141. 悲しみよこんにちは
ガキってだめだなあ、なんの魅力も無い。『勝手にしやがれ』の彼女はもうオトナだった。 [DVD(字幕)] 3点(2012-09-02 08:35:48) |
142. フローズン・リバー
ネタバレ ぎりぎりのレヴェルで食いつないでいる白人と先住民、ほとんど暗い夜のシーンばかりで、つまりそのような幽閉・囚われが人生なのだ。賭けとしての「凍れる河」への逃走、映像的な良さはここだけ、ここだけが良い。リアル調で構わないのだが、この映画は好きにはなれない。好きになれた人はエライ。 [DVD(字幕)] 5点(2012-08-29 13:38:18)(良:1票) |
143. 運命の女(2002)
ネタバレ ダイアン・レインの体当たり演技に感謝というような映画で、それにつきる。邦題がだめ。「浮気」なのである。「運命の女」なら、「家庭」を棄てるべきところ。白人有閑階級の退屈には同情できないし、ただただ「家庭」のために尽くす夫という設定も平板である。だから「家庭」という設定が聖域のように君臨するのが、アメリカ映画の基本中の基本。暴力・破壊が大好きなアメリカ映画は「家庭」を守るという大義名分のもと、なんでもするということ。 [DVD(字幕)] 5点(2012-08-27 10:30:19)(良:1票) |
144. 水の中のつぼみ
ネタバレ シンプルな設定で、それなりに見せてしまう。それだけだが、この長回しの「それだけ」がなかなかなものなのである。 いろいろケバケバしいものを見せる用意が無ければ(10億円使った爆破シーンとか、そんなものが映画というわけではないのだし)長回しに限る。 [DVD(字幕)] 5点(2012-08-16 13:08:16) |
145. 泥棒成金
ネタバレ 代わりの代わりの代わりの・・・であることが、終盤で一挙に判明する。父親の義足の代わりを行う娘、つまり男の代わりに女の犯行、さらに黒幕の代わりの実動部隊、そして、ほんとうに面白いハナシ(主人公が犯人)の代わりに万人受けする(犯人は別に居るという、客体化の)結末。ずっと、ひょっとしたら主人公が犯人かと観客は思い続け、これこそがミステリー要素を兼備したサスペンス(宙吊り)そのものである、ラストで「ぶら下がる」(suspend)犯人なんかよりも。フィルム・ノワールふうに黒を強調した夜のシーンが美しい。 [DVD(字幕)] 6点(2012-08-16 13:03:17) |
146. わたしを離さないで
ネタバレ クローン人間製造やら臓器移植やら、設定が嫌な感じの「ないハナシ」系の映画で、形式面に触れる気さえしない。こんな映画さえも臓器移植の正当化につながるのだろうか。 [DVD(字幕)] 1点(2012-07-25 23:37:32) |
147. ヘルタースケルター(2012)
ネタバレ この監督の専門である写真撮影シーン(空虚な成功というものの記号)が5割くらいは占めているように感じた、これはちょっと多すぎでワンパターン。原作に忠実な形式であるとかはともかく、映画のコンテキストではオーソン・ウェルズの『市民ケーン』や『上海から来た女』を想起した。そう思うと親しみが湧いた、が、『市民ケーン』における映画の語りの余剰部分としての「ローズバッド(バラの蕾)」のようなもの、つまり視点からこぼれ落ちるもの、を『へルタースケルター』も追求してもよかったのではないか。もっとこぼれ落ちるべきなのだ。だから、ラスト近くで渋谷の交差点で進行役的な人物(大森)が作品を包括的に説明するかたちは不要であろう。 [映画館(邦画)] 5点(2012-07-21 22:24:09) |
148. 白いカラス
ネタバレ 盛りだくさんで消化不良な感じ。キッドマンの話題はなくてもいいし、ホプキンスが芝居がかっていて、もっと抑制した味を出したほうがいい。内容的にはいちおう考えさせられるのであり、実は黒人でありながら白人のように肌が白ければ、白人コースを選択するだろう、そりゃ有利だから誰だって。現実の差別の壁があまりに厚いので、タテマエとしての、差別語の「言葉狩り」だけが盛んなのだ。いずこも同じ。 [DVD(吹替)] 4点(2012-07-16 13:40:18) |
149. 鳥(1963)
ネタバレ 結局、母(姑)の嫉妬の表現としての鳥の攻撃ということなのだ。ヒロインが鳥に襲われる様は『サイコ』に酷似するし、瀕死の傷を負ってこそ姑に赦されるエンディングである。息子を嫁に奪われる母(姑)の不安や嫉妬を外的なパニックで表現するのは無理があるはずだが、ヒッチコックという人のマザコンぶりが暴発しているのであろう。 [DVD(字幕)] 7点(2012-07-16 13:14:52) |
150. 隠された記憶
ネタバレ ストーリー語りにおいてあえて「非経済的な」語りをめざした挑戦的な映画である。「非経済的な」語りだから退屈なシーンも挑発的に長いし、観るにはキツイ衝撃シーンも二つ挟まっているが、これらの衝撃も「非経済的」だ(ふつうに「楽しみ」を求める観客存在にとって)。この映画が主人公の側に視点を寄せているために、妨害する主人公の脇から(いわば主人公の思惑の彼岸に)観客が真相を看取する(これがいまいち不明なのは惜しい)という、興味深い例となっている。 [DVD(字幕)] 7点(2012-07-16 13:05:15) |
151. 裏窓(1954)
