Menu
 > レビュワー
 > トリプルH さんの口コミ一覧
トリプルHさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 14

評価順1
投稿日付順1
変更日付順1
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  8 Mile 《ネタバレ》 
映画というより、長いPV(『Lose Yourself』のメッセージをもっとも活かすための文脈作り)という感じ。フルで流れたのも一回だけだし。それ以前に100回以上聞いていたけど(仕事先の有線とかで)、鳥肌がたったのはあのラストがはじめて。映画ありきのサウンドトラックというより、サウンドありきの映像クリップ。焦らし方なんかもハリウッドの文法そのものだけど、やっぱりやられちゃった。溜めて溜めて吐き出すというパターンに(それまで一緒に鬱屈を溜め込んで観ていたぶん)快感はあるんだけど、最後のラップは思いっきり内輪ネタじゃねえかと。それがさほど鼻につかなかったのは、ヒップホップ自体に「内輪ネタが一般的」という認識があったのと、(ラビットが)韻の踏み方などでちゃんと作品に昇華してたからだと思う。おかげで、理性で映画を観るという最悪の結果は免れた。もちろん、エミネム自身を偶像視してることもあるけど。タリン・マニングのシーンがあまりに少なくて拍子抜け。
8点(2003-07-01 21:44:56)
2.  RED SHADOW 赤影
忍者には特別な思い入れを持っているので、忍者をバカにされてるようで立腹した。忍者だからこその内面を掘り下げていないで、ただ忍者の外見だけを利用されると、どうしてもなかなか頭を切り替えられない。(ネタバレ)「忍者が名を名乗るのは死ぬときだけ」っていう認識があったから、名前聞かれて「俺は赤影!」って自信満々に答えてた時点で「ええーっ!」って。ダメだ。この映画だけは受け付けられない。外人くの一だってVシネじゃねんだからさ。忍者はファンタジーにもアクションにも向いてるけど、そっちの路線にしたってVシネや山田風太郎のほうがよっぽど潔いし、発想豊かだよ。
0点(2003-06-07 21:42:28)(笑:1票)
3.  ホワット・ライズ・ビニース
自分の中に緊張状態と弛緩状態の繰り返しの丁度いいバランスがあって、緊張状態からの弛緩、弛緩状態からの緊張という両方向の落差で揺さぶってきてほしいのに、この振り子運動が私は好きなのに、ずっと緊張させっぱなしで、あまり弛緩させてくれないから疲れた。張り詰めたものはいつか途切れなければならない。疲れたってことは、それなりに充実した時間を過ごしたことの裏返しでもあるけど。(ネタバレかな)最後の最後はちょっと戦慄しました。私の勘違いかもしれないけど、カメラの引きで雪に浮かびあがる
6点(2003-06-07 21:19:30)
4.  ブレス・ザ・チャイルド
あんな愛らしい女の子を使われたらどうやっても感情移入してしまう。それを自覚しつつも、それでもなお、本気で心を揺さぶられてしまうし、監督の手のひらに乗せられていることを自覚することに引っかかりはあっても、またそこに変な自意識が介入してくることがあっても、それを振り払いつつ、最後まで乗せられていた。女の子が普通の子とちょっと違うところを見せるシーンが、超能力以外にも(器量として)5,6回あって、その都度、一切の穢れのない、純真なものを目にしたときの涼やかな感動を禁じえなかった。だから、ロリコン映画としては成功しているわけだ。またそのロリコン映画を今観ているんだぞ、と自覚することに関しても、自分に語りかけてくるもう一人の自分の声に耳を塞ぎ、怠惰に身を委ね、一切の批判精神も持たずに観れた。ある精神状態においてのある部分の役割は、少なくとも果してくれたはずである。現実を忘れさせてくれた。