1. 楢山節考(1958)
深沢七郎が1956年に発表した原作を木下恵介が映画化した作品であり、後年今村昌平がリメークした同名タイトル作品のオリジナル版でもある。そして木下作品としては、「二十四の瞳」と並ぶ昭和を代表する名作である。 物語は信州の山奥深い寒村を舞台にした、姥捨てという因習に基づく老母とその息子の心の葛藤と情愛を描いたもの。いくら“口減らし”の為とはいえ、70歳を迎えると山へ捨てられるという「掟」の情け容赦のなさ。土着の古臭い慣習からすれば、非人間的で残酷な行為でさえも正当化されてしまう怖さ。貧しさからくる因習は余りにも露骨であり、その悲惨さは信じ難いほどだが、本作は決してそういった暗い部分を前面に押し出して描こうとはしていない。むしろ聞き伝えの民話をひたすら叙情的に描こうとしたものであり、斬新で実験的な手法を用いることで木下恵介の才能が存分に発揮された作品だったと言える。黒子が口上を述べる場面から始まるように、その演出はまるで舞台劇をそのままカメラに収めたような方法で統一されている。舞台装置としての書き割りや、場面が変換するときの幕の使い方、あるいは照明に至るまで徹底して舞台的な構成と演出に拘りながら、神秘的かつ荘厳で、どこまでも格調高く描かれていく。まるで歌舞伎を観るようなその様式美は、色彩設計ですら人工的でありながら、統一された美しさを醸し出している。そのテーマ性とは趣を異にして、全編木下作品らしい温か味を感じさせる一方で、田中絹代演ずるおりんが臼で歯を折るという、本編で最も凄惨なシーンとして強烈に印象が残っている。その静寂を破壊するかのような音の響きは、未だに忘れられない。鴉が谷底から乱舞する夕景の中、母親と息子の道行きの終盤のシークエンスは、本作の最大の見所である。とりわけ後ろ髪を引かれる思いで山を後にする息子の背後で、白く雪が降り始めていた姥捨山が、晩秋の景色に変わるという演出の見事さ。言葉ではとても表現できない情感溢れる名シーンであり、これこそが演出の妙というものなのであろう。 もはやこれを芸術と言わずして何と言おうか。確かビデオ化はされておらず、目に触れる事の少ない作品だが、機会を見つけて是非鑑賞して欲しい傑作である。 [映画館(字幕)] 10点(2005-09-06 18:37:28)(良:3票) |
2. 美女と液体人間
東宝特撮映画史の中でも、いわゆる「変身もの」というジャンルを確立した先駆的な作品として、是非とも記憶に留めておきたい逸品。「ゴジラ」がそうであったように、本作も核による放射能の計り知れない脅威と恐怖がテーマとなっている。放射能の影響で巨大化した怪物が暴れ回るという映画は、今までにも散々作られてきたが、しかし本作のような液体化した突然変異体が人間を襲い、瞬時に溶解して物質に同化してしまうという、異形の恐怖を扱った作品はほとんど例が無く、そういう意味においても極めて貴重な作品である。“彼ら”が実際に姿を見せるのが遭難船という設定は、現実の第五福竜丸事件を明らかにイメージしており、放射能の影響力に神経質になっている当時の社会状況を、映画として的確に反映させたものである。船を発見した船乗り仲間たちが、真っ暗闇の船室を巡る中、衣服だけが其処彼処に脱ぎ捨てられている事を目の当たりにする、これからの惨劇の始まりとなるこの一連のシチュエーションは、「ラドン」の序段の水没した坑道の恐怖感をそのまま増幅させたものであり、この手法は後年の「マタンゴ」にも引き継がれている。天井や壁や床を這いずり回り、どぶ川から壁面を伝って窓から雪崩れ込んでくる緑色の液体は、あたかも生き物のように全編に渡り描写される。そして音も無く忍び寄り、理由も無くまた相手も選ばず人間を溶かしてしまう恐怖感。 これらの視覚効果は、円谷特撮の腕の見せ所であり、試行錯誤を繰り返しながらも、見事な液体人間を創出してみせたのである。人間が服を着たまま萎んでいく様子を、細かいカット割りで繋ぐ編集の巧みさ。また、科学的裏付けの為、泡を噴きだして溶けていく蛙の実験を、微に入り細に穿ち描写することで、より説得力あるものにしている。中盤からクライマックスへ至る美女を襲う液体人間の構図は、スリラー映画の王道であり、スリリングな面白さと底知れない恐怖で、 SF映画史に独特の存在感を示している。余談ながら、白川由美は私にとって永遠のマドンナであり、また、幼い私がトラウマになってしまうほど恐怖を味あわされた本作に、どうして低い点数が付けられようか。 [映画館(字幕)] 10点(2005-07-28 18:06:17)(良:3票) |
3. 悪魔の発明
半世紀の時を経ての念願叶い、生涯最も観たかった作品とついに巡り逢えた。作品の素晴らしさは筆舌に尽くしがたく、そのイメージは想像で思い描いていた以上であり、これが五十年も前に創られた映画なのかと改めて驚くと共に、長年待った甲斐があったとしみじみ感じる。噂では知っていたけれど、実際には観たことがないカレル・ゼマンの世界は、まさしく「イメージの宝庫」と言えるものであり、それ以上に「斬新さと独創性」というものが強烈に印象付けられるものであった。作品世界は今で言う“SFファンタジー・アドベンチャー”だが、如何にも使い古された感のあるこのフレーズには全くと言って当て嵌まらない。私にとっては、まさに“未知との遭遇”なのである。その映像は“実写とアニメの共存”とでも表現すればいいのだろうか、例えば「ロジャー・ラビット」等とは対極にある、絵画で言う平面画にこだわりを見せている点である。アニメーションと言っても現在のイメージとは大きく違い、西洋の古き書物の挿絵あるいは絵画の下絵から抜け出てきたような、まさに“絵が動く”のであり、その新鮮な驚きは感動的ですらある。しかもそれらアニメ部分や実写との合成、或いは書き割りに至るまで、銅版を用いた線画で表現することに徹していて、さぞや気の遠くなるような手間隙かけた作業であったろう事は容易に想像できる。さらにモノクロ映像にしたのも功を奏したようで合成だと思っていたら巧妙に創られたセットだったりと、目を凝らしていても解からない。これらの、まるで騙し絵のような摩訶不思議な映像の洪水には圧倒されてしまう。もはやストーリーやテーマなどそんな事はどうでも良く、目の前で展開される予測のつかない、まるで玉手箱のような映像に身を委ねていればそれでいいのである。ミニチュアからセット・デザインに至るまで、映像のプロとしての緻密に計算され尽くした画面構成と、カレル・ゼマンの少年のような無邪気さと奔放な遊び心とが見事に結実したこの「悪魔の発明」は、「天才の発明」した、まさに世紀を超えた傑作であると、私は断言したい。 [映画館(字幕)] 10点(2005-06-01 18:39:22)(良:2票) |
4. 宇宙大戦争
円盤のシャープなデザインが酷似していることから見ても、本作が東宝特撮映画の傑作「地球防衛軍」の姉妹編であることは明らかだが、基本的なコンセプトは同じでもアプローチの仕方がまったく異なるという、やはりこれももう一つの本格的侵略SF映画の傑作だったと言える。地球を遥かに臨み監視する宇宙ステーションが円盤に攻撃されるところから始まる物語は、鉄橋の整備士のカンテラがゆっくりと浮上した瞬間、鉄橋もろとも上空に吸上げられ、その影響で特急列車が谷底へ転落していくシーンへと繋がる。このオープニングの一連のシークエンスは、圧倒的な科学力を有した何者かが、外宇宙から地球への侵略を始めたという不気味さを漂わせ、観客を物語に一気に引きずり込むにはこれ以上無いほどの強烈なインパクトを与えている。ナタール星人の地球侵略に対しその月面基地を先制攻撃するなど、 この映画の特徴として言えるのは、人類がかなり攻撃的に描かれているということ。そしてそれによって舞台設定が次々と変わっていく点にある。中でも月面上での探査艇と円盤との壮絶なバトルは迫力十分で、脳にチップを埋められた隊員がスパイとして操られ、探査機の破壊を命ぜられるスリルと相俟って、本編の最大の見所ともなっている。その前段の月に向かう途中、冒頭の宇宙ステーションで犠牲になった搭乗員が、座席に座ったままの姿で宇宙空間を漂っているというシーンがある。スピップ乗組員が、遠く離れていく彼に敬礼し哀悼の念を表すという、本編の最も感動的なシーンとして忘れられない。その後、地球上で迎え撃つ数々のメカも登場し、地対空、空対空といった円盤と地球連合軍側との戦闘シーンは最高潮に達する。終盤に登場するナタール星人の強大な破壊力を有する母船が意外なほどの迫力不足で、実に呆気ない結末を迎えるという点が唯一の不満として残ってはいるが、人類の英知を結集し徹底的に戦いを挑み、堂々と勝利してカタルシスをもたらすというこのストレートな冒険活劇は、物語の骨格が確りと構築されていること以上に、本多猪四郎と円谷英二という希代の才能があればこそ実現した作品だったと言っていい。しかしそれにしても「インデペンデンス・デイ」など、こういった本格的な正統派侵略SF映画が昨今ほとんど創られないのは、極めて残念なことである。 9点(2004-09-28 16:44:06)(良:1票) |
5. 地球防衛軍
SF映画が空想科学映画と呼ばれていた時代の、これは日本が生んだ特撮映画の中でも特にエンターテインメント性の強い作品で、本格的な侵略SF映画としても、後の世界のフィルム・メーカーたちに多大な影響を及ぼした記念碑的作品である。映画は、圧倒的な科学力で地球侵略を企むミステリアンと、やはり最先端科学を結集した地球防衛軍との大攻防戦が、極めて日本的景観の富士の裾野を舞台に展開されていく。それはまさに音と光の一大ページェントといった趣であり、シネマスコープの横長の画面が実に効果的。山火事や地崩れそして大洪水といったスペクタクル・シーンも用意されてはいるが、やはり卓抜なアイデアを駆使して製作された科学戦を演出する様々なメカの活躍ぶりが楽しい。夕暮れの蒼さにひときわ白く輝くミステリアンの円盤は、エイをデザイン化したようなユニークなボディで、ゆったりと飛行する姿は優美ですらある。山の斜面の一角が崩れて登場するモゲラは、鼻と背中にあるドリルで地中を掘り進むモグラ型ロボット。ゆったりといかにも重量感溢れる動きは恐怖感たっぷりだが、その鈍重さが唯一の欠点でもある。目からはあらゆる物を溶かしてしまう強力な怪光線を発するのに対し、防戦一方の自衛隊員の武器には火炎放射器というのが、この頃の時代色がよく出ている。モゲラが暴れまわる前半から一気に富士をバックにしたバトルが開始されるが、地球側からは熱戦砲を装備したα号とβ号の空中戦艦が登場。このシャープなデザインの攻撃型スーパー・メカと実際の戦闘機を並列に合成して、その巨大感を演出するところなどは円谷特撮の真骨頂であり、噴射口から黒煙を吐きながら進行するシーンなどはもはやアートと言ってもいい。最終兵器のマーカライト・ファープは、後の東宝特撮映画に欠かせないパラボラ型兵器の原型である。輸送型ロケットのマーカライトジャイロが上空で真っ二つに分かれたカプセルから出現、敵の熱線を反射・吸収するパラボラを上にして、逆噴射で地上に降りてくるというアイデアは画期的で、ドーム包囲網の画面構成が実に素晴らしい効果を挙げている。このように単純かつ荒唐無稽な娯楽作品ではあるが、1時間半足らずの上映時間には息をもつかせない面白さが凝縮され、円谷特撮では最も密度の濃い作品だったと言える。今でも様々なシーンが明瞭に甦るほど思い出深く私にとってはまさにエバーグリーンなのである。 [映画館(邦画)] 10点(2004-08-11 00:47:50)(良:4票) |
6. 空の大怪獣ラドン
怪獣と言えば「ゴジラ」がその代名詞のようになっていて、何故か“彼”ばかりが持て囃される風潮にあるが、決して忘れてはいけないのがもうひとつの雄である本作の「ラドン」である。年配の映画ファンなら、この血沸き肉踊る大冒険スペクタクル活劇を興奮してご覧になった方もきっと多いはず。怪獣映画としては記念すべき初のカラー作品で、本多猪四郎&円谷英二の黄金コンビがいよいよ本格的に動き始めたことから、東宝としても相当気合の入った作品だったと言える。冒頭、炭鉱の坑道内が水没事故に遭い、原因を探るため警官と炭鉱夫の三人が互いにロープを体に縛って、胸まで水に浸かりながら暗い坑道内を進むというミステリアスなシーンが秀逸で、不気味な音だけで姿を現さない何物かに次々と襲われていく緊迫感・恐怖感は尋常ではなく、トラウマになってしまうほど。その暗いトーンから一気に開放感溢れる青空の中でのドッグファイト・シーンに変転する構成の巧さ。伊福部昭の音楽が実に効果的で、いやが上にも胸高まらせられる。カメラのファインダーを覗いたまま“信じられない”といった引きつった表情で後退りするアベックの男性。あるいは、ラドンの殻の欠片のカーブから卵の大きさを計算するといった、実にリアルな描写。さらにダメージを受けて海面に墜落した後、再び飛び上がり、その衝撃波で巻き起こる津波と、たたき折られる西海橋といった大スペクタクル。そして特筆すべきは、福岡市街の細やかなミニチュア・セットの見事さや(とりわけ家屋の瓦が粉々にすっ飛んでいくシーン等)、終盤の阿蘇山をめがけて攻撃するミサイル発射のゆったりとした噴射イメージなど、実に印象深くそして見せ場の多い作品だったといえる。この世紀を超えた傑作を是非ご堪能あれ。 10点(2003-04-17 16:19:50)(良:3票) |
7. 地球の静止する日
50年も昔に創られたR・ワイズ監督初期の作品。ある日、一機の空飛ぶ円盤(UFOにあらず)がワシントンに飛来。その目的は、一体のロボットを従えた一人の宇宙人(エイリアンにあらず)が、争い事の絶えない地球人たちに警鐘を鳴らす為に。彼は、高度な科学兵器が地球はおろか宇宙にまでその影響が及ぶ為、各国の代表者を召集し話し合って、それを阻止して欲しいと主張するのだが・・・。確か映画の中でははっきりとは言ってなかったように思うが、高度な兵器とは明らかに“核”のことである。反核と世界平和。皮肉にも当時も今も世界情勢のキナ臭さはなんら変わらないといった、まさにいつの時代にも適合しうる普遍的なテーマを扱った作品だと言える。戦車や武器を手にした軍隊あるいは群集が、未知の物体を遠巻きに取り囲むシーン。そして抵抗する者を一瞬のうちに消滅させるロボットの怪光線(レーザー・ビームなどと言ってはいけない)の脅威といった構図は、今日に至るまでの、ありとあらゆるSF映画の教科書である。この作品をB級SF映画などと言ってはいけない。今と違い当時は空想科学映画と呼称され、一般の映画と比べ社会的認知度が低く、幼稚・低俗といった、いわゆるお子様映画的にしか評価されなかった歴史がある。そんな中にあっても本作のリアル感や恐怖感など、ワイズ監督の力量と映画に対する真摯な姿勢を存分に感じとれる作品となっている。 8点(2003-03-14 00:42:51)(良:3票) |
8. 宇宙水爆戦
星間戦争により劣勢になったメタルーナ星人が、地球の科学者に援助を求めたが、時すでに遅しで、メタルーナ星は壊滅寸前になっていた・・・。当時のいわゆるB級SF作品だが、セスナ機がUFOの下部から吸上げられるシーンや、異星環境に適合させる為に人体をすっぽり被せる透明カプセル型安定器といった、今日のSFモノには欠かせないアイデアの原型がここに見て取れる。攻撃を受け破壊されるメタルーナ星の惨状のカラー描写が素晴らしく、また巨大に発達した脳が剥き出しになったような頭と昆虫をミックスしたデザインのミュータントが実に不気味(当時としてはかなり衝撃的だった)で、この作品のシンボルともなった。 7点(2002-07-14 16:30:03) |
9. 禁断の惑星
宇宙冒険SFの古典中の古典。人間の邪心や憎悪といったものが、そのまま怪物の姿となって襲いかかるといったアイデアが秀逸で、具体的な姿を見せない為、地面に足跡のくぼみが付いたり、階段の手すりが歪んだりといった描写や、探検隊との一大バトルを見せる本編との高度なアニメーション技術の合成も見事な効果を挙げている。また、劇中登場するロボット・ロビーの古典的デザインも素晴らしく、ロボットの一つのスタイルを確立して、玩具としても大人気を博した。今日のSF映画に影響を与えたという意味でも、当時としては画期的な作品だったと言える。 8点(2002-07-14 15:48:39) |
10. シェーン
遠くロッキー山脈の雪の白さと青い空。颯爽と登場するシェーンのカッコ良さ。一見、絵に描いたような西部劇のようだが、実はそのカッコ良さとは裏腹に、この作品は西部開拓期の終焉とローンライダーの孤独と侘びしさをオーバーラップさせ、その時代をだだっ広い荒野で共に生き抜いていこうとする、或る貧しい家族との心温まる人情ドラマだと言える。とりわけ、友達もいないことで寂しさが募る少年ジョーイと、やはり孤独なシェーンとが心を通わせていくというプロセスや、少年の母親との仄かな愛にも似た気持ちの機微など、J・スティーブンス監督が実に木目細やかに、そしてあくまでも正攻法で鮮やかに描ききった点で、やはり映画史に残る名作たり得ていると思う。V・ヤングの名曲に乗って、史上余りにも有名なラスト・シーンの残像は、生涯脳裏に焼き付いて離れることはない。 9点(2002-07-07 18:21:52)(良:2票) |
11. 旅情(1955)
イタリアを舞台にした束の間の大人の恋。広場に群れ飛ぶ鳩。夜空にくっきりと浮かぶ満月。波に揺れるゴンドラ。その思い出ひとつひとつを胸に刻もうとするヘップバーンの顔のなんと眩しく美しいことか。刺刺しいほどのオープニングと、ラストで見せる哀しくも穏やかな彼女の表情の変化が印象的だ。中年になって初めて知った燃えるような恋。果たせなかった恋にもかかわらず、人が人を想う優しさにふれ、彼女にとっての終生の思い出を胸に、新たな人生の旅立ちを予感させる幕切れの鮮やかな事。人間の情感というものをこれほど切なく描いた作品も滅多にお目にかかれるものではなく、D・リーン監督作品の中でも最も好きな、これぞ珠玉の名作。 10点(2002-06-30 15:47:31)(良:2票) |
12. 地底探険
冒険モノのジャンルの中でも文字通り地底を舞台にした本格的な作品というのは、本作以外にはほとんど作られていないような気がする。地熱の影響からか、巨大に成長したキノコや植物の煌びやかさ。トカゲを大きくしたような恐竜たちの生き残りが襲いかかる戦慄。さらに地の底の闇に美しく花びらのように広がる波紋の神秘性。壁の一部を削り採ったところが徐々に崩れていき、大洪水に見舞われるというスリル。やがて遭遇した地底での大海原とその向こうに輝くもう一つの太陽という摩訶不思議な体験。そして、火山のマグマの噴出を利用した奇想天外な脱出のクライマックスまで、視覚効果満点、アイデア満載で一気呵成に観せてくれる。未知の神秘な世界に対する憧れと冒険心、そして夢とロマンを存分に叶えてくれたという意味でも、映画史において稀有な作品だったと言える。 8点(2002-05-19 15:40:36)(良:1票) |
13. 恐怖の報酬(1953)
「その爆風は、燃え盛る炎をも一瞬にして消し去ってしまう。」ニトログリセリンというものを、これほど端的にそしてその威力がいかにもの凄いかを強調した表現はない。そこがこの映画の着眼点の素晴らしいところで、観客はまさに髪の毛が逆立つほどの恐怖を体感させられる。すべては「恐怖の報酬」から始まった・・・と言えるほど、まさに“スリルとサスペンス”の原点であり、ハリウッド映画とはひと味もふた味も違う、フランス映画だからこその人間描写の深みは、今日に於いてもアメリカ映画のかなわない点だろう。この世紀・世代を超越した傑作に満点の評価をつけることに、些かの躊躇もない。それほど良く出来た作品だった。 10点(2002-05-12 16:57:31)(良:1票) |
14. 戦場にかける橋
期日までに橋を完成に漕ぎつけたという日本の軍隊としての面子。一方、日本軍だけでは出来なかった事を英軍の手によって成功させたというプライド。斎藤大佐もニコルスン中佐も、お互いのアイデンティティーや信念の違いによるものだからこそ、お互いに一歩も譲ることができない。そのことは本作の基本的な対立の構図の最も顕著に表われた部分である。戦場での友情の証のような完成された橋が、一瞬のうちに破壊されることで、戦争(この場合、“無理解”と定義すべきだろう)の不条理さがより強調され、クワイ河マーチのメロディと共に、虚しさの余韻を残すエンディングは秀逸。両国の将校を演ずる早川雪舟とアレック・ギネスの火花散る熱演は素晴らしいが、とりわけギネスの毅然とした英国軍人ぶりは見事で、作品をより味わい深いものにしてくれた。 10点(2002-05-06 18:06:49)(良:1票) |
15. 海底二万哩
監督のR・フライシャーは、「ミクロの決死圏」で人体を海(もしくは宇宙)に見立てて、見事なエンターテインメントに仕上げたように、海底こそが人類にとって限りない夢を抱かせてくれると言う事を、この作品でも存分に味わせてくれる。その科学性に裏うちされた特殊技術やセットの豪華さなど、当時の作品の中では群を抜いていたことは、初公開以来、幾度となくリバイバル公開されたことでも証明済みで、それ程良く出来た作品だったと言える。また原作が発表された時代を考えると、いかに的確に未来を予見していたかが窺い知れる。 8点(2002-04-26 23:33:16) |
16. ベン・ハー(1959)
人間は水がないと生きては行けない。激しい喉の渇きを覚えても、その水を飲む自由が得られない時、そっと手を差しのべてくれる人がいたら・・・。この作品は、奴隷となった或る貴公子の数奇な運命と、彼の人生をめぐる多彩な登場人物たちの人間ドラマを、巨大なスペクタクルを交えて一大叙事詩として描ききった、言わずと知れた巨匠W・ワイラー監督の歴史的名作。その中で、“水を与える”というシーンが何度となく、そして思い入れタップリに描かれているが、さり気ないシーンをこれほど感動的に描いた作品を他に知らない。人間が人間に対して思い遣る心と、人の恩を忘れず生きていくことの大切さを教えられたようで、個人的にも生涯忘れられない作品となった。ミクロス・ローザの雄大いて安らぎを与える優しい旋律が心に染みる。 10点(2002-04-19 00:28:35)(良:2票) |
17. 情婦
ひと昔もふた昔も前に見た作品なので細かい記憶は実に曖昧だが、どんでん返しに次ぐどんでん返しで、数ある裁判ドラマの中でも特筆ものの面白さ。予想外のラストも感動的だ。 10点(2001-10-28 17:03:22) |
18. 渚にて
第三次世界大戦が勃発。核兵器により北半球のほとんどが全滅し、やがて参戦していないオーストラリア大陸にも死の灰の恐怖がひたひたと迫り、人々はそれぞれ最後の時を迎えようとしていた。人類最後を見とどける為、原潜に乗ってサンフランシスコへ向かう。廃墟と化した光景。とりわけ、キャッチした謎のモールス信号が空のコーラの瓶が風にはためくカーテンの紐に引っ掛かり、無線機に接触して発信しているシーンが強烈な印象として残っている。ドキュメンタリー的でむしろ静かに語られているだけ、かえって胸に迫ってくるものがある。終末SFモノの秀作。この作品を撮った巨匠スタンリー・クレイマーが先日亡くなった。今は数々の名作をありがとうと言いたい。合掌。 8点(2001-03-02 23:50:38)(良:1票) |
19. ゴジラ(1954)
単に怪獣映画という事なかれ!“空想科学映画”の言葉すら一般的に無かった時代の、これは紛れもなく日本映画史に残る傑作であり、そのキャラクターは日本のみならず世界中を席巻している。核兵器反対というテーマを、つけ足しではなく正面に堂々と打ち出している唯一の作品でもあり、又、ゴジラが現れるまでの不安な状態と異常なパニックの描写が優れていて、特撮シーンと本編とを違和感なく成立させているなど、円谷英二特技監督も当時の不自由な器材を使って最大限の効果を上げている。後年シリーズ化されたものは、この作品の蛇足に過ぎない。 10点(2001-03-02 01:38:48)(良:2票) |
20. 十二人の怒れる男(1957)
いまさらコメントするのも恥ずかしくなるほどの歴史的名作。さすがにリアルタイムで観たわけではなく、後年、TVの「日曜洋画劇場」で“なんて素晴らしい作品なんだ!”と、子供心ながら感心したものです。もうほとんどディティールは忘れてしまいましたが、当時のミスター・ハリウッドのH・フォンダの人間味溢れる誠実な演技を始めとする、出演者たちの的を得た達者な演技や、ストーリーの構成力の巧さ等でぐいぐい引き込まれてしまう。冒頭、裁かれようとしている(いかにも気弱そうな)青年の横顔がチラッと映るショットや、閉ざされた空間から雨上がりの道路が太陽にきらめく屋外のラスト・シーン等、何十年たっても憶えている。名作とはこういうものなのだろう。 10点(2001-01-14 18:35:11) |