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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1541.  長い灰色の線
たとえば『荒野の決闘』が求心的・集中的なのに対して、こちらは遠心的・拡散的。地道な一代記。世の中にはいい頑固と悪い頑固とあるんじゃないかと思うんだけど、この主人公及びその周りの人たちは、どうも私の分類では悪い頑固に思えて、いろいろ引っかかってしまうとこがあった。名誉ってことも絡んでくるんだけどね。たとえば終わりのほうに出てきた若い知事のほうに肩入れしたくなっちゃう。でもこういうのが理想としてある、ってのは分かるし、否定したいと思っても、こういうのへの憧れの強さってのも感じちゃうし。正義を信じている人の強さを感じた。細かい面白さはいろいろある。なかなかモーリン・オハラに喋らせないとか、アイルランドから来た父・弟がただモクモクと食ってて怒るとことか。
[映画館(字幕)] 6点(2011-03-04 12:15:13)
1542.  春にして君を想う 《ネタバレ》 
荒涼とした風景が見もの。かえってああいう風景の中での生活をリアルに見せてくれたほうが、ファンタジックになったかもしれない(と思うのは、そこで暮らしていないせいかも)。かつての村が生き生きしてた時代の場に、味わいがあった。セリフのない冒頭。犬の埋葬はラストの伏線であった。埋葬で始まり埋葬で終わる仕掛け。ジープでのホームからの脱走、ふっと消滅してから幻想が入り込んでくるのか。労働者を逮捕できない警察のエピソードは、あれは不法出稼ぎ外国人労働者かなんかなのか。死んだステラの脇を流れる砂が美しい。風土と幻想性が互いに相殺してしまっているような気がした。風土そのものの幻想性をもっと掘り起こせたのでは。
[映画館(字幕)] 6点(2011-03-03 09:28:16)
1543.  アリス・イン・ワンダーランド 《ネタバレ》 
ファンタジーに登場する小人とか巨人てのは、だいたい何倍もの差があったのに、ここでのアリスと帽子屋や白の女王の場なんかは二倍に至らない一点何倍かの差。これが面白い。この中途半端な「縮尺」が新鮮。完全なファンタジー的造形物より、そういった微妙に異常なものが、こちらを刺激してくる。だから一番印象に残るのは赤の女王の頭で、この映画に価値があるとするなら、彼女によってだ。あと、彼女に処刑されることになる蛙の番兵の表情なんかもよかったな。それも完全な作り物ではなく、リアルな蛙だから映えた。そういった半リアル造形物だけで「アリス」を作ったら楽しかっただろうに、ハリウッドではファンタジーは冒険物語にしないといけないらしく、ラストではアリスがジャンヌ・ダルクよろしく活劇を展開するのには予想されたとは言え、がっかりした。何でも善と悪の争いにしないと気がすまないらしい。そこで目覚めたアリスが、リアルな世界に戻って東洋への経済侵略の尖兵となっていくという結末は、どう見ればいいのだろう。ブラック・ジョークとしては優れているが、どうもそれほどひねっているようでなく、歴史への無知・無恥ゆえの無邪気さのよう。あのなんでも「善と悪」にしないとすまない性向と、どこかでつながっているような。年表で確認したが、「アリス」が書かれたのは阿片戦争が終わって二十数年後だった。20世紀文学を予告した小説ではあるが、それを生んだのが19世紀帝国主義の暴風の中だったことを、この映画のラストは思い返させてはくれた。
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-27 12:21:38)
1544.  フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白
映画で触れてるわけではないけど、見ながら「あちらアメリカ」と「こちら日本」の体質の違いにしばしば思いが行った。あちらの合理主義、データを集めて、効率を最大限に高める軍事姿勢。別にルメイが立派だったと思うつもりはさらさらないが、当時の日本の精神主義で凝り固まった軍人と実に対照的。映画ではその効率主義の非人間性に批判的な視線を向けていたが(焼夷弾投下の映像にデータの数字が重ねられる)、精神主義の非人間性も苛烈だったことを我々の歴史はよく知っているし、「戦争で勝つ」というゲームの中では、効率主義のほうが精神主義よりは優れていたわけだ。