Menu
 > レビュワー
 > dreamer さんの口コミ一覧
dreamerさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 85
性別
自己紹介 映画を観る楽しみ方の一つとして、主演のスター俳優・演技派俳優、渋い脇役俳優などに注目して、胸をワクワクさせながら観るという事があります。このレビューでは、極力、その出演俳優に着目して、映画への限りなき愛も含めてコメントしていきたいと思っています。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  ラスベガスをやっつけろ 《ネタバレ》 
「ラスベガスをやっつけろ」は、天才映像作家テリー・ギリアムが、失われたアメリカン・ドリームの末路をシニカルに皮肉り、笑い飛ばすブラック・ユーモアの快作だと思います。  この映画「ラスベガスをやっつけろ」の原作は、1971年に発表された歴史に名を残す悪名高きジャーナリストのハンター・S・トンプソンの、"カウンター・カルチャーのバイブルとも言われている、自伝的なドキュメント「ラスベガス★71」で、その破天荒で独創的な毒気のある内容から、映画化は到底、不可能と言われてきましたが、鬼才・テリー・ギリアム監督が見事に映像化した作品だと思います。  テリー・ギリアム監督は、反体制のスピリットを持つ映画作家で、イギリス最高のブラック・ユーモア集団の"モンティ・パイソン"の創立メンバーの一人で、彼の怪物的ともいえるイマジネーションの世界観、映像の魔術は、我々、観る者を圧倒してやみません。  特に彼の代表作である、「未来世紀ブラジル」でこの悪魔的な映像魔術の世界が最高度に発揮されていたと思います。  "ありとあらゆるドラッグをトランクに詰め、一路ラスベガスへと向かったふたり----いったい何処だ、アメリカン・ドリーム!?"と謳われているこの原作は、ラルフ・ステッドマンの狂気的な挿絵が満載で、"ゴンゾー・ジャーナリズムの金字塔"とも言われ、原作を読み終わった今でも、この強烈なインパクトは私の脳裏にいつまでも長く、残照のように残っています。  ジョニー・デップ演じる、原作者のハンター・S・トンプソンの分身であるジャーナリストのラウル・デュークとベニチオ・デル・トロ演じるサモア人の弁護士のドクター・ゴンゾーの二人は、真っ赤なスポーツカーに"治療薬"と称して、あらゆるドラッグを大量に詰め込んでラスベガスで開催されるバギー・レースの取材に向かいます。  カメレオン俳優としても有名なこの二人の俳優は、ジョニー・デップが原作者のハンター・S・トンプソンの家に長期間泊まり込み、完璧に彼の一挙手一投足を自分のものにして彼になりきり、頭髪も禿げ頭にしました。  また、ベニチオ・デル・トロは、役作りのために20kg体重を増やして撮影に臨んだというエピソードが残っており、この映画の役作りに賭ける二人の強い執念が感じられます。  怪獣の尻尾を付けたり、ガニ股でラリッてヨタヨタとだらしなく歩くデップと不気味なふてぶてしさを体中から発散させるデル・トロ、本当にこの二人の演技の凄さに圧倒されます。  二人はホテルへ到着早々、取材をせずにドラッグ三昧、もうやりたい放題し放題、無茶苦茶な騒動を次から次へと引き起こす彼等の真の目的は?----という展開になっていきます。  とにかくこの二人、ラリッて頭の中が完全にトリップした人間が見るような、幻覚に満ち溢れた映像の魔術的な強烈なインパクト。  奇妙奇天烈にグニャグニャと歪んで変形するホテルのフロントの顔、突然、動き出す床の絨毯の模様、爬虫類に変化して暴れ回るバーの客など、とにかくケバケバしい極彩色に彩られた、奔放で怪物的なイマジネーションの世界が、これでもか、これでもかという具合に繰り広げられ、それらは笑いを通り越して、もはや"醜悪そのものの世界"になっていきます。  このテリー・ギリアムの世界観についていけない人はこの段階で、もうギブ・アップでしょう。 テリー・ギリアムの映画はいつも観る人を選ぶんですね。  