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せんべいさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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1.  続・光る眼/宇宙空間の恐怖 《ネタバレ》 
 今から約4年前の2018年3月31日(土)の深夜(厳密には4月1日(日)の早朝)、たまたま放送していたリメイク版(1995年)を(途中から)観たのを機に「まず1作目(1960年)を観てから、あらためてリメイク版を観てみよう」と決意。このたび、ようやく1作目とこの続編がカップリングされたDVDをレンタル店から取り寄せて鑑賞。  なお「続編とはいっても、設定の一部(眼が光るなど)を転用しているだけで、全く別の物語」ということは、以前読んだSF雑誌で知っていました。さて、観た結果は…   日本未公開ですが、その理由は、当時の日本の状況と映画の内容に由来するものではないか…と思いました。  当時の日本は、まだ戦後から20年に満たず、人々の多く(私の両親も含め)は「もう二度と、戦争に巻き込まれたくない。子ども達を戦争に巻き込みたくない」といった願いを、生々しく、切に抱いていた時代です。  それに対し当作品は【優秀な子ども達を、他国より優位に立つための殺戮兵器を開発する道具として無理やり連れて行こうとする。『他国に奪われるぐらいなら殺してしまおう』という思惑もひしめき合う】【結局、子ども達は全員、軍隊によって命を奪われる】という物語です。  そのため、日本の配給会社の人々から「子ども達の扱いがあまりにも、むごすぎる」といった声があがったのではないか…と推察しています。   以下、あらためて内容に言及します。  主人公の男の子は、母親から「あんたなんて、産んだ時に殺しておけばよかった」と罵声を浴びせられ、お偉方からは上記のように【戦争の道具】として扱われます。しかも、理解者であったはずの遺伝学者でさえ、人間とは異なる種(という疑い)がかかった途端に「彼らに支配されるぐらいなら、今のうちに抹殺すべきだ」と態度を急変させ…というように、結局、子ども達の味方はごく少数でした。  おそらく産まれたときから異端者として冷たい視線を浴びせられ続けてきたであろう子ども達の眼差しはよどんでおり、深い悲しみをたたえている印象を受けました。  そして、ラストは…本当にちっぽけで些細なアクシデントによって、それまでの緊張の糸が切れて軍隊による戦闘が勃発してしまい、上官が慌てて中止の指令を出しても現場の暴走は止まらず、全てが台無しになってしまう…つなぎ合った手だけが瓦礫から露わになった子ども達の亡骸は「信じ合おう・助け合おう」と手を取り合って努力しながらも無残に命を奪われてしまう市井の人々の無念さをも象徴しているように私は感じました。また、アクシデントのきっかけになったマイナスドライバーのアップに対しては【人間のコントロールの及ばない、本当につまらない偶然で、取り返しのつかないことになりうる】といったことを連想しました。   このようなわけで、1作目とは全く趣が異なる印象を受け「この映画って、当時の冷戦や核兵器による全面戦争の危機を風刺したものなのでは…」と、大変、重苦しいものが残りました。  後で副音声のコメンタリーを聞いたところ、当作品の脚本を手掛けたジョン・ブライリー氏が解説しており「冷戦についての寓話として考えた」という趣旨で語っておられました。   ただし、1作目と共通しているところもあります。全体が淡々としていて【グチャグチャ・ドロドロと形容されるようなグロテスクな映像】が無いという点です。そのため、人によっては1作目と同様「これのどこがホラーなの?」といった感想を抱いたとしても不思議ではないかな…と思われます。   もっとも上記のように、作り手さん達は【寓話・風刺劇】として製作したわけですから、少なくとも私には十分、心に響くものがありました。  個人的には、鑑賞したタイミングが、このご時世だけに、絵空事とは割りきれず「冷戦は過去のものになったとはいえ、現在の国際情勢を踏まえると、テーマは古びておらず、むしろ危機感は強まっているのではないか…」「全面戦争とはいかないまでも、些細なアクシデントや行き違いによって戦闘が始まってしまい、なかなか停戦や休戦にならないケースが、現在でも少なからず存在するのではないか。報道されていないだけで…」といったことが、頭を巡りました。   さて、採点ですが…現在の心境では【風刺映画】として10点にしたいところですが、①メッセージ性が強い作品のため、観る人によって好き嫌いがハッキリ分かれそうなこと、②ラストが強烈とはいえ、全体としての出来は佳作レベルと思われること、という2つの点を減じ、1作目と同様、8点とさせていただきます。   *1作目である【未知空間の恐怖/光る眼:1960年】は、別途、レビューを投稿しています。
[DVD(字幕)] 8点(2022-06-19 17:47:50)
2.  未知空間の恐怖 光る眼 《ネタバレ》 
 当作品については、少年時代に読んだSF雑誌で、存在だけは知っていました。そして今から約4年前の深夜、たまたまTVをつけたら放送していたのがリメイク版(1995年)。リメイクされたことも知らず、かつ、途中から観たので中途半端さも否めず、「オリジナル版を観てから、あらためてリメイク版を観てみよう」と思ったのですが…当時、このオリジナル版はレンタル店で取り寄せ不能で、市販もされていませんでした(廃盤と確認)。  幸い、最近になって取り寄せ再開を知り、レンタルして鑑賞した次第です。さて、結果は…   イギリスの小さな村が舞台ですが、学者夫婦が住んでいて、その妻の兄は軍人という設定。ちょっと都合が良すぎる気もしましたが、この設定のおかけで【村の緊急事態に、即座に軍が調査を開始する/夫であるゴードン博士は、ロンドンでの有識者会議に参加し、科学的な論議をする】というように、ローカルな中にもグローバルな視野で物語が展開するのは上手いな、と思いました。   原題は『Village of the Damned = 呪われた村】ですが、邦題を『光る眼』にしたのは正解ですね。何といっても【光る眼でジーッと相手を見つめ、ジワジワと操る場面】が印象的です。しかも大袈裟でなく淡々と…この場面に限らず、作品全体が淡々としており【グチャグチャ・ドロドロと形容されるようなグロテスクな映像/血が飛び散る映像】は皆無です。こうした場面が苦手な私には観やすかったですし、【知的な面に訴える怖さ・不気味さ】とでもいうような効果を生みだしていると思います。  もちろん、この特徴により、人によっては「これのどこがホラーなの?」といった感想を抱いたとしても不思議ではないかもしれません。しかし【生理面に訴える怖さ・気持ち悪さ】が全てではなく、様々な表現があっていいのでは…と思っています。また【日常に、理解不能な現象が生じるという設定のSF作品】の場合、少なからず“不安・怯え・不気味”といった要素が含まれてくるのではないでしょうか。そのため、むしろ、ホラーという言葉を脇に置いて鑑賞したほうが、当作品の魅力が伝わりやすくなるかも…と思ったりしております。   なお、公開当時、【村に忍び寄る脅威】は【冷戦下での○○主義】を示唆していたようですが、これに限定しなくても、各人で様々な事象に重ねて観ることが可能では…と思われます。  私の場合、彼らは宇宙から飛来した“それ自体では生命体として機能できない何か”であって、地球人の細胞(卵子)に入り込む必要があった…要はウィルスに近いニュアンスを感じたのです。ウィルスと異なるのは【細胞内で増殖する】のではなく【一個体として成熟し、生殖する必要がある】という点ですが…それでもラストシーンを観ると【肉体を失って、再び、“何か”だけが宇宙へ…】という印象を受けました。  以上は、現在の世相に重ねた私の(こじつけがましい)観方に過ぎませんが…いずれにせよ、劇中で子ども達が何者だったのか、明らかにされなかったわけですから、時代を越えて様々な解釈・想像を膨らませる幅の広さがあるのでは…と私は考えます。   因みに、デイビッドをはじめとする子ども達は、終始、無表情かと思ったら…映画の開始49分後の【授業の場面】で、ゴードン博士に対し「質問したいんでしょ?」と、皆で悪戯っぽく微笑みます。その言葉を受け、博士が核心?をついた質問すると、一同、困ったような表情でうつむきます。こうした表情は、その後の展開に活かされてはいませんが「あの子たちは、博士には親しみを持っていたようだし…何かしら住み分けるなどして笑顔で締め括れなかったのかな…」と一抹の寂しさを感じたりもしました。   最後に、これは余談ですが…子ども達が幼児の段階で、その能力(知能が高いだけでなく、一人が覚えたことを、他の子ども達も共有できる)を検証する場面があります。そのときに使われる東洋のカラクリ箱は、【神奈川県・箱根の特産物である寄木細工の秘密箱】に似ている印象を受けました。そのため「ひょっとして海外向けに輸出された箱が、巡り巡ってイギリス映画の小道具に?」と想像し、妙に親近感がわきました。本筋とは関係ない感想ですけどね…。   さて、採点ですが…トータルな出来は佳作レベルかもしれませんが【日常に忍び寄る脅威を、淡々と描写したSF映画の古典】として相応しい作品だと思います。当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。   *リメイク版【光る眼:1995年】は、別途、レビューを投稿しています。
