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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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141.  裏切りの戦場 葬られた誓い 《ネタバレ》 
一応説明すると、フランス領ニューカレドニアで1988年に起きた独立派による人質事件の経過を描いた映画である。邦画「天国にいちばん近い島」(1984)のわずか4年後であり、その場所も同作の主人公が“天国にいちばん近い島”を発見したウベア島でのことだというのは皮肉な話である。 ストーリーは事件の経過を主人公の視点から丁寧に追う形で進められている。主人公が一貫して交渉により人命の損失を防ごうとするのは理性的であり、またどこまでも次善の策を追求する執拗さも備えている。本人は「交渉人」(字幕)と自称していたが、これはいわゆるタフ・ネゴシエーターの部類だろう。最後は武力行使で終わってしまったが、そこに至る過程の方がこの映画の本体であり、戦闘場面があるからといって戦争映画というわけではない。真面目に見れば密度の濃い映画だが、真面目に見なければ何をやっているのかわからなくなるので疲れる映画でもある。なおこの映画を見る上で「国家憲兵隊治安介入部隊」(GIGN、字幕の略称では「治安部隊」)と、その他一般の「国家憲兵隊」の意味は調べた方がいい。  ところで最後のキャプションでは2014年に独立の是非を問う住民投票が行われると書いてあるが、実態としては現時点でメラネシア系住民の人口は全体の半数を下回っており、その中でも独立派が大多数というわけでもないだろう。また現地のニッケル鉱山に関わる利権がこの問題にどのような作用を及ぼしているのかわからない(個人的に知見なし、劇中にも出ない)が、何にせよ現実問題として、19世紀からの植民地支配に由来する現状を今から完全に覆すのは困難ではないかと想像される。 また劇中で軍隊が自国民を弾圧していたのは許されないことだろうが、しかし軍というもの自体はフランス共和国にとってなくてはならないものだろうし、一方でそれをコントロールすべき政府が選挙戦略で左右されるような現実にしても、当事者である政治家が一国の巨大な利害を背景にして動いている以上は個人レベルの倫理で対応できるものでもない。 そのようにどうにもならない世界であっても、まずは現状を起点にして、これから先を少しでも改善するよう粘り強く努力を続けるのが現実的な道であり、それをこの地味な交渉人物語は訴えていると感じられる。フランスの植民地支配が許せないとか、だから軍隊はいらないとか簡単に言い捨てて済ませられるような話ではない。
[DVD(字幕)] 7点(2014-11-07 22:06:34)
142.  アイドル爆弾(OV) 《ネタバレ》 
まず前半部分はユーモラスな展開が非常に楽しい。客観的にはかなり深刻な状況であり、一人でいれば荒れていたりするのが映像にも出ているわけだが、何より本人がカメラの前では完璧なアイドル顔をしてみせるので和まされる。人間だから笑ってばかりもいられないだろうし、舞台裏ではいろいろあるのだろうと察しながらも、あえて表の面を賞するのが現代アイドルを愛する作法なのだろうと思わされる。 所属事務所の同僚や先輩にしても本当に親身なのかは怪しいものだが、ここは本物の事務所の同僚・先輩が出ていることもあって馴れ合いの雰囲気があり、全てわかった上で楽しんで見る気にさせられる。また少し年の離れた親友も非常にいい味を出していた。  ところで本作では広い意味でのウソが問題にされているのだろうと思うが、少なくとも前半の面白さは、アイドルをめぐる虚構に関し見る側との暗黙の合意を前提にして成り立つものと思われる。それで個人的にはこの虚構部分が非常に楽しめたわけだが、終盤ではその虚構を受け入れられない実行犯が出て、これが時代錯誤的な勘違い男に見えていたわけである。 一方、これに代わってラストで示されたのはまた別種の欺瞞であり、劇中のディレクターによれば“隠すことはウソにならない”というタイプのものらしい。この事件の真相は最後までよくわからなかったが、しかし何やら所属事務所が関与していた節もあったので、もしかするとチェーンメール的な事象など初めから存在せず、死んだ実行犯も騙されていただけなのかも知れない。そうすると、最後に出ていたドキュメント制作者もマッチポンプ的に連動していたのではと疑われる。 そういった背景が最後まで明確にされないことで、ここでは底知れぬ恐ろしさが表現されていたと取ればいいのかも知れないが、しかし結局は“何だかよくわからない終わり方”という印象が強くなっていたのは残念なことである。  なお主人公のアイドル(現・麻生かな)は、ものすごく可愛い。それはまあその筋のプロだから当然ともいえるが、演技の方もなかなか頑張っていたようで劇中人物としても愛しく感じられた。結構ブラックなお話であるから、これが本当にこの人のプロモーションに役立ったのかどうか心配になるが(先輩タレントはまともに宣伝していたが)、少なくとも自分にとって好印象だったのは間違いない…走り回ってごくろうさま、なかなか面白かったです。
[DVD(邦画)] 7点(2014-10-26 20:51:03)
143.  おにいちゃんのハナビ 《ネタバレ》 