(ネタバレ)「普通とはちょっと違う子」であるから、異形の者であるから、当然異形の人生を辿る運命を背負っていて、それゆえ、例えば同じように「普通とはちょっと違う」車椅子の病気の子供(→当然異形の人生を歩むはず)に“思わず”抱きついたりするところなども、「普通とはちょっと違う」という共通項を持つものでなければ分かち合えない感覚があったはずで、正しく抱きつかずにはいられなかったのだと思う。ちょうどその運命性に翻弄されている真っ盛りに、引っ掻き回されている最中に、このような(母親からすれば)間の悪いことをしたということに意味がある。一刻も早く逃げなければいけない状況にも関わらず、である。運命として孤独を背負ってしまった少女が、ある部分で共有できる人間と初めて出遭ったのではなかったか。(少なくとも映画の中ではずっと孤独だ) そのときの救いの感覚は、推して量らずにはいられない。「すみません、子供なもので」「いいのよ」という母親同士の表層のやり取りとは全く別の次元で、心の通わせ(合い)が確かに存在していたはずだ。
8点(2003-05-08 00:26:27)
5.  シビル・アクション
(ネタバレ)モノ投げて暴れるわ、交渉でもスタンドプレーに走るわ、なんかジャイアンなんですけど。示談交渉のときに、破格を提示して裁判に持ち込んだのは主人公の意図だと思っていました。直前に、雨の車の中で“月曜の朝に死んだ”息子の話を思い出しているシーンがあるので、そのモンタージュから、気まぐれで心を入れ替えたんだと思った。しかし、DVDの特典映像では、「裁判を恐れる企業から大金を取れるとタカをくくっていた」というトラボルタ自身の語りとともに交渉のシーンが挿入されていたので、それこそ「気がついたら後戻りできない状態になっていた」というほうが正しいのかな。それに、本編のナレーションでも「被害者に同情するのは失格だ」とあったから、それとの整合性との部分でもそう考えるべきか。私としては、その部分の取り違えをしたことで、いっそう主人公のキャラクターが掴めなくなっていった気もする。気まぐれで同情してみたりもするし、頭もいいのか悪いのかわからないし・・・っていう。そういうのもあったため、眼前に繰り広げられる現実離れした光景を楽しもうというスタンスを取るしかなかった。とはいえ、ジャイアン的立ち回りを楽しみつつも、同時に主人公のその気まぐれっぷりは十分に印象として際立たせていたので、おいけてぼりにされるcivilの立場というものも相対的に強く印象に残った。キャサリン・クインランの醸す「枯れた感」がそれを手伝い、「私たちが失ったものと比較できるとお思い?」と抑えたトーンで吐き棄てるくだりは、胸に迫ってくるものがあった。長~い前フリがここで帰結した感じ。civil actionとは、常にないがしろにされ、顧みられてこなかったはずの、弱者たる市井の大いなる力そのものなのだろう。その力は、主人公の人生を狂わせ、社会を衝き動かすという形で働きかける。後味は決して悪くない。ここでは、ラジオ野球中継を誰にも邪魔されたくない弁護士も、金策のことしか頭にない弁護士(←ちょっとかわいそうに思っていたが)も、主人公と同列に扱われる。交渉でのやり取りに緊張感がなく、極めてビジネスライクなのも、被害者のないがしろ感を強調するためのものだろう。
6点(2003-05-07 23:05:46)
6.  タイムマシン(2002)
映画を観る前には、それなりのテンションを準備しておくことが大事だと思う。題材が現代の科学を超えたものだから、変に考えずに眼前の光景を楽しもうと決めて臨んだ。しかし、節々で中途半端に哲学ごっこしているので、その時々で考えさせられるが、ポンポン展開が飛び、わけのわからん異形の者たちが出てきたりで、こちらの思考も中途半端になってしまった。観終わってしばらく澱が残った。考えさせられる部分はあるが、考えがある程度実を結ぶより前に「はい次~」っていう。だから不安になる。不安は不安で残しておくのもまたよいが、不安は不満にもなるもので、考えさせっぱなしにするか、思考停止させっぱなしにするか、どっちかにしてよ、とも言いたくなる。