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R&Aさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2162
性別 男性
年齢 57歳
自己紹介 実は自分のPC無いので仕事先でこっそりレビューしてます

評価:8点以上は特別な映画で
全て10点付けてもいいくらい
映画を観て損をしたと思ったことはないので
酷評しているものもそれなりに楽しんで観たものです


  *****

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1.  おかあさん(1952)
もうたまりません。子供たちがストーリーを無視して勝手なことばかりしてくれます。そうです、子供ってなんでもないことで口喧嘩するんです。突然意味の無いことをするんです。なにげに面白いことするんです。とりあえずなんでも言い返すんです。部屋の中を映せば絶対に目にする、しかしどうでもいいっちゃあ、どうでもいい光景が常に映し出される。演出で作り上げたものとは思えないほどの素の子供たちの笑顔が、お母さんはけして不幸ではないということを見せてくれます。下の娘を里子に出すとき、お母さんは泣かないし娘も淡々としている。抱き合って涙を誘ったっていいシーンである。しかしドラマチックにしなかったことで、この当時ではごく当たり前の光景なんだと非情な現実感を呼び起こす。それと同時にやっぱり泣けるのである。ドラマチックにしなくたって光を逆光にするだけで涙が出るんです。そして延々と映し出されていた子供たちのバカ丸出しの楽しいシーンがここで効いてくるんです。泣かされて、笑わされて、また泣かされて、また笑わされて、、映画館を出るときには泣きながら笑っていました。
[映画館(字幕)] 10点(2005-10-06 13:34:05)(良:1票)
2.  愛のレッスン
終わってみればある夫婦のドタバタとした恋愛事情を描いたコメディなんだけど、それぞれの愛人やら家族やら、はたまたそれぞれの過去への回想シーンが入り乱れ、最初の数分は何が何やらといった感じなのだが、わかってくるとこれが楽しい。とりわけ夫婦のなれ初めシーンの可笑しいこと。ヒロイン、エヴァ・ダールベックが実にイキイキと輝いていて、このなれ初めシーンは回想なのでちょっと若作りしてるんだけど、それがもう可愛いし、ぶっ飛んでるしで、それまでの倦怠感満々のシリアスな雰囲気が嘘みたいに晴れ晴れして夫婦の気持ちと同じように映画がパッと明るくなる。ベルイマンといえば神の沈黙やら不在やらをテーマにした60年代以降の映画群こそがベルイマンという印象があるが、私は男と女をテーマにした50年代映画群が大好き。『夏の遊び』とか『不良少女モニカ』とか『歓喜に向かって』とか。その中ではあきらかに興行重視の、いわばベルイマンらしくない作品になるかと思うが、男と女がそれぞれの立場でそれぞれの言い分があり、それぞれの事情があることをこんなにも楽しく見せてしまうってのはやっぱり凄いことなんじゃないかと思います。
[映画館(字幕)] 9点(2008-07-18 14:47:17)
3.  彼岸花
いいですねー、京ことば。主人公一家と京都の親戚母娘の会話の両極端なテンポがもたらす絶妙なリズム。両者ともに、より際立っていました。静かなる紳士ぜんとした男が唐突にわいた娘の結婚話しにイライラし、物分かりの良い妻にも意見され、「おい!うるさい!ラジオ消せ!」と怒鳴るシーン。怒鳴られたことによる困惑のなかで、夫の心情を察して微かな笑みを浮かべる妻。ウチだったらギロッてにらまれて1週間は口を聞いてもらえないことまちがいないだろう、、ということで、苦々しくも羨ましい、でもやっぱりいいなぁと思えるシーンでした。小津の他の作品のように、同じ部屋でも色々な方向から撮っているんですが、赤いヤカンに代表される小物たちの存在が混乱を避ける目印となり、またその可愛らしい自己主張が心を和ませます。誰もいない廊下の片隅にある赤い座布団の敷いた籐の椅子が、場面の切り替え時に度々映し出されますが、静かな余韻に浸るいい間(ま)を作り出すとともに、最後の最後に妻がその椅子に座る画の伏線にもなっているのには驚きました。小津の映画はこういう驚きに溢れています。