先日、新潟市内の料理屋に行ったところ、たまたま店に小千谷市出身の人がいてこの映画の話題が出て、お互いに映画を見ましょうという話になった(出身者でも見たことがなかったらしい)。自分は真面目な人なのでシーズンが終わらないうちにちゃんと見たが、遠方のためその店にまた行く機会は当分ありそうにない。   それで内容としては最初から結末が見えており、あとはどうやって泣かすかの手法の問題だろうから、泣かせられるものなら泣かせてみろという気分で見たところ逆に打ちのめされてしまった感がある。冒頭で妹の頭を見せられてしまった後では、この病人らしくない明るく元気で世話焼きで強引な妹の言動に笑わされると同時に泣けて来て、感動のラストのはるか以前から半泣き状態になる。ひねくれた兄もこの妹には逆らえないらしいのが情けなく、同時にこの妹を愛しく思う気持ちが見ている側でも高揚させられてしまう。 そうすると、その後の明らかに泣かそうとする場面は当然として、使い捨てカイロが暖かいというだけでも、またクリスマスケーキを買う母子を見ただけでも泣けて来る。花火大会の場面では、一つひとつの花火にこれまでのエピソードで出た人々の思いが込められており、互いに大事に思い合う人々がいることもわかってまた泣かされる。最後には、題名の花火が上がったと思うともう一つ題名の花火が上がったりもして、これはもう泣かすことに関して徹底された映画だと思える。また奉納花火という性質も十分に生かされていた。   ところでキャストについて、妹役の女優は実は外見的には好みでないのだが、この映画を見ると演技で納得させるには顔の造作など関係ないと実感する。また花火グループの会長さんは、ストーリー的には妹亡き後の空白を埋める立場になるのだろうが、この人(演・早織)が何気にいい顔をしていて好きだ。ほかにも劇中では母親役を含め、女性に救われるところの多い映画だった。
[DVD(邦画)] 7点(2014-08-23 08:54:47)(良:1票)
144.  ももへの手紙 《ネタバレ》 
監督の名字が「瀬戸内の民俗誌」の著者と同じだったため、この地方にはこういう名前の人が多いのかと思ったら実の甥とのことだった。学者の親戚ということで“妖怪は神の零落したもの”といったそれらしい知識は出ているが、劇中の主要妖怪は姿形を江戸の黄表紙本から取っているので土着性はないことになる。   ストーリーの方は、意外にもごく普通の出来事が淡々と起こっただけのように見える。夫を亡くしたことで母親が気負っていたのはありがちなことであり、また父親の残した言葉も娘には謎だったというだけで、本人をよく知る人物にかかれば誰にも納得できる解釈が容易に出て来る。いずれも自分の立場を離れてみれば簡単なことだが、子どもの目からは妖怪は見えても人間が見えてなかったということかも知れない。友人関係に関しても、劇中では妖怪が去ったことを契機にしてやっと子どもらの中に飛び込む決心がついていたようだが、実際は少年も妹も最初から主人公を仲間に入れたがっていたのであり、本人がその気持ちをいつ受け取る気になるかという程度のことだっただろう。 また今治へ集団で押しかけていたのも、本当にその結果として母親が救われたことを示す場面はなく、単に関係者の気持ちの問題ではなかったのかという気さえする。劇中の妖怪連中は結局、主人公にとって何ら決定的な役割を果たしていなかったように見えるが、しかしそれは前記のように、その存在が今日では人間社会にとって必須ではないという妖怪自体の性質を反映しているのだろうし、あるいはストーリー的に安易な神頼みをあえて排する意図があったのかとも考えられる。文字通り見守っただけというわけだが、ただし出来事の大事なところを補強し、あるいは強調してはっきり見せたことで、今回のことを主人公の心にしっかり刻み付ける役には立っていたかと思われる。   以上、結果的に悪い話ではないが、内容があまりに普通すぎて大感動作ということにもなっていない。しかし主人公の少女が変にリアルに可愛らしい(おしりを叩かれて「痛ぁーいっ!」と叫ぶのが生々しい)ので、やはり少しいい点にはしておきたくなる。友人の少年も実直そうな感じで悪い奴ではないようだ。また映像美が大きな魅力になっているのも間違いないことと思われる。
[DVD(邦画)] 7点(2014-08-23 08:54:39)
145.  RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 《ネタバレ》 
まずストーリーの都合で死んだ工場長は気の毒である。また劇中の鉄道会社は、本当にこんな会社と思われていいのか、という感じの場面が多く、世の中これで通ると思っているなら困ったものである。 しかし一方、転身後の主人公が業務の習得はもとより、職場での人間関係や顧客への態度も含めて完璧な人物像に変わっていたのは見事だった。若い男の苛立たしい物言いにも、全く別次元から余裕で応対していたのはさすが年の功と思わせる。要はもともと何でもできる男なのであり、前の会社でやっていなくとも環境に合わせて変えただけのことで、どうやらこれは本当に有能な人物だったのだ、ということが主役の演技を通じて納得できた。 ただし劇的な転身を図ったこの主人公だけが特別ということでもないらしく、劇中の“変われるうちは老人ではない”という発言のように、変わるときにはいつでも変わる、といった程度の気分で構えているなら万人にも可能だろうという気がした。  ところで主人公の転身の話は前半で終わったようで、後半は周囲の人間との関係が重点になっており、特にこれまで構ってこなかった一人娘には伝えることが多かったらしい。劇中ではこの娘の立ち位置が微妙に見えており、世間知らずな甘ったれと素直ないい子の間にいて、父親に反発しながらも断絶はしておらず、次第に父親側に寄り添っていくのが自然に表現されていた。特に社会に対する責任ということを何気ない事件から学んでいく展開は巧みに思われる。また人物の外見としても、清潔感がある一方で色気もあって可愛らしいので見惚れてしまう。  そのほか、この映画では鉄道周辺の風景が非常に印象に残る。広い空、美しい雲が映像化されているかと思うと、劇中での発言通り天気が変われば印象も変わって来る。また普通の農村かと思っていると駅のすぐ向こうに宍道湖の湖面が広がっていたりして、これが出雲の景観なのだという感慨があった。
