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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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161.  リパブリック Z 《ネタバレ》 
シベリアにある「サハ共和国」(旧・ヤクート自治共和国)を舞台にした映画である。監督・脚本家と劇中人物はほとんどヤクート人で、台詞もほとんどヤクート語らしい。言語の系統としてはトルコ語に近いのだそうだが、人種としてはまるきり「平たい顔族」であって、兵隊姿の女性などは場面によって上戸彩を思わせるといえなくもないが、男連中は渥美清か阿部サダヲかとも見える。邦画というよりは、どちらかというとモンゴルの映画とか昔の韓国映画の風情だった。 ロードムービーとのことで、いかにも人がいなさそうな平地や川や森林や町村が見えている。どこからどこへ行ったのかは不明瞭だったが、南部にある第二の都市ネリュングリへ行こうとして、レナ川を渡って首都ヤクーツクを通りすぎて森林に入って終わったようなので、どちらかというと北から南へ移動してきたのかも知れない。ちなみに冒頭で旅客機が墜落していた場所は、ヤクーツク市街地南部にあるサイサリ湖Озеро Сайсарыだった。市街地の北にある空港を離陸してすぐ落ちたらしい。  映画の分類としてはゾンビ映画だろうが特に怖いところはない。設定上は「先史時代の人間の腕」の発掘が発端になってゾンビが蔓延したとされていたが、現実世界でも2016年にシベリアの別の場所で土中から出た炭疽菌に感染した事例があり、また最近は永久凍土層から新種のウイルスが続々と発見されたりしていて、温暖化による永久凍土層の融解は「感染症の時限爆弾」だとの指摘も出ている。それは今風にいえば脱炭素向けのネタなわけだが、この映画ではよりオーソドックスに、現地で行われてきた鉱物資源の採掘が自然破壊につながったのだと主張していた。ちなみに映画と関係ないが、現在のサハ共和国では永久凍土が融けてきたことでマンモスの発掘が産業化しているとのことで(ハンコ用の象牙)、これも危ない感じを出しているといえる。 原因はともかくとして、土中から出た病原体により冬は休眠して春~秋に活動するゾンビが発生したというのは、この場所の特性を生かしたユニークな発想と思われる。劇中人物はアメリカに難癖つけていたが実はここが真の発生地であって、その解決策もセットで提供した形のご当地ゾンビ映画になっていた。  ドラマの面では、終末世界ながらそれほどの悲壮感もなく、どことなく抜けた感じの緩さがある。青春ロードムービーのようでもあり、また最終的には英雄物語でもあったらしい。個別の場面としては、遊牧民の長老のような顔をした爺の「…誰でもが希望を持つべきだ…」という素朴で率直な発言が心に染みた。こういうことを言って死にたいものだ。 残念だったのは終盤の展開がかなりいい加減で、唐突に最後を切り上げたようで何だこれはと思わされることである。何か事情か考えがあったのか、あるいは単に制作側の姿勢がいい加減だったのも知れないが、珍しいヤクート映画なのでまあいいことにしておく。監督には今後も頑張ってヤクート映画を作ってもらいたい。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-04-22 13:01:03)
162.  ワールドエンド 《ネタバレ》 
152分はさすがに長いが、もとは50分×6話のTVシリーズだったそうで、これで半分くらいに落としていることになる。短縮版のせいか、説明がつかないままで終わってしまったところもあった気がした(クマも宇宙人に操られていたのか?など)。なお原題のAvanpostとは劇中にも出た「前哨基地」のことである。 宇宙人の侵略目的として、故郷の星の喪失による移住というのはわりと古風な発想のようで、また都合よく地域を限定してしまっているので全地球的なスケール感も出ていないが、映像面はそれなりに現代的で悪くない。各種ドローンの普及とか、四足歩行の軍用犬?ロボットが部隊に同行したりする(勝手に歩いて来る)などは近未来感を出している。 また軍隊が主役なので戦闘場面はけっこう迫力がある。近年のゲームの広告映像で見るような、ゾンビの大群を軍隊がなぎ倒す感じの映像もあってなかなか壮絶だった。  物語に関して、宇宙人Idは人類の本質をいわば悪とみなしていたようだが、別にそれが客観的で公正な判断とも思えない。顔が濃い方の男は典型例だとしても、それ以外で劇中に見えていた反例や、個々の事情や動機や心情などと関係なく、一面的に悪と断じて洗脳しようとしただけのようでもある。また映像的な欺瞞による敵味方のすり替えは、現実世界でいえば各種メディアによる大衆の意識操作のようで現代的ともいえる。一方の宇宙人Raは宗教で大衆を統御する昔ながらの手法ということだったらしいが(古代エジプト時代から?)、近年ではそれがかえって波乱要因になっていたということか。 別に宇宙人2人のどちらに正義があるわけでもなかったようだが、人類側にしても宇宙人の指摘を含めた善悪様々な性質が実際にあるわけで、それを初期条件としてうまくやっていくにはどうするか、という問いを投げかけた映画なのかと思った。顔が濃い方の男の遺伝子はその後の人類にも受け継がれることになるが、そこは母方の資質によって牽制される形になる。またラストの出来事は、人類がなぜか子どもを慈しむという習性(人だけでなく他の動物に対しても同様)を挙げ、これも人類の美点と捉えようと提案しているようでもあった。 結果的には人類の本質をテーマにした映画のようだが、続編(TV)もあったとのことで、この映画限りであまり考えても仕方ないか。とりあえず娯楽としては悪くない映画だった。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-04-15 16:48:03)
163.  スペースウォーカー 《ネタバレ》 
