヌの惑星は、りょうけん座(猟犬座)のM51銀河にあったらしい。けっこう遠いので驚いてしまうが、複数の銀河を含む広大な文明世界の中で、地球が辺境の惑星として知られているというのはかなりの知名度である。  内容的には、宇宙生物や小物の設定などに力が入っているのはわかるが、全体的にはどこかで見たような要素の組み合わせという印象で、大作の割にはセンス・オブ・ワンダー不足という気がした。また宇宙人側の背景事情が細切れでほとんどわけがわからず、力みすぎて破綻したようにも見えていたが、それでもまあ普通に面白い冒険ファンタジーだと思う。 銀河系外に出るような大冒険でも、子どもらにとっては夏の体験の一部に過ぎず(合宿の枠内にちゃんと収まっていた)、その後も普通に夏休みが続いていたらしいのが変というか微笑ましいのだが、5人それぞれに何か心境の変化はあったものと思う。特に最年長の少年は、大人の期待に応えようとするあまり狭い責任論ばかり語って情けなかったのだが、今回はみんなの力を借りて、あえて困難に立ち向かう体験をしたのはよかった。 また映像面では、朝陽の射すわさび田の風景と、彩度を抑えたイヌの都市の景観が印象的だった。  なお後半で敵役の登場人物が、拉致した人々を強制労働させて「弱い者を救うことこそ、宇宙の未来だ」と言ったのに対し、味方の登場人物が「自分の力で生きることが真の未来だ」と反論していたのは、“国民に雇用をあてがう大きな政府など不要”と言っているように聞こえて、これが新自由主義とグローバル化の時代の教育的観点なのかと苦笑してしまった。個人的には政府部門の役割はなお重要だと思うが。
[DVD(邦画)] 6点(2012-05-09 23:18:44)(良:1票)
1309.  忠臣蔵外伝 四谷怪談 ネタバレ 
「東海道四谷怪談」がもともと「仮名手本忠臣蔵」のサイドストーリー的な設定だったというのは前に聞いたことがあり、江戸時代には2つの劇を同時進行の形で上演したこともあったようだが、現代の映画でそれを再現するというのは面白い趣向で、退屈せずに見られた。白塗りの面々が出るのはおバカな印象もあるが、忠臣蔵の方のストーリーが極めて真面目なので安心して見ていられる。また討入りの場面でゆうれいが吉良邸内をウロウロするのはどうかとは思うものの、ラストはちゃんと話が収斂していたのでまあ満足だった。赤穂浪士は今に伝わる名誉の死だが、脱落者もいわば恋女房との道行きなら不足はないだろう。 ところで以前、90年代頃にTVか何かでこれを見たとき、高岡早紀が着物を脱いでいる場面で唖然とした憶えがあり、今回はその感動を再びという不純な動機で見たのだが、改めて見るとその場面はもちろん、お岩さまが可愛く美しいので感心する。それから荻野目慶子の演技に圧倒されるのは多くの人も同じだろうが、個人的には渡辺えり子氏の首が飛ぶという思いがけない展開に大笑いしてしまった。そういうわけで、とにかく面白く見られる映画だったと思う。
[DVD(邦画)] 6点(2012-05-09 23:16:03)(良:1票)
1310.  犯された白衣 ネタバレ 
[2025/3/24改訂] こういうのは何が面白いのかというのが正直な感想である。 この監督の傾向は知らないが、この映画に関しては欲望の解放ということが基本テーマかと思った。性的欲求含みの残虐行為や、神聖なものを汚してやりたいという歪んだ欲望は当時も一部の大衆受けしたかと思われる。ただし個人的には近年のろくでもない流血映画を見慣れてきていることもあり、残虐映像にしてもこれくらいだと奥ゆかしく見えなくもない。かえってリアルでもあるのはさすが芸術だ。 また個々人の私的な事情を絶対化することで、個人を律する社会規範を揺るがしたいとの願望も感じられる。ただしそういう一般論は別として、この主人公の境遇に直接共感できる観客は多くないだろうから訴求力が限定されそうではある。主人公の役名が少年というからには、性的な成熟度が女性5人と明らかに違って見えればもう少し説得力もあったかも知れないがそうでもない。 なお最後に当時の世相を表す音声・映像・新聞が出て来たのはかなり唐突感があった。