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口コミ数 4028
性別 男性

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1.  無法松の一生(1943) ネタバレ 
冒頭、2階の部屋の窓からカメラが飛び出してそのまま地面に降り、子供を迎えに来た母親の表情を捉える---という演出が目を引きはするのですが、単にそれだけだったら、撮影技術は今の方が上な訳で(とは言え「この時代の映画の映像」を「こういう形で見せられる」ことへ驚きがあることもまた確か、ですが)。しかし、このカメラワークを皮切りに、時代を超えたような意表を突く演出を挟みつつ、テンポよく物語を綴っていく手際の良さは、これはもう間違いなく、見事なものです。もしも、この作品を一度見てピンと来なかった、と言う方がいたら、絶対に二度三度見直した方がよい、とお勧めしたいですね。誰もが確実に満足できる、とまでは保証できませんが・・・。 カメラが2階から降りる前に、天井に吊るされるランプが描かれるように、このシーン、夕暮れなんですね。街角に灯がともり、警官が訪れた家でオヤジと会話中、屋外に見える隣家にもポッと灯が灯る、という、時間の推移。その一方、この家の2階では、「夕方なのに」今頃になって布団でモソモソ起き上がろうとしている小汚い男。カメラがその表情を捉えると、無精ヒゲだらけでおよそスターらしからぬ顔のバンツマが登場する、という仕掛け。1階での警官とのトボけたやりとりに対し、2階のトボけたバンツマ、という何ともユーモラスなオープニング。 この冒頭から、芝居小屋での騒動~少年との出会いとその父の死~少年とその母との交流(無法松の過去、運動会)~成長した少年(成長しない無法松)~祇園太鼓~~と話が流れて、この辺りから検閲でカットされたらしく、ちょっと繋がりの悪いまま、唐突に無法松が死んでしまい、ここまでの作品のテンポの良さからすると本当にもったいない!と思うのですが、後述するように、その違和感を超えるような感動が、ここにはあります。 冒頭の次に来る「芝居小屋での騒動」のエピソードで描かれる、芝居小屋の中の空間的な広がり、これなんかは、撮影技術の上がった今の映画でもなかなか見られない、特筆すべき描写ではないでしょうか。とても印象的です。ここで大暴走するのも無法松なら、水戸黄門モードの月形龍之介に説教されて大反省するのも無法松。バンツマは月形龍之介とほぼ同じくらいの年齢だと思うのですが、まあ実に落ち着きのないこと。「無茶をする人」と「でも非は素直に認める気のいい人」を足せば、普通は後者の印象が勝つと思うのですが、そして実際、物語も後者の無法松を描くのですが、どうもバンツマが演じると、妙に前者のイメージも印象に残って、映画の最後まで何となく、危うさのようなものが漂ってます。単なる善人ではない、「型に嵌らない存在」としての、無法松。 で、ある日、怪我をした少年を助けた無法松。少年の家を訪問し、父親と意気投合するも、父親は体調が急変、帰らぬ人となってしまう。というあまりに性急すぎる展開ではあるのですが、ここでも絶妙な演出がそれを支えており、医者を呼びに行く無法松、玄関に残された少年の母親、それをクレーンで上部から捉えたカメラが、二人が去った後も回り続け、やがて映像はそっと墓地のシーンへ変わっていく。テンポがいいと同時に、余韻があるんですね。 少年との交流が始まり、その母との交流が始まります。無法松の人力車に乗っている最中にほったらかしにされてしまう客のパントマイムが、サイレント映画を思い起こさせたりもして。 で、、、やがて少年は成長していき、無法松もそれに戸惑うことも多くなってきて、時代に取り残されたような「古い人間」になってくるのですが、祇園太鼓のシーンではそれが、肯定的に描かれます。もはや叩くことができる人もいなくなってきた様々な打ち方を彼が披露し、それを遠くでどこかの爺さんが、感動して周囲にも「よく聴いとけ」と言いながら耳を傾けている。まさに、繋がる瞬間、ってヤツです。 この太鼓のシーンの描写がこれまた、実にダイナミック。カメラは右に左に躍動し、波飛沫の映像やら、雲がモクモクと湧く映像やら、といったイメージも挿入されたりして、今どきのミュージックビデオに引けをとらない斬新な音楽映像となっています。時代を超越してますね。 この後、物語の上では唐突に無法松は死んでしまう・・・というか、死んじゃってる、ので、ちょっと収まりが悪いんですね。だけど、過去の思い出のようなシーンが次々に、多重露光を駆使した映像によって綴られ、そして、時間の流れを示すように作中で何度も登場した人力車の車輪の映像が、ここでついに、動きを止めてしまう、それを見れば、物語が飛ぼうがどうしようが、彼の死を感じずにはいられません。だから、違和感が無い、というか、違和感を超える感動。 映画前半の登場人物がラストで再登場し、物語を締めくくりますが、何だか誰も歳くってないような(笑)。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2025-06-28 09:58:30)(良:1票) 《新規》
