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花守湖さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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161.  リーピング 《ネタバレ》 
信仰を失った人間が再び信仰を取り戻すまでを描いたホラー系ヒューマンドラマという新ジャンルの物語なので必見です。主役のヒラリースワンクは宣教師でしたが信仰を失い、売れっ子科学者にとらばーゆしました。それがいかにもB級っぽくて逆に好感が持てます。しかし悪魔崇拝者たちが超能力少女を殺す手段として、なぜヒラリーをスカウトしたのか分かりにくい。結論からいうと超能力少女は悪魔ではなくて天使でした。つまり神です。神を殺せるのは神に仕える聖職者だけだそうです。聖職者には宣教師も含まれるのでしょう。しかも現役の宣教師じゃなくて引退した元宣教師でも神を殺せるようです。だから悪魔崇拝者たちは元宣教師の彼女を村に招いて、神の化身である女の子を殺させようとした。彼女は信仰を失っており、すでに神を信じなくなっていたので神を殺すのに好都合だという理由もあります。そういう事情でヒラリーは村にスカウトされたのだと思います。不思議なのは悪魔崇拝者たちです。なぜ彼らは神の情報にそんなに詳しいのか?広辞苑に「神の殺し方」についてのっていたのでしょうか。いずれにせよ悪魔崇拝者が神の化身の少女と対決したとしても、ゴミクズのように殺されていたでしょう。少女の強さは尋常ではありませんでした。ラストはスピルバーグの「宇宙戦争」を彷彿させるかのように人間が一瞬のうちに灰になってしまう。だけどいなごの大群に窒息死させられるよりはマシな死に方かもしれません。だから最初から少女には近づかないほうがいいと言ったはずです!攻撃をしなければ少女のほうから害を加えることはなかったはずです。悪魔崇拝者たちは神の殺した方を覚えるよりも、さわらぬ神にたたりなし、という言葉を覚えるべきでした。こうして元宣教師は神の力をみて再び信仰を取り戻しました。めでたし。めでたし。  
[DVD(字幕)] 6点(2008-05-17 20:09:58)
162.  アイ・アム・レジェンド 《ネタバレ》 
もうすこしB級色の濃い明るいゾンビ映画を期待していましたが、すごく真面目なゾンビ映画でした。だから息が詰まりそうでした。まずゾンビが頭がいい。主人公が宙吊りのトラップをしかけたのを見てゾンビたちは真似をする。主人公は難しい研究をしているくせにイライラするほどマヌケです。突然マネキンにキレて銃を乱発したあげく、罠にはまって宙吊りにされて気絶してしまう。それなのに飼い犬に「おれは大丈夫だぜ」と余裕をかましておきながらヒモを切った自分のナイフに足を突き刺してしまう。さっさと死ねよ、と真剣に思いました。主人公のドジのせいで死んだイヌがかわいそうです。ところで人間が失望をするときはどういうときでしょうか?それは希望を持っているときです。希望を持っているからこそ失望という感情が芽生えるのだと思います。たとえば主人公が非常に怒ったシーンがありましたよね。その理由は別な場所に人間が生存していると、女性から聞かされたからです。あのときそれを聞かされた主人公は恐くて仕方なかったのだと思います。なぜなら主人公はすでに何度も希望を抱いてそのたび失望してきたからです。治療薬をつくる作業もまさに希望と失望の繰り返しです。あまりにも多くの失望を経験しすぎたため希望を持つことを無意識のうちに避けるようになった。もう二度と希望を抱いてそのために失望を繰り返して傷付きたくなかった。それがあのときの彼の怒りの源泉です。彼は希望を捨てた男だったのです。その男が死ぬ間際になって希望を持った。そのシーンがかなり感動的です。主人公にとって治療薬の完成は、今までずっと沈黙してきた神がようやく姿を見せたということに他になりません。「この治療薬でゾンビになっているおまえたちを救ってやれる!」と涙を流して叫んでいる主人公の様子にもらい泣きしそうになりました。救ってやりたいなら車でひき殺すなよ、と少しだけ思いましたが。いろいろな意味で今回のウィルスミスはヘタレなのか救世主なのか天才のか天然ボケなのかつかみにくいキャラでした。だけどこれが人間の本当の姿なのでしょう。これはけっこうヒューマンドラマです。 
[DVD(字幕)] 7点(2008-05-05 22:44:28)(良:4票)
163.  バイオハザードIII
これはひどい。監督の頭がすでにゾンビ化している。ゾンビよりむしろ監督にアリスの血清が必要かもしれない。 ただしアリスが強くなるのは大賛成です。今後もどんどんスキルアップしてもらいたい。沈黙シリーズにでてくるおじさんのように無敵になってください。