直接関係なさそうな社会問題まで持ち出して凶悪犯罪を正当化する態度なのかと思ったが、公開時点では実際に学生運動との関係で理解しようとする向きもあったようで、この頃の国民意識としてはそのように思考回路ができていたのかも知れない。時代固有の感覚というのは計り知れない。  ところで役名「少女」に関しても、少年と同年配に見えるくらいが理想だろうがまあ仕方ない。この人物は最初から仏様のような憐憫の目を煩悩男に向けていたのかと思ったが、自分の番になるといきなり天然キャラのおとぼけ戦術に出たようなのは意外だった。最終的にはうまくやったようで幸いだったが、途中段階で縄をほどけと言われて応じなかったのも助かるための適切な判断と思われる。肝が据わった人物らしいので看護師向きか。 なお制作関係者は女性看護師というものによほど恨みでもあるのかと思ったが、それよりもこういうのをいわゆるmisogynyというわけか。そもそも女性看護師が全部天使だと思う一般庶民はほぼいないだろうが、しかし実際に病気になって世話になれば天使に見えることもあるかも知れないので、看護師の皆さんには今後とも使命感をもって職務に励んでいただければと思う。 なお点数は初見時の嫌悪感のままにしておく。
[DVD(邦画)] 1点(2012-05-09 23:14:38)
1311.  メタル・オブ・ウォー ネタバレ 
[2024/7/13改訂] 1999年のコソボ紛争関連の映画である。製作国をアルバニアとする情報もあるが、脚本・監督や出演者からみて実質的にコソボ映画と思われる(公開当時は独立宣言していなかった)。場所設定としては首都プリシュティナ周辺が多かったようで、撮影地も主にコソボだろうがアルバニアの首都ティラナの映像も少し見えた。 内容的には映像が古くさく、昭和のTVドラマのように見える。戦争映画といえるものではなく、戦闘場面はあるが茶番にしか見えない。ドラマとしても雑な展開で、特にコソボ解放軍の指揮官(だった男)の登場は都合がよすぎた(7回)。よかった点としては、主人公の表情を映していたときに、後方で待機していたネコがタイミングよく走り出す場面があったのは感心した。  物語の主な要素は次の①~⑤と思われる。コソボ文化省の支援を受けたと冒頭に出るので政府見解からは外れていないと思われる。 ①セルビア軍が民族浄化のためアルバニア人を虐殺し、若い女性を集団的に強姦した。 ②敵の強姦で生まれた子は戦後も社会に受け入れられず疎外される。 ③強姦で生まれた子や戦災孤児を集めて人身売買する犯罪集団ができている。その正体は、戦争犯罪の証拠隠滅が目的とすればセルビア人ということになるだろうが、ただし首謀者がアルバニア人だと言っていたのはどう解釈すべきか不明。 ④コソボ解放軍は英雄的に戦った。戦後は武装を解いたが、③の犯罪集団を壊滅させるため再武装して出動した。 ⑤なぜかアメリカ人の報道記者が出て来て①の実態を世界へ知らせ、③に関しても当局に通報して主人公を助けた。④のコソボ解放軍には好意的だったが、国連警察のやり方には抗議した。 以上により主に表現されていたのは、①セルビアは邪悪、④コソボ解放軍は正義、⑤アメリカは友人だが国連は信用できない、というような感じに見える。特に政府としてはコソボ解放軍を肯定的に扱わなければ済まなかったはずで、この点については終始一貫していたようだった。ただし終盤の意味不明な会話を聞くと、実はもっと深遠なテーマが背景にあって、意味不明な原題もそれを表現していたのかと想像できなくもない。本来は上記②③あたりも重要でなかったのかと思った。 なお宗教関係についてはキリスト教(正教とカトリック?)だけで、イスラム教がほとんど出ないのはなぜか不明だった。アメリカ向けに作ったからか。  登場人物に関して、主人公の結婚相手は川谷拓三か仁科貴に見える(コソボの役者は人材不足か)。またアメリカ人「ローラ」役の演者は1995年のミス・コソボだったようで、劇中この人が変に美人扱いされていたのはそのためかも知れない。主人公はなかなか感じのいい人で、こういう心正しい人がまっとうに生きられる社会であってほしいという思いが感じ取れる気はした。
[DVD(吹替)] 3点(2012-05-09 23:13:03)
1312.  フロントライン 戦略特殊部隊 ネタバレ 