ソビエト連邦の宇宙開発を扱った映画である。主人公のアレクセイ・レオーノフは、アーサー・C・クラークの「2010年宇宙の旅」(映画「2010年」)の宇宙船の名前に採用された宇宙開発史上の著名人である。 注目点としては人類初の宇宙遊泳ということだが、正直若干地味な題材ではある。ただ少し意外だったのは、この時使った「エアロック」というのが宇宙船内部にあるのでなく、外部にでかいもの(相対的に)をくっつけた形になっていたことで、これにより今回は宇宙遊泳を目的として、エアロックを宇宙に持って行ったロケットだったというのが見た目で認識できた。  物語の面では、アメリカとの競争で予定を早めたために生じた各種トラブルにより緊迫感を出している。宇宙遊泳の場面は地味だがまともに作ってあり、飛行士の様子が映画「2010年」の序盤の場面を思わせるところもある。また帰還時にはヒゲがプルプル震えていたのが大気圏への突入開始の表現になっていた。そのほか個人的には最初のMiG-15戦闘機に目を引かれた。 これで完全な事実ということでもないようだが、「監修」として主人公の名前が出ていたので(公開2年後に逝去)、少なくとも本人が見て納得できる物語ではあったらしい。単純な宇宙映画なら、帰還後に死にそうになった(寒い)話などは適当に捨象するだろうが、個人を顕彰する映画としてなら苦労談の一部ということになる。また少年時代のエピソードや、かつて助けられた男の恩返しなどでドラマ性を加えている。 本人は気さくな人柄だったとのことで、劇中人物としてもフレンドリーな印象を外見に出しており(小日向文世風)、同僚との軽口や家族撮影の茶番感などユーモラスな場面も結構ある。他の同種映画と比べれば、生真面目な印象の「ガガーリン 世界を変えた108分」(2013)と、やりすぎ感のある「サリュート7」(2016)の中間くらいでほどよい感じの娯楽性だった。なおレオニード・ブレジネフの眉毛はギャグかと思った。  なお劇中で「設計主任」と言われていた人物はウクライナ生まれで母親がウクライナ人のため、ウクライナでは自国の偉人として扱われているらしく、出生地にはセルゲイ・コロリョフ宇宙博物館というのもあるようだった。これがウクライナ映画だったら別の作り方になったかも知れないと思ったが、どうせ当時はみなソビエト人民であるから何人かで区別すべき理由も義理もないとも思う(当時の日本にとってはみな敵性国家の民)。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-04-15 16:48:02)
164.  スガラムルディの魔女 《ネタバレ》 
まずはスガラムルディという地名にそそられるものがある。バスク語らしいが意味不明というのが謎めいて怪しい(「荒れたニレの木の多い場所」?)。ここは登場人物も言っていた通り本当に「魔女の村」として有名なようで、「魔女博物館」というものや、撮影に使われた「魔女の洞窟」というのもあって観光客も来るらしい。なお村からフランス国境までは直線で1.5km前後だが、国境の向こうも同じくフランス領バスクである。  映画としては、どうせ魔女屋敷のようなところでドタバタをやらかすだけの安いホラーだろうと思っていたら(そういう感じのところもあるが)、最終的にはエキストラを動員して巨大モンスターが暴れるファンタジー大作風になっていたのは意外だった。またコメディ映画としても笑わされるところがなくもなく、特に主人公がいつの間にか魔女の恋人にされたと思ったらいきなり痴話喧嘩に発展して惨事にまで至る急展開には笑った。子役も愛嬌があって可笑しい。 ストーリーの大枠としては、太古の昔からヨーロッパにいた女神(有名な「ヴィレンドルフのヴィーナス」風)を奉じる魔女集団が、外来のキリスト教がもたらした男優位の社会に宣戦する形になっている。今回は何とか収まったようだが完全に勝敗が決したわけでもなく、今後も男女の戦いは続いていくということらしい。 なおこの映画では人類を二分する戦いの中で性的少数者も男女どちらかに分属していたようだったが、将来的には既存の区別をこえた新勢力も参入して、さらに混戦状況になったりするのではないか、というのが公開10年後の時点で見た感想だった。  以下余談として、スガラムルディ周辺ではかつて本当に魔術信仰があったとのことだが、「魔女の村」とまで言われたのは1610年の魔女裁判で多くの村人が刑死した事件がきっかけのようで、劇中の魔女集団がキリスト教社会に強烈な恨みを持っていたのは自然な設定に思われる。現地の魔女博物館というのも魔女を面白おかしく見せるというよりは、事件の犠牲者を追悼する意図(及び観光資源としての意義)があるとのことだった。この博物館は古い病院の建物を使って2007年に開館した施設とのことで、魔女の洞窟へ向かう道の村はずれにある。2013年10月のストリートビューで見ると晴れた日の長閑な風景で(少し寂しい)、久しぶりに外国へ行ってみたいという気分にさせられた。
[DVD(字幕)] 6点(2023-04-01 08:49:34)
165.  剣の舞 我が心の旋律 《ネタバレ》 
アルメニア人の作曲家アラム・ハチャトゥリアンを主人公にした映画である。 基本的には題名の曲を作った時期を扱っているが、この曲限定の秘話というよりは、この時期に取材する形で作曲家の人物像を表現している。当然ながらソビエト政権の統制が芸術の世界にも及んでおり、さらに戦争の脅威も迫っていた(音が覆い被さって来る感じ)が、そういった世相や世間の醜さに構わず、黙々と自分の道を行く芸術家だったと見える。「俺は音で考える」というのはなるほどと思った。 曲目としてはバレエ音楽「ガイーヌ」から、題名の曲のほか「子守歌」、「レズギンカ」(音だけ断片)、「バラの娘たちの踊り※」が出ている。しかし主人公が本当にやりたかったのはこういうものではなかったようで、終盤近くになって白紙の五線譜に向かう場面以降、背景に流れていた交響曲第2番が実はこの映画のメインだったと思われる。この曲はショスタコーヴィチの第7番と同じく戦争をテーマにした曲と思われてきたようだが、それをこの映画では、死んだ爺との約束だった「心の叫び」を表現したものと解釈したらしい。 音楽関連の映画として見た場合、まずは題名の超有名曲で人目を引いておきながら、そんなのは実は体制側に強要された急造品でしかなく(それでも名曲)、本当に大事なのは交響曲だからぜひ聴いてみろ、と観客に勧める映画かと思った。確かに聴いてみる気にはなった。 ※公式サイトの監督インタビューではなぜか「ピンクガールズの踊り」と書いている。  アルメニアという国の関係では、大小アララト山の雄大な山容を望む「ホルヴィラップ修道院」の場面があったのは単なる現地PRのようでもあるが、ここはトルコ国境の川から1km程度しかない最前線であり、故郷を追われた人々の悲痛な思いが心に迫る場所という意味らしい。また音楽関連では「子守歌」の原曲であるかのように聞こえなくもない歌や、民族楽器「ドゥドゥク」の名前も出ていた。 政治的な主張としては、かつての「アルメニア人虐殺」を世界が傍観したことが後にナチスのユダヤ人虐殺につながった、という考えを述べていたが若干飛躍がある。それより近場の「ホロドモール」(1932-33)は知らないふりかと思うわけだが、別にこの映画としてソビエト政権を擁護する意図はなく、独裁者や体制腐敗への反感は自然な形で表現されていた。ちなみに戦争の非人道性の描写も若干ある。 最後のニュース映像のような部分を見ていると、心ならずも書いた曲が世界で大人気になってしまったが、そのことでソビエト政権もこの作曲家を重視せざるを得なくなった、という意味かと思った。現在はアルメニアの偉人として扱われているようだが、ここで改めてその真価を問い直そうという映画だったかも知れない(「ミスター剣の舞」ではなく)。なお顔の好き嫌いは人によると思われる。  その他のこととして、題名の曲の中間部にあるサックスパートを生かした話の流れもできている。出来の悪い弟子がいきなり名手になったのは、民族楽器「ドゥドゥク」がサクソフォンと同じくリード楽器だからということらしい(二枚リードだそうだが)。 