[DVD(字幕)] 4点(2008-04-28 23:08:03)(笑:1票)
164.  パンズ・ラビリンス 《ネタバレ》 
グロテスクな映像ですら「娯楽」の1つとして魅せていました。「あなたの生まれてくる世の中は残念だけど、とってもつらいわ」と母親のおなかにいる赤ん坊に問いかけるオフェリアに泣かされます。大人が人生に苦しむのはまだ我慢できる。しかし幼い子供が人生に苦しむのは許しがたい。スペインの内戦といえば実際に自ら従軍したヘミングウェイの「誰がために鐘はなる」を読んで昔衝撃を受けたことがありますが、ここで展開される内戦はそんな壮大なものではなくて、あくまでも生きるという事の辛さを伝えるためのものでした。仮に戦争中ではなくて裕福な日本であっても、自殺に成功する人が毎年3万人、自殺に失敗する未遂者がその10倍、つまり1日に900人前後の人がどこかで自殺を試みているわけですから、人生の苦しみというのは、いつの時代であろうが、どこであろうが相対的なんだと思います。つまりこれは特別な人の、特別な場所で起きた、特別な物語ではなくて、誰にでも訪れるであろう普遍的な物語でした。だから共感できる。オフェリアが試練を乗り越えたら、悲しみのない幸せな国の王女様になれるという空想を持つ事だって、滑稽で同情すべきものではないと思います。たとえば仏教の教えは善行を積めば極楽浄土へ行けると言いますが、それはオフェリアの空想となんら変わりません。人間は不安に耐えるために空想を作り出すのです。オフェリアの不安の原因を「戦争」という遠大なものではなくて、もっと身近な「大尉」というものに焦点を絞ったのは分かりやすくてよかったです。この大尉は、自分の妻ですら、女は子供を生む機械だという態度で腹がたちます。彼は自分の遺伝子を残すという動物的な本能以外は何も思想がありません。ひどい男です。オフェリアの唯一の理解者であるメルセデスが大尉の口を裂いたときは痛快でした。ボクシング中継を観ているときのように、そこだ、右だ、よし左、やれ、ぶち殺せ、と叫んで応援してしまいました。この映画はメルセデスが一番輝いていたと思います。本当に哀しい物語ですが、この映画が終わった後、つまり監督が「はい、カット」と言った後に、メルセデスと死んだはずのオフェリアが立ち上がって、2人は仲よく微笑みながら珈琲を飲んでいる。そういう光景を空想して悲しみを紛らわせたいと思います。 空想は人間の特権です。
[DVD(字幕)] 9点(2008-04-28 22:37:54)(良:4票)
165.  夏物語(2006) 《ネタバレ》 
泣きました。手を離さないでほしかったです。手を離した時は(>_<)と思いました。村ののどかな雰囲気がなんともいえませんでした。雨がしとしとざあざあ降っていました。雨がとても印象に残りました。主役の男の人は韓国で有名な人ですが私は名前を知りませんでした。でもこの人の泣き笑いのような顔はほほえましかったです。女の人も知りませんでした。みるからにさち薄そうな人でした。切なかったです。なにかよく分かりませんが人生ってうまくいかないなぁと思いました。でも不幸じゃないような不思議な終わり方でした。やっぱり人生ってうまくいかないけど、一件落着、という感じでうまくおわるんだなぁと思いました。おもわず人生を語りたくなってくる・・そういう映画でした。
[地上波(字幕)] 6点(2008-04-25 18:06:41)
166.  ブラックブック 《ネタバレ》 
ナチスがユダヤ人をしつこく追い回すという典型的でありきたりなヒューマンドラマはいっぱい観てきたので、もう観たくありませんでした。しかしみんなのシネマレビューの評価は嘘をつきませんでした。一番面白いのは主人公のユダヤ人であるエリスが死にそうで死なないところです。素晴らしい。「戦場のピアニスト」のユダヤ人の主人公もかなりしぶとい男でしたが、エリスはそれを上回るしぶとさだと思いました。特に圧巻だったのが船の上でユダヤ人が棒立ち状態で射撃の的にされて皆殺しにされるシーンでした。まわりのユダヤ人は次々に倒れていくのにエリスには弾は当たりません。いや当たっているのかもしれない。不死身なのかもしれない。人間じゃないのかもしれない。未来からやってきたターミネーターなのかもしれない。本当にびっくりしました。またエリスが体に注射されて殺されそうになったときも凄かったです。エリスの体が動かない、これは殺られた!と思いました。チョコ食って、少しは体が動くようになりました。でもこの状態では空でも飛んで逃げない限り助からないと思いました。そしたらやはり飛びました。窓から飛びました。思わず拍手しました。すべてにおいて完璧な女でした。シガニーウィーバーに変わって是非エイリアンシリーズの主役になってください。驚きの映画でした。エリスの生命力を賞賛したくなりました。人間ってすばらしい! 
