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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1601.  鞍馬天狗 天狗廻状
ひばりの杉作は3作しかないそうで、その最後の作品。監督は同じ大曾根辰夫だが、どうも前2作とタッチの違うところが見受けられる。顔アップの多用、カメラが塀を越えたり屋根を這ったりする移動撮影、ラストの立ち回りでも3階までワンカットで天狗を追って上っていく、など若々しく、新人助監督に撮らせた部分も多いのでは。フィルムの状態が3本の中では一番いい。面白いのは配役の使い回しで、たとえば前作で倒幕派の公家だった高田浩吉が今回は桂小五郎、前々作で新撰組の配下の目明かしだった加藤嘉が今回は正規の隊員になれて青山さんと呼ばれていた。まあ、彼らは役柄そのものには大きな違いがないからいいが、前々作で西郷どんを演じ豪傑笑いをしていた三島雅夫が、今回は佐幕派に寝返ってフフフと陰気に笑っていたのには驚いた。新劇俳優は時代劇では悪役になることのほうが多い。アラカンが仏像を彫っているお堂での立ち回りが見せ場か。天狗がアッという逃げ方をする。ラストもちゃんと3階までセットを組んでて、もっと盛り上がってもいいんだけど、家族愛の話が絡んでしまって湿りがち。そう、全体にこの宗像さんの娘の話が活劇にとっては邪魔で、つまんない。ひばりは前作よりは登場時間が増えたが、男の子を演じるのは難しくなってきたよう。それより、もう脇役のギャラじゃやってらんないわ、ってことで、杉作役から下りたんだろう。追記:調べたら次の作品からシリーズは松竹でなくなっているのだった。
[DVD(邦画)] 5点(2009-10-27 12:01:52)
1602.  ミッドナイトクロス
冒頭の事故の場面はかなりいいんだけど。フクロウの構図とか。ラストで大崩れなの。筋立てとして、あそこで女一人行かせるのは無茶だよ。こちらからキャスターに確認するとか、一緒に付き添うとか、ね。観てるほうがワダカマッたまま終わっちゃう。もっと主人公を病的にしても面白かったんじゃないか、耳的人間なんてひどく孤独に凝り固まってるはずだし、しだいに人間不信になっていく下地としても有効だっただろう。それとメーキャップ(眼的人間)とを対比してみたりしたら…。でもあんまりデ・パーマじゃなくなっちゃうね。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-26 11:56:22)
1603.  駅 STATION
日本映画における“情緒の過剰”って問題があって、焦点をあえて絞らず、なにか雰囲気を味わうって感じになる。ストーリーはあるんだけど、その周りの雰囲気を描きたがる。これが日本文化の“もののあわれ”なのだ、って言われれば、はいそうですか、と答えるしかなく、味わいとしてカット尻に情緒がゆらめいたりするぐらいなら私も嫌いではないが、堂々とのさばられると、やはりたまらない。いしだあゆみや倍賞千恵子はいい演技をしてたと思うが、それは“情緒”を醸していたからではなく、彼女らはその場の設定にふさわしい明確な演技をしていた。かえって高倉健のムッとした顔が“情緒”の演技であって、空疎に見えた。いしだあゆみのカットバックは多すぎたが。ついでに言うと「舟歌」も2回はくどく、情緒の氾濫である。
[映画館(邦画)] 6点(2009-10-25 11:58:59)
1604.  嵐の孤児
おそらく数年前のロシア革命がダブっているだろうことは否めない。貴族の暴虐がまずあり(腕に鉛・馬車が子どもを轢く・頽廃パーティ)、それを踏まえて人民裁判の恐ろしさがまたある。とどちらにも偏らない姿勢を取っているのが、うまく逃げたな、という印象にもなってしまう。前半では「うん、貴族は悪い」と思い、後半になると「君の気持ちは分かるが、これはやり過ぎだよ」と、観ているほうの気持ちがきれいに切り替われて、何らかの統合、と言うか、暴虐と民衆とのより良い戦い方を目指さそうとはしない。まあそこがアメリカ映画の限界というか、良さでもあるんだけど。ただただすれ違ってしまうことの哀しさを歌う、その語り口だけを洗練させていく。やっと会えると逮捕されたりして、もう悲痛きわまりなく、メロドラマの語り口というものは、グリフィスで(とりわけ『東への道』で)おおかた定まり、あとはほとんど進化する必要がなかったのだなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-10-23 11:58:33)
