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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1921.  ハンニバル(2001) 《ネタバレ》 
アメリカには、中世コンプレックスってのがあるみたい。開拓という神話の時代からすぐ近代になっちゃって、活力はあるけど、歴史によどみというか深みがない。カトリックから逃げ出したものの末裔としての、カトリックコンプレックスでもあろう。残酷だけど高貴な中世のカトリックの闇を体現するレクター博士に、もてあそばれることの屈折した快感。これらはひっくるめてヨーロッパコンプレックスだ。舞台はフィレンツェ、BGMはゴールドベルク変奏曲となれば、屈伏も極まる。ジャンカルロ・ジャンニーニに久しぶりに会えたのに、あっさり殺されちゃうのが寂しかった。
[映画館(字幕)] 6点(2008-08-20 11:08:11)
1922.  ザ・カップ 夢のアンテナ
チベット仏教・ワールドカップ・懐中時計、の三題噺といった趣き。この無関係そうな三題がぴたりとハマっている。映画の根本にあるのは、ヨーロッパ映画によくあった「寄宿舎の悪童もの」で、プロット的にはさして珍しくないが、やっぱり映画ではあまりお目にかかれぬブータンの風俗が目を引く。黄と赤の取り合わせが美しい。仏教の儀式と、サッカーの祭典が対置される。レンタルテレビの設営までの興奮が、しだいに自責の念によって覚めていくあたりの、少年心理のうつろいが見どころか。
[映画館(字幕)] 6点(2008-08-19 10:55:59)
1923.  小説家を見つけたら
勉強に興味があることを友人に隠さなければならないってとこに現代の若者の難しさがある。あたりは変に静まったブロンクス。この静まりが60年代に通じていく。パソコンでなくタイプライター、車やバイクでなく自転車、いかにも伝説の人物がひっそりと住んでいそうな静まりがある。ちょっと最近の日本の昭和ブームと似た感覚があるのかも知れない。昭和は勉強好きを隠さなくてもよかった勤勉の時代だったし。ラストの朗読の場はいかにもハリウッド映画っぽく、この監督も平気でこういう場面を撮るのか、と思ったり、嫌々撮ったのかな、と思ったり。
[映画館(字幕)] 6点(2008-08-18 10:15:11)
1924.  連弾
『クレイマー、クレイマー』から20年たつと、男女の役割りは逆転していて、かつては家をほっぽっていて責められた男が、今では主夫業がなさけないと子どもに見られている。男はつらいよ。竹中さんは「わびしさ」が好きな監督で、ラーメン屋でチラシの値段見比べてたり、観覧車に大人だけ乗らなかったり、なんてあたりで面目躍如。和室の中のグランドピアノもわびしいし、過剰にウケを狙ってしまうお父さん、ってのが一番わびしい。ただ映画もちょっと過剰にウケを狙ってしまっているところがあり。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-15 09:45:18)
1925.  アカシアの道
母と娘の激しい物語というと、ベルイマンの『秋のソナタ』などいろいろ思い浮かぶが、どうも和解に至るというより、どうやって感情に折り合いをつけたか、って物語になっているような。女同士って難しいらしい。主人公の子ども時代、トイピアノで遊んでいると、隣の部屋で習字の添削をしていた教師の母(渡辺美佐子・好演)が、ちょっと来なさい、と呼んで、襖の向こうからパチンという平手打ちの音が聞こえてくる、なんて、見せないことでかえって迫ってくる演出。ボケの症状がある種のサスペンスとなって描かれる。掃除機をかけている母の姿、しかし動いていくと、コードが入っていないのが見えてくる、なんてあたり。子どものとき、母に手をつないでほしかった娘(夏川結衣)が、今ボケた母の手をつなぐラストでホロッとした。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-13 10:10:23)
1926.  太陽の墓場