第二次世界大戦中で、フィンランド史上の「継続戦争」(1941.6-1944.9)の開戦直後の話である。原題は「ルカヤルヴィの道」で、劇中の師団が攻略予定だった村(及び湖)の名前が題名になっているが、ストーリーは師団が駐屯していたレポラの付近で展開しており、ルカヤルヴィそのものは出て来ない。ただし史実ではその後(1941.9.17)実際に師団がルカヤルヴィを占領しており、この映画はそこに至る過程の一エピソードを描いたものということになる。ラストで主人公の分隊は半減以下になってしまい、残った人々も疲れ切った顔をしていたが、まだ戦争は始まったばかりである。  ところで冒頭に「皆、冬戦争(注:1939.11-1940.3)でソ連に奪われた領土を取り返すのだという、強い決意に満ちていた」との説明があったが、前回の戦争で奪われたのは主に南方のカレリア地峡とラドガ湖北岸であり、この映画の場所は実はそうではない。師団のいたレポラ地区と隣接のポラヤルヴィ地区だけは以前にフィン=ソ間の係争地だった経過があるものの、それ以外の東カレリア(ルカヤルヴィを含む)は歴史的にロシアの版図に属しており、あくまで独ソ戦開始直後の勢いに便乗して攻め込んだだけの場所である。その後は敗戦により当然のようにソ連に奪還されたわけで、もしかすると従軍した人々にとっても結果的に徒労感の大きかった戦場なのではないかと想像する。  ただソ連領とはいえ、主に住んでいるのはフィンランド人と同系のカレリア人である。分隊の目的地はいかにも狩猟・漁労で生計を立てているような貧しげな村だったが、かつてエリアス・レンロートが民族叙事詩「カレヴァラ」の材料となる民族詩を採集して回ったのもこのような場所だったのではないかと思わせるものがあった。いわばフィンランド人の心の故郷ともいえる場所だったはずなので、この点は他人事ながら一応弁明しておく。  それで映画の内容は、主人公とその恋人が上記のような戦線へ出たばかりに、微妙に悲惨で何ともやるせない境遇に陥ってしまった、という話である。戦争の行方を左右するエリート部隊の活躍を描く、というような戦争映画では全くなく、戦争に翻弄される個人の運命、という感じの人間ドラマなのだが、そういう映画にこういう邦題をつけて売るのは看板の偽りも甚だしい。しかし、そうしなければ邦訳付きのDVDが国内で見られなかったのだろうから、まあ仕方ない。
[DVD(吹替)] 8点(2012-05-09 23:10:14)
1313.  吸血蛾 ネタバレ 
[2025/3/24改訂] 横溝正史の金田一耕助シリーズの映画化である。何かの本でエログロ映画として紹介されていたように思ったが、実際見ればそれほどエロくもグロくもなく、隠微な雰囲気などもほとんどない。しかしファッション業界の話なので華やかさがあって、1953年のミス・ユニバースに出た伊東絹子という人(八頭身美人)も特別出演している。映像面では古い洋館(「昆虫館」)の内部が目を引かなくもないが、個人的にはそれよりマネキン(マヌカン)工場の妙な異界感が面白かった。 題名ではガの話かと思わせておいて実はなぜか狼男の話だが、もとが推理小説なのでモンスター映画でもない。狼男の話だとすればガが出ることの方が不自然で、恐らく真犯人が偽装で使ったのだろうがろくな説明もなく、題名にするほどの存在感がガにはない。 なお映像には一応ガが出るが、大型のがパタパタ飛んで迫って来るような恐ろしい場面はないので安心できる。ただホールケーキの上に標本が飾られていたのが嫌な感じではあった。ガの種類に関しては、箱入りの死体の場面はシンジュサン、ケーキの場面はヒメヤママユかと思われる。「昆虫館」の死体の場面は不明だが、地味ながら端正なスタイルのガだった。ファッション業界の話なのでガの美にも注目すべきかも知れない。  物語としては、映画で見た限りではまともに筋が通っているのか怪しい。最後に真相を長々と説明していたが、意外性ばかりが優先されて荒唐無稽な印象しかない。そもそもこの場の台詞だけではほとんど理解できないが、あとで真面目に考えると明らかに説明不足な点もある。動機も単純な殺人嗜好だったとすればかなり安易な設定に思われる。 登場人物では、金田一耕助は半分過ぎたあたりで唐突に格好つけて出る。金田一役の池部良氏に対し、「弓子」役の安西郷子さんがヒロインであればお似合いの美男美女かと思ったらそうでもなく、弓子のお相手は新聞記者の男だったらしい。しかしその新聞記者役が千秋実氏だったのが不可解で、安西郷子さんと比べて見た目の年齢差もあり過ぎなので、これも「パパ」なのかと思った。なお安西郷子さんは洋風美女だが可憐で可愛らしい。また当時20代の塩沢とき氏も若干色っぽい場面がある。 その他雑記として、上野公園での汽笛は音による場所の表現だったらしい。また武蔵小金井とされている場所で、地元在住と思われる人物が「出かけるときはいただがね」「出かけたらしいだよ」と言っていたのはこの辺の方言だったのか。