そういう経験を経たマクナマラが、教訓として「理性は頼りにならない」という条項を挙げているところに、「戦争の霧」の一筋縄ではいかない深さを感じる。それともう一つ「決して、とは決して言うな」。日本の政治家はすぐに「不退転の決意」とか大げさな言葉を乱発し、それを「まさに」とか「しっかり」といった常套副詞で飾り立てる。そして一般社会ではとうていトップには置けないような頭も言葉も軽い人物が、政治家一族で金持ちというだけで総理大臣になれるシステムがある(AとかHとか)。私はアメリカ崇拝者ではないし、このマクナマラの「教え諭す」ような態度は心地よくなかったけど、政治風土の落差は感じざるを得なかった。好き嫌いは別にして何事かをやり遂げた男の顔の厚みはあり、日本の政治家の顔はこれだけの時間のアップに耐えられないだろう。ドキュメンタリーとしては、映像的にはあんまり面白くなく、先に挙げた数字の焼夷弾とか、ドミノ倒し理論のところで実際に地図の上でドミノ倒しをやったり、つまんないことしてる。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-02-26 09:30:05)
1545.  心のままに 《ネタバレ》 
カメラのファン・ルイス・アンシアってスペイン出身の人(ときにアンチア表記)、『愛の選択』って映画の室内撮影がすごくきれいだったので覚えておいてやったのに、これはあんまりどうってことなかった。単に照明担当者が有能だったのか。で内容。リチャード・ギアの持つくすんだ陰りのようなものが、精神病に合っていた。ウツになりかけるあたりはそれらしい。必ず次にウツが来ると分かっている躁状態の危うさみたいのが、けっこう怖い。ヒロインは高所恐怖症だと言った時点で、ラスト高いところへ上がることを義務づけられてしまったな。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-25 10:29:46)
1546.  抱擁のかけら 《ネタバレ》 
異様に嫉妬深い男をめぐるサスペンス、って部分では堪能した。読唇術の場面はもちろん、ホテルのベッドの上で死んだふりして捻じれて横たわっているあたりの、滑稽の極みのグロテスク、あるいはグロテスクの極みの凄惨。ちゃんと階段落ちもあり、嫉妬話だけに絞ればきれいに仕上がった映画だろう。しかしおそらくきれいすぎて現在の作品としては、いささか古典的という印象になっただろう。そこに余分なものが付着してコッテリし、焦点が曖昧になってくるところが、たぶんこの監督の味なんだ。主人公のとこに資本家のせがれライ-Xってのが訪れるところ。主人公はドアの覗き穴から来訪者を確認する。ややっ、実は目が見えているという設定なのか、とハテナを引っ掛けておいて、特別あとにハッキリさせてくれない。医者が失明です、と診断するシーンもちゃんとあったが、彼が自分の意志で映画監督という職業から退場した、という含みも残しているような。この曖昧さで膨らまされた世界の居心地の悪さ、暖色系のニコゴリの中にストーリーが漬けられているようなボンヤリ感、きっとそれがたまらないという悪食好きにとっては、蠱惑的な映画なのだろう。
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-24 09:47:51)
1547.  ショウほど素敵な商売はない 《ネタバレ》 
ミュージカル映画では「ふだん」のところに不意に歌や踊りが入るのが好きなので、舞台で踊ってる設定のときは今ひとつ物足りない。でも「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」変奏でヨーロッパを巡るなんて趣向は楽しめた。本作で不意に踊ってくれる非現実的ナンバーはオコナーがモンローを送っていったシーンのみ。こういうほうが私は好き。一応驚かすネタも入ってるし、ああミュージカル映画を観た、って満足感が来た。ちょっと終盤は「家族の絆」の話がベタつき、またミュージカルでは安易な解決は珍しくないもののこれはそうとう安易で、あっさり女の不和が和解に至り、アンコールまでの間にすべてがうまくいくと、ちょっと待ってくれよ、と醒めかけた。でも「ドナヒュー6」が腕を組んで現われれば、めでたしめでたし、の明朗な気分がたちまち満ちてシラケを駆逐してしまったのだから、ミュージカル映画定型の力とは恐ろしいものだ。そこらへんを納得ずみなら、歌の数は多いし、ま楽しめる映画です。モンローは「ヒート・ウェイヴ」なんか一生懸命やってるけど、この人のキャラクターは「一生懸命」が生きないんだな。「レイジー」のほうがキャラクターに合ってたけど、すると今度はあんまりミュージカルとして映えてこない。異質感が最後まで残った。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-02-21 09:55:52)