2.  スイング・ホテル
男2人、女1人でショーをやってた3人組が解散することになるも、三角関係で最後までゴタゴタ続き。やがてひょんなことから男2人は再会、そこに新たに素敵な女性が現れて、またも三角関係が・・・ という、何が面白いのやらサッパリわからない、というよりも、明らかにちっとも面白くないオハナシ、ではあるのですが、それが許されるのがミュージカル。それでも楽しめてしまうのが、ミュージカル。 男2人、というのが、片やビング・クロスビー、片やフレッド・アステア。クロスビーの歌が勝つのか、はたまたアステアのダンスが勝つのか、これぞまさに異種格闘技戦。という程ではないですが(歌とダンスは切り離せないですからね)、しかしとにかく、その両面から楽しませようというのが、この映画。歌をしっかり聞かせる分、そのバランスからか、ここでのアステアのダンスは、あの超人的な狂ったようなものではなく、優雅さを感じさせるものが多いですが、それでも「一人で何とか間を持たせてくれ」と言われて爆竹鳴らしながら踊りまくるシーンは、痛快です。爆竹もしっかりリズムを刻んで、これ、どうやって撮影したんでしょうか。 とってつけたようなハッピーエンドに至るまで、何とも他愛ないですが、楽しい気分が伝わってきて、幸せのおすそ分け、ということで。
[インターネット(字幕)] 7点(2025-05-11 17:23:00)
3.  逢びき ネタバレ 
作品全編にわたって用いられている曲はお馴染みの、ラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第2番。映画製作当時としても「古典的名曲」ってことになるのでしょうが、ラフマニノフという人は1943年に世を去っているので、この映画の2年前まで存命だったんですね。ロシア革命をきっかけにアメリカへ亡命してからは作曲よりも演奏家としての活動が中心となったため、作品の多くが亡命以前のものとなっており、この曲もそういう曲の1つ、であります(余談を続けると『ある日どこかで』で引用されるパガニーニ・ラプソディは後期の作品。なのであの映画の物語が成立する)。 有名な既存曲を映画の劇伴として使うのは、ピタリとハマれば絶大な効果をあげたりもするけれど、変に気になってしまい、気を削がれる場合もあるし、映像と完全には合わずに違和感を残してしまう場合もあって。この『逢びき』の場合はどうかというと、うーむ、これは違和感の方かもしれん(笑)。だけど、この音楽も含めて「古典的名画」ってことになるんですかね、もはやこれが違和感なのかどうか自分でもよくわかりませんが、少なくとも、今さらこれを別の曲に差し替えられたりしたら、その方が確実に違和感デカそう。 さてこの作品、中年男女の不倫のオハナシです。それを女性の側から描いています。夫は自分に無関心っぽいけれど悪い人では無さそうだし、ちょっとした日常のトラブルを「これは他の男性に心を動した自分への罰だ」と自らを戒めもするけれど・・・結局はこの、忘れかけていたときめく心には、抗しきれない。 それを描くにあたり、この作品では、主人公の女性の独白を映画に重ね続ける方法をとっています。これがはたして正解だったかどうか。独白は、時に彼女の表情や仕草を裏打ちし、時には内面と外面との乖離を浮き彫りにしたりもして、一定の効果をあげているのですが、その一方で、「独白に頼らずに映像でこれらを表現し切ったならば、どんな映画になったんだろうか」とも思ってしまいます。この作品の弱さがあるとすれば、そこなんじゃなかろうか。ただし、90分に満たないこの作品の緊密さは、一つには独白があってこそ成り立っているのであって、またこの緊密さがあってこそ、最後に物語の輪が閉じるようなこの作品の構成も、成立しているのだけど。  正直言うと、この医師は品行方正なフリをしてホントはとんでもないスケベ親父に違いない、とも思うし、別れの場面はオバチャン乱入でブチ壊しにされ、ザマーミロとも思うのですが、そういう心の汚れた私のような人間でも、やっぱり心のどこかで、切なさを感じたりもする訳で、珠玉の一本、と申せましょう。  ここでまたまた余談になるのですが、この別れの場面の、中途半端に投げ出される切なさ、みたいなものは、私に、オペレッタの作曲家レハールのエピソードを思い起こさせます。