1. 蹄の悪魔
ネタバレ ホラーとして怖くはないが教訓的なのは悪くない。自分のやれること・やりたいことは何をやってもいいと決めつけて恥じない連中に罰が下るのはいいことだ。 また突然アニメになるのも悪くない。お母さん鹿が泣いているなどアニメならではのことで哀れを誘う。実写の場面では木が2本立っているのがいい風景だった。 ところで細かく考えるとよくわからないところもある。序盤でいきなり①「狩りは過ち」という台詞が出るので狩猟全部を非難しているのかと思ったが、実際には②狩るにしても「森の掟」は守れということで、禁止の範囲に広狭の差があるように見える。 このうち①は、単に欧米流の「動物の権利」思想に迎合したようでもあるが、あるいはスリランカでは仏教徒が多数派とのことで、不殺生戒のようなものが共通認識として国民に行き渡っているのかも知れない。子ども時代の主人公が殺生をためらっていたのは、人には本来仏性が宿ることの表現だったとか。 また②に関してはそれと直接関係なく、森の中に昔からいる超越的な存在が決めたものだろうが、自然の世界も弱肉強食で殺生自体は常にあるわけなので、生命維持のための狩猟は人間にも認められて当然といえる。ただし人類の場合は生命維持に関わらない趣味的な殺生もありうるため、生物種の存続が危機にさらされないよう歯止めが設けられてきたということか。 現地の事情はよくわからないが、少なくともセイロン島の先住民は狩猟採集の民だったそうで、昔はここでいう「森の掟」を守って暮らしていたかも知れない。主人公は①人間世界の倫理など無視すれば済むと思っていたが、②人外のものが定めた法は仮借なく冷酷だったようで、これは伝統的な宗教道徳が力を失った現代でも、自然に宿る霊力はまだ侮れないというようでもある。 なお「ハンターの家系」というのが単一の家系なのか一族なのか不明だが、主人公の子孫に関していえば、息子を連れてこなかったことで負の連鎖が絶たれたかも知れない。骸骨の数からして主人公の先祖だけが死んできたわけでもないようで、狩猟を好むイギリス人の骨も多数あったとかいうなら面白いと思った。 ちなみに一般論として殺生はよろしくないが、人里にクマが出た場合は駆除もやむを得ない。近年ではクマが川を下ってどこまでも来て、市街地にまで入って来るのではたまったものでない。猟友会には感謝している。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-05-31 20:29:47)《新規》 |
2. うらぼんえ
ネタバレ 芸能プロダクション「テロワール」が主催する「短編映画ワークショップ」で制作された映画である。他の短編も見たことがあるので見覚えのある役者が出ている。 題名は盆行事のことなので、物語としても死者と生者の関わりを扱っている。日本古来の祖霊信仰とは直接関係ないようだが、とりあえず死者も生者も安心できる結末だったらしい。終盤の逆転は驚くほどのものではないが悪くない。 素材からするとジャンルはホラーになるだろうが、実際それほど怖がらせる気はないらしい。当初からかすかな不穏さがあって「ちょっと怖いですよね」という台詞もあるが、全体としては微妙にユーモラスで若干の不思議感のある映画ができている。 ほか主人公が絵画教室の講師ということで、映像中の水彩画の色彩感が特徴的だった。また人物関係では序盤で「あさちゃん」の挙動が少し面白いので目を引いた。その他いろいろ考えて作ったところもあるようで、なかなか見ごたえのある佳作と思った。 以下ネタバレ: ・絵画教室の人々は、人気画家(加藤休ミ)のTシャツを着ているとかドローンを駆使するなど現世の動向をちゃんと追っている。けっこう楽しくやっていたようだが最後は主人公と一緒に行ったと思われる。 ・「ムカサリ絵馬」が物語にどう関係するかは少し考えさせられた。主人公の絵は単純に現実を描いただけで本来の意味からすると裏返しだが、「あさちゃん」の絵が自分と主人公を描いたとすれば死者同士ということにはなる。役者の年齢で20歳以上離れているので年の差婚かと思ったが、魂であれば見た目の年齢差などは関係なく、純粋な心の問題になるのかも知れない。 ・主人公の母親は他の人々と境遇が違っていたらしい。例えばよく言うように自害した人物は成仏できないとかいう事情があって、全部わかっていながら現世にとどまっていたということか。息子をいつまでも自分のもとに置きたい思いはあっただろうが、最後は嫁に息子を取られた形になったようで、全体的にはハッピーエンドでもこの人だけは寂しい結末だったかも知れない。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-17 20:58:23) |
3. I Just Wanted to See You ~誰かに見られている気がする~
ネタバレ 世評としては主人公が荷物を置いたまま去ったことが話題になっていたようだが、個人的には上戸彩の父親が犬というCMを思い出す映画だった。脚本・監督は日本で活動するイギリス人だそうである。 まず題名のうち日本語の副題のような部分は変だ。曖昧な「誰か」ではなく特定の不審者であり、また「気がする」どころか明らかにつきまとわれている。話しかけたりせず逃げて警察に通報するのが適切だ。 【1】また内容的には結局何が言いたいのかわからない。監督インタビューに書いてあることがテーマとすると主人公の心の問題ということになるが、しかし主人公本人がこれまで何を思って生きてきたのか想像させる描写は特になく、今回の行動も単に本人の直情的な性格(または映画的な作為)によるものでしかないようで、見る側として共感するところが全くない。短い映画なら短いなりにちゃんと中身を詰めておかないとスカスカの印象になるという例かと思った。 【2】それとは別に、そもそも不審者がかつて日本を去った理由が不自然である。手紙の文章は多少変な日本語ではあるが、この程度書けるなら「美幸」くらいは問題なく書けるだろうと思うと、日本人としては男に対する不信感しか生じない。要はいい加減な理由をつけて一度は逃げたが、今回また来て嘘くさい演出で母子を欺こうとしているのではないかと思わされる。 実際の経過がどうだったのかを適当に考えると、例えば外国人は日本で女性に不自由しないとの噂(むかし言われた「イエローキャブ」)を聞いた男が英語講師とかの名目で来日し、避妊の配慮もなくやりまくったため子ができてしまい、それで一時は父親気分になったが結局逃げたということではないか。母親役の実年齢からすると、17年前は20歳になるかならないかだろうから恨みも深いと思われる。 今回また来た理由に関しては、題名の英語部分を信じるなら単純に会いたかったからということになるが、実は自国で行き詰ったか何かの事情があって、改めて母子を食い物にするため来日したとも考えられる。よくいえば、そういう不埒な目的で来る外国人を戒める映画と取れなくもないが、悪くいえば、日本人はこの程度で簡単に騙せる連中という表現のようでもある。 もしかすると日本人を相当舐めてかかった映画でないのかと思ったが、しかし点数は一応良心的に、上記【1】を想定した数字にしておく。 [インターネット(邦画)] 2点(2025-05-17 20:58:22) |
4. 編集霊 deleted
ネタバレ 映画の編集作業に焦点を当てた業界ホラーで、「女優霊」(1995)以来の制作現場モノということらしい。ちなみに「録音霊」(2001)というのもあったが音楽業界の話だった。関係ないが「劇場霊」(2015)は演劇である。 登場人物は編集助手、アシスタントプロデューサー、俳優2人の若手が中心で、その他スタッフに編集霊本人も含めた全員が映画関係者だった。どの程度リアルか不明だがお仕事映画の雰囲気があり、「順撮り」「バレモノ」といった業界用語も紹介している。まめに差し入れするのも業界文化の一端か。さすがに枕営業の話はなかったらしい。 ホラーとしてはそれほど怖くないが特殊メイクや造形物の気色悪さはあり、また突然の音で笑わせる場面が多い。 題名の編集霊は、編集時に特定場面を削除した者(指示した者)の顔を削いでいたので編集霊というより削除霊かと思った。ビジュアルとして公開されている能面のような顔は実は表層で、その下に本当の顔があるということになっている。面が剥げるのと顔を削ぐのは相似関係のようだがちょっと意味不明で、これは何か本人のこだわりがあったと思われる。 また映画の台詞を言ったら消えたというのもちょっと意味不明だが、これは長い台詞を覚えて最後まで言うと助かるという意味か? 都市伝説によくある対抗手段として使えるものかも知れないが(口裂け女でいうポマードなど)覚えるのが大変そうではある。とりあえず編集助手の人が無事でよかった。 物語的には、前向きに仕事している若い連中にはなるべく死んでもらいたくないと思っていたが、結果的には一番軽薄そうな1人がやられてしまっていた。編集霊の望みが劇場公開だけなら観客に被害が及ぶとも限らないが、しかし現実問題として4人も死ねば公開困難であり、以後も関係者が死に続けることが考えられる。公開を安請け合いした男はどこまで生きていられるかわからないが、とりあえず編集助手の人が無事ならいいことにする。 全体的にちょっと意味不明な点もあるが、個人的には本来こういう気楽なホラーが好みなので悪い点数はつけられない(劇中映画も多分似たようなもの)。なお序盤の台詞で「レンタルDVDほぼ壊滅」で「配信」などに頼ると言っていたのは現在の実態のようで、確かに自分も映画を見るのはほとんど配信になっている。地元の映画館を応援しなければと思うがなかなか行けない。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-03 23:00:39) |
5. 黄龍の村
ネタバレ 登場人物が変に多いと思ったが初めからグループ分けはできている。村に来た連中は明らかにテンションの違う2組に分かれていたが、迎えた側でも1人だけ胸の谷間を見せないことで微妙な差をつけていた。 後半の戦いではあえて格闘戦のアクションにこだわったようで、こういうのを作りたい監督だったらしいと想像させる。全体的には展開の意外さが面白いだけのようでもあるが、さっさと死ねと思わせる連中が全部死滅したのは悪くなかった。 なお撮影場所は埼玉県秩父郡小鹿野町のあたりだったらしい。橋を渡って山道を行く隔絶山村のように見せておきながら、普通に舗装道路が通っていて「通学路につき最徐行」という看板が出ていたのがとぼけた感じだった(わざとか)。 その他雑事: ・監督インタビュー記事を読むと、日本にある謎の慣習をぶち壊したかった、というようなことが書かれていて、それが一応のテーマということになるらしい。しかし理不尽な因襲を憎む者は現代だけでなくいつの時代にもいたわけなので、自分らより上の年代層を見境なく害悪と捉えて敵に回さない方が無難と思うが、若者受けだけ狙った映画とすればそんなことはどうでもいいのか。ちなみに最近は「老害」だけでなく「若害」という言葉もできているようで、年代層による社会の分断が進んでいるらしい。 ・題名は結局意味不明だったが、監督によれば無意味であるから深読みするなとのことで、そこに突っ込んではならないことになっているようだった。突っ込めば突っ込めるが書かない。 ・ちゃんと血抜きをしていたのは少し感心した。そういう風習なのか。 [インターネット(邦画)] 3点(2025-05-03 23:00:37) |
6. 6時間 (2019)
ネタバレ 冒頭に映画学校のロゴが出る。日本国内では2020年の「なら国際映画祭」の学生映画部門で上映されているので学生が作ったものらしい。題名以外の文字情報は英語/ラテン文字で書かれて世界向けになっている。 最初に姉(レナ)が何を考えていたかはよくわからないが、一応の説明としてはスラブ人の慣習である「戦士の葬式」をすると死に対する姿勢が変化するという噂があり、これを信じて決行したことになっている。例えば姉は都会で働くビジネスパーソン(経営者?)で、さらなるステップアップを目指した自己改革の試みというようなことだったか。 しかし実際やってみたところがそういう結果というよりは、妹(字幕はオリガ、台詞では愛称のオーリャ)との人間関係が劇的に改善されて終わっただけに見える。これで所期目的が達成されたのかは不明だが、自分本位で人を振り回すタイプだったのを見直すきっかけにはなったかも知れない。個別の映像の意味も不明だが、例えば尿の温かさは生きている証拠、松の若木は新しい人生の始まりの象徴だったとか。 なおホテルで妹のいる部屋と隣室の窓を並べて見せていたのは少し面白かった。隣室の2人が姉妹の本来望まれる姿を表していたようでもある。 登場人物としては、姉は顔だけ見ると細身そうな感じだが、実は皮下脂肪が厚いようで寒さに強いのではと思った。ただ寒いは寒いだろうから腹を出して寝るなと言いたくはなる。また妹は、姉に名前を呼ばれて何!(Что! / Shto!)とドスのきいた声で答えたのは少し笑ったが、その後に眠れずそわそわしている姿は印象的だった。朝の場面では、姉をどつく前に一瞬溜めを作っていたのも面白かった。 ほか現地の風景はいい感じだった。土が凍っているというのはツンドラかと思わせるが、姉妹がいたホテルは首都中心部から南西100km程度の場所にあり、極北の地というわけでもなく大都市圏の郊外である。このHOTEL “PINE RIVER”は、現地語ではダーチャホテルという触れ込みなので、都市住民の別荘である「ダーチャ」の気分で泊まれるコテージということかも知れない。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-04-26 13:40:43) |
7. 6時間 (2015)
ネタバレ 南米チリの映画である。場所は首都サンティアゴで大都市らしい高層ビルも映る。原発事故の映画ということで、短時間だが派手な映像効果も入っていた。原発は首都のすぐ近くにあるという想定だったようだが、チリは幅が狭いので隣国も大変なことになりそうだ。 なお劇中ビデオ映像の右上に出ていたのは日付だろうが、26-04-13と27-03-15の二通りあるのは意味があったのかわからない。チリの習慣では日・月・年の順だとすると2013年または2015年の話ということか。 ドラマとしては、原発の爆発時刻が迫る中での人間模様と主人公の心境変化を描写していたらしい。しかし特に何ということもない話が延々と続き、しょうもない場面を背景音楽で盛り上げようとするのは冷める。また何かと唐突な展開で、特に瀕死だったはずの男がいきなり性暴力というのでは真面目に見るのがアホらしくなる(「恋空」の病人か)。そういうのはもういいから結末だけ見せろという気分だった。 そもそも基本設定からして適当な感じで、何をどうすればそういうことが起きるかまともに考えたのかも怪しい。印象が似たものとしては2014年公開の核実験の映画があるが、この映画では核実験と原発事故を区別する気がないようでもある。秒単位でカウントダウンしていたのは、6時間前の時点で秒単位の予測ができていたという意味なのか。 結果的に南米チリの映画を見たという意義はあったが、それ以外はほとんど得した気がしない映画だった。関係ないが「大阪最後の日」(2013)でも見た方がいい。 ちなみに実際はチリに原発はないらしい。今世紀初めに導入を検討したことがあったが、2011年の東京電力の原発事故を受けて国民の反発が高まった結果、2012年の世論調査では国民の84%が原発に反対という記事もあった。この映画もそのような世情を背景にした社会派的な意味があったと考えられなくはない。 [インターネット(字幕)] 3点(2025-04-26 13:40:42) |
8. 怪獣の日
ネタバレ YouTubeにもあるがU-NEXTで見た。世間ではシン・ゴジラとの関係で受け取られているようだが、単純に怪獣映画として見た場合に問題なのは、劇中政府にとって保管施設の建設に何の得があるのか不明なことである。また主人公が、怪獣であるからにはどういう危険があるかわからない、という点にひたすらこだわっていたのもあまり説得力がない。 しかし見ている側が頭の中で、怪獣→原発と完全に読み替えれば言いたいことはよくわかるので、要は怪獣映画の形を借りた社会批判の映画という方が実態に合っている。製作時点ではまだ2011年の原発事故が記憶に新しかっただろうから、こういう映画を作るのはけっこう度胸が必要だったのではないか。 この映画では「原発」を「怪獣」の姿にした上で、地方に突然降ってきた原発立地の話を海洋生物の漂着(ストランディングstranding)に喩えている。悪くないと思ったのは地元民の描写であって、突然国から押し付けられたことへの対応をめぐり、立場や考えは違ってもみなそれなりに地域社会のことを考えていたが、住民が何を言っても考えても結局は落ちるところに落ちるしかないという無力感も出していた。町長も気の毒な立場だったように見える。 また「建屋」という言葉が原発事故の報道でよく出ていたこともあり、個人的には単純に原発の新設を扱った話なのかと思っていたが、しかしU-NEXTの映画紹介を見て、なるほど高レベル放射性廃棄物の処分地選定でも今後こういうことがありうるわけだと気づかされた。候補地の皆さんは心してこの映画を見た方がいい(「100,000年後の安全」(2009)も見た方がいい)。 なお2025年の現在でいえば、地域環境への影響が懸念される大規模な再エネ発電施設(洋上風力含む)も同様ということになる。グローバルな社会正義が武器にされるのは困ったものだ。 [付記1]動物の死体は「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」第6条の2第1項の規定により市町村が運搬、処分しなければならない。怪獣ともなると劇中の町単独では厳しい負担だろうが、劇中政府はその費用について同法第22条などにより町を支援するわけでもなく、代わりに交付金(原発の立地交付金のようなもの)を餌にして迷惑(有害)施設を押し付けたらしい。いわゆる飴と鞭ということだ。 ちなみに、ただのクジラの場合なら2023年の大阪市による処理費用が8019万(海洋投棄)、2024年の大阪府の費用が1507万(埋設)という事例があるが、大阪市が高すぎだと批判されていた。 [付記2]単純に怪獣映画として見た場合、この映画の怪獣はクジラに手足がついたようなものだったらしいが、これは1954年のゴジラが「海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物」だという説明の「爬虫類」を「哺乳類」に変えたようでもある。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-04-19 12:55:17)(良:1票) |
9. 大怪獣のあとしまつ
ネタバレ 「怪獣の日」(2014)の前座として見たが、東宝のシン・ゴジラを茶化すために作ったような印象だった。日本人が知力と意思の力で災厄に立ち向かう真面目な話が嫌いらしい。 死体処理という発想自体は「ウルトラマン研究序説」(1991)の頃からあるが、そういう小ネタを長編映画にしようと誰も思わなかっただけと思われる。またそもそもシン・ゴジラのラストから直接思い付くことでもある。 内容的には安手の風刺と寒いギャグでまともに見る気が早々に失せる。政府閣僚のコメディは、舞台劇の観客ならともかく一般人には笑えない。「どですかでん」とは何のことかと思うが劇中群像の比喩か何かなのか(見たことがないので不明)。ウンコで笑うのは小学生、下ネタで喜ぶのは中高生だろうし、また政治を喜劇化して嘲笑するのは昭和(戦後)感覚の人々(どちらかというと高齢層)向けだろうから自分は対象範囲から外れるが、年齢層の上下幅が広いとはいえる。 また最後の締め方も呆れるしかない。謎は解明されたのだろうが、それまで展開していた人間ドラマらしきものの結末が見えない。「御武運を」というのも何の戦いなのか不明だが、次の第2弾でまたヒーローが臭いものを処理させられるという意味か。この監督の映画を見たことはなかったが今後も見ない。 なお公開後に、プロデューサーの「予想以上に伝わりませんでした」という言葉が世間で話題になっていたようで笑わされた。ノベライズを読めば映画を見なくてもわかるらしい。 その他雑記 ・劇中日本では2012年に国防軍が創設されて徴兵制も導入されていたようだが、一方の現実世界では近年のウクライナ情勢に対応して、ヨーロッパ諸国でも徴兵制(兵役)を復活させようとする動きがある。また中立と思わせておいて今さら軍事同盟に加わる国や、最近では基本法(憲法に相当)を改正してまで軍事費増額を図る国もあったりするが、劇中日本はそれよりはるかに先を行っていたことになる。 ・「国民の知らなくていい権利」というのはいわゆる「報道しない自由」とセットになるものかと思ったが、確かに自分に降りかかって来ない限りは知りたくもない人々も一定割合いるので微妙に納得した。 ・全体として政治的な右だけでなく左の一部や近隣国(半島+大陸?)も含めて愚弄する態度だったらしい。いわば国民各層の共感を期待したのかも知れないが、作り手側が高いところからその他全部を見下していたようでもある。 [インターネット(邦画)] 3点(2025-04-19 12:55:16) |
10. ミラーズ 呪怨鏡
ネタバレ 日本でいうコックリさんとかエンジェルさんのようなものを若い連中がおふざけでやっていたら、鏡の中から「スペードの女王」という魔物が出てきて大変なことになったという映画である。ホラーとしては特に怖くもなく、そもそも何が起きたかわからない場面が多かったが、全体的にそれほど悪い印象はなかった。 個人的に気になったのは題名の意味である。邦題は無視でいいとして、英題と原題にある「スペードの女王」(Queen of Spades/Пиковая дама)は19世紀のプーシキンの短編小説、及びそれを原作としたチャイコフスキー作曲の歌劇の名前と同じだが、この映画はそれと全く関係なさそうに見える。 小説の「スペードの女王」は、トランプの「スペードのクイーン」が悪意を象徴するという程度の意味づけだと思うが(岩波文庫版では「悪しき下心」)、一方で現地ではカードの人物が一人歩きする形で、鏡の中から出て来る魔物として語られているらしい(※注)。その実態を単純に取り入れたホラーなのかも知れないが、それにしても世界的に有名な「スペードの女王」を題名に入れておいて、本当に小説と無関係なのかというのが根本的な疑問点だった。 これに関して思ったのは、最後に出た縦長の鏡をトランプのカードに見立てると、そこに顔が映っていた人物(見ていた本人は除く)の「悪しき下心」を鏡が映していたのではないかということである。つまり現地の俗説に合わせてトランプのカードを鏡に変え、その上で小説の意味づけも生かしたのかと思った。 そうだとすると、ラストで主人公はティーンエイジャーになって大人の世界に近づいたが、これまで姉のように思っていた友人が、今後また両親の間を裂く原因になっていきそうなことにどう対応するかが問われる、というようなことか?? わかりにくいが考えさせられる話ではあった。 ※注:子どもたちの「召喚」(ウィキペディア「Детские «вызывания»」などによる) この映画の直接の元ネタは、現地の児童文化として伝わる「召喚」という魔法かゲームのようなものである。これは魔物とか童話の登場人物とか歴史的人物などを現世に呼ぶもので、「スペードの女王」は魔物の代表例らしいが、ほかにシンデレラとかバーバ・ヤガーとかプーシキンとかスターリンなど多種多様なキャラクターが召喚されるそうである。向こうの感覚としては日本の「トイレの花子さん」と同種類似のものということになるらしい。 召還の目的はスリルを楽しむとか、単に存在確認するとか(日本なら家に座敷童がいるか調べるようなもの)、将来のことを尋ねるとか(何歳で結婚できますか、など)、願い事をするなどして面白がることらしい。主に小学生年代の女子グループがやるものだそうなので、この映画でかろうじて該当するのは主人公だけになり、あとの連中は完全に悪ふざけと思われる。さすがに21世紀には廃れ気味のようだが、昔懐かしい風習を改めて思い起こそうとする映画だったか。 ちなみに「スペードの女王」を召喚する場合、扉と階段を鏡に描くというのはこの映画のとおりである。女王が階段を降り切らないうちに階段を消せば来ないそうだが、この映画ではやらなかったので来てしまったことになる。少女の真似して«Пиковая Дама, приди!»と言ってみたくなるが怖いので言わない。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-04-12 20:14:05) |
11. クイーン・イン・ザ・ミラー -女王の召喚-
ネタバレ 「ミラーズ 呪怨鏡」(2015)のリメイクのようで、元映画の脚本・監督を原作者とし(Story by)、題名も元映画の英題にあるQueen of Spadesをそのまま使っている。世界的に有名とも思われない元映画を、何でわざわざカナダまで持って行ってリメイクするかと思うが事情は調べていない。 内容としては元映画と同様、鏡の中から「スペードの女王」という魔物(台詞では幽霊)を召喚したら大変なことになったという映画である。一応ホラー映画だが、元映画と同じく特に怖いところはない。ただ主人公が叫んだ顔が楳図マンガを思わせる場面はあった。 ちなみに映像面で、高層集合住宅の外観を頻繁に映していたのは元映画へのオマージュと思われる。また映像に出たトランプのカードにQ(Queen)でなくD(Dame)と書いてあったのはフランス式だが、これは元映画の原題にあるдама(dama)にも通じる。 登場人物の構成は元映画と同様で、名前も同じか似たものにしている。最も違うのは元映画の父親の役を母親に変えたことで、父親は映像に出て来なかった。 物語としては、登場人物の性別などに合わせて適宜に変えた点も多いが、基本的な筋立ては元映画とほぼ同じである。個別の場面もかなり忠実に再現されていたりして、ここまで元映画に寄せる必要があるかと思う点がかなり多い。 ただ元映画で不明瞭な点や無理がありそうなところを受け取りやすいよう変えたのはよかったかも知れない。例えば主人公の「願い事」というのが何なのか、元映画では素っ気なさすぎて想像がつかなかったが、この映画を見るとなるほどそういう方面のことかと逆に思わされた。また序盤のプールでAEDが出たのはどういう意味かと思っていたら、後でちゃんと生かされていたのでなるほどと思った。元映画のように病院まで行く必要はなかった。 しかしラストの場面の意味は前にも増して難しい。今後は主人公自身が何かの火種になっていくという意味か、あるいは主人公の「願い事」をかなえるべくスペードの女王が何か画策しているのか。元映画も全部わかったような気はしないので、この映画でも実はわかっていないことが多々あったりするかも知れないがまあいいことにしておく。 なお点数は元映画と一応同じにしておくが、元映画にあまりにも寄りすぎのため違う映画を見た気がしない。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-04-12 19:57:50) |
12. スペルズ/呪文
ネタバレ 「ミラーズ 呪怨鏡」(2015)に続く「スペードの女王」シリーズ第二弾らしいが主人公は可愛くない。今回も邦題はどうでもいい感じで付けてあるが、英題と原題には前作と同じQueen of Spades/Пиковая дамаが入っている。監督は前作と代わっているが劇中設定は引き継いでいるので続編的な印象もある。一応ホラー映画だが、前作と同じく特に怖いところはない。 前作は子どもの遊びを題材にしただけの映画だったが今回は少しスケールを拡大し、歴史的に続いてきた呪いの物語に発展させている。呪いの起源になった没落貴族の事実関係を深掘りしているが、通説(前作と同じ)・別の説・校長の見解という3通りの説明が出るので戸惑わされる。ただ最終的に要はこうだろうという結論に落ちるので、その過程を追ったミステリー的な展開ともいえる。 なお今回はその没落貴族(伯爵夫人)の住んでいた屋敷を主な舞台として呪いの発祥地の秘密を暴く形だが、その屋敷が今は寄宿学校になっているという設定にして、少なくとも序盤ではハリー・ポッターシリーズを若干意識していた。いわゆるアナベルのようなのもいて欧米寄りの雰囲気を出している。 物語に関して、今回は「スペードの女王」の召喚目的を「願い事」に絞り、登場人物それぞれの願い事と報いがどうなったかを考えさせる形になっている。「誰かを犠牲にして人は救えない」というのが重要事項だったようで、他人を犠牲にしようとした地味男は、伯爵夫人と同レベルに落ちそうになったが結果的に救われたらしい。一方で自分を犠牲にして人を救った主人公よりも、伯爵夫人が得したかのような結末は残念だったが、これは現実社会の理不尽さの反映ということか。 登場人物に関しては、食欲を減らしたい人物の結末がなかなか印象的だった。現地で米食の習慣があるのか不明だが、白米のようなものと異物(動く)の混ぜご飯という趣向は悪くない。トリの頭も面白かったが、この人本人はけっこうかわいそうだったので面白がるのは気の毒だ。ほか地味男の祖母の件は、もう少し切なさを強調してもらいたかった。 全体として、少し面倒くさいところもあるが娯楽性がなくもなく、見どころもなくはないので悪くなかった。ちなみに宮崎アニメなら最後に全員出て来てハッピーエンドになっただろうが当然そうはならない。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-04-12 19:57:49) |
13. スペードの女王
ネタバレ 19世紀のプーシキンの短編小説、及びそれを原作としたチャイコフスキー作曲の歌劇をもとに制作された映画である。歌劇のように死人を増やして大仰な悲劇にしたりせず、晴れやかな終幕にしたのは好印象だった。 主な3人以外の登場人物は変えられていて、序盤でゲルマンに妙な話を吹き込んだのは友人ではなく古本(なぜか英語版)ということになっている。また歌劇のゲルマンには恋する男と金の亡者の二面があったのを分割し、前者をアンドレイ・ナルーモフ公爵という別人格にして歌劇のエレツキー公爵と兼ねさせたことで、善玉と悪玉をわかりやすく整理したように見える。 本来の主人公だったゲルマンは悪玉専業なので特に共感できるものはなく、一方でリザヴェータ・イヴァノヴナが実質的な主人公に見える。原作にない「鳥の市場」の場面は、この人の境遇を端的に表現するものとして効果的だった。中間点あたりで、この人を間に置いて善玉悪玉が対峙する構図が決定的になったので、これでもうこの人も安心だと先読みできた。 また伯爵夫人の人物像もかなり原作に沿った表現になっていて面白い(横暴)。コメディ要素も結構あり、叔母を頼って伯爵夫人に取り入ろうとした男が、高齢で記憶が確かでない人物に対し馬鹿正直に本当のことを言って叔母に怒られていたのは笑った。ここも原作にある要素を発展させた形になっている。 ほか後半にはなかなかホラーっぽい場面もある。死者の目が強調されていたのと、床に裾の擦れる音で人物が表現されていたのが特徴的だった。 物語としては、カードに関わる呪術のようなものが本当にあったわけではなく、単にゲルマンの頭が変になっただけと思っても通る話ができている。怪しげな古本のCountess R***が、実在の「ラニエフスカヤ夫人」だといきなり思い込むことからして頭が大丈夫かと思わせるが、実際にはその伯爵夫人をはじめ、本にあった3枚のカードのことを知っていたとわかる人物は誰もいなかった。1746年の場面は事実というより本のイメージ映像と思うことにすれば、要は終始ゲルマンの独り相撲だったことになり、オカルトでなく現実寄りの真面目な映画だったと取れる。 結末に関しては、原作の淡々とした後日談も感慨深かったが、個人的にはリザヴェータが幸せになるかが気になっていたので、この映画もかなり喜ばしいラストになっている。「鳥の市場」がこういう形で最後につながったのは正直感動的だった。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-04-12 19:57:47) |
14. おるすばんの味。
ネタバレ 何ということもない話だが悪くない。自分がシングルマザーに育てられたわけではなく、誰かをシングルマザーにしたわけでもないがこういう話には弱いかも知れない。 母親との関係は悪くなかったようだが、しかし一つだけ主人公の心に刺さっていた棘が今回抜けたという感じのことだったか。主人公も自分の子どもを育てることが世代を越えた恩返しだというようなことを言いたくなるが、しかし現代では少子化が進むと同時に、次の世代のために生きようという価値観も通用しにくくなってきているようなのはつらいものがある。 なお同僚がカーネーションを放り投げた場面では、それを主人公が持って帰る展開なのかと一瞬思ったが、なるほど主人公の場合は白でなければならなかったと最後に思い出した。確かに赤白の区別はそういう意味だった。これを見なければ死ぬまで忘れていたかも知れない。ちなみに白いカーネーションの花言葉は「尊敬」「私の愛情は生きている」だそうである。ラッピングを外して花瓶に立てた方がいい。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-04-05 16:11:31)(良:1票) |
15. 鼻炎
ネタバレ 少し前に流行した「ぴえん」という俗語を思い出したが関係ない。 原作を文章で読んだことはないが、かなりくだけた感じの訳文(沼野充義訳)を朗読した動画があったので聞いた。主人公の人物像に誇張はあるだろうが、人間の愚かな面を戯画化してみせたものかという気はした。死んじゃってぴえんとか言いたくなる。 この映画も大まかな流れは同じだが、変更点や追加点にどういう効果を期待したかわからない。また単純に見ていると主人公とオヤジの関係性が不明なため、主人公の奇行の原因を原作と変えたのか(要は妻からの圧迫)と思っていたが、しかしエンドクレジットの役名(英文)で初めて原作同様の設定だったらしいことがわかるので、それならあらかじめ原作を頭に入れてから見るべき映画なのかとも思わされる。監督名が中間あたりで表示されるのもどういう思惑があるか不明だった。 制作に当たっての志のようなものは特に読み取れなかったが、例えばサイズ的に手頃な短編を使って現代風の映像を作ってみただけの習作的なものだったか。あるいはわかる人にはわかる皮肉などが込めてあったとしても伝わらないのでしょうがない。 [インターネット(邦画)] 4点(2025-04-05 16:06:40) |
16. 午後3時の悪魔
ネタバレ 古びた感じの映像は意味不明だが悪くない。ろくな説明もなしに何となく進んでいくのも悪くないと思っていたが、最終的にはわけがわからなすぎだった。 事実関係については仮に次のように思っておく。 ・公園で寝ていた男は多額の借金があってとても全部は返せないので、とりあえず本当に世話になったと思った世田谷区の大澤という人物にだけ返済し、あとは踏み倒した。 ・警備員風の男は別件の取り立てで公園に来たが、金を主人公に取られたと思って追って来た。 ・外国人の男はただその辺にいただけ。当世風のイケメンだったので、主人公は歩道橋上なら目立たないかと思って立ち止まって眺めていたら、向こうが気づいて目が合ってしまい、気まずくなってその後は避けていた。 また主人公の物語に関しては、次のようなことを少し無理して考えた。 ・主人公は、一度は彼氏から金を取り返そうとしてやめていたが、代わりに他人の金を盗んだのでは人の道を外してしまうことになる。結果的にそうならないで済んだのは、いわゆる天の配剤か何かとすれば外国人の男が天使だったとか(根拠なし)。彼氏はまだ返す気があったようだが、取り返しがつかなくならないよう無理のない範囲に止めておけ、という天の警告だったかも知れない(不明)。 ・何となくの不安感が続く展開だったが、最後に登場した母親は呑気な感じで一応安心した。怪我させた相手のことより金の心配ばかりするのはわりと適当な人物の印象もあるが、娘としては嫌いでなかったらしい。あんな彼氏を母親が認めるかどうか不明にしても、娘としてはとにかく見せたかったと思われる。母親もああいう曲は案外好きかも知れない。 そのように一応考えたがやはり全体として意味不明で困る。同監督の新作映画が公開されたようだが、長編でこういう面倒くさいことをやられるのはつらいので見ない。 その他、製作は「九段下プロ」とのことで、映画もその周辺でローカルに展開していたらしい(クソガキの場所は別)。外国人の男の正体を適当に考えると、例えば「ロケーション協力」の二松学舎大学が招聘した研究者であって、しばらく滞在の予定だったが初日は大学周辺をふらついていて主人公とすれ違う場面が多かったなど。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-03-29 20:00:15) |
17. 吸血蛾
ネタバレ [2025/3/24改訂] 横溝正史の金田一耕助シリーズの映画化である。何かの本でエログロ映画として紹介されていたように思ったが、実際見ればそれほどエロくもグロくもなく、隠微な雰囲気などもほとんどない。しかしファッション業界の話なので華やかさがあって、1953年のミス・ユニバースに出た伊東絹子という人(八頭身美人)も特別出演している。映像面では古い洋館(「昆虫館」)の内部が目を引かなくもないが、個人的にはそれよりマネキン(マヌカン)工場の妙な異界感が面白かった。 題名ではガの話かと思わせておいて実はなぜか狼男の話だが、もとが推理小説なのでモンスター映画でもない。狼男の話だとすればガが出ることの方が不自然で、恐らく真犯人が偽装で使ったのだろうがろくな説明もなく、題名にするほどの存在感がガにはない。 なお映像には一応ガが出るが、大型のがパタパタ飛んで迫って来るような恐ろしい場面はないので安心できる。ただホールケーキの上に標本が飾られていたのが嫌な感じではあった。ガの種類に関しては、箱入りの死体の場面はシンジュサン、ケーキの場面はヒメヤママユかと思われる。「昆虫館」の死体の場面は不明だが、地味ながら端正なスタイルのガだった。ファッション業界の話なのでガの美にも注目すべきかも知れない。 物語としては、映画で見た限りではまともに筋が通っているのか怪しい。最後に真相を長々と説明していたが、意外性ばかりが優先されて荒唐無稽な印象しかない。そもそもこの場の台詞だけではほとんど理解できないが、あとで真面目に考えると明らかに説明不足な点もある。動機も単純な殺人嗜好だったとすればかなり安易な設定に思われる。 登場人物では、金田一耕助は半分過ぎたあたりで唐突に格好つけて出る。金田一役の池部良氏に対し、「弓子」役の安西郷子さんがヒロインであればお似合いの美男美女かと思ったらそうでもなく、弓子のお相手は新聞記者の男だったらしい。しかしその新聞記者役が千秋実氏だったのが不可解で、安西郷子さんと比べて見た目の年齢差もあり過ぎなので、これも「パパ」なのかと思った。なお安西郷子さんは洋風美女だが可憐で可愛らしい。また当時20代の塩沢とき氏も若干色っぽい場面がある。 その他雑記として、上野公園での汽笛は音による場所の表現だったらしい。また武蔵小金井とされている場所で、地元在住と思われる人物が「出かけるときはいただがね」「出かけたらしいだよ」と言っていたのはこの辺の方言だったのか。 [DVD(邦画)] 6点(2025-03-24 23:21:00) |
18. 犯された白衣
ネタバレ [2025/3/24改訂] こういうのは何が面白いのかというのが正直な感想である。 この監督の傾向は知らないが、この映画に関しては欲望の解放ということが基本テーマかと思った。性的欲求含みの残虐行為や、神聖なものを汚してやりたいという歪んだ欲望は当時も一部の大衆受けしたかと思われる。ただし個人的には近年のろくでもない流血映画を見慣れてきていることもあり、残虐映像にしてもこれくらいだと奥ゆかしく見えなくもない。かえってリアルでもあるのはさすが芸術だ。 また個々人の私的な事情を絶対化することで、個人を律する社会規範を揺るがしたいとの願望も感じられる。ただしそういう一般論は別として、この主人公の境遇に直接共感できる観客は多くないだろうから訴求力が限定されそうではある。主人公の役名が少年というからには、性的な成熟度が女性5人と明らかに違って見えればもう少し説得力もあったかも知れないがそうでもない。 なお最後に当時の世相を表す音声・映像・新聞が出て来たのはかなり唐突感があった。直接関係なさそうな社会問題まで持ち出して凶悪犯罪を正当化する態度なのかと思ったが、公開時点では実際に学生運動との関係で理解しようとする向きもあったようで、この頃の国民意識としてはそのように思考回路ができていたのかも知れない。時代固有の感覚というのは計り知れない。 ところで役名「少女」に関しても、少年と同年配に見えるくらいが理想だろうがまあ仕方ない。この人物は最初から仏様のような憐憫の目を煩悩男に向けていたのかと思ったが、自分の番になるといきなり天然キャラのおとぼけ戦術に出たようなのは意外だった。最終的にはうまくやったようで幸いだったが、途中段階で縄をほどけと言われて応じなかったのも助かるための適切な判断と思われる。肝が据わった人物らしいので看護師向きか。 なお制作関係者は女性看護師というものによほど恨みでもあるのかと思ったが、それよりもこういうのをいわゆるmisogynyというわけか。そもそも女性看護師が全部天使だと思う一般庶民はほぼいないだろうが、しかし実際に病気になって世話になれば天使に見えることもあるかも知れないので、看護師の皆さんには今後とも使命感をもって職務に励んでいただければと思う。 なお点数は初見時の嫌悪感のままにしておく。 [DVD(邦画)] 1点(2025-03-24 19:30:40) |
19. 君たちはどう生きるか(2023)
ネタバレ 昔の熱量に比べれば枯れてきたようでもあるが、一応の冒険ファンタジー的展開もあって普通に面白く見ていられる。 原作でもない同名の本は年少者向けの道徳読本のようなものだそうで、前に読んだらあまりにまともな内容なので感動というか感激したことがある。この映画は同じ題名で何を表現しているのかと思って見たが、題名の問いに対する答えとして、映画では次のようなものが含まれているかと個人的に思った。 【1】まず、現世を嫌って別世界を夢想するのでなく、現世をよりよく変えていこうとするのが人としての正道であり、そういう前提で自分の生き方を現実的に考えろ、ということかと思った。主人公に関していえば大伯父ではなく父親の後継者になって、技術の平和利用で社会に貢献するという感じのことかと思われる。物語を離れた一般論としてはいいにくいが、要は昔あったような、書を捨て町へ出よう的なことかも知れない。またはアニメの世界に閉じこもって完結してしまうなといったことなど。 【2】もう一つ思ったのは、人の人生は生きた時間の総体を捉える必要があるということである。終わりよければ全てよしというのはまあいいとして、終わりが悪ければ全部ダメとはならない。病気や災害や事故や犯罪や戦争など、早すぎる死とか不遇な死だから人生全体が不幸だったと断定するのでなく、その死の時点までに何をしてきたかにより、結果的に生まれた意味があったと本人が思えば幸せだったことになる。この映画では、塔の世界での出会いによって母子ともそれを確認できた形になっていた。さらに一般化していえば、いつどのように死んだとしても自分の人生に意味があったと思えるよう、悔いのない生き方をしようという意味になるかも知れない。 【3】その他、人間は常に善人でいられるわけでもないが、主人公に関しては庶民の中にある素朴な善意を知ったことで、これに応えていこうとする生き方も期待される。また自分の世界を広げるために友達を作る(異質な者と付き合う)という点は元の本とも共通だったかも知れない。 全体としてはまとまらないが、要はどう生きるかをテーマにそれぞれが考えればいいのだろうと思った。 【その他雑記】 塔の世界はいわゆる来世のようだが、誰かが作ったものという点で、仏教でいう「浄土」のようなものかと個人的には思った(サギも南無阿弥陀仏と言っていた)。しかし仏様が作ったわけでもなく、浄土にしても残念浄土とか失敗浄土というしかないものになっている。住民のうち死者?こそ殺生ができないことになっていたが、飢えたペリカンは餓鬼、肉食インコは地獄の獄卒のようで、それ自体に六界を含むものが浄土ともいえない。 一方でなぜか出生前の魂を生産?養殖?する場でもあったようで、これは良質の魂を現世に供給する意図とすれば前向きな取組みといえなくはない。しかし出荷途中でペリカンに食わせていたのは出生前段階で淘汰選抜していたようでもあり、人の受精時における熾烈な競争と似ているようでもある。人間が作ると来世も現世的にできてしまうのか。 [ブルーレイ(邦画)] 6点(2025-03-22 09:16:00) |
20. インフル病みのペトロフ家
ネタバレ 時間が長い上にわけがわからない。登場人物の関係性を把握するだけで精一杯だったが、あとで公式サイトを見ると人物相関図があったので自分で考える必要はなかった。 世評の通り奇想天外な展開で、奇抜な映像も多いので面白くなくはないが、こんなのにまともに付き合っていられないという気分にもなる。コメディとして笑いの要素も多かったようで、公式サイトには出演者が原作を読んで大笑いしたと書いてあるが、自分としては何が可笑しいのか全くわからない。 個人的に唯一笑ったのは幼少時の主人公が、カナダ選手との乱闘でヘルメットを失くしたのかと聞かれたところだった。言われてみれば確かにそんな時代もあった気がするわけで、やはり自分で覚えていることには反応が違う。ソビエト連邦がかつて宇宙を得意分野にしていた雰囲気も出ていた。 内容について少し真面目に考えると、次のような構成になっていたらしい。 〇本編(2004年)では物語の各種要素が提示される。ここで出て来る変な映像は、主人公については発熱による幻覚(過去を含む)と、幼少時の記憶(1977年)による単なる夢と思われる。元妻関連では本人の性格特性による妄想と、実際に起きた暴力・殺人場面があったらしい。 〇白黒部分(1977年、10月革命60周年)はいわば種明かしのようなもので、本編で無関係と思われた各種要素を、ネヴィヤンスクの雪娘がつないでいたことを説明する。ここは変な映像はわずかで基本的に真面目な展開だが、登場人物が一瞬全裸になる場面があったのは、よく言われるように男は女性を視姦する、ということを女性側もやっていたという表現かと思った。 〇最後に終結部として、死体消失事件のその後を見せていたらしい。 この中にまともな物語があったかどうか不明瞭だが、個人的に思ったのは主人公の家族関係のことだった。主人公が幼少時の新年パーティの記憶に促され、病を押して被り物も持参で息子をパーティに参加させたら、息子も父親同様の体験(※注)をして戻り、それで父子が心を通じ合わせたということか。一方で息子に愛されない元妻の方は狂乱した、というのがこの年末年始のペトロフ家の出来事だったとすれば、父子にとってはハッピーエンド、元妻にとってはバッドエンドだったかも知れない。とりあえず元妻のような危ない人物に息子を任せておけないということはある。 一応まとめると、ネヴィヤンスクの雪娘のおかげで主人公が息子との結びつきをさらに強めた物語ということになるか? わかりにくい話で好きでない。ほかにペトロフ/ペトロワ、セルゲイ/セリョージャといったネーミングにも突っ込む余地がありそうだが長くなるのでやめる。 ※注:西側諸国のサンタクロースと同じように、ソビエト連邦の行事では「雪娘」(Снегурочка)が本物かどうかを子どもらは気にしていたらしい。幼少時の主人公も今の息子も、たまたま発熱していたため雪娘の手を雪のように冷たく感じ、それで本物と信じることができたということではないか。それほど大した思い出でもないようだが子どもにとってはこういうのが大事なのか。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-03-15 16:25:40) |