[DVD(字幕)] 9点(2008-04-22 18:24:58)(笑:1票)
167.  ゲド戦記 《ネタバレ》 
ゲド戦記というより吾朗日記でした。ゲドの名を借りて、偉大な父をもつ吾朗氏が、己の苦悩を隠喩を用いて告白するというものでした。ようするにこれは壮大な自分探しの冒険です。個人的にはクモという魔女が素敵でした。最後になるとクモは、「千と千尋」のカオナシのように無力になってしまうのですが、テルーはそれでも容赦なく、竜に大変身して、口から何かよからぬものを吐き出して、放心状態の魔女を爽快にぶち殺してしまいました。かわいそうでした。おまえが命を大事にしろよ。また賢人のハイタカに従うアレンの姿は、鈴木氏に従う吾朗氏の姿を連想させて泣けてきました。それから性格の悪いおばはん2人組のことを「あれでも子供を気遣っているからマシだ」と言ったテナーの言葉は重要です。王様と対比されているからです。家族をかえりみずに国民のためだけに働いてきた王様は、日本の大勢の子供のために映画をつくってきた宮崎駿氏のことであり、吾朗氏はそのことを皮肉っているのです。この映画の副題は「いかにしてボクは虚無から脱したのか」にしましょう。人間は不安が深くなると無意識に感情のスイッチを切り防御します。それで不安は消えますが喜びもなくなる。この状態を「鬱」といいます。つまりアレンは不安に耐え切れず「こころ」を捨てたのです。その「こころ」が影の正体だと考えます。そこから脱する方法がこの映画のメッセージです。「生」の充実は「死」を肯定することで実感できる。これだと分かりにくいので言い直すと、春のありがたみは冬を経験してこそ実感できる、つまり喜びは不安が存在してこそ成立するということです。哲学です。子供の視点は皆無でした。しかしこの作品はそれでもハウルより上です。ハウルはもっと1人よがりで子供を激しく置き去りにしました。多分宮崎駿氏はもう才能が枯れ果てていると思う。だから鈴木氏の危機意識も理解できる。ジブリはいま世代交代を模索している時期です。私としてはカンヌで立派な賞なんて取らなくていいからワクワクするアニメを作ってくれる人を後継者に選んでほしいです。 
[DVD(字幕)] 6点(2008-04-17 19:18:48)(良:3票)
168.  家の鍵 《ネタバレ》 
社会面を賑わす事件のなかで「我が子を愛せない親」が取り上げられ、親失格だとか鬼母だとか批判され、ワイドショーでは心理学者が登場して子供を愛せない親は本能が欠如している、と何度も同じことを言ってますがだけどそんな分析はむなしいだけでこういう悲劇はいっこうに後をたちません。多くの親は我が子を愛することができますが、子供を愛せないで苦しんでいる親も多いわけで、そんな親はきまって自己嫌悪に陥っている。 そういうことを考えてみると、これは親が子供を愛そうとして、愛せなくて、戸惑いながらもそういう現実を受け入れて子供と向き合おうとしている話だとおもう。 つまり、障害をもった子供をもつ親の複雑な心理状態を描いた特異な物語ではなくて、ごく身近な悩める親の姿を描いた物語ではないでしょうか。 多くの人は親が子を愛するのは当たり前だと思いがちですが、そこにはさまざまな障害が存在する。本作では「障害」が隠喩ではなくて、実際の障害(身体的な)として用いられていて、親子の壁になっている。健全な母親ならば、「自分の子供が死ねばいいと思うことがある」と言い切った母親のことを理解したいとも思わないかもしれません。この母親は、一生我が子の介護を続けて自分の人生が台無しになることを苦しんでいるのではなくて、我が子を憎んでしまう自分に苦しんでいる。だからこれを障害児の介護の苦しみと捉えてしまうと本質から外れてしまう。それから主人公の父親がよかった。障害をかかえる我が子の存在を愛しく思ったり、恥ずかく思ったり、戸惑ったり、うしめらたかったり、そういう素直な感情が台詞からではなくて、しぐさから感じ取ることができました。父親は障害をかかえる我が子を他人に見られることを「恥ずかしい」と感じている自分に恥じているのでした。ラストシーンの父親の涙は特に印象に残ります。最初から立派な親などいません。これは1人の男が父親として成長する物語。 
[DVD(字幕)] 8点(2008-04-06 23:28:46)
169.  美しい人(2005) 《ネタバレ》 