1548.  パーフェクト・ワールド
少年に銃を拾わせ自分に狙いをつけよと言うブッチ、ラストの伏線でもあるが、少年にとって不意に「父」のようなものが目覚ましく現われた瞬間でもあって、ここから逃げ出す早朝の感じなんかいい。伏線と言えば、動き出した車の前でブレーキをかけるまで動かないのもそうだ。そういうふうにシナリオを組み立ててるんなら、「あそこ」でピッと決めて終わりにしちゃえばいいのに、なんかこの人の映画はいつもちょっと長い。そのあと原での向かい合いが続く。退屈はしないんだけど、なんか着地後に演技してる感じ。ローラ・ダーンは必要あったのか。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-18 13:24:17)
1549.  関東無宿
松原智恵子はどこ行ったんだ。時代がよく分からない。物語で捉えようとすると変なまとまりのない話で、清順監督でなかったら、そのことだけでダメって言っちゃうんだけど、それが魅力になるから困るんだ、この人。親分もきたねえ、子分もきたねえ、と一人で嘆いている男が主人公なの。面白かったのは、ドンツクドンドンツクツクのリズムがだんだん激しくなっていって、中原早苗の危機と重なるところ。伊藤雄之助とのサシでの花札勝負もいい。一番の見せ場は、やはり賭場を荒らされて逆に斬るところね。歌舞伎的な趣向だもんで、ロングの舞台風の画面が生きる。どこか安っぽさがつきまとうんだけど、この監督は「安っぽさ」を突き詰めようとしているところがあって、それがちゃんと滲みてくるときもあれば、ただ軽く見えてしまうときもある。監督のしたり顔がスクリーンの背後でちらついて見えてしまったりするとダメ(伊藤弘子とのシーンで、外だけ照明が落ちたり中だけ落ちたりする心のうつろいも似たようなもの)。もうちょっと見せ場を長くしてクラクラさせるとこまで行ってくれればもっと良かった。
[映画館(邦画)] 6点(2011-02-16 12:26:20)
1550.  殺しの烙印
正直言って、日活首脳部の気持ちもちょっと分かるな。どの程度までギャグとして見ていいかわかんないから困っちゃうとこあんのよね。水道管のシーン。飯の匂いを嗅ぐ、ってのもそういうとこあるし。ライター広告からの狙撃はマジでしょ。アドバルーンは△ね。南原君と二人の対決シークエンスなんか、荷物に腕組んでドアに立つなんてとこは生き生きしてんの。迷いなく純粋にいいなと思ったとこは、波止場のシーンで撃たれた相手が落ちて縄に引っかかるところ。蝶だらけの部屋とか、8ミリ映像との会話とか、変に凝ったとこはかえって軽く見えてしまった。といってこの監督は「変に凝る」ところをみな楽しみに観てるんだから、気分が合わなかったってことかもしれない。この人の映画は、観るときの気分が大事なんだ。だいたい様式的なものってのはみなそう。たとえばミュージカル観て、なんでこいつら急に踊り出すんだ、なんて気分になったら、即、中止したほうがいい。
[映画館(邦画)] 6点(2011-02-14 09:43:32)
1551.  狼王ロボ 《ネタバレ》 
家族が出来たロボがインディアンの廃墟に住む、ってのは原作がそうなってるのか。ロボより先に土地を追われたものへの視線は、どの程度意図的だったのだろう。60年代後半だと、そこに批評的な眼がありそうだが、この映画が作られた前半は微妙な時期。少なくとも現在観るものにとっては、インディアンとロボが重なって見えてくる。そして伝説に流れ込んでいくあたり、展開としてはうまい。シークエンスの間に入るロボの歌が、カウボーイの伝説としての味を出している。こういう動物ものってのは映画でしか出来ないな。舞台でぬいぐるみでやったら悲惨だし、人形劇だと舞台が狭く、伝説というより童話になってしまう。ま、放送劇ならなんとか可能かもしれないが、視覚を伴うとなれば、実写かアニメかの映画しかないだろう。それはやはりフィルムがもともと記録のためのものだからで、とりわけロボの子ども時代は物語よりも記録性が強く、こういう「語り」はフィルムでのみ可能だ。でもあくまでこれは劇映画であり、そこが割り切れているから、たとえばテレビの動物ドキュメントなどでよく見られる中途半端な擬人化による不潔感は、かえって感じなかった。