[DVD(字幕)] 8点(2022-06-19 17:43:53)
3.  モスラ対ゴジラ 《ネタバレ》 
 元々、私が当作品を観たのは小学校のときに1回だけでした。【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】と【怪獣大戦争:1965年】は、フジテレビで夏休みの夕方にしょっちゅう放送されていた一方、当作品は、日本テレビの日曜の夕方に放送されたのを観たきりだったのです。  また、私にとって【モスラ:1961年】こそ、初めて(TVで)観た【東宝の怪獣映画】であり「あの大好きなモスラが死んでしまう映画だから…」と再見を敬遠していた面もありました。  しかし最近、当作品はかつての東京オリンピック(昭和39(1964)年10月開催)の間近である4月29日に公開されたと気付きました。「だからなに?」という気はしたものの、せっかくなので57年後の同日にDVDをレンタルして鑑賞した次第です。   さて、結果は…1回だけしか観ていなかったこともあり、断片的だった記憶がつながりスッキリしました。しかも以下のように、大人ならではの目線による発見・感想も加わり、観て良かったです。  まず、いつもながら、伊福部サウンドは絶好調!。関沢新一さんによる脚本は、ほど良くメッセージ性が盛り込まれ、本多監督の演出にも温かみがあり、特に漁村などのロケ場面は生活感が伝わってくる印象を受け、観やすかったです。円谷英二さん率いる特撮スタッフの皆さんについては、これは推測ですが…『キングコング対ゴジラ(1962年)では、コングについてアメリカ側から注文や制約があった。一方、今度のモスラとゴジラは国産だから自由にやれるぞ!オリンピック共々、日本の底力を見せてやる!』とでも言わんばかりの勢いが伝わってくる思いがしました。コロナ禍による閉塞感がある現状下での鑑賞だったので、なおさら、そう感じたのかもしれません。   また【亡くなった親モスラの翼で覆われていた卵から、双子の赤ちゃんモスラが顔を出す】とういうシーンは覚えていたのですが…今回の再見で、ザ・ピーナッツさん達が扮する妖精(小美人)達の「モスラは滅びません。卵から新しい命が産まれます」という台詞と共に【命のつながり】というものを、特に感じました。そのため“大好きなモスラが死んでしまう映画”という子供の頃のネガティブなイメージを払拭できました。そして赤ちゃんモスラ達がゴジラに勝ったとき、これまたコロナ禍のためもあってか「日本も、新たな若い命が次世代を担っていくんだ」といった思いが重なったりもしました。  さらに、あらためて特撮について言及すると、モスラ親子に命を吹き込んだ操演担当のスタッフさん達のチームワークは勿論、そのモスラ達を引き立てるように、ゴジラに扮した中島春雄さんが演技をしておられるのだと再認識できました。演技という意味では、特にB作戦での「よし!(ゴジラに)勝てるぞ」と自衛官に言わしめた臨場感は、中島さんの、電撃で苦しむ熱演によるところが大きかったでしょう。スローモーションでもあの動きだったわけですから、実際の撮影では、動き難いスーツの中で、どれほど速く全身を動かし、息苦しく汗だくだったことか…あらためて敬意を表します。   ところで、ラストは酒井記者(宝田明さん)と三浦博士(小泉博さん)による「お礼は、我々がいい社会をつくることだ」「うん。人間不信の無いね」という台詞で締め括られます。  しかし現在、日本国内に留まらず国際的にも【人間不信の無い社会】が実現しているかというと…当作品のように【様々な“力”を背景に、己の欲望を押し通そうとする人々】と【信頼や節度による人道的な社会を実現しようとする人々】のせめぎあいやバランスで、世の中が動いているように思います。  そのため「当作品の公開から57年も経ったのに、ちっとも変ってないじゃないか。むしろ、コロナ禍で状況が危うくなっていないか?」と言えなくもありません。しかし、ここはひとまず「57年前の作品を、当時と同じ4月29日に観られたのは、人々が最悪の事態を回避してバランスを保ってきた努力があればこそ。コロナも乗り越えられるはず」と思うことにします。   さて、採点ですが…【同じように東京オリンピックを控えている当時の日本と、現在の日本】を考える意味で、意義深い作品ではないかと…いや、ちょっと大袈裟ですね。シンプルに【昭和パワーに溢れた元気が出る映画】として楽しめればいいかと思います。大甘とは思いますが【モスラ】や【地球最大の決戦】と同様、10点を献上させていただきます。  そして最後に…今回、【コロナ禍】を意識して投稿しましたが…数年後に読み直したとき「コロナね…そんなこともあったな~」というように、良い意味で笑って振り返れる世の中になっているよう願っています。  *【モスラ】と【地球最大の決戦】は、別途、レビューを投稿しております。
[DVD(邦画)] 10点(2021-05-05 17:17:02)
4.  キングコングの逆襲 《ネタバレ》 
 昭和パワー満載の【キングコング対ゴジラ:1962年/以下、対ゴジラと表記します】に続けて鑑賞。左記作品と同様、当作品は見損ねていました。  今回、予備知識として【TVアニメ版キングコング:1967年放送】とリンクした日米合作映画だと知りました。「♪ウッホ・ウホ・ウホ・ウッホッホ~!ウッホ・ウホ・ウホ・ウッホッホー!大きな山をひとまたぎ、キングコングがやってくる。怖くなんかないんだよ。キングコングは友達さ」…これは【アニメ版】の主題歌の一節です。実は、私にとってコングとの出会いは、このアニメ版(再放送)でした。当時は幼少で、しかも後年、再放送されなくなったため、細かいことは覚えていませんが、アニメ版のコングは、アメリカ人の男の子と友達であり、気が優しくて力持ち。最終回ではニューヨークで暴れてしまいますが、男の子の活躍で周りの人達に優しさを理解されてハッピーエンド…子供心に「コングさん」と親しみを込めて呼んでいたものです。  そのため、小学生のとき映画館で観た【1976年版】はショックでした。頭では「アニメ版とは別物」とわかっていても、血みどろで死んでしまう結末は、私の心の中のコングさんをズタズタにしてしまったのです。後年【キングコング2:1986年】が公開されましたが【興行上の理由で、無理やり製作した】という印象をぬぐえず、鑑賞の対象外。大人になり【猿人ジョーヤング:1949年】を観て、心は救われたものの「ジョーはコングさんではない…」という思いは残っていました。   そして今回、当作品を観たわけですが、さて、結果は…  まず、テーマ曲が終わった後の【前置きとしての潜水艦内での場面】がとても短い(後で計測したら約2分)。すぐ北極の秘密基地に場面が変わりメカニコング登場。さらに南の島へ…とテンポ良く展開し、キングコング登場!。しかも気が優しくて力持ちのコングさんではありませんか!。ヒロインのスーザンともすぐ理解し合えて、私は一安心。それだけに、メカニコングとの決戦前の「戦っちゃダメ。あれは生き物じゃない、機械なの。勝てないわ」というスーザンの台詞には、内心『このコングさんも、結局、死んじゃうの?』と不安になり…ラストでは『やっぱりコングさんは、僕らの王者・世界の王者(主題歌のフレーズです)だ!』と大喜び…と、すっかり幼少時の気持ちに戻って熱中してしまいました。   さて、このままでは、あまりにもお子様の感想のため【大人目線】で観直しました。  まず、特撮は、現在は【作り物という前提で、良く出来ているかどうか】という視点で観る必要があるでしょう。その意味で、コング(“さん付け”は控えます)の造形は、今となってはチープですが、それでも顔立ちは【対ゴジラ】を挽回するかのようにバージョンアップ。かつ、当時の技術なりに表情を変化させ、コングの喜怒哀楽を表現していたと思います。勿論、表現には、スーツアクター中島春雄さんの演技によるものも大きいと思われます。  次に、本編(ドラマ)は【対ゴジラ】と異なりコミカルではないものの、けっして暗くもなく、重苦しくもなく、とても観やすかったですし、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ドクター・フーとマダム・ピラニアは魅力的でした。なお、当時の女性悪役について、私は『男性悪役の行動に疑問を感じ始め、主人公達に味方をして命を落とす』というイメージを持っていました。ちょうどTVシリーズ【仮面の忍者赤影:1967~68年】の【金目教編】に登場する“闇姫”がそうだったように…そのため、ピラニアの最後は【定石通り】とはいえ、切なかったですね。  さらに、ゴロザウルスが泡を吹いて絶命するシーンには「確か円谷英二さんは、子供達に配慮して、怪獣の流血を避けていたんだよな…」と思ったのですが…後でコメンタリーを聴くと「アメリカの製作サイドから血を流すよう要求されたが、円谷さんは信念を貫き、泡にした」と知り、感動しました。一方、本編のドクター・フーの最後は、口から血を吐くシーンになっています。コメンタリーでは解説されませんでしたが、本多監督がアメリカ側に譲歩したのかもしれません。それでも【白い波を被せて映像を和らげるよう配慮している】と、私は感じました。これらは【新しい表現を追求するあまり、残酷描写にエスカレートする】よりも【良識ある作家性】が反映されているのでは…と思います。   さて、採点ですが…一般には6~7点でしょうが、私にとって【コングさんを生き返らせてくれた作品】です。大甘ですが【オリジナル版あっての…】という1点のみを差し引き、本多・円谷コンビの【コングへの愛情】に溢れた良作として9点を献上させて下さい。  *【キングコング対ゴジラ:1962年】は、別途、レビューを投稿しています。
[DVD(邦画)] 9点(2020-10-11 19:16:20)(良:1票)
5.  キングコング対ゴジラ 《ネタバレ》 
 私は、これまで当作品を観たことがありませんでした。子供の頃、頻繁に東宝特撮映画をTVで放送していたにもかかわらず、何故か、当作品は見損ねていたのです。さらに、その後、特撮の専門誌を読むようになって「元祖キング・コング(1933年)の生みの親であるウィリス・オブライエン氏は、フランケンシュタインが創造した怪物とコングが戦う企画をRKOに持ち込んだのだが、いつのまにか日本に渡って当作品になったことを知り、落胆した」という情報を知ってしまったことも影響しました。  ところが【東京おにぎり娘:1961年(昭和35年)】を観たら、無性に「同時期の作品を観たい!」という衝動に駆られて、遂にDVDをレンタルし鑑賞させていただきました。   基本的には、素晴らしい作品だと思います。  まず【モスラ:1961年】も担当した関沢新一さんによるコミカルな味付けの脚本と、それをテンポよく演出した本多猪四郎監督の本編(ドラマ)パートからは「これは世紀の対決だよ!娯楽映画として気楽に楽しんで!」というエネルギーが伝わってきました。  そして、他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り、有島一郎さんが素晴らしいですね。私にとって有島さんは、TBSの子供向けドラマ【ケンちゃんシリーズ】のお爺ちゃん役や、TV時代劇【暴れん坊将軍】の初代の爺の印象が強かったので「昭和を代表する名俳優さんだったんだ!」と感激しました。  一方、特撮も素晴らしく、しかも、上述した本編(ドラマ)と違和感なくテンポ良くつながり合っているのは、本多監督と円谷英二さんとの信頼関係の賜物では…と思いました。   ただ、肝心のゴジラとコングについては…まず、ゴジラは良いとしても、コングの造形がどうも…私から見てもお世辞にも良いという印象は受けませんでした。鑑賞後、あらためて特典のコメンタリーを聴くと「アメリカ側から、コングの顔はオリジナル版とは違うものにしてくれ、と注文をつけられてしまった」と知り、相当、作り難かったんだろうな…と、納得しましたけど…。  また、闘いについても、最後の最後でコングも【落雷のパワー】で互角になるものの、それまでは常にゴジラ側が優勢の展開であり、【ゴジラ映画】としては良くても【コングの作品】という意味ではどうなんだろう…と微妙な気持ちになりました。   さて、採点ですが…このようなわけで【昭和パワーに溢れた元気な娯楽作品】としては申し分なく、【ゴジラ映画】としては10点にしたいところですけれど…【コングの作品】としては引っかかるものが残りました。このモヤモヤは、この後に観た【キングコングの逆襲:1967年】で解消されるのですが…その【キングコングの逆襲】と比較して8点とさせていただきます。ゴジラごめんね…  *【キングコングの逆襲:1967年】は、別途、レビューを投稿しております。
[DVD(邦画)] 8点(2020-10-11 19:06:49)(良:1票)
6.  東京おにぎり娘 《ネタバレ》 
 私は今年の8月に【火垂るの墓:1988年】【クォ・ヴァディス:1955年】と、立て続けに【死】がつきまとう作品の投稿をして、ちょっと気持ちが滅入っていたとき、ちょうど、当作品のレビューを拝読しました。  私はこれまで、当作品の存在を全く知らず「なんだ??この“東京キッド”や“銀座カンカン娘”のような昭和の香りがプンプンする題名は…」という興味からレビュー欄を開くと…投稿数は僅か5つでしたが、全て肯定的な文面ばかり!。↓の【はあさん】も「凡作」と結論付けているわりには、その前段でとても懇切丁寧な解説をして下さっており「これは是非、観てみたい」と決心。なんとかDVDを取り寄せて鑑賞しました。   率直な感想は、観て良かったです!。   まず、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、作り物ではない、まさに当時の本物の昭和30年代の街並みが見られるだけでも、歴史的な資料としての価値があると思います。  そして、こうした街並みを背景に【商売も気概も衰えて気弱になり始めた頑固親父さん】と【生きるエネルギーに満ち溢れたしっかり者の娘さん】を軸に繰り広げられる人間模様の数々…けっして、劇的にどうこうというわけではありませんが、登場人物が多いわりに展開がとてもわかりやすく、きちんとまとまっていく人情ドラマに感心、というより安心しました。   一つ一つの役者さん達の演技にも感じ入りました。  カメラを固定した中で紡ぎ出される会話の妙…脚本を活かす役者さんの達の演技があってこその味わい深さでしょう。映像表現やカメラワークで魅せるタイプの作品とは対極にある印象を受けました。  若尾文子さんは、私が物心ついた頃、すでに【落着いた物腰のご婦人】という印象が強かったので「こんな元気な娘さんを演じていたこともあったんだな~」と新鮮。でも、たとえ酔っぱらった演技をしても、品の良さを失わないのは、さすが名女優さん!といったところ。  また、何よりも鶴吉さんを演じた中村鴈治郎さんが素晴らしい。特に【まり子/みどり】という、娘ふたりへのそれぞれの愛おしさがにじみ出る演技に対し、私も“人の親”となり歳を重ねたせいか、妙に共感してしましました。   余談ですが、昭和31年当時は、私の両親も青春真っ盛り(若尾さん達より少し年下かな…)。まり子さんら若い登場人物達には「親父もお袋も、東京でなく地方育ちだったけど、こういう時代を歩んできたんだな…」、一方、鶴吉さんら年配の登場人物達には「お爺ちゃんやお婆ちゃん達も、お袋を嫁に出す・出さないでは、ご近所さん達が見合い話を次々に持ってきて、随分、葛藤したらしいしよな…」といった個人的な思いも重ね合わせたぶん、味わい深さが倍増しました。   それにしても、若尾文子さんら役者さん達は勿論、田中監督を始めとする作り手の皆さん達も、現在、まさか、このようなレトロ感覚の眼差しで鑑賞されるとは考えもしなかったでしょう。でも、根底に流れる【親子の情愛】【昔は良かったと振り返る世代/新しく時代を謳歌する世代】【人と人とのつながり】といったテーマは普遍だと思います。なお、テレビドラマの世界だって、例えば、TBSの【日曜劇場】も、現在のような【劇的な展開を売りにした連続ドラマ系】になる以前(平成5(1993)年3月まで)は、こういった【一話完結のほのぼのとした人情ドラマ】を、ときどき放送していたように思います。【作品の多様性】という意味で、再び、こうした人情ドラマが復活しないものだろうか…といったことも思ったりしました。   いずれにせよ、当サイトが無ければ、私は永遠にこの作品に出合うことは無かったでしょう。ありがとうシネマレビュー!   さて、採点ですが…私も、いわゆる【不朽の名作】というよりは【佳作】という位置づけの作品だと思います。でも今回の鑑賞で、ささやかながら、生きる力が湧いてきました。私はかつて、同時期の作品である【日活版の青い山脈:1963年】に8点を献上したことがあります。同じように、大甘とは思いますが8点を献上させていただきます。
[DVD(邦画)] 8点(2020-10-03 17:36:54)(良:1票)
7.  予期せぬ出来事 《ネタバレ》 
 空港を舞台に、様々な人々の人間模様が交錯する【グランドホテル形式の映画】。私は某映画館のリバイバル上映で観ました。しかも日本初公開当時のパンフレットも復刻しており、サラサラッと目を通した上での鑑賞。  その復刻パンフレットを読んで興味深かったのは【解説文】です。主演二人の紹介の後、製作者のアナトール・デ・グランウォルド氏の名前が挙げられており「私はかねがね【グランドホテル】のような映画を作りたいと考え、夢が叶った」という趣旨の文面が掲載されていました。また、映画解説者・淀川長治氏の評論もあり、その中で「脚本を担当したテレンス・ラティガンは、女優どうしがぶつかりあわないよう配慮した」という趣旨の文面が載っていました。  このように、当作品は「一流の役者を集め、衣装担当は、それぞれの女優さんにユーべル・ド・ジンバシイやピエール・カルダンといった一流のデザイナーを集め…後は、脚本は無難なものに。監督さんも卒なく現場を仕切って完成させてほしい…」とでもいうような【製作者主導】の映画と言えるのではないか…という印象を受けました。実際、鑑賞してみて「無難にまとまったお話だな。監督が自分の作家性を発揮すべく創りあげた作品とは、これほど違うとは…」とある種“勉強”した思いが残りました。  そして、今回、当サイトのレビューを拝読し、↓の【Oliasさん】がおっしゃっている『登場人物と役者を揃えた時点で、制作側が目的を達してしまった』は、まさに“言い得て妙”だと思いました。   このように【時代を越えて愛される名作】とは言えないものの…もし現在でも観る上でプラスの意味合いがあるとしたら…これはあくまで個人的な思いですが…【大空港:1970年】の鑑賞とセットになったときだと思います。【大空港】は、当作品と同様【空港を舞台にしたグランドホテル形式の映画】のはずなのですが、後続作品との兼ね合いで【パニック映画の先駆け・元祖】と誤解される場合が多いようです。DVDの宣伝文句もこの誤解を助長している印象を受けます。パニック映画として観た場合、人間模様は“パニックまでの単なる前置き”としか映らず「いつになったら、飛行機が飛び立って本題に入るのか…」とヤキモキが募りかねません。少なくとも私の場合はそうでした。  一方、まず【予期せぬ出来事】を観て「空港を舞台にしたグランドホテル形式の映画とは、こういうものなんだ」と認識した上で【大空港】を鑑賞すると【人間模様に加え、ラストにパニック要素を盛り込むことで娯楽色を高めた作品】としてスムーズに観ることが出来るのでは…と思うのです。   さて、採点ですが…これ自体では無難な作品という意味で“可も無く不可も無く”の5点だと思うのですが…【大空港を誤解なく観る上で役立つ】という意味合いをプラスし6点とします。製作者のアナトール・デ・グランウォルド氏からは「大空港の前座じゃない!無難につくるのだって大変なんだぞ!」と叱られてしまうかもしれませんが…。  *備考:【大空港:1970年】については、別途、レビューを投稿しております
[映画館(字幕)] 6点(2020-05-30 17:01:21)(良:1票)
8.  スパルタカス(1960) 《ネタバレ》 
「2020年2月5日にカーク・ダグラス氏が103歳で亡くなった」とニュースで知ったのを機に投稿します。   最初に…当作品を“キューブリック監督が作った映画”として観ると、↓の【恥部@研さん】がおっしゃる通り、肩透かしになるので要注意だと思います。かつて私は某新聞で「映画は誰が作るかと質問をすると、日本人は“監督”と答えるが、アメリカ人は“プロデューサー”と答える。これは映画作りのシステムに関する認識の違いだろう」という記事を読んだことがあります。その意味で当作品は↓の【S&Sさん】もおっしゃる通り、製作総指揮兼主役のカーク・ダグラス氏(及び脚本のダルトン・トランボ氏)が作った映画だと思います。現在、ディスク化されている【修復・完全版】が製作されたきっかけも「カーク・ダグラス氏を祝うパーティーで上映されたフィルムの状態が、ひどかったら」という文面を、完全版収録のレーザーディスク(今や大昔?の光メディア)の解説で読みました。  このように【キューブリック色】は、ほぼ皆無と言わざるをえませんが【正統派のスペクタクル史劇】としてなら観やすい作品では…と思います。   以下、【正統派のスペクタクル史劇】という視点でお伝えします。  私が初めて当作品を観たのは40数年前の高校生のとき、年末のTVの深夜放送(吹替え版)でした。当時はビデオレコーダーが無かったのでタイムリーに観ましたが、最後まで引込まれました。アレックス・ノースの音楽も、テーマ曲などは現代音楽的、愛のテーマはメロディーが明確で流麗な響きがあり…と多彩で、私には新鮮でした。事前にサントラの本で「作曲に1年以上を要した」と読んでおり、納得したものです。  そして当時、私が一番、印象に残ったのは、↓の【ヨアキムさん】と同じで、「スパルタカスを差し出せば命を助けてやる」というクラッサスに対し「俺がスパルタカスだ!」と、仲間達が次々に立ち上がるシーンでした。私は「現実にはあり得ない。我が身大事さにスパルタカスを突き出すはず」と考えつつも「この映画には『人間は信頼し合い助け合う素晴らしい存在なのだ。そう信じたい』という願いが込められているのだろう」という熱い思いが残りました。  その後、社会人になり、修復・完全版が映画館で上映されたので観直すと「画質も音質も、まるで新作だ」と感激しました。赤狩りを背景に製作されたことも知っていたので、高校時代の直感は当たらずとも遠からじと再認識し、上記の熱い思いが一層、高まりました。そして現在…DVDで何度観直しても、その思いは変わりません。   このように私は当作品を【スパルタカスの反乱という史実を素材に、人間の良識を謳いあげた映画】と思っています。一見、理想主義的で青臭いようですが…赤狩りで人間の醜さに打ちのめされても、それでも人間性を信じる人々が核になり作り上げた点に説得力があると思います。ベン・ハー(1959年)と違い宗教臭くない点も、日本人には観やすいのでは…とも思います。また、負けたとはいえ次世代へ希望がつながるラストも、後のブレイブハート(1995年)に通じるものがあり、ブレイブハートが好きな方々にはお勧めかな…と思われます。  ただし、スパルタカス(奴隷側)とクラッサス(ローマ側)の場面が交互に切替わり、しかもローマの場面は政治も絡んでくるので、人によっては没頭し難く、鑑賞時間が長く感じられるかも…と思ったりもします。私の場合、吹替え版が初見だったのが幸いしたのかもしれません。   さて、採点ですが…【鑑賞環境】は修復・完全版を観た【映画館】とし、カーク・ダグラス氏やダルトン・トランボ氏を始めとする作り手の皆さんの切なる願いを、大作として具現化したパワーに敬意を表し、10点を献上します。キューブリック監督は不本意でしょうけど…。そして最後に、あらためてカーク・ダグラス氏のご冥福をお祈りいたします。  ~備考~ *令和3(2021)年8月18日(水)に修正。以前は“連載中”という文面だったので…  当作品の制作エピソードは、漫画誌ビックコミックオリジナルで連載された【赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD:2017~2021年】で紹介されています。奇しくもカーク・ダグラス氏が亡くなった日と同日=2020年2月5日の発行号は、封切りの場面が描かれていました。↓の【アンドレ・タカシさん】もおっしゃる通り、現在ではフツーに観られる当作品も、当時はフツーに制作できなかった社会情勢が垣間見えます。漫画としての脚色があるにせよ、読んでから映画を観ると【フツーならざる味わい】があるかもしれません。もっとも、漫画以前に【トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男:2015年】を観れば事足りるかもしれませんが…。
[映画館(字幕)] 10点(2020-02-09 19:05:03)
9.  怪竜大決戦 《ネタバレ》 
 TVシリーズ【仮面の忍者 赤影:1967~1968年】を成功させた監督・倉田準二さんと、脚本家の伊上勝さんのコンビによる【恐竜・怪鳥の伝説:1977年】の再見に対し、複雑な気持ちになったため、その埋め合わせのために鑑賞。この目的で最初にレンタル店で取り寄せてもらった【大忍術映画 ワタリ:1966年】は、残念ながら私にとって【赤影】のような作品にはならず、続けて観たのが当作品です。  当作品の脚本は【赤影】と同じ伊上勝さん。監督は倉田準二さんと共に【赤影】を支えた山内鉄也さん。実は、小学生のとき、当作品をTVで2回ほど観たことがあります。ただ、当時の私は【怪獣映画】の視点から「ゴジラや大魔神に比べるとちょっとな…」という認識に留まっていました。しかし【恐竜・怪鳥の…】と【ワタリ】で引きずったやり場のない気持ちはどうしようもなく、再見へと駆り立てられたのでした。さて、結果は…   良い意味で【子供向けの忍者映画】として「こんなに面白かったとは!これぞ赤影に通じる作品だ!」と感激しました。ノスタルジックな主題歌を始め、当時のワイヤーアクションや合成技術を交えた忍術シーンの数々は「これぞ昭和だ!当時の男の子達を忍者ごっこへ駆り立てたトリック映像だ!」とワクワクしました。怪竜(大ガマと竜)の場面も、意外に(失礼…)良かったです。怪竜達の造形は、眼が電灯のように光るなど作り物めいていますが、皮膚感は良好な印象を受けました。城のミニチュアも精巧で壊れっぷりの見事さに感心しました。東宝や大映と違って特撮監督がおらず、山内監督達で試行錯誤して撮ったそうですから、そのことを考えれば素晴らしい出来栄えと思われます。   感激したのはこれだけではありません。  まず、主人公二人がいい!。自雷也ことイカヅチ丸を演じた松方弘樹さんは清々しく、ヒロイン・ツナデを演じた小川知子さんは初々しく…というように、お二人のその後のキャリアを知っているだけに、とても新鮮な気持ちになれました。  次に、悪役もいい!。【赤影】に出演した天津敏さん扮するユウキ・ダイジョウは勿論ですが、それ以上に、オロチ丸を演じた大友柳太朗さんが印象に残りました。大友さんは【ワタリ】にも出演されていましたが、当作品のほうがアクションが多く、最後の負けっぷりも威風堂々としていて、久しぶりに悪役らしい悪役を観た思いです。  また、トリック以外の【絵作り】もいい!。例えば【ツナデと、その祖母・蜘蛛ババが別れの言葉を交わすシーン】は、山の陰影をバックに、二人を際立たせるように撮影した様子が伺えます。子供向けでも手を抜かない作り手の皆さんの誠実な姿勢に感じ入りました。  さらに、時代劇としてもいい!。内容は【仇うち/悪の道に堕ち、師匠を殺めた兄弟子と、それに立ち向かう若き弟子との宿命の対決/悪役である父と、主人公との板挟みに苦しむヒロイン】…と、時代劇の【お約束】がてんこ盛りです。監督の山内鉄也さんは、後年、TVシリーズ【水戸黄門】を手掛けたそうですが、元々【お約束に基づく物語運び】の演出に長けておられたのかもしれません。最後は一騎打ちで勝敗を決っしますが、これは【時代劇の東映】としての誇りのなせるシーンかもしれません。   ところで【大人目線】で考えれば「元・尾形家の領土にもう城は無い。あるのは、これからお前たち領民が創る美しい野や畑だ。健やかに育ち、いい土地を創るのだぞ」というイカヅチ丸の締めの台詞は、↓の【くるきまき】さんのおっしゃる通り、現実的ではないかな…と思われます。きっと隣国の領主が侵攻して来るか、たとえ領民による自治が実現しても様々な意見・利害対立が生じ、それを統制する権力的な存在が現れることでしょう。ただ、当時は、高度経済成長を背景に【国や大手企業による開発で、故郷の野や畑から追いやられた人々のこと/開発の結果としての公害】が社会問題になっていました。その意味では「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」という【昔話の締め括りのフレーズ】と同様に『現実にはあり得ないにしても、こうであってほしい』という願いが込められた台詞として受けとめていいのかもしれません。   さて、採点ですが【恐竜・怪鳥…】の反動で、再見当初の感激は10点でした。冷静に考えて①あくまで子供向けであり、大人の鑑賞に堪える同時期の【大魔神三部作:1966年】に比べると…、②オロチ丸が悪の道に堕ちた理由も描かれていれば、アメリカの某スペース・ファンタジー映画シリーズに負けない見応えになっていたかも(笑)…という2点を差し引き、8点とさせていただきます。いずれにせよ、私には嬉しい作品になりました。きっかけを作ってくれたとも言える【恐竜・怪鳥…】を、ようやく肯定的に胸にしまっておけそうです。
[DVD(邦画)] 8点(2018-08-16 21:58:40)
10.  大忍術映画 ワタリ 《ネタバレ》 
 TVシリーズ【仮面の忍者 赤影:1967~1968年】を成功させた監督・倉田準二さんと、脚本家の伊上勝さんのコンビによる【恐竜・怪鳥の伝説:1977年】の再見に対し、複雑な気持ちになったため、今さらながら、その埋め合わせのために観ました。  私も、長年、知識としては「①東映がTV進出を念頭に、漫画・ワタリを映画化。②そのままTVシリーズにしようとしたら、原作者の白土三平氏が映画の作風に激怒したために頓挫。③代わりの原作者として横山光輝氏を招き、TV化したのが赤影だった」と把握していました。その意味で、↓の【伊達邦彦さん】がおっしゃる通り、【赤影のパイロットフィルム】と考え、今回、初観賞しました。レンタル店でDVDを取り寄せてもらって観ましたが、さて、結果は…    確かに、“青影”を演じた名子役・金子吉延さんや、“白影のおじさん”を演じた牧冬吉さんが出演しており、かつ、特撮だけに着目すれば【赤影】を想起させる場面がたくさんありました。しかし「掟の秘密を知った者は始末する」というように登場人物達の命が次々と奪われていくストーリー展開は、断じて【赤影】ではないと思いました。かと言って、それなら【白土三平ワールド】を表現しているかというと…表面的にはシリアスなストーリーであっても、雰囲気は、当時の明朗快活な東映時代劇の作風が漂っており、中途半端さは否めないようにも思いました。  私にとって白土三平氏の作品の映像化と言えば、TVアニメシリーズの【サスケ:1968~1969年】と【カムイ外伝:1969年】です。仮に、これらのTVアニメが先に世に出ていれば、ワタリが東映で映画化されることは無かったのでは…と思われます。一応、【少年忍者 風のフジ丸:1964~1965年】というTVアニメシリーズを東映は手掛けているようですが、この時点から白土三平氏は、原作者として名ばかりの扱いだったようで…。   さて、採点ですが…上述の【恐竜・怪鳥の…】に4点を献上した私としては【恐竜・怪鳥の…】に比べれば、まだいいかな~とは思う一方、他のお二人のレビュアーさん達がおっしゃる通り、白土三平氏が激怒するのも無理は無いと思うので、プラス1点どまりの5点とさせていただきます。  そして、結局は、【恐竜・怪鳥の伝説】の再見に対する気持ちを埋め合わせるという、本来の観賞目的は達成されず、満たされない思いは【怪竜大決戦:1966年】の再見へと続くのでした…
[DVD(邦画)] 5点(2018-08-16 21:52:11)
11.  モスラ(1961) 《ネタバレ》 
 【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】【怪獣大戦争:1965年】と共に、当作品も鑑賞する機会を得たので投稿します(なお、勢いで投稿した後に、皆さんのレビューを拝読し、2日後に追加・修正させていただいております。良投票してくださった方、ごめんなさい…)。  当作品は、私が幼稚園にあがるかあがらない頃に、TVで初めて観た【東宝製作の怪獣映画】です。幼い私は「モスラは、ウルトラマンに出てくるヒドラやシーボーズと同じで、悪い怪獣(スイマセン、当時の私はこういう言葉を使っていました)じゃないぞ。悪いのは、あの外国人だぞ。お願いだから、小さいお姉さん達(スイマセン、当時の私は“小美人”という名称が頭に入りませんでした)を、早くモスラに会わせてあげて…」と一生懸命、祈るように観ていたのを覚えています。   その後、高校生の頃にTV放送されたとき(放送用のカット版)は、幼児期の記憶が蘇ったのと同時に「インファント島の人々が石を打ち鳴らして警告する姿などに『もう戦争はたくさんだ』という当時の製作スタッフの皆さんの真摯な願いが随所に込められていると思う。まさに日本だからこそ作り得た力作だ!」と感じ入ったものです。   そして、今回、DVDでノーカット版を観たわけですが、以下、3つの感想を持ちました。  まず、ドラマについて。他のレビュアーさん達と同様、フランキー堺さんのコミカルな演技に好感が持てました。そしてドタバタに脱線せず、真面目な展開を崩さない本多監督のバランスの良い演出に感心し、最後まで飽きずに観るこができました。  次に、特撮について。これも他のレビュアーさん達が語り尽くしておられますが…東京の街並みをはじめ、全て手作りされたミニチュアは大規模で、その労力を考えるだけでも、当時のスタッフの皆さんの熱いエネルギーが伝わってくる思いがしました。それにしても、渋谷界隈は、↓の【カシスさん】のおっしゃる通り、今とは様相が随分違っています。不謹慎かもしれませんが「現在の街並みは、モスラが“通過”した後につくられたのではないか」…そんな連想が頭に浮かぶほど、渋谷での破壊シーンに迫力を感じました。敢えて言うなら、汚れ塗装まで施した渋谷街に比べ、ニューカーク・シティのミニチュアは作り込みが甘い印象を受けました。しかし、提携した外国の映画会社の要請で急遽、作製したものなので仕方ないかな…と思います。それでも、モスラによる突風で無数の車が飛び交う絵作りには抜かり無く、さすがだと思いました。  最後に、テーマについて。今回は【戦争 ― 平和】以上に【一部の人間の欲望のために、多くの人達が不幸になる】という点が印象に残りました。特に「モスラには善悪の区別はありません。私達を島に戻す本能しかないんです」という小美人の台詞を反映するように、モスラは、ただひたすらに小美人を求めて、周囲を破壊しながら突き進みます。その姿を、私は【自然災害】のように思いました。製作当時は想定していなかったでしょうが【一部の国の利益追求のために地球温暖化の歯止めがかからず、その気候変動の巻き添えになる人々】という図式を、今回、連想しました。その意味合いで【平和】を捉え直すなら【国際的な相互理解と協働】といった言葉が今日的なのかもしれません。   さて、採点ですが…上記で言及したテーマほどに深読みしなくても【私利私欲に対し、 善意・良心が勝利する物語】として素直に観られる作品だと思います。【ゴジラ:1954年】が【人間の営みの影や悲しみを描いた傑作】なら、当作品は私にとって【幼児期+高校時代+現在…】と積み重ねた思いのもと【人間の光の部分を(信じたいと)描いた力作】として、対の存在です。私も10点を献上させていただきます。  ━ 備考 ━  幼児期から耳に焼き付けられた「モスラ―やっ!モスラ~♪」の歌声…今回の再見で、小美人を演じたザ・ピーナッツお二人の声量やパンチのある歌いっぷりを、やはり素晴らしいと思いました。後年、モスラは東宝作品に何度も登場し、小美人もコスモスと名を変えたりして多くの女優・歌手の方々が演じています。歴代のモスラ作品を観た各世代の皆さんごとに「この人達の歌声こそ最高!」という親しみがあることでしょう。
[DVD(邦画)] 10点(2018-01-11 21:40:38)(良:1票)
12.  怪獣大戦争 《ネタバレ》 