1605.  鞍馬天狗 鞍馬の火祭 《ネタバレ》 
前作のラストで江戸へ走っていった鞍馬天狗が、舞台を変えてどんな活躍をするのか、と思って観たら、長州から帰ってきたところだ、って言って京都にいるの。そうか、そういう世界なのか。毎回完結で前作を引きずって観てはいけないのだった。ひばりは冒頭で天狗のおじちゃんを探しに長州へ歌いながら旅立ち、ラスト近くなって歌いながら戻ってくる、と出番は少ない。いろいろ仕事が忙しかったのだろう。それでもタイトルではアラカンの次に並んでいるのだから、当時の人気の凄さが分かるというものだ。ひばりファンは出番の少なさに、金返せ、と怒ったであろうな。そのかわり別の子役が歌を歌って人気を取ろうとしていたが、全然華のない子だった。でも活劇としては、前作のような山田五十鈴との恋模様がない分、良かったのではないか。行列を崖上から見下ろして登場するあたり、西部劇のノリで、馬が走るとそれだけでワクワクする。能楽堂での対決もリアリズムを離れてファンタジックな面白さ(順々に襖が閉まっていく)、庭での乱戦に移って、最後は川の流れから子どもを救うと盛りだくさん。恩師の牢獄からの救出、親王派公家の処刑寸前の救出と続き、悪玉から岸恵子を救い出す火祭のラストへと雪崩れ込む(火祭は10月22日の今日)。そりゃ、斬り捨てようとしていたひばりを次のシーンでは丁寧に縛ってて、行方を天狗に教えられちゃう、といった悪漢の側のトンマぶりには脱力させられるものの、まあこの悪玉、屈折したキャラクターだったから、それもいいではないか。
[DVD(邦画)] 6点(2009-10-22 12:11:40)
1606.  南京の基督
日本人役を中国人が、中国人役を日本人が演じることで、何らかのつりあいを取ったのだろうか。つまりそうやってつりあいを取らなければならない微妙な要素が、この話の要にあったのだろう。やっぱり男の側の物語だったということか。「歯車」なども加え、また「蜜柑」のイメージもあり、しかしその分、一本の映画としてはへんにフヤけてしまった。キリストのモチーフが弱まったのだな。基本構造は鴎外の「舞姫」的であって、芥川の原作、こういう話だったかしらん。日本の文士が海外を捉える一つのパターンだけど、ヨーロッパと中国とでは裏返しになり、文化の先進地ドイツへ医学を教わりに行ったものと、中国から日本の病院へ連れてこようとしたものとの違いが出る。この上への目線と下への目線の狭間に自国を認めたことが、日本の近代史を暗くしていってしまったのだけど。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-21 11:57:17)
1607.  鞍馬天狗 角兵衛獅子(1951) 《ネタバレ》 
鞍馬天狗のセキュリティーの甘さには困ったものだ。新撰組の配下の加藤嘉や、誤解で付け狙う山田五十鈴などに、しょっちゅう簡単に踏み込まれてる。あれじゃ普通だったら幕末まで命が持たない。彼が生き延びられてるのは敵役(というか佐幕派)のルーズさのおかげで、掴まえてもすぐ斬り捨てず、面倒な水責めで殺そうとしたりするから、たかが子どもに救出されちゃう。この大阪城のセキュリティーがまた甘く、お互いのルーズさが、活劇の興を削ぐ。馬が疾駆するところのみ痛快であった。この映画はひばりの杉作登場の記録として価値のある作品であろう。もうすでに幾つかのヒットを飛ばしていたとは言え、14歳の小娘が戦前から続くシリーズで主役を食い、ストーリー上でも、ただ脇で歌を歌うだけでなく山田五十鈴と同格の重さを持たされている。後世の私らは、ふてぶてしくすらあった貫禄十分の晩年の大スターからどうしても逆方向に眺めてしまう訳だが、当時の新鮮に輝いていたひばりが当時の観客に与えたショックは計り知れないものがあったのだろう。彼女が演じ続けた“肉親とはぐれた子ども”への共感の強さだろうか。その他大勢の役者をふんだんに使った街の雑踏の俯瞰から、徐々に角兵衛獅子に焦点が絞られていく杉作登場のシーン、これは戦後の廃墟の雑踏でつい最近まで目にしていた戦災孤児の光景そのものだったのだな。