とはいえ、この手の映像がさかんにテレビで流れる現在見るといささか素朴で、その懐かしい素朴さが味わいと言えば言える。ロボは、徒党を組んで牛を襲い賞金が出ていると解説的には知らされるが、映像ではもっぱら家族レベルで描かれてたので、ラストで急に仲間がわらわらと出てきたのには、ちょっとつながりが悪かった。でも締めとしては効果的なスペクタクル。そうそう、こういうのはずっと音楽が鳴りっぱなしなんだよね。ちょっとした動作にもそれに合った音楽がいちいち付いて(「逆ファンタジア」か)うるさくはあるけど、これもなんか懐かしい。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2011-02-09 09:59:26)
1552.  イージー・ライダー
なんか大昔のことみたいね、あの元気のないヒッピー・コミューンとか。ああいった人たちは今どこに行ってるんだろう。南部のいやらしいネトネトした部分だけ生き生きしてる。つまり「自由に生きる」というイメージの貧困さが、時を経てアラワになっちゃったってことか。結局あの時代のムーヴメントがたいした成果を残せなかったのも、そういう弱みを持ってたからだろう。オートバイの旅どまりじゃいけなかったのよ。もっと「寒さに震えるような自由」まで突き詰めるべきだったんだろう。あんな炎で祝福されるような死を与えてはいけなかった。全体に宗教に寄りかかっている気配もあった、それも限界。街のないアメリカ、風景だけのアメリカを見せてくれたっていう面はあった。などと不満をもっぱら述べたが、それも映画が時代を、作者の意図を越えて正確に写し取ってくれていたからで、これもフィルムの力だ。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-07 09:50:24)
1553.  倫敦から来た男
ワンカットの中で、しばしば「近いアップ映像」と「遠いロング映像」が入れ替わる。とりわけ浮き輪を投げて始まる、刑事が来たときのカットが面白かった。その舞台の広さが実感として伝わる。そういう何事かが展開している長回しもあるんだけど、ただカット尻を引き伸ばしただけのようなのもあって(娘の食事とか、妻の嘆きとか)、映画全体のリズムとして、ラルゴの曲の調べを聴いているような味わいの統一は出るものの、よくわかんない(『ヴェルクマイスター・ハーモニー』でも、延々と暴徒の行進を何分間かただ映してたとこがあったけど、それはちゃんと圧迫感として迫ってきてた)。それを補うためか、ときに音楽が鳴り続け、これはちょっとうるさい。同じ曲想を延々と繰り返してるんだから、まあ時間の停滞感は画面とフィットしてるんだけど。(たぶん)そういう音楽のように時間を味わう映画なのであって、物語を理解させるのには不向きな手法。はっきり言って、理屈で展開すべき推理系ドラマとしては無理がある。こちらは漠然と、そういう話なんだろうと、理解したつもりになっただけ。いかにもシムノン的なすがれた感じは満ちているし、白黒の画面は美しい。ラストのブラウンの妻は、監督の指示か本人の体質か知らないけど、長いアップで一度もまたたきしなかったんじゃないか。『サイコ』のジャネット・リーより大変そう。
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-06 09:45:05)
1554.  尼僧の恋 マリアの涙
伝染病蔓延のために解き放たれる見習い修道女。火事で牢から放たれる囚人のようなものか。一ときの自由で少女のころから封じ込められていた感情が出てしまう、ってな話。継母とその娘たちってのはシンデレラ的設定。まあ、どうしてもヤソ教の融通のなさがピンと来ないもので、汎神論の国の人間は、やめちゃえばいいのに、と無責任に思ってしまう。恋人の新婚夫婦が向かいで暮らすなんて、うまく持っていけば寓話的な広がりを持てそうなんだけど、あんまり生きてこない。距離感もよく分からない。ヒロインのプロモーション映画って感じもある。でも、尼僧姿ってのはいいものだ。あっちの人にとっても、なんかくすぐるものがあるんじゃないか(日本なら仏教の尼さんより、喪服姿。禁欲をことさら表明することでかえって匂い立つエロティシズム)。V・レッドグレイヴは貫禄だが、なんか作品に重しをつけるための特別出演用女優になりかけている危険を感じたものでした。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-05 10:02:12)
1555.  私は好奇心の強い女