[DVD(邦画)] 7点(2014-07-29 19:51:55)(良:1票)
146.  リアル鬼ごっこ5 《ネタバレ》 
[2018-08-17修正] このシリーズは3以外見ない予定だったが事情があって4を見てしまい、同じ監督だったこともあってこれも見た。 3と4はそれぞれ孤立的な物語だったが、やっとこの5で三部作の全体像が示され、スケールの若干大きい荒唐無稽な未来物語(なんと西暦3000年)としての展開も見られるようになる。また、そのような真面目に見る必要のない部分以外のところでちゃんと登場人物の人間ドラマも作ってあるが、今回はかなり笑いあり涙ありの感動作で、三部作中ではかなり異色の印象がある。  3と4では高校生が主体だったため、映画自体の対象年齢もその程度だろうという気がしていたわけだが、この5は大人が主人公なので精神年齢を高くして見なければならないかと思えばそうでもなく、純粋で一途な真心は必ず届く、といった感じの非常にベタで気恥かしい純愛ストーリーになっている。黙って傘を置いたのを見られていたなど恥ずかしくて笑ってしまう。 しかし3、4と同様に柔軟かつ寛容な態度で見れば見られる物語にはなっており、特に付箋の裏に書かれていた言葉には不覚にも泣けてしまった。自分としては業務用のメモであってもこういう余計なことを書かれてしまうと捨てられなくなって困る性格であり、これは弱いところを突かれてしまった気がする。今回は素直にハッピーエンドといえる物語だったのも嬉しくなる。 結局のところ、今回を含めた三部作は同じ設定のもとで統合された形にはなっているものの、その設定自体に大した意味はなく、3~5それぞれ独自のお話を作っており、かつ自分としては全て嫌いでない(好きだ)という結論に達した。全部見てシリーズとしての愛着もわいて来たので全部を好意的な点数にしておく。  そのほかこのシリーズは若手女優の個性的な魅力が見どころだったわけだが、今回はヒロインがあまりに正統派(洋風)美女のため、最初は少し冷たい目で見ていた。しかし最終的には守ってあげたい/守られたいキレイなお姉さんに見えてきて、今回も一応これが見どころだった。ほか男連中もなかなか面白かったと書いておく。 なお余談として、終盤の採血室に張り渡してあった赤い布は、見た目が“血”をイメージさせる以外に現実的な機能のない代物だったが、これはこれで低予算という条件下での一つの工夫なのかと思ったりした(同じ監督の以前の映画で似た感じのものがあった)。
[DVD(邦画)] 7点(2014-07-22 23:57:48)
147.  リアル鬼ごっこ4 《ネタバレ》 
[2018-08-17修正] このシリーズは3以外見ない予定だったが、この4に関してはキャストの一部を自分が人物登録したこともあり、一定の義理があるような気がして見た。 今回は3の序盤から分岐する形で金髪男が主人公になり、また途中で5と共通の場面を設けることでシリーズの一体性を出している。基本設定は当然同じで登場人物も高校生だが、前回よりは少し骨のある連中のようで反撃にためらいがなく、爆弾という画期的な武器も使用するほか、3以降で初めて刃物を使ったのが女子だったのは頼もしいことだった。倒れた敵にさらに一発くらわせるといった場面もあり、このくらいやってもらうと見ている側でもストレスが軽減される。  今回も劇中にちゃんとドラマが作られているので真面目に見なければならなくなる。当初段階では、姉御女子の共闘主義と金髪男の孤立主義が対立関係にあったが、細かくいえば姉御女子の方は“他人を助ける代わりに自分も助けを求める”、金髪男は“他人を助けない代わりに自分も助けを求めない”ということで、表裏の関係だがお互い様という点では両者とも筋が通っている。この二人が衝突した結果、金髪男が行動方針を修正して“助けを求められたら見捨てない”という形で両者が一致したということらしい。 また姉御女子に関しては、漢気があるのは結構だが完璧主義が常に通用するわけでもなく、最後は“他人を犠牲にして自分が助かる”ことの決断を迫られていた(同時に妹分も助けていた)。一方で腹黒女子は見たとおり“自分が助かるために他人を犠牲にする”という方針だったが、姉御女子に助けられてからは“他人のために自分を犠牲にする”という正反対の行動様式を一気に受け入れて、これも姉御女子の最後の決断を後押ししていた。当初の方針が修正されて高次の認識に至るのは前作と同じだが、それまでの間に仲間の命が失われてしまったというのも同様である。  ところで今回は女子高が舞台のため主要キャストに女子が多い。うち姉御女子(若葉ツカサ)役の相楽樹という人は美少女ともいえないが、出演者インタビューなど見ると何ともいえない愛嬌があって注目された(先日結婚してしまったが)。またその妹分(ユイ)役の未来穂香(当時)という人の女の子演技が可笑しく、このキャラクターに笑わされる場面が物語の過酷さを緩和している。腹黒女子(マユリ)の前田希美さんも結果的に重要人物の役で、多彩な若手女優が見どころの映画になっている。