この作品には一貫性がある。どの章も女性の孤独が描かれている。1章は服役中の母と、面会に来た娘。娘に恋人のような存在ができ、しだいに自分の手から遠ざかっていく様子を何にもできずに静観するしかない母親の焦燥感といらだちが表現されている。2章は妊婦の女と、女の元恋人が偶然出会う。幸せな結婚生活をおくる女の前にかつて結婚を誓い合った男が現れる。女は過去に男の赤ん坊を身ごもって流産していた。3章は父に会いに来た家出娘。体が弱くて美しい妹のみが父親から溺愛され、姉は父から愛情を受けずに育った。嫌われ松子を彷彿とさせる。4章は愛する女と愛されるクソ男。子供の頃に両親が離婚した経験を持つ女性は、自分は安定した生活を送りたいと願うが、彼女が愛する男はいつも甲斐性がない。母のようになりたくないと思いつつ、母に近づいていく女の静かな怒りが伝わってくる。5章は離婚寸前の両親をもつ娘。子供という生き物は親に迷惑をかけるものだ。ただしそれは親がしっかりしている場合に限る。もし親がどうしようもないクズだと子供は自分がしっかりしなくてはいけないという意識が芽生える。その典型がこの娘。しかし愚かな両親の愛想劇に、娘の神経はずたずたになっていく。6章は聾唖の男とその男の元妻の物語。聾唖の男の後妻が自殺したあとの葬儀で元妻と出会い性欲を訴えるという話。聾唖は無垢の象徴。元妻は母性の象徴だと思われる。7章は不倫する女。特に感想はない。8章は乳がんになった女とその夫。手術前。女が女でなくなることに対する心理描写が秀逸。そんな女を見守る夫は置物状態。女はその置物に安らぎを覚える。9章は祖父と孫の墓参り、もしくは母と娘の関係。取り残された女性2人の将来に対する漠然とした不安心理を自然に表現している。全体評価としては、人間関係や女主人公が置かれている現在の状況を理解するのにはじまりから2分はかかる。1章あたり10分程なので少し気を抜いてしまうと「おまえら誰やねん」という登場人物が必ずでてくる。従ってこの作品は平凡でありながら息の抜けない物語である。短編なので説明不足になるのは否めないがその分、想像力で補う余地はある。ちなみに私が説明した1~9章の感想は正しいと思わないで欲しい。しかし間違いだとも思わないで欲しい。良作は「真実」が監督の考えからはみだして、観客の想像力に委ねられているものをいう。 
[DVD(字幕)] 9点(2008-03-28 20:10:57)
170.  消えた天使 《ネタバレ》 
アメリカにはミーガン法という法律がある。この法律によって住民は性犯罪歴のある人間の情報を簡単に手に入れることができる。極端なことをいえば、元性犯罪者は「わたしは性犯罪で逮捕されたことがあります」というプラカードを首にぶらさげてずっと生きていかなくてはいけない。これは性犯罪者の再犯率の高さを憂慮して作られた法律であり、住民は危険な人間がそばにいることを事前に知る権利があるというわけです。従ってこの映画は「元性犯罪者」は必ず性犯罪を繰り返すという前提がある。それは事実かもしれないし違うかもしれない。今回のリチャードギアは殴る、蹴る、怒鳴る、相棒の女に銃をつきつける、もうやりたい邦題です。「その男、凶暴につき」のタケシのようでした。彼の仕事は出所した元性犯罪者を監視する保護観察官です。これでも正義の味方なのです。アメリカでは2分のあいだに1人が必ず性犯罪の犠牲者になっているという。しかしこれは露見された性犯罪の人数であり、未遂や表に出ない性犯罪はもっと多いはずだ。性犯罪者の数が圧倒的に多いので、保護監察官はたった1人で1000人の元性犯罪者の監視をしなくてはいけない。これがアメリカの現状です。リチャードは神経をすり減らし、しだいにダークサイドに落ちていく。犯人は誰なのか?という謎解きの要素よりも、リチャードが最後にどうなるのか?ということに重点が置かれている。メーガン法は日本人の感覚からいえば少し厳しすぎる。この法律だと必ず集団ヒステリーが発生します。しかしアメリカ人の宗教観というのがミーガン法をつくらせたのだと思う。人は罪があるから神から罰を受ける。どんな大人にも必ず罪はある。しかし罪のない子供が罰(性的虐待)を受けているという事実がある。この事実だけはアメリカは到底受け入れられない。つまり神がいないということを認めてしまうことになるからです。沈黙を続ける神にふりまわされ、くたくたになってしまった主人公の保護監察官はアメリカそのもの。アメリカの病み具合を1人の香港人監督が巧く表現していたように思います。 
[DVD(字幕)] 8点(2008-03-14 19:55:19)(良:2票)
171.  アポカリプト 《ネタバレ》 