通俗作曲家のイメージがある彼も、無名時代の若い頃には芸術家を目指しており、かのマーラーへ手紙を出したりもしたが、返事は来ない。軍楽隊に所属していた当時の彼が、ある日その制服のまま汽車に乗ると、何と偶然にも、そこには憧れのマーラーが。軍楽隊を敵視しているという噂の彼からの冷たい視線を感じつつも、どうしても話しかけたいレハールは心の中で逡巡を続け、ついに意を決して口を開きかけたその時、列車は目的地に到着し、結局、会話することなくレハールは立ち去る・・・後に「あの時、話しかけなくてよかったんだろう」と回想する彼に対しては、この『逢びき』と同じくらい、乙女心を感じてしまうんですけどね。乙女心ってのはきっと、乙女以外の人が持つものなんでしょうね。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-12-22 10:46:17)
4.  楽聖ショパン
何年か前に「ピアノ協奏曲の誕生」(著・小岩信治)という本を読んで(図書館で借りたもんで今、手元に無いのですが)、妙に納得した記憶があります。ショパンのピアノ協奏曲に対して何となく感じていた違和感というか距離感というか。高校生くらいの頃は好んで聴いていたはずなのに、そして嫌いになった訳でも飽きた訳でもないのに、だんだん、CDへ手を伸ばそうという気が起こらなくなってきて。 特に第1番は、先に書かれた第2番に対してさらに長大化して40分前後に及ぶ大曲、若書きとは言え、さすがはピアノの詩人・ショパン!となりそうなところ、なんですが。 何かが妙。大曲であってピアニズムも充実、なのに、それに見合うスケール感が無い? ということなのかどうなのか、自分でもよくわからなかったんですが。ちなみに、ほぼ同時期生まれのメンデルスゾーン、リストのピアノ協奏曲は緊縮化に向かっており、シューマンも30分ほどの、いわば「普通サイズ」(1810年前後生まれの有名作曲家って、多いんです)。後のブラームスとか、ブゾーニとか(全5楽章、合唱付)とかは、別次元のオハナシ。 要は、ショパンのピアノ協奏曲は、ワルシャワ時代に書かれたものであるが故に、ヨーロッパの最先端の音楽からはちょっと遅れた、古い形態のもの、ということなんだそうな。確かに、オーケストラは序奏、伴奏、間奏に徹している面があって、なるほど、入れ物は古典派チックなのに、そこに斬新なショパンのピアノが入れられているせいで、何やらこの曲がバリバリのロマン派音楽であるような思い込みが私にあって、だんだん距離感を感じるようになったらしい。・・・というくらい、ショパンの独自性、先進性が高かった、ということで。  何の話だっけ。すみません、この映画にピアノ協奏曲は出てこないのに。 ショパンの少年時代から始まって、パリでの社交界デビュー、リストやサンドとの出会い、その死までが描かれます。なので一見、伝記映画の体裁ですが、脚色も多々あり(大半、と言った方がよいかも)。パリではカルクブレンナーなるちょっとイヤな人物とも少し接点を持ち、映画ではえらく扱いの悪い描かれ方ですが、どちらかというと少なくとも一時期は、ショパンの方がカルクブレンナーを称賛しており、彼への弟子入りも考えていたのを周囲が止めた、という話だったはず(上述のピアノ協奏曲第1番をショパンはカルクブレンナーに献呈している)。もうちょっとこの二人の関係を掘り下げたら映画に幅が出て良かったかも、、、などと思うのは、この映画の中心がショパンだと思うからであって、むしろこれは、ショパンとその師・エルスナーの友情の物語、見ようによってはエルスナーの方が主人公とも言えます。カルクブレンナーには憎まれ役をお願いする必要あり。ちなみにショパン少年の才能を見抜き音楽理論の指導をした実際のエルスナーは、ワルシャワ音楽院の院長であって、こんなしがない田舎教師としてショパンのパリ生活に付き合った訳でもないし、そもそもショパンの目的地が最初からパリだった訳でもなし。ってなことはどうでもよくって、この映画における「エルスナー先生」の、何とも言えぬ味わい深さ。これが、映画を支えています。 ショパンを演じたコーネル・ワイルド、劇中で流れる音楽を本当に自分で演奏している訳ではないでしょうし、指のクローズアップは代役でしょうが、明らかに本人が指の動きを見せるシーンも少なからずあり、雰囲気を壊すことはありません(音符と指の動きとが合致しないシーンもありますが、この辺りは迫力重視、といったところでしょうか)。 この映画の残念なところは、スタジオ撮影の多用があまりいい方向に向かっていない点でしょうか。はるばるマヨルカ島へやってきたとて、どうも映像的に変わりばえがせず、いささか面白味に欠けます。地中海らしい光景や空気感もなく、ただ行ってただ帰ったみたいな。 ショパンの病気についても作品中ではもう一つうまく描かれず、演奏中の汗や喀血(?)でそれが示されるとは言え、やたら顔色いいし。さすがに最後の死の床では顔色悪いですけども。なんか、唐突な印象。ついでに、祖国への想いも劇中で描かれはするけれど、やや表面的か。 という訳で、やっぱりこれ、主人公はエルスナーだと思う。ショパンは、脇役。 編曲・原曲を含め、劇中でショパンの音楽が再三取り入れられて、歌は無くともこれは一種のミュージカル。その点では飽きさせない作品となっています。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-11-03 12:24:33)