[DVD(邦画)] 7点(2014-07-22 23:57:39)
148.  リアル鬼ごっこ3 《ネタバレ》 
[2018-08-02再視聴後] シリーズ中で1、2は見ないで3だけ見たが、これは案外まともな映画を作ろうとしたのではという気がした。劇中の国家体制はとても真面目な考察の対象になるものではないが、これはこういうものとしてそのまま受け取ることが要請されている。また殺戮の場面もそれなりに悲惨だがスプラッターにはしておらず、余計なものを削ぎ落してシチュエーションを純化した印象がある。 自分であれば殺される前にせめて1人くらいは相手をぶち殺してやろうと思うだろうが、劇中の高校生はなかなかそんな気にもならないようで、いつまでも鈍器で防戦する程度なのが情けない。しかしそのように反抗的でありながら、体制的に抑えつけられているため決定的な行動をとれないでいるのは現実の学校生活を反映していると思えなくはない。  物語としては、常識外れの状況で多数の人が死んでいく中で、残された者が次第に自分を変えながら生き延びようとする話になっている。親がかりだった主人公に対して、自分自身の力で生きろ、と言うのは親の立場としては当然のことだが、別に孤立して生きろと言っていたわけでもなく、実際はその後の展開の中で、他者と互いに影響し合ったり支え合ったりする関係がありうることを知らされていく。主人公以外にも、例えばライバルが主人公を非難した言葉が、そのまま自分に返ってきていたことに気づかされる場面があったりもした。終盤、ノイジーなメインテーマが鳴り始めてライバルだった男がスタートの合図を出し、そこで主人公が我に返って走り出したのは少し感動的だった。 またこの映画で強い印象を残したのが主人公と一緒にいた女子生徒である(演・山谷花純)。当初は心を閉ざした状態だったようだが、校内社会の枠組みが壊れたことで殻を破ったように主体性を発揮するようになり、土壇場で見せた顔などはけっこうな迫力を出していた。容貌としては目が大きいのと眉がくっきりしているのが野性的な印象で、普通の美少女タレントのようにも見えないので、こういう人を女優の卵というのかと当時思っていた。ちなみにこのとき中三とのことで2歳上の役をやっており、出演者インタビューを見てもしっかりと自分の考えを話す人だった。 そのほか、冒頭で疾走していた女子生徒(演・町田佳代)は必死の形相が可哀想だったが、身が軽そうで若い人は元気があっていいなと思わせるものもあった。この場面は終盤に入ったところで本編ともリンクしている(飛ぶように走っている)。
[DVD(邦画)] 7点(2014-07-07 21:46:48)
149.  劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語 《ネタバレ》 
いたいけな少女をシビアな環境に置くという趣向自体は珍しくないのだろうが、このアニメでは劇中世界そのものの苛酷さが半端でない。エンディングでは不安をかき立てるテーマ曲をバックに女の子走りをする少女の姿が痛々しく、劇場版ではこれが前編の最後に1回だけだが、TV版では3話以降これが何度も繰り返されるので心の痛みが次第に増していき、続けて次回を見なければ済まない気にさせられた(劇場版の話ではないが)。  ところで劇場版ではマミさんが魔法少女になった経緯が出ていないのはなぜか不明だが、彼女としてはとりあえず現状を肯定するため「人助け」を当面の目的扱いしていたように見えている。しかし、まどか・さやかがこの点に共鳴したのは入口として明らかに間違っていたらしく、これはマミさんのかなり意図的なミスリードに思われる。その後の展開は、広い意味でのヒーロー物が前提としていた古典的で素朴な「正義の味方」像に対し、現実的で冷淡な認識を容赦なく執拗に突きつけていたように見える。 またこのアニメ独自の問題提起になっているのが希望と絶望の問題である。現実に裏切られたことで当初の希望が反転し、現に希望をもって何かを目指す者を冷笑する人物に変わってしまうのは実社会でも起こりうることだが、さらに劇中では希望が必ず絶望で報われるとまで言い切ることで、登場人物をとりまく世界の救いのなさを印象づけていた。希望と絶望の総和がゼロというのが正しいかはわからないが、これはこれでわれわれのいる現実世界の実態を端的に表現したものと感じられる。 以上、この前編の範囲で見ていると、かつての子どもが現世への失望を経てオトナになり、一度は憧れた「正義の味方」を貶めて格好つけて見せただけのようにも取れる。しかし一方では世評の高い「結界」の表現など、やはりただならぬアニメと感じさせるものはあり、途中経過としてもある程度の点数は付けておかなければならない気になる。  なお後編が字数制限にかかるのでここに書いておくが、個別の魔女退治の場面で特に強烈な印象を残したのは、何といっても青空にひるがえるセーラー服だった。ここでは得体の知れないものへの警戒感と爆笑の衝動が一緒に襲って来る。
[DVD(邦画)] 7点(2014-04-21 21:55:35)
150.  洋菓子店コアンドル 《ネタバレ》 