そして彼はいつも、"夢想や幻想の力だけを頼りに、現実と切り結び、今ここにある現実を変革しようとまでする無謀な人間を好んで描き、夢想や幻想を現実化してみせ、自らも自由の羽を付けて飛翔する事を願い、既存の体制的な社会に反旗を翻している"のだと思います。  この狂ったような破天荒な行動を繰り広げる二人の大義名分、つまり、原作者のハンター・S・トンプソンが、原作で訴えたかったテーマは、"失われたアメリカン・ドリームを求めての旅"だと思います。  そして、この映画の最大の魅力は、1960年代から1970年代へかけての時代の大きな変革期に、アメリカ人が追い求めてきた"アメリカン・ドリーム"の末路をシニカルに皮肉り、笑い飛ばし、来たる次の世代への警鐘を鳴らした事だと思います。  尚、この映画にはブレークする前の現在のトビー・マグワイアからは考えられない意表をつく役で出演しており、キャメロン・ディアス、クリスティーナ・リッチもカメオ的な出演をしていて、映画ファンとしては思わずニヤッとするお楽しみもあります。
[DVD(字幕)] 9点(2023-11-16 15:40:33)
2.  スリーピー・ホロウ 《ネタバレ》 
この映画「スリーピー・ホロウ」は、幻想的でダークでファンタジックなティム・バートンワールド全開のゴシック・ホラーの大傑作だ。  とにかく、幻想的でダークでファンタジックなティム・バートンワールドに魅せられる素敵な映画です。  この「スリーピー・ホロウ」は、ワシントン・アーヴィング原作の「スリーピー・ホローの伝説」の映画化作品で、ティム・バートンが当時、「シザー・ハンズ」、「エド・ウッド」に引き続き、盟友のジョニー・デップとタッグを組んだゴシック・ホラーです。  18世紀のニューヨーク郊外の村、スリーピー・ホロウでは夜な夜な馬に乗って現われては住人の首を掻き切る首なし騎士が人々を恐怖のどん底に陥れていました。  斧を振りかざした首なし騎士が、漆黒の馬にまたがり、闇夜を疾走する場面の絵になる事といったらありません。 村を丸ごと作ってしまったというセットも素晴らしい雰囲気を醸し出していますし、霧が立ち込める不気味な夜は、色彩も美しく、優れて絵画的でもあります。  つまり、この映画はまさしく、現代の映画作家の中で、最も寓話的な作家であるティム・バートン監督によるファンタジーな絵本の世界を映像化したものだと思います。  そして、これらの幻想的でダークな、鳥肌が立つくらいに綺麗で美しい映像を撮影しているのが、何と「ゼロ・グラビティ」、「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」、「レヴェナント:蘇えりし者」で3年連続でアカデミー賞の最優秀撮影賞を受賞という快挙を成し遂げた、メキシコ出身の天才撮影監督のエマニュエル・ルベツキ。  初めてこの映画を観た時、この撮影は何と凄いのだろうと衝撃を受けた時の記憶が甦り、当時からルベツキの撮影技術が素晴らしかったという事がわかります。  この映画にはかつて、バートン監督が偏愛した1960年代のハマー・フィルム社の"怪奇映画"に対するバートン監督のリスペクト、オマージュに満ち溢れています。  バートン監督は、「当時の怪奇映画は映像的には美しかったが、スタジオ撮影のシーンとロケ撮影のシーンとの間に大きな隔たりがあった。 その隔たりを埋めようとして、セットはもっと現実っぽく、実際の風景は作り物っぽくなるようにした」と語っていて、バートン監督のこの狙いが見事に成功していると思います。  更に、首なし騎士の造形に見られるように、バートン監督が、「シザーハンズ」、「バットマン」、「バットマン・リターンズ」で描いてきた"異形の者"への偏愛も健在で、それまでに磨いてきた映像テクニックを縦横無尽に使い分け、自分の創造性を"さらり"と表現してみせる技を習得した彼は、まさに円熟の境地に達した感があります。  そして、この映画の最大の見どころはやはり、ヘンテコで奇妙な器具をこねくり回して、頑固な程に科学的な捜査を試みるジョニー・デップと村の迷信的な存在である"首なし騎士"との対決です。  