5.  密告(1943) ネタバレ 
それにしてもこの、全編通じての不穏な空気。ただ事ではありません。 「からす」を名乗る人物が次々にばらまく怪文書。そこには、主人公である医師への糾弾が綴られている。となると、映画の描き方としては例えばこれを医師の目から描き、追い詰められた彼の焦りなどでもって、ハラハラドキドキ、ってなテイストもあり得ると思うんですが、この作品はちょっと違う。 主人公はむしろ冷静にも見え、いやどこか冷たい人物に見える。実際、まったくの清廉潔白な人物という訳でもないらしい。作品を見ていると、この人が被害者であることは間違いなさそうなのだけど、それが判っててもなお、「からす」の正体はコイツなんじゃないの、と疑いたくなるくらい、突き放した描写になっています。 真犯人は誰なのか。終盤は二転三転し、一応は真相が明かされて物語に決着はつきますが、単純な安堵感には全く結びつきません。むしろ、「からす」はこの人ひとりではなく無数にいるんじゃないか、とも思わせるし、因果応報ともいうべきラストも、どこかしっくりきません。言いようによっては「死人に口無し」とも言える訳で。というぐらい、ラストシーンが不気味。立ち去る後姿は、まさに死神のそれ。 メタ・ミステリ、あるいはアンチ・ミステリの先駆け、とでも言いたくなるような。 全体の不穏な空気感は、作品中のさまざまなイメージによってももたらされますが、私が特に印象に残ったのは教会で怪文書が降ってくるシーンですかね。人々が次々に上を視線を向けると、一枚の紙が舞い降りてくる。静的な大空間に、劇的な要素が撃ち込まれる瞬間。他には、「割れた鏡」なんかも、実にイヤらしいです。街が騒動に包まれ、女性が走る姿を傾いたカメラが捉え、彼女が家に辿りつくと、そこに待ち受けるのは、割れた鏡に写る自分の歪んだ顔。
[インターネット(字幕)] 9点(2024-10-06 07:03:52)
6.  オペラの怪人(1943)
オペラ座のセットにおけるクレーン撮影とか、人物を手前と奥に配置する構図とか、シャンデリアと客席を捉えた俯瞰だとか、カメラがいろいろと見せ場を作っているのですが、いかんせん、映画を通じての緊張感に、やや欠けていて。 「オペラの怪人」が、怪人になるまでのくだりを前半にもってくる構成が、まずあまり魅力的とは言えず、もともとちょっと変だった人が本当に変になりました、くらいの印象。謎もなければ驚きもなく、説明的な展開になっちゃてるのが、もったいない。 そのまま存在感をいまいち発揮できない怪人、その姿のカットがチラ見せで挿入されるのも、不気味というより、何だか頼りない。 警官とオペラ歌手がヒロインにちょっかいをかける恋のさや当て、みたいなギャグも、映画がちゃんと不気味でコワけりゃ、ちょっとした気分転換によいかもしれないけれど、この作品ではますます緊張感を遠ざけているだけ、のような。ラストもこのノリに作品を乗っ取られてしまい、哀れなのは存在感が最後まで薄かった怪人。 オペラ上演のシーンがふんだんに取り入れられていて、これがショパンとかチャイコフスキーの有名曲を豪華絢爛たるオペラ調にアレンジしたもの。『砂の器』なみに音楽に力入れまくりで、ストーリーそっちのけ、もはや怪人の立場ナシ。 ところで、マエストロのリストさんとかいう人が登場しますが、あれ、フランツ・リストのカメオ出演(?)ってことでいいんですかね。リスト晩年の写真にソックリ。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-08-04 09:16:09)
7.  透明人間現わる