[DVD(邦画)] 5点(2009-10-20 12:05:40)
1608.  憎しみ 《ネタバレ》 
出来ることならこういう男とは一生関わりを持たずに生きたい、と思えるような頭のまったくない感情青年ユダヤ系、まだ小僧のおもかげを残すアラブ系、一応考えるアフリカ系。青春群像。前半拳銃が出たら、それは後半で必ず火を噴く、という定理が、これもどたんばで守られた。危ないほうでなく、最も危なくないと思われていた人物によって、ってところがミソ。とにかく全編なにか煮立ってる感じが満ちていて、おそらくそれと対照されるのが、のどかに現われる「牛」の幻影なのだろう。ヌンチャク振り回してたプッツン男をはじめ、反日常的なヤツばかりだけど、でもこういうヤツは確実にいるなということは感じる。屋上にたむろしてるのとか。ピリピリとした退屈の日々。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-19 11:55:53)
1609.  その後の仁義なき戦い
逆光が美しい。賭場のシーン、あれは真ん中に照明を置いてあったのか。新幹線ホームのシーンは、『十三人の刺客』の霧の中から行列の一行が見えてくる名場面を思い出させた。そして東映実録路線では毎度のことながら成田三樹夫が絶品。硬軟使い分ける人物のいやらしさを演じて、この人の右に出るものはいない。話としては転落もので、友情を売ったことをきっかけにズンズン落ちていく。甚八が野球賭博の利権のことで成田のまわりをうろつく惨めさ。ただ2時間を越えるのはズルズルし過ぎで、もっとテンポをよくしてほしかった。
[映画館(邦画)] 7点(2009-10-17 11:50:56)
1610.  父/パードレ・パドローネ
良かったところを書きあげていくときりがない。フェリーニ風の戯画的誇張とリアリズムが同居していて、イタリア映画ならではの世界を作り上げている。好きなシーンを一つだけ挙げると、手に入れたアコーディオンを持て余して困っているところ、初めて父を離れた意志を持った疚しさがあり、また家から足を一歩踏み出した瞬間の戸惑いでもあるわけ。全体として音への感度が良く、木のそよぎや小川のせせらぎ、子どもや町の人たちのささやきなどが効果を挙げている。そしてシュトラウス。ウィンナワルツってのは、『2001年』もそうだし、『ベニスに死す』では「メリー・ウィドウ」とか、けっこう大事なポイントで効果を挙げる音楽、馬鹿にできない音楽だ。寅さんでも初期のころ「春の声」を効果的に使ってたなあ。音楽として表現されるのは単純な華やかさなんだけど、それが映像と重ねられると途端に味わいを深めてしまう。で、この話、大筋だけみると、素朴な世代交代ものなわけだけど、安易な感情シーンを入れず、最後まで父に拳を握らせるとこなど、いい。退かねばならぬことを知ってはいるのだが、退く姿勢を見せてはいけないということも知っている。最後まで「父」の役割りをまっとうしようとするとこが、この人物の魅力なのだ。
[映画館(字幕)] 8点(2009-10-16 12:03:55)
1611.  トゥルーナイト
ハリウッドが中世を扱うのは、自由な一匹狼を描きやすいからか、と思ってたんだけど、逆かもしれない。身分とか権威とか、現代ではなかなか描けないもの、アメリカ人が旧大陸に捨ててきたものへの、ひそかな愛惜があるんじゃないか。集団に帰属する恍惚。現代を舞台に、会社や国家への帰属を恍惚と歌ったら、かなり気味悪いものになるし、立派な王がいて正しい組織がある、ってようなのは、もう中世の伝統の世界に戻らないと出来ない。アーサー王伝説って、しばしばあちらの映画で出てくるけど、どうも頭に残らなくて。もともとはもっと禁欲的な騎士道世界で、リチャード・ギアのどこかニヤけた感じは違うんじゃないか。ま、そこが現代的解釈ってヤツなんだろうけど。活劇としての新味のあるアイデアは一つもなし。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-15 11:57:01)