ネタバレ 「覗き」の裏窓での何気ない会話の数々が快感である。決して、こちら側の結婚をめぐる会話と連携する話題としてのあちら側(向かいの複数の窓)の画像の数々があるという見え見えの発想ではなく、ただ単に裏窓の視空間を前にしての何気ない会話として快感なのである。ヒッチコックはだからミステリーなどで勝負するような人ではない。あのセールスマンは実は犯人ではなかったというオドロキの研究書も、したがって 無用な気がする。 [映画館(字幕)] 10点(2012-07-08 13:11:15) |
152. 古畑任三郎ファイナル 今、甦る死<TVM>
ネタバレ 世評が高そうなこの作品より、フルハタは、堺正章の巻が最高だろうと思う。あれなら8点である。フロイト的な意味で、「主体」は抑圧の上に成り立っている。完全犯罪を目指す主体だが、そもそも主体(大いなる無意識を抱え込む)はとうてい「完全」ではないのにその自覚がない(自覚がないから表面上は気楽に暮らせる)。「主体」(堺正章)は裏方さんの仕事内容を知らない。犯罪の主体は、「主体」である限り不可避に犯罪の痕跡(「主体」にとっての死角)を残してしまい、古畑のエジキとなるわけ。 [DVD(邦画)] 5点(2012-07-05 20:06:58) |
153. デッドマン(1995)
ネタバレ 眼鏡をかけたジョニー・デップがまず映像的な要諦であり、その見た目(主観ショット)として淡々と風景が流れていく。が、ジョニーととりあえず同一化はできない。やがて、相変わらず淡々と、次から次へと暴力がある。ジャームッシュの一見「無意味な」ロードムービーだが、無意味ぶりに師匠ヴェンダースとは違った硬派な何かがある。ところで、「意味」はある、ネイティブアメリカンとの親近性こそが、それ。白人の眼鏡は「交換」され奪われなければならない。あとは眼鏡をはずしたジョニー・デップの顔で映画は進むが彼が「主体」では、ほぼ、ない、という凄さ、がこの映画の凄さ。 [DVD(字幕)] 5点(2012-07-02 14:29:54) |
154. ハピネス(2007)
ネタバレ 鏡像の巧い利用の二例。1)男への恋愛感情が定着した段階で、女が自らを鏡に映して幸福感を確かめる。2)男が去っていくとき、見送る女の背後のガラス戸に男の後ろ姿が写っている。後者の例は、この監督ホ・ジノの長回し手法の一環であって、見た目(主観ショットのモンタージュ)をできるだけ使わない結果である。長回しが、見た目ショットを切り詰めるのは、眼の話にしたくない、というか、身体や情況で映画が動いているのだよ、ということだ。とにかく、ホ・ジノ大好き。 [DVD(字幕)] 8点(2012-07-02 14:03:25) |
155. 1408号室
ネタバレ まだ何も生じていない段階で動くカメラが、何者かの視点であるかのようで、恐ろしい。やがてこれでもかとホラー攻撃が極端なものに成長(荒唐無稽化)していくとかえって醒めてしまう。そして結局この部屋から出られない(自分という檻からは出られない)としたら、それこそが最も恐ろしいのであり、作中触れられる「カフカ的」という形容詞にそのとき真に相応しいものとなる筈だった。残念賞。だが、「カフカ的」であろうとした点においては志を感じる。 [DVD(字幕)] 7点(2012-06-25 14:23:42) |
156. ミラーズ(2008)
ネタバレ 鏡ものサイコホラーなのだが、鏡から何か恐ろしいもの(beyond reality)が出るという発想は、お化け屋敷的に怖いことは怖いが、本質的な怖さではない。鏡のほんらいの怖さは、お互いを映し合う相対性の泥沼たる鏡面、鏡の外には出られないことにある。だから例えば『上海から来た女』(ウェルズ)は、凄い。 [DVD(字幕)] 4点(2012-06-18 15:13:14) |
157. アンダーカヴァー(2007)
ネタバレ 内容的には他愛のないもので「警察友の会」的ですらある(アウトローの人物を掘り下げた方がほんらい意味深いかもしれない)のだが、この重量感はどうだ。形式面のこの充実!怖いシーンのもの凄い怖さ。 [DVD(字幕)] 6点(2012-06-18 15:04:31) |
158. 映画は映画だ
ネタバレ かつてのハリウッドの「ヘイズコード」に対する最も明快な返答である。暴力表現は「映画という枠組み」で提出されているにすぎないと絶えずことわればアリなのだ。ラストで「本物の」暴力として示されるものでさえ映画なのだ。すばらしい。ブレヒトの『都会のジャングル』という初期の名作も併せて想起した。つまり、ここでの暴力表現は「直接の」関係への欲求というせつないもの、なのである。 [DVD(字幕)] 8点(2012-06-11 16:15:16) |
159. マイ・ブルーベリー・ナイツ
ネタバレ しつこいまでの180度ライン越え(齟齬の表現)が明確なアクセントになっている「こだわり」感が、ハッピーエンドまでの時間を構成する。 [DVD(字幕)] 5点(2012-05-30 23:14:54) |
160. 探偵物語(1951)
ネタバレ 「ワイラーの階段」がでたー。『黒蘭の女』のラストの肯定的な大逆転の階段もあれば、『探偵物語』の暗転の階段もあるというわけだ。『女相続人』の、駆け落ちの相手にすっぽかされた主人公が自室へと戻る際の、失望の長い階段、というのもあった。 さて「内容」だが、罪に対する厳格主義の主人公について、「父を憎んでいるから」という「精神分析的な」説明がなされるとき、観客はなんだか大きく頷いてしまう仕組みなのであろう。エディプス期を円満に「卒業」できていないゆえに、マザコン男としてバランスを欠き、過酷な超自我を模倣してみせる、のだろうか。 [DVD(字幕)] 5点(2012-05-30 18:27:14) |