またオイストラフとショスタコーヴィチが主人公を訪ねてきた場面は、音楽家仲間の馴れ合いの雰囲気が出ていて面白かった。「レニングラード」第1楽章の真相をこんな場所でしゃべっては危ない(同志スターリンに聞こえている)。当代一流の音楽家が揃って大道芸をしていたのはユーモラスだったが、ここは特にショスタコーヴィチの人物像が可笑しかった。 ほか毎度決まったように殴られる奴がいたのは笑った。昔「ノーメンクラツーラ ソヴィエトの赤い貴族」という本を読んだ時に、ソビエト高官が性的な動機からバレリーナのパトロンになりたがる話が書いてあった気がするが、劇中バレリーナに関しても、「仮面舞踏会」のワルツの場面で本人が言ったとおり悲劇に終わったようでもある。しかしうまくやれば劇中の役人を後ろ盾にして、舞踏界での地位を高めていける可能性もあるのではと皮肉なことを思ったりもした。 全体としてドラマにそれほど深みはなく、また何かと話を作り過ぎでウソっぽいようでもあるが、個人的にはいろいろ見どころがあって結構楽しめる映画だった。調子に乗って長文を書いてしまったが一般にはお勧めしない。 [2023/2/18追記] 少し時間が経ってみると、ショスタコーヴィチが心情を吐露する場面と、「ピンクガールズの踊り」を見ている若い連中の顔が強く印象に残っている。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-02-11 09:44:44)
166.  4/猫 ねこぶんのよん 《ネタバレ》 
「一匹の猫が住みつく、とある駅を利用する市井の人を描く」という条件で若手監督4人が作ったオムニバスである。製作は「埼玉県/SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ」とのことで、前に見た「埼玉家族」(2013)と同様の埼玉映画ということになる。なお「とある駅」とは明らかに西武秩父駅であって、撮影場所も秩父が多かったように見える。 登場する「駅猫」は同時期の映画「猫なんかよんでもこない。」(2015)に出演したのと同じネコとのことだが、結果的にネコ成分は薄いので、ネコ映画としては期待しない方がいい。  【ねこぶんのいち/猫まんま】 突然終わるので困惑する。ここで思い切りよく清算して決別したというだけでは単純なので、次の展開に向けて仕切り直しと仕込みをしたのかと思ったがそうでもなかったか。木南晴夏という人がかなりいい感じに見える。 【ねこぶんのに/ひかりと嘘のはなし】 意味不明で終わってしまう。変な男と話が通じた(物語を一緒に作った)体験をもとにして、自分の人間関係を主体的に構築していく気になった、と思えなくもなかったがそれでわかった気もしない。柴田杏花さんはこの少し前から役者として出ていた人だが、この映画では“いいこと思いついた!”の顔がよかった。ネコは後姿がよかった。 【ねこぶんのさん/一円の神様】 制作目的が不明瞭な終わり方だが、要は母の愛が信じられれば子は育つということ自体を表現したのかも知れない。終盤で母親が逃げるのは、同じ監督の「口裂け女VSカシマさん」(2016)を思わせたが関係ないか。役者としては山田キヌヲ+栞那(かんな、子役)のペアで見せているが、朝倉あきさんはあまり顔の見えない役で残念だった。 【ねこぶんのよん/ホテル菜の花】 結末がありきたりに見える。夫の考えはそれ自体として間違っておらず、「可哀想」とは確かに言い過ぎだが、しかし別にこの映画として正しい結論を決めていたわけでもなく、夫婦が真剣に悩んで納得したことの方が重要だったと思っていいか。ちなみにどうでもいいことだが夫は埼玉りそな銀行にでも勤めているのかと思った(根拠なし)。  時間は全部同じくらいなのでそれぞれ1/4ではある。理解困難なものが多いが雰囲気は悪くない。最終話だけそれらしい結末をつけたのは全体構成上の意図かも知れないが、個人的には菜の花畑の演出が過剰に見えて、前の3つが投げっ放しだったことの方がかえって清々しく感じられた。
[DVD(邦画)] 6点(2022-08-06 09:41:04)
167.  私たちの青春、台湾 《ネタバレ》 
台湾を中心に、香港と大陸にわたる若者の社会運動を扱ったドキュメンタリーであり、台湾独立派の学生と、民主主義を実践しようとする大陸からの留学生の2人が主人公になる。2014年の「ひまわり運動」が中間の山場だが、それに続いた香港の運動は成功せず、また主人公2人も個人的な挫折を経験し、劇映画のように都合よくはいかない現実を映して終わりになる。 監督としては、主人公2人が国境を越えた社会運動を広げていく未来を想定していたらしいが、それが挫折したのを自分の挫折とあわせて捉えた結果、監督本人が終盤で第3の主人公のようになっていたのは意外な展開だった。挫折はしても3人の人生はまだ続いていくわけで、その一時期を切り出したこの映画が、それぞれの青春を映していたという形でまとめたらしい。いわゆるほろ苦い青春映画だが、しかし少なくとも台湾にとっての「ひまわり運動」が若者の独りよがりに終わらず、結果として多くの国民がその正しさを確信できたというなら現実的な成果があったといえる。 ほか個別の事項として、「支那」は台湾でどういうニュアンスで使われる言葉なのかが気になった。またネコを閉じ込めた場面は出来すぎのようだが偶然だったのか。性犯罪者の心理を本人に語らせるなどリアルな場面は苦笑した。  ちなみにこの映画は2018年の映画祭「金馬奨」で最優秀ドキュメンタリー賞に選ばれているが、授賞式での監督の発言に反発した大陸側が、翌2019年から映画祭への参加を連続ボイコットしているとのことで、同年からの個人旅行の停止とあわせて民進党政権への圧力と捉えられていたらしい。「ひまわり運動」だけでなく、この映画自体が思い切り実社会に影響を及ぼしたわけだが、それは多分監督の本意でないと思われる。 その他雑談として、「ひまわり運動」の場面で聞こえていた「國際歌」は、これがどういう歌かを知っていれば何だこれはと思わされる。しかし今年3月下旬からの上海ロックダウンで、市民の不満の表現としてこの歌(起て飢えたる者よ)や「義勇軍進行曲」の歌詞が使われたのを当局が問題視し、自宅で鳴らしていた者が警察に連行されるとか、SNS上で閲覧できなくなったという報道があった(2022/5/17ニューズウィーク日本版コラム)。そのように、当初想定と全く違う場面で歌本来の意味が活かされることはあると思えば、この映画での「國際歌」も、純粋に国境を越えた市民の連帯を呼びかけたものと思えなくはない。ちなみに個人的には、政治性はともかくこの歌自体は嫌いでない(歌える)。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-06-11 10:07:12)
168.  君のためのタイムリープ 《ネタバレ》 
