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1.  力と栄光 《ネタバレ》 
時間推移が、カメラをパンさせながらのオーヴァーラップや影を落とすエフェクト等で様々に表現されるのだが、それもあまり統一感はない。 技法というよりはドラマの語りの点で『市民ケーン』の原型だといえる。  成り上がった主人公スペンサー・トレイシーの浮気の告白、それを聞いた妻コリーン・ムーアの末路、息子の堕落。 そこから遡って、新婚時代の幸福なエピソードを見せていき悲劇性を際立たせたのはプレストン・スタージェスの巧さという事だろうか。  親友役のラルフ・モーガンが妻に語り聞かせる形式だが、顛末の全真相を語りきってしまうのも少々無理を感じさせる。 そうした諸々の改善の積み重ねが後のウェルズの達成に繋がったようにも思える。  新婚時代の夫婦の姿と、彼らの後景の窓外を走る汽車のショットなど、画面的に『市民ケーン』を思わせる断片も随所にある。
[CS・衛星(字幕なし「原語」)] 6点(2016-12-04 06:04:27)
2.  虎鮫 《ネタバレ》 
殊更な表現をするわけでもないのに、リチャード・アーレンとジタ・ヨハンの出会いのシーンは後に彼らが心ならずも 惹かれ合い、エドワード・G・ロビンソンを裏切ってしまうことになるだろう予感を強く感じさせる。 さらには陽気なエドワード・G・ロビンソンの邪気の無い雄弁が哀れみを誘う。  波をかぶる船側で漁師たちがマグロを次々と釣り上げていく漁獲シーンの荒々しく、力強いショット。 そのマグロを船倉から籠で釣り揚げ、漁港から加工場へとコンベアーで運んでいくショットのドキュメンタルな迫力。 本筋そっちのけで、その瑞々しい労働シーンに魅入られ、撮り続けてしまったのだろう撮影クルーを想像して楽しくなる。  船長の風貌や、船上からのライフル射撃などのディティールはやはり後の『ジョーズ』にも受け継がれたのだろう。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2016-12-02 23:59:39)
3.  ショタール商会 《ネタバレ》 
巻頭から伸びやかに動き回りショタール商会の舞台と人物を一気に見せていく長回しのカメラがまず圧巻である。 そこではメインキャストのショタール(フェルナン・シャルパン)が精力的に動き回って店を仕切っている。 小太りだが、彼のまくしたてる早口とダイナミックかつシャープな身振り手振りが最後まで画面を活気づけて面白い。  商売には向かない詩人の婿を追い出したものの、彼が賞を取った途端に手の平を返す身勝手なキャラクターだが、身振りの滑稽さが憎めない。 はしゃぐ彼にキスされる少女の迷惑そうなリアクションなど傑作である。  窓を介して部屋と屋外を同時に提示するルノワール的ショットも満載。  舞踏会の喧騒、音楽、戦場の銃撃音など、盛大にトーキーを鳴らしたいという稚気が画面から溢れている。
[DVD(字幕)] 7点(2016-09-23 22:54:11)
4.  残菊物語(1939) 《ネタバレ》 
何度目かの再見で、新たに気づかされるのは音響に対する作り手の意識の高さとその達成である音の豊かさ。 長門洋平氏の著作『映画音響論』での詳細な分析とユニークで斬新な解釈に触発されて見返したわけだが、 フレーム外から聞こえる物売りや行商人の掛け声、囃子など、その対比としての沈黙の用法・タイミングまでよく考え抜かれているのがよくわかる。  まるでヒロインの表情を見せまいとするようなフレームサイズ、構図、陰影。加藤幹郎氏を始めとして散々指摘されてきたことではあるが その分、森赫子の済んだ声音はより際立って美しい。  長門氏によるラストシーンの解釈に全面的に首肯するわけではないが、冒頭シーンとの対照という意味でも、「ありうべかざるものを、 ありうべきものとして」描いたとするそのユニークな解釈はとても興味深い指摘である。  十分に分析されつくしたかに見えても、さらなる味わいと解釈を許容する傑作の奥深さを思い知らされる。
[ブルーレイ(邦画)] 10点(2016-07-06 23:59:20)