科学的な合理性と超自然的な怪談の激突を、頭でっかちな男VS首なし騎士の対決として象徴的に描いているのが面白くてたまりません。  この首なし騎士を演じるクリストファー・ウォーケンの唸り声以外、セリフが全くないにもかかわらず、あの"美しくも怖い顔"で、我々観る者を恐怖のどん底に落とし込む程、怖がらせてくれて見事の一語に尽きます。  デップが古い伝説的な迷信にとり憑かれた村人に囲まれて、ひとり大真面目に捜査を行なう様子はいささか滑稽で、いざという時に臆病風邪を吹かせてしまうというキャラクターにも愛着が持てます。  そして、バートン監督は、我々観る者に謎解きという知的ゲームを与えておきながら、全く考える余裕すら与えない程に衝撃的な首切り殺人や戦慄の映像を畳みかけ、観ている側を完全にパニック状態に陥らせてしまいます。  そして、苦悩する主人公のデップと同様に、我々観る者の、理性を保とうとする機能までも破綻させてしまいます。 この演出技法には全くお手上げで、本当に心憎い監督です、ティム・バートンは。  映画の終盤には、西部劇ばりのワクワクするような、血沸き肉躍る、騎馬チェイスが用意されていて、エンターテインメント性にも満ち溢れていて、カルト的なのに大娯楽映画。  これこそが、まさにバートン監督映画の魅力であり、彼のように鮮やかに自分の趣味とビジネスを両立させている監督は、長いハリウッド映画の歴史の中でも、極めて稀な存在だと思います。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2023-11-16 15:07:54)
3.  救命士 《ネタバレ》 
NY・へルズキッチンで救命士として救急車を走らせる主人公の3日間。 しばらく前に、救うことができずに死なせてしまった少女に対する罪悪感を胸に、きわどいところで正気を保ちつつ、ドラッグや犯罪渦巻く街を走る主人公は、自身の救いを見つけることが出来るのか? --------。  出演はニコラス・ケイジ、パトリシア・アークエット、ジョン・グッドマン、ヴィング・レームス、トム・サイズモアら。  NYで実際に救命士を務めた経験のあるジョー・コネリーの原作を、ポール・シュレイダーが脚色し、・マーティン・スコセッシが監督している。 「タクシー・ドライバー」のコンビが久しぶりに組んで、ニューヨークを描くということで話題となった作品だ。  映画の始めに病院に担ぎ込まれ、植物状態で生かされ続けることになる男のエピソード、その男の娘と主人公を巡るエピソード、薬のせいで完全に正気を失い病院と街を繰り返し行き来している男のエピソード、途中で知り合うドラッグディーラーを巡るエピソード、同僚をめぐるエピソードなどが、緩く絡みあっていく。また、原作者が監修した救急現場の現実もひとつの見せ場になっている。  確かに、流石に一流の監督が撮った作品、という格の違いのようなものはある。映像的な面白さもある。 色調を押さえているようで、リッチな色を感じさせる撮影も素晴らしい。 細かいショットをリズミカルに繋いでいく編集も見事であるし、いかにもスコセッシと思わせる選曲による既成曲のパッチワークも、過剰気味ではあるが、耳に楽しい。  でも、作品としての強さは、作り手の名声から期待されるほどのものではない。 ひとつには、この映画が断片的なエピソードが繋ぎ合わさって、より大きなテーマを浮かび上がらせるというスタイルをとっていることにある。 描かれるエピソードの一つ一つに意味が付加されているものの、全体としてのドラマには力強さが欠けていると思う。  もう一つは、「今、この作品である意図」が見えてこないこと。 原作の、そして、映画の舞台は1990年代の初頭だというから、かれこれ30年が経過していることになる。  この30年というのが、意外や中途半端な距離感で、1980年代ほど「過去の歴史の一部」になってはいない生々しさはあるが、現代と言うには離れていて、「今」を捉えているというわけではない。 時代にとらわれず、普遍的なテーマを描いているにしろ、なんとも煮え切らない感じがするのだ。  