邦題の「タイムリープ」からすると時をかける少女かと思うが、台詞によれば「ターミネーター」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だそうで、全体的には後者に近いが邦題の「君のための」は前者のイメージである。2017年で38歳の男が20年前の高校時代に戻る話になっている。 原題の「帶我去月球」(Take Me to the Moon)は張雨生というシンガーソングライター(1966~1997)の楽曲名で、劇中年代もこの人物が事故で死去した年に合わせている。仮にその事故がなければ映画のストーリーは成り立たなくなるが、それでも主人公が無理に警告しようとした姿に結構心を打たれたことからすれば、当時の若者にはこれがかなり衝撃的な事件であって(日本でいえば尾崎豊?)、観客の心情にも訴える場面だったのかと逆に思わされた。 ほかにも当時の社会描写らしいものが多く、登場人物と同じ30代末期にかかる人々が、自分の青春時代を回顧する映画かも知れない(よくあるタイプの)。  物語としては主人公の男が、自分の恋した相手が死ななくて済むよう過去を改変する話である。最初はとにかく死なないことだけ考えていたが、結果的には単に死なないだけでなく、相手の人生が輝く未来が実現でき、ついでに自分の未来も輝かそうと決意したということか?? よくわかっていないが悪くない話ではあった。 日本との関係では、冒頭いきなり日本語で始まるのは「悲情城市」か「海角七号」かと思わされる。1997年時点では日本の存在感が変に大きく、それはかつて文化面でも日本が台湾をリードしていたということだろうが、ラストの段階ではすでに台湾が台湾自身の安室奈美恵を生み出しており、若くして没したアーティストの後を引き継いでいたらしい。エンドクレジットに「特別感謝 魏德聖」とあったことから想像すれば、日本から受け入れたものと、台湾が生み出したものの融合が表現されていたとも取れる。  出演者として、宋芸樺 Vivian Sungという人は今どきまだ高校生役なのかと思ったが、18~35歳を幅広くカバーできる役者という意味なら変ではない。高校時代と現在が同じ演者なのは「私の少女時代」よりも著しい改善点といえる。今回は歌がうまいので感心した。 また「まるで男」と言われていた「小八」役は、「屍憶」で童顔が印象的だった嚴正嵐 Vera Yenという人である。中学生にも見える容貌だが弁護士志望という役柄は悪くない。今回はバンドでドラムを叩いていたのが目を引いた。年齢不詳のユニークな女優(兼シンガーソングライター)のようで好きだ。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-04-30 13:59:22)
169.  リコーダーのテスト 《ネタバレ》 
長編映画「はちどり」で評価された監督が8年前に撮っていた短編で、今はその映画の前日談のように扱われている。原題は直訳すると「リコーダー 試験」である(そのままだ)。 劇中年代は1988年とのことで、教室に貼られたオリンピックのポスターにマスコットキャラのトラが見えていた。当時はTVでマラソン風景など見ていて、日本と似たような国がすぐ隣にあったのだと初めて気づかされた気がしたが、しかしその後は共感よりも違和感の方が拡大していったというのが、当時から生きている日本人としての素直な印象である。  内容的には家族構成や役割が「はちどり」とかなり似ていて、これが前日談とすると6年後にもまだ同じことをしている懲りない人々(特に姉)という変な印象になってしまうが、「はちどり」がこれのリメイクまたは発展形だと思うのが正しいらしい。父母の言動などから後作よりさらに殺伐とした雰囲気が出ているが、それでも最低限のところでつながりが保たれている家族を描いたように見える。 物語の結末としては、主人公がいろいろ悩んだにも関わらず、学校側にとっては大勢の中の一人でしかなかったのが理不尽だったようでもある。しかし、主人公がリコーダー試験を頑張ろうと思ったそもそもの動機は父母に注目されたいということであって、それは事前にある程度実現されてしまっていたので、発表の結果自体はもうどうでもよかったとも取れる。喧嘩したと思った友人もちゃんと主人公を応援してくれていて、こんな世の中にも救いがなくはないといいたいようでもあった。 なおその友人は裕福な家庭の子だったようだが、主人公とは隔絶した上流階層というわけでもなく、そのうちみんながその程度の暮らしを実現でき、社会全体も優しい方へ動いていくかも知れないという希望が見えていたようでもある。個人的には、日本の高度成長期の始まりを描いた「キューポラのある街」(1962)を思い出したが、国も劇中年代も制作年代も違うので、そういう受け取り方は変かも知れない。  キャストに関しては、主人公は当然「はちどり」とは別の子役だが、けっこう美少女なので学校内で目立ちすぎるのではないか。美少女でないと映画にならないのだろうが。 ほか雑談として、茶碗の米飯をスプーンですくっていたのも「はちどり」と同じだった。箸は何かをつまむためのものという感覚かも知れない。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2022-03-05 09:41:17)
170.  隠し味は愛<TVM> 《ネタバレ》 
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅は中正紀念堂駅とのことで、周辺には駅名の由来になった蔣介石総統を記念する施設があるはずだが映像には出ず、主に「國家戲劇院」という国立劇場(表と裏)が映っていたようだった。また別の回の舞台だった淡水の浜辺の場面などもあるが、ここは「デートのメッカ」だそうである。 今回はシリーズ中で最も娯楽色の薄いエピソードで、邦題から感じるような和み系の映画でもなく、特に女性の怖い顔などは目を逸らしていたくなる。主人公が料理教室を主宰していることから料理映画の性質もあるが、料理映像というより調理方法に託して人間関係を語る趣向になっている。また主人公のグループ4人に関しては、青年期を過ぎようとする人々(少なくとも1人は1982年生まれ)が、少女時代を回顧して現在を再確認する意味もあるようだった。  物語としては正直よくわからなかったが、既婚者同士の不倫未遂を契機として、隙間が生じていた2組の夫婦に変化が生じた話ではあるらしい。なおTVドラマ放送時の「傻瓜與睡美人」という題名は、解説によれば「愚か者と眠り姫」だそうで、うち「睡美人」はそのままSleeping Beautyと読める。 以下解釈例として、まずお姫様の方は愛がないと言われたりもしていたが、これは何が愛なのかわかっていなかったということか。異性に心惹かれるのも愛だろうが、これまで自分を支えてきた祖母や親友や夫を大事に思う心も愛だと気づいたのかも知れない。結果的には淡水の浜辺で再出発し(王子様のキスに上書き?)、新しい愛の物語を始めたのだと思っておく。 また王子様に関しては、これまで自分がしたいことを自分のためにしてきたのを、今回初めて誰かのために何かすることを学んだのかも知れない。それならそれが夫婦の関係修復にも役立つはずだったと思えるが、早々に妻の側が切り捨ててしまったということか。この王子様は金持ちの息子で覇気はないが善良で細かいところによく気のつく男で、これこそ主夫業に向いた男ではなかったかと思うが、夫はそれでよくても妻の側が耐えられなかったかも知れない。仮に妻も夫も同じ上昇志向タイプなら、子を育てる気でもない限り、夫婦でいること自体に意味がなかったとも思われる。 以上により必ずしも話の全部を読み取れた気もせず、また背景事情の設定などに不明瞭・不自然な点もあったが、このシリーズにしては時間が長い分、多くのものを詰めようとした印象の映画ではあった。  その他のこととして、少女時代の回想場面では、さすがに日本のようなルーズソックスは出なかったが、同じ役者のままでスカートの短い制服姿になるのが今回のわずかなギャグ要素かも知れない。ただ特に「玉娟」という人物が、年齢に関わらず昔からこういうイメージだったことの映像的表現といえなくはない。 ほか料理教室の生徒だった低身長女子2人が屈託ない感じなのは安心させられた。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-22 10:31:13)