残虐シーンをみせるために作られた映画でした。どれだけ文明が進化しても人間の本能は、無意識のうちに殺戮シーンを好むようにできています。ゲームや漫画の目的もつきつめれば殺し合いです。ただし「殺した」という表現は使わずに「倒した」という言葉でやさしく本質を包み隠している。メルギブソンのつくる映画はそのような人間の隠し持つ根源的な攻撃本能ともいえる欲求を常に満たしている。しかし見せ方が露骨だというだけです。露悪趣味もここまで一貫性があるならばかえって潔い。1つ気になったのは「足」です。カメラはなかなか足をうつさない。しかし主人公は裸足であのデンジャラスな森を疾走していたと思う。カメラの照準をもっと「足」にあわせても良かったのではないか。そして見所はなんといっても逃げるシーン。「ジャガーを連れてきた男に気をつけろ」という予言がありました。連れてきたというより追いかけられているだけやろ!と突っ込むのは野暮なのでやめておきます。あのジャガーは本物だという。すごい存在感だった。視聴率低迷に悩むアカデミー賞なんだから、サプライズでジャガーに助演男優賞を与えるくらいの演出をしても良かったと思う。レッドカーペッドを疾走するジャガーがみたかった。 
[DVD(字幕)] 7点(2008-03-08 19:04:41)(笑:2票)
172.  それでもボクはやってない 《ネタバレ》 
痴漢にあった女性の心を傷つける権利が本当にこの映画にあるのですか?そんなに少数の冤罪者に同情したいならば、在日外国人の冤罪事件でも取り上げればいいのです。日本は痴漢大国です。それをどうやって防止していくか、ということを警察や地域が一体になって努力しているなかで、この映画の内容はあまりにも悪質すぎる。こういうわがままな男の視点に立ったものをつくるから、「痴漢される女性にも落ち度がある。男はむしろ被害者だ」と、勘違いする男が出てくる。この物語のなかで言っていることは、ようするに、痴漢男のなかにも無実のものが1%いるということでしょう。だけどね、そんなのは北朝鮮のなかにも善人が1%いるし、オウム信者のなかにも1%まもとなのがいると言っていることを同じなのですよ、監督さん。あなたはわざと問題の本質をゆがめている。いいでですか?痴漢をされた女性はですね、心に大きな傷を受けるのです。それはトラウマとなって、まともな社会生活すらおくれなくなるケースもある。その事実は無視ですか?主人公が痴漢と間違われたのだって、じつは女性のほうが過去に痴漢の被害を受けて恐怖でパニックになっていた可能性が高い。それなのに痴漢されたと思い込んだ女性が100%悪いというみせかたをするのはおかしい。一番はらただしいのは、この映画が男ばかりを擁護して、本当の弱者の心の痛みにまったく鈍感であることです。私はこの監督の偽善をぜったい許さない。  
[地上波(邦画)] 0点(2008-03-02 13:24:21)(笑:2票) (良:4票)
173.  スターダスト(2007)
むちゃくちゃ面白かったです。ちゃんと冒険をしてるし、魔女は魔法をバンバン使っているし、空賊たちの生活は活気に満ちあふれているし、すべてがほほえましい。なによりもB級路線を貫いたことを評価したいです。同じファンタジーのロード・オブ・ザ・リングはもちろん雲の上の存在ですが、あれは重苦しい戦いばかりが続きますし、人間ドラマも濃いので肩が凝ってしまう。 ようするに真面目すぎるのです。しかし本来ファンタジー映画というのは、もっと肩の力を抜いた適当さがあっても良いのでは??わざわざ人間描写を重厚にする必要もありません。ファンタジーとは何でしょうか? それは世界観です。現実では味わえない世界にどっぷりひたって、いやな現実や、しがらみだらけの人間関係を忘れさせてくれることです。そういう点では「スターダスト」は、まさしくファンタジーの本質を貫いたと思ってます。すごく単純で、すごくさわやかで、すごく笑えるし、非常に世界観がしっかりしているのです!なによりも子供さんが大喜びする映画でしょう!またロバート・デニーロの恐怖のキャプテン。久しぶりに大笑いしました。これはあえて言いませんが観てのお楽しみです。そしてクレアデーンズは人間の姿をした流れ星さんですね。この子が踊りを楽しんでいるときや、または好きな男性から抱きしめらたときは、体がぱあぁと輝きます。うれしいと体から光を放つ。これ・・最高です。流れ星は常に落ちる運命ですが、今回は恋に落ちちゃった、ということでしょうか。ミシェルファイファーの魔女役もはまり役です。この方の悪女ぶりはすっかり板についてきました。いつも心の底から悪役を楽しんでいらっしゃる。ついでに王位継承をもくろむ悪い王子たち。彼らは殺されたあとに、幽霊ギャラリーになる。本当のワルは誰もいないから、安心して観られます。それと壁の番人のじいちゃん、あんたも面白すぎる! 