大島作品でベテラン俳優をこれだけ脇に揃えたのは珍しい。ドヤの親玉が伴淳三郎、元軍人が小沢栄太郎、小池朝雄が戸籍買い取り人、藤原釜足が戸籍を売ってしまうノンベエ、その妻が北林谷栄、これに常連というかこれから常連になっていく渡辺文雄、佐藤慶、戸浦六宏らも加わって、たぶん一番豪華なキャスティングであろう。おっと忘れてならない、川津祐介の死体を朝の川に淡々と捨てにいく左卜全もいた。もしかするとこういう方向の一般映画を作り続けるその後もあり得たかも知れないな、とちょっと空想してみる。でも藤原釜足が大金で飲んでしまう呑み屋での長回しの場や、津川雅彦にうながされ歌い出した佐々木功が歌いやめない場など、普通の映画に収まらないシーンは多く、強盗を手伝ってしまう佐々木の罪の意識は、以後の大島作品で繰り返し現われるモチーフでもあり、やはり方向はすでに決定されていたのかも知れない。 /追加 これは『日本の夜と霧』と対にして考えたほうがいい作品なのかもしれない。あのインテリたちの徹底した討論の世界の対極がここにある。精神よりもまず肉体があり、ギラギラと脂っこく常に汗が光っている。あちらは「目覚めた人」ばかりが出てくるが、討論するだけで何も出来ない。こちらには「目覚めた人」は出てこないが、全篇沸騰している。監督はこの二つの世界に橋を架けたかったんだろうな、と思う。そういう橋がないことへの苛立ちが、大島作品を貫いている。『日本の夜と霧』のスパイ容疑で監禁された少年は、おそらくこのようなドヤ街から忍び込んでいったのであろう。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-11 10:20:30)
1927.  忍びの者
山本薩夫って社会派にしてはウマイ人という印象があり(なにしろ座頭市も一本撮ってるくらいで)、本作も評判良かったんで期待して見たら、あるいは期待しすぎちゃったのか、スカッとはいかなかった。やっぱり社会派、下忍だって人間なんだ、という人間賛歌の話なので、雷蔵のクールな魅力があんまり生きない。いいのは二つの忍者集団の頭領を交互につとめる伊藤雄之助の怪優ぶりで、モッタリしてたのがひとたび変装すると、小道をササササと小走りに行くなんてあたり。あと役目をちゃんとやってるか見守る加藤嘉の気味悪さも印象に残る。日本映画黄金期にはこういった脇役が豊富にいたなあ、とあらためて思う。これを見る前に同じ62年の篠田正浩作品『涙を、獅子のたて髪に』を見てたんだけど、それで主人公を誘惑してた岸田今日子が、これでもまた主人公を誘惑していた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-08 10:19:49)
1928.  マラノーチェ 《ネタバレ》 
題は「最悪の夜」ってことで、どこでその言葉が出てくるかっていうと、激しいホモのセックスシーンがあって、翌朝「うーん、ケツが痛い」って言いながら主人公が街を歩いているときに「最悪の夜だった」って出てくるの。変な映画見始めちゃったなあ、と半ば後悔しながら見続けていると、今度はラスト近くに本当の最悪の夜がやってくる。アメリカに不法入国したメキシコ人が、別の捜査で来た警官に過敏に反応してしまい、逃げ回り射殺される展開。白黒画面に緊張したサスペンスが走る見事なカットの連続であった。そう言えばこの監督『サイコ』をそのままのカット割りでリメイクしたこともあったっけ。サスペンスへの興味はデビュー作からあったんだ。それと異郷の地で言葉の通じない男同士の出会いって設定は、『パリ・ジュテーム』でそのまままた使ってた。ホモの愛の世界の微妙な味わいはよく分からないけど、優越した立場になってしまう白人の、不法移民に対する疚しさみたいなものも描かれていたような。
[DVD(字幕)] 6点(2008-08-06 09:21:56)
1929.  大喧嘩 《ネタバレ》 
大川橋蔵と丹波哲郎がロウソク以外は闇のセットに立ち、大川がそのロウソクをパッと跳ね上げてタイトルになるの。山下耕作の様式美が展開するかと思っていると(『関の弥太っぺ』の翌年の作なので)それほどでもなく、川原での大でいりも、ごちゃごちゃとしてチャンバラの妙味に欠けた。十朱幸代も困惑顔ばかりなので、前年作よりブスに見える。いいのは脇役連中、金を貰っていながらいざとなるとソーッと逃げ出して丹波に斬られる西村晃、この人はみじめに殺されるのが実に似合う(『十三人の刺客』に冷徹な剣豪の役で出てて、『七人の侍』の宮口精二を思わせる貫禄。でもラストで狂った男に追いかけられ、地を這いずって逃げ回り、犬のように殺されていくってのが私が見たなかでは最高にみじめだった)。あと卑怯者の金子信雄があっさり丹波に斬られるとこで、場内に笑いが起こったと記憶する。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-03 10:51:32)
1930.  富江 re-birth 《ネタバレ》 
一作目ではともかくも警察が動いた。二作目では病院が一つ潰れた。富江の活動がそういう社会的反映をもたらしたが、今回は狭~い友達関係の中だけで話が閉じている。富江にしてもやりがいがなかったのではないか、と思われるが、青春ドラマの線は出た。富江がヒトミに憑依していくとこが本作のポイントで、「富江は分裂増殖する」って謳い文句がやっと意味を持った。恋人が・自分がしだいに富江化していく切なさの、妻夫木聡・遠藤久美子による記憶喪失恋愛ドラマ味が、ホラー味と重なってくるラスト近くの3人の場で楽しめた。実はもう一ヶ所、風呂場で富江を解体する場もけっこう気に入ってて、奥の洗面器に酒井美紀の生首が斜めに突っ込まれてる前で、母と子が「夏休みの工作を思い出すわ」なんて言いながらノコギリ引いてるあたり、劇場では笑いが起こったかもしれないが、なんかこういうとこ好きなの。「シュンちゃん、起こしちゃった?」とか「男の子はやっぱり力があるわね」とか、淡々とした会話と血みどろの同居。