[DVD(邦画)] 6点(2012-03-12 20:35:42)
1314.  ブルークリスマス ネタバレ 
90年代の有名アニメの元ネタの一つということで見た。 恐るべき科学力か何かを備えたユーエフオーが、人間の血液に変異を生じさせるというところまではまあいいとして、そのことに対する人類社会(台詞では「政治」)の対応にリアリティが感じられないのは困ったことである。発生源を断つことも考えずにただ対象者を隔離して抹殺するのでは、とにかく嫌なものは見たくない、という子供じみた行動のようで、本気で対策を打とうとしているようには思えない。一体ここで「政治」がやろうとしているのはユーエフオー対策なのか、迫害そのものなのか。 また劇中では「謀略」という言葉が妙に好まれていたようだが、登場人物に怖い顔で「政治における謀略ってものはな…」などと大仰なことを言わせるなら、背後にはもっと深い闇があると匂わせるくらいでないと凄味に欠ける。しかし結局は登場人物が語ったことそのままで終わりだったようで、かえって底が浅く感じられた。  ほか、個人的にこの映画が好きになれない最大の理由は、ヒロインに魅力が感じられないことである。変にとぼけた感じに見えるのは金星人(※)の仕業かも知れないが、やはり普通に「イライラしたり、嫉妬深かったり、人を憎んだり」していた頃の方がよほど生き生きしていたのではないか。こんな連中ばかりになるのでは、為政者が事態の拡大を危惧するのも当然に思われる。そもそも相手役の男が無口で何を考えているかわからない上に、ヒロインの精神が退行状態では誰にも共感できなかった。最後の場面は人が死んでいるので気の毒というべきだが、素直に泣けないのが残念だ。 ※注:アダムスキー型の円盤に乗って来るのは主に金星人とされている。  なお余談だが、この映画の脚本段階では特殊部隊が暴走族を射殺する場面があったのを監督が削除したとのことだが、結果的にはその場面があった方が、ヒロインの相手役の本来の非情さが際立った気がする。
[DVD(邦画)] 2点(2012-03-12 20:33:20)
1315.  となり町戦争 ネタバレ 
原作既読だが、主演女優が目的で映画を見た。この映画には出てほしくなかったという思いが残るものの、とりあえずこの人のために2点つけておく。 内容については、最後が真面目な感じで終わったことから、基本的には真面目なことを語ろうとした映画だと想像するが、実態としてはドタバタばかり見せられて呆れ返る。役場が原作でいう“バカドモ”扱いなのは世間の常識通りとしても、ヒロインにまでコントの役を振るのでは真面目に見る気が早々に失せる。 もともと原作も完璧とは思えないが、それでもこの社会のありように対する作者の思いは確かに感じられた。しかし映画ではそれが全部抜け落ちて、その跡を空々しいセリフと取ってつけたようなBGMで埋めてあり、登場人物が真面目な顔で語るほど鼻で笑いたくなる。大変残念な映画化と思う。 [2012-09-02変更] 配点を変更し、主演女優のために2点、それ以外を-2点とする。
[DVD(邦画)] 0点(2012-03-12 20:30:43)(良:1票)
1316.  タイム・リープ ネタバレ 