[DVD(字幕)] 9点(2005-06-23 18:20:29)(良:1票)
4.  麦秋(1951)
冒頭の食事のシーンのカットの多さに驚く。誰かが卓につく、誰かが卓を立つ、そのたびにカットが割られ、人物が動いてもカメラは追わず、家中を歩き回る人物の先にカメラは先回りしてどしっと待っている。人物が画面から消えようとするとまたすぐに先回り。さらに卓を囲んだ家族を捉えたカメラが今度は真向かいに移って家族を捉える。ゴダールの『勝手にしやがれ』よりも先にこの左右が入れ替わっちゃうカット割りをしている。しかしゴダールと違うのは、ちゃんとカットとカットが繋がっているところ。カットを割るところで必ず人物の動作が入る。立ちあがったり、振り向いたり、お茶を飲んだり。凄い!この食事のシーンだけでも、ずっと見ていたいと思いました。そして怒涛のカット割りの中、けして動かなかったカメラが宴会(舞台?)の客席を映すときに静かに動く。アッと思ったら、今度は誰もいない廊下をス-ッと前に進みながら映すときに、はじめてかもしれない音楽が入る。ひえぇ~となる。ストーリーとは関係ないところでこんなに感動したのは久々です。もちろん内容もいいよ。会話にみられる小津節が冴えてます。
[DVD(字幕)] 9点(2005-06-22 13:19:29)
5.  赤い風船
セリフがほとんど無いのですが、例えば雨の中、風船が濡れないように通りを行き交う人達の傘に入れてもらいながら歩を進める少年と傘に入れてあげるおじさんおばさんたちの会話なんてのは、はっきりと聞こえたような気になります。路面電車で乗車拒否をされたり教室まで追い出されたりといったシーンも然り。何も考えずにぼーっと見ていても様々な声が頭の中で響きます。かわいらしい赤い風船の動きも素晴らしく、またラストのたくさんの風船たちにも感動した。幸せな気分に浸りたい方、おすすめです。 <追記(2008.8.28)> 近所のレンタル屋に置いていたこの作品(ビデオ)がいつのまにか無くなってしまい、今度はいつ観る機会に恵まれることやらと諦め半分に思っていたところに本年デジタルリマスターで蘇った本作が劇場公開された(『白い馬』と共に)。セリフも無く、字幕も無く、映像だけで感動する。この感動こそが「映画」。「映画」だけにしか出来ない感動がここにある。いわさきちひろさんのこの作品を元にした絵本も素敵だが、全然違うんだ。感動が。
[映画館(字幕)] 9点(2005-06-16 14:05:56)(良:1票)
6.  七人の侍
この作品は見る前からいろいろな予備知識を持っていた。とりわけ、雨の中での戦のシーンは「七人の侍」を語る上で必ずと言っていいほど出ていたので余程迫力があるのだろうと思っていた。いざ見てみると思っていたほどではない。しかし、映像から見てとれる迫力を越えるものがこの映画にはある。まず七人の人選からして惹きつけられる。そして何より対野武士の戦術だろう。見ていてゾクゾクする。戦術より大切なことが団結するためのコミュニケーションだったり、百姓達の士気を上げるための渇やリラックスさせるための談笑だったりとそのあたりの描写も心憎い。最後、百姓達は侍達に感謝してチャンチャンと終わるのかと思ったら、何事も無かったように歌いながら農作業に精を出す。そして勘兵衛の、勝ったのは百姓云々のセリフ。菊千代が泣きながらに訴えた、百姓とは云々のセリフが見事な伏線となっている。
9点(2003-11-26 13:37:48)(良:1票)
7.  東京暮色
黒沢清『トウキョウソナタ』を観たときに黒沢清の過去の諸作品を想起したのと同じくこの『東京暮色』を想起した。どちらも家族が崩壊してゆく映画ではなく、最初から崩壊しているということを見せてゆく映画。そして父が家族の中で威厳ある存在でいるという幻想の崩壊が描かれている。日本映画は、いや、アメリカを例外とする世界の映画は「母」をこそ映画の題材にしてきたのに対し、小津はアメリカ映画の影響なのか、はたまた自らの思惑があってのことなのかは知らないが、「父」を描いてきた。小津の描く「父」は何もしなくても、何も言わなくても、「父」として、家族の長として存在することを家族が認めていた。しかし『東京暮色』の父は何もしないのではなく何もできない存在として描かれる。そして母の不在こそが家族を分断させる決定打となっている。小津が描く「父」はいつもどこか寂しげな一面を見せてきたが、ここではその寂しさも泣きっ面に蜂状態。娘(原節子)も母(山田五十鈴)もそれぞれの事情を抱えてそれぞれの道を歩む。杉村春子は相変わらずのマイペース。父はひたすら何も出来ない。理想の家族形態が存在する古き良き時代の終焉を描いた映画といえるんじゃないだろうか。悲劇を悲劇として描かず、あくまで日常として描く。痛切で怖い映画だ。
[DVD(字幕)] 8点(2009-01-29 11:59:10)(良:1票)
8.  奇跡(1955) 《ネタバレ》 
キリスト教を真摯に描こうとすると、だいたいにおいてほとんどのキリスト教信者は真の信者でないということに至る。この作品でも信仰心を強く持っているはずの人が「奇跡」を信じない。当然といえば当然である。いくら神父や牧師といえど、聖書に記された様々な奇跡を真実だと思っている人なんてそうはいないだろうし、仮にいたとしても今再びその奇跡が行われることを信じるかということになれば疑問を抱くのではなかろうか。この映画は信仰はこうあるべきだと言ってるのではなく、むしろ信仰って何?と問いかけているよう。ただこの映画が凄いのはそんな宗教観なんかじゃなく、奇跡という事象をもたらす見えざる何かがいる気配を画面に残しているように見せてしまう映像にある。映されるのが家の中がほとんどの中、突如として現れる空と草原の絶妙な構図、真っ白い洗濯物、そして風、この瞬間こそが奇跡そのものだ。
[映画館(字幕)] 8点(2008-09-17 12:12:42)(良:2票)
9.  近松物語 《ネタバレ》 
構図だとかカメラワークだとか、かのコンビなんだから言うまでもないし、モノクロの画面は終始美しいことは美しいのだけど、どのシーンがってんじゃなく全部が当たり前のように美しいのでかえって画としての印象が弱かったりする。むしろこの作品は画よりも女優・香川京子の凄まじさに圧倒される。もちろんその凄まじさは溝口の演出なんだけど。香川はこれまで明るい娘役ばかりだったのが、この作品でいきなり女の色気を爆発させている。抱き合う姿は抱きしめるというよりも、何が何でも離れまいとしていると言ったほうがいいほどにその必死さと苦しさが漲っている。誰かが迷惑してようが構わない。離されることが耐えられない。苦渋の表情と叫びと嗚咽。二度と離されることのないという満足顔のラスト。愛に狂った女の色気。ここまで色っぽい香川京子はそうは見れない。
[映画館(邦画)] 8点(2008-04-17 16:50:59)(良:1票)
10.  悪魔の発明
この作品はカレル・ゼマンのことを何も知らない数年前に、レンタル店で古そうな色あせたパッケージのビデオを見て、こうゆういかにも古いビデオはいつ処分されるかわからず、なにかの拍子に傑作だとわかって借りようとしたときにはもう既に処分されていたりということもあるかもしれないと思い、実際どんな作品なのかも全く知らないままに借りた作品なのだが、見てびっくり。傑作である。絵と実写の融合なのだが、どこからどこまでが絵なのかわからない。それほどに絵がリアルであるというのではなく、実写のほうが絵に近づいているのだ。潜水艦や潜水服の造形、またお宝回収のシーンなどはコレよりも先に作られた『海底二万哩』に酷似しているのですが、よりシンプルなデザインとより細やかなディテールによって、こちらがオリジナルなのではないかとさえ思えてしまいます。 【ドラえもん】さんが“絵が動く”と書いておられるとおり、「アニメーション」という言葉は不似合いで、まさに「絵が動いている」という表現がぴったりな作品。「絵が動いている」、、「アニメーション」、、いっしょじゃないか!と思われるかもしれませんが、観ていただければ解かってもらえると思います。
[ビデオ(字幕)] 8点(2007-08-24 18:16:26)(良:1票)
11.  めし 《ネタバレ》 
「夫婦三部作」(『めし』『夫婦』『妻』)の中で夫婦の溝が最も浅い。どの夫婦にもあるだろう表には出ない些細な不満。そんなどこにでもあるような話に魅入らせてしまう成瀬はやっぱり凄い。なにげない会話が画面に映されたときの人の動き、目の動きが、なんでもないシーンをとんでもないシーンにしてみせる。女だから、妻だから、当たり前のようにこなさなければならないこと、我慢しなければいけないことがある。男にだってある。それをちゃんと見ていてくれる人がいなければストレスになるのは同じ。当たり前のことを当たり前にこなす毎日の疲れ、その疲れを癒してくれる言葉もなし、そのうえ自由気ままな姪っ子に対する嫉妬、、、。居心地の良い東京へ逃げ帰る。ここで登場する杉村春子と杉葉子がまたいい。何もかも解かっている母に甘える。夫の仕事を手伝いながら活き活きと主婦をこなす妹を見る。またまた登場の姪っ子に、同じように現状から逃げているだけの自分を見る。そこに夫が迎えにくる。「迎えに来る」という行動をして言葉以上のものを伝える夫。最後のナレーションはたしかにこの時代特有の価値観なのかもしれないが、夫婦の物語は普遍に満ちていると思うし、なによりも画面は今観ても新鮮で上質なのである。
[映画館(邦画)] 8点(2007-06-21 12:57:48)
12.  浮雲(1955)
成瀬巳喜男の最高傑作らしいという前知識をもって鑑賞したのですが、その最高傑作という言葉にかなりの違和感を持ったことをよく覚えています。これ観たとき、『夫婦』とか『妻』、その他いろいろをいっしょに観たのですが、この『浮雲』よりもその他の映画のほうが良かったと思ったし、他の作品に感じた成瀬的なものをこの作品に見出すことが出来なかった。私が当時思っていた成瀬映画(現代劇)の世界観というのはもっと些細な出来事を、あるいは物語とは別のところで見せる小さなやりとりをこそ映し出す、その繊細な感覚というのがまずひとつあるのですが、『浮雲』は「出来事」が作品を支配し、男女の大河ドラマ風になっている。でもね、時がたつとともにおかしな現象が私を襲いました。成瀬映画を思い出そうとすると、まず一番に出てくるのがこの作品の高峰秀子のアンニュイで愚痴っぽい語り口。そして旅先での歩き姿だったり、男の部屋に立っている姿だったり、病床に伏せっている姿だったり、、。他の作品を押しのけて頭に浮かぶのはこの作品の風景ばかり。実のところまだ一回しか観ていないのですが、頭の中では何十回と上映されております。そしていつのまにか傑作だと思うに至ってしまったという稀な映画となりました。
[映画館(邦画)] 8点(2007-04-25 13:08:03)(良:1票)
13.  不良少女モニカ 《ネタバレ》 
「今日の映画界にあって『國民の創生』と同じ役割を果たしている」とゴダールに絶賛され、ヌーベルヴァーグの監督たちに多大な影響を及ぼしたという本作は『夏の遊び』同様に「若き日」を同じくあっという間に過ぎ去ってしまう「眩しい夏」にリンクさせて見せる。大人社会から脱出し北欧の夏を満喫する若い男女。そして当然やってくる終焉の日。若い男はすさんだ大人社会に適応しようと懸命に働く。愛する女と自分の子供のためにという目的があるから。しかし若い女は自分の子供ですら自らの自由を奪う社会の一部にしか見えない。女は自らを堕落させてゆく。それを象徴するシーンがレストランだかバーだかで昔の恋人と思われる男と会っているときの、画面を観る我々に向けた恐ろしいまでに冷たい眼差しである。もうこの後は見なくてもわかる、それほどまでに強烈にその後を暗示させるシーンであり、ついさっきまで画面にあった夏の陽気が嘘であるかのように観る者を凍りつかせる。そしてとんでもない映画を観ているのだと、この瞬間自覚するのである。
[映画館(字幕)] 8点(2007-03-16 19:03:39)
14.  夏の遊び 《ネタバレ》 
「初めて何から何まで自分のもの、という感じの映画が撮れた」とベルイマンが言うところの本作は、神の不在だとか性の問題だとかという難しいテーマが一切無い、実に甘酸っぱい悲恋の物語である。回想で綴られるひと夏が瑞々しく描かれ、またその回想が作品の大半を占めるのですが、青春時代のキラキラ感というかその一瞬にしか出せない陽気さというものが見事なまでに再現されています。その中で『歓喜に向って』でも主演したマイ・ブリット・ニルソンが眩しいくらいに青春の陽気を発散する。ベルイマンの多くの作品に見られる鏡を使った演出も、本作が最も意味深く、最も印象深く効果を発揮している。鏡に映ったバレリーナは涙を拭いて新しい自分を見つける。そうやって大人へと成長する。
[映画館(字幕)] 8点(2007-03-15 17:13:04)
15.  歓喜に向って 《ネタバレ》 
ベルイマンの作品群の中ではあまり評価されていないようなのですが、私はおもいっきり泣きましたよ、これ。『歓喜に向かって』の「歓喜」はラストに演奏されるベートーヴェンの第九「歓喜の歌」のことなのですが、そこにはもうひとつの意味が露にされます。物語は妻の事故を知らせる電話から始まり妻の死を知らされるところから回想に入ってゆきます。そしてラストで現実に帰り、その死を受け入れて前を向こうと懸命に演奏する男と、その姿を見つめる幼い息子、そしてその息子を見つめ返す父の中にまさに「歓喜」が宿るのです。音楽という芸術を通して芸術家であることの困難さが描かれる一方で、「歓喜」へと導く芸術の力を見せつける。感動作というベルイマンらしからぬ作品でありながらも、映画も演劇もまた大衆の歓喜の源であるべきというベルイマンの声が聞こえてきそうな作品でもあります。スウェーデン・サイレント映画の巨匠であり、ベルイマンの師でもあるヴィクトル・シューストレムのまさに主人公の師としての演技がポイントポイントで和やかさと笑いをもたらし、作品全体を軽やかにしている。
[映画館(字幕)] 8点(2007-03-14 13:10:16)
16.  風と共に散る
メロドラマの巨匠、ダグラス・サークの映画はどんな有名俳優が登場しようと俳優の映画ではなくダグラス・サークの映画になる。物語はありがちなメロドラマだけど、風に揺れるカーテンや螺旋階段や車が効果的に感情表現に一役買った演出は巧いし、石油会社の息子の奔放な行動のひとつひとつに破滅を予感させるなにげない伏線も巧いけど、それ以上に画面全体に独特の色を持っているのが実に惹かれる映画なのです。洗練された、という表現はちょっと違う、かといって古臭いというのでもない、どちらにも当てはまりそうでいて少しずれてる感じ。うまく表現できないけど、あぁ、サークの映画を観ているんだぁという感慨にふける、その体験に感動。
[映画館(字幕)] 8点(2006-11-28 13:21:47)
17.  東京物語
今、どこであるのかを、例えば煙突からモクモクと煙が出ているカットで「東京」と判らせ、冒頭と同じ画を見せることで「尾道」だと判らせ、旅館と海が当然「熱海」で、「大阪」は大阪城のカットをもってくる。今、どの家にいるのかをその前に差し込まれる美容院や病院の看板が語ってくれる。説明セリフやナレーションが無くても画だけで判らせる。 大半が人物が大写しで映される中、例えば熱海での翌朝の老夫婦の後姿や、半ば追い出されたカタチの二人の道端に腰掛ける姿や、一人で朝焼けを見ていたと言う妻に先立たれた父の姿は小さく小さく映し出すことでその寂しさを表現する。老夫婦の尾道の家での会話に近所のおばさんが割って入る。老夫婦のあいだにおばさんがいる、という構図を、妻亡き後もそのまま同じ構図で映し出す。妻のいた場所がぽっかりと空いた構図が強烈な喪失感を演出する。映画とはまさにこういう作品のことをいうのである。しかしそれだけでは傑作とは言えない。この作品は映画として本来当たり前にすべきことをちゃんとしていて、それをベースに小津流の独特の画と独特の間で小津らしさを出し、さらに老夫婦をメインにした「家族」のストーリーの中から、東京で一人で生きる女の物語をラストで出現させるという構成が素晴らしすぎる。終始見せてきた原節子の意味ありげな視線が本当の「東京物語」の伏線だったのである。傑作です。
[DVD(字幕)] 8点(2006-01-16 12:53:37)(良:4票)
18.  夫婦 《ネタバレ》 
家族ではなく夫婦を描いたところが小津との差異でしょうか。冒頭の同窓会帰りの菊子が階段を上り高台からの景色を見下ろし清清しい顔を見せる。オープニングでいきなり解放を望む内なる心情を映し出しているわけです。その後夫婦のどこにでもあるようなちょっとした諍いが描かれ、ベースにある夫婦の倦怠がこのちょっとした諍いをどんどん大きなものへ変えてゆきます。いっしょに住むことになる夫の同僚、その同僚に密かに好意を寄せる女性が絡んでドラマが展開されてゆくのですが、そのひとつひとつのシーンで見せる、会話に無い心情の見せ方が非常にうまい!ドラマは夫婦の崩壊へとなだれこみそうな展開をみせつつ、そんな諍いがあるのが夫婦なのだと言わんがごとくに、あることを機に絆を深めて終える。絆を深めるというより、最後の最後にやっと「夫婦」となるのである。それもこのドラマを彩った他の登場人物たちを全く介さずに、夫は夫になり妻は妻になる。まさに「夫婦」となった瞬間、この映画は終わることを惜しまれつつ終わるのである。
[映画館(字幕)] 8点(2005-10-05 13:30:05)
19.  雨月物語
私もぐるぐるさん同様、溝口初体験がこの作品。溝口という名が日本よりもヨーロッパのほうが知名度が高いということ、『雨月物語』がこのうえなく美しいということ、くらいは前々から耳にはしていました。で、いざ鑑賞。はじまってすぐに「え?これのどこが美しいの??」しかし最後まで、いや、途中まで見て納得。私はこの作品で言われるところの「美しい」の意味を取り違えていました。ここでいう「美しい」はモノクロであることを活かした美や目にやさしい美ではなく、構図とカメラワークで見せる美。とくにスローボートさんが絶品とおっしゃるところのシーンと大河内伝次郎ノ介さんが泣けてきたとおっしゃるシーン。あまりの美しさに2度目の鑑賞ではこの二つのシーンを何度も巻き戻して見てしまいました。 「溝口見ぬものは人にあらず」ですか..誰が言ってるんですか?(ニガ笑) でも日本映画の巨匠=クロサワの図式が定着している今日の日本において、そう言われるお気持ちもわかるような気がします。
8点(2005-01-05 15:38:08)(良:1票)
20.  野いちご
名声を得た老医師が式典へ向かうまでのロードムービーと自身を振り返り自らを罰する追憶のロードムービー、この二つのロードムービーの絡みぐあいがホントにお見事。同乗する若者たちの屈託無く感情を表に出す姿にそれまでの孤独な生き方に人生の虚無を感じてゆく。そして夢を通して、これまで人との距離を置き大人の対応をしてきたがそこに愛は無くまわりの人たちを傷つけてきた自分を心の深層から引っ張り出す。現実のシーンが無駄無く夢に投影され、夢が現実に影響してゆく。で、その夢のシーンがまた素晴らしい。人生を振り返るきっかけとなる死への不安を意味する冒頭の夢も衝撃的だが、昔住んでいた家に寄り、当時を回想するシーンでその回想されたシーンに現在の自分がいるという斬新な作りにもびっくり。W・アレンよりはるか以前にやってたんですね、凄い!
8点(2004-12-24 12:08:48)(良:2票)
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