SF的要素、アクション、ホラー性(というより滑稽味)、物語展開の原動力としてのアドベンチャー性(旅の構造)、哲学的要素、さまざまなマテリアルを散りばめて間口を広くしているのだろうが、どれもが突き抜けていなくて、監督の意図が不明瞭だ。モンスターの滑稽さは緊張感の中でこそ活きるはずなのに。それでも、音楽には感動した。特にエロイ族のハゲどもがなんだなんだと集まってくるシーン。しかし、内容が追いついていないような、というより噛み合っていないような、ただいい感じに雰囲気が作れたから、「これよくない?」「いいじゃんこれ~、これで行こうよ~」みたいな。初めて撮りましたっぽさ、言葉は悪いが素人臭が出てる感じがします。純粋に感動しようとしたけど、何かが引っかかって、素直に雰囲気に身を委ねられなかった。CGによる視覚的快楽はあったし、サマンサ・マンバという魅力的な女優を見つけたし、損をしたとは思わないが。
6点(2003-04-02 16:03:24)
7.  コンタクト
呼吸を忘れるという感覚を久しぶりに味わった。大げさでなく、30分くらい呼吸してなかったと思う。エリーがかけがえのない人たちと出会い、気の置けない仲になっていく。それでも、後ろ髪を引かれるような状況で、それを全て捨てて、死ぬかもしれない、生きて帰ってもその大切な人たちはもういないという中で、躊躇いながらも踏み出すことができるのか。とてもじゃないが私は行けない。飛び込むのか、それともここで戻るのか、ハラハラして見た。得体の知れないリングと装置が発するドライアイスのような煙、その無機質な空間を眼下に捉えるショットなどは秀逸で、エリーの緊迫感がこちらにも感覚をダイレクトに通して伝わってくる。2機目があると知って、誰にも告げずにすぐさま行くエリーもよかったし、送り出す側の2人のエリーへの「最後の」接し方も見ごたえがあった。ケントが駆けつけてエリーに語りかけるのは、扉が密閉された後で、つまり戻れなくなった後で、それは下手に感情的なものが出てきてしまうと踏ん切りが付かなくなるかもしれない、という互いの配慮だろうか。一言ずつだけで済ませてしまっているのが素晴らしい。ジョスも、最後はお守り(ペンダント?)に託す。信仰の象徴であるところのそれが手から離れてしまったときに、安全を保障する椅子から離れて取りに行くシーン、心の中で「神様!」と叫んでいるところが印象的だった。3ヶ月内の立ち退きを命じられた後のニューメキシコの黄昏で始まり、もの思いに耽っている斜陽のニューメキシコで終わる。いい帰結だと思った。私の視野が狭いからだろうか、自分が現実的に考えられない地球外生命体とかにはあまり目が向かなかった。科学、というか科学信仰に毒されてしまっているのか。科学も大抵の人にとっては、処世術的に活用するという意味で信仰の一部であろう。それよりも現存するミールなどは、行ってみたいと思った。無重力体験だけでも何か自分の感覚が変わりそうなものを感じた。
5点(2003-03-08 12:22:00)
8.  インサイダー
(ネタバレあります)主要人物それぞれの立場、現実的な視座に基いて描かれていてよかった。その個々の利害の交錯の中で、何か絶対的なもの(ジャーナリズムあるいは正義)を描こうとしているように見えたが、誠実な男の自分なりのけじめのつけ方、男たちの男っぷりも印象に残った。組織的な隠蔽という意味では雪印食品を思い出した。確かにタバコごときで・・と初めは思ったが、牛肉の偽装が行われていたのを知らなかったのと同様、タバコが危険というコンセンサスができていなかったとしても理解はできる。それと忘れられないのは、車の中での会話で「他には?守秘義務の範囲外で?」とジェフリーに聞かれてローウェルが「ニックスはファイナルに行けるか?」と返したところのやり取り。ジェフリーが初めて(彼に対して)微笑し、ローウェルも一瞬、ほんの一瞬笑みを浮かべるのだが、ジェフリーが彼のほうを向くか向かないかのうちに、パッとそれを消して顔をそらす。ローウェルとしてはジェフリーとやっと距離感が縮まったという安堵があるはずなのだが、それを無意識裡に表に出すのは一瞬だけに留めて、本心を覆い隠す。自らの機転で「手柄」(確実に何かが解けた)を挙げたにも関わらず、それに浸らず、すぐさま次のステップへ進むのだと自らに言い聞かせているようにも思え、高い職務意識が伝わってくる。これは葛藤に苛むジェフリーへの気遣いもあるのだろう。緊張と弛緩という視点から見ても、二人の距離感の微妙な変化、心理の機微はヒシヒシと伝わってくる。「ニックスは~」をさらりと言ったのもよい。いかにもジョーク言いますよ然とした、大仰そうな語り口では、弛緩どころか怒りすら買うことになりかねないからだ。(「マジメに言え!」的な) パチーノ、シビれるねえ。