5.  ジャン・ルノワールのトニ 《ネタバレ》 
『列車の到着』に始まり、列車の到着に終わる。 映画の中で語られた一つの事件も、これから幾度も繰り返されるであろう束の間の出来事の一つに過ぎない、と。 着いた駅から流れ出てくる外国人労働者たちの歩み。石切場の勾配、入り江、鉄橋、官能的な葡萄畑の風景、それら南仏の実景に 同時録音と思しき環境音が生々しく響き、そして労働者たちの歌が印象的に流れている。  中景、遠景を中心とした撮影で風土と人間の存在・動きをまるごと捉える。その引きのショットの距離感が絶妙である。 女が入水自殺を図ろうとボートを漕ぎ出す水辺のショット。逃走するトニが猟銃であっけなく射殺されるショット。  それらは対象を突き放すような、それだからこそ凄味と誠実を感じさせるカメラである。
[ビデオ(字幕)] 8点(2015-11-08 06:07:09)
6.  ボヴァリー夫人(1933) 《ネタバレ》 
本来ならば190分の作品が無残にも半分以上切られてしまっているのだから、 現在残されているバージョンで物語を追おうとすることには無理がある。 特に前半部の欠損が多いのか、いきなり場面が結婚後に飛んでいたりと展開の 慌ただしい事この上なく、混乱すら来たしてしまう程だが、それは少なくともルノワールの非ではない。  逆に物語を放棄する分、それぞれのルノワール的画面の映画性をより良く味わえるだろう。  確かにヴァランティーヌ・テシエは薹が立った印象でヒロインとしての魅力には欠けるのだが、 終盤の病床シーンの芝居などは圧巻だ。  家禽の行き交う田園風景の風情や、並木道を進む馬車の縦移動の緩やかな運動感もいい。 屋内シーンでもぬかりなく窓を解放しドアを開閉し、外の世界の広がりを豊かに画面に取り入れる。  パンフォーカスによって二間の部屋の奥、その又先にある屋外空間の事物・空気まで意識を伸ばしている。 『市民ケーン』(1941)に先駆ける、この意欲的な世界把握。傑出と云っていいだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2015-07-13 16:55:07)
7.  俺は善人だ
悪女と聖女の両面を演じさせて女優を売り出すパターンが 当時からあるが、これはその男優版である。 エドワード・G・ロビンソンが小心で実直なサラリーマンと 凶悪なギャングを巧みに演じ分ける。  双方がそれぞれの役を演じるシーンもあるので、計4パターンの芝居となるが、 善人役の愛嬌のある芝居が実に萌える。鏡への反射を使ったギャグや、 酒に酔って社長室から出てくる場面の陽気な振る舞いなどは傑作だ。  この後、その対照的な二人が同一ショット内で共演することになるのだが、 このツーショットがどのような仕掛けで撮られたものなのか。 その違和感のない画面つくりには様々な知恵や工夫が凝らされたのだろう。  様々な箇所でシーンの省略が効いていて、テンポもいい。 欲をいうなら、後半もっとジーン・アーサーの活躍が欲しかった。    
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-13 16:42:52)
8.  周遊する蒸気船
アン・シャーリーを連れ戻しに来た男たちを、「甥の嫁は渡さん。」と撃退し、 粗末な身なりの彼女に妹の形見のドレスをプレゼントするウィル・ロジャース。  口の悪い彼に反発していた彼女も、その一件を境にいっぺんに彼を大好きに なってしまう。  彼の右頬にキスし、もらったドレスを大事そうに抱きかかえる彼女の仕草の 何と可憐なことか。  その心変わりを大いに納得させる彼女の素直な瞳が美しい。  絞首刑判決となり護送されるジョン・マクガイアとの別れの際、 駅の丸柱に寄り掛かって悲しむ 彼女の左手の薬指にはめられた指輪をさりげなく映し出すカメラは、 その表情以上に彼女の心情を語る。  偉人の蝋人形を窯にくべていく、といったアナーキーな賑やかさの一方で ヒロインの心情を繊細に演出する細部の気遣いが尚のこと光る。  文句のない傑作だが、ダン・フォードの『ジョン・フォード伝』によると、 就任間もないダリル・ザナックが、すでに完成していた本作の「編集にハサミ を入れてテンポを速め、野放図な所作が見受けられるギャグシーンのあれこれ を切り捨てた」らしい。  