1612.  河内山宗俊
たまたま時代の設定が過去だったというだけで、会話だけ取り出せば昭和の現代劇の様相。かえって戦後の時代劇のほうが様式性が強くなってしまっているのかも知れない。直次郎はここではそこらにいるグレかけた気弱な少年だし、三千歳とはミッちゃんと呼びあっている。金子市の中村翫右衛門が傑作で、永年留年して大学に居着いてしまっているような雰囲気のある男、しかし実は死に場所を探していた余計もののニヒリズムも持っている、というあの時代の若者像をくっきりと代表している。“市井”という言葉がこんなにも似合うセットはそうそうなく、その中の住人としては雪の舞う世界などうっとりと見惚れていられるが、余計ものの目を通すと、唯一どぶだけが奥への逃げ路として続いている圧迫も感じられる、という素晴らしい造形。古女房のやきもちという、どちらかというと喜劇の要素を転換点に、ドラマが悲劇性を帯びていくのも、時代の影か。松江邸のニセ僧道海は、設定だけが歌舞伎と同じで、全然違うドラマに仕立てて読み換えの面白さになっている。見事な傑作だが、ただ音楽がうるさく、ラストの立ち回りで「ロミオとジュリエット」が流れ出すと、やはりのけぞる。
[映画館(邦画)] 8点(2009-10-14 12:00:58)
1613.  誘拐報道
原作読んでないからなんとも言えないけど、この題名は内容を表わしてないよね。おそらく本では最後の協定違反についての弁明のようなものが主になってたんじゃないか。映画製作のバックに読売新聞がいるんでそれは描かねばならず、けっきょく新聞記者の部分が映画としてお荷物になってしまった。演出は『さそり』の頃みたいにやたら凝らず、落ち着いている。犯人の家庭が一番よく、いつも夢を追いかけててやがてその追いかけているという姿勢に安住していってしまう男ショーケンと、夢を信じていない妻小柳ルミ子の夫婦にリアリティ。子どもを持て余してるんや、という犯人の声で、被害者の両親が子どもの無事を知る、なんてのも、そういうもんだろうな、とひどく納得した。
[映画館(邦画)] 6点(2009-10-13 09:13:55)
1614.  眠る男
今までの“原作もの”というフタがはずされて、ワーッとイメージが大空の大気のなかへ拡散した感じ。「拡大」ならもっとよかったんだけど、「拡散」。不意に飛び立つ鳥、眠る男の鼻から出てくる虫、魂呼びの音がこだまし、はずされた屋根瓦を越えて、やはり大空へ広がっていく。天井がなく拡散していく感覚に通じていく。常に湯気が沸き立っている感じにも通じ、その中心で眠り続ける男、と男のほうは何となく理解できるんだけど、「南の女」のほうはちょっと分からなかった。一種の桃源郷さがしなのか。あと言葉がときどき固くなるのが気になる。メナムの語の講釈や赤ん坊が進化をなぞってる、なんてとこがややシナリオとしてこなれ不足のような。能が出てくるのも引っかかったが、青空の下ってのが薪能よりはいい、やはり天井がない感じで。ここで田村高広がまた講釈をしてしまうんだ。全体、音が良かった。倒木シーンも映像よりひび割れていく音の予感のほうが美しかった。決してこの地が桃源郷なのではないが、そこへ向かって開かれている、って話なのかな。個人的には、この監督は原作でフタをした映画のほうが圧力が高まっていいんじゃないかと思うけど、こういう自分のイメージを十分に拡散したものを作りたかったという気持ちも大事にしたい。
[映画館(邦画)] 7点(2009-10-12 11:59:08)
1615.  新・仁義なき戦い 組長の首