171.  振り向いたらそこに<TVM> 《ネタバレ》 
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅名は忠孝復興駅だが、舞台になった街は解説によると「東区」とのことで、題名の駅の東側にあるデパート・オフィス・飲食関係などの集積する地域らしい。 原題の「奉子不成婚」とは、かつて皇帝の勅命による結婚を意味した「奉旨成婚」という慣用句から、現代において子ができちゃったために否応なく結婚するのを「奉子成婚」と表現するようになり、そこからさらにこの映画で、できちゃったから結婚するのではないという意味で作った言葉と思われる。英題の“The Thin Blue Lines”は昔の映画の題名に引っかけたのかも知れないが、実際はタイトルのところと劇中で全く別のそれらしいものを見せていた(青でなく赤?)。  映画の紹介文には「おとなのラブコメディ」と書いてあるが、特に前半は大人というよりアダルトなギャグで笑わせる。変に日本関係の事物が多出するのは煩わしい(壁ドンの解説などしなくていい)が、これは原案/監督が台湾で役者・監督をしている日本人だからということか。音楽としてはflumpoolの「証」という曲が使われていた。 物語面では父親の存在が中心テーマになっていたらしい。「奉子成婚」との関係でいえば、世間体はどうでもいいとしても、子どものためには父親が必要だと母親としても思わされ、またその父親も自分なりの覚悟で父親になろうとしているのが見えた段階で成婚に至ったという話かと思った。男の性格付けがカクテル・コーヒーと映画撮影では盛り込み過ぎで整理がついていない印象もなくはなかったが、最後はラブコメにふさわしく幸せ感満載の終幕だったので、結果的に悪くない映画だと思わされた。 個別の場面では終盤の「帰るな」に少し泣かされた。また字幕の「マジですか」を原語でどう書くのか知りたいと思った。  演者としては、主演の蔡淑臻 Janel Tsaiという人は顔や体型からしてヒロインにふさわしい姿を見せていたが、その友人の静香ちゃん(演・范時軒 Amanda Fan)が極端に可愛いので、個人的にはこの人が重要人物だった。ブライズメイド姿がキレイでかわいい。 ほか他のエピソードにも出ていた莫允雯 Christina Mokという人が「明星孕婦」役で、過剰メイクの沢尻エリカのような顔を見せていたのが面白かった。  [2022.4.2追記] 本文には「カクテル・コーヒーと映画撮影では盛り込み過ぎ」と書いたが、これは監督の北村豊晴という人物が、実際に台北で飲食店の経営をしながら映像関係の仕事もしていることの反映と思われる。気づくのが遅れてすいませんでした。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-22 10:31:10)
172.  淡水河の奇跡<TVM>
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅は淡水駅、街の名前も淡水(新北市淡水區)で、台北市から流れて来る淡水河の河口に近い港町である。19世紀には台湾島の主要な貿易港だったとのことだが、この映画ではそういう歴史的なことは関係なく、そもそも街の風景もあまり出ない。主人公の母親が「魚団子」の食堂を経営していたのがかろうじてそれらしい。 なお原題の「鮮肉老爸」は漢字だけ見ると意味不明だが(鮮魚ならまだしも何で肉?)、これは「美少年父さん」というような意味かと思われる。  全体的にはタイムスリップをテーマにしたSFコメディであり、あまり深みを感じさせるものでもないが娯楽映画としてよくできている。コメディらしくそれなりに可笑しいところがあり、序盤ではかなり下品だと思っていたが、プロポーズの背景で歌う場面でまずは失笑させられた。中盤のTV番組やエンディングの楽曲「野性的青春」もふざけている。 映画のジャンルとしてはコメディ/ロマンスとされているが、基本は家族の物語のはずなのでどこがロマンスかと思っていると、終盤の見せ場に至って初めてそういう意味だったのかと納得させられる。途中で一度は邪魔されたキスシーンも、最後にちゃんと実現(情熱的!)していたのは正直感動的だった。ほかにも観客の意表をつくところのある作りだが、個人的にはここが最も意外な展開だった。 なおSF的にいえば、過去を変えたらどうなるかという大問題があったはずだがあえて回避する結末になっていた。  登場人物としては、主人公の彼女(演・方志友 Beatrice Fang)がなかなか可愛いので好きだが、若手の科学者だったようで主人公には向いていない。また主人公の母親(演・苗可麗 Miao Ke-Li)は、Wikipedia(中文)では「淡水公認第一美魔女」と紹介されており、確かに少しカワイイ系の入った美女にも見える。ちょっと体型的に厳しいところもあったが、終盤の見せ場では役どころにふさわしい姿を見せていた。これは同年配の女性が見て心ときめく(羨む)展開だったかも知れない。 ほかどうでもいいことだが、劇中のTV番組に出ていた「命理大師」役は、このシリーズのプロデューサーで7作中2作の監督もしている葉天倫という映画監督である。他の回にも出ていたが、今回も個性的な容貌に合ったしょうもない人物役を芸達者に演じていた。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-15 14:47:48)
173.  西門に降る童話
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅は西門駅、街は西門町という台北有数の繁華街らしい。現在は渋谷にたとえられる若者文化の街らしいが、昔は浅草のような場所だったという話もある。交差点の地面に ”Xi-Men Walker” と書かれていたのは「西門町徒步區」という場所のようだった。 劇中の台詞では、西門町の三大名物といえば映画・金・変人だと言っていたが、うち金と変人はともかく「映画」に関しては、実際に映画の街として知られていた時期があったらしい。そのため劇中でも何かと映画を物語に関連付けようとしていたようだが半端な印象だった。また映画以外にも町の歴史を匂わせるもの(人物)を出していたようだが、日本人が見て自ずとわかるほどのものはなかった。  全体的にはいい雰囲気の映画であって、現代的な都市景観の裏に庶民の住処が混在し、上下の立体感もある劇中世界を見せている。主人公が始めた街頭スタイリスト?の業態も若者の街らしく?面白い。また街区の奥に人知れず「太陽と緑、都会のオアシス」の異世界ができていたのもファンタジックな印象だった。 しかし雰囲気はいいとしても見て単純にわからないことが多い。例えば1999.9.21の建物倒壊は「921大地震」によるものだろうが、それで変人男が今の境遇に至ったという字幕の説明が理解できない。また黒スーツの男が主人公をどう思っていたのか、何をしようとしていたのか結局不明だった。 また物語に関しては題名の「童話」の意味がよくわからないが、感覚的にいえば童話の中に自分が閉じこもって出て来ないのではなく、童話(または幼時の記憶?)を自分の中で大事にしながら現実を生きろということか?? ラストもどうなったのか不明だが、少なくとも親子一組は再出発できたのだろうからハッピーエンドのようではあった。 ほかに登場人物の人間模様も描かれており、それぞれの物語(断片的なものも含め)については連関が見えなかったが、これは各種ばらばらな人間像を詰め込むことで、総体として西門町という場所を表現しようとしたのかとは思った。  登場人物について、特に主人公が小柄で可愛いのは大変結構だった。演者の郭書瑤 Kuo Shu-yauという人は2013年の第50回金馬奨で最優秀新人賞を受賞したとのことだが、10代の頃には“「童顏巨乳」等特色”によってグラビアアイドル的な人気があったようで、この映画でも確かにそういう感じは出ている。映画としてはわけがわからなかったが、この人の印象がよかったので悪い点数はつけられない。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-15 14:47:46)
174.  まごころを両手に 《ネタバレ》 
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。新北投駅に近い「北投温泉」の話とのことだが、ほとんどは主人公の住む旅館内で進行する。 北投温泉というのはもともと日本統治時代に発展したとのことで、主人公の旅館も板敷の廊下に畳敷の部屋で宴会しているなど、まるきり日本風の造りに見える。この温泉街は1970年代まで”色情業”のおかげもあって繁栄したらしいが(それで日本人も多かったのか?)、その全盛期も昔のことになり、今は代わりに健全な温泉街になったということらしい。  邦題は適当に付けてあるが原題は「5つ星の干物女」であり、内容的にも題名にふさわしいコメディになっている。最初から最後まで大笑いというわけでもなく、登場人物がカメラ目線で語る手法もそれほど面白くはないが、評価員が上から何か取る(返す)のが少し可笑しいのと、旅館に「笑いが渦巻く」表現として意味不明な大笑いをしているのは失笑した。奇怪なブタのほかキノコが重要キャラなのも悪くない。 物語の面では、主人公の祖母と昔の日本人との関係がまるで「海角七号」(2008)のようで、生の日本語の台詞が多かったのも似ている。その映画で男女が別れたのは戦後に台湾が日本統治下から離れた時だったのに対し、この映画での1972年は日本が中華民国と断交した年なのも意味ありげだったが、別に政治的なことは関係なかったらしい。日本の男が責任放棄したのは倫理的に大問題ではないかと思ったが、そこはうまく決着をつける一方、別の人物を悪役にしてしまったのは気の毒でもあるが、それも最後は丸く収めた形になっていた。 最後は祖母と主人公だけでなく、ふしだらな関係に見えた男女までもがしあわせ感に浸る終幕だったので、結果的には悪くない映画だと思わされた(結構好きだ)。  登場人物としては、特に葉星辰 Stars Yeh という人が演じた1972年の祖母が可愛い(結構好きだ)。主人公役の柯佳嬿 Alice Koという人は顔だけ見ると美形でクールな印象だが、この映画では可愛いとも断言できないが愛嬌のあるコメディ役者になっている。 ほか人気モデル役で出ていた莫允雯 Christina Mokという人も、本来こんな安いイメージのタレントではなかったらしい。劇中この人気モデルのPR映像は笑いどころがよくわからなかったが、これは本人が出演した新発売のオシャレな魯肉飯(時尚滷肉飯 新上市)のCM映像を、本人の紹介として無造作に転用した想定だったと思えばいいか。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-08 14:06:01)
175.  この街に心揺れて 《ネタバレ》 
台北発メトロシリーズ(台北愛情捷運系列)全7作の一つである。駅名は大橋頭駅だが、地名としては河港のある「大稻埕」(だいとうてい)という地域の「迪化街」(てきかがい)とのことで、レトロな洋風建築と近所づきあいの残る古い市街地のようだった。なお邦題は雰囲気で適当に付けてあるので気にしなくて構わない。 物語的にはもう若いともいえなくなってきた男女のラブストーリーだが、特徴的だったのは原題と英題のとおり、恋物語に数学を結びつけたことである。相手の男は数学者だが視野の狭い専門バカでもなく、一見無関係な技術や数理に即して人間界の真理を語る特性というか能力があったらしい。最終的に重要だったのは「オイラーの等式」なるもので、これは文系の立場からすると忌避感を催す言葉だが、要はそれ自体が一見無関係な全く別のものをつないで調和させている点で、「縁」を象徴するものと意味づけたのがこの映画としての工夫らしかった。 ちなみに主要人物のほかに、世間の男女間をやたらに繋ごうとする変な若い男が出ていたが、これはシリーズ全体に関わる存在のようで、今回限りでは意味不明だがとりあえず大目に見ておく。  ところで別に台湾映画に詳しいわけではないが、どうも他の映画で見た要素が多く使われていた気がする。なぜか日本人が出るのは「海角七号」(2008)など、幼時の記憶は「トップガイ」(2014)、外国在住で帰郷を迷うのは「幸福路のチー」(2017)を思わせたが、これはいちいち真似しているというよりも、向こうでよくあるパターンだということか。ラストが空港だったのも、少し前に「風が踊る」(1981)を見たばかりだったのでまたこれかと思わされたが、今回なりの決着の付け方としては悪くなかった。 ほか個別の場面で結構いいところがあり、「女性が不機嫌なときは…」というのは先人の知恵を思わせる(魯肉飯5杯食いたい)。また家系が敵同士?だというのをロメジュリで茶化したのは、些細なことでも創意の働く基礎的なレベルの高さを感じさせる。即興でキラキラ星の変奏を連弾していたところでは、こんな特技があるとは聞いてなかったので反則だと思ったが、このあたりから主人公も可愛く見えて来た。 主人公男女以外では男の叔母が感じのいい人物で、甥が物事を数学で語ろうとするのに対し、歴史を語ることで対抗していたのは笑った。「肝心な時に決断しないと…」というのはその通りだ。向こうの人はちゃんとわかっている。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-08 14:05:59)
176.  TOP GUY トップガイ 《ネタバレ》 
台湾の空軍パイロットの話である。これより少し前のトルコ映画「スカイ・イーグル」(2011)と似た感じがある。 無名の外国映画の邦題が全く信用できないのは当然として、この映画に関しては英題の “Dream Flight” は正しい(原題の「想飛」も同じ意味か)。半分は訓練学校での話なので、トップを目指すどころかまずは一人前になるため奮闘している印象がある。 戦闘機映画として売る思惑もあるのだろうが、前半ではT-34練習機(プロペラ機)が主役であり、ほかにAT-3練習機(ジェット機)が少し映る程度である。その後は主人公の乗機になった国産戦闘機IDFが前面に出るが、映画宣伝に名前の出ているミラージュ2000は実機が少々、またF-16は申し訳程度の出番だった。  全体構成としては、前半はラブコメ風の青春物語、後半は主人公と妻が夢をかなえるまでの話になっている。病気とか死亡事故とか食器が落ちて割れるとかのありがちな展開もあり、またオズの魔法使いと星の王子様のどっちが大事かわからないといった統一感のなさもあるが、最初から軽目の娯楽映画(男女兼用)と思っていればそれほど問題ない。個別の場面としては、主人公が屋上でシミュレーション飛行する背景にピアノ曲が流れる場面は好きだ。また唐突な「紅の豚」には失笑させられた。 音楽面では主に“Over The Rainbow”が耳に残るが、ほかに序盤のラブコメ部分でChappieというキャラクターの歌「Everyday」(Monday 早起きはいつだって苦手なの...)というのが流れたのがこのパートの雰囲気を反映していた。  ドラマ的には“心の目で見る”というのが一貫していたらしい。終盤のDream Flightは思い切りファンタジックな場面だったが、かえって戦闘機映画の出来損ないなどと言わせない確信犯的な意志が感じられ、結果的には悪くないと思わされた(正直少し泣かされた)。またラストで冒頭と同じ時代の回想場面に戻ったのは、この時から二人の未来が運命づけられたという意味らしく、子ども時代からの素直な空への憧れが感じられたのも悪くない。世間の評判がどうかは別として、個人的感覚としては結構しあわせ感に浸れる映画だったので、少しいい点を付けなくては済まない気分だった(少し長いが)。 なお登場人物では、特に主人公の妹の笑顔にかなり和まされた。主人公には台湾の空を守る任務があるにしても、この家族や妻のためにもとにかく無事でいてもらわなければ困ることになる。要は敵が攻めて来なければいいわけだが。
[インターネット(字幕)] 6点(2021-12-18 10:31:45)
177.  あなたを、想う。 《ネタバレ》 
監督は台湾出身で主に香港で活動した著名な女性俳優、主演(妹)はマカオ出身、母親役はマレーシア出身(華人)とのことで、中華圏的な広がりはあるが映画自体は台湾限定の話である。撮影は東海岸の緑島と台東、及び台北の3か所にわたっているが、現地の風景として個人的にはそれほど印象に残るものはなかった。  物語としては、青年期の後半になった兄と妹と妹の恋人の3人が、それぞれのきっかけで親へのわだかまりを解消する話のようで、夜の幻影とか白昼夢とかでファンタジックな印象を出している。原案(脚本)は日本人だったとのことで、この映画のように、一般的な人間ドラマに心霊現象とか超時空展開を平気で入れ込むのが台湾でも普通なのかはわからない。 解説によると本来3つの短編だったとのことで、3人の男女それぞれの物語を1本にまとめた形になっているが、しかし1人だけ親が別なので、構成上の均衡を失している感はある。ラストは4年後くらいだったようだが、その間に目の治療とか仕事をどうしたのかといったことは捨象され、また兄の心の変化も不明瞭だったため、3人それぞれの物語としては不全感が残った。また終盤を(バス以降)適当に都合のいい展開にして、取ってつけたような結末に飛んだのも感心できない。 ほか単純に意味が取りにくいところもあり、特に台北にいた金髪オヤジに関しては、父親が娘と息子に言いたいことがあって来た、という意味かと思ったが(妹の恋人の方はそうだったと思うが)、演者(※)が違うのでそうともいえないのは変だった。あるいはこれが母親の語った天使かも知れないが、何にせよ超自然的なものに頼りすぎではないかという気がした。 ※酒吧調酒師:瞿友寧、役者というより映画監督・TVドラマ演出家らしい。  個別の場面としては、台風の夜に兄が実家で「母さん」と呼びかけたところは感動的だった(ホラーっぽいが)。また妹の恋人が突堤で出会った釣り人がニヤリとしたのも悪くない。終盤では、妹がたまたま立ち会った出産が本物のように見えたのが強い印象を残した。大事な場面の直前で、過去の記憶を断片的な映像として蘇らせるのは効果的だったかも知れない。 自分としても、当日の夜に見た夢がこの映画の影響だったらしいので、心を動かされる映画だったというのは間違いない。
[インターネット(字幕)] 6点(2021-11-13 09:29:24)
178.  屍憶 SHIOKU 《ネタバレ》 
台湾と日本の合作ということになっている。台北市の警察が出ていたので場所は普通に台北らしい。 ホラー要素としては、台湾で有名な(多分)「冥婚」という風習を使っている。これは日本にもあると書いてあったが、しかし山形県内陸地方にある「むかさり絵馬」は亡くなった人物に架空の相手を結び合わせる形なので、この映画のように生きた人間を犠牲にするものではない。劇中で過去に事件のあった1930年は日本統治時代であり(映画「セデック・バレ」の霧社事件と同年、映画「KANO」の前年)、また何か日本がからむのかと思ったら何も関係なかった。関係なくて結構だ。  物語としては中心人物の男と女子高校生の話が別々に進んでいき、最後に一本にまとまって終結する。途中の展開が緩くて長いと思ったが、終盤に至ってまとめにかかり、それまでの断片が次々つながっていく展開は意外感があった。 また日本が参加しているだけあって邦画ホラーっぽい雰囲気もある。しかし貞子でも伽椰子でもないゾンビ風の亡霊が、霊能者の前でしおらしくかしこまってうなだれる姿は珍しい。またその霊能者が「他に方法がない」と新人らしく自信なさげに言っていた様子も好感が持たれる。 ほか女子高校生を水泳部の設定にして水着姿を水中撮影するなどは、日本でも以前に盛んだった(今も?)ロリコン趣味丸出し映画のようだった。ただし出演者は20代だろうから未成年者はいないと思われる。  出演者としては日本人も二人出ており、うち田中千絵という人(「王依涵」役)は他の台湾映画にも出ている有名人である。もう一人の池端レイナという人も日台両方で活躍中とのことで、今回出番は多くなかったが、かわいいまま終わる役でよかったとはいえる。 ほかの登場人物として、中心人物の女子高校生は16歳(昨日まで15歳)の設定で、見た目は素朴で幼い感じの普通に可愛い少女だったが、演者のVera Yen/嚴正嵐という人は実は1989年生まれだそうで、この映画の頃には26歳くらいだったことになる。10歳ごまかしても通用するのは元がよほど童顔で可愛い人だということらしく、この人にもちょっと意外感があった。特に病室で見せた情けない顔は極端に可愛い(かわいそうだ泣くな)。 また中心人物の男に「イーハン」と呼ばれていた女性役(Nikki Hsieh/謝欣穎)も忘れがたい魅力的な風貌だった。出演者の面でも見どころがあるのはいい映画というしかない。