最近では、完全にB級映画の出演者となり果てたニコラス・ケイジが「正気と狂気の境目にいて、かろうじて仕事をこなしている男」の眼にリアリティを与えている。 この映画がその「眼」で幕を明けることが象徴しているように、これは、彼の目が捉えた3日間、彼の目が捉えた世界の物語なのだ。  既成曲の合間をつなぐように流れるベテラン、エルマー・バーンスタインのスコアが、バラバラになりそうな作品全体に、一筋の統一感を与えていたのが印象的だった。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2023-08-28 08:47:32)
4.  ウルフ 《ネタバレ》 
"巨大な企業が個人を飲み込んでしまうというプロットと、狼へと変身していく自己との葛藤を通して狼男の神話のファンタジーを描いた「ウルフ」"  怪奇映画の三大怪物のヒーローと言えば、"ドラキュラ"、"フランケンシュタイン"、"狼男"ですが、1990年代の前半は、フランシス・フォード・コッポラ監督、ゲイリー・オールドマン主演の「ドラキュラ」、ケネス・ブラナー監督、ロバート・デ・ニーロ主演の「フランケンシュタイン」があらたな着想でリメイクされ、第3の怪物、"狼男"もマイク・ニコルズ監督、ジャック・ニコルソン主演で製作されました。  この映画は狼男への変身という題材を、ラブストーリーに仕立てた、"ロマンティック・ホラー"とでも言うべき作品で、ニューヨークの大手出版社に勤めるウィル(ジャック・ニコルソン)が、狼に噛まれた事から、会社で部下の野心家のスチュワート(ジェームズ・スペイダー)に足元をすくわれて、左遷人事で飛ばされそうになっていましたが、"野生に目覚め"たウィルは、仕事にも俄然、やる気を取り戻し、社長令嬢のローラ(ミシェル・ファイファー)と激しい恋に落ちたりします。  映画の前半部は、生き馬の目を抜くとも言われる熾烈で過酷なニューヨークのビシネス社会の中で、冴えない企業戦士が狼に噛まれ、野生の力に戸惑いながらも、スーパービジネスマンへと変貌していく過程は、コメディすれすれの状況で描かれていきますが、さすがにマイク・ニコルズ監督、丁寧な描写を積み重ねていく事で、シリアス・ドラマ風の展開へと持っていきます。  "巨大な企業が個人を飲み込んでしまう"というリアルなプロットと、"狼へと変身していく自己との葛藤"という、狼男という神話のファンタジー。  この"ウィルVSライバルとの外的な戦い"と"狼へ変身していく自己との葛藤"というものが、見事に二重構造となっていて、恐らく、マイク・ニコルズ監督もジャック・ニコルソンも、この映画を単なるホラーとしてではなく、その「ふたつの戦い」を描く事が狙いだったのではないかと思います。  ウィルは月夜の晩になると狼に変身し、セントラルパークを徘徊したりするのですが、朝になると記憶が全くないのです。 そんな折、ウィルの妻が獣のような生き物に惨殺されるという事件が発生します。  自分の仕業かもしれないという疑念にかられたウィルは、"理性と野性の間で苦悩"する事になります。 そして、理性で野性の行動を抑える事が出来なくなったウィルに警察は嫌疑の目を向けていきます。  そんなウィルの理解者は恋人のローラだけで、このローラとのロマンスは、まさに"美女と野獣"のようで、狼へ獣化していくウィルは、ローラを愛するがゆえに近付ける事が出来ません。  この映画は全編、ダークな色合いを基調とした映像がゴシック風の美しさを漂わせていて、オスカー受賞歴のある名手リック・ベイカーの特殊メイクが我々怪奇映画ファンを楽しませてくれます。  そして、この映画は名優ジャクニコルソンと、私の大好きな俳優ジェームズ・スペイダーの白熱した演技合戦がさすがに見応えがありましたし、現代の"お伽噺"としても、十分に楽しめる映画になっていたと思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-08-24 10:01:14)
5.  ラヂオの時間 《ネタバレ》 