シリーズは退化していく。菅原文太がかっこよくなってしまった。みっともないしぶとさが魅力だったのに、どんどん作っていくとみっともなさがスタイルになってある種のかっこよさになってしまい、それだけでなく、この作品など昔風のニヒルなかっこよさにまで退歩していると感じられる部分もあった。ケライに殴り込ませて死なせておいて、ただ眉しかめてるだけなんて、昔の文太はやらなかった。本作の新機軸としては、跡目を狙って次々と男を渡り歩くひし美ゆり子(アンヌ隊員)がユニークなところだけど、決してこれはしたたかさとして感服するようなことではなく悲惨な状況であろう。しかしどうも作者は、ここに女の強さみたいなものを表現したつもりでいるみたいだったのに違和感。このシリーズにカーチェイスは似合わず、成田三樹夫もあんまり良くなく、梶芽衣子も中途半端。でもそれなりに楽しんでしまうのは監督の力量か。
[映画館(邦画)] 6点(2009-10-11 12:01:19)
1616.  無頼漢(1970)
『心中天網島』の次の作品で、ATGから東宝になって資金は潤沢、白黒がカラーになった。浮世絵や残酷絵が壁面を飾る美術も、繊細な粟津潔から重厚な戸田重昌で、より金をかけられた分、見応え十分、というか、セットが一番の見どころになった。音楽が武満徹から佐藤勝に変わり、ダン、ダダンという桶屋のリズムが反復される(この桶屋が浜村純で、前作の黒子の通奏低音的イメージを継いでいるよう)。70年という時代を背景にすると反抗と挫折のドラマとして分かるし、その時代と幕末期を重ねる意図も悪くはないが、70年を離れて見ると、いささか反抗の気分だけが浮き足立ってる印象(ついでに言っとくと、この原作は幕末ではなく明治の歌舞伎。もう侍をバカにしても大丈夫な時代になっている)。かえって直次郎の母親を登場させたあたりに、脚本の寺山修司らしさがうかがえた。そのベターッとまといつくような母親像(新派の市川翠扇が怪演、この人は山中貞雄の『河内山宗俊』で直次郎演じた市川扇升とは関係ないんだろうな?)。河内山は松江邸で長ゼリフは吐くが、「バーカめ」の決めゼリフは言わず、あとで水野忠邦に逆に「バカめ」と言われるという趣向がある。金子市を米倉斉加年が不気味に演じ、あの異相はこういう役でもっと使われてもいいな、と思った。山中貞雄版の中村翫右衛門で金子市のイメージを持ってる人は驚くかも知れないが、あの金子市はほとんどパロディなんです。さらについでに言うと、だいぶ昔にマキノの『天保六花撰 地獄の花道』ってのをテレビで見てるが、この頃は河内山宗俊の話に無知で、ストーリーがよく分からなかったと日記に書いている。それでは市川右太衛門の河内山に東千代之介の金子市、中村賀津雄の直次郎。けっこうスクリーンではいろんな河内山が活躍していて、河内山映画祭なんてのを企画しても面白いんじゃないか。
[DVD(邦画)] 6点(2009-10-10 12:26:53)
1617.  暴走特急 《ネタバレ》 
驚くほど新味のないフィルムだが、そのために基本線は守れた。これだけデクノボーの主人公でも、退屈はさせない。研究所のシークレット気分てのがけっこう好きで、最高機密とか言うと、そうか、と思ってドキドキする。細い光の帯が人体を縦に切るように光ったりして。そして主人公の乗った列車が動きだし、悪漢に支配され、引込線に入っていくの。広州市の人たちは災難でしたなあ、国が化学兵器作ってたから死んでも仕方がない、って言うんなら、同じことをワシントンでも描けるの? などと思ってしまう。なぜ映画は列車が好きなのか。車窓がスクリーンに似てるからか、移動しているような固定しているようなとこでアクションにメリハリが出るからか。ラスト、列車を駆け上がっていってヘリのはしごに飛びつくのは、笑っちゃいけないとこなんでしょうね。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-09 11:57:17)
1618.  トウキョウソナタ 《ネタバレ》 
