1. 人間魚雷回天
ネタバレ 人間魚雷回天、個人的には回天は帝国海軍が産み出したもっとも非人道的で悪魔的な兵器だと思っています。人間を爆弾と一体化させるのが特攻だけど、航空機による特攻攻撃は天候不良や接敵失敗で生還というか基地に戻ってくることができる。ましてや航空機は飛行するのがそもそもの目的の機械だが、爆発物そのものである魚雷を人間に操縦させて敵艦に突っ込ませるというコンセプトは、タマも砲弾もまともに揃えることが出来なかった旧軍の、人間をまさに“肉弾”として消費する発想は、さすがのヒトラーも自軍には決して許可しなかったことは重く受け止めなくてはならないんじゃないかな。この回天と純粋な自殺兵器である桜花の正式化を推進したのは、山本五十六が贔屓にしていた奇人参謀である黒島亀人で、この人は戦後ものうのうと生き残り自分に都合の悪い史料を勝手に破棄したろくでなしです。 「命ぜられればなんでも撮る」と言われていた職人監督・松林宗恵が、生涯でただ一作自分から企画を立てて「撮らせてくれ」と会社に談判したのが本作なんだそうです。彼自身も予備士官として海軍陸戦隊に入隊していただけあって、思い入れが強かったんだろうね。製作配給はまだ良心的だったころの新東宝で、この2年前には『戦艦大和』も製作しています。ストーリーは予備士官に志願して回天特攻隊員になった岡田英二・木村功・宇津井健たちの訓練生活から始まります。彼らは早稲田・慶応・明治など六大学出身ですが、中にひとり龍谷大学出身の僧侶の卵だった高原駿雄がいて、これは龍谷大学出で僧籍を持つ松林宗恵の分身みたいな感じですかね。彼らの出撃までの生活は死刑執行を待つ確定死刑囚みたいなもので、その生への執念というか未練はほんと観ていてつらくなります。また予備士官への兵学校出の士官の上から目線の対応も赤裸々で、これも観ててほんと腹がたちます。回天自体は実物大のプロップは使っていましたが、後半の出撃後は母艦の潜水艦も含めてチープな特撮になってしまいます。まあしょせん新東宝ですから致し方ありませんが、同時期の東宝の円谷特撮と比べてしまうと嘆息したしまいます。潜水艦内の描写もまあまあでしたが、司令所でいわゆる木製の操舵輪を使って操艦していたのには唖然としてしまいました。 ラストは木村と宇津井は空母と戦艦を撃沈して散華し岡田艇は浸水して沈んでしまうという結末ですが、史実では回天が沈めたのは駆逐艦と数隻の輸送船だけだったみたいです。出撃の朝、木村功と婚約者の津島恵子が海岸を歩き、戦後二人が結婚して江の島海岸を歩くことを夢想するシーンは、パラソルやビーチマットが並んでいるのに海岸には誰もいないというちょっとシュールな感じですが、ほんとここには泣かされました。 『世界大戦争』にも色濃く漂っていましたが、松林宗恵の作品には滅びの悲劇の中に無常観を強く感じさせられるところが独特です。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2025-07-21 23:54:46)★《新規》★ |
2. 炎628
ネタバレ 『火垂るの墓』なみに数々の映画人からトラウマ戦争映画と評されている本作、これがソ連体制下の独ソ戦(あちらでは大祖国戦争と呼称するそうです)戦勝40周年記念映画として製作されたというのは興味深いところがあります。終戦直後の『ベルリン陥落』や70年代の超大作『ヨーロッパの解放』などなどソ連は時代の節々でプロパガンダ戦争映画を製作していましたが、40周年記念映画としてはそれまでの記念映画とはまったく異なる作風、パルチザンの活躍よりもナチドイツがベラルーシで犯した残虐行為とその非人間性を見せつけることに焦点があっており、そりゃぁ当時のソ連国民だってこの映画を観て気持ちが高揚するわけないですよね。ソ連という国家自体はその後6年で大混乱の渦の中で消滅するのですが、85年というこの映画の製作時には市民社会を締め付けてきたタガも切れかかっていたんじゃないかな。 少年が土中に埋もれていた小銃を掘り出したところを上空で警戒していた偵察機に発見され、彼の村は独軍により住民が大量処刑され少年以外の家族も全滅する。その銃を持ってパルチザンに加わっていた少年は自分のせいで虐殺が起こったと苦悩する。これが前半の大まかなストーリー展開だが、パルチザンに参加する経緯も母親が強く反対するなど昔のソ連映画では考えられないリアルな展開です。とにかく前半はパルチザン部隊で知り合った少女とのシークエンスなど同時代の西欧系映画を真似たような抽象的な描写が多く、これは単に冗長さが増しただけの悪効果しかなかったと感じます。そうは言っても二人が沼を渡るシーン(いやこれトリック無しで撮影してるみたいだし、下手すりゃ溺死しますよ)や、かすかに響く重低音の様な音楽が全編を通じて聴こえるなどが強く印象に残ります。 少年が仲間とはぐれてたどり着いた村で起こる大虐殺になると、ここで雰囲気がガラッと変わります。これは悪名高いユダヤ人・スラブ人虐殺専門組織であるアインザッツグルッペンの悪行を、初めて映画化した試みじゃないかと思います。これは1943年に実際にあった掃討作戦がモデルになっていて、刑務所にいた囚人だけで編成されたオスカール・ディルレヴァンガーの部隊も参加しており、泥酔して残虐の限りを尽くす劇中の兵士たちはこの部隊をモデルにしているんじゃないかな。またヒヴィと呼ばれるナチスに協力したウクライナ人やベラルーシ人がちゃんと登場しているところも興味深い。彼らの存在は旧ソ連では半ばタブー扱いだったからね。この虐殺部隊をパルチザンが全滅させるラストの展開はもちろんフィクションで、実際にはドイツ軍を苦しめたのは確かだがこんな派手な勝利は正規軍じゃなきゃムリです。でもこうでもしないと、当時の観客は暴れだしちゃったかもしれませんね。 テクニカル的にはやたらとカメラ目線での演技と長回し撮影の多用が目立つが、やっぱ粗削りな感は否めないところです。意外と直接的な残虐シーンはほぼ皆無なんだけど、阿鼻叫喚の後半三十分はちょっと頭がクラクラさせられる迫力があります。そしてちょっと可愛らしかった主人公少年の物語が進行するにつれての変わりよう、あの額に4・5本は刻まれた皺、あんなに横皺が出た顔は他に見たことがないぐらいです。 [ビデオ(字幕)] 6点(2025-07-18 22:32:41)《新規》 |
3. デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー<TVM>
ネタバレ 『デンジャラス・デイズ』とは撮影前の『ブレードランナー』のタイトル、こりゃぁセンスが無いなあと正直思ったけど、今や伝説となっている撮影中のトラブル・揉め事を予言していたようで、なんか皮肉が効いています。まあ製作から25年経っているので確執のあった面々も懐かしむかのように冷静にインタビューに答えているが、救いなのかな。この頃には本作はすっかりカルト的な傑作としての評価が定まっていたので、散々ケチを付けまくっていた映画会社や出資者たちも、今やこの作品に関わったことがキャリアの中で輝く勲章になっているけど、今さらドヤ顔してるのにはなんか腹が立つ。とくに700万ドル出資したという二人(ジェリー・ペレンチオとバッド・ヨーキン)が果たした役割は悪い意味で大きかったみたいです。あの有名なユニコーンのシークエンスをカットさせた犯人がこの二人だったみたいです。インタビューでも、ほとんどカネの話しかしてなかった感じで、印象は最悪。 映画中でも言及されているが、やはり『ブレードランナー』は最後のアナログSF映画という位置づけになるんでしょうね。この映画独特の世界線である”夜・雨・煙”は、予算が足りないために昔の映画のオープンセットを使うので粗が目立たないようにするための、リドリー・スコット苦肉の策だったというのは、ちょっと意外でした。でもアナログ技術であそこまでの世界観を見せてくれたスコットのイマジネーションは、やはり驚嘆すべきものだと思います。特撮シーンの試写を観たフィリップ・K・ディックが「一体どうやってこれを創った?私の頭の中を見たのか?」と驚愕しています。あと目立つのは、スコットやショーン・ヤングとの撮影中での確執が有名だったハリソン・フォードが、すっかり穏やかに大人の対応をしているところです。もっともスコットの方もフォードのことを、やたらと“名優・名優”と持ち上げてるのでどっこいどっこいですがね(笑)。英国人スコットとアメリカ人スタッフとの“Tシャツ戦争”のエピソードは、いい歳した大人同士がガキみたいな喧嘩をしていて、ちょっと呆れてしまいます。 ご存じのように『ブレードランナー』は、公開時には惨敗とまでもいかないにしても興行的には振るわない結果に終わりました。やはり“早すぎた映画”だったので、当時の観客にはウケなかったのは当然の帰結だったのかな。私はこの映画の本質は、世界初のSFアート映画だったと思っています。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-07-15 23:47:04) |
4. 蜘蛛巣城
ネタバレ シェイクスピアの原作『マクベス』自体にもその気があるが、この黒澤版『マクベス』はもう黒澤明が撮った唯一のホラーと呼ぶに相応しいんじゃないかな。中世スコットランドの物語が、これほど戦国時代のお話しとして翻案されても違和感がないというのも面白いところです。やはりこの作品は、鷲津武時=三船敏郎と浅茅=山田五十鈴の壮絶という域に達している熱演がすべてでしょうね。三船の役作りというかメイクがこれまた迫力満点で、中盤以降の表情はほとんど眼ギマリ状態なんですよね。こいつも物の怪の一員じゃないかとすら思わせる山田五十鈴、最後には発狂してしまうんだが序盤の三船に主君殺しを唆す件なんかを観てると、まだ発作を起こすまでには進行していないけどすでに狂いだしていたんじゃないかとすら思えます。富士山麓に建造された蜘蛛巣城のセットがまた凄いですねえ、このセットは麓の御殿場市内からも見えたという巨大さだったそうで、もしこれが現存していたら重要文化財級の映画遺産だったと思います。黒澤明は特撮を使った撮影が嫌いで円谷英二とは疎遠だったみたいですが、本作では初めて彼と仕事をともにしたそうです。特撮を使ったシーンなんてあったっけ?と首を捻りましたが、終盤の蜘蛛出の森が城に迫ってくる映像が特撮だったんじゃないかと推察します。原作のバンクォーに相当するのが三木義明=千秋実になるのですが、マクダフに相当するキャラが登場しないので、原作で魔女の「女の股から生まれた者にはあなたを殺すことはできない」という予言の方はオミットされています。鷲津武時は最後に城主や三木義明の遺児が参加した軍勢に攻められて悪事が露見して味方に討ち取られてしまうわけですが、攻め手側のストーリーがまったく語られていないところは、自分にはちょっと不満でした。まあこれには尺が長くなるという配慮があったかもしれません。 とにかくこの映画は、「女は怖い」という一言に尽きますね。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2025-07-12 22:29:06) |
5. バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2