才人・三谷幸喜がドライな感覚のシチュエーション・コメディに挑み、三谷ワールド全開の初監督作品 「ラヂオの時間」  この映画「ラヂオの時間」は、ご存知、三谷幸喜の初監督作品で、ラジオドラマ「運命の女」を生放送する深夜のラジオ局が舞台。 本番になって、主役の女性タレントが、役名をリツ子からメアリー・ジェーンに変えろとゴネ始めたから、さあ大変-------。  その時、調子のいいプロデューサーが、この些細な我儘を受け入れたために、何と物語の舞台が熱海からニューヨークへと変更され、物語の辻褄がどんどん合わなくなっていくのです。 もう、とにかく、無茶苦茶、支離滅裂な展開へ-------。  生放送のラジオドラマという「時間的な制約」と、スタジオという「空間的な制約」を設ける事で、収拾がつかない大混乱に対処しようとする"人間模様"に面白味が増幅していくのです。 この映画は、全く見事な"シチュエーション・コメディ"の大傑作なのです。  考えてみれば、それまでの日本映画には、このような"シチュエーション・コメディ"が、ほとんどなかったような気がします。 "ウェットな人情喜劇"が大半の日本映画にあって、ビリー・ワイルダー監督を尊敬してやまない三谷幸喜監督が持ち込んだ、"ドライな感覚の喜劇"は非常に新鮮に感じました。  加速度的に目まぐるしく変わりまくる、のっぴきならない状況に、巧みな人物造型が織り重なり、"三谷ワールド"が構築されていくのだと思います。  この映画に登場する、それぞれのキャラクター達は、かなり誇張され、そしてデフォルメされてはいるものの、実際、こんな奴って自分達の周りに確かにいるなと、思わず頷いてしまうようなタイプばかりで、非常におかしくもあり、お腹を抱えて笑ってしまいます。  そんな、おかしな面々が、ハチャメチャな状況を収束させようと、必死になって、懸命に動き回るのだから、もう楽しすぎます-------。 とにかく、登場人物の全てが、皆、生き生きとして見えるのだから、これは、本当に凄いドラマなのです。  三谷幸喜の初監督作に賭ける意気込みは、カメラワークの工夫などにも見られ、スタジオを徘徊しながら、登場人物をノーカットで紹介していく冒頭のワン・カットでの撮影は、とにかく見応え十分で、三谷監督、やってるなあと感心してしまいます。  恐らく、この物語には、三谷監督自身がテレビドラマの脚本家として、ディレクターの横やりなどにストレスをためてきた、苦い経験が活かされているのではないかと思います。  とにかく、この三谷幸喜の初監督作は、実に三谷らしい、一本のシナリオに賭ける情熱のほとばしりが、よく伝わってきて、観終えて、爽快な気分に浸る事が出来ました。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2021-06-04 10:47:54)
6.  海の上のピアニスト 《ネタバレ》 
この珠玉の名作「海の上のピアニスト」は、「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督が、一人芝居として有名なアレッサンドロ・バリッコの原作をもとに映画化し、私のように心から映画を愛する者に、また一つ忘れ難い感動を与えてくれた作品です。  船上で生まれ育ち、生涯一度も船を降りなかった天才ピアニストの数奇な運命が、唯一の親友の回顧録として語られる一大叙事詩となっています。  この映画の冒頭の客船に迫る自由の女神を目前にして、移民たちが、「アメリカだ!」と叫び、狂喜するシーンを観た時、「この映画は絶対好きになるに違いない」と確信しました。 このシーンこそが、このように"素晴らしい寓話"への入り口なんだと-------。  そして、今は落ちぶれたトランペット奏者のマックス(プルート・テイラー・ヴィンス)が、楽器屋の主人に話して聞かせるという構成で、この感動の物語は展開していきます。  生年に因んで1900(ナインティーン・ハンドレッド)と名付けられた子供は、船倉で育つ事になります。 ピアノとの出会いは、8歳の時で、一等客室に忍び込んで、ダンスホールのグランドピアノを弾きこなし、船の人々を驚かせたりします。  