現れないのが透明人間、と、かのピンク・レディーもおっしゃってる訳ですが(いや、阿久悠か)、その「現れないもの」をどうやって表現するか、が映画の見どころ、見せどころ。 そりゃまあ、今の映画がコレと同じことをやっても厳しいものがあって、透明人間が服を脱いでいく場面の、これでもかという合成映像感など、ちょっと目のやり場に困ってしまいます。しかしこれ、昭和24年の作品。映画のクラシカルな雰囲気の中では、こういう手作り感も悪くないもんです。それよりも、戦後早くもこんな特撮映画に取り組んでいることにも驚かされるし、単に「チャチだ」と笑っていられないような、手の込んだ特殊効果にも驚かされます。 透明猫をカメラが追いかける。何もない空間を追いかけてるだけなんですけどね。しかしいかにも、ソレっぽい。姿は見えなくとも、ピアノの鍵盤が押され、モノが倒される。何もいないかと思いきや、足跡だけが点々とついていき、それをカメラが追いかけていく、摩訶不思議な感覚とスピード感。畳みかける演出が、見えないものを見せる。いや、「見せる」以上の、臨場感。 透明人間がタバコを吸えば、周囲に煙が充満し---あれ、そしたら煙が気道の形に浮かび上がるんじゃなかったっけ?(by H.G.ウェルズ)---とにかく、「姿が見えないからこその存在感」みたいなものがあるんですね。 透明人間がモノを持ち上げ、振り回す。ヒモで吊り下げて撮影しているんだろう、とは思うものの、とてもそうは見えない俊敏な動き。いったいどうやって撮影したのか? そういう、見えないものをどうやって表現するか、に対する拘りが、結果的にこの作品を「見せる映画」にしていて、どこかサイレント映画の雰囲気を漂わせています。透明人間が登場していないシーンにすら、そういう雰囲気があって。 どういう訳か、あの隠し戸棚みたいなヤツが、妙に印象的でした。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-03-24 07:03:52)
8.  牛泥棒 ネタバレ 
これは怖い。もはや、一種のホラー映画です。 なにゆえ怖いかと言うと、作品の主要な部分を占める一連のシーンが、夜だから、ですね。人の理性を狂わせる闇。何が起きるかわからない、何が起きてもおかしくない、不穏な時間の流れ。モノクロ映像が不気味な迫力を醸し出しています。 本来ならヒーロー役であるところのヘンリー・フォンダ、後の某作品で他の11人の陪審員に立ち向かって見せたヘンリー・フォンダなら、この事態を何とかしてくれるんじゃないか、とつい思っちゃうのですが、彼の正義感もここでは無力。彼の存在が一抹の希望を抱かせるけれど、その対比によって、絶望の闇はさらに深くなる。 では彼は一体、この作品に何のために登場したのか、何のために彼に相棒がいたのか、というと、相棒へ読み聞かせるという名目で、「手紙を読みあげる」ためにこそ、この主人公は存在したのだ、というラスト。 ただ、この手紙、人の心を動かすどれほどの内容が書かれていたのだろうか、と作品自身がだいぶハードルを上げてしまったので、正直、割とフツーの内容だったかな、と思わなくもないのですが(ゴメン)、映画を貫く緊迫感と迫力は、それを補って余りあると思います。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2023-04-15 11:41:20)(良:1票)
9.  追跡(1947)
あくまで西部劇なのであって。全然ホラー映画でも何でもないんですが、映像が妙にコワい。雰囲気が暗い。冒頭からいきなり「追跡」されているらしい主人公、そこに至るまでの経緯が彼の少年時代から描かれていきます。何から何までが救いのない絶望の人生、と言う訳ではないけれど、人に憎まれるため、命を狙われためだけに生まれてきたような、暗い運命を背負った主人公。ロバート・ミッチャムの飄々としたイメージが、ここでは虚無的な表情へと繋がります。 ストーリーだけ見れば、いくら何でもそこまで彼が追い詰められる必然性は無いんじゃないか、ということになるのでしょうが、映像の力がそんな疑念を跳ね飛ばしてしまい、我々をこの悲劇の世界へと引きこんでいきます。 終盤の追跡劇が繰り広げられる荒野の光景も、凄いですね。 原題は「Pursued」。これは、追跡される主人公自身を表しているのか、それとも彼が追い求める「過去」を表しているのか。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2022-10-09 09:55:21)
10.  長屋紳士録 ネタバレ 
迷子になったのか、それとも親に捨てられたのか、という少年。とある長屋に連れてこられ、よりによって、長屋でも一番コワそうなオバチャンが世話をする羽目になる。まさに、鬼ババアってヤツです。バカだの、汚い子だのと、まあボロクソ。そのやり取りが、何とも可笑しいんですが、見てるうちに何だかホロリと来ます。いやこれがホントに。 最終的に描かれるのは、やはり、別れ。一刻も早く出て行って欲しい時には別れられないのに、別れたく無くなったときには、別れざるを得ない。結局、家出後の再会も、動物園も、写真館も、すべては別れへの前奏曲だった、ということでしょうか。 少年の父親が突然現れ、形式的な挨拶をし、別れ自体は機械的に進められていく。ここでこれが、娘を嫁に出す笠智衆だったら、絶対に涙を見せず寂しい笑みを見せるところですが、そこは鬼ババアですから、鬼の目にも涙、ってヤツです。 戦後の混乱期、ならではのオハナシでもありました。 ところで、こうやって見ると、小津作品でもフォーカス送りって用いられてるんですね。茅ヶ崎から帰ってきた場面で、奥の人物からゆっくりと手前の人物へとピントが移動したり。手前の鉄瓶から奥の人物へとピントが移動したり。