 【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】と共にDVDで観たので投稿します。  私が当作品を初めて観たのは小学生のとき。その頃は夏休みの夕方にフジテレビで、往年の特撮映画を放送していました。【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】の放送の翌日もしくは翌週に観たと思います。その後も放送されるたびに観ましたが、私の中では【三大怪獣…:以下、前作と表記します】とセットになって覚えている作品です。   以下、小学生当時に印象に残っていた場面と今回の再見での感想をお伝えします。  まず、オープニングのテーマ曲は、小学生当時から印象に残っていました。ずっと当作品用のオリジナル音楽だと思っていたのですが…後年に第1作目のゴジラ(1954年)を観て、↓の【アンドレ・タカシさん】と同じように、実は1作目で使われていた曲だと知りました。しかし、多くの方々がこの曲を聞いたとき、当作品を想起するのでは…と思います。そして「ボリュームを最大に上げて鳴らしていただきたいのです」という緊急放送と共に始まるクライマックスで、再び、この曲が流れます。小学生当時からワクワクしたものですが…それだけに【シン・ゴジラ:2016年】のクライマックスで、この曲が流れたときには、グッとこみあげるものがありました。今回の再見でこの曲を聞いたときは【ワクワク】と【グッ】の両方を体感させていただきました。  次に、エックス星で、ゴジラ・ラドン・ギドラが戦い、最後にゴジラが【シェーッ】をする有名な場面について。かつて、私は【シェーッ】を知らず、単に『ヘヘッどんなもんだい!』と得意になっているポーズだとばかり思っていました。後年に知り、ようやく今回の再見で「確かにシェーッだったんだ!」と、記憶と知識を整合できて良かったです。  その次は、正体を明かした波川女史が、ネガフィルムのように変化して消滅してしまう場面について。小学生当時から衝撃的でしたが、今回の再見で、まさに【存在を消し去る】という意味で、流血を伴うよりもセンスのある映像表現だと思いました。そして「あなたの監視役を続けているうちに、あなたは計算(機)以外の人になったのです」と言わしめる波川女史とグレンとの温かい交流が、映画の前半にもう少し描かれていれば、一層、この場面が、悲恋の名シーンとして盛り上がったのに…と思ったりもしました。  さらに統制官の「我々は未来に向かって脱出する!まだ見ぬ未来に向かってな…」は、小学生当時から強烈に刻み込まれていたのですが、他のレビュアーさん達にとっても、良くも悪くも印象深いようで…やはり名(迷)台詞なのかもしれません。  最後に、後半の怪獣登場のシーンについて。かつては気づきませんでしたが、【前作】には、日本の怪獣映画の定番ともいうべき自衛隊と怪獣との攻防シーンがありませんでした。それを盛り込んだ当作品は頑張っている!と思った一方、突風で建物や車が吹き飛ばされる場面には、他のレビュアーさん達もご指摘のように、【空の大怪獣ラドン:1956年】や【モスラ:1961年】からのカットが流用されていました。手抜きと言えばそれまでですが、同じような場面をゼロから作る手間を考えれば、これも一つの方法論と言えるかも…と思いました。ちょっと、ひいき目すぎるかもしれませんが…。    さて、採点ですが…冒頭でお伝えしたように、私にとっては【前作】とセットでインプットされている作品なので、悪い印象は持っていません。ただし、大人の視点で観ると、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り「ギドラを操るほどの科学力があるなら、最初から地球に来てゴジラとラドンを操ってしまえば良かったのでは?」とも思えます。ギドラ自体も“操られていた”という設定だと、【前作】の「金星を滅ぼした凶悪無比の宇宙怪獣」というステイタスが揺らいでしまうかな…ということで、【前作】よりも1点を減じて9点とさせていただきます。  それでも、今回の再見で【前作】と同様、私の中に眠っていた【無邪気なガキの心】を蘇らせてもらい、少し元気になれたように思います。さ~て、今年も頑張ろう!。
[DVD(邦画)] 9点(2018-01-11 21:36:41)(良:1票)
13.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》 
 昨年末に、あるレビュアーさんが当作品を再投稿(変更レビュー)されていたのを機に、全員の方のレビューを拝読しました。その結果、無性に観たくなったので、DVDをレンタルして観てみました。  実は、私にとって初めて観た【ゴジラ映画】が当作品です。当時、私は小学生。その頃は夏休みの夕方にフジテレビで、往年の特撮映画を放送していました。その中で観て、すっかり夢中になりました。ドラマ部分で言えば、王女の「私は金星人」、進藤・兄の「私は日本の警察官。あなたのボディーガード!」という台詞が記憶に残りました。  その後も、放送されるたびに観たものですが、ここ30年ほどは観る機会もなく歳月が流れました。また、↓の【へちょへちょ】さんがおっしゃる通り、赤ひげ(黒澤明1965年)の製作が遅れたために急遽つくられた【埋め合せ作品】ということも、私も近年に知っていました。   そして今回、再見したわけですが…  まず、印象に残ったのは【埋め合せ映画】とは思えない熱の入れようだと思ったことです。単なる【埋め合せ】なら、大半を既存のフィルムをもとに再編集した作品を公開する選択肢もあったはずです。確かに構想に3年かけたと言われる【モスラ:1961年】に比べて、市街地のミニチュアは小規模であり、自衛隊との攻防シーンは皆無、しかも決戦の舞台が富士の裾野なのは、製作が短期間だったことを物語っているように思います。しかし、それはあくまで“見比べたら”の話。キングギドラという新怪獣を創造した時点で「時間などの制約はあっても、決して安直な作品にはしない!」と宣言して製作を始めたのも同然だったのでは…と思いました。  そのギドラについて言えば、現在では「ギドラが金星を滅ぼした理由が描かれていない」と批判されそうですが…そんな理屈抜きに、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ギドラが威風堂々として格好いいです。ゴジラ達を弾き飛ばしたりする姿は、まさに凶悪無比の宇宙怪獣!これこそキングギドラの真の姿だ!と私の中に眠っていた【ガキ】の心が蘇りました。ギドラの設定からも分かるように、核の警鐘といった従来の重々しい路線から離れて娯楽に徹した【冬休み・お正月映画】に相応しい作品だと思いました。  またドラマについても特撮同様に手を抜かず【進藤・兄:王女の探索と護衛】【進藤・妹:預言者(王女)と小美人の保護】【村井助教授:隕石調査とキングギドラの登場】の3つが、クライマックスに向けて一つにまとまっていく構成は、あらためて上手いと思いました。なお、個人的には、前半の、進藤宅の居間でのやりとり=兄をからかう妹→怒って妹を掴む兄→「おかあちゃ~ん」と言う妹→「およしよ、2人とも、いい歳して」と諫める母親…という何気ない日常シーンに非常に親しみを感じました。本多監督の怪獣映画では、こうした生活感や温かみのある描写が伝わってくるものが多いように思います。     さて採点ですが…当作品が公開された1964年(昭和39年)は、東京オリンピックが秋に開催された年だとあらためて気づきました。当時の日本全体に溢れていた勢いとエネルギーが当作品にも反映されていたのかもしれません。製作の追い込み時期は、まさにオリンピックの真っ只中だったでしょうから、スタッフの皆さんは「今、オリンピックで日本勢が大検討している。我々も負けずに良い作品に仕上げよう!」「我々が頑張れば、きっとオリンピックでも日本勢は勝てる!」と活き活きと取り組んでおられたのではないか…と想像したりしています。  このようなわけで、一般的な感覚でなら7~8点の作品かもしれませんが、昭和のエネルギー満載の元気が出る映画として、大甘で10点を献上させていただきます。
[DVD(邦画)] 10点(2018-01-11 21:32:40)(良:2票)
14.  猿の惑星 《ネタバレ》 
 新・猿の惑星(1971年)が、テレビ東京で10/12(木)の昼に放送されたのを機に投稿します。   偶然に訪れた【架空の異種族の世界】での交流を通じ、人間性や社会を批判し問題提起する…ジョナサン・スウィフトの風刺小説「ガリバー旅行記」にも通じる風刺映画の名作。  私が猿の惑星シリーズで初めて観た作品は、小学生のときにテレビ放送された【続・猿の惑星:1970年】です。この1作目は、高校生のときに日本テレビの金曜ロードショーで放送されたものを観ました。映画評論家の水野晴郎さんが解説されていたのをはっきりと覚えています。実際に観てみて、2作目同様、この1作目にも【怖さ】を感じましたが…【怖さ】の質は全く異なっている印象を受けました。2作目はミュータント登場以降の場面が強烈で「気色悪い、流血まみれでむごたらしい」といった生理的な嫌悪感に基づくものだったのに対し、1作目の場合は【理知的なSF映画としての怖さ】を感じました。それを象徴するのは、やはりラストシーンでしょう。最後のオチはとっくに知っていましたが【文字情報】では表現し得ない【映像】ならではのインパクトがある名シーンだと思いました。また、ジェリー・ゴールドスミスの前衛的な音楽にも魅力を感じましたが、特にその曲の一部は【水曜スペシャル―川口浩探検隊シリーズ:当時のテレビ朝日で放送】で引用されていたとわかったのも、当時の私にとっては嬉しい発見でした。   その後、テレビ放送で何度も観ましたし、今回、レビューを書くためにDVDで再見しましたが、素晴らしさは全く変わりません。もっとも、公開当時の「他の動物は、生きるために(捕食で)殺すことはあっても、人間と違ってそれ以外の無駄な殺生はしない。人間だけが…」という【人間と他の動物との違い】に関する考えかたは、現在の動物の研究・調査では修正を余儀なくされています。しかし公開されてからほぼ半世紀近く経つのに、映画の冒頭で語られるように【戦争が絶えず、そのために飢えている子供達が数多くいる】という現状を考えると、当作品の存在意義は変わらないと思います。また、考えようによっては、まだ最終戦争をしていないという意味で、↓の【よしのぶさん】がおっしゃる通り「核戦争が避けられた理由の一つに、この映画が挙げられるかも」と言えるかもしれません。   さて、採点ですが…製作スタッフの皆さんへの敬意を込め、さらに、いつか「人類が戦争をしていた頃の時代遅れの作品」と評価される日が来ることを願いながら、10点を献上させていただきます。
[DVD(字幕)] 10点(2017-10-22 18:56:21)
15.  ガリバーの大冒険 《ネタバレ》 
 押入れの整理をしていたら、10年ほど前に録画したビデオテープを見つけたため、あらためて再見してみました。感想は10年前と殆ど変わりませんが、当時、我が家にはインターネットが無く、当サイトに投稿出来なかったので、この機会に明記します。   当作品は、シンバッド七回目の航海(1958年)における【小人化したパリサ姫】で披露した特殊撮影を、ハリーハウゼン氏がふんだんに導入し【ガリバーと小人族/ガリバーと巨人族】をワンフレーム内に違和感なくおさめることに成功していると思います。特撮と台詞を交えた各カットのつながりも大変スムーズで編集の緻密さにも感心させられます。【自由に切り貼りや、やり直しが可能なCG】とは異なり、当時の技術は【フィルムが現像されるまで意図通りに仕上がっているかわからない】というものだったことや、かつ、必ずしも恵まれた予算の作品ではなかった点を考えれば、驚異的だと思います。おそらく、現代のCGに慣れてしまっている若いレビュアーさん達がご覧になると、特段、驚きは無いかもしれませんが、考えようによっては、驚きが無いほど自然に表現されていることが“驚き”かもしれません。余談ながら、主なロケ地は上述のシンバッド七回目の航海と同じだったようで、似たような(否、そっくりかも…)海岸・林・岩場が出てくるのも興味深かったです。  また、単に特殊技術だけが売りではなく、原作の【風刺作品】としての持ち味もしっかりと表現されていると思います。【恋人・エリザベスとの交流】という映画独自の脚色により、舞台が小人族の世界から巨人族の世界へと話が進むにつれて原作と異なってきます。しかし全体を通じて【権力者の身勝手さや自己保身/戦争の本質/一般の人々にとっての幸せとは何か】といったエッセンスは、十分、伝わってきました。基本的にはファミリー層向けの映画であり、巨人族の少女・グラムダルクリッチぐらいの年齢のお子さん(10~12歳ぐらいでしょうか?)と親御さんが一緒に観るとちょうどいいのかな…と思いました。おそらく、イギリスでの公開当時は、観終わった後に、上述のエッセンスについて語り合った親子が多かったのでは…と想像したりしています。  なお、難点を挙げるなら①【ハリーハウゼン作品=モデルアニメのモンスターがたくさん出てくる作品】というイメージとは異なり、モデルアニメのキャラクターは巨人族の場面でわずかに【リス/ワニ】が登場するだけです。しかし、日本の円谷作品だって全てが怪獣主体というわけではないので、こういうのもありかな…と思います。また②小人や巨人は普通の速さの動きで撮られており、スローモーションで巨大感を表現するといったことはしていません。バーナード・ハーマン作曲のBGMが、小人らしさ・巨人らしさを巧みに表現していると思ったので映像と音楽との間にちょっと違和感がありましたが…当人達は「普通の人間」と思っているわけですし、だからこそ、やりとりの中の【風刺】が際立っていると言えるかもしれません。  さて、採点ですが…私にとっては【ハリーハウゼン作品】の範疇を越え【優れた風刺映画の古典】として印象に残っている作品です。当時、日本未公開だったのは残念ですし、展開が単調と言えば単調ですが、敢えて10点をつけさせていただきます。ガリバー旅行記を単なる童話と思っている人達が、原作を読もうというきっかけにもなり得たら嬉しいです。
[ビデオ(字幕)] 10点(2017-08-12 21:49:55)
16.  バンビ、ゴジラに会う
 ↓の【あばれて万歳】さん及び、当作品の一連のレビューを拝見した上で投稿しました。  深夜番組・えびぞり巨匠天国(通称・えび天)は、当時、私も観ていました。司会の三宅裕司さんに、アシスタントで若手アナウンサーだった福島弓子さん(当時は、まさか、イチローさんとご結婚されるとは夢にも思っていませんでした)が、時々いじられながら進行していたものです。平成3年(1991年)に約半年強、放送されていた番組なので、あれから25年も経ったんですね…。  さて、この【えび天】は「アマチュアからプロの映像作家を発掘する」というコンセプトのもと、ゴールデンタイムの素人ビデオ番組で優勝・或いは高評価だった作品が、当番組の審査ではことごとく低評価だったのが印象的でした。そして、上映(発表)時間に3分間という制限が設けられており、出品者の中から「もう少し上映時間が長ければ…」という声が寄せられました。そのとき、審査員のお一人だった大林宣彦監督が引き合いに出したのが、この【バンビ、ゴジラに会う】だったのです。大林監督は内容の概要を紹介しながら「3分にも満たない時間で、言わんとしていることが凝縮されている。これこそが作家性です。大切なのは時間の長さではありません」という趣旨のお話をされていました。  このお話だけに影響されたわけではありませんが、私は当時、別途、【ぴあ・フィルムフェスティバル】や【イメージ・フォーラム】などで、自主映画や実験映像を数多く観に行きました。その結果【一般の人=役者さんの演技や魅力・ストーリー・脚本・キャラクター性といった【劇】に焦点を当てて、まさに“劇”映画を観る人】と【映像作家志向の人】とでは「面白い・優れている」の視点が全く違うことを思い知らされました。それでも、私は当作品を観る機会に恵まれずにいました。  そして、当レビューにより、YouTubeで鑑賞可能と知りました。↓の【皮マン】さんには申し訳ないですが、無料で(正確にはインターネット代はかかっていますが…)ようやく観ることが出来ました。想像では、バンビがもっと楽しそうに跳ね回っている姿をイメージしていたのですが、それ以外、映像のクオリティ(チープさも含みます)やインパクトは予想通りでした。長年の願いが叶い、当サイトに感謝申し上げます。率直な印象は「一般の商業映画・娯楽映画・劇映画でも、その根底には、いずれも当作品のような【作家性】が潜んでいるのかもしれないけど、少なくとも当作品だけを観て、一般の人が面白い・優れていると感じることはないだろうな…」ということでした。その一方で「映像作家志向の人達にとっては、不朽の名作なのではないだろうか…」とも思いました。そのため「一般的な劇映画と、映像作家をめざす人達が面白いと感じる作品との違いとは何か」を考えるなら、観て損はしないかもしれません。逆に言えば、そのようなことを考えないで観ると、損をした気分になるのも確実ではないか…と思われます。もっとも、現在ではCGによる表現がポピュラーになり、自主映画や実験映像に関する評価の視点も様変わりしているかもしれませんが…。  さて、採点ですが…観る人によって両極端に分かれるかな~と思いつつ、とりあえず当サイトの採点基準に則り「可も不可もなく」で5点とさせていただきます。そして最後に…個人的には、何よりも当作品をしっかりと登録している当サイトの懐の大きさに感服いたします!。
[インターネット(字幕)] 5点(2016-11-23 20:16:06)(良:1票)
17.  アルゴ探険隊の大冒険 《ネタバレ》 
 レイ・ハリーハウゼン氏も「最高」と自負しておられる傑作として名高い作品。私が当作品を最初に観たのは中学生の頃・TV放映時でした。最後の骸骨兵士達とのチャンバラシーンには大感激しましたが、当時は残念ながら、ハーピーのシーンからの観賞でした。3年後に某名画座であらためて鑑賞し、その後もDVDやTV放映で何度も観ていますが…私には3つほど、どうしても【引っかかる・残念】と思ってしまう面があります。私にとっては【最高傑作】という前提での「この面をもう少し工夫すれば、もっと面白くなるのに」という意味合いのものです。ただし「そうであったとしても、当作品を絶賛する方々が読んだら嫌な気持ちになるだろうな…」と思い、これまで投稿を控えてきました。しかし、ハリーハウゼン作品の中で、当作品だけを除外し続けるのもいかがなものか…と考え直し、思いきってお伝えします。  【引っかかる・残念な面】の一つ目は、劇映画としての【伏線】の扱いが上手くないな…と感じてしまうことです。「乗組員には、力だけでなく頭も必要だ」と語るハイラスは、通常なら、後半の盛り上げに貢献するキャラクターのはずです。それなのに、タロスのシーンで亡くなってしまい、ヘラクレスが船を降りる理由づけの役割でしかありません。そして【ヘラによる5つの助言】も、このタロスが登場するブロンズ島のシーン(上映開始後約50分=映画の中盤まで)の間に使いきってしまいます。「劇映画としての体裁をとる以上、これってどうなの?」と腑に落ちなかったのですが…考え直してみると、私が幼い頃から慣れ親しんできた【ペルセウスの冒険】の映画化であるタイタンの戦い(1981年)の当レビューには、私ならスルーしてしまう要素について「内容が腑に落ちない/感情移入できない」といった趣旨のご意見を幾つか拝読しました。それと同様、アルゴにおける私にとって腑に落ちない面も、この冒険談に慣れ親しんでいる方々にとっては、スルーできる類のものなのかな…と思われます。  二つ目は、タロスの後半シーンを物足りなく感じてしまうことです。全体を通じ、巨大な金属像が動く雰囲気は抜群で、当時の日本の着ぐるみ特撮は勿論、現在のCGでも決して表現できないものだと思います。踵の栓を抜かれて倒される結末は事前に知っていたのですが、そこに至る過程が寂しいです。巨体が災いして?巨大な剣も小さな人間達には届かないなど手をこまねいている間に抜かれてしまうような印象を受けます。犠牲者は上述のハイラス1名で、しかもタロスの力によるものではなく事故です。失礼を承知で例えるなら【ウドの大木】のように感じてしまいます。ただ、上述の通り、最初のTV放映でタロスのシーンを見損ねてしまい、某名画座で観るまでの間に期待が膨らみ過ぎたからかもしれません。また、タロスが猛威を振るってしまったら、探険隊の冒険もここでピリオドを打っていたでしょうし…。  三つ目は、【吠える岩】の通過後から【ヒュドラ登場】までの約20分間が、私には退屈なことです。特に【船上でのアクション】は、狭い足場での撮影・演出で大変だったと思うものの、私には見せ場としての魅力が今一つです。因みに、このアクションシーンはTV放映枠ではカットされるのが常ですが、仕方ないかな…と思います。ただ、大なり小なり、ハリーハウゼン作品のドラマ部分は【特撮シーンまでのつなぎ】という面は否めず「最高傑作と言われているのに…」という意味で、私の眼差しが辛口になっているだけかもしれません。  さて、採点ですが…以上のようなことから【全面賛成派】になれないでいるものの、当作品が醸し出すパワーの前では些細なものだとも思っています。ハリーハウゼン氏が開拓したファンタジー・神話作品の最高峰であり、脂が乗りきっていた全盛期の作品であることに間違いないでしょう。視覚的なスケールの大きさといい、特撮場面の一つ一つが【絵】になっていると思います。その【絵】を引き立てるバーナード・ハーマンの重厚で生き生きとした音楽も素晴らしく、個人的には【オープニング/タロス/吠える岩】のBGMが特に好きです。シンドバッド7回目の航海(1958年)と並ぶファンタジー映画の古典として、10点を献上させていただきます。
[映画館(字幕)] 10点(2016-09-08 21:31:53)(良:1票)
18.  盲獣 《ネタバレ》 
 江戸川乱歩の生誕100周年にあたる1994年。出版業界をはじめ、映画でも、松竹系のRAMPO(黛りんたろう版/奥山和由版)や、カップリング公開の「押繪と旅する男(川島透監督)/屋根裏の散歩者(実相寺昭雄監督)」…と、巷が“乱歩ブーム”に沸く中、某名画座で、乱歩作品のオールナイト上映がありました。私は友人に誘わるまま観ました。    最初に上映されたのが、恐怖奇形人間(1969年・石井輝男監督)であり、拍手喝采の大爆笑で幕を閉じるという独特な空気がまだ残っている中、次に当作品が上映されました。私は何の予備知識もなくスクリーンに向き合ったのですが、さて結果は…。   まず、監禁された空間の中での男女の密室劇という意味で、真っ先に連想したのは、ウィリアム・ワイラー監督のコレクター(1965年)でした。映画化にあたり何かしら影響は受けていたと思います。ただし、コレクターがワイラー監督らしく礼節を保ったやりとり主体の演出に徹していたのに対し、当作品は少しずつ異常性がエスカレートしていくストレートな演出がなされており対照的だな…と思いました。しかしストレートと言っても、四肢を切断する壮絶な最期は、オブジェを通じて間接的に表現されており、露骨な流血に頼らない演出に感動しました。それは周りの観客の皆さんも同じだったようで、先の「恐怖奇形人間」のラストとは異なる、敬意を込めた拍手が場内を包み込み、幕を閉じたのでした。   なお、主演の船越英二さんは、他のレビュアーさん達もおっしゃっているように、私が物心ついたときには、テレビドラマ「熱中時代」の校長役など温和な壮年男性というイメージが強かっただけに、若かりし頃には、このような役を演じていたことにも新鮮味を感じました。    さて、採点ですが…当時の“乱歩ブーム”が無ければ、私はけっして観ることはなかったタイプの作品です。「誰にでもお勧め」とはいきませんが、密室劇の力作として8点を献上いたします。   平成30(2018)年2月25日(日)変更: 【イニシャルK】さんの【江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間:1969年】のレビューを拝読したついでに自分のレビューに目を通したら…冒頭の文面の「RAMPO」が「RAMO」だったことに気づいたので「P」を入れて修正しました。その一環として当作品の「RAMO」の箇所も「RAMPO」に修正…それだけの変更です。悪しからず…
[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 20:03:26)
19.  江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間 《ネタバレ》 
 江戸川乱歩の生誕100周年にあたる1994年。出版業界をはじめ、映画でも、松竹系のRAMPO(黛りんたろう版/奥山和由版)や、カップリング公開された「押繪と旅する男(川島透監督)/屋根裏の散歩者(実相寺昭雄監督)」…と、巷が“乱歩ブーム”に沸く中、某名画座で、乱歩作品のオールナイト上映がありました。私は友人に誘わるまま観ました。   私は全く予備知識が無かったのですが、友人をはじめ周りの観客さん達は、みんな知っていたようで、上映が始まったときから、何かしら“期待”しているような独特な空気が場内に漂っていました。そして、ちょっとした場面で笑いが沸き上がりました。当初、私は「何で?」と思いましたが、話が進展するにつれて、確かに演出は、ちょっと“違う”ほうへ向かっているように感じました。場内独特のテンションは次第に上がっていき、そして…花火のように打ちあがって爆死し、宙を漂う兄妹のラストシーンは、悲しい場面のはずなのに、拍手喝采の大爆笑が沸き起こったのでした…。   後日、カルト的な人気のある作品であり、主人公の父親を演じた土方巽氏は著名な舞踏家であることも知りました。そして別の映画館であらためて再見しました。オールナイト上映のような笑いは沸かず、私としては一安心。良くも悪くも伝わってくる作り手のパワーを堪能させていただきました。そして、特に島のシーンでは、石井輝男監督と土方氏及び暗黒舞踏の皆さんが「我々は、安直に世間に迎合するような娯楽映画なんぞ創らないぞ!真の芸術を体現するぞ!」と熱く語り合いながら撮影したのだろうな…といったことも目に浮かびました。それにしても、当時の“乱歩ブーム”が無ければ、私はけっして観ることはなかったタイプの作品であり、不思議な因果を感じないではいられません。   さて、採点ですが…下手をすれば、いわゆる“お蔵入り”になりかねない作風でありながら、カルト映画として、多くの?人達に愛され続けているその不思議な力に敬意を表し、8点を献上いたします。    平成30(2018)年2月25日(日)変更: ↑の【イニシャルK】さんのレビューを拝読したついでに自分のレビューに目を通したら…冒頭の文面の「RAMPO」が「RAMO」だったことに気づいたので「P」を入れて修正しました。それだけの変更です。悪しからず…でも最後に…やっとDVD化されたんですね!天国で、石井監督や土方氏は、ほくそ笑んでおられる…かな?
[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 20:00:12)(良:1票)
20.  SF巨大生物の島 《ネタバレ》 
 この映画との出会いは、私がまだ幼かった頃、親戚の人達が家に集まっているときにTV放映されているのを観たのが最初です。叔父達は「面白いよ」と言ってくれましたが、ウルトラ怪獣に熱中していた自分にとっては「本物のカニ・鳥・蜂を合成しているだけじゃな…スーパーヒーローも出ないし…」と引き込まれることはありませんでした。そして、とうとう【巨大蜂が、登場人物のいる巣穴にフタをしてしまう】という場面で、眠ってしまいました。  その後、ハリーハウゼン作品だとわかり「あれが人形のコマ撮りだったとは!」と驚き、いつか、もう一度、観たいと思い続けました。  大人になり、レンタルビデオでようやく再見しました。コマ撮りの素晴らしさは勿論ですが、バーナード・ハーマンの音楽にも感心しました。低音のきいた迫力あるテーマ曲に始まり、巨大カニの場面は力強く、巨大鳥の場面はコミカルに、巨大蜂の場面は弦で羽音を表現し…とバラエティーに富んでいると思いました。内容的にも、60年代から70年代に多く作られたこの手の【秘境冒険もの】としては、良く出来ているんじゃないかなと思いました。主要登場人物が誰も死なないことにも安心したのですが、それならいっそ、ネモ船長だって死なせなくても良かったのでは?と思ったりしました。そうした小さな不満は若干ありましたが、全体としては見応えがあり、幼い頃の記憶と気持ち良くつながって「観て良かった」と思いました。  さて、採点ですが…一般的には【男の子向けのファミリー冒険映画の佳作】であって、6~7点といったところでしょうか。ただ、私の場合、幼い頃に本物と思ったコマ撮り特撮のインパクトを加えて8点を献上させていただきます。
[ビデオ(字幕)] 8点(2015-09-20 18:13:18)
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