[DVD(字幕)] 8点(2008-03-01 20:56:07)(良:2票)
174.  善き人のためのソナタ 《ネタバレ》 
ソナタを聴いたから主人公が「いいひと」になったという見方をしてしまうのは、やはり邦題のせいかもしれません。なぜ主人公がかわったのか?色々な意見があって、大変興味ぶかく読ませていただきましたが、やはり主人公は、盗聴という手段で、他人の生活を聴くことによって変わっていったのだと思います。そういう意味では「他人の生活」という原題のほうが、主人公の心変わりを理解するのには適していると思います。「他人の生活」を聴く前までの主人公は「孤独」の感覚が麻痺していたのでしょう。ゲーテの格言に「誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けて行く時ほど、痛切に孤独を感じるときはない」という言葉があります。しーんとした部屋の中で1人ぼっちでいても孤独は感じないものです。それよりも、騒音というのは、1人ぼっちの人間にとっては、恐ろしい孤独を与えるのです!「1人」では孤独は感じません。「人々」のなかに存在する1個の自分を確認したときに、孤独というものは気がつくものなんです。主人公は気がついたのです。気がついたときに、人はどう変わるのか?悪いほうに変わるとすればそれは嫉妬です。じつは主人公の行動は紙一重だったのかもしれません。もしかすると、濃密な人間関係を見せられた主人公は激しく嫉妬して、あの男女を破滅させようとしたかもしれません。だけど彼は、あまりにも自分とはかけはなれている他人の生活に、純粋に羨望を抱いたのだと思う。それでもなぜ主人公が劇的に変わったかわからない場合は、映画を思い浮かべればいいと思います・・・。映画を見ることも「他人の生活」を見ることなんです。この話は監視国家の恐ろしさなんて本当はどうでもよくて、人が変わることの意味を問いかけた究極のヒューマンドラマではないでしょうか。  
[DVD(字幕)] 8点(2008-02-13 19:16:11)(良:3票)
175.  ホリデイ 《ネタバレ》 
泣きました・・。もうれつにカンドーしました。テントのなかはもう超サイコーですよ・・・。娘たちがサイコーです。父親の好きな女性が家にやってきて、イケメンジュード・ロウがしどろもどろ。だけど娘たちがいい子なんです。「おとうさん、ガンバレ~」という感じで、おとうさんをずっとサポートしているんです。あのあたたかい雰囲気に泣かされました。あんな娘たちがいたら、父親としては、命を捨ててでも、ぜったいに守りたいと思うでしょうね。アンチジュード・ロウのわたしも、今回は娘たちにめんじて、一緒になって、奴の恋愛がうまくいくようにと応援をしてあげました。やはり恋愛をしている男女を応援できる気持ちになったら、すなおに恋愛映画は楽しめるものなんですね・・・。ケイトくんもさすがです。あのやかましいフリン男にふりまわされていた彼女が、ついにぶちきれるシーンが痛快でした。最初は彼女の顔に怒りが・・しかし男をののしっている顔の表情は、みるみる輝きをましていくのですね。ナイススマイルです。彼女の心の中にひそんでいた霧が、すごい勢いでなくなっていく様子が手に取るほどよくわかりました。とりあえず、みんしねとわうわうに感謝します。 
[地上波(字幕)] 8点(2008-02-12 20:39:38)(良:1票)
176.  バベル 《ネタバレ》 