色彩豊かなスイーツの映像だけでも心なごむ映画と予想するわけだが、実際見ると主人公があまりに破壊的な人物のため事前のイメージが砕かれてしまう。 とにかく感情制御に問題があって、自分の心の安定を保つためには客観性も常識も思いやりもなくなるらしいのが大変なところである。特に怒りの抑制が困難らしく、些細なことでも心に収められずにその場でバランスを取ろうとするので大ごとになってしまう。元彼が本気でものを言っているのに笑い飛ばそうとした態度には、さすがに自分としても(実在の人物を思い出してしまって)腹が立った。これまでずっとこんなのを相手にしていた海くんが哀れでならない。 これでその他の条件(主に見た目)がどうかによっては見るのも考えるのも嫌な奴ということになるだろうが、幸い主演女優のおかげでまだしも愛嬌があるのが救われる。劇中ではこの人と元彼・店のシェフ・嫌味な先輩・伝説の男とのやり取りがそれぞれ見所になっていて、専らこのキャラクターの存在が映画全体の価値を決していたように思われた。初回はともかく2回目に見ると彼女の言動には笑いっぱなしで、次第にこの主演女優も好きになって来た気がする。  一方でストーリーとしては緩い感じになっており、娘にケーキの作り方を教えたいと思ったことが何で復帰の動機になるのかとか、要は復帰すればいいのであって元妻とよりを戻すことまで考える必要がどこにあったのかとか細かいことはいろいろあるが、まあ大体のところでいいお話だったのではないかと思われる。 なお常連さん宅にケーキを届ける場面では、常連役の女優の普段のイメージとの関係もあって“この人がこんなことを言ってくれた”と少し感激する思いだった。ただこのケーキを作ったのは主人公ではなかったはずなので、ここは彼女に奮起を促したエピソードだったということだろう。
[DVD(邦画)] 7点(2014-02-03 19:50:39)(良:2票)
151.  江ノ島プリズム 《ネタバレ》 
主要人物の3人はそれぞれいい雰囲気を出している。前半はずっとコミカルな展開が続き、とぼけた感じの主人公に友人2人が突っ込むのがユーモラスで、ギャグのセンスもいいので気持ちよく笑える。それから何といっても地縛霊の今日子ちゃんが清楚で可憐で真面目で超かわいいのが感動的で、他の3人には申し訳ないがこの映画のベストキャラに思われる。花火の場面でこの人が喜んでいたのは観客としても嬉しかった。ほかオカルト研顧問の教員(吉田羊)も、端正な顔立ちながらけっこう笑わせる。 また物語の内容としては、劇中では「デロリアン」という言葉も出ていたが、時かけファンの自分としては「時をかける少女」との類似性が強く感じられる。女1人男2人の組み合わせは基本的な共通点だが、特に無邪気な三角関係がやがて崩れる展開は2006年アニメ版を思わせるものがある。一方で劇中の「タイム・プリズナー」という言葉は、1983年版風にいえば「時の囚われ人」とかいう表現になっただろうが、あるいは同作に出る「時の亡者」そのままの意味かも知れない。   ところでこの映画で非常に残念だったのは、修太の行動が引き起こした現象が納得できなかったことである。これは1983年版の最後にある“記憶のない再会”を再現するための設定だろうが、旧作では理解可能な理由で人為的に記憶を消去していたのに対し、この映画では自然の摂理で起こることにしたのは若干の無理が感じられ、またその自然現象が駅の場面でタイミングよく、かつ時間差をつけて起こっていたのは都合良すぎである。 それからその“記憶のない再会”の場面も実はよくわからない。ここで修太が拾ったプリズムの三面は幼なじみの3人の本来の姿を象徴していたわけで、そのことを他の2人も修太自身も知らないというのが哀しいのだと思われる。それならそれでいいのだが、青春映画に求められるのはやはり恋愛感情に基づく切なさだろうし、少なくとも個人的には泣けない場面になっていたのが大変遺憾である。これは女子の立場でミチルに感情移入すると泣けるのだろうか。 ただそれとは別に、せっかく心の通じた今日子ちゃんが修太に忘れられてしまったことの方は確かに切なく感じられ、男子にとってはこっちが本筋かとも思われる。とにかく自分としてはこの今日子ちゃんがかわいそうで仕方ないのだった。
[DVD(邦画)] 7点(2013-12-22 17:45:44)(良:2票)
152.  風切羽~かざきりば~ 《ネタバレ》 
公式サイトに経過が書かれているが、もともと後半のロードムービー部分を先に制作し、後に前半部分を追加して長編にしたとのことである。撮影自体は2012年だが、序盤で出ていた震災関連のニュースは2011年のものであり(4/17日曜日、気仙沼の朝市)、自分としては現実世界のこの時期に、春の明るい陽射しと裏腹に感じていた内心の不安を呼び覚まされる気がしたが、これは意図されたものかどうかわからない。  映画のテーマは“親に愛されない子ども”ということらしいが、劇中の出来事自体は個人的知見から想像しうる範囲に収まっていて特に目新しいものはないように見える。しかし改めてこのように見せられるとやはり心穏やかではなく、劇中の少女が弛緩したような荒んだ感じを全身で出しているのも痛々しい(4月中旬にこの格好では寒いだろう)。まるで世の中にまともな大人がいないように見えるのは同じ大人としてつらいものがあるが、逆に少女の境遇が周囲をこういう連中ばかりにしていると解すべきか。 今回の件で、この少女としても何かふっ切れたものがあったようではあるが、しかし少年と違って閉じられた円環からは抜け出せず、元の場所に回帰しただけのようにも見えている。劇中で生じた現世的トラブルは残されたままであり、携帯を使う営業からも簡単に抜け出せるのか怪しい気がするが、まあ根本的な解決は劇中人物というよりも、現実世界での対策如何によるというのが映画の趣旨だろう。  ところで主演女優に関しては、舞台挨拶で「あたし走るのが本当に下手で…」と言っていたが本当に下手である。自分としてはこの人をよく知っているわけではないが、よく知っている人が持つイメージとはかけ離れた役をやっているのは間違いない。前髪を下ろしたことでも雰囲気がかなり違っているが、特にこの人の顔で特徴的な目が、いつもと同じはずだが全く違う目のように見えており、冒頭では視点の定まらないうつろな表情がいきなり印象的だった。公式サイトを見れば、オーディション時にこの人がとりわけ努力家だったことも記されている。 そういったことから私情にはなるが、評点はこの人のために若干加点しておく。