ネタバレ ついに製作40周年!このシリーズをリアルタイムで観ていた人々は私を含めてみなおじさん・おばさん(いや、おじいさん・おばあさんかな?)となってしまい見返すたびにノスタルジーに浸ってしまうんですが、彼らの子や孫たちもが虜になってしまうのが名作たる所以です。真に面白い映画は何年たっても色褪せないモノなんです。 PART2になっていよいよパラレルワールド要素がぶち込まれてきて、ある意味複雑なストーリーになってきました。開幕から前作のラストと綺麗に繋がっていて、ここで初めて“未来に帰る”という矛盾した言い回しの意味が通じるようになるわけです。それを思うと、“バック・トゥ・ザ・フューチャー”というタイトルを考えたロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルは、第一作を撮る前からこの三部作の構想を持っていたんじゃないかな。もっとも本来PART2とPART3は一本の映画だったけど、配給会社の要請で二本の映画になったそうですけどね。その後に続編やスピンアウト作品が撮られなかったこともあり、史上もっとも成功した三部作映画として伝説となったと言えるでしょう。タイムトラベルものって必ずいろいろと粗があるもんだけど、そこを勢いというかいかにスピーディーな展開で押し切れるかが評価の分かれ目、その点では本作は満点に近いんじゃないかな。ビフがスポーツ年鑑を元に賭けに勝ち続けるという展開も、良く考えたら歴史の改変に繋がって試合の勝敗も変わってくるんじゃないかと思うけど、まあそんな固いことは言いっこなしです。でも20世紀のすべてのスポーツの試合結果が載ってる本にしては、あまりにペラペラ過ぎてそっちの方が気になって仕方がありません(笑)。ドクが過去に吹っ飛んでしまってデロリアンなしのマーティはどうするのかと思いきや、まさかまさかの展開、このアイデアには脱帽しました。 2015年の未来世界からさらに10年が過ぎた現在、この映画で描かれたテクノロジーの中では家電関連はかなり予言としてはいいセン行ってたんじゃないかな。でも『JAWS19』だけは大外れでした(笑)。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2025-07-09 20:24:27) |
6. カサンドラ・クロス
ネタバレ この映画は今も昔もパニック映画ジャンルに分類されていますが、どうみてもポリティカル・スリラーと呼んだほうがしっくりします。キャスティングはそれなりに豪華ですがハリウッド映画ではなく、プロデューサーはカルロ・ポンティ(ソフィア・ローレンの旦那さん)でイタリア・西独資本で製作されたヨーロッパ映画です。 けっこう雑な脚本だけどストーリーは起伏に跳んでいて細かいことを言わなければまあまあ楽しめるんじゃないでしょうか。WHOを襲撃したテロリストが米軍が秘密裏に研究していた細菌に感染し、この男が逃げ込んだジュネーヴ発の国際列車が舞台になるパンデミック・スリラーという感じでしょうか。新型コロナのパンデミックを経験した現代の眼からすると、この映画の感染症感染に関する描写は、50年前の製作ということは判っているけど甘いとしか言いようがないですね。この映画の真の恐怖は、未知のウイルスじゃなくて政治的な陰謀なんだということはお判りいただけるでしょう。かつて強制収容所で妻子を殺されたユダヤ人=リー・ストラスバーグが登場するように、この列車の存在自体とその行き先からこれがホロコーストの暗喩になっていることが理解できます。こういう捻ったプロットの映画は、当時のハリウッドでは製作は難しかったんじゃないかと思います。当初オファーがあったカーク・ダグラスが役を譲った盟友バート・ランカスター=マッケンジー大佐は、決して良心の呵責が無いわけじゃないけどそれを押し殺して任務遂行に励む軍人を、観ていて息苦しくなる好演だったんじゃないかな。どう見たって神父には見えないO・J・シンプソンや、まるで70年代のリーアム・ニーソンといった感じで活躍する高名な医学者らしさが皆無のリチャード・ハリスなど、『タワーリング・インフェルノ』を彷彿させる様な豪華スターの使い方だったとおもいます。まだ若々しかったころのマーティン・シーンも、善玉側として活躍する展開になるかと思いきや、あっさり退場させられるけっきょくはヘタレキャラでした。ラストの鉄橋崩壊はけっこうチャチな特撮でしたが、相当数の乗客が悲惨な死に方をして川面に死体が浮いているシーンはやっぱ強烈、こういうところはいかにもヨーロッパ映画らしいところです。実際のところ、アメリカでは、このあたりのシーンはカットされてソフト化されたそうです。 初見のときにも感じた疑問がまたリピートしてしまいました。この列車はジュネーヴ発ストックホルム行きという設定なんですが、途中を鉄道フェリーなどでバルト海を横断しない限り、冷戦下の東欧諸国だけじゃなくソ連領内を通過してやっとたどり着つことになるんですけどね。冷戦真っ最中にそんなことが可能だったのか非常に疑問です。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-07-07 09:28:07) |
7. 光る眼
ネタバレ オリジナル版は尺が80分弱という中編だけど、あの英国映画らしい独特な雰囲気が好きな作品です。ジョン・カーペンターは12歳の時に観てやはり感銘を受けたそうです。彼にとっては『遊星からの物体Ⅹ』に次ぐ50年代SFのリメイクとなりますが、本作は彼の発案ではなく純粋な雇われ監督だったみたいです。 観比べてみると、確かにオリジナルと展開やエピソードはほとんど一緒で、カーペンターが監督を引き受けるときに、これは簡単な仕事だと思ったというのは判る気がします。それでも加えられた展開もあり、いちばん大きい改変は“光る眼チルドレン”の中で一人だけ人間性の芽生えが起こって生きのびるというところでしょう。またオリジナル版では最後まで“光る眼チルドレン”が出現した理由付けが示されず曖昧のまま終わったのに対して、冒頭で怪しげな靄が町を包むし死産して保存されていた胎児の姿がまるでモンスターで、もろに地球外生命体からの侵略のイメージを観客に持たせるところで、ここら辺は何でも勢いで撮っちゃうカーペンターらしいところです。もっともあの胎児は、カースティ・アレイ演じる女医が胎児を取り上げるときに殺したと考えることもできますね。実はこの映画がクリストファー・リーブが乗馬事故前の最後の出演作で、それを知るとちょっと悲しくなります。ラストのクリストファー・リーブが“光る眼チルドレン”もろとも自爆して果てるのはオリジナル版と一緒ですが、オリジナル版のあまりにチャチな特撮と比べると気合いが入った大爆破で、これはカーペンターのフィルモグラフィ中でもっとも派手な爆破炎上シーンじゃないかと思います。 本作はラジー賞にノミネートされるなど概して評判が悪いのですが、自分にはそこまで酷評されるのが理解できないし、カーペンター映画の中でも腰を据えた撮り方だったと感じます。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2025-07-06 21:48:57)(良:1票) |