こんどは普通のホームドラマだ、って聞いてたから、最初のうちは「粗雑なシナリオだなあ、そんなリアクションはないでしょ普通」などとブツブツ言いながら見ていたが、失業友だちのエピソードあたりからか、「これいわゆるリアリズムじゃないのだな」と分かってきて、途中からちょっと守備位置を変えて鑑賞した。だから役所が出てきても、そう驚かないですんだ。広い意味でのファルスというか。このタイトルは小津の『東京の合唱』を意識してるんだろう。あれも苦いコメディだった。戦前の大不況期の失業家族のドラマを、今回の平成の不況に読み換えていく(子どもの病院行きが共通し、トイレの札束もボーナスシーンを思い出させた)。あっちはラストで“合唱”に至ったが、こっちは家族がばらばらに“ソナタ”という独奏曲を奏でた果てに、三者三様の朝を迎え、とりあえず肩を寄せ合って終わる。でも流れる曲はまだ朝には至らない「月の光」だ。あの時代も現代も、家族ってものは隠し事をする対象であり、また踏ん張る力を与えてくれるよりどころでもあると、変わっていない。ショッピングモールから発進する役所・小泉の車を追って併走するカットや、住宅街のたたずまいのノッペリとした気味悪さなどに、この監督の味。香川照之の赤いネクタイは、作業服の予告でもあるが、同時に朝日の希求でもあった、と思ってやりたい。
[DVD(邦画)] 6点(2009-10-08 12:04:44)
1619.  愛に迷った時
ラッセ・ハルストレムって名前にまだ貫禄があったころの作品で、両親役がロバート・デュヴァルにジーナ・ローランズと固めてあり、これでヒロインを無名の新人がやってたら、もしかすると小味なホームドラマの輪郭がはっきりしたかも知れない。なのに、ジュリア・ロバーツが入ることで、こっちの気構えが不安定になってしまった。スターが出ることでヘンになってしまう映画というものもある。父親の物語なんかもっと展開してもいいのに、それぞれの登場人物に平均的にドラマを配分して、けっきょく定型どまりになってしまった。かえって独自の物語を持たなかった妹が一番印象に残るというのも皮肉。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-07 11:58:48)(良:1票)
1620.  パイナップル・ツアーズ
沖縄がのんびりしていることの全面的な肯定、ゆるんでいることの謳歌である。のんびりしていることがただ怠惰で非効率とされる本土に対して、これはこれで一つの文化なんだと歌ってみせた。たとえば第2話。居着いてしまった本土の青年がずるずると土地の娘の婿に仕立てられていく話。60年代前半なら『砂の女』のような鋭角的な手触りの作品になったモチーフ、60年代後半なら『神々の深き欲望』のようなコッテリとした味の大作になったモチーフ、それを90年代あたまの沖縄人がサラリと風土に合ったトーンで描き直している(もっとも中江監督は実は京都生まれで、後天的ウチナンチューと自称しているそうだ、そういう来歴がストーリーに生かされたかも)。今村の視線は、やはりヤマトの側から南の風土に吸い込まれていくヤマト人を眺めるものだった。その豊穣な風土への畏敬の念が、どこかおぞましさとつながって感じられてくるところに、今村の正直な感性があったと思う。南でしだいにゆるんでくるヤマト人の変貌は、既知のものが未知の中に引きずり込まれていく、魔に魅入られていくといった印象があって、しかし本作にはそれがない。今村の描いた壮麗な神々の風土を「過大評価です」と笑っているような人間臭い世界がある。映画は主人公ヒデヨシ君にちょっと同情しながらも、途方に暮れる彼を祝福し歓迎していく。那覇へ逃げ出そうとするところを連れ戻される望遠鏡のカットの穏やかなユーモアなど楽しい。ヒデヨシ君個人に密着して考えれば、老人たちの無邪気さは共同体の不気味さと裏表のものであって、『砂の女』のテーマは現在でも有効なはずだ。しかしそれらのことを考えても、ついついヒデヨシ君を祝福してしまうのは、その底に作者ののんびりゆるんだ自分たちの暮らしへのはっきりとした自信があるからに違いない。それが爽やかさになっている。
[映画館(邦画)] 7点(2009-10-06 12:11:13)
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