「時をかける少女」の類似品として見たが、原作を先に読んでしまったため差分ばかりが気になった。 まず感じるのは原作の清々しさが著しく損なわれているということである。少年少女向けライトノベルをそのままで映画化できないのはわかるとしても、よくもこれだけ不快な要素を加えたものだと感心する。犯人の邪悪さを強調するためだけに人が2人も死んでいるではないか。また冒頭のヒロインをはじめ、登場人物に奇矯な行動が目立つのも気になる。小説ではみな良識的な人々(犯人を除く)だったのだが、映画というのはまともな人でも変にして見せないと済まないものなのか。それから本編の最後に「カット」が入るのは反則だろう。時かけ1983版でも、原田知世PVが始まるのは本編が完全に終止してからである。  そのほか、これは映画のせいではないが、ここでいうタイム・リープとは人体を含めた物的な要素はそのままで、意識だけが時間を移動するということらしい。しかし、意識というものが身体とは別に物理的な実体を持ったものだということを科学的に説明できない限り、SFではなくオカルトになってしまう気がするわけだが、それでいいのかというのが率直な疑問である。  そういうわけで、ほめることを探そうとしてもなかなか見つからないが、原作と比較せずにただの映画として見れば、まあ普通の娯楽映画だと思う。 なお全くどうでもいいことだが、劇中で登場人物が「誰かが犠牲になってまで、成し遂げられるべきことなど、ないと思います」と言っていたのはその場の雰囲気で口にしただけだろうが、もしこれを本気で言っていたのなら、おまえは宇宙戦艦ヤマトを見たことはあるか、と聞きたくなる。
[DVD(邦画)] 4点(2012-03-04 22:18:13)
1317.  京都太秦物語 ネタバレ 
率直な印象としては、とにかく男二人が気にくわない。幼馴染もかなり痛い奴だが、研究者の方はあまりにもバカ丸出しで笑うこともできない。どちらも駄目な男で、観客としてはヒロインとの関係の発展が期待できない(したくない)ため、途中で今にも席を立ちそうになった。それでも他の客の邪魔になるのを避けて最後まで見たところ、ラストの場面だけは納得した。自分が泣けたわけではないが、思い当たることのある女性なら泣けるかも知れない。 ただ実は、キャッチコピーの印象からして最後にもう一つ波乱というか、もっと微妙な状態に陥る可能性もあるかと思ったのだが、何もなく普通に終わってしまったのは拍子抜けだった。この映画の性質上、これ以外の結末はありえなかったのかも知れないが。  ところで幼馴染の男が終盤、夢破れたときの滑り止め、というようなテキトーな感覚で一生の仕事を決めていたのは少し気になるが、それはまあいいとして(みんなそうだったろうから)、単純に親世代と同じく家族経営で豆腐店という前提だと、司書を目指していたはずのヒロインの夢までが消え去ることにならないか。男の方は実現困難な夢だったから断念するのは仕方ないが、ヒロインの夢は極めて現実的かつ実現途上にあり、観客としてもかなえてほしいという思いがある。地域連携映画という事情はあるにせよ、個人の志望より映画の都合(=商店街の都合)が優先するのでは、第三者の目からは理不尽に見えるので、ここは余計な不満の生じないようにしてほしかったと思う。 まあ特殊な成立事情の映画なので、あまり妙なところに突っ込まず、制作に関わった学生とともに映画の完成を喜んでやるべきなのかも知れない。しかし、そんなことまで斟酌しなくても、実は個人的にヒロイン(演:海老瀬はな)が好きになってしまったので、最終的な印象はそれほど悪くなかったというのが実態である。
[映画館(邦画)] 5点(2012-03-04 22:12:52)(良:1票)
1318.  第9地区 ネタバレ 
予備知識なしで、なんでヨハネスブルグなのかも考えずに見始めた。最初、タイトルの場所がいかにも黒人居住区のように見えるにもかかわらず、扱いに手こずる宇宙人連中を見ていると、知的生物とはいえ意思疎通もできないようだし、一軒一軒ハンコをもらって歩くようなのは馬鹿らしく、移住させても問題先送りなだけで、そもそも人類でもないのだから、皆殺しにしてしまえば簡単ではないか、と思ってしまった。 しかし、主人公と宇宙人の親子がコミュニケーションを始めると、ちゃんと意志の通じる、われわれと同じ人間だということがわかり、殺してしまえなどと思っていたのは何だったのかという気がした。もともと前半と後半で視点が移動する映画なので、そのように思うのも当然だろうが、自分としては見事にレイシズムを疑似体験させられてしまったという思いがある。対象を人類ではなくしたことでそういう効果が生じたわけだが、それにしても自分で呆れてしまった。 ただ、180万もの人口がありながらまともに話が通じるのはごくわずかで、あとはみな野蛮人同然というところや、また全編を通じての殺伐とした雰囲気まで、南ア社会の現状を描写しているように受け取るのは、さすがに行き過ぎなのだろうと思う。多分。 なお主人公は、最初は見ていて嫌悪しか感じず、ワーワー騒いでいるのを見て死んじまえこのバカなどと思っていたのだが、最後は真人間になったようでよかった。