いかにもあの時代にふさわしくインタビューで始まる。スウェーデンに階級は存在するか、って。ここらへんテキパキとしていて面白い。労組の事務所に行ったり、スペイン帰りの人にフランコについて尋ねたり。またパルメ教育相との実際の対話、マーチン・ルーサー・キングとの構成されたインタビューなども織り込まれる(パルメはベトナム反戦デモに大臣として参加し、アメリカ大使が抗議して本国に引き上げたのが68年。ついでに言うとパルメは首相になっても米軍の北爆を「ナチス以上の蛮行」と公言した。のちに暗殺される)。スウェーデンというとまず「フリーセックス」とくるのが当時の一般的認識傾向で、この映画もそういう「スケベ」の線で話題になったのだが、もうひとつ「ラジカルな平和主義」も忘れては悪い。この毛沢東主義に注目が集まっていた時代に、中ソにも否定的な意見を述べたくだりがあって、そういうとこ真面目。ボカシがはいると、テレビで「映像が不鮮明で申し訳ない」というアナウンスを入れるのがおかしい。非暴力主義の軍事訓練のパロディは、もひとつそっちの社会情勢が分からないので、笑えなかった。ヒッピー風の禁欲生活を対象化したおかしさもあった。懸賞付きクイズも入る。そういう、もうあの時代の匂いプンプンのポップな映画。しかしいろいろ政治の時代とその風俗をコラージュしながらも、政治の現場から遠い地点にいる若者たちのいらだたしさみたいなものを感じたが、当たっているかどうか。主役の女学生を演じたレナ・ニーマンと、ベルイマンの『秋のソナタ』で病気の妹を演じたレナ・ニーマンとが同一人物かどうか確認していない。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-02 09:34:08)
1556.  ゴールデンスランバー(2009) 《ネタバレ》 
最初のうちはかなりワクワクした。巻き込まれていくあたりの緩から急への展開。少し無理があるかな、と思うところがあっても、とりあえずリアリズムの線で見ていられたけど、ショットガン撃つ刑事やら通り魔君やらが絡んでくると、ファンタジーの線に近くなって、もうちょっとリアリズムの地平で踏ん張ってもらいたかった。こういう話ならば、そうでないと締まるところが締まらない(事件後すぐに容疑者を、市民の視線がある住宅地で警察が普通持ってない武器で殺しちゃ、オズワルドにも仕立て切れないんじゃないか)。いや、あの二人の演技はいいのよ。浜田岳はもちろん、不気味に上機嫌な永島敏行もそこだけ取り上げれば印象に残るキャラクターになってるんだけど、全体から見ると「邪魔」って気がした。そういった夾雑物が多すぎ。それは映画を活気づかせるより、主人公の「追い詰められぶり」を薄めてしまっている。まあつまりこれ、巻き込まれ型サスペンスっつうより、ほろニガ青春回顧もののほうに比重がいってる、ってことなんだろう。テレビレポーターが、主人公の「正義の味方」のときの画像に「そう言えば人を見下したような表情をしていたのが印象的でしたね」とかいうコメントを入れてたのが、実にアリソー。終わって冒頭を見直したら、ちゃんと子どもが母親に、ある仕種をしていた(あの階で彼がエレベーターから降りたことを竹内結子はどうやって確認したのか知りたかったんだけど、そもそもあの夫婦、彼がハンコを確認しているわずかの時間で、グルッと回っただけですぐにエスカレーターで降りてたが、あれはエレベーターがあの階止まりだった可能性を示唆する行動であって、ならまあ納得できるが、しかしエレベーター停止シーンで耳を澄ますと「3階です、下へまいります」のアナウンスが聞こえ、また竹内結子はエレベーターに乗ったさい新たにボタンを押していたのだから、すでに屋上から乗っていた彼はより下の階のランプを点灯させていたはずである、しかし点灯している階は彼女が押した左上隅の一つのみにしか見えず…。あ、そうそう、リアリズムじゃないのね、ファンタジー、ファンタジー…)。
[DVD(邦画)] 6点(2011-01-31 10:36:00)
1557.  火宅の人