[DVD(邦画)] 7点(2013-12-22 17:45:39)(良:1票)
153.  わが母の記 《ネタバレ》 
邦題は単に「記」だが、英題の方は「年代記」になっている。映画では期間が14年間とされており、その間に登場人物も年齢を重ねて変化していくのが目に見えているが、そのような長期にわたる時々のエピソードを淡々と記述していく形になっているのは年代記の名にふさわしい。しかし、当初は一見ばらばらのようだったものが次第に母子の関係に収斂していくのはこの映画独自の構成であり、これは素直に賞賛したい。自分としてはまだ味わい切れていないところがあるような気もするが、とりあえず現時点でも間違いなく良質の映画と感じられる。 また役者についてはそもそも名優揃いで自分などが特に褒めようとは思わないが、主人公の三女役に関しては、メイクや衣装のおかげもあるとのことながら中学生から二十代後半までをスムーズに演じているのはやはり少し驚く。  ところでこういう話を見て思うのは、劇中にも出ていた「東京物語」(1953)のように、同じ映画でも年代によって見えるものは違うのだろうということである。高齢者の世話が大変だという観点ももちろんあるだろうが、人生の半分を間違いなく過ぎたと思う自分としては、死と向き合う登場人物が直接自分のこととして感じられ、親が亡くなれば視界が開けた感じがすると言っていたのも他人事とは思えない。うちの身内は高齢でも頭はしっかりしている者が多いので自分もそうだろうと思ってはいるのだが、いずれその時が来れば、この映画のような穏やかな風景の中で死ねるだろうかと考えたりもする。  なお完全に余談だが、劇中のバス車掌役の女優(枝元深佳さん)は役所広司氏(179cm)と比べてずいぶん小柄なのが目立つと思ったら、“150cmなので役に限りはあるが女優として頑張っています”という趣旨の記事をネット上で発見した。最近知ったところでは志田未来も同じくらいのようである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-11-11 19:39:47)
154.  ゾンビ大陸 アフリカン 《ネタバレ》 
こういう映画を見ると場所がどこなのか気になって仕方ない。主人公の台詞に出る「西経20度」は大西洋上なので真に受けないとして、相棒役のアフリカ人が所属する「セヌフォ族」というのは実在の部族のようで、主にマリ、コートジボワールとブルキナファソ、及び一部がガーナに居住しているらしい。実際の撮影場所は主にガーナとブルキナファソだったようで、劇中車両にブルキナファソの国旗らしきマークがついている場面があった。  映像面ではアフリカの景観が印象的で、最初が海、あとはサバンナから半乾燥地帯までの明るく乾いた風景の中を登場人物が移動していく。その間、原題のThe Deadがそこら中を徘徊しているのが始終画面に映り、この連中もアフリカの風土の中にとけ込んでいるように感じられる。動きが遅いのはゆったりとした雰囲気もあるが、限られた時間内に何かしなければならないスリリングな感じを出すには効果的であり、また移動中はいいが停止すると包囲の輪が狭まって来て、夜も寝る間がないという状況設定が特徴的である。肉をかじり取る習性は野生動物を思わせるものがあるが、これは人類の天敵が出現したということか。 ほか登場人物のうち相棒役のアフリカ人が篤実そうで好印象なこともあり、個人的には良質の娯楽映画として見ることができた。  ところで終盤に出た村のリーダーが「この村で生まれ、死んでゆく」と言ったのは、別にここだけではなくどこにでもある感覚と思われる。部外者の立場としては危険なら逃げろというのが普通の考えだが、土地に根差して暮らしてきた住民には受入れがたい面もあり、これは日本の災害時にも表面化することがある。劇中世界に関していえば全世界が同じ状況だったようなので、共同体単位で守りを固めるのは結果的に正しい選択だったともいえる。 その一方で主人公と相棒が厳しいサバイバルを続けていたのは自分のためというより家族(子孫)のためであって、そのような目的意識も人類存続の要因になることを示したように見える。最後は2家族分をあわせて一つになってしまっていたが、絶望的なようでもわずかな希望を残す終幕だったのは悪くなかった。 (2024-03-23文章校正)
[DVD(字幕)] 7点(2012-10-28 12:56:59)(良:1票)
155.  時をかける少女(2010) 《ネタバレ》 