[DVD(字幕)] 5点(2012-02-26 22:55:12)
1319.  涼宮ハルヒの消失 ネタバレ 
文庫で出ている限りの原作は全て読んでいる。TVアニメも一応全部見た。 原作はわりと淡々とした印象の小説だが、映画化に当たってはストーリー上のポイントになる台詞が特に強調されていたり、また原作ではモノローグのようだった箇所に独自の映像が充てられているなど明らかに効用を増しており、かつ原作のストーリーの根幹も完全に保たれている。原作をいわば純粋な形で映像化したもので、そこまで含めてファンの期待通りである。 また、いわゆる“消失長門”に関してもファンが見たい映像の宝庫だろうと思う。個人的には別に消失長門フリークでもないのだが、それでも見ていて破顔というかニヤニヤしてしまうような場面が多かった。映画では、このキャラクターを象徴するアイテムとして、眼鏡のほかに膝かけが加えられていたのも要注意かも知れない。  ただし、この映画を一般の人が見てどう感じるのかはわからない。長編一冊分をまるごと映画化しているので一応のまとまりはあるわけだが、シリーズ開始以来の登場人物の微妙な変化が前提となって今回のストーリーがあることや、このエピソード自体がシリーズの一つの転機になっているといった背景事情がどの程度伝わるのかと思うと、一本の映画としては疑問があるのも確かである。 しかしそれでも、結局は見た本人がどう思うかが基本だろうから、一応のファンとしては、やはり見てよかったと開き直るしかない。  なお余談として、この映画ではTV第1期のオープニングテーマが復活していて嬉しいのだが、その直前に県立北高校の空撮映像があり、劇中の部室が校舎のどの位置に設定されているのかわかったので、Google Earthで目印をつけておいた。どうでもいいことだが。
[DVD(邦画)] 7点(2012-02-26 17:47:05)
1320.  第五福竜丸 ネタバレ 
何年か前、暇をみて夢の島にある第五福竜丸展示館に行って来たのを思い出した。 映画はドキュメンタリー調ということのようだが、特に前半は歌声あり恋あり適度な下品さありの労働賛歌といった印象で、事件後も深刻にはなり切らず、笑いの場面を入れてあるのがかえってリアルに思えた。亡くなった無線長も、最後まで快活さを忘れないようふるまっていたのは人格者らしい。  ところで、後半は無線長とその家族に焦点が当たっていたが、病状が悪化するにつれ、その存在が社会性を帯びてきていたようだ。家族にマスコミが集団でつきまとうのは苛立たしいが、これはまあそういうものかも知れない。また汽車の中で遺族が見せ物のようになっていたが、これも別に悪気はなく、そもそも遺骨と遺影を持ったまま乗車していれば当然そうなるかも知れない。しかし、変に盛大な告別式に「国務大臣」(?)とかアメリカ人が来て弔辞を許される一方、外ではなぜか大勢で鳩を飛ばす行事などもやっていたのは、様々な人々がそれぞれの思惑で一個人の死に関与しようとしているように見えたというのが正直な印象である。  なお、この時代から60年近く経った現在も、世界は核廃絶からほど遠い状態である。経費節減のための核兵器削減こそ行われているが、公認の核保有国は核兵器を手放す気など全くなく、一方で核拡散は着々と進んでいる。映画の当時であれば、人々が声をあげることで世界を変えていく希望があったかも知れないが、現代においてこの映画の持つべき意義が何かということは、また改めて考える必要があるように思う(前の方の皆さんがいろいろ書かれているので、その通りかも知れない)。
[DVD(邦画)] 5点(2012-02-26 17:45:17)
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