一番良かったところは、警察署でいしだあゆみが原田美枝子のおでこを叩くとこ。頬を引っぱたかないで、「めっ」って感じなの。フトコロが深いという表現でありながら、変に悟った感じを伴わず、滑稽さで対象化しちゃってるっていうか。ラストの「あなたのすることはみんな分かってんのよ」なんてとこは、そのセンスに欠けて、もひとつ鮮度が落ちてしまう。もちっと時代がプンプン匂う映画を期待したが、流行歌も出ず、そういう趣向の作品ではなかった(音楽は最悪だった)。あたりにどれだけ迷惑をかけても、そのことを自覚していればそれだけで許してもらえるんじゃないか、という甘えた男の話なんだけど、でもこれ、日本文化の一つの型なんだろうな。上方歌舞伎に出てくる放蕩息子の末裔って感じで。放浪って言っても厳しいものじゃなく、遊山の変形みたいなもので、金がなくなりゃ帰ってこられる家がある。それをただ甘えと否定してしまわず、そういう弱さを認め合ってしまうような土壌(本当はそれをこそ否定しなくちゃいけないのかも知れないが)、そういう文化の風土が描かれている。それはただの男尊女卑になってしまうこととは、微妙な差があるようなんだけど。夫婦の間での丁寧な言葉づかい、冷え切った感じを出すのではなく、ちょっとゲームみたいな感じを出していて、いい。
[映画館(邦画)] 6点(2011-01-28 10:19:28)
1558.  カッスル夫妻
伝記ものという枠があるせいか、ミュージカルとしての楽しみはこのコンビの他作品に比べて、ちと落ちる。前半はいいところもあるんだよ。駅でのタップシーンは、こじんまりしているけどやっぱ楽しいし、ドライブに誘うときの二人の心のゆらめきを、犬を小道具に使ってうまく見せる。あるいはプロポーズするときの、明るい部屋と暗い部屋の対照の妙。つまり結婚するまでは、普通のミュージカルものの型通りで手馴れているわけ。ジンジャーの下手な悪魔の踊りがあったりというサービスも含めて。ミュージカルってのは、非日常的な恋愛状態で一番ふさわしく、本来結婚で終わらせるものなんだなあ。生活のある二人の暮らしになると、肝心のダンスシーンがも一つ酔わせてくれない。監督のせいなのか振り付けのせいなのかは知らないけど、ダンスがダンスだけの表現で閉じちゃってるってことなのか。軍隊帰りの旦那と踊るとこが、まあミュージカルっぽいけど、あんまり高揚させてくれなかった。アメリカを転々としているシーン、地図の上で踊ってて、蟻のような群衆がうじゃうじゃと湧いてきて踊るってのは悪趣味でしたな。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2011-01-26 10:15:38)
1559.  危険な遊び(1993) 《ネタバレ》 
向こうは悪は悪としてきっぱり断罪するからなあ。あの母親、これから一生クヨクヨ悩まなくちゃならなくなるんだろうな、と後味悪い。主人公のほうが精神的に危なくみられてるあたりがミソ。最初の木のぼりで、カルキン君がイライジャ君を宙吊りにして助け上げるのが伏線。妹への殺意がいま発動したってのに無理はないか、という気にもなるが、イライジャ君の登場で均衡が破れたってことなんだろう。アヒルのおもちゃが出てくるところは、もう少し何か出来なかったか。いい仕掛けなのだが、も一つ迫力がない。最後ぶら下がって、両手で僕を助けてよ、と言う。欧米人はこういうふうに悪魔はささやくと見るわけだ。キリスト教世界の厳格さ・容赦のなさは、つねづね映画を見ていて、我々のナアナアでやってきた世界と一番違いを感じるところ。ナアナアの世界も悪くないよ。ま、この映画の現在での価値は、『ホーム・アローン』後のカルキン君と、『ロード・オブ・ザ・リング』前のイライジャ君の、選手交替期のすれ違いを目撃できるってところか。
[映画館(字幕)] 6点(2011-01-24 09:59:05)(笑:1票)
1560.  時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース! 《ネタバレ》 
天使像があたかも飛翔しているような冒頭のカットには興奮したものだったが、この人の映画は何か「監督の世界観」が出てくるとしぼんでしまう。映像的には白黒場面のカメラがゆらゆら動き回るカットなんかいいところは多いんだけど、それが話の必然性の裏打ちが弱いんで、淡々とし過ぎちゃうっていうか。天使が人間になってつまんなくなっちゃうのは、そういう設定なんだろうが、そのつまんなさの縮小感が映画そのものにも当てはまってしまった。後半なんだかよくわかんないまま悪漢ものになっていって、空中ブランコで荷を運ぶあたり、ちゃんとした活劇もののなかでのアイデアなら、なかなか面白いと感心したかも知れないが、こうヌルヌルした展開の後で見せられると、電球のコードがもつわけがない、などとヒンヤリ見ている己れがいた。
[映画館(字幕)] 6点(2011-01-22 10:12:49)
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