とにかくヒロインの芳山あかりが陽性で表情豊かで楽しい。タイトルを生かすため冒頭で無意味に元気よく走ってみたり、タイムリープの場面でも走りまくっていたのはご愛嬌。深町の本名を聞いた時の微妙なリアクションは可笑しかった。他の登場人物もみな魅力的だったが、変にナイスガイになった深町が、冷徹なようでいても情に負けて目こぼししてしまうのは少し見直した。彼も心に痛みを感じていたのかも知れない。  今回のヒロインが行くのは1974年で、その年代自体には特に必然性が感じられないが、劇中に出ていたような“窮鳥懐に入らば”的な律儀さが生きていた時代とすればわかるような気もする。現代人が体験する70年代の青春というのも、時間モノとしては面白い趣向かも知れない。また、この時代から見た21世紀のイメージは劇中に出たとおりの未来都市が典型だったのだが(ちょっと古臭いか)、その後実際に起きたのは、あかりが誇らしげに示した携帯電話に象徴される情報通信ネットワークの急速な発達だったわけで、この辺の現実認識は適切だと思う。  ところで劇中では、中学生の和子が「記憶は消えても…心で憶えてる」と言っていたが、それよりも現実に誰にでも起こりうるのは、劇中の涼太が危惧したように“記憶はあるが思いは失われる”ことだろう。そこで涼太が、いわばタイムカプセルに封入するような形で思いを残そうとしたのは自然なことであり、あかりの側でも記憶がないことで、かえってその思いだけを前向きに受け取れたようだった。また和子も実際には記憶を取り戻して、双方が相手をちゃんと認識した上で再会を果たしており、1983年版のシビアな印象がかなり緩和されていた。これは映画全体の雰囲気からすれば妥当と思える。 ただ、ストーリー作りのために死人が出たことだけは理不尽だ。能代の母はこの先どうすればいいのか。  なお余談だが、完全版DVDの特典ディスクには劇中映画の完成版が入っており、何となくその後の新たな展開を予想させる内容になっているが、これは完璧なハッピーエンドを期待する特別なファンの思いに応えようとするものかも知れない。
[DVD(邦画)] 7点(2012-02-11 22:49:09)(良:1票)
156.  映画 けいおん! 《ネタバレ》 
TVシリーズは見ていなかったが、予備知識抜きでとりあえず映画館に行って来た。対象年代からは外れているだろうがそれほどの疎外感もなく、TVを見ていなければわからないこともあったはずだが特に気にはならなかった。ただ最後の大事なところを簡単にスルーしたように見えたのはTV版との関係で捨象したかららしい。 日頃アニメに親しんでいない(前回は“消失”)ので空気系のアニメは初めて見たが、日常の中にあるほのぼのして幸せな部分だけで構成したようなのは見ていて心地いい。女子高のため同年代の男がおらず、非常に純化された世界だというのも見る者の安心感につながっている。ロンドンでのライブ場面など見ていると、こういうアニメも21世紀の日本文化の精華なのだなという感慨がわいて来た。  [2012-08-03追記] DVDが出たので見直した。依然として映画以外は見ていないが、さすがに2回目になるとキャラクターの違いも把握でき、梓が一人だけ下級生な感じで可愛がられているのもわかる。また一つひとつの曲も頭に入って来て、結構な年の中年男が真昼間、ふと気付くと頭の中で鳴っている音楽が ”U&I” だったりするほどなので感化力は相当大きい。この映画を見ただけで「けいおん!」というコンテンツ全体を受容できた気になって、もう映画としてのまとまりなどどうでもよく思えて来た。性別・年代の全く違う自分とは本質的に無関係な世界だが、こういう素直な笑いと感動と幸福感がこの世に存在しうるという希望を提示したこの映画を、自分としては全面的に肯定したい。点数を10点くらいに直したくなったが、他とのバランスもあるので理性で抑えておく。 なお余談だが、「ドイツ連邦共和国に、リューネンていう都市があって」と紬が言っていたLünenは、ノルトライン・ヴェストファーレン州に実在することを確認した。   [2019-07-22追記] 久しぶりに見たが今回は笑いながら少し泣かされた。こういう人の心を和ませ豊かにする作品がこれからも作られていってほしいと改めて思った。
[映画館(邦画)] 7点(2012-02-07 22:46:39)
157.  ザ・デッド インディア 《ネタバレ》 
「ゾンビ大陸 アフリカン」(2010)の兄弟監督が撮った続編とのことだが、登場人物の違う独立の話なので無関係に見られる。劇中世界は同じだが時間的には少し後のようで、アフリカで噛まれたインド人が国に帰って感染を広める形になっている。 ロードムービー風なのも前作同様で、今回は主人公がインド北西部のラジャスタン州から南方のムンバイまで500kmくらい移動する。風景は全体的に乾燥気味で、現地の名物的なものとしてスリムなサルが出ていたが、これはオナガザルの一種「ハヌマンラングール」と思われる。最後の砦はどこなのか不明だった。 ゾンビの性質は前作と同じなので、不意をつかれるとか集団に囲まれるのを避ければいいわけだが、それでも毎度エンジンのかかりが悪いなどで無理にスリリングな感じを出している。場所がインドというだけで、単純なゾンビ映画としてあまり特徴的なものはない。  場所柄を生かした趣向としては、インド古来の考え方から輪廻転生と業、因果応報といったものを取り入れたらしい。登場人物の話を聞いてもすっきりわかった気はしなかったが、若干面白かったのはゾンビを転生形態の一つとしていたことで、これは仏教でいえば「六道」にもう一つ「ゾンビ道」を加えるようなものかと思った。ゾンビに魂があるのかないのか不明だったが、前の人間とは別の魂(前世がサルとか)が入り込んでいるということならあるかも知れない。 また生埋めになったのは「共にいられるよう」という意味だと思うが、その元になった物語がそもそも意味不明だったのは困る。少し真面目に探したが、「ジャータカ」の関係で本当に生埋めエピソードがあるのかどうかは確認できなかった。劇中の話の通りであれば3人はいなくなるわけだが、みなでどこかへ転生するのか、あるいは即身仏になったとかいうことか(参考映画「湯殿山麓呪い村」1984)。少年は今回で成仏してしまいそうだったが、主人公は駄目だろうから次回以降に頑張ってもらいたい。 そういうことで、アメリカ人が東洋の輪廻転生の世界に取り込まれてしまった話かと勝手に思った。わけのわからない映画だが基本は好意的なので点数は悪くしない。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-03-23 16:12:54)