1丁の銃が人々の不幸を招いたという見方もできるし、1丁の銃が人々の切れた絆を元に戻す役目を果たしたという見方もできる。皮肉なことに残酷な「銃」が、バベルな人々を再生させるきっかけになっています。「聾唖」は、コミニケーション不全の社会のメタファーだと考えるのが適当だと思いますので、聾唖者(又は日本人)が悪く描かれているという見方をすると、この作品の本質を見失う可能性もあります。つまりこの少女はバベルの塔をつくり、神からコミニケーションを奪われた罪深い人間の象徴として描かれているのです。この映画の本当の主人公でしょう。彼女はコミニケーションに飢えており、奇怪な行動を繰り返すようになる。しかし喋ることができる私たちでしたら、コミニケーションは正常に機能しているのでしょうか?神話の時代に言葉を「分断」されてしまった私たち人間は、今では言葉が通じ合う人たちに対しても、コミニケーション不全に陥ってしまいました。お互いを理解できないモロッコの兄弟や、アメリカの夫婦、日本の父娘をみて、まずそのことに気がつかされます。すべての登場人物たちが、同じ言葉を持つ人たちと意思疎通ができていません。彼らは「銃」をきっかけに、自分の罪を自覚し、一番大切なことに気がつきはじめる。たとえばアメリカの夫婦。妻にもっと努力しろと言っていた夫は、妻が凶弾に倒れ瀕死の状態になったときに、はじめて自分と向き合い、妻に懺悔する。罪の自覚がなかったモロッコの弟は、兄が銃殺されたことによって、死の恐怖を超越するほど強烈な罪の意識が芽生え、銃を持った警察の前に進み出て激しく懺悔する。また、善人であるはずのメキシコの家政婦は、子供に「あなたは悪い人じゃないの?」と言われて「私は悪い人間ではない。ただ愚かなだけなの」と弱々しく言い放つ。誰もが罪を背負って生きているという強烈なメッセージ。彼らは「銃」によって傷つき、そして自分たちの弱さを自覚する。こんな世の中で一番大切なことはまず自分の愚かさに気がつくことなんです。自分の罪を自覚したときにはじめて同じ罪を持った他人を理解できるようになる。バベルの塔を連想させる超高層ビルで抱き合う父娘のラストシーンについて。神から言葉を分断されても、また言葉すら失っても、人間はさまざまな手段でお互いを理解しようと試みる─。コミニケーションの重要性を訴えかけた素晴らしい作品でした。 
[DVD(字幕)] 9点(2008-02-12 20:21:43)(良:3票)
177.  ボルベール/帰郷 《ネタバレ》 
風の音が心地良いです・・。これはオールアバウトマイマザーの続編でしょう。男はほとんど出てこないし、出てきても殺されるだけでした(ニガ笑)この監督の特徴でもあるのですが、女性がどんなに辛い目にあっても、誰1人として悲劇のヒロインを演じていない。超がつくほどに前向きに生きている。人殺しやレイプといった深刻な問題に直面しても、女性たちは明るさを失わない。少し能天気すぎるのでは?と思われるくらいが、生きていく上ではちょうど良い。それが困難に克つための秘訣なんだと改めて教えてくれる。女性たちが冷蔵庫を運ぶシーンが印象に残ります。男と女の違いは簡単にいえば力の違いです。重いもの持てるのが男。しかし女性たちは協力しあって、歯を食いしばり重い荷物を運ぶ、もう男なんて用無しよ、というわけです。そういう隠喩的な意味がこのシーンには含まれている。ペネロペは、もともと「女」を演じるよりも、「母」を演じるほうが似合う。母性の強い人だから、水を得た魚のように活きていました。テーマは母娘の葛藤。母娘の関係は、友達同士のような関係になるか、憎みあう関係になるかどちらかだと思う。NHKに「抱きしめるという会話」という広告が昔あり、母親が笑顔のない娘を抱きしめる映像がありましたね。あれは母親が息子を抱きしめる映像だったら意味がないんですよ。母親が戸惑いながらも、娘を抱きしめるということが、今一番必要なんだと思います。 本作では様々な母娘が出てきます。ペネロペ母と娘の関係さえ良好に見えて危うさが漂っています。しかしラストではペネロペ娘と母親の氷解があり、観客はカタルシスを得ることができる。息子を愛せない母親は非常に少ないですが、娘を愛せないと自信喪失している母親は大勢いるでしょう。しかしそれは多くの母親が抱えている悩みかもしれません。母娘の再生というテーマのこの作品を観れば自然と元気がわくのではないでしょうか。なぜか涙が出てくる素晴らしい作品でした! 