[ビデオ(邦画)] 6点(2008-08-02 11:05:57)
1931.  ダンス・オブ・ダスト
煉瓦の粉を含んだ風がずっと吹いている。どこか怯えを秘め、老成した少年の顔。顔がいい映画だ。雪印の缶や日本語の古新聞(煉瓦がくっつかないように、焼くときに貼りつける)などが出てきて、経済流通の裏を垣間見られる。説明が排除されていて、意味になる前の映像が剥き出しで提示されている感じ。母が背中に煉瓦を乗せているのは、民間療法か呪法の何かなのか。しばしば天に突き上げられた手、雨乞いかと思っていたら、どうもそうではないらしい。ここでは雨はせっかく作った煉瓦をまた泥に戻してしまう忌むべきもののよう。詩として鑑賞すべき映画なのでしょう。
[映画館(字幕)] 6点(2008-08-01 12:11:04)
1932.  こころの湯
個室シャワーのアイデアで始まり、当然その対極としての銭湯の社交場が持ち上げられる。中国でもこういう後ろ向きというか懐古趣味というか、前進的でない映画が堂々と作られるようにいつのまにかなっていて、社会が成熟したあかしであろうか。コオロギを戦わせたり(ちょっと落語の笠碁的展開あり)将棋をさしたりと、人と人とのつきあいはただただなごやかで麗しく、ここにもう少しザラリとしたものを加えられれば薬味として効いただろう。滅びも、静かに諦めとともに受け入れられていく。土地を離れたコオロギは鳴かなくなるそうだ。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-31 10:24:40)
1933.  キシュ島の物語
シュールレアリズムは土地を選ばない。開発途上国なら自然主義的な作風だろうと思い込んでいるとうっちゃりを食う。いや、生まれはヨーロッパだったけど、シュールレアリズムが育ったのは、南米など第三世界が主だったような。第1話、ストーリーだけだと、先進国のゴミが打ち寄せてきて、って、なんか風刺が強い作品かと思われそうだが、ダンボールが水面にタプタプ揺れているとこなんかコラージュ的な美しさがあり、単純に風刺だけで理解し終えない後味が残る。第3話のドアを背負って道を行く男なんて、寺山修司の作品の一コマにでもありそう。いまやシュールレアリズムは中近東で発達中だ。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-29 11:06:21)
1934.  王は踊る
踊る王様って日本で言えば足利義政みたいなもんか。政治母なり妻なりにまかせてほっぽらかし、趣味に没頭して、こちらは銀閣寺を残し、あちらはベルサイユ宮殿を残した。政治的に無能な権力者って後世の人にとっては有り難いものだ。映画は当時の風俗が興味深かった。王が出掛ける先まで楽団も出張してBGMを奏でるの。王様が女性となんかしているときも、テントの外で気分を盛り上げる演奏をする。音楽を伴奏にそういうことが出来るってのは、王様並みのことなんだな。もっと言葉(モリエール)と音楽(リュリ)の争いが中心テーマになるのかと思ってたが、そうでもなかった。王の踊る足を崇拝していたリュリが、自分の足を指揮棒で突いて潰してしまう皮肉。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-27 12:11:25)
1935.  愛のエチュード
『アイズ・ワイド・シャット』と同じ、ショスタコーヴィチのヒナびたワルツに乗って、ナボコフの物語が展開。真っ赤なドレスが映えるイタリアの風景が美しい。ルージンが置き去りにされる街にも奇妙な味わい。そういう半分非現実に呑み込まれているような世界に、黒シャツ隊が登場し、20世紀前半の空気が張りつめる。チェスの世界はそういう時代から超然としているようでいて、でもやはり無関係ではいられない。完全に超然とするためには、独りぼっちにならなければならない。一人で、チェスの完全なディフェンスの手を考えるという、孤独の極みに耐えなければならない。悪い時代に遭遇したとき、その中で暮らすのも地獄だが、その世界の外にも、また身がキュッと引き締まるような孤独の地獄が広がっている、ってことか。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-26 12:15:19)
1936.  富江 tomie