[DVD(字幕)] 6点(2021-10-30 13:27:37)
179.  KANO 1931海の向こうの甲子園 《ネタバレ》 
台湾では大好評だったようだが媚日映画との批判もあったようで、また台湾の有名な映画賞を受賞できなかったのは審査委員会の大陸関係者に妨害されたからだとの噂もあったらしい。そういうのも台湾社会の様相の一端と受け止めるしかない。 一方で日本では概ね好意的に扱われたらしく、当然ながら朝日新聞も協力している。個人的に不快だったのは、当初あからさまに先住民を侮蔑していながら、風向きが変わると簡単に転向する軽薄な記者が出ていたことで、こういう人格低劣な日本人を毎度見せなければ済まないのなら日台関係の映画などもう見なくていい気がした。多くの日本人の感覚では、無名の三民族混成チームが頑張っているというだけで応援せずにはいられない気になって当然であり、そういう一般民衆の姿も映像に出していたのは間違っていない。 なお台湾の大作映画は2時間に収めるつもりがないのが時々あるようだが、さすがに3時間は長いのではないか(それをいえば「セデック・バレ」は本来4時間超だったわけだが)。札幌の投手の後日談など必須だったのかという気はした。  その他の事項として、八田與一という日本人は野球に関係あるのか疑問に思ったが、それを含めてこの時代を表現すること自体が製作目的の一部だったのなら変ともいえない。「嘉南大圳」というものが、現地の人々の暮らしの向上に役立ったのであれば日本人としても喜ばしい。 また外国映画なのに台詞がほとんど日本語なのは顕著な特徴点である。正直聞きづらいところもあったが、しかし当時の日本語が、現代で事実上の世界言語になっている英語のように、三民族の意思疎通と相互理解の基盤だったことの表現ではあるかも知れない。 野球に関しては、王貞治氏が顧問について演者も経験者を揃えたとのことで、試合の時間も長いが苦にならず、また決勝戦でも惜しかったが悔いは残らない感じをうまく出していた。ここでの選手からは、その後に日台の野球界で活躍した人物が多く出たとのことで大したものである。 ほか個別の場面では、「アウト!」を言い合って大笑いしていたのと「髪型崩れる」というのは笑った。なかなか愛嬌のある連中だった。  [雑記] 映画自体と直接関係ないが調べたので書いておくと、映像に出ていた嘉義市街地のロータリーは日本統治時代の都市計画でできたものらしい。噴水がいつ作られたかはネット上で探せなかったが、地元出身の陳澄波という画家の「嘉義中央噴水池」(1933)という絵に描かれているので劇中年代にも存在したと想像される。 現在は、この映画に出た呉明捷投手の像が建てられていてストリートビューでも見られるが、噴水の方はしばらく止まっていたのが2021.7.27に再稼働したとのことで、その際に嘉義市長が、彼の決して諦めない精神が新型コロナウイルス感染症予防の精神にもつながる、と述べたとのことだった(「自由時報」の記事より)。だから何だということもないが地元ではそのように思われているらしい。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2021-10-23 08:58:23)
180.  セデック・バレの真実 《ネタバレ》 
台湾の先住民(台湾での呼称は「原住民(族)」)であるセデック族に関し、1930年の「霧社事件」とその後の経過を扱ったドキュメンタリー映画である。日本人が見る場合、この事件について事前にそれなりの理解があるか、または劇映画「セデック・バレ」(2011)を見ていないとわかりにくい。逆にその映画を見てからだと、このドキュメンタリーが製作の背景になっているのがわかる。 題名の「餘生」とは「生き残った者」の意味だそうだが、現代で存命の人は基本的にいないので、子孫が何組か登場して当時の言い伝えや自らの思いを語っている。うち親子3人はセデック族の発祥地とされる「プスクフニ」(Pusu Qhuni)を訪ね、自分らが何者なのか探る旅をしていた。  この映画を見た限り、現在のセデック族は漢人社会に同化しつつあるようで、若い世代は言葉も話せず、今後もエスニック集団としての実質を維持していけるか難しいように思われる。さらにいえばセデック族というものが、いわゆる民族自決的な考え方を適用する以前の、今やっと民族意識を形成しかけた段階にも見える。事件の頃にあった集落間対立がすでに解消されたことを見せようとした場面もあったが、ここは正直ちょっと会話が微妙だった(笑)。 しかしこの映画としてはとりあえず、各人が民族としての自覚を劣等感ではなく誇りとし、他人に見下されたりしないよう、それぞれ子どもを立派な人に育てていかなければならない、という意味の言葉で締めていた。かつて彼らを見下していた日本人はもういないので、この映画では字幕でいう「台湾人や中国人」(本省人と外省人のことか?)に対して彼らの立場を訴える形になっている。 日本人としては今の彼らと立場が違うので、この映画から直接何かをメッセージとして受け取るのは難しい。しかし未来のことを考えれば、例えば日本国が近隣大国に併呑されるとか、グローバル社会の中で解体させられようとした時にどうするのかが問われているといえなくはない。  ほか特徴点としては、民族としての存在について外部からの勝手な意味づけを排する意図があったようである。日本統治時代には文明化すべき未開人の扱いだったわけだが、国民党政権下では反日宣伝のため一転して「抗日英雄」として賞揚され、それでかえって人々の実像が歪められたところもあったらしい。邦題の「真実」にはそういう意味も込めてある。 また教育はやはり大事だという考え方も出ていたように見える。日本統治時代の教育政策はかえって悲劇を生んだ面があったとのことだが、しかしその後の子孫も教育には熱心だったらしく、最後の締めのナレーションでも、他人に見下されないためには教育が必要だということを述べていた。実際に登場人物の一人で、子育て後に大学院に入ったという女性はいかにも知的な人物だった。 ほか女性というのは本当に強いと語る人物もいて、勝手に死んでいった男連中ではなく、女性こそが生命を後世につないだのだということも表現されている。見て面白い映画ともいえないが(時間も長いが)、劇映画と違って実在の人物の語る言葉は重かった。
[DVD(字幕)] 6点(2021-10-16 14:28:53)(良:1票)
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