[DVD(字幕)] 10点(2008-02-06 20:10:16)(良:1票)
178.  スネーク・フライト 《ネタバレ》 
ヘビを使って飛行機を墜落させようと考える犯人の美学がかっこいい。警察官のサミュエルはだんだんヘビを殺すのにも飽きてきて拳銃で飛行機に大穴をあけてしまう。ひどい警官だ。お前が墜落させる気か。座席にしがみついて、落ちるのを必死でふんばっていたおばさんはきっとサミュエルを訴えるだろう。「スネーク・フライト」の番組が終わった直後に今度はゾンビフライトがはじまった。WOWOWはやっぱりすごい。 
[CS・衛星(字幕)] 5点(2008-02-06 20:03:17)(良:1票)
179.  クィーン 《ネタバレ》 
一般的に王室というのは、理想的な家庭の模範として存在すべきだ、という暗黙のルールがあるのかもしれません。それだけにそこにギャップが生まれると非難の的になる。善の仮面をかぶったパパラッチはダイアナを追撃し、最後に抹殺した─。しかし一転して今度は亡くなったダイアナを持ち上げ、国民の怒りの対象を王室へと向かわせる。究極の偽善者とはどこの国でもマスコミなのです。このバッシング騒動によってクイーンの価値観は揺らぎ、彼女は「感情を抑圧することがずっと正しいことだと教えられてきた」という台詞を漏らす。つまりこの時期のエリザベス二世は、クイーンとして矜持を保ってきた「品格」すらも、冷淡だというレッテルを貼られ批判されたのでした。面白いのは、エディンバラというエリザベス二世の夫なる人物。いくら彼女が女王といえども、妻なのだから、夫の言動に少なからず影響を受けているのではないかと思いましたが全然そんなことがなかった。女王が寝ている寝室でおどける夫と、女王の命令に、うなだれて従う夫の対比が鮮明に印象に残ります。鹿と対面したエリザベスがその美しさに見惚れるシーンがあります。彼女が鹿に感じた感情は共感でした。夫のいる寝室ですら、妻として涙を見せられない女王が誰もいない水辺でようやく泣く事ができた。そのときにその鹿は現れたのです。しかし「孤独」の境地に共感したのではありません。鹿には気高さと威厳があった。彼女は鹿に孤高の影を感じて共感したのです。孤独と孤高は全然違います。彼女は妻であり、母親という肩書きも持つが、それよりもイギリスの女王として生きてきた。一切の「私」をすべて捨て去った人間でした。孤独になると分かっていながらも、あえて自分でその道を選んで進んできた─。エリザベス二世は孤高の人だったのです。このようにクイーンの本質を、言葉で説明するのではなく、一匹の美しく気高い鹿を見せることによって表現してしまう。まさに映画の持つ素晴らしさを充分生かした作品でした。 
[DVD(字幕)] 9点(2008-02-06 19:48:33)(良:2票)
180.  ラストキング・オブ・スコットランド 《ネタバレ》 
狂気をちらちらと見せながら、笑顔とジョークで本性を隠すアミン大統領。人が何かを怖いと感じるときは、怖いものが目の前に現れた瞬間ではなく、まだそれが見えないときではないでしょうか。想像力によって人は一番恐怖を感じる。ウィテカーの演技の巧さは、怖さを前面に出したものではなく、それを観客に暗示させるものでした。青年医師の視点からみたアミン大統領が描かれているおり、アミンを一人称にしなかったことで、この暴君の心の中は観客には分からない。それが一層不気味さを醸し出している。恐怖の演出がヒッチコックのように技巧的で秀逸でした。一方的にアミンが加害者で青年が被害者という図式にしているわけではなくて、青年をあえてモラルを持たない軽薄な白人の代表者として描くことで、勧善懲悪の色合いを暈し、客観性を取り入れている。「おまえたちにとってはゲームかもしれないが、おれたちにとってはリアルなんだ」というアミンの台詞が特に印象に残ります。この一言があったからこそ、アミンってこわかったね、で終わらない作品になっている。アフリカをつまみ食いしようとする白人たちと、アフリカの惨状がその台詞から炙り出されてくる。ウガンダの場合、日本の戦国時代のように下克上の世の中だから、機会があれば誰もが敵に報復しようと目論んでいる。憎しみが憎しみを生み、その連鎖は広がっていき、誰もが疑心暗鬼となっていく。そういう中でアミンは神経をすり減らし、モンスターへと変わっていったのでしょう。もしこの大統領がアフリカではなく、日本で生まれたならば、愛嬌のある気さくなおじさんとして人生を終えていたはずです。アミンという人間が特別な人間だったわけではなく、アフリカという大地が彼を生み出したのかもしれません。 
[DVD(字幕)] 8点(2008-02-02 10:51:46)(良:1票)
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