7点(2003-02-28 01:32:06)
9.  アザーズ
(ネタバレあります)最後の皆さんが言われるところの「どんでん返し」は自然で、違和感なく、なるべくしてなった必然的展開だと思う。驚くには驚いたが、その澱みのなさという印象のほうが強かった。「どんでん返し」という観念は浮かんでこなかった。(おそらく皆さんも便宜的に使われているのだと思うが) 怖さというのもあまり感じなかった。(不気味さで言えば2回目のほうが怖かった) ホラーとかサスペンスとかスリラーといったジャンルで括ることは、作品世界を素直に感受することの障碍になると思うので、なるべくそういったものが浮かんでこないよう見るようにしている。あえて言えば、深い愛を、形を持たないからこそ、より実在感をもって感じさせるドラマ、というような捉え方をした。敬虔なカトリック教徒の母親が、自殺を禁じられてるにも関わらず(私が知ってる数少ないカトリックに関する知識)混乱して自殺にいたったということに、印象に残るものがあった。それでも主は哀れみ、お許しになった。それが時間軸上はそれ以後の(映画のストーリー上はそれ以前の)母親のリアリティ、行動としての説得力になっているのではないか。子供たちなどに対する立ち振る舞いはそれに即したものだと思うし、メッセージとしてもより伝わってくるものがある。そもそも愛憎表裏と言うくらいだから、憎しみも愛の一つの表現と言ったほうがよいか。ただ、そういったものをより感じたのは2回目以降だから、私の中ではこの映画は正味4時間である。こういう映画を作らせてしまうのだから、監督はもちろん、イエスという存在は偉大だ。カトリックの方の感想も聞いてみたい。
7点(2003-02-27 01:39:33)
10.  ナインスゲート
(ネタバレあります)なんかディアボロスっぽいなぁ。私の場合、こういうのは細かい理屈は抜きに、幻想的な雰囲気の中に漂わせてくれればいいというか。いかに非日常的空間にいざない、彷徨させてくれるかという点になってくる。誰に感情移入させようというストーリーでもないし。だから、ある意味ではそういうのが見たいというタイミングで見れたかどうか。波長が合うか合わないかだと思う。ある程度惹きつけられたのは、やっぱりジョニー・デップの持つムードによるところが大きいのかな。一緒に謎解きの旅をしている感覚というか、旅という構造そのものの持つ力だと思う。「9つの扉」の本を持ってるバアさんが舌を出して死んでいるショットなどは、ロケの光景を思い浮かべてしまい、笑ってしまった。熟練女優によくやらせたなぁみたいな。ちょっと作品の世界観から引き戻されたというか、自ら引き戻ったと言えばいいのか。それと、テリファー夫人が「プラザ・アテネ・ホテル」にいると分かって、コルソと謎の女がそこに行ったときに、エレベーターから出る日本人観光客とすれ違うシーンがある。コルソが宿泊していたホテルのスタッフに「探してくれ。たぶん五つ星ホテルにいると思う。」と言っていたのが前フリとして作用し、笑ってしまった。「洋画で邦人を描くときはステレオタイプに」みたいな定石はしっかり踏襲してくれていて半分嬉しくて、でも同じ日本人としてはどこか笑い飛ばせなくて。痛快の逆と言えばいいのか、「痛」のほうがちょっと強い感じの、シニカルで、手放しには笑えない苦々しい笑い。こういう感覚を味わうのは嫌いじゃない。
6点(2003-02-25 23:18:30)
11.  狂っちゃいないぜ!
