1. 青島要塞爆撃命令
ネタバレ 第一次世界大戦で起こった青島要塞攻略戦は、この大戦で日本が唯一経験した陸戦でかつ日本とドイツが戦った史上これしかない地上戦でもあります。日露戦争での旅順戦の経験がまだ記憶に新しい時期でもあり、陸軍は慎重に攻囲戦を進めて大した損害もなく二か月で要塞を陥落させています。要塞に籠っていたドイツ兵はわずか五千人に過ぎず、補給線が切れた要塞は所詮は陥落するのが運命であり、ドイツ本国も死守させる気はなく捨て駒みたいな存在でした。 日本映画では多分唯一の第一次世界大戦の日本軍を題材にした珍しい映画です。若宮丸という輸送船に黎明期の航空機を積んで要塞攻略戦に参加したという史実を元にして、そこに虚実織り交ぜて『ナバロンの要塞』風の戦争アクションに仕立てたという感じです。やはりこの映画の見どころは実物大のプロップまで製作したモーリスファルマン機の見せ方でしょう。まるで凧にプロペラを付けたような頼りない複葉機で、向かい風になると地上の列車に抜かれるぐらいのスピードしか出ず、1000メートル上昇するのに三十分もかかる様な代物です。二機編隊で飛ぶときにラッパを吹いて意思伝達をするところなんかは、「ほんまかいな」と思ってしまいますがライト兄弟の初飛行からまだ11年しか経っいない頃ですからあり得る話でしょう。対するドイツ軍が運用するのはルンプラー・タウベという単葉機、確かにこっちのほうが遥かに軽快ですよね。ここまでは史実通りなんですが、日独機が空中戦をするのは完全なフィクション、実際には両機は二時間も追っかけっこしたけどけっきょく互いに射撃する機会はなかったそうです。 後半の要塞攻撃シークエンスは完全なフィクションですが、完全な『ナバロンの要塞』調の特殊部隊作戦ですけどけっこうスリリングな展開となっています。ディティ―ルにはそれなりの拘りは見られますが、第一次世界大戦初期でのドイツ兵のシンボル的なプロイセン型ヘルメットを、お馴染みのドイツヘルメットにピッケルを付けて再現しようとしているのは苦肉の策だったのかな。あとよく判らなかったのは中国人スパイ(なのかな?)役の浜美枝の中途半端なキャラで、あまりに尻切れトンボの脚本なので彼女の正体はなんだったのか気になって夜も眠れません(笑)。 青島のビスマルク砲台は加山雄三&佐藤允の活躍で無事に爆破成功となるのですが、もちろんこれはフィクションですが青島攻略戦における海軍活躍自体がそもそもフィクションなんです。史実では海軍は青島戦では海上封鎖が任務でしたが港内のドイツ東洋艦隊にはまんまと脱出を許し、この時に逃した軽巡エムデンは太平洋で大暴れをして戦史に名を残すことになるのです。陸軍は二百三高地で有名な28糎砲まで使って砲撃で要塞を粉砕し、映画にあるような突撃で大損害を出すことなく勝利しています。やっぱこのころはまだ、“海軍優秀、陸軍無能”というステロタイプな旧軍感がはびこっていたからなんでしょうね、その方が観客に受けたんでしょう。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2025-06-03 23:22:03)《新規》 |
2. 歓びの毒牙
ネタバレ ストーリー自体はけっこう破綻している感は否めないが、監督デビュー作としてはまあこんなもんでしょ。映画スタイルとしてはイタリアン・ジャーロの王道パターンにはきっちり嵌まっているけど、その映像美には「さすがアルジェント!」と唸らされるところはありました。音楽担当はエンニオ・モリコーネ、アルジェントとのコンビは初期作だけなんだけど、なんか雰囲気が違うんだよな…アルジェント映画=音楽担当ゴブリンというイメージが自分には刷り込まれているんだろうな。この映画では原題にもなっているように“鳥”がトリックというかモチーフになっているんだけど、種明かしされても「そんなことどうでも良くない?」ってのが正直な感想です。やっぱアルジェントだけに“鳥”じゃなくて“虫”に拘りたかったんじゃなかったな?まあ駆け出しの身だしいきなり自分の趣味を押し通すのはムリだったんでしょう(笑)。他にも、普通はこれは伏線だろ?って描写があるけどストーリーには全然寄与しないところがあるのは、この映画の大きな難点です。脅迫電話の録音から「この二回の電話をかけてきたのは、同一人物じゃない」なんて苦労して解明するけど、それが事件の結末にはちっとも関係していないんですからねえ。思ったよりエロもないしジャーロ要素も薄目だし、“ダリオ・アルジェントの初監督作”という惹句がなければ忘れられたB級作品だったんだろうなと思います。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2025-05-30 22:41:03) |
3. スーパーフライ(1972)
ネタバレ 実は『黒いジャガー』のゴードン・パークスが監督した映画だと私はずっと勘違いしていまして、メガホンをとったのは息子のJrの方でした。親父のゴードンは調べてみると写真家、詩人・小説家、音楽家とけっこう多才な人物だったみたいで驚きました。息子の方は飛行機事故にあって80年代まで生きのびることは出来なかったのは残念でした。 この映画は、麻薬の売人として成功した主人公がなぜか足を洗って引退するために最後の大勝負に挑むというのがストーリーですが、いくら70年代とは言っても倫理観の欠片もないお話しには辟易とさせられます。まるで煙草のようにコカインを吸いまくる登場人物たちには、観ているほうが感覚を麻痺させられそうです。これは当時のハーレムの実態だったのかもしれませんが、当時の観客だった青少年には悪影響を与えたことは十分考えられます。確かにカーティス・メイフィールドの音楽はしびれるほどカッコよいけど、歌詞はもう滅茶苦茶ダークで引いてしまいます。「俺たち黒人は今まで虐げられてきたから、反社会的な行動をしても許されるしそれがカッコよいんだ」という驕りが透けていて、とてもじゃないけど共感出来ません。まあ大したアクションもなく典型的なB級ブラックスプロイテーション映画だと思うんだが、『死ぬまでに観たい映画1001本』に選出されるなど近年に評価が高まっているそうな。比べるのもなんなんだが、同時期の東映ヤクザ映画の方がよっぽど出来がイイと思いますよ、こういう麻薬に甘い米国の大衆文化はほんと困ったもんです。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2025-05-27 23:06:48) |
4. リバー、流れないでよ
ネタバレ 京都・貴船の老舗旅館「貴船ふじや」と言えばけっこう有名な宿ですけど、そこを舞台にして貸し切り状態で撮影とはなんと贅沢なことか!驚くことにヒロインを務める藤谷理子は「貴船ふじや」が実家なんだそうで、そりゃあのびのびとした演技が出来たんじゃないかな。数えちゃいないけど2分間のループが三十回はあったと思いますが、とくに前半は1ループを基本ワンカットで撮っているので、狭い旅館内で動線を確保するのも大変だったろうと思います。 最近邦画でも一ジャンルを形成しているいわゆるタイム・ループものですが、その中でも本作は貴船が舞台なだけあってかなりファンタジー色が強めで、自分としては満足できる良作だったと思います。いわゆる“起承転結”の“承”にあたる、ループ状態にあることに気づいた客や従業員が状況を受け入れてゆき諦めの境地になってゆくパートは、なかなかセンスの良い脚本だなとおもいます。そりゃあ熱燗がいつまで経っても出来上がらず、延々と閉めの雑炊を食べなきゃいけないとなれば、そりゃ参りますよね(笑)。中盤の“二分間ループ・デート”あたりのミコトとタクのやり取りは胸キュンもので、いちばんファンタジー味が感じられるところでした。 冒頭から「あれ、このひと乃木坂の久保史緒里じゃね?」というキャラが登場して途中から全然ストーリーに絡まなくなったと思ったら、なんとまさかのタイム・パトロール(?)、しかも乗ってきたタイム・マシン(?)がまるで屋外用家庭サウナとしか見えない代物で燃料がビールでもOK、そういや『BTF』のデロリアンも飲みさしのジュースや生ごみで動いていたし、まあこれもアリかな(笑)。タイム・ループものは所詮は荒唐無稽なんだから、下手に理屈っぽくならないほうが愉しめるというものですよ。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2025-05-25 13:44:26)(良:1票) |
5. アウトサイダー(1983)
ネタバレ 『ワン・フロム・ザ・ハート』が大コケして破産の窮地に陥ったコッポラが、小品ながらも再起をかけて撮った作品。父のカーマインをはじめ三人の子供と家族総動員で苦境に立ち向かったという感じですが、あのスティービー・ワンダーの名曲"Stay Gold"がカーマインがこの映画のために作曲したオリジナル楽曲だったとは恥ずかしながら知りませんでした。 いわゆるYAと称された若手スターが総出演なんですが、今となって見るとほんと凄い顔ぶれでほとんどがオーディションで選ばれた面々、ラルフ・マッチオなんてこれがデビュー作ですからねえ。この中でもっとも成功しているのはもちろんトム・クルーズですが、初登場シーンでいきなり爆転(もっともこのシーン撮影では歯を折ったそうです)を見せるけど、ほとんど目立たないキャラだったとしか言いようがないです。いちおうグリーサーとソッシュという2グループの構想が軸となっているけど、パトリック・スウェイジ、ロブ・ロウ、C・トーマス・ハウエル三兄弟の物語がこの映画の主題なのは観てのとおりです。ここまで濃密な関係性の男兄弟というのも映画の中としても珍しいぐらいで、ロブ・ロウとC・トーマス・ハウエルが同じベッドで寝てるところなんか、ちょっとゾワってしたぐらいです。そういえばこの映画にはそこはかとなくゲイ的な要素が強めな気がするのですが、いかがでしょうか? コッポラ映画となると脚本やストーリーがどうしても注目されがちですが、彼の作品にはどれも独特の映像美があることを見逃してはなりません。本作でもまさに『風と共に去りぬ』を彷彿される美しい夕焼けや朝焼けのシーンには眼を奪われてしまいます。この美しい映像に"Stay Gold"が被さってくるのは、もう堪りませんぜ。あとちょっと気になったところは、1965年という時代設定なのに黒人やアジア系などがチョイ役を含めてまったく登場しないところでしょうか。かといって登場させると『地獄の黙示録』みたいにアジア人蔑視なんて非難を浴びせられるし、やっぱしそういう面ではコッポラは癖のある映画作家なのかもしれません。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2025-05-24 22:26:51) |