そして、成長したナインティーン・ハンドレッド(ティム・ロス)は、船に乗り合わせた人々が語る、陸の世界の風景や彼らの表情に浮かぶ生き様といったものに、インスピレーションを得て、その"夢や憧憬"を鍵盤に託していくのです-------。  その余りにピュアで、美しい音楽は、無垢なナインティーン・ハンドレッド自身の姿そのものなのだと思うのです。  ジャズの創始者であるジェリー・ロール・モートンの挑戦を受けて弾く、ピアノの力強さも実に聞き応えがあり、ユーモラスな雰囲気も手伝って、忘れられない名場面になったと心から思います。  陸から見える海の美しさを語り、人生をやり直すべくアメリカへと旅立った男との出会い、最初で最後の録音演奏中に、窓越しに見かけた美しい少女へのほのかな恋心。 そして、彼は船を降りる決意を固めていくのです。  しかし、果てしなく広がる摩天楼を前にして、彼は船へと引き返していくのです-------。  果たして、自分の世界に閉じこもる事を選んだ彼は、我々が共感すべくもない臆病な、人生の敗北者なのか?  いや、それは違うと思うのです。我々は彼が現代の外界が抱える"不安や毒"に触れてしまう事を望まないのです。  寓話は寓話として、美しいまま幕を閉じる事を切に臨むのです。  私は、マックスとナインティーン・ハンドレッドとの出会い、そして別れのシーンが大好きで、嵐の夜、激しく揺れる船内で、ストッパーを外したピアノの前にマックスと並んで座り、くるりくるりと回るピアノを奏でるナインティーン・ハンドレッド-------。 何ともファンタジックで、夢のような時間に酔いしれてしまいました。  そして、爆発前の船を降りて行く、マックスを見送る最後の瞬間、名残惜しそうに一度、二度と声を掛けるナインティーン・ハンドレッド。 彼のどこか弱い人間臭さを感じて、目頭が熱くなるのを禁じ得ませんでした。  とにかく、伝説のピアニスト、ナインティーン・ハンドレッドを演じたティム・ロスが、一世一代の名演技だったと思います。 穏かな表情の奥に、"先行きの見えない人生への不安"を見え隠れさせて、見事というしかありません。  そして、そんなナインティーン・ハンドレッドの切ない心情を映し出す、エンニオ・モリコーネのオリジナル・スコアの素晴らしさ。 一度きりの瞬間、瞬間を捉え、二度目はないという音楽は、様々な表情を見せ、たっぷりと感動の余韻に私を浸らせてくれました。  そして、「いい物語があって、それを語る人がいるかぎり、人生は捨てたもんじゃない」というナレーションは、そっくりそのままジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画に対する取り組み方を表していると思います。  感動のツボを押さえた語り口のうまさは、もはや名人芸に達していて、いい物語を聞かせてあげたいというトルナーレ監督の、"温かく優しい思い"で溢れていて、楽器屋の店主が、マックスに大事なトランペットを返してやるラストの人情劇も、とても心が温まる思いで、名画を観終えた後の感動が、私の心の中でいつまでも爽やかな余韻として残り続けたのです。
[DVD(字幕)] 9点(2021-06-04 08:19:45)(良:1票)
7.  依頼人(1994) 《ネタバレ》 
この映画「依頼人」は、私が何度も観直している映画の1本で、大好きな宝物のような映画です。  「依頼人」は、法廷物を得意とする推理作家、ジョン・グリシャム原作の映画化作品で、同じく彼の原作の映画化作品の「ザ・ファーム/法律事務所」「ペリカン文書」と違って、この映画はサスペンスよりも"人間関係の確執"に、より重点を絞った内容の"人間ドラマ"になっていると思います。  11歳の少年マーク(ブランド・レンフロ)は、8歳の弟リッキーと一緒に近くの森に隠れて煙草を吸いに行き、そこで二人は偶然、見知らぬ男が、ピストル自殺する現場を目撃してしまいます。  リッキーは、その精神的なショックから植物状態になり、入院する事になります。 一方、マークは秘密を知ったため、マフィアに脅され、追われるはめになり、警察の事情聴取にも頑なに口を閉ざしてしまうのです。  