確かに映画は展開が早く、グリフィス的救出と大団円後の 後日談などはわずかに2ショットだ。 現在の主流シネコン映画とは真逆の潔く鮮やかな〆具合の現行版も悪くないが、 本来のいわゆる「ディレクターズ・カット版」はどんなものだったのか。 興味はつきない。  「脇道にそれたり、道草を食って筋に関係ない何かに焦点を合せたり、そんな 類のことを軽くやるのが好きだった」(ナナリー・ジョンソン) それがJ・フォード作品の魅力なのだから。   
[DVD(字幕)] 10点(2014-09-06 15:33:49)
9.  肉弾鬼中隊(1934)
偵察隊のメンバーが単発で狙撃されていく際の簡潔であっけない音響が逆に怖い。  隊員達の間で交わされる対話は、故郷の家族のことであったり、 マレーシアの思い出であったり、12時間後に祖国英国を照らすだろう月の 美しさであったりするが、それらの回想場面は一切入ってはこない。 映画はひたすら現地現在進行形で進み、観客は俳優の表情や語りから その会話内容に思いを馳すことになる。  が、この人数でこの尺ではやはり無理があったか。 隊員個々のプロフィール描写も淡白にならざるを得ない。  砂漠に立てられた6本のサーベルの墓標も、欲をいえば逆光で撮って欲しかったところ。 やはり相応の尺を獲得してこそ、『七人の侍』の墓標は強烈な イメージとなったのだろう。  
[DVD(字幕なし「原語」)] 6点(2014-09-05 21:12:19)
10.  プリースト判事
ここでのウィル・ロジャースは特に判事の業務を行うわけでもない。 トム・ブラウンとアニタ・ブラウンの仲を取り持とうと、 ゴルフボールを飛ばし、茂みの陰で一人芝居をし、飴を伸ばしと、 ひたすら具体的に行動する。二人を物理的に近づけるために。  その周囲を、ステッピン・フォチェットら味のある黒人俳優が 音楽的なイントネーションで語らい、歌う。  さらには、ヤギやアヒルや鳥たちも視覚と聴覚を賑わかし、 大合唱が大団円を盛り上げる。  そんな飄々としたウィル・ロジャースが暗闇の部屋にランプを灯すと、壁に 飾ってあった妻と息子らしき肖像写真が明りの中に浮かび上がり、 それを静かに見つめる彼の顔が写真の家族と重なり合う。  こうした何気ない静かなひとときのうちに、 彼が若い2人のために世話を焼く心中までが 滲み出てくるようで、愛おしい。    
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-05 17:06:21)
11.  十字路の夜
闇夜のカーチェイスが迫真だったジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』や 『最後の切り札』。そのノワールなアクションの原型が、ここにある。 なるほど、ベッケルは『十字路の夜』の制作主任兼助監督だったのだ。  ヘッドライトに照らされた夜の街路が、荒々しい前進移動によって生々しく 流れていく。さらに、運転席からの拳銃の発泡が閃光を放ち、緊迫感を煽る。  尋問シーンに幾度か挟まれるコップの水のショット、排水口のショット。 そして霧雨のそぼ降る泥濘んだ街路の質感は、『水の作家』によるトーキー初期作品 らしく、流水や足音の湿った音響によって一層強調される。 自身の初トーキーに水洗トイレ音を響かせたルノワールらしい拘りだ。  胸の傷をピエール・ルノワールに見せるヴィナ・ヴィンフリードの艶めかしさも堪らない。     
[インターネット(字幕)] 10点(2013-11-17 01:08:57)
12.  リリオム 《ネタバレ》 