6. 裸のチェロ
ネタバレ 正直いうと、以前から私は女性の後ろ姿のヌードとチェロやヴァイオリンのシルエットに、近似性を感じていました。その私のちょっと人には言いづらい性癖をラウラ・アントネッリ=チェロという図式で映像化してくれるなんて、さすがイタリア映画です。 監督しているのがパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレで、この後にほとんど狂気と言えるほどのぶっ飛びぶりが強烈な『セックス発電』という私が愛して止まない艶笑コメディを撮っているんですよ。実は本来は小説家・脚本家で業績を残して来た人で、ヴィスコンティの『若者のすべて』『山猫』などでも執筆し、『祖国は誰のものぞ』ではアカデミー脚本賞にノミネートされています。60年代からは監督業にも進出して20年間で42本もの作品を手がけていますが、この分野ではB級映画専門の職人監督に徹しています。 オーケストラのチェロ奏者ニッコロ・ヴィヴァルディ君はイケメンだが影の薄い人物で、指揮者にもどうしても名前を覚えて貰えない。ヴィヴァルディなんて姓の音楽家ならインプレッションが普通の人よりありそうなものですが、名前の喪失というモチーフはこのストーリーの心理学的な背景になっている感じです。妻のラウラ・アントネッリも時々夫の名前を度忘れするし、終いにはニッコロ本人まで自分の名前を思い出せなくなる記憶喪失状態にまでいっちゃいます。アントネッリは『青い体験』でブレイクする前でこれが実質的に初主演みたいな感じですが、その見事な肢体には圧倒されてしまいます。この映画は俗にいうイタリア式艶笑ものとはちょっと違う路線のような気もしますが、だんだん変態地味てくる夫の要求に嫌々ながらも応じて露出癖に目覚めてくる、まあ当時のイタリア男性(というか全世界)の理想的な都合の良い女なんですが現在のフェミ界隈からは「女性を男性に都合の良いモノ扱いしている!」と怒られそうですがね。 ラストはニッコロ君は艶笑コメディではあり得ない悲惨な末路になってしまうのですが、まああんだけのこと仕出かしたんだからしょうがないよね。でもチェロのケースの凹凸にぴったりと収まるアントネッリの美ボディを拝めたんだから、損はないかな。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2025-05-18 21:52:23) |
7. ユーズド・カー
ネタバレ 道路を挟んで向かい合う双子の兄弟が経営する中古車屋の骨肉の争い、と言ったらなんかオドロオドロしますがそれを徹底的におバカなコメディに仕立て上げたって感じかな。のっけから羽振りが良いほうの弟が兄を実質的に死に追いやって店を乗っ取ろうとする、これはかなりシリアスな展開ですが、部下のカート・ラッセルたちがその死体を売り物の中古車に乗せて店内敷地に埋めてしまう、これはてっきりこの映画はブラックジョークなストーリーなのかと思っちゃいますよ。この口八丁手八丁な敏腕営業マンであるカート・ラッセルが実に面白いキャラなんだが、こいつらが繰り出すフットボール試合や大統領演説(!)を電波ジャックして下品なCMを流すというアホな作戦、あまりにバカバカしくて突っ込みを入れるのも忘れるぐらいです。ラストの『赤い河』か『トランザム7000』のパクりとしか思えない中古車大暴走、これがやりたくて書かれたストーリーなんだろうなと、容易に想像できますね。 この映画はジョン・ミリアスの企画だったのをスピルバーグ&ゼメキスが引き継いだ形で、二人も初期のころは迷走気味だったんですね。『BTTF』でドク・エメットは、あのデロリアンをこの映画の後でこのカート・ラッセルの店で12,000ドルで購入したと、ゼメキスらの仲間内での設定になっているそうです。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2025-05-15 21:40:00) |
8. フェリーニのアマルコルド
ネタバレ 北イタリアのアドリア海沿岸の町リミニで生まれ育ったフェリーニが、自分の少年時代の思い出を虚実取り交ぜていわゆるフェリーニ・ワールドに仕立てた映画ですね。彼は1920年生まれですから、その当時はもろにムッソリーニ・ファシスト政権時代となります。「この映画はファシスト政権時代を賛美している、けしからん!」とイデオロギーの眼鏡をかけてしか映画を語れない評論家が当時いましたが、こういう程度の低い映画評論家が昔はゴロゴロいましたよ。とはいっても初見の時は「なんか退屈な映画だな、これがアカデミー賞をとるなんてどうなんだろう?」というのが自分の正直な感想でしたが、時がたって観直してみるとこの映画の不思議な魅力に気づけるようになりました。 全体の構成は10分ぐらいのエピソードの積み重ねで、たぶんフェリーニの少年時代的な存在チッタとその家族が主人公となるでしょう。この家庭は父親は建設業で家政婦を雇えるぐらいでそこそこ裕福、でも彼はファシスト政権には批判的でそのせいで酷い目に遭ったりもする。チッタは町のミューズであるグラディスカ(素性は高級娼婦か?)と豊満なタバコ屋のおかみさんに妄想を抱くがグラディスカには相手にされず、おかみさんとはあと少しというところまでいくが、当たり前だが下手過ぎて愛想をつかされて初体験は成就できなかった。このおかみさん女優こそがフェリーニの巨漢女ごのみが具現化したような存在で、数あるフェリーニのフィルモグラフィ中でもっとも強烈な印象を与えてくれるキャラです。ファシスト党のパレードやアラブの王族のエピソードなんかは「これぞフェリーニ!」という感じで、ファンには嬉しくなるところです。チッタの祖父や精神病院に入院している叔父はもちろん、町の様々な住人たちも個性豊かで引き付けられますね。 春の訪れを告げる綿毛の飛翔から始まって母の死とグラディスカの結婚で終わる約1年間の物語でしたが、主人公の成長のような教訓じみた要素はなく、自由奔放に生きる人々の姿に古き時代へのノスタルジーを濃厚に感じさせてくれる味のある一編でした。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2025-05-12 20:50:31) |
9. アントワーヌとコレット
ネタバレ 『二十歳の恋』というトリュフォーの他に四人の監督の短編を集めたオムニバス、他にはアンジェイ・ワイダや(なんと!)石原慎太郎も参加しているそうです。その中の一編となるわけですが、ちゃんと『大人は判ってくれない』とは話が繋がっているので、いわゆるアントワーヌ・ドワネルものの第二作と位置づけられています。 少年鑑別所を脱走した(のかな?)ドワネル君、それから三年後にはパリで一人暮らししながら音響メーカー・フィリップス社のレコード製作工場で働いています。前作でつるんで悪事を働いていた親友ルネも社会人となっていて、相変わらずアントワーヌのそばにいます。音楽会の会場で見かけた女子大生コレットに一目惚れしてしまったアントワーヌは彼女に果敢にアプローチ、自宅に招かれてコレットの両親には気に入られ、調子に乗ってコレット宅の向かい側に引っ越してきます。気を引くような素振りは見せるがイマイチ彼との距離を縮めようとしないコレットにいら立つアントワーヌ君、ある日彼女の家で両親・コレットと食卓を囲んでいると、コレットの本当の彼氏であるアルベールが彼女を迎えに来て鉢合わせ、アントワーヌの恋は無残に終わってしまうのでした。アントワーヌは、コレットの両親とTVを観ながら呆然自失となるのでした… とまあ、尺が三十分ですからこういう他愛のないお話しなんですが、これから本格的に大人になってゆくアントワーヌの波乱の恋愛人生を予感させてくれる感じでした。アントワーヌの部屋に『大人は判ってくれない』のポスターが貼ってあり、トリュフォーの遊び心が見れます。 このオムニバスには他にはロベルト・ロッセリーニの弟やマックス・オフュルスの息子が作品を提供しているのですが、現在ではソフトも見当たらないしCSなどで放映されたという話も聴いたことがない、ぜひ全編を通して観てみたいものです。 [ビデオ(字幕)] 6点(2025-05-09 21:09:17) |
10. 女系家族
ネタバレ 山崎豊子作品の中でも屈指のドロドロ劇だけあって、この映画もまさに超絶ブラックな『細雪』と呼ぶに相応しいストーリーでした。船場老舗の三姉妹、京マチ子・鳳八千代・高田美和のとても血を分けた姉妹とは思えない仲の悪さに加え、三人にそれぞれ愛人・婿・叔母といった後見人というか参謀がついて世間知らずの姉妹を操ろうとするわけです。一見は実直そうな大番頭=中村鴈治郎が遺言執行人であるが、実はこいつが先代存命中から背任横領で私腹を肥しており、そこに先代の愛人=若尾文子が名乗り出てくるという序盤から最悪の展開です。お嬢さん育ちで遊び好きな三女は多少可愛げがあるキャラだが、長女と次女の強欲さと性格の悪さは思わず引いてしまうぐらいです。医者を呼んで若尾文子の妊娠状況を無理やり調べさせるところには、ほんとドン引きさせられますよ。踊りの師匠なのに妙に不動産やら山林に詳しい愛人=田宮二郎もうさん臭さしかないですね。若尾文子だって「私は先代の子供を生んで無事に育てたいだけ、遺産なんていりません!」と言いながらのラストの大逆転、まあ演じているのが若尾様ですからこのままで済むわけないとは判っちゃいますがね(笑)。しかしなんといってもこの映画でいちばん光っていたのは、ちょっと愉しんでるのかな?、と感じるぐらい色々と策略をめぐらす中村鴈治郎の悪番頭ぶりで、名優の力量を感じさせてくれました。まあラストの展開を観れば判る通り、このストーリーは“婿養子の復讐劇”だったというわけですね。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2025-05-07 02:30:08)(良:1票) |
11. 肉弾(1968)
ネタバレ 岡本喜八が予備士官学校生徒で終戦を迎えた実経験をカリカチュアしたいわば私小説的映画であるが、これが『日本のいちばん長い日』の翌年に撮った作品であることには重い意味が込められていると思います。岡本喜八作品は“反戦と明治維新の否定”をモットーとしているが、前年に国家体制の視点で太平洋戦争の敗北を描いただけに、どうしても同じ敗戦をミニマムな個人の体験視線で表現したかったんじゃないだろうか。東宝で最高給の監督にまだ位置していたのに、わざわざ自宅を抵当に入れた私費を投じてまで製作した情念には脱帽です。でもオフビートな喜八節は健在、というより彼のフィルモグラフィ中でもっとも作家性が色濃く出ている作品じゃないでしょうか。彼の人徳のなせる業かとてもATG映画の予算規模じゃ不可能な豪華なわき役陣の顔ぶれもさることながら、やたらと全裸演技が印象に残る寺田農とこれが18歳のデビュー作で瑞々しいヌードまで披露してくれた大谷直子の演技は光っていました。物語自体は終戦間際の昭和20年7月から8月あたりの設定みたいで、海岸が近いということから岡本喜八が在籍した予備士官学校があった豊橋が舞台想定なのかと思います。しかしそんな時空間や設定を吹っ飛ばしたメルヘンチックな異世界のファンタジーの様な世界観には、思わず引き込まれてしまいます。のんびりと飄々とした仲代達矢のナレーションにも味がありました。魚雷に乗って漂流するシークエンスはさすがに冗長感があり、もっと短くしてラストに繋げた方がインパクトがあったんじゃないかとも思います。でもラストのショットには、初見のときは自分も衝撃を受けました。あの幕の閉め方は、『火垂るの墓』のラスト・カットに影響を与えたんじゃないかという気がしてなりません。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2025-05-03 21:47:51) |
12. ザ・スイッチ
ネタバレ 原題の“Freaky”から大林宣彦の『転校生』の元ネタで入れ替わりコメディの始祖である『フリーキー・フライデー』を思い起こされるが、実際のところ製作者は『フリーキー・フライデー』のホラー・コメディのつもりで撮っていたそうで、ご丁寧に当初のタイトルは『フリーキー・フライデー・ザ・13th』だったんだって。シリアルキラーのヴィンス・ボーンの中身がJKになっちゃうというかなり突飛なアイデアなんだが、大男のボーンのおネエ演技がこれまた上手いんだよな。シリアルキラーが入り込んだJKが殺しまくるというのは今までに観たことあるような絵面なだけに、無精ひげ生やした大男のボーンが際立っていたと思いますよ。いくら中身がシリアルキラーだと言っても身体はあくまでJKなんで体力は劣っていて格闘戦では簡単に負けちゃうというところなんかは、確かにそうだよね、って納得してしまいます。中身がJK男の方はお約束の下半身ネタになるわけですが、これは入れ替わりものの定番ですね。ストーリー自体はこれでもジュブナイルを意識したような感じです。それにしてもかなりユルユルな脚本で、とくにラストのヴィンス・ボーンの復活なんかは「これはいったいどうなってるんだ?」と頭を傾げてしまいました。 あの傑作『ハッピー・デス・デイ』シリーズと同じ製作陣なんで期待しましたが、思ったほど才気が感じられず普通のスラッシャー・コメディだったかな思いました。それより早く『ハッピー・デス・デイ』シリーズ三作目を撮ってほしいなぁ… [CS・衛星(字幕)] 6点(2025-04-30 22:09:13) |
13. キングスマン: ファースト・エージェント
ネタバレ この作品は『キングスマン』シリーズの前日譚かと思って観始めたが、こりゃ完全にスピンオフですよね。いきなりボーア戦争で大英帝国がナチスに先だって建てた強制収用所が登場、その後の展開も史実を巧みにフィクション化した小ネタが満載の脚本は、歴史マニアをも唸らせる脚本は秀逸でした。もっともマタ・ハリがウィルソン大統領にハニートラップを仕掛けて脅迫するなんてのは、ちょっと悪ノリが過ぎた感もありますがね(笑)。ヴィルヘルム二世・ジョージ五世・ニコライ二世の三君主をトム・ホランダーに三役で演じさせるというのは、なかなかぶっ飛んだアイデアだったと思います。実際のところ三人ともヴィクトリア女王の孫でいとこ同士、とくにジョージ五世とニコライ二世は双子かというぐらいのそっくりさんだったという史実を上手く織り込んだ演出でした。フランツ・フェルディナンド大公暗殺犯のガヴリロ・プリンツィプと怪僧ラスプーチンやマタ・ハリが闇の組織のメンバーで首領の指示のもと第一次世界大戦を引き起こさせて大英帝国を窮地に追い込むという陰謀論丸出しのストーリーも、実際に起こった数々のイベントを巧みに落とし込んでいるので愉しめましたし、おまけに実はレーニンそしてヒトラーまでもがメンバーだったとは!こりゃあ史上最悪の陰謀組織じゃないですか(笑)。でもそんな組織のボスがみみっちい動機の復讐が目的だったとは、小物感が半端無かったのがちょっと残念でした。でもやっぱラスプーチンがいちばんキャラが立ってましたね、あのコサックダンスを取り入れたようなレイフ・ファインズとの剣の決闘は、この映画の最大の見せ場だったと思います。レイフ・ファインズもリーアム・ニーソン顔負けのアクション・シーンを見せてくれて、新たな熟年アクション・スターの登場だったのかも。マシュー・ヴォーンの演出も前二作の様な羽目を外すようなところもなく、極めてオーソドックスだったんじゃないかな。まあ肩の凝らない愉しめる映画だと思いますよ。このスピンオフもシリーズ化するのもアリかな。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2025-04-27 23:10:00) |
14. 脳内ポイズンベリー
ネタバレ 自分も原作漫画は読んでないけど、脚本書いているのが例の〝原作クラッシャー”として悪名が轟いている相沢友子なので、この映画がどこまで原作のテイストが活かされていたのかはちょっと心配なところがあります。まあとにかく、ヒロインに寄ってくる男たち、早乙女・越智・いちこの元婚約者がそろってクソ野郎なのがひどすぎでした。いちこ「昨日誕生日だったんだ」早乙女「それで幾つになったの?」いちこ「ちょうど三十」早乙女「えっ、三十、そりゃないわ…」こんな返しをしちゃう男はほんとサイテーです、いくら後で言いつくろっても〝三十歳と知って思わず本音が出ちゃった”としか受け取れませんよね。まあこの後のいちこの落ち込みと脳内メンバーのリアクションが、本作でいちばん笑えたところでしたがね。結婚式寸前で違う女を孕ませちゃう元婚約者はもちろんですが、担当作家にガチ恋しちゃう編集者もけっこうヤバいんじゃないかな。脳内会議のメンバーでもやはり目立ち過ぎるぐらいだったのはやはり吉田羊と神木隆之介ですが、自分にはこの演技が上手いというよりウザくしか感じませんでした。いちこがHをするときに現れる〝黒い女”、なるほど快楽に身を預けるときには理性や感情もブラックアウトしちゃうんですね、いちこという女は実はかなり肉食系女子だったんですね(笑)。コメディというよりはかなりシリアスなストーリーなんですが、後半にかけて一昔前のトレンディ・ドラマみたいな雰囲気になっている感じがするんですよね。よく見るとフジTV資本の映画じゃないですか、そりゃそうなるよね。ラストはヒロインがクソ男・早乙女をきっぱり捨ててくれたところにちょっとカタルシスが有ったので、プラス一点を献上します。相沢友子脚本なので、最後はよりを戻すなんていうクソなハッピーエンドになっちゃうんじゃないかと心配でしたよ。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2025-04-24 22:48:12) |
15. 荒野の隠し井戸
ネタバレ 軍の倉庫には金塊が50キロ保管されていたが、隣接する靴職人の店からトンネルを掘り、倉庫番の曹長の手引きによってまんまと盗み出されてしまった。一味の一人が金塊を隠したが、ギャンブラーのジェームズ・コバーンと酒場で揉めて射殺されてしまう。かすめ盗った20ドル札に書かれた地図から金塊の隠し場所に気が付いたコバーンは、町の保安官の自慢の愛馬を奪って隠し場所に向かう。かくしてコバーン・保安官・コバーンに手籠めにされた男勝りの保安官の娘・本来の金塊強奪犯たちが四つもどえになって金塊の奪い合いが始まるのであった。 まったくと言って良いほど無名の西部劇コメディですけど、テンポも良く短い尺の中で二転三転するストーリーはなかなか愉しめました。なんといってもジェームズ・コバーンの飄々としたコメディ演技がシャレてます。バンバンと銃撃するシーンはあるけど、意外なことに序盤でコバーンが決闘で倒す一人の他に死人が皆無というところもイイですね。『OK牧場の決闘』風に各キャラクターの解説や心情を、カントリーミュージックで延々とナレーションするのも洒落ています。音楽担当は若き日のデイヴ・グルーシンで、グルーシンと言えば洒落た雰囲気の音楽というイメージなのにこんなコテコテのカントリーミュージックもできるとは、さすが多才です。クレジットはありませんが、ブレイク・エドワースがプロデューサーとして参加している影響も大きかったのかな。 とはいっても観る機会も少ないほとんどカルト的な映画ですが、観たら決して損はないと思いますよ。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-04-21 23:26:11) |
16. シビル・ウォー アメリカ最後の日
ネタバレ 英国人のアレックス・ガーランドだからこそ、こういう洒落にならないような際どい題材の作品が撮れたのだろうと思います。〝米国で内戦が発生!”というでかいテーマを非常にミニマムな視点でしかもロードムービーとして撮っていますが、しょうじきなんで内戦が勃発する事態に至ったのか現在の情勢はどうなっているのかなどの基本的にオミットしているので、ワシントンDCへと向かう四人の視点でしか情勢が判らないようになっています。反乱軍としてタッグを組んでいるのがカルフォルニア州とテキサス州というちょっと現実にはあり得ないけど、リアルな米国の政治情勢を織り込んで刺激が強くならないようにという配慮があったんでしょうね。だからワシントンに近づいていっても何がどうなっているのかさっぱりで、どうやら政府軍は敗北しそうでそうなったら大統領は殺されることになりそうだということぐらい。その代わりに四人は道中で様々な理由で虐殺された一般市民を見ることになるわけで、まさに合衆国は北斗の拳の世界の様な修羅の国になっているということです。それでも途中には〝国が内戦状態であることを見ない”という現実逃避に走って平穏な暮らしが続いている町もあるわけです。設定では反乱側は全米50州中の19州、つまりいちおう連邦政府を支持する州の方が多いことになっていますが、きっと様子見というか傍観しているだけの国民が多いということなんでしょうね。主人公たちは報道カメラマンにTV記者そしてNYタイムズの記者でいわゆるオールド・メディアの奮闘を描いているとも取れますが、このSNS全盛の時代にはちょっと現実離れしている感も無きにあらずです。見習いカメラマン的な立ち位置のジェシーがニコンのアナログモデルを愛用していて屋外で使用できるキット(そんな優れモノがあったとは知らなんだ)を使用してフィルムを現像するシーンがあるところなんか、監督の意思が伺えたような気がしました。ラストの展開なんかトランプが観たら激怒することは間違い無しですが、さすがにハリウッドではあの写真のショットで幕を閉じるなんてことは、絶対ムリでしょうね。それにしても久しぶりにキルスティン・ダンストの出演作を観た気がしますが、すっかり歳相応のおばさん顔になっていましたね、これはイイ意味での誉め言葉ですけど。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2025-04-19 22:58:47) |
17. シコふんじゃった。
ネタバレ 周防正行の作品には独特の品の高さがあるのが好きです。初期の『ファンシイダンス』・本作・『Shall we ダンス?』の三作の中では自分は本作がいちばん好きで、周防正行の最高傑作なんじゃないかと思っています。大学スポーツクラブ活動を題材にしたテーマにした日本映画は意外と少なく、ましてやミッション系大学の相撲部とくればある意味突飛なアイデアと言えるぐらいです。ほんと、立教大学(教立大学)に相撲部があるなんて恥ずかしながら知りませんでしたし、たしかにイメージし難いですよね。本木雅弘のチャラい軟派な大学生というキャラは前作『ファンシイダンス』からの踏襲ですが、まさにイメージ通りだし二作しかなかったけど周防正行と本木雅弘の相性は抜群に良かったんじゃないかと思います。相変わらず本作でももっともキャラが立っていたのは竹中直人ですが、他の映画ではウザくなるのに周防作品ではかなり(これでも)抑制した演出で光る存在になり、とくに本作は最高でした。他の登場人物もみなキャラが立っており、かつて学生横綱だったという穴山教授=柄本明という、軟弱学生しかいない現実に相撲部存続を半ば諦めているけどここぞというときには自らまわしを締めて的確に指導するという不思議なキャラが光っていました。そして男装して土俵にあがって試合に臨む巨漢女子マネージャー、凡庸な脚本ならこの顛末のてんやわんやをコメディにしてしまうところなんですが、この健気な女子マネージャーの奮闘にはホロリとさせられるような感動が生まれるところが素晴らしいところです。相撲のシーンのバックにジャン・コクトーの文章を被せてくる、こういうセンスも私は好きです。まわしを締めるのを拒否する交換留学生やキリスト教の学校なのに土俵部屋に神棚があるとか、日本文化をさりげなく皮肉る視線も忘れずに盛り込んでいるところも秀逸です。ラストで清水美砂がもっくんと四股を踏む爽快感も、堪りません。 数年前に立教大学相撲部が、周防正行を名誉監督に任命したそうです。やっぱ立教大学相撲部は実在するんだ(笑)。 [CS・衛星(邦画)] 9点(2025-04-15 23:38:36) |
18. 大人は判ってくれない
ネタバレ 記念すべきトリュフォーの“アントワーヌ・ドワネル”ものの第一作。彼はアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)の人生を定点観測のように20年にわたって映像化するという実験的とも言える活動をしたが、同一演技陣を使って12年間の物語を一本の映画にしたリチャード・リンクレイターの『6才のボクが、大人になるまで。』の構想の元になっているかもしれません。考えればリンクレイターは『ビフォア~』シリーズでも同一のキャラの18年間を同じ出演者で撮っているし、けっこうトリュフォーからの影響というかリスペクトが強い印象があります。 どうやら私生児として息子を出産したらしい母親と義理の父親という両親を持つドワネルくん、血の繋がりのない父親はどちらかというと鷹揚なのに母親は常に彼に厳しくあたっている。12歳なのに実は自分は母親が中絶するはずだった子だとすでに知っており、これじゃ険悪な母子関係になっちゃうのも納得しちゃいます。劇中ほとんど喜怒哀楽の表情を見せず何を考えているのか判りにくい子なんですが、家出癖はともかくすでに立派な窃盗常習犯になっています。そんな彼の家庭生活と学校生活が、コンパクトに判りやすいストーリーテリングだったなと思います。ヌーヴェル・ヴァーグ典型のオール・ロケ撮影ですが、クリスマス前のパリの寒々とした風景を捉えるアンリ・ドカエのモノクロ撮影が素晴らしいし、単調ながらもノスタルジーが感じられる音楽もなんか心に染みてくるんです。後半三十分ではドワネルくんは鑑別所送りになるわけですが、面会に来た母親が職員に告げる実子を完全に見捨てる宣言には、ちょっと身も凍る衝撃性があります。最近は日本では〝親ガチャ”なるミームが流行っていますが(ちなみに私はこのフレーズには嫌悪感があります)、でもほんと悲しいことに子は親を選べないというのも真理なんですよね。でも、ラストでスクリーンの向こうにいる観客に向ける目線に「こいつは成功者になるかどうかは判らんが、人生の荒波に飲み込まれて溺死することはないだろうな」という希望を自分は感じてしまうのでした。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2025-04-12 23:15:56) |
19. フランケンシュタイン(1994)
ネタバレ メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』は、学生のころ英文購読の教材だったので読みとおしたことがありました。フランケンシュタインが創り出した怪物が哲学的な語りをすることに、妙に違和感を持ってしまったという記憶があります。原作に忠実に撮ったというこのケネス・ブラナー版を再見して、その違和感が甦ってきました。処刑者の頭部というか脳をくっつけて創られたクリーチャーがやっとFriendという言葉を理解できるぐらいの段階なのに、フランケンシュタインの研究ノートを読解して終いには愛を求めるようになる過程が、いくらフィクションとは言っても不自然な気がします。そもそもシェリーは科学否定的な思想の持ち主だったので、小説の中でもクリーチャーという存在の科学的な辻褄合わせには興味が無かったんじゃないかな。 このケネス・ブラナーの『フランケンシュタイン』は一言で要約すれば“グロいメロドラマ”ということになるのかな。デ・ニーロが演じるクリーチャーは、史上もっともグロいフランケンシュタインのクリーチャーだったと思います。このクリーチャーのパブリックイメージはボリス・カーロフ版であるのは間違いないけど、デ・ニーロのクリーチャーはボロを纏ったホームレスにしか見えないのが難点だな。でも登場時には生々しかった縫い目が終盤にはかなり薄くなっているところが、生身の肉体が素材だけあって妙にリアルです。ヘレナ・ボナム=カーターのエリザベスは、自分的にはミスキャストじゃないかと思います。このエリザベスには清楚な感じが皆無なので、私が抱くエリザベスというキャラとは隔たりがあり過ぎるのも原因かな。ラストで凄まじいメイクの女クリーチャーにされちゃうのはさすがに可哀そうだったかな、そういやティム・バートン作品なんかでも酷いメイクされがちだし、意外と彼女自身がこういうのが好きなのかも(笑)。 『ドラキュラ』を撮ったコッポラが本作ではプロデューサーにまわったわけですが、この作品では監督のケネス・ブラナーの撮り方には満足できずにかなりもめたらしいです。まあもしコッポラが監督にまわっていたら、こんなに音楽過多なメロドラマにはならなかったでしょうね。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2025-04-09 22:33:00) |
20. ジョニーは戦場へ行った
ネタバレ 反骨の脚本家ダルトン・トランボが監督として製作した唯一の作品で、自作の小説の映像化です。1939年に書かれた小説で第二次大戦時と朝鮮戦争の間はその強烈な反戦性で出版されなかったそうですが、大戦中の差し止めは政府による発禁処分じゃなくてトランボ自身の判断によるものだったそうです。当時は共産主義シンパだったトランボがソ連を攻めているナチス・ドイツと戦う米国の戦争努力を邪魔したくなかったからだったのが本心みたいで、主義者にありがちなこういうダブスタはなんか嫌ですね。私はこの映画は史上最恐の反戦映画の一つだと思っています(もう一本は『火垂るの墓』)。初見はたしか中学生の時だったと思いますが、あまりの衝撃に永い間トラウマになって、その後ソフト化されたりして観る機会が増えたけど、どうしても再見する勇気がなかったほどです。 トランボが原作を書いたのは新聞に載ったカナダ軍将校の悲惨な運命に触発されたからですが、実はこの記事は事実を歪曲したほとんどフェイクニュースだったみたいです。でも江戸川乱歩の『芋虫』みたいな人間芋虫みたいになってしまったジョニーの過酷な運命は、考えるほどにこれほどダウナーな気分にしてくれるストーリーはないんじゃないかと思います。手足や顔、そして五感をすべて失ってしまっても生きるしかない人生なんて、身の毛もよだつというよりももはや想像することすら困難です。つまり「肉体を失って意識だけの存在になっても、それは果たして人間と呼べるのだろうか?」という問いでもあり、そうなってしまったらもはや『禁断の惑星』のイドの怪物となんら変わりのない存在なのかもしれません。 現実の病院での監禁生活がモノクロで、過去の思い出や頭に浮かぶ幻想はカラーという演出が効果的です。その思い出と幻想にクロスオーバーするように登場するイエス・キリスト=ドナルド・サザーランドのキャラが秀逸、神の子のくせに誰も救えず単なる黄泉の国への案内人程度の存在なのがキリスト教への強烈な皮肉になっています。けっきょくモールス信号というジョニーが外界とコミュニケーションを取れる唯一の手段を教えてくれたのが、死んだ父親の霊魂だったということも宗教の無力さを強調していたような気がしました。でもそのジョニーがやっと発することのできたメッセージが“SOS”と〝kill Me”だったという結末は、あまりにも悲惨でした… あまり人にお奨めする気にはなり難い種類の作品ですが、死ぬまでに一度は観てこのストーリーが持つテーマを考えてみるだけの価値はあると思います。 [映画館(字幕)] 9点(2025-04-08 12:00:30) |