8. マイ・フェア・レディ
ネタバレ 初めてスクリーンで観たミュージカル映画が、リバイバルされたリプリント版でした。もう豪華さに圧倒されて映画館を出たときはなんか頭がボウッとなってましたよ。初めて見たミュージカルが本作で本当に良かったなと、しみじみ思います。私の中では今でも“I Could Have Danced All Night”がミュージカル楽曲の最高峰の位置づけです。 ブロードウェイのヒット・ミュージカルの映画化ですけど、映画としては当時主流になりつつあったダンスを前面にフューチャーしたミュージカルが主流になりつつある中で、ダンスシーンがほぼ皆無で楽曲で勝負するという、あえて時代に逆行するような舞台を意識した王道回帰だったと言えるかもしれません。舞台版の鉄板主演女優だったジュリー・アンドリュースを使わずオードリー・ヘップバーンを起用した経緯はけっこう有名ですが、個人的にはヘップバーンの歌が吹き替えだったと知った時には、ちょっとショックでした。『ウエスト・サイド物語』の時のナタリー・ウッドほどじゃ無かったけど、やっぱヘップバーンもカチンと来たみたいですね。まあこれは事前に了解をとっていないというのが問題で、今じゃ到底あり得ないことです。この歌唱の吹き替えという手法は今や絶滅したと思いますが、現在のハリウッド・スターたちは吹き替えが必要ない芸達者が多くなっているのは感慨深いです。おかげでヘップバーンはオスカー主演女優賞にはノミネートすらされませんでしたが、本作での彼女の弾けたようなコメディ演技はもっと評価されるべきだったと思います。それにしても、舞踏会に登場するときの彼女の神々しさは凄かったな、撮影現場でもスタッフは思わずみな拍手したそうです。 このストーリーは、『フランケンシュタイン』のプロットをミュージカルにしたものだと良く言われます。ヒギンズ教授がイライザに上流階級の話し方を教えて人間改造しモンスターを産み出した、という論法なのですが階級が違うと話す英語も体格も違ってくるという独特の事情を風刺しているとも捉えられます。しかし、極端に傲慢でミソジニストなブリカス紳士であるヒギンズを、逆にイライザが改心させて真人間に近づけるという、いわば“逆フランケンシュタイン”的な二重のストーリーになっているとも言えるんじゃないでしょうか。そういう視点からは、フェミニストが観れば激怒間違いなしのレックス・ハリソンの演技が素晴らしかったことは、忘れてはいけませんね。もっとも実際のハリソンも、ヒギンズ教授に似通った個性の持ち主だったそうですけどね(笑)。 [映画館(字幕)] 9点(2025-07-03 22:25:11) |
9. ノーマ・レイ
ネタバレ 社会派マーティン・リット監督の渾身の力作、彼の卓抜した演出力によってそれまでハリウッドでも目立たない存在だったサリー・フィールドに演技開眼させて、彼女にオスカー主演女優賞をもたらしています。彼はハリウッドのレッド・パージで業界追放された面々の一人だけど、ダルトン・トランボと比べても過小評価され過ぎだったんじゃないかと思います。アカデミー賞も『ハッド』で監督賞と脚色賞にノミネートされただけだし、本作も作品賞にはノミネートされたのに監督賞では無視、まだまだメジャースタジオがハリウッドを牛耳っていたころだし、やはり彼の社会派的な作風が嫌われていたんじゃないかな。 南部の紡績工場で、両親とともに働くシングルマザーのノーマ・レイ=サリー・フィールドがヒロイン。現代ではこんな紡績産業は米国には存在しないんじゃないかと思うけど、驚かされるのはその工場内の機械騒音の凄まじさ、おかげで事務所以外の工場内ではみな大声を張り上げて会話をしている。だからこそ、会社から追いつめられたノーマが”ユニオン”と書いた札を掲げて机に上がり、それを見つめる工員たちが一人ずつ機械を止めてゆき工場内が遂に静寂が訪れるあの名シーンが生きてくるのですよ。NYから来た組合オルグのルーベンも、確かにノーマを利用するだけの感はありましたが、好意を抱くようになりながらもノーマには手を出さず、無教養な女と侮っていたノーマから何かを学ぶことができたラストの別れも良かったです。また途中でノーマと再婚したボー・ブリッジス、ルーベンとノーマの関係を疑っても可笑しくないのに、イザコザはありながらも最後までノーマを支えるイイ人でした。 現代でもブラック企業問題は深刻ですけど、「働く側にも選択の権利がある」と自分が壊れてしまう前に転職することが一般的なアドバイスですが、たしかに職場の選択肢が少ない50年前のアメリカの田舎では労働組合が唯一の助け船だったのかもしれません。逆に言うと、働き方自体がここまで多様化した現代では、労働組合活動の意義が大きく変質してしまったんじゃないでしょうか。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-06-30 22:14:46) |
10. 海外特派員