自殺者として天国で裁きを受けるリリオム(シャルル・ボワイエ)。 彼が生前に妻ジュリー(マドレーヌ・オズレ―)を殴ったときの記録映像が 証拠として映し出される。  ドイツから亡命したフリッツ・ラングがフランスで撮ったファンタジー作品で、 表現主義的要素などは希薄だが、劇中のシーンが証拠映像として用いられるといった 趣向が「裁き」の主題系と共に渡米後の作品との繋がりも感じさせて面白い。  回転木馬上で出会う二人の、花一輪を巡る手のやりとりから、 リリオムがナイフを自分の胸に突き刺した瞬間、自分の胸に手をやるジュリーの手の動き、 そして運び込まれた瀕死の彼の手を優しく撫でる彼女の手の動きと、 相手への想いを語る手のアクションが全編通じてとても豊かだ。  ルノワ―ルが担当した音楽は、遊園地での陽気な歌の部分だろうか。  仲間だったリリオムの死を悼んで、その遊園地の面々が黙祷を捧げる静かなシーンや、 死んだ彼が夜空を昇天していく幻想的な特撮シーン、 ラストの二人の表情も美しい。  
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-09-24 05:38:32)
13.  左側に気をつけろ
スラップスティックとしてのスピード感と破天荒ぶりでは 『チャップリンの拳闘』に敵わないが、 その軽快で飄々とした緩いペースこそジャック・タチらしさだろう。  郵便配達の自転車の軽快な疾走に始まり、走り去る自転車に終わる、 全編通してののどかな屋外のロケが瑞々しく、 陽の降り注ぐ野外のリングで行われるボクシングや、 いたるところで登場する沢山の動物たちのランダムな動きと共演が大らかでいい。 ヌーヴェルヴァーグの先駆けともいえる。  軽いフットワークでボクサーの動きを模写をする ジャック・タチのコミカルなパントマイム。 後に『右側に気をつけろ』を撮るゴダールが 自作中でよく取り入れるシャドーボクシングの身振りの原型がここにある。  トーキーだが台詞は相当に省略され、 手引書の図解を利用したギャグを始め、 サイレント的な身振りによる語りが冴えている。 
[ビデオ(字幕)] 7点(2012-06-27 23:57:36)
14.  坊やに下剤を
トーキー第一作として、うがいや水洗トイレなどの水をめぐる音響を まず採り入れるあたりがルノワールらしいが、 何よりも全編ひっきりなしの対話の応酬が耳を引く。  連音(リエゾン)を巡ってのやりとりや、大仰な感嘆詞の連発など、 フランス語の発音自体の面白味をトーキーに活かしている。  主要な登場人物は5人、舞台は主に4つの屋内空間という簡素さ。  カメラはフィックスのフルショット主体で、登場人物の芝居も演劇調だが、 ドアからの出入りの活用と、複数のカメラでのアクション繋ぎによって 画面にアクセントを付けている。  印象的な効果音は、おまるの破砕音と水洗トイレの水流音。  少々物足りない感もあるが、あれもこれもと欲張らない分、 その即物的な音響はストーリーと絡んだ形で響き、 SEだけを浮き上がらせてはいない。そこが賢明なところだ。  お話自体は他愛ないが、スピーディなダイアログが映画を満たしている。 
[DVD(字幕)] 6点(2012-06-24 08:46:55)
15.  モダン・タイムス 《ネタバレ》 
映画のラスト。朝の「太陽を背に受け」、チャップリンとポーレット・ゴダードが画面手前に向かって歩き出す。 続くショットは、「太陽に向かって」一本道を歩いていく二人の後ろ姿となる。  前作『街の灯』のラストの切り返しショットにおける「バラの位置」の不整合と共に、様々に解釈される本作の終幕のモンタージュである。 完全主義のチャップリンの編集であり、共に重要なラストショットなのだから、 凡ミスであるわけは当然ない。  吉村英夫著『チャップリンを観る』では、『街の灯』での不整合を「ハッピーエンドとアンハッピーエンドの両義性」を暗示するものとして、また『モダン・タイムス』での不整合は「朝陽(=希望)に向かう二人」を表象するため不自然を承知でモンタージュさせたものと考察している。  また、江藤文夫著『チャップリンの仕事』ではラストの太陽光は実際は夕陽であり、時間を朝から夕方に一気に飛躍させた繋ぎによって、延々と続く二人の道行きの果てしなさを暗示するとしている。  いずれにしても、それらはショットの「含意」に関しての解釈である。  確かに、冒頭では「白い羊の群れ(=工場労働者)の中に一頭混じった黒い羊(チャップリン)」という意味を担った象徴的なショットも持ち込まれ、作品としてのメッセージ性も強い。 そして、次の『独裁者』ではさらに映画のメッセージ性が強まり、地球儀の風船と戯れる独裁者の図といった寓意の強度もまた際立ってくることとなる。  本来ならば、そうした「意味」よりもまず1ショットにおける具象の美を優先したものとみるべきではある。  つまり『街の灯』の切り返しショットにおいて白バラの位置が変わるのは、まずもってバージニア・チェリルの表情を最も引き立てる構図を創り出すためであり、『モダン・タイムス』のそれは、朝陽であろうが夕陽であろうが、とにかく二人が互いに手をとり明るい光に向かって歩きゆく後ろ姿と影が黒いシルエットとして一体化した画、その映画美こそが何よりの要件であったからと思いたい。  が、上のような解釈がそれなりの妥当性を帯びるのも、チャップリンの純粋な活劇に次第にメッセージ性が浸食していく時期のものであるからだ。  ともあれ、多様な解釈を可能にしているのも作品の豊かさの証しである。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2012-05-03 21:42:50)
16.  戦ふ兵隊
戦意高揚を目論む「撮らせる側」に対する「撮らされる側」の精一杯の抵抗と反骨が画面に滲む。  巧妙なレトリックで多義性を担保した字幕によって検閲を欺こうするも、やはり画面と被写体は作り手の思い入れや真情を如実に浮かび上がらせてしまう。  家を焼かれ、項垂れる中国農民。道端に残され、臥していく1頭の病馬。疲労し切った兵卒の眼差し。夜の野営地に寂しく響く驢馬の鳴き声。  明らかにやらせとわかる最前線の中隊本部の描写がふるっている。約10分間のフルショット・ロングテイク。同時録音らしい生々しさを醸しながら、どこか間の抜けた滑稽さをも纏う。  亀井監督の本作での演出意図に関する考察は、佐藤忠男の「日本映画の巨匠たちⅡ」などに詳しいが、付け加えるとするなら本作における行軍の構図取りもまた確信的なものだろう。  南京から漢口へと西進する日本軍がアニメーションの矢印で地図の左手方向に伸びるように示されるが、実際の行軍の画面は逆に右手方向へ向かうようにフレーミングされたものが多い。  田坂具隆監督の『土と兵隊』などが、一貫して左手方向への進軍となるよう画面作りしているのとは対照的だ。  ショットによっては、右方向へ行軍していた列が、(曲がり道のため)画面手前で左手に反転するかに見えるものもある。  これもまた日本軍の大陸での「左往右往」を文字通りに皮肉ったものと云えなくもない。  作中には、「(家に)帰りたい」と語る中国人捕虜のショットと字幕も登場するが、これが日本軍兵士の本心を暗に代弁させたものとするなら、この行軍のショットが示す方向性もまた、兵士たちの内なる思いを慮ったゆえのものだろう。     
[ビデオ(邦画)] 9点(2012-04-22 23:09:59)
17.  陽気な中尉さん
予想した展開を軽やかに裏切りつつ、納得のハッピーエンディングに収めてしまうシンプルな脚本の良さもさることながら、ストーリーそのものよりもその軽妙洒脱な映画的組み立て方こそがルビッチ作品の魅力だ。  時間経過を記す冒頭のランプや、王女の衣装の変化を簡潔に表すオーヴァーラップのスマートさ。 ミュージカルでありながら、屋敷内の会話を窓外から捉えたサイレントの1ショットの挿入によってアクセントをつけドラマに引き込んでいくテクニックの鮮やかさ。  階段の登り降りやドアの開閉が存分に駆使され、映画に様々なリズムを刻む。  そして、二人の女優の引き立て方が断然素晴らしい。  クローデット・コルベールと、ミリアム・ホプキンスが互いにビンタし合う後半の対決シーンからの流れは、特に二人の魅力が存分に引き出されている。  ハンカチーフを介して共感し、共にピアノを弾きデュエットし合う二人。  王女にファッションを指南すると、振り返ることなく別れを告げ去っていくコルベールの後姿のショット。  セクシーに変身したミリアム・ホプキンスが煙草をふかしながら艶やかにピアノ演奏し、モーリス・シュバリエに視線を投げるショット。  最高にカッコいい。 
[DVD(字幕)] 10点(2012-04-16 21:19:55)
18.  
オリジナル140分に対し、現存するのは巻頭・巻末部分を欠いた92分のフィルム。  ロングテイク主体でありショット数は250弱だが、その全てが素晴らしい。  出稼ぎにいく娘たちのシルエットが丘の稜線に小さく消えていくロングショットの美。 波打つ稲穂の揺れが拡がっていく緩やかな移動撮影。 斜面が活きた独特の農地の中を人物が走行するキアロスタミ的なジグザグ運動。 囃子のリズムに重なりながら、天秤棒を担いで水を運ぶ父娘を捉えるトラックバックの映画性。 風見章子が愛しげに掬い上げる精白米に注がれる光の眩さ。 そして、石臼や足踏み式脱穀機の生み出す土着的なリズム。  山本嘉一が座る囲炉裏端を捉えた屋内真上からの構図だけで醸し出されるただならない雰囲気。果たして傍の藁に引火し、一気に火の手が上がり家屋が炎に包まれる中を老人と子供が必死に這い逃れる姿を追う迫真のショットの苛烈な様。  各ショットの映画的充実ぶりは挙げ出せば限がないが、それは殊更な風俗描写や技巧の披歴ではなく、あくまで俳優と風土の素朴な佇まいと素朴な語り口の融合によってもたらされているものであり、生活風景の中のさりげない台詞ひとつひとつが人物描写として映画に厚みを出している。  フィルムの欠損と原作通りの徹底した茨城言葉の録音は、却って物語よりも言葉の意味よりも、映像と音の響きそれ自体の充実をより際立たせてくれており、作品の素晴らしさを損なうものではない。  
[ビデオ(邦画)] 9点(2012-03-17 20:20:58)
19.  腰弁頑張れ
3巻足らずの短編に意欲的に詰め込まれた技法、そして喜怒哀楽の感情の諸相。  表札や鍋やポートレート、蛇口の水滴はことごとく落下することで無声映画の中に音を創出し、対比的な夫婦像・つましい暮らしを示す靴底の穴・模型飛行機・交通事故・金銭といった成瀬流意匠の諸々も巧みにユーモアとペーソスを形づくる。  前半の背景でのどかな風情をみせていた電車が後半には不吉を呼び込み、また前半の子供の喧嘩や居留守中の押し入れ内でコミカルに使われた飛行機が、後半では抒情のアイテムへと変容する。  ショックシーンで用いられるクロースアップ、画面分割、ネガ反転にディストーション。 不意の短いフラッシュバックとして挿入される線香花火、入道雲のショット。 同じく、暗い病床と模型飛行機の滑空の叙情的なオーヴァーラップ。 または洗面器の中で溺れる蠅のショットの悲壮と抽象性。 病室での大胆な表現主義的ライティングによるノワールスタイル。その柔軟で果敢な試行が若々しい。  一方で、病室の息子と夫婦それぞれの顔に注がれる光明は成瀬50年代の絶頂期にも負けぬくらい繊細で美しい。 
[映画館(邦画)] 8点(2012-02-13 20:15:12)
20.  生さぬ仲(1932)
岡田嘉子宅の洋間や、デパートのエレベーターにおいて無情に閉じられるドアが彼女の頑なさを物語る。 そのドア越し、窓越しに交わされる視線と叫びは、サイレントゆえに視覚から響いてくる。  当時のマイブームらしい、人物への度重なるトラックアップも実に雄弁である。 特に、岡田嘉子と対峙し正面からその視線を受け止める筑波雪子の凛とした表情へ寄るショット。そこから彼女の手を強く握りしめる小島寿子の手のショットへ。 その繋ぎの切迫したリズムがいい。  一方では、原っぱで筑波雪子の立ち居から腰を下ろす動作の繊細なカット繋ぎの自然な美しさが眼を瞠らせる。  その繋ぎで女優の一動作の美をさらに引き立ててしまう。まさに映画美。  シーンの繋ぎでは、ライターと煙草を介した場面転換に工夫が凝らされており、物語を巧みに紡いでいる。 
[映画館(邦画)] 8点(2012-02-12 20:09:41)
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