158.  とっくんでカンペキ 《ネタバレ》 
過度な期待はしていなかったが最後はちゃんと感動的だった(笑った)。固定的な目標に向けて単線的に修練すればいいのでなく、極限までの試行を重ねることで可能性の全体像をつかみ、その上で適切な選択をすることが最善の結果を生むということかと思った。大変よい映画でした。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-07-15 10:58:41)
159.  海へ行くつもりじゃなかった 《ネタバレ》 
海へ行くつもりはなかったが行ったらそれなりだったという話らしい。生活圏内に海があるのはいいことだが、大阪の都心(多分)から一体どこの海に行ったのかは不明だった。 行っても大したことは起きないがそれなりに変なこともあり、逃げられて追われて盗んだバイクで走り出す(放置自転車?)とかもしていたが、途中の凧には驚きと感動があった。写真に撮りたくなるだけのものはある。 結果的によくわからない話だったが、最近は政治的・社会的な背景のある面倒くさい外国映画ばかり見ていたので、久しぶりに心安らぐものを見たと思わせる短編だった。いい雰囲気だ。  ところで映画と関係ないが仕事上、会話時に読唇を使う人が身近にいたので、この3年間マスクを強要されていたのは困った。自分がしゃべる時に外せばいいだけだがわざとらしくもあり、ちょっとした何気ないコミュニケーションが取りづらい。自分の配慮不足もあったかと思うと後悔が残る。 劇中で金髪娘が声を出す場面はなかったが、とりあえず今回は声を出さなくても気持ちが通った体験ということか。また男の方も自分の考えをわからせる/相手のこともわかろうとする点で一歩踏み出す機会になったかも知れない。パントマイムを社会生活で使うわけではないにしても、身振りがコミュニケーションに役立つこともあるとはいえる。 最後に渡された黒髪の写真はいわば生来の姿であって、そのうちこの状態に戻るので、この顔で憶えていてもらいたいとの意味かと思った。それなりの未来を感じさせるものはある。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-06-03 15:09:26)
160.  英雄都市 《ネタバレ》 
原題は「ロング リブ ト(タ) キング:木浦 英雄」で、英語の部分をカタカナ表記のように書いているがvとthの子音がないのは日本語と同じである。英語のLong Live the Kingは、従来の支配者に取って代わった者を讃えるニュアンスがあるようだった。 場所は全羅南道木浦市なので、前に見た「木浦は港だ」(2004)のリメイクかと思ったが別の話になっている。ただ主人公がヤクザでヒロインが法律家だとか、タコの丸のみとか郷土愛といった点で微妙に通じるところもなくはない。監督はこの前に「犯罪都市」(2017)で評価された人物のようで、その映画の主役も特別出演している(光州ヒグマ役、短時間)。  内容としてはヤクザ映画のようだが暴力沙汰は多くなく、それより政治の素人が選挙に出るドラマをメインにしてラブストーリーを兼ねている。気楽な娯楽映画という点では前記「木浦は港だ」と同様だが、15年も経っているのでかなり上品に見える(洗練されたというべきか)。性的に下品な場面はなく、排泄物関係もわずかに便所掃除の場面がそれらしいだけで現代日本人にも見やすい映画といえる。 社会的な面では、政治家が悪という設定は普通のこととして、検事が政治や悪事にまで関わって来るのはよろしくない感じだが、しかし現実にも韓国では検察が政治に多大の影響力を及ぼしている実態があるらしい。そのことへの反発としてこの映画では、検事に政治をやらせるよりもヤクザにやらせた方がまだましだ、という皮肉を込めたのかも知れない。2023年現在の大統領も元検事総長なので、現在の政治情勢にも関わる問題を扱っていたことになるか。なお全羅南道は実際に投票率の高い地域らしく、その点でも選挙映画にふさわしい舞台設定といえる。 主人公に関しては、通常の政治権力とは別次元の強さに誠実さを兼ねた人物造形にしたと取れる。警察官の支持も得ていたようで、これは日頃から最前線で接していたため「ロビン・フッド」的な義侠心も理解されていたということと思われる。現実味のある話でもないが娯楽としては悪くなかった。  ほかの登場人物に関しては、劇中の国会議員と顔の似た地方議員をたまたま知っていたので変な気分だったが映画と関係ない。また弁護士役(ウォン・ジナ/원진아 元真兒)は小柄で可愛い感じの人だったが、こんな般若のような顔をしなくても、と思う場面が多かったのは残念だ。お国柄だろうから仕方ないか。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-05-27 10:50:14)
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