「狂っちゃいないぜ」は「狂っているぜ」の反語というか、それなりにブッ飛んでるということを前提にしているわけで、それを自称するということは、自らハードルを相当挙げてしまっている気がする。実際見たら本当に狂っていない。『非日常』と言われたら、言われた側は構えるから、そこに普通の『非日常』を持ってきても、拍子抜けとなる。よほど『非日常』であるか、あるいは逆に『日常』だったらすごく面白いと思う。この邦題はひどいし、意図とは違う捻じ曲げられ方をしているのにそれを監督は許すのだろうか。それとも権利を買い取った時点で邦題は配給会社の恣意のものなのかな。観客を取り込むまでがゴールならば、商業的な側面からは成功だろうが、その後の領域に関しては失敗というか、悪質であるとすら思う。尤も、見る前から「狂っていないんだろうなぁ」とは予測できるし、そのことでの裏切られたという憤りはない。商業的意図はあからさまと言えばあからさまだから、悪質だとも思っていない。アンジー目当てで見たし。
3点(2003-02-23 16:41:08)
12.  スナッチ
(ネタバレあります)ほとんど内容覚えていないが、別に何も残らなくてもその場で楽しめればいいのだけれども、第一印象としてはこれくらいかな。何か口答えするたびに銃で撃つっていうシーンだけは覚えていて、これは面白く感じた。テンポいい作品は、情報を自分で消化することなく強制されている気がしてそれだけで抵抗感を覚えてしまう。個々のシーンに自信がなく、情報量でもって誤魔化しているだけだと思う。もちろん一つのギミックにはなるし、この映画はそれ自体が目的にもなっているので、それが新鮮に映れば得した気にはなると思う。ただ、そういったものを求めていないときに見てしまったので、見なければよかったと思ったのだろう。よくパッケージの裏とか見てから借りりゃよかった!
4点(2003-02-23 16:19:11)(良:1票)
13.  ボーン・コレクター
(ネタバレあります)5回だったかな?アンジーが1人で危険な場面に突入していく場面があるんだけども、毎回「なんかある。今回こそなんかあるはずや。」と思いながらハラハラしてたら、いちいち何もなかったので、いちいちホッとした。これにはよい意味で裏切られた。意外性には受け入れられるものと受け入れられないものがあるが、この場合は全て受け入れられるものだ。なぜならアンジーの大ファンだからである。「何か起きる。アンジーの身に何か起きる!」と思いつつ何もなくても、それは好ましいものだし、何かあると見せかけて何もないのが新鮮に感じた。緊張感はそれほど求めていない。どちらかというと弛緩していたい。社会的時間を過ごすのにいちいち緊張しているのに、1人で家で見ててまで緊張したくない。いや、弛緩しっぱなしがいいというわけではなく、緊張が時間を忘れさせるということもあるので、適度に緊張のタイミングを設けてくれたのでよかった。いかに時間を感じずに引き込まれていたかが映画の評価になってくると思うので。
7点(2003-02-23 15:50:42)
14.  パニック・ルーム
(初投稿です。失礼します。)「ジョディっていい女だなぁ」と思いながら見た。時間を感じず引き込まれた。ツッコミどころはかなりあるが、そちらの思念に向かわせない。そのことで一歩引くということがなかった。「ツッコミどころ」に思念を向かわせないために施された方策が“ジョディの胸”ではないか。常にジョディに視線を向けさせるので、犯人たちに緊張感はないがそれなりにハラハラできる。“ジョディの胸”は必然性があるので、サービスとは言わないと思う。また、ウィテカーに痛いほど感情移入した。「人がいい人」の末路は常に悲劇的でしかないんだなぁと、切なくなったし、悲劇的でなければダメだと思う。この犯罪者になりきれない男が、最終的に1人の男を殺し1つの家族を救う。リスクを承知で、あそこで戻ってはいけないのに(すでにサイレンの音は鳴り響いていた)それでも戻った。「挙げられるのを何よりも恐れている」等の伏線が、その切なさをより噛みしめさせる。エンディングは母と娘の公演シーンだが、この間に数秒の間があるのは、単に時間の経過を示すだけでなく、その余韻を味わいさせるために割かれているのではないかと思う。
9点(2003-02-23 14:52:17)
017.14%
100.00%
200.00%
317.14%
417.14%
517.14%
6428.57%
7321.43%
8214.29%
917.14%
1000.00%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS