1. F1/エフワン
この凄まじいまでの疾走感に、まず脱帽。参りました。ぶっちゃけ、モータースポーツには何の興味も無いんですけどね。ははは(あ、安っぽいカーチェイスなら大好きですが)。 別にレースシーンばかりという訳では無くって、ドラマ部分が作品の多くを占めているのは勿論なのですが、全編にわたってレースシーンが散りばめられている上、それらのシーンのスピード感がもう圧倒的なもんで、「映画の平均速度」ってのがもしあったら、これはもうかなりのハイレベル。個人的には、今まで見た2時間半超えの映画の中で一番短く感じかもしれない。とかいう記憶は大抵アテにならんもんですが、そのくらいの没入感がありました。 昨今、映像技術が随分と上がって、CGと実写の見分けがだんだんつかなくなってきた、という以外にも、小型・高性能のカメラが、まさかという映像を実現するようになってもきたりして。その「まさか」の結晶ともいうべきなのが、この作品でしょう。CGばかりに頼っていてはとても実現できないであろう、このレースシーンの迫力と臨場感。圧巻です。撮影、編集、特殊効果・・・よくぞこんな映像を作り上げたもんだと思います。 しかしそれだけだったら、単なるアトラクション。これを作品として昇華し、私に映画を短く感じさせたものは、1つにはブラピの存在が大きいような。といってもぶっちゃけ、ブラピに特に興味がある訳じゃないんですけどね、ははは。 この人、やっぱりどこか、「何をしでかすかわからない」雰囲気がある。「ワル」と言っちゃってもよいかも。だから、この作品を見ながら私が、ずっと落ち着かない気分を味わっていたのも事実。むしろ、イライラしていたと言ってもいいかもしれない。そしてこういうイライラが、私は大好きなんだと思う。なんか、コワい。今回の主人公はもう結構な年齢で、やたら暴れまわったりはしないんだけど、昔のブラピならここで2,3発殴ってるんじゃないか、なんて。いやもう、今さら実際に相手を殴ってみせる必要もないんですね、この人は。何とも言えぬ、ヒリヒリとした緊張感。氷水に浸かってるだけで、不気味なのよ。 そうそう、私がモータースポーツに興味を持てない理由の一つが「本当にこれ、競技として成立するルールになってるの?」という疑問、なのですが、ホレ見なさい、ブラピみたいな危険人物が混じり込んだら、やっぱりルール崩壊してますやん。ってまあ、あくまで映画ですから・・・。 モータースポーツの魅力が「チームプレー」という点にあるのなら、これは作品から強く伝わってきます。作品の骨格、と言ってよいでしょう。レースを支えるメンバーたちとのやりとりが物語の軸となり、特に、レースを共にする若造レーザーとの関係性が大きなポイントとなっています。この若造を黒人俳優であるダムソン・イドリスが演じていて、こういう言い方をしてよいのかどうか、ヘルメットを被り顔のごく一部しか見えていなくっても二人の区別が(映画の観客にとって)視覚的につけやすい、という演出上の利点は確かにあると思うのですが、それのみではなく、どう見てもこのダムソン・イドリスの方が、ブラピよりも活きがいいし、カッコいい。「これからの人」と「終わりかけの人」との対比。でもまだ終わっていない以上は、良きライバル。あるいは悪きライバルか。この若造の、単なる優等生ではなく生意気な感じが、これまた活きの良さを感じさせ、映画をブラピ一色には染めさせません。彼にはママがいつも一緒で、こういう設定は一歩間違えると人物像をスポイルしかねないですが、この作品では全くイヤミを感じさせません。このママにはブラピもたじたじ、という場面は、ママの存在感だけではなく、逆にブラピ演じる主人公の人物像に幅を持たせることにも繋がっているように感じます。 と、いろいろあれど、やっぱりこの、疾走感。実況の解説がどうにも説明チックで多少興を削ぐ部分もありますが、それを差し引いても、とにかく凄い、空前のレースシーン。そして、ラストのレースの、最後の1周。 さて、この若造とのコンビで、次回は『M-1/エムワン』でしょうか(・・・書くんじゃなかった)。 [映画館(字幕)] 8点(2025-07-19 07:10:41)★《新規》★ |
2. ジュラシック・ワールド/新たなる支配者
結局のところこの作品の評判の悪さは「恐竜映画にイナゴばっかり出さないでくれ」ということになるんですかね。かつて某悪魔祓い映画の第2作が「悪魔映画にイナゴばっかり出さないでくれ」と冷ややかな目で見られたのに、その教訓は活かせなかったのか・・・。 しかし。実際はと言うと、この『~新たなる支配者』、別にイナゴばかりで何でもなく、むしろ、多種多様な恐竜や(子どもの頃にはてっきり恐竜の一種だと信じ込んでいた)爬虫類が、これでもかと出まくっている作品なんですけどね。その点では、1993年の『ジュラシック・パーク』に始まる一連のシリーズの最高峰、と言ってもいいかもしれませぬ。 しかし一方で、今さら恐竜をCGで出してみせても、ただそれだけでは、誰も驚かなくなっているんですね。『炎の王国』に怪奇映画テイストが加えられたのも、そういったマンネリ感の打破、だったんでしょう。そして、この『新たなる支配者』では惜しみなく恐竜類をジャンジャン出して見せる試みを持って来たんでしょうが、やはりというか何というか、「今さら恐竜」よりも、もう一つの試みである「イナゴ」の方が結局、目立つことになっちゃった。皮肉にも、イナゴが炎に包まれながら飛びまわるシーンなどが、とても印象的なCG描写として仕上がってるんですね。これぞまさに、燃える昆虫軍団ならぬ「燃えるイナゴ軍団」。 恐竜たちにももうちょっとうまい「見せ方」を与えてあげられたなら。 問題はそれだけではなくって、いかにもシリーズ総まとめ的にこれまでの登場人物たちを動員して、その挙句に同窓会的な緊張感の無い雰囲気にしてしまったのも、よろしくなかったのではないかと。皆、ただ単なる仲良しで、対立もなく緊張感もない。こうなるとアタマ数ばかりが闇雲に増えただけの印象で、登場人物たちが何となく手持無沙汰に見えてしまう。 イナゴばかりが一概に悪いとは言えない気がするんですよね・・・ [インターネット(字幕)] 5点(2025-07-13 09:11:41) |
3. トリプルX ネクスト・レベル
前作でヴィン・ディーゼルが演じた主人公はアッサリ死んじゃったこととされてしまい、新たなトリプルXとして今回登場するのが、アイス・キューブ。ただの丸っこいオッサンで、どうにも締まりがないのですが、本人は大いにノリノリらしく、もちろん危険なスタントを自分でこなしている訳ではないとは言え、要所要所では「ここはしっかり自分で演じてます」というスカした表情を画面上で披露して見せ、すっかりアクションスターの仲間入り。大爆発の前をクールな表情で颯爽と歩くシーンとか、意気込み(だけ)は満点をあげたいですね。 なにせアクションスターを気取ろうが、正直、見た目が平凡だという印象は拭えず、お陰で、と言っていいのか、ウェイターに成りすまして敵に接近する場面など、ごく自然にウェイターとしてその場に溶け込んでます。ヴィン・ディーゼルだとなかなか、ここまで自然には溶け込めない、のですが、「それでも私はウェイターだと言い張るヴィン・ディーゼル」を、ちょっと見てみたかった気もします。 さて、前作と比べて予算は上がったのか下がったのか、いずれにしても映画製作に正味使える金額はもしかして激減しちゃったんじゃなかろうか、と思えるくらい、やけに安っぽい雰囲気になってて、主役がアイス・キューブに交代したダメージは確かに大きいけどそれだけが原因でも無さそうな。それにこのトリプルXという作品、荒唐無稽さが売りであって、荒唐無稽と安っぽさは紙一重。安っぽさがかえって面白さに繋がったりもする。ただし、「安っぽい」のと「実際に安い」のとは、話が別、だったりも・・・。 このあまり評判のよろしくない第2作、その辺りが許容範囲かどうかが分かれ目で、私としては、まあ、このくらいなら我慢できる(笑)ので、楽しめました。 とりあえず新たなトリプルXをスカウトしに、刑務所にやってくるサミュエル・L・ジャクソン。ここで主人公が簡単になびいてしまうと面白くないので、普通なら、「その話、なんか気に食わねえ」といったんは断り、しかし敵の襲撃でやむを得ず脱獄するハメになり・・・というひとヒネリした展開になるんだろうなあ、と思う場面ですが、この作品はさらにひとヒネリ、360度ヒネって元に戻っちゃうタイプで、あっさり普通に脱獄しちゃう主人公。ああ、先が思いやられる。 しかし心配はご無用。100分ほどのコンパクトな尺の中で、しっかり荒唐無稽なアクションを展開してくれます。戦車の撃ち合い、ぶつけ合い。いやホントはこれをヴィン・ディーゼルで見たかったのだけど。 しまいにゃ、大統領専用列車とかいうのが登場。なんじゃそりゃ。そしてまたこれが、あり得ないほどの暴走ぶり。いやこれもCGじゃなくって実写で見たかったのが正直なところだけど、どうせCG使うんならムチャクチャやっちゃえ、という大暴走は爽快でもあり、これはこれで見ものとなってます。 そしてラストでは、次にまた新たなトリプルXが登場することを予告し、これって要するに、アイス・キューブはクビ、っていうこと? そりゃ、そうですわなあ。しかし、シリーズはこの後、長い眠りにつくのでした。。。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-07-13 08:32:23) |
4. 麻薬売春Gメン
ここで言う「三悪」とは、売春、麻薬、性病のことで、これら三悪を日本から駆逐すべく、三悪追放協会肝いりで作られたこの作品。教会を率いる菅原通済も「ほぼ本人役」で出演し、見事な棒読みセリフを披露しています。 とは言っても実際のところはと言うと、この作品、本当に「三悪」を根絶したいという気があるのか、それとも東映が例によって例のごとくそれをちゃっかり利用しただけなのか(←たぶんこちら)、限りなくポルノに近い、煽情的なシーンのオンパレード、なのです。もちろんそれに対して文句は無いのですが、大勢の人々に見せて啓蒙するようなタイプの作品では、ございません。 悪を憎む若き熱血刑事役に、仮面ライダーV3にしてアオレンジャーにしてビッグワンであるところの、我らが宮内洋。すみません、快傑ズバットってのは私、よく知らないんです。で、その刑事の前に現れた麻薬取締官、これがいかにも悪の手に染まったような一見不埒なヤツなのですが、これを千葉真一が演じています。もちろん我らが千葉真一がそんな悪人である筈もなく、家に帰るとそこには車椅子姿の妻がいて、それを見ただけで、ああ、巨悪に立ち向かうべく悪に染まったフリをしてるだけなんだなあ、ということがわかる。ってのはある意味、「逆偏見」でもあるのですが、でもまあ、そういうシーンでも入れて保険をかけない限り、千葉真一ってやっぱり悪人顔に見えちゃうもんなあ(笑)。 ちなみに麻薬取締官ってのは警察官ではなく、厚生省(今の厚労省)の役人なんだそうで、そんなこともあってか、それとも単に馬が合わないだけなのか、反目しあう宮内洋と千葉真一。タイプは違えど天性のアクションスター2人、ですから、銃撃戦あり格闘あり、見せ場はたっぷり。殴り合いながら冷静な会話(?)を交わすなど、珍妙にしてケレン味溢れるシーンを繰り広げたりも。 一方、悪の組織のヒットマンの役に、中村敦夫。ヒットマンというよりも、雰囲気がテロリストに近いですね。一番ストイックな感じで、その分、何をするかわからない。実際、後半ではマシンガンを乱射して、一番ムチャクチャやってます。 あと、渡辺文雄が日頃に似合わず、悪人ではない役で登場? まさか、ね。ははは。 津島利章のスキャット風の音楽もなかなかシャレていて、映画を彩ります。しかしラストシーンでは、そういう音楽で映画を締めくくるのではなく、町の遠景に、学校のチャイムのようなものが流れ、静かに幕を閉じます。これが実に印象的、なのです。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2025-07-06 16:36:01) |
5. 山猫は眠らない8 暗殺者の終幕
「もはや誰も期待していない第8作」などというツッコミの声すらもはや期待できない、道端にひっそりと生える雑草のごとき山猫シリーズ第8作。そんな頃になって、トム・ベレンジャーと日本のAKBとの夢の(謎の)競演、ってのが実現しちゃうんだから、世の中、何が起きるかわからんもんです。 それって凄いことなのか、と言われると、たぶん凄いことでは無い、とは思うんですが、秋元才加が殺し屋をなかなかにスマートに演じてくれているので(英語も流暢だし)、悪い気はしないもんです。ベケット親子にも引けを取らない凄腕のスナイパーで、タイトル前の冒頭シーンでまず、その腕前を見せつける。このシーンが、おそらく全編で唯一カッコいいシーンでして、本編に入ると概ね安っぽいシーンの連続なのですが(とりあえず画面を暗めにして雰囲気を出そうとしたり、手持ちカメラで緊迫感を出そうとしたりするのだけど、それだけで印象的なシーンが生まれる訳でもなく)、この暗殺する者とされる者を同時に描いて見せる冒頭シーンだけは、意表をついた演出で、良かったんじゃないでしょうか。 で、暗殺事件の犯人に仕立てられ、逮捕されてしまうベケット息子。だったら、そのままほっときゃいいんじゃないの、と思うのですが、悪の組織はさらに襲撃をかけてくる。そこにさらに絡んでくるAKBが、イマイチ何をやりたいのかよくわからぬ、しかし、そういう謎めいた感じ、曖昧さというものも、決して悪くはありません。まあ、何をやりたいかというとおそらく、このシリーズのレギュラーの座を狙っているのでしょう。スナイパーとしての腕前だけではなく、接近戦での格闘も滅法強い(という設定)。現代に生きる「くノ一」、といったところでしょうか。エロくない「くノ一」。目の周りに妙な色を塗りたくって、なんだかMr.インクレディブルの奥さんみたいな。いや、手足がゴムのように伸び縮みする訳ではないですけれど、同じくらい敏捷なのではないかと。 一方、ベケット父はというと、これはもう、完全に隠居状態ですね。もうさすがにトム・ベレンジャー、これを最後にシリーズを引退するのでしょう、きっと。自信は無いけど。とにかく、スナイパーとして最後にひと花、というクライマックス。はたして有終の美を彼は飾れるのか、乞うご期待。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2025-07-06 09:43:59) |
6. 荒野に生きる
ネタバレ このテの作品は、いかにも過酷そうな場所で過酷そうなロケ撮影をやってくれていさえずれば、だいたいハズレが無いと個人的には思っているのですが、これもまた無責任な話で、見る側はそれでいいかもしれないけれど撮る側の身にもなってみろ、と。 でもやっぱり、いいですよね。厳しくも雄大な光景。そこに人間がポツンと置かれる、孤独感。 開拓時代、クマに襲われ重傷を負ったまま、荒野に置いて行かれた男。これ実話に基づいてます、といっても当時のことゆえ、どこまでが本当でどこからがホラ話か、わかったもんじゃないですが、とにかく、『レヴェナント: 蘇えりし者』でも描かれた、艱難辛苦の物語。『レヴェナント~』がどちらかというと、自然の内部から、そこに取り残された人間の視点でその脅威を描いたような雰囲気があったのに比べ、こちらの作品はもうちょっと、天の視点、というか。雪山の中なのに大きな船を曳いて旅する一行、この異様な光景にまずギョッとしつつも、それが人間のパワーを象徴するがゆえに、かえってこの大自然の中で人間の小ささを感じさせたりもします。 瀕死の主人公を救うのは、川の水。これも大自然の一部な訳ですが、一方で、主人公の行く手を阻むかのごとく広がるのもまた大自然。徐々に回復した主人公がついに人影を見つけるも、そこに繰り広げられるのは人間同士の殺し合い。人間の矮小さ。 この荒野のどこかには、自分を置いて旅を続けるかつての仲間もいるし、先住民たちもいる。やがて両者の間に生じる戦いが、ダイナミックに描かれますが、その背景に広がる大自然の中では、やはりここでも、人間の矮小さを感じさせたりもして。 ちょっと面白いと思ったのは、、、九死に一生を得る主人公はどちらかというと、より「自然に近い存在」となり、それはしばしば「先住民側の存在」として描かれがちなところ、しかしこの作品の主人公は、たしかに先住民に近づきつつもどこか一線を画し、人間同士の対立からそっと身を引いていきます。この余韻が、いいですね。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2025-07-05 10:25:46) |
7. 無法松の一生(1943)
ネタバレ 冒頭、2階の部屋の窓からカメラが飛び出してそのまま地面に降り、子供を迎えに来た母親の表情を捉える---という演出が目を引きはするのですが、単にそれだけだったら、撮影技術は今の方が上な訳で(とは言え「この時代の映画の映像」を「こういう形で見せられる」ことへ驚きがあることもまた確か、ですが)。しかし、このカメラワークを皮切りに、時代を超えたような意表を突く演出を挟みつつ、テンポよく物語を綴っていく手際の良さは、これはもう間違いなく、見事なものです。もしも、この作品を一度見てピンと来なかった、と言う方がいたら、絶対に二度三度見直した方がよい、とお勧めしたいですね。誰もが確実に満足できる、とまでは保証できませんが・・・。 カメラが2階から降りる前に、天井に吊るされるランプが描かれるように、このシーン、夕暮れなんですね。街角に灯がともり、警官が訪れた家でオヤジと会話中、屋外に見える隣家にもポッと灯が灯る、という、時間の推移。その一方、この家の2階では、「夕方なのに」今頃になって布団でモソモソ起き上がろうとしている小汚い男。カメラがその表情を捉えると、無精ヒゲだらけでおよそスターらしからぬ顔のバンツマが登場する、という仕掛け。1階での警官とのトボけたやりとりに対し、2階のトボけたバンツマ、という何ともユーモラスなオープニング。 この冒頭から、芝居小屋での騒動~少年との出会いとその父の死~少年とその母との交流(無法松の過去、運動会)~成長した少年(成長しない無法松)~祇園太鼓~~と話が流れて、この辺りから検閲でカットされたらしく、ちょっと繋がりの悪いまま、唐突に無法松が死んでしまい、ここまでの作品のテンポの良さからすると本当にもったいない!と思うのですが、後述するように、その違和感を超えるような感動が、ここにはあります。 冒頭の次に来る「芝居小屋での騒動」のエピソードで描かれる、芝居小屋の中の空間的な広がり、これなんかは、撮影技術の上がった今の映画でもなかなか見られない、特筆すべき描写ではないでしょうか。とても印象的です。ここで大暴走するのも無法松なら、水戸黄門モードの月形龍之介に説教されて大反省するのも無法松。バンツマは月形龍之介とほぼ同じくらいの年齢だと思うのですが、まあ実に落ち着きのないこと。「無茶をする人」と「でも非は素直に認める気のいい人」を足せば、普通は後者の印象が勝つと思うのですが、そして実際、物語も後者の無法松を描くのですが、どうもバンツマが演じると、妙に前者のイメージも印象に残って、映画の最後まで何となく、危うさのようなものが漂ってます。単なる善人ではない、「型に嵌らない存在」としての、無法松。 で、ある日、怪我をした少年を助けた無法松。少年の家を訪問し、父親と意気投合するも、父親は体調が急変、帰らぬ人となってしまう。というあまりに性急すぎる展開ではあるのですが、ここでも絶妙な演出がそれを支えており、医者を呼びに行く無法松、玄関に残された少年の母親、それをクレーンで上部から捉えたカメラが、二人が去った後も回り続け、やがて映像はそっと墓地のシーンへ変わっていく。テンポがいいと同時に、余韻があるんですね。 少年との交流が始まり、その母との交流が始まります。無法松の人力車に乗っている最中にほったらかしにされてしまう客のパントマイムが、サイレント映画を思い起こさせたりもして。 で、、、やがて少年は成長していき、無法松もそれに戸惑うことも多くなってきて、時代に取り残されたような「古い人間」になってくるのですが、祇園太鼓のシーンではそれが、肯定的に描かれます。もはや叩くことができる人もいなくなってきた様々な打ち方を彼が披露し、それを遠くでどこかの爺さんが、感動して周囲にも「よく聴いとけ」と言いながら耳を傾けている。まさに、繋がる瞬間、ってヤツです。 この太鼓のシーンの描写がこれまた、実にダイナミック。カメラは右に左に躍動し、波飛沫の映像やら、雲がモクモクと湧く映像やら、といったイメージも挿入されたりして、今どきのミュージックビデオに引けをとらない斬新な音楽映像となっています。時代を超越してますね。 この後、物語の上では唐突に無法松は死んでしまう・・・というか、死んじゃってる、ので、ちょっと収まりが悪いんですね。だけど、過去の思い出のようなシーンが次々に、多重露光を駆使した映像によって綴られ、そして、時間の流れを示すように作中で何度も登場した人力車の車輪の映像が、ここでついに、動きを止めてしまう、それを見れば、物語が飛ぼうがどうしようが、彼の死を感じずにはいられません。だから、違和感が無い、というか、違和感を超える感動。 映画前半の登場人物がラストで再登場し、物語を締めくくりますが、何だか誰も歳くってないような(笑)。 [CS・衛星(邦画)] 10点(2025-06-28 09:58:30)(良:1票) |
8. 10ミニッツ・アフター
昨今、タイムリープネタの作品がやたらと作られるようになってきましたけれども、筒井康隆の「時をかける少女」がそうであるようにそれなりに歴史のあるジャンルでもあり、この2005年の『10ミニッツ・アフター』って作品は先行作品のパロディ、すなわち、すでに2周めに入っている訳でして。 あくまで邦題とは言え、なーんかしっくりこないタイトル(「after」じゃなくて「later」じゃないのかなあ)ですが、それはともかく。10分くらい、時間を巻き戻せたり巻き戻せなかったりする装置が登場する、この映画。 主演が、30代にしてすでに堂々たる中年太りになってしまったショーン・アスティン。これだけでもう、グダグダ感は約束されたようなもの。劇中のセリフで、とある登場人物の少年を「ホームアローンのマコーレー・カルキンに似てる」「スタンド・バイ・ミーのリヴァー・フェニックスでは」などと評するシーンがあり、もしも続けて「いや、グーニーズのショーン・アスティンだろ」とか言われちゃったら、どうするんでしょうか。ああやっぱり、人生を巻き戻すのは10分なんかじゃ全然足りないなー、最低でも20年は必要かと。 他人のこと言えないけど。 タイムリープものの場合、時間を巻き戻せるのが主人公の特権であるかのように、あるいは「タイムリープというゲームのルールに則ってるだけです」みたいに機械的に時間を行き来されると、何だかつまらなくなってくるのですが、この作品はと言うと、あまりマジメにタイムリープやっていない、というか、それを実現する装置も見るからにショボいし、実際思うように動かないし、主人公もあまりこの装置に期待していないようなところがあって、その辺りはちょっとした変化球。装置が作動すると屋上のアンテナにビリビリッと電気みたいなのが走り、そのいかにも安っぽい描写が、懐かしい雰囲気も出しています。 愛すべきグダグダ感。ってなところでしょうか。 冒頭、主人公がエスカレーターに乗っている場面で、ビルの中に無数のエスカレーターが張り巡らされ、無数の人々がそこに乗って移動している。まるでベルトコンベアーに乗せられているみたいに。退屈な日常、ですね。 で、その主人公が、何やらすごい装置を作り上げたらしいのだけど、それで何をするのかと言えば、銀行に行って窓口のお姉さんに絡んでジュースをぶっかけられる、というトホホな展開。もうちょっとマシなことで装置の動作確認をしないもんなんでしょうか。だけど、おかげで、「宙を飛ぶジュース」が空中停止する映像、ってのがここに実現する訳で、要するに映画の作り手は、こういうコトを映画の中でやってみたかっただけなのね。 ついでに言うと、彼と銀行のお姉さんの組み合わせ、に加えて、彼を尾行する捜査官も男女2人組なら、その銀行に押し入ってくる強盗団のリーダー格も男女カップル。そして皆、女性の方がマトモ、というか、しっかりしている印象です。 そんでまあ、タイムリープできたり、できなかったりしながら、迷走気味にお話は進み、変化球と言っても投げてる本人も球がどっちに行くか分からないナックルボールのような展開のあと、結構アッサリと映画が終わってしまいますが、オチとしては「男女カップルそれぞれ、男もしっかりしてきて、良かったね」ってな感じですかね。 それで幸せになれるほど人生、甘くはないけど。。。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-06-15 08:54:01) |
9. 子連れ狼 死に風に向う乳母車
これ、アレですよ。あの伝説の「ぶりぶりの刑」が出てくる回。宙づりにされた拝一刀を男たちが取り囲んで「ぶ~りぶり~の ぶ~りぶり」と歌いながらタコ殴りにする。いやはや、まさに色々な意味で、拷問です。 そんでもって、お待たせしました、あの乳母車マシンガンもついに登場。 という見どころ満載の第3作です。 とかいうフザケた部分は別にしても、見どころは多いと思いますよ。 まずエロの部分は、なんだか手籠めチックなシーンが多くなって、めっきりポルノ化してますが(単にポルノよりは頻度が低いだけ)、時代劇のシックな雰囲気と相俟って、東映ポルノ時代劇ならぬ大映ポルノ時代劇、といった感じ。いや、大映作品じゃないんですけどね(勝プロ製作、東宝配給)。でもこの雰囲気は、紛れもなく大映時代劇のそれ。ロケ撮影なんかも効果的です。 無音のシーンなんかでも、虫の声などを入れたりして、それがかえって無音の感じを高めています。 グロの方は相変わらずでメチャクチャな殺戮をやっておりまして、鮮血の噴出圧なんかはさらにパワーアップしてきたんじゃないかとも思え、またその噴出の仕方も芸が細かくなってきたような。 だから、要は「相変わらずメチャクチャ」で、しかしそこに何を血迷ったか、端正すぎる顔立ちの加藤剛が一匹、紛れ込んでる。もしかして大岡越前に出演するつもりで撮影所にやってきたのに間違ってこちらに出ちゃったんじゃないですか、と言いたくなる、この場違い感、アンバランス感。これがたまらん。主人公のライバルたるもの、このくらいの「空気読めなさ」があってこそ。 「ぶりぶり」を指示する親分格が、これまた意表をついて、浜木綿子。凛々しい事この上なく、さすが宝塚出身だよなあ。って、あれ、娘役だったんだっけ? 見どころ、多すぎ。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2025-06-14 15:51:56) |
10. マークスマン(2021)
ネタバレ リーアム・ニーソンって、「アクションができる人」では全然無いと思うのですが、成り行きでアクション俳優として祭り上げられ、一応、図体のデカさにも助けられて何となくそういう役をこなせてしまっている。というのはかつてのジョン・ウェインにも繋がるような。 今回演じているのは、かつて軍隊で狙撃手をやってた男、今では引退して牧畜業を営んでいるのだけど、亡き妻の生前の医療費で借金を抱え、住み家を追い出されようとしている。要は、もう居場所が無いんですね。 まるで、年老いたアクション俳優が、アクション映画界に居場所を無くしていくように。 で、ひょんなことから、麻薬組織に追われる少年を匿い、逃避行の身となって、ロードムービーが展開される、という趣向。 追っ手のリーダーとしては、この主人公に恨みがある、ってのは分かるんだけど、ここまで執拗に主人公と少年を追跡してくるのがイマイチぴんとこないんですけどね。ちょっと切迫感が無い。 あと、ロードムービーっぽい展開で、道中の出逢いに何かもう少し印象を残すものがあってもよかったのかな、と。地図を探しに入った店の店員のお姉さんとかは、割と印象的でしたけれども。 とは言え、ラストは、いいですね。主人公はただひっそりと、消えていくのみ。別に、リーアム・ニーソンが「アクション映画に出るのはこれが最後です」と銘打った訳でも何でもないんだろうけれど、なんか、そういう雰囲気が漂うラストになってます。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-06-14 14:38:04) |
11. ヴィレッジ(2004)
ネタバレ 地面に散らばる赤い花(植物)に囲まれて立つ少女を俯瞰のカメラが捉えて・・・ってコレ、『宇宙戦争』のシーンを先取りしてる(?)ではないですか。 いや、少女というような年齢でもないのですが、この主役を演じるブライス・ダラス・ハワードの持つ透明感みたいなもの、本当に印象的です。まさかこの女性が後々、恐竜どもを蹴散らすクレア叔母さんになってしまうとは。。。 盲目の役なんですが、映画の中ではあまりそれが強調されておらず、これはもしかすると、個々の挙動だけを見ると、「目が見えない人」の動作としては“不自然”なのかもしれないけれど、そういう意味のリアリティを超えて、このあまり不自由さを強調しない彼女の動作からは、映画としての“自然”な流れを感じます。 ある意味、ここは作り物の世界。箱庭的、とでも言うのか。セットの中で演じられる映画の世界、とも繋がるものがあります。 物語の中ではそれなりに事件が起き波乱もあるとは言え、比較的静かな流れの中、ラストでは突然、真相が明かされ、我々にも価値転換を迫られることになるのですが、その「意外性」ばかりに着目すると、安っぽい受け止め方になっちゃう。ラストでビックリさせるだけのために、殊更、中盤を静かな語り口にしたのか、、、というと、そんなことはなくってむしろシャマラン監督は、オチをつけて最後にすべてを崩さなきゃいけないんだけど、できればそのオチを回避したいと思いながら映画を作ってるんじゃないか。この作品に限らず『シックス・センス』の頃からすでに、そうだったんじゃないか、と思えてきます。 できれば避けたい、からこそ、避けてはいけないラストの価値転換。あるいは価値崩壊。 ラストの意外性が、単なる「実は・・・」という説明ではなく、「あり得ない状況の映像」として示されている点、インパクトがあり、それと同時に、映画の主部で描かれてきた世界の果敢無さみたいなものも浮き彫りとなって、これはなかなかに余韻の残る作品でした。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-06-14 07:25:17) |
12. 子連れ狼 三途の川の乳母車
まだ第2作なもんで、完全にはイカレ切っていないですが、でも9割9分までは、イカレてます。もう、ムチャクチャ。 特に前半は、「犬も歩けば棒に当たる」と言わんばかりに、拝一刀が乳母車を押せば刺客に次々ぶつかる。斬っては次の刺客、また斬っては次の刺客、と、まさに大漁、入れ食い状態。斬られりゃ面白いように鮮血が噴き出るのですが、ご丁寧にも「シャーッ」っていう効果音がするんですね。音を立てての大流血。 残酷描写はこれにとどまらず、女性刺客たちが寄ってたかってヘタレ忍者をなぶりものにするシーンでは、もう、人体の切断できる部分はすべて切断しちゃえ、という感じで、ここまで一気にバラバラにされた映画のキャラって、大悪獣ギロンにメタメタにされた宇宙ギャオスくらいしか思いつきません。 こんな状態だから、敵が拝一刀と大五郎に接近した日には、もはや斬られるのが楽しみで近寄っているとしか思えなくなってくるのですが、そんなシーンばかりではキリがないので、奥の手として、真打ちたる怪しい刺客三兄弟が登場。さらには大五郎が誘拐され。 あ。いや。後半も、前半と大差なかったですね。キリがなかったですね。 それにしてもこの、「マカロニ時代劇」とでも呼びたくなる、というより、マカロニの先の先のそのまた先まで行ってしまった、超越ぶり。時代も超え、常識も理性も超え、子連れ狼はどこへ向かうのか。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2025-06-08 14:20:16) |
13. ブラック・フォン
ネタバレ 少年が誘拐される事件が続発する町で、今また新たに少年が誘拐され、監禁されるのだけど、その監禁部屋には謎の黒電話があって・・・というのはいいとしても、どういう訳だかその黒電話に、過去に誘拐された少年たちから電話がかかってきて、主人公の少年にいろいろとヒントをくれる、というのが、ほんとゴメン、申し訳ないんだけど、何が面白いんだかサッパリわからん設定。スティーヴン・キングでもないのにこんなつまらない事を思いつくなんて、いったいこの原作者は誰なんだ、と。いや、そんなイジワル言っちゃいけませんね。息子さんだそうで。 もちろん、とっかかりがつまらなさそうだからと言って、映画全体がつまらないとは限らないのだけど、そしてまあ、それなりに楽しめはするのだけど、意味ありげに散らかすだけ散らかして、実際はこれと言って何もない、というのがこれまたキングっぽいというか。 少年同士の友情、と言うには何だか同性愛っぽいものもありそうで、はたまた彼を支える妹との間には近親相姦的な方向に行きそうなものもありそうで、しかししかし、作品を見てる分にはまーったくそういう方向には近づく気配も感じさせず、実にアッケラカンとしております。正直言えば、そういう方向にやたら安直に向かっちゃうのもあまり感心できないので、ホッしたりもするのですが、しかしそうなると今度は、この物語を支えているものが何なんだかが、よくわからなくなってきます。 他の少年たちとの友情と言うにはえらく表面的な描写に終始しているし、妹との関係に至っては、「妹が(たいして役にも立たない)特殊能力を持っている」という設定以外に特筆すべきものがなく、どうも張り合いが無い。 せめて偏屈モノの親父くらいは、その「偏屈」道を全うしてくれればよいものを、これも日和ってしまって、意外にこの人、いいヒトなのかもしれない。 いやいや。せめてせめて犯人くらいは、超エキセントリックであってくれれば、、、と思うのですが、うーむ。なんだろう、この存在感の弱さは。 結局のところ、「過去の犠牲者が電話をかけてくる」というネタを軸に、いろいろと盛り込んでくるのですが、どうもそれが、いかにもRPGか何かのような段取りクサさを感じさせてしまって。煮え切らない印象、なのです。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-06-08 13:49:16) |
14. ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング
諸般の事情で吹替版を見に行くことになってしまったのですが、映画開始前にトム・クルーズの肉声の挨拶が聴けたのは、良かったです。本当にコレ、嬉しかった。作品の良し悪しとは関係ないけど。 映画の中に「走るシーン」、それも全力疾走のシーンが出てくると、昔からテンション上がっちゃうのですが、そういう嗜好というのか指向というのか、同様のこだわりを演じ手であるトム・クルーズの方でも持っているようで、これまでの作品でも何度も見せてくれた「走り」を、今回もたっぷりと披露してくれます。 しかしもう一つ、私が偏愛するのが、「疾走する乗り物に人間がしがみ付くシーン」というヤツでして。『カサンドラ・クロス』や『暴走機関車』がなぜここまで好きなのかというと、列車にしがみつくシーンがあるからなのか、それとも好きになる映画ってのはちゃんとそういうシーンも押さえてくれているということなのか。あるいは『レイダース/失われたアーク』のトラックのシーンとか。「ジョン・グレン監督の007映画」なんて、誰にも評価されていないかもしれないけれど(私も手放しで喜んでいる訳ではないけど)、ヘリにしがみつき飛行機にしがみつき列車にぶら下がり、いや、素晴らしいではないですか。 で、今回のお題は、複葉機。『トップガン』のトム・クルーズが、元祖トップガンたるサイレント映画『つばさ』の世界に舞い戻り、複葉機での空中戦を繰り広げます。しかしこれらの作品とは違って、彼はあくまで複葉機にしがみつかねばならぬ。と来れば、やはり私の愛する『カプリコン・1』、なのですが、、、この『~ファイナル・レコニング』で展開されるのは、あの空中戦を撮ったハイアムズですらさすがにここまではできなかった、という、もはや自分の目が信じられなくなるような、「頭おかしい」級の驚愕の空中スタントの数々。 スタント映画の神様がついに舞い降りた、と思う瞬間でありました。 まあ、別の場所で展開される物語と、このアクロバティック過ぎる空中スタントとが並行して描かれるのは、ある意味「引き延ばし」であって、限られた映像素材でいかに長くクライマックスを持続させるか、ということでもあり、結果的にややスピード感が阻害される要因になってしまった感も無きにしも非ずですが、そうであれ何であれ、「えっもう終わり?」とだけは絶対に言わせない満腹感充分のクライマックスになっています。この空中での戦いを表現するのに、どういう映像のショットで見せるのか、に対して、どういうショットが映像化可能なのか、どういうスタントが人間に可能なのか、の究極のせめぎ合い。 で、作品全体としてはどうかというと、これはもう、間延びしてしまってます。『フォールアウト』あたりから顕著になってきていた映画の長さが、今回はついに169分という長さ。それも、前作『デッドレコニング』が「2部作の1作目」という(当初の)位置づけに乗っかって「話のオチはつけるけど収束はさせない」という自由度でもって長尺を乗り切ったのに対し、今回の作品は、MIシリーズ自体の集大成ですとばかり、やたらと過去に遡っては「実はああでした」「実はこうでした」とやりまくる。そんなこじつけみたいな話をいくら聞かされてもなあ、と。お陰で、映画の尺は延びる、テンポは悪くなる。 だけどまあ、この「歳月の流れ」みたいなもの自体が、今回の作品のテーマの一つでもあるんですよね、きっと。トム・クルーズを含め、みんな歳を重ねて。シリーズ初期の、かつての若かった頃の映像が何度も挿入されるたびに、あの若かった時代というものはもう戻ってこないんだなあ、と思わされつつ、それでも年輪を重ねたトム・クルーズが「歳食ってなお」限界に挑み続ける。 などと思っていたら、一緒に見に行った高校生の息子(彼と時間的な都合を合わせるために今回、吹替版になったのだけど)も、要するにこれってそういう映画なんでしょ、みたいな事を言ってて、ああ、同じようなコトを感じてるもんなんだなあ、と。 という訳で、それなりにしみじみともする作品で、しみじみとさせんがために(要は昔の映像を出さんがために)蛇足的な贅肉もついてしまった作品でもあるのですが、そしてまた、登場人物を増やし過ぎていささか手持無沙汰な様子も見られちゃったりもするのですが、そうは言っても、これだけ素敵な数々のシーンがあれば、不満はありません。 中盤の潜水艦のシーンなんて、クライマックスの空中戦とは対照的に、スピード感と言えるようなものは無いのですが、しっかりと、じっくりと、緊迫のシーンを描きつくしていて。 ああ、この映画、見て良かった、と思います。 [映画館(吹替)] 8点(2025-06-08 09:15:52)(良:2票) |
15. ドアマン
閉鎖空間を舞台に、悪党どもが人質をとって立てこもり、何やら金庫の中身を狙っている。その閉鎖空間にはあちこちに工事中の部屋があり、そんな中でただ一人、主人公が敵に立ち向かう。ただし、悪党どもが立てこもる部屋には、主人公と人質との関係を示すアイテムが存在し、いつその関係が、バレてしまうのか。 これって完全に、数段スケールダウンしただけの『ダイ・ハード』やんか、と作り手側も思っているはず、というか、「これって『ダイ・ハード』のパクリだと思われちゃうよなあ」とも思っているはず。そう思いながら映画を作るのも、きっと、やりにくいだろうなあ、と。 いやいや、主人公が中年太り気味の冴えない刑事ではなく、意外な職業なのに身体能力がやたら高くってやたら強い。これってコックが大活躍するあのセガール作品に近いじゃないかって? いや、あれもまあ、『ダイ・ハード』があっての作品ですし。 そういう部分は、もう、割り切っているのかなあ、と思うのですが、それらの作品との違いは、主人公が女性。それも中性的な魅力がある。こういう部分は、いいですよねえ。というか、これで主人公が同じようにオッサンだったりしたら、オリジナリティ乏しすぎて、もはやこの作品を作る意味が激減してしまう・・・。 主人公が暗い過去を抱えている設定も、悪くない。けど、これはちょっと掘り下げが浅かったか。 大作ではないだけに、逆にのびのびと好きなことができるのか、アクロバティックなカメラワークがひとつの見どころになってます。あと、何だか暗いシーンが多くって、この雰囲気はダイ・ハードだの沈黙の戦艦だのと言うより、いっそ『ミッドナイト・ミートトレイン』の雰囲気じゃなかろうか。 敵の一味の中に、あまり役に立たないアジア系のヤツがいるのも『ダイ・ハード』っぽい点か。これがよく見りゃ、皆さんお待ちかねの(?)伊藤英明。このまま頑張って、あのアジア系のおじさん(アル・レオン)ぐらい、ハリウッドのヤラレ役として引っ張りだこになっていただきたいもんです。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-06-01 09:15:02) |
16. ヴェンジェンス
ネタバレ 集団レイプの被害に遭った女性がバリバリと復讐をこなし、それでもダメなら凶暴な男性刑事が敵をギタギタに叩きのめす、という『ダーティハリー4』。つくづくマッチョな作品だと思います。まあ、あくまで映画作品なんだからそれもアリなんですが、そういう作品があるからこそ、一方でこの『ヴェンジェンス』のような小品とも言える作品の、優しさ、みたいなものが光ったりもします。 娘と二人で暮らす女性がある日、娘の目の前で街のチンピラどもにレイプされてしまう。いったんは犯人たちが逮捕されるものの、閉鎖的な田舎町ということもあって母娘に対する周囲の視線も冷たく、さらには裁判を通じて二人の生活はボロボロにされていく。誰しもがソンドラ・ロックのように強くなれるんじゃ、ないんですね。これが、厳しい現実。 で、それをそっと見守る孤独な刑事。誰もが改造マグナムを手に敵を蹴散らすイーストウッドになれる訳じゃないんです。 とても残念なことに、これがどういう訳か、「ニコラスケイジ映画」の一本、だったりするのですが、いや、そんなに残念がることでも無い気もしてきます。いいじゃないですか。孤独が似合う男、ケイジ刑事(←単にこれが言いたかっただけなのか?)。 タイトルは原題通りVengeance、要は「復讐」な訳ですが、正直、この「復讐」の部分に関して、作中の描写にいろいろと不足があるようには思います。あくまでケイジ刑事が「陰で支えている存在」であるとは言え、もう少し踏み込んだ描写が無いと、いささか唐突でもあるし、「孤独に見えて、実は彼には協力者がいるのか?」と中途半端に思わせるシーンがあったりもします(あの女性の声は?)。でも、孤独な男には、これくらいの省略が、似合うかも知れませぬ。 それよりも、原題にはもう一つ「A Love Story」というサブタイトルがついていて、これは確かに、まさにラブストーリーであると思います。どこがって? 最後に「別れ」があるから。逆説的だけど、作品のラストにおいて、ああ、これは間違いなくラブストーリーだと思いました。密やかな愛と、別れ。恋愛であると同時に、一種の家族愛でもある。金網越しの別れが、切ないのです。 母と娘にはこの先もどんな試練が待っているか知れないけれども、ひとまずは新しい土地で新たな生活を歩みはじめ、孤独な刑事はまた孤独な生活へと舞い戻る。たぶん彼らは二度と会うことは無いんだろう、いや、「二度と会うことは無かったんだろう」と過去の記憶のように、思えてきます。 金網で別れた後、刑事は自動車のルームミラー越しに、二人へ視線を送るのですが、この場面はたぶん、実際にミラーに映った二人の姿ではなく、刑事の記憶する二人の姿が、描かれています。二人の並びが、鏡像になっておらず、彼が肉眼で見たそのままだから。そして、彼がハンドルを切ると、二人の姿もミラーからふいと消える。まるで夢のように。 この余韻がたまらない。本当にいいラストだと思います。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-06-01 07:20:37) |
17. 355
曲がりなりにもスパイ映画、ということで、一応は謎の装置の争奪戦みたいなことをゴチャゴチャとやっていますが、要するに、各国の諜報機関からやってきた女性スパイが協力し合って、ドリームチーム5人組を結成、というオハナシ。いっそその方向に完全に振り切ってくれたら、相当アタマの悪い映画になってしまうとは言え、もっと活きのいい作品になっただろう、とも思うのですが、さすがにそういう考え方は古すぎるということですかね。一応は何やかんやゴチャゴチャとやってまして、お陰でまあ、なかなか5人組が揃わないこと。 脈絡なく舞台を世界のあちこちに移して、テンポがいいのは間違いないんですけれども。「スパイ共闘」という骨組みに対して肉付けが今一つで、テンポの良さのみにサラサラと流されて行ってしまう。 5人の国が異なり、人種・民族も異なって、バラエティに富んでいるはずなんだけど、その割に個性が見えにくいのも難点か。わずかにそれぞれの得意分野らしきものがあったとて、基本は(各国の代表なもんで)皆、優秀。皆、強い。残念ながら個性だけは、弱い。 それを補うだけのエピソードでも挿入されれば、よいのだけど・・・。 変に深刻な展開になってしまうのが、これまた場違いな感じ。綺麗ごとだけではない、ってことだとは言え、ちょっと消化不良かも。 シリーズ化は、難しいですかねえ。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-05-31 18:41:41) |
18. 囚われた国家
ネタバレ 地球はすでに異星人の植民地となり、人類は表向き平穏な生活を送っているものの、実際は支配され搾取され続けている・・・という、もはや現実世界の暗喩というよりは直喩に近い辛辣な設定。 こういう時、ジョン・カーペンターであれば、プロレスラーを一人、暴れ回らせるだけで済ませるのだけど、もはや『ゼイリブ』の80年代と現在とでは、この現実世界における「支配」の深刻さも比較にならないということなのか、今作ははるかに悲観的な立場に立っています。最初からどこか徒労感のみが漂うレジスタンス活動と、まさに「やはり」というべき挫折、そしてその裏にある、この上もない苦さ。 この作品、成功作か失敗作かと言えば、一見とっつきにくいという点で(要するに興行的な意味で)、成功作とは言い難い、とは思います。まず、描かれるレジスタンス活動が、どうにも求心力を欠いていて、映画としては盛り上がりにくい部分でもあります。でもレジスタンスってのは、そんなもんなのでは。希望という希望もなく、映画の場面はどんどん変わり、状況に流され、それでもテロを実現させようと何とかクライマックスに辿り着く。 もうちょっと希望らしきものを明確に示せば、物語にももっと起伏が生まれるかもしれないけれど、それは逆に言うと、結末が「明」であれ「暗」であれ、一つの物語として完結させてしまうことにもなる。この作品は、悲観的であると同時に、完結してしまうことも拒否しているような。だから、見終わっても、気になる「何か」が心に残される。 ジョン・グッドマンの存在感がやはり大きいですね。まあ、何を考えているかわからない役どころなんですが、そうか、こういうキャスティングの手があったのか、と。彼と、そして出番は多く無いけどヴェラ・ファーミガ、この二人の関係が、このおよそ愛想の乏しい作品の中で、隠れた求心力となっており、忘れ難いものともなっています。 SF映画なのに異星人の姿を全く出さないのもさすがに愛想が無さすぎ、ということか、一応、ちょっとだけ異星人の姿も登場します。これがまた、リアル・サボさんとでも言いますか・・・。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-05-31 07:49:21) |
19. ブラックボックス 音声分析捜査
タイトル通り、墜落した飛行機から回収されたブラックボックスを専門家が音声分析するお話。音の分析、という映像的には「動き」の無いものを描くので、映画としてはそういう「静」の部分と、「動」の部分との対比が見せ場になってきます。まずは冒頭、墜落事故を起こす前の機内の通路をカメラが移動していくあたり、「動」を感じさせ、それと同時に、後々、音声から分析されていく機内の断片的な様子の、ある意味、俯瞰図ともなっています。 この場面以外でも、主人公の移動に伴いカメラを積極的に動かすなど、映像に動きを与える一方で、音声分析では「音への一点集中」的な演出がなされ、この辺りの対比が、なかなか巧み。 音声分析となると、その分析官の表情がまた、一つの見せ場で、主人公を演じているピエール・ニネのいかにも秀才クンといった整った顔立ちが、このシーンを支えています。その奥さんってのがまた、美人かどうかはともかくやたらチャーミングに描かれていて、そのラブラブなシーン、必要なのかよ、と思ってたら、これが必要なんですね。あくまで仕事として始めたはずの「音声分析」が、やがて主人公の私生活にも大きな波乱を巻き起こすことになっていきます。サスペンスとしての魅力も充分。 ミステリとして見ても、社会派風の体裁でいながら、本格風のトリッキーな部分も織り交ぜて、楽しい仕上がり。何ていうんですかね、ちょうど、リアリティが「ある」か「無い」かのギリギリを攻めた挙句、結局は「無い」側に転がっちゃう楽しさ、というか。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-05-31 07:00:41) |
20. トランス・ワールド
金は無くてもアイデアさえあれば、面白い映画は撮れるんだ・・・と言えればいいんだけど、それがなかなか難しいんですね。いくら面白いアイデアを思い付いたところで、面白くなるように撮らなきゃ、やっぱり映画は面白くならないもの。 小説だって、いくら面白そうなプロットでも、文章がイマイチだったら気分が乗らず、それなりにシラケちゃいますしね。 この映画も、基本的にセリフで説明するばかりで、映像に惹かれるような要素が、どうにも乏しいもんで。金が無いとこうなっちゃうの? まさかとは思うけど、必要以上に金が無いように見せかけたりしてないか? 何だか雰囲気が『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』っぽいもんで、その時点で「お金がありません」オーラを感じてしまったりもするのですが。 とにかく、セリフでの説明ばかりで、印象に残るシーンが何もない。登場人物の魅力も無い。ただただ、素材だけ、という感じ。 いつか、誰かがお金出してくれてリメイクできる日を待っているのだとしたら、確かにこれなら、いくらでも改変の余地がありそうな。そういう無色透明の作品でした。 [インターネット(字幕)] 3点(2025-05-24 15:59:03)(良:1票) |