ネタバレ 1940年公開の作品ですが、撮影自体は前年の39年で欧州では第二次世界大戦がもう始まっている時期ですね。この映画のプロット自体はもちろん架空なんですが、戦争勃発を防ぐための協定だとか平和継続のための党など、すでに起こっていたリアルな大戦とはかけ離れた設定で、陰謀を巡らす敵対国がドイツ第三帝国なのはミエミエなのに、劇中ほとんどでドイツのドの字も出てきません。ヒッチコックは努めて政治的な要素を盛り込みたくなかったからなんでしょうが、敵対国が躍起になって聞き出そうとしている秘密協定の条文が国際情勢にどういう影響があるのかはさっぱり理解不能でした。ストーリー展開自体は後のヒッチコック・スタイルとなるハラハラ・ドキドキのギミックはてんこ盛りで、風車のくだりや塔からの転落シークエンスなどがとくに印象深かったですね。でもこういうサスペンスありきの脚本なので、とくに塔上で主人公を殺そうとして返り討ちに遭う殺し屋の設定は不自然さがあり、ここら辺がヒッチコック作品群の弱点なんじゃないかと思います。後半になるとコメディ的な要素が希薄になってゆき、飛行艇撃墜のシークエンスになると完全にアクション映画ですね。特殊効果にはウィリアム・キャメロン・メンジースが参加しており、ヒッチコックにしては珍しいVFXが重要な要素となっている映画でもあります。これはプロデューサーの意向が反映したんじゃないかと思いますけど、冒頭のテロップやラストの主人公の愛国的な放送などは、時局柄しょうがなかったのかもしれませんがプロパガンダっぽくってなんか鼻じらみます。でもこの映画が全米公開されたのが40年8月、まさにバトル・オブ・ブリテンが始まったときで、前年に撮影した映画でドイツ空軍のロンドン空爆をラストに予言した格好になったのは感慨が深いです。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2025-06-24 21:02:46) |
11. アムステルダム
ネタバレ 私はデヴィッド・O・ラッセル監督作とはどうも相性が悪いみたいだけど、本作はどう見ても失敗作だと言えるんじゃないでしょうか。キャスト陣はけっこう豪華で、冒頭にはあの世界の歌姫テイラー・スウィフトが出てくるんでびっくり、しかも鼻歌みたいな感じではあるけどアカペラで一小節歌わせるんだから、こりゃ贅沢です。しかしあっという間に車の下敷きになって退場、こっちのほうがよっぽどサプライズかな(笑)。この映画の特徴を一言で要約すると、「癖のあるストーリーを癖のある俳優の演技で語らせた映画」ということになるかな。大体からして「この物語の大部分は実話である」という冒頭のテロップからして怪しいもんで、明らかに真逆でほとんどがフィクションでしょう。こういうコーエン兄弟の『ファーゴ』を真似たアイロニーめいた遊びって、何が面白いんでしょうかね。お話自体は1930年代の戦間期のアメリカを巻き込もうとした陰謀を暴くというのが基本線なんですが、アヴァンギャルドを狙ったスリラーなのかそれともコメディなのかがはっきりしていないので観ていてもどかしい。クリスチャン・ベイルは体型こそ変えていないがほとんど怪演と言ってよいほどの熱演なのは判りますが、さすがにちょっと癖が強過ぎ感は否めません。このバート・ハロルド・ヴァレリーの関係は『明日に向かって撃て!』の三人の様な、友情と恋愛感情が入り混じった不思議な人間関係ということなんだろうな。デ・ニーロは大御所らしく良いところ全部持っていったキャラですが、彼としては可もなく不可もない演技という感じでした。しかし最後まで判らんかったのはこの映画のキーワードだった“アムステルダム”で、たしか『キル・ビルvol.1』でも使われていたけど、アメリカ人にとってはオランダのアムステルダムにはサブカルチャー的なモノがあるダブルミーニングなのだろうか? [CS・衛星(字幕)] 5点(2025-06-21 21:57:22) |
12. 台風家族
ネタバレ いきなり銀行強盗シーンから始まって、2千万円握りしめてなぜか霊柩車に乗って逃げる藤竜也。彼は稼業が葬儀屋なので霊柩車は商売道具だったと判るが、けっきょく逃げおおせて月日は過ぎて10年の時効を迎える。10年目の時効成立の日に、無人となっていた実家に葬儀を行うために四人の子供たちが集まって一緒に失踪した母親も含めての葬儀を行うが、本当の目的は実家を整理して遺産を分割することだった。この兄妹の長男が草彅剛、彼の演技を久しぶりに自分は観たけど、実にいい俳優になりましたね。この仲の悪い兄妹の中でも突出して性格の悪い男を好演しています。彼のせいで遺産分割交渉は決裂、弟と妹はさっさと帰ろうとするが、家から出ようとすると謎の来訪者や新しい揉め事が起こって解散することができない。ここら辺を見ていると不条理劇的なシュールなストーリーなのかと思ったが、そういう展開にはなりませんでしたね。この映画は中盤からバラバラになっていた兄妹家族の絆の修復というありがちなストーリーテリングになってゆくのですが、そうなってくるとシュールっぽいストーリーなら目立たなかった荒唐無稽な伏線などの粗がどうしても気になってくるのです。例えば遅れてやってきた末弟が実は隠しカメラを仕込んでネットで生中継していたというシークエンスなんかも、これって伏線としては面白いけどこの映画のストーリー自体には何の関係もないんじゃない?という感想になってしまうんですよね。まあこれは、前半と後半では全然違うジャンルのストーリーになっちゃったという、最近の日本映画でありがちな傾向じゃないでしょうか。 この映画は、次弟役の新井浩文がやらかしたせいで危うくお蔵入りになりかけた作品でしたね。新井浩文は脇役専門ながらけっこう存在感を感じさせる役者だったので意識していましたが、本作が実質的に引退作となってしまいましたね。まあ彼は実刑判決くらって収監されてしまったんだから芸能界追放は致し方ないとは思うけど、出演作までとばっちりを受けてしまうのはどうしたもんでしょうか。こういうのって、ほんと日本映画業界の悪習だと思いますよ。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2025-06-18 22:32:25) |
13. マッド・シティ
ネタバレ まずは警備員をクビになって勤め先の博物館にショットガンを持って怒鳴りこんでくるジョン・トラボルタが、彼としてはなかなかの好演です。なんかこのキャラを見ていると、『サタデー・ナイト・フィーバー』のトニー・マネロが15年後に警備員になっていたという感じがするんだよな。なんで館長に抗議するのに銃とダイナマイトを持って来たのかまず意味不明、これじゃあ抗議というより脅迫じゃないですか。なんかもう自分でも何をしたいのか判らなくなっているちょっとおつむの弱い男という感じ、こういうキャラはなんかトラボルタの演技パターンに凄くマッチしているんじゃないかな。この映画の凄いというか呆れるのは、この事件に関係してくるマスコミや警察関係者がみなろくでなしばっかりだというところです。地方に左遷された大手ネットワークの報道記者であるダスティン・ホフマンも、この事件現場に偶然居合わせたのを僥倖と捉えて、ちょっと足りないトラボルタを操ろうとしてきます。ところどころでトラボルタに同情して助けようとするが、自分のネタをコントロールしようとする記者本能には抗えない。またマスコミにコントロールされている様な軽薄な大衆にも反吐が出そう。米国の大衆は事件や犯罪が起こると、自分たちに危害がないならお祭り騒ぎをしたがる傾向が先進国ではもっとも強いんじゃないですか。こういう民度の低さをこのストーリーは強烈に皮肉っています。解決まで何日費やしたのかは判りにくいが、ホフマンと初期に解放された二人以外はみんな博物館に閉じ込められていたのに、人質たちに疲労困憊の風がほとんどなかったのはちょっと不自然かな。ずっと人質の小学生が、異様に高いテンションだったのには笑ってしまったけどね。でも現実なら、あれだけ隙だらけのトラボルタならさっさと射殺しちゃうのがリアルな米国なんじゃないかな、そこは話を引っ張るためのちょっとムリがある脚本のような気がしました。 恐ろしいのはインタビューでトラボルタとは無関係な人を知人のように語らせたり、インタビュー自体を切り貼りして印象操作するマスコミの手口というか常套手段を見せつけてくれるところです。これは日本の地上波放送でもよく聞く話で、やっぱ昔親に言われていた「TVばっかり観てるとバカになるよ」は、真実だったんだな。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2025-06-15 21:18:13) |
14. 質屋
ネタバレ かつて大学教授だったユダヤ人のソル=ロッド・スタイガーはアウシュビッツ収容所で妻子や血族と友人を殺されたが一人生き残り、今はNYのハーレムで質屋を営んでいる。アウシュビッツのトラウマに悩まされながらもカネしか信じないを信条にしてシビアな商売に徹しているが、実は質屋商売はハーレムの黒人ボス・ロドリゲスのマネーロンダリングの隠れ蓑なのだった。 いやはや、この映画のロッド・スタイガーの演技は度肝を抜かれるレベルです。幸せで髪の毛ふさふさだった頃の若々しいソルと、必要最小限しか喋らない陰鬱な質屋の親父となってしまったソルのギャップが痛々しいんです。その質屋の店内もやたらと金網で仕切られていて、その中にいるソルは未だに収容所に閉じ込められているみたいな感じです。唯一の店員であるプエルトリコ人のヘススにも、せっかく彼なりにソルを慕っているのに恐ろしくそっけない塩対応。「あなたはどうして腕に番号の刺青をしているんですか、ひょっとして秘密結社の会員なの?」と聞いてくるぐらいホロコーストに無知なヘススに商売の秘訣を尋ねられ、「まず、数千年が必要だ。その間古臭い伝説以外何も頼れるものはない…」とユダヤ人としての苦悩を語っているうちに声を荒らげてしまう、この映画で初めてソルが感情を表したシーンでした。そもそもヘススという名はJesusのスペイン語読みで、ラストでヘススがソルの身代わりのようになって死ぬのも、まるでイエス・キリストの最期みたいだし、ショックを受けて伝票刺しに自分の手のひらを突きぬかせるソルの行動も、十字架に磔にされたキリストみたいな感じです。ソルはアウシュビッツでも死なず「俺を殺せ!」とロドリゲスに反抗しても死ねない。もう生きる希望もないのに死にたいのに死ねないソル、「お前が生きたいと思った時に殺してやる」というロドリゲスのセリフのなんと残酷なことか… 実はアメリカ映画で初めてホロコーストをテーマにし、そして裸のオッパイが初めてスクリーンに映されたのがこの映画なんだそうです、実際のところ全然エロくはなかったですがね。まだヘイズコードが睨みを利かせていたころですが、ハリウッドとは縁遠かったNY派のシドニー・ルメットならではの快挙(?)だったんでしょうね。 [ビデオ(字幕)] 8点(2025-06-12 21:47:00) |
15. 西鶴一代女
ネタバレ 一時期スランプに陥っていた溝口健二と田中絹代が、見事に復活を果たしたと評される名作です。1952年の映画ですが、大蔵貢に買収されてボロボロになる前の良心的だった頃の新東宝の製作で、東宝が配給しています。 そこそこの良家の娘で御所勤めしていたお春=田中絹代は歳をとった現在は夜鷹にまで身を堕としてしまった。羅漢像の顔面を眺めている内にそれが過去に関係した男たちを思い出していき、そこからお春の波乱万丈の半生が回顧されるのでした。最初に人生を躓くきっかけとなったのが若侍との道ならぬ恋、その若侍を演じているのがなんと三船敏郎で、まずびっくりです。すでに『野良犬』や『羅生門』には主演していて黒澤明の秘蔵っ子になりつつある時期ですが、三船が溝口健二作品に出演していたとは知りませんでした、もっとも溝口映画出演はこれっきりでしたけどね。まあお春と関係した罪を問われて斬首されるいわばチョイ役でしたが、何度観ても別人としか思えない風貌でした。そこからのお春の人生はツキがまわってきて幸せになれるかと思えば不幸が襲ってきて煉獄に突き落とされる、まさにこのループが延々と続くジェットコースター人生です。お春の父親もけっこうな毒親で、いやはや娘を食い物にして生きているとしか思えません。お春も単純な幸薄女ではなくて、要所要所で身分不相応な贅沢をしたり手のひら返ししてきた恩人に復讐したり、けっこうしたたかな面も見せます。映像は溝口スタイルの長回しの多用、そしてお春の過去シークエンスではミディアムショットで押し通し、演者もバストショットが最小限でアップショットでは撮らないというところが徹底しています。尺が残り三十分を切ったあたりで回想が終わり冒頭の夜鷹生活に戻りますが、そこからの展開はまさしく溝口演出の独壇場で、本作が海外でも絶賛される所以だなと思います。 原作というか原案はご存じ井原西鶴の『好色一代女』ですが、かなり原作のタッチを変えた溝口健二ワールドといった感じに仕上がっていると感じます。同じ西鶴の『好色』ものとしても、増村保造と市川雷蔵の『好色一代男』とは全然雰囲気が違います、もっともこっちのほうが西鶴の浮世草子の破天荒さを反映していると思いますがね。やはり“夜の女”を描かせたら溝口健二はピカイチだったと言えるんじゃないでしょうか。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2025-06-09 22:14:13) |
16. 華麗なるギャツビー(2013)
ネタバレ “世界で唯一ピンクのスーツを着こなせる男”ジェイ・ギャツビー=ロバート・レッドフォード版から約40年後に、彼の功績を継いだのはレオナルド・ディカプリオでした。ディカプリオはロバート・レッドフォード版が製作された1974年生まれ、これも何かの因縁ですかね。 『ムーランルージュ』のバズ・ラーマンが撮ったのでちょっと期待しましたが、ギャツビー邸の乱痴気パーティーのシークエンスは意外なほど短く、そしてラーマンにしては大人しげだった印象があります。そういったミュージカル的な要素は最小限で、ガッツリとドラマ部分に注力したって感じです。このころのディカプリオ演技に嵌まりこんでいたというか力み返っていた頃なので、熱演ではあることは否定できないがあの眉間に皺を寄せる表情だけはなんか鬱陶しくなっちゃいます。脚本自体もギャツビーの悲恋物語という要素が強くなっています。デイジー=キャリー・マリガンは74年版のミア・ファローより遥かに良かったかなと思います。ミア・ファローのデイジーは最後にはギャツビーを冷酷に見捨てた嫌な女という印象でしたが、キャリー・マリガンは最後まで社会的な地位を捨ててギャツビーのもとに走るかの葛藤に苦しむデイジー像だったんじゃないかと思いました。 レッドフォードの74年版とは上映時間はほぼ一緒なんですが、本作の方がダイジェスト感は希薄で掘り下げた物語になっていたと思いますよ。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-06-06 22:40:25) |
17. 青島要塞爆撃命令
ネタバレ 第一次世界大戦で起こった青島要塞攻略戦は、この大戦で日本が唯一経験した陸戦でかつ日本とドイツが戦った史上これしかない地上戦でもあります。日露戦争での旅順戦の経験がまだ記憶に新しい時期でもあり、陸軍は慎重に攻囲戦を進めて大した損害もなく二か月で要塞を陥落させています。要塞に籠っていたドイツ兵はわずか五千人に過ぎず、補給線が切れた要塞は所詮は陥落するのが運命であり、ドイツ本国も死守させる気はなく捨て駒みたいな存在でした。 日本映画では多分唯一の第一次世界大戦の日本軍を題材にした珍しい映画です。若宮丸という輸送船に黎明期の航空機を積んで要塞攻略戦に参加したという史実を元にして、そこに虚実織り交ぜて『ナバロンの要塞』風の戦争アクションに仕立てたという感じです。やはりこの映画の見どころは実物大のプロップまで製作したモーリスファルマン機の見せ方でしょう。まるで凧にプロペラを付けたような頼りない複葉機で、向かい風になると地上の列車に抜かれるぐらいのスピードしか出ず、1000メートル上昇するのに三十分もかかる様な代物です。二機編隊で飛ぶときにラッパを吹いて意思伝達をするところなんかは、「ほんまかいな」と思ってしまいますがライト兄弟の初飛行からまだ11年しか経っいない頃ですからあり得る話でしょう。対するドイツ軍が運用するのはルンプラー・タウベという単葉機、確かにこっちのほうが遥かに軽快ですよね。ここまでは史実通りなんですが、日独機が空中戦をするのは完全なフィクション、実際には両機は二時間も追っかけっこしたけどけっきょく互いに射撃する機会はなかったそうです。 後半の要塞攻撃シークエンスは完全なフィクションですが、完全な『ナバロンの要塞』調の特殊部隊作戦ですけどけっこうスリリングな展開となっています。ディティ―ルにはそれなりの拘りは見られますが、第一次世界大戦初期でのドイツ兵のシンボル的なプロイセン型ヘルメットを、お馴染みのドイツヘルメットにピッケルを付けて再現しようとしているのは苦肉の策だったのかな。あとよく判らなかったのは中国人スパイ(なのかな?)役の浜美枝の中途半端なキャラで、あまりに尻切れトンボの脚本なので彼女の正体はなんだったのか気になって夜も眠れません(笑)。 青島のビスマルク砲台は加山雄三&佐藤允の活躍で無事に爆破成功となるのですが、もちろんこれはフィクションですが青島攻略戦における海軍活躍自体がそもそもフィクションなんです。史実では海軍は青島戦では海上封鎖が任務でしたが港内のドイツ東洋艦隊にはまんまと脱出を許し、この時に逃した軽巡エムデンは太平洋で大暴れをして戦史に名を残すことになるのです。陸軍は二百三高地で有名な28糎砲まで使って砲撃で要塞を粉砕し、映画にあるような突撃で大損害を出すことなく勝利しています。やっぱこのころはまだ、“海軍優秀、陸軍無能”というステロタイプな旧軍感がはびこっていたからなんでしょうね、その方が観客に受けたんでしょう。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2025-06-03 23:22:03) |
18. 歓びの毒牙
ネタバレ ストーリー自体はけっこう破綻している感は否めないが、監督デビュー作としてはまあこんなもんでしょ。映画スタイルとしてはイタリアン・ジャーロの王道パターンにはきっちり嵌まっているけど、その映像美には「さすがアルジェント!」と唸らされるところはありました。音楽担当はエンニオ・モリコーネ、アルジェントとのコンビは初期作だけなんだけど、なんか雰囲気が違うんだよな…アルジェント映画=音楽担当ゴブリンというイメージが自分には刷り込まれているんだろうな。この映画では原題にもなっているように“鳥”がトリックというかモチーフになっているんだけど、種明かしされても「そんなことどうでも良くない?」ってのが正直な感想です。やっぱアルジェントだけに“鳥”じゃなくて“虫”に拘りたかったんじゃなかったな?まあ駆け出しの身だしいきなり自分の趣味を押し通すのはムリだったんでしょう(笑)。他にも、普通はこれは伏線だろ?って描写があるけどストーリーには全然寄与しないところがあるのは、この映画の大きな難点です。脅迫電話の録音から「この二回の電話をかけてきたのは、同一人物じゃない」なんて苦労して解明するけど、それが事件の結末にはちっとも関係していないんですからねえ。思ったよりエロもないしジャーロ要素も薄目だし、“ダリオ・アルジェントの初監督作”という惹句がなければ忘れられたB級作品だったんだろうなと思います。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2025-05-30 22:41:03) |
19. スーパーフライ(1972)
ネタバレ 実は『黒いジャガー』のゴードン・パークスが監督した映画だと私はずっと勘違いしていまして、メガホンをとったのは息子のJrの方でした。親父のゴードンは調べてみると写真家、詩人・小説家、音楽家とけっこう多才な人物だったみたいで驚きました。息子の方は飛行機事故にあって80年代まで生きのびることは出来なかったのは残念でした。 この映画は、麻薬の売人として成功した主人公がなぜか足を洗って引退するために最後の大勝負に挑むというのがストーリーですが、いくら70年代とは言っても倫理観の欠片もないお話しには辟易とさせられます。まるで煙草のようにコカインを吸いまくる登場人物たちには、観ているほうが感覚を麻痺させられそうです。これは当時のハーレムの実態だったのかもしれませんが、当時の観客だった青少年には悪影響を与えたことは十分考えられます。確かにカーティス・メイフィールドの音楽はしびれるほどカッコよいけど、歌詞はもう滅茶苦茶ダークで引いてしまいます。「俺たち黒人は今まで虐げられてきたから、反社会的な行動をしても許されるしそれがカッコよいんだ」という驕りが透けていて、とてもじゃないけど共感出来ません。まあ大したアクションもなく典型的なB級ブラックスプロイテーション映画だと思うんだが、『死ぬまでに観たい映画1001本』に選出されるなど近年に評価が高まっているそうな。比べるのもなんなんだが、同時期の東映ヤクザ映画の方がよっぽど出来がイイと思いますよ、こういう麻薬に甘い米国の大衆文化はほんと困ったもんです。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2025-05-27 23:06:48) |
20. リバー、流れないでよ
ネタバレ 京都・貴船の老舗旅館「貴船ふじや」と言えばけっこう有名な宿ですけど、そこを舞台にして貸し切り状態で撮影とはなんと贅沢なことか!驚くことにヒロインを務める藤谷理子は「貴船ふじや」が実家なんだそうで、そりゃあのびのびとした演技が出来たんじゃないかな。数えちゃいないけど2分間のループが三十回はあったと思いますが、とくに前半は1ループを基本ワンカットで撮っているので、狭い旅館内で動線を確保するのも大変だったろうと思います。 最近邦画でも一ジャンルを形成しているいわゆるタイム・ループものですが、その中でも本作は貴船が舞台なだけあってかなりファンタジー色が強めで、自分としては満足できる良作だったと思います。いわゆる“起承転結”の“承”にあたる、ループ状態にあることに気づいた客や従業員が状況を受け入れてゆき諦めの境地になってゆくパートは、なかなかセンスの良い脚本だなとおもいます。そりゃあ熱燗がいつまで経っても出来上がらず、延々と閉めの雑炊を食べなきゃいけないとなれば、そりゃ参りますよね(笑)。中盤の“二分間ループ・デート”あたりのミコトとタクのやり取りは胸キュンもので、いちばんファンタジー味が感じられるところでした。 冒頭から「あれ、このひと乃木坂の久保史緒里じゃね?」というキャラが登場して途中から全然ストーリーに絡まなくなったと思ったら、なんとまさかのタイム・パトロール(?)、しかも乗ってきたタイム・マシン(?)がまるで屋外用家庭サウナとしか見えない代物で燃料がビールでもOK、そういや『BTF』のデロリアンも飲みさしのジュースや生ごみで動いていたし、まあこれもアリかな(笑)。タイム・ループものは所詮は荒唐無稽なんだから、下手に理屈っぽくならないほうが愉しめるというものですよ。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2025-05-25 13:44:26)(良:1票) |