永遠の被害者ってのがちょっとユニークかと思うが、もともと日本のお化けは被害者の恨みが凝り固まって生まれるもので正統中の正統。あどけなさがそのまま怖さになるってのも珍しくはない。やっぱこれ菅野美穂の顔の怖さに尽きるなあ。前半伏せといて、後半満を持して特殊メイクなしで素顔を出し、それでも怖い。顔の造作の各パーツはいたって単純(目など単純すぎてそれも不気味ではあるが)、その各パーツの釣り合いが微妙にアンバランスで、下半分が膨らみ気味になるのを、ともかくも一つの顔に収拾しているところに、何とも知れん緊張がある。顔自体が膨張したがっているのを、無理に押さえ込んでいるような。各パーツの単純さを裏切る魅力的な複雑さが生まれている。「永遠にかわいいまんまなんて、かわいそうでしょ」なんて、その顔で言われると、なんかこう、複雑な気持ちだが、ホラー的気分にはなる。ただし凄味をきかせると怖くなくなります。
[DVD(邦画)] 6点(2008-07-25 10:27:30)
1937.  コレリ大尉のマンドリン
戦っていたのはドイツ・イタリアのファシスト連合とギリシャなのだが、そこに漂っている空気は、イタリア・ギリシャの南欧古代文明地域連合と北方のドイツ新興陰気文明の対立だったりする。こりゃどうしたってドイツは分が悪い。でも一人一人はいい奴なんだよ。風呂場の中でしか歌えない内気な奴だったりして、飲むといい声でサンタルチアを歌い、ねえ戦争終わったら文通しようよ、なんて言う。言い古されたことだけど、戦争がいけないんだ。ドイツってのは、集団になると戦争に向いちゃう国民性なんだな。その点イタリアは向いてない。連合軍がイタリアに上陸したとラジオで聞くと、これで帰れるぞと歓声がわく。流れ着いた機雷の爆破、コードが足りなくて怪我しちゃうとか、いちいち戦争に向いてない。マンドリンが似合う国民性だ。でも残念ながら日本はドイツ系だなあ。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-22 09:21:11)
1938.  殯の森
緑が画面に過剰に溢れてくると、つい用心してしまうところがある。緑を見ると、直線的に「いやし」とか「やすらぎ」がイメージされるので、その手には乗らんぞ、と心構えしてしまったりする。損な性格だ。この映画でもちょっとそうなって、でもまあ、これ緑が主題の映画なのだから仕方がない。黄緑の世界から次第に深緑の奥へと分け入っていく話だ。スイカの赤、焚火の朱、古木の白などが、深緑と対比される。ただその深緑の奥の世界は、やや観念性が強くなりすぎた気がする。映画として出来がいいと思ったのは、前半の黄緑の世界の方だった。田を渡る風、果樹の葉。老人たちが周囲にいたことがけっこう大事で、それが観念に走らせない厚みになっていたのではないか。また全体としてヒロインに統一したイメージが結べなかった。茶畑で鬼ごっこになるあたりの明るさが、私には唐突すぎて感じられた。
[DVD(邦画)] 6点(2008-07-21 12:00:55)
1939.  赤い橋の下のぬるい水
もう今村昌平が好むようなドロドロの土俗なんてなくて、過疎化が進む死んだような地方しかない。しかしそれでも、隅田川と対比すれば、まだ「ぬるい」程度の希望はあるってことか。東京の哲学書に対して、こちらには神のお告げのおみくじがある。海と立山が見える。ぬるい水は、川から海へと流れ出て、魚が群れる。まだ何かとつながっている。ここが隅田川と違うとこ。波消しブロックには虹も掛かる。エネルギッシュだった監督も、晩年になると(比較的)淡々とした世界を描くようになるのは、そういう世界が見えてくるのか、単に気力の問題なのか。高齢になると、監督ってロングの画面が多くなる気がする。
[映画館(邦画)] 6点(2008-07-17 10:59:11)
1940.  かあちゃん
私にとってこれがスクリーンで見た最後の崑の新作になったわけだ。晩年の志ん生の高座は、もう姿を眺めるだけで客は満足したって言うけど、ちょっとそれに似て、屋根瓦と路地を俯瞰する構図とか、着物の裾が襖にはさまれてスッと引っ込められるとことか、崑がサインをしているようなカットに出会えばそれで満足してしまうとこがあった。長屋の連中、小猫・コロッケ・梅雀・柳昇の顔が横に並んでいる図のおかしさなど、いいなあと満足する。落語的に語ったおとぎ話のような作品で、考えてみると、この監督はけっこう『つる』とか『竹取物語』とか『火の鳥』とか、そういったおとぎ話・ファンタジー系も好きなのだった。『ビルマの竪琴』だって、歌う兵隊ってある意味でおとぎ話だったし。晩年の諸作品ではうじきつよしがいい仕事をしていたが、このコンビぶりを大きく発揮する時間がもうなかったのは残念。
[映画館(邦画)] 6点(2008-07-16 10:32:33)
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