知事を目指す野心家の連邦検察官ロイ・フォルトリッグ(トミー・リー・ジョーンズ)も、FBIと共にマークを追求していきます。  そして、マークは、自分と家族を守るために、わずか1ドルの所持金で、女性弁護士レジー(スーザン・サランドン)を雇い、弁護を依頼。  この二人の"心の絆"を軸に、マークに法廷で証言させようとする検察側の思惑を絡めて、スリリングな物語が展開していく事になるのです------。  事件の中心的存在であるマフィアは、物語の流れの中では、単なる脇役に過ぎず、主人公のマークと女性弁護士のレジーに対立する敵は、実はマフィア逮捕のためには手段を選ばない"検事"だという作劇の巧みさ。  それが、善悪を単純に二分化できない現代を象徴していて、実に面白いのです。  我々、庶民の象徴のような弁護士が、果敢な信念を持った態度と豊富な法律の知識で、辣腕検事をやり込める場面が特に素晴らしく、胸のすくような思いがしますが、この国民の権利を守るはずの法律が、逆に国民を縛る存在になっている現状を鋭く突いているなと思います。  そして、法律をもう一度、自分たちの手に取り戻す過程が、"民主主義の原点"を見つめ直す作業として描かれ、それが女性弁護士レジーの"自分の人生を見つめ直そう"という作業として、重層的に描かれているのです。  それがまた、少年マークのレジーを見つめる、彼の成長とも繋がっていくという、実に心憎い内容になっているなと唸ってしまいます。  レジーを演じたスーザン・サランドンの哀しい過去を引きずりながらも、弁護士としての矜持を持ち、世の中の理不尽な出来事に立ち向かおうとする弁護士像。  そして、自分だけを頼るしかない健気な少年マークに対する、優しい母性を感じさせる愛情の表現には、鳥肌の立つほどの思いで、彼女の演技力の確かさ、深さを改めて知る思いで、彼女の演技としては、彼女がアカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞した「デッドマン・ウォーキング」と変わらないほどの素晴らしさだったと思います。
[DVD(字幕)] 9点(2021-05-31 11:51:15)
8.  菊豆/チュイトウ 《ネタバレ》 
チャン・イーモウ監督の「菊豆/チュイトウ」のストーリーは、徹底的に悲惨です。 今までにも何本か、気が滅入るくらいの悲惨なストーリーの映画を観てきましたが、この映画はそんな中でも間違いなく、その悲惨ベスト5に入ります。  菊豆という若くて美しい人妻が、強欲で意地悪で不能で、年上の夫に苦しめられ、他の男性に愛されることで苦しさから逃れようとする物語です。 そこまでやるかというくらい、残酷で不幸で理不尽でやりきれないストーリーなのですが、とても美しい映像になっているのが特徴です。  原作の舞台は農村なのだそうですが、映画では染物屋になっています。 黄色や青や赤の長い反物が翻るシーンが数多く出てきて、実に印象的です。 これらの色鮮やかな布は、映画の中で効果的な大道具であると同時に、粋な小道具にもなっています。  残酷なのに、限りなく美しい映画というのはよくあるものです。 例えば、ジャンルは違いますが、「コックと泥棒、その妻と愛人」や「サスペリア」も同様でした。 やはり「赤」が美しい映画でしたから、「赤」というのはひとつの象徴なのかもしれません。 この「赤」から連想されるものは「血」とか「情熱」です。  菊豆の天青に対する想いは、年月が経っても全く薄れることなく燃えたぎったままでしたし、まるで"血の池"のような赤い染料のプールの中で溺れ死んでいく夫、ラストシーンの火事の炎など、到るところに「赤」のイメージがあり、まさにこの映画は「赤の映画」だなと思わせられました。  これでもか、これでもかというくらいの悲惨な終焉なのですが、後味が悪くないというのは驚きでした。 これはひとえに、チャン・イーモウ監督の演出の手腕だと思います。
[ビデオ(字幕)] 7点(2019-03-24 10:22:40)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS