1. 編集霊 deleted
ネタバレ 映画の編集作業に焦点を当てた業界ホラーで、「女優霊」(1995)以来の制作現場モノということらしい。ちなみに「録音霊」(2001)というのもあったが音楽業界の話だった。関係ないが「劇場霊」(2015)は演劇である。 登場人物は編集助手、アシスタントプロデューサー、俳優2人の若手が中心で、その他スタッフに編集霊本人も含めた全員が映画関係者だった。どの程度リアルか不明だがお仕事映画の雰囲気があり、「順撮り」「バレモノ」といった業界用語も紹介している。まめに差し入れするのも業界文化の一端か。さすがに枕営業の話はなかったらしい。 ホラーとしてはそれほど怖くないが特殊メイクや造形物の気色悪さはあり、また突然の音で笑わせる場面が多い。 題名の編集霊は、編集時に特定場面を削除した者(指示した者)の顔を削いでいたので編集霊というより削除霊かと思った。ビジュアルとして公開されている能面のような顔は実は表層で、その下に本当の顔があるということになっている。面が剥げるのと顔を削ぐのは相似関係のようだがちょっと意味不明で、これは何か本人のこだわりがあったと思われる。 また映画の台詞を言ったら消えたというのもちょっと意味不明だが、これは長い台詞を覚えて最後まで言うと助かるという意味か? 都市伝説によくある対抗手段として使えるものかも知れないが(口裂け女でいうポマードなど)覚えるのが大変そうではある。とりあえず編集助手の人が無事でよかった。 物語的には、前向きに仕事している若い連中にはなるべく死んでもらいたくないと思っていたが、結果的には一番軽薄そうな1人がやられてしまっていた。編集霊の望みが劇場公開だけなら観客に被害が及ぶとも限らないが、しかし現実問題として4人も死ねば公開困難であり、以後も関係者が死に続けることが考えられる。公開を安請け合いした男はどこまで生きていられるかわからないが、とりあえず編集助手の人が無事ならいいことにする。 全体的にちょっと意味不明な点もあるが、個人的には本来こういう気楽なホラーが好みなので悪い点数はつけられない(劇中映画も多分似たようなもの)。なお序盤の台詞で「レンタルDVDほぼ壊滅」で「配信」などに頼ると言っていたのは現在の実態のようで、確かに自分も映画を見るのはほとんど配信になっている。地元の映画館を応援しなければと思うがなかなか行けない。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-03 23:00:39)《新規》 |
2. 黄龍の村
ネタバレ 登場人物が変に多いと思ったが初めからグループ分けはできている。村に来た連中は明らかにテンションの違う2組に分かれていたが、迎えた側でも1人だけ胸の谷間を見せないことで微妙な差をつけていた。 後半の戦いではあえて格闘戦のアクションにこだわったようで、こういうのを作りたい監督だったらしいと想像させる。全体的には展開の意外さが面白いだけのようでもあるが、さっさと死ねと思わせる連中が全部死滅したのは悪くなかった。 なお撮影場所は埼玉県秩父郡小鹿野町のあたりだったらしい。橋を渡って山道を行く隔絶山村のように見せておきながら、普通に舗装道路が通っていて「通学路につき最徐行」という看板が出ていたのがとぼけた感じだった(わざとか)。 その他雑事: ・監督インタビュー記事を読むと、日本にある謎の慣習をぶち壊したかった、というようなことが書かれていて、それが一応のテーマということになるらしい。しかし理不尽な因襲を憎む者は現代だけでなくいつの時代にもいたわけなので、自分らより上の年代層を見境なく害悪と捉えて敵に回さない方が無難と思うが、若者受けだけ狙った映画とすればそんなことはどうでもいいのか。ちなみに最近は「老害」だけでなく「若害」という言葉もできているようで、年代層による社会の分断が進んでいるらしい。 ・題名は結局意味不明だったが、監督によれば無意味であるから深読みするなとのことで、そこに突っ込んではならないことになっているようだった。突っ込めば突っ込めるが書かない。 ・ちゃんと血抜きをしていたのは少し感心した。そういう風習なのか。 [インターネット(邦画)] 3点(2025-05-03 23:00:37)《新規》 |
3. 大怪獣のあとしまつ
ネタバレ 「怪獣の日」(2014)の前座として見たが、東宝のシン・ゴジラを茶化すために作ったような印象だった。日本人が知力と意思の力で災厄に立ち向かう真面目な話が嫌いらしい。 死体処理という発想自体は「ウルトラマン研究序説」(1991)の頃からあるが、そういう小ネタを長編映画にしようと誰も思わなかっただけと思われる。またそもそもシン・ゴジラのラストから直接思い付くことでもある。 内容的には安手の風刺と寒いギャグでまともに見る気が早々に失せる。政府閣僚のコメディは、舞台劇の観客ならともかく一般人には笑えない。「どですかでん」とは何のことかと思うが劇中群像の比喩か何かなのか(見たことがないので不明)。ウンコで笑うのは小学生、下ネタで喜ぶのは中高生だろうし、また政治を喜劇化して嘲笑するのは昭和(戦後)感覚の人々(どちらかというと高齢層)向けだろうから自分は対象範囲から外れるが、年齢層の上下幅が広いとはいえる。 また最後の締め方も呆れるしかない。謎は解明されたのだろうが、それまで展開していた人間ドラマらしきものの結末が見えない。「御武運を」というのも何の戦いなのか不明だが、次の第2弾でまたヒーローが臭いものを処理させられるという意味か。この監督の映画を見たことはなかったが今後も見ない。 なお公開後に、プロデューサーの「予想以上に伝わりませんでした」という言葉が世間で話題になっていたようで笑わされた。ノベライズを読めば映画を見なくてもわかるらしい。 その他雑記 ・劇中日本では2012年に国防軍が創設されて徴兵制も導入されていたようだが、一方の現実世界では近年のウクライナ情勢に対応して、ヨーロッパ諸国でも徴兵制(兵役)を復活させようとする動きがある。また中立と思わせておいて今さら軍事同盟に加わる国や、最近では基本法(憲法に相当)を改正してまで軍事費増額を図る国もあったりするが、劇中日本はそれよりはるかに先を行っていたことになる。 ・「国民の知らなくていい権利」というのはいわゆる「報道しない自由」とセットになるものかと思ったが、確かに自分に降りかかって来ない限りは知りたくもない人々も一定割合いるので微妙に納得した。 ・全体として政治的な右だけでなく左の一部や近隣国(半島+大陸?)も含めて愚弄する態度だったらしい。いわば国民各層の共感を期待したのかも知れないが、作り手側が高いところからその他全部を見下していたようでもある。 [インターネット(邦画)] 3点(2025-04-19 12:55:16) |
4. クイーン・イン・ザ・ミラー -女王の召喚-
ネタバレ 「ミラーズ 呪怨鏡」(2015)のリメイクのようで、元映画の脚本・監督を原作者とし(Story by)、題名も元映画の英題にあるQueen of Spadesをそのまま使っている。世界的に有名とも思われない元映画を、何でわざわざカナダまで持って行ってリメイクするかと思うが事情は調べていない。 内容としては元映画と同様、鏡の中から「スペードの女王」という魔物(台詞では幽霊)を召喚したら大変なことになったという映画である。一応ホラー映画だが、元映画と同じく特に怖いところはない。ただ主人公が叫んだ顔が楳図マンガを思わせる場面はあった。 ちなみに映像面で、高層集合住宅の外観を頻繁に映していたのは元映画へのオマージュと思われる。また映像に出たトランプのカードにQ(Queen)でなくD(Dame)と書いてあったのはフランス式だが、これは元映画の原題にあるдама(dama)にも通じる。 登場人物の構成は元映画と同様で、名前も同じか似たものにしている。最も違うのは元映画の父親の役を母親に変えたことで、父親は映像に出て来なかった。 物語としては、登場人物の性別などに合わせて適宜に変えた点も多いが、基本的な筋立ては元映画とほぼ同じである。個別の場面もかなり忠実に再現されていたりして、ここまで元映画に寄せる必要があるかと思う点がかなり多い。 ただ元映画で不明瞭な点や無理がありそうなところを受け取りやすいよう変えたのはよかったかも知れない。例えば主人公の「願い事」というのが何なのか、元映画では素っ気なさすぎて想像がつかなかったが、この映画を見るとなるほどそういう方面のことかと逆に思わされた。また序盤のプールでAEDが出たのはどういう意味かと思っていたら、後でちゃんと生かされていたのでなるほどと思った。元映画のように病院まで行く必要はなかった。 しかしラストの場面の意味は前にも増して難しい。今後は主人公自身が何かの火種になっていくという意味か、あるいは主人公の「願い事」をかなえるべくスペードの女王が何か画策しているのか。元映画も全部わかったような気はしないので、この映画でも実はわかっていないことが多々あったりするかも知れないがまあいいことにしておく。 なお点数は元映画と一応同じにしておくが、元映画にあまりにも寄りすぎのため違う映画を見た気がしない。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-04-12 19:57:50) |
5. 鼻炎
ネタバレ 少し前に流行した「ぴえん」という俗語を思い出したが関係ない。 原作を文章で読んだことはないが、かなりくだけた感じの訳文(沼野充義訳)を朗読した動画があったので聞いた。主人公の人物像に誇張はあるだろうが、人間の愚かな面を戯画化してみせたものかという気はした。死んじゃってぴえんとか言いたくなる。 この映画も大まかな流れは同じだが、変更点や追加点にどういう効果を期待したかわからない。また単純に見ていると主人公とオヤジの関係性が不明なため、主人公の奇行の原因を原作と変えたのか(要は妻からの圧迫)と思っていたが、しかしエンドクレジットの役名(英文)で初めて原作同様の設定だったらしいことがわかるので、それならあらかじめ原作を頭に入れてから見るべき映画なのかとも思わされる。監督名が中間あたりで表示されるのもどういう思惑があるか不明だった。 制作に当たっての志のようなものは特に読み取れなかったが、例えばサイズ的に手頃な短編を使って現代風の映像を作ってみただけの習作的なものだったか。あるいはわかる人にはわかる皮肉などが込めてあったとしても伝わらないのでしょうがない。 [インターネット(邦画)] 4点(2025-04-05 16:06:40) |
6. 君たちはどう生きるか(2023)
ネタバレ 昔の熱量に比べれば枯れてきたようでもあるが、一応の冒険ファンタジー的展開もあって普通に面白く見ていられる。 原作でもない同名の本は年少者向けの道徳読本のようなものだそうで、前に読んだらあまりにまともな内容なので感動というか感激したことがある。この映画は同じ題名で何を表現しているのかと思って見たが、題名の問いに対する答えとして、映画では次のようなものが含まれているかと個人的に思った。 【1】まず、現世を嫌って別世界を夢想するのでなく、現世をよりよく変えていこうとするのが人としての正道であり、そういう前提で自分の生き方を現実的に考えろ、ということかと思った。主人公に関していえば大伯父ではなく父親の後継者になって、技術の平和利用で社会に貢献するという感じのことかと思われる。物語を離れた一般論としてはいいにくいが、要は昔あったような、書を捨て町へ出よう的なことかも知れない。またはアニメの世界に閉じこもって完結してしまうなといったことなど。 【2】もう一つ思ったのは、人の人生は生きた時間の総体を捉える必要があるということである。終わりよければ全てよしというのはまあいいとして、終わりが悪ければ全部ダメとはならない。病気や災害や事故や犯罪や戦争など、早すぎる死とか不遇な死だから人生全体が不幸だったと断定するのでなく、その死の時点までに何をしてきたかにより、結果的に生まれた意味があったと本人が思えば幸せだったことになる。この映画では、塔の世界での出会いによって母子ともそれを確認できた形になっていた。さらに一般化していえば、いつどのように死んだとしても自分の人生に意味があったと思えるよう、悔いのない生き方をしようという意味になるかも知れない。 【3】その他、人間は常に善人でいられるわけでもないが、主人公に関しては庶民の中にある素朴な善意を知ったことで、これに応えていこうとする生き方も期待される。また自分の世界を広げるために友達を作る(異質な者と付き合う)という点は元の本とも共通だったかも知れない。 全体としてはまとまらないが、要はどう生きるかをテーマにそれぞれが考えればいいのだろうと思った。 【その他雑記】 塔の世界はいわゆる来世のようだが、誰かが作ったものという点で、仏教でいう「浄土」のようなものかと個人的には思った(サギも南無阿弥陀仏と言っていた)。しかし仏様が作ったわけでもなく、浄土にしても残念浄土とか失敗浄土というしかないものになっている。住民のうち死者?こそ殺生ができないことになっていたが、飢えたペリカンは餓鬼、肉食インコは地獄の獄卒のようで、それ自体に六界を含むものが浄土ともいえない。 一方でなぜか出生前の魂を生産?養殖?する場でもあったようで、これは良質の魂を現世に供給する意図とすれば前向きな取組みといえなくはない。しかし出荷途中でペリカンに食わせていたのは出生前段階で淘汰選抜していたようでもあり、人の受精時における熾烈な競争と似ているようでもある。人間が作ると来世も現世的にできてしまうのか。 [ブルーレイ(邦画)] 6点(2025-03-22 09:16:00) |
7. インフル病みのペトロフ家
ネタバレ 時間が長い上にわけがわからない。登場人物の関係性を把握するだけで精一杯だったが、あとで公式サイトを見ると人物相関図があったので自分で考える必要はなかった。 世評の通り奇想天外な展開で、奇抜な映像も多いので面白くなくはないが、こんなのにまともに付き合っていられないという気分にもなる。コメディとして笑いの要素も多かったようで、公式サイトには出演者が原作を読んで大笑いしたと書いてあるが、自分としては何が可笑しいのか全くわからない。 個人的に唯一笑ったのは幼少時の主人公が、カナダ選手との乱闘でヘルメットを失くしたのかと聞かれたところだった。言われてみれば確かにそんな時代もあった気がするわけで、やはり自分で覚えていることには反応が違う。ソビエト連邦がかつて宇宙を得意分野にしていた雰囲気も出ていた。 内容について少し真面目に考えると、次のような構成になっていたらしい。 〇本編(2004年)では物語の各種要素が提示される。ここで出て来る変な映像は、主人公については発熱による幻覚(過去を含む)と、幼少時の記憶(1977年)による単なる夢と思われる。元妻関連では本人の性格特性による妄想と、実際に起きた暴力・殺人場面があったらしい。 〇白黒部分(1977年、10月革命60周年)はいわば種明かしのようなもので、本編で無関係と思われた各種要素を、ネヴィヤンスクの雪娘がつないでいたことを説明する。ここは変な映像はわずかで基本的に真面目な展開だが、登場人物が一瞬全裸になる場面があったのは、よく言われるように男は女性を視姦する、ということを女性側もやっていたという表現かと思った。 〇最後に終結部として、死体消失事件のその後を見せていたらしい。 この中にまともな物語があったかどうか不明瞭だが、個人的に思ったのは主人公の家族関係のことだった。主人公が幼少時の新年パーティの記憶に促され、病を押して被り物も持参で息子をパーティに参加させたら、息子も父親同様の体験(※注)をして戻り、それで父子が心を通じ合わせたということか。一方で息子に愛されない元妻の方は狂乱した、というのがこの年末年始のペトロフ家の出来事だったとすれば、父子にとってはハッピーエンド、元妻にとってはバッドエンドだったかも知れない。とりあえず元妻のような危ない人物に息子を任せておけないということはある。 一応まとめると、ネヴィヤンスクの雪娘のおかげで主人公が息子との結びつきをさらに強めた物語ということになるか? わかりにくい話で好きでない。ほかにペトロフ/ペトロワ、セルゲイ/セリョージャといったネーミングにも突っ込む余地がありそうだが長くなるのでやめる。 ※注:西側諸国のサンタクロースと同じように、ソビエト連邦の行事では「雪娘」(Снегурочка)が本物かどうかを子どもらは気にしていたらしい。幼少時の主人公も今の息子も、たまたま発熱していたため雪娘の手を雪のように冷たく感じ、それで本物と信じることができたということではないか。それほど大した思い出でもないようだが子どもにとってはこういうのが大事なのか。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-03-15 16:25:40) |
8. 暮らしの残像
ネタバレ 前に見た「ヤツアシ」(2021)と同じく、芸能プロダクション「テロワール」が主催する「短編映画ワークショップ」で制作された映画だった。監督はこれ以前に「電力が溶けるとき」(2021)などのショートフィルムを撮っていた人物で、この短編の直前から現在までに3本の長編も手掛けている。 基本的な発想としては場所の記憶というようなものかと思った。何が起きていたのか不明だが、例えばこの102号室自体が人格をもって想像力を発揮して、自分の記憶に残る住人をキャラクター化してドールハウス的に遊んでいたというなら面白いかと思った。住人は単身者が多かっただろうから、あえて多数集めて大家族にする趣向だったかも知れない。 あるいはそこまで変な発想でなくても、例えば現在の住人が昼寝していたところに場所の記憶が影響して、過去の自分が出る変な夢を見たということか。それだと単純な夢オチだが、目が覚めてから鍋に参加しないでしまったことを思い出し、仕方なく一人でカップラーメンを食っていたという考え方はできる。独り者上等と強がっていても、大家族の夢を見てしまったあとの寂しさをかみしめていたかも知れない。扇風機がスイッチを入れる前から首振り設定になっていたのは変だが、これで過去の住人にも風を送る形にはなっていた。 しかし一方、終盤でドアが開いた音がしたのが現在の住人=主人公の帰宅を意味するとすれば、やはり夢オチでもなく留守中に何らかの超常現象が展開していたことになる。その場合もカップラーメンは一人の侘しさの象徴ということになるか。ラストのピンポンは住人ではなく来訪者だろうから、今後の人間関係の生成発展を期待させるものかも知れない(不明)。 そのように、まともに考え出すと面倒くさいところもあるが、いろいろ想像が広がらなくもない映画だったとはいえる。とりあえず主人公が面接に落ちて彼女も取られて死んでから地縛霊になっていた、というような悲惨な事態(親が気の毒)ではなかったと思っておく。出て来た11人全員が地縛霊ならとんでもない事故物件だがそういうことはない。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-03-01 21:33:58) |
9. 電力が溶けるとき
ネタバレ 題名は意味不明である。現代社会の構築と維持に不可欠な電力を、鋼なみの剛性イメージで捉えたのかも知れないが何ともいえない。物語としては電力による縛りがなくなった空間で、人々が本音や本当の顔を晒した話のようだった。 主な登場人物は同期の若手社員3人で、また会話に出ていた部長もあとで顔を出す。 若手のうちで個人的に好感が持たれたのは「いのうえ」という人物だった。低めの声が飾り気のなさを感じさせ、また若干変人っぽいのを隠さないのが正直で謙虚にも思われる。当日の面会予定は結果的にどうでもよかったようで、それよりたまたま起きた何でもない出来事の方が思いがけない贈り物だったらしい。部長も声をかけてくれていた。 またその部長は笑ったのを初めて見たと言われていたが、それは言った本人が見たことがなかっただけで、そもそも本来がこういう人物だったとしか思われない。悪口といってもそれほど根本的な人格否定のようでもなく(理不尽な中傷で笑ってしまう)、かえって本人は若い連中と接点ができて嬉しかったのではないか。今回の更新で人間関係もアップグレードされたようだった。 なお最後のアラームも意味不明だが、当日中にインストールが完了し、翌日は更新後の再起動というイメージかと思っておく。大感動でもないが少し気分がよくなる短編だった。 [雑記] 最後に「すずらん通り」の話題が出ていたが、それより個人的には大昔に「ぴあmap」か何かを見ていたところ、東京にも××銀座というのが多数あることがわかり、そういうのは田舎だけにあるものと思い込んでいたので意外だった。ただその××銀座も戸越銀座(品川区)が元祖だそうで、さらにその戸越銀座に砂町銀座(江東区)、十条銀座(北区)を加えて東京の「三大銀座」という呼び方もあり、本家の銀座を頂点にしたピラミッド構造ができているかのようである。数としては「すずらん通り」より××銀座の方が多いだろうが、もしかするとそんなことは東京の住人には常識なので、あえて「すずらん通り」の方を出したということか。地方民には計り知れないところがある。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-03-01 21:33:56)(良:1票) |
10. てぃだ いつか太陽の下を歩きたい
ネタバレ 石垣島を舞台にした映画である。同じ監督が撮った「サンゴレンジャー」(2013)に続く石垣島映画第2弾とのことで、この映画にも出ていた架橋計画(石垣島~竹富島、架空)はその映画の要素を持ち込んだらしい。 石垣島の風景や事物も大きく扱われているが、場所のイメージに反して陽性の映画では全くないので予想が覆される。現実問題として南の島(南ぬ島)ではいいことばかりということも当然ないわけで、そういう一般常識に基づいた南の島映画の試みとはいえる。 物語は東京(と埼玉)の場面から始まるが、どうせ島では自然と人に癒されるのだろうし、暴力の場面など見たくないのでさっさと石垣島へ行けと最初は思っていた。 しかし意外だったのは、主人公が着いていきなり犯罪被害に遭い、その後に友好的な人々に助けられてからも、なかなか不安感が解消されずに話が進むことだった。ちなみに実在のタクシー会社(協賛もしている)を犯罪がらみの扱いにして大丈夫だったのか。 またさらに意外だったのは、ジャンルにも「サスペンス」とあるがミステリー調の作りになっていたことで、後半では暴行事件や殺人事件まで起き、最後は犯人を前にして真相を暴くのが探偵物のようだった。なお途中で登場人物がいきなり豹変したように見えたのは、安手のヒトコワ系ホラー的な都合良さもあったりしたがまあ許容範囲か。 主人公はこれで南の島への期待が砕かれて、さらに身内も失ったことでいよいよ決意を固めたらしい。当初からのマイナス要因も切り捨ててゼロになり、ここでやっと題名の希望をかなえるためのスタート地点に来たという結末だった。これから長距離走になると思われる。 結果として "南の島なら何とかなる" ではなく "自分が何とかしなければ" という映画だったようで、主人公の悲壮な決意に心打たれるラストだった。 出演者について、主演の馬場ふみかという人はほとんど笑顔も見せず、ずっと(果物ナイフ以外)頼りない表情で、かろうじて終盤に少し締まった顔になるが、こういう役柄にこの人の風貌は結構向いているかと思った。驚いて目を丸くする顔も特徴的かも知れない。また中村静香さんは救いの天使かと思ったが、当然ながらかわいいばかりでなくそれなりに黒い人物像を見せている。 その他目についたのは喫煙に関することで、今どき露天の喫煙所でコミュニケーションを取って「一本貸し」などという場面は懐かしさを感じる。中村静香さんがひっきりなしに煙草を吸う役というのも面白かった。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-01-18 20:31:04) |
11. ヤツアシ
ネタバレ 芸能プロダクション「テロワール」が主催する「短編映画ワークショップ」で制作された映画である。これは「初心者から演技経験を重ねたい俳優まで」幅広く参加を募り、若手監督を講師に迎えて全員出演の短編映画を3カ月で製作するもので、完成品はYouTubeやAmazonプライムビデオなどで公開し、ものによっては映画祭への出品も行っている。公式サイトで数えた限り、2016年の開始からこれまでに27本くらい完成しているようだった。 この映画は「ネズラ1964」などで知られた監督により、ワークショップ初の特撮映画として2021/8/5に完成が発表され、現在はYouTubeとアマプラで公開されている。なお必ずしも出演者全員が一般参加ということではないらしく、主人公役を含む3人がプロダクションの所属俳優とのことで、また監督の映画に常連で出る役者も入っている。 内容に関して、ストーリーとしては極めてストレートに展開し、何の捻りもなく簡単に終わる。頻繁にテロップを入れて事情を説明するので話が早い。ちなみに特別出演の古谷敏氏は内閣総理大臣役で出演されている。 物語がどうとかいうより特撮が売りなのかも知れないが、特撮といっても「ネズラ1964」で使ったミニチュアセットに生のタコを這わせるのが基本で、昭和特撮へのオマージュとはいえるがただのタコである。映像で少し目についたのはガラス戸に吸盤が張りついた場面と、人間の裸体にタコをからみつかせる趣向くらいだった。 演技者育成という目的には貢献したのかも知れないが、見る側からすればやっつけ仕事のようで泣きも笑いもしなかった。もう少し笑えるかと思ったが。 その他どうでもいいことだが、冒頭説明でのクラーケンはいいとして次のCetusはギリシア語でなくラテン語であり(天文用語では「くじら座」)、その正体がタコとは思われていない。日本神話の八足というのは意味不明である。 またTVニュースでタコが「豊洲に甚大な被害をもたらし、現在、東京都江東区に進行」と言っていたが(豊洲も東京都江東区だろうが)、豊洲では不動産業界への八つ当たりという形にして、タワーマンションに登るとか倒すとかいう場面を入れれば見せ場になったはずだ。そこまで手間と金をかけるものでもなかろうとは思うが。 [インターネット(邦画)] 2点(2025-01-11 13:24:49)(良:1票) |
12. ネズラ1964
ネタバレ ガメラシリーズの前に大映が企画した特撮映画「大群獣ネズラ」が、制作途上で悲惨な状態に陥って断念する過程を描いたドラマである。劇中映画会社は「太映(たいえい)株式会社」という名前で、登場人物も実際の関係者を想定していたらしい。気色悪い助監督は後のガメラシリーズを担った湯浅監督に相当するとのことだった。 ネズミが多数出演するが、尻尾が長いので愛玩用ドブネズミの「ファンシーラット」というものと思われる。全部に名前がついていたようで、どこからかペットを借りて集めたと想像される。 ジャンルとしてはドラマだが、劇中映画の特撮映像が入るので特撮映画としての性質もある。ミニチュアの中に本物のネズミを置くだけだが、逃げる人とネズミを合成した映像などはなかなかうまくできていた。ネズミに襲われた電車の中に人影が見えたのはガメラシリーズの例に倣った趣向と思われる。また背景音楽は、TV番組「ウルトラQ」や東宝の変身人間シリーズ(電送人間、ガス人間第一号といったもの)をイメージさせた。 ドラマとしては特にどうということもなく粗筋通りに終わりになるが、途中の経過は実際の出来事をかなり反映させていたようで、最後はこの経験をガメラシリーズにつなぐ形で未来の希望を持たせていた。「回転ジェット」の発想の原点がネズミ花火との説も本当にあるらしい。 なお終盤に再登場した抗議団体のリーダーも、苦情とは別に映画会社を励ます言葉をわざわざ述べていたので、その後はガメラシリーズのファンになったかも知れない。 基本は真面目な映画だが、明らかにふざけているのがテーマ曲である。マッハ文朱氏が歌う主題歌「ネズラマーチ」は昭和のガメラマーチ風、またエンディングテーマ「大群獣ネズラ」は戦隊シリーズやメタルヒーローを意識したもので、迷惑な害獣をヒーロー扱いした歌詞なのが笑わせる。「小さな命」という言葉(「電子戦隊デンジマン」テーマより)をネズミに転用したのは上手い。 キャストは昭和・平成ガメラなど特撮の出演者が何人か出ているが、個人的には若手女優役の小野ひまわりという人が、「小さき勇者たち ガメラ」(2006)の「赤い石を運ぶ少女」役だったのは感激した。また造形作家役がガメラ第1作の少年というのも意外だった。 KADOKAWAも企画協力して大映~角川を中心にしながらも、東宝・東映系も含めた特撮全般に向けた愛が溢れていて、その筋の人間としては嫌いになれない映画だった。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-01-11 13:24:47) |
13. 更けるころ
ネタバレ 夜の路傍の喫煙所で展開する若い男女の会話劇である。二人とも最後まで敬語だったが、「おねえさん」は本当に少し年上のような感じで(背も高い)、男の方は年上に対する敬語、おねえさんは他人行儀の敬語と思われる。 おねえさんは、おねえさんらしく各種経験値で男に差をつけていて、認識レベルも男の上を行っていた感じだった。例えば「普通」に関して、男の方は自分の思う普通を普通というだけだったが、おねえさんは世間でいわれる普通が何かわかった上で、あえて既成の普通を否定していたようである。また寂しいと幸せの同居に関しては、特別な誰かがいなくても自分で自分を幸せにできるはず、という助言かと思った。 男は再会を期待していたようだが、おねえさんはこの男から特に得るものはないだろうから特に来る気もないと思われる。男の方は、仮にこれでお別れだとしても今回教えてもらったこともあり、とりあえず「さよならの質」を上げた結果になったはずだ。おねえさんの方も所見を披歴できて悪い気はしなかったのではないか。基本的に人と出会って話すこと自体は悪くない。 そういうことを一応思ったが、監督本人は深読み不要というようなことを書いていたのであまり突っ込んで考えなくていいらしい。ちなみに登場人物は暑いと言っていたが、夏の夜の空気感が映像からは伝わらない気がした。虫の声はしていた。 [付記]どうでもいいことだが、撮影場所でおねえさんが去った方向に本当にコインランドリーがある。リアルな劇中世界だ。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-12-21 09:42:44) |
14. はちみつレモネード
ネタバレ 何が起こるかと心配しながら見ていたが、結果としては変に刺激的なところもなく穏やかに展開し、最後は心に染みる(泣かせる)物語ができている。 幼い頃は一対一で母親に向き合っていればよかった娘も、外部の目を気にするようになって母親と溝ができたりもしていたが、それでもレモネードを大事に飲んだのは、根底的なところで母親への思いは変わっていないという意味かも知れない。かつて自分だけが一方的にされていた心配を、母親のために自分がするようになったのは人格的な自立の兆しに思われる。 またエンドクレジットによるとスナックの客2人は娘の友人2人と同じ名字だったようで、つまり主人公が訪ねた生姜の親爺は、人懐こい感じの友人の身内だったのかも知れない。親一人子一人で孤立することもなく、友人を含めて周囲に見守られる環境ができていたようで、その点でもそれほど心配の必要はなかったらしい。 ちなみに個人的な知り合いで、これから一人娘が思春期に入るシングルマザーのことをこの映画で思わされた。これまでは何の疑問もなく母子で密着してきていたが、やがては次第に親離れ子離れが進んでいくことになる。特に義理もないので他人事だが突き放した気分でもいられない。自分も生姜の親爺くらいの立場でありたいとは思った。 出演者に関して、娘の「彩瑛」役の演者(辻千恵)は20代だが、見事に高校生年代の顔になって見える。個人的には夜に母親を迎えた場面のほか、朝に母親を見送る場面の表情が印象的だった。 その他、撮影場所は鳥取県の旧・気高郡気高町である(2004年に鳥取市に編入)。浜村駅や浜村温泉のある場所はもとの気高町の中心街で、映像に出た鍼灸整骨院もスナックもここにある。見えなかったが日本海に近い。なお「カイちゃんスタンプ」とは気高町内の販促スタンプである。 また娘が行った杉谷神社は、温泉街から直線1.5kmくらいなので歩いて行けると思われる(40m程度の尾根を越える)。この神社のある日光地区は名産「日光生姜」の産地とのことで、地形としては南北2kmほどの谷間であり、町に近いが周囲を山で隔てられた小世界になって見える。谷の奥には鷲峰山(921m)が見えていた。また娘が歩いた一本道は、町の方角から谷を横断して神社に至る通り道のようで、このあたりが風景として心に残った。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-11-16 09:07:25) |
15. スイング・ステート
ネタバレ まずは題名に目を引かれる。これが映画の名前ということは何か別の意味のある言葉かと思ったら、普通に激戦州のことだったのはかえって意外だった。邦題であえてこの言葉を選んだのは、日本でもアメリカ政治を意識する人々が増えているとの認識と思われる。 映画の中心人物が民主党側で、そもそもアメリカ映画であるからには民主党推しかと思えばそうでもない。都市部の目で農村部を見下すなど、当初はかえって民主党側への皮肉が効いた形かと思ったが、結局は都会の選挙屋などどちらも同類ということになっていた。 物語的には、結末は意外だったが都合良すぎの印象がある。コメディなので笑わされなくはないが、よくあるようにアメリカ人はこれで何が可笑しいのかわからない的なところも多い。ただTV中継の場面で、両候補の選挙屋が境界を越えて揉め出すなどは気心の知れた同士の馴れ合いのようで、いわゆるトムとジェリーが仲よく喧嘩する感じで笑った。また真相がわかってから、敵側の選挙屋が素直に感心していたのはよかった。 社会的な面では、主に「スーパーPAC」でやたらに資金を集めてネガキャンなどに使う問題を扱っていたらしい。また「本当の問題はマスコミが共謀してること」という指摘もされていたが、日本のマスメディアもアメリカに連動しているようなところがあるので関係なくはない。 また地元民の動きに関しては、全国レベルの争いと別に地方独自の課題と解決策がある、という考え方自体は悪くない。しかし善良なはずの住民が、制度の抜け穴を使って選挙屋を騙すのは「一緒に汚くなったら後悔する」という言葉に反しないのかと思った。 なおこの映画は2016年大統領選の結果を受けて製作されたもので、2020年選挙の実態は反映されていないことになる。11/5投開票の2024年選挙はどうなるかと思うが、この映画の時点からもう深刻度が違ってきている気がして笑っていられない。 [雑記1] 序盤で選挙屋がウィキペディアを見ていたが、アメリカでは州ごとに地方制度が違うようで、ウィスコンシンの「町」とは何なのかに関して自分でもウィキペディアで調べたりしたので、選挙屋もそういうことを見ていた可能性がなくはない(好意的に考えれば)。 [雑記2] CNN、Fox News、MSNBCといった実在の放送局が映像に出ていたが、前半に出たNews 3 Nowというのはウィスコンシンにある放送局の番組で、出演したのは当時の本物のキャスターのようだった。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-11-02 20:07:17) |
16. VIRUS ウィルス:32
ネタバレ 南米ウルグアイ(とアルゼンチン)のホラー映画である。ネコや子どもを残酷な目に遭わせる映画が許せない人は見ない方がいい。 序盤からネコの取扱いがひどいので、これでは一体何をやり出すかわかったものでないと思わされるが、さすがに主人公の娘(8歳)にまでは危害が及ばないだろうと思っているとそのうち安心していられなくなる。エンドロールでは「撮影中に動物を虐待しませんでした」が見当たらなかったのでそもそも気にしていないようでもある。 監督はウルグアイ人で、長編デビュー作「SHOT/ショット」(2010)が評価されて「サイレント・ハウス」(2011米仏)としてリメイクされた実績がある。今回はゾンビホラーとしてのスリリングな展開を目指した形かも知れない。 場所はウルグアイの首都モンテビデオだが、最初と最後に屋外風景が映る以外はほとんど屋内で展開する。舞台になっているのは廃業した大型の屋内総合運動施設(実在したスポーツクラブClub Neptuno、2019営業停止)で、主人公は建物の夜間警備員らしい。施設内の設備やバックヤードを使って場面の変化を出していて、また警備業務ということで監視カメラ映像も活用していた。 ジャンルとしてはゾンビホラーだろうが、実際はゾンビではなく感染した人間である(題名からしてウイルス感染)。人間その他生物への加害直後に32秒間活動停止するのが特徴だが、それほど斬新でもなく単に話を作るための制約というだけに見える。登場人物がこの特性を利用した場面は3か所あり、それぞれ違う目的で使っていた。 個人的にはそれほど面白いとも思わなかったが、一定の娯楽性のある映画ではあった。 個別の点として、まず冒頭からタイトルまでが切れ目なくつながってワンショットに見えるのが目を引く。視点が1階→屋外→2階→屋外と移動していくが、さらに空撮にまでスムーズに移行したのは意外感があった。さすがにどこかで適当に繋いでいるのだろうが、これは上記「SHOT/ショット」以来の監督の個性と思われる。 またエンディングでは「亡き父の思い出に捧ぐ」と書いてあり、こんなホラー映画で故人に喜んでもらえるのかと思ったが、監督としては映画に出る父親(2人のうち主にヒゲオヤジの方?)に実父の人間像を反映させていたのかも知れない(釣りが好きでない、学習したことに忠実など)。やるべきことは断行するができないことはできない、というのも人間性の表現のようだった。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-10-12 13:32:59) |
17. ディストピア 灰色の世界
ネタバレ 南米ウルグアイの映画だが、特にウルグアイっぽさを出そうとはしていないらしい。スペイン語は当然わからないがラ・ニーニャはわかった。 内容的には「大惨事」によって人々が色覚を失ってしまい、白黒灰色しか見えなくなった世界の話である。主人公は何らかの理由で色が見えるが、そのほか赤/緑/青限定で一時的に色が見える錠剤があり、これが小道具的に使われている。 そうなった理由についてろくな説明がないのはいいとしても、全体的に何かの総集編かと思うほど情報不足で、登場人物の正体や行動の意味が全く理解できないのは非常に困る。わかったのは男2人が何かの動機で主人公を灯台のある島へ送り届けたことだけで、その他は全くわけのわからない映画だった。 特徴点として、映像的には前半が現地の人々の見るモノクロの世界、途中から主人公の見る総天然色の世界に移行するが、モノクロ部分では誰かが赤/緑/青の錠剤を使った場合にその色だけが見えていた。三原色ならもっと視界全体が赤/緑/青になり、その中で強弱の差が出るだけではと思ったが、緑の場面は樹木の多い山中だったので、赤青の場面より多く緑を見せていたのも納得だった。個人的には序盤で青だけが見える場面がクールに見えた。主人公も目が青かった。 また主人公は目が大きく初期の宮﨑あおい風に見える。鼻を触られて口でポンと音を出すのはこの辺にそういう習慣があるのかわからないが、幼い子と信頼できる大人の関係が見えて和まされる。男2人が父母代わりだったのかも知れない。 全編わけがわからないがいいところもなくはない映画だった。 [以下想像] 主人公が「感染してる」という台詞も意味不明だったが、もしかすると「大惨事」とは世界的な感染症の流行のことであって、それが社会崩壊の原因になり、またワクチンか何かで助かった人々も副反応で色覚を失ったということではないか。主人公は新生児だったのでワクチンか何かを接種されず、そのため色は見えるが感染もしてしまったと取れる。主人公が行った先は例えばもと感染者の隔離場所?で、その後に回復した人々が結果的に色覚を持ったまま暮らしていた??とかかも知れない。 それ以外の世界では、錠剤が利権化しているせいで色覚を取り戻すための試みもなされず、人類は永久に色が見えないままになるということか。そう考えると全体像が少し見えた気はするが、それでも不明な点はまだまだ残る。 [インターネット(字幕)] 4点(2024-09-21 20:40:16) |
18. あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。
ネタバレ 薄っぺらい映画かと思ったらそうでもなくまともに作られている。 そもそも理屈抜きのタイムリープで始まるファンタジー設定であるから、場所設定や戦中描写に現実味があるかなどはそれほど気にならない。原作は中学生を主人公にしたライトノベルなので若い人々が親しめるように書かれていると思われる。 ドラマとしては年少者向けらしい素朴な純愛物語になっている。主演の福原遥という人は、子役時代の「まいんちゃん」というのはリアルタイムでは知らないが、今回見るとなかなか感じのいい人だった。 この映画最大の感動場面は、終盤の「知覧特攻平和会館」を思わせる場所に置かれている(撮影は霞ケ浦の「予科練平和記念館」)。これはストーリーのクライマックスとしてこういう趣向を考えたというよりも、逆に現代の人が知覧に行った経験(=遺影と遺書に泣かされた)をもとにして、そこから遡って物語を作ったという順序かと思った。実際に原作者(鹿児島県出身)もかつて知覧を訪れた影響が大きいと語っている。 人々が平和会館を見学した際には、死者を悼むとともに自分が生きていることに感謝するのが一般的な態度だろうが、さらにこの映画では死者の思いを知るために、時間を遡って当事者に取材して来たかのようでもある。結果として主人公は、男が願った未来としての現在をちゃんと生きるとともに、教師になるという男の夢を受け継いで、自分も未来の世代に貢献しようと決意したようだった。現在から過去を振り返るだけでなく、現在から未来につないでいこうとする映画になっている。 また戦後(前世紀)の常識だと、こういう映画は思想的背景をもって作られるのが普通だと思っていたが、この映画では政治的な色付けがはっきりしないように見える。人が死ぬのに反発するのは主義主張に関わりなく誰でも思う普通のことだが、それで最後に特攻隊は無駄死にだったと貶めて終わらせるわけでもなく、かえってその心を素直に受け取るように努めていた。主人公も最後には、他者のために自分の生命を捨てることもありえなくはない、と思うに至ったらしい。 結果としてこの映画は、左右両極の間にいる多数の人々に向けて、誰もが共通認識として受け取れるように特攻隊を語ろうとしたのかと思った。手紙にあった「人と人が傷つけ合うのではなく、一緒に笑って暮らせる未来を」作るためには、分断と対立ではなく思いを共有できることが大事なのだと思いたい。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-09-21 20:40:14) |
19. お願いだから、唱えてよ
ネタバレ 幽霊が出るので形式的にはホラーだろうが怖くはない。またコメディといっても個人的にはそれほど笑えない。途中であからさまに先が読めるが、予想通りの結末になってしみじみ終わってくれるので最終的には悪くなかった。この程度のことでよければ自分にもできなくはないので安心させられる。 ちなみに登場人物が劇団員風に見えた関係から、生きるのが厳しいと思ったときは演劇でも見に行って、生き返った気分になるのがいいのではと思った。東京ならいつでもどこかの劇団が公演をやっていそうだ。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-09-07 20:01:36) |
20. 迷霊怪談集
ネタバレ ベトナムのホラー映画である。原題の「Chuyện ma gần nhà」とは近所の怪談というような意味らしい。場所はほとんどホーチミン市(サイゴン)、終盤の農村部は近郊のロンアン省とのことで、現地の雰囲気が映像に出ていなくもない。 内容としては、一部屋に集まった若手男女が都市伝説3話を語る趣向である。人が集まると怪談会を始める民族性なのか(日本だけでないのか)と思わせるものがあり、それで終了後に怪異が起こるというなら百物語の風情だが、この映画では語り出す前から怪異が起きていて、最後はむしろ新たな都市伝説(現代風ゾンビ伝説)が生まれたという意味かも知れない。 物語としては、第1話は比較的わかりやすいが設定上の突っ込みどころが大きい。また第2・3話は意味不明であって、Wikipediaベトナム語版のネタバレを読んだら(Google翻訳)かろうじて大体わかった。おれはおまえだ的な展開が2回もあり、登場人物の人格が無にされたかのように見えるのは物語としてつらいものがある。 出演者としては第1話の主人公が可愛い感じで、また第3話の主人公も眉がきりっとして嫌いでない。難点はなくもないが、奇抜な映像や現地の情景など全体的な印象は悪くなかった。 以下雑記 ・時代設定に関しては、最後のTVニュースは2020年代として、都市伝説の方は劇中の事物からして1990年代(末頃?)の話かも知れない。また都市伝説の原因になった事件はさらに遡った南ベトナム時代のことだったようで、主な観客層にとっての昔と、古いサイゴンやその周辺への懐古が表現されていたのかと思った。 ・テーマ曲は、南ベトナム時代に発表された「私を独りにしないで」(Đừng bỏ em một mình)という死者の心情を歌った歌で、昔のホラー映画でも使われたりしたものらしい。エンディングのほか3話それぞれで曲名や歌やピアノのアレンジ曲が出ていた。 ・第1話の絵は、現地で本当にこういう人物画を屋台に描く習慣があるようで、今は「コ・ミア」(Cô Mía/ミアさん)という呼び名が付けられている。その由来に関する都市伝説も実際なくはないらしいが、この映画の話とは違う。 ・第2話の「賞金300万ドン」は南ベトナム時代の通貨価値によるものかも知れない。 ・第3話の「人の魂は死ぬ時、3つに分かれる」は突拍子もない発想のようだが、19世紀末の朝鮮国に関する記録でも「人間には霊魂が三つあると考えられている。死後三つの霊魂はそれぞれ位牌、墓、《黄泉の国》に行く。」とされている(イザベラ・バード「朝鮮紀行」講談社学術文庫P374)。この朝鮮国での考え方は、故人の居場所が仏壇(の位牌)・墓・冥土(→来世)の3か所だということなら日本人にも納得しやすいが、この映画でも同じ考え方かどうかは不明瞭だった。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-08-31 09:06:57) |