[インターネット(邦画)] 9点(2022-05-23 22:44:43)
11.  拳銃の町
馬車に揺られてとある町にやって来たジョン・ウェイン、しかし彼の雇い主はすでに殺されていてーーーという、ちょっぴりミステリ仕立て。映画後半には「部屋の中には射殺体と、銃を手にしたジョン・ウェインただ一人」という、密室もどきのシチュエーションまで登場(窓が全開なので全然密室じゃないけど)。余談だけどこのシーン、昼間なのにジョン・ウェインが窓の外に出る場面だけ夜になってる? もちろん謎解きを主眼にした作品ではなく、理屈っぽさもありません。逆にそういうのを期待しちゃうと、肩透かし。軽いノリで楽しみましょう。やたら揺れる馬車の中の光景も楽しいし、ポーカー勝負の場面などではちょっとした緊張感も。 ジョン・ウェインもまだこの頃はスマートで、銃の達人かと思わせる風貌ながら、実際はなかなか銃を抜かず、いざ抜いても相手を殴るだけ、ってのが、イイしゃないですか。 こういう西部劇のヒーローは、なぜかジイサンにモテる。いや女性にもモテて、気の強いヒロインとの関係がこれまた、見どころ。 彼女のお供として、コワモテのオジサンがいて、このヒトもポイント高かったりします。特に最後、犯人の顛末を、このオジサンを通して間接的に描くのがまた洒落てるじゃないですか。 なかなか気の利いた佳作だと思うのですが、どうでしょうか。
[インターネット(字幕)] 8点(2021-12-05 14:15:31)
12.  地獄への逆襲 ネタバレ 
前作のラスト、ジェシー・ジェイムズが背後から撃たれる場面が、本作品のオープニング。まさしく文句なしの続編です。 前作でもジェイムズ兄弟の犯罪行為を、鉄道会社の悪辣行為に対する復讐として位置付けていましたが、この続編ではより直接的に、弟殺害の下手人を兄が追うという復讐譚になっていて、いわば個人的な戦い。見てても盛り上がりますわなあ。一種の、人間狩り。 主人公の怒りが映画前半でよく表れているのが、あの舞台の場面。自分達のことがネタにされてる舞台をわざわざ見に行って、わざわざ立腹して見せるというのも、いささかオトナ気が無いんですけれども(黙って立ち去る手もあるだろうけれど)、客席に仁王立ちになって舞台を見下ろし、睨みつける姿には、やはりシビレます。 いや実際、そのくらいの事をやってこそバランスが取れるんであって、実はこの作品において、ヘンリー・フォンダ演じる主人公のフランクは、自らは相手に対して手を下さないんですよね。銃撃戦にはなるけれど、相手が足を滑らせて転落死する。相手を追い詰めた時には、先に受けた銃弾のためすでに相手は死んでいる。。。主人公が強盗を働く場面では巻き添えで死人もでるけれど、これは追っ手の流れ弾にあたったもの。 復讐自体は完遂されたと言えるのかわからないけれど、それを他の緊迫感あるシーンが充分に補ってバランスを取っています。 一方では作品にユーモアも感じられて、あの陽気な黒人のオッチャンの存在もそうだし、後半の裁判シーンなども北部vs南部の対立などを交えながらユーモラスに描いています。 裁判の直後、主人公は一気に駆け出そうとするけれど、そこから一転して、銃を片手にゆっくりと仇敵に迫っていく姿が、印象的です。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-09-19 11:33:16)
13.  我が道を往く ネタバレ 
いい話っちゃあ、いい話、なんだけど、しかしこれって、ジジイをダマくらかして良い気分にさせて甘やかしてるだけの話じゃないのかい。しかも、最後はおカネで解決、かい。 となると、いい話どころか、だいぶタチの悪い話、ということに。 そういうタチの悪さの言い訳のための、何らかの背景を描く訳でもなし。 という点は、作品の弱点のようにも思えるけれど、むしろそういう言い訳めいたものをそぎ落としたところに、持ち味があるのも確か。 ダマされてる方が、ダマされてる事に気付いてないように、ダマしてる方もダマしてる事を意識していない。すべてはごく自然に、ゴーイングマイウェイの結果、もたらされたもの。 ふらりとやってきた主人公は、あるがままに行動し、周りの人々にちょっとした変化を起こして、またふらりと立ち去っていく。 作品の弱点と感じられた部分も、実は、作品自体が「我が道を往」った結果、であるように思えてきます。 という
[インターネット(字幕)] 7点(2021-05-22 12:52:38)
14.  白い恐怖(1945)
グレゴリー・ペックが、若くて線が細くて、やたらイイ男。ではあるのですが、そこは女優優先、明らかにイングリッド・バーグマンに照明の光が集まっており、そのゴージャスさの前には、やや見劣りしてしまいます。でも、いいんです、どうせ、ちょっと頼りない役どころなので。 男前でキレ者のドクターかと思いきや、事態は意外な展開に。シマシマ模様がコワイ、という設定は、見てる我々に伝わりにくいところですが、とにかくそういうメンド臭い設定を引きずりつつ、サスペンスを維持して、割とストレートな物語設定に引きこまれます。 ラストも、ちょっと強引とは言え、スッキリしています。 ただ、あの「実際に滑ってる感が皆無の」スキーのシーンなどは、ドキリとさせる幼少時の回想シーンのインパクトを帳消しにしてしまうくらい、ショボいし、明らかにデカ過ぎで明らかに作り物の「銃を持った手」なども、映画への集中を削ぐものがあって、この辺りは少々、策を弄し過ぎ、という印象を持ってしまいます。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-05-01 19:51:28)
15.  レベッカ(1940) ネタバレ 
以前そこにいた誰かと比べられるのって、ヤだよねえ、という映画。悪くすると、パワハラ。そしてそれをやって見せるのが、ヒッチコック。 冒頭から霧が立ち込め、陰鬱な雰囲気が漂う。最初はローレンス・オリビエと知り合って何だかトントン拍子、だけど、結婚して大邸宅に住むとなると、ヤな感じになってくる。居心地の悪さ。大邸宅までもが彼女をイジメているかのような。 結局のところ、ローレンス・オリビエのダメさ加減というか、胡散臭さというか、いかにも(主人公にとって)役に立たない感じが、この作品では陰の立役者、になってますな。終盤で、意外に使える人(?)というのが発覚するワケですが。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-02-25 18:37:25)
16.  汚名
やっぱりヒッチコックって、サスペンスの人、なんだなあ。などということは、巷では常識とされているらしいので、今更何言ってるんだ、ってなところなんでしょうけれども、それにしても。 この物語って、男女が互いに惹かれあっているにも関わらず、女はスパイとして容疑者のジジイと結婚、男はそれを陰で操る、という、ある種残酷な運命を描いている(はず)のもので、言わば悲恋の物語と言えなくもない(はず)のものなんですが、正直、その印象はあまり強くなくって。どちらかというと、特に中盤以降の、ワイン倉庫の捜査の描写などのドキドキ感に重点が置かれているようで。 戦時中の父の行為による汚名を被らされた挙句、今はまたこんなつらい任務に身を投じる女性、これって本来ならかなり悲惨な境遇、だと思うんですが、必ずしも愁嘆場のような場面は多くなく、わりとサバけた印象。捜査される側のジジイも、その母親を登場させるなどして人物像に幅を持たせたりしてるんですけれど。それが、途中からサスペンス全開モードになって、余韻を残すべく準備されたであろうラストの収まりが、何となく悪いように思われます。 しかし、サスペンスとしては、これがやたら面白かったりするもんだから、困ってしまう。困る必要ないけど。傾いたりボヤけたりする主観カメラだとか、被写体に急接近するカメラだとか、映画の見る者の視点を存分に引きずりまわす。鍵束につけられた鍵の数の足し算・引き算、瓶に書かれた年代ラベルの足し算・引き算から導き出される真相。とにかく、面白いシーンに事欠きません。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-01-31 13:22:09)(良:1票)
17.  踊る大紐育(ニューヨーク)
上陸許可を得た3人の水兵さんの、ニューヨークにおける一日。ナンパしたり逆ナンパされたり、それぞれ女性とイチャイチャして、3組の男女プラス1名(?)が、歌って踊る他愛ないオハナシ。ミュージカルなので、歌って踊るたびにストーリー進行がストップしちゃうけど、もともと、進行がストップしても差し支えない程度のオハナシなので、気にせず歌とダンスが楽しめます。そしてその合間にはちょいと笑いも挟んでみたり。ちょいとカーチェイスまでやってみたり。 何せ6人で歌ったり踊ったり、なもんで、当時の1.37対1(でしたっけ?)の画面サイズには、ちと収まり切りません。もう少し横長の画面が欲しくなります。ただ、それだけじゃなくって、カメラに対し人物が重なってしまう部分があったりして、ちょっと雑な部分もあるかな、と。ミュージカルたるもの、とことん計算された画面で、とことんキメて欲しいところです。 面白いことは確かに面白いんですけれども、終盤、ややダレ気味になるのも、残念。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2021-01-11 21:42:59)
18.  西部魂(1941)
アメリカ映画見てると時々、荒野に一本道が走っていて、その脇に電柱が立てられてるのが延々と続く、ってな光景を目にしますけれど、アレの原点みたいな作品ですね。開拓時代、荒野に電柱を立て、町から町へと通信線を張り巡らせる。 その事業に関わった男たちが、主要な登場人物ですが、そのうちの一人はどうやらお尋ね者らしいことが、映画の冒頭で示されます。彼は荒野で倒れている男を発見、馬をかっぱらおうとするけれど、男が瀕死の状態であることに気づき、結局は男を助けて近くの町まで運ぶ。 で、お尋ね者も正体を隠して事業に参加することになり、彼らはなんだかんだと意気投合。先住民に絡まれるのを機転を利かせて危機を乗り切ったりと、ユーモアあふれる場面もあったりするのですが、そうは言っても元悪党。かつての悪党仲間と完全に縁を切ることはできず、ついに対決することになる。 火災シーンのスペクタクルに、クライマックスの床屋における決闘シーン。この辺りは、作品の大きな見どころになってます。 正直、ランドルフ・スコットってどういう訳か妙に頼りないヒトに見えてしまうのですが、本作にはそれが、これまた妙によくマッチしてますね。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2021-01-04 16:29:49)
19.  天国は待ってくれる(1943)
金持ちの考えることはよくワカラン、というか。上流階級の好色オヤジの一代記。別にエロい作品ではありませんが。 さまざまな調度に彩られた大邸宅のセットが、お見事。物語自体は、何ちゅうこともないのですが、飄々と我が道を行く主人公と、なにかとワリを食う羽目になる従兄弟との関係が、オモシロい。 この主人公、色々と罪深いところもあるけれど、片っ端から女性に手を出している訳ではなく、基本には常に奥さんとの関係があって。そこが、地獄に落ちるドン・ジョヴァンニと違うところ。 冒頭、あの世に行った主人公が天国に行くのか地獄に行くのか、というところから始まって、そこにやってきた知り合いのオバチャンが、昔は脚線美を誇ったものよ、と現在の大根足を見せたとたん、床に穴が開いて地獄に突き落とされる。なんだ、これではまるでスペクターの基地ではないか(スペクターはこれをパクったのか?)と思っちゃうのだけど、床の穴が開いた途端に煙が噴き出す芸の細かさ。スペクターはこういう部分こそ、見倣って欲しいもの。 そこから物語は主人公の生前に移り、それなりにアホらしい人生が描かれるのだけど、最後はやっぱりシンミリしてしまう。ジジイになってもエロいことはエロいんだけど、その背景には、過ぎ去って二度と戻らぬ青春の日々、ってのがあって。人生最後まで笑って暮らし、でもそのどこかには、泣き笑いがある。 ところで、地獄に落ちたら、ベートーヴェン、バッハ、モーツァルトの音楽とはオサラバ、だそうですが、本当にこの3人は無事に天国に行けたのだろうか。三者三様、それぞれ脛に傷を持たない訳でもなく・・・
[CS・衛星(字幕)] 9点(2020-12-31 09:56:30)
20.  戦場(1949)
誰が主人公ということもなく、ある部隊の行軍が描かれていきます。誰に特別スポットが当たる訳でもない代わりに、各々がある程度個性的に描かれていて、それぞれが主人公。それぞれの存在が心に引っかかりのようなものを残します。 いやそれこそ、映画の前半で言えば、一人の兵士がかっぱらってきた「生卵」だって、主人公の一人と言ってもいいかも知れません。はたしてこの卵は、誰かに無事食べられるのか否か。目が離せません。 後半は、「雪」も重要なファクターになります。兵士のヘルメットに降りかかっては解ける雪、あるいはすでに降り積もってサラサラとした雪。非常に印象的です。 一連の戦闘を潜り抜けた後の、映画ラストの行進。それはやっぱり、訓練の時とは明らかに異なる行進、なんですよね。で、そのまま他の隊とすれ違って映画が終わる。これをカッコイイと言ってよいのかどうかわからないけれど、感無量